大きな欠伸をする、巳浜・由良[みはま・ゆら]海士長。気が抜ける様な音だったが、しかし由良の周囲に集った面々の固い表情を崩す事は出来なかった。
「――改めて、現状の整理をしよう」
神州結界維持部隊中部方面隊・第2混成団司令部にして第15普通科連隊が駐屯する、香川の善通寺の一室にて。タキシード姿にマントを羽織った仮面の男―― 荒金・燕(あらがね・つばめ)二等陸士が言葉を発した。傍から見れば珍妙な格好だが、見慣れた面子にすれば、最も頼りになる戦力である。だが其れでも現在進行中の作戦――“ 這い寄る混沌( ニャルラトホテプ[――])”を射ち倒し、囚われている電波妖精 セスナ[――]の救出は困難を極めている。
先日にアルケラ神群をまとめる“銅のニシキヘビ”ユルング[――]の巫女にして受容体であるドリームシャーマンの由良によって、“這い寄る混沌”の本体が隠れ潜んでいた電脳空間へと突入。しかし圧倒的な“力”の差を前に撤退を余儀なくされ、セスナの救出は叶わなかったどころか、奇襲の好機を失ってしまった。
「――奇襲の失敗により幾つかの課題点が浮き彫りにされたが……一番は、やはり圧倒的な“力”の差だ」
風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士の指摘に、唸りながらも荒金は頷く。
“這い寄る混沌”を討ち倒すには『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』が必要と言われる。荒金が手にするFN P90には火炎系憑魔が寄生しており、更に片方の雷電系によって威力を増幅させる事が出来るが、其れでも“這い寄る混沌”を滅ぼすには足りない。また祝祷系能力を有する 風守・月子[かざもり・つきこ]二等陸士――正体は七十二柱の魔界王侯貴族が1柱である吟詠公 グレモリー[――]が放てる光では、空間を埋め尽くそうとする肉塊のような混沌を掃うだけで手一杯だ。
「人工太陽照明灯といった『物理的な、肉体的なモノに依存する武器や能力』や器物は、夢ひいては電脳空間に持ち込めなかったからな……」
尤も、人工によって生成された光や熱量が、どれ程に“這い寄る混沌”に効果があるのか、今となっては愚問だろう。恐らくは火炎系憑魔武装や月子の放つ光に劣るだろうと思えた。せいぜい傷を微弱ながら負わせる事が出来るぐらいだろう。――“這い寄る混沌”の本体を滅ぼすには全く足りない。
「レーヴァテインも無く、火之夜藝速男神の御力も期待出来ず……」
風守は深く溜息を吐くと、
「――残るは、例として挙げられていたアポロンと同様の『太陽の力を持つ存在』に助力を願う他無い」
つまり太陽神。伊勢の神宮に坐する殿下は、天照坐皇大御神[あまてらしますすめおおみかみ]の受容体だ。殿下の御力を以てすれば“這い寄る混沌”を滅ぼす事が叶うだろう。だが其れは最後の手段とも心得ている。だから荒金は収集してきた伝聞や情報を整理し、
「……ヴィシュヌは倒れたそうだし、デーヴァ神群の太陽神スーリヤが顕現しているという話も聞かない。仏教の大日如来は見当たらず、スラヴにはダジボーグ、そしてアイヌにもトカプチュプカムイといった太陽神が居るらしいが、此方の世界で確認されてないので交渉の仕様が無いな」
「……大日如来が見当たらない? 此の世界にも居るわよ。――但し交渉は出来ないわ。だって仏教に於ける“ 唯一絶対主 ”の呼び名だモノ」
月子の思わぬ暴露――だが風守も荒金も聞かなかった事にする。其れでも独り言として月子は続ける。
「“ 唯一絶対主 ”は“這い寄る混沌”の動きを見逃している節があるわ。理由は解らないけれども」
大きく溜め息を1つ。其れから、
「但し一応の抑止……というか対抗手段として、スルトやロキにレーヴァテインが顕現する様に命じたり、“全ての門にして鍵”たるモノを通じて、あるメイドに手引きさせたりしたみたいなの。人間が“這い寄る混沌”を倒せる様に。――残念ながら目論みが外れてしまい、現状がある訳だけれども」
……其れ等も、全て人間の選択の結果である。
さておき、荒金は苦虫を潰して熱湯で無理して咽喉に流し込んだ様な厳しい顔をすると、話を努めて再開する。
「では此の世界に、残存する太陽神となると――風守二士達に引っ掛かるモノがあると言っていったな?」
其処で風守へと目配せした。風守は確と頷き返すと、
「宇佐八幡宮奪回戦で助力してくれたラー神群。其の太陽神ホルスは健在のはず」
「よし。場所が解れば迎えに行こう、間違いなく妨害はあるだろうから」
「そうだな。兎に角、先ずはラー神群の行方を探さないといけない。共に戦った田中二士は、ラー神群へ東北や北陸を安住の地にと勧めていたが……」
ラー神群の行方について悩む、荒金と風守。だが愛君を置いて、月子は窓の外へと見遣る。見れば、由良も寝惚け眼を擦りながら、外の方に意識を遣っている様だった。
「……“這い寄る混沌”の襲撃か?」
「其れにしては様子がオカシイ。何となく外が明るい様な……」
訝しむ風守達に、外で見張っていた 正岡・勝義[まさおか・かつよし]二等陸士が声を掛けてきた。
「客人だ――懐かしい顔振りだぞ」
荒金は警戒心を隠せなかったが、操氣系魔人や高位超常体をも凌駕する程の危険感知に長けた風守のだが、訝しみながらも不思議と落ち着いた態度に、表に出る事にした。
中天の太陽とは別に、強い光源が隠れている様な感覚。月子が眩しそうに目を細め、空を仰ぎ見ながら呟いた。
「――金色の隼」
「成程、太陽神ホルスか!? だが如何して此処に?」
風守の疑念に答えたのは、正岡が客として案内した一団の中心である少年だった。
「……ホルスの名をお呼びになった事で、貴方達の“意思”が届き、運命の流れが書き換えられたのです」
ホルス[――]の名を“意思”を以って呼べば、探す必要無く、ラー神群は自然と姿を顕す――。其の様に書き換えられたという。
「勿論、皆さんの誰一人もがホルスの名を、其の存在に付いて言及しなければ、幾ら探し求めようとも逢う事は適わなかったでしょう」
其れこそが、貴方達が高位超常体を受け容れる器の持ち主という事だけでなく、“意思”ある者であり、だからこそ『遊戯』を左右する特異点である証左なのだ――と、少年の姿をしたラー神群の王 オシリス[――]は告げた。
「宇佐八幡宮での戦いの後、再会する事は無いと思っていたのだけどな」
「彼の時点では、其れが運命でした。とはいえ“這い寄る混沌”に関わった事で随分と流れが滞ったり、遅れたり、澱んだり、捩れたり……最終的に特異点である皆さんの“意思”に委ねられたのです」
神妃 イシス[――]の言葉に、荒金と風守は複雑な表情で顔を見合わせた。月子は溜息を吐きながら、
「忘れたの? 和也――貴男は、猊下や他の多くの主神からも、其の行動力や“意思”を認められた特別な存在だという事を」
「……月子だって忘れていたんじゃないか?」
風守の視線に、月子は顔を逸らす。本当に忘れていたのか、其れとも元超常体側の立場として口に出せなかったか……。
「グレモリーが口を噤んでいたのも仕方ない事かも知れません。何故なら、特異点が自らの知恵と力を以て明らかな“意思”を示す事が必要なのです。そうでなければ貴方達は“這い寄る混沌”の――否、“ 唯一絶対主 ”の思惑通りに動く駒でしかない。そして、其れによって、結末は最悪を迎えてしまったでしょう」
「例えば――“這い寄る混沌”の策謀による核攻撃で神州日本が消滅……“此の世界”という『遊戯盤』が引っ繰り返されるという様な?」
荒金の指摘に、静かに、だが確とオシリス達は頷いた。渋面で奥歯を噛み締める。そして呻く様に、
「……私達が自らの知恵と力を以て“意思”を示さなければ、“ 唯一絶対主 ”の脚本通りに最悪の結末を迎えるかも知れない。――其れが、“ 唯一絶対主 ”が“這い寄る混沌”の行いを看過している理由だとでも? 『遊戯』とは別に、私達は弄ばれていたのか?」
「“ 唯一絶対主 ”が何をお考えになっているかは解りませんし、判りません。しかし――」
「バステトの件も在って“這い寄る混沌”にはラー神群も色々と因縁があるからな。何時、呼んでもらえるかと待ち構えていたんだな」
オシリスの言葉を奪う様に、セルケト[――]が引き継いだ。つまるところ……
「最後は神頼みになると思い、寄進物でも持って行こうかと考えていたのだが」
「気持ちだけ受け取っておきます。但し勘違いしないで欲しいのですが、私達は“這い寄る混沌”を倒す為の道具になり得ますが、実際に彼奴を倒す絶対に必要なのは貴方達の“意思”です。条件を満たせば、後は勝手に自動進行して終幕を迎える……という代物ではありませんよ」
オシリスの言葉に首肯すると、
「解っている。“這い寄る混沌”の本体へと、ホルスの光を叩き付けるのは私達の役割だ」
荒金の決意に、満足して頷き返すオシリス達。
「――しかしホルスをはじめとするラー神群の協力が思った以上に易々と得られたのは良いが、“這い寄る混沌”の逆襲が予想されるから油断出来ない。……相手の打つ手の可能性として、俺が考え尽くモノは大まかに2つ」
風守は指を2本立てると、
「1つは電脳空間に罠を張るか。2つ目は電脳空間に入った後の生身の身体を狙うか。――俺自身は後者の可能性に備え、ドリームダイブを行う面々の護衛に回ろうと考えている」
「和也が外なら私もー!」
当然ながら、愛君に追従する月子。押し掛け女房の様子に苦笑する風守だが、イシスやハトホルも夫婦の遣り取りに微笑を浮かべているのに気付いて、ワザとらしく咳払いをした。誤魔化す様に話を続けた。
「生身の身体を狙うとして、考えられる手段は3つ。1つ、超常体その他の戦力による駐屯地への進攻。2つ、化身或いは配下の駐屯地への潜入、暗殺。そして3つ、ミサイル等の兵器で駐屯地毎吹っ飛ばす」
対抗策として、進攻があった場合は迎え撃つ。侵入による暗殺には常に警戒。
「ミサイルが飛んできたら……駐屯地から即離脱という事になる。――確認だが、ドリームダイブは車輛といった移動手段の中でも可能なのか?」
突然、話を振られた由良は一瞬、目を大きく開いた。だが直ぐに欠伸をすると、
「もんだーい、な〜しだよぉ〜」
「では直ぐに車輛を用意しよう。操縦者の手配もしないといけないし……」
だが一度引っ込んでいた正岡が再び顔を出して、風守の言葉を遮った。困惑の表情を浮かべながら、
「おい。今度は荒金二士に客人だ。警務科のお墨付きの身分証書を持っている白人兵士」
正岡の紹介に、首を傾げた荒金だが思い至って手を叩く。
「――ワイズマン伍長か!?」
「其れと、運ばれてきた普通科一個班」
「……其方は知らないな。だが兎も角、連れて来てくれ。“這い寄る混沌”の化身ならば――頼む」
視線に頷く。だが現れた ラリー・ワイズマン(―・―)の姿に危険を覚える事もなく、風守は安堵の息を漏らした。
「――大阪の方は良いのか?」
荒金の問いに、ラリーは苦渋の表情を浮かべながらも気丈に肩をすくめて見せた。
「正直、デーモンのオーラが増していて問題だらけだ。其れでもリリアとマリー、そしてクニエは引き続きアタックを掛けていくようだ。引き続き助力したかったが、此方を優先する様にリリア達に言われた」
戦友を見捨てる様な判断に、随分悩んだのだろう。ラリーの顔には苦悩の皺が深く刻まれていた。其れでも意を決すると、
「ドリームダイブ出来るシャーマンを、イセから離れられないというプリンセスの下へ運んでいく。あんた達は使いたくないだろうが、いざという時、プリンセスという最終手段が発動出来るようにしておいた方が良いと思ってな」
輸送にはラリーが借りていた96式装輪装甲車クーガーが使われる。此れは風守が手配しようとしていた車輛に合致する。また、
「ワイズマン伍長は、運転は得意な方か?」
「超絶技巧は無理だ。しかし其れなりには運転出来る」
顔を見合わせるが、イシスがラリーは受容体としての器の持ち主だという言葉に、やむなく操縦手として採用した。
「だが……巳浜士長を伊勢に連れて行っても大丈夫か?」
当然ながらの疑念。道中の危険もそうだが、伊勢という場所自体も重要な攻略拠点として“這い寄る混沌”に狙われている。
「――まぁ。防衛拠点としては善通寺よりも堅固だな。罠も仕掛けてあるし、殿下の加護も在って低位超常体は寄せ付けない。……済まんが、伊集院士長。折角、香川迄乗り込んできてくれたけれども、Uターンして伊勢の防衛に加わってくれねぇか? 善通寺の防衛や、部外者の避難誘導は『落日』がやるから」
突然の言葉に、全員が目を見開いた。声を聴くまで何も感じ取れなかったのに、急に襲ってきた怖気に風守は奥歯を噛み締めて耐える。荒金は躊躇わず両のP90を構えると、声の主へと突き付けた。風守や荒金だけでない。由良を除く全員が臨戦態勢に入る。其れは声の主から名前を呼ばれた、第10師団第33普通科連隊・第1075班乙組長の 伊集院・明(いじゅういん・あきら)陸士長達も同様だった。
しかし――
「良い動きだ。由良ちゃんと殿下の警護は任せたよー。あ、ついでに“這い寄る混沌”も倒しておいてね」
咥えていた煙草を二指で摘まむと、煙を吐く。迷彩服に縫い込まれた略章は、一等陸尉を示していた。男の後には頭を抱えるWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)と、双子の兄妹。そして数名。咥え煙草の男は突き付けられる銃口を前にしながらも飄々とした態度を崩さず、
「『落日』中隊長、滅日荒実だ。殿下の直命により善通寺の防衛に来た。宜しく」
「――副官の結野静花です。莫迦な隊長で申し訳ありません。しかし話は此の莫迦の言う通りです。皆さんは迅速に行動し、電脳空間への進入と伊勢防衛に務めて下さい。善通寺に押し寄せる“這い寄る混沌”は私達で対処します」
そして 結野・静花[むすひの・しずか]准陸尉は伊集院へと向き直ると、
「そして此方が皆さんに加わる伊集院組です。仲良く作戦行動を願いますね」
「……済し崩しに、御一緒する事になった伊集院です。風守君だったね。私も君と同意見で、“這い寄る混沌”やらが“物理的に”狙うとしたら、『太陽神』や『電脳への入り口』、其れに『神宮』だと思う。ならば、電脳への入り口である巳浜士長の警護に入ろうと思って来たのだが――」
「……まぁ。本当ならば伊集院士長は“這い寄る混沌”についての一連の騒ぎについての情報を知り得ないはずだし、アクション用紙にも『どうやって知ったか』の明記も無いから、作戦行動総没で『第5回で行動していた奈良で何もせずに待機』というノベルを発送するつもりだったのだけれどもねー。どうせ没にするならば伊勢の護りの肉盾にしてしまおうと。善通寺の肉盾でも良かったのだけれども」
滅日・荒実[ほろび・すさみ]一等陸尉のメタ発言に、しかし全員が顔を背けるだけ。
「……解った。兎に角、速やかに伊勢分屯地に巳浜士長を移送しよう。そして殿下や巳浜士長、神宮を護衛しつつ、“這い寄る混沌”を打っ叩く作戦に務める」
荒金達が敬礼すると、落日中隊員もまた答礼を返してきた。握手を交わし合い、武運を祈って別れる。
「さて――伊集院組の移送手段はどうする?」
「……クーガーに乗ってもらおう。オシリス神様達も其方で宜しいですね? ホルス神様は……光学迷彩のまま飛行をお願いします。疲れたらクーガーの屋根の上でお休み下さい」
「そういえば月子はパジェロの運転が出来たな。正岡と荒金さん、それから巳浜士長はパジェロに。……分かれる事になるが、セルケト神とアヌビス神もパジェロに。俺はマルコキアスに乗っていく」
「クーガーとパジェロに分けても、搭載人数ギリギリよね。火器類の荷重については、此の際考えない事にするわ……」
兎に角、準備を終えると伊勢へと向けて走り出すのだった。
神州結界維持部隊の中枢である市ヶ谷駐屯地。統合幕僚監部のある防衛庁舎の一室では、維持部隊長官の 長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]が神州各地の状況報告に目を通していた。
「――電波と情報がセスナ君の掌の上にあるという割には、嘘偽りは少ないものだね」
しかも長船の「嘘偽り」とは言葉の絢であり、報告元の主観的な相違や誤差の範囲だ。恣意的なものは無い。少なくとも通信で送られてくる報告と、偵察隊が届けてきた書面や映像記録の間に、際立っての問題は見受けられない。
「……セスナが言う処の『通信妨害』は、現時点では外部――日本国政府や国際連合本部と言った海外、其れに駐日外国軍との遣り取りで『何故か』発生しているそうです。原因は不明。一応、雷電系や操氣系の超常体による工作という線が挙げられていますが」
秘書官の 八木原・斎呼[やぎはら・さいこ]一等陸尉が表情は変えずに、だが毒気を混ぜて言葉を発する。成否に関わらず、先日のドリームダイブでの突入作戦によってセスナが“這い寄る混沌”に囚われており、長船達もまた事実を掴んでいるのは承知だろう。其れでも仮面的な遣り取りを、セスナの姿をした“這い寄る混沌”とするのは滑稽な話だった。
――しかし突入以降も維持部隊と『外部』との接触のみ“這い寄る混沌”は妨害を仕掛けるだけで、内側の戦況報告を弄る事はしていない。しかも妨害と言っても通信等の間接的な接触に限り、8月にキティホークに乗り込んだ事例を見るに、直接的なモノには干渉して来なかった。
「……理解出来ないが」
「アレの考えを理解……というか許容出来るのは、ドリーマーかラヂオな性格だけではないでしょうか? 同じ穴の貉でカオスな性格も通じるでしょうけど」
『――随分と非道イ言われ方ダー』
長船と斎呼の遣り取りに、我慢出来なくなったのか、セスナの姿をした“這い寄る混沌”が甲高い電子音をけたたましく鳴り響かせながら顕現した。長船の机に置かれたモニターに映し出される虹色の闇を伴う少女の像。時折、立像にノイズが走るが、姿形は明確だ。
「――『外部』との通信状況に復旧の兆しは?」
努めて冷静に長船は、偽セスナに尋ねる。偽セスナも変わらぬ笑顔を張り付けたまま、
『現在も尚、強力ナ超常体の妨害を受けていルヨ。中々難しイねー』
「雷電系能力ならばセスナ君、操氣系ならば斎呼君に勝る存在を知らないからな。君がそう言うならば、お手上げだ」
長船は実際に肩をすくめるように両手を挙げた。
「……とはいえ悪口だけに反応したのではないでしょう? 何か新しい状況変化でも?」
厳しい視線で斎呼が問い詰めると、偽セスナは舌を出して笑うと、
『――静岡の富士山本宮浅間大社が焼失シタよ! 正確ニはデーヴァ神群の“光の柱”――世界蛇アナンタが焼死。浅間大社は延焼で壊滅しタってところだネ!』
奈良の信貴山……ハルマゲドン(メギドの丘)の決戦で、魔群が暫定的ながらも『遊戯』の勝者となったのは当然ながら長船も聞き及んでいる。奈良の決戦以降、神州各地に於いて組織的な超常体の大規模襲撃は無く、せいぜい統制を離れて野生化したモノが単発的に暴れるぐらいだ。敗者になった神群の残党も活動しているが、散発的かつ対象は魔群に限定している。其の敗者であるデーヴァ神群の拠点が焼失したという事は……
「――勝利を確固とする為に“光の柱”を打ち倒したか」
長船の推測に、斎呼も頷いた。世界蛇アナンタが倒れたのならば、残る“光の柱”は魔群が大阪の伊丹に立てた“地獄門”のみだ。“光の柱”は『遊戯』に於ける勝利の絶対条件ではないが、其れでも禍になると考えたのだろう。主神格であったヴィシュヌが倒れ、後継者も無く(※日本では毘沙門天として著名なクベーラは青森の恐山で健在だが、デーヴァ神群の於いては主神格に代わりを務められる程の力は無い)、『敗北』は決定していたが“光の柱”は目障りでしかない。
『観測によるト、偉大公ベリアルの仕業ラしいよ』
「デーヴァ神群が敗北しているとはいえ、静岡では“光の柱”の影響で弱体化した状態だったでしょうに……」
『勿論。だカらベリアルはアナンタと相討ちしたらしイね。勝利を確固とスる為に頑張るなぁ』
偽セスナは笑う。だが、
『――どうせ、もうすぐ“此の世界”は消滅するのに』
発した呟きを、長船も斎呼も聞き逃さなかった。嘲笑を濃くした邪悪。だが長船は聞かなかった振りをすると、
「兎に角……引き続き、秋分の日が来る迄、警戒を怠らない様に。何が起こるか判らないからな」
重い溜め息を吐いた後、
「――そう。未だ完全に終わってはいないのだ。胆に命じておけ」
偽セスナへの視線を厳しくする。偽セスナは嘲笑を更に濃くしながら、姿を消すのだった……。
ラリーの操縦するクーガーと月子が運転するパジェロペースの73式小型トラック(1/2tトラック)は、風守の駆る偵察用オートバイ『ホンダXLR250R』に先導されて、三重の伊勢分屯地を目指した。
兵庫を抜けて、魔群の拠点である大阪を強行突破する一行に、超常体や完全侵蝕魔人兵が立ちはだかってきたが、伊丹に立つ“地獄門”やキティホークへの攻撃でないと判断すると追撃はしてこなかった。大阪は魔群の拠点であるが故に超常体の数は多い。しかし意外な事によく統率もされていた。
「そもそも魔群が暫定ながらも『遊戯』に勝利した以上、此方に下手にちょっかいを掛けてくる意味は無いからな」
藪を突いて蛇を出しかねない。荒金達は不確定要素であり、特異点なのだ。超常体としては此方の通過を監視するだけだ。其れ以上の状況変化は望まない。
『憤怒』を掌る大魔王 サタン[――]に魅了された完全侵蝕魔人が伊丹を征圧、そして『傲慢』を掌る大魔王にして魔群の盟主たる ルキフェル[――]が航空母艦キティホークを牙城にして現れてからの方が、維持部隊が奮戦していた20年間よりも、大阪の状態が穏やかになったというのは皮肉だろう。
「――しかしプレッシャーは増している気がする。リリア達が心配だな」
ラリーの呟きに、助手席で警戒を怠らず見張っていた伊集院が無言のまま頷いた。超常体による妨害は無くとも“地獄門”から発せられる波動は、荒金や伊集院といった魔人やラー神群と由良を蝕んでくる。魔人でないモノも少なからず影響を受けており、ラリーや風守、正岡、そして伊集院の部下達もまた息苦しさを覚えているようだった。其れでも風守のオートの操縦に間違いが無いのは感心する。よく判らないのが月子で、魔群の完全侵蝕魔人として影響していないかというとそうでもなく、荒金や伊集院程ではないが、其れなりに苦しんでいる。何でも、其れだけ風守との結び付きが強くなったかららしい。
そして其れは三重に入ってから顕著になった。殿下の影響下にある三重に入ると、荒金や伊集院、風守といった面々は大阪を通過していた時の苦しみが嘘の様に消え去ったばかりか、心身の疲労が快復するのを覚えた。月子は風守との絆もあり影響無し。恐らくは殿下も想定していたのだろう、由良も影響無し。対して大阪に続いて三重に入ってからも負荷を担う事になり苦しんだのはラー神群だった。尤も伊勢に到着して荒金が話を通すと、負荷は無くなったが。
「――とはいえ起きているよりも、ドリームダイブしてホルスや荒金さんの支援に務めた方がお役に立つでしょう」
そう苦笑するオシリス達は、由良に誘導されて、荒金の意識と共にドリームダイブしていった。風守が提案していた通りにクーガーの中で夢渡る。
「さて……正念場だ」
風守の言葉に残った者達が首肯する。連絡を受けていた 白樺・十夢(しらかば・とむ)二等陸士と 椎野木・健史[しいのき・たけし]が指示する通りに、伊集院組が警戒配置に付いた。ライリーはクーガーの操縦席に張り付き、風守や月子、正岡も緊張の面持ちを固める。
「――なに。最後迄、きっちりとお守りするだけさ」
白樺が得物のXM109を構えて呟く。頼もしさを感じると共に、各員も覚悟を決めるのだった。
クーガーの後部乗員席。ベンチシートの背もたれに身を預けて、由良が導くままに、意識を深く、浅く、沈めていく……
…………。
……………………。
…………………………………………。
気が付いた、というのは大変な語弊があるが、荒金の意識は薄暗くて、仄明るい、空間を漂っていた。覚醒世界と同じくマントのタキシード姿に、仮面。両の手にはP90が其々握っている。
意識を外に巡らせて、思わず眉間に皺を寄せる。埃及神話は聞きかじっていたが……
「風守月子二士で理解していたつもりだが、やはり夢の中では本来の意識が強く投影された姿になるのだな」
壁画に於いてラー神群の多くは獣頭人身の姿で描かれる。ヒトの顔を保っているのは、オシリスやイシス、ハトホルぐらい。セルケトに至ってはサソリの様な鋏と尻尾、そして外骨格を纏った半裸の女性である。逆に巨大な黄金の隼だったホルスは、夢の中では人身となっているので、多少の物足りなさを感じてしまう程だ。黒犬の姿をしていたアヌビスもまた人身で漂っている。
「よぉ〜し、じゃあ〜いくよぉ〜」
此方は相変わらずの、虹色に鈍く光る銅のニシキヘビを全裸に絡ませた由良が泳ぐ様に電脳空間に繋がる曖昧な境界へと進……もうとしたが、心底、厭そうな顔をする。
「……夢が、音が、彩が、侵されてきているぅ〜」
電脳空間との曖昧な境界は、歪んだ幻想が泡沫の様に浮かんでは消える、混沌が蝕んできていた。曖昧な雰囲気が、急に鋭角なモノに変じ、其れがまた曲がりくねり、渦を巻く。パステル調の風景が急にモザイクで潰され、続いてドットで構成された無機質さを形作る。夢が次第に喰われ、汚れ濁った排泄物が吐き出され、緩やかに埋め尽くそうと侵攻してきていた。
「歪んだ夢。狂った電波。――“這い寄る混沌”の侵略、此れが逆襲のつもりか!?」
荒金の声に、耳に障る嘲笑が響く。合図を待つまでも無く、ホルスが黄金の隼の翼を広げて、光を放つ。世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光が混沌の闇を灼いていく。――巻き添えになりかけたところを、一瞬の遅れではあったが、オシリスが氣の防護球を展開してくれて事無きを得た。
「――考えればホルス神に任せて、私が来る必要もなかったのか? 足手纏いになっているのでは?」
世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光――太陽の力を浴びている筈なのに、周辺に満ちていく“這い寄る混沌”を瞬時に滅ぼすには至っていない。自分達といった存在が、ホルスが力を行使する枷となっているのではないかと荒金は唇を噛み締めた。だが、
「――心配させてしまいましたが、荒金さんに遠慮をしている訳ではありません。ホルスの全力に対して、“這い寄る混沌”もまた必死に抗っているのです」
荒金の心情を推し測ったオシリスが言葉を掛けてくる。オシリスが説明するに、電脳空間に潜む“這い寄る混沌”が油断している隙を突いて、奇襲を掛けていれば、一瞬で片が付いていただろうと。だが先日の突入作戦の失敗で“這い寄る混沌”側も抗う為の準備を整えていた。現在、時空間を侵食している混沌は前回の突入で遭遇した“這い寄る混沌”本体と違う。本体に似せた壁や盾の様なモノだ。ホルスの太陽と雖も“這い寄る混沌”本体を直接照射しなければ効果は薄い。
「未だ夢の領域だからぁ〜。さいばぁすぺぇすに突入するしかないよねぇ〜」
そして分厚い闇や混沌の肉壁を切り裂き、貫いて、ホルスの太陽を直接叩き付ける! 由良の提案に、荒金達が頷いた。
只でさえ上下左右も感覚があやふやな夢の中。“這い寄る混沌”の圧力で更に暗黒と狂気に塗り潰されていく空だったが、由良が確かな方向を指し示す。ホルスが鳥頭人身の姿から、巨大な黄金の隼に変じた。同じくアヌビスもまた巨犬と化す。ホルスの背にはイシスとハトホルが乗り、アヌビスの背にはオシリスとセルケ、そして荒金が跨った。
「……巳浜士長は?」
「わたしは〜大丈夫〜。戦いとかはぁ任せるから〜」
由良は案内に徹するらしく、移動は自前の浮遊というか遊泳というか、其の様な感じ。兎も角、ホルスを撃墜せんと迫り来る混沌の触手を、イシスが五大系能力を駆使して打ち払う。ハトホルはホルスとイシスに活力を供給し、オシリスは氣の隔壁を周囲に張り続け、混沌からの圧力を防いだ。セルケトは支援に徹する。そして荒金は双つのP90に咆哮を上げさせた。
「――突入!」
触手は無限に沸き出し、時空間を掻き削り、そして埋め尽くそうとする。触手と云ったが、実際は臓腑の様であったり、無機物でもあったり、表面上には自らを喰い破る牙が限りなく生えていたり、また燃える様な眼が睨み付けてきたり、怨嗟の叫びを上げるデスマスクが張り付いていたり……正しく、そして正しくなく、“混沌”だった。触腕、鉤爪、手が自在に伸縮する不定形の肉の塊が顕れては消え、そして顔のない円錐形が咆哮する。其れでも炎と雷を双銃から放ち、氣の障壁が張り巡らしながら、一行は突き進む。
……そして、
「ついに来たぞっ! 貴様の咽喉元へ! 禍々しく脈動する心の臓、狂った智恵の実! 砕け散れ、輝くトラペゾヘドロン!」
――どれぐらい時間が経過したのか。ハトホルが活力を快復してくれるとはいえ、荒金達の精神の摩耗が凄まじかった。夢や電脳空間でなく、肉体のある現実だったら激しく息切れをし、疲労困憊、満身創痍で瀕死に近い状態だっただろう。
だが。しかし。其れでも。覚悟を決め。荒金は電脳空間の奥深く、混沌の中心に辿り着いた。耳触りで気が狂わん程の咆哮が、眼前の偏方多面体から放たれる。しかし此処まで至る過酷な戦いが、荒金の理性を掻き削り、精神を擦り減らしていた。皮肉な事に、既に狂い切ってしまった心は恐怖に臆さない。
両のP90を重ねる様に、銃口を揃える。ハトホルの活力が注ぎ込まれ、イシスが放つ冷気が周囲の空間ごと混沌を凍結させて逃がさない。
――吐く息が白い。氷雪が舞う中、雷が弾ける。弾けた紫電が銃身にまとわりつき、そして火焔の舌を覗かせた。そして……引き鉄が絞られた。
放たれた火焔は砲弾となり、偏方多面体の殻を打ち破る。破砕した殻、露出して漏れ出る昏闇へとホルスが太陽を撃ち込む。
世界を滅ぼす程の炎と熱、そして――集束した太陽は“這い寄る混沌”に断末魔の叫びすら許さずに焼滅させる。だが其の威力は凄まじく、言葉通りの威力は“這い寄る混沌”のみならず周囲にも溢れて……
…………。
……………………。
…………………………………………。
此の世界に『魂』は存在を確立されていない。
死ねば、ヒトは其れ迄だ。
と、すると、今の『私』は何者なのか?
朧気な意識。未だ夢見ている様な感覚。
だが微かだが、確かに声を聴いた。
目蓋を開くと、覗き込んでいるのは――
「“這い寄る混沌”っ!?」
飛び起きた荒金だったが、勢い余って額をぶつけた。衝撃で仮面がずれたが、ぶつけられた少女の方も吹き飛ばされて尻餅を突いていた。少女は涙目で痛む額を撫で、頬を膨らませながら、立ち上がると、
「ぶっぶー。違いまーす。皆のアイドル、電波妖精セスナちゃんだよっ!」
維持部隊の戦闘迷彩II型姿のセスナが高らかに名乗る。だが荒金は、ずれた仮面の位置を直すと、視線を厳しくして、
「……本物か?」
「助け出してくれた当人に疑われて、セスナちゃん、ショックー!」
「まぁまぁ。疑われても仕方ないと思うよ〜。明るいか暗いかの違いはあっても〜どちらも邪悪だからぁ」
結構、毒舌だな、巳浜士長。何か、セスナに対して恨みでもあるのか? ……否、其の様な事はどうでも良くて。
「――“這い寄る混沌”は倒せたのか?」
「倒してくれたからセスナちゃんは助かったんだよー」
「荒金さん達の御蔭です」
セスナに続いたのは、オシリス達だった。だが彼等は夢の中と同じ、獣頭人身の神々の姿のままだ。そもそも此処は何処だ? 夢や電脳空間とも異なるが、現実――覚醒しているのとは違う様だ。永遠に続く回廊に、左右には無数の扉が連なっている。訝しんでいる荒金へと、ようやく最後の人物が口を開いた。
「――本当にレーヴァテイン無しで“這い寄る混沌”の本体を倒す事に成功しましたか。尤も完全にヒトの力で成し遂げたと言えないのが難ですが、及第点は差し上げましょう」
振り向くと、視線の先にはメートヒェン(das Madchen:女中。独語)がいた。腰に提げた輪には銀色の鍵が無数に束ねられていた。
「まさか……あなたは」
第13旅団第8普通科連隊からの報告書にあった、謎のメートフェン。駐日独逸連邦共和国軍の尉官を称していたが、其の正体は謎のまま、姿を消した魔女。そしてメートフェンは荒金の質問を先読みしたかの様に言葉を紡ぐ。
「此処は『遊戯盤』と異なる時空。異なる歴史を歩んだ世界。霧に隠れ、閉ざされた天空の城。永遠に時が止まった玩具箱。大法螺吹きの主を帰り待つ城。そして此の回廊は“門にして鍵たるモノ(ヨグ=ソトホート)”の一部にして其のモノ。……安心して下さい。“門にして鍵たるモノ”は皆様に興味をお持ちでなく、唯“這い寄る混沌”の回収の為、わたくしに依頼しただけですから」
そして“這い寄る混沌”の回収も、神州世界のヒトの“意思”によって成し遂げられなければならなかったという。レーヴァテインは其の為の『手段』だったらしい。レーヴァテイン顕現は叶わなかったが、其れでも結局は“這い寄る混沌”は撃退し得た。此れは予定調和から外れた、素晴らしき事である。
「ホルス神の太陽により“這い寄る混沌”と共に焼滅する処を、僭越ながら手助け致しました。元の世界に戻られるのでしたならば、其処の扉をお通り下さい」
鍵の外れる音がした。セスナと由良がノブに手を掛ける。だがオシリス達、ラー神群は別の扉へと足を向けていた。
「御助力に感謝します。――どちらへ?」
荒金は礼をし、そして問い掛ける。オシリス達は暖かい微笑を浮かべると、
「元の、私達の世界へ。貴方達の世界で過ごしてきた肉体は、残念ですが先程の戦いで費やした力の過負荷により焼き切れているでしょう。もう、あの受容体に意識を移す事は出来ません」
だから元の世界に戻るという。『遊戯』に敗北しているラー神群だったが、神州の人々の厚意により余暇を愉しませて貰った。此れ以上、神州に居残る理由も無く、また手段も無い。だから――
「申し訳ありませんが、私達が『遊戯』で使用していた受容体の葬儀をお願いします。また、風守さん達にも感謝の念をお伝え下さい。ありがとう、と」
「此方こそお世話になりました。特にホルス神の御力が無ければ、私達の世界は滅んでいた事でしょう。ありがとうございます」
頭を下げ、手を握り、抱擁し合う。そしてラー神群は元の世界に還っていった。
「私達も帰ろう。――セスナには直ぐにやってもらわなければならない事もあるからな」
「がってんしょーちだよっ!」
そしてメートフェンが見送る中、扉を開いて光溢れる世界へ……。
目を覚ました時、周囲の面々は焦りと喜びと哀しみが入り混じった表情をしていた。ラー神群の受容体が息を引き取った事が原因にあるだろう。だが詳しい説明を後にすると、荒金は改良した携帯情報端末を操作してセスナを呼び出した。
「はいはーい♪」
モニター画面に現れたのは、偽物と違って明るい表情の電波な妖精。すぐさま電波と情報の海に、風に、空に潜り込んでいく。
――9月20日。“這い寄る混沌”の精神汚染、狂気、呪縛から解放された者達は、直ぐ様、原隊に復帰して弁解と、祖国への忠誠を繰り返したという。
……こうして世界の滅びは回避されたのだった。
太陽が秋分点を通過した9月23日。『遊戯』に於ける勝者として、魔群が確定した。其の日の内に、伊勢にある倉田山公園野球場跡に多用途回転翼航空機MH-60Sナイトホークが降り立った。
大阪湾に浮かぶ、魔群の居城――米海軍キティホーク級航空母艦1番艦から飛来したナイトホーク。維持部隊が包囲する中、キャビンから悠然と金髪碧眼の男が歩み出る。注がれる敵意を、だが涼風の様に受け止めると、
「――ダグラスがアツギに降り立った時も此の様な感じだったのかな? コーンパイプでも咥えておけば良かったよ」
直ぐ後に控えている主天王 ペイモン[――]に声を掛けるが、ジョークに応えない様子に大仰に肩をすくめて見せた。
随行者はペイモンと2体の完全侵蝕魔人兵。七十二柱の魔界王侯貴族ではないようだった。三重は殿下の影響にある事で、ペイモンも魔人兵も不具合を感じている様子だったが、ルキフェルは平然としており、迎えに来た第33普通科連隊の中隊長にジョークを飛ばす姿が確認された。
高機動車『疾風』に搭乗したルキフェル達は、態々、豊受大御神を祀る豊受大神宮に寄ってから、皇大神宮へと向かった。神道に於いて先ず神宮の外宮である豊受大神宮から参拝してから、内宮である皇大神宮に参拝するのが正しい礼法とされているので、此の行程がルキフェルなりの敬意の表れと取る事も出来る。
さておき内宮に辿り着いたルキフェルを、殿下御自ら出迎えた。お辞儀をして迎える殿下に、ルキフェルは右手を差し出した。一瞬の逡巡。しかし国際儀礼として殿下は握手に応じて見せた。
「――早速だが、アマテラス。『バベル』を開いて欲しい。そして開き終わる迄の間、幾つか用件を述べていくが構わないだろうか?」
殿下は首肯すると、祝詞を紡ぐ。呪文に合わせて、内宮奥の空気が変質を始めた。強大な圧力が“壁”一枚を隔てて押し寄せてくる。ルキフェルは満足気に頷くと、
「勝者が確定した事で『遊戯』は終了した。神州日本のみならず地球全土に於いて発生してきた超常体出現は此の時点を以って皆無となる。同じくして『憑魔』と呼称していた生体受信器への超常能力発信を停止する。――此れにより憑魔は、寄生先の人間及び動植物の器官組織に擬態。無機物に付着していた憑魔は死滅。従って憑魔に完全に侵蝕されたヒトを除き、能力は使用出来なくなる」
……憑魔に完全侵蝕されたヒトは細胞組織どころか遺伝子レベルで『ホモ・サピエンス』とは異なる生物になっているのだ。最早、『憑魔』という異界からの波動を受信する器官が無くとも、自前で能力を発動出来るらしい。
「……新たな超常体の出現が無いとはいえ、既に生態系を確立して棲息しているモノ達はどうするのです? 其れに完全侵蝕魔人の扱いは?」
「『遊戯』で兵卒として使用していた超常体は、神群其々で自然な形で数を減らしていって貰う。最早、『遊戯』は終わったのだ。兵卒は必要無い。要請に従わねば『遊戯』の約定に従わぬモノとして叩き潰す。“此の世界”だけでない。“元の世界”に迄、追求するだろう」
ルキフェルの発言は、殿下や維持部隊員にだけに届いているのではない。『バベル』を通じて“全世界”に届いているのだ。
「……野生化してしまっている超常体のうち、人類社会を脅かすモノは害獣として処理していくしかないだろう。其の処理には維持部隊だけでなく米軍のみならず魔群もまた協力する。維持部隊と個別に共闘態勢を築いている神群にも可能であれば協力をお願いしたい」
そして肝心の完全侵蝕魔人だが、
「倫理といった価値観が“此の世界”と合わない事に戸惑っているモノも居るだろう。人類社会に適応出来ないのも無理はない。そんな彼等を魔群は受け入れよう。勿論、原隊に復帰出来るのであれば最善だ。しかし……」
言葉を切ると、口調を厳しくし、
「――社会適応出来ず、復帰も出来ず、また魔群にも恭順を示さぬモノは、ヒトの形をした害獣だ。問答無用で、生存権を剥奪して処理する。……以上、自身の判断で最適とする道を拓け」
ルキフェルの警告に『バベル』が震えた。既に殿下の影響力は『バベル』の波動によって上書きされて消えており、抑圧からペイモンや魔群の完全侵蝕魔人は解放されていた。
盟友の様子に思い出したルキフェルは、
「――神州日本の天神地祇を再封印は行わない。但し影響力……例えば三重に於けるアマテラスが他勢力の能力を封じていた加護といったものは認めない。尚、今も封印されている天神地祇を解放していくのは構わない。尤も解放した際に、恨み辛みで生じた衝撃は『バベル』の力で無効化させて貰うが」
「失礼ながら……魔群と異なる勢力は全て叩き潰すかと思っておりました」
「“ 父 ”を盲信していた愚かな兄弟姉妹と一緒にしないでくれ。そもそも魔群自体が実際の処は“ 父 ”に対して反抗心を持っていたモノの寄り合い。『盟約』で結ばれた不良の集まりだよ。喧嘩はしても、其れは互いを認め合う通過儀式のような物だと考えている。愚かな兄弟姉妹の様に『拒絶』ではない」
両肩を大仰に竦めて見せる。
「私も盟主という立場だが、飽く迄も『盟約』の代表であり、『遊戯』をするのに必要な主神の代役に過ぎない。だから魔群が『遊戯』の勝者となったが、だからといって盟主である私が直ぐに次世界の創造者になるという訳ではないのだ」
此れから魔群内部で次の世界の創造に関して色々と揉めるだろう。だがルキフェルは“此の世界”に波風は立たせないと約束した。『遊戯盤』として翻弄された“此の世界”は、今後は完全中立の不戦地帯になるだろうと。
「――先程、新たな超常体は出現しないと言っていたが、唯一の特例として魔群の高位上級――所謂、魔王クラスは伊丹の“地獄門”を通じて遊びに来るだろう。息抜き目的だから邪険にしないでくれ。尤も『遊戯』で魔群と明確に離別したアモンやアスモダイは、其の特例からも除外されるが」
とりあえず、此の様なところか。ルキフェルは大きく息を吐く。
「神州日本の国際的立場も解放されていくだろう。“這い寄る混沌”の仕業だったが危うく核攻撃が行われそうになった問題は、常任理事国に対するカードになる。海外に逃亡して日本政府を自称していた老害共は、オサフネが何とかしていくのではないかな? 勿論、私個人としても日本の新生には協力するつもりだが……」
「――電波や情報を支配するセスナや、世界最強の操氣系魔人の斎呼がいますからね。日本政府を改革するのは簡単でしょう。長船氏が狂って独裁者にならない限りは、ね」
其の時はセスナや斎呼が敵になるだけだ。殿下の言葉に、ルキフェルが苦笑する。
「兎も角、『遊戯』の勝者が確定し、また“這い寄る混沌”も倒された。全てが終わったのだ――」
ルキフェルの言葉が、本当の意味で『遊戯』の終了となった――。
……西暦1999年、人智を超えた異形の怪物――超常体の出現により、人類社会は滅亡を迎えた。
国際連合は、世界の雛型たる日本――神州を犠牲に差し出す事で、超常体を隔離閉鎖し、戦争を管理する事で人類社会の存続を図った。
其れから20年。ようやく神州での超常体と戦いが終了した。
未だに野生化した超常体や、社会を棄てた完全憑魔侵蝕魔人という脅威は残っている。だが長い夜は幕を閉じ、明るい日を迎えられた。
生きていく為に、智慧を巡らし、仲間の手を握る。抗い、挑み、戦い続けたヒトが手にしたモノだった。
……此れは、人と、魔と、神の、裁き。
黙され、示されぬ、戦いの記録である――。
■状況終了――作戦結果報告
今回を以ちまして『隔離戦区・人魔神裁』ひいては個人運営PlayByMail『隔離戦区』シリーズは終了致します。長らくの御愛顧有難う御座いました。
“此方の世界”に於ける西暦1999年、人智を超えた異形の怪物――超常体の出現により始まった戦争。其れは“次の創世主”の座位を巡る高位の他次元存在同士の争いに巻き込まれた“此の世界”の人類が生存を訴えて挑んだものでした。
結果として、人類は完全敗北を免れたものの、決して高位次元の存在に対して、自己を主張出来た=勝利したとは言えないものになりました。此の点に関しては調査や人手が不足した事による、情報や行動の制限があったからだと思われます。また作戦目標や優先順位の間違いがあったり、“光の柱”の影響に対する警戒の無さが最期の足枷となったり、と悪手も幾つかありました。そういった点を評価していきたいと思います。
1.封印された天神地祇の解放について。
夏至の日を境にして、超常体同士の戦い――『黙示録の戦い』の段階に『遊戯』が移行した時点で、もう封印されている天神地祇を解放させるには時間と人手が足りないというのは決定事項でした。つまり前哨戦である『神州結界』『砂海神殿』『神人武舞』『獣心神都』『神邦迷処』『呪輪神華』『禁神忌霊』の春から夏至に掛けての間にしか、天神地祇を封印から解放する機会は無かったと言えます。
此れは、封印を警護するモノを倒すのに半月、封印を解放する儀式にもう半月掛かるからです。封印から解放する儀式を行う時間が惜しいというのは、宇津保小波の口から語られている通りです。そして“意思”あるモノにしか出来ないというのも最低限度の前提条件でした。従って『人魔神裁』の期間中、新たに封印された天神地祇を解放する余裕があるぐらいならば、別の作戦地域へ赴かせるという意味がありました。
但し封印を警護していた敵を倒すのは有効で、既に“光の柱”が立っているのならば破壊する事で敵戦力を減少させるだけでなく、影響力を消滅させる事が出来ました。此の点は熊本の天草に立った“天獄の扉”が解り易い例だと思います。また“光の柱”が立っていなければ、其れを妨害する為にも敵を倒すという作戦目的が生じていました。残念な事に大阪の伊丹に立ってしまった“地獄門”に関しては、儀式を行うのがナニモノだったのか=目標を見誤った結果です。
天神地祇の封印からの解放に限らず、前哨戦に於ける結果が、『黙示録の戦い』で大きく影響を残した例は幾つもあります。特に挙げるとしたら“這い寄る混沌”対策だったでしょう。
なおアンケートで「人魔神裁開始前に封印されていた神の総数と所在地等」が質問に上がっていました。各地に封じられていた天神地祇ですが、全て運営側で埋めていた訳ではありません。千葉の春日大社に経津主は確定でしたが。そして都道府県に必ず1柱しか封じられている訳でもないので、行動次第で新たに発見される可能性は大いにありました。敢えて言うと、富士山本宮浅間神社の木花之佐久夜といった様に、神社の総本宮に、主祭神が封じられている事が多いです。山口に封じられていた天神地祇に関しては残念な事になりましたが。此れは下関にある神社は人間が死後に神格されたモノが主祭神のモノが多く、また住吉三神に関しては大阪の住吉大社に封じられていると既述していた為、山口の住吉神社に封じる訳にはいかなかったのです。あとは既述の無い天神地祇はPCの行動次第で、其処に封印されていた可能性が高くなった事でしょう。……勿論、八幡神、造化三神や神代七代は封じられていません。
2.“這い寄る混沌”の規則違反等。
高位中級以上の『名前を有する』超常体は、『遊戯』に於いて倒された場合、期間中に“此の世界”に再び訪れる事は許されていません。そうでないと『遊戯』の勝敗が成立しないからです。特例として熊本の阿蘇で敗れたバールゼブブが、『黙示録の戦い』に於いて大阪で活動していましたが、此れは『銀の鍵』で呼び出されたという特例です。デーヴァ神群のヴィシュヌには十の化身(アヴァタール)が有名ですが、『遊戯』に於いてはカルキとしてしか活動しませんでした。此れも『遊戯』に於ける絶対規範の1つです。
ところが“這い寄る混沌”は本体を隠したまま、自らの化身を神州各地で暴れさせています。本来の『遊戯』の規範であれば、化身であっても倒されたら其の時点で敗北として舞台から降りなければなりません。しかし“這い寄る混沌”は博多で倒されようが、与那国島で倒されようが、ドリームランドで倒されようが、函館で倒されようが……『遊戯』で嘲弄し続けました。此れこそが他の超常体から“這い寄る混沌”が睨まれていた理由です。
しかし其処迄、睨まれていながら“這い寄る混沌”を倒そうとする超常体は居ませんでした。此れは本編でもルキフェルの口からも語られていましたが、『遊戯』が御破算になって、次に流れる方が都合の良いと判断する勢力が、決着が近付くにつれ、多くなるのが理由の1つです。
其れでも“這い寄る混沌”を懲らしめるべく『遊戯』に参戦する超常体でなく“ 唯一絶対主 ”が“此方の世界”の人類にと用意させたのが、レーヴァテインでした。結局、レーヴァテインの否定を“意思”あるモノ達は選択した為に“這い寄る混沌”を直接に倒す手段は失われました。隠しシナリオとして用意していたのが火之夜藝速男の封印からの解放でしたが、誰も選択しなかった為に“這い寄る混沌”が化身1体を犠牲にする事で消失に追い込んでしまいました。ちなみに天神地祇を本当の意味で消滅させる事は出来ませんので、此の場合は喩え封印から解放されても弱り切ってしまい、維持部隊の力になれない(=“這い寄る混沌”本体を倒す手助けは出来ない)という意味と捉えて下さい。
さて前哨戦が終了し、『黙示録の戦い』に移行した時点で、運営側から“這い寄る混沌”を倒す手段は具体的に明示しないと決めていました。何故かというと『黙示録の戦い』の最中で運営側が御膳立てをするのは、前哨戦という意味がなくなるからです。なので厳しくPC自らが独力で手段を明記してこなければ、此のまま神州日本は核攻撃を受けて、『遊戯盤』である“此方の世界”は消滅するというワーストエンドは決定していました。
結局は太陽神の存在をぶつける事で本体を倒す事に成功した訳ですが、一応、運営側が「此れなら“這い寄る混沌”を倒せる」と認定していた手段は他にも在ります。1つは“這い寄る混沌”の仇敵であるクトゥグァをフォーマルハウトから召喚する事。リスクは“這い寄る混沌”本体だけでなく電脳世界に潜っていた存在全てが焼失します。案内していた由良も、そして囚われていたセスナも巻き込まれてしまい、結果として核攻撃を阻止する事は出来なかった事でしょう。他には、サタンの『憤怒』で暴走した上で、集められた五大系魔人の相生関係による増幅作用での火炎攻撃。リスクとしてサタンと五大系魔人は力のオーバーロードによる廃人化です。サタンというよりもミーシャとしての記憶が有るので、ルキフェルよりも人類に対して友好的でした。交渉に成功すれば“地獄門”の護りを放棄してサイバースペースに同行してくれたでしょう。
なお太陽神に関してですが、天照やホルスだけでなく、アポロンも交渉すれば力を貸す予定でした。ラー神群との諍いだけでなく、オリンポス神群からも“這い寄る混沌”は恨みを買っていました。オリンポス神群の主神ゼウスが生きたまま動けない状況に陥った事に“這い寄る混沌”が一枚噛んでいたからです。
3.天使共と魔群。
先ず、頂いた御質問の回答を。「天使側と悪魔側の人類への浸透ぶりが著しい(現実の社会より、明確に優先するレベルで傾倒する)のは、何か設定的な理由があったのでしょうか?」。……ちなみに「悪」魔というのは主観によるものなので正しい表現では無く、ノベル本文では使用していません。飽く迄も「魔群」です。
さておき、此れは、神州世界対応論の影響があります。超常体の出現と隔離政策によって地相的なものだけでなく、実は精神的・文化なものも影響度が深くなっていました。オリンポスやデーヴァといった各神群が地域に根付いた影響度を深めていましたが、其の分、限定的なものでもありました。しかし対照的に、基督教もイスラームも、そして猶太教といった「セム族の啓示宗教(アブラハムの宗教)」は地球圏=神州全体に影響を与えています(※三大宗教に数えられる、残る1つ「仏教」も、詳細は省きますが「セム族の啓示宗教」と根源で繋がりがあるという説もあります)。従って天使共と魔群が『超常体』の象徴でもあった訳です。
そしてフトリエルの煽動放送も決定的でした。神州日本に隔離されて戦争行為を強いられてきた事への不満が、フトリエルの告発を受けて爆発。また維持部隊全体に対して、超常体から「真実の告発。そして仲間になれ」と呼び掛けてきたのは、フトリエルの煽動放送が実は最初だったのです(※勿論、個人や部隊単位での対話はありました。なおデーヴァ神群は維持部隊に最も友好的でしたが、維持部隊に共闘は持ち掛けて来ても、デーヴァ神群にならないか?と呼び掛けて来た事はありません)。其の衝撃による呆然と、続く騒然。心理の隙を突いて浸透していったのが天使共であり、反抗心から離脱したモノを力で魅了して屈服していったモノが魔群だと考えていただければ間違い御座いません。
さて『黙示録の戦い』が始まって早々に、PCによる天使共へと積極的に攻勢があったのが衝撃でした。御蔭で本来はラスボスに用意されていたイオエルが7月下旬に倒されてしまうだけでなく、各地に立っていた“天獄の扉”も『魔法少女マジカル・ばある』メンバーによって破壊されて消失していきました。実は“天獄の扉”が4本以上立った時点で“黙示録の四騎士”と呼ばれる最終兵器が『遊戯』に投入され、天使共に敵対する勢力の総計の3分の1が強制的に虐殺される予定でした。7月中旬に木曽三川公園センター跡地で発見された“門”の兆候がソレであり、ユーフラテス川の畔に対応していました。
こうして『マジカル・ばある』の活躍により天使共の勢力が弱まっただけでなく、“黙示録の四騎士”も回避されたと言えるでしょう。また宇佐八幡宮戦でラー神群に協力を求めに接触しに行った事も大きく、PCの言及が無い場合、ラー神群は7月中旬に天使共に滅ぼされてしまうはずでした。ラー神群との共闘体制を築けたのが対“這い寄る混沌”戦へと活きていった事から、宇佐八幡宮戦を早期解決しに向かったのは正にファインプレーと言えるでしょう。
但し前哨戦にて、天使共に賛同していた天使側PCが『黙示録の戦い』に参戦していなかった事も注意しておかなければなりません。天使側PCの扱いをどうするか悩みましたが、結局、遠征という形で“天獄の扉”防衛に不参加。もしも天使側PCが『黙示録の戦い』に参戦していたら、天使共が『遊戯』に勝利する可能性は極めて高かった事でしょう。
……続いて魔群との戦いになりますが、天使共と違い、敵が大阪という一点に集中していた事で難攻不落だったのを差し引いたとしても、情報分析の甘さにより、後手に回っていたばかりか、悪手もまた目立ちました。
特に奈良の決戦で大阪から出てきたルキフェルでなく、デーヴァ神群のヴィシュヌを攻撃したのが最大の失敗でしょう。此の悪手により『遊戯』に於ける人類の敗北がほぼ確定してしまいました。というのも伊丹の“地獄門”と違い、デーヴァ神群が立てた“光の柱”――静岡の世界蛇アナンタから維持部隊へと与える影響は皆無だったのです。此れはヴィシュヌが維持部隊に友好的だった事もあり、奈良で共闘してルキフェルを倒す事に成功した後、改めてヴィシュヌへと挑戦状を投げ付けたとしても喜んで応じるつもりでした。結局の処、奈良の決戦でヴィシュヌへと騙し討ちに近い攻撃をした事が、人類を敗北へと歩ませたと言えます。
また“地獄門”を考えれば、影響が薄い「魔人でない者」こそが、最終局面で逆転出来る可能性が高かった事も付け加えておきます。
4.荒吐と蛇比礼。
此方も辛い評価になります。
先ず、アラハバキ連隊の補給線を破壊したり、現場指揮官を暗殺したりで、進攻速度を遅滞させた事は大成功です。此の結果、駐日人民解放軍(駐日中共軍)の突破が失敗し、茨城の大甕倭文神社に封じられている天津甕星香香背男は解放される事は無くなりました。
しかし其の後、執拗に中継地点の攻撃に終始していた事は「目的と手段の取り違い」と言えましょう。また荒吐は絶対的に倒せない事が序盤から示唆されていました。なので荒吐を直接狙ったり、また周りを削いだりする事よりも、担ぎ手であった吉塚(元)陸将の暗殺こそがアラハバキ連隊を潰すのに最も有効的だったのです。それから岩手の達谷窟に立っている“光の柱”を破壊する事にも意味があったのは本文の通りです。
そして丹内山神社で発見された蛇比礼ですが、此れは荒吐が絶対に倒せない相手であり、封印するしかないという証明であると同時に、事前情報が無い状態の独力で丹内山神社に辿り着いた事による報償でした。実際、運営側は、荒吐の封印を堅持する為の使用を想定しておらず、ルキフェルやサタンといった蛇の神性を持つ超常体に使用し、弱体化させて倒す事を期待していました。
結局、荒吐の動向に固執する余り、神州の行方や『遊戯』の勝敗といった大局を見失ってしまっていたと言えるでしょう。
5.日本政府は何処に?(笑)
頂いた、最後の御質問に対する回答ですが、亜米利加合衆国華盛頓に在る日本大使館に、名目上の行政機関を設置しています。立法府である議会や、司法機関は存在していますが、意味を為していません。そして隔離政策前に脱出した日本国政府は、天使共や魔群の息の掛かった亜米利加合衆国政府の庇護という名前の飼い慣らしで形骸化しています。
実際、ルーク・フェラー大統領補佐官やゲイズハウンド国務長官は、華盛頓の日本国政府を相手にしておらず、維持部隊長官である長船を“真の日本国政府代表”に見做している節がありました。『遊戯』が終わって隔離政策が解除されていく中で、電波妖精セスナや最強の操氣系魔人である斎呼がいる上にフェラーやゲイズハウンドも後押しての、長船を中心とした新しい政権が誕生するでしょう。
其れでは、御愛顧ありがとうございました。
堀 志織