同人PBM『隔離戦区・人魔神裁』第1回 〜 神州中部


MJ1『 死に至るまで忠実にありなさい 』

 西暦1999年、人智を超えた異形の怪物――超常体の出現により、人類社会は滅亡を迎える事となる。
 国際連合は、世界の雛型たる日本――神州を犠牲に差し出す事で、超常体を隔離閉鎖し、戦争を管理する事で人類社会の存続を図った。
 ――其れから20年。神州では未だに超常体と戦い続けていくはず……だった。
 転機が訪れたのは3月下旬に各地で大発生した超常体の襲撃。此れまで群れ成すだけだった超常体が、組織的に作戦を行ってくるという悪夢。高位の存在や完全憑魔侵蝕魔人によって統制された超常体の群れは、幾つかの駐屯地が壊滅させ、少なくない人命を奪っていった。
 其れは『遊戯』と呼ばれるモノの前哨戦。世に言う『黙示録の戦い』で力を誇示する為の準備であり、篩い分けであった。
 夏至を境に、高位の超常体が、神州の支配権を巡って相争い始める。天を覆う、神の御軍。地を埋める、魔の群隊。人々は拠点を死守堅持するのに精一杯だった。
 ――しかし、其れでも人々の中には、抗い、挑み、屠る事を目指して、戦いを辞めぬ者も居続ける。剣刃を研ぎ澄まし、銃筒に火を落とす。生きていく為に、智慧を巡らし、仲間の手を握り、そして明るい日を見る為に……。

 ……此れは、人と、魔と、神の、裁き。
     黙され、示されぬ、戦いの記録である――。

*        *        *

 損傷の激しい境内を同僚と共に見回り、軽く溜息を吐く。亜米利加合衆国海軍第7艦隊、裏で操っていた魔群(ヘブライ堕天使群)による作戦と、阿剌伯(アラブ)諸国連盟の特殊部隊――其の実態は天使共(ヘブライ神群)による襲来による戦禍は未だ癒えていない。危うく神宮は米軍によって制圧間際だった。辛くも土壇場で逆転したモノの、神州結界維持部隊、米軍、両方共に甚大な損害が生じたままだ。表向きは超常体の襲撃で負傷、捕虜も互いの部隊で救助し合ったという形で処理されているが……。
 上層部の高度な政治交渉で、捕虜から解放された多くの米軍兵士は第7艦隊へと復帰していった。しかし何人かは、其のまま改めて維持部隊に投降すると、日本へと正式に帰化する手続きをしたり、またMIA(Missing In Action:作戦行動中行方不明)として非公式に協力を申し出ていたりする者も居る。
 尤も先の戦いの事もある。帰化やMIAに紛れて、潜入工作を企んでいるのではと勘繰るのは仕方無い事だろう。警務科が四六時中、眼を光らせていた。
 伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社であり、正式名称は地名の付かない「神宮」だ。天照坐皇大御神[あまてらしますすめおおみかみ]を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在する。一般に皇大神宮を内宮、豊受大神宮を外宮と呼ぶが、広義には別宮、摂社、末社、所管社を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。
 内宮の近隣にある五十鈴公園跡の伊勢分屯地は、先の戦いで壊滅状態に陥ったが、久居駐屯地からの応援もあって再設営が進められている。そして以前には立入が厳しかった内宮も現在は開放されていた。
「――怪しい奴はいないな」
「荒金准尉以上に、見た目で怪しい奴は居ないです」
 同僚の言葉に、振り向く仕草だけで「如何にも心外だ」という表現を、荒金・燕(あらがね・つばめ)准陸尉はして見せた。シルクハットにタキシード姿。しかも先の戦闘で壊れたはずの暗視装置仕込みの仮面は、特別な計らいで新たに支給されている。同僚達の戦闘迷彩II型に比べる迄もなく、異彩を放つ荒金だった。
「……決して趣味ではないぞ? 憑魔武装を優先したら、現状の外見に落ち着いただけだ。だから特に趣味に走った訳では……」
 言い訳を展開する荒金だったが、此れでも先の戦いで内宮の危機を救った勇士の1人である。そして決定的な役割を担ったのが……
『……アラガネは何を苦しそうに喋っているんだ?』
『さあ?』
 様子を眺めていた相棒の マリー[――]が問い掛けてくるが、同じく日本語が出来ない リリア・エイミス(―・―)も小首を傾げるしかない。2人とも先の戦い迄は伊勢制圧を目的として行動していた米軍兵士だ。伊勢制圧作戦には魔群の息が掛かっていた事を知って、土壇場で“殿下”の護衛に回り、現在に至る。リリアの方はMIA扱いのままだが、元犯罪者であるマリーはKIA(Killed In Action:作戦中に死亡)処理してもらい、維持部隊員として別の名前や籍を貰っている。そのまま日本に骨を埋めるつもりらしい。今まで通り「マリー」と呼んでくれと言っているが、新たな名前も近い響きのモノだとか。
 さておきマリーは大きく伸びをすると、
『ようやくミコショーゾクとかいう、シントーのシスター姿から解放されて、楽になったぜ』
 2人とも内宮に匿って貰っている間、『侍女部隊』『巫女さん部隊』と呼ばれるWAC(Women's Army Corps:女性陸上自衛官)部隊の制服を着させられていたのだ。衣装其の物は、洋服とは違う快適さがあるのだが、何よりも精神的な束縛さが、元ストリートのコールガールだったマリーにはきつかったらしい。
『……こんな窮屈感は修道院で奉仕活動をさせられた以来だなぁ』
『あら? マリーはカソリック?』
『いいや。ジーザスは信じているけど、特に宗派に興味は……。でも押し込められたのはルーテル教会とかいうところだったかなぁ?』
 兎も角、維持部隊の戦闘迷彩II型を着こなしたリリアとマリーは出立の見送りに来た侍女部隊長代理に敬礼した。流暢な英米語で挨拶を交わす。
『どうしても大阪へ?』
『はい。やはり第7艦隊の動きが気になりますから』
 憑魔に寄生される迄、ただのハイスクール少女だったに過ぎないリリアだが、其れでも――否、だからこそか、行く末が気になるらしい。侍女部隊長代理は苦笑を浮かべると、
『殿下からの許しは得ているのでしょう? 封印されている天神地祇が解放されていない和歌山では天使が、奈良は魔群が飛び交っていると聞きます。和歌山と大阪、奈良は激戦区とか。比べて滋賀は未だ通過し易いらしいです。滋賀から京都に入れば、最寄りの維持部隊の駐屯地で休憩する事も可能でしょう』
 脳裏に地図を思い浮かべて、大阪へと出るルートを再確認するリリアと、マリー。
『いずれにしても御気を付けて。貴女は“器”の持ち主。どうぞ御武運を』
 再び敬礼を交わし合うのだった。

 御簾の向こうに姿を隠す殿下へと、荒金は敬礼。そして本日の警備状況を定期報告する。
 殿下――天照坐皇大御神の受容体であり、やんごとなき生まれの御方は荒金に感謝を述べると共に、楽にするよう声を掛けてくる。とはいえ荒金は真面目な素振りを崩す事無く、受け応えるのみ。すると殿下の声に苦笑が混じったようだった。
「『黙示録の戦い』が始まった以上、或る程度の状況が進まない限り、『神宮は不可侵』という暗黙の了解がありますのに……」
「そうは仰いますが、特殊部隊が壊滅したとはいえ和歌山の熊野本宮神社を占拠している沙地亜剌比亜王国軍――其の内部に潜んでいるだろう阿剌伯諸国連盟の部隊が消え去った訳でもありません。また伊勢は殿下の御力が知れ渡る土地でありながら、7月に入って以来、天使の活動に弱体化が見られないという観測結果も続々と寄せられてきています。……積極攻勢による排除を選択肢として失わない為にも今迄以上の警戒と周辺地域への偵察行為は必要不可欠かと」
 荒金の諫言に、見通しが甘かったと反省する殿下が息を漏らす。殿下自身は、本気を出せば魔王といった高位上級の超常体ですら瞬殺する程の御力を持っているのだが、其れは諸刃の剣だ。使えば強力無比だが、使ったら最期という核兵器に近い。だからこそ殿下も御力を自制しており、戦いにも積極的に関われない。
 加えて――というか、此方が敵としては本題なのだろうが、神宮には“ 唯一絶対主 ”に至る御坐たる『バベル』が隠されており、門を開く事で勢力図を大いに塗り替える事が出来るらしい。殿下は『バベル』の管理者であり、裁定者だという。
「……殿下の身柄を押さえられると、終わりなのです。警護の手を抜く事は出来ません」
 荒金の言葉に、殿下は重い溜息を漏らした。そして、
「――宜しくお願いします。荒金准尉の気遣いが徒労に終わると喜ばしいのですが」
 荒金は不敵な笑みを唇の端に浮かべると、
「……私も其れを願わんばかりです」
 敬礼すると、力強い足並みで退出するのだった。

*        *        *

 6月半ばに生じた対アンラ・マンユ攻略の決戦。何とか維持部隊は勝利を収めたものの、魔群による伊丹駐屯地占拠を受けて逃げるように信太山へ身を寄せる羽目に陥ってしまう。
 駐屯地堅守の絶対命令に従って維持部隊員は、天使共や魔群の争いを横目に雌伏の時を過ごしていた。其れでも幾人かは『黙示録の戦い』に身を投じていく。脱柵扱いとして処分されてもオカシクナイはずなのだが、何故か示し合わせているかのように警務科からも黙認されていた。
 橘・柑奈(たちばな・かんな)二等陸士も其の1人で、世話になった中部方面隊・第3師団第37普通科連隊・第307中隊第377班の皆に敬礼で見送って貰いながら、肩や背に重く大きな荷を担いだ。魔群が蠢く大阪中心部を迂回するべく、菱木IC(インターチェンジ)から堺泉北有料道路跡に乗ると東進。境で阪和自動車と合流すると、近畿自動車道を目指して北上する。
 高架道路は飛行型超常体に見付かり易いが、其れでも低位とはいえ超常体の群れが棲息している下を歩くよりは安全だろう。其れでも道中のICを利用しながら慎重に進む。
 さておき美原へと進んだところで、柑奈は北西の方角から爆音と砲声が轟く音を耳にする。物陰に身を隠すように伏せて、双眼鏡で音の出所を探る。
「……アレは」
 直線距離にして8km程先にある住吉大社。双眼鏡でも詳細は確認出来ないが、どうやら魔群の部隊が住吉大社攻略の為に襲撃しているらしい。伝え聞く天使のモノらしき発光現象も起こっており、
「――住吉大社に天使が?」
 7月に入ってからアルカンジェルに率いられたエンジェルスの編隊が多数、しかも封印から解放された天神地祇の影響も物ともせずに出現しているという報告も聞いたが、住吉の戦いは其れと違うようだ。報告にあるような正面から相対する形で争うのでなく、住吉の場合は包囲されて孤立無援となっている状況で、天使共は魔群へと必死に抗っているようだ。
「……戦車?!」
 遠くからでも、其の重厚な威容は確認出来る。74式戦車の様だが、一回りは大きな機甲車輌。車腹に腕やら脚やらを生やした異形。
「北海道に顕れたという、魔王級戦車プールソン」
 そして柑奈は数時間に渡って戦闘を観測。ついに魔群は住吉大社に巣食っていた天使共を鏖殺し、占領していく。もっと近くで詳しく観測したかったが、独りでは危険過ぎる。そもそも本来の目的は伊丹駐屯地の偵察だ。住吉大社の戦闘記録はオマケに過ぎない。
「――其れでも貴重な情報ですね」
 住吉大社を天使共が護っていたという事。其処を魔群が占領したという事。住吉大社が天使共にとって只の拠点ではなかった事は予測に難くない。そして導かれるのは――
「……天神地祇が封じられており、魔群が御力を利用しようとしているのかしら?」
 伊丹駐屯地を偵察していく過程で、住吉大社の件も詳細な情報が明らかになる事を期待し、柑奈は先を急ぐべく立ち上がるのだった。

*        *        *

 ……現状の打開に必要な新たな情報を求めて人類側が密やかに動き始めている。
 だが超常体同士の戦いは苛烈さを増していっており、容易には人類の介入を許そうとしない。
 静岡の富士山宮浅間神社にアナンタと化した『光の柱』を置くデーヴァ神群は、山梨や神奈川、長野へと勢力図を拡大していきながら、愛知の境で天使側へと離反した豊川駐屯地の戦力と交戦。優勢のまま戦局を支配するデーヴァ神群は、7月半ばには豊川攻略を終えて、愛知へと浸透してくる事が予測出来た。
 維持部隊に友好的態度を隠さないデーヴァ神群の主神(の1柱)である ヴィシュヌ[――]は、豊川を制圧後に、名古屋の守山駐屯地へと表敬訪問を予定しているらしい。デーヴァ神群によって制圧後の豊川駐屯地を維持部隊にも開放を約束すると共に、和歌山の天使共や大阪の魔群に対する作戦行動における支援を求めている。
 守山の第10師団はヴィシュヌからの働き掛けを受けて困惑を隠せないらしい。富士の教導連隊と意見交換し、とりあえずヴィシュヌの来訪を迎え入れる事にしたようだ。豊川の攻略時期から計算すると、守山駐屯地をヴィシュヌが訪れるのは7月下旬になるだろう。
 なお豊川攻略戦前にヴィシュヌの側近であるガルダが秋葉山で何かを調査していたらしいが、落胆した表情で戦列に戻ってきたという。

 デーヴァ神群は長野にも版図を拡大しようとしていたが、諏訪大社の 建御名方[たけみなかた]と 八坂刀売[やさかとめ]が難色を示し、現在、進軍の許しを得るべく交渉中との事である。
『黙示録の戦い』に於いても日本の天神地祇の影響は無視出来ないらしい。いざとなれば力尽くでも建御名方と八坂刀売の再封印を施しかねないのだが、天使共や魔群と違って、デーヴァ神群は日本の天神地祇と波風を荒立てたくないようだ。ヴィシュヌの意向もあるだろうが、デーヴァの神々が中華大陸を経て、日本に神仏として渡来した事も理由にあるのだろう。
 なお長野を騒がした“ 這い寄る混沌ニャルラトホテプ[――])”の化身の1つである“嘆き悶えるモノ(ウェイリングライザー)”こと、ナーハリ[――]の動きは不明であり、警戒中だ。
 白山連峰がまたがる石川・福井・岐阜では駐日露西亜共和国軍との友好を進めようという動きが更に進んでおり、協力して駐屯地や白山比め神社に襲来してくる天使共や魔群を撃退している。
 だが岐阜と愛知、そして三重との境にある海津町※註1で、天使共や魔群の争いを警戒観測していた第10偵察隊が木曽三川公園センター跡地で発見した奇妙なモノが絶望感を招き寄せた。
 其れは未だ開いてはいなかったが、間違いなく虹色に瞬く時空の綻び――“門”が出現する兆候だった。

*        *        *

 7月も中旬に差し掛かる頃、魔群の警戒網を縫うように慎重に歩んできた柑奈は、ようやく吹田ジャンクション迄、辿り着く事が出来た。瓦礫の陰に隠れて一息を吐いていたところ、京都の名神高速道を南下してくる2つの影を目視する。
 2人とも白人。1人の髪色は金。髪型は直毛と癖毛が混じり合ったセミロング。維持部隊の戦闘迷彩II型を着用しているが手に持っているのはM16A4アサルトライフル――米軍制式小銃だ。もう1人は銀髪ショートで同じく戦闘迷彩II型着用、だが手にしているのは89式5.56mm小銃BUDDYだ。
 向こうも目を凝らして柑奈に気付いたらしい。大阪は魔群の勢力下だ。周囲に気を配るのは当然だろう。
「……おい。リリア。大砲持った女がいるぞ」
「確認したわ。大砲とは言い得て妙ね。――バーレットM95……じゃないわね。もしかしてM82A2?」
 柑奈が肩に担いでいるバーレットM82A2は対空火器として使用する為に、対物ライフルを改良した物だ。対空攻撃時に大きな仰角が取れるよう、引き金よりも作動機構が後にあるブルパップ式が採用され、重量とバランスを支え易い様、被筒の前後に設置された2つのグリップを握り、レシーバー部分を肩に担ぐ形で構える。現在、生産中止であり、故国でも滅多に話題が上がる代物ではなかったはずだ。リリアが目を丸くするのも無理はない。
 奇妙な事は珍銃を手にしているのが、ボリュームのあるセミロングの茶髪の少女だという事だ。顔立ちは(リリアやマリーから見て)ロリータ系だが、胸は平均より大きい。
「日本人は年齢より幼く見えるけどねぇ……」
「日本の成人ポルノも、ステイツだとキッズポルノとして扱われる事があったような……」
 さておき。互いに緊張して様子を見ていたが、リリアが慌てて携帯情報端末で警務科へと連絡。伊勢分屯地からのお墨付きを提示し、其れを柑奈が照合して、ようやく疑いが解けた。互いに失礼を謝り合ってから握手する。
「……なお全員が英米語で会話しているが、面倒なので省略」
「マリー。あなたは誰に説明しているの?」
 兎も角、廃墟の身を隠して、道中の情報交換。
「――三重から来たの?!」
 柑奈は驚く。府内を十日間近くも掛けて、ようやく此処迄、辿り着いた柑奈。対してリリア達は三重から愛知、滋賀、そして京都を経て来たのだ。だが単独のしかも魔群が蠢く大阪だ。常に警戒を怠れなかった柑奈と違い、リリア達は2人組。しかも比較的安全な行程を進んでいた。
「愛知や京都の人達が親切にもヒッチハイクに応じてくれた事も大きいかもなぁ」
「あなたと同じように、最初は随分と警戒されたけどね。――やはり大阪に上陸した第7艦隊の所為?」
「ええ。しかも恐らく全員が完全に侵蝕されてしまっているわ」
 渋面で顔を見合わせるリリアとマリー。マリーが呆れて嘲笑混じりに吐き捨てる。
「……魔人兵のリリアや、犯罪者のアタシを先遣隊という名の使い捨て部隊にしておきながら、当のエリート様達がヒトを辞めちゃったというのが皮肉だねぇ」
「投降した戦友達は、捕虜になるという機会を得られた事で、改めて正しい判断と良心を与えられたのね」
 リリアは重い溜息を漏らすのだった。

 伊丹駐屯地に近付く毎に、柑奈とリリアを蝕む憑魔からの痛みは激しくなっていく。超常体が蠢く大阪と雖も、此処迄の痛みはアンラ・マンユといった最高位最上級超常体の憑魔侵蝕現象の波動を受けた時以来だ。
 痛みに耐えながら、柑奈が哨戒する魔群の眼を盗むルートを誘導し、また破片手榴弾とワイヤーで設置された罠をリリアが発見して回避する。
「……そろそろ〈消氣〉を使うわね」
 生ずる魔人の5割は強化系だが、操氣系や異形系となるモノも少なくない。第7艦隊の多くが完全侵蝕魔人となっているのであれば用心に越した事は無いだろう。ましてや柑奈の記憶だと操氣系能力を有する魔王が確実に1柱はいる。魔界王侯貴族七十二柱が序列3位、予言公子 ヴァッサゴ[――]。見た目は病んでいるかのように痩せ細った男の姿。対アンラ・マンユとの決戦で、“七つの大罪”が1つ『憤怒』を掌りし大魔王 サタン[――]に随伴していたのを覚えている。
 柑奈の忠告に従って、リリアは憑魔を覚醒させる。侵蝕が開始され、半身異化状態に移行。そして3人の気配を隠した。
「其れでも、物音や臭い、何よりも視覚は誤魔化せないから慎重に行かないと……」
 頷き合うと、手信号を駆使して先に進む。
 哨戒する魔群や魔人兵の眼を掻い潜り、伊丹駐屯地の奥深くに潜入する。完全侵蝕魔人だけで無く、低級超常体にビーストデモンやドラゴン等の姿も確認。柑奈は目を細めて、
(……信太山や京都に退いた部隊の総力を以てしても、多くの犠牲が出るわね)
 そしてヴァッサゴと美貌伯 ロノヴェ[――]に付き添われて“彼”が敷地の一角で何事か作業をしているのを発見した。
“彼”は人知を超えた美しさを有していた。女性とも男性とも判断の付かない華奢な体格。だが憑魔能力を暴走させる『憤怒』の持ち主であり、人心の“負”の感情をも爆発させる。“彼”こそは“ 唯一絶対主 ”より“敵”の名を与えられしモノ――サタンだ。
 作業を進めているサタンに、かつて中部方面隊第3師団・第36普通科連隊第309中隊長だった男が報告を入れた。微かに風に乗って聴こえてきたのは、
「……バールゼブブ……住吉大社……封じられている神の……はい、儀式を……“地獄門”を開き……」
 そして作業を終えただろうサタンは、次なる段階として儀式を執り行う。サタンの氣が膨れ上がるにつれて、虹色の光が生まれる。虹色の光は次第に大きくなり、乱舞しだす。聴こえてきたのが正しければ、
(――燭台の灯、“光の柱”の魔群版? “天獄の扉”に対する“地獄門”?!)
 其れよりも膨れ上がるサタンの氣に、リリアと柑奈の憑魔が悲鳴を上げ始めた。更なる強い痛みが全身を掻き乱す。気が付けば、嗚咽を漏らしながら地に転がり回っていた。
「お、おい。大丈夫か!? ヤバイ、見付かっちまった。逃げるぞ!」
 魔人で無かった事で憑魔強制侵蝕現象の波動を免れたマリーがリリアを助け起こす。リリアが何とか氣を整調する間にも、マリーは続いて柑奈の頬を叩いて意識を取り戻させてくれた。だが魔人でないとはいえマリーも少なからず影響を受けているらしい。顔は真っ青で、声が震えていた。
 しかし悠長にしている暇はない。サタンの波動を受けて〈消氣〉の効果は無くなった。ましてや悲鳴を上げた事で、潜伏を勘付かれている。ヴァッサゴが〈探氣〉を発しながら、此方へと接近してきた。
「なるべく戦闘は避けたかったのだけれども……」
「此の状況で、そうは言っていられないだろ!」
 ヴァッサゴが発する氣弾の連射に、リリアは慌てて障壁を張る。マリーがBUDDYを乱射。だがヴァッサゴも瞬時に障壁を張って直撃は受けなかったようだ。リリアは閃光発音筒を叩き付けようとするが、其の腕を払って内に入り込んだヴァッサゴが蹴りを放つ。氣の防護膜が衝撃を緩和したとはいえ、腹部の蹴撃を受けて一瞬でも息が詰まった。
「女の腹に蹴り入れんな、てめぇ!」
 激昂したマリーがナイフを繰り出すが、ヴァッサゴは氣で硬化した左腕で刃を受け止めると、空いた右手刀でマリーを貫こうと繰り出そうとした。タッチの差でリリアがオンタリオ社製の軍用マチェットを振るい、マリーへの攻撃を阻止。魔人でないマリーはヴァッサゴの攻撃を受ければ即死だった。其の事に遅れて気が付いたリリアは蒼白になる。親友を護るという無意識の想いが彼女を救ったのだ。
「柑奈! お前だけでも逃げろ!」
 怒声に似たマリーの悲鳴。リリアは魔王1柱と相対しての戦闘、そして狭まりつつある包囲網を考えて心が折れそうになる。だが――
「――友達を捨てて私独りだけ逃げるなんて、とんでもないわ!」
 震える身体を無理矢理立ち上がらせた柑奈は、咥内の血を吐き捨てると、憑魔を覚醒させる。半身異化して強化された身体機能は疲れや痛みを一時的にも吹き飛ばし、落していた得物を軽々と抱き寄せた。
「――喰らいなさい!」
 咄嗟に氣の障壁を張るヴァッサゴだったが、対物ライフルの銃弾を阻む事は許されず。回避するには距離が近過ぎた。12.7x99mmNATO弾の直撃を受けたヴァッサゴの身体が肉片となって飛び散る。慌てて跳び避けなければ、リリア達も衝撃の巻き添えになっていただろう。乾いた笑いが2人から漏れた。
「撤退するわよ!」
 柑奈の声に我に帰ると、魔群の包囲網が完成して逃走経路が塞がれる前に、3人は体力と気力の限界迄駆け続けた。
 ――そして脱出に成功。潜伏した廃墟の床に横たわると、3人は弾けた様に笑い声を上げるのだった……。

*        *        *

 内宮の奥、南に位置する神路山や島路山……鎮守の森。かつて阿剌伯諸国連盟特殊部隊が侵入し、近衛の侍女部隊と激しい交戦を繰り返した場所は、争いの少なくなった此処数日で落着きを取り戻したと思われていた。……侍女部隊が仕掛けている、スネア(輪罠)に、デッドフォール(落とし穴)、そしてスピアやボウ・トラップ。爆発物を利用していないだけ森の生態系に良心的なつもりの罠は再配置されて健在だが。其れでも、“ソレ”が顕れるまで争いの記憶が忘れられ掛けていたのには違いない。
“ソレ”が森の闇より顕れた時、鳥や獣、虫、そして木々は悲鳴を上げた。だが直ぐに異常な沈黙を以て、“ソレ”を迎え入れる。微かな音を発すれば、其れだけで存在を押し潰されるかという恐怖と狂気が、鎮守の森を支配した。
 森の異常な沈黙に、警衛の普通科部隊がBUDDYを構えた。銃架に設置していた5.56mm軽機関銃MINIMIが向けられる。
 鎮守の森を悠然とした態度で抜けて、“ソレ”が姿を顕した時、ヒトもまた森の生き物と同じ反応を返す。絶叫と悲鳴が口から漏れ出る。
“ソレ”は黒い大きな鎧の完全な一式を纏った人型だった。西洋や和風とも取れぬ様式の、だが其れ等に似て非なる鎧。敢えて枠に嵌めて言うならば、室町後期から安土桃山の戦国時代に見られたという南蛮鎧に近い。だが纏っているのが人でないのは容易に想像出来た。保護されていない上腕部、脚、頭等の部分から見えるのは肉体でなく蠢く無定形の影。黒い空間の中に小さく鋭い歯が生えた、何十もの口を窺えた。そして血液が鎧の隙間から絶えず垂れ落ちている。
 警衛の普通科部隊も恐怖に駆られ、だが沈黙でなく狂騒で以て“ソレ”を迎え撃つ。銃火が光の華を咲かせ、連射音が闇を切り刻んでいく。照明弾が打ち上げられ、警戒喇叭が鳴り響く。蜂の巣を突いたような騒ぎの中、応援の人員が続々と駆け付けてきた。
「――日輪が沈み、神域を安らぎに包む夜の最中。恐怖と狂気を撒き散らす不逞な輩は、此のタキシード仮面が許さない!」
 冷静さを取り戻した同僚が思わず突込みを入れたくなる口上。社の1つの屋根の縁に立っていた荒金が、勢いを付けて跳び下りる。そして両の腕に構えていたFN P90を撃ち放つ。
 ――最初から全力で掛かる。半身異化で強化された身体能力は、荒金を疾風の銃弾とする。其れは生物としての本能だ。手を抜いたら、油断したら、“ソレ”は心の影を糧にして一瞬で生命を噛み潰してくるだろう。
 BUDDYやMINIMIから放たれた5.56mmNATO弾が鎧を穿つ。幾つかは曲面に弾かれたが、其れでも銃弾が貫通するのは確認出来た。しかし“ソレ”は動きを止めない。鎧の隙間から異形の影が盛り上がり、2本の漆黒の擬腕が生える。先端に付いているのは五指でなく、噛み鳴らす口。更に銃痕から噴血が発射される。荒金と同じく攻撃を続けていた強化系魔人隊員が避け切れずに噴血を受ける。鮮やかな真紅の血液を浴びた同僚は声にならぬ断末魔の叫びを上げた。皮膚は瞬く間に腐食し、異臭と共に生きながら融け崩れていく。
 嗅覚を犯していく臭気に、誰ともなく、
「状況――ガスっ!」
 慌ててケースから防護マスク4型を取り出し、着用する維持部隊員達。だが其の隙を逃さず、“ソレ”は擬腕を振り回す。見た目以上の重さのある攻撃を受けて幾人かが吹き飛ばされたが、掠っただけでも戦闘迷彩II型が脆くなって剥がれ落ちていく。また本体の腕も太刀を手にしており、跳び込んでは維持部隊員を斬り捨てていった。ボディアーマーを物ともしない尋常ではない切れ味。そして噴血を飛ばし、周囲を腐食していく。
「異形系と呪言系の複数持ちか。ならば!」
 荒金は両のFN P90に寄生している憑魔を呼び起こすと、生じた炎と雷の銃弾を“ソレ”へと叩き付ける。“ソレ”の擬腕を潰し、鎧の一部が吹き飛んだ。雷を纏った炎が、影を焼き尽くさんと渦を巻く。だが“ソレ”が新たな擬腕を生やすと、凍てつく波動が炎を掻き消した。
「――氷水系能力も有しているのか」
 だが同時に異なる能力は発動出来ない。唯一の例外であった『姦淫』の能力を有していた大魔王は大阪の地で没したと聞く。ならば――
「畳み掛けろ!」
 荒金の怒号に、応!と頷くと戦友達は全力を“ソレ”へと叩き付けていく。流石の物量作戦に“ソレ”が崩れ落ちていった。
「止めを――核を探して潰せ! 焼却しろ!」
 異形系は核を潰さなければ滅ぼす事は適わない。操氣系の魔人隊員が探るべく集中。だが戦友は次の瞬間に目や鼻、耳だけでなく全身の毛穴から血を噴出して絶命する。操氣系魔人だけではない。荒金も全身の神経を犯されんばかりの激痛に、気が付けば地に転がって悶絶していた。憑魔強制侵蝕現象の波動を受けて、多くの魔人隊員が無力化されていく。また魔人で無い者達も絶望感で生じた隙を突かれて、擬腕や太刀、噴血で倒されていった。
「……いっ、いかせるかっ!」
 奥歯を噛み締めて、荒金は何とか立ち上がる。“ソレ”が嘲笑を浮かべて振り返った。刹那――強烈な閃光が戦場を埋め尽くす。背中からとはいえ閃光を浴びた“ソレ”が絶叫を上げた。
 好機を逃さず、荒金は全身の筋肉を振り絞って跳躍――零距離に肉薄すると、紫電を纏わせた火炎を撃ち放った。鎧の胸板を貫き、影を内側から焼却していく。そして奥に見出した“ソレ”の核を掴む為、火傷や腐食するのも厭わずに荒金は腕を影に突っ込んだ。『黒い』という此の世のモノでは無い光を放って輝いている、赤い筋の入った、殆ど黒に近い多面体。一つ一つの面が不規則な形を取っていた。
「――“輝くトラペゾヘドロン”。そうか、こいつの正体は!」
 伝え聞く、最も忌まわしい超常体“這い寄る混沌”。鎧の奥から抉り出し、そして握り潰した。断末魔の叫びを受けて耳鳴りに悩まされるが、何とか一息吐いて笑みを浮かべられた。
「……殿下、御足労をお掛け致しました。しかし『遊戯』には傍観するのが原則だったのでは?」
 そして慌てて居住まいを正そうとする荒金をはじめとする維持部隊員達へ楽にするよう声を掛けると、閃光を放った麗人は軽く溜息を吐く。暫く戦いで散った者達へと哀悼の黙礼を捧げてから、殿下は口を開いた。
「……『遊戯』を逸脱するモノには其れなりの懲罰が必要でしょう。“這い寄る混沌”は悪戯が過ぎました。最早、あらゆる超常体よりも優先的に打倒すべき邪悪です。一刻も早く“這い寄る混沌”の本体の居場所を探し出さなければなりません」
「やはりアレも本体では無かったのですか?」
 あの南蛮鎧の怪物は“ 悪心影「アクシンのカゲ]”と呼称される“這い寄る混沌”の化身が1つだったという。化身であっても甚大な被害をもたらした“這い寄る混沌”に、荒金は改めて怒りを覚えた。
「此のままでは、最悪、『遊戯』自体が御破算になる可能性があります。――つまり世界の消滅です」
 そうなる前に“這い寄る混沌”の本体を探し出し倒さなければならない。いざとなれば……と、其処迄、思い詰めた表情で呟いてから、我に帰る殿下。
 再び黙祷すると、殿下は侍女部隊の供を連れて寝所へと戻っていくのだった。

*        *        *

 伊勢に“悪心影”が姿を顕してから数時間後――米海軍航空母艦キティホークの改装した一室に、長机に広げられた神州の地図を前にして、配下達からの報告を受けながら、金髪碧眼の男は楽しげに談笑していた。
 其処に白人女性が頭を垂れてから声を掛ける。糸のような細い眼に、真紅の唇が印象的な姿をした、主天王 ペイモン[――]は受話器を差し出すと、
「ゲイズハウンド国務長官からです」
「……ふむ。彼からとは珍しいな、受けよう」
 金髪碧眼の男――国家安全保障問題担当大統領補佐官ルーク・フェラーの肩書と名を持った、最高位最上級超常体、“七つの大罪”が1つ『傲慢』を掌りし大魔王 ルキフェル[――]は鷹揚に頷くと、受話器の向こう側に笑い掛けた。
「君が、敵であるところの私に連絡を入れるとは……随分とオカシナ状況だね?」
 だがルキフェルのからかいにも、ケイズハウンド国務長官――其の正体は“ 神の眼ザフキエル[――])”は声色を微塵とも変えず、
『由々しき事態が起きた』
「青森の恐山がデーヴァ神群に再占領された事かね? それとも宇佐八幡宮の“神の代理(イオエル)”の咽喉元に迄ヒトが刃を突き付けている事かい?」
『其れは『遊戯』によって許されし行い。問題に挙げる事自体が“ 父 ”への不敬に当たる』
「では……“這い寄る混沌”の事か。化身が伊勢に顕れたと聞くが、ヒトが撃退してみせたという報告も受けている。正直よくやったと称賛したいところだ」
 ルキフェルも『遊戯』規範を逸脱し過ぎる“這い寄る混沌”の所業には腹立たしいモノを感じている。そもそも同時多数に化身を『遊戯盤』に置いて動かす事が規範違反なのだ。今迄は“ 唯一絶対主 ”が沈黙していたり、本戦に向けての篩を掛ける必要があったり等の理由や思惑から咎めなかっただけで、『黙示録の戦い』が始まった以上、叩き潰さなければならない。
 ……問題は所在と、叩き潰す為の手段だ。“這い寄る混沌”は化身を幾つも『遊戯盤』に置いて状況を掻き乱しているが、肝心の本体は何処かに隠れ潜んだままで姿を晒さない。
 そして叩き潰す為には、其れこそ世界を消滅させる程の熱と炎、光が必要となってくる。
 彼奴に対する切り札としてヒトの手に委ねられるはずだったレーヴァテインは、ヒトの意思により顕現を拒まれた。他の手立ても“這い寄る混沌”によって摘み取られてしまった形跡がある。
 渋面を形作っていたルキフェルを気遣う配下達の視線。だがザフキエルは更に悪い報告を伝えてきた。
『――国防総省がハッキングを受けている。ハッキング元は、市ヶ谷駐屯地からだ』
「……長船はステイツに宣戦布告でもする気か?」
 流石のルキフェルも仰天し、声を荒げた。だがザフキエルは声色を変えず、応じる。
『ミスター・オサフネ――いいや『落日』も把握していない恐れがある。だが確かに市ヶ谷からサイバー攻撃を受けている。しかもCIAからの報告によると……』
 米国だけではない。中華人民共和国、露西亜連邦、仏蘭西共和国、大貌列顛及北愛蘭土連合王国(※英吉利)といった国際連合常任理事国。加えて、
『――印度共和国、巴基斯坦回教共和国(パキスタン)そして……以色列国』
 ルキフェルは眉間に縦皺を刻む。挙げられた8つの国名、其れは――
「核保有国……か。“這い寄る混沌”め! また『遊戯盤』を破壊し、流局させるつもりだな!!」

 


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 また過去作のノベルを参考にする場合、PCが当事者でない場合、然るべき理由が確認出来なければ、其の情報を用いたアクションの難易度は上がり、最悪、失敗どころか没になる事もあるので注意されたし。
 全体的に死亡率が高く、下手な行動は「即死」と考えて欲しい。加えて、常に強制侵蝕が発生する事態を念頭に置かれよ。
 基本的にPCのアクションは超法規的活動であり、組織的な支援は受けられない。

※註1)海津町……現実の世界では2005年3月28日に平田町・南濃町と合併して海津市となっている。岐阜県海津郡にあった町で、木曽三川に囲まれた低湿地にあり、輪中といわれる水害に対する地形で有名。

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