神州結界維持部隊東北方面隊・第6師団第44普通科連隊が駐屯する福島駐屯地に足を踏み入れた、桃山・城(ももやま・しろ)二等陸士。桃山を出迎えたのは、89式5.56mm小銃BUDDYを突き付ける警衛の普通科隊員だった。
しかし特徴であるクラシックドレス風のボディアーマーに対して、怪訝な表情を浮かべた後、慌てて謝罪。喜びで興奮しながら通信機で連絡を送ると、隊舎から老若男女多くの隊員達が歓声を上げて、桃山を出迎えたのだった。
「……薫さんが札幌を訪れた時も歓迎されたと聞きましたけれども」
「すまないな。其れだけ、娯楽に飢えているんだ」
桃山の呟きを耳聡く聞き付けたのか、壮年の男が苦笑して返す。警衛だけでなく警務科隊員を連れて出迎えた男へと、桃山は敬礼を送る。
「――東北方面音楽隊所属の、桃山ですわ」
「第44普通科連隊長兼福島駐屯地司令の関村一佐だ。君達が主演だった『魔法少女 マジカル・ばある』はよく見ていたよ……第9師団長とのつきあいで」
半ばゲンナリした表情に、桃山は軽く同情。
「第44普連は第6師団隷下でしょうに……御苦労様でしたわね」
「まぁ……其れもコミュニケーションというものだ。御蔭で娘との会話にも困らなかったし。――さて、其の第9師団長と、神町の第6師団長から連絡を頂いている。『駐屯地堅守専念』の絶対命令により、直接的な協力は出来ないが、可能な限りの支援を約束しよう」
執務室に通された桃山は、渡した報告書とは別に、改めて青森の恐山での状況を伝える。
7月上旬迄、恐山を中心とした下北半島を占拠していたラクシャーサ神群だったが、クベーラ[――]率いるヤクシャの部隊に奇襲を受けて壊滅。桃山も、閻魔天で知られる ヤマ[――]の配下であるトゥルダク部隊に協力し、羅刹鬼に囚われていた ヤミー[――]の救出に成功した。
「御世話になった方を助けたから、一安心ですわ」
しかしヤミーとトゥルダクは『元の世界』に還っていったものの、クベーラ率いる夜叉の部隊は、残存の羅刹を加えて再編制すると、北海道から南下する天使共(ヘブライ神群)と対峙する拠点として恐山を再占領している。結局のところ超常体に下北半島を押さえられている事に変わりは無いのだ。
飽く迄も優雅に溜息を漏らす桃山に、関村一佐は難しい顔で頷き返した。そして替わって福島の状況を桃山に伝えてくる。
福島駐屯地は東北方面隊隷下にあるが、駐在している第124地区警務隊の働きで、多勢は吉塚派と袂を分かっていた。
太古の地母神である 荒吐[あらはばき]を担ぎ上げた(元)東北方面総監の 吉塚・明治[よしづか・あきはる]陸将の決起宣言で、東北方面隊は大きく二分している。吉塚の決起に賛同して、日本政府に叛旗を翻すモノ。対するは維持部隊長官である 長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]の市ヶ谷からの厳命に従って駐屯地の堅守に務めているモノだ。
「……立場上、私がこう発言するのも問題だが――政府の遣り様に不満を持つ、吉塚元陸将の考えは解る」
実際は不満では言い表せない恨みが、吉塚の奥底にあるらしいが、其れに関して関村一佐は何も口にしなかった。だが桃山は何となく推し測る。
「其れでも遣り方というものがあるだろう。超常体との戦いが続いている中で国民が相争う状況は避けるべきだったろうに……」
関村一佐の言葉に、桃山は首肯も頭を振る事もしなかった。黙って耳を傾けるだけ。さておき気を取り直した関村一佐は、福島から茨城にかけての吉塚派の動きを、地図を使いながら示していく。
吉塚派は福島を制圧して、茨城に進攻しているが、実際は専守防衛を堅持している福島駐屯地と争う事を避けた。代わりに船岡から国道6号線を利用して縦断しているだけという。勿論、福島駐屯地をはじめとする、吉塚になびかない駐屯地や部隊に対しては、人造魔人を潜伏させて警戒監視しているだろうが。
「此方としても攻撃を仕掛けられない限りは動きようもない。いざ戦闘になれば吉塚派が勝利を収めるだろうが、只では終わらせない。だから吉塚元陸将としては道中の駐屯地占拠へと、徒に戦力を分散浪費するよりも、茨城進攻を優先させているようだ」
そして茨城進攻の中継拠点として、いわき市役所跡に陣地を布いているとの事。
「数日前に斥候として先遣した偵察部隊が、茨城の日立で駐日中共軍(※駐日中国人民解放軍)と接敵している。目的は大甕倭文神社に封じられているという噂の天神だろうと聞いているが……」
封印されている天神―― 天津甕星香香背男[あまつみかほしかかせお]を味方に引き入れようとしているという見解が有力だ。天津甕星香香背男は天津神だが、高天原に服わなかった神としても有名であり、日本政府に敵対する吉塚としては是非にも味方に引き込みたい存在なのだろう。
「しかしアラハバキ連隊は人造魔人で構成されていますけれども、駐日中共軍の大半もまた魔人ですわ。しかも宝貝(パオペイ)と呼ばれる憑魔武装を多数所持しているとか」
桃山の指摘に、関村一佐は首肯する。
「其の通り。そして茨城派遣部隊を率いる項少尉は駐日中共軍で3本指に数えられる強者。更に要石を直接護っている車六級士官は最強と謳われている。荒吐連隊と雖も易々と攻略出来ないと思われるが……」
成程と頷き返す、桃山。
「――いずれにしても駐日中共軍に対応している現時点が、吉塚派へと嫌がらせをする絶好の機会という事ですわね」
「……いわき市役所跡に最寄りの郡山駐屯地司令の第6特科連隊長は、私以上に日和見だ。そして長官直轄とされる警務科も地方に行けば、実態は各駐屯地で様々。余り頼りにしない方が良い」
「――充分に気を付けますわ」
桃山が敬礼をすると、関村一佐は答礼を返し、最低限に必要な装備の手配を約束してくれるのだった。
暗黙的な了解の上とはいえ秘密裏に行った、樽前山単独武力偵察。遠野・薫(とおの・かおる)二等陸士は傷や疲れを癒し、また武器弾薬の補充及び英気を養う為にも、北部方面司令部のある札幌に滞在を続けていた。
東北方面音楽隊・魔法少女番組撮影班『魔法少女マジカル・ばある』主演の1人だった薫の長期滞在に、北部方面音楽隊も刺激を受けたのだろう。薫と一緒に札幌を来訪していた撮影番組スタッフと様々な意見交換をしていた。
其の様子を冷やかながらも、内心で笑みを浮かべていた薫は、自身もまた意見交換をすべく足を進めた。但し薫が向かうのは音楽隊が集う隊舎では無く、北部方面総監である 酒山・弘隆[さかやま・ひろたか]陸将の執務室だった。
警衛に挨拶し、ノックをしてから入室。敬礼の薫を出迎えたのは酒山陸将と第11師団長の返礼だった。瞬時に室内を把握して、薫は目を細める。
「……久保川陸将の姿が見受けられないけど」
薫の指摘に、酒山陸将が呆れたような、疲れたような表情で応える。
「――君の報告に影響を受けたのか、第7師団で子飼いの部下を集めての突撃部隊を編制中だ」
第7師団長の 久保川・克美[くぼかわ・かつみ]陸将は、暴論な迄の実力主義である維持部隊とはいえ二等陸士から登り詰めた、生ける伝説だ。部隊編制の動きに、頼もしくはあるが、
「……勿論、周囲の眼が光っている状況で、暴挙は許さんがな。久保川陸将は責任ある立場なのだ。自重して貰わなくてはならない」
「――そうよねぇ」
思わず溜め息。其れでも久保川が暴走する発端になりつつある薫の行動に対しては咎め無しの様だ。逆に樽前山の状況を再確認すべく質問を繰り返してくる。
「樽前山頂にて“光の柱”を立てているショフティエルの周辺には、開いた“天獄の扉”を通って多量に顕現した天使の群れが展開。時間を置けば、其れだけ護りの層が厚くなっていくわ」
但し、と薫は付け加える。
「側近とされる完全侵蝕魔人――熾天使2柱の姿は先日の時点では目撃出来ず。“天獄の扉”から生じた神軍(かみついくさ)を率いて、函館や青森へと遠征中かも知れないわね」
「――青森の恐山に陣取ったデーヴァ神群との交戦が観測されている。デーヴァ神群の方でも群神クラスの超常体が顕現しているそうだ。熾天使といえどもそう易々と青森を征服出来ないだろう」
デーヴァ神群が維持部隊に友好的とはいえ、超常体頼みというのは複雑な思いはあるが。
「しかし側近2柱が不在か……」
「加えて先日の奇襲でショフティエルは片腕を失っている可能性が高いと?」
間違いなく薫が放った25mmHEAT弾は、護衛の天使を貫き、“ 神の裁き( ショフティエル[――])”の左腕を吹き飛ばした。
「――ショフティエルが異形系でなければ片腕を失ったままよ」
薫の言葉に、2人の陸将は眉間に皺を刻む。敵将は不在。目標は重傷。確かに好機ではある。だが――
「動くには……未だ足りない」
重い溜め息と共に、言葉が吐き出された。絶対命令は駐屯地の堅守防衛だ。超常体同士の争い――『黙示録の戦い』に介入する事は許されていない。薫といった一部のモノだけが、何故か黙認されているのが現状だ。しかし薫の報告を受けて、自分達も部隊を率いていけるのであれば、何の為に久保川陸将に自重を求めているのか。……其の様な陸将達の葛藤を、薫は冷ややかに見詰めるだけだ。
だが重苦しい雰囲気を騒がしいノックの音が打破した。入室してきた久保川陸将と1人の陸士に、薫達が注視する。そして目が点となった。
先ず目に付くのはアフロ。漫画表現に見られるような爆発的な毛髪だった。身に纏っている戦闘迷彩II型は煤けており、火薬臭が漂ってきそうだった。
アフロヘアーの陸士は敬礼をすると、
「二等陸士の大山です。噂のゴスロリ少女が大手柄を立てた事、そしてショフティエルの護りが手薄である事を耳にし、沼部陸将に無理を言って出向してきました!」
大山・恒路(おおやま・こうじ)二等陸士の元気溢れる声に、思わず「おっ、応」と返してしまう酒山陸将と第11師団長。大山の隣では、久保川陸将が笑いを隠そうとしない。
同じく茫然となっていた薫へと、大山は手を差し出す。意味に気付いて、薫は握手。
「――職人の手ね。城が君に会ったら、とても喜ぶと思うわ」
「『マジカル・ばある』のホワイトロリータだったっけ? 映像見たけれど火薬演出が派手だったな。爆破が好きとは良い奴だ」
そんな感想抱くのは君だけよ――其の言葉を呑み込むと薫は微笑だけを返す。
「兎に角、力になるぜ。何でも言ってくれ」
「解ったわ。頼りにするわね」
出陣の決意を固める薫と大山の姿に、久保川陸将は頷くと、
「今は未だ……直接的な手助けは出来ないが、いざという時、骨は拾ってやるから安心しろ」
「――久保川陸将。其れは逆に不安だわ」
たしなめるように周囲の眼が久保川陸将に注がれたのだった。
ホワイトロリータというのは、桃山を特徴付けるモノだ。白地のクラシックドレス風にした魔女っ子ボディアーマーが、幼女にしてナイスバディ(自己申告)な桃山を際立たせるのだが……。
「単独かつ隠密での活動ですから致し方ありませんわ」
周囲の植生に合わせた迷彩が施された戦闘服を装着して、桃山は思わずボヤキを口にする。
先日の下北半島突入の反省から不本意ながらも、福島駐屯地を出る際に戦闘迷彩II型を着用。加えて到る所に樹の枝や葉、草を付けて擬装効果を高くしていた。
其れが幸いしたのか、国道4号線沿いに南下し、郡山駐屯地周辺に足を踏み入れてさえも、超常体はおろかアラハバキ連隊の斥候から発見される失態は減少している。むしろ敵より先に相手を見付け出し、桃山は排除を試み続けていた。
1体でも敵魔人を見逃す事は出来ない。魔人は戦車や戦闘機等も含める単体において最強の存在なのだ。何故なら、彼等は(当たり前だが)人並みの知恵があり、知識があり、武装するからだ。武装して無くとも、身体其のものが凶器である。1体だけで戦況を覆す危険性を秘めているのだ。しかし逆に言えば1体でも多く屠る事が出来れば、其れだけ敵戦力が大いに減退する事を意味していた。
斥候の敵魔人――アラハバキ連隊兵士を遣り過ごす事無く、桃山が積極的に排除していっているのは、そういう理由だ。
「……とは言え、隙があっても主神級が出たら逃げるしかないのは、悲しいところですわ」
此れから赴くいわき市役所跡の指揮官が主神/大魔王級の最高位最上級超常体だったら、逃げ帰るしかないのは桃山も承知していた。其処まで桃山も楽天家ではない。
またクラスに関係なく注意しておきたいのは、額に角のような憑魔核を生やしているヤト(夜刀)と呼称されている操氣系魔人だ。弱点部位が露出しているとはいえ、桃山は慎重にならざるを得ない。何故なら桃山が隠れ潜んでいても〈探氣〉で此方の位置を高確率で発見してくるからだ。
通常のアラハバキ連隊兵士は、モムノフ(桃生)と呼称された強化系魔人。続いて確認される事が多いのはキチン質に似た外皮をした異形系のヤツカハギ(八握脛)だ。ヤトはモムノフを束ねる隊長格という位置付けで数は多くない。実際、各駐屯地を警戒監視するアラハバキ連隊魔人はモムノフばかりだった。ヤトの様な貴重な戦力は後方に回しておくのが勿体無いという事か。またアラハバキ連隊は其れ程に戦力や人材が足りていないとも考える事が出来る。
「――現在のところ、アラハバキ連隊で確認されている有名な魔人もしくは妖怪が『那賀須泥毘古』だけですものね」
同僚の撃ち合いの結果、那賀須泥毘古[ながすねひこ]の死亡は確認されている。
「残る有名どころは……吉塚本人と荒吐様だけですわ」
自然と荒吐に「様」付けしていた事に桃山は気付いていない。否、様付けしない事がオカシイ。敵味方に分かれているとはいえ、荒吐は日本土着の旧き祇だ。日本人だけでなく桃山達ですら自然と頭が下がり、畏敬の念を抱く。其の相手に弓退く事に身震いすると同時に、桃山は我知らず溜め息を漏らした。
さておきアラハバキ連隊兵士を討ち果たしていく過程で、桃山は気付く。其れは……
「全員、ヒトを辞めてしまいましたわね……」
当人が望むも望まぬも、接敵したアラハバキ連隊兵士全てが完全侵蝕魔人と化していた。
「……人造魔人の結果が此れですか」
――アラハバキ連隊とは結局、何なのか。端的に言うと「憑魔核を人工的に寄生させる事で粗製乱造された魔人による強襲部隊」だ。魔人の部隊という事は、裏を返せば、すぐに暴走する危険性を孕んだ諸刃の剣。そしてアラハバキ連隊は見事に其の末路を歩んだ事になる。
「吉塚が日本政府からの離反、独立、そして復権を声高に唱えたところで、終わった後にヒトが居ないのであれば――何も意味がありませんわ」
吉塚は此の結末を理解していたのだろうか? 其れともアラハバキ連隊も所詮は捨て駒だったのか?
疑念に桃山は美しい顔を一瞬だが歪ませる。しかし溜め息を吐くと再び、いわき市役所跡へと足を速めるのだった。
ちなみに関村一佐の助言に従って、郡山駐屯地には寄らず。予備糧食は1人にして1ヵ月分も携帯しているし、またサバイバルツールにも工夫を凝らして狩猟や採集の効率化を図っていた。飢えに苦しむ事も無いだろう。
「何にしても斥候に注意しながら、可能な限り敵を排除していかないといけませんものね」
アラハバキ連隊南方派遣部隊が駐屯している、いわき市役所跡地は炎と煙に包まれていた。離れの官舎が騒音を立てて弾ける。集積されていた武器に引火して誘爆したものと思われた。BUDDYを手に、モムノフが右往左往する様子から、指揮系統の混乱から未だ立ち直っていない事が伺えられる。高い回復力を有するヤツカハギと雖も細胞組織を焼かれては再生困難だ。自然と炎を忌避しているようだ。其れでも正常な思考を取り戻したモムノフ数体が果敢に鎮火を試みているが、
「しかし焼け石に水ですわね」
混乱に乗じて、いわき市中を駆け回る桃山。炎と煙、爆発音に紛れ、愛用の96式40mm自動擲弾銃を撃ち放つ。桃山の能力が加わり、敵陣を巻き上がった炎の渦が蹂躙していった。
「些か派手に為り過ぎましたかしら?」
誰に対して言い訳しているのか、桃山は可愛く舌を出した。
――いわきに辿り着いた桃山は充分な休息と綿密な調査をしてから、アラハバキ連隊南方派遣部隊への奇襲を開始した。火力の大きさに強襲に近いものとなってしまったのは御愛嬌だろう。部隊長であっただろうヤトは目端に捉えた瞬間にマジカル・ジャベリンを叩き込んでやった。指揮官を討った事で混乱をもたらしたばかりでなく、桃山への反撃を困難なものにする。
「ふふっ。圧倒的な火力を持つ単体による遊撃戦ですわよ。もっと魔人の恐ろしさと近代武器のブレンドを味わって頂きましょう」
アラハバキ連隊が福島を攻略するに当たっての中核部隊。其の支援を務めるべきいわき市役所跡地は、桃山単騎の破壊活動で灰燼と化していく。アラハバキ連隊の魔人は確かに多いが、
「……恐山での悪鬼羅刹や餓鬼畜生の群れによる大波に比べれば、涼風の如しですわ」
とはいえ次第に混乱から立ち直ってきたモムノフが、擲弾が発射されてくる方角と距離を把握。桃山に対する反撃へと転じようとしている。此れだけでも桃山にとっては引き際の時機だったが――
「――ッ?! 炎が爆発、掻き消されましたの?」
衝撃と爆発の音が轟く。そして圧倒的な質量を伴った風が、いわき市役所跡地中心部から四方八方に放たれた。風と衝撃は炎を力任せに鎮めていく。中心部に居るのは、
「……荒吐様」
戦友から聞いた通りの姿が、其処に在るのを双眼鏡で確認。遮光器土偶のようなゴーグルが目元を縁取る奇怪な仮面を着用した、女性の姿をしていた。顔は仮面に覆われていたが、聡しい嫗にも見え、優しい母にも見え、愛しき妻にも見え、輝かしき娘にも見えた。まさしく“女”が其処に居た。旧き大地の“呪”の塊。畏れが桃山の背筋を走り、一瞬だが、身を強張らせる。だが重く固まり掛けた心身に叱咤すると、桃山は必死の思いで逃げ出した。
――アレには勝てない。
否、勝ち負けの領域ですらない。存在自体が反則級の代物だ。主神や大魔王クラスどころではない。本質的に、根源的に――別物だ。よく、激昂して我を忘れていたとはいえ、あんなモノに銃口を向けられた戦友に驚嘆を覚える!
……気が付けば、桃山は森の闇の奥底で膝を抱えて震えていた。涙や諸々が美しい顔を濡らしている。大きく息を吐いて、そして吸う。気を落ち着かせた。追撃の姿は無い。気配や音も感じられない。草叢や木々からは虫の音が聞こえてくるだけだ。やっと身体を弛緩させた。
「……まさか荒吐様が前線にいらっしゃっていたとは。岩手か宮城で、神輿に担がれているとばかり」
荒吐が前線に出て来る程……、出て来ないといけない程に、茨城の攻略は難しいという事か。
「何にしても作戦を練り直す必要がありますわね」
背嚢から出したパック飯を広げながら、桃山は頭を悩ますのだった。
――内側にポリ袋を被せた飯盒の蓋に主食のクラッカーを載せ、中子に副食(オカズ)のハムステーキとポテトサラダを盛り付ける。飯盒本体には卵スープだ。暖められた戦闘糧食II型――通称パック飯の5番「ハムステーキ」を前にして、合掌。
「……いただきます」
「長官、貴重な携帯糧食で遊ばないで下さい」
WAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)の呆れた声に、長船長官が箸を止める。眉間に皺を寄せ、
「感謝を以って美味しく戴く心算だが?」
「……では何故、隊舎で携帯糧食を口にする必要があるのです。需品科に連絡して頂ければ、普通の食事を持ってこさせますが」
秘書官である 八木原・斎呼[やぎはら・さいこ]一等陸尉の突っ込みに、だが長船長官は悪びれず、
「たまに缶飯やパック飯を食べたくなるのさ」
「気持ちは解りますが、保存食である事もお忘れなく。備蓄が不足してきた場合、長官の分から差っ引いていきますので」
斎呼の言葉に、長船長官は唸り返すだけだった。斎呼は溜息を漏らすと、
「備蓄で思い出しましたが――吉塚軍の茨城攻略が停滞しているとの事です」
「……ふむ? 駐日中共軍による反撃の影響か?」
いいえ、と斎呼は含み笑いをしながら、
「茨城攻略の支援を兼ねた後続の部隊が『超常体の襲撃』を受けたようで。いわき市役所跡地に陣取っていた部隊が半壊したとか」
「全く以って怖い話だ。何処の超常体かね?」
「さあ? 魔王か、其れとも熾天使ではないでしょうか? 千歳のショフティエルの側近は遠征中で不在という話ですし」
素知らぬ顔で答える斎呼に合わせて、長船長官も微笑で応じる。何とも温かい空気が場を満たしていた。
しかし其の空気を乱すように、通信が鳴る。目配せあった長船長官達は、落ち着いて端末に手を掛けた。
『 ―― Hello? 』
声の主は、亜米利加合衆国より。国務長官のゲイズハウンド。流石の長船長官も顔を強張らせた。
『ハロー! ゲイズハウンド国務長官直々に御連絡とは何事ですか? フェラー派への牽制でお忙しいとお聞きしていますが』
長船長官の言葉に、だがゲイズハウンド国務長官の声色に変化は無い。通達を述べるだけ。
『……由々しき事態となった。実は―― 』
しかしゲイズハウンド国務長官の言葉を雑音が遮る。長船長官が思わず斎呼へと振り返ったが、此方も当惑の表情を露にしていた。
『――失礼。電波状況がオカシイようだ。では改めて通達する。本日、国際連合の安全保障理事会ひいては総会にて、日本国への核攻撃が決定した』
通信内容に、長船長官と斎呼が固まった。相手は言葉を続ける。
『北海道から沖縄まで。余す事なく核弾頭が降り注がれる。此れは決定事項だ。尚、国外脱出は許されない。維持部隊及び国連派遣軍(※駐日外国軍)は超常体を国外に逃がさぬよう最期迄惹き付け――』
冷たい嘲笑が聞こえたような気がする。
『――其処で、死ね』
長船長官が反論する前に、通信が途絶えた。唇を噛む斎呼。長船長官は頭を掻くと、
「……さて状況は最悪へと進んでいる訳だが。どう思う? アレは果たして本物のゲイズハウンド国務長官かね?」
「松塚――フトリエルの放送の時と異なり、現状において電波通信網はセスナが掌握しています。万が一の事態を除いて電波ジャックされる事はありえません」
斎呼は蒼褪めながらも、強く言い切るのだった。
草叢に仕掛けられているワイヤーを指し示すと、アフロが手早く慎重に罠を解除していく。樽前山頂に向かう道中を阻むのは、哨戒している天使共だけではない。ショフティエルの側近が残して行った様々な罠もまた足止めとなっていた。
古典的なスネアやホールヌーズだけでなく、デッドフォールにスピアトラップ、そして指向性対人用地雷M18クレイモア。地面や木陰に隠されている罠を発動させるワイヤーに触れぬよう、目を凝らし、耳を澄ませ、臭いを嗅ぎ分けなければならない。
「……とはいえ罠の配置が前回と変わってないわね」
「すると側近が未だ帰ってきてない可能性が高まった訳だ」
薫の言葉に、クレイモアを解体しながら大山が不敵な笑いを浮かべる。
「オマエが山頂に辿り着いても尚、罠を仕掛け直していない。オレだったら不発や解除の確認も兼ねて罠を仕掛け直すぜ。話に聞いた側近の性格が慎重にして堅実だったというならば間違いない。しかも……仕掛けたのは随分古いな、此れ。一度も帰還していない証左だぜ」
しかし此の時点で樽前山頂に帰還している可能性も少なからずある。油断は禁物だと戒めた。
「……導管は古いが未だ使えるな。火薬もイケる」
「あら? 悪い事考えているのね」
「そりゃあね。物資は貴重だから。其れに爆発させないと可哀想だろ?」
大山がする満面の笑顔に、薫は表情を変えず、だが軽く肩をすくめて見せる事で応じる。
「――先を急ぐわよ。罠の発見は引き続き、わたしがしていく。大山君には解除をお願いね」
「あらほらさっさー」
アルカンジェルが指揮するエンジェルスの編隊が上空を哨戒しているのを、木陰や草叢に隠れて遣り過ごす。〈消氣〉を使うだけではない。今度の突入で、薫を包むのは、いつものゴスロリ衣装でなく戦闘迷彩II型だ。大山が見るに、どことなく不満そうに見えるのは気の所為では無いだろう。
「……現状では撮影の余裕もないから、隠密製の高い迷彩服を申請したの」
大山の視線に気付いた薫が、問うても無いのに嘆息交じりに答えた。そして眼を細めると、
「君も、其のテッパチから溢れんばかりのアフロを如何にかしたら? 敵に発見されるわよ」
「ンな、莫迦な!? 八つ当たりだぜ」
前回の強行偵察と違って、気休めに軽口を叩けるぐらいに余裕が出来ているのを、薫は冷静に自己分析。やはり仲間は必要かも知れない。
「――もしかしたら『すすきのの女王様』と接触するのも悪くなかったかもね」
「だが油断すると食われるって話だからなぁ、性的な意味でも。まぁ接触しなかったけれども、女王様は或る程度は此方の動きを把握しているだろうぜ」
「イイ処取りはされたくないわね」
……と樽前山頂に近付く程に植生が薄れていく。岩陰に身を隠しながら、双眼鏡で目標を確認。
「狙撃を警戒してか、周囲に氷柱を立てて射線を阻んでいやがるな。どうする?」
「あの程度の氷柱で25mm弾を阻めると思っているの? 其れに――」
XM109ペイロードライフルを組み立てながら、薫は口元を歪ませる。
「――弾道を曲げてでも、当ててみせるわ」
「おお、怖っ」
おどけて見せながらも大山は準備を終える。双眼鏡で再確認。ケルプは前回の奇襲で排除した。残るは、
「……パワーズとドミニオンが邪魔だぜ」
「ならば予定通り、お願いするわ」
薫の言葉に合点承知と返事を送る。――暫くしてから目標へと砲撃が開始された。
「――爆発は芸術だっ!」
担いだ84mm無反動砲カールグスタフを撃ち放つ大山。反応が遅れたパワーがアルカンジェルやエンジェルスを巻き添えに吹き飛ばされる。アルカンジェルが指揮するエンジェルス、そしてプリンシパリティが大山に殺到するが、
「下っ端には用が無いんだよ!」
周囲に仕掛けていたプラスチック爆弾に点火。計算尽くされた衝撃や爆風が殺到する天使共を呑み込むが、中心の大山は豪快に笑い続けるだけ。距離を取ったプリンシパリティが真空刃を、エンジェルスが光の矢を放つが、大山は催涙球2型を放り投げる。煙幕代わりとなったばかりでなく、光線の直進を妨げた。真空刃の軌道も浮かび上がらせて、危なげながらも大山は直撃を避ける。そしてお返しとばかりにレモン――M26A1破片手榴弾を投擲。M26A1はMk.2の後継種として開発された手榴弾で、小型かつ装薬が増量しており高い殺傷力を有している。予算の関係上、維持部隊ではMk.2が広く浸透しているが、爆発をこよなく愛する大山としてはM26A1が手放せない。
「――ようやく釣り針に引っ掛かってきたな」
ショフティエルの周囲を護り続けていたパワーが焦れて動き出した。ヴァーチャーが援護射撃をする中、鎧の様な外骨格を纏ったパワーが氣を防壁にして突撃してくる。
「だがオセロメーに比べたら動きが遅いんだよ」
閃光発音筒を投げて目を晦ませる。そして地面に置いていた5.56mm機関銃MINIMIを掴んで構えると、弾幕を張る。5.56mmNATOをパワーが張った氣の防壁が弾くが、勢いが殺がれた。慌てて避ける大山は、置き土産にM26A1を放り投げる。弾体が飛び散り、衝撃と爆音が響いた。
大山がショフティエルの護衛を引き付けている間に、薫は慎重に狙いを澄ます。照準眼鏡にショフティエルの姿を捉えて、絶好の刹那を待ち望む。そして右腕のないショフティエルが氷柱の影から出た一瞬に、引き鉄を絞った。〈消氣〉に回していた力を25mmHEAT弾に込める。放たれた砲弾は周囲の氷柱を瓦解させながら、ショフティエルを割り砕く。
――割り砕く? そもそもショフティエルが喪ったのは左腕だ。氷柱と同じく氷水系で造り上げられた鏡。映し出された鏡像という替え玉が、狙撃対策という事か。狙撃位置を知ったドミニオンが弟妹の天使共を引き連れて薫へと殺到する。
だが――
「本当に……備え有れば憂い無しね――敵味方問わず、お互いにね」
大山の仕掛けが炸裂。最大加害距離は約250m、有効加害距離は約50m、加害範囲は60°で最大仰角と俯角は共に18° クレイモアの鉄球が殺到してきたエンジェルスを細切れに変える。其の間にも薫は排莢、そして次弾を込める。此方の気配を隠す必要は最早無い。また敵の操氣系であるパワーやアルカンジェル、ドミニオンも、ショフティエルの気配を隠す余裕は無い。
「――必ず中てると書いて、必中なのよ」
ショフティエルの気を、薫の氣が捉えた。掴んで、もう離さない。そして引き鉄が再び絞られ――無数の鏡像を打ち壊しながら25mmHEAT弾が目標を追い駆け、そして直撃した……。
血と汗に汚れて、荒い息を吐く。傷や打ち身の痛みも麻痺しているのか、もう感じない。耳鳴りはずっとしている。視界が黒く澱んでいた。
「……そりゃあボスが倒れたら同時に、お城や周りの雑魚も消える……なんてゲームみたいな展開はありえないよなぁ」
背中にいる大山のボヤキも薫の耳には聞き辛かった。疲れが2人の心身を侵している。其れでも大山はMINIMIを構え、薫もまたXM109に次弾を装填した。既に銃身は灼熱して歪んでおり、マトモに狙っても敵に命中しないし、威力は減退している。其れでも敵を1体でも多く葬る事が出来る。既にドミニオンも墜ち、パワー以上の天使の姿は無い。だが――
「アルカンジェルとエンジェルスが厄介だと思ったのは初めてだわ」
血の混じった嘆息を吐いた。数は散らしたが、其れでも兄姉を喪った天使共の怒りは収まるところを知らない。
「そういえばコロポックルに挨拶してなかったなぁ」
「妖怪の名前……ではないわよね。恋人の愛称?」
「どうかな? 一緒に行動する機会は多かったけど」
そろそろ走馬灯が流れ出す頃かな……と最後のM26A1を握り締める。ピンを抜こうとした時、
――甲高い音が天使共を切り裂いた。
突撃喇叭が鳴り響き、BUDDYを構えた普通科隊員が突き進んでくる。先頭近くを駆けるのは、
「ほら。やっぱり、イイとこ取りされたわ」
「そう言うな。貴官達の活躍が無ければ、酒山陸将の黙認は取り付けられなかったのだから」
駆け寄ってきた衛生科隊員に支えられた薫と大山に、久保川陸将が苦笑する。そして手にしていた110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウスト3を撃ち放った。
「先陣切って戦う将官が居るってのも世の末だぜ」
「沼部陸将だと想像付かないわね」
「……あの人は学者肌だからなぁ」
久保川陸将が率いる救援部隊が、天使残党を撃ち払う。そして流石に此の逆転した状況でも怒りに任せて薫や大山に報復しようとする天使は居なかった。散り散りになって逃げ去っていく。
「頭を失ったから殲滅戦も月末には完了するか?」
「其れよりも久保川陸将……鹿屋野比売様ですが」
大山に続いて、薫が続ける。
「一刻も早く“光の柱”も崩さないといけないし、鹿屋野比売様も封印から解放しなくてはいけないわ。問題は奥宮の鹿屋野比売様の気配が微弱な事よ」
だが久保川陸将に代わって、ローティーンにも見紛う瑞々しく小柄で身軽な肢体の少女が薫達を制止する。
「……残念だけど鹿屋野比売を直ぐに解放出来ないわ。キヒヒ」
薫が顔をしかめた。少女からショフティエルと同じくらいの存在感を持ち、其れ以上の醜悪な気を抱く異生(バケモノ)。――『すすきのの女王』と称される、宇津保・小波[うつほ・さざなみ]准陸尉に警戒心がもたげる。が、
「――納得出来る説明をしないと駄目だろ」
次の瞬間、久保川陸将から頭を叩かれる小波の姿を見て、呆気にとられた。先程の胡散臭さが掻き消えている。とりあえず大山が口を開く。
「納得出来る説明とは?」
「鹿屋野比売を解放するには、然るべき資格というか何というか、そういうモノを持った者が儀式みたいなものを半月近くやらないと無理。そして、そういったモノを『黙示録の戦い』の最中に拘束しておくのは、其れこそ勿体無い。時間と人手の無駄遣いという訳ね。だから直ぐには解放出来ないの」
解放の儀式をしてもらっている時間があるのならば、別の戦場に向かってもらうべきだ。小波の説明に、薫と大山は顔を見合わせる。
「だが、此のままだと“天獄の扉”は開いたままで何度でも天使共が来襲してくるし、そして鹿屋野比売様は衰弱し続けるだけだぜ」
「そうね。だから“光の柱”だけでも打ち壊してもらうわ。奥宮も巻き添えになっちゃうけれども、鹿屋野比売も我慢してくれるでしょう。背に腹は代えられないだろうし。キヒヒ」
……そして大山が仕掛けを施し、爆破スイッチを薫が押す。奥宮が瓦解すると“光の柱”もまた消失。“天獄の扉”は閉ざされた。
「やっと……終わったぜ」
「疲れたわ……とても」
歓声が湧き上がる中、大山と薫は安堵の空気に包まれながら、ようやく意識を手放したのだった……。
■作戦上の注意
当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
また過去作のノベルを参考にする場合、PCが当事者でない場合、然るべき理由が確認出来なければ、其の情報を用いたアクションの難易度は上がり、最悪、失敗どころか没になる事もあるので注意されたし。
全体的に死亡率が高く、下手な行動は「即死」と考えて欲しい。加えて、常に強制侵蝕が発生する事態を念頭に置かれよ。
基本的にPCのアクションは超法規的活動であり、組織的な支援は受けられない。