同人PBM『隔離戦区・獣心神都』第1回 〜 北海道西部:北亜米利加


NA1『 The distorted square 』

 隔離前に一度は撤退したものの、超常体が出現した事で再び駐日亜米利加合衆国軍が占拠。以降、北海道に展開している駐日米陸軍や空軍、そしてUSSOCOM(United States Special Operations COMmand:亜米利加特殊作戦軍)の基地として存在感を示している。――そういうキャンプ千歳へと 山田・映姫(やまだ・えいき)准空尉は足を踏み込んだ。警備兵に立入許可証を提示し、目的を告げる。  神州結界維持部隊北部方面隊・第2航空団第201飛行隊・第2013組長である映姫の目的は、簡潔。
「――米軍を含めた参加部隊の調整を行い、作戦参加部隊の指揮系統把握や、部隊間の連絡手段を明確にする事です」
 作戦会議室へ案内された映姫は、既に連絡を受けて集まっていた維持部隊幹部や米空軍将校へと敬礼。そして単刀直入に切り出した。
「その上で、飛行ユニットが多い、通称『天使』側の活動を抑え込み、大演習場を中心とした周辺域の航空優勢を人類側に傾けるべきですわ」
 北海道大演習場は、札幌・北広島・恵庭・千歳にまたがる地域に点在する演習場の総称である。かつて国内2位の大規模を誇っていたとはいえ、常時戦場の隔離後では意味が乏しい。だが、ここ数年、天使(ヘブライ神群)と魔群(ヘブライ堕天使群)が大挙として押し寄せ、占有権を主張して争っていた。
「しかしだな……山田准陸尉」
 困った顔をする維持部隊幹部が続きを口にする前に、映姫は軽く睨み付ける。
「訂正をお願いします。准空尉ですわよ」
 映姫がこだわるには理由がある。神州結界維持部隊発足において、航空自衛隊の航空団や海上自衛隊の航空集団は、維持部隊航空科(※陸上自衛隊航空科が前身にして根幹)に再編制されている。陸自に吸収された形になる為、元海自航空集団操縦士や、元空自操縦士の中には、陸自上がりの操縦士に対して敵愾心を持つ者も少なくない。維持部隊の階級呼称が基本的に陸自のものを準拠しているのに反発して、海佐や海士、空尉や空曹を名乗り続けている者もいる。ましてや映姫は、空を飛ぶ事を優先する余り、その為ならば実行出来る範囲での最適な手段を執るのに躊躇いが無いと噂されるほどの筋金入りの古参パイロット。
 そして維持部隊は暴論的なまでの実力且つ個人主義な為に、作戦遂行や余りにも組織維持に当たって問題が無いのであれば、咎められる事は少ない。
 だが維持部隊幹部や米空軍将校からは色好い返事は残念ながら得られなかった。
「航空優勢を得る事は確かに有意義だ。だが足並みを揃えるには未だ時間が掛かる」
「それに劣勢に陥ったといわれる天使よりも、今は勢力図を拡大し始めた魔群の掃討を優先すべきだろう」
 超常体と一掴みに呼んでいるが、内情は派閥や集団、群れじみたものがある。まして神州全土で確認される天使と魔群は互いに天敵同士の関係にあるようで、人間を尻目にしていがみ合っている姿も、よく目撃されていた。そして拮抗していた天使と魔群の勢力図に偏りが見られ始めたのが、3月上旬。維持部隊と駐日米軍の被害報告も重ねて検討したところ、俗に言う魔王クラス――高位上級の超常体が出現した可能性は高い。
「……我が組織の目的は、超常体の勢力を“調整”し、結界を維持する事にある。そうする事で世界の平穏を守る事だ。――劣勢に立った天使を、さらに追い込む事よりも、バランスを取る為に魔群を叩く事が先決ではないか?」
「むしろ拮抗状態に戻す為にも、天使側に“助力”する事も考えなければならないだろうな」
 維持部隊幹部と米軍将校は、残念ながら映姫の提案に消極的だったと言えよう。不満を隠そうとしない映姫に向かって、
「魔群への空対地攻撃で歩調を合わせる事に異存はない。その為の航空優勢を得る事も。だが天使の数を減らす事には、勢力調整の観点から賛同は出来ない」
「――個人的に……否、もしも私の部隊が単独で行った場合は、咎められますの?」
 映姫の言葉に、維持部隊幹部は暫く黙考した後、
「……やり過ぎないなら、黙認しよう」
 退室後、八つ当たりに通路の壁を蹴る。肩を怒らせて去ろうとする映姫だったが……疼きに似た鈍痛を憑魔核から感じて振り返った。
 ――活性化。憑魔が別の超常体の存在を感知した時に示す様々な反応の総称。この状態になると、小型の超常体と化してしまい、身体能力が激しく強化される。ただし相手が小型の超常体の場合は、活性化が起きない場合の方が多い。同様に、戦友の憑魔に反応して活性化するような事はなく、ある程度の大きさがある相手でないと近くに潜んでいても判らない……はずだ。
( まさかキャンプ千歳に、超常体が侵入!? )
 疼痛は治まったが、活性化は続いている。すぐにも9mm拳銃SIG SAUER P220を抜けるように身構えた。
「――驚かしてしまったようですね」
 声の主を確認して、思わず戦慄。通路の先で、第7師団第07特務小隊――通称『零漆特務』隊長の 鈴元・和信[すずもと・かずのぶ]准陸尉が、唇を歪ませて笑っていたのだ。
 各師団・旅団には団長直属の危険集団が存在する。上官や同僚の傷害、殺しの罪人――重犯罪者を懲罰する部隊。最前線に投入される必死の部隊。零漆特務もまたその1つ。特に、陰気で粘着質な鈴元には精神的な疾患が見られ、上官や部下20名のみならず捜査に当たった警務科隊員十数名を僅か3日足らずで惨殺したという。周囲の人間にとって不幸な事は、捕縛時に鈴元の息の根を止められなかった事だろう。鈴元は厳重な監視下にあるものの、今もなお生き残って血を浴び続けている。それがヒトのものか、超常体のものかは問わないが。
「――先ほどの提案は、小生も聞かせて頂きました」
 どうやって?とは問わない。それよりも映姫は逃げるか、戦うかの選択を本能的に迫られていたのだから。そのような映姫の内心を知ってか知らずか、鈴元は慇懃に笑うと、
「しかし、今は、堕天使共を狩る事が先決でしょう。第7師団長閣下も、そちらで織り込み済みですので」
 そして胸ポケットに入れていたロザリオを手にし、
「ともあれ、貴女様の御武運を“ 主 ”に代わってお祈りしておきますよ――エィメン」
 祈りの言葉を放った。……鈴元の姿が視界から消えてもなお、眼の裏に十字架が焼き付いていた。赤黒いものがこびりついた、十字架が。

*        *        *

 札幌――北部方面総監部等が駐屯しているが、その内で北部方面警務隊本部と北部方面会計監査隊分遣隊は、正確には北部方面隊の管轄外になる。警務隊も会計監査隊も、神州結界維持部隊・長官直轄の部隊である。警務隊は、旧日本国陸上自衛隊警務科と、日本国警察組織機関が統合された、つまりは神州結界内での警察機関になる。警護・保安業務のほか、規律違反や犯罪に対する捜査権限(と、あと査問会の許可による逮捕や拘束権)を有する。
 そうした北部方面の警務隊本部長たる、田中・彼方[たなか・かなた]一等陸佐の執務室に、第7師団司令部のある真駒内駐屯地より凸凹コンビが出頭した。第18普通科連隊所属の 淡島・蛍[あわしま・ほたる]二等陸士と、第120地区警務隊所属の 蛭子・心太(えびす・しんた)二等陸士。そして田中へと敬礼。小柄な少女然とした蛍の傍らに、00式化学防護衣を着用した蛭子の姿は奇異に映るが、田中は意にも介さずに楽にするように奨める。
「――まぁ、これで4人……正確には3名と1個班の人材が集まった訳だな」
 田中の言葉に、顔を見合わせる蛍と蛭子。入室した時点で、田中しか気配は感じられなかったはずだ。
「本部長。残りの方は別室にて待機でしょうか?」
 恐る恐る尋ねる蛭子に、田中は苦笑する。奨められた椅子に着席しようとしていた蛍が、悲鳴を上げた。
「――い、いたの!?」
 蛍の問いに、先客が無言で頷く。蛍が着席しようとした椅子の隣に座っていた、神崎・零(かんざき・れい)二等陸士。長い前髪が目元を隠して表情は伺えないが、後ろ髪はショート。そして別に意図して気配を絶っていた訳でもないのに、他人から認識されないのが特技でもあり、悩みの種。だが蛍から激しく睨み付けられた。激しい敵愾心を感じる。
「……え、えぇと〜、何か?」
「アタシより胸が大きい! ねぇ何サイズ!?」
 身長140cmにも満たない蛍と、身長150cmの零。胸のサイズを気にする意味があるのかと蛭子は不思議に思ったけれども、口には出さない。零に詰め寄る蛍を尻目に、もう1人の先客に敬礼してみせた。
「女子は容姿を気にするものであろう」
 蛭子に答礼を返すと、結界維持部隊北部方面隊・第11師団第18普通科連隊・第1164班長の 三月・武人(みつき・たけひと)三等陸曹は感心しながら頷いてみせた。三月もまた周囲に自然に溶け込むのが巧い。だが、それゆえに影が非常に薄いとも言えた。
「――問題は解決したか?」
 田中の言葉を受けて我に帰ったのか、零を押し倒す勢いで胸のサイズを測っていた蛍が改めて着席した。満足そうな蛍の顔と対照的に、恥ずかしげに顔を俯いている零。しかし何事も無かったかのように、
「……さて。君達を呼び出したのは他でもない。早速だが、これから君達には犯罪者になってもらう」
 田中の言葉に、三月が目を細めた。零は居住まいを正す。蛍は美しい眉根を寄せるのを横目に見た蛭子は、爆発する前に真意を問い質した。
「――北海道神宮ですね? 確かに、調査には手前にある亜米利加総領事館が障害になるでしょう」
 未だ噂や都市伝説の類だが……ある種の群れを形作る超常体が神州に対応する世界各地の神話・伝承に似通っている事から、群れを統率しているだろう主神級の存在さえ倒せば、超常体が居なくなるという夢物語がある。そのオカルト説が発展し、日本土着の神々が封じられているからという陰謀論が展開されている訳のだが、駐日外国軍は封印を監視する為に居ると睨まれていた。
「その通り。下手を打たずとも事は一個人どころか、維持部隊だけでなく国際問題になりかねない」
「そうだろう。亜米利加合衆国に対して弓引くようなものであるからな。つまり……」
 三月の言葉に続いて、零が呟く。
「……最悪、本官等はぁトカゲの尻尾ですぅ」
「それでも北海道神宮に巨大な霊威が封じられているという情報がもたらされている。そこで調査、そして最悪時には戦闘も可能な人材として君達に集まってもらった」
「――本官はぁ酒山陸将からのぉ命令でしたぁ」
 低い階級と16歳の若さながらも、零は方面総監の 酒山・弘隆[さかやま・ひろたか]陸将直轄の北部方面隊のエリート――NAiR(Northern Army infantry Regiment:北部方面普通科連隊)に所属している。
「……とにかく俺達の役割は北海道神宮の潜入調査であるな? ふむ――」
「不満があるならば、拒否しても構わない。元々、無茶な命令だ。下手すれば一生を棒に振りかねん。強制はしない。口封じなんて事もしないから安心しろ」
 眉根を寄せて考え込んでいた三月は、
「否――任務であれば応えるのが本分。ただ……」
「ただ?」
 一同の視線が集まる。久し振りに注目を浴びたなと感慨を覚えつつも三月は、
「ただでさえ俺は影が薄いのに、潜入任務なんてやっていたら、他者に認知される機会はない訳で……ますます影が薄くなりそうであろうな、と」
「それが悩むところかー!」
 蛍が応接テーブルを引っ繰り返そうな勢いで、三月に突っ込みを入れてきた。
「任務ならばぁ仕方ありません〜」
 三月の呟きを無かった事のように、零は挙手。蛭子も蛍の興味に引き摺られて出頭してきたとはいえ、拒否する気は無かった。
「――助かった。感謝する。当然だが、私も出来る限りのバックアップはする。君達の幸運を祈る」
 立ち上がると、田中の方から敬礼をしてきた。慌てて起立して敬礼を返す。
「なお、本作戦の総責任者は、需品科の宇津保小波准尉だ。何かあれば宇津保准尉に指示を請うように。尤も宇津保准尉の性格からして束縛してくる事は無いと思うが……」
「宇津保准尉? ――って、『すすきの』の?」
「田中本部長の恋人と噂されている?」
 三月の訝しげな視線と、零の責めるような口調に、苦虫を潰して無理やり飲み込んだ顔をすると、
「……そう。アレが、だ。そして、アイツは決して私の恋人ではない。私にロリコンの気は無いぞ」
 怒りを抑えるように田中は否定してきた。

 身を震わせると、第11師団第11後方支援連隊補給隊所属の 宇津保・小波[うつほ・さざなみ]准陸尉は可愛らしい顔を不機嫌に歪め、
「誰か、アタシに対する悪意を放った気がするわ」
「漣様に対して、そんな恐れ多いような事をされる方はいないと思いますけれども」
 札幌市中央区にある『すすきの』。かつて日本三大歓楽街の1つと言われた区画は、隔離後においても、一部のWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)ないし男性によって、その性的サービスの提供は形を変えて継続されている。戦闘員の慰安と同時に戦闘を拒否する者の捌け口とされているだけでなく、性犯罪の抑止も考慮されて黙認を受けているのが実情だ。しかし『すすきの』の役割は、それだけでは無かった。藤森・葵(ふじもり・あおい)二等陸士も『すすきの』で勤務する1人であるが、小波と同じく、別の顔を有していた。人的諜報(ヒューミント)が主任務。葵にとって小波は上官であり、教官に当たる。
「――おいおい。2輪車を予約指名した覚えは無いんだがな」
 個室付き特殊浴場に入ってくるなり、呆れた口調で言い放つのは第11師団第18普通科連隊・第1113中隊第1小隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉。まだらに脱色した髪は、ボサボサ。そして、
「あら? 函館に飛ばされたと思ったのに、未だいたの? 壱壱特務を再編制して、頭にアナタを置くという話を耳にしたわよ。キヒヒ♪」
「相変わらず、耳に障る笑い方だな。……あー、確かに2月頭から壬生の野郎が行方不明になって、隊長不在のままだな、壱壱特務は。――だが、札幌の方がキナ臭く感じてな。残った。……安心しろ、お前に嫌気が差したら頼まれんでも転戦してやるから」
 中指を立てて、舌を出す殻島。北部方面警務隊本部長の田中一佐と同じく、小波の馴染みの客だ。そして葵が知らない、小波のもっと深い闇の顔を知っているように思える。正直、苦手だ。乱暴で、上官殺しの噂もあるが、性根は悪い人物ではないと思う。だが、
( 彼と遭うと、何故か憑魔核が活性化するのです )
 実際のところ、小波と行動を共にする時も憑魔核が活性化する。今では感覚が麻痺したのか気にならなくなったが、初めての時は超常体が侵入したのかと怯えたものだ。……そして、ソレこそが――昨日まで葵が知らなかった、知ろうとしなかった、小波のもっと深い闇の顔だろう。
「……で、俺を田中のところでなく、お前のところに呼び出したのは、話が北海道神宮の件だけじゃないんだろう?」
 葵の思いを横目にして、椅子に腰掛けると殻島は単刀直入に切り出した。視線を一瞬、葵へと流す。
「この娘ならば大丈夫よ。――うん、まぁ、総領事館にお呼ばれしたのよね、アタシ1人が」
「……凄いですね、漣様」
 驚嘆する葵だが、殻島は憮然とした顔で促す。
「招待されたのがお前だけならば、俺達の出番は無いじゃねぇか。それとも、何か、外で騒ぎを起こして警備に穴を作れとか? 映画の見過ぎじゃねぇか?」
「それもいいかもね。やらないだろうけど」
「……当たり前だ。聞いているぞ、フェラーがお膳立てした招待だってな。その情報が『俺が知る事が出来る程度に』漏れている事自体、相手側の釣りだとも取れるのだがな? 相手の挑発に乗る馬鹿がいるか。現時点では駐日米軍に対して立場が悪くなるような事は極力避けるつもりだぜ」
 吐き捨てる殻島を、葵は感心した面持ちで見る。
「――それでもアナタはアタシの誘いに訪れたわ。キヒヒ★ 狙いは何?」
「……解っているんだろうが。お前の仕出かす事が、フェラーを戦場へと引き摺り出す事になるってな。それに一口噛ませろ。俺の望みはその先にある」
 殻島の眼が、王蛇のように鋭くなる。小波はキヒヒと笑うと、
「――田中の小父様にも心当たりを用意してもらっているけど、暁が共犯者になってくれるのは嬉しいわ」
「……不意に転戦するかもしれねぇぞ。それと、俺をファーストネームで気軽に呼ぶな」
「あら。アタシ、暁のオシメを替えた覚えがあるのに」
「平気で嘘吐くな。三十路過ぎとはいえ――」
 瞬時にして小波が殻島へと肉薄し、胸部に掌拳を放つ。ローティーンにも見紛う瑞々しく小柄で身軽な肢体だが、細腕ながらも急所を的確に射抜いた痛打は、頑強な男を悶絶させるに充分だろう。しかし殻島は椅子に座った体勢のまま一瞬にして天井近くまで跳躍すると、小波へと蹴りを振り下ろす。重いカカトが小波の頭頂部に叩き付けられ――る瞬間、割り込んだ葵が腕を交差して受け止めた。着地した殻島が感心したように口笛を鳴らす。
「――ほう。ただのWACじゃねぇな。試したな?」
「災いの元であるお口を黙らせようというのは確かだけどね。でも、葵も結構ヤルわよ」
 値踏みするような2人の視線に、
「……漣様も、殻島様も冗談にしてもやり過ぎです」
 思わず、葵は口を尖らせて抗議。殻島は知らん顔。小波はキヒヒと笑って誤魔化してきた。
「――まぁ、いいさ。挨拶がてら、有事の備えとして待機しておいてやる。俺の存在に反応するモノを釣る餌にもなるしな」
「信頼しているわよ、キヒヒ★」
 手を挙げて部屋を出ようとする殻島。そういえばと葵は長年の疑問を口にする。
「――漣様の正確なお歳って?」
 初対面から、ローティーンの容姿だった。今でも変わりない。
「ああ、こいつは異形系の異生(ばけもの)なので、それで外見を誤魔化しているんだ。正確な年齢は田中しか知らんだろう。こいつの母親が田中の同期だったらしいからな。但し三十路過ぎなのは間違いない」
「――バラすな、暁!」

*        *        *

 身を震わせながら警衛の番に就いていた隊員が宿舎に戻ってくる瞬間。開いた扉の隙間から滑り込むように入ってきた冷気に、隊員達から悲鳴が上がった。
「――早く扉を締めろ! 寒いだろ」
「熱い珈琲を持っていってやれ。それと毛布は余っていたか?」
 かじかんだ指を、時間を掛けて揉み解しながら暖める。手渡された碗にお粥が盛られていた。
「曽我陸士長、ありがとうございます」
 お粥をよそってくれた老美人に、芦屋・正太郎(あしや・しょうたろう)二等陸士は笑みを送る。曽我・桜子(そが・さくらこ)陸士長は絶やさぬ微笑みをより濃くして穏やかな表情を返した。
「――しかし、ますます寒波が押し寄せている。このままでは、函館と札幌間の連絡が超常体の前に、悪天候で遮断されかねない」
 外の様子を窺っていた第7師団第11普通科連隊・第7011班長、岩部・秀臣(いわべ・ひでおみ)准陸尉が重々しく口を開く。物静かであるが固太りの巨体は、細かい傷跡の残る四角い顔と角刈りも相俟って、古強者しての巌さを充分に醸し出していた。
「確かに天候が悪化の一途を辿るならば、東千歳の第7施設大隊や函館の第11施設中隊の増援を待つどころか幌別の第13施設群とも共同作戦に入れない」
 副長の 天野・忠征(あまの・ただまさ)陸士長が首肯すると、岩部は難しい顔をした。
「ただでさえビヤーキーやモスマンに邪魔されて、黒い石碑の除去作業が全く進んでいないというのに」
 昨年後期より、渡島半島各地に黒い石碑が打ち立てられたのが、函館を中心として渡島半島で異常が始まる前兆だった。合計9つ、地図上で確認するとVの字を描く石碑は、周辺にモスマンやビヤーキーと識別される超常体の群れが出現し、まるで護るかのように撤去ないし破壊しようとした施設科部隊を寄せ付けず、今もなお存在する。
 そして2月。魔王/群神クラスと呼称される高位上級超常体――後に『イタクァ』と呼称――が函館に出現。死闘の末、撃退に成功したものの、イタクァの遺骸は確認されず。また奮戦した第11特務小隊(壱壱特務)隊長の 壬生・志狼[みぶ・しろう]准陸尉も生死不明で消息を絶つという辛勝で終わった。
 以来、渡島半島は謎の寒波と超常体の群れに襲われる危険区域と化している。東千歳より管区を越えて出向してきた岩部達という増援を得てもなお悪戦苦闘しているのが現状だ。ましてや――
「MIB。黒服姿の魔人――否、人型の超常体共の襲撃が加わっては、な」
 黒服――Men In Blackと称される魔人達。野戦服でなく、映像作品や漫画にでも出てくるような黒スーツ、黒いソフト帽、黒レンズのサングラス。だが魔人というものは幾らふざけた格好をしていても、単体(戦車や戦闘機等も含める)において最強の戦力である。何故なら、彼等は(当たり前だが)人並みの知恵があり、知識があり、武装するからだ。武装して無くとも、身体そのものが凶器である。特に、憑魔能力。完全侵蝕された事によって使用の制限が外れたと考える事も出来る。魔人が、どれほど信頼を寄せられ、そして脅威に思われているか、伺えられるというものだ。完全侵蝕の疑いがある魔人に対して、問答無用の射殺が許可されているのは理由があるのだ。
「――間違いなく、黒服は完全浸食を受けた魔人だと判断した方が良さそうです。なんで、黒服なのかは不明ですが……超常体の事自体が謎だらけですし?」
 芦屋が力なく笑う。桜子は小首を傾げると、
「……何を目的として函館に出没し、そして襲撃してくるのか、詳しい事は判っていませんけれども……そのイタクァでしたかしら? わたしが聞きかじった話によると、その名を持つ怪物の名前が怪奇小説か何かに出ていましたわね」
「――イタクァ=ザ・ウェンディゴ。北米先住民アルゴンキンに伝わる精霊の名だが……」
 気難しい顔で岩部が続けた。
「いまや神州において、予言者とも陰口叩かれるラヴクラフト――彼の信奉者であった、ダーレスが『風に乗りて歩むもの』として書き表した事で、有名になった存在だ。……とはいえ卵か鶏かの論法ではないが、件の高位超常体は、書物のイタクァに似ているから名付けられた訳で、超常体の存在を察知したダーレスが書き表した訳ではないはず……だ、が――」
 しかし神州各地に出現する超常体は、神話伝承で語り継がれている存在に酷似している事は明白だ。超常体は神話伝承から名付けられているが、本来は逆で、かつての超常体を語り継いだものが神話伝承であるというのが、オカルト説の有力な根拠となっている。そしてラヴクラフトが予言者と称される訳も。
「……イタクァ=ザ・ウェンディゴは、人間をウェンディゴに変化させるという話がありますわね。MIB共が現れたのはイタクァとの戦闘の後。彼等がウェンディゴとなった魔人であるならば、時期は一致しますわよ」
「それに、目撃されたMIBの中に一際異彩を放つモノがいたと……」
 通常のMIBが銃火器で身を固めているのに対して、その男は黒い刃の日本刀を手にしていたという。無数の弾幕を擦り抜けて、一瞬にして肉薄してくるという異生。その戦闘スタイルは、話に聞く壬生をますます思わせるものだった。しかし、
「――そんなの偽者に決まってる!」
 鋭い叫びが上がった。今まで部屋の隅で、無表情に黙々と食事を進めていたはずの 雪峰・アンナ(ゆきみね・―)二等陸士がツインテールを振り乱して、思わず叫んでいた。上腕に着けている部隊章は第11師団章に黒いバッテン――壱壱特務のもの。
 壱壱特務は、壬生失踪後の隊長不在のまま函館駐屯地での常時警戒待機が命じられている。だが元々、重犯罪者等の問題がある者の集まりだ。壬生という頭が無き現在、各隊員の士気が低下しているだけでなく、統率された部隊としての機能は皆無に等しい。
「……そうですわね。何にしても詳しい事を知る為には一度彼等と会い見えておかなければならないでしょうね」
「待って下さい。曽我陸士長は後方支援連隊所属でしたよね? 無理は禁物です!」
 芦屋の慌てる声に、だが桜子はやんわり応えると、
「あら。後方に退いてはいますけれども、わたし、こう見えても足手まといにならない自負しておりますわ。大丈夫ですよ」
「――女傑の曽我。二の太刀要らずの示現流の皆伝者と聞く。一度、指南を頂きたいと思っていたが、まさか曽我陸士長がその人だったとはな」
 サムライマニアと陰口を叩かれるほどの剣術家である天野の言葉に、桜子は恥ずかしそうに口元を隠して笑い返した。
「――いずれにしろ時間は待ってくれない。戦力は1人でも欲しいところだ。もしも曽我陸士長に危険が迫るようならば、芦屋二士、君が守れ」
 岩部の言葉に、芦屋は敬礼で返す。
「――第7011班は、陸路の安全確保の為にも、国道5号線最寄りの黒い石碑を排除する。その間の、函館の守りは任せた」
 席を立って班員達に作戦開始の指示を送る岩部と、続く天野を、敬礼をして見送る桜子達。それらを無感動に見詰めていたアンナが呟いた。
「そんなの偽者に決まってるもの……。だって壬生准尉が無事だったら絶対に私を迎えに来てくれるの」
 アンナは黒い闇を湛えた眼を上げると、
「だから偽者なんか消えちゃえ……」

*        *        *

 少女趣味に改造されてフリルの付いた制服と、頭の髪飾りに大きく赤いリボン。童顔の容貌と相俟って、小悪魔と称されるに相応しい――異生が総領事館の正面玄関を抜ける。亜米利加合衆国総領事館のスタッフは、一介の下士官に対してあるまじき丁重な態度で出迎えてきた。糸のような細い眼に、真紅の唇が印象的な白人女性―― パウラ・モードリッチ[―・―]総領事が遥かに格下のはずの小波へと恭しく頭を下げた。キヒヒと笑みを浮かべて応えると、パウルの案内されるままに入室した小波は、思わず目を見張った。燃料問題から管制のされた神州とは別世界のように、電灯が煌々と輝き、上品だが豪奢な美術品で飾られた内装。白いシーツが敷かれた円卓には、芳醇な薫りを嗅ぐわせる料理が並んでいる。だが、小波が目を見張ったのは、歓迎の品々ではない。円卓とはいえ、部屋の位置取りにおいて上座に当たる位置に着席している主。
「――この度は、お招きありがとうございます。フェラー大統領補佐官殿。それとも“猊下”とお呼びしたら宜しいかしら? キヒヒ★」
 米軍礼服を纏った金髪碧眼の男――国家安全保障問題担当大統領補佐官、ルーク・フェラー[―・―]。亜米利加経済の支配者。ゲイズハウンド国務長官という政敵がいるものの実質的なる影の大統領だ。
「――ルークと呼んでくれたまえ。君も、真名で呼ばれたくないだろう? 北方方面調査隊……否、天照坐皇大御神に絶対の忠誠を誓いし決戦機関『落日』に所属する、宇津保准陸尉としては」
「……そうね。余り広言されたくはないわね」
 パウラが引いた席に座りながら、小波は苦々しく笑う。そして室内を見渡して、
「……どうやら、アタシが1番手のようね」
「――いや、残念ながら。小生が1番でした」
 突然、横から掛けられた渋みのある声に、小波の顔に緊張が走った。冷たい汗が流れるのを感じながら、先ほどまで確かに誰も座っていなかった席を見遣る。
「――久し振りね、ナイ神父。2月の儀式はいささかフライング気味だったのでなくて?」
「実にアルデバランが天頂に輝く、よい星辰でしたのでね。……もっとも生憎と“名状し難きもの”の召喚は半端な形となってしまいました。惜しい事です」
 頭を振って、大げさに肩をすくめて見せた。禿頭に、黒眼鏡と、黒の法衣をまとった神父―― ナイ[――]が笑う。そして興味深そうに頷くと、
「しかし残る席は1つ。最後は誰が招待されたか、実に気になりますね」
「道西で、敵対する陣営からそれぞれ1名ずつ招待する悪趣味さから考えて、決まっているものだけれどもね。まったく――冗談が過ぎる事。キヒヒ★」
「……まったくだ。冗談どころではない!」
 最後の客は、入室するなり怒鳴り声を上げた。米陸軍第1特殊作戦部隊分遣隊――通称『デルタ』の第2作戦中隊長、アルバート・リヒター[―・―]大尉。憎々しげにフェラーを睨み付けるが、
「――如何かな? 七つの大罪が1つ“傲慢”を司りし、私に相応しい趣向だと思ったのだが」
 招待主は涼しげな顔。小波はキヒヒと笑い、ナイ神父は大仰に肩をすくめるだけ。激昂したリヒターだが、部屋の壁に並んでいる総領事館スタッフ達の視線に、大きく舌打ちしただけ。
「……そうそう。おとなしくしておいてよ。確かに、この場では“懲罰者(パニッシュメント)”であるアナタだけが、フェラーに傷を負わせる事が出来る。とはいえ“傲慢”を突き破るのは骨が折れるわよ」
「それに、小生達も争いに巻き込まれては堪りませんしね。折角の招待です。楽しむ事にしましょう」
「――貴様達も異常だ!」
 リヒターの敵意は、小波やナイにも注がれた。だが2人とも平然としている。フェラーが何事もなかったかのように、ワイングラスを掲げると、
「では諸君。互いの武運を祈って――」
「「「――乾杯!!!」」」
 床に叩き付けられ、グラスが割れた音は1つだけ。

 総領事館より200m圏内にある円山バスターミナル跡。近からず遠からずの位置に、廃棄車輌に擬装された82式指揮通信車コマンダーが停車していた。
「……まあ廃棄車輌といっても、この20年間で使えそうなのは、既に再利用か屑鉄に変えられている訳だから擬装効果があるかどうかは別だがな」
 迷彩パターンを施したジャンパーを着込み、熱い珈琲をすする殻島は独りごちると、隣で搭載されている複数の強力な無線通信機を駆使して盗聴電波を傍受している葵を見遣った。
「……で、今、何喋ってやがる?」
「とりとめもない世間話……といったころでしょうか。世界経済とか、歴史における戦略の考察とか、少なくとも核心的な話題は上がっていません。でも――」
 葵は腹部を押さえると、
「――何というか、ここら辺が重いような、痛むような感覚が……。これが狸と狐の化かし合いというのでしょうか。もしも無理して付いていったら耐えられなかったです」
 脂汗をにじませながら葵は引きつった笑み。招待状が無い為、殻島とともに留守番を命じられたのだ。折角の衣装も用意していたのに、お供は御遠慮下さいなのだから仕方ない。一緒に行けると早合点していたのはミスだが、結果としてはオーライ。とてもじゃないが緊張に神経が耐えられそうにない。話を聞いていた殻島も口をへの字に曲げて、指で耳栓をする仕草。
「……しかし、漣――小波様が『落日』に所属していたなんて」
「初耳か? お前、直属の部下じゃねぇのか?」
「あくまで人的諜報の面としてですよ。……でも裏と言うか、人知れぬ何かを抱えていらっしゃるのは解っていました。それにしても」
 ――曰く『魔人駆逐を主任務にした部隊がある』、曰く『人工憑魔の実験部隊がある』、曰く『超常体で構成された部隊がある』――そういった維持部隊員の間に流れる都市伝説の類。
 葵も“任務”の最中に、相手から寝物語のように聞かされてきた。他の隊員と違って、数多くの情報を繋ぎ合わせて、ソレがただの法螺ではなく、実在するという事も掴んでいる。
 だが調査隊は肝心の部分について、報告書に上げずに握り潰す。そして次の日にはソレを打ち消す話か、眉に唾を付けて笑い飛ばすような信憑性の薄いデマが行き交う始末。そのカラクリの答は、蓋を開けてしまえば簡単――北部方面隊の情報を握る立場にある者が操作しているからだ。
 おそらくは各地の方面調査隊にも形を変えて、小波のように隠蔽工作をする人物がいるのだろう。誰もが知る、だが誰も知らない幽霊部隊は、こうして作られていっているのだ。
「――首を突っ込むのならば覚悟を決めろ。可愛い子ブリッ娘を装っているが小波は相当のワルだからな。平気で駒として使い潰そうとするぞ」
 椅子の背にもたれかかって背伸びをしながら殻島が唇の端を歪めて笑う。どうでもいいが広いとはお世辞にも言えない車内で伸びは迷惑だ。何とも言えない表情で葵は頷くと、ポニーテールが微かに揺れた。
「……え? 音声が」
 突然、葵の顔に緊張が走る。
「どうした? 小波の身に盗聴器が仕掛けているのは相手も百も承知だろうが。今更、咎められたのか?」
 軽口を叩きながらも、9mm機関拳銃エムナインに素早く弾倉を装着すると、排莢口のカバーを外す。
「いえ――これは……音楽? バイオリンの音色?」
 ――震えが来た。
 血が滾り、沸き立つ感じ。しかし、脳には分泌液が満たされ、思考が妙に冷めていっている。心の奥底で愛しさと、憎しみとが合い混じる。
 極一部の魔人特有の“憑魔共振”作用が、殻島を襲う。間違い無く高位上級の超常体――神話や伝承で謳われる“神”や“魔王”クラスの存在が接近してきている。
「ルークやナイ神父、小波、リヒター大尉といったメインディッシュを喰らう前の、オードブルか!」
「――小波様も殺る気ですか!?」
 悲鳴を上げる葵に言葉の綾だと返しつつ、車長を押し退けて、殻島は上部ハッチから躍り出た。潜伏しているコマンダーを発見されるより先に、相手の出鼻を挫く。殻島が環状通りへ出る前に、接近遭遇を果たした――バイオリンを奏でるタキシード姿の男と。
「……名は?」
「――アムドゥシアス。貴殿の裡より奏でられる“大罪者(ギルティ)”の狂騒の音色に惹かれて参りました、拙い演奏者でございます」
 七十二柱の魔界王侯貴族が1柱、一角公 アムドゥシアス[――]は弓で弦を弾く手を止めずに挨拶を返す。右でエムナインを、左で抜いたナイフを構えて、殻島は油断なく相対。
「……お前以外に、護りは何匹いやがる?」
「“猊下”をお狙いですか? およしなさい。現時点でも総領事館周辺一帯で、貴族に連なる者は5名。中でも私ごときは末席に過ぎませんよ」
 確かにアムドゥシアスの序列は七十二柱中で第67位。高い方ではない。だが、それでも魔王クラス。
「……余り騒ぎを起こしたくないんだがね」
「私しても、奏でる音色におとなしく耳を傾けて頂けるのであれば、助かります。何しろ、私がお客様を歓待するように仰せつかっていますので」
 油断なく相対する1人と1柱。音色が小節を奏で終わった瞬間に、両者は跳んだ。アムドゥシアスが激しく弦を弾くと、音が空気を振わせて衝撃波となる。
「――幻風系か!?」
 廃屋なったビルに飛び込んで、直撃を避けると、振り向き様にフルオート。毎分1,185発の発射速度は、だが反動によるブレもあって、命中は期待出来ない。しかし牽制するには上出来! エムナインを放り捨てると、もう片手にもナイフを抜いて握る。両の牙を突き立てるべく廃屋から飛び出すと、殻島はアムドゥシアスへ一気に詰め寄った。ナイフの刃に対して、弓がしなる。
「――このタキシードはお気に入りなのですが」
「俺の防弾チョッキもお気に入りだったんだぜ」
 交錯した両者は、互いに片膝を付く。痛みと失血。アムドゥシアスの右腕にナイフの刃が突き刺さり、対する殻島の胸部も防弾チョッキだけでなく下の戦闘迷彩服も切り裂かれていた。袈裟懸けに紅い線が滲んでいる事だろう。
「……とはいえ、利き腕をやられては演奏を続けられまい?」
「音楽を奏でるのは腕だけとは限りませんよ?」
 唇の端を歪ませる殻島と、優雅に微笑むアムドゥシアス。両者間に緊張という糸が張り詰められていく。
「「――!!?」」
 その緊張の糸を断ち切ったのは、畏怖すべき氣。北海道神宮から一筋の力が、天頂へと放たれる。刹那だが、紛れもない力の発露にアムドゥシアスの顔色が初めて変わった。
「解放はされていないようですが……龍総統閣下等に何かありましたか!?」
 殻島を睨み付けると、
「二段重ねの陽動でしたか。これは私の失態です。おとなしく負けを認めましょう。……では、また」
「――逃がすか、この野郎!」
 だが本気で撤退を決め込んだアムドゥシアスは全力で逃げる。殻島の追撃を振り切ると、総領事館へと消え去ったのだった。
「……どうなったんですか?」
 小型のカメラで隠れて撮影していた葵が顔を出す。
「記録を撮ったのか? まぁ総領事館を問い詰める証拠材料にするのは難しいだろうが、よくやった」
 エムナインを拾うと、故障がないか点検しながら、
「……まぁ負けを認めていやがったが、結局は引き分けってところだな。それよりも――」
 北海道神宮で動きが始まった。ここから停滞していた事態も、一気に加速していくだろう。そう考えると殻島が笑みを隠しきれない。総領事館に視線を移し、
「――いずれは、お前の首に王蛇の牙を突き立ててやるぜ、ルーク・フェラー!」

*        *        *

 円山の北側麓に建立された北海道神宮は、開拓当時樺太や千島に進出を進めていた露西亜に対する宗教的守りという事で、正門が北東を向いている。県道124号線の宮が丘より神宮へ到る参道だが、今や駐日米軍の物資輸送トラックが定期的に往復していた。亜米利加総領事館と隣接している事からの駐留とされているが、実際のところ、北海道神宮と総領事館のどちらの不測の事態に備えてのものか判らなかった。
( ……両方。それと札幌や真駒内の駐屯地――自衛隊への督戦という意味もあるかも )
 身を木々に隠しながら、零は心中で呟く。札幌に駐留する駐日米軍は、末社である開拓神社周辺と北海道神社庁を間借りすると、巡回・警備を展開している。零は、車高のある物資輸送トラックの下腹部に掴まった状態で潜入を果たすと、素早く坂下野球場を経て、円山へと潜伏した。原始林(※厳密な意味では違うが)に加えて、超常体出現の際にもたらされた異界の植物群によって覆われており、身を隠すには都合が好い。逆に言えば、駐日米軍兵士や超常体から不意を打たれる可能性もあるという事だが。
( ……隙が見付け難い )
 双眼鏡で駐日米軍兵士を観察して、零は眉間に皺を寄せた。全地球的に効果があるという新迷彩ATC(All Terrain Camouflage)――これ1つで森林地帯でも、乾燥・砂漠地帯でも使用出来るとしている――が施されたACU(ARMY Combat Uniform)。肩に負っているのは、U.S.M16A2アサルトライフル。4人一組で整然と行動するU.S.ARMYの姿。少なくとも正面突破は困難を極めるだろう。
( ……円山麓に沿って球場に移動。裏手から神宮に接触する )
 這うように身を落とすと、葉擦れや小動物に気を払いながら慎重に移動を開始した。

 ――同時刻。零と同様に事前調査を終えた三月は、部下を周辺に展開配置すると、円山南西からの侵入を開始した。
「――殻島中隊からの報告では、ただいま総領事館では宴の真っ最中であるそうな。かといって警備が薄くなっておる訳でもないが、他のメンバーも行動を起こしている。周辺警戒を密にしろ。個人携帯無線機の周波数を間違えるな」
 北海道神宮に駐留する駐日米軍は、総領事館のある東と北の警戒が厚いが、西と南は比較的に薄い。特に円山動物園跡地は意図的にと思われるほどの穴が空いていた。……罠か? それとも絶対の自信がある守護者が存在するのか?
「――後者だとすれば厄介だな」
 部下の操氣系魔人に半身異化して周辺の気配を探知してもらっているが、憑魔能力は諸刃の剣だ。多用すれば完全侵蝕され――貴重な人材を喪失してしまう。
「……ジレンマであるな」
 独りごちるが、頭を振ると円山動物園跡地の裏口から足を踏み入れる。隔離後に閉鎖されたはずの園内には今なお動物の息遣いを感じるようだった。先頭を行く三月の片目には暗視装置V8を装着しており、視界は良好。第三世代のイメージインテンシファイア(※光を電子的に増幅させる装置)で、レーザーポインタ等と併用する事が出来る、米軍PN/VIS-14とほぼ同型の暗視装置。
「……オカシイである。動物達の息遣いが止まった?」
 緊張が満ちる。廃屋の影に潜り込む三月達。操氣系魔人が息を呑む音が耳に入った。すぐに三月も理由が解る。――憑魔の活性化。北側の正門を塞ぐ大きな影が見えた。異形系憑魔に寄生されたのか、双頭を有する大蜥蜴。そして、背には――
「……少年?! だが貴殿は――」
「察しがいいね。ボクの名前はヴォラク。キミ達が魔王と称する存在だよ」
 愛らしい表情を浮かべる、金髪碧眼の少年。声変わりもしていないボーイソプラノは耳に心地良い。しかし無邪気な笑みを浮かべる姿が、逆に三月は空恐ろしく感じた。
「……退屈していたんだ。遊ぼうよ?」
 笑い声を上げると、七十二柱の魔界王侯貴族が1柱、龍総統 ヴォラクと双頭の大蜥蜴は三月達のいる方向へ突進してきた。

 三月達が戦闘を開始した頃、蛭子と蛍もまた魔王クラスの超常体と遭遇――襲撃を受けていた。円山北西の競技場付近。神宮内部の潜入調査へ向かう蛭子と、高機動車『疾風』で待機していた蛍へと襲い掛かってきたのは、同じぐらいの大きさを誇る雄獅子。青白い雷光を鬣にまとわせて、咆哮を上げる。
「――心太! サポート宜しく!」
 撤退の足である疾風を潰されてはたまらない。蛍は斧槍を振り上げると、雄獅子へと叩き付ける。だが雄獅子が雷光を放つと、接触した斧槍は強い磁力を帯びたのか、蛍は激しい勢いで吹き飛ばされる。蛭子はM1911A1コルトガバメントを抜くと、.45ACP弾を撃ち放った。だが雷光の障壁に弾道を逸らされて、雄獅子は無傷。再び咆哮を上げると、防御に回していた雷光が攻撃に転じてきた。慌てて避ける。2対1ながらも油断は出来ない相手――七十二柱の王侯貴族が1柱、獅子頭王 ヴィネは弾倉交換を素早く終えると再び発砲する。体勢を整えた蛍が斧槍で宙を凪ぎ払った。

 個人携帯無線機から聞こえてくる銃声と、静かながらも重い怒り。駐日米軍兵士の慌しい動きに、蛭子と三月達が戦闘に遭遇したと判断。零は知らずに唇を噛むと、匍匐前進で何とか辿り着いた最北限の杉林から飛び跳ねるように疾走した。動きが慌しいが、警備網が荒くなった訳ではない。――完全に固められる前に神宮拝殿に辿り着かねばならない。さすがに見咎められたのか、遠くから誰何の声とサーチライトが迫ってくる。ライトに照らし出される前に遮蔽物の陰に跳び込む。光線が他所に向けられた瞬間に、また別の場所へと繰り返す。だが、ついにライトに捕らえられた!
「 ―― Stop! Cancel arming, and raise both hands and stand. Describe belonging and a class! (停まれ! 武装を解除し、両手を上げろ! 所属と階級を述べよ!)
 わざわざ警告を発するとは、“普通の”米軍人なのか? そうでないかも知れないし、そうなのかも知れない。だが、零が解っている事は唯1つ。警告に従う謂れは無い。制止の声を振り切ると、拝殿に足を踏み入れた。
 ――瞬間、憑魔核が熱を発した! 活性化に似た痛みと痺れが全身を貫く。
『――我を解放せよ。異邦の魔の戒めから、呪縛から、我を解き放て。蛇巫の血を注げよ』
 脳裏に声が響く。そして畏怖すべき氣が放たれた。拝殿の奥から一筋の力が、天頂へと放たれる。それは始め蛇行し、次に紅い直線の光跡を描くと、最後は朱塗りの矢となって消え去った。
「――今のは?」
 一瞬、零は驚きの為に動きが止まってしまっていた。だが零以上に力に圧倒されたのか、米軍兵士の放心は続いている。正気を取り戻す前に、零は再び影に身を投じると、円山球場へと疾走する。
「――こちらに!」
 雄獅子と相対していた蛭子と蛍が、零の姿に手を挙げる。雄獅子の視線が零へと向き、怒りの放電をぶつけてこようとする隙を突いて、蛍は疾風の操縦席に飛び乗った。蛭子が最後の弾丸を叩き込む。注意が零へと移っていた雄獅子は.45ACP弾を受けて痛みの為か仰け反った。その瞬間にも零は疾風に滑り込む。雄獅子が向き直る頃には蛭子も乗り移って、疾風は急発進。雄獅子の怒りの雷電の雨を振り切ると、札幌の闇へと身を隠した。

 北海道神宮から発せられた氣を感じて、ヴォラクの美しかった眉根が歪に形作った。悪戯を叱られた子供のような泣き顔を浮かべる。
「しまった! パイモンにお説教をされちゃう! 猊下からも褒められなくなっちゃうじゃないか」
 大蜥蜴の背で癇癪を起こすと、三月達の存在を忘れたのか、早々に闇へと引っ込んでいった。
「――班長、如何しますか?」
「……追うのは止めておこう。蛭子二士達と連絡を。任務は果たされたと思われる。今のうちに撤退する」
 三月の合図に、ヴォラクの暴れっぷりに肝を冷やしていた第1164班員は安堵の息を吐く。園内には倒壊した設備が散乱している。隠密行動に長けた第1164班を探し出すべく、ヴォラクが力任せに暴れていたのだ。危険なハイド&シーク。
「……正直、異形系相手に、今の装備では心許なかったであるからな」
 だがヴォラク対策よりも、気掛かりなのは、
「――朱塗りの矢の幻視。勢夜陀多良比売の逸話であるか? となると封じられているのは、やはり開拓三神であろうか」
 いずれにしても対策を練らなければならないだろう。解放するにしても、妨害を排除するにしても。

*        *        *

 旧・北海道警察函館方面本部の庁舎を利用した屯所に詰めていた芦屋は、黒服が今まで出現した場所から次の襲撃を割り出そうとしていた。白地図に赤丸と日付を記載していく。
「――根詰め過ぎはよくありませんわ」
 湯気が沸き立つカップを手渡して、桜子が労わりの微笑みを投げ掛ける。芦屋は礼を述べてからカップに口を付けるが、
「――ホットミルク? わたしはもう15。子供扱いしないで」
 頬を膨らませる芦屋に、桜子は鈴の音のように笑う。美顔を更に真っ赤にする芦屋だが、貧弱そうな外見と相俟って、むしろ可愛らしく思えた。だが、その実は重火器の携行を物ともしない怪力の持ち主だから恐ろしい。
( それでも発展途上の子供に違いありませんわ )
 桜子は孫ともいえる年齢の子供達が戦場に出る状況に危惧を覚える。いつか心が壊れてしまうのではないかと。いつかではなく、それをもう目の当りにしているのかも知れない。芦屋は未だ良い方だ。何かを抱えて1人きりになろうとしても、その容貌からマスコットとして周囲が放っておかない。だが――
( ……彼女が心配ですわ )
 屯所の隅で、無表情に外の光景を眺め見ているアンナ。壱壱特務は元より他人に優しい部隊ではない。ましてや疑惑の渦中にある壬生にアンナはとても懐いていたらしい。このまま放っておけば――間違いなく完全に壊れてしまう。
「――アンナちゃん。あなたもホットミルクは如何?」
 だから桜子は声を掛けた。最初は呼ばれた事に気付かず、だが桜子の気配を感じたのか、ようやく振り向いたアンナ。ツインテールが揺れる。桜子へと無表情の顔を向けた。だが――桜子は瞳の奥に戸惑いの色がある事を見逃さなかった。
( もうすぐ還暦を迎えようというもの。伊達に人生経験を積んでいませんわよ )
 微笑むと、桜子はもう一度手招きしながら呼び掛ける。アンナは暫く黙っていたが、桜子に近寄るとカップを受け取った。口に付けると、色の無かった頬に朱色が差した――桜子の気の所為かも知れないが、確かにそう思えた。
 対するアンナは黙ったまま桜子の傍で、受け取ったホットミルクで身を温めた。何を言い出してよいのか解らずに沈黙が続いたが、壱壱特務の中にいる時のような寒々として乾いたものは感じられなかった。何となく居心地が良いように思える。
「……徐々に北上している」
 地図に記載し終わった芦屋が顔を上げた。桜子達をはじめ、室内にいた維持部隊員の注視が集まる中、芦屋は物怖じせずに地図を指し示した。唸る隊員達。
「――見ろよ。函館駐屯地や詰所への散発的な襲撃を除けば……」
「この前は千代田小跡。その前が千代台公園……その前が――」
 黒服との最初の戦闘が函館駐屯地への襲撃であった為に気付き難かったが、黒服集団は函館市役所跡地から確かに北上している。警邏巡回している班との遭遇戦闘は、その線上で生じていた。
「となると、MIBの狙いは――」
 線の延長先に目を見張るが、それより手前には……
「おいおい。次の目標は、ここじゃねぇか?!」
 誰かの叫びと同時に、庁舎入り口方面から爆発音と振動が響いてきた。素早く芦屋は傍に置いていた重たいケースを掴むと、中身――Barrett XM109 25mmペイロードライフルを取り出す。米陸軍が湾岸戦争後に打ち出した対物狙撃兵器の開発を進める計画の中で、特殊部隊用に50口径(12.7mm)アンチマテリアルライフルより高性能で、より破壊力のある25mm弾を使用した重装弾狙撃銃(ペイロードライフル)の開発を打診し、米国の銃器メーカー、バーレット社が1990年代より開発を進めてきた大口径アンチマテリアルスナイパーライフル。超常体の出現により開発が遅れたが、2012年に制式採用され、一部米陸軍特殊部隊に先行導入されていた(※註1)。XM109は、重要構造物の破壊から駐機中の航空機、対人戦闘等まで幅広く使用され、その破壊力と命中精度によって少数精鋭の特殊部隊の戦闘攻撃力を飛躍的に高めている。
「――出るっ!」
 隊員達が89式5.56mm小銃BUDDYを手にして飛び出す中、誰より先にアンナが駆けた。

 84mm無反動砲カール・グスタフから発射された対戦車榴弾は、警衛がバリケード代わりに横付けしていた96式装輪装甲車クーガーを易々と裂き潰した。爆風に吹き飛ばされた警衛へと無慈悲に止めを刺していくMIB。建物奥から駆け付けた隊員達と派手な銃撃戦が行き交う。
「――必要十分以上に支援を受けました。ならば、成果を以って応えられるように努力をするのは、市民の義務です」
 せっかく持ってきたXM109だが敵の数が多い。芦屋が狙撃体勢に入るのは危険過ぎた。観測手を務める相棒はファブリック・ナショナル・プロジェト90で援護射撃。ベルギーのFNハースタル社が開発したこのSMGの最大の特徴は、5.7mm×28という特殊弾薬を使用する点にある。貫通能力に優れ、且つ、貫通後に跳弾となると急速に威力を失う性質を持つ。またブルパップ・タイプで設計され、また独特の給弾機能を持つプラスティック製弾倉が、機関部上面に本体と平行に設定されている。おまけにダットサイトが標準装備。そして芦屋当人もMK48 Mod0――同じくFN社の傑作、分隊支援火器5.56mm機関銃MINIMIを7.62mmNATO弾仕様にしたモデル――を構えて弾幕を張る。
 波状の弾幕にMIBも攻勢を弱めると、障壁を張って直撃を避ける。制限の無い憑魔能力を持つ魔人といえども守勢に回してしまえば、いずれは多勢に無勢。人間の持つ圧倒的火力で押し潰せば良いだけだ。
「――壬生准尉」
 誰かが息を呑む。防御の障壁を張るMIBの後から戦場に割って入る人影。日本刀らしき得物を無造作に提げてきたMIBは抜刀すると、次の瞬間、視界から消えて見えた。蹴られた雪が散って、霧に変わる。銃弾の雨の中を意にも介さずに突っ込んでくる餓狼の姿がそこにあった。
「――銃弾を避けている!?」
 芦屋が目を見張った。……達人になれば拳銃弾をかわす事も出来るという。銃口の向きや反動から弾道を予測するらしいが、壬生と思しき黒服は、機関銃弾を避けていた。拳銃弾や小銃弾の点や線の攻撃ではない。機関銃から発せられた弾幕という面の攻撃だ。確かに一発一発が、同じ銃口から同時に発せられた訳ではなく、僅かなタイムラグはあるだろう。だが、そのタイムラグを見切っての神速。前方を布陣していた同僚を細切りにしながら、死神は芦屋へと無慈悲に詰め寄ってくる。瞬けば、振り下ろされる刃が眼前に――
「チェストぉっー!」
 桜子が裂帛の気合でBUDDYに装着した銃剣で横に凪ぐ。踏み込みで雪が舞った。桜子の決死の割り込みで、壬生の狙いが外れる。BUDDYは断ち割られるが、咄嗟に桜子は芦屋を抱えると、転がりながら離れた。壬生が振り返ろうとした瞬間、足元が凍り付く。
「……アナタは壬生准尉じゃないものっ!」
 否定の叫びを発すると、空になったペットボトルを顔へと投げ付ける。反射的に切り払う動きの隙を突いて、アンナは壬生の死角へと跳び込んだ。両の手にそれぞれにコンバットナイフ。相手の脇腹を抉るように捻じ込もうとする。だが壬生は凍り付いた状態から強引に振り払うと、血塗れになった足でアンナの腹を蹴り上げた。瞬時に停止したところを回し蹴りで、吹き飛ばす。アンナが離れた瞬間に火線が集中するが、壬生は神速の切り払いを以って、日本刀で銃弾を弾いてみせた。
「――誰か、対戦車ミサイル持って来い!」
 悲鳴に応えて、誰かが持ち出したカール・グスタフが咆哮を上げた。後方爆風の被害も忘れて撃ち出された榴弾は、だが血塗れの足を意にも介さぬ動きを見せた壬生に易々とかわされる。流れ弾が周囲へと当り、被害を大きくする中、爆炎に煽られるように壬生が斬殺を繰り返す。壬生という唯1人の勢いに呑まれた維持部隊の怯えが伝播し、ついには黒服集団からの防波堤をも決壊させた。憑魔能力や銃弾が荒れ狂い、旧・北海道警察函館本部は一方的な虐殺場と化していく。
「――嘘だろう? 幾らなんでも強過ぎる! 噂に聞く、魔王級じゃないか」
 床に転がりながら、呆然と呟く芦屋。見上げた視線の先で、立っている者を掃討し終えた壬生は刀を逆手にして、転がり伏せている者へと止めの一撃を加えていく。壬生の歩みは、蹴り飛ばされた衝撃で倒れ付していたアンナへと近付いてきた。
「……アナ……タは……壬生准尉じゃ……ない、もの。本物だったら……私を独りにしな……い。迎えに来てくれる……はず……だ、もの……」
 アンナは呟きながら、死神の影を見上げた。
「あ――そうか。今、迎えに来てくれたんだ。あは、アハ、あははははハハハハハハ……」
 ついに心が壊れ――そうになるアンナだったが、僅かに引き止めたのは、壬生の変化。急に怒号を上げて顔を掻き毟る。黒眼鏡が顔から落ちた。顔を隠すように手で覆うと、肺腑から言葉を搾り出した。
「……雪、峰か。頼み、が。あ、る――」
 指の隙間から漏れ出るのは、赫い眼光。血よりも紅く、闇よりも濃い、赫い眼光。苦しみを漏らしながら懇願する壬生を見ながら、アンナは意識を失った。
「――頼む、俺を殺してくれ」
 絶叫を上げると、壬生は遥か高みへと跳躍して消えていく。壬生の突然の消失に、黒服達も静かに吹雪く街中へと去っていくのだった。

*        *        *

 時間は少し遡る――渡島支庁亀田郡大沼町。積雪により無くなった路を必死に辿って、第7011班はついに目的を発見した。
「――施設科は未だ着ていないか」
「到着を待ってから、作戦に入りますか?」
 岩部の呟きを受けて、天野が上申する。腕を組んで考え込む岩部は、隊用携帯無線機に張り付いていた部下に天候予測と施設科からの連絡が無いか尋ねる。
「――吹雪いている所為か、電波受信の調子が良くなくって……申し訳ありません」
「出発の時点では、今夜からまた更に悪化すると言っていたが……」
 岩部は奥歯を強く噛み締め、眉間に皺を寄せた。
「……一刻を争う。状況を開始するっ! 修正事項イ号に基づいて、各員、作戦に入れ」
 岩部の号令に敬礼で応じると、第7011班員は配置に就いた。白色迷彩の積雪用戦闘装着セットで身を包んだ 工藤・明彦[くどう・あきひこ]一等陸士が周辺を確認しながら目的へと先行する。護衛に 西井・順平[にしい・じゅんぺい]一等陸士もまた続いた。
 黒の石碑が立てられた9つの地点のうち、大沼国定公園は、正確にはさらに石碑が立てられている駒ケ岳も含んだ大沼や小沼の湖畔一帯である。大沼と小沼は駒ヶ岳噴火による山体崩壊――土石流が、山麓部の凹地や折戸川を堰き止めて形成された湖。大沼と小沼は狭戸(せばっと)と呼ばれる狭い地峡で隔てられており、この上に黒の石碑が禍々しく異様を見せていた。周辺を飛び交う黒い影は、モスマンやビヤーキーと呼称、識別される低位超常体の群れ。黒の石碑をまるで護るかのように出現した群れは工藤の接近に気付かず、だが石碑から離れずに在って寄せ付けようとしない。
『――総数22。内訳、モス9、ビヤ13。イらしき姿は目視では見当たらず』
 工藤からの報告に、岩部は素早く判断。イタクァの存在が確認出来なかった事に残念と共に安堵する。車長に命じると89式装甲戦闘車ライトタイガーを前進。射手が軽い挨拶代わりとして、35mm機関砲が火を吹いた。奇声を上げてビヤーキーが敵へと殺到してくる。鴉でもなく、土竜でもなく、禿げ鷹でもなく、蟻でもなく、腐乱死体でもない、翼を持つ低位中級の超常体。蜂に似ているというものもいるが、成る程、観測されている習性としては納得も出来た。ガンポートから突き出したBUDDYで接近するビヤーキーを撃ち払っていく。天野は後部ハッチから転がり出ると、積もった雪が衝撃を柔らかく殺してくれる。憑魔活性化した身体は雪を蹴る力を高め、天野は滑るように疾駆。ライトタイガーが集めるビヤーキーの包囲網を突破すると、黒の石碑へと斬り込んでいく。
「――寄らば斬るっ」
 短く静かながらも発せられた天野の気合が乗って、憑魔刀が歓喜に打ち震えているようだった。守りを固めるモスマンの体毛を容易に切り裂くと、絡み付いた体液をすする刀身。間隔が大きく開いたモスマンの紅眼が怒りに燃えた気がしたのは間違いではあるまい。両腕の代わりに生えた翼が広げられ、衝撃波が発せられた。奥歯を噛み締めて踏み止まる。戦闘防弾チョッキにより外傷は少ないが、浸透する衝撃は厚い防寒具でも吸収しきれなかったようだ。だが天野は踏み止まると、怯むどころか――笑った。
「……石上、半身異化はするな。直接の憑魔能力は効かない」
 幻風系に分類されるモスマンに対して、石上・陽介[いしがみ・ようすけ]一等陸士の地脈系憑魔能力による直接攻撃は効果が無い。ただし使いようでは役に立つが……たかがモスマン数匹相手に、それも不要。天野の視線に、石上は頷くとBUDDYで中空のモスマンへと牽制する射撃を続行。降車した第7011班乙組員も遮蔽物を巧みに利用してモスマンを撃ち落していく。否応無く地表に降りたモスマンには天野が突進。前屈みの姿勢で刀の柄を腰に着けて走る。その姿から「虎走り」と呼ばれるが、まさに天野は獲物を追う虎。斬間に入ると同時に上体を起こし、右足を踏み込んだ。踏み込みの圧力で瞬時に雪が蒸発。霧となって散っていく。視界が晴れた時には別のモスマンへ高速の斬撃を払う。三つ編みにした長髪が一時も肩や背に落ちる事も無く、天野の激しい動きに合わせて踊っていた。
「――状況、終了!」
 岩部の合図に、天野は納刀。深く呼吸をすると、白い湯気が全身から沸き立つようだった。
「小和田二士、損害を報告せよ。負傷者の治療を頼む」
「――承知しました」
 敬礼をすると、小和田・ユカリ[おわだ・――]二等陸士は真っ直ぐに天野の損傷を確認する。
「……氣が乱れています。整調しますか?」
「いや、断る。小和田はイタクァとの戦闘時の大切な守り札だ。容易に侵蝕率を上げる必要は無い」
 天野が素っ気無く断ると、ユカリは口を膨らませた。不機嫌な様を見せると、別の班員を診て回る。
「……何だ。俺の判断は間違っていたか?」
「――さあ、俺ッチの口からは何とも」
 西井が肩をすくめて見せるが、天野には不可解極まりない。部下との相互理解が必要だなと思いつつも、頭の片隅に押しやって岩部の護衛に回った。
「損耗は軽微。乙組は周辺警戒に移行します」
「――御苦労。イタクァ出現に気を付けろ。工藤にも警戒を密にさせているが、応戦ともなれば心許ない」
 敬礼で応じるが、岩部の視線の先を追って、天野は黒の石碑を見上げた。
「――施設科の到着は?」
「今日中には無理だろう。欲を言えば、駒ケ岳の石碑周辺も掃討しておきたかったが、時間と準備が足りない。また、ここを放棄する訳にもいかん。新たに超常体が巣食ってきたら、それこそイタチごっこだ」
 では?と問い掛ける天野の視線に、岩部は軽く頷いて見せると、
「――LAMか、重MATで破壊を試みる。さすがに破壊ともなればイタクァ級が姿を現しかねんな」
「“これ”の目的によると思いますが」
「――“こいつ”の近くで口にはしたくないが……大魔王級である“ヤツ”の召喚に必要なんだろう」
 飽くまで推測に過ぎないが、と断る。その時、隊用携帯無線機で報告を入れていた班員が緊迫の表情を浮かべた顔を上げた。
「――班長、緊急報告です! 旧・道警函館本部の屯所に黒服が来襲! 交戦状態に突入した模様」
「……施設科の到着を待っている時間はないようだ。爆破を試みる! 各員、準備に掛かれ。妨害の接近を許すな。警戒を更に密にしろ!」
 怒声に似た号令に、威勢の良い返事。班員の士気に満足した岩部は110mm個人携帯対戦車弾パンツァー・ファウストIIIを肩に担ぐと、黒の石碑へと狙いを付けた。ライトタイガーの車長も射手に指示して、車載の79式対舟艇対戦車誘導弾の照準を任せる。
「――爆破!」
 パンツァー・ファウストの後尾からカウンターマスが射出される。発射された弾頭は安定翼が展開、加速しながら飛行――そして石碑に命中した。続いて、ライトタイガーからの対戦車榴弾が石碑を完全に瓦解させる。爆破の衝撃が周囲に広がるが、
「――各員、状況報告」
「異常なし!」
「憑魔活性化の兆候、見られず。超常体の接近ありません!」
 ……どういう事だ? 何らかのリアクションを警戒していただけに岩部は肩透かしを食らった気分であった。――爆破と同時に函館の方でちょっとした異変が生じた事を知るのは後日の事になるが。
「……破砕した石碑を採取。化学科に回す」
 とりあえず撤収を命じると、第7011班は函館駐屯地に帰還した。

 後日――函館駐屯地にて。
「石碑自体は、ただの黒曜石だと?」
「あれだけの大きさと、良質なものは“あり得ない”らしいですが。さらに産地の問題もあります。しかし……組織成分は紛れも無く、黒曜石のそれに合致していると」
 拍子抜けをした。
「黒曜石のモース硬度は幾つだったかな?」
「5です。ナイフで何とか傷付けられます」
 同じく報告を受けている天野と視線を合わす。
「――成る程。取り巻きさえ排除すれば、黒の石碑の撤去は意外と簡単かもしれんな」
「しかし護衛の超常体のランクや数が上がる可能性があります。油断は出来ないかと」
 天野の返事に、岩部は頷いてみせた。

*        *        *

 千歳航空基地より発進した第201飛行隊と第203飛行隊のF-15は編隊を組むと、北海道大演習場上空の飛行型超常体の掃討に入る。
『――山田准尉、よく折れたな?』
 からかうような僚機からの通信に、飛行の高揚感を損なわれた映姫は唇をへの字に曲げた。航空ヘルメットFHG-2改に隠されているが、不満な表情を浮かべている。
「――重要なのは米軍機も含めての作戦参加部隊の指揮系統を把握する事や、部隊間の連絡手段を明確にする事ですわ。コンセンサスが取れたのであれば、天使狩りにこだわるほど、私は愚直ではありません」
 映姫の反論に、飛行隊長は苦笑を漏らす。
『――対地攻撃はマッドヘンに任せる。航空優勢確保と支援はイーグルの仕事だ』
 要撃戦闘機F15Jイーグルが連なる航空部隊の中でも、映姫が直に指揮する戦闘爆撃機F-15Eストライクイーグルは異彩を放っている。沼地に生息する鳥の意であるマッドヘンという異称をF-15Jとの区別する為に他の隊から呼ばれているのは仕方ない事かもしれないが、映姫としては不本意極まりない。
 なおイーグルにもある程度の対地攻撃機能を付随的に併有しているものの、専らの計算装置等を搭載していない為に、成果は期待出来ない。米軍機の出動が無い時は、映姫達の第2013組に対地攻撃が任せられる自然な流れだ。
『……そろそろ、雲に接近する。先制のミサイルを撃ち込め!』
 隊長の指示により、イーグル各機より99式空対空誘導弾が発射される。雲霞のように群がっていたガーゴイルの群れへと着弾し、多くの超常体を撃墜していく。
 魔群優勢によって、飛行型超常体の数はエンジェルスから、ガーゴイルやワイバーンが増してくるようになっている。エンジェル程の組織性や力はないものの、数が増せば鬱陶しいのは同じ。調整する対象としてシフトされていっている。
「……さて。このまま天使狩りもないまま帰投出来れば、問題ないでしょうけど」
 溜め息を漏らす。エンジェルスの数は日を追うごとに減っているように思える。大演習場の勢力図を簡単に分ければ、北西に魔群、南西に天使、そして東側が人類だ。ここ最近、徐々に魔群の勢いが増して西側の7割程を蹂躙。次第に北側から東へと拡大の傾向が見られていた。地上の脅威はフレイムドレイクとビーストデモン。リザドマンやインプが随伴する。映姫達の役割はフレイムドレイクやビーストデモンの爆撃だ。
 このまま帰投が押し迫ってくる時、部下から懸念の声が上がった。
『……組長。前方2時の方向――監視山付近に、複数の白い発光体を確認』
「白い発光体? 大演習場北部で天使が!?」
 劣勢を打破すべく、一部の天使が魔群に突入したのか? 魔王クラスの存在が噂されている状況の中、劣勢を覆すには確かに頭を潰すのは必然だろう。だが組織的に動くエンジェルスとは思い難い無謀さ。或いは天使側にも魔王と匹敵するセラフ(熾天使)やケルプ(智天使)クラスの超常体が光臨でもしたのか?
「――エンジェルスの群れを確認。殲滅しますわ」
 機体を翻すと、第2013組は監視山に接近する。唇を舐めると、
「神に逆らう全ての愚か者共を、神の裁きの手に委ねる事が私の使命です……天使が本物であれば、人如きの手で倒されるはずもありません。故に、私の手で倒される全ての天使は、天の使いを騙る悪魔の手先と判断出来ますわ」
 エンジェルスに襲い掛かるストライクイーグル。しかし猛禽が爪を立てようとした瞬間、後方のイーグルが爆散した。エンジェルスへと狙い掛けていた照準を外し、機体を翻らせる。
『――対空射撃だ! 気を付けろ!』
 地対空ミサイル? その割には推進する爆発炎と熱源がレーダー等に感知されなかった。警戒で高空に上がった僚機がまたひとつ撃墜される。
『――こちら、第07特務小隊。上空の飛行隊に撤退支援の爆撃を要請します』
 なすすべもなく正体不明の攻撃に撃墜されていく中、通信回線に割り込んだ連絡で我に帰る。
「こちら、第2013組ですが、支援要請?」
『ええ。魔王が率いる軍団に追撃されていまして』
 声の主――鈴元が淡々と答える。
『位置確認の為に、照明弾を打ち上げます。そうそう、地対空攻撃手段を有していますから、御注意を』
 一方的に通信を途絶される。そして照明弾が上がった。木々に隠された地表へと眼を凝らすと――
「――何ですの、アレは!?」
 戦車の群れが木々を圧し折りながら、零漆特務と思しき普通科部隊を追撃している。だが、ただの戦車の群れではない。車腹に腕やら脚やらを生やした異形の機甲軍団。とりわけ、一回り大きな機甲車輌が咆哮を上げると、砲塔が旋回して炎を上げた。それだけではない。激しい痛みと衝撃が映姫の身体を襲う。
「――ッ!」
 憑魔活性化が起こった。航空機の操縦席内で活性化が起きるのはそうは無い。つまり、アレが高位にある超常体――魔王に他ならない。更に加えて、
『……駄目だ。これ以上は近付けん。正気の沙汰でないぞ! 対戦車ライフルで対空狙撃なんて!』
 航空隊長が悲鳴を上げた。魔王戦車の上面に仰向けのプローン・サーポテッド・ポジション(支持伏射姿勢)。戦車装甲に広がっている長い髪から見て女か? だが構えているのは、大型狙撃銃バーレットM82。12.7mm×19弾を使用する対物ライフルだ。同口径弾が使われているブローニングM2重機関銃キャリバー50で装甲車のみならずヘリを攻撃しているのだから、不可能とは言い難い。それでもライフルで航空機を撃墜するとは、やはり正気の沙汰ではないだろう。
「もしかして……アレも魔王?」
 答は僚機の、さらなる撃墜という形で返って来た。映姫は唇を噛み締めると、CBU-87/Bクラスター爆弾を投下。約200発の子爆弾が撒かれたが、果たして魔王戦車軍団を止めるには威力が足りなかったようだ。ましてや狙撃手を殺せたかも判らない。
 それでも撤退するには充分の時間稼ぎ。零漆特務が安全圏にまで撤退した事を確認すると、飛行隊長はこれ以上の犠牲が出る前にと、帰投を命じたのだった。

 

■選択肢
NA−01)亜米利加総領事館にて陰謀
NA−02)北海道神宮に潜入を試みる
NA−03)大演習場で魔王を見敵必殺
NA−04)大演習場で天使どもを殲滅
NA−05)キャンプ千歳を探ってみる
NA−06)函館で黒服集団を追撃交戦
NA−07)残る黒い石碑の1つを破壊
NA−FA)北海道西部の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお黒い石碑は8/9(●駒ケ岳、×大沼国定公園、●上磯ダム公園、●湯の沢水辺公園、●渡島支庁木古内町、●檜山支庁上ノ国町、●檜山支庁厚沢部町、●貝子沢化石公園、●豊浜トンネル)。PC1人のアクション1回――約2週間で破壊出来る数は1つとする(※準備や会議等はカウントされない)。
 大演習場では魔王による強制憑魔侵蝕現象の危険性もあるので注意する事。

※註1)XM109……此方の世界では2003年に制式採用されており、つまり実在する(ノンフィクションな)化物銃である。


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