同人PBM『隔離戦区・獣心神都』第5回 〜 北海道東部:南亜米利加


SA5『 謳う老犬 』

 十勝岳の頂に設営された、冥府(ミクトランもしくはシバルバー)の“門”の監視所。敵――トラロックとウェウェテオトルという高位上級超常体が住処としていた箇所を再利用した第一次観測点となる。両超常体の死後、休眠状態になったとはいえ十勝岳は元々活火山だ。いざという時――何らかの力による半強制的なもののみならず、自然な噴火現象においては、望岳台コースと称される登山路の中途にある避難小屋まで撤退。ここを第二次観測点とし、更に旧・白金温泉に設置された望岳台のベースキャンプで部隊を立て直すと説明を受けた。
「――4月末までは十勝岳温泉地をベースにしておいたようですが、ルート的な利便性を考慮して移したそうです。望岳台の方が登山には比較的安全ですから」
「そんなものかね……? しかし、どこもかしこも監視や狙撃点として満足には程遠いな」
「高山植物の群落でも潜伏するには心細いですね」
 相棒の神州結界維持部隊・北部方面調査隊員の言葉に、地之宮・続(ちのみや・つづく)二等陸士はしまらない笑顔で応えた。
「別に、狙撃手がいつも敵味方に隠れて潜伏しているという訳ではないんだから……要は状況把握と迅速な対応が出来る点が望ましいというだけさ」
 苦笑しながらも、幾つかの候補地を挙げておく。綿密な事前調査を行っている地之宮へと、副官を伴った准幹部(将校)が状況確認に訪れた。軽く敬礼する地之宮に、WAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)は微笑むと、
「――階級では上であっても、敬礼は私達には過ぎたものですよ、地之宮さん。何だかんだと言っても、私達は第05特務小隊……重犯罪者の群れ。敵を道連れに戦死を望まれる部隊です」
 だから礼を向けられる資格はないのだと、第05特務小隊(※零伍特務)隊長である 寺岡・久菜[てらおか・ひさな]准陸尉は陰のある表情で呟いた。
「――逆に、こちらから先に地之宮さんへ敬礼を送らないといけないぐらいです。……聞きましたよ、たった2人で襟裳岬に突入。そして単独でチャルチウィトリクエを撃ち果たしたとか」
「……あー。いや、他にも陽動部隊の支援があったり、物資の調達や救助で白岩准尉のお世話になったりしていたから、俺独りで何もかも成し遂げた訳ではない」
 謙遜ではなく正直に地之宮は答えた。久菜の笑みが濃くなり、益々、地之宮に対して好意的な印象を抱いたようだった。実際、陰が有るとはいえ美人には違いなく、好意を持たれて悪い気はしない。
 相棒の説明によれば、久菜はかつて札幌駐屯地の北部方面警務隊本部に勤めていた程の凄腕らしい。操氣系魔人で高位上級超常体が発する憑魔強制侵蝕現象を緩和する力場を、範囲的に展開出来る程の実力者。懲罰部隊を率いるようになった経緯は聞かなかったが、陰のある雰囲気は美貌と相俟って、何故か身震いするほどの空恐ろしさを地之宮に感じさせる。
「――と、それでは俺なりに狙撃位置について監視を開始したいと思うが……」
 他者の居場所を再確認しながら、疑念を口にする。
「実のところ、この“門”とか、冥府とかいうのが、よく判っていないのだが……憑魔核が何らかの影響を受ける危険性は無いのか?」
 久菜が憑魔強制侵蝕現象を緩和させる事が出来るとはいえ、決して相殺ではない。影響をゼロには出来ないのだ。地之宮が口にした不安に対して、久菜は難しい顔をしたが確かに首を横に振る。
「“門”自体に憑魔核や、超常体へと強い影響を与える力はありません。『柱』ともなれば別ですが……」
 また変な言葉が出たぞ?と地之宮は首を傾げる。重なる謎に、だが地之宮に代わって質疑したのは、
「では〜“門”とはぁ何なのでしょうかねぇ?」
 のんびりした口調。振り返れば、かなり薄い白髪を頭に張り付かせた初老の男。度の強そうな黒縁眼鏡を、大きめな鼻に掛けている。戦闘迷彩II型の右腕部位が風に揺れているのは、戦いで中身を失ったからだ。
「……いやぁ〜旭岳と違って、十勝岳は割合と暖かいですなぁ」
「御加減は如何ですか、マサゴロウさん? ……あちらは『ナウイ・エエカトル(4の風)』のケツァルコアトル。トラウィスカルパンテクトリとしての側面を持ち、兄のテスカトリポカの側面であるイツラコリウキと同一視される事もありますからね」
「ええ。そのイツラコリウキとは、『全てを寒さにより曲げる者』或いは『植物殺しの霜』の意だそうで」
 畠山・政五郎(はたけやま・まさごろう)一等陸士の説明に、地之宮が感心してみせる。
「つまりはケツァルコアトルには幻風系のみならず、氷水系の要素もあると?」
「高位上級の群神クラスになると〜複数系統の能力を有しているのもザラにいますよぉ」
「ああ……確かにチャルチウィトリクエが異形系と氷水系だったな」
「ケツァルコアトルは加えて操氣系に〜異形系をも有していたと記憶していますねぇ。一回だけしか相対しておりませんがねぇ。そうそう、それらと祝祷系も付け加えておいて下さい〜」
 ケツァルコアトル[――]の能力系統は、テスカトリポカのものと比較対照すると、奇妙に符合するところが多い。やはり表裏一体の関係にあったと考えるのが妥当か。
「おっと……話を逸らされてしまいましたがぁ、“門”とは何でしょう?」
 軌道修正した畠山に、久菜は苦笑しながら、
「別に話を逸らす意図はありませんでしたが、謝りましょう。――そうですね、“門”とは『柱』と違って、『遊戯』においてもイレギュラーな歪みです」
 更に謎めいた単語が出たが、追求を許さずに久菜は続ける。
「聞けば、山口の秋芳洞や、四国にも出たそうです。四国の方は判りませんが、秋芳洞の“門”はタルタロスと呼ばれ――これもまた冥府を意味するとか」
 双眼鏡を通して“門”を覗き見る。時折、極彩色の渦が巻いたかと思うと、虹色にも発光する。この世ならざる現象が眼に映った。
「結局のところ“門”とは呼んでいますが、“こちら”と“あちら”との隔たりを、時空間を歪ませて繋げたものに過ぎません。但し厄介なのは――」
 唇を軽く噛む。
「『柱』と違って、『遊戯』上においても嫌がらせに過ぎない代物なのです。……何が出るのか、何が起こるのか、判らない。制御されていないもの――それが“門”。繋がっている先が判っているのが、余計に性質が悪いのですが――」
 言葉を切ると、説明に補足する。
「対して『柱』とは『遊戯』における戦略上の旗印。超常体は『柱』を立てる事で周辺地域の支配権を主張し、事実、影響力を強めます。また『柱』を通して、本来の世界から援軍を呼び寄せるのです」
「成程ぉ、ミクトランの“門”を発生させた目的が何か判らなかったのですがぁ、嫌がらせでしたのならば、納得はしたくなくとも、何となく理解しましたぁ」
 畠山としては、ミクトランから援軍を呼び寄せる為だとしたら、伝承上においてケツァルコアトルと冥府の王ミクトランテクトーリは協力関係に無い――むしろ人類再生(第5の時代における人類誕生)説話において決して仲が良いとは言えない。その為、援軍というよりも、冥府から超常体を呼んで状況を混乱させるのが狙いである可能性を捨て切れなかったのだが……。
「つまり〜これはそういうものなのですねぇ」
「……但しケツァルコアトルの双子の弟とされるショロトルが“門”を通じて出現する恐れもあります」
 そしてケツァルコアトルとショロトルの冥府降りは、目的が違うとはいえ、マヤ神話の双子の英雄神フンアフプーとイシュバランケーの逸話に相当する。ショロトル[――]は第5の太陽(※トナティウ)創生の犠牲に反対しながら、別の側面は死神ともされる。死者が行うミクトランへの旅を助けるのはショロトルの務めだ。
「ついでに付け加えますと、ウェウェテオトルの御老体の別名が、シウテクトリ。ミクトランの炉より噴き上がりし炎の柱。――冥府の“門”を繋げられたのはそういう事です。そして閉じるには……開いたもの以上の力が必要でしょう」
 だから危険だと判っていても“門”を閉じられない。閉じる手段も、力も無い。今のところ監視するだけに止まっているのだ。
「……状況はよく理解した。つまり何が起こるか判らないが、何かが起こったら大変。勿論、何もなければそれはそれで良し。では肝心の何かが起こった時の対応だが――」
 今まで黙って久菜と畠山の話を聞いていた地之宮が非常時における行動の確認を取る。
「そうですねぇ。……実は、ボクも色々と考えがありまして〜」
 朗らかに笑うと畠山は、久菜と地之宮に準備について話を持ち掛けるのだった。

*        *        *

 凝縮された氣による生命(?)体であるカムイ―― サマイクル[――]が神居岩に成り代わって、嵐山公園における依り代として選んだのは、上川アイヌの酋長・クーチンコロを讃える顕彰碑だった。
 明治2年、開拓使を置いて蝦夷地を北海道とし、アイヌを「平民」として戸籍を作成し国家に編入する一方で、明治32年の旧土人保護法でアイヌの言語や生活習慣を禁じ、和風化を強制する政策を取り始めた頃、兵部省石狩役所は「上川アイヌ全員は石狩浜に集団移住せよ」と一方的に通告。しかし3名の供を連れて上川アイヌの重鎮クーチンコロが石狩に出向いて談判した結果、石狩浜集団強制移住は撤回となった。昭和49年12月建立と遅きに逸した感はあるが、碑はクーチンコロを讃えたものである。そして 内藤・和華(ないとう・わか)三等陸曹へと託宣したところである。
「……という訳で、防衛における最優先目標は顕彰碑であると思いますが」
「確かに、きみの言葉に異論はないけれども……」
 柳沢・健吾(やなぎさわ・けんご)一等陸士の言葉に果たして同意して良いものか苦笑ながら、内藤は設置された35mm2連装高射機関砲L-90を見詰める。老朽品と言われるが、L-90はスーパーフレーダーマウスと呼ばれる「レーダー・射撃統制装置」と「光学目標指定機」とで構成された射撃統制システムを機関砲に組み合わせており、開発当初から対空射撃の命中率は驚異的なものであった。但し技術の進歩により81式短距離対空誘導弾ショートアロー等のミサイル武器が開発されると地位を取って代われる。超常体という敵がいなければ、そのまま朽ち果てていくだけの代物だっただろう。
「折角、状況が好転しましたのに、ここで盤を引っくり返されては溜まりませんからね。攻撃部隊が山に登るのを見計らって飛来してこないとも限りませんし」
 柳沢の言葉には確かに説得力がある。現在、聖なる地チノミシリ(※我等が祭る山)――嵐山公園のサマイクルにより道東は『加護』と呼ばれるに相応しい力の影響下にある。波動の威力は敵にしては驚異的であり、その場限りだが、先の嵐山公園防衛戦でヨナルデパズトーリやオセロメーといったものを瞬殺するだけでなく、テスカトリポカを弱体化させて再生能力等を阻害して見せた。以降も道東における敵性の超常体を抑制している。
「……もしもサマイクルの加護を失えば、全てが崩壊する――か」
 最悪の状況する予測が呟きとなって漏れた。
「旭川飛行場が健在な事もあるし、帯広の対戦車ヘリコプター隊も存続しているから、確かに航空優勢や対空に関しては考慮していなかったけれども……」
「ケツァルコアトル来襲がなくともミートチョッパー以上の火力で拠点防衛に役立ちますよ」
 M16対空自走砲――制式にはM16多連装銃搭載車の名を持ち出されてもねぇ、と内藤は更に苦笑。M16対空自走砲とはいうが、実際には水平射撃による地上支援で活躍しており、搭載されていたブローニングM2重機関銃キャリバー50の射程と貫通力が高い12.7mm弾は対人用として強大な破壊力を示し、距離によっては軽装甲車輌も破壊出来たという。だから付いた徒名が「挽肉製造機」。
 さておき内藤指揮下の第2師団第2後方支援連隊・治療中隊第9班がL-90を物珍しそうに見ている間にも、嵐山公園居残りの第9普通科連隊・第204中隊第3小隊が警護に周囲へと眼を光らせている。特に第248班はL-90の給弾方法を学んでいるようだった。
「……アフロマンが旭岳に行ってしまったから、中々大変なんだけどなぁ」
 第248班長の 古川・均[ふるかわ・ひとし]三等陸曹が口ではボヤキながらも、その実、興味津々の好奇に満ちた表情でL-90の作業を眺めている。働かない班長に代わって、コロポックルこと 小山内・幸恵[おさない・ゆきえ]二等陸士が周りへの気配りを忘れずにチョコマカ動き回っているのは、いつもの光景だ。加えて同じく今回は居残ったのだろう、第249班長の 稲生・香子(いなお・かこ)准陸尉が、最終的に古川へと制裁を下すのも……
「――稲生准尉は、旭岳に向かうとも思っていましたが……何となく」
「あちらの状況次第では、そうせざるを得ないだろうけれども――古川三曹だけでは不安なのは確かだから、助かるよ」
 勿論、テスカトリポカとも渡り合った程の柳沢に不満があるという意味ではなく、
「ケツァルコアトルの襲来よりも、もっと警戒すべきなのは――潜入作戦。隠密性に優れたモノが単独ないし少数で暗殺に来る。防衛が強固な場所で守られた対象を倒すには、これが確実と言われているしね」
 内藤の言葉に、柳沢も首肯する。
「サマイクルが復活――力を取り戻された以上、超常体が容易に接近出来るとも思えませんが……確かに念には念をという必要はございますか。同じカムイに連なる悪神なら影響を受けない、或いは受け難いという事もあるかも知れませんし」
 例えば、と前置きをしながら、
「洞爺湖からオヤウカムイを呼んでくる……のは、区分が違うから無理でしょうか? ああ、でも日高地方西部に伝わると聞きますし、幌尻岳のサキソマエップという老いた蛇神と同一視されていますし」
「……アイヌのぼくより詳しくない?」
 内藤は半ば呆れた口調で、柳沢へと突っ込み。内藤が説明を続けると、オヤウカムイは、胴体は俵のようで、頭と尾が細く、翼を持つという。「羽の生えた魔力を持つ蛇」の意であるラプシヌプルクルとも言われ、
「まさしく羽毛ある蛇――ケツァルコアトルと符合が一致しますね」
「そうだね。でもオヤウカムイは、全身が薄い墨色、口の周りが朱色で、鋭く尖った鼻先でノミのように大木を引き裂き、切り倒すともいうらしいよ? 他にも、常に体から悪臭と高熱を放っていたらしく、触れた草木は枯れ果て、人間が風下にいると髪の毛が抜け落ちたり、皮膚が腫れ上がったり、また近付き過ぎると皮膚が焼け爛れて死ぬ事すらある……と」
「――改めて説明を聞きますと……オヤウカムイは、放射線か何かの擬神化ですか?」
「そこまで物騒なモノでなくとも……硫化水素っぽいよね」
 顔を強張らせて笑い合う、内藤と柳沢。
「……オヤウカムイって、アレに出てくるヤツだろ。ガキの頃に読んだ漫画で――こう、妖怪退治の槍を手にした少年がババーンと髪が伸びるの」
「――古川三曹は少し黙っておくが良い」
 茶々を入れた男は、火狐に連れて行かれて、またもや制裁を食らっているようだった。
「――懲りないよね」
「そういう性分なのでございましょう」
 2人はさておき、
「……だけど、オヤウカムイがケツァルコアトル側に立つ可能性について、どうなんだろう?」
 内藤は、今まで黙して聞いていたのだろうサマイクルへと呼び掛ける。人の姿で現れ出たサマイクルは眉間に皺を寄せて考え込んでいたが、
【――オヤウカムイが力を取り戻した様子はない。但し、そなたらの言う通り、ヌタップカウシペ(※大雪山)の頂に座するキナシュッウンカムイ(※蛇神=ケツアルコァトル)と名の意味が同じくするのは気になるところ。……偶然の一致かも知れぬが】
 サマイクルは偶然と口にしたが、実際に地相だけでなく伝承においても奇妙な符合の一致は多々見られる。神州世界対応論を一笑に付するだけでは済まされない話であり、第2師団長の 沼部・俊弘[ぬまべ・としひろ]陸将がオカルト説を信じている根拠の一因なのは間違いない。
 名とは、存在の定義であり、力の源だ。ケツァルコアトルとオヤウカムイ――ラプシヌプルクルの名が意味するところが同じな事に薄ら寒さを感じ取る。
【それと……確かに道東は我が力の影響下にあるが、弱めたはずのキナシュッウンカムイの力が再び高まりつつある。徐々にであるが、先のチノミシリでの戦いまでにキナシュッウンカムイが莫大な力を蓄え続けており、その分を削ぎ切れなかったとしたら……】
 ケツァルコアトルは儀式を強行する。既に、テスカリポカ、トラロック、チャルチウィトリクエというかつての時代の太陽神を討ち果たし、それぞれが司っていた時代――『ナウイ・オセロトル(4のジャガー)』、『ナウイ・キアウィトル(4の雨)』、『ナウイ・アトル(4の水)』の終焉が到来する事は無い。従ってケツァルコアトルが『ナウイ・エエカトル』の終焉を模した儀式を旭岳で起こしたところで、今である第5の時代『ナウイ・オリン(4の動き)』の太陽神トナティウを顕現させて、大地震を引き起こさせる事は出来ないだろう。だが……
「ケツァルコアトルがこのまま座して死を待つとは、ちょっと思えませんしね……」
 柳沢の言葉に、内藤も同意する。報告に上がっている十勝岳の冥府の“門”も気になる。ケツァルコアトルの動きに呼応して、何らかの異変が生じる可能性も捨て難い。監視役の零伍特務に加えて、更なる増援が十勝岳に向かったらしいが、不安は募るばかりだ。
【――今やそなたらが道西と呼んでいる地域には、私の力は及んでいないのも気掛かりだが】
 明治以降、和人(※シサム・シャモ。本州島の弥生系人種)によって弱体化されていたのに加えて、隔離政策の際には超常体の罠に掛かって神居岩に封じられたのだ。時代の移り変わりも然る事ながら、カムイの主神級に位置するサマイクルといえども力不足なのは否めない。
「……そういえば、あちらの方はどうなっているのですか?」
【サッ・ポロでは、西方よりキナシュッウンカムイを迎え入れたと聞いている】
 サマイクルが言うには、札幌で移された和人の蛇神が祀られていたらしい。詳細は一切不明だが、どうやらこちらも先日に封印から解放されたらしいとか何とか。その結果、渡島半島を除いた道西部は、その蛇神の影響を受けるらしい。
【だが……シ・コッ南のヲフイノボリに、異邦のカムイが力を密かに集めている。いつ爆発してもオカシクない程にだ。どうやら、ヲフイノボリにも和人のキナシュッウンカムイが封じられており、異邦のカムイはそれを犠牲にしている感じがする……】
 内藤と柳沢がサマイクルの言葉を正しく理解したのは、後日、支笏湖南の樽前山にて光の柱が立ち上がったという報告を受けてからだった。

*        *        *

 第2師団司令部のある旭川駐屯地。警衛を伴った、二階堂・弘昭(にかいどう・ひろあき)陸士長は第2通信大隊本部が管理運用するシステムに接触する。燃料不足から来る、灯火管制や節電が強いられている中で数少ない電力供給がなされているシステムだ。指揮・統制・情報等の伝達の為の野外通信組織を構成する。作戦地域内に複数個のノードを開設、相互に接続する事でスター型の通信網を構成し、融通性・抗堪性に優れるという。
 事前に与えられていたアドレスにアクセスして、幕僚監部・人事部広報担当を呼び出す。存在するのも怪しい部署。
 維持部隊幕僚監部は、維持部隊長官(※註1)の幕僚機関であり、隔離前の統合幕僚会議を前身・根幹として、維持部隊編成に伴って「四幕」を統合し直したものである。結界維持並びに防衛警備計画の立案や部隊の管理運営の調整等を掌り、専門的知見に基づき、維持部隊長官を補佐する役割を担っている。
 内部編成によると人事は確かに存在する。総務部・人事課と名称で。だが某ゲリラ的ラジオ番組のパーソナリティがやっているのは、幕僚長の命を受けて統合幕僚監部の所掌事務に関する広報に関する事を掌る報道官のようなものだ。
「ラジオ番組『神州の夜明け』……これ自体が脱法的な放送かも知れないな」
 書類や聞き取りから受けた印象としては、第1電子隊でも黙認されていた点や、調査隊からも不可侵的な扱いを受けている事が伺えられる。脱法的というよりも超法規的存在なのかも知れない。それにしては伊達や酔狂が過ぎる気もするが。
「……関わるならば、維持部隊の暗部――闇の更なる深奥を覗き見る事を覚悟しろって脅されたしなぁ」
 維持部隊にも都市伝説が幾つか存在する。曰く『魔人駆逐を主任務にした部隊がある』、曰く『人工憑魔の実験部隊がある』、曰く『超常体で構成された部隊がある』――其の内の2つは二階堂も事実だと把握している。長官直轄の特殊部隊である「特殊作戦群」は、魔人や高位超常体、ゲリラ・コマンド制圧を目的とする(※註2)。そしてNEAiR(North Eastern Army infantry Regiment:東北方面普通科連隊)――通称アラハバキ連隊においては人工憑魔の実験がなされていた過去があり、それを理由として部隊は消滅させられた。WAiR(Western Army infantry Regiment:西部方面普通科連隊)の成功から、方面総監直属の普通科連隊が各方面隊に存在しているのだが、唯一例外として東北方面隊だけは認められていない。この件の詳細については調査隊や電子隊の者ですら極秘扱いであり、知らされていない事によって逆にとてつもない暗部――否、深奥の闇が行われていた証左と言えよう。
 だが、これらは未だ人間のレベルだ。対して「超常体で構成された部隊」は現実的にありえそうで、しかし未だありえていないとされている部隊だ。但し、都市伝説において、その名は確かに聞こえてくる。
「――『落日』か。維持部隊の闇……その深奥。果たして、鬼が出るか、蛇が出るか」
 札幌『すすきの』の“女王様”に教えて貰ったパスコードを入力。すると――画面が突如として虹色に発光した。そして画面の向こう側に顕れ出たのは……
「ハーイ、ボク、電波妖精セスナ! お金次第で何でもリカバー!」
「……それは前世紀に発売されたコンシューマ・ゲームの、ジュブナイル作品に出てきた、金にガメツイ妖精の口癖だ」
 顕れた少女の影に、思わず突っ込み。
「突っ込み、感謝! で、ボクに何の御用かな? なお今回の一人称と口調は、こんなキャラ立てで行ってみるけど、どうかなぁ?」
 知るか!と普段は礼儀正しく振舞っている二階堂にしては珍しく乱暴に言葉を叩き付けた。何というか、この セスナ[――]には、冷静さや礼儀正しさを忘れさせる何かがある。親近感とは微妙に違うが、
「えぇと、やたらとフレンドリーというヤツかな? ヤンキーの言葉を借りると」
「俺の心を読むな。代弁するな。米兵をヤンキー呼ばわりするな」
 二階堂の三連続突っ込みに、セスナは腹を抱えて笑う。だが直ぐに真面目な雰囲気になると、
「……で、ボクの協力を借りたいなんて莫迦な事を考えた理由と、案件を教えてね。随分と骨を折ったみたいだからさ、出来る限りの事に力を貸すよ?」
「助かる。実は『神州の夜明け』を見込んで、君に頼みたいのは、神州結界維持部隊全部隊へのリアルタイム通信を……」
「あ、維持部隊全員への通信は、システム上無理。何故ならばボクと他のセスナは同一であって違うものだから。精々、北部方面隊までが限界かな? こればかりは幾らポイントを注ぎ込まれても不可能なのさ」
「そうなのか……って、ポイントとは何だ? 俺に対して、幕僚監部辺りが付けている勤務評価か何かか?」
 当然ながら不思議そうに聞き込む二階堂に対して、セスナは苦笑すると、
「これ以上はメタ的発言になるので、割愛。まぁ、それよりも何をリアルタイム通信したいのか案件を詳しく教えて頂戴。ポルノ番組だったらお断りだよ?」
「――誰が、するか!」
 何だか突っ込み要員として鍛えられそうだなと嘆きながらも、二階堂は計画を持ち込むのだった。

*        *        *

 旭岳は、大雪山連峰――北海道中央部にそびえる火山群の名称――の主峰で、標高は2,291mと北海道最高峰を誇る。頂上付近は急坂の岩場が続くが道に迷いやすく、また高山である事から、天候の急変に備えた装備が必要で、最悪、夏場でも凍死者が出る。
 旧・旭岳青少年野営場に張られた天幕で登山準備をしている第3、第25普通科連隊からの選抜部隊員達が通常のと違った、特製の積雪用戦闘装着セットに身を包んでいるのを見て、第5師団第5後方支援連隊・治療中隊第2班乙組長の 森・緑(もり・みどり)二等陸曹は内心で汗を掻いていた。
「あれ? 森サン達は着替えないのかい?」
 隣を見れば、旭川からの道中で一緒になったアフロマンこと 大山・恒路(おおやま・こうじ)二等陸士もまた特殊な冬季用個人携行装備に身を包んでいる。緑と副長も含めて、治療中隊第2班乙組の総数7名。今さら装備を陳情しても……色々と足りない。
「せめて2人分は用意しておけば良かったですわ」
「……ここで待機する分には、そこまで厳重な装備は不必要でしょうがね」
 そんな緑へと、声を掛けてくるのは――
「……ガマづら!」
「――アフロといい、蛙面といい、外見的特徴のみでキャラクター分けをしようというのはどうかと思いますが。いや、僕は構いませんけれどもね」
「えぇと……すまねぇ?」
「いや、これはある特定の個人に向けての発言ですので……あなたが気にする事はありません。むしろ、あなたも被害者でしょうから」
 何だかメタ的発言をしながら、第2師団第25普通科連隊・第274班長の 縣・氷魚[あがた・ひうお]三等陸曹が薄ら笑う。緑に会釈すると、
「御無沙汰しています。……旭岳には救護班の1員として?」
 開けた場所には、第5後方支援連隊・救急飛行小隊の戦闘捜索救難機MH-47Gチヌークが待機している。縣もまた、緑が支援活動に赴いたのだと考えているようだったが、
「――いいえ。その、戦闘に目覚めてみようかと」
「……随分と奇特な」
 緑の発言に、縣は眼を見開いた。
「では部隊と共に行動なされる事をお奨めします。サマイクルのお蔭で吹雪が止んだとはいえ、旭岳登山は危険ですよ? ましてや充分な装備無く単独行動をしよう等とは……」
 縣の言葉に何故か視線を逸らして目を合わせようとしない緑。縣だけでなく、隣で話を聞いていた大山も頬を引きつらせた。重い溜め息を吐いてから、異口同音で突っ込み。
「「――死ぬって!!」」
「いや、ちゃんと部隊と合流して行動しますよ? 但し目立たないように行動し、戦端が開かれたら不意打ちドーン!と」
 副長が担いでいる84mm無反動砲カール・グスタフを視線で指し示す。大山が慌てて待ったを掛けた。
「山頂に行くまでに敵の妨害があるかもしれねぇ。雪崩でも起こったら大変だから、大型火器の使用は途中まで控えようぜ!」
 自分にも言い聞かせるように大山は声高に主張。
「実際問題として、敵は山頂にいるケツァルコアトルだけじゃねぇんだろ?」
「ええ。敵の交信状況から類推するに、零弐特務の数名がケツァルコアトルに従う完全侵蝕魔人として生き残っていますね」
「オセロメーやヨナルデパズトーリみたいな感じ? それともイプピアーラ? あ、カマソッソとか」
 テスカトリポカやチャルチウィトリクエ等によって完全侵蝕された魔人の超常体としての名を上げていく。縣は苦笑を浮かべると、
「話に聞くとカマソッソは純粋な――というのも何だかオカシナ表現ですが、超常体でしょう? まぁ、オセロメーにしても、イプピアーラにしても、完全侵蝕魔人の大方は、異形系を有するのが統計的に多いみたいですが――ケツァルコアトルの眷属に成り下がった者達の容姿は、カンヘルというのに近いでしょう」
「カンヘル――半龍半天使の?」
 UMA(Unidentified Mysterious Animal:謎の未確認動物)好きの緑が真っ先に反応した。
「半人半龍ならば、リザドマンの強いヤツみたいな感じ直ぐに思い浮かべられるが――半龍半天使ってのは何だろう?」
「中米に基督教を広める際に、土着のアステカ神話と融合させた創世物語が作られたんです。カンヘルとは元々『蛇を象った杖』を指す言葉であり、権力の象徴ですね。医術の象徴カドゥケウスみたいなモノに近いかも知れません。……そういえば、ヘルメスの杖もまた翼を持つ蛇ですね」
 正確には、頭にヘルメスの翼を飾られ、柄に2匹の蛇が螺旋状に絡み付いているのが、ラテン語のカドゥケウス――希臘語ではケリュケイオンと呼ばれている杖だ。縣が感心したように頷く。
「ふむ……太古の時代――ローマ興隆期に埃及から追われた王族が中南米へと脱出したという説もありますから、地中海文化が流入された可能性もありますが、やはりユングの集合的無意識論による……」
「――内容がオカルト方面にマニアック過ぎて、オレには付いていけねぇ。爆発物とか重火器に関してならばオレ様と柳沢でトーク出来るんだが」
 独り取り残された感がある、大山が空を仰ぎながら呆然。逸早く我に帰った緑が済まなそうに笑うと、
「とにかくカンヘルとは布教の際に土着信仰との融合で造り出された、擬似天使みたいなものです。通常、基督教圏において蛇や龍は『悪』の象徴みたいに思われる事が多いのですが、カンヘルは蝙蝠の羽や鉤爪を持つ姿でありながら、中南米における天使としての役割を担っているそうです」
「……蝙蝠の羽や鉤爪ならば、半龍でなくて半蝙蝠だと思うんだけどなぁ? でも、そのカンヘルが何故にケツァルコアトルの眷属に?」
 大山の質問に、説明を続けるのは民俗学に詳しい縣。ケツァルコアトルが持つ伝承を口にしてから、
「ケツァルコアトルはメソアメリカ人と比較すると白い顔をしていたとされ、或いは額に白い十字を刺青にしていたといいます。実際、旭岳山頂での遭遇報告では、そういう姿をしていたらしいですからね。そして彼が復活を宣言したセーアカトル(一の葦の年)に、偶然ながらもコルテスのメキシコ来訪と一致した事が、アステカ文明滅亡の一因とされていますし。そしてコルテスといったコンキスタドールは狂信的な基督教徒で……と、まぁ色々と連想は出来る訳です」
 こういう時代でもなければ、トンデモ説のネタぐらいにしか使えませんけどね。そう縣は話を締め括る。
「――解った様な、解らないままの様な……とにかく1つだけ納得した。宗教とか神様とか、実際のところ、人間の都合で好き勝手にされているもんだなぁと」
 大山の感想に、縣は薄ら笑いを浮かべると、
「もしかしたら基督教でも、元来は天使共の言動や行為、そして教えが正しく、対して現在のものは相反している――神様から見れば許し難いモノなのかも知れませんね」
「本人は熱心な基督教徒であればあるほど、真実は神から眼を背けるっていう事か。宗教とか、神とか、本当によくわかんねぇな」
 そもそも超常体を理解する事自体が不可能な事かも知れない。敵として対立するか、それとも完全侵蝕して一体となって盲従するか。サマイクルのような存在と、その友好関係は極めて特殊なのだろう。
「……で、話は戻すんだが、そのカンヘルと化した完全侵蝕魔人が道中で邪魔してきたり、山頂でケツァルコアトルと共に敵対したりするのは間違いないと」
「そうです。森二曹もですが、お気を付けて下さい」
「――縣クンは御一緒しないんですか?」
 緑の問い掛けに、縣は一瞬詰まる。自らを指差し、嘲笑を浮かべると、
「見ての通り、僕は森二曹を下回るぐらいに戦闘能力皆無ですが。火力も充実していませんし。精々、小賢しい知識を披露するぐらいしかありません」
「――縣クンには氷水系能力がありますわよ。ちよりクンの操氣系も頼りになりますし」
 緑の言葉を受けて、猪瀬・ちより[いのせ・―]陸士長の姿に、大山もようやく気付いた。素知らぬ顔をしながら、こちらの様子を窺っている、セミロングの髪をゴムで縛った地味眼鏡。
「僕達にも侵蝕率というものが……。どうも最近は便利使いされている気が致します」
 縣が肩を落とす。緑は何故か勝ち誇ったように、
「臨機応変に使われる共通アイテム的な扱いなのは、最早、縣クンの宿命ですよ!」
「……緑サンもメタ的発言になってねぇか?」
 呆れたように大山が空を仰いだ。そう指摘する自身もメタ的なのだと気付かずに。

*        *        *

 旭川駐屯地に近い事もあり、嵐山公園防衛部隊の食事はバリエーション豊かで、しかも携行食に比べれば豪華と言える。需品科の野外炊具1号で調理されたばかりの糧食に合掌して、柳沢は箸を動かした。
「……平和ですね」
 サマイクルの影響だろうか、6月に入ってからも旭川周辺において低位超常体の姿は確認されていない。テスカトリポカとの戦いに明け暮れた先月中旬を思い起こせば、平穏過ぎて怖いぐらいだ。
「古川三曹に至っては、班内で目隠し分解レースなんてやり始めているしね」
 内藤もやや呆れた口調で、公園の一部を見遣る。先の戦いの名残で、塹壕は掘られ、バリケードとして土塁が積み上げられ、鉄条網は敷かれたままだ。そして幾人かを警戒に配置させただけで充分とばかりに、食事を終えた古川達は89式5.56mm小銃BUDDYの普通分解で手入れを行っていた。それ自体は問題ない。普段からの手入れが、非常時における万一を誘発させない定石だ。とはいえ、レース形式で食事や嗜好品を賭けているのは、正直どうかと思う。
「完全に緩み切って使い物にならなくなる前に、稲生准尉が釘を刺してくれているからいいですが」
 それでも重い溜め息を吐くのを隠せない。緊張に満ちたテスカトリポカの襲撃から、打って変わっての平穏な日々。本来ならば喜ぶべき状況なのに、何とも複雑な表情を浮かべてしまうのは何故だろう。
「――くれぐれも〈消氣〉や祝祷系による光学迷彩で潜入してくる超常体に注意しなければ」
 食事を摂り終えた柳沢は軽く伸びをしてから、トレイを片付ける。しかし操氣系と祝祷系の組合せが出来る超常体は早々いない。
「……千歳では、エンジェルとアルカンジェルが組になって駐屯地間近に潜んでいたらしいけれどもね」
 第7師団司令部のある東千歳をはじめとする駐屯地は襲撃への対応に追われているらしい。ヘブライ神群が道東で目撃された例は皆無に近いが、
「今後も無いとは限らないしね……」
「もしも第7師団が壊滅して、天使共が道東へと勢力図を拡大するのでしたならば――要であります此処を狙いますのは必然でしょう」
 忘れがちだが、敵はアステカ神群だけではない。いずれにしても警戒を怠る訳にはいかないのだ。
「とにかく今は旭岳のケツァルコアトル攻略部隊が後顧の憂いなく、作戦を進めるように頑張らねば」
 柳沢の言葉に、内藤は頷こうとした。が、突如として姿を現したサマイクルに顔を強張らせる。
【……抜かった。ヌタップカウシペのキナシュッウンカムイがここまで力を蓄えていようとは! 残念だが間に合わなかったようだ!】
 サマイクルの言葉の意味を、内藤達は直ぐに理解した。新谷・亜貴[しんたに・あき]二等陸士が南西の方角を指差して大声を張り上げた。
「――大雪山に、柱が!」
 それは嵐山公園からも何故か確認する事が出来た。柱は陽光を反射してか、時折、煌いて見える。副長の 皆縫・拓[みなぬい・たく]陸士長が報告を伝えた。
「――ケツァルコアトル攻略作戦は失敗。沼部陸将の言によれば、あの柱はケツァルコアトルが儀式によって造り出したモノらしい。その役割は――」
【……ヌタップカウシペ一帯は、キナシュッウンカムイに奪われてしまった。あの力の奔流が形となったものが消えない限り、私の力がヌタップカウシペ一帯に及ぶ事は無い】
「――吹雪がまた発生するという事ですか?」
 サマイクルに柳沢が問い質すが、
【否――正確に述べると、私の力も働いているが、キナシュッウンカムイの力と拮抗しているのだ。つまりヌタップカウシペ一帯においては、ヤツを弱らせる事が出来ない】
 限定的ながら、サマイクルからの影響を無効化する陣地をケツァルコアトルが築き上げたという事だ。
【だが、このまま放置しておけば、いずれ私の力を上回るだけでなく、キナシュッウンカムイの影響範囲も広まってくるだろう】
「……攻略部隊の被害状況は?」
「ケツァルコアトルに対して善戦したらしいが、それでも死傷者が出たらしい。柱も立った事により、止む無く態勢を整え直す為に撤退せざるを得なかったとか……詳しい事は未だこちらにも伝わっていない」
 沈黙が訪れる。
「――嵐山公園の防衛は、俺等、第248班に任せて、稲生や内藤達も旭岳に向かってもいいぜ?」
 いつになく真面目な表情で、古川が提案する。柳沢と内藤は唇を噛み締めながら、顔を見合わせた。

*        *        *

 サマイクルが力を取り戻した影響により、ケツァルコアトルが弱体化されて吹雪が止んだとはいえ、旭岳登山は困難を極めた。
 かつて第02特務小隊(※零弐特務)は張られていたロープウェイ跡に沿って、姿見の池まで強行突破したが、懲罰部隊と異なり、第3、第25普通科連隊からの選抜部隊にケツァルコアトルと戦う前から無理はさせられない。ましてやカンヘルという完全侵蝕魔人が道中を邪魔してこないとも限らない。攻略部隊は、旭岳駅跡より姿見駅跡まで直進する事は避け、西側斜面の標高1,300m〜1,400mのところに広がる区域――天女ヶ原コースを、時間を掛けながらも着実に登る事を選んだ。
「――標高が上がるにつれ、植生の移り変わりや溶岩台地上に発達した高層湿原を観察出来て、大変興味深いんですよ」
 携帯情報端末を左手に、もう片方にはハンディカメラを構えながら、緑が解説する。そして姿見の池周辺は、カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と呼ばれ、隔離前の観光案内にも「世界最大の花畑」と謳われていた。
「……お楽しみのところ残念ですが、カンヘルらしき超常体がこちらを包囲するように展開中」
「斜面はなだらかとはいえ、爆弾やハチヨンは怖くて使えないっと……MINIMIならば、いけるかな?」
 大山がFN5.56mm機関銃MINIMIを構えると、ソレに倣うかのように他の選抜部隊員もBUDDYやMINIMIを用意する。緑は苦笑すると、
「――麻酔銃は効くかしら?」
「クッシーより標的は格段と小さいですからね。銃の腕に余程の自信があるのでない限りは、止めておいた方が無難かと」
 縣の忠告を受けて、頬を膨らませる。
『 ――第1と第2班は火線を2時方向に集中。各個撃破するように包囲網を突破する。第3班以降は側面に牽制も込めて制圧射撃』
 攻略部隊長(※二等陸佐)の指示が各自の個人携帯無線より流れ、大山達も従う。
「嵐山公園ではサマイクルが波動を発した際に、同じ完全侵蝕魔人でもオセロメーは吹っ飛んでいたんだけどなぁ。カンヘルの方が耐久性高い?」
 5.56mmNATO弾をバラ撒きながら、ぼやくように大山。緑は確かに?と首を傾げる。
「波動を発したと同時間帯に、吹雪は止み、そして混乱したのか電波の発信が確認されましたのは、報告に上げています通りです。オセロメーが絶命したぐらいの衝撃に、ケツァルコアトルはともかく、カンヘルも耐え切ったとは思えませんから……」
「もしかしたらケツァルコアトルの吹雪が緩衝したって? ありえなくもねぇだろうが……たまんねぇな」
 嘆きながらも攻略部隊はカンヘルが天女ヶ原に張っていたラインを突破。また勢いのままにカンヘルが棲み処にしていると思しき、姿見駅跡を強襲。潜んでいたカンヘルを掃討し、姿見駅跡を制する事に成功すると、橋頭堡を確保した。
「――記録によれば絶好の天候条件でも、ここより山頂まで2時間近く掛かるという。戦闘が続発するとなれば尚更だ。これより10分ほど小休止した後、攻略に向かう。覚悟は良いな!」
 部隊長の言葉は問い掛けではなく、士気の鼓舞。全員が応!と敬礼を返した。

 ……それから山頂まで辿り着くのに、2時間どころか、倍以上掛かる。戦闘による脱落者も出て、選りすぐった勇士といえども疲労は隠せない。観察出来る高山植物も殆ど無くなり、あるのは岩と砂礫……そして溶け残った雪ばかり。鼻を突く刺激臭は地獄谷から噴き上がる煙に硫黄成分が含まれているからだろう。だが、それ以上に緑といった魔人を刺激するのは……
「――活性化」
 山頂へと近付くにつれ、憑魔核から疼痛に似た刺激が大きくなってきた。特に、索敵の為に氣を張り巡らせていたちよりの顔は蒼白状態になっており、脂汗が滴り落ちている。
「……このまま放置しますと、侵蝕率が危険域に達しかねませんね。――猪瀬士長は休ませます」
 縣の提言に、部隊長は大きく頷いた。緑が処方して抗不安剤をちよりに与える。操氣系のちよりに――いや、彼女に限らず魔人に対して薬剤投与がどれほどの効果があるのか、そもそも憑魔核の侵蝕による作用に対して意味があるのか、甚だ疑問が残り、医者や研究者の間でも紛糾しているところだ。それでも言葉通りに気休めにはなるだろう。
『 ――各員、決して警戒を怠るな。目標を視認した瞬間に攻撃を開始せよ』
 部隊長の指示に、大山や緑達も温存していたカール・グスタフをようやく肩に担いだ。果たして山頂に目標――ケツァルコアトルを視認。翼に見紛う程の、多量の羽根で飾られた外套をまとい、禅僧のように瞑目して座っている。円錐形の帽子を被り、額には白い十字が入れ墨されていた。しかし人型ではあるが、いでたちや振る舞いもさる事ながら、周囲に張り巡らされた強大な氣が最高位最上級――俗に言う、主神/大魔王クラスの超常体である事を皆に思い知らせる。だから瞬間、ありったけの火力を叩き込んだ。
「――っ!!」
 しかし待ち構えていたケツァルコアトルは座したまま片腕を大きく横に振ると、強大な氣が障壁となって集中砲火を受け止めた。更に瞑っていた目が見開き、瞼の下に隠されていた邪(蛇)眼が瞬いた。
「……ま、また、ですかぁ〜っ!」
 憑魔核が強制的に叩き起こされ、緑が身体を蝕む激痛で倒れた。他の魔人も気が狂いそうな叫びを上げ、口から泡を吹いて悶絶する。
「……これが本当の、蛇に睨まれた、蛙で、すっ」
 余裕がありそうな呟きを洩らしながら縣が轟沈。
 それでも憑魔強制侵蝕現象が来るのは折込み済み。気圧されて膝を屈し掛けたものの、歯を食い縛って非魔人の隊員達は踏み止まる。魔人の気付けやカバーに入り、ケツァルコアトルと岩陰に潜んでいたカンヘルに対して弾幕を張ると、追撃を許さない。
「――あっ、やべっ!」
 弾が途切れた瞬間、大山の眼はケツァルコアトルが指を立てるのを捉えた。勘みたいなものだが、咄嗟に提げていた袋からM7A3ライアット手榴弾を取り出すとピンを指で弾いて放り投げる。果たして障壁が消えたと感じた瞬間に、閃光が発せられた。ケツァルコアトルの別名はトラウィスカルパンテクトリ。発射されたレーザーメスは、だが大山が投擲した手榴弾が噴出した催涙ガスにより散乱、威力は減衰する。
「それでも痛い――というか熱っ!」
 光線に撫でられた箇所が熱を持つ。我慢すると素早く弾倉交換して、障壁が張り直される前にと大山はMINIMIを乱射した。だが今度は氷の鋭利な破片が、風に乗って吹き荒れる。
「――祝祷系が封じられても、攻撃手段に事欠かさないって……卑怯じゃね?」
「……でも五大系だと弱点も内包しますわ」
 ちよりの〈活氣〉を受けて復帰した緑が、身体を切り刻む破片をものともせずに2本目のカール・グスタフを担いでいた。ちなみに、ちよりの氣力は緑を回復させた時点で、今度こそエンプティ。休ませないどころか、そのまま皆の回復を無理強いすれば、間違いなく侵蝕率が危険域に達して手遅れになる。
 さておき大山達がケツァルコアトルへと攻撃を加えて、注意を引き付けている間に、
「……これでも喰らいなさいッ!」
 緑が怒りの声を上げながら84mmHEAT弾を撃ち放つ。図らずとも狙い通りに不意を討つ事になった一撃は、ケツァルコアトルに直撃――したと思われた。爆発の衝撃でか、煙が発生して視界を悪くする。
「倒さないまでも、致命的な一撃を与えられたと思いますわ」
「……いや。致命的な一撃を喰らったら、誰でも倒れるんじゃねぇか? というか、緑サン、ちょっと衣装がキワドイ。目のやり場に困る」
 顔を赤らめながら、目を背けるアフロマン。逆に他の隊員達は攻撃の賞賛も込めて、口笛を吹き鳴らす。言われて緑は自分の姿を確認。――吹き荒れていた鋭利な氷片の中でも怯まずに立ち向かった事により、戦闘服は切り刻まれ、下着や柔肌が露出していた。
「……サッ」
「――サ?」
「サービス、サァ〜ビスゥ?」
 照れ隠しに、隔離前に社会現象にもなったTVアニメの登場人物の決め(?)台詞を思わず口走る。
「余裕あるな、おいっ! というか怪我は大丈夫なのかよ?」
「いや、そこは、アタシは異形系ですから……って煙の量が多くありません? あ……皆さん、注意を! ケツァルコアトルは健在です! 攻撃を続けて!」
 幻風系で増幅させていた氷水系能力を展開していたケツァルコアトル。緑の攻撃に氣の障壁が間に合わないと判断すると、氷壁を張ったのだろう。この視界を悪くさせる煙は、爆風による衝撃で巻かれた土埃ではない。溶かされた氷の蒸気だ。不意討ちとはいえ、強固な氷壁に阻まれたとすると、致命傷が与えられたかどうか。そしてケツァルコアトルは異形系でもあった。反撃が直ぐに来ないという事は……
「蘇生回復に力を費やしていますわ」
「――正解だ、ヒトの娘よ。今のは危なかったぞ」
 緑の言葉を受けて、我に帰った一同が煙の中へと火力を集中させる。だが煙が晴れた時、姿を見せたのは片手で銃弾を阻みながら、仁王立ちするケツァルコアトルの姿。
「――ケツァルコアトルが立ち上がった、だと?」
「そうだ。力は満ちて、刻は来た。『ナウイ・エエカトル』の終焉だ――」
 射てーっ!と何度目になるか判らない叫びが部隊長から発せられた。しかしケツァルコアトルが謳うように、声にならぬ言葉を口にするのが先だった。
 そして――空間そのものが爆発したような衝撃が放たれ、大山達は大きく宙に投げ飛ばされる。
 地面に叩き付けられて大山達が、何とか意識を振り絞って見上げたのは……氷雪を含んだ風の柱。陽光を浴びて、柱の中を舞い踊る氷の結晶が煌いて見えた。
「これで儀式に力を分け与えていたのも終わった。さて――ここからは本気で行かせてもらうぞ」
『……作戦失敗、死傷者を救助しながら、撤退に残る全力を尽くせ!』
 悲鳴にも怒号にも似た叫びが、部隊長から発せられたのだった……。

*        *        *

 その時……あらゆる通信機器から、電波ジャックした放送が流れてくる。凛々しい女声が響き渡る。
『 ――諸君』
 無線から聞こえてきた放送に耳を傾ける余裕も無く、撤退する部隊の殿を務める大山と緑。だがケツァルコアトルの顔が歪み、追撃の手が止まった。
『諸君』
 緊張を取り戻した古川達と共に、柳沢は嵐山公園周囲の警戒に務め、情報収集に内藤が走る。
『諸君――』
 女の声は、三度同じ呼びかけをし、
『 ――私は松塚朱鷺子、旧国連維持軍・神州結界維持部隊・西部方面隊第8師団第42連隊所属、第85中隊隊長だったもの。天草を拠点として腐れきった日本国政府からの独立を唱え、宣戦布告をしたものとして覚えておられるだろう』
 地之宮と畠山は顔を見合わせ、久菜が柄にもなく大きく舌打ち。
『かつて、私はこう言った。――我々は、日本国に生まれ育ち、そして超常体と呼ばれる来訪者達を身に宿したというだけで自由と生存権を奪われ、その裏に己の保身と私欲に走る愚鈍な各国政府と日本国政府との間に密約があったという事を!』
 放送主は一息吐き、そして爆弾発言を続けた。
『その証拠を今こそ示そう! その時が来たのだ。証拠とは――』
 松塚・朱鷺子[まつづか・ときこ]の声が響く。
『――私自身だ! 私という存在がその証拠である。私は……我こそは処罰の七天使が1柱“神の杖(フトリエル)”―― 最高位最上級にある超常体、熾天使(セラフ)である!』
 奥歯を噛み締める音が聞こえた。
『我は、この世界に“ 主 ”の御命による安息と至福に満ちた国を建てる為に、愚かなる者どもを打ち倒し、魑魅魍魎を祓い出すよう申しつけられ顕現した。己が自由と誇り、生命を守る為に、当然ながら我等に抗われるだろうと覚悟の上で、だ。しかし――』
 悲しみと怒りに満ちた声が周囲に渦巻く。
『 ――あろうことか、愚鈍な者どもは保身と私欲の為に我等に媚び諂うと、この国を売り渡したのだ』
 糾弾するフトリエルの声が天に満ちた。
『 ――怒れよ、戦士達。我は、同志であれ、同志で無くとも、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた諸君等に惜しみない賞賛と敬意を送る。と、ともに問い掛けたい。…… 我は諸君等の敵であるとされていた。確かに我等は諸君等を殺め、命を奪ってきたものだ。だが、真なる敵は諸君等から自由と権利を奪い取り、そして何よりも誇りと生命を軽んじている者どもではないだろうか!?』
 聞く者の心に、困惑と、そして嘆きが迫ってきていた。呆然が憤然に取って代わる。
『今一度、呼びかけたい。――我は約束する! 戦いの末、“ 主 ”の栄光の下で、真なる安息と至福を諸君等に与えよう。ゆえに己が自由と誇り、生命を守る為に、この理不尽なる全てに対して抗いの声を上げよ。そして我等とともに戦い抜こうではないか!』
 ……聖約が、もたらされた――。

 そして……絶望と混乱に打ちひしがれる維持部隊員は、新たなノイズを耳にした。またも朱鷺子による煽動放送かと思いきや、
『 ――あーあーテステス。本日は晴天なり……って、もう道内全土に放送を流しているのか、セスナ君!?』
 一瞬、焦りで支離滅裂になりながらも、声の主は大きく息を吸って落ち着きを取り戻した。
『……あー。何だか叛乱者が放送した後で、実にタイミングが良いのか悪いのか判らん気もするが……聞いてくれ。俺は第1電子隊所属している二階堂というものだ。とりあえず俺の話を聞いてくれ』
 二階堂は咳払いをする。
『各地の状況は最悪で、一見、絶望的な状況に見えるだろう。だが、信じる者も多くないし、その上で知っている者は数少ないだろうが……この神州日本には超常体とは異なる――土着の神々が存在している』
 息を呑む。面を上げる。隣人と顔を見合わせる。
『彼等は封印されていたが……少しずつ解放されて復活を果たした。そして神々は加護を与えてくれ、なお且つ、共に闘ってくれている』
 テスカトリポカと戦った時を思い出す。サマイクルが復活した瞬間、確かに何かを感じた。
『特に、道東では神威のサマイクル――アイヌの神だが、過去の歴史からして、本州人に対して罰を降してもおかしくないのに、慈悲と慈愛の心で自ら守護すべき対象であるアイヌと分け隔てなく加護を与えてくれた。つまり何が言いたいかというと――』
 困ったように言葉を選ぶ。本来、話術は得意な方だと思っていたが、いざという時は難しいものだ。だから二階堂は思い浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
『アイヌも本州人も沖縄人も、そして帰化した方々も関係なく、すでに神州結界維持部隊は一つの大きな家族になっている事を自覚して貰いたい。……そして何よりも伝えたいのは……』
 確信を以って断言する。
『――信じるものとは何か? それは、君達の隣にいる者、身近にいる人々だろう?』

*        *        *

 地之宮が見る限りにおいて、朱鷺子の爆弾発言による混乱は、だが十勝岳においては驚く程、静かに落ち着いていった。続く二階堂の放送もあるだろう。それでも元来、鼻摘み者の懲罰部隊である零伍特務が自暴自棄にならなかったのは……
「やはり……寺岡の姐さんが大きいか」
 ここ数日“門”の警戒監視をする傍ら、零伍特務の様子を窺っても見た。零伍特務隊員の久菜への心酔は、似て非なるが信仰に近い。しかし久菜が持つモノは聖女めいた人徳や高潔さとも違う。
『 ――隊長は聖女であって、聖女ではない。娼婦でもあって、娼婦でもない。妖艶だが、淫乱ではない。穢れてもいるが故に、許しを知る慈母でもある』
 零伍特務隊員は男性も女性も揃って、そう答える。
「……“女王様”が言うには、寺岡准尉はトラソルテオトルらしいです」
 相棒の調査隊員が耳打ちしてくれた話。彼の上司の話では「久菜は完全侵蝕魔人。“認められる”事無く超人になれず、だが強固な意思で、ヒトとしての心を失わずにいる異生(ばけもの)」らしい。それは“女王様”とやらにも言える事らしいが……片や懲罰部隊長、片や諜報部隊長。今の2人へと分かれた理由は何だったのだろう?
「……そういや、寺岡准尉は元・札幌の警務隊本部にいたんだったな」
 聞いてみたいような、でも知りたくないような。相反する気持ち。解っている事は、地之宮の任務には関わりがない。ちょっとした好奇心であり、それが故に深入りは禁物かも知れないというモノだ。少なくとも現時点での久菜は、十勝岳に待機中の隊員達にとって良き姉であり、母であり、恋人である事には間違いがない。だからこそ、久菜が人類の敵に回ったら……
「――危険だな」
 地之宮は誰にも聞かれないように独り呟いた。
 ――さておき。実のところ地之宮も悠長に考えを巡らしている場合ではなかった。物狙撃銃バレットM95の照準眼鏡を覗き込みながら、相棒が読み上げていく観測記録に耳を傾ける。
 2つの放送よりも、十勝岳に緊張をもたらしたのは旭岳に立ち上がった『柱』だった。共鳴するかのように“門”が放つ虹色の光量が増していく。影響を受けた魔人――畠山と、茶川・虎子[さがわ・とらこ]二等陸士が荒い息を吐いていた。逸早く自力回復した畠山が虎子を治療したが、影響を受けたのは魔人だけではない。地之宮の動悸もまた異常に高まり、それでいて心臓を直接掴まれたような――死の気配を感じ取っている。それを緩和したのは――
「……氣の力場を展開しました。少しは楽になったはずです。しかし緊張を緩めないで下さい――“門”の向こうから超常体――否! アステカの神が1柱、現出します!」
「――高エナジー体が〜来ますよぉっ!」
 畠山がいつも通りにのんびりとした口調で、だが声色は緊張が窺える、そんな複雑な警告を発した。十勝岳噴火の兆候かと間違えても可笑しくない程に、空気と大地が震動する。そして“門”を通り抜けてナニカが姿を現そうとした。
「――点火!」「点火!」
 卑怯な事に“門”から現れるまで敵への攻撃は一切効かない……らしい。だから完全にこちらへと抜け出てきた瞬間、畠山の合図を受けて、虎子は“門”周囲に仕掛けていたプラスチック爆弾に点火信号を送った。果たして爆炎と爆風、それらに伴う衝撃破が発せられる。
「――十勝岳の噴火を誘発しないか?」
 軽口を叩く事で、意識と身体にある不要な緊張を解す。そしてバレットの引鉄に指を掛けた。爆発で生じた修正を入れて、12.7×99mmNATO弾を撃ち込んでいく。しかも対象物を燃焼させる焼夷剤を使用。相手の生死は確認しない。物体が何であるか確認はしない。見敵必殺。周囲の零伍特務隊員もMINIMIやBUDDYで火線を集中。さらには虎子がカール・グスタフで84mmHEAT弾を撃ち放つ。
「……爆発の衝撃とぉ、続く焼夷徹甲弾を含めた集中砲火。異形系であっても〜堪らないでしょう」
 楽観的とも取れる、のんびりした畠山の言葉。だがソレを聞いて油断禁物と戒めていたのも畠山自身だった。巻き上がった土煙の向こうで咆哮が上がる。犬の遠吠えにも似た咆哮は、また歌声のようでもあった。
「――ショロトル!」
 久菜の叫びに、アステカの神が咆声で以って応える。脚が後ろ向きの獣頭神。空洞の眼窩から黒い涙を流し続けている。黒い涙に火花が飛び散ると、燃焼――炎の川となった。
「――先程までの攻撃が効いてないんですかねぇ?」
 畠山が額に脂汗を浮かべながら、吐露する。何というか――アレはまずい。長年の間、鍛え、そして生き延びてきた経験から培われた勘が告げている。接近戦に持ち込まれたら全滅する、と。
「……撤退を提案しますよぉ」
 だが久菜は頭を振ると、
「“門”を越えてきた完全体とはいえ、不死身ではありません。先程までの攻撃の御蔭で動きが鈍い。撃ち尽くすぐらいの弾を喰らわせなさい!」
 いつになく厳しい声で叱咤する。久菜の言葉を信じて、地之宮は機械的な動作で次弾を装填すると射ち続けた。――そして、ショロトルが動き出す前に火力で圧倒し、討ち果たした。しかし喜びが湧き上がる前に、
「――撤収! 急いで下山します。弾を撃ち果たした現状、次を押さえ切れません。とにかくショロトル1柱を退けた事で充分です」
 久菜の撤退命令に、畠山は壊れた玩具のように首を縦に振り続ける。まだ“門”の向こうにショロトル同様の強大な気配を感じ取っていた。憑魔核が恐怖で悲鳴を上げ続けている。地之宮も素直に頷くと、最寄りの駐屯地――鹿追と上富良野へと緊急連絡を入れる。懲罰部隊から入れるよりも、襟裳の英雄からの方が説得力は大きい。
「――恐らくは『柱』と連動しています。旭岳に立った『柱』を破壊するまで、ミクトランから神々が顕れ続けますよ」
 そして、ケツァルコアトルと近しいショロトルが最初に姿を現した。放置していればミクトランから超常体を引き連れて、更なる神々が姿を顕す。
「トナティウが現れる可能性は?」
「それはありません。繋がっているのがミクトランである以上は、冥府を棲み処にしている神限定です」
 飽く迄もトナティウが姿を現すのは『四の時代』の終焉を模した儀式が全て行われて、『ナウイ・オリン』終焉が決定された時――北海道をはじめとして神州沈没が確実になった時だけらしい。テスカトリポカ、トラロック、チャルチウィトリクエを倒した以上、それはない。それはないが――。
「繰り返しますが、旭岳の『柱』が消失するまで、“門”から神々が抜けてくるでしょう」
「だが『柱』はケツァルコアトルが死守するだろうな」
 そして『柱』を倒しても“門”が消え去る訳でもないという三重苦。加えて、
「――夏至の日が近付いています。『黙示録の戦い』が開始される日が……」
「それは〜どういう事ですかぁ?」
 調査隊員の言葉に、畠山が首を傾げる。調査隊員は暫く逡巡した後、口を開いた。
「――6月21日までに現在進行中の作戦を完遂させろと。出来なければ放棄。……つまり駐屯地への帰還が命じられて、以降は死守防衛のみです」
 夏至までに『柱』を消失させなければOUT。当然ながら『柱』が健在なままでは“門”から強力な超常体が顕れ出てくるので、押さえ込んでおく部隊も必要になる。
「――いざとなれば……」
 思い詰めた表情で久菜が呟いている姿が、やけに気に掛かるのだった。

 

■選択肢
SAh−01)十勝岳にて邪悪霊を天誅
SAp−01)十勝岳にて死神との相対
SAg−01)十勝岳にて冥府と繋げる
SAh−02)旭岳の羽毛ある蛇と決戦
SAp−02)旭岳の邪悪なる蛇を滅殺
SAg−02)旭岳の英雄神と共に歩む
SAh−03)嵐山公園にて状況を維持
SAp−03)嵐山公園に進攻して制圧
SAg−03)嵐山公園の支配権を奪取
SAh−04)旭川駐屯地で厳重警戒を
SAp−04)旭川駐屯地で粛清に動く
SAg−04)旭川駐屯地で我欲に従う
SAh−05)帯広駐屯地で防衛網強化
SAp−05)帯広駐屯地を突破し裁く
SAg−05)帯広駐屯地に混乱を招く
SA−FA)北海道東部の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に、当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 また十勝岳や旭岳では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、更に死亡率も高いので注意されたし。
 なお十勝岳に生じたミクトラン(シバルバー)への門に突入した場合、問答無用で死亡処理とさせてもらうので、絶対にアクションを掛けない事。
 なお維持部隊に不信感を抱き、天御軍に呼応する場合はSAp選択肢を。アステカ神群に味方したり、人間社会を離れて独自に行動したりしたい場合はSAg選択肢を。

※註1)維持部隊長官……神州維持部隊発足前は、防衛庁長官――現実世界においては今の防衛大臣。シビリアンコントロールという建前の為に、徹底的な非戦闘員を要求されている。日本国政府は海外に存在しているが、維持部隊長官が実質的な神州における政策面の頂点。海外の日本国政府から派遣という形をとる。
 なお現在の長官である 長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]氏は7代目に当たる。在任中に超常体に殺されたようなケースは1名のみ(2代目長官)で、多くが即日辞退したり、自殺したりしている。長船の任期数は15年を越えるが、腐らないのは本人の性格と周りの支援があってのもの。最近では長官秘書の 八木原・斎呼[やぎはら・さいこ]一等陸尉がコントロールしているからという説もある。また維持部隊の暴論なまでの実力主義は長船の代から。ちなみに結構、気さくな性格でノリも軽く、分け隔てしない。維持部隊員の中には年齢や階級、役職に関係なく、長船と宴席を囲んだという者も少なからずいる。愛称は「長さん」。

※註2)特殊作戦群……現実世界においては2003年に発足した陸自初の本格的特殊部隊。国内でのテロ、それに類する不正規戦に備えて創設された。米国のデルタ・フォースを範としているらしいが、規模・武装の詳細は不明。精強無比。
 神州世界において特殊部隊は幾つか在るが『魔人駆逐を主任務にした部隊』の代表は、実はこれ。


Back