風に聞こえる


キャスト

男1 サトリ 先生 おじいさん
女1 今日子 明日香 おばあさん 前田先生



  少女が山道を歩いている。
  風が木の間を通り抜ける。
  遠くからうなるような歌声、鳴り物。
  行く手をふさぐようにうずくまっているサトリ。

男1 よお。
女1
男1 おまえ。おれを何者かと思っているな。
女1
男1 おまえ。もしかしてこれがサトリというものだろうと思っているな。
女1
男1 おまえ。こちらの思っていることをすぐ覚るんだなと思っているな。
女1
男1 おまえ。おれのこと怖くないんだな。
女1
男1 おまえ。なんにも考えてないな。
女1
男1 おまえ。ほんとうに何もないな。なんにもないのか。
女1
男1 いいよ。そんなに一生懸命何かを思おうしなくても。
女1


  歌声が近づいてくる。

男1 おまえ。お役目か。
女1
男1 そうか。それで何もないのか。社へ行くのか。そうか。
女1
男1 そこにそえのかみ(道祖神)があるだろう。拝んで行きな。おっかさんももう帰って来るさ。
女1
男1 おれはもう行くよ。どこへってか。もうここもおれの場所じゃあない。お役目もおまえで最後だろう。いいや。おれがわかるのは山の衆の心だけさ。先のことが分かる訳じゃあない。おまえもおまえの帰るはずの場所に帰りな。
女1
男1 おれたち化け物は誰もおれたちのことを忘れたら、また別のところに行かなきゃあならない。もうそんなところはこの国にはないけどな。
女1
男1 早く行きな。嵐が来るぜ。もう昔の山じゃあない。こんなに人が手を入れちまったら山もおしまいだ。ちっとも葉や根に水がたまらねえ。水が地べたをつるつるつるつる滑って行くわ。
女1
男1 そうかい。まだ帰れないのかい。お役目も大変だ。
女1
男1 おまえ。本当に空っぽだなあ。この年頃の娘ならよ、心の中に何かもっとごたごたしたもんがあってもいいじゃあねえか。かわいそうに。
女1
男1 だからお役目かい。おまえみたいなお役目らしいお役目に会ったのは久しぶりだよ。おまえも半分がたおれたちの仲間かもしれねえな。


  歌声が聞こえる。

男1 おお。あの声はジャンボーかい。誰かおっちんだか。南の沢のじじいか。そうか。
女1
男1 おれは行くよ。早く帰れるように祈ってるよ。じゃあな。妹によろしくな。


  サトリ、去る。
  少女、歩き続ける。
  風の音、激しくなる。
 
  男、現れる。

女1 先生。何をしている。
男1 明日香。どうしてこんなところにいるんだ。
女1 先生こそどうして山に入った。
男1 道に迷った。どこを下りればいいんだ。
女1 山に入ったらだめだ。
男1 ただ上ってみたかっただけだ。
女1 ただ?
男1 何もすることがなくて、ただ、なんとなく。
女1 山で「なんとなく」はだめだ
男1 明日香はどうしてこんなところにいるんだ?
女1 …そこ。
男1 え?
女1 そこ。気をつけて。
男1 なに?
女1 こちら側に寄って。
男1 何かあるの?
女1 ああ。
男1 何が?
女1 見えないだろう。
男1 何?
女1 山では言うことをよく聞いた方がいいな。それにあまりものを尋ねない方がいい。


  うなるような声、鳴り物。

男1 また聞こえるなあ。
女1 ああ。
男1 明日香。
女1 訊きたいのか。
男1 うん。
女1 じゃあ、いいよ。訊いても。
男1 あれは何の音だ。
女1 ジャンボーだよ。
男1 …何?
女1 訊いたな。
男1 しかたないだろう。知らないんだから。
女1 そこにそえのかみがある。何も訊くなよ。道祖神のことだ。ちょっと待て。


  少女、道祖神を拝む。
  男、道に座り込む。

男1 暑いな。もう二時間も歩いてるんだ。
女1 この暑いのに何を好んで山歩きなどする。
男1 ひまだったんだ。
女1 ジャンボーは葬式だよ。山の葬式はジャンボーと言うんだ。
男1 誰か死んだのか。
女1 南の沢のじじいが死んだ。
男1 じじい?
女1 山の言葉だ。
男1 明日香は葬式に行かないのか?
女1 ばあちゃんたちは行ったよ。
男1 あれはお経か?
女1 そうだね。
男1 ここを通るのか。
女1 いや、この下の道だ。見たいのか?
男1 うん。
女1 わたしはジャンボーには行けない。先生も見てはいけない。
男1 どうして?
女1 町のもんは見てはいけない。
男1 そういう風習か?
女1 風習か何か知らないが、見ちゃあいけない。あ、そこもだめだ。こっちに寄って。
男1 何?
女1 また訊いた
男1 気になるよ。
女1 おたつ様だよ
男1 何それ?
女1 自分の捨てた子どもを探してるんだ。あ、なんかすごい田舎だと思ってるだろ。
男1 いや、別に。
女1 たたりとかあると思ってるだろ。
男1 思ってないよ。
女1 あそこにもおたつ様がいるよ。
男1 え?
女1 髪の長い女がしゃがんでいるのが見えないか?
男1 本当か?
女1 見えないだろ?
男1 明日香には見えるのか?
女1 見えるわけないだろ。めさげの花が下を向いて咲いているところにおたつ様がいるんだ。言い伝えだ。迷信だよ。
男1 ふうん。これがめさげの花か?
女1 うん。田舎だと思ってるだろ。
男1 明日香だって転校してきたんだろ。
女1 うん。でも、生まれはここだ。
男1 あ、そうか。
女1 戻ってきたのさ。
男1 学校にいるときとしゃべり方が違うな。
女1 山の言葉だからな。
男1 山の言葉?
女1 ああ。
男1 家ではそういうしゃべり方なの?
女1 山では。
男1 教室ではあまりしゃべらないね
女1 しゃべらないさ。みんなとペースが違うしな。あたしは山のもんだしな。
男1 仲悪いのか。
女1 先生もあまり見てないな。来たばかりでしかたないか。そういうつきあいなんだよ。差別とかそういうんじゃないんだ。なんていうか、ボキャブラリーがな。
男1 え?
女1 ボキャブラリー。え?間違ってるか?
男1 ボキャブラリーか。
女1 発音違うのか。
男1 合ってる。合ってるから分からなかった。ボキャブラリー。ボキャブラリー。合ってる。英語は、そう。ボキャブラリー。
女1 英語はそうって英語に決まってるだろ、ボキャブラリーは。
男1 そりゃ英語だよ。
女1 わたしが英語言うと不思議か。
男1 すごい発音で驚いた。
女1 違うだろ、言葉が。みんなと同じしゃべり方はできないな。
男1 こっちに来て方言がないんで驚いたけど。
女1 テレビ見てるからな、みんな。それから…先生がな。
男1 ぼく?
女1 先生が東京から来たからな。
男1 東京から来たから?
女1 それだ。「東京から来たから?」え?何?どういうこと?なんてな。東京のしゃべり方だよ。それは。意識してるんだ。みんな。
男1 そういうもんかな。
女1 先生、マクドナルドへよく行ったか?
男1 ああ、行ったよ。
女1 あたしも行ったことはある。
男1 ふうん。
女1 二回な。
男1 へえ。
女1 その「へえ」っていうのにみんな傷ついているぞ。
男1 うそ。
女1 本当だ。
男1 気をつけないといけないな。
女1 「気をつけないといけないな。」
男1 おかしい?
女1 しょうがないな。先生はあれだな。上原多香子が好きだろ。
男1 なんで知ってるんだ?
女1 何のひねりもない性格だな。
男1 悪かったな。
女1 年上だけど西田ひかるとかな


  二人、歩き出す。
  ジャンボーの音。

女1 ここをまっすぐ下りて行きな。
男1 明日香はどうするんだ?
女1 わたしは社に行くよ。
男1 お参りか?
女1 お役目だよ
男1 何だ、お役目って。
女1 また訊いたな。
男1 何の役目なんだ?
女1 お役目なんだ。わたしは。お役目はお役目さ。先生は早く帰った方がいいよ。日が落ちるよ。
男1 うん。気をつけて。
女1 先生こそ。


  男1、去る。
  女1、山道を登っていく。
  社に着く。
  社に向かって柏手を打つ。
  上掛けを羽織り、冠をつける。
  舞いを舞う女1。
  男1、いつのまにかその姿をのぞいている。
  舞い終わり、社に向かってひざまずく女1。
  立ち上がり、男1ののぞく方を見る。

女1 先生。見ていたね。


  男1、動けない。

女1 仕方ないね。お役目は毎日こうやって、社に来ることになっている。お役目はね、忌みの者しかできないんだ。町へ行ったさ。行って、それから帰ってきたよ。帰ってきたから、お役目になったんだ。先生は町に帰るのか?また、見に来ればいいさ。送りの日にやるよ。それで終わりだ。送りの火が消えたらお役目も終わりさ。
男1 明日香…
女1 お役目はね、忌みの者しかできないんだよ。


  男1、駆け去る。
  山道を駆けていく男1。
  女1がそれを見ている。

女1 先生、あたしは明日香じゃないよ。


  女1、去る。
  風の音。
  男1、人家の庭先に出ている。

男1 あのー、すいません。誰かいますか。


  電話が鳴り出す。

男1 わ。あのー、すいません


  女1、豆を入れたざるを持って登場。

女1 あ、先生!どうしたの?家庭訪問?
男1 明日香!
女1 ちょっと、待って。電話に出るから。


  女1、男1にざるを渡して、家に上がる。

男1 あの、明日香。いったい…
女1 ちょっと待ってくださいね。


  女1、電話に出ようとするが、切れてしまう。

女1 切れちゃった。あ、ごめんなさい。


  女1、男1からざるを受け取る。

女1 先生がわたしんちにいるからびっくりしたよ。これ取ってたの。ばあちゃんいなかった?まだ葬式から帰らないのかな。先生来たの、全然気がつかなかったよ。先生?
男1 ああ。明日香、あの…
女1 先生。汗びっしょり。
男1 あの、明日香。
女1 うん。
男1 あの、水くれ。
女1 うん。うちの水、うまいよ。


  庭の井戸から水をくむ。
  男1、受け取る。

女1 うまい、あ、おいしいでしょ。
男1 うん。
女1 ここはポンプだけど、ほら、ここにまだ井戸があるの。
男1 うん。
女1 これこそ田舎って感じ?
男1 あ、いや。うん。
女1 なんか、先生東京から来たから意識しちゃってさあ。
男1 明日香、畑にいたのか。
女1 うん。これ。今日はばあちゃんたち葬式でね。育ちすぎちゃうとおいしくないから。うちのはうまいよ。先生、持ってく?
男1 明日香、本当に畑にいたのか?
女1 うん。
男1 山に行かなかったか?
女1 今日はジャンボーがあるから子どもは山に行っちゃ行けないんだ。あ、ジャンボーってね。
男1 葬式だろ。
女1 よく知ってるねえ。
男1 明日香、山に行ってないか、今日。
女1 行ってないよ。あのねえ、田舎だよねえ。そういうのうるさいんだ。ばかみたいだよねえ。昨夜から繰り返し繰り返し行ってるの。山に行ってはならない。山に行ってはならない。迷信だよ。忌みだなんて言って。
男1 忌み?
女1 あ、これ方言?忌みって言うんだ。ジャンボーを子どもが見ると忌みの者になるって。
男1 明日香!
女1 何?
男1 山に行かなかったか?
女1 行かないって。何、いったい?行ってないよこの暑いのに。山の中、歩き回らないよ。先生、もしかして、山に行ってたの?
男1 ああ。
女1 それで汗びっしょりなのか。
男1 うん。
女1 ここは涼しいでしょ。裏の山から風が下りてくるの。
男1 ああ、ほんとだ。


  山から雲が下りてくる。
  風が強くなった。

女1 実家に帰ってたの?
男1 うん。
女1 彼女に会った?
男1 いないよ。
女1 そうだよねえ。
男1 うん。
女1 なんか、そんなに暗く「うん」とか言われると悪いこと言ったみたいじゃん。
男1 ごめん。
女1 先生、どんなタイプ好きなの?
男1 うえ…
女1 え?
男1 いや
女1 清純派?
男1 いや、そうでもない。
女1 でも、わざわざこんな時に帰ってくることないのに。
男1 え?どうして?
女1 台風来るみたい。ここは台風の通り道だから。
男1 ここは、雨が多いね。
女1 うん。
男1


  女1、豆の筋をむきだす。

女1 あのね、先生ね。
男1 何?
女1 宿題ね。
男1 うん。
女1 やってるよ。でもね、だめだな。できないよ。
男1 そうか。
女1 何訊かれてるかも分からないし、何が書いてあるかも分からないし。わたし用のやつ出してくれたよね。あれだけでもいいかな。
男1 ああ、いいさ。
女1 くやしいよねえ。先生には前にも行ったけどさ。成績よかったんだよ。わたし。これでも。
男1 あのさ、後遺症とか、ないの?他に。
女1 他に?頭の他に?
男1 ごめん。そういうつもりじゃないんだ。
女1 いいよ。わたしの取り扱い困るよね。先生、まだ…一月目だし。難しい生徒だよね。
男1 ごめんな。
女1 大丈夫だよ。よく前田先生も言ってたよ。現実は受け入れなければならない。ねえ。
男1 うん。
女1 よくあるじゃん。テレビとかで。ぱっと目覚めてさ。「ここはどこ?おかあさん、どうしてわたしはここにいるの?ここ、病院?」とかさ。そういうんじゃないんだよね。わたし、成績よかったの。これでも。模試とかもまあまあだったよ。本も好きだったし。でもねえ、全部忘れた。九九も忘れたよ。九九言えなかった時はびっくりしたよ。先生も困ってるでしょ。こんな生徒教えててさあ。聞いてるでしょ。前田先生に。
男1 うん。
女1 事故にあってこうなっちゃった。中二で九九言えないんじゃしかたないよね。三日間意識なかったよ。そんときに壊れちゃった。その後も二週間くらいボーっとしててさあ。担任の先生毎日来てくれた。でもねえ、名前分からないんだよ。校長先生が来てくれたとき、校長先生!ってすぐ言ったらさあ、口聞いたこともないのに。後で悪くてさあ、先生に。本も読めないよ、なんか集中力なくなって。あのね、居眠りなんかしたことなかったよ。自転車乗るとか、なんか体で覚えたことは大丈夫なんだけど。
男1 大変だったんだな。みんな、心配しただろ。おかあさんとか。
女1 おかあさんはね、うん、そうだね。でもね、今日子がね。
男1 今日子?
女1 もっと大変だったしね。
男1 今日子?だれ?
女1 うん…
男1 いっしょに、事故に遭ったの?
女1 うん…


  電話が鳴る。

女1 あ、ごめんね。


  電話を取る。

女1 はい。志太です。あ…うん。南の沢のじいちゃん、死んでさ、ジャンボーだ、今日。見たよ、さっき。じいちゃんもばあちゃんもそっち行ってる。うん…
町でもさ、ジャンボーやるのかな。そうなったときさ。
ごめん…
でも…
いいよ。だめだよ。来なくていいよ。
会いたいよ!
でも、ちがうじゃん!そういうことじゃないでしょ!
もう、いいよ。分かってるよ。おかあさんだって…
そうじゃない!
わたしのことはいいんだ。
ほんとうにいいんだってば。
分かった。送りの日までね。そしたら…
うん。うん。じゃあね。
あの…
今日子は…
切れちゃった。ごめん、へんなもの聞かせて。
男1 おかあさん?
女1 うん。あのさあ、これ持ってって。むいてあげるから。おいしいよ。食べ方知ってる?料理するの?しないか。ハンバーグとか好きそうだもんね。初めて?一人暮らし。
男1 明日香、おかあさんは?どこにいるの?
女1 いいよ!そんなことは。
男1 ごめん。
女1 先生。どうしてこんなところに来たの?
男1 道に迷って。
女1 そうじゃなくて。どうして分校に来たの?うち、東京でしょ?
男1 ここなら教員になれるからだよ。
女1 キョウイン?
男1 先生。
女1 それまで何してたの?
男1 三月まで大学生。卒業して就職浪人。親戚の紹介で期間採用教員になった。田舎が好きだったんだよ。
女1 前田先生の替わりに?
男1 うん。
女1 おかあさんはね、町にいるんだ。
男1 何してるの?
女1 うん。あの、送りの日には帰ってくるよ。
男1 送り?
女1 方言?これも。あの…一六日の、あ、お盆だよ。
男1 送りの日には、何かあるのか?
女1 ふつうだよ。送り火を焚くんだ。
男1 明日香。お役目って知ってるか?
女1 先生、どうしてそんなこと知ってるの?でも、今はもうやらないよ。あんまり言わない方がいいよ。山の衆はいやがるよ。あれはシャーマニズムだね。
男1 え?
女1 ほら、秀才の名残だ。言ったでしょ。読書家だったんだよ。ときどき、ポコっと知識が残ってんの。こんなこと覚えててもしょうがないのにね。忌みの者がやるんだ。あれは。
男1 忌みの者?
女1 うん。


  風の音。
  雨が降り出す。


男1 忌みの者って…
女1 お役目はね、忌みの者がやるんだ。送りの日にお役目は死者を帰すんだ。帰るはずのところにね。そして…
男1 そして?
女1 山の衆はお役目を谷へ落とすんだ。それで、上から石を投げるんだ。一緒に帰すんだよ。帰るはずのところにね。お役目はこの世にいるはずではないからね。
男1 …明日香?
女1 忌みの者だからね。この世の者ではないんだよ。まれびとなんだよ。
男1 明日香、お役目は死ぬのか?殺されるのか?
女1 死ぬんじゃない。帰るんだよ。
男1 明日香?明日香!
女1 ふたつ子だからね。ふたつ子は忌みの者だ。災いをもたらす。
男1 明日香!おい!明日香!
女1 どうしたの?先生。大きな声出して。昔のことだよ。今、いつだと思ってるの?
男1 ああ、そうか。
女1 昔のことだよ。
男1 …明日香。おれ、山で…
女1 山で?
男1 お役目にあったよ。
女1 そう。
男1 お役目は、おまえに似てたよ。いや、同じ顔だった。おまえだった。
女1 それは、わたしじゃないね。
男1 明日香。
女1 それは今日子だよ。忌みの者だよ。
男1 今日子って…
女1 先生、台風が来るよ。もう帰った方がいい。豆を持って行きなよ。
男1 豆か。
女1 うちのはうまいよ。


  女1、豆を男1に渡す。

男1 帰るよ。
女1 先生。送りの日にまた来なよ。ごちそうがあるよ。


  男1、去る。

女1
女1 さてと。


  女1、残りの豆の筋をむく。
  電話の音。

女1 ああ。


  男1、現れる。

男1 電話か。
女1 ああ。
男1 出たらどうだ。
女1 ああ。
男1 切れるぞ。
女1 切れたらそれでいい。どうせろくな知らせじゃない。電話なんてものは早く出なきゃならんものは悪い知らせ。早く出なくともいいものは取るに足らないつまらん話。どちらも聞きたくはない。早く出ても遅く出ても、同じだ。取らないのがいいさ。
男1 ジャンボーのあとは気がふさぐな。
女1 ああ。


  電話、切れる。

男1 切れちまった。
女1 どうせ、あれの母親だ。
男1 明日香はどうした?
女1 こんな、やまがのじじとばばにもなつくのはあの子だけだ。忌みは今日子が背負ってくれた。
男1 まさか山ではないだろな。嵐が来ている。
女1 目を覚まさんのが今日子でよかった。
男1 どちらも孫だ。
女1 明日香がいればよい。
男1 昔の山ではない。水はたまらんぞ。あっという間に土雪崩だ。山に行ったのではないだろうな。
女1 お役目でもあるまいし、山にはいるはずもない。
男1 見てくるか。
女1 おまえさま。
男1 おお、年だからな。足を滑らせて腰でも打たんように用心するよ。
女1 なんで言うことが知れた。まるで…
男1 サトリのようだろう。何年連れ添っていると思う。
女1 気をおつけなさい。


  男1、去る。
  女1、立ち上がる。男1を見送って。

女1 事故の知らせを聞いたときは本当に驚きました。意識がない。おかあさんの憔悴は目を覆うばかりで、今にも倒れそうでした。何日かして、明日香は目覚めました。幼児に帰った明日香に、ひらがなから教えていきました。それでも、よかったのです。一人だけでも目覚めたのです。
台風の通り抜ける、雨の多いこの地は昔から霊地と言われています。山ではまだ、物忌みなどと言う者がいて、双子は忌み嫌われています。心ない人に攻められて、おかあさんは町に帰っていきました。皮肉なことに、事故は山で起こったのです。
山に帰った明日香は、毎日九九を覚えていることでしょう。
斉藤先生。学期の途中で放り出してしまい、迷惑をかけています。違うんです。今日子はまだ、眠っているんです。明日香だけ目覚めてしまったんです。今日子は眠っています。おかあさんが付きっきりで呼びかけています。
明日香は傷つきやすい子です。現実を受け入れなければならない。そう明日香に言い続けました。明日香は頭のいい子です。九九を忘れても、この現実を受け入れることに彼女は必死です。どこかにひずみが出ているのではないかと心配です。
長くなりました。わたしもまだ帰れません。よろしくお願いします。前田俊子。それにしても分かりません。二人はなぜ山に行ったのでしょう。


  女1、去る。
  雑音の多いラジオから流れる台風情報。


大型で勢力の強い台風九号は今夜八時過ぎに紀伊半島に上陸する…


  男1、山道にうずくまっている。
  女1、山道を歩いてくる。

男1 よお。お役目じゃねえか。何してるんだ?
女1
男1 何もしてねえか。だからお役目か。嵐が来たな。大変だな、おまえも。
女1
男1 昔のまんまの御山のようでも、おれから見れば、手の加えすぎさ。森があるから鉄砲水もねえ、なんて思ってるんじゃねえか?あれは昔の森じゃない。丸坊主と同じさ。
女1
男1 お役目。この山から「守り(もり)のもん」も逃げちまったよ。おれももう、行くよ。この国から出るよ。どこか知らねえか。まだあの先生みたいによ。分かりやすい心のやつがいっぱいいる国が。
女1
男1 ところで、上原多香子って何者だ?頭の中の結構な部分占めてたぜ。
女1
男1 そうかい。でもよ。あの人はいい人だぜ。
女1
男1 そうそう、あれは面白いなあ。若いもんの心は読めなくなってきたけどよ、あれはおれが読むより皆、なんていうかなあ、透け透けだよ。あの機械のさ。
女1
男1 知ってるんなら早く言えよ、言う、じゃないか。思い浮かべろよ。そうそいつだ。メールとかってやつだ。おまえもするのか?
女1
男1 今の若いやつは難しいな。おまえと同じ年頃さ。思ったことのあとにみんな、「なーんちゃって」がついていた。
女1
男1 そうそうそういう素直な反応じゃなくてな。いつものようにおれはこう言ったよ。「おまえ。おれを何者かとと思っているな。おまえ。もしかしてこれがサトリというものだろうと思っているな。」
女1
男1 おれたちサトリの決まり文句だ。そのあとのそいつの頭の中と来たら、おれは心を読んでいて気が狂うかと思ったぞ。
女1
男1 こうだ。「えー、なに?こいつ。って感じ?こいつ?人の心読むの?とか言って。あたしったらこういうことあったら信じる人?超常現象?オカルト?なーんてな。」
女1
男1 おい。この先若いもん、大丈夫か?マジで。あ、いかん。マジでなどという言葉を使ったりする人かおれは?とか言ってな。いかんいかん。影響されている。
女1
男1 何の話だ。サトリにも不便なことがあってな。おれは人の話を聞かなくていいぶん、自分でしゃべらなくてはならない。気がつけばしゃべりっぱなしさ。
女1
男1 何の話だ。メールだ。あそこだけには透け透けの蛙の卵みたいに丸見えの心が浮いている。おまえたちあそこでなきゃ正直でないんだな。変な奴らだ。何百年のあいだ初めてだよ。こんな奴らに出会うのは。口じゃ言わない、心にも思わないほんとのことが電波になってあっちをふらふら、こっちをふらふら浮いているよ。つかまえて食ってやろうか。
女1
男1 おれは行くよ。もう会えないかもしれないな。お役目、しっかりな。
女1
男1 …ところでな、おまえ名前はなんて言うんだ。
女1
男1 そうか。そういうことか。
女1
男1 生きるんだ、生き続けるしかない。数を数えろ。
女1


  男1、去る。
  女1、うずくまって数を数え出す。

女1 いーち、にー、さーん、しー…


  風の音
  雨が木の葉を打つ。
  女1の声は九九になっている。

女1 ろくいちがろく、ろくにじゅうに、ろくさんじゅうはち、ろくしにじゅうし、ろくごさんじゅう、ろくろくさんじゅうろく、ろくしちしじゅうに。ろくは…


  考え込む女1。

女1 六の段は難しいなあ。


  女1、立ち上がる。

女1 「わたしの夏休み」2年、志太明日香。しゅくだいの作文です。夏休みにしゅくだいが出ました。でもわたしにはできません。こういうのやった覚えはあります。でも、どうすればいいのか、何を訊いているのか分かりません。前はこういうのすいすいできてたのに、と思います。
サイトウ先生は作文を一つ書けばいいと言いました。わたしは悲しい気持ちで聞きました。


  男1、現れる。

男1 前田先生。メールありがとうございました。返事が遅れてしまいました。
明日香は気に掛かる生徒です。
あのとき、山で出会ったのは明日香なのでしょうか?あれはまるで別人でした。
明日香は忌みなのですか?だからお役目になったのですか?
あれは、今日子なのでしょうか?それならどうして今日子は森の中にいるんでしょう?
前田先生。今日子は眠っているんでしょう?
女1 気がついたときは病院でした。おかあさんの顔が見えます。「明日香!」わたしは明日香になりました。そして、「なに?おかあさん」と答えました。隣のベッドにはわたしと同じ顔のだれかが眠っています。
男1 あれは、今日子なのでしょうか?
女1 だれか。
男1 サイトウです。
女1 はて。
男1 明日香の担任です
女1 おお。あの、前田先生には気の毒なことで。
男1 明日香はいますか?
女1 それが、じいさんが探しにいっておりますが、まだ帰えらんので、心配しております。
男1 …山ですか?
女1 まさか。この雨風(あめかぜ)に。
男1 お役目でも、ですか?
女1 明日香はお役目ではない。
男1 お役目は…今日子ですか。
女1 今日子は、あれは、忌みだ。
男1 山でお役目に会いました。別人とは思えません。明日香ではないのですか?
女1 明日香はお役目ではない。
男1 今日子は、病院で眠っているのでしょう。
女1 明日香は谷へ落ちた。
男1 それで明日香はみんな忘れてしまったのですか?
女1 山を切り崩して、道を造っていたのだ。二人が落ちたのはなんでもないところだ。石が次々に降ってきた。石子詰めのようだった。
男1 それではまるで…
女1 そうです。それではまるで忌みのものです。山がそういうところだとは知りませんでした。
今日子は、まだ、起きません。わたしは、今日子のために、お役目になろうと、思いました。
おかあさん。おかあさん。わたしはね、今日子を連れていこう。送りの日にね。今日子を連れていってあげるよ。おかあさんはね、連れていってあげない。でも、前田先生は連れていこうか。送りの日も、もうすぐだね。
男1 前田先生。今日子は、まだ病院で眠っているのですか?ぼくが山で会ったのは、今日子の魂ですか?
女1 おかあさん、もういいよ。今日子は死ぬんだね。谷にさ、谷に誘ったのは、わたしだよ。わたしが落ちるとき、手をつかんだんだよ。落ちていくとき、あの子はすごい顔をしていたよ。そのときからだよ。そのときからわたしはわたしになったんだ。わたしが残ったら、あの子をきっと帰してやろう。帰るはずのところにね。
男1 明日香には、慣れた山の中でしょう。
女1 今日子さ。今日子が連れ出したのだ。今日子はそういう子だ。母親は、山を嫌っていた。町へ帰ることばかり考えていた。
男1 おばあさん。
女1 明日香ならまだ帰っていないよ。台風が来るというに。
男1 山へ行ったのではないのですか?
女1 この吹き降りに山へは行かない。
男1 お役目なら?
女1 この吹き降りに山へ行くのは忌みのもの。お役目だけだ。
男1 社に行くには、この裏の道を辿っていけばいいんですね。
女1 ああ。
男1 送りの日はいつですか?
女1 明日だ。あれの母親も帰るかもしれん。
男1 社に行きます。
女1 この吹き降りに?お役目の世話になるぞ。
男1 明日香は社にいます、きっと。
女1 社にいたら、それは明日香ではない。
男1 社にいたら?
女1 社にいたら、それは今日子だ。
男1 違う!明日香だ!今日子は病院だ!


  電話の音。

男1 出ないんですか。
女1 切れたらそれでいい。どうせろくな知らせじゃない。電話なんてものは早く出なきゃならんものは悪い知らせ。早く出なくともいいものは取るに足らないつまらん話。どちらも聞きたくはない。早く出ても遅く出ても、同じだ。取らないのがいいさ。
男1 出た方がいい。出なきゃいけない。
女1 つらい話を聞かせる気か。
男1 そうだ!
女1 早く行け。家の裏から道に出られる。社まで後ろを振り返るな。後ろから声がするはずだ。振り返ったら、お役目の世話になるぞ。
男1 おばあさん。
女1 電話を取る前に行ってくれ。
男1 はい。


  男1、去る。

女1 おかあさん。ふたりはね、やっとふたりになったんだよ。寂しかったよ。明日香はずっと寂しかっただよ。ずっと、離ればなれだったからね。ふたりでね、山へ行ったよ。山のものだ。わたしたちは。おとうさんのジャンボーを見たときから、ふたりは忌みになったんだ。大丈夫だよ。一人で行けるよ。明日香は連れていかないよ。おかあさんも山に戻って、明日香と暮らしてあげてね。もっと明日香と早く会いたかったよ。おかあさん。明日香と出会ったときのこと、忘れないよ。おとうさんのジャンボーのときだったね。明日香は坂の上から、おかあさんとわたしを見ていたね。わたしは日の光がまぶしくて、明日香の白いスカートが日の光に透けて、脚の形が見えるなあって。おかあさん、送りの日には一人で行くよ。お役目の世話にはならないよ。わたしは町のものだからね。


  山道を歩く男1。

男1 男1 前田先生。先生は何を見たんだ。社で、何を見たんだ。


  嵐の中、謡曲が聞こえる。
  耳を押さえる立ちすくむ男1。

先生。先生。
男1
気をつけなよ。めさげの花が下を向いているよ。
男1 よせ!
おたつ様だよ。おたつ様が泣いているよ。
男1 言うな!
捨てた子供を探しているのさ。おかしいね。自分で捨てたのに。
男1 やめろ!
ろくいちがろく、ろくにじゅうに、ろくさんじゅうはち、ろくしにじゅうし、ろくごさんじゅう、ろくろくさんじゅうろく、ろくしちしじゅうに。ろくは…
男1 明日香!どこだ!
六の段は難しいねえ。
男1 明日香!
谷にさ、谷に誘ったのは、わたしだよ。わたしが落ちるとき、手をつかんだんだよ。落ちていくとき、あの子はすごい顔をしていたよ。そのときからだよ。そのときからわたしはわたしになったんだ。
男1 明日香。違うよ。おまえのせいじゃない。


  ゆっくりと振り返る男1。
  山鳴り。
  土砂の崩れる音。

男1 明日香!


  謡いが聞こえる。

男1 明日香!


  女1、社に向かって柏手を打つ。
  上掛けを羽織り、冠をつける。
  舞いを舞う女1。
  舞い終わり、男1を見る。

男1 明日香!
女1 先生。振り返ったね。
男1 ああ。
女1 先生、よくないな。夜、山に入っては。山の衆しか入っちゃあいけないんだ。ここは。
男1
女1 ここは、忌みの場所だよ。
男1 明日香。帰ろう。
女1 帰るさ。帰るはずのところへ。
男1 違う!おばあさんのところへ。おかあさんのところへ。
女1 わたしは明日香じゃないよ。明日香は家にいるだろうさ。明日香はお役目じゃないからな。
男1 お役目は終わったのか?
女1 まださ。送りが終わらないとな。
男1 おまえは、今日子か?
女1 今日子は忌みのものだ。町のものがジャンボーを見ちゃあいけない。
男1 今日子はいないよ。
女1 いないさ。お役目は、この世にいないのと同じだ。
男1 前田先生からメールが来たよ。明日香。前田先生は何を見たんだ?
女1 いい先生だよ。前田先生は。忌みのものにも優しいよ。でもね、山には山の決まりがあるんだ。
男1 そんなものはない!
女1 あるさ。
男1 明日香。今日子は恨んでないよ。谷へ落ちたのはおまえのせいじゃない。
女1 先生。やはり新米だ。違うよ。
男1 なにがだ。
女1 恨んでいたのは明日香さ。今日子を恨んでいたのは明日香だよ。
男1 なぜ?
女1 どうして今日子だ?どちらでもよかったさ。同じなんだもの。どうして今日子を連れていった?おかあさん。おかあさん。おかあさん。ねえ、どうして今日子を連れていったの?どうしてあたしじゃなかったの?あたしはおかあさんに会いたかったよ。いつも。いつも。いつもだよ。
男1 明日香。
女1 あたしはね、今日子を連れていってあげるよ。おかあさん。送りの日は明日だよ。今日子は間に合うかねえ。送りの日にね、一緒に行くんだ。そうだ。前田先生も連れていこう。前田先生は優しいからね。おかあさん、おかあさんは、連れていってあげないよ。
男1 明日香、違うよ。そうじゃないよ。
女1 だって、おかあさんはあたしを連れていってくれなかったじゃないか。


  山鳴り、大きくなる。
  嵐。

男1 危ない!明日香、行こう。下りるんだ!山から下りるんだ!
女1 あたしはお役目だよ。山はあたしを守ってくれる。
男1 水が来る!この音はそうなんだ。
女1 先生に山の何が分かる!山のものでもないのに。
男1 山は昔の山じゃない。人の手が入った山は、お役目を守る山じゃない。
女1 言うな!
男1 明日香。
女1 あたしはお役目だ。明日香でも、今日子でもない。お役目はだれでもない。
男1 明日香。帰ろう。九九を勉強しよう。前田先生が教えてくれた。おまえはすごい早さで成長している。みんな忘れてもいいじゃないか。また覚えていこう。
女1 やめて!おかあさんは気がついたあたしを見て、「明日香」って呼んだ。今日子の手を握りながら。
男1 明日香?
女1 でも、それは今日子のせいじゃないよね。先生。ごめん。面倒な生徒だよね。町の子はこういうとき、どうするの?こういうとき、どうするの?
男1 明日香?
女1 先生?今日子は?今日子はどうした。
男1 さっき、おばあさんのところに電話があったよ。あれは…
女1 おかあさんから?
男1 聞かなかった。でも、あれは…


  鉄砲水。

女1 水だ!
男1 早く!明日香!
女1 山に水は来ないはずなのに…山はお役目を守る…
男1 おりるぞ!


  女1の手を引き駆け出す男1。
  山鳴り。

女1 明日香。明日香。明日香。元気でね。これからはおかあさんとずっと一緒だよ。いいねえ。わたしはね、町のものだから、ジャンボーはいらないよ。
男1 どこへ行こうかなあ。おれたちにも暮らしやすい、化け物にも暮らしやすい国はないのかね。ベトナムなんてのはどうかね。経済発展がすごい。だめか。お役目、もうお役目ではないが、そう呼ぶよ。おまえも年頃の娘らしく、ごたごた抱えていくんだぞ。古くさい化け物に簡単に心を読まれないようにな。


  台風一過。

女1 先生。しゅくだい、この作文だけでいいかな。始業式、もうすぐだね。あたしも少しずつ、思い出してきたよ。少しずつね。


幕  

3稿 平成12年8月12日


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