同人PBM『隔離戦区・獣心神都』第4回 〜 北海道東部:南亜米利加


SA4『 近くにいる者傍らにいる者の王 』

 嵐山公園に停車した73式小型トラックから降りた、神州結界維持部隊北部方面隊・第2師団第2後方支援連隊・治療中隊第9班長の 内藤・和華(ないとう・わか)三等陸曹へと、友人や知り合い達が駆け寄る。同じく降りた第119地区警務隊員は内藤に敬礼を送ってきた。
「形式的なものとはいえ、御足労をお掛けしました」
「いえ。そちらも職務だから、気にしていない……と言えば、さすがに嘘になるけれども」
 それでも屈託なく内藤が笑みを浮かべると、益々恐縮して警務科隊員は頭を下げる。需品科より送られてきた物品がトラックの荷台より降ろされ、速やかに納められていく。最後に再び敬礼をすると、警務科隊員は旭川駐屯地への帰路に着いた。
「――しかし査問会に出頭か。これで内藤三曹も箔が付いた――ウゴォ」
 ツッコミを入れられて、大仰に痛みを訴えて転がる、第9普通科連隊第248班長の 古川・均[ふるかわ・ひとし]三等陸曹。ツッコミを入れた第249班長の 稲生・香子(いなお・かこ)准陸尉は冷たい眼差しで見下ろしていた。
「――いいか。冗談でも悪振った格好は賞賛するものではないぞ。……安心しろ、査問会に出頭するような不祥事を古川三曹が犯したのであれば、僕が責任持って処刑してくれよう」
「えーと。何だか目がマジなんだけど……」
 地面に尻を付けながらも古川は後ずさり、香子から逃げようとする。香子は獲物に止めを差す猛獣のような笑みを唇の端に浮かべると、愛刀の鯉口を切る。古川は這いつくばったまま、四肢を器用に動かして脱走。周囲の者達は滑稽さに破顔しているが、内藤は笑いどころが解らずに頬を引きつらせるだけ。
「……まぁ、あの2人はアレでいつもの事なんで」
 周囲への仕掛けで汚れに塗れたアフロマン―― 大山・恒路(おおやま・こうじ)二等陸士が苦笑を浮かべて声を掛けてきた。小山内・幸恵[おさない・ゆきえ]二等陸士が手拭を渡す光景もまた、知る人が言うにはいつもの事だ。ともあれ、
「……あー。コロポックルにも相談したんだが、儀式に関しては、内藤三曹の方が詳しいと」
「えーと。言われている程ではないと思うけれども、僕に判る事ならば」
 大山の問いに、内藤は謙遜しながらも応じる。大山は顔を近付けると、
「――敵は慎重で狡猾だ。時間は此方に味方しているが、敵が単純に突撃してくるとは考え難いんだ」
 アステカ神話において最も大きな力を持つと称され、事実、大山達を幾度となく苦しめてきた敵―― テスカトリポカ[――]。神居古潭に姿を現し、旭川駐屯地を襲撃し、そして神居岩に封じていた神の解放を邪魔しようとしたテスカトリポカは力のみならず、知恵も回る。大山は警戒をするに越した事はないと訴え、
「……奇襲を避ける為に出来るだけ周辺の見晴らしをよくしておきたい。儀式の支障にならないのなら、邪魔な木や岩は吹き飛ばしたい。吹き飛ばしたい!」
 大事なので2回言った。手を開いたり、閉じたり、爆薬類を弄りたがっているのは、内藤にも良く判った。嵐山公園は水源涵養林、風致保安林の指定地区であり、また蛇紋岩土壌の特徴を受けた植生となっており、学術的にも貴重な植物が多数確認されている。隔離封鎖されて全土が戦場となり、また人々に学究の余裕を持ち難い状況になっているとはいえ、爆破で荒らして良いものか? チノミシリ(聖なる地)として霊脈の要でもあり、カムイが力を蓄えるにも大切な場所だ。
「……えぇと、パス」
「――パス? つまり他の奴にも意見を聞けと? 仕方ねぇな。カムイに直接聞くか」
 思わず口にした内藤の返事に、大山は首を傾げながらシマフクロウ――正確には氣の塊へと向き直る。正体は、神居岩に封じられていたアイヌのカムイ。サマイクル[――]。皆の協力で封印から解放されたものの、未だに完全とは言い難い調子らしい。力の無為な流出を防ぐ事も兼ねて、普段は神使コタンコロカムイであるシマフクロウの姿に変じている。
【――そなたの気構えは理解出来るが、やはりカムイの息吹を感じたい。気持ちを抑えて頂けないか】
 サマイクルに頼まれれば、大山も我を無理に押し通す訳にも行かない。それでも後ろ髪引かれて唸る大山に、気持ちは解るとばかりに 柳沢・健吾(やなぎさわ・けんご)一等陸士が声を掛けてきた。大山程ではないが、柳沢も爆発物の扱いに長けた人物。重火器に至っては大山を上回る。2人は視線を交わすと、まるで気心の知れた数年来の友人のように肩を叩き合った。
「――トラップ類を仕掛けているのですが、やはりクレイモアの配置が……」
「神居岩では思いっ切り仕掛けちまったからな。その経験から、トラップへの警戒は強まるかと思われるぜ。今回はゲリラ屋を参考に爆弾の設置に趣向を凝らすべきだと思うんだが……。加えて、森の中にブービートラップでも仕掛けようかと」
「成る程。実は、ここだけの話ですが、私のオートに搭載していますものが……」
「おいおい、オマエ。……それは詰め込み過ぎじゃないか?」
 意見を交換し合う大山と柳沢の様子に、香子は何故か冷や汗を浮かべる。
「……何か、とてつもなく派手な展開が繰り広げられそうな気がする」
「――皆さん、テスカトリポカに対してぇ敵愾心を燃やしていますからねぇ〜」
 のんびりした口調に香子は振り返る。WAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)に介助されながら、畠山・政五郎(はたけやま・まさごろう)一等陸士が穏やかな笑みを浮かべていた。だが畠山自身もテスカトリポカに対して果敢に挑戦を続けている事は香子も目の当たりにしている。中途から風に吹かれるままに揺れ動く、右腕の袖の理由を知っている。テスカトリポカの核を打ち抜かんと刀拳を放ち、だが食い千切られてしまった証左だ。香子の視線に気付いて、畠山は笑みを濃くした。慌てて、
「――失礼。気に障られたら謝罪する」
「いいえ〜気になさらずに。でもまぁ腕一本、この借りは高くつかせますよぉ」
 畠山の眼が猛獣のような光を湛えていた。神居岩の戦いでは、テスカトリポカに初めて傷と言えるものを負わせた。手負いの野獣となったテスカトリポカだが、畠山もまた同じ。普段は温厚な顔に隠されているが、武術家としての険しさを抱いている。介助の少女―― 茶川・虎子[さがわ・とらこ]二等陸士もまた不敵な笑みを浮かべているのに気付き、香子は力強いものを感じた。
「……何だかテスカトリポカが可哀想に思えてきますね。アタシの出番はあるでしょうか?」
 聞き覚えの無い声に振り返る。180cm近くはあるだろうか? 長身故に華奢と見られがちな体格。制帽に纏めてはいるが、髪は三つ編みを解いたら腰までありそうな程に長いと思えた。WACは敬礼をすると、
「第5師団第5後方支援連隊・治療中隊第2班乙組長、森緑です。勝手とは思いますが、対テスカトリポカ戦に参加したいと思い、参りました」
 森・緑(もり・みどり)二等陸曹の挨拶に、香子は返礼。参戦の申し出をありがたく受け止める。
「正直なところ、伝え聞くテスカトリポカが偉そうにしているらしいっていうのが。気に食わなかったとかそんな理由なんですが」
 照れ笑いの緑に、香子もどう続けてよいのやら。
「……しかし、まぁ。お前はどうするつもりだよ?」
 地べたに死んだように倒れ伏したまま、古川が尋ねてくる。問いの意味を図りかねて、
「僕が、如何するとは?」
「皆、テスカトリポカ狙いで……まぁ罠を仕掛けている2人は効果として、それだけに止まらないようだが……」
「――ああ、そういう事であるか。テスカトリポカの御首級……というよりも心臓、すなわち核か……は他者に譲る。僕は戦いが有利に運ぶように、嵐山に近付く敵を消耗させるだけだ」
「――承知。第248班も徹底させておく。大物狙いは性分に合わんってな。ローリスク・ローリターンが俺には合っている」
「それはそれで、志が低い気もするが……」
 呆れたように苦笑。だが古川を見詰める香子の視線は穏やかだった。
 さておき。防御陣地が着々と布かれていく中、内藤は儀式の準備を進める。だが表情に悩みの影があるのを、潮野・信代(しおの・のぶよ)一等陸士は見て取った。
「――和華ちゃん。何か、問題でも?」
「いや、その……儀式において気になる事が幾つかあって。しかし動き回るには時間が足りないし」
「それでも、気になるんですよね?」
「うん。でも儀式に集中した方がいいよね。第一、足がないから」
 諦めたような表情を浮かべる内藤だったが、信代は咽喉を鳴らして笑い返すと、
「おばさんに任せときなさい。多少、荒っぽいかもしれませんけれども、足を提供して上げますわよ?」

*        *        *

 テスカトリポカの襲撃以来、旭川駐屯地の警戒は緩む事は無い。第301基地通信中隊へと出向中の 二階堂・弘昭(にかいどう・ひろあき)陸士長は、第2師団長の 沼部・俊弘[ぬまべ・としひろ]陸将より提出した上申書の詳細な内容説明を求められて、執務室へと警衛隊に案内されていた。常に9mm機関拳銃エムナインを肩に提げている警衛隊員だが、テスカトリポカが実際に現れた場合、どれだけ有効か当人も半信半疑。それでも――
「味方が駆け付けて来るまでの、時間稼ぎにはなりますよ」
「――相手は変幻自在で暗殺や奇襲向きとも聞いているけど」
 二階堂の何気ない言葉に、警衛は一度顔を歪ませたものの、
「ならば、これは精神安定剤という事で」
 苦笑してみせたのに、二階堂は感心する。
 執務室前の扉にも警衛が2名張り付いており、二階堂達の姿に停止と、姓名・所属・階級を問い質してくる。しかし、それはブラフ。先に案内が符丁のようなものを告げると、厳つい顔を朗らかな笑みに変えて、お疲れ様と互いに労いの言葉を交わす。その間にも護衛の1人が執務室の扉をノック。
「――予定時間通りに、二階堂士長がいらっしゃいました。如何致しましょう?」
『入室を許可する』
 沼部陸将の言葉に、護衛が銃口を構えながら扉を開ける。案内と共に入室した二階堂は敬礼をすると同時に、先客の姿に驚きを覚えた。中肉中背に眼鏡を掛けている二階堂は、自分の事ながら取り立てての外見的特徴はない。だが先客は、猫背なのか姿勢は俯き加減で、顔は口が大きく眼が離れ気味。一目で、いつもニヤ付いているような強烈な印象を刻み込むと共に、衝いて出た言葉は、
「――カエル?」
「イプピアーラやディープワンと呼ばれるよりは、ストレートですねぇ」
 二階堂の思わずの呟きに、だが第2師団第25普通科連隊・第274班長の 縣・氷魚[あがた・ひうお]三等陸曹は少しも気を悪くした様子は無い。慌てて二階堂は非礼を詫びるが、
「貴官が謝る必要はありませんよ」
 代わりに応えたのは、もう1人の先客。セミロングの髪をゴムで縛った地味眼鏡。猪瀬・ちより[いのせ・―]陸士長から冷淡に告げられたものの、二階堂は何とも言えない表情を浮かべるしかない。
「……お邪魔ではなかった?」
「いや、構わん」
 沼部陸将は拭いた瓶底眼鏡を掛け直すと、二階堂に改めて向き直る。
「忙しいところ呼び出して済まんな。上申書の内容説明を直接聞きたかったのだ」
「――では、僕達はこれで」
 まるで逃げるように退室し掛けた縣を、だが沼部陸将は警衛に視線を送って、足止めさせる。
「……お前達にも関係ある話だ」
「屈斜路や摩周湖の顛末を報告するだけでは?!」
 知る者には珍しい、縣の悲鳴。だが沼部陸将は無視して、書面を広げる。
「――上申書によると、司令部のメインコンピュータにアクセスとあるが?」
 視線で二階堂の発言を促した。
「はい。許可を戴ければ、過去の対超常体戦の実例データを入手して嵐山防衛部隊に提供しておきたいかと。参考になりそうな実例・実戦データが一つでもあれば、それだけ勝率が高くなりますから」
「ふむ。――『すすきの』にも連絡を入れておこう。第2師団司令部よりも、方面総監部のデータベースが豊富だろう」
 すすきの――維持部隊員を慰労すると部署として黙認されている歓楽街と聞く。だが二階堂の原隊は、北部方面隊が直轄する電子戦専門部隊の第1電子隊。すすきのが諜報を主任務とする方面調査隊の主戦場もしくは本部であるとは聞き及んでいた。すすきのに連絡を入れるという事は、北部方面隊管区のみならず全国レベルでのデータ閲覧を許可されたという意味だ。
 だが、データ閲覧の許可だけならば、二階堂が呼び出される理由にも足らず、また縣が足止めされる理由にはならない。恐らくは付記した作戦の内容についてであろう。そして沼部は間違いなく、それを切り出してきた。
「――さて。電子攻撃・電子支援を行い、完全侵蝕魔人側の通信をシャットアウトとあるが」
 やはり、それか。二階堂は今まで以上に姿勢を正して説明を開始した。
「――現在、道東のアステカの神々を限定にして例に挙げても、旭川のテスカトリポカ、旭岳のケツァルコアトル、襟裳のチャルチウィトリクエ、そして十勝岳のトラロックと広範囲に渡っています。通常において操氣系といえども半径200mが限界。ヒトとしてのリミッターが外れた完全侵蝕魔人や、高位超常体といえども明らかに無理があります。地域を狭めたとしても、帯広の侵攻に到っては、視界不良の中でも超常体はよく連携していたと聞きます」
「……さらにイプピアーラは通信を利用しての待ち伏せも行っていた」
「はい。――これらから考えても、完全侵蝕魔人や高位超常体が無線通信等で連絡を取り合っている可能性は否定出来ない。少なくとも無線通信等を便利使いしているかは確認出来るはず」
 第1電子隊は、敵の無線通信を標定及び妨害が主任務である。隔離以降の維持部隊が対するのは超常体故に必要性が危ぶまれているものの、二階堂の主張が正しければ、むしろ地位の向上が求められる職種となるだろう。
「ふむ。……通信の傍受や妨害は、素人でもどうにかなるか?」
 沼部陸将の問い質す声に、二階堂は一瞬頭を巡らせると、
「専用の設備や知識は必要になりますが、素養と時間があれば……」
「それほど本格的な装備は要らないのだ。隊用携帯無線機をより高性能的な……そうだな、衛星単一通信携帯局装置ぐらいで」
「……話の流れからして、僕に何かさせる気ですね?」
 黙って遣り取りを聞いていた縣が口を挟む。
「お前にも、その手の才があるのは耳にした事がある。旭岳のケツァルコアトルの動きを探れ。あれば通信を傍受し、出来れば妨害しろ。――現在、旭岳に展開させている貴重な第3、第25普通科連隊を無駄死にさせたくないからな。特務と違うのだ」
「……僕も特務並みに便利使いされている気がしますが。屈斜路湖からようやく帰ってきましたら、今度は旭岳ですか」
 縣のボヤキを、だが沼部陸将は無視すると、
「嵐山の支援で忙しいところを悪いが、二階堂士長も時間を空けては縣への協力を頼む」
 沼部陸将直々の要請に、二階堂は、始め困惑、そして意気揚々。通信科としての意義を認められたも同然だからだ。オカルト学説の信奉者という噂もある沼部陸将は、学者然とした風貌によらず、随分と頭が柔らかいようだ。
「――承知しました。任務果たします!」

*        *        *

 沸かしたお湯を注ぐと、わかめスープが出来上がり。しかも他の献立にある、あっさりとした塩味ものと違って、中華スープをベースにしており、しっかりとした味が付いている。それでいて後味がすっきりしており、甘辛い肉団子の合間に飲むには最適。戦闘糧食II型――通称パック飯のNo.7『中華風肉団子』を、地之宮・続(ちのみや・つづく)二等陸士は良く味わった。
「――缶飯のカンパンも食べたくなるな」
「重いし、缶切りが必要になりますがね。……いけない。地之宮さんの所為で、あちらが食べたくなってきたじゃないですか」
 もう数年来の友人のようになった調査隊員の嘆きに、地之宮は苦笑。遅めの食事を終えると、痕跡を残さずに処理して、前もって決めていた次の地点に移動する。
「――次の地点で、合流するんだったな?」
「白岩准尉からは、そう連絡を受けていますが」
 襟裳岬の座する高位上級超常体 チャルチウィトリクエ[――]狙撃任務を敢行した地之宮。手応えはあったもの、距離と風で少し狙いが逸れた感触がある。相手は高位上級超常体。掠めただけでも人間ぐらいは両断する程の威力を持つ対物狙撃銃バレットM95の12.7×99mmNATO弾。しかも対象物を燃焼させる焼夷剤を使用したタイプだ。通常ならば即死。良くても致命傷に至るが筋だ。
「……それでも相手が人間の場合。超常体に常識が通じると思っちゃいけねぇよな。ましてや相手は、かつてあったという、4つめの世界の太陽――本物の神様の化身気取りだ」
 思わず自嘲。皮肉めいた笑みを浮かべてしまうが、調査隊員は見なかった振りをしてくれたようだ。
 ともあれ、チャウチウィトリクエを撃滅出来たかを確認していない以上、地之宮が求める完全な狙撃でなかった事を考えれば、未だ健在であると考えるべきだろう。だが十勝平野――北の帯広において霧が薄まったという連絡は、チャウチウィトリクエに手傷を負わせた証左に違いない。
「……ならば、今以上の機も無い。この先の為に、断てる禍根は明確に断つ」
 唇の端を歪ませて、笑みを浮かべる。半月以上の襟裳での潜伏生活が野性味を与えており、今の姿は、地之宮を知る者と駐屯地ですれ違っても気付かれないかも知れなかった。
「――着たな」
 上空に機影を確認して軽く手を振る。百人浜オートキャンプ地。万が一を考えて、夜間でありながら灯火無しの飛行。だが相手は 白岩・礼手[しろいわ・れいて]准陸尉が率いる、第5後方支援連隊・救急飛行小隊の戦闘捜索救難機MH-47Gチヌークだ。キャビンよりラベリング降下してきた3人の男達。そして補給物資を降ろすと、チヌークは再び闇に消えた。残るは襟裳へと決死行を挑む命知らずのみ。命を救うのが信条の礼手としては、さぞかし複雑であろう。
「――支援要請に応じた、第4普通科連隊の第5124班だ。宜しくな」
 肩に二等陸曹の略章を付けた壮年が握手を求めて差し伸べてくる。狙撃手の指先はデリケートなものだが、彼等は命を預け、また囮になってもらう連中だ。地之宮は誠意を以って応じる。
「班と言うには、随分と少ないな?」
「一応、再編中という事でな。実質的に稼動出来る人数はここにいるので全部さ。4月頭の奪還戦の失敗で――同僚達……第512中隊第1小隊の半数以上がやられちまった」
「……悪い事を聞いた。すまん」
 地之宮の謝意に対して、だが二曹達は不敵な笑みを浮かべると、
「だからオマエサンの支援要請は願いに叶ったりだ。アイツラの仇が討てる。宜しく頼むぜ、スナイパー」
 右の親指を立てての挨拶に、地之宮も軽く応じる。
「――で、帯広はどうなっている?」
「一度は放棄を決意したからな。復興に向けて菅家のダンナは大忙しよ。満足な部隊が派遣されてこないのはそういう訳だ」
「十勝岳の方は?」
「ああ、それは……」
 移動しながらの情報交換。地之宮は成功を確信していくのだった。

*        *        *

 石狩川が貫流し、支流の美瑛川、忠別川、牛朱別川が分かれている旭川を見下ろす嵐山展望台から1.5km程、尾根伝いに歩くと辿り着く、近文山の頂には国見の碑が建立されていたという。
「――運んでくれて、ありがとうございます」
 距離にしては僅かであるが、山道だ。信代の駆る偵察用オートバイ『カワサキKLX250』に相乗りさせてもらって、内藤は国見の碑があった頂に立つ。忙しい合間を縫っての訪問で、既に陽は沈んで闇の帳が下りていた。
「……生憎と、ここの碑は戦乱で失われてしまっていたのか」
 かつては碑を形作っていただろう石材が無惨に砕け散っている。国見の碑は、明治時代にあった西京(京都)に対する北京を置くという構想により、明治18年8月27日に、後の北海道初代長官である岩村通俊と屯田兵本部長の永山武四郎等が石狩川奥地調査に来て、近文山頂から未開の上川平野を国見し、上川開拓を決意したのを記念したものである。
 その際に、建立が予定されていた上川離宮――現在の神楽岡へと、チノミシリ(※嵐山)から霊脈を移動させた可能性を、内藤は危惧していた。結局のところ、上川離宮の建立計画は札幌側の反発と、日清戦争の始まりにより頓挫してしまうが、代わりに存在するのが上川地方の開拓守護並びに旭川鎮守として、天照坐皇大御神を奉祀したのを創立とする上川神社。
「……上川神社は、常磐公園の頓宮を調べてみたけれども、何も無かったですわ」
 信代の証言。だが神楽岡の本宮はどうだろう? とはいえ、天照坐皇大御神を奉祀する神社に、被征服地のカムイを封じる理由は無い。天照坐皇大御神の力を以って封じていたというのならば、ともかくだが、それほどの強力なカムイは、それこそ国造神やアペフチカムイ(火の媼神)といった位の高いカムイや、同じ神格たるチュプカムイ(太陽神)になるが……。
「本州島でも、和人(※シサム・シャモ。本州島の弥生系人種)の神もまた封じられているとなると、アイヌのカムイを封じる程の力があるはずも無い」
 上川神社の力を利用して、他の神群がカムイを封じている可能性も考えられるが、疑い出したら限が無くなるだろう。ともかく断言出来る事は、
「――サマイクル以上のカムイは、封じられていないのかな?」
 或いは封じていたしても、隔離政策・神州結界に影響を及ぼさないのか。少なくとも国見の碑には封じられていなかったと判断出来る。
 なおサマイクルと同格ないし兄弟神とされているオキクルミといわれるカムイもいるが、こちらは本来、道西に勢力を持つカムイである。また学術的な話によると、アイヌもまた単一民族ではなく、樺太経由に北海道に移り住んできた民族文化(道東)と、日本列島経由で移り住んできた民族文化(道西)との融和らしい。様々な資料から推測されるだけでも、道東のサマイクルは、道西のオキクルミよりもずっと古い起源を持つカムイであり、戦争や文化的融合によりいつしか兄弟とされていったが、実際の神格と起源の古さを考えれば大いなる隔たりがある。
【――それでも、ここにオキクルミや、他のカムイが封じられていたとしたら、皆の助けになったであろう】
 声に振り向けば、シマフクロウの姿に変じたサマイクルの氣が、樹に止まっていた。
【……私や皆の事を想うてくれたのだろう。そなたの気持ちをありがたく感じる。いずれ、同じく封じられているだろうアイヌのカムイ等を解放していこうと思う――だが、今は異邦のニッネカムイ(※悪神)やヌタップカウシペ(※大雪山)の頂に座する、キナシュッウンカムイ(※蛇神=ケツアルコァトル)と相対するが先】
 サマイクルは翼を広げると、
【ニッネカムイの息遣いが近付いてくるのを感じる。急ぎ、チノミシリに戻りて、カムイノミの儀を。私はカムイの国に行きて戻りて、そなたらの護りの力とならん!】
 サマイクルに頷き返すと、内藤は再び信代の背にしがみつく。信代は鉄帽を被り直すと笑った。
「――急ぎますわよ!」
「……あ、安全運転で、お、お願いしますぅー!」
 声は急発進した突風で掻き消されていった。

 夜が更けて、闇が濃くなってきた頃。畠山と二階堂は互いに探知範囲が重ならないようにしながら、周囲の息遣いを探る。風の臭いを嗅ぐと、畠山の白い眉が微かに揺れた。
「……センセ」
 畠山が発する雰囲気の変化に、84mm無反動砲カール・グスタフを担いでいた虎子が不安がちな声を上げる。畠山は大きな眼を茶目っ気にウィンクすると、
「――どうやらぁ、いらっしゃったようですねぇ」
 言うが早いか、氣を張り巡らせて周囲の状況を掴む。同じく察した二階堂が乗り込んでいる高機動車に搭載している衛星単一通信可搬局装置を稼動。氣のみならず、異形系完全侵蝕魔人オセロメーが使用している個人携帯無線機の電波発射位置を特定――標定する事により敵の展開を探る。同時に、傍受した通信の周波数へと強力な電波を発射。敵が行う通信の実施を、困難もしくは不可能にせしめた。
「――総力戦で来たよ! 各方面から敵が侵攻!」
 二階堂の叫びに応えるように、ジャガーの吼え声が嵐山公園に轟いた。まるで脅えたように憑魔核が震えて激痛が魔人の身に走る。第二世代の二階堂や虎子も一瞬、息が詰まるような衝撃。畠山や柳沢といった第一世代に至っては口から泡を吹き出して地面をのた打ち回らんばかり。だが――
「二度も、三度も喰らいましたならば、いい加減、耐性が付きますとも!」
「同感ですねぇ〜」
 脂汗を流し、奥歯を噛み締めながら、起き上がると地をしっかりと足で踏み付ける。
「……キュ〜。アタシは駄目でしたわ〜」
 先日まで屈斜路湖で活動していた緑や、治療中隊第2班乙組副長の強化系魔人は、さすがにテスカトリポカの強制侵蝕現象は初体験。遭えなくダウンするものの、畠山が素早く駆け寄って手を当てていく。暖かい氣が注ぎ込まれて、暴走していた憑魔核が落ち着きを取り戻した。
「――ありがとうございます!」
「お礼を言うのはぁ〜後で構いませんよぉ〜」
 それよりも、今は――と周囲で巻き起こる銃火と獣声、怒号と悲鳴に、気を引き締める。今や嵐山公園は鉄条網や土塁に囲まれ、至る所に塹壕が掘られて、銃架が備え付けられている。今や嵐山を護るのは、畠山や柳沢、香子といった旭川の面子だけではない。神居古潭の封鎖解除と同時に、配備された第10、第26普通科連隊からの精鋭達が守りに付いていた。それは逆に言えば、被害も大きくなる事も意味する。立ち直った緑は素早く部下に指示。
「――負傷者の後送と、手当てを! 完全侵蝕されてしまった戦友には情けを!」
 畠山の整調も手遅れとなった魔人の1人が獣性に帰ると、止める間もなく緑へと跳び掛かる。容易く押し倒された緑の顔に、ジャガーの牙が迫るが――
「――御免なさい。そして、永遠におやすみなさい。良い夢を……」
 手先の爪を針状にすると、体内生成したアルカロイド――ツボクラリンを注入。クラーレ毒は対象の骨格筋を麻痺させると、呼吸困難を起こさせて窒息死させる。オセロメーとはいえ屈斜路湖のクッシーやテスカトリポカ程には毒物に対する抗体力はないようだ。緑は悔やみの言葉と呟きながら、覆い被さる死体の下から脱け出した。
 強制侵蝕現象による被害は少なくないが、それでも最小限に抑えられていく。二階堂による電波の標定と妨害が功をなし、指揮系統を失ったオセロメー等を89式小銃BUDDYから放たれた5.56mmNATO弾が狩り出していく。特に、
「――HEYHEYHEY! すぅーぱぁっ爆弾タイムっ!」
 ラテンのリズムばりに、調子良く大山は仕込んでいた点火スイッチを起動していく。爆風に吹き飛ばされたオセロメーとヨナルデパズトーリだが、まだ動き続けているモノは古川達が掃討していく。圧巻なのは火狐の異名を持つ、香子。果敢にも弾幕を掻い潜って接近距離へと取り付いてきたオセロメーやヨナルデパズトーリを、上段から烈火の如き攻めで翻弄し、引き剥がすだけでなく心の臓を貫き、息の根を止める。飛び散った汗が銃火や爆炎の灯りを受けて輝き、照らされた赤い髪が煌いていた。
「――惚れ直すなぁ」
「古川サン。告白はまだしないんで?」
「馬鹿言え。相手にその気が無いのに愛を語っても、一笑に伏せられるだけだっつーの。少なくとも、もう一寸戦況が落ち着いて、ロマンチックな眺めを展望出来るようにならん事にはなぁ」
 ぼやく古川と、相槌を打つ大山。内容は聞き取れなかったものの、悠長に会話している2人の様子に、香子が怒鳴り声を上げた。
「――北東が疲弊している! 口遊ぶ余裕があるならば加勢に向かわないか!」
「合点しょーち!」「――あらほらさっさ!」
 香子の叱咤に、大山はFN5.56mm機関銃MINIMIを、古川は火炎放射器を抱えて駆け出していった。
 戦況を支配しているのは二階堂の電子戦や、大山のトラップ、そして畠山の氣だけではない。偵察用オートバイ『カワサキKLX250』を駆る柳沢が縦横無尽に銃火を放つ。オートの機動力を活かしての移動と停止射撃を繰り返し、敵戦力を削る。だが柳沢の双眸が探し求めているのはオセロメーやヨナルデパズトーリだけではない。全能者(モヨコヤニ)――テスカトリポカ。そして、ようやく顔に黄色の横縞の刺青をし、黒き肌をした壮年男性の姿をついに捉えた。テスカトリポカは維持部隊員の胸を手刀で貫くと、血が滴る心の臓を抉り出して喰らっていた。
「――テスカトリポカっ!」
 相手の名前を声高に叫ぶ事で、此方へと意識を向けさせる。と、同時にオートをテスカトリポカへと突っ込ませた。話を聞いて大山も呆れ返った程の爆薬や重火器を詰め込んだオートは、狙い違わずにテスカトリポカへと命中。だが引火して爆発する寸前に、テスカトリポカから凍気が発せられる。凍り付かされた事で、爆発の規模は想定を遥かに下回ったものの、
「テペヨロトルに変ずるより早く!」
 転げるようにしてオートから降りていた柳沢は体内生成した強酸を噴出。感覚器官を駄目にした上で、ベネリM4スーペル90の銃口をテスカトリポカの頭部に突き付ける。核のある心臓部狙いと踏んでいたテスカリポカの反応は遅れ、軍用セミオートマチック・ショットガンから放たれた12ゲージの一粒弾をまともに喰らった。頭蓋どころか脳幹までも吹き飛ばす打撃。しかも柳沢は満足する事無く、引き鉄を絞り続けて連射。
「『前回と同じ攻撃?だったらいける』と思ったら、大間違いですよぉ」
 虎子を連れて、同じくテスカトリポカを探し求めていた畠山が拍手喝采で、柳沢の戦法を褒め称えた。
「――っっっっ!!!!」
 声にならない怒気を発すると、テスカトリポカは力任せに柳沢を払い飛ばした。柳沢が離れた瞬間を狙って、畠山はBUDDYで弾幕を張る。切り札を出すには未だ早い。再生を含めたテスカトリポカの戦闘能力は尚も脅威的だ。
「……というか、サマイクルの力は未だ戻らないのかよ?!」
 大山の焦りの声に、返事をしたのはオートの排気音。信代が戦場へと割って入ると、後部に無理やり座らせられていた内藤が転がり落ちる。
「……死ぬ。殺される。に――」
「に?」
「――逃げてー!!」
 内藤の悲鳴に戦場というのを忘れて、一同「何処へ?」と首を傾げた。信代だけが舌を出して明後日の方を向く。急ぎとはいえ、どういう運転をしたのか。そもそもオートはタンデムに向いていない。
「……逃げて!じゃないだろう。カムイノミの準備は整っているぞ」
 皆縫・拓[みなぬい・たく]陸士長が内藤の頭を叩くと、正気に戻った。内藤はイナウを手にすると、改めてオキで火を生じさせて、トナトも共にカムイに、マイクルへと捧げる。
「……タパン、シロマイナウ。アシコロアシ。トウラカムイ、ウプソロオロケ、アコレ、キ、ナ、イヤイライケレ(この聖なるイナウ、この聖なる御神酒とともに、神の内懐へ託します。ありがとうございます)」
 そうはさせるかと、銃弾を浴びながらテスカトリポカが、追い討ちを掛ける柳沢達を強引に振り切って内藤に迫る。しかし待ち構えていた最後の防衛線―― 新谷・亜貴[しんたに・あき]二等陸士が氣を振り絞って張った防護壁で、テスカトリポカの歩みを阻んだ。テスカトリポカが振るった、黒曜石のナイフの如き鋭利な爪で、防護壁は易々と破られたものの、
【――異邦のニッネカムイよ。もはや、そなたの好きにはさせん!】
 カムイノミにより力を取り戻したサマイクルが、シマフクロウから人の姿に変じて、力を振るった。カムイノミとは、カムイを元あるカムイの世界へと感謝の念と共に送り還す儀式だ。しかしカムイノミの語意は『神に祈る』。内藤達が行ったのは、まさしくソレ。祈り、供物を捧げられたカムイは、世界から失った力を取り戻し、また振るう。サマイクルの力は波動となって、嵐山を――そして旭川を中心に道東・道北へと広がっていく。ヨナルデパズトーリは崩れ落ち、オセロメーは口から泡を吹いて憤死する。さらには、
「――ッッッッッ!!!!!」
 声にならない叫びをテスカトリポカが発した。再生途中だった細胞が腐れ落ち、傷口は膿みを生じる。強靭な肢体から生まれていた俊敏な動きも、今や見る影も無い。
「――集中砲火!」
 誰が発したのか判らない。誰もが発した号令だったのかも知れない。そして、誰とも知れぬ号令に皆が応じた。緑と畠山が示し合わせたように、閃光音響手榴弾を放る。感覚器官を遮断せしめたところに、緑が強酸を浴びせて更に身体を弱らせ、接触した畠山の氣がテスカトリポカの防護膜と同調し、中和する。空いた氣の防護膜の隙間へと、虎子が大事に担いでいたカール・グスタフで対戦車榴弾を叩き込んだ。物理的に生じた穴は、心臓部の核を曝け出す。そして、
「――これで終わりです。冥府への土産に、差し上げますよ!」
 柳沢の握った拳が、テスカトリポカの心臓部を貫いた。そのまま腕を、もう片方の手刀で断つ。テスカトリポカの体内に残された拳が握っているのはプラスチック爆弾。柳沢は大きくバックステップ。そして笑みを浮かべて、
「――点火」
 テスカトリポカの核が、身体が爆発四散した。断末魔の絶叫すら残さずに、爆炎が全てを焼き尽くし、爆風が全てを掻き消す。そして……
「「「「「――勝ったー!」」」」」
 大歓声が嵐山公園を埋め尽くしたのだった。

*        *        *

 先日の狙撃に利用した、えりも岬小学校跡地の校舎屋上よりチャルチウィトリクエが棲む『風の館』に近い位置となれば、
「……もう、灯台ぐらいしかありませんよ」
「逆に言えば、ここまで接近すれば確実に当てられるという事だ」
 地之宮はうそぶくと、装備をもう一度点検する。バレットに12.7×99mmHEAT弾を込めた。
「狙撃し難いところならば燃えてしまえってな」
「無茶するなぁ」
 呆れたように苦笑する第5124班長。
「相手は少なくとも氷水系は確実だぞ。火を点けても消されるんじゃないか」
 言われて、地之宮は沈黙。秒針一回りしてから頷いて見せた。
「――ではプランBだな」
 何事も無かったように呟く地之宮だが、調査隊員と第5124班員総出でツッコミを入れられる。さておいて、
「……いずれにしても俺達が真正面から相手の気を引くしかないだろうが」
「風の館周辺に潜伏配置出来るのであれば良かったのだがな」
 風の館は周囲の景観や植生に考慮し、また、すぐ隣に灯台がある為、明かりを遮らないように地下に埋もれるような形で設計されている。駐車場――気取った言い方によるとエントランスゾーン――からの通路は3つ。左は襟裳岬へ。中央はカルマン回廊と呼ばれる設備を経ての館内に。そして右は灯台への近道だ。塹壕のような中央の道を覗けば、周辺の眺望は開けており、濃霧が出続けない限り、隠れ潜む事は難しい。
「断崖を下りて、岩礁ならば隠れ潜めるぞ」
「それだと、いざというときに動けないだろうが」
 第5124班長の冗談に対して、地之宮は苦笑しながら返す。となれば……。
「では宜しく頼む。囮になってくれ」
「了解――帯広を攻めていた超常体の群れが帰ってくる前に片を付けようぜ」
 第5124班員達が掲げた握った拳へと、地之宮と調査隊員も合わせて、別れと再会を誓う挨拶とした。
「――風が弱まり、代わりに霧が出てきたな」
 敵が警戒する網の紙一重まで近付き、機会を待つ。調査隊員が事前に調査していた気象情報通りに、霧が濃くなってきた。個人携帯無線機を開いて、合わせていた周波数で語り掛けた。
「……地図は脳裏に叩き込んだな? 晴れる前に目的地へと到達する。状況開始! ――Go! Go! Go!」
『『『――Yeah! Go! Go! Go!』』』
 作戦開始の合図と同時に、BUDDYの銃声が白い闇の彼方で轟いた。周囲に潜んでいたチョンチョンが音に引き寄せられて動き出す。地之宮と調査隊員は伏していた身体を起こすと、腰を屈めて前傾姿勢で駆け出す。慎重ながらも迅速に。遠くで手榴弾が爆発する音に、普段の緩んだ笑みとは違うモノを浮かべる。
『――カルマン回廊突入に成功した。いったん、ここで追いすがるチョンチョンの群れを減らしておく。安心しろ、まだ死んでねぇよ』
 銃声が鳴り響く音をBGMにした心強い無線からの報告に、知らず地之宮の唇の端が歪み、笑みを濃くする。濃霧に浮かんだ影へと携行していたH&K MP5KA4短機関銃で掃射。拳銃弾を浴びたイプピアーラが倒れる。調査隊員もまた9mm拳銃SIG SAUER P220で敵が反応する前に射殺していく。こちらは減音器が先端に取り付けられている。
「隠密行動をするならばSDでしょう」
「……面目ない」
 だが囮役の第5124班が派手に立ち回り、また濃霧が距離感、方向を狂わせているのか、幸いにも追ってくるモノはない。灯台に辿り着くと、素早く中に潜んでいたチュパカブラを掃討。H&K MP5KA4を調査隊員に手渡すと、舌なめずりをしながら地之宮は背中に担いでいたバレットを用意した。
「――狙撃点に到着。状況は第2段階に移った」
『了解。こちらは本館前で敵の抵抗にあっている。武装したイプピアーラは厄介だな!』
 ただでさえ異形系で死に難いのに、抗弾チョッキを着用しているのであれば、苦労の一言では片付けられない。バレットの照準眼鏡を覗き込んだ。
「承知した。狙撃支援を敢行する。――巻き添えを食らっても恨むなよ」
『了解。遺体は岬の先端に埋めてくれ』
 冗談が出るのであれば、心は折れていない。暗視装置が働いて、物体から放出されている赤外線を増幅して可視化させた。これにより霧が立ち込めている悪条件化でも狙撃可能。
「――霧が晴れてくれたのならば、それに越した事はないんだがな」
 独りごちるが、地之宮は意を決すると引き鉄に触れる。轟音と共に、12.7×99mmHEAT弾が眼下の風の館へと放たれた。着弾の衝撃で吹き飛ぶ建物の一部は、続く爆炎によって延焼していく。だが地之宮は素早く遊底を操作して排莢と次弾の装填を行うと、間断を与えないようにと連射した。このまま風の館は焼け落ちていくと思ったが――
「ようやく炙り出されてきやがったか、大本命!」
 濃霧が渦を巻いて、雨となる。焼夷剤は特殊な化学反応を利用しており、水だけでは消火が困難である。業を煮やしたチャルチウィトリクエは放水だけでなく、燃焼物を丸ごと凍結させていく事で鎮火を試みているようだった。
「――美しいな」
 照準眼鏡に捉えた、翡翠の貴婦人。チャルチウィトリクエの半身は先日の狙撃で吹き飛んでおり、火傷が深く刻み込まれている。それでも尚、己が役割を果たさんとする姿に、地之宮は我知らずに感動すら覚えた。チャルチウィトリクエの役割が津波を起こし、濃霧を発生し、超常体の群れで人類の領域を襲撃し、そして地震を招いて、世界の終焉を迎えようとするものだとしても。――だから敬意を払って、地之宮はチャルチウィトリクエを討ち果たす。
 バレットの砲身は連射の過熱によって、狙いに狂いが生じ始めていた。地之宮はバレットを手放すと、お守り代わりに背負っていたもう1つのケースを開けて、中身を組み立てていく。SVD(Snayperskaya Vintovka Dragunova)――通称ドラグノフ。バレットより古くからの愛銃。微細な調整を施せなくても馴染んだ感覚が地之宮の神経を鋭利なものとする。炎に照らし出されているチャルチウィトリクエを照準眼鏡に捉える。意識は鋭く照門の先に結ぶと、目標との間に張り詰めた1本の線が見える。運命の線と呼ぶには、皮肉たっぷりで最高だ。微笑みを浮かべると、指を引き鉄に触れた――。
「……状況終了。目標の完全な死を確認後、撤退を開始する」
『了解。先にエントランスへ戻って……って、何か地鳴りのような音がするぞ?』
 無線機からの声に、チャルチウィトリクエの死を確認しに下りていた地之宮は展望台から海を見上げた。そう、見上げたのだ。
「――津波?」
 チャルチウィトリクエの核を、7.62mm×54R弾は間違いなく貫いている。それでも異形系をも有する能力故か。最期の力を振り絞って津波を呼んだのだろう。
「……って、流暢に状況把握している場合じゃないぞ。万事休すか!」
 屋外に出ても、もはや逃げるすべはない。ここまでかと奥歯を噛み締めた、丁度その時――
『空を見て! 手を伸ばしなさい! 命綱を掴み取りなさい!』
 押し寄せてくる津波の轟音に気付かなかった。見上げれば最近、見慣れつつある機影が1つ。
「――白岩准尉!」
 まさに天の助け。地之宮と調査隊員はチヌークから降ろされた命綱を掴んで身体に巻きつけると、宙に引き上げられた。急速離脱するチヌークは間一髪で難を逃れる事に成功する。チヌークに逃げられた津波は風の館を洗い流すだけ。
「――今度こそ、状況終了だ! やったな!」
 命綱を引き上げてくれた救命隊員と第5124班員が、地之宮と調査隊員の肩や背中を叩く。ようやくの実感。生きている事の確かさ。そしてキャビンに歓声が満ちた。

*        *        *

 旧・旭岳青少年野営場に、第3、第25普通科連隊から選抜された部隊が天幕を張り、旭岳を観測している。先遣の偵察部隊から入った情報を受けて、後続部隊や司令部へと報告を送っていた。
「――サマイクル完全復活の影響でしょうか。進攻を阻んでいました旭岳の吹雪が止みました」
『……ケツァルコアトルの罠である可能性は?』
 慎重さを問い掛けてくる沼部陸将の言葉に、だが縣も悪びれずに答える。
「無いも限りませんが、猪瀬が同じ時刻に嵐山からの波動を感知しています。それと……」
 報告書を作成する為に書き連ねていたメモを読み上げる。
「二階堂士長の考えていらっしゃった通りですね。状況の変化に戸惑っているのか、しきりに電波が発信されておりました。――ええ? 内容と位置? そんなのまで判りません」
 判らないものは、そうとハッキリと答える。誰が相手でも、縣はマイペースを崩さない。だからこそ沼部陸将は縣を派遣した。
「……但し少なくとも旭岳で待ち構えていますのは、ケツァルコアトルだけではないようです。零弐特務の数人は生き残っておりました。望んでなったのかどうかは判りませんが、ケツァルコアトルに従う完全侵蝕魔人として。ああ、特務隊長の准尉の姿はついぞ見掛けられませんでしたが」
『――ならば問題ない。彼の性格からして生き恥を曝す事は無かろう。少なくとも各地から伝えられる魔王級の“器”に該当する可能性があったのは、あの男だけだからな』
「そうは仰いますが、魔王級でなくても、完全侵蝕魔人というだけで洒落になりませんが」
 口振り程には困惑の表情を浮かべていない縣。そして忠告を上申するのを忘れない。
「――吹雪は止みましたが、やはり少数精鋭で挑むのが無難かと。憑魔能力の干渉抜きにしても、大自然は驚異です」

*        *        *

 十勝岳の頂に設営された、冥府(ミクトランもしくはシバルバー)の“門”の監視所。第05特務小隊(※零伍特務)隊長の 寺岡・久菜[てらおか・ひさな]准陸尉は弱った身体を天幕の内で休めていた。
 トラロックとウェウェテオトルとの戦いで負傷した身体だが、久菜は〈活氣〉を治癒機能の向上に費やす事で、5月末までには完全回復するはずだった。だが月半ばに昏倒。部下達は原因が判らず、心配を募らせていたが、
( ――時期的にサマイクルが完全復活した頃と一致しますね。……私は未だ完全には神州の地の者と認められていないという事ですか )
 悲哀のこもった溜め息を漏らす。それでも力は弱まり、回復は遅れているが、冥府を監視するだけならば支障は無い。休んでいた身体を起こして頭を振ると、久菜は立ち上がろうとした。
「――小隊長、大変です!」
「“門”に何か動きがありましたか!?」
 慌てて飛び込んできた副長を問い質す。だが副長は青褪めた表情のまま、首を横に振ると、
「“門”に変化はありません。そんな事よりも、函館に向かった坊主達が――」
「……第5i教練班の皆が、どうしましたか?」
「――ハストゥール完全顕現の煽りを受けて、五稜郭が消滅。逃げ遅れたであろう防衛……山之尾達の生死は絶望視されているそうです」
 僅か一月半ではあったが、作戦を通じて寝食を共にした戦友だ。零伍特務の面々は、第5i教練班の子達を可愛がっていたと言っても間違いない。
「――いつでも死を望まれる懲罰部隊の私達が今も生き残っているというのに……将来を期待されていた子供が先に逝くなんて」
 この日、零伍特務では、戦友でもあった第5i教練班の死を惜しんでの慟哭が止まなかったという……。

 

■選択肢
SA−01)十勝岳にある冥府を監視
SA−02)旭岳の羽毛ある蛇と接触
SA−03)嵐山公園にて状況を維持
SA−04)旭川駐屯地で厳重警戒を
SA−FA)北海道東部の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に、当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 また十勝岳、旭岳では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、さらに死亡率も高いので注意されたし。
 なお十勝岳に生じたミクトラン(シバルバー)への門に突入した場合、問答無用で死亡処理とさせてもらうので、絶対にアクションを掛けない事。飽くまで任務は監視である。


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