その10 〜関ヶ原で勝ちとったもの(笑)



■恩賞(笑)


今回の戦における恩賞でござりまする(笑)。
一見するとマグカップとテーブルクロスのように見えますが、戦の恩賞にかようなものはないでしょう。とすると、これには何か別の解釈があるのではないか・・・。

まずテーブルクロス。これは現代風「陣羽織」と考えるのが自然だろう(笑)。ためしに肩にかけてみたがすぐ落ちた。これは仕立て直して陣羽織にせよという事なのだろう。生地はよさげで良いのだが、書いてある絵が奥の細道というのが気にかかる(笑)。

そしてマグカップ。色々考えてみた結果、恩賞=知行地=石高=米という結論に達したので、米を入れてみた(笑)。ちょうど1合ぐらい入った。ということは、今回の戦で得た知行地の石高は1合、つまり0.001石だということだ・・・・。なんという事、これでは食えん(T_T。仮に昌幸殿が上田で得ていた9万石までたどり着こうとすると、あと戦を9000万回戦わなければならない・・・。ま、ぼちぼち頑張ろう(^^



■噂の武者シール

噂の武者シールです(笑)。

私は配る方だったので、当然ながら全然持ってません(^^;戸田隊のシールならまだいっぱい余ってるので、今後布教活動につとめたいと思います(笑)



■東軍諸隊についての報告書---草のもの暗躍(笑)



私が戸田隊として行動している時に、草のものとし敵東軍を探る密命を受けていたてくの一ちぇしゃ殿・・・。<て、おーい(^^;
見事的東軍の出陣前の様子を探ってきていただけました。上の段左から・・・

・本多忠勝隊・・・でたな!東軍の人気どころ忠勝隊。本の旗がかっこいいです。
・藤堂高虎隊・・・おおっ!戸田隊と戦った藤堂隊ではないか。このころはまだ平和だね、フフッ(’ー’
・京極高知隊・・・同じく戸田隊と死闘を演じた京極隊ですな。個人的には黒一色もなかなか。
・島津義弘隊・・・ちゃしゃ殿お気に入りの島津隊の、これは布陣の図ですね。例の神社前のショット。なんかここだけ勢いが違いますな!さすが島津隊!
・島左近公・・・石田三成の名将です。一戦終えて帰る所です(^^
・小早川秀秋公・・・少しお年をめした秀秋公。赤い陣羽織が諸将のなかでもいっそう目立ってました。

いやー、こうして並べると壮観ですな。ちぇしゃ殿、貴重な報告の数々・・・ありがとうございまする!



■もうひとつの戸田隊

Tohkaさんからいただいた衝撃の写真です(笑)。

戸田の別働隊が、こんなとこにいました(^^
のほほんとしてました。戦え、こらー(笑)



■丸秘帳

丸秘帳です。関ヶ原合戦の模様が克明に記録されております(笑)。
その他にも貴重な情報が・・・例えば、今回参加した武者情報。一番遠くは、北は北海道から1名、南は鹿児島県から45名参加しております。鹿児島の45人は島津隊のグループ参加ですな。参加者が一番多い県は岐阜県の321名ですが、それ以外だとこうなっております。

1位 : 愛知県 183名
2位 : 鹿児島県 45名
3位 : 滋賀県 44名
4位 : 大阪府 27名
5位 : 三重県 23名

東北からも山形県1名、宮城県2名といるんですよね〜合戦好きな一匹狼が(^^



■新聞


『 世紀分け目の関ヶ原 』・・・関ヶ原町で400年祭のメーンイベント
霧雨けむる関ヶ原。こだまする鉄砲や刀の音と、気迫に満ちた武者達の鬨の声−。四百年の時を超え、天下分け目の合戦を再現する「関ヶ原合戦四百年祭」のメーンイベント「関ヶ原合戦絵巻2000」が八日、不破郡関ヶ原町関ヶ原の笹尾山で行われた。
地元からの一般参加のほか、参戦した武将にゆかりのある全国市町村にも呼び掛け、東西合わせて四十四隊、約八百人が“出陣”。各陣は南宮山、桃配山など史実通りの場所に布陣した後、のろしを合図に、主会場の笹尾山へ威風堂々行軍した。
「合戦絵巻」は実際の二百分の一のスケールで行われ、小早川秀秋の寝返りや島津隊の敵中突破、石田三成本陣の大砲など合戦のエピソードももらさず再現。琵琶や太鼓の生演奏でドラマチックに仕上げられ、各陣そろいの甲ちゅうやのぼりが交差する極彩色の絵巻は、壮大な歴史体験と東西交流の場となった。
[ 平成12年10月9日 岐阜新聞 ]

私は当日、新聞を買えなかったのですが、複数買っていた他の戸田隊の方に分けてもらいました。ありがとうございます!これが生れて初めて新聞の1面をカラーで飾った写真です(笑)。右側のは、実物大。ちなみにこの他にも、朝日、読売、毎日、日経、中日、中日スポーツと新聞に載っていたそうです(かなりありますね。知らんかった^^;)。なお当日の関ヶ原の来場者数は8万人だったそうです。










いやー!さんざん時間かけてこの程度か(笑)。 読みにくい所など多々有りましたでしょうが、申し訳ないです。

でも今回の関ヶ原は、一生の記念に残るものとなりました。やはりいいですね>武者の格好
私には、コスプレの素質があるかも・・。癖になりそうです。
次は真田か?武田か? ああっ、大観衆が私を呼んでいる・・(笑)

なお・・・
このレポは、今回私が参加した西軍ないし戸田隊という所に視点をおいて書かれています。
臨場感をお伝えしたかったので、多分に言葉使いを強調して書いていますが(苦笑)、
特に東軍及び敵諸隊に対して悪意があったわけではない事は、ご理解ください。
(管理人としては、これがきっかけで理解が深まる事は大いに望むところなので、色々な感想お待ちしてますね!)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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帰りは、最後まで残っていたTohkaさんと一緒に帰ることになった。
関ヶ原を離れ、一路大坂へ。

「この2日間は本当に楽しかったっす」
そんな話をしながら走らせる車のウインドウを、先ほどから降り出した雨が叩いていた。考えたらこの2日間、行進の時だけ見事に雨があがった。そして戦い終わった漆黒の闇に、ふたたび降り出した雨が勢いを増す。400年前とまったく一緒の光景だ。そのあまりの見事な演出に、思わず唸る又五郎。
関ヶ原の神がそうさしたとしか思えない・・。そしてこの雨で・・・ 史実は現実へと帰っていくのである。

「明日から社会復帰できるかなぁ(笑)」
そんな事を考えながら、車は魅惑の307号(笑)を突っ走っていった。




 2000年10月7日 〜 10月9日
++ 関ヶ原合戦400年祭 参加レポ その10 ++