――東京某所。神州結界維持部隊東部方面隊第1師団第1普通科連隊が防衛する其処の地下奥に、ソレが在る。繭とも蛹とも取れる異様な肉の塊。維持部隊長官、長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]の秘書であり、また龍脈の逆鱗を抑える蛇巫女である 八木原・斎呼[やぎはら・さいこ]一等陸尉だ。
斎呼が居る此の空間では全ての情報や電波が遮断されている。念波――氣による干渉も、此の空間を満たす斎呼の能力で阻んでいた。念の為に、個人情報携帯端末をはじめとする全ての電子機器も地上で預けている。其れでも彼の敵――“ 這い寄る混沌( ニャルラトホテプ[――])”への対策は万全と言い難い。
現時点で把握若しくは推定出来ている事態として、“這い寄る混沌”は電波妖精 セスナ[――]を捕らえ、或いは成り代わって、電波や情報を掌握している。其の規模は恐らく世界レベルだろう。あらゆる情報を掌握している“這い寄る混沌”だが、捻くれた性格から見ぬ振り、聞いてない振り、知り得てない振りで、此方の言動を嘲笑いながら看過している。突け入る隙があるとすれば、まさに其処だが――
「……中々、“這い寄る混沌”の本体を倒す手段が見付からないな」
風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士のボヤキに、荒金・燕(あらがね・つばめ)二等陸士も腕組みして唸る。
「セスナ――人工知能に憑くレベルなので、憑魔ノートンでもあれば、武器に出来るかも知れないが、探している時間はないな」
荒金の言葉に、思わず風守は苦笑。“這い寄る混沌”に捕らえられているセスナは1970〜1980年代の冷戦末期、亜米利加合衆国のマサチューセッツ工科大学(MIT:Massachusetts Institute of Technology)で試作された軍事戦略用の人工知能らしい。自我を確立させ、神州隔離政策の幕開け――超常体大規模出現時、『落日』に身(?)を寄せた。以降、『落日』の一員として情報処理や管制、分析、整理を担当。掌握している領域は神州日本だけでなく、情報が行き来する全ての空間。だからこそ“這い寄る混沌”が魔の手を伸ばしたとも言える。
「――セスナと“這い寄る混沌”が居る電脳空間に辿り着く手段は判った」
風守からの報告に、荒金の片眉が跳ねた。訝しむ視線に、風守は肩をすくめると、
「……戦友が一足先に手段に辿り着いたそうだ。巳浜由良海士長――濠太剌利の超常体、アルケラ神群の代表ともいうべき存在ユルングの受容体にして蛇巫女。蛇巫女と云っても八木原一尉と異なり、巳浜士長の能力は、夢世界の渡りだ」
巳浜・由良[みはま・ゆら]海士長によって夢の世界へと導かれ、そして電脳空間へと渡る事が出来るという。人の生理機能も、脳からの神経を通じての電気信号で起きているに過ぎないからだ。ならば夢もまた電子情報の羅列に過ぎない。脳波を通して電波へと渡る。セスナの居る空間に辿り着く手段だ。他にも在るかも知れないが、一番、楽な方法は此れだろうと、由良は説明していたらしい。
「しかし居場所や渡る方法は判ったとしても肝心の倒す手段が未だ見付かっていない。巳浜士長の言によると、迂闊に電脳空間に突入しても、奇襲が成功するのは、最初だけらしい」
奇襲に失敗したとしても、倒す機会は別にある。だが此方を嘲笑い、油断していた“這い寄る混沌”は奇襲に失敗後、抵抗が激しくなるだろう。電脳空間での攻防に限らず、現実世界でも導き手である由良が襲われるかも知れなかった。
「……倒す手段については、少しばかり私に案がある。其の為には多大な協力が必要なのだが」
荒金の言葉に、注目が集まった。荒金は斎呼へと向き直ると、
「其の案を実行する為にも頼みたい事が在るのだが。長官経由で、公式には米軍――実質魔群と認識している第7艦隊首脳部と交渉したい。“這い寄る混沌”に対する協力を要請する。“這い寄る混沌”を敵視するという点でのみ、利害が一致すると判断しているからな」
具体的には、倒す為の手段があれば提供して欲しいと依頼したいところだがと荒金は呟く。聞きとがめた風守は溜息を漏らし、
「――其の点は望み薄だと思う」
「……どういう事だ?」
荒金の問いに、風守は押し掛け女房の 風守・月子[かざもり・つきこ]二等陸士へと視線を送りながら、
「――何か心当たりがないか先日も聞いてみたが、魔群はレーヴァテインを、そしてデーヴァ神群に至っては火之夜藝速男神の御力を頼みにしていた節が在る。といっても魔群に関しては6月頃での情報だし、デーヴァ神群は観測からの推察に過ぎない。もしかしたら現時点で新たな手段を模索しているかも知れないな」
其れでもアテにしない方が良いだろうと忠告する。荒金は眉間に皺を刻むが、其れでも斎呼の返事を待っていた。斎呼は長船と念波で連絡を取っていたようだが、複雑な表情を浮かべていた。
『……申し訳ありません。結論だけお伝えすると、米海軍第7艦隊首脳部へと働き掛ける様に、亜米利加合衆国政府のケイズハウンド国務長官に連絡を取りましたが、此方の要請を拒絶。逆に一方的に神州外への脱出を図る行為に対して、問答無用の攻撃を宣告してきました。――尚、連絡を付けようとした際に、ノイズが走った事も付け加えておきます』
どうやら維持部隊外部組織と連絡を取る等の連絡手段は全て妨害が入るようだ。ちなみに海外に在る日本国政府に対し、核弾道ミサイル発射に関する情報提供と、国際連合へと抗議する旨を求めたところ、同様にノイズが走り、一方的に島外脱出禁止を言い付けられたという。
『一応、荒金二士を使者として大阪へと送り出しますが……』
「幾ら長官の指名を受け、仲介してもらったとしても二等陸士では米軍のトップへ直接押し掛けても相手にしてもらえるかどうか怪しいか……」
厳しい表情を浮かべる荒金。だが救いの手は意外なところから来た。
「――俺ならルーク・フェラーに直接相対出来るように手配出来るが」
風守の申し出に、荒金だけでなく斎呼も目を丸くする。風守は視線を再び月子に移すと、
「正確には俺と云うよりも、月子がフェラーに対してとりなしが出来る。……って、此れ位ならば魔群に与した事にならないよな?」
言葉の後半は月子への確認。月子は首肯すると、
「荒金さんも言った通り、“這い寄る混沌”を敵視するという点では、猊下――フェラー大統領補佐官も面会に応じてくれるし、可能な限り協力は惜しまないと思うわ。パイル領事も否とは言えないだろうし」
何だか良く解らないが伝手があった。荒金は風守達に礼を述べると、大阪への出立準備に掛かるのだった。
三重は元来、殿下と呼ばれる御方の影響もあり、超常体の活動が少ない。だが8月も半ばを過ぎてから、多くの超常体の軍勢が横断するようになった。久居駐屯地に挨拶した ヴィシュヌ[――]はデーヴァ神群の軍勢を引き連れて、奈良に布陣する。相対するのは大阪より侵攻する魔群(ヘブライ堕天使群)だ。伊丹駐屯地に立った魔群の“光の柱”――通称“地獄門”より新たに顕現した七十二柱の魔界王侯貴族の統制を受けて橋頭保を築き上げている。既に奈良の各地でデーヴァ神群と魔群の斥候同士が偶発的に接敵し、小規模ながらも戦闘が発生していた。
「デーヴァ神群は、ヴィシュヌの方針もあって維持部隊だけでなく日本古来の天神地祇にも友好的な立場を崩していないが……」
時折、耳に入ってくる戦況の報告に、白樺・十夢(しらかば・とむ)二等陸士は複雑な表情を浮かべた。白樺の思いを推し測ったのか、相棒である観的手の 椎野木・健史[しいのき・たけし]二等陸士は頷くと、
「だからといって魔群に勝利して、デーヴァ神群が『遊戯』を制覇するというのも戴けない気分だな」
とはいえ、基本的に維持部隊は『遊戯』に参加して超常体同士の争いに介入する事は許されていない。駐屯地の堅守が絶対命令だった。
……尤も、白樺や椎野木の僚友といった一部の隊員が『遊戯』の水面下で働き続け、最高位最上級超常体の主神クラスを討ち倒したり、“光の柱”を消滅させたりもしているのだが。そして彼等の活躍の影響を受け、地域によっては駐屯地から討って出て、超常体の掃討に乗り出している部隊も出てき始めている。
「いざとなれば俺達にも動いて良いみたいな事を言われていた気がするな」
椎野木の言葉に、そういえばと白樺は苦笑する。そもそも白樺が駐屯地堅守の絶対命令を受けたのは、京都の駐屯地に滞在していた時だ。僚友の要請を受けての交代とはいえ、京都から三重への移動は、煩く言えば駐屯地堅守命令の違反に当たる。
動く事が黙認されるモノと、許されざるモノ。其の違いは『意思』らしい。意思こそが、此の『遊戯』におけるヒトの可能性をもたらすモノ、未来を選択するモノ、受容する器を持つモノ。そして、だからこそ意志ある者を特異点として超常体は畏れているが、歓びもしている……らしい。
「――よく解らないな」
兎も角、万が一に備えて警戒は怠れなかった。推定敵はデーヴァ神群に限らず、和歌山の熊野本宮神社を今も占拠している駐日沙地亜剌比亜王国(サウジアラビア)軍――其の内部に潜んでいるだろう阿剌伯(アラブ)諸国連盟の部隊も居る。
「……油断は出来ない。そもそも高位上級超常体の能力による攻撃迄、想定すると、有効な防衛手段のノウハウ等、無いに等しいからなあ」
白樺が思うに、春の攻勢時に、何とか持ち堪えられたのは運が良かったとしか言いようがない。話によれば殿下の身近に迫っていた米兵に、心変わりが無ければ、伊勢の陥落は間違いなかったそうだ。――少しばかり殿下の影響力をアテにし過ぎていやしないだろうか? 実際、殿下の存在が鍵なのは解るが……。
だからこそ白樺は外部からの狙撃や重火力による攻撃に対応する防衛の強化に余念が無い。一定以上の戦力に“ついで”と手を出されるだけで被害が大きいのだ。油断はせず、防衛体制の向上を目指すのだった。
伊丹駐屯地に立つ“地獄門”は、大阪の何処からでも観測する事が出来た。魔群の勢力下にある此の地で、荒金は呼吸するだけでも脂汗が滲む。周囲の空気に、荒金に寄生している憑魔核が悲鳴を上げている。憑魔核から伸びている神経組織が荒金を蝕み、肌を刺激する痛みが増していった。身体が鉛にまとわりつかれたかのように鈍く、また負った荷物が重く圧し掛かってくる。落ち着かないのは自身の肉体に寄生している憑魔だけでなく、着込んでいるボディアーマーは胴を絞め付けてくるようで、また羽織っているマントも異様に蠢いていた。両のFN P90も異音を立てて軋みを上げている。
「……大丈夫か?」
仮面で顔半分の表情が隠れているとはいえ、疲労や痛みは隠せそうにもない。心配する風守に、
「大丈夫と云えば嘘になるが、しかし弱音を吐いたところで何も解決しない」
だが荒金は唇の端を吊り上げ、無理にでも笑みを形作って見せた。魔人でない風守も、荒金の様に激痛に苦しめられないだけで、圧迫感を覚えている。足運びは重く、数歩で息切れをしていた。
「……月子達も平気とは言えないようだな」
「魔群の超常体よりも、和也の良人としての絆が結ばれて縁も濃くなっているからね。大阪は私達にとっても今や油断の出来ない敵地よ」
「……しれっとノロケを入れやがって」
正岡のツッコミに、ようやく強がりでない笑みが一同に広がった。とはいえ七十二柱の魔界王侯貴族の吟詠公グレモリーだった月子にも悪影響が出ている事から、愛機の偵察用オートバイ『ホンダXLR250R』もいつもの調子は期待出来ないかも知れない。今の処、危険の兆候は感じ取れない事だけが、心の救いだ。
「……とはいえ、油断は出来ないが」
風守は悪態を吐く。他の誰も追従しないが、気持ちは同じだろう。長船の仲介と、月子の誘導が無ければ、魔群の敵としていつ襲われてもオカシクナイ状況。大阪湾上に浮かぶ米海軍航空母艦キティホークには、完全侵蝕された魔人の米海兵隊員が警戒心を露わにして、荒金達の動向を見張っている。
特に出迎えたパウラ・モードリッチ領事こと主天王 ペイモン[――]の視線が痛かった。しかし月子が軽く挨拶すると、ペイモンは糸の様な目を更に細めて、重く溜息を吐くだけで遣り取りは終わる。
「――飽く迄も特例ですからね」
念を押してくるペイモンに、月子は朗らかに笑って返す。風守は眉間に皺を刻んで、愛妻の肩を叩くと、
「どういう関係だ? ……ああ、何となく判った。言わなくていい。――ペイモンだったな。お前も魔界か何処かでグレモリーに振り回されたクチか」
同情する様な視線を送ると、ペイモンは気落ちしたのかよろめいた。
――兎も角、ペイモンに案内されて、国家安全保障問題担当大統領補佐官ルーク・フェラー執務室に辿り着く。ノックに、張りのある男声の返事。荒金の憑魔核が興奮し、緊張の余り、膝を付く程の激痛を送ってきた。床をのた打ち回りかねない痛みに、だが荒金は歯を食い縛って堪えると、風守に視線を送る。首肯して風守は足を踏み入れた。
――米軍礼服を纏った金髪碧眼の男が両手を広げた親愛の情で迎えてくれた。亜米利加経済の支配者。ゲイズハウンド国務長官という政敵がいるものの、実質的なる影の大統領。そして魔群の盟主、七つの大罪が1つ『傲慢』を掌りし大魔王 ルキフェル[――]。
「久しいな、カザモリ。そしてアラガネだったな。君達の活躍は聞き及んでいる。楽にしてくれ給え」
ルキフェルの言葉に従ってソファーに座る。卓の上には洋酒の瓶と杯が置かれているが、
「生憎と維持部隊では、飲酒は禁じられていまして」
警務科隊員としてではないが荒金の言葉。ルキフェルは苦笑いすると、ペイモンに命じて酒の代わりにミネラルウォーターを用意させた。
「君達は運が良い。否――運が良いのは私の方かな? 実は奈良に出立するところでね。こうして面会出来た事を “ 父 ”に感謝しなければな」
「奈良へと総大将自ら出陣か。だが流石に御付きの海兵隊を奈良迄は連れていけないだろう」
風守の言葉に、ルキフェルは微笑で応じる。
「海兵隊には和歌山への睨みと、兵庫の『治安維持』に向かって貰おうと考えている。私自身が奈良に向かうのは――ヴィシュヌ程の大物を抑えられるのは私かサタン、あとはアスタロトぐらいしか残っていないからね。ベリアルには別件で動いてもらうつもりだ」
最悪、ルキフェルが奈良でヴィシュヌと刺し違えても、七つの大罪が1つ『憤怒』を掌りし大魔王 サタン[――]が残っていれば魔群の勝利は維持出来るらしい。むしろヴィシュヌとの刺し違えを狙っているのかも知れない。デーヴァ神群はヴィシュヌが倒れれば、『敗北』が決定するからだ。静岡の“光の柱”――龍王アナンタには別に働き掛けるらしく、準備を進めているとか。
「大変なヒントを戴いた気がするが……其れもまたあなたが掌る『傲慢』ゆえにですか?」
荒金の皮肉とも取れる物言いに、だがルキフェルは微笑を崩さない。
「ヒントを並べ立てても、其れ等を材料として活かさず、しかも実行に移さなければ、どうにでもならないよ、アラガネ君」
さて本題に入ろうか、とルキフェルが促してくる。視線を受けて荒金は話を切り出した。
「“這い寄る混沌”を排除する。此の一点のみに限定した協力を要請します。――駄目なら、独力でやるだけですが」
荒金だけでない。一同の注目を受け止めると、ルキフェルは頷き返しながら、
「“這い寄る混沌”は今や『遊戯』に関わるモノ共通の敵だ。――何故に “ 父 ”がアレの好き勝手放題を看過しているのか疑問だがね。……で?」
続きを促してくる。
「具体的には倒す為の手段があれば、提供して欲しいのです。また、此方の提案として……部分的核実験禁止条約に抵触するが、高高度核爆発で電脳空間を攻撃すれば倒せるかな? ネットワークを構成する通信網と、電子機器が崩壊すれば、理論上は、電脳空間は存在し得ません。まぁ、実行可能か以前に、日本の文明レベルで相打ち前提ですがね」
荒金の提案に、ルキフェルは熟考。そして秒針が3周ぐらい回ってから口を開いた。
「先ず高高度核爆発の提案だが、結論から言うと、其れでは“這い寄る混沌”は倒せない。というか、そもそも何故に電脳空間を破壊する必要があるか、情報の開示を此方としては請求する」
「其の態度で考えるに――魔群は“這い寄る混沌”の本体の居場所を把握してなかったのか?!」
風守の指摘に、ルキフェルは肩をすくめて返した。風守と荒金は顔を見合わせると、
「では改めて此方の情報を開示しよう。“這い寄る混沌”の本体は電脳空間に居る。うちの電波妖精セスナという奴を捕まえ、姿や声を乗っ取って、電波や情報の工作し放題だ。此の会話すらも盗まれている可能性は高い。電子機器や情報遮断されていないのであれば」
風守の提示した情報に、ルキフェルは合点がいった様子だった。魔群の方でも“這い寄る混沌”の手による何等かの情報工作が為されていたのだろう。其の上で改めてルキフェルは荒金の提案を一蹴した。
「ならば尚更、高高度核爆発では“這い寄る混沌”の本体を倒す事は出来ない。そもそも電脳空間をアラガネはどういったモノだと考えているのだ?」
――高高度核爆発とは、言葉通り高層大気圏における核爆発だ。強力な電磁パルスを攻撃手段として利用するものであり、爆発高度によって分類される。核兵器の種類や爆発規模等は問われない。
高度100kmから数100kmの高層大気圏における核爆発において、大気が非常に希薄であり、爆風は殆ど発生しない。核爆発のエナジーは電離放射線が多くを占める事となる。核爆発により核分裂後11秒以内に発生したガンマ線が大気層の20kmから40km付近の希薄な空気分子に衝突。電子を叩き出すというコンプトン効果を発生させる。叩き出された電子は地球磁場の磁力線に沿って螺旋状に跳び、急峻な立ち上がりで強力な電磁パルスを発生させる事となる。
大気が希薄である事からガンマ線は遠方まで届き、発生した電磁パルスの影響範囲は水平距離で100kmから1,000km程度にまで達する場合がある。また此の核爆発の影響は、電磁パルスによる電子機器障害が殆どの為、大量破壊兵器の使用であると同時に非致死性の性格も持つ。
電磁パルスは様々な周波数の強力な電磁波なので、波長の適合するあらゆる導体に誘導電流が瞬間的に引き起こされる。此の為、必ず全ての電子機器が障害されるとは限らず、外部にアンテナ用の電線を持つものや電磁シールドの無いもので、誘導されたパルス電流への耐圧・耐電流が不十分なものが特にダメージを受ける。光ケーブルを除く有線・無線の通信回路と外部から商用電源を受け取っている電源回路、それらの周辺にある電流の抜けていく経路となる回路が過電流や過電圧で破壊される。マクロな視点で被害を考えれば、あらゆる放送通信は短期・長期に渡り機能を失い、生産工場、交通・運輸・流通システム、送電、金融も完全に機能を失い直ぐには回復出来ない。
「――だが逆に言えば充分な電磁シールドが施された機器では高高度核爆発の影響を受けない。そして水平距離で100kmから1,000kmの範囲に影響を及ぼすが、電脳空間とは物理的な存在ではないだろう? 地球の裏側にも――否、極端に言えば宇宙や海底にも広がった概念空間だ。いわば現実世界に寄添った異世界なのだ。現実世界の高高度核爆発の影響は人類社会に大きな痛手を与える事になるが、異世界である電脳空間全てを破壊する事は出来ない」
電磁シールドに護られた電子機器1つさえ残っていれば、其れだけで電脳空間は成立する。つまりは“這い寄る混沌”の本体を倒し切れない。
「加えて言うと、高高度核爆発を実行出来ない。何故なら全ての核兵器は既に“這い寄る混沌”の掌中にあるからだ」
ルキフェルの発言に、風守と荒金は目を丸くした。
「――国連からは核兵器を神州に降り注ぐと決定されたと伝わっているが?」
「……其れは何時の話だ?」
風守と荒金は長船から聞いていた国連からの決定事項をルキフェルに伝える。ルキフェルは忌々しい顔をすると、
「では此方の情報を伝えよう。7月に入ってからペンタゴンへとハッキング行為が確認された。ハッキング元はイチガヤ。そして7月下旬には原子力弾道ミサイル潜水艦の所在が不明になった。ステイツだけではない。他の核保有国も同様だろう」
そしてセスナが捕らえられ、“這い寄る混沌”の本体が電脳空間に居るという情報。つまり――
「全ての核兵器を“這い寄る混沌”は掌握している。そして其の全ての核兵器を、彼奴は神州全土に降り注ぐつもりだろう。ホッカイドウからオキナワまで。主要な都市に限らず、神州――日本の領土や領海全てにだ。……最早“這い寄る混沌”の本体を倒して、其のセスナとやらを奪回しない限り、止める手段は無い」
ルキフェルの断言に、荒金達は言葉を失っていた。だがルキフェルは突き放した様に淡々と言葉を続ける。
「さて。最初の問いだが――魔群として“這い寄る混沌”の本体を倒す手段として探していたのはレーヴァテインだ。私達への脅威にも成りかねなかったからね。だが顕現は永久的に失われた。君達、ヒトの選択の結果だ。最早、私達に“這い寄る混沌”の本体を倒す為の心当たりは無い。――デーヴァ神群はヒノヤギハヤオの力をアテにしていたようだが、残念ながら“這い寄る混沌”の化身によって消滅したらしいな」
つまり魔群にしろデーヴァ神群にしろ“這い寄る混沌”の本体を倒す手段は無いという事を、ルキフェルは明言して見せた。絶望しか見えてこない。“這い寄る混沌”の嘲笑が聞こえてくるようだった。
「――世界が終わるんだぞ。『遊戯』も台無しになる」
「其の時は仕方あるまい。此処迄『遊戯』が進んでおり、決着も間近だったのに残念だがね」
そしてルキフェルは淡々と続ける。
「『遊戯盤』が壊れて、最初から『遊戯』を遣り直すだけだ。また新たに原始生命から知的生命体に進化させ、文明を教えなければいけないが――其の苦労も快楽と云えよう。そもそも『遊戯』を最初から遣り直す事に反対するモノはいないからな。今回の『遊戯』で『敗北』していたモノ達も『参加』し直す事が出来るのだ。次こそは『勝利』を狙えると考え……」
既に荒金や風守達の耳に、ルキフェルの言葉は入ってこなかった。入ってきたとしても、其れは只の音に過ぎない。
――どうして完全侵蝕魔人は射殺されるのか。答えは簡単だ。記憶と経験を引き継いでいたとしても、其れは元のヒトで無い。価値観の違う別の異生(バケモノ)だからだ。異生にヒトの価値観は通じない。
ルキフェル達が“這い寄る混沌”を苦々しく思うのは『遊戯』を邪魔する妨害者だからだ。だが『遊戯』は何度でも最初から遣り直せる。だから本気で“這い寄る混沌”を倒そうとは考えていない。倒す為の手段がなくとも、本当の意味で困りはしないのだ。
……気が付けば、荒金と風守達は信太山駐屯地で保護されていた。どうやってキティホークから帰ってきたのかも覚えていない。ふと視線の合った月子に、
「――月子はどうする?」
「私は和也の妻だもの。愛する和也の居る世界を護りたいわ」
間髪入れずの即答に、風守は笑みを浮かべると、思わず月子を抱き締めていた。月子はグレモリーの受容体だ。受容体は器であり、檻だ。『遊戯盤』が壊れて『遊戯』が遣り直されれば、月子という受容体から解放されたグレモリーは躊躇なく次に参加するだろう。しかし今はグレモリーよりも、受容体であった月子の意思が強く出ている。月子は世界を護る為に和也に付き従うだろう。疑いは無い。だから抱き締めた。
「――ヒトは悪足掻き続けて見せるさ」
そう、呟くのだった……。
――荒金や風守達の立ち去る姿を見送ったルキフェルは不思議そうな表情を浮かべていたが、直ぐに顔を改める。機会を狙っていたかの様に、ペイモンが報告に訪れた。 「――猊下。那岐山に赴いていた部隊から報告が入りました。……ゼウスの死を確認。オリンポス神群の『敗北』が確定したとの事です」 「了解した。良くやったとねぎらいの言葉を掛けたいところだが……バールゼブブは?」 ペイモンは頭を横に振ると、 「太陽神アポロンと処女月神アルテミスの抵抗が激しく、陛下とオリアスは刺し違えという形で『遊戯』からの降板を余儀なくされました。何とかゼウスの肉体に死を与えるのに成功したものの、其れが限界だったようで……」 ルキフェルは親友達の功績に感謝を、そして去っていた事に悲哀を込めて、2つの杯にワインを注ぐと那岐山の方へと傾けるのだった。
奈良方面から魔群とデーヴァ神群との激突の報告が上がってくるが、其れ等に比べると伊勢分屯地は平穏だったと言わざるを得ない。椎野木が欠伸を噛み殺すのを呆れながらも注意していた白樺に、殿下の身の回りの世話と警護を担当する近衛部隊――通称『侍女部隊』の隊長代理が声を掛けてきた。
……数分後、軽く身繕いして白樺と椎野木は、内宮の奥――正宮にて、殿下と拝謁していた。御簾を間に挟んでいるとはいえ殿下の威光に、白樺達は只々身を正すだけ。殿下―― 天照坐皇大御神[あまてらしますすめおおみかみ]の受容体であり、やんごとなき生まれの御方。警備状況の報告もそこそこに、殿下は白樺達に確認の問いを発した。
「――荒金二士から何か報告はありましたか?」
顔を見合わせる白樺と椎野木。
「いいえ。荒金二士から何も報告は上がっていませんが……何か問題でも?」
「荒金二士には“這い寄る混沌”の本体の居場所を発見してくるようにお願いしていたのですが。東京の斎呼からも何の音沙汰もありませんし」
「恐れながらお尋ね致しますが……“這い寄る混沌”の本体の居場所をお聞きになって如何されるのですか?」
白樺の言葉に、殿下は一瞬口籠る。だが、
「――いざとなれば私が“這い寄る混沌”を。そうしなければ、此の世界が護れないのであれば、やむえないかと思います」
尤も殿下は伊勢の地から離れる事が出来ないので、“這い寄る混沌”の本体の居場所が判明しても、何の力にもなれないだろうと自嘲めいた響きが言葉の端々から感じられる。
「荒金から連絡があれば直ぐに御報告致しますので、暫くお待ち下さい」
……殿下との謁見を終えて首を傾げる白樺と椎野木。交代という形で、“這い寄る混沌”の情報収集と対抗手段を求めに伊勢から離れてから、もうすぐ一ヶ月。僚友の性格からして報告を怠るとは思えない。
「……居場所が未だ発見出来ないからだろう?」
椎野木の言葉に、だが白樺は腕組みをして、
「其れにしても遅過ぎる気がしないか? 何かトラブルでもあったか……? 彼の事だから、群神や魔王クラスの超常体でもない限りは、そうそう後れを取るとは思えないし。……だが其れよりも気付いたか?」
何が?と問い返す椎野木に、白樺は告げる。
「“這い寄る混沌”を倒すには情報が2つ必要だと荒金は言っていた気がする。1つは本体が隠れ潜んでいる居場所。もう1つは――世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光という倒す手段」
しかし先程の謁見に於いて、殿下は……
「倒す手段についてはお尋ねになられなかった」
■作戦上の注意
当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
また過去作のノベルを参考にする場合、PCが当事者でない場合、然るべき理由が確認出来なければ、其の情報を用いたアクションの難易度は上がり、最悪、失敗どころか没になる事もあるので注意されたし。
全体的に死亡率が高く、下手な行動は「即死」と思って欲しい。加えて、常に強制侵蝕が発生する事態を考慮せよ。
基本的にPCのアクションは超法規的活動であり、組織的な支援は受けられない。