同人PBM『隔離戦区・獣心神都』最終回 〜 北海道西部:北亜米利加


NA6『 The Desert shall rejoice 』

 敵超常体による奇襲。何よりも圧倒的な戦力差だけでなく、高位上級の――しかも俗に熾天使(セラフ)と称される強力な固体による統率指揮で、千歳一帯の航空優勢はヘブライ神群……天御軍(アマツミイクサ)に傾いていた。
 南西の方角――樽前山には、忌々しい光の柱……燭台の灯が点され、天獄の扉が開かれている。無尽蔵と思われる程のエンジェルやアルカンジェルだけでなく、高位低級から中級に分類されるプリンシパリティやパワー、ヴァーチャーの姿も確認されていた。日が経つに連れて、いずれはより強力な固体――天使の群れを運ぶソロネや、上級指揮官相当のドミニオン、そして拠点防衛の要としてケルプもまた顕現してくるだろう。
 対して神州結界維持部隊とキャンプ千歳の駐日米軍側の航空戦力は壊滅状態に近い。幾つかの貴重な航空機体や人材、そして膨大な燃料を失い、生き残ったものも滑走路が荒らされた状態では満足に離陸も出来ない。第201、第203飛行隊のF-15J/DJイーグルの大半は撃墜され、第201飛行隊・第2013組長の 山田・映姫[やまだ・えいき]准空尉が駆っていたF-15Eストライクイーグルもまた沈んだ。同僚や部下を喪い、失機者となっても、だが映姫は空自時代より培った経験と知識がある。管制室の一角をあてがわれた映姫は、上空から俯瞰するように一帯の状況把握に努めていた。
「“偽”天使の奇襲により、上級幹部(※佐官や幕僚)の多くが亡くなられましたからね……」
 愛機を失って戦場から帰還した映姫だが、咎められる事も、責められる事もなく、唯々、埋めるように与えられた役目に忙殺されている。第7偵察隊並びに特科の前進観測班から送られてきた情報を、空からの目と頭で分析していった。
「――山田准尉! 北西より国道36号線を敵陣突破してくる数台の車輌があるそうです」
「第18普通科連隊からの増援?」
 一旦、札幌方面に退いた真駒内の第11師団第18普通科連隊からは、国道453号線より支笏湖北面へと再攻撃を掛けると伝達が着ている。――敵か味方か?
「識別番号を確認。所属、階級……照合を終えました。第7011班、函館に出向していた岩部准尉の部隊です! 第5対舟艇対戦車中隊第2小隊も続いています!」
 歓声が漏れた。映姫は後ろを振り返ると、頷いてみせる。すぐに指示を出した。
「――対空部隊に援護要請! 敵超常体を撃ち払い、函館の英雄達を出迎えますわよ!」

 89式装甲戦闘車ライトタイガーのガンポートから89式5.56mm小銃BUDDYを突き出して、追いすがりまとわり付こうとするエンジェルズを薙ぎ払う。車長席に居座っている、第73戦車連隊・第5中隊第9組長の 国木田・由加里(くにきだ・ゆかり)三等陸曹は、友人でもある操縦手の 鈴木・まゆみ[すずき・―]一等陸士を叱咤した。
「まゆみ、もっと走れー! エンジンが焼け付くような勢いで! 仰天号ミニ!」
 すっかり第7011班のライトタイガーを我が物にしてしまうと、由加里は唾を撒き散らす勢いで号令を掛ける。まゆみは口を真一文字に広げ、変な笑い声を上げながら、眼鏡を薄光りさせて応えた。
「――無理。というか乗員過剰! 誰か降りて、積載量を軽くしてよ!」
 月兎・うどん(げっと・―)准陸尉が率いる、第5師団第5対舟艇対戦車中隊・第2小隊の車輌にも分乗させてもらっているとはいえ、第7011班をはじめとする函館攻略部隊は大所帯だ。BUDDYからの空薬莢が受け箱に収まらずに、変に車内を飛び跳ねもすれば、それだけで大惨事ともなりかねない押し詰め状態。固太りの巨体を有する 岩部・秀臣(いわべ・ひでおみ)准陸尉は、狭い車内で文字通り身を縮ませる思いで、複雑な表情を浮かべるしかなかった。
「佳子! 射撃統制システムあるから、対空射撃も出来るんでしょ!?」
 主武装の90口径35mmKDE機関砲に取り付いている、砲手の 加藤・佳子[かとう・かこ]一等陸士は、叫び返すと、
「だから前を塞ぐ敵は撃ち落しているわよ! 後ろに向けないってば!」
 黒の石碑破壊における敵との交戦で、多少損壊したと聞いていた第5対舟艇対戦車中隊第2小隊のライトタイガーも、今頃という最悪のタイミングで不調を訴えかけているそうだ。そしてエンジェルズだけでなく、プリンシパリティの姿までも確認して、第5中隊第9組の三人娘は、皆の心を代弁し、声を揃えて叫んだ。
「「「――追い付かれるー!!!」」」
 やむなく降車の合図を出そうとする岩部と、愛刀を手にして応えようとする第7011班副長の 天野・忠征(あまの・ただまさ)陸士長。だが――轟音が鳴り響くと、プリンシパリティを含める数羽の天使が撃ち墜されていく。
『……こちら第3高射群第10高射隊・対空機関砲隊。救援に参りましたわ。誘導に従い、基地へと駆け込みなさいませ。歓迎しますわよ』
 出迎えたのは、八雲・紫姫(やくも・ゆかりひめ)准空尉が率いる第3高射群第10高射隊・対空機関砲隊。索引式砲架に搭載されたM16機関砲18門――対空機関砲VADS(Valcan Air Defense System)1改である。自走化されていないものの、射撃管制装置を追加装備されており、弾幕を張ってエンジェルズを撃ち墜とすのに造作はない。
「――千歳防空の切り札が出たか。長い間、空けていたから俺達にも責任があるとはいえ……本当に後がなくなったな、第7師団も」

 人類側の勢力圏内に駆け込んだ一同を出迎えたのは、第7師団長の 久保川・克美[くぼかわ・かつみ]陸将だった。降車した第7011班員へと、
「――各員、気を付け!」
 天野が声を震わせた号令を受け、一斉に第7011班員達は胸を張って腕を垂直に下ろすと、踵を付けて、爪先を約55度に開いて、不動の体勢を取った。そして、
「――師団長閣下に、敬礼!」
 右腕が水平に横に張り、45度で折れ曲がった二の腕の先――真直ぐに揃えられた指先が88式鉄帽の下に位置付けた。堂の入った敬礼に、満足げに頷くと、久保川陸将は答礼を返す。
「一同、函館の件、御苦労だった」
「恐縮です、陸将殿」
 岩部の言葉に、久保川陸将は自嘲気味に笑うと、
「いや、心からの言葉だ。お陰で、第11師団にも遠慮なしに増援を要請出来るし、北部方面総監にも強気に出られる。それどころか田中や小波も顎で扱き使う事が出来るからな」
 唇の端を歪めて見せる久保川陸将に、岩部は厳つい顔に、どのような表情を浮かべて良いのか判断が付かなかった。代わりに言葉として出たのは、
「NAiR(Northern Army infantry Regiment:北部方面普通科連隊)は久留間演習場に移動。樽前山を西側から攻めるという話です」
「ああ、聞いている。……しかし第701中隊の第1小隊長は、最期までお前達を心配していたぞ。生きていれば函館での快挙を手放しで喜んでいただろう」
 第701中隊第1小隊長は、岩部の直接の上司だ。函館に展開していた際、東千歳から第7011班の支援に働いてくれた。だが先日の奇襲により、戦死。第7012班が欠番であり、第7013甲組長の 斉藤・明海(さいとう・あけみ)(元)陸士長がヘブライ神群として離反した今、第701中隊第1小隊は、実質的に岩部部隊そのものと言える。函館攻略の功績も考えれば、昇進も間違い無いだろうが、取り巻く状況や人手不足から、すぐにとは言えない。
「……鈴元についても、私に責任がある。事が終わり次第、厳しい処罰を受けるさ。田中や小波が擁護に動くかも知れんが――こればかりはケジメを着けんとな」
 久保川陸将は頭を掻きながら、岩部に伝えた。それから視線を横に移すと、
「さて――菅家から聞いたぞ。由加里、帯広でキュウマル1輌を駄目にしたそうじゃないか」
 打って変わって意地悪そうに笑う久保川陸将に、気付かれないうちに逃げ出そうとしていた三人娘の代表は顔を強張らせた。
「お前も知っての通り、私は戦車が嫌いだからな。壊すの大いに結構。……とはいえ高価な国家財産に違いない。で、私と顔を合わせたくないから、ほとぼりが冷めるまで函館に逃げ込んでいたのか。んー?」
「そっ、そんな事はありませんよ! ほら、岩部准尉に泣き付かれて仕方なく……ですよね?!」
 由加里から口裏合わせの視線を送られても、だが岩部としては知らぬ顔をするしかない。そもそも泣き付いたというが、そんな覚えはないし、どう考えても嘘にしか思われないだろう。
「まぁ、いい。お陰で96マルチを借り受けるだけの方便も付いた。――月兎准尉も協力感謝する。……菅家には話を通した。帯広で90式戦車を駄目にされた分、96マルチを借り受けるとな」
「無茶苦茶ですわー!」
 急に話を振られた、うどんも悲鳴を上げるしかない。ともあれ所管を超えて動く大義名分を与えられたものと考えて、納得した。しかし、
「対空戦闘中心になると予想して、安全第一を心がけますわ。元よりマルチで対空戦闘が可能とは考えていませんし。……随伴可能な対空自走砲を要請しましたのだけれども、今や引っ張りだこで、ここにまでは回す余裕は無いでしょうか。元から数も少なかったですからね」
 溜息を吐く、うどん。久保川陸将は頬を掻くと、
「一応、うちの静内に配備されていたんだが……1輌しか回せなかったな」
「そう、1輌しか……って、あるんですの!?」
 久保川陸将は由加里の首根っこを掴みながら、岩部とうどんを伴って歩き出す。そして指差すと、
「事前に、岩部から陳情されていてな。第7高射特科連隊からハエ叩きを1輌回させた。……これは壊すなよ、由加里。キュウマルより高いんだからな」
 先月に大破した90式戦車は約8億円だが、視線の先に映る87式自走対空機関砲スカイシューターは約15億円であり、おおよそ2倍。
「……てっ、敵に言って下さい、敵にっ!」
 抗議する由加里の頭を撫でて黙らせると、久保川陸将は岩部とうどんに会議室への移動を促した。

 札幌から派遣されて、情報収集に務めていたという 蛭子・心太(えびす・しんた)二等陸士と挨拶を交わすと、佐伯・正巳(さえき・まさみ)二等陸士は敵部隊等について話を聞く事にした。初対面だが、共通の話題とも言える、パスワードが2人を仲介する。それは神州結界維持部隊の最闇部に位置する機関――『落日』中隊。直接に近い形で人脈を持つ佐伯に対して、蛭子は仮の上司として『すすきのの女王』として知られる、第11師団第11後方支援連隊補給隊所属の 宇津保・小波[うつほ・さざなみ]准陸尉が『落日』に関わりがあるらしい……というか、むしろ中核メンバーの1人とか。ともかく、
「……という事は、樽前山に封じられているのは鹿屋野比売神の可能性が大?」
「鹿屋野比売神の別名が野椎神。『野の精霊(野つ霊)』の意味だそうですが……女王様曰く、後に転じて蝮とされるようになったり、蛇の化け物と言われるようになったりされます」
 鹿屋野比売[かやのひめ]の別名である野椎は、野槌とも表記され、名前から頭と尻は同じ大きさで柄のない槌の形をしているとされ、人の足に食いつくとされた。都市伝説のツチノコと同一視される説もある。
「そして旭川で、封印から解放されたサマイクルというアイヌのカムイが先日に興味深い発言をしたという報告が上がっています。……『シ・コッ南のヲフイノボリに、異邦のカムイが力を密かに集めている。いつ爆発してもオカシクない程にだ。どうやら、ヲフイノボリにも和人のキナシュッウンカムイが封じられており、異邦のカムイはそれを犠牲にしている感じがする……』。異邦のカムイとは、恐らくは熾天使」
 そしてシ・コッは支笏湖、ヲフイノボリは樽前山、キナシュッウンカムイは蛇神を意味する。
「……とすれば該当するのは、鹿屋野比売神で間違いないかと」
「封印されている場所は?」
 だが蛭子も首を傾げて答えられない。小波自身……というか『落日』中隊も全てを知っている訳ではない。北海道神宮に神が封じられていると目星は付けていても、大物主[おおものぬし]だと判明したのはつい最近の事だ。つまり樽前山に封じられているのが鹿屋野比売だとしても、封印そのものの情報や、解放の仕方は判っていないまま。
「――樽前山熔岩円頂丘?」
「樽前山神社の奥宮が山頂にありますから、私はそれが怪しいと思いますけれども……」
 2人揃って、首を傾げ合う。
「判らないといえば、リヒターの能力もですね。『処罰の七天使』なのは間違いないのでしょうか?」
「――それは間違いねぇな。燭台に灯を点せるのは、熾天使の中でも、最高位最上級にある力の持ち主だからな。となると、メタトロンやサンダルフォン、四大元素天使(※ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル)以外には『処罰の七天使』のみだ」
 第1113中隊第1小隊長の 殻島・暁[からしま・あかつき]准陸尉が口を挟む。
「とはいえ、リヒターが何という名の『処罰の天使』なのか、情報が無い。“神の杖(フトリエル)”は天草。“神の災い(マカティエル)”は異形系で、与那国。但し撃破済み。“神の怒り(ログジエル)”は雷電系で、山口。そしてリヒター。……他の3羽はどこだったかなー? 燭台を破壊するには、眠っている神様を叩き起こせば一発だろう」
 だが鹿屋野比売を封印から解放するには、かつて第1特殊作戦部隊分遣隊――通称『デルタ』第2作戦中隊長、アルバート・リヒター[―・―]大尉と従う熾天使達(セラフィム)を撃破しなければならない。そして大物主の影響から逃れているリヒター達を倒すには容易ではない。重い溜息が、誰とも無く漏れた。
「……そう言えば、ルーク・フェラー大統領補佐官は本当に退去したのですか?」
 話題を変える佐伯の言葉に、蛭子も応じる。
「間違いなく総領事館から退去したと連絡は受けています。キティホークに拠点を移したとか」
「手が出すのが難しくなったじゃねぇか。あー。無理してでも強行突破すべきだったかな」
 悔しそうに歯噛みする殻島の姿に、冷や汗を掻きながら、佐伯はふと周囲を見渡した。
「……奥里士長は?」
「彼ならば札幌でいつの間にか降りていたな。一言挨拶を済ませたかったのだが……」
 それまで黙々と愛刀の手入れをしていた天野が名残惜しそうに呟いたのだった。

*        *        *

 函館にまで伝わる過程で、聞き間違いがあったのだろう。天御軍による司令部壊滅の報告を受けて、曽我・桜子(そが・さくらこ)陸士長は各地の銃後の守りとして、司令部の機能回復を図る為に慌てて札幌の地に戻ってきた。だが――
「総監部も、第11師団司令部も――札幌は今のところ無事よ。キヒヒ★」
 苗穂分屯地にて桜子を出迎えたのは小波であった。耳障りな笑い声と、そして耳にしている小波の風聞に、微笑を絶やさぬとする表情を桜子は一瞬でも歪める。
「司令部が壊滅状態に陥ったのは千歳方面――第7師団よ、桜子さん」
「……そうでしたか。ならば無理を言ってでも岩部准尉達に同行すべきでしたわ」
 今からでも遅くないとばかりに、桜子は千歳方面に向かう部隊への合流を果たそうとするが、
「……今から出立するのは南下して支笏湖へと向かう第18普通科連隊よ。千歳には向かわないわ」
 では?と問い質そうとする桜子に、藤森・葵(ふじもり・あおい)二等陸士が口を入れる。
「第7師団へと送り出す救援活動には、第11後方支援連隊と北部方面後方支援隊の、第101、第102全般支援大隊が派遣されます。曽我士長はそれらと合流し、千歳方面への救援に移って下さい」
「……そう、ね。解りましたわ。迅速な行動が勝敗を分けるとは言いますが、必要な物資を確保しなければなりませんから、一旦、札幌に足を下ろしたのも意味がありますわね」
 優雅な物腰を取り戻すと、桜子は柔和な表情で葵に微笑み返した。そして想定する危難に対する手配を進めていく事にした。札幌の東区に所在する、苗穂分屯地は、有事の際の行動を円滑にする為の後方支援を担当する北海道補給処の1つだ。本来の補給処本処と後方支援隊本部である島松が包囲する魔群(ヘブライ堕天使群)によって孤立させられていた先日以来、後方支援隊本部の権限が仮委譲された札幌駐屯地と共に、仮の補給処本処として方面管内における現時点での兵站の中核を担っている。
「久保川陸将も健在だと聞いておりますし、二階堂士長の放送である程度は士気も維持出来ていますわよね。……高い訳は無いでしょうが」
 それでも桜子が遅参したとしも最悪の事態までには間に合うはずだ。長い経験と付随する人脈を活かしながら、少しでも生き残る人が多くなればいいと思う。だから今は心を落ち着かせて準備を万全とする。
「――そういう事。それと、函館の戦況も直に聞き出したかったし」
 小波の言に、再び桜子は憂慮の表情を形作る。悲しい出来事があった。救えなかった少女の事。己の愛深きゆえに、闇に囚われた少女。それでも桜子は求められる限り、応えようと小波に向かい合う。小波もいつもの人を小馬鹿にしたような笑みでなく、
「……ありがとう。とは言っても、こいつが参戦する前の経過と、そして、決戦時の状況に間違いがないか、必要があれば、都度毎に口を挟んでもらいたいだけなのよね」
「――こいつ? あら、奥里士長。……どうなさったの、その格好は? 青森に戻られたはずでは?」
「……いやぁ、どうにも、こうにも。函館が解放されたとはいえ、足というか、翼がなければ北海道から外に出て行けなかったっスよ」
 東北方面隊第9師団より出向、函館での戦いに中途参戦した 奥里・明日香[おくざと・あすか]陸士長が困り果てたように手を挙げる。その後には、警務科隊員に代わって、奥里に銃口を突き付けているWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)が1人。注視しなければ気が付かない程に、気配が薄い。神崎・零(かんざき・れい)二等陸士は「左手で失礼します」と呟きながら、桜子へと敬礼をする。
「……そういえば、奥里士長は、魔王でしたわね」
 思い出して、桜子も納得。奥里の本当の姿は、七十二柱の魔界王侯貴族が1柱、星幽侯 オリアス[――]。函館では理由あって共闘したものの、本来は敵だ。小波が意地悪い笑みを唇の端に張り付ける。
「……ルークの下に無傷で送ると思った? それとも戦う? このまま色んな理由を付けて銃殺しても問題にならないのよね、こちらとしては。キヒヒ★」
 戦いを間近で見ていた桜子や、情報を聞き知っていた葵は身を強張らせる。奥里の能力は呪言系。そして葵の記憶が正しければ、小波は異形系だったはず。相性としては悪く、葵の憑魔能力も有利には働かない。零にしても直接戦闘では分が悪い。ましてや憑魔能力のない桜子にいたっては、尚更だ。だが――
「――大物主の影響が最も色濃い札幌だと、俺の力は弱体化しているっス。マジ勘弁っスよ」
 奥里のぼやきに、大物主の蛇巫である零は納得。爆発的な威力は無くなったが、零が求めたら、いつでも大物主は攻撃の手を振るうだろう。その状況の中で、魔王といえども奥里に勝ち目なし。勿論、油断を誘う演技かもしれないが、零も、葵も、そして桜子もいざ戦いとなれば全力を尽くし、容赦はしない。
 緊張の糸が静かに張り詰めようとしていた。が、それを断ち切ったのも小波だった。
「……まぁ、ここにいる面子も取り立ててアナタをどうこうしようという意見はないようだから、放免するけど?」
「――俺が言うのも何っスが、いいんっスか?」
 小波は肩をすくめると、
「ルークと交わした共闘の条件は“千匹の仔を孕みし森の黒山羊(シュブ=ニグラス)”が倒されるまで。その後は再び敵同士に戻り、しかも情報を如何様にも操作出来るけれどもね。……けれども“そう”と選択するのは、アタシじゃないもの」
 部下にして教え子である葵にも、小波の言葉は不可解だった。納得しているのは、敵である奥里だけ。
「――小波様。それは『落日』としても……思惑や制約が色々あるらしいという事でしょうか?」
 思わず口に出た疑問に、小波はキヒヒと笑い、奥里も複雑な表情で頷くだけ。そして疑問は有耶無耶にされたまま、函館の戦況説明がなされていく。
「――という訳で、状況終了っス。問題がなければ、俺はこれにて失礼させて頂くっスが」
「これからどうなされますの?」
 戦友を気遣う桜子の言葉に、奥里は頭を掻くと、
「……丘珠でハヤブサでもお借りしようと思ったんスけど」
 札幌飛行場は、北部方面航空隊本部が所在する丘珠駐屯地でもある。連絡偵察機LR-2ハヤブサの航続距離は1,800km。横須賀のキティホークまで飛んでも余裕がある。しかし、
「貴重な航空燃料まで出してやる義理はないわよ。ただでさえ残り僅かなんだから」
 小波の突っ込みに、一同が溜め息を漏らす。
「そうっスよねー。……仕方がないんで、一旦、千歳に寄ってプールソンと合流してから、猊下へと馳せ参じようかと」
「「「「プールソン?」」」」
 WAC4人が口を揃えて、聞き返した。
「魔王級異形戦車と呼称されていたアイツっス」
「あ〜。あれはぁ、そういう名前の魔王だったのですねぇ〜」
 直接相対した事のある零が、深く頷く。
「大物主の力で弱まっているとは思うんスが、海を渡るのは問題ないかと。戦車って短時間なら渡航機能あるっスよ。ましてや能力の基礎は異形系っスから」
「――対ヘブライ神群戦には参加しないのですか?」
「参戦して俺達にメリットあるんスか? 勝っても光の柱が無くなるだけで得はないのに、逆に負けたら大損じゃないっスか」
 葵の問いに、奥里は尤もらしい顔で応える。一角公アムドゥシアスとは多少考え方が違うらしい。
「来るべき『黙示録の戦い』に備えて、戦力の損失を免れる――という観点では間違っていないけどね」
 小波は呟くと、奥里に色目を送る。
「――二重スパイやる気ない?」
 葵と零が息を呑むのに対して、誘われた奥里は、
「……冗談過ぎるっスよ」
 と慌てて逃げていった。残るは小波のキヒヒ★という耳障りな笑い声。
「さて――では、わたしもそろそろ準備に取り掛かりますわ」
「あ、桜子さん。ちょっと待って」
 呼び止められて何事か?と思って振り返ったが、小波は次に葵へと視線を送り、
「葵の転属願いだけれども――諜報部隊の一員が、他の部署に移れるとでも?」
 葵の顔が強張る。だが勇気を振り絞って、意見を述べようとする前に、
「キヒヒ★ ……今の表情を見られただけでも脅した意味はあったわね。でも――泡姫を辞めるだけならば、自由にいいわよ。アナタを縛っていたのは、他ならぬアナタ自身だったんだから」
 視線を合わせて、寂しげに笑ったような気がした。
「――ぶっちゃけると、望めばアナタはいつでも泡姫辞められたの。……常連? 確かに煩いだろうけれども、危ないのは久菜が黙らせているのよ」
 久菜? 第05特務小隊長の 寺岡・久菜[てらおか・ひさな]准陸尉の名前が出た事に、葵は驚く。確かに今は懲罰部隊へと追放されているとはいえ、久菜は元々、札幌の警務隊本部に勤めていたエリートだ。警務隊本部長の 田中・彼方[たなか・かなた]一等陸佐に代わって、『すすきの』に出入りしていた事もある。――そして葵の客としても。久菜が何故に懲罰部隊に送られたのか、その理由を今まで小波も固く口を閉ざしていたのだが――
「もしかして私と関係があったのでしょうか?」
「……ちょっと口が滑ったわね」
 バツが悪そうな顔をする小波だったが、ワザとらしい咳払いをすると、
「――ともかく、転属願いは受理したから。とはいえ、需品科そのものからはすぐに異動は難しいのね」
 そして、ようやく桜子に視線を戻すと、
「――で、千歳から戻ってからでいいから、この娘の面倒を、今後は宜しくね。桜子さんの部下に推挙するわ。キヒヒ★」

*        *        *

 点された燭台の灯――光の柱は、まるで切れ目のごとく天空を裂いているかに見えた。事実、燭台の灯は天界の門の役割をも担う。あたかも両開きの扉の、向こう側の光が漏れているかのように。
『 ―― Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus, Deus Sabaoth. Pleni sunt caeli et terra gloria tua.』
 謳いながら、続々と降臨してくるのは、プリンシパリティ(権天使)のみならず、透き通る様に白い肌をした美丈夫――高位中級超常体ヴァーチャー(力天使)や、其の身を鎧にも似た外骨格に覆われた姿の高位中級超常体パワー(能天使)の群隊である。エンジェル(天使)やアルカンジェル(大天使)は言うに及ばず、今や樽前山は燭台の灯よりも其れ等が発する光によって照り輝いていた。
「だが――これは、敵に明確な戦略目標を与えるリスキーな情況になったと考えるべき事態だ」
 背に3対の翼――高位上級超常体にして天御軍において兄姉に位置する熾天使(セラフ)の証を広げた、巨漢が呻いた。右の頬に刻まれた十字の傷も相俟って、優美とは言い難いものの、代わって滲み出す雰囲気は弟妹等の“信頼”を集めるに相応しい力強さ。熊野・五郎(くまの・ごろう)こと“神の熊(ドゥビエル)”は寄せられる信頼を重荷に思う事無く、だが戦局を眺めて難しそうに頭を掻く。
「――小さいのや、燭台の灯を点した際に降臨した中位のはもう戦力として動けるが、大きいの――ドミニオン(主天使)以上の弟妹を招くまで、燭台を守りきらねばならない状況になっている」
 現状の戦力を把握。リヒターこと“神の裁き(ショフティエル)”のデルタ1個小隊分(実質1個中隊分の戦力)、メリエル・アレクサンダー(―・―)一等軍曹こと“神の慈悲(ラミエル)”の分隊(実質小隊分+α)、そして 斉藤・明海(元)陸士長こと“神の雷光(バラキエル)”の組(実質小隊分)、鈴元・和信[すずもと・かずのぶ](元)准尉こと“神の腕(ゼルエル)”の班(実質小隊分)、そして熊野の組(実質小隊分)。加えて弟妹達。
「対して――駐屯地は壊滅したとはいえ第7師団の大半は戦闘続行可能。さらに札幌方面から第11師団、また函館のハストゥール陣営が敗退したという報告から向こうに出向いていた部隊が此方に来る事が予想出来る……」
「――つまり?」
 尋ねてくる声の主に応えようとした熊野は、相手がリヒターである事を確認し、
「『今の人員では手が足りない!!』状況ですだ」
 思いっ切り噛んだ。失笑が漏れる。リヒターは思わず笑ってしまった事を謝ると、
「すまない。……だが、それほど圧倒的か」
「まだ予想敵戦力はありますが……パッと見、これ、勝てるんかなぁ、という次第でして」
 頭を抱え込むような仕草で、溜息を吐く。
「まあ、敵の3分の1が後方支援に回ったとしても、純粋にこちらの数が不足しているのはやむ得ない状態である訳ですね。……せめて大きい弟妹達といった強い味方が充分な数、出揃い、戦力化されるまで守り抜かなければならない訳です――最低でも」
 熊野の言葉に、リヒターは相槌を打つ。
「ドミニオン以上となると、やはり『審判の日』を前後するな」
 審判の日――夏至。世に言われる、『黙示録の戦い』が始まる。
「天草のフトリエルには、部隊の副官がドミニオンであったり、智天使(ケルプ)が控えていたりしているが、特例と言わざるを得ない。マカティエルもログジエルも戦力不足に悩まされているらしい」
 この時点では、沖縄の与那国にてマカティエルが討たれたという情報は耳に入ってきていない。熾天使1柱は、並の人間で構成された軍1個大隊から師団以上にも匹敵するが、単なる数値で測れないのが戦場の常だ。力と意思ある者が敵に集まれば、熾天使といえども志半ばにして討たれて果てる。
「だが――私には優秀な弟妹が付いている」
 リヒターから発せられた信頼が込められた言葉と眼差しに、熊野は背筋を伸ばした。
「そうですよ〜。心配し過ぎです。熊さんは悲観的なところがあるのが、やや欠点ですねぇ」
「仕方ないよ、見掛けの割に、熊しゃん、心配性だから。悪く言うと――臆病?」
「なにをー!!」
 数多い弟妹達の中でも、人の頃より慣れ親しんだ2羽――ヴァーチャーの 島村・命[しまむら・みこと]とパワーの 鈴木・真美子[すずき・まみこ]が、からかうように笑みを浮かべながら、口を出してくる。熊野は形だけでも怒った振りで返した。リヒターは笑いを堪えるのに大変そうだったようだが、すぐに真面目な表情をして、視線を真美子達の後ろへと向ける。
「――御苦労だった。ミコト、マミコ。感謝する」
 そして微笑むと、
「復帰おめでとう。ラミエル」
「御心配をお掛けしました」
 敬礼するメリエル。先の戦いで敵の攻撃を受けて、致命傷まで行かないが、軽くはない損害を被ったのである。すぐに部下達が後送した事と、操氣系の命と異形系の真美子が手当てした事により完全復帰を果たしたものの、メリエルは些かバツが悪そうな表情をしていた。油断したつもりはなかったが、やはり負傷したからには隙があったという事だ。肝に銘じておこうと決意する。
「さて……ラミエルが復帰した事だし、バラキエルやゼルエルが戻ったところで改めて戦術を話し合うとしようか」
 そのようなリヒターの言葉を計っていたようなタイミングで、明海と、『戦鬼』と肩装甲に書かれたボディアーマーを着込んだ5羽のパワーズが戻ってくる。また反対方向からも鈴元が姿を現した。
「――ドゥビエルに報告。借り受けていた機関銃類の設置完了。またバラキエルの弟くんの手も借り、築城も完了しました」
 切り揃えた金のおかっぱ髪の明海と対照的に、
「西側の偵察もしてきましたが――NAiRの斥候らしき数人が潜伏していましたよ。小生が1人残らずに誅殺しておきましたが……NAiRも展開していますからには、函館への出向組もまた帰還しているのは間違いないでしょう」
 顔を隠すかのように伸びた前髪の奥から、禍々しい程の強い視線を持つ鈴元。胸ポケットから取り出した血塗れのロザリオに、祈りの言葉を捧げる。だが肝心なのは……
「――西側は盲点だったな。ほら、鈴木、島村。心配して過ぎる事は無いんだぞ」
「……それで胃を痛めたり、不眠症になったりしていたら、元も子もないでしょう」
 熊野の言葉に、呆れた口調の命。真美子も肩をすくめるばかり。熊野は咳払いをすると、
「さておき――北部や東部方面から受けるであろう圧力は、はっきり言えば陽動に過ぎません。敵の最終目標はあくまでも燭台、そしてそれを灯した兄上の暗殺です。NAiRの展開がまさしくその可能性を示しています。また、そうすると、裏で放送されている番組『神州の夜明け』で、セスナとかいうDJが言っていたハストゥール等の敗退が確実であるならば……抹殺した戦力の一部が確実に此方に向かう事になるのは明らかでしょう」
 周囲を見渡してから、発言に力を込めた。
「……瞬間的にとは言え魔王クラスの戦闘能力を発揮する輩が、燭台を制圧しに来る訳です。我々は相手を追い込んでいる訳ですが、同時に我々も追い込まれている……現在は、こんな状況です」
「航空優勢は此方側にありますが――敵に特殊部隊があるのならば、引き続き防空にも戦力を割かざるを得ませんね」
 より3次元的な戦術を練られるのが、翼を有するモノの強みである。メリエルの示唆に一同が頷き返す。
「対地戦力に関しては……相手が攻めてくれば、ゲリラ戦術で遅延させ、引けばこちらも引くで対処する様にお願いしておきましょう」
「――承知致しました」
 熊野の言葉に、真っ先に返答したのが鈴元。意外そうに明海が尋ねる。
「ゼルエルの――というか“受容体”の鈴元さんの性格上、守勢よりも攻勢に力を発揮すると予想していたのですが……」
「小生の事ながら、否定は致しません」
「ですから攻勢を望むなら攻勢を頼みたいと思っていましたが。――個人的には皆と共に増援が来るまでは防衛に参加して欲しいですけれども」
 明海の言葉に、苦笑という形ではあったものの、鈴元にしては珍しく親しみが持てるような表情を浮かべた。益々意外そうな表情を浮かべてしまう明海に、
「――攻勢防御という言葉もあります。ドゥビエルの心配によりますと、有象無象の輩ではなく、真に強力な罪深き者共が燭台の灯を目指してこられるのです。ならば彼等をこそ“救済”して差し上げるのが、小生の務めかと」
 ……そして戦術の再確認を終えると、役割を果たすべく――燭台の灯を絶やさぬように、御使いは鉄火を以って人間と相対していくのだった。

*        *        *

 穿つような敵の拳撃による右胴突き。前に押し出しながら右腰を捻り、足先の踏ん張りを充分に効かした本拳は、頭部ではなく、的の大きい胴体部へと襲い掛かってくる。だが葵は内に飛び込んでくる拳を恐れずに踏み込むと、左手首を相手の右肘に当てた。引っ掛けるようにして下へ敵の右腕を払い落とすと同時に、右膝関節へと外側から小さく、だが鋭い蹴りを入れる。そして一気に体重を入れて押し曲げた。捻りながら下に落ちた敵の背後を取ると、葵は容赦なく手刀を叩き落す。急所に入った一撃に、間違いなく崩れ落ちた。
「――女っ!」
 敵の仲間が9mm拳銃SIG SAUER P220を抜いて構える。しかし、
「敵味方が混在する狭い所での発砲はぁ〜跳弾で自分も酷い目に合いますよぉ〜」
 まるで影を抜けてきたかのように敵の傍に姿を現した零が、コンバットナイフを払う。銃身を輪切りにした重厚な刃は、続いて首筋を押さえた。
「――地竜くんの力を発動していましたらぁ〜塵しか残りませんですよぉ?」
 相変わらずの間延びした零の口調だが、緊張を殺ぐどころか、空恐ろしいものを敵に与えたようだった。観念したかのように武装を解除し、床に這う。
「――苗穂分屯地、補給処襲撃を未然に制圧完了致しました」
『 ――了解した。マル被の身柄を引き取りに人員を回すが、変わらずの警戒を宜しく頼む』
 無線越しの田中一佐の言葉に、思わず敬礼してしまう葵。見えなかったり、遠くにいたりする相手でも、思わず頭を下げてしまうのはよくある事だ。
「……はーい。お疲れ様ー。田中の小父様はああ言っているけれども、粗方、検挙したから大事にはならないわ。休んでいても良いわよ」
 手を振りながら、小波が様子見に顔を出してきた。自分と同じ、見慣れぬ戦闘迷彩II型姿を着込んでいる姿に、葵は思わず苦笑し掛けたが、
「――小波様、血が!!」
 赤黒く染まった小波の腹部に、動転した葵は慌てて駆け寄った。数発の弾丸を受けて、該当箇所は襤褸になっていたが……
「衛生科に連絡を――って、無傷?」
「異形系だからね。銃弾に内臓を掻き回されて死ぬほど痛い目にあったけれども、簡単に死なせてもらえないのよね。キヒヒ★」
「そこはぁ笑いどころなのでしょうか〜?」
 徒手格闘術は一応齧っているが、特別にその手の才能がある訳でもないからと小波は口を濁す。
「だったら無理せずに、すすきのの例の施設や、或いは真駒内や札幌駐屯地で指揮を執って頂ければ良いですのに」
 頬を膨らませて口を尖らす葵に、小波は微笑を返すだけ。思わぬ暖かい眼差しに、葵は抗議の言葉を引っ込めた。容姿はローティーンにしか見えないが、やはり年長なのである。上官であり、教官であり、先輩であり――母を失い、天涯孤独の身となった葵を育ててくれた恩人には違いない。ろくな事しか教えてくれなかった気もするし、今の境遇の責任の大半はこの人にもある気はするが。配置転換の希望が通ったからには、小波の下にいるのも――逆に言えば葵の成長を見るのも、これが最後になるだろう。
( だからかも知れませんねぇ〜 )
 零は冷静に思い浮かべる。葵もまた機微を感じ取り、だが複雑な表情をしたまま、
「しかし――煽動演説があったとはいえ、反逆者が出ますなんて……」
 周囲を見渡し、また無線から入る報告に耳を傾けて、葵は溜息を吐く事で話を変える。小波も乗じて、
「んー。まぁ、二階堂士長だったっけ? 彼の放送で危うく間違いを起こし掛けた人は大分減ったわよ」
 人的諜報(ヒューミント)を司る機関の長は舌を出す。常日頃から方面総監部や第11師団司令部のある札幌一帯の意識調査は行っている。フトリエルの煽動により維持部隊を離反するモノ、しないモノ。これは信念だから、対抗演説したところで決めた意志は変えようがない。問題なのは混乱により己を見失う者達だ。情報の真偽を見分ける事も出来ず、ただ場に支配された雰囲気に飲まれ、流される。維持部隊の大半を占めるのは、そういう、ある意味“普通の”人間である。
「――二階堂様の演説は、彼等に今一度、何が大事なのかを気付かせたのですね」
「だけれども〜その大事な物がない者が、こういう馬鹿な襲撃を起こすのですねぇ」
「……やる事が懲罰部隊に送られる程ではないけれども、だからこそ見過ごされたまま、この日を迎えてしまったクズもいるからね。キヒヒ★」
 拘束された犯罪者達の身柄を、連絡を受けて駆け付けた警衛や警務科隊員が引き取っていく。
「――まぁクズ共よりも怖いのは、ヘブライ神群をはじめとする超常体側に付いた……本当にヒトの世を捨てた連中だから。彼等は確固とした信念を以って行動する。もしも敵方の指揮官クラスが札幌方面にまで出張ってきていたら、襲撃は凶悪なものとなり、アタシ達もこれ程暢気に構えていられていなかったわね」
 小波は唇を噛むと、真剣な表情で、
「――今頃、より前線に近い千歳方面の駐屯地は大変よ。同じ後方への襲撃でも、クズ共だけでなく――そういった連中が動いているだろうから。エンジェルズやアルカンジェルを引き連れてね」
「それでも〜大物主様の力があるとはいえ札幌の守りをおろそかにする訳にはいきませんからぁ。篭城すべき所を守る必要があります〜」
 零の言葉に、然りと頷いた。葵は武装を整え、屋内図を確認すると、
「――では零様との見回りを再開致します。小波様も御注意お願い致しますね。くれぐれも無茶をなされませんように。異形系とはいえ油断は禁物ですからね」

*        *        *

 札幌で懸念されている通り、大なり小なり、千歳に存在する多くの駐屯地は、天使の浸透を受けていた。フトリエルの煽動に呼応した維持部隊員が、内で決起し、外で超常体を誘導や支援する。二階堂・弘昭(にかいどう・ひろあき)陸士長の放送のお陰で、叛乱の数は極めて少ないとはいえ、
「――問題がない訳ではありませんものね」
 桜子が打ち下ろした刃が、縦一文字にアルカンジェルを両断する。身を張って守りを示す桜子を援護すべく、三月・武人(みつき・たけひと)三等陸曹が率いる第11師団第18普通科連隊・第1164班がBUDDYを斉射。エンジェルズを薙ぎ払った。
 札幌からの救援や残存する物資を掻き集め、また運び入れた部隊用無線で指揮命令系統を整理し直す事が出来た。最低限度の機能を回復させた第7師団司令部にて、桜子と三月は最終防衛線を死守している。
「……鶏共に媚びへつらった連中が厄介だな。樽前山のセラフィム程では無いが、それでもパワーやヴァーチャー級はある」
 無線を通して部隊に叱咤激励をしていた、久保川陸将が悪態を吐く。
「政府への疑念を払拭出来ない者やヒトの世に絶望した者でも、鶏共と相容れない連中は、既に脱柵――逃亡したか。一緒になって責め立ててくれなかっただけでも感謝すべきかな?」
 桜子の眼には、悪態から自虐に変わった久保川陸将の歪んだ顔が映った。
「しかし札幌からの救援がなければ、なすすべもなく完全に壊滅していただろう。感謝する」
 久保川陸将は、桜子に軽く頭を下げた。
「なすすべもなく――って、まだ対空機関砲隊が健在でしょう?」
「紫ババアが踏ん張っているな。だが、空――外部からの攻撃には抵抗出来るが……」
 内側からの裏切りには弱い。ましてや航空戦力の運用環境を死守するのが目的として編制された対空機関砲隊だが、
「――肝心の航空戦力そのものが無いも同然だからな。最早、千歳航空基地も放棄せざるを得まい……」
 久保川陸将は広げられた戦況図面を睨み、無線から上がってくる報告に耳を傾け、
「――次の敵からの攻撃の波を乗り切ったら、牽引用としてトラックや装甲車を空港へ回せ! 嫌がろうが紫ババア……八雲准尉や山田准尉の首に縄を掛けてでも対空機関砲隊を司令部の守りに持ってこさせろ!」
 怒鳴りつけるように命令を飛ばす久保川陸将に、非難の声が上がる。
『 ――誰が紫ババアですか、久保川陸将?』
「貴様の事だ、八雲准尉」
 千歳航空基地で奮戦中の紫姫。だが抗議の声に、久保川陸将は悪びれもせず、
「――聞いての通りだ。こちらの守りが足りん。三月三曹に頼んで救助部隊を編制させるから、山田准尉と相談し、タイミングを図って千歳航空基地を放棄しろ。……解っているだろう? もう航空戦力は消滅した。飛行場もまた無用の長物になったのだ。固執するな」
『 ――悔しいですわね』
 紫姫はそう呟くと無線を切ったようだった。久保川陸将は溜息を吐きながら、
「光の柱を倒せなかった――いざという時は、千歳一帯を敵に明け渡す事にもなるだろう。最前線で奮闘している部下……岩部達を信用していない訳ではないが、万が一も在り得る。札幌への撤退準備も始めておいてくれないか、曽我士長? 必要な権限は委ねる」
「――本当に、悔しいですわね」
「全くだ……菅家が帯広の放棄を決断した時の気持ちがようやく解った気がする。第5師団はギリギリで帯広放棄を免れたが――第7師団はどうなるか、分が悪い賭けだ。……岩部や由加里が耳にしたら、不甲斐無いと叱ってきそうだな」
「それでも……少しでも生き残る人が多くなればいいと思いますわ」

*        *        *

 メリエル達が予測していたように、維持部隊と駐日米軍キャンプ千歳の混成部隊は、樽前山四方に展開する天御軍の攻勢を受け止めていた。
「……そして最精鋭の部隊を燭台へと一気に投入してくると踏んでいましたが」
 上空から窺う戦況を耳にして、メリエルは青い目を細めた。輸送回転翼機を用いて山頂に降下。その為にも維持部隊側は航空優勢を天御軍より奪還しなければならず、対してメリエルは弟妹達を配置展開。プリンシパリティを中心にしたアルカンジェルズとエンジェルズによる複数チームで空の守りに当たらせた。索敵と防壁に氣が張り巡らされ、押し寄せてくる敵を閃光や《安らぎの光》、そして風の刃で撃退する。そのようなチームが複数。中級のパワーやヴァーチャーによって統率され、互いに連携し合って1つの強固な要塞と化している。だが、
「――先日のゼルエルとバラキエルの作戦が効いてきたのでしょうか。空に上がる戦闘機が少ない。――否、むしろ……これは」
 皆無。敵空戦力はゼロに等しい。考えてみれば無理もない。天使は戦闘機に、質量や威力という点で敵わないが、数や空中機動の小回りさで優る。燃料や武器弾薬を襲撃していた事や、痛手を被った先日のえにわ上空の戦いで多数撃墜している。その状況で敵空戦力が枯渇しているというのは間違いない。しかし敵空戦力が著しく減退しているからといって、天御軍が上方や側面から自在に遊撃出来るかと思えば、
「――代わって、対空措置に出ましたか」
 先の反省から、弟妹達の手で迷彩と隠蔽を施されているメリエルだが、時折、迫り来る35mm機関砲弾に冷や汗を掻かされていた。
「フトリエル姉上も、天草で悩まされているという対空砲ですか。96マルチというMPMS(Multi-Purpose Missile System:多目的誘導弾システム)だけでも厄介ですのに」
 眉間に皺を刻むとメリエルは考え込んだ。話に聞く函館からの帰還組や札幌からの出張組らしき姿は戦場に見当たらない。特に“大罪者(ギルティ)”の姿が。
「――師団規模での陽動……なのでしょうね」
 ならば、どこからか防衛網を突貫しようとする敵精鋭部隊に対抗しなければならなかった。
「敵の間接砲撃を潰せないのは癪ですが……致し方ありません」
 弟妹達に任せて、メリエルは真に重要な箇所を守るべく、一刻も早く熊野達のところまで退くのだった。

 スカイシューターから身を乗り出して、由加里は吼える。両脇で鳴り響く2門の90口径35mm対機関砲の轟音を物ともせずに、声を張り上げた。
「――かつて神はこう言われた。無限軌道あれ、全周砲塔をもて戦場を制圧せしめよ、と!」
 どんな神だ。ツッコミを入れようとする佳子は、だが呆れ顔の苦笑で応えた。
「……あたしは戦車が好きだ。Mk.1が好きだ。サン・シャモンが好きだ。A7Vが好きだ」
 第7師団の機甲戦力残余が、低空飛行で肉薄してくるパワーやアルカンジェルへと機関砲弾を叩き込む。
「全周砲塔を搭載したルノーFT-17は特に偉い! チハが好きだ。チャーチルが好きだ。シャーマンが好きだ。T-34が好きだ。ティーガーが好きだ。チーフテンが好きだ。パットンが好きだ。Strv.103が好きだ。T-72が好きだ。チャレンジャーが好きだ。チョールヌイ・オリョールが好きだ。エイブラムスが好きだ。レオパルドが好きだ。61式が好きだ。74式が好きだ。90式が大好きだ」
 ノッた僚機から声が上がる。
「この戦車が好きだ!」
「あの戦車が好きだ!」
「きみはこの戦車がサイコーだと言うけれど、あたしはこの戦車が好きだ!」
「そうとも! そう言えるあたし達が大好きだ!」
 ハンドルと操縦幹を握っていたまゆみが顔を上げる。
「……え、『達』って……もしかして、由加里の病気の内訳に数えられています?」
 だが内側の裏切りにも寛容な由加里は、声を更に張り上げる。眼前まで迫った光の矢を笑い飛ばし、
「最高絶対の存在を謳い、異論を許さぬ暴君に、ヒトの意地を見せてやれ!」
「「「応っ!!!」」」
 周囲の声に、由加里は手を挙げると、
「――戦車前へ! 戦車でないものも前へ! 信じる者の為に、あたし達の隣にいる人々の為に!」
「「「――Panzer Vor!!!」」」
 歓声にも似た号令が戦場のあちこちから上がる。由加里は感極まって身震いした。
( ……ありがとう二階堂士長! キミの御蔭だ!)
 士気は維持されたまま隊員達は奮起する。機甲科や普通科だけでなく、野戦特科も意気揚々と、第7特科連隊の99式自走155mm榴弾砲ロングノーズが轟音を放つ。これが最後の大出血サービスとばかり。実際、この決戦で装甲車輌等に回せるだけの燃料や弾薬は底を尽きる。まさしく最後のお勤めになるだろう。
「……ノリに水を注しては問題ですよね」
 戦場の雰囲気に笑みを浮かべながら、うどんも部下へと指示を出す。立ち上げられた96式多目的誘導弾システムのコンテナからミサイルが発射された。放たれた榴弾とミサイルが空中要塞と化している敵の群れを吹き飛ばし、また抜けた幾つかが支笏湖を越えて樽前山の頂き付近に爆発する。しかし、
「――敵大多数、なおも接近! 空が3に、敵が7!」
「問題ありませんわ。大火力で天使の鼻先を打っ叩き、大演習場に引き付けるのが目的なのですから」
 部下からの報告に、うどんが叱咤交じりに指示する。そんな言葉が聞こえているかのように、
「燭台から落としきれない数が雲霞の如く押し寄せてきたら? それは戦力の誘引に成功したという事でもあるので宜しい。第一、エンジェルズ級の光学迷彩やアルカンジェルの消気ではレーダーを誤魔化せない! そう! あたし達は、天に向かってつがえた矢を引き絞る弓。す・な・わ・ち!」
 由加里も拳を固めて叫んだ。
「――逆天号!」
 由加里の叫びに応えて、2門の90口径35mm対空機関砲が唸りを上げ続けた。

 ――旧・大演習場を中心とする支笏湖北面で大規模戦闘が繰り広げている間、天使の目を掻い潜って苫小牧へと第7011班と第1113中隊第1小隊は突破に成功していた。
 小休止も兼ねて、苫小牧にある樽前山神社本宮に参詣したものの……
「駄目です。北海道神宮で感じられた大物主様のような波動は、ここにありません」
 着込んでいる00式化学防護衣の中で見えなくとも、蛭子は難しい顔で呟いているだろう事は誰にでも予測出来た。北海道神宮では調査に潜り込んだ零や蛭子達だけでなく、周辺で戦闘を展開していた三月や殻島にも明確に大物主の存在を感じ取れた。
「話に聞いていましたそこまで劇的なものではなくても、鹿屋野比売と何らかの接触が出来れば、封印解放からの手立てを得られたと思っていましたのに」
 佐伯もまた無念そうに続ける。
「……恐らくは、燭台の灯も点す燃料に使われただけでなく、今もなお搾り尽されているんだろうさ」
 殻島の吐いた悪態に、岩部も苦々しい表情を浮かべながら頷いた。
「最早、こちらに気を配る余力もないという事か」
「――仕方ねぇ。接触し、そして封印の解放は難しくなっちまったが、いずれにしてもチキン共を撃ち墜さない事には始末が付かねぇんだ」
 殻島が部下に休憩の終わりを告げると、岩部も天野に視線を送って、第7011班へと出発の合図をさせる。
「装備点検に怠りはないな? 弾薬をケチるな!」
「――状況開始!」
 高機動車『疾風』に搭乗している殻島小隊を先陣に、徒歩で岩部班が続く。
『こちらは国道276号線から接近する。派手に騒ぐから、そちらの目晦ましになるだろうさ』
「……感謝する。とはいえ敵も用意周到だ。上手く事が運ぶとは思わないが。――樽前錦岡線(※道道141号線)から迫る。武運を祈る!」
『お互いにな!』
 通信を切って進む岩部だが、勿論、懸念している事があった。リヒターは第1特殊作戦部隊分遣隊――通称『デルタ』第2作戦中隊長を務めた人物だ。天使側の首魁ならば、浸透作戦に対する知識も深いだろうし、ブービー・トラップ等を設置しておかない理由もない。山肌を崩して道を塞がれては、装軌車両でも足止めを食う。
( だからこその徒歩手段での接近だったが…… )
 戦術は相手との知恵比べだ。天候、地理、装備、時機、相手の思考……それ等を見誤れば痛い目に遭う。念を入れて、操氣憑魔武装のパルチザンを構える佐伯と、淡島・蛍[あわしま・ほたる]二等陸士が気配を覆い隠してくれてはいるが……。
「――罠の仕掛けも擦り抜ける訳ではないな」
 古典的なスネアやホールヌーズだけでなく、デッドフォールにスピアトラップ、そして、
「――クレイモア!!」
 佐伯が息を呑んだ。指向性対人用地雷M18クレイモアを発動させるワイヤーが地面や木陰に隠され、慎重に進むのを余儀なくされる。蛭子や、工藤・明彦[くどう・あきひこ]一等陸士もまた周囲を確認して、隙なく張り巡らされた罠に冷や汗を掻いた。見付け出す事が出来たのは幸運だが、問題は――
「……解除が容易では無いな」
 そして時間を掛ければ、それ程に……
「班長! 天使の索敵チームに発見されました!」
 周囲を警戒していた 西井・順平[にしい・じゅんぺい]一等陸士と 井口・尚人[いぐち・なおと]二等陸士がBUDDYで狙撃。エンジェルズとアルカンジェルを討ち果たしたものの、絶命する瞬間に氣の信号を放つ。
「――警報が放たれた! アクティブ・ピンが周辺から迫ってくる。心太、構えて!」
 蛍が斧槍を構えると、天野もまた抜刀。岩部の無線に、殻島小隊もまた敵の罠と、待ち伏せによる交戦が開始された事を伝えていた。
「――天野士長に、先鋒を任せる! 敵の防衛網を突破して奥宮に辿り着け。各員、互いに支援を忘れるな。罠に注意せよ!」
 BUDDYでの援護射撃を受けながら、天野が山道を駆ける。半身異化により極限の身体能力を得ると、仕掛けられた罠が発動するより早く、刃を振り払った。氣の防壁諸共に両断されるアルカンジェル。そのまま縦横無尽に、天使の群れを塵芥のように斬り払おうとする天野の勢いを、
「――易々と行かせるとお思いですか?」
 受け止めたのは、両の腕に氣によって形成された手甲を装着した男。手甲より突き出された鉤爪のような刃が、天野の居た空間を凪ぐ。
「――鈴元准尉か!?」
「受容体の名です。今後はゼルエルとお呼び下さい」
「――残念だが」
 ゼルエルの円弧を描く爪剣を、紙一重で避けながら天野は斬撃を繰り出していく。
「次はない!」
 速さならば、こちらが上だと確信。だが強靭さはあちらが優る。ゼルエルは斬撃を受けながらも、口元を歪めて笑って見せた。
「……成程。確かに速く、そして鋭い。――伝え聞く、壬生准尉殿と渡り合った剣の腕前とやらを、存分に味わさせてもらいましょう!」
「余裕もすぐに失われると思え!」
 ――天野がゼルエルの相手を一身に引き受けている間、だが岩部達も天使側の厚い壁に攻めあぐねていた。ゼルエルより遅れて現れた、巨漢――熊野が見掛けによらぬ的確な指示でエンジェルズやアルカンジェル、そしてプリンシパリティを動かしていく。第7011班が張る弾幕に対して、天使側は能力をフルに活用して応戦した。プリンシパリティの真空の刃が荒れ狂うと、逆巻く風によって砂埃や地煙が、エンジェルズによる閃光と共に視界を遮る。5.56mmNATO弾の衝撃を、アルカンジェルの防護壁が緩和する。
「岩部隊長、自分が出ます!」
「……待て!」
 膠着状態を打開すべく、岩部の制止を振り切って、沢田・信司[さわだ・しんじ]二等陸士が決死の覚悟で跳び出た。強化された身体能力が投げる強化系憑魔武装の槍は、プリンシパリティを貫く――はずだった。だが、狙い済ませていたかのように、熊野が手にするU.S.AS12フルオート・ショットガンを撃ち放つ。面での攻撃に避けるすべもない沢田は、肉片を撒き散らしながら吹き飛んだ。真美子や命も容赦なく構えたダネルMGLグレネードランチャーを発砲し、ガス弾だけでなく、炸裂弾を撃ち放ってきた。
「――くそっ! 各員、散開しろ! 敵はハチヨンも持っている!」
 命の傍らにある84mm無反動砲カール・グスタフの存在を、視界の端に捉えた岩部の叫びに応えて、
「沢田の仇だ! くたばれ、化け物共!」
 工藤が110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウストIIIを担いで撃ち放つ。熊野が回避を叫んだが、間に合わずにアルカンジェルに直撃した。さすがの防護壁も110mmのロケット弾の直撃には耐えられない。四散するアルカンジェルの姿に勢い付く第7011班だが、戦場を突如として覆う霧に戸惑いが生じた。
「……間に合ったようですね、ドゥビエル」
 側近のヴァーチャーズをはじめとする弟妹を引き連れて、メリエルが青い瞳で見下ろしていた。メリエルは戦況を眺めると眉根を寄せ、
「“大罪者”はショフティエル兄と、バラキエルの方でしたか……大丈夫と思いますが、心配です」

 岩部達と熊野が交戦を開始したと同じ頃、罠を強引に突破した第1113中隊第1小隊を、しかし明海が率いる元・第7013班甲組とリヒター子飼いの米兵1個小隊による混成防衛部隊が阻んだ。
 塹壕に半身を埋めて、ブローニングM2重機関銃キャリバー50で弾幕を張る。弾薬箱から伸びたベルトリンクは装填口に吸い込まれると、空薬莢となって絶え間なく撒き散らされていく。デルタ小隊の重機関銃手と効率よく集中出来る様にクロスで築かれた火線に耐え切れず、疾風がまた1輌爆散した。
「――くそったれ!」
 焦れた殻島が意識を集中すると、明海の眼前の空間が歪んだ。慌てて塹壕に頭を引っ込めながら、
「各自、しゃがんでー!」
 警告が間に合ったかどうか判らない程に爆発が襲う。逃げ切れなかったエンジェルや米兵が爆発で潰れていく。だが明海はすぐに反撃。殻島の次がくるまでの瞬間を狙っての、パンツァーファウストの全弾叩き込み。リヒターから聞いた話では、空間系とやらも大火力は防ぎ切れないという。
「――やりましたか!」
 しかし次の瞬間、空間を渡ってきた刃の軌跡に、明海は息を呑んだ。反射的に腕でかばい、雷電系憑魔手甲『雷電』で刃を受け止める。間一髪ながらも、そのまま明海は雷電よる刃を伝っての感電へと繋げようとしたが、
「――教えてやるよ、嬢ちゃん。武装といっても、憑魔である以上、生きているんだぜ?」
 生きている以上は、殺す事が出来る。滑るように刃が動き、憑魔核を抉って見せた。殻島の驚愕するようなナイフ捌きに、雷電が沈黙し、明海の背に冷たいものが走った。間近に迫った殻島の犬歯剥き出しの笑いに、だが明海は奥歯を噛み締めて恐怖を堪えると、続く首を狙ってきた刃の閃きを、だが染み付いた体捌きでまさしく皮一枚で避ける。
「……今のを避けただと? 幽霊か、てめぇ!」
 驚愕を返した明海が詰め寄ろうとするが、勘付いた殻島は大きく“跳んで”後退する。そして明海と、その背後に現れた姿に大きく舌打ちして見せた。
「――セラフが2羽か。しかも1羽は天敵たる“懲罰者(パニッシュメント)”ときたもんだ。勝てるのか、俺? やれやれ、逃げたい気分だぜ」
 殻島の軽口に、明海の背後に現れたリヒター――否、ショフティエルは無言で応じる。そして明海の頷きに合わせて、攻撃に――出た!

 霧と煙に包まれて視界が悪い中でも、降り注いでくる5.56mmNATO弾や、炸裂する擲弾の雨。だが物ともせずに蛭子と蛍は突撃する。威勢よく蛍が斧槍を振り下ろすと、膨大な氣が勢いよく閃光や煙幕、そして霧を断ち割った。
「――狙い撃て!」
 蛭子達にとって視界が開けた事は、逆に言えば熊野達にとっても的に当てやすくなるという事だ。蛍へとエンジェルズや元・零漆特務隊員(※小隊付班の天御軍傾倒者)が、祝祷系能力による光線やBUDDYで集中砲火を浴びせようとする。しかし横薙ぎした業火が射線を封じた。長身と、手にする長鉾が目を引く青年は続けて、炎を撃ち放つ。プリンシパリティが慌てて距離をとり、間に入ったアルカンジェルが防護壁を張る。だが長鉾の火炎系魔人―― 尾野・五郎[おの・ごろう]二等陸士の支援を受けた蛍と蛭子の勢いは止まらない。第7011班もまた携帯放射器1-1型で火炎の濁流を浴びせると、逃げ損なったエンジェル1羽が黒焦げになった。追い討ちとばかりFN5.56mm機関銃MINIMIの連射音が轟くが、
「――負けるもんか!」
 真美子がカール・グスタフを撃ち放つと、派手な爆発と悲鳴、そして沈黙が訪れた。しかし戦果を喜ぶより真美子を戒めるように、熊野が叫ぶ。
「鈴木、武器を取れ! 来たぞ!」
 爆煙に紛れて跳び込んだ蛭子がM1911A1コルトガバメントを真美子の腹部へと突き付ける。そして.45ACPという大口径弾が真美子を吹き飛ばした。咄嗟に張った防御膜が直撃を阻んだとはいえ、衝撃は素通し、そして地面に叩き付けられた痛みもあって真美子は口から泡を吹いた。集中が途切れて氣の防護壁が薄れた真美子へと、止めを刺すべく蛭子が銃口を向ける。
「――俺の部下を、させるか!」
 熊野がU.S.AS12のフルオート。散弾が蛭子の化学防護衣を襤褸にさせるが、
「……無傷? 島村と同じ異形系か!?」
「隙あり、戴きっ!」
 熊野に肉薄した蛍が、熊野へと斧槍を払い打ちする。だが熊野はボディアーマーに食い込んだ刃が生身を傷付ける前に、強引に力任せで蛍ごと振り払った。そのまま地面に叩き付ける前に、弾倉交換を終えた蛭子が邪魔に入る。
「――距離をとる! 島村、頼んだ」
 熊野の叫びに応じて、命がダネルで煙幕弾を放とうとするが、炎をまとった長鉾がそうはさせまいと繰り出してきた。異形系とはいえ焼かれては蘇生が効かなくなる。ただでさえ命も、そして真美子も戦いが得意な方ではない。ましてや白兵戦距離に詰め寄られれば防戦一方だ。対して蛍も尾野も白兵戦に慣れている。エンジェルズやアルカンジェル、プリンシパリティがカバーに入るものの、撃ち落されていった。
「――とはいえ、決定打が足りませんけどね」
 蛭子が呟く。中々攻勢に転じられない熊野達だが、守りだけでも固めてしまえば、足止めや時間稼ぎとして戦術上の目標は達成される。蛍でも熊野の前では力負けし、尾野の火炎も復活した真美子が、命に替わって防護壁で阻む。そして命と蛭子は異形系同士の千日手。いや、侵食率を考えれば、長時間に渡れば蛭子にとって分が悪くなっていく。熊野の指揮能力が殺がれているのが、唯一の戦果か。
 ――熊野と蛭子。両者決定打に欠けての泥死合が繰り広げられていくのに、お互い歯噛みするしかなかった……。

 得手、不得手。相性の善し悪しを看破し、状況を考慮して、味方を配置し、実力を十二分以上に発揮させるのが戦術の妙というのならば、天野は舌打ちするしかなかった。敵魔人の能力系統の情報は、調査隊に開示請求すれば入手は可能。従い、五大系の弱点のみならず、相手の連携を断つ事もまた勝利の鍵と踏んだものの、組み合わせというのはまさに神の采配、魔の悪戯と言えよう。
「――っ!」
 息をするのも忘れての連撃を繰り出す。だが攻防一体の《練氣》の手甲に阻まれて、致命傷まで至らぬ。内に滑り込み、ゼルエルが両の爪剣で脇腹を抉ろうとする瞬間に、天野は敢えて踏み込んだ。勢いを受けてゼルエルの体が浮き、力が伝わりきらなかった爪が抗弾チョッキを浅く撫でる。それでも鋭い刃は繊維を切り裂くと、天野の肉肌にまで達した。重要な器官は傷付けられなかったが、背筋に冷たい汗が走るのを感じる。しかし――
「敵の攻撃を恐れず、勇気を持ちて踏み込めば、腰引きて退くよりも傷深くならん」
「……共倒れでも狙いますか」
 再び肉薄した状態で互いの得物を繰り出しながら、思わず独白。ゼルエルも感心したかのように返すが、互いに余裕がある訳でもない。否――戦場における好敵手との意思疎通は、戦闘行為に極限まで心身を沈めた極致だからこそのモノかもしれない。口端に笑みを湛えると、
「まさか! 共倒れなんてつまらない。燭台を斬るまでは止まれず!」
「しかし『言うは易き、行うは難し』とございますよ」
 自分の肉体が内燃機関を有する駆動装置とみなすと、天野はギアをチェンジして、さらに速度を上げる。憑魔核から伸びた神経網が筋肉繊維や骨格、血管を覆い、さらなる能力強化を促す。心臓というポンプから四肢の隅々まで送り出される血流の音が、耳鳴りのように感じた。――鍛え上げた技。壬生の絶技と鎬を削った戦いで得たもの。力と技量で以って、ゼルエルを捻じ伏せてみせる。
「――おおぉぉぉっっっっ!!!!!」
 天野が発した雄叫びは、だが身体の動きに遅れて付いてくる。ゼルエルもまた裂帛の気迫を以って返し、天野の斬撃に血塗れになりながら堪えて見せる。神速の天野の動きと、周囲を圧するゼルエルの気迫は、空間を歪ませるかのようだった。最早、達人同士の死闘に敵も味方も手出しは不可能。むしろ足手纏いとなって、その些細な狂いは致命傷に転ずる危険をはらむ。
「――飯島さん! 狙撃は……」
 それでも見かねた 小和田・ユカリ[おわだ・――]二等陸士が、切り札の一枚として隠されていた狙撃手である 飯島・千鶴[いいじま・ちづる]二等陸士へと悲鳴を送るが、
『 ――無理だ、ユカリ。状況が錯綜し過ぎている。如何に私の力で弾道修正しても、それ以上の予測不可能な動きがなされている以上、天野士長に当たる危険性も捨て切れない』
 そして西井や、石上・陽介[いしがみ・ようすけ]一等陸士も巻き添えを喰らわないよう、そして岩部や天野に命じられていた役割をこなしながら見守る事しか出来ない。エンジェルズやアルカンジェル、プリンシパリティを撃ち落としていくだけだ。尤も、岩部や天野にしてみれば、それだけでも十分な支援であり、助けになるだろうが。
「――残念ですが、小生の勝ちです。最早、力を出し惜しみする余裕はなく、もしも貴殿は小生を倒してもバラキエルやショフティエル兄上にまで弑逆する事能わず。否、そもそも前提たる小生を倒す事すらも出来ないのですから!」
 ゼルエルの翼が膨れ上がり、八方へと氣が爆発する。氣に圧せられた衝撃で天野の身体が刹那、固まった。そして隙を逃さずに振り払われたゼルエルの爪剣が天野の右脚を跳ね飛ばす。ユカリの悲鳴が上がった。速度と機動性とを殺された天野。だが――ゼルエルの目が見開き、驚嘆の叫びが上がる。
「――脚無き、その足で踏み込むというのですか!」
 全体重と力を愛刀に込めると、ゼルエルに倒れ掛かるようにして振り下ろす。袈裟斬りした刃は地面をも抉る。そして崩れ落ちそうになった天野を抱き止める様にして支えるのは、ゼルエル。ぶつかった衝撃で切断面から上がズレ落ちていきながらも、
「――慢心、驕りは、“堕ちし明星”の罪悪なれば、小生もあの瞬間に犯してしまったようですね。不徳の致すところでございます。しかし、小生の失敗以上に、勝利を掴み取れたのは貴殿の実力あってこそ……お見事でございました」
 生まれて初めての満面の笑みを浮かべながら、ゼルエルは倒れた。天野も地面に突き刺さった愛刀を支えにしてようやく立っている状態。ユカリが慌てて駆け寄ってくる気配を感じながら……意識を失った。

 空間を渡る刃の応酬に、必死になって抗する明海。
( ……攻めに転じれば、防御が疎かになるだろうなんて甘い考えでした )
 幽霊のようだと敵に評価されたのは皮肉だが、透過術の足運びで受け流す。殻島にとって憑魔能力は己のナイフ術を行使する際のオマケでしかない。大技だからこそ頼り切らない。だから付け入る隙が無い。
「――とはいえ、分はこちらにあります」
「……違いねぇ」
 軽口を叩く殻島だが、言葉とは裏腹に顔は真剣そのもの。繰り出す刃と変幻自在な体術が厄介だが、徒手格闘における才覚は明海が上。初手で雷電を破壊されたのは痛かったが、強化された身体能力と反射神経から繰り出される一撃は“神の雷光”の意を戴く真名に相応しく、まさしく迅雷。ましてやショフティエルの連携もあるとすれば、殻島が勝つのは至難としか言いようが無いだろう。だが明海には敵――しかも“大罪者”にかける情けはない。両の刃を薄皮一枚で避けながら、殻島の内に潜り込むと、急所へと右拳を抉るように叩き込む。血を吐き、くの字に折れ曲がった殻島へと、止めとばかりに左腕の手甲『轟炎』が唸りを上げるが、
「……さすがにやられてばかりじゃ、ここまで付いてきてくれた子分達に申し訳ねぇんだよ!」
 飛び上がるように跳ねた殻島の頭突きが、明海の胸部を叩く。着込んだd3oスニーキングスーツと、天然の衝撃緩和材――豊かな胸の膨らみで痛みはないが、姿勢を崩されて止めを刺すタイミングを逃した。
「……セクハラとか言うなよ。こちとら必死なんだからな、くそったれ」
 口元の血を軽く拭ってから刃を構え直す、殻島。この男の最大の武器は、空間系という特殊な憑魔能力でも、両のナイフに喧嘩殺法でもない。外見によらず卓越した指揮統率能力。驚く程に部下からは慕われ、また悪ぶってはいるものの、お人好しな性分だからか面倒見が良い。だが殻島自慢の小隊も、明海の弟達――戦鬼4人と、リヒター子飼いのデルタ1個小隊によって抑え付けられている。殻島の支援に回ろうとする彼等を完膚なきまでに叩き潰していた。殻島は苦痛を押し殺しながらも、なお付いてくる部下を一瞥すると、
「――ここまでか。お前等、とっとと札幌に逃げ帰れ。悪いが、俺――殻島暁という“人間”は、ここで『遊戯』を降りる。まぁ7つのうちの1人に過ぎないから……後の事は、他の殻島に期待するさ」
「しかし、隊長……!」
「いいから、とっとと逃げろ。巻き添え喰らいたいのか! 死出の旅路に、お前等は重荷だ、足手まといにしかならないんだよ!」
 殻島の叱責に、僅かとなった第1113中隊第1小隊の生き残り達は目に一杯の涙を浮かべながら、撤退を開始した。追いすがろうとするデルタだが、間に“跳んで”割り込んだ殻島が、空間を爆発させて蹴散らす。それでも幾つかの銃弾を浴びるが、犬歯を剥き出しにして不敵に笑う。胸ポケットから取り出したのは、銀の鍵。ショフティエルの顔に焦りが浮かぶ。
「――いかん! バラキエル、奴を消滅させろ!」
「……遅い。俺が手にする大罪は『暴食』――喰われちまえ!」
 殻島を中心にして、空間が歪んだ。上空に現れたのは虹色に輝く門。――それは次第に、互いに接近したり離れたりを繰り返す、絶えず形や大きさを変える虹色の輝く球の集積の姿を顕し……そして消えた。
「……銀の鍵にして、虚空の門。――邪霊ヨグ=ソトホートの一端めッ!!」
 ショフティエルが怒りと憎しみが合い混ざった呻き声を上げた。そして破壊する為に近付こうとしていた明海の身体から活力が奪われた。思わず片膝を付いてしまった明海から容赦なく奪い続けていく。まさしく貪り食うように。
「――姉さん!」
 戦鬼の1人、笹本・和也[ささもと・かずや]一等陸士が、崩れ落ちた明海の身体を抱える。そして残る兄弟3人へと投げ渡した。
「――笹本!」
 力を振り絞って、明海は手を伸ばそうとするが、他の3人が力で押さえ付ける。そのまま安全圏まで大きく退いた。明海の視線の先――笹本は笑顔を浮かべると、そのまま暴食の渦に、喰われ、呑み込まれていったのだった……。

 ビアンカ・マクスウェル[―・―]二等軍曹に展開させた霧は、一部で強引に突破されたり、高速機動の余波で晴らされたりしたが、概ね第7011班を包み込んでいた。メリエルは霧の水分子を媒介にして敵へと電撃を放射する。だが――
「舐めるなっ!」
 放射された電撃が吸収されるように一点に集中――そのまま敵の力に取り込まれ、業火の舌が天高く膨れ上がった。咄嗟に バーナード・オグバーン[―・―]二等軍曹が自らの身を盾として威力を緩和しようとするが、元より火炎系攻撃に弱い エレイン・カーライル[―・―]二等軍曹の全身が火に包まれて、そのまま撃墜された。
「――油断しました」
 敵にも五大系魔人がいるのであれば、無差別の広範囲攻撃は吸収されて、逆に返ってくる。戦闘経験の少なさが露呈した形となったが、今は後悔も反省もすべき時ではない。敵は反撃の手を休めない。
 岩部の火炎に続いて、佐伯がパルチザンに意識を集中。氣の放射とは逆の応用技――《吸氣(エナジー・ドレイン)》がアルカンジェルの《消氣》とエンジェルズによる光学迷彩で隠蔽していたメリエル達の姿を露わにした。そのままバーナードへ向けて、佐伯はもう片方の手に構えていたコンバットナイフの刃先から電光が走らせたが、
「――Don't despise!」
 オースティン・ヘイフォード[―・―]二等軍曹が炎の盾で防ぐ。ならばと佐伯は氷撃を放つが、今度はメリエルが受けて取った。
「……厳しいですね」
「天野や蛭子達が、別の相手と戦闘中だからな。互いにカバーし合える五大系を複数人備えていると、憑魔能力では決定打が与えられない」
 佐伯の呟きに、厳しい顔で岩部が首肯した。沢田が戦死した事が余りにも痛手として大きい。だが――メリエルにしても幻風系のエレインが落ちた事は相当の痛手であった。
「――荷電粒子砲を撃ち込む事が不可能になりましたね。ドゥビエルの、プリンシパリティがこちらに回ってくれれば……」
 憑魔能力による攻撃のキャッチボール。再び膠着し掛けてきた状況に歯噛みしたメリエルの僅かな隙を突いて――銃弾が放たれた。咄嗟に張った斥力障壁が急所をずらすが、7.62mmNATO弾はメリエルの身を貫通する。見下ろせば、視界の端にM24対人狙撃銃を構えている飯島がいた。岩部達と佐伯の攻撃は飯島から目を逸らすに充分。ボルトアクションで次弾を装填した飯島が続けて撃ってくる前に、ビアンカが氷雪の破片を降り注いだ。飯島だけでなく氷片を浴びて、岩部達も顔をしかめる。特に火炎系である岩部にとって、氷水系のビアンカは大敵。
「――敵の幻風系を落とし、リーダー格にも傷を負わせたものの……手詰まりだな」
「敵はデフォルトで空に浮いていますからね。強化系の井口さんや工藤さんでは攻撃が届きません」
 互いに銃弾や憑魔能力で撃ち合いを続けるが、決め手に欠ける。メリエルのチームから1羽でも欠ければ五大系による防御の完全性は失われ、連携も失われると踏んでいたが――
「増幅だけが連携という事ではない……か。固定観念に囚われつつあったのは俺もか」
 増幅が出来なくとも、個別で対応すれば良いという事。幻風系のエレインは確かに増幅の要であったが、より厄介だったのは氷水系のビアンカ。そして空を飛ばれれば、地脈系の石上が応援に駆け付けてきても手出しが難しい。アルカンジェルは姿を隠すのでなく、防壁に氣を張り続けており、飯島の狙撃を防いでいる。そして佐伯が《吸氣》を行おうとパルチザンに集中したり、岩部達が91式携帯地対空誘導弾ハンドアローやパンツァーファウストといった大火力を構えたりする余裕を与えさせない。
「……とはいえ、こちらも下手に動けないですが」
 銃創を手で押さえながらメリエルは状況に歯噛みする。兄弟姉妹のうち、ゼルエルは討たれ、ドゥビエルこと熊野のチームだけが奮戦している。メリエル自身は、致命傷ではないものの、時間が長引けば失血死するかもしれない。先の戦いといい、油断と戦闘経験の不足が厳しい結果をもたらしている。自衛隊と違い、駐日米軍は安易な戦闘に従事しがちだったツケが回ってきたのかもしれないとメリエルは自省した。
 このまま意識を失い、墜落するかもしれないと覚悟した丁度その時――光の柱が鳴動した! より多く、より強い光輝の群れが溢れ出す。
「――ドミニオン、トロネだと!」
 増援として向かってくる超常体の姿に、岩部が絶句する。対してメリエルは微笑むと、緊張が緩んだのか意識を失い、慌てて弟妹達に支えられた。
「――班長。殻島小隊も敗退したそうです。そして久保川陸将は千歳の放棄を決定しました。撤退命令が出されました!」
 悲痛な声で、部下が連絡を伝えてきた。岩部は奥歯が砕けんばかりに噛み締め、血が滴り落ちる程に拳を握り締めた。だが意を決して声を張り上げ、
「――撤退する! 各自、味方を見捨てるな!」
 そして殿軍は務めるべく、拳に炎を乗せた。
「おつきあいします」
 風をまとわせたコンバットナイフは雷光を放ち、佐伯は岩部へと力を注ぐ。炎は嵐となって渦を巻き、追撃しようとする天御軍を焼き払うのだった――。

*        *        *

 負傷した隊員や米兵が豊平駐屯地の札幌病院へと運び込まれていく。片足を切断した天野だけでなく、疲労困憊で昏睡状態に陥った岩部や佐伯、そして蛭子達も寝台で横になっていた。
 衛生科だけでなく、需品科もまた傷病者の手当てに奔走。目の回るような忙しさだが、戦場から戻ってもなお休みもせずに働く桜子の頑張る姿に、葵も汗を拭う間も惜しんで動き続ける。
「――南の守りは大丈夫なんでしょうかぁ〜」
 零の心配する声に、三月は頭を掻くと、
「紫ババアの対空機関砲隊だけでなく、月兎准尉のマルチ、国木田准尉の逆転号といった大演習場決戦での主力は幸いにも健在であるからな。それに、大物主様の加護もあろう。簡単に札幌は攻め落とされんよ」
 慰めに過ぎないが、今はそう呟くしかなかった。

 ――そして夏至の日。世に言われる黙示録の戦いが始まった。高位の超常体が、神州の支配権を巡って相争い始める。天を覆う、神の御軍。地を覆う、魔の群隊。人々は拠点を死守するのに精一杯だった。

 燭台の灯、光の柱の下でショフティエルは北へと視線を向ける。
「……札幌を攻め落とすのは容易でないか、やはり」
 後ろに控えている熊野が難しそう顔で応えた。
「弟妹達が続々と応援に駆け付けていますが、自衛隊も残存戦力を集中して篭城に入っています。特に邪霊である大物主の存在が厄介です。宇佐の長兄だけでなく、各地の兄上達と連絡を密に取る必要があるかと」
「そうだな。――ラミエルの具合はどうだ?」
「命や真美子が看護していますから、復帰に時間は掛からないかと。ただし油断を繰り返した事に、メリエル自身が精神的にまいっています。そちらのフォローは……俺では難しいですから」
「最終的に負けなければ構わん。“ 主 ”の愛は寛大で無限だからな」
 そこへ明海が腑に落ちない顔で姿を現した。問い質すショフティエル達に、明海は申し訳なさそうに返す。
「――“大罪者”の遺体が見付かりません。忌まわしき『銀の鍵』も同様です。そして付近に履帯の跡を確認しました。プールソンのものだとすれば――“堕ちしモノ”共に回収された恐れがあります」
 戦慄が走ったのだった。

 ……時は、樽前山決戦直後に遡る。生けるものなく、動けるものがなくなった“暴食”の傷痕が刻まれた大地。恐る恐ると維持部隊の戦闘迷彩II型を着た青年が顔を覗かせる。天使の群れが戻ってくる前に、傷痕の中心へと足を踏み入れた。
「――陛下。お迎えに上がりましたっス」
 声を掛けられて、顔を上げるのは髪を斑に染めた青年。射殺すような目付きでオリアスへと向く。だがすぐに表情を崩すと、
「……オリアスか。久し振りだな、おい」
「陛下も何よりっス。というか、随分とワイルドになられて……天上の調べとも謳われた陛下なのに」
 陛下と呼ばれる青年は苦笑すると、
「ベースとなる受容体がこれだからな、仕方ねぇ。でも親友を笑わせるにはインパクトあるだろ?」
「……間違いなく猊下は大爆笑するっスね」
 青年は立ち上がると、オリアスの案内に従って歩き出した。自嘲するような笑みを浮かべ、
「しかし、人吉で“銀の鍵”で閉め出されたと思ったら、千歳で“銀の鍵”で招き入れられるとは思ってもみなかったな。結果論だがショフティエル等に感謝するか?」
「……悪い冗談っスよ。こちとら万魔殿の礎を1つも築き上げられてないんスから。――大海龍閣下も、大公殿下も負けたそうっスよ」
「あいつら、万魔殿とか興味なさそうだったじゃねぇか? 弟……いや、この世界では女だから妹か。そのベルフェゴールに到っては怠惰を満喫していやがるし。アスモデウスの畜生にしても腹に一物持っているからな。……あん畜生も負けてくれねぇかな。どう見ても隙あらば親友に楯突こうとしているぜ。そしてサタンがどう転んだか、バェルの兄貴から連絡着てないんだろ? あん畜生が邪魔している気がするんだよなぁ。――真面目に万魔殿の礎を築こうとしているの、親友と俺の他は……バェルの兄貴とアスタロトぐらいじゃないか?」
 ともあれ青年とオリアスは天使の目から逃れるように山道を下り、森に入る。今は戦っても得策ではない。
「親友に合流したいが……遠いんじゃねぇか?」
「まぁ月末までには可能っスよ。プールソンがいるっスから」
 異形の戦車が青年とオリアスを迎える。プールソンだけではない。人間の世に絶望し、だが天使共に従うのも良しとしない魔人兵が集まっていた。青年は思わず苦笑する。
「じゃあ、親友――ルキフェルに合流するか」
「仰せのままに……バールゼブブ陛下」

 


■状況終了 ―― 作戦結果報告
 北海道西部(北亜米利加)作戦は、今回を以って終了します。
『隔離戦区・獣心神都』第7師団、第11師団編の最終回を迎えられた訳では在りますが、当該区域作戦の総評を。
 札幌の北海道神宮に対して、積極的に侵入と調査を行い、また障害となる幾多の魔王を1つずつ丁寧に対応していったと思います。大物主神の解放にいたっても慎重になって、最後の罠を回避出来ましたのは偶然の要素は高くとも、結果的に大成功だったと言えるでしょう。
 函館における攻防戦は、戦力の集中に間違いはありませんでしたが、“名状し難きモノ”側との運命の悪戯とも言うべきすれ違いが状況を長引かせてしまった感があります。
 逆に言えば、“名状し難きモノ”側は維持部隊側の猛追を巧みに摺り抜けて、目的まで後一歩のところまで到達していました。
 尤も、札幌と函館の戦力集中により、千歳は犠牲になった感が大きいと言えます。最終決戦においては決定打を持つ維持部隊側の戦力が足らなくなり、押し切れなかったのが残念でなりません。
 対して天御軍側は耐え忍び、時機が来るまで戦力を温存し、また防衛に周到な準備をかけていった事の積み重ねが、守り切れた事の大きな要因と言えます。
 それでは、御愛顧ありがとうございました。
 この直接の続編は、当分先になると思います。とりあえずは、時間を少し溯りまして、同時期に東北方面及び北陸での作戦に御参加頂ければ幸いです。
 重ね重ねになりますが、ありがとうございました。

●おまけ・設定暴露:
 小波の母親と、陸将や一佐クラスの高級幹部は同世代。久保川陸将も小波を親しそうに呼び捨てにしているのは、そういう人脈があるから。
 その小波は一個下の世代(※25〜40歳代。若いPC=10〜25歳代より一個上)で、零伍特務の久菜とは(小波)先輩、(久菜)後輩の仲。久菜が特務へと追放されるまで、札幌における幾つもの問題を解決してきた名コンビだった。
 なお小波が魔群のスパイというのは、ルーク・フェラーのブラフ。完全侵蝕魔人ではあるが、維持部隊側である。但し攻勢波動を浴びていたら損害を負っていたので、完全な意味で大物主から「味方」と認識されている訳ではない。小波の特性は「コマンダー/オペレーター」。戦闘力として、徒手格闘術は趣味/特技でかじった程度であり、憑魔能力が主攻撃である。
 ハストゥールが儀式により地球上に降り立ったのは2月。「フライング」というのは、これを指す。但しハストゥールが完全に顕現する前に、戦力の要になるべきイタクァ=ザ・ウェンディゴと壬生が相打ち。しかも五稜郭にハストゥールを弱らせる結界を施した為、ナイ神父は腹癒せも兼ねて、ハストゥールを壬生に寄生させた。シュブ=ニグラス顕現も、アンナ嬢の想いに、ナイ神父が付け込んだ結果。なおナイ神父は岩部達が突入した際に間違いなく撃破されている。拍子抜けする程に呆気なく倒されたのは、他の“這い寄る混沌”の顕現と違って戦闘能力が皆無だったから。
 樽前山は千歳と苫小牧にまたがっているが、これは「千歳の地」だと強弁する、まさに言葉のレトリックである。樽前山神社奥宮に封印され、力を搾り取られていたのは鹿屋野比売神で間違いなく、南米編におけるサマイクルの台詞にヒントが散りばめられていた。


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