掌(てのひら)編

平成15年8月〜


平成15年8月18日(月)

ニューヨーク、トロントの大停電、そのニュースを知ったとき、

ずっと連絡をとっていなかった萩さんのことを思い出した。

そっと携帯電話の「は」行を探してみる。

相変わらず「萩生田」の文字の存在感は大きかった。

 

電話の呼び出し音が1回、2回、なかなか萩さんは出てくれない。

「萩」だけに「8」回目で出るのかな、などと考えていると、

ふいに懐かしい声が耳に届いた。

 

「high」

いきなり英語だった。

久しぶりに開通した電波に乗って伝わってきたその声は、

昔と何も変わっていなかった。

 

こうして萩生田先輩日記は新たなる幕を開けた。

社会に出て大人になった僕と萩生田先輩。

いったいこの先何が待っているのだろう。

それはまだ誰も知らない。


平成15年10月4日(土)

おもいだし萩さんシリーズその2

秋もそろそろ本格的に深まるのかな・・

寂しがり屋が増える季節、秋。

ふと、萩さんとの昔のエピソードを思い出した。

バイトの飲み会のときだった。

そのころからアウトローを目指していた萩さんは、

皆が盛り上がっている席とは

少しはずれたところでお酒をたしなんでいた。

そんな寂しそうな萩さんに、

そっと「スペランカー」の攻略本を差し出すと、

萩さんはゆっくり折り込まれていた

1面のマップを開き、

それをじっと凝視していた。

今思えば、あのときの萩さんは、

すでに「アウトロー」だったのかもしれない。

そういえば今度、高田馬場に引っ越すらしい。


平成15年11月1日(土)

「引っ越し DE 萩さん PART1」

昨日の夜、突然萩さんからお電話があり、

一つの質問を投げかけられた。

「オマエ、明日アイテイルカ?」

空いているも何も

萩さんからのお誘いを断るなんて

まさに愚の骨頂の輩がおこなう行為である。

迷うことなく、

「空いてますけど、いったいなんですか?」

と答えると、

萩さんは少し間をおいてこう言い放った。

「引っ越しを手伝って欲しいんだ」

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「引っ越し DE 萩さん PART2」

午後3時30分、電話の着信が鳴った。

萩さんからの着信音は当然、

TOKIOの「BE AMBITIOUS」だ。

「家の前に着いたよ」と萩さん。

慌てて外に出ると、すぐに萩さんの運転する軽トラに乗り込み、

2人で引っ越し先の新大久保を目指すこととなった。

 

国立ICから中央高速に乗り、とりあえず運転も落ち着いてきたので、

前々から萩さんに相談したかったことを話してみることにした。

F:「あの、萩さん、『萩生田先輩日記』のことなんですけど、、、」

萩:「ああ、どうかしたの?」

F:「そろそろ『先輩』の文字をとってもいいんじゃないかと。」

萩:「なんで?」

F:「だって、いつまでも失礼じゃないッスか。」

萩:「なにが?」

F:「だってもう萩さん、立派な社会人なのに、『先輩』って、、、なんかバカにしてます。」

萩:「じゃあ『萩生田日記』になるの?」

F:「はい」

 

萩さんは少し考えてから、ふと遠くのほうに目をやり、

「それより『日記』、とっちゃえよ」

と言った。

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「引っ越し DE 萩さん PART3」

萩さんの新居に着くと、

さっそく3階にある萩さんの部屋に荷物を運び始めた。

しばらくすると、萩さんがおもむろに、

「あっ、あれを取りに行かなきゃ」と言った。

それはキッチンの「流し台」のことだった。

建築のデザインを仕事にする萩さんは、

部屋の全てを1から自分で組み立て、配置しているのだ。

「流し台」もその一つだった。

 

そこで、新居から歩いて数分のところにある

リサイクルセンターを目指し、2人で「流し台」を持ってくることにした。

行ってみるとそこは、椅子やらテーブルやら、

はたまた飲食店専用の巨大冷蔵庫やら、

様々なものが所狭しと置かれていて、

グルっと回り、やっとその「流し台」コーナーに辿り着いた。

そして近くにいた店員さんに萩さんが話しかけた。

「すいません、先日注文していた『萩生田』ですけど」

すると中年の男性店員は思い出したかのように、

「あっ、ただいまお持ちします!」

と言い、「流し台」コーナーの奥のほうから

萩さんの「流し台」を持ってきた。

そして「少々お待ち下さい」と言って、

「流し台」の付属品を奥に取りに行った。

 

良く見ると、その「流し台」には2枚の貼り紙がしてあり、

1枚には「萩生田様」と書かれていた。

しかし、もう一枚の貼り紙の裏を見たとき、その場に衝撃が走った。

F:「萩さん、これ見て下さい。」

萩:「なに?」

F:「これ、萩さんをバカにしてるとしか思えませんよ」

萩:「なにが?」

F:「いくらなんでも、これだけは許せないっす。」

そこには

「10/30 生田」

とマジックで書かれていたのだ。

 

販売員に対して、確かにこれだけのスペースを動き回って

販売をこなさなくてはならない身、忙しいのはわかる。

しかし、大事なお客さまの名前を勝手に省略するなんてことは、

販売を仕事とする人間として失格である。

それも100歩譲って、「萩」ならまだわかる。

それを「生田(うだ)」などと平気で書きなぐるとは。

 

萩さんは、

「これは多分地名の『生田(いくた)』だと思うよ」

と、しきりに言っていたが、それは店員に対する僕の怒りを鎮めるため、

あえて自分への中傷を否定したのだ。

あらためて思う、本当に萩さんは心が広い人だ。

まさに僕らの「カリスマ」だ。


平成15年12月30日(火)

 

今年も残すところあとわずか。

気が着くと自分は携帯を手に持ち、

萩さんの番号をコールしていた。

数回のコールが続き、

心地よい声が耳に届く。

 

「はい、カツオですが」

 

まさに THE END OF YEAR を感じさせるギャグを

聞き流し、すかさずこちらも攻撃を仕掛けた。

「あ、ME!ME!MEですけど!」

 

思わぬ返しにうろたえる萩さん。

「は?みい?」

 

「急で悪いんですけど、今事故っちゃって、

700萬ほどMEの口座に振り込んで下さい」

 

「!」

すぐに事体を察した萩さんは即座にこう答えた。

 

「これ『ME ME詐欺』か、、、、、」

 

 

「・・・・・」

 

ガチャッ、、、、、、

 

 

これが、僕と萩さんの、2003年、最後の会話だった。

 


ありがとう2003!ありがとう萩さん!

そして来年も、よろしくおねがいします!


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