同人PBM『隔離戦区・獣心神都』第4回 〜 北海道西部:北亜米利加


NA4『 The storm which can have decayed 』

 青森にある三沢航空基地から出立した大型輸送回転翼機CH-47Jチヌークが、函館の旧・五稜郭に辿り着いたのは正午の辺りだった。チヌークのキャビンから降り立つ青年を、佐伯・正巳(さえき・まさみ)二等陸士が出迎えた。
「――第5普通科連隊所属の奥里っス。趣味はこう見えても天体観測。現在、彼女募集中の24歳っス。えーと……」
 降り立った 奥里・明日香[おくざと・あすか]陸士長は敬礼をしながら周囲を見渡すと、岩部・秀臣(いわべ・ひでおみ)准陸尉と目が合った。
「――先任の指揮官殿っスね? 着任の許可を願います。宜しくっス」
「……そう。しゃちほこばる必要も無い。いまや函館戦線の古株とか言われ、仕切りも任されてはいるが、元々は自分も外様に過ぎなかった」
 岩部の所属と肩書きは、神州結界維持部隊北部方面隊・第7師団第11普通科連隊・第7011班長。函館の所管は第11師団であるからして、奥里と同じく出向組に違いない。
「――それに現在、函館は出向組の寄り集まりだ」
「……そうみたいっスね」
 駐機されている特殊作戦用輸送回転翼機MH-47Gに並ぶのは、回転翼機MH-60Kブラックホーク。いずれも空の最新鋭タイプに分類され、それだけでも目を見張る。だが驚くのはそこだけに止まらず、第5師団第5対舟艇対戦車中隊の96式多目的誘導弾システムもあれば、どこの展示会かと突っ込みを入れずには居られないだろう。
「……運が良ければ、もうひとつ90式戦車が加わりそうだったのだがな」
 岩部が苦笑すると、耳聡く聞き付けた第73戦車連隊・第5中隊第9組長の 国木田・由加里(くにきだ・ゆかり)三等陸曹が抗議の声を上げた。
「戦車があればこんな事には! このような普通科隊員としてこき使われる事はなかったのに!」
「黙れ。貴重な機材を失った事に対して、零漆特務に送られなかっただけでもありがたく思え」
 岩部の言葉に、由加里の友2人は大きく頷いた。
「――零漆特務ねぇ。あそこの隊長さんは何か薄気味悪いんだよねぇ」
「――懲罰部隊は薄気味悪いとか、そういう以前の問題だと思いますが」
 零漆特務――第07特務小隊。重犯罪者に構成された第7師団長の 久保川・克美[くぼかわ・かつみ]陸将直属の懲罰部隊。最も危険な戦線に投入される使い捨ての駒。零漆特務に限らず、概ね各師団に存在する懲罰部隊はそのように扱われる。唯一の例外は、山口刑務所に収監されている第13旅団の壱参特務だが、詳細は伝わってこない。ともあれマイナス・イメージが付き纏っているのは仕方ないところだが、
「――零伍特務は好人物ばかりだったよ」
 思わず口を尖らすのは、山之尾・流(やまのお・ながれ)二等陸士。元々、第5師団内の実験部隊として存在した第5i教練班の出身だが、実施訓練を兼ねた十勝岳の偵察任務にて、指導教官でもある班長が死亡。緊急事態として第05特務小隊と行動を共にする事になったが、小隊長の 寺岡・久菜[てらおか・ひさな]准陸尉をはじめとする特務隊員達は気の好い人物ばかりだった。様々な事を手取り足取り教わり、彼等が犯罪者であるが故の得難き経験や、そして戒めと忠告を聞き覚える事が出来た。
「……やはり特務は率いる小隊長や、そして師団長によって性格が変わるものだろうな」
 岩部が半ば感心する様に呟くと、由加里が声を更に荒げた。腕を大きく振り回すと、
「ならば、あたし達も状況の改善を、監督している岩部准尉に要求する! 戦車プリーズ! とにかく功績を挙げて、この懲罰任務みたいな、戦車抜きで戦車猟兵大隊送りになった黒騎士中隊みたいな状況から脱出したい。ああ戦車! 戦車!」
「――解ったから、国木田三曹。君は黙れ」
 岩部の一喝を受けて、頬を膨らませながらも由加里は押し黙る。また不平不満が飽和して爆発する前にと岩部は関係者を会議室へと促した。
「――これが現状だ。尤も、これだけの戦力が集結しているという事は、ハストゥールの脅威さを認識している裏返しという意味だな。加えてシュブ=ニグラスの存在だ。奥里士長の“真の”主君が出向を命じ、そして自分達が受け入れたのも、それらがあるからだ」
「――そうっスね。呉越同舟っス」
 奥里の正体は、札幌から既に伝えられている。維持部隊員を隠れ蓑にしているが、真実の姿は魔群の完全侵蝕魔人――しかも高位上級の魔王。七十二柱の魔界王侯貴族が1柱、星幽侯 オリアス[――]だ。本来ならば、正体判明と同時に即射殺も止むなしの相手だが、ハストゥール[――]と シュブ=ニグラス[――]の存在が不問とした。維持部隊の暗部と大魔王との間に密約が交わされたという。陸自時代から超常体と戦ってきた岩部には感情的に納得出来ないところもあるが、作戦の成功率を上げる要因は少しでも多い方が良い。
「――中々難しいものだな」
 思わず本音が口を突いて出るのだった。

 会議室に主要な人物が集まると、挨拶や自己紹介もそこそこにして作戦提案が始まった。各自からの意見、上申が出揃ったところで調整に入る。
「MIB(※Men In Black)も完全侵蝕魔人――超常体とはいえ武装している。再武装と栄養補充、休息を取る為の活動拠点が存在する事は予測されており、MIBの進行ルート及び、“予言者”ラヴクラフトの詔に従うなら“黒い男”の関連からおそらく活動拠点は教会だろう。第7011班は敵拠点の探索と、続く強襲を執り行う。……糸工准尉、月兎准尉。石碑破壊とタイミングを合わせたいが、宜しいだろうか? ひょっとしたらまた何か影響があるかも知れない。そして影響があれば、そこに突け込んで首を狙えるかも知れない」
 岩部の言葉に、2人のWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)――北部方面航空隊・第1対戦車ヘリコプター隊試験伊組長の 糸工・美鈴(いこ・みすず)准陸尉と、第5師団第5対舟艇対戦車中隊・第2小隊長の 月兎・うどん(げっと・―)准陸尉が首肯した。
「石碑を破壊する事で敵側の活動が鈍くなるのであれば、潰しておきましょう」
 言って、美鈴は微笑むと、
「聖下曰く『神の権威を否定するもの、神の使を名乗る紛い物共、諸共に滅びの道を歩むべし』……まさに、その通りですわね?」
 美鈴の言葉に、奥里が唾棄するような表情を浮かべたのを佐伯は見逃さなかった。だが、場の空気を読んで見なかった振りをする。さておき、
「……何故、石碑を破壊すると連中の活動に影響が出るのでしょうか?」
 函館戦線に参加したばかりのうどんが発した当然の疑問。だが石碑破壊を逸早く開始していた岩部と雖も言葉を窮するのみ。ハストゥール復活の焦点たる元・第11特務小隊(※壱壱特務)隊長の 壬生・志狼[みぶ・しろう]准陸尉と2度も相対し、かつ生存してきた 芦屋・正太郎(あしや・しょうたろう)二等陸士が代わりに挙手。
「――解りません。ですが石碑破壊の影響を受けているのは間違いないのは事実です」
 重要なのは、理由ではなく結果という事か? 腑に落ちないものを感じるが、説明しようのない事だけにうどんもこれ以上の追及は取り止めた。
「ともあれ……石碑破壊の分担も決まり、上手くいけば下旬までに一気に3本分失われる。しかし豊浜トンネルに現れた高位中級超常体も気に掛かる。用心はして欲しい」
「……恐らくはシュブ=ニグラスの子。ナグとイェブの片割れと思われるけれども」
 今まで沈黙を守っていた 曽我・桜子(そが・さくらこ)陸士長だが、事がシュブ=ニグラス……つまりは憑魔核に完全侵蝕され、人を辞めてしまった 雪峰・アンナ(ゆきみね・―)に関わるとなれば、思わず言葉が漏れた。
“千の仔を孕みし森の黒山羊(シュブ=ニグラス)”は、ヨグ=ソトース或いは“名状し難きモノ(ハストゥール)”の妻とされる。そしてナグとイェブはハストゥールとの間の子とも、ヨグ=ソトースとの間の子とも複数の説がある。だが記述されている姿形は眷属であるツァーリとロイガーという“卑猥なる双児”と似通っており、同一視される事もあるからして、ハストゥールとの間の子と看做す方が適切だろう。またヨグ=ソトースと思しき存在が今まで語られなかった事もある。
「――成る程。自分はシュブ=ニグラス幼体がアレかと思っていたが……」
「何にしろ油断は禁物ですわね」
 一同が頷く。岩部は咳払いをすると、
「タイミング合わせの調整と他バックアップは、国木田三曹に任せる」
「えー!?」
 由加里が悲鳴を上げたが、無視。
「強襲部隊の目標は、壬生と雪峰の両名。雪峰に関しては、奥里士長がメイン・アタッカーで、サポートに佐伯二士。それと……曽我士長、大丈夫か?」
「アンナちゃんが完全侵蝕されたというのなら――切る他に道は無いでしょう」
 桜子は静かに、だが確固たる決意を以って頷いて見せた。桜子の覚悟に、天野・忠征(あまの・ただまさ)陸士長が敬意の目礼を送った。
「ハストゥールないし壬生やMIB……それから裏に潜んでいる“這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”に関しては第7011班に任せてもらいたい。――以上。各員準備に掛かれ!」
 岩部の号令に、全員が敬礼で応える。と、佐伯の個人携帯情報端末が着信音を鳴らした。
「……マナーモードにしていたつもりなんだけれども。げっ! 姉さんからだ……」
 作戦直前に姉からメールが届くと、苦戦する事が多い――経験上、厭なモノを佐伯は感じるのだった。

*        *        *

 すすきの駅跡より出入りする、秘密めいた大人の洗濯所。支配するのは心と体を洗い流す泡姫達の女王様。だが表向きは第11師団第11後方支援連隊補給隊所属する 宇津保・小波[うつほ・さざなみ]准陸尉は、珍しく書類整理に追われていた。
「……あっこんにちわですぅ〜」
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
 入室して敬礼をした 神崎・零(かんざき・れい)二等陸士へと、待合室のソファーに身体を沈めていた第11師団第18普通科連隊・第1164班長の 三月・武人(みつき・たけひと)三等陸曹が驚きの声を上げる。
「ちょっ、そっそんなに驚かないで下さいぃ〜」
「貴殿、何時の間に着たのか?」
「……さっき顔を出しましたよぉ〜」
 というか、零も三月の存在に気付いていなかった。お互い影が薄いというか、他人に気取られ難い者同士である。さておき、
「――もう1時間、あの調子である」
 向かいの席に座った零に、三月は説明する。
「……東千歳から、真駒内へと救援要請が来たであるからな。宇津保准尉も、真面目な後方支援連隊補給隊として、そして諜報を掌る北部方面調査隊として、多忙との事」
 旧・北海道大演習場を中心に展開されている、魔群と第7師団、そしてヘブライ神群の三つ巴の様相は、5月半ばの時点で、大きな偏りを見せていた。魔王級異形戦車1輌の存在により魔群は版図を拡大し、その勢いは第11普通科連隊をはじめとする第7師団の防衛線を突破。恵庭IC(インターチェンジ)跡まで後退した事により、島松と北恵庭が敵に包囲されての孤島と化した。
「――島松はぁ補給処本処にぃ、方面後方支援隊本部が置かれていてぇ……はわわ、兵站の危機じゃないですかぁ」
 零の口調はいつも通りにのんびりしたものだったが、やや驚きの色が見えた。ちなみに維持部隊は日本国自衛隊を前身、中核としているが「自衛隊は防衛力ではあっても軍隊でない」と表向きは言い張っており、軍事力といったものを連想させる単語は避けている。代表的なところでは、歩兵でなく普通科隊員、兵器ではなく武器。にも関わらず、陸自においてロジスティックに関しては、兵站という言葉が使用されている(※空自や海自は後方支援もしくはロジスティック)。
 閑話休題。小波が需品科として真面目に仕事をしているのは、島松もまた孤立しているという事情もあるだろう。だが、それ以上に……
「ヘブライの鶏共が裏で何か画策しているって垂れ込みがあったのよね。人手不足だっていうのに」
 書類から面を上げて、小波が力なく笑う。函館方面で新たな最高位最上級超常体が出現しただけでなく、千歳方面では天使の暗躍。小波の裏の顔である北部方面調査隊としても蜂の巣を突いた騒ぎらしい。
「とりあえず真駒内の第18普通科連隊は出動するらしい。俺は特例として無理強いされなかったが。北方普連はどうであろうか?」
 零は北部方面隊のエリート、NAiR(Northern Army infantry Regiment:北部方面普通科連隊)の一員である。三月の問い掛けに、暫く唸りながら考えてから、
「地震の頻度も減ってぇ、霧も薄れてぇ、帯広の状況が好転したとはいえ〜、壊滅一歩寸前でしたからねぇ。北方普連の皆は5月いっぱいまで道東に警戒待機と思いますぅ」
「――場合によっては、5月末から函館か千歳に投入でしょうけどね。酒山の小父様の決断次第ね。キヒヒ」
「……函館か。俺も行こうかと思っていたが」
 ノックもなしに斑に染めた髪の主が入室してくる。第1113中隊第1小隊長の 殻島・暁[からしま・あかつき]准陸尉は室内を見渡して、三月達の姿を確認すると、不敵な笑みを浮かべ――
「で、何の話だ? 『北方普連はどう?』とかから耳にしたんだが」
「鶏共が暗躍しているっていう話。――既に田中の小父様にチクりを入れて、警務隊に動いてもらっているけれども。蛭子のボウヤが向かったわ」
「人が足りないと思ったのは、そういう事か」
 頭を掻くと殻島は頷いた。小波が続ける。
「アタシとしては、暁には蛭子のボウヤの応援に向かって欲しいけれども……函館は人手が足りているらしいし」
「俺としてはシュブ=ニグラス相手にコイツの訓練したかったんだがなぁ」
 殻島は胸ポケットから銀色の鍵を取り出して弄ぶ。小波は眉間に皺を寄せて、ロリータフェイスを台無しにすると、
「確かに“暴食”の力は、異形系相手にちょうど良いけれども……どういった力があるか、知りたい?」
 小波の言葉に、三月も零も唾を飲み込む。キヒヒと笑うと、
「――周囲のエナジーを無差別、無尽蔵に吸収して、自分の力に転換するの。似たような力として、福岡に出現しているセトの〈渇きの風〉があるわね。呪言系と違って接触する必要がないし」
「……敵味方問わずのMAP兵器かよ」
「そうね。下手すると味方も巻き込んで死なせてしまうわ。それに……シュブ=ニグラスは“神話体系”において豊穣神に位置するモノ。幼体といえども暁の許容範囲を超えて、暴走する危険性も秘めているわよ」
「つまり――?」
 思わずの三月の呟きに、小波はキヒヒと笑うと、
「――暁が、大魔王バァルゼブブに乗っ取られるわ。熊本でバァルゼブブは自らの“器”を構築し、顕現しようという動きがあるらしいけれども……暁という“器”に乗り換えないとも限らないわね」
「――質問ですけれどもぉ。“傲慢”はどんな力を?」
 零の質問に、小波は頬を掻いた。一転して真面目な表情になると、
「……七つの大罪には、それぞれの罪に応じた力がある。“暴食”は周囲から無差別にエナジーを吸収。“貪欲”は直に接触した対象から能力を奪う。“嫉妬”は憑魔能力の相生相剋関係を狂わせ、“怠惰”は憑魔能力を完全に封じる。“姦淫”は異なる憑魔能力の同時使用。“憤怒”は憑魔の強制暴走。そして――“傲慢”は力の方向性を支配する」
「……方向性の支配?」
 不思議そうに尋ねる一同に対して、小波は肩をすくめてみせると、
「――らしいわ。アタシも“魔女”に一度だけ遭えた時に、何とか聞き出しただけだから。……とはいえ、この情報を元にして、山口刑務所が改装されたんだけれどもね」
 小波の返事に、だが零は別の点で思い悩み始めていた。力の方向性を支配するというのならば……。
「ありがとうございますぅ。大物主様解放時に懸念していた事が〜やはり重要だと判りましたぁ。詳しくは直接、大物主に確認してみますぅ」
「そ……そうなの? なら良いけれども」
 小波の何とも言えない表情はさておき、今まで押し黙っていた三月が含み笑いを漏らし始めた。
「しかし、いよいよ大物主様の解放か。と、その前にバシンを排除せねば。そう……パチモンは排除しなければナランネ」
「……三月さんがぁ燃えていますぅ〜」
「ドス黒い方向にね。キヒヒ★」

 作戦準備に取り掛かる三月達が去った室内で、小波は書類整理を再開――する前に、
「どうぞ。葵も何か聞きたい事があるんでしょ? 人生相談の教師には向いてないけれどもね」
 小波に許可されて、藤森・葵(ふじもり・あおい)二等陸士は入室した。
「皆さん、お帰りになられたのですね?」
「他の皆には言い辛い事?」
「いいえ、その逆です。私が居たら不味いような気がして……多分、未だ大丈夫だと思いますけど……一応、他の方の行動が私から洩れる可能性を潰した方が良いでしょうから」
 葵の言葉に、小波が口の端を歪めた。
「まぁ配慮は間違ってないわね。で?」
「はい。とりあえず皆様には、魔群が札幌にてパンデモニウムを顕現させる事に注意を喚起してもらって下さい」
 先日に総領事館を訪問した際に、一角公 アムドゥシアス[――]から告げられた、魔群はパンデモニウムの顕現を意図している事を伝える。
「魔群がパンデモニウムを札幌の何処に顕現するのか解りませんので、引き続き、その点を探りたいと思います……藪蛇にならないとも限りませんが、その際にはお手数をお掛けするかも知れません」
「んー。解ったわ。キヒヒ★」
「それと……小波様にも確認したい事が。――札幌全域で、大物主様以外で封印されていると思しき日本神群が居らっしゃるかどうかを」
「札幌で、北海道神宮以外は判らないわね。旭川にサマイクルというアイヌのカムイが封じられていたらしいけれども」
 可愛らしい顔を歪ませて、小波は溜め息を吐く。
「……維持部隊の闇である『落日』機関といえども、ましてや方面調査隊といえども、アタシが知っている事なんて実際は大したものじゃないのよね。でも、それが懸念事項なのね?」
「はい。――要は、大物主様以外が封じられている地点もパワースポットである可能性が高いので、米軍の支配地域の場合、そこに地獄門を開く可能性があるかと。なければ――総領事館そのものが地獄門の開く地点になりうると考えます。例えば……溜まりに溜まった地脈のエナジーを領事館にまで引き寄せて一気に開くのでは?と思いましたので」
「成る程ね。でも、北海道神宮以外でアタシが把握しているところなんてないし。千歳の方で天使共が暗躍している以上は、あちらに何かが隠されている可能性もあるけれどもね。……でも、しかし、あれれ? ……あー、そうか。零の質問の意図はそれか」
 何か思い至ったのだろう。小波が葵に向かってキヒヒと笑う。
「今の話は、よく皆に言い聞かせておくわ。――ありがとう。御蔭で、ルークの狙いを潰せるかも知れないわよ?」

*        *        *

 千歳航空基地の一角に鉄条網のバリケードを張り、最終防衛線を構築する。札幌より送られてくる支援物資に、第18普通科連隊から出向してきた増員を得た第7師団は、押し寄せてくる魔群を迎え撃つ。
「航空優勢が此方にある、というだけでも随分違うものだが、それでも地上は魔群に席巻されるとな」
 卓上に広げられた戦域図を睨みながら、久保川陸将が悪態を吐く。会議の天幕には、維持部隊の者だけでなく、キャンプ千歳――USSOCOM(United States Special Operations COMmand:亜米利加特殊作戦軍)の関係者も顔を出していた。真剣な表情で情報や意見を交わす。だが不思議な事に第1特殊作戦部隊分遣隊――通称『デルタ』の第2作戦中隊長である アルバート・リヒター[―・―]大尉の姿は見受けられなかった。米軍によれば既に前線に赴いて、デルタの指揮を執っているという話だが……。
( ……それにしても、作戦会議にも顔を出さないとは腑に落ちませんね )
 蔭から会議の様子を窺っていた、蛭子・心太(えびす・しんた)二等陸士が目を細める。しかし将校1人不在でも会議は進められ、決断が出される。
「――ナパームや、クラスターの投下も許可する。最早、焦土作戦も辞さない覚悟でやるしかないな」
 維持部隊の目的である超常体の戦力調整を図るどころではない。勢力図を拡大する魔群相手に総力で立ち向かう必要があった。
 ――我らここに励みて国やすらかなり。
 駐屯している東千歳に立てられたポールに書かれた文言だ。久保川陸将の言葉に、要請を受けた第2航空団長(空将補)が首肯した。
「……問題はクラスターやナパームを使用しても、魔王級戦車を阻むに足りないという事だが」
 歯噛みする一同。リザドマンを主兵力とし、数で押してくる魔群だが、ビーストデモンやフレイムドレイクも在るとはいえ、通常、ここまで戦況が追い詰められる事はない。偏に魔王級戦車と呼ばれる、異形系高位上級超常体と、率いる異形装甲車輌の部隊が問題の要だ。異形装甲車輌は第11普通科連隊をはじめとする第7師団の猛者で以ってすれば、容易ではなくとも討ち果たす事は可能だ。この戦場で、普段は冷遇されている戦車連隊が息を吹き返したのも皮肉な話であろう。だが魔王級異形戦車は1輌だけで、第7師団を蹂躙する、まさに怪物だ。直撃は避けたのだろうが、大量の誘導噴進弾の雨を浴びても、大破にも至らない。強固にして重厚な装甲に加えて、異形系ゆえの尋常ならざる回復力。さらには装軌である以上に、地形に応じて多腕多脚を駆使する踏破能力。そして体内生成したミサイルや砲弾で、こちらの護りを葬り去る。
「――まさに魔王を冠するに相応しいという訳だ。極至近距離か、図体に張り付いての特攻しか手段は無いのではないか?」
 誰かが呟いた言葉に、皆の視線が部屋の隅に追い遣られて、拘束されている男――第07特務小隊(※零漆特務)隊長、鈴元・和信[すずもと・かずのぶ]准陸尉へと視線が集まる。懲罰部隊は、性格上、使い捨ての駒とされるのは珍しくない。鼻を鳴らすと、久保川陸将が死刑執行書にサインした。
「……鈴元、死んでこい」
「――いいでしょう。魔王を誅殺する報酬として、面倒なヒトの世から解放されるというのでしたならば、光栄でございますね」
 慇懃ながらも人を喰ったような口調が鈴元から発せられる。舌打ちする久保川陸将だが、
「……私もソレに同行し魔王に肉薄攻撃を仕掛けたいと思います」
 挙手する声に視線が集まった。鈴元に対するものと違って、純粋に驚きの色。第7師団第11普通科連隊・第7013班甲組長である 斉藤・明海(さいとう・あけみ)陸士長は苦笑を隠すのに苦労した。
「……貴重な戦力を失いなくないものだがな」
「最前線に配置されたからといって、素直に鈴元准尉達が特攻を仕掛けるとも限らないでしょう。戦場という無法地帯に解放された彼等が脱柵を図らないとも限りません」
「成る程。督戦の必要もあるな」
 命惜しさに戦線放棄しても存えるのは、その場限り限り。それでも脱走する者は少なからず居る。ましてや零漆特務を構成するのは重罪者。頭である鈴元怖さがあっても、逃げ出さないとは限らない。勿論、鈴元自身が逃げを選ばないとも……。
「認可しよう。宜しく頼む。……何ならば零漆特務もついでに魔王諸共葬ってくれると助かるが」
 久保川陸将の笑えない冗談に、それでも明海は首肯した。魔王級戦車に零漆特務をぶつけられるように誘導の手配も忘れない。一段落したところで、第2航空団第201飛行隊・第2013組長の 山田・映姫(やまだ・えいき)准空尉が挙手した。
「……魔群のここまでの攻勢にも関わらず、沈黙していると同義の天使側勢力にも偵察を敢行したいのですが。何処に潜んでいるか判りませんから、燻り出す為にも、こちらにも“面”での爆撃の許可を」
「――現在、天使共が何処に潜んでいるかは不明だが、魔群の攻勢を受けて、もしかして勢力としては消滅している可能性はないか? 奴等は不倶戴天の仇敵同士という報告を受けている」
 隔離以来、目撃されてきた情報からの帰結。第2航空団長の問い質しに、答に窮して英姫が眉間に皺を寄せる。しかし、
「その可能性もないは限りませんが……」
「ああ。札幌の方面調査隊からの報告にも、天使側が劣勢に見せ掛けて、裏で暗躍している惧れを示唆している。山田准尉の心配も無理はない」
 助け舟を出したのは久保川陸将。英姫に頷くと、
「――魔群同様にナパームやクラスターの使用を許可する。……これで炙り出てくると嬉しい反面、困る気もする。正直、魔王級戦車だけでも重荷というのに」
 方面調査隊からの報告書の束を叩くと、久保川陸将が溜め息を吐いた。それは初めて見せる、彼女の弱音の吐露だったのかも知れない……。

 会議が一旦閉幕し、各部隊の長や隊員達は魔群の攻勢を抑えるべく、前線に戻る。キャンプ千歳の米軍も例外でなく、厳戒態勢の中で戦闘を前にした興奮と高揚に満ち溢れていた。様子を横目にして足を進める。
「……で、どうだったの?」
 戻ってきた蛭子に、高機動車『疾風』の調子を見ていた 淡島・蛍[あわしま・ほたる]二等陸士が振り向きもせずに問い掛けてきた。
「ちゃんと、自分の意見を上申してきましたよ。『強大な魔王戦車を相手どるには、両部隊の機甲科による密な連携と火力をもってすべきだ。日米連携が鍵だ』って。意見は上がりましたが、とりあえず零漆特務と引き換えにして行くみたいです」
 千歳方面の救援要請に、第18師団は空輸による物資と人員増加と、北面からの挟撃で動き始めている。師団との連絡役という事で出向してきた蛍。そして苦境だからこそ隊の引き締めを図る必要性があるという事で、札幌の警務隊本部の命で赴いた蛭子。だが両者の目に映っているのは当面の敵――魔群でも綱紀違反者でもない。
「――気を付けてよ。“女王様”の話では、相手は最高位最上級の超常体だそうだから」
「……私は荒事を好みませんよ」
 蛍に対して蛭子は肩を落して返す。それから00式化学防護衣に包まれた身で目的地へと足を向けた。

*        *        *

 右手に持つ憑魔武装のコンバットナイフ『地竜くん』で土を掘り崩し、左手の円ぴで掻き分けていく。
「……掘って〜崩して〜掻き分けて〜♪ 固めたら〜また掘って〜♪ 大物主様の為ならばぁエンヤコォェラァですぅ♪」
 度重なる侵入と騒ぎに業を煮やした駐日米国陸軍は、北海道神宮の警戒レベルを最高度まで引き上げていた。地上では猫の子一匹通さぬ厳戒態勢が布かれている。封印を直接護るMr.シャドーこと、七十二柱の魔界王侯貴族が1柱、蒼白公 バシン[――]の注意を引き付けるべく、陽動役を買って出ている三月も相当苦労しているだろう。円山に仕掛けを施し、バシンを誘い込むとか何とか……。
「……キャラ被っているとかいないとかぁ。大変ですねぇ、三月三曹も」
 果たしてバシンが三月の挑戦状に応じたかどうかは判らない。零はただ神宮拝殿を目指した。地下における距離と方向感覚の狂いは、磁針を頼む以上に、手の甲に浮かび上がった蛇の刺青で補正する。表皮の上で蠢くように感じる強い氣が、目的地に辿り着いた事を教えてくれた。
「……地竜くん、ふるぱわぁ〜」
 のんびりとした口調ながらも、刃を用意していた輸血パックに突き刺す。手品のように刀身へと吸い込まれ、消える紅い液体。寄生していた憑魔核が歓喜に震え、零の与えた方向に従い、力を解放する。深い地の底から唸りを上げて、地竜くんを先鋒に零が跳び上がった。勢いに土砂が舞い上がり、拝殿内での視界を更に悪化させる。だが、零の研ぎ澄まされた感覚器官は、大物主とは違う氣に反応。半身異化により増した反応速度により、振り下ろされてきた刀身を辛うじて受け止める。震える地竜くんの刃と噛み合っても、砕けぬ刀身には確かに練り込まれた氣が絡み付いていた。
「――バシン……いやMr.シャドーさん。本官の知り合いが招待状を送ったそうですがぁ、行かなかったんですねぇ?」
「――確かに果たし状を受け取ったでござるが」
 押し込むように力を込めてくるバシン。零は片膝を曲げるという僅かな動作で力を流すと、半円を描くようにして小柄な身体をバシンの内に入る。そのまま相手の膂力と流れを利用し、肩を支点にした投げ。だがバシンは宙で回転すると、着地する瞬間を狙う零の追い討ちを無にする。拝殿内という密閉空間ながらも充分に間合いを測って距離をとる、零とバシン。忍!と右手で刀印を組むと、バシンは手裏剣と化した氣を連投。押され気味ながらも零は地竜くんを振るって、致命傷を避ける。感心の溜め息1つ打つと、バシンの身体が陽炎のように揺らめいた。零の目に映っていながらも、バシンの氣が拝殿の闇に溶け込んでいくに従って姿が掻き消えるかのよう。
「――確かに、果たし状を、受け取ったで、ござるが……」
 身構える零の耳に、声だけが響いた。

 ――同時刻。円山某所。
「……来ない」
 充分過ぎる程の仕掛けを施し、待ち構える三月だったが、果たし状を送った相手は姿を現さず。焦燥感のみ募る。
「――臆したか、バシン! いや、Mr.シャドー! 最初に話を聞いた時から思っていた。貴殿、キャラ被っているんだ。これ以上、俺の影薄くするなよ、頼むから……」
 だが怒声も、生い茂った樹木の陰に吸い込まれていく。代わりに遠く総領事館の方角から、殻島の部隊が派手に起こした騒ぎが響いていた。
「忍術っていうのは種があってこそ……憑魔能力を直接用いて忍術とは……邪道なんだよ……」
 奥歯を噛み締める三月の怨念じみた呟きは、だが部下達以外に聞く者はいなかった……。

 氣を消して、拝殿内部の闇に溶け込んだバシン。
「――ニィンジャーの道は険しいでござる。そして主君の務めを果たすがニンドォなり。某が主君より賜った務めは、このテンプルの封印を死守する事なれば、如何に罵られようとも、易々と果たし状へと応じる訳にもいかないでござる……」
 口惜しそうな声ながらも、零は意味するところを理解して驚愕。
「……うわぁ。やっている格好はぁ邪道ですけれどもぉ、言っている事は正道ですぅ!」
 さておき。前回に石棺(コンクリート)という殻を脱ぎ捨てた鉛の塊から、抑え切れない程の大物主の氣が拝殿内部を埋め尽くす。本来は敵性ながらも同調してみせたバシンの操氣能力の高さに舌を巻くが、だからといって、
「……最早、逃げる訳にはいかないのですぅ」
 肌を刺すような殺氣に、零は考えるより先に回避行動に移る。斬撃が戦闘服を刻むが、最新鋭の3do防護スーツは衝撃を受けて瞬時に硬化。対刃ではないが、それなりに負傷を軽減させてくれる。同時に零自身も体捌きでもって威力を逃がす。
( ……思った通りですぅ。バシンは操氣系能力者。強化系ならば今の一太刀で胴が真っ二つでしたぁ )
 また〈消氣〉と〈錬氣〉は同時に操れない。氣の込められていない刀身ならば。
「――我流柔術ですぅ。……柔よく剛を制す。敵は我なり。我は敵なり。肉を斬られてぇ……」
 闇から繰り出される不可識の刃。だが覚悟を決めた零は己を殺す。心を殺す。氣は消せれども、刃そのものを隠せはせず。ましてや氣を纏わせていないのであれば、
「――骨を断つですぅ!」
 紙一重の差で致命傷を避けると、地竜くんで敵の刃と合わす。振動によりバシンが手にしていた忍者刀は分子結合を解かれ、塵となって散じる。驚きによる氣の乱れ。零は滑るように懐へと潜り込む。致命傷は避けたが、それでも傷は深く、血が舞い飛ぶ。零は噴出す己の血を地竜くんに浴びせると、バシンの正中線へと叩き込んだ。肉が。血が。骨が。粉砕されて塵と変わる。舞い散り、砂となって、バシンだったものは崩れ落ちた。
「……まだ仕事は残っていますぅ」
 致命傷は避けたとはいえ、出血が多い。遠くなりそうな意識を懸命に繋ぎ止めながら、零は鉛の塊へと地竜くんを突き刺した。現れたのは朱塗りの矢。零の血塗れの手が掴むと、矢は蛇に変じて、膨大な氣が放たれた……。

 気が付くと、負傷していた箇所が塞がっていた。
「……無自覚に解放しちゃったんですねぇ。解放する前に幾つかお話しておきたかったんですがぁ」
「――力の全てを解放した訳ではない。先ずは汝の手当てが肝心と思うた」
 抱えられている事にも気付く。面を上げれば、端正な顔立ちの美丈夫。大物主は魅了するような微笑みを浮かべる。
「あ〜。えぇと……。そう! 宇津保准尉の話によると、フェラー大統領補佐官がぁ」
「フェラー? ……うむ。弥生の刻より感じてきた巨大な存在であるな。それが?」
「えぇと……札幌の地に旗を立てようとしているみたいなんですぅ。その方法が淀んだ地脈を利用する可能性があったり、大物主の解放に絡んで行われたりする可能性があるのですがぁ」
「……確かに霊脈の流れに澱みを感じる。フェラーという巨大な存在に重なるように、“溜り”があるな」
「……そうなんですかぁ? でしたらぁ〜、大物主様が力を振るったらぁ」
「刺激を受けて、何らかの儀式が完遂しないとも限らない。汝の言う通りに、それが旗を立てる切っ掛けになるやも知れん」
 大物主の言葉に唾を飲み込む。フェラー補佐官が余裕を見せているという話は、そういう企みがあったからだろうか。少なくとも単純に祇の力を行使しなくて良かったと思う。
「……では、その上で、不敬な輩にどれだけ天罰を加えるかを決めていただければと思いますがぁ」
「この社を囲む輩を鏖殺する等、赤子の手をひねるよりも簡単であるが……汝としてはどうしたい?」
 逆に問い返された。大物主は続ける。
「――蛇巫である汝の望むままに我は力を振るおう。巨大な存在は我が全力を以っても勝て得るかどうかは判らぬが、我が怨みはこの乾いた大きな地を満たすであろう」
 身近で見上げた大物主の顔立ち。縦長の瞳孔は、まさしく蛇眼だ。普段は殺しているはずの感情が、生き返ったかのように零の心を掻き乱す。
「……とりあえずぅ〜保留でぇ」
「合い解った。――だが我が解放された事で、力が拡散しつつある。霊脈の乱れもあり、怨みによる鏖殺出来る程の力は、半月も足らずして掻き消えるやも知れぬ。我に力を振るわせるのであれば、承知するが良かろう」
 つまり駐日米軍兵士の生殺与奪権は、零の手に。

*        *        *

 何だかんだと言いつつ、国家安全保障問題担当大統領補佐官の ルーク・フェラー[―・―]氏は顔を出してくる。しかしながらも葵がアムドゥシアスに楽しくヴァイオリンの手解きを受けていたり、休憩時の軽い雑談をしていたりする時には、姿を現さないのが小憎たらしい。話題が途切れ、2人きりで気まずい空気が流れた時に、ノックの音で姿を現す。
「……1度ならず2度も、盗聴器や監視カメラを疑いましたけれども」
「猊下はそのような野暮な事はなされませんよ。とはいえ疑われても仕方ないぐらいの絶妙なタイミングで顔を出されますね」
 思わず、ぼやいた葵に、アムドゥシアスは苦笑しながら応える。実際に、アムドゥシアスの立会う前で、また居ない時にも、徹底的に室内を捜索したものだった。
 さておき。北海道神宮に封じられていた大物主が解放された時間帯も、折良くフェラーは顔を出していた。総領事館の外でも殻島率いる第1113中隊第1小隊と警備兵との間で銃撃戦が交わされており、葵としては気が気ではなかったのだが、フェラーは寛いだ様子のまま、黙ってアムドゥシアスと葵の演奏を鑑賞。だが一瞬だけ美麗な眉が僅かに動き、歓心とも悲嘆とも取れるような複雑な溜め息を漏らした。
「……何とも狙い通りにはいかないものだな」
「――猊下?」
 演奏を止めて、アムドゥシアスが怪訝に問い質す。フェラーは微笑を浮かべると、
「ああ、済まない。――先程、シャドーが倒されて北海道神宮に封じられていた神……大物主殿が解放された。シャドーは面白い男だったのに、寂しくなるな」
「――!? しかし伝え聞いている程の違和感はありませんが」
 同僚の不幸に気が動転しながらも、いぶかしむアムドゥシアスの言葉。封じられていた日本の神々が解放の際に荒ぶる力を振るうという話は、葵も聞いた事がある。あるが故に、小波にも問い質したのだ。しかし解放されても尚、力が振るわれないという事は……?
「――大物主殿の力を律する役がいたようだ。しかし彼女は己が引き鉄に指を掛けていた事の自覚がなかったらしいな。力は大物主殿のものなれども、我等を殺めんと欲するは蛇巫の意思」
 君の入れ知恵かね? 確認するかのように葵へと視線を移す。見詰められて、思わず咽喉を鳴らした。
「……しかし、そうとなれば、私が見せ餌になっている必要は無いな。……エミー。悪いが、出立の支度を始めてくれ。パウラにも引き払う準備をさせる」
「出立、引き払うって?」
 葵が問い質すと、フェラーは片目を瞑って小洒落にウィンク。
「――この総領事館を放棄する。来月半ばには、私とエミー、そしてパウラは……キャンプ座間か、横須賀か、横田だな。どれがいい?」
 尋ねながらも、フェラーは指を折って数えながら、
「キエンギに相当せし――伊勢を陥落させるには、座間や横田では遠過ぎるな。やはり横須賀に移って、キティホークから指揮を執るとするか(※註2)」
「北海道神宮や在札幌総領事館の警備兵はどうされるのです?」
「キャンプ千歳に移す。そろそろ“父”を妄信するモノ共が動き始めるだろう。ボブ達からの連絡は?」
「無いようです。敵の術策にはまっている可能性も」
 唇を噛み締めるアムドゥシアス。ボブ――恐らくは別行動中の魔王が人として名乗っているモノなのだろう――達の安否を気遣う色が滲み出ていた。
「――そうか。ならば、もうすぐ残念ながら、燭台の灯が点され、光の柱が立つだろう。天獄の門が開かれる。少しでも兵を送って、千歳の自衛隊に協力させるのも悪くない」
 そこで言葉を切ると、フェラーは葵に微笑んだ。
「……という事だ。小波に伝えておいてくれ。私を狙うならば時間の猶予は無いと」
 立ち上がり掛けるフェラー。だが葵は別の事を切り出して止めた。
「小波様に、ですか。……そういえば先日に小波様が、全ての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロンと仰いましたね?」
「ああ、間違いない。真実、そうだからな」
「でも……本当だとして、それがどうしたんですか? 私達の神を貶め、この地獄に放り込まれた同胞らに味方する者が居るのなら、悪魔と呼ばれ貶められた存在であろうが――それは私達の同胞です。そんな事よりも、こんな状況に追い込んだ貴方達への憎悪の方が、今の日本人には多いのですよ?」
 葵の言葉は淡々として、表情は冷たいものとなっていた。フェラーは微笑を崩さずに、続きを促す。フェラーの態度に、葵は自虐的な笑みが込み上げてきた。
「……尤も、私自身は……どうなんでしょうね……」
 思わずの吐露。アムドゥシアス達を見詰めながら、
「もう、お二人も御存知だと思いますが……私は調査部に物心付いた時から在籍していました。母も調査部に在籍し、すすきので人的諜報を行っていた関係で、そのまま横滑りで引き抜かれました。後は経歴を見て頂くと解ると思います。皆様が見たら顔が真っ青になるんではないでしょうかね」
 返答は無い。アムドゥシアスは狼狽し、唇を噛み締めているものの、フェラーの表情は変わらない。何かが葵を苛立たせた。
「仮に今後大規模な戦いが勃発したとして、私の立場と言うのは変われる訳がないでしょうね。むしろ、私たちの様な人間は必要悪として狂い猛る者達を慰撫する為に使うんでしょうね。……それが一番手っ取り早いですから」
 そして虚ろに微笑みながらも、葵は視線で鋭く睨み付けた。苛立ちにも似たドス黒いものが瞳の奥で渦巻いている。
「――猊下のところはどうなんでしょうか?」
 だがフェラーは涼風を浴びるかのように、微笑を絶やさず、
「――君だけが不幸の渦中にあるような物言いだね? それもまた“傲慢”というもの。君を縛るもの、それは、君自身だ。『求めよ、然らば開かれん』。“父”がナザレの男を通じて伝えた言葉だったと思う。違ったかな? まぁ、違ったとしても、そういう事だ。エミーも自ら求め、そして手を差し伸ばした。そして、ここにいる」
 フェラーは深い瞳を覗かせた。
「――望むのは、君だ。歩むのも、君だ。私は君が変じる事を強いらせはしない。だが苦難の道が君の前にあると言うのならば、そして君が君自身の意思で進もうとするのならば――手を引こう。背を押そう。だが助けではない。共に歩むモノとして……」
 吸い込まれるような美しい色彩。誰もが危険視し、しかし、それでも魅了されるモノ。智慧の蛇。明けの明星。光を帯びた者。
「――盟友としての、支えだ」

*        *        *

 南北に流れる大野川に沿って、山岳地域に入る。美鈴が主操縦手として駆るMH-47Gは輸送回転翼機CH-47チヌークの派生型であり、液晶コックピットを採用してローターを改装した近代化改修のF型に燃料タンク倍増、FLIR(Foward Looking Infra Red:前方赤外線監視装置)追加、航法装置改良、装甲追加、空中給油用プローブ追加等を施した最新モデルだ。特殊作戦を用途しており、多少の悪天候においても強襲を可能にする。渡島半島で荒れ狂う吹雪の中を、しかし美鈴は慣れた手付きで危なげなく渡り切ってみせた。
「――機長。そろそろ目的物の座標に」
 計器を睨んでいた航空機関士の言葉に、美鈴は目を凝らす。眼下に広がるのは、かつて農業用水を供給していた上磯ダム湖跡。5月も半ばというのに凍て付いた湖面は、それ自体が怪物のようにざわめいていた。かつて沿岸に屋外ステージやキャンプ場等が整備されていた公園は、ビヤーキーやモスマンといった超常体の営巣地となっていた。
「……石碑を確認。敵に気付かれました!」
「戦闘準備。――これより石碑にアタックを敢行後、北北西に針路を取ります」
 静かに、だが厳かに美鈴は声を発する。部下達が両舷のガンポートに張り付き、M134ミニガンやM240D機関銃を構える。美鈴は謳うように詩を唱えた。
「――天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ」
 MH-47Gを迎え撃つべく上がってくるビヤーキーやモスマンに容赦なく7.62mmNATOを浴びせていく。そして目標の黒い石碑を横目に置くと、
「――エィメン」
 祈りの言葉と共に、ミニガンが石碑へと集中砲火。磨かれた黒曜石の表面は、無残に銃弾で掻き削られていく。亀裂が走り、そして轟の音を発して石碑は折れ砕けた。割れた欠片が地上に降り注ぐ光景に、だが美鈴は何の感慨も浮かべずに、機首を北北西に向ける。
「目標の破壊を確認。なお豊浜トンネルで目撃された超常体の姿はなし。これより帰投します。……家路に付く間も神の御加護があらん事を」

 同時間帯――旧・厚沢部(あっさぶ)町域。地名の由来はアイヌ語であるものの、具体的には諸説ある。だが面積の約8割を山林に覆われている事や、かつて松前藩が所領としてヒノキを伐採する為に山を開いた事から、「アッ・サム(楡皮・のそば)」という意が頷けるものだろう。そして超常体の出現以来、ヒノキのみならず怪しげな樹木もまた生い茂っている山中を、前進観測班と護衛の部隊が89式装甲戦闘車ライトタイガーを中心にして、警戒しながら慎重に目標物へ接近を図っていた。
『――報告。ビヤーキー並びにモスマンとの遭遇回数が増大。間違いなく目標物に近付いています』
「――了解ですわ。くれぐれも慎重に」
 ライトタイガーの車長を兼ねた前進観測班長と護衛へと、うどんは念を押す。北海道大演習場で大切な部下を失ってしまった苦い経験があった。心得た班長が了承の返事を送ってくる。うどんは思わず安堵の息を漏らし掛けたが、寸前に我に帰って気を引き締めた。旧・厚沢部町域にあるとはいえ、黒い石碑は旧・上ノ国町域の八幡岳に近い山奥だ。ライトタイガーであれば、ビヤーキー程度の鉤爪等は恐れるに足りないが、3mを越す全幅は山林では小回りが利き難い。
「それでも……可愛い部下を失う訳にはいけませんもの。石碑1つに大げさな、部隊の一部だけで十分だと思いますけどね。命令でもありますし、致し方ありませんわね」
 そう納得する事で、うどんは己の心を慰める。そして、ついに目標物発見と交戦の報告が入った。96マルチが唸りを上げて、コンテナを起こす。
「――第1弾、続いて第2、第3、射ちなさい!」
 うどんの号令を受けて発射された対戦車ミサイルは、光ファイバーを通じて情報処理と射撃指揮の装置から誘導される。
「前進観測班は着弾を見届けた後、即座に撤退。豊浜トンネルで目撃された超常体に気を付けなさい!」
 赤外線画像に映し出されるビヤーキーやモスマンといった小物には目もくれずに、ミサイルは石碑へと殺到する。そして降り注いで、爆発していった。
『目標物の破壊を確認! これより撤退します』
『――ビヤーキー、モスマンの他に、好戦的な超常体の姿はなし』
 矢継ぎ早に寄せられてくる報告に、うどんはようやく笑みを浮かべるのだった。

 ブラックホークが、旧・木古内町域とを隔てる渡島山地の奥深くへと羽ばたく。2つの地域で黒い石碑を破壊していく中、旧・上ノ国町域においても作戦が行われていた。
 チヌークと違ってブラックホークは外部搭載支援システムを裝着する事により追加される左右2箇所ずつのハードポイントに、ランチャーやロケット弾ポット等の追加出来る。万一の際、芦屋は降下してMK48 Mod0で石碑を破壊する覚悟があったが、やはりヘリからの火力に優る物は無い。
「――少年。そろそろ目標だ。敵の出迎えに対する準備をしておいてくれ」
「うん、解った」
 操縦士の言葉に、芦屋は頷くと目を見張って石碑のある方角を睨み付けた。ビヤーキーとモスマンの群れがブラックホークを墜とそうと飛んでくる。だが石碑の前に、低位超常体とは別の影を芦屋は捉えていた。
「――アレは?!」
「どうやら、アタリを引いてしまったようだな……」
 操縦士のぼやきに、芦屋はMK48 Mod0ではなくXM109ペイロードライフルを構え直した。低位超常体と石碑の間に控えているのは、宙空に浮かぶ肉塊。目と口が開いたり閉じたりしている体は、蒸気と固形物で構成されている。泡立ちながらも形成と溶解を繰り返す体から、唾液と体液が滴り落ちていた。無数の触手が踊り狂う。キャビンの中が異様で恐ろしい吠え声と腐った臭いによって侵されていくようだった。
「来るぞ!」
 操縦士の怒声にも似た叫びに、芦屋は我に帰るとM109で発砲! マズルブレーキが反動を緩和し、小柄な体躯という見掛けによらず、憑魔活性化状態の芦屋はXM109を完全に押さえ込む。放たれた25mmHEAT弾は射線上のビヤーキー等を巻き込みながら、肉塊に命中する。着弾した部位が爆発する肉塊だが、墜落する事無く、触手を吐き出した。急速の高機動で慌てて避けるブラックホーク。取り付こうとするビヤーキーの群れに対しては、芦屋の相棒たる観測手が引き受けてくれている。
「異形系のようだけれども、再生はしないみたいだ」
「恐らくは空中浮遊に能力を費やしているからじゃないか? 畳んじまえ!」
 言われるまでもなく芦屋は連射。再生をせずとも、肉塊の耐久力は高いようだ。25mmという大口径弾を喰らっても簡単に揺るぎはしない。低位超常体の群れが脆くても壁の役割を果たしているからかも知れなかったが。それでも弾倉を交換し、予備をも撃ち込み、銃身が過熱し始めたところで、ようやく肉塊の高度が下がっていった。
「――どうする? 止めを差すか?」
「目標の破壊を優先させるよ!」
 問い掛けに、芦屋の即答。操縦士は芦屋の返事に、余り上手とは言えない口笛を吹くと、搭載していた4連装ランチャーよりAGM-114ヘルファイア対戦車ミサイルを発射した。ヘルファイアは石碑へと違わずに命中すると完膚なきまで破壊し尽くす。石碑を破壊された事でモスマンやビヤーキーは奇声を上げながら、何処かへと逃げ散った。
「――肉塊は?」
「……上がってこないところを見ると、倒せたのか、それとも逃げたのか」
 他の作戦も成功しているのならば、残る黒い石碑は2つ。
「ツァールとロイガーは双児の卑猥なるモノ……次は死に物狂いで来るかもしれない」
「その前に、函館の方が解決していれば問題無いだろうけどな」
 何気ない言葉。だが……期待は裏切られる。函館航空基地に連絡を入れた操縦士が顔色を変えた……。

*        *        *

 ――時は暫し遡る。
 岩部は時刻を確認。石碑破壊に向かった3チームと歩調を合わせる事で、また何らかの影響があるかも知れない。そして影響があれば、そこに突け込んで首を狙えるかも知れない。悪天候だけの所為ではないのだろうが、通信状況が余り芳しくない事を考えればおおよその予定でも充分だ。
「……偵察部隊が第1目標の調査より帰還。目標内部に人がいた痕跡はあるものの、現在、姿を見せず」
 第1目標――函館ハリストス正教会。東日本主教区に所属し、かつ日本伝道の最初期から残る教会。先行した 工藤・明彦[くどう・あきひこ]一等陸士達が周辺を偵察したものの、既に引き払われていたのか、もぬけの殻だった。但し教会に相応しくない物である弾薬や武器、そして保存食や衣服、医療品等が残されていた事から、MIB達が拠点としていたのは間違いない。問題は彼等が何処へ移動したかだ。
「……壬生のかな? 血の付いた男物を発見」
 由加里の報告を受けて、岩部は眉間に皺を刻むと、
「サンプルとして確保。だが完全侵蝕された魔人の物だ。直に接触はするな。いざという時は焼却処分もやむを得まい」
 壬生自身は強化系魔人であったが、疑いのあるハストゥールは異形系をも有する、最高位最上級の超常体らしい。血痕1つ、体液1滴ですらも油断出来ない。
「――奥里士長。どう思う?」
『……操氣系ではないので、何とも言えないッスが。こちらは展望台まで登ってみるっス』
 佐伯と共に行動している奥里から、何とも頼りの無い答が返ってくる。
「待ってよ。根拠は?」
 作戦計画の立案と調整を任せられている由加里がくちばしを挟む。代わりに応えたのは佐伯。
『……方位磁針という訳では無いのですが、僕のパルチザンが函館山から“何か”を感知していて』
「天野にも連絡。罠の可能性もあるが、見過ごす訳にも行かないだろう」
 見過ごすといえば、函館南部に入って以来、MIBやビヤーキーの姿を目撃していない。敵を視界内に収めていない事に不安が募る。
『……県道675線から外れ、展望台まで斜面を突っ切るッス』
「奥里士長。独断先行せずに、工藤達と合流して。互いにカバーし合いながら目標を探ってよ」
 由加里の注文に、奥里は逆らわずに了解の返事。青森から無理な異動をさせられてきただけあって、指示には素直に従う性格のようだ。
「……アレでも、一応は魔王なんですよね」
 通信の遣り取りを伺っていた桜子が苦笑。
「確かに。札幌からの連絡や、憑魔の活性化がなければ、宿舎で擦れ違っても、そうとは気付かないな」
 逆に言えば、そういう完全侵蝕魔人が維持部隊に浸透している危険性を示唆している。人類側に敵対するか友好するかに関わらず、空恐ろしい事だ。
『……天野より報告。奥里士長と合流した工藤達の偵察を待って、侵入の配置に就く』

 ……果たして、佐伯が手にしていた操氣系憑魔武装が指し示していた函館山には、超常体の群れが巣くっている事が確認された。教会から離れた神父姿の黒人が展望台から函館を眺めている様子が、双眼鏡に映し出されている。黒眼鏡、黒の法衣をまとった禿頭。
「札幌からの情報に上がっていたナイ神父に相違無い。――“這い寄る混沌”の化身!」
 双眼鏡の先。ナイ[――]神父は此方を振り向くと笑みを形作った。隠れ潜んでいるはずの天野達と視線が合った。展望台を包囲するように配置に就いているはずの全員が、同時にナイ神父の笑顔と向き合ったという奇妙な事象。ナイ神父が高らかに宣戦するより早く、岩部の号令一下で大火力を展望台へと叩き込んだ。
「――殺ったか?!」
「まだですわ。――来ます!」
 叩き込んだ火力により、崩壊した壁や出入り口から跳び出してくる超常体の群れ。だが見慣れたMIBやビヤーキーの姿ではなく、代わって現れたのは2足歩行の人型超常体。ゴムのように弾力のある皮膚と、狗に似た容貌。グールや食屍鬼と称される低位超常体が襲い掛かってくる。叩き込んだ大火力と銃弾を浴びて、無惨な傷を負いながらも、血走った眼は恐れを知らず、ただ飢餓感を満たそうとするのみ。岩部は態勢を立て直す隙も与えずに掃討に掛かるが、グールに伝播している狂気は止まらない。
 埒が明かぬ状況に、由加里が発砲と突入の指示を送る。待ち構えられていたからには罠に違いないが、
「だが仰天作戦は罠すら食い破るよ!」
「「「――愛車の名を、作戦に付けるな!!!」」」
 ツッコミを入れながらも、展望台を強襲する一同。
「――佳子、当ててよ!」
「無茶言わないでよ。狙撃なんて無理だってば」
 由加里の非難じみた叫びに、遠方からM24対人狙撃銃を慣れぬ手付きで構える 加藤・佳子[かとう・かこ]一等陸士が反論。観測手として 鈴木・まゆみ[すずき・―]一等陸士が支援に回っているものの、命中率はお話にならない。誤って味方に当らないようにとするのが精一杯。それでも長距離からの支援射撃はありがたい。上空にはナイ神父が呼び出したのか、有翼の巨大なクサリヘビ――ハンティング・ホラーが舞い踊っている。奇妙な、螺旋形の非ユークリッド的な線を描く様は悪夢に他ならないが、
「……図体がでかい分、此方を相手にするのが楽だよね!」
 佳子は攻撃対象を、グールからハンティング・ホラーに変更すると、当たるが幸いに乱射した。7.62mmでは豆鉄砲もいいところだが、
「――由加里の病気の結晶、借りるよ!」
「病気の結晶って言うな!」
 由加里の抗議の声を無視して、佳子は91式携帯地対空誘導弾ハンドアローを担ぐと、まゆみに支えられてハンティング・ホラーへと砲口を向けた。
「見よ、仰天号の砲手は健在なり!」
 気合発破。発射後に前部の小型可動翼4枚が展開さして姿勢制御を行うと、誘導に従ってミサイルはハンティング・ホラーへと命中する。
「――このまま展望台を征圧。狙うは大将首!」
 岩部の怒声に、応と答えて第7011班は、ナイ神父への道程を邪魔するグール達を撃ち払う。84mm無反動砲カール・グスタフを構えると、由加里は厚い敵の壁を吹き飛ばした。
「――奥里士長! 雪峰二士の姿が何処にも確認出来ません!!」
 戦闘の中、佐伯が悲鳴を上げる。グールを斬り払いながら桜子もまたアンナの姿を求めるが、それらしき影は見当たらない。焦燥と悔恨のみが桜子の胸のうちに募っていく。
「――壬生は、ハストゥールは、何処だ」
 鋭い目付きで天野は、敵を睨む。まるで紫電と化した天野の攻撃を止められるものはなく、だが天野は壬生だけを探していた。グールの群れを突破し、敵後方にたたずむナイ神父へと到達する。顔に張り付いている嘲笑が癪に障る。
「再び問う。――ハストゥールは何処だ」
 発した気合に、だがナイ神父は肩をすくめる。薄ら笑いをそのままに、
「――王の目的は唯1つ。皆様が攻めに転じ、護りを薄くしてくれた御蔭で、大願は成就しました」
 言葉の真意を悟り、天野の身に狼狽が走った。
「――そこを、退けーっ!」
 居合い一閃。天野が振るった一太刀は、抵抗の素振りも見せぬままのナイ神父を両断する。切断面からズレ落ちていくナイ神父の上半身。遅れて残った半身もまた崩れ落ちた。嘲笑を浮かべたまま。だが天野は最早、ナイ神父の遺骸を無視。展望台から北側――函館市街地の方角を、五稜郭の方角へと身を乗り出す。冷たく鋭いにも関わらず、風が運んできた腐った汚臭に眼や鼻を冒された。肌を澱んだ瘴気が撫で上げる。込み上げてきた嘔吐感を堪え切れずに、人目を忘れて吐いた。天野だけではない。岩部達も同様だった。
 そして――五稜郭の方角に、竜巻にも似た風の柱が立ち上がり、強烈な波動が発せられた。岩部の憑魔核が暴走。意識を失うほどの激痛が体躯で、神経細胞で荒れ狂う。第二世代である者達も、頭を激しく撃ち抜かれる程の衝撃を受けた。
「……ハストゥールが、顕現したの?」
 桜子の戸惑う声だけが虚ろに響き渡る。拭い切れない程に“這い寄る混沌”の嘲笑が皆の脳裏へと刻まれていた……。

*        *        *

 ……語られるはずもない記録。嘲笑いし闇が広めたる御伽噺――
 五稜郭の中央に置かれた砲台。預言者ラヴクラフトの遺した神話群が記した『旧神の印』の中央、燃える瞳を模す事で、五稜郭の形と合い揃えてのハストゥール顕現の抑えとする。敵の目的がソレと判ってから、五稜郭の防御用陣地は十重二十重に張り巡らせられていた。岩部が考案した、積み上げた土塁に水を掛け、異常な天候を逆に利用しての氷壁。4月末の戦いでビヤーキーによる空挺落下に対して、八雲分屯基地より第20高射隊が駆け付けてくれているものの、
「――携SAM(Surface-to-Air Missile)だと頼りないなぁ」
「パトリオットじゃ大仰過ぎるよ」
 山之尾の呟きに、仲間が苦笑する。
「なら短SAMや近SAMを用意してもらっても」
「だから的が小さ過ぎるってば」
 実際、人間大の超常体相手に求められるのは、地対空ミサイルよりも、弾幕を張り続けられる高射機関砲。87式自走高射機関砲スカイシューターは贅沢過ぎるが、老朽品とはいえ35mm2連装高射機関砲L-90ぐらいは回して貰えなかっただろうか。代わりにブローニングM2重機関銃キャリバー50が設置されているのが、せめてもの救い。他には分隊支援火器FN5.56mm機関銃MINIMIぐらいか。
「防衛用に、固定火力が欲しいなぁ。無いものは仕方無いけれども。それと弾薬が見事なまでに互換性ないし。7.62mmNATO仕様モデルは数が無いのか。そうなのか……」
 自前のMK48 Mod0を備え付けながら山之尾は独りごちる。先輩が言うにはMk48 Mod0を使用している者も居るらしいが、現在、石碑破壊に向かっているそうだ。7.62mmNATO弾を使用しているのは、頑なに64式7.62mm小銃を愛用している物好きぐらいなものだ。或いはM2対人狙撃銃を嫌って、狙撃仕様にした64式を愛用している変り種だろう。
 ともあれ、万全な守りを配したと五稜郭防衛陣は自負していたつもりだった――少女が姿を現すまで。
「県道571号線を北上する人影あり! 雪峰アンナです!」
「岩部さん達と行き違ったのか!?」
「発砲! 少女の姿形に騙されるな! 敵は最高位最上級の怪物だ!」
 配置に就いていた狙撃隊員が一斉に発砲。遮蔽物の無い道の真ん中を静かに歩いてくるアンナに対して、外す事が難しいはずだった。が、
「――邪魔。邪魔しないでよ、邪魔なんだから」
 アンナが意識を向けるだけで、瞬時に展開する氷の盾。容易く銃弾に砕け散るものの、アンナ自身に傷付けさせない。
「数だ! 数で圧倒しろ!」
 怒声を受けて、山之尾達も加わる。Mk48 Mod0やMINIMI、H&K XM8小銃を構えた。H&K XM8――米軍の次期制式アサルトライフルとして開発され、今年に発表されたばかりの最新型(※註3)。G36アサルトライフルを基本設計に、強化プラスチック等の新素材を多用。人間工学的にデザインされており、使用者に丁度良くフィットして自然な姿勢で射撃出来る為、反動を軽減して命中精度を向上させている、非常に革新的で優秀な代物だ。
 降り注がれる銃弾の雨に、さすがの氷盾も展開が間に合わない。銃弾が肩の肉を抉り、脇腹を貫き、頬を掠めた。アンナの身体が衝撃で崩れるものの、続いて喰らう銃弾により跳ねて、路面に倒れ伏させない。さながら蜂の巣になりながらも、舞を止めない踊り子のよう。撃ち尽くして、弾倉の交換。血煙が去った後、無惨な銃殺体が出来上がっているはずだった。
「――そんな! 彼女は氷水系のはず」
 アンナは千切れそうな身体で踏み止まると、恍惚の笑みを浮かべて、歩みを再開する。
「そうだった。シュブ=ニグラスは異形系という話だ! 焼き尽くせ! 防壁で止めろ」
 幾ら再生力が高く、また守りが堅くとも、少女に変わりは無い。十重二十重に張られた厚い防壁は打ち崩せまい。その油断が、次の瞬間、絶望に取って代わった。アンナが声高に唱えし、歌声。土塊が突如としてアンナの背後に盛り上がり、巨体を露わにした。
   いあ! しゅぶ=にぐらす!
      千の仔を孕みし 森の黒山羊よ!
 何処からか聞こえる祈りの音。微笑み返したアンナは指を前に――五稜郭へと突き付ける。巨体は吼えるとアンナの指し示すままに、前進を開始する。樹木に似た体躯に、山羊のような蹄を持つ脚。枝は黒い触手となってのたうちまわる。
「……“黒い仔山羊(ブラックゴート)”!」
 速くはないが、遅くもない、ブラックゴートの歩み。浴びる銃弾の雨をものともせずに、防壁へと向かって突進してくる。味方が放ったカール・グスタフの砲弾でようやく衝撃を与えて見せた。
「ハチヨンを叩きつけろ!」
「構わない! 憑魔能力を出し惜しみするな! 死守するんだ!」
 ――憑魔覚醒、半身異化状態に移行。
 仲間が頷くのを見て、5人による増幅しての攻撃。最大限に増幅された炎の息吹は、ブラックゴートのみならずアンナすらも消し炭に変えるだろう。
「――行くぞ! 皆!」
 だが、凍て付く風が耳元で囁いた。
「……悪いな、少年。我としてもアンナを殺させる訳にはいかんのだよ」
 いつの間に忍び寄っていたのか、黒いスーツ姿の男が刀を納めていた。内部へと振り返れば、五稜郭にMIBが降り立っている。上空にはビヤーキーの群れが停止飛翔。
「……アンナはよく皆の目を集めてくれたよ」
 黒いスーツ姿――壬生は山之尾を背にして、中央へと足を進める。山之尾が声を掛ける間もなく、両断されて崩れ落ちる、第5i教練班からの友人達。山之尾も遅れて腹に灼熱感を帯びる。だが激痛に至る前に、山之尾は炎を壬生に対して放った。だが炎が壬生を飲み込もうとする瞬間に、壬生の姿が消える。そして一閃。斬撃は炎を分断するだけに止まらず、放った山之尾へと襲い掛かった……。

 厚く固められた防壁も、アンナが手を触れるだけで瓦解する。防壁を結合していた氷を液体に変える、それだけの事だ。支え失った土嚢が泥津波となって覆い被さってくるが、ブラックゴートが慌ててアンナを庇う。外側の警備は蹂躙し終えた。内部はMIBによって掃討済み。
「――我、仮の身から脱け出し、ここに顕現する」
 壬生――否、壬生の内に宿る“何か”が、自らを封じる象徴たる砲台へと刀を振り下ろした。銘――和泉守兼定は、刃毀れもなく砲台を叩き斬る。
 ――瞬間、“名状し難きモノ”が壬生より放たれ、あふれ出した。竜巻にも似た風の柱が立ち上がり、強烈な波動が発せられ――。

 ……記録によれば、この時点で五稜郭を中心に、函館駐屯地を含めた半径3kmの空間が消失した。
 無論、生存者は皆無とされている……。

*        *        *

 ワイバーンといった航空戦力はあるものの、それでもF-15Jイーグルの敵ではない。そして師団長のお墨付きを得た荒鷲は、ナパームやクラスターを投下していく。対地攻撃専用の計算装置等は有しておらずとも、通常爆弾による支援戦闘に可能だ。出し惜しみされない支援爆撃は、魔群の動きを吹き飛ばしていった。そして不発弾の危険性も覚悟の上で、第11普通科連隊の猛者達が攻勢に転ずる。加えて、要請に応えて真駒内より増援として現れた第18普通科連隊が挟撃を行う。
「――窮鼠、猫を噛む、といったところでしょうか」
 F-15Eストライクイーグルで支援爆撃を行っていた映姫は、戦況の推移を上空から窺い、溜め息を漏らした。課せられた制約――超常体の戦力バランスの維持――から解き放たれた自衛隊(と駐日米軍)が本気を出せば窮地を脱するのは、難しくとも無理ではない。しかし魔王級戦車の存在が第7師団を追い詰めた結果、制約から解放され、使用される爆弾にも許可が下りたのは皮肉な結果と言えよう。無論、もう後が無いからこその決断であり、
「もしも天使が表立って参戦し、魔群の側面を突いていたら、どうなっていたかしら?」
 英姫は哨戒しながらコクピットの中で呟いた。第2013組のエレメントは、主戦場上空を離れて、支笏湖方面に警戒の網を張っていた。魔群の大攻勢が始まる前、天使共は西側を版図に置いていた。今も県道117号線以南で戦闘が目撃されている以上、縮小したかも知れないが、此方に天使が隠れ潜んでいる可能性は高い。
「聖下も“あれ”は紛い物だと仰られています」
 英姫の呟き。実際にはローマ・カソリックは、天使に関して何も発言をしていない。過激派や異端とされている一部が、天使の姿をした超常体を悪と訴えているだけだ。祈りの言葉を呟きながら、映姫は爆弾を投下していく。
「――しかし反撃はありませんか。天使共は本当に姿を消したのでしょうか?」
 それとも苦渋に耐えられる程に、よく統制されているのか。となれば、統制の主は余程強力な固体に違いない。それこそ魔王級に匹敵するような――各地から報告に上がっている、熾天使級の存在。中には完全侵蝕された魔人から成り代ったモノも居るらしい。
「――人である事に耐えられなかった愚か者共が大義名分を振りかざそうとも、同胞相争う構図を望むのならば“天国という名の地獄”にしかなりません。それでもなお、反乱を決意するのであれば、血と硝煙を以って神への忠誠を示しましょう」
 宣誓と共に、英姫は油断なく地上を睥睨する。まさしく獲物を探し求める猛禽のように……。

 魔群の攻勢を押し止めるだけでなく、反撃を叩き込む。背水の陣を布いた人類側は死に物狂いで挑み、そして活路を見出したと言えよう。
「――最後の90式異形戦車を大破。また1個班の犠牲と引き換えにビーストデモンも2体仕留めたそうです」
 自らもビーストデモンを屠りながら、鈴元は淡々と告げてきた。浴びた体液を服の裾で拭うと、普段は前髪に隠れている眼が露わになる。昏い炎を秘めた瞳だ。明海は顔をしかめると、
「……何だか、嬉しそうですね?」
「そう見えますか? ならば、そうなのでしょう」
 笑いを含むと、鈴元は大仰に身振りした。
「しかし……これ程の死力を出し尽くしているのであれば、魔王級も倒せるのでは?」
 明海の当然の疑問に、だが鈴元は大きく首を振る。
「この戦場――北海道演習場において、人類側には決定打がありません。決定的戦力がありません。直接的に魔王と戦うモノがいません。故にこそ、魔王1柱ごときに、ここまで追い込まれたのですから」
 普段と違い、言葉に憐れみの色が見られた。
「……96マルチ? 対地攻撃機? ゴミですね。“堕ちしモノ”共が言う『遊戯』にとって、お粗末な玩具に過ぎませんよ。それは小生達の『聖戦』でも同じ事。小生達が恐れ、そして賞賛すべきは数多の爆弾ではございません。それは、命を懸けた1つの拳。誇りを乗せた一振りの刃。魂の込められた1発の銃弾……」
 鈴元の背に、何かが揺らいだ。脅威ある力の発露。三対の翼。明海が奥歯を噛み締めて、両の手甲で打撃の構えを取る。
「――待ちなさい、鈴元准尉。それ以上は、処罰の対処となります。力を抑えなさい!」
「……失礼。感情が昂ぶり過ぎました。とはいえ、小生の云わんとするところは、そういう事です」
 一瞬にして普段通りの慇懃な態度の鈴元。しかし先程の光景を、錯覚と言い切れる自信は、明海になかった。
「第一、96マルチが放ったミサイルの雨を、直撃を回避したとはいえ、魔王級は耐え切ったのですよ? 間接的な攻撃手段で誅殺出来るはずもありません」
 だからこそと鈴元は続ける。
「小生や、そして貴女様が魔王級の相手に選ばれたのですよ」
 無駄に喋っていた訳ではない。明海と鈴元は対話しながらも油断なく周囲を警戒。魔王級戦車を探し求めると共に、待ち構えていた。先程の鈴元が露わにしようとした力の片鱗を嗅ぎ付けたのだろうか、轟音を響かせて魔王級が姿を現す。零漆特務の中でも鈴元子飼いの部下に指示が放たれる。
「――各員、随伴しているインプやリザドマンを殲滅。地獄に追い返してやりなさい」
 言い放つ鈴元へと、魔王級が体内生成した砲弾を発射。だが間一髪で両腕に氣を纏うと、鈴元は亜音速の砲弾を叩き潰す。そのまま腕を振るうと、圧縮された氣弾が魔王級を襲った。
「小官の『雷電』と『業炎』に近いですね……」
 鈴元の戦い方に、思わず複雑な表情を浮かべる明海。魔王級は鈴元だけでなく、明海をも狙ってくる。車体から生えた異形の豪腕で叩いてくるが、
「――姉さん。護りは任せて」
 戦鬼と肩に書かれた4人の巨漢。ボディアーマーと防弾シールドで固めて、魔王級の豪腕を受け止める。しかし4人掛かりでも押さえ切れない。崩れ掛かった合間を縫って、明海は跳び込む。
「鈴元准尉は、銃座や砲門を潰して下さい!」
「――仰らずとも」
 車体に取り付いた鈴元は、腕に纏っていた氣を鋭い爪刀に変えると、足場の悪い上でも構わず暴れ回る。魔王級も振り払わんとして巨体を激しく揺らした。そして、潰しては蘇生し、蘇生しては潰す、おかしなモグラ叩きが繰り広げられた。
「――本気を出しても良いのでしたならば、もっと楽な戦い様もあるのですが」
「……辛抱して下さい。人間には、それに見合った戦い方があります!」
 鈴元の愚痴に怒鳴り返すと、明海は110mm個人携帯対戦車榴弾パンツァーファウストIIIを担いだ。そして至近距離から叩き込んだ。直撃を受けた魔王級が動きを一瞬でも止めたところで、鈴元が大きく跳躍して離脱。同じく、圧力から解放された戦鬼4人もまたパンツァーファウストを構えると、一斉に打撃。
「――殺りましたか?!」
 続いて手甲の力を解放しながら、次の一打に備える明海。右の雷電が、左の業炎を増幅する。開いた装甲に止めの一撃を放とうとするが、
「――姉さん、離れて!」
 部下達が咄嗟に手を伸ばして、明海を掴まえるとぢ面に引き倒して覆い被さる。次の瞬間、魔王級が爆発した。吹き飛ばされるが、間一髪で張り巡らされていた、鈴元の氣の防壁が衝撃を緩和する。それでも痛みは軽くない。
「――自爆しました?」
「いいえ……逃げられましたね。装甲を爆発させて、核のある部位は脱出していきました」
 吹き飛ばされた際に、木の枝に足を引っ掛け、宙吊りになった状態で、鈴元が嘆息する。
「しかし“堕ちしモノ”共の群れは大きく戦線を後退。魔王級も傷は浅くないでしょう。一応、人類側の勝ちという事で」
 だが鈴元は淡々とした表情で、付け加えるのを忘れない。明海が唇を固く結ぶと表情を引き締めた。
「――ええ。ほんの僅かな間になるでしょうが」

*        *        *

 第7師団と駐日米軍による猛反撃を受けて、魔群は大きく戦線を後退。魔王級戦車を取り逃がしたものの、久々の勝利に沸き立っていた。
「……しかしリヒター大尉にも逃げられてしまいましたようです。一足遅かったでしょうか?」
 喜びの中で、蛭子だけは不安を募らせていた。密かに忍び込んで、キャンプ千歳に仕掛けた諜報器具から入ってきた幾つかの情報。フェラー大統領補佐官の命を受けて、札幌の総領事館を警備していた部隊を受け入れるのに忙しいようだが、騒ぎに乗じてリヒターとその子飼いの1個小隊が行方をくらましている事を誤魔化そうという動きも見受けられた。
「……一体、彼等は何処へ?」
 リヒターは子飼いの1個小隊の他に、メリエル・アレクサンダー(―・―)一等軍曹が率いるチームもまた目を掛けていたらしい。メリエル達は支笏湖や恵庭岳にまで遠征し、旧・北海道大演習場の西側――天使との交戦領域で部隊展開をしている事が多い。それ自体を怪しいと断言出来なくとも、何か腑に落ちないものを感じるのだった。
「そしてリヒター大尉は、零漆特務の鈴元准尉とも懇意の仲と聞いています……疑いを掛ければ限がありませんが」
 それにしても肝心の『燭台』についての情報が乏しい。唯一の手掛かりはリヒター個人が足繁く通っていたという青葉公園だが……。
「――心太。ちょっと……」
 調査に協力してくれている蛍が手招きをしていた。何気ない様子を装って、歩きながら話を聞く。化学防護衣に身を包んだ蛭子と、小柄な美少女との組合せは、何気ないというには奇異過ぎるのは解っているが。ともあれ、蛍は笑顔を浮かべながら、だが口調と内容は真剣に告げる。
「――青葉公園を軽く探ってみたけれども」
 青葉公園跡地は千歳キャンプに近く、また総面積102.3haを擁する広大な自然総合公園である。東千歳駐屯地・北千歳駐屯地・千歳航空基地の間隙を埋めるように、維持部隊各駐屯地の中央に存在する要所とも言えよう。見方によれば隠れ潜むには都合が良い。
「……何か問題でも?」
 尋ねる蛭子に、蛍は歯切れの悪い返事。
「一応、半身異化して気配も探ってみたけれども、何も無かったと思うわ……でも変な感じなのよね。上手く言えないけれども。息使いがあるというか。もしかしたら公園に棲息している動物のものを、勘違いしたのかな?」
 首を傾げる蛍。蛭子も何かが引っかかるのが、それが何であるかは解らない。第一、
「燭台の手掛かりに……は、なりませんか」
「うん。まぁ、北海道神宮みたいに膨大な氣というか、『力』は感じられなかったわね。燭台というのに灯を点すのならば、もっと『力』がありそうな場所が怪しいんじゃない? 何処かは判らないけど」
 蛍の言葉を受けて、蛭子は考え込むのだった。

 

■選択肢
NA−01)亜米利加総領事館にて冒険
NA−02)大演習場で魔王を見敵必殺
NA−03)大演習場で天使どもを殲滅
NA−04)キャンプ千歳の動向に注意
NA−05)リヒター大尉の行方を追う
NA−06)函館にて絶望に満ちた死闘
NA−07)残る黒い石碑の1つを破壊
NA−FA)北海道西部の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に、当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお残る黒い石碑は2/9(×駒ケ岳、×大沼国定公園、×上磯ダム公園、●湯の沢水辺公園、●渡島支庁木古内町、×檜山支庁上ノ国町、×檜山支庁厚沢部町、×貝子沢化石公園、×豊浜トンネル)。PC1人のアクション1回――約2週間で破壊出来る石碑の数は1つとする(※準備や会議等はカウントされない)。
 大演習場並びに函館では魔王等による強制憑魔侵蝕現象の危険性もあるので注意する事。
 なお殻島准尉(のPL様)が多忙により、NPC化申請を行っている。救援を必要とする場合は、アクションに明記する事。道西部ならば要望に応えてどこでも馳せ参じさせるつもり。要望がない、或いは多数の場合、人手が最も少ない箇所のカバーに向かう。

※註1)ヨグ=ソトースの影……『隔離戦区・神人武舞』山陰:北欧編にて、存在は匂わされている。

※註2)キティホーク……米海軍航空母艦。現実世界では2009年に退役。代わって横須賀を母港とする後継艦として2008年からジョージ・ワシントンが配備されている。しかし神州世界においては最老朽艦ながらもキティホークが現役として横須賀に健在。

※註3)H&K XM8小銃……現実世界では2005年に米軍が次期制式アサルトライフルとして発表。但し海兵隊や特殊部隊からの猛反発を受けて決定が覆されており、採用は延期。だがH&K社は代わりとしてか、多くの民間軍事会社に売り込んでいるらしい。


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