ある日忘れ物をとりに


キャスト

養護の先生(千葉)
3年1組田中
3年5組藤原
生徒



  保健室。田中、ほおを押さえながら入ってくる。

田中 あのー。


  カーテンの陰から先生が出てくる。

先生 うえー。
田中 どうしたんですか先生。
先生 気持ち悪い。
田中 大丈夫ですか。
先生 大丈夫じゃない。死にそう。
田中 休んだ方がいいんじゃないですか?
先生 そうもいかない。年休ももう使い切ってる。
田中 年休ってなんですか。
先生 休みのこと。
田中 休み?
先生 学校うえ休むこと。
田中 もうすぐテストだし。
先生 テスト私には用事ないしでもテストっていうと生徒来るし休めないかなあ。
田中 わたし、休んでっていいですか?
先生 え?
田中 気持ち悪いです。
先生 あんたも?
田中 なんか、こう、ね。
先生 よく来るね。
田中 よく来るね。
先生 うえ。
田中 寝てたほうがいいですよ。
先生 なんかこう胸のあたりがもうこの、うえ。
田中 もしかしてまた二日酔いですか。


  先生コーヒーをカップに注ぐ。

先生 うえ。
田中 気持ち悪いのにコーヒー飲んでいいんですか?


  先生コーヒーを飲む。

先生 うえ。
田中 大丈夫ですか。
先生 わあ。


  飲み干す。

田中 ベッドで寝てたらどうですか。
先生 そうさせてもらうわ。あのさあ。
田中 はい。
先生 ちょっと見ててくれる。だれか具合が悪い人が来たら。
田中 呼べばいいんですね。
先生 そこのカードに名前書かせて薬出して。
田中 私がみるんですか。
先生 頼むうえ。


  先生カーテンの陰へ。

田中


  先生カーテンの奥から。

先生 熱あったら冷蔵庫に熱冷まし冷やしてあるから出して。
田中 …はい。コーヒー飲んでもいいですか。
先生 うえ。苦いよ。


  取り残される田中

田中 体温計って。これか。


  体温計を探し、熱を計る。

田中 私もカードに書いた方がいいんですか?
先生 適当にうえ。
田中 3年1組と。あ、この人も結構来てる。


ピピピピ。

田中 早いな。


ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。

田中 うるさいこれ。


  体温計を取り出す。

田中 35度2分。ホントかな。
先生 おー!
田中 どうしたんですか!
先生 足が吊ったー!
田中 なんだ。
先生 痛ーい!
田中 先生、うるさいです。


  田中、見に行く。

田中 靴脱いで寝てくださいよ。
先生 うん。


  田中、出てくる。
  カードに書き込む。

田中 6月…


  冷蔵庫まで行く。
  冷蔵庫を開ける。開けたまま前に座り込む。

田中 おー!


  叫び出す。

田中 おー!


  藤原入ってくる。
  田中を見て、隣にしゃがむ。

田中 おー!


  田中、藤原に気づいて

田中 なに!


  藤原、「何してるの?」

田中 叫びたくなるときあるんだよ。


  藤原、椅子に座る。

田中 いつ来たの?


  藤原、外を指さす。

田中 あ、雨降ってる。さっきから?


  藤原、「うん」

田中 ずっと?


  藤原、うん。

田中 もう雨とか気にしなくてもいいのに。雨って言われるとほっとする。


  藤原、「やめたんだって。」

田中 うん。引退。ちょっと早かったけど。結局さっちゃんに負けたのが最後になったね。


  藤原「ちょっとだよ」

田中 ちょっとじゃないよ。5秒もあるよ。


  藤原「そう?」

田中 800はきついよ。600くらいでさあ、最初のフーッ。そこから720くらいでフーッ。フーッつーかスーッつーか。よくあんなことしてたよね。今思うと。なんか、なんだろあの感じ。試合っていうと必ず雨降ってね。でも、800っていうと遅いじゃん、時間。もうだいたいやんでるから。アンツーカーが濡れてるくらいが好きだから。


  藤原「あたしも。」

田中 また、アンツーカーの上走りたいけど、もう一生ないかもね。


  藤原「うん。」

田中 800って好きだった。400を2周ってすごいいい距離だと思う。ゴールして、空気、吸うだけ吸って。わあーって。二人でわあーって言ってるから、他校の人なんか白い目で見ててさあ。


  藤原、「インハイ予選、出ればいいのに。」

田中 インハイ予選?もう無理。膝。今度右。わたしの足、走るの向いてないみたい。さっちゃんは走ってる?


  藤原「うん。」

田中 ジョギング?朝?すごい。


  藤原「いっしょにどう?」

田中 もうだめ。お菓子ばくばく食ってりゃ。ジュース飲む?


  藤原「開けていいの?」

田中 大丈夫。


  藤原「千葉ちゃんは?」

田中 千葉ちゃんはまた二日酔い。


  田中、冷蔵庫を開けてジュースを取る。

田中 冷凍庫すごい。


  田中、冷凍庫からいろいろ取り出す。

田中 すげ。チョコレートはわかるけどさあ。カントリーマァムまで凍ってる。食おう。食う?


  藤原「うん。」

田中 千葉ちゃんとよく食ったんでしょ。ここで。


  藤原「うん。」

田中 通ってたからね。うわ。冷たい。チュッパチャップスは冷凍庫入れない方がいい。


  藤原「おいしい。」

田中 凍ったカントリーマァムが?嘘。


  藤原「ホントだって。」

  田中、凍ったカントリーマァムを食べる。

田中 これ、うまい?


  藤原「うん。」

田中 おいしくないよ。モチってしてるからいいんじゃないの?カントリーマァムは。


  藤原、カードに何か書き込む。
  田中、カントリーマァムを割り出す。

  藤原「だめだよ。」

田中 いいじゃん。


  先生、起き出す。二人をじっと見る。

田中 おはようございます。
先生 うう。


  先生、冷蔵庫から栄養ドリンク、たばこ、ライター、枕を出す。

田中 先生、保健室でたばこはちょっと。


  先生、たばことライターをしまい、冷蔵庫から書類入れを出す。

田中 何すか、それ。
先生 …(ぼそぼそ)
田中 え?
先生 貯金通帳。
田中 なんでそんなもん入ってるんですか。


  先生、書類入れを冷凍庫にしまう。

先生 …コーヒー。
田中 はい。


  田中、コーヒーを入れる。

田中 あの。
先生 なに。
田中 ミルクとか。
先生 ブラックで。
田中 はい。


  田中、先生にコーヒーを出す。

田中 先生。
先生 う。
田中 昨夜はどこか行ったんですか。
先生 行ってない。
田中 家で飲んだんですか。
先生 うん。
田中 寂しくないですか。
先生 うん。
田中 心が疲れていませんか?そんなあなたのための癒しグッズ。
先生 なに?
田中 はい。


  クッキーの缶を出し、ふたを開ける。

田中 プチプチシート。
先生 う。


  机に顔を伏せる。
  藤原、顔をのぞき込む。

田中 バカじゃないの、とおっしゃっています。


  先生、コーヒーを飲み干す。

田中 苦くないですか?
先生


  先生、ドリンクのふたを開け、飲む。

田中 液キャベ…苦くないですか?


  猫の鳴き声がする。

先生 あ、ミロだ。


  外へ出ていく先生。

田中 最近信長姿を現さないから。信長えさ食べてるかなあ。


  先生、もどってくる。

斉藤 先生、信長いた?
先生 いなかった。ミロじゃなかったのかなあ。
田中 雨の時とかどうしてるんですかね、信長。
先生 ミロに勝手に名前をつけないで。
田中 信長は信長ですよ。
藤原 だからモンブランですって。
先生 藤原。


  藤原「はい。」

先生 来てたの。


  藤原「はい。」

先生 今、いつ。
田中 三校時
先生 田中。
田中 はい。
先生 なにしに来た。
田中 だから具合悪いんですよ。
先生 もうここにたまるのやめてくれないかなあ。こんなにお菓子食い散らかして。
田中 藤原も居場所がないんだから、居させてくださいよ。
先生 斉藤はどうしているの。ここに。


  藤原「ちょっと。」

先生 来てもいいけどさあ。なんかまだ。
田中 なんか心配?
先生 まあ。寝るから。


  先生、ベッドへ。

田中 休みすぎだよ。卒業できないよ。


  藤原「あんたもだよ。」

田中 わたし?わたしは計算してるから。堅いこと言わないで、さっちゃん。


  藤原「さっちゃん?」

田中 そういえばさっちゃんって言うのわたしだけだよね。いいじゃん、さっちゃん。かわいくない?


  藤原「やだよ。」

田中 さっちゃんってなんか怖いよね。


  藤原「どうして?」

田中 さっちゃんはね。さちこって言うんだホントはね。
斉藤 バナナが大好きホントだよ。


  藤原「うん。」

斉藤 バナナが大好きホントだよ。だけどちっちゃいからバナナを半分しか食べられないの。かわいそうねさっちゃん。バナナを半分しか食べられないの、て変だよ。さっちゃんっていくつ?二歳とかでも全部食うよ。


  藤原「そう?」

田中 あたし、バナナ好きでね。


  藤原「にゃーにゃー」

田中 にゃーにゃー。


  藤原「あれ?信長?」

田中 あれ?信長?


  藤原「にゃーにゃー。」

田中 バナナ二本ずつ食ってた。
田中 さっちゃんなんだけどさあ。さっちゃんって怖いよね。バナナ半分しか食べられないって、ちっちゃかったからじゃなくて病気だからじゃない?だって、なんかさっちゃんっていうと病院のベッドにちょこんと座っておかっぱの女の子思い浮かぶのね。


  藤原「そう?」

田中 だって、三番なんていうか知ってる?さっちゃんがね。そう。遠くへ行っちゃうってホントかな。遠くってどこ?


  藤原「あっち?」上を指さす。

田中 さびしいな、さっちゃん。さっちゃん、かわいそう。ねえ。


  藤原「うん。かわいそう。」

田中 遠くかあ。


  藤原立ち上がり、窓の外を見る。

田中 何か、あるの?


  藤原、外を指さす。

田中 何もないよ。何か見たの?


  藤原「うん」

田中 見えないんだけど。


  猫の鳴き声

田中 信長だ。


  先生、起き出す。

田中 先生、猫には反応するんですね。あ、さっちゃん、信長見つけたの?
先生 ミロ。


  先生、外に出ようとする。
  電話。先生がとる。

先生 はい。はいはい。あ、こないだのね。頼んでくれる。うん。9号!9号のわけないじゃん11号よ。でもアメリカのでしょ。サイズ9号とか11号とかでいいの?うん。え?来てるの?自分のやつ持ってきたんだ。見に行っていい?今、いい?行く行く。あ、大丈夫。留守番いるから。授業空いてるの?ふうん。いいね。


  受話器を置く。

先生 ちょっと急な仕事が入ったから。留守番してて。
田中 仕事じゃないでしょ。11号も無理だよ。
先生 具合が悪い人が来たら早退させて。
田中 わたしも。具合悪いんですけど。
先生 あんたはだめ。


  藤原「わたしも。」

先生 あんたは早退できないじゃない。もう。


  藤原「そうだね。」

先生 じゃ、頼むよ。


  先生、出ていく。

田中 早退できないって、なんか約束でもしたの。


  藤原「うん、まあ。」

田中 でも、これからちゃんと来れば間に合うから。


  藤原「ダメだよ。」

田中 間に合うよ。卒業はしといた方がいいよ。わたしも人のこと言えないけど。わたしもここにいたいし。


  藤原「ダメ」

田中 どうして?ここでさっちゃんといる方がいい。


  藤原、外を見る。

田中 だから、何があるの!


  藤原、外の一点を指さす。

田中 わかんないよ!


  藤原「見えないの?」

田中 わたしは!


  藤原「もう、いいよ。」

田中 ここにいたいんだよ。


  電話。

田中 どうする。


  藤原「さあ。」

田中 出ちゃまずいよね。


  藤原「いいんじゃない?」

田中 出て。無理か。


  藤原「あはは。」

田中 出るよ。


  田中、電話に出る。

田中 はい。保健室です。千葉先生ちょっと、席を外してます。え、3年1組の田中です。具合が悪くて休んでたんですけど。ごほごほ。はい。お帰りになったら伝えます。ごほごほ。


  田中、電話を切る。

  藤原「ごほごほ。」

田中 ごほごほ。ごほごほごほ。


  生徒、具合悪そうに入ってくる。

生徒 あの。具合悪いんですか?
田中 え?うん。


  藤原「ごほごほ。」

生徒 あの、先生は。
田中 入らないで!
生徒 どうしたんですか?
田中 私たち隔離されてるの。


  藤原「え?」

田中 法定伝染病の疑いがあって、ここに入れられてるの。
生徒 伝染病!
田中 そう!伝染病なの。ごほごほ。そこから一歩でも入るとあなたも感染するわ。


  藤原「ごほごほ」

生徒 あの。先生は。
田中 もうすぐ救急車が来るの。校門まで行ってる。


  藤原「う!」

生徒 大丈夫ですか!
田中 苦しいの?


  藤原「うん」

田中 もう少しで助けが来るわ。がんばって。
生徒 あの、わたし、なにかできることがあったら。
田中 入っちゃダメ!
生徒 でも!
田中 あなたの気持ちはありがたいわ。でもあなたまで感染してしまうのよ。早く。帰って。
生徒 はい。
田中 お願い。このことはみんなに黙ってて。みんなに知られるとパニックが起きるわ。
生徒 はい。誰にも言いません。あの。
田中 なあに。
生徒 あの、がんばってください。絶対助かりますから。
田中 うん。がんばるわ。
生徒 はい。
田中 そうだ。大丈夫だと思うけど、もし、三日たって、咳が出始めたら。
生徒 はい。
田中 誰にも言わないですぐに保健室に来て。
生徒 あい。


  出ていく生徒。

田中 『誰にも言わないですぐに保健室に来て。』『あい。』


  笑い転げる二人。

田中 あい。あいってなに!『あい。』


  藤原「悪者!」

田中 悪者だって?自分こそ。


  笑う。

田中 かわいそうだったかな、具合悪いのに。これから三日間気が気じゃないよね


  藤原「うん」

田中 絶対助かりますから。とか言って。なんか根拠あるのかな。『入っちゃダメ。あなたにまで感染してしまうのよ、』とか言って。なにが感染するのかな。バカ病。


  藤原「うんうん」

田中 学校来たくない病。保健室入り浸り病。保健室お菓子食いまくり病。


  藤原「うん」

  間

田中 千葉ちゃん、遅いね。


  藤原「うん」

田中 ねえ、保健室来て出席になってるの。


  藤原「さあ。」

田中 こればれたらすっごく怒られるよね。一年騙して。もう逆に楽しみ。


  藤原、プチプチシートをつぶし出す。

田中 半分ちょうだい。


  藤原「ダメ。」

田中 すこしやらして。


  藤原「ダメ」

田中 すこし。


  藤原「ああ癒される。」

田中 貸して。わたしも癒されたいの。


  藤原「ダメ。」

田中 貸して!


  藤原ギュッと握って「はい終わりました。」

田中 やるんならもっとじっくりやればいいでしょ!


  藤原、コーヒーをカップに注ぐ。

田中 苦くないの?


  藤原「うん。」

田中 ブラックだった?


  藤原「最近。」

田中 おかしいよ。


  藤原「そう?おいしいよ。」

田中 苦いよ。コーヒーは砂糖入れた方がいいよ。


  藤原「これでいい。」

田中 入れてあげるよ。


  藤原「いいよ。」

田中 入れてあげる。


  藤原「いいって。」

田中 砂糖入れなよ。


  藤原「うるさいな!」

  黙り込む二人。
  間
  藤原、立ち上がり部屋を出ようとする。

田中 どこへ行くの。


  藤原「ちょっと。」

田中 忘れ物?


  藤原「うん。」

  藤原、出ていく。

田中 何だろ。


  田中、藤原の飲みかけのカップを取り、一口。

田中 にが。苦いよ。やっぱ。


  田中、砂糖とミルクを出して入れる。

田中 甘いの好きなくせに。


  田中、砂糖を足す。カップからこぼれるほど砂糖を入れる。
  田中スプーンで砂糖を食べ出す。



  ほら、おいしい。



  先生、入ってきて田中を見ている。

先生 相変わらずだね。
田中 先生。
先生 やめなさい。
田中 はい。


  田中、カップを逆さにし、コーヒーを机に空ける。

先生 一年生が泣きながら走っていったけど。
田中 さあ、知りません。
先生 藤原は。
田中 忘れ物を取りに行きました。
先生 そう。
田中 藤原、なんかあったんですか。
先生 あんたも藤原みたいにここに通いたいの。
田中
先生 早く教室行けよ。
田中 いやです。
先生 行け。熱ないんだろ。
田中 ここにいさせてください。
田中 行きなよ。


  田中、机の上のお菓子を手で払って落とす。

田中 また来てもいいですか。
先生 いいよ。


  田中、出ていく。
  先生、CDをデッキにかけ、音楽を流す。
  先生、床のお菓子を片づける。

先生 保健室っと。


  冷蔵庫に次々にしまい出す。
  保健カードから一枚を取り出す。

先生 3年5組。


  先生、しばらくカードを見つめいる。

先生 まったく。


  机に顔を伏せる。

先生 うえ。


  藤原、傘と箱を持って入ってくる。
  しばらく先生を見ている。
  CDを止める。
  先生、顔を上げる。

  藤原「千葉ちゃん。」

  先生、藤原を見る。

  藤原、箱を机の上に置く。
  先生の顔をのぞく。

  藤原「泣いてたんだ。」

先生 泣いてないよ。藤原は泣かないのか。


  藤原「泣かないよ。」

先生 泣いたんだろ。


  藤原「ううん。」

先生 やめてどうするんだよ。保健室からでれなくたって、ここにいりゃいいじゃん。


  藤原「無理だよ。千葉ちゃん。」

先生 藤原はこれからどうするんだよ。


  藤原、「わからないよ。」

先生 また来ていいよ。来なよ。


  田中、入り口に立っている。

先生 田中。
田中 教室鍵かかってる。
先生 体育?
田中 うん。
先生 体育館行けばいいじゃん。
田中 また来ていいって。
先生 早すぎるよ。
田中 入っていい?
先生 いいよ。


  藤原、後ろを向いている。

田中 忘れ物あった?


  藤原「あったよ。」

田中 何だったの?それ?


  藤原「へへ。」

田中 傘?


  藤原「ううん」

田中 さっちゃん、スパナと話してたでしょ。きのう。


  藤原「うん。」

先生 なに?スパナって。
田中 こないだ、帰り道にヨーカドーの前で、「すいません、スパナもってませんか」って。自転車壊れてて、直したいらしいんだけど。持ってるわけないじゃん。スパナなんて。それからスパナって。
先生 その彼のこと?
田中 うん。
先生 変だね。


  藤原「うん。」

田中 わたし、聞いてたんだ。スパナさあ、本とか読むんだって。


  藤原「うん。」

田中 国立行くんだって。


  藤原「うん。」

田中 でも、推薦も考えてるから、定期試験もがんばるんだって。


  藤原「うん。」

田中 天文部でさあ、今度、引退する前に最後の観測会に出るんだって。


  藤原「うん。」

先生 …ねえ、そんなにしゃべったの。


  藤原「うん。」

先生 スパナ、いい人みたい。
田中 変だよ。いきなりスパナだよ。
先生 田中、ずっと話聞いてたんだ。
田中 そうだよ。バカみたいに隠れて、息しないで聞いてたよ。行こうって思ったよ。でもバカみたいにずっと隠れてた。さっちゃん。


  藤原「え?」

田中 どうしてわたしじゃないんだよ。どうしてわたしとか、千葉ちゃんとかじゃなくてスパナと話するの?
先生 話、したんだ。
田中 したんだよ。
先生 スパナ、藤原のこと、好きなんじゃない?
田中 うん。そうかも。


  藤原「うん。そうかも。」

田中 ねえ。


  藤原「ん?」

田中 もしかして、やめる気?


  先生、コーヒーを注いで飲む。
  藤原、傘を開く。
  傘を差したまま椅子に座って。

先生 それ、誰かが置いてった傘じゃないの。


  藤原「ううん。わたしの。」

田中 嘘。


  藤原「はい。」手紙を渡す。

先生 手紙?


  藤原、傘を持って立ち上がる。

田中 さっちゃん。


  藤原「音楽かけていい?」

先生 いいよ。授業中だから、小さく。


  藤原CDのスイッチを入れる。
  音楽
  藤原、田中の肩に手を置く。
  田中、藤原の手に触る。
  間

田中 ねえ。


  藤原「うん」

田中 やめるんだ。


  藤原、立ち上がって、傘をくるくる回し出す。

田中 ねえ!


  傘を田中に渡す。

先生 帰るの?


  藤原「うん。」

先生 元気でね。


  藤原「うん。」

田中 先生はそれでいいの!
先生 藤原が決めたんだよ。
田中 さっちゃん。


  部屋を出ようとしていた藤原、向き直る。
  駆けてきて田中に抱きつく。

  藤原「さよなら」

  出て行く藤原。
  田中、見送る。
  間。

田中 先生、知ってたんですか。
先生 きのう、やめたんだよ。
田中 もう、やめてたんだ。


  田中、傘を取る。

田中 どうして、今日、来たんだろう。


  先生、手紙の封を切る。

田中 先生。
先生 手紙だよ。「授業中に聞く音楽が好き。」


  CDをセットする。
  音楽をかける。

先生 「CDデッキの一時停止ボタンの形が好き。ブラックで飲めるようになったコーヒーが好き。保健カードの空欄が好き。わたしのこと、さっちゃんて呼ぶ田中理沙が好き。じっと観察してる千葉真由子が好き。伝染病を心配してくれる一年生が好き。保健室のこの回る椅子が好き。雨が降って渡り廊下でやる陸上部のダッシュ一〇本が好き。八〇〇メートルの七二〇メートルのフーッつーかスーッつーかが好き。曲げれないスプーンが好き。心を癒すプチプチシートが好き。信長でホントはミロのミロが好き。」
田中 さっちゃん。
先生 「理沙ちゃん、大丈夫だよ。でも、もう、ここに来ない。やめたから。
田中 言ってくれないんだ。


  田中、傘を投げる。

田中 どうして!
先生 「わたし、ここに、いない方がいい。今日は忘れ物取りに来ただけ。」


  田中、傘を取って差す。

田中 先生、忘れ物って何だったんだろうね。
先生 さあ。
田中 大事なもの?
先生 行っちゃった。
田中 行っちゃったね。


  先生、傘を取り、差したまま椅子に座る。

田中 先生、知ってたの
先生 そりゃ、先生だから。
田中 先生は先生だったっけ。
先生 授業、行きなよ。
田中 藤原、どうするの。これから。
先生 どうするかな。
田中 どうするんだろう。
先生 ここで、半年も考えてたんだ。きっと正解だったんだよ。
田中 半年、わたしも考えてるよ。でもわかんない。
先生 教室にもどりなさい。
田中 はい。


  立ち上がる田中。
  生徒、中をのぞいている。
  田中、気づく。

田中 なんだ、さっきの子じゃん。どうしたの入れば。
生徒 あの、でも。
田中 なに。
生徒 救急車は?
田中 ま、細かいことは気にしないで。


  近寄って肩をたたく。

生徒 きゃー!
田中 なによ、失礼ね。


  逃げ帰る生徒。

先生 なにしたの。
田中 なんでもない。


  チャイム。

田中 じゃ、行くよ。
先生 待って。
田中 なに。
先生 カード、書いてって。
田中 えー、いいじゃん。
先生 決まりだから。


  田中、カードに記入。

田中 ありがとうございました。
先生 うん。


  出て行く田中。
  カードを戻す先生。

先生 うえ。


  先生、傘を机に置き、ベッドに戻る。   音楽



  終わり

平成十四年十一月二十日


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