大阪の何処からでも観測する事が出来る魔群(ヘブライ堕天使群)の“柱”――通称“地獄門”。魔群の“世界”から超常体を送り出す、其の存在だけでも否応無く大阪が魔群の勢力下にある事を思い知らされるのに、心身に及ぼす影響は直接的に圧し掛かってくる。
神州結界維持部隊の魔人隊員の多くは呼吸するだけでも脂汗が滲む程の激痛に苛まれていた。寄生している憑魔核が悲鳴を上げ、伸びている神経組織が身体を蝕み、痛みが肌を刺激する。身体が鉛にまとわりつかれたかのように鈍く、日常行為ですら支障が出る。ましてや戦闘ともなれば、どれ程の負担を強いられるか。
魔人の 荒金・燕(あらがね・つばめ)二等陸士だけではない。憑魔に寄生されていない 風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士もまた激痛に苦しめられないだけで、圧迫感を覚えている。足運びは重く、数歩で息切れをする程だ。
「――いざとなれば信太山を放棄し、和歌山へと撤退する事も視野に入れている」
そう話してくれたのは、対アスモダイ戦、そして続く対アンラ・マンユ戦で指揮を執っていたという中部方面隊第3師団・第37普通科連隊第377班長。伊丹が魔群に制圧された事で、信太山駐屯地に籠城したのはいいが、
「結局、逃げ道を塞がれてしまっただけだったかも知れないな。――和歌山は未だに天使共残党が巣食っているが、大阪に居続けているよりはマシだろう。……お前達と一緒に四国へと運べれば最良だが」
幾ら勢力下に置いているとはいえ、維持部隊の猛者達が籠城している信太山駐屯地へと積極的に襲撃を掛けてくる魔群は居なかった。だが駐屯地から離れれば無傷は約束出来ない。政策上の都合とはいえ、艦船や舟艇といった渡航技術が失われた神州日本では、四国へと移動するには、陸路か空輸しかない。しかし空路は燃料不足の問題も然る事ながら、上がったところで墜とされるのが予測出来る。陸路となれば兵庫の明石海峡大橋を利用する他ないが、魔群が集う大阪中央を突破しなければならない。
「かといって信太山駐屯地に籠り続けても、“地獄門”の影響により日々衰弱していくだけ。消去法で和歌山へと撤退するしかない――と」
荒金の理解に、第377班長は首肯して見せた。既に信太山駐屯地司令を兼務している第37普通科連隊長は、脱出の手筈を整えたらしい。信太山駐屯地を拠点として利用出来るのは8月末で終わりだろう。
「――“地獄門”を落とせれば、問題の多くは解決するのだろうが……」
「駐屯地堅守の絶対命令に背いて活動しているのが4人程いるが……つい最近1人増えて5人になった。先の4人の内、3人は荒金二士の知り合いらしいぞ」
第377班長の言葉に、荒金が首を傾げる。そして機会を狙っていたかのように声を掛けられた。
「Hey! Mr. Aragane!」
男声に振り返ると、視線の先に居たのは黒髪に、筋骨隆々とした白人だった。
「ワイズマン二等兵……無事だったか」
「何とか。リリアは“地獄門”の所為で、疲労が激しいようだが。魔人でないマリーもまた辛そうな顔をしている。……あんたの方も大変そうだな」
「むしろ、あなたが平気な顔をして施設内を歩き回っているのが不思議だな」
訝しむ荒金に対して、ラリー・ワイズマン(―・―)二等兵は大仰に肩をすくめた。手近な段差を見付け、荒金と第377班長と共に座ると、
「……皮肉な事に、俺はリリアやマリー程には『エニシ』が深まっていないようだ。だから“地獄門”の影響は受けても、あんた等みたいに深刻なダメージが無い。――逆に言うと、イセの殿下から恩恵を受けられない身でもある」
苦笑する。しかし実際ラリーの様な軽微な影響しか受けていない存在は貴重であり、魔群に対する周囲への警戒や和歌山への撤退準備において、かなり助けられているという。
「では此のまま和歌山へ?」
だがラリーは頭を横に振ると、
「リリアとマリー、そしてカンナが、イタミへと再挑戦するようなので、其の支援を。最近、大阪へと応援に来たレディが加わったからな」
「――第377班長も言っていたが、其のレディが5人目か。一体……」
どういった人物なのか? だが荒金の問いを遮るかの様に、場違いな黄色い歓声が起こった。思わず騒ぎへと視線が集まる。そして目を丸くした。
「――魔女っ子? 何て場違いな格好だ」
「……『お前が言うな』と、俺は思うぞ」
タキシード姿の荒金へと、今迄、別行動を取っていた風守が不意に現れ、ツッコミを入れる。
さておき騒ぎの中心――魔女っ子と再会を果たして歓声を上げているのは、風守の押し掛け女房だった。風守・月子[かざもり・つきこ]二等陸士が手を取り、振り回している魔女っ子は、田中・国恵(たなか・くにえ)二等陸士。番組『魔法少女 マジカル・ばある』主役の1人だ。――更には、
「天使共から宇佐八幡宮を奪還した猛者の1人だ。見掛けによらず強いぞ」
風守の太鼓判押しに、荒金が深く感心する。荒金と同様に“地獄門”の影響を受けているが、辛さを隠して気丈に振る舞うのはアイドルとして培ってきた経験によるものだろう。だが国恵からは其れ以上の強さを秘めている事が、鈍ってはいても動きから感じ取れた。
月子に引っ張られて国恵が、荒金達に挨拶に来る。敬礼を交わし、互いに自己紹介をした。
「此のロリータが、リリア達のイタミ行きへと新たに加わったメンバーの一人という訳さ」
「……宇佐に続いて、天草解放にも噛んでいたという報告を耳にした。お疲れ様。本当に息吐く暇も無く走り回っているが、大丈夫か?」
風守の労う声に対して、国恵は気取った様な笑みだけで返した。だが“地獄門”の影響を受けているのは皆知っている。其れでも色褪せない愛嬌はプロフェッショナルの領域だろう。
「――さて、話は変わるが。アラガネ達に聞いておきたい事がある。イタミ攻略に於いて大事になるかも知れない話だ」
周囲に目を配ってからラリーは厳しい顔をすると、荒金達を問い質し始める。
「――先日、キティホークに出入りしているあんた達の姿を目撃した。何があった?」
「中々目敏いな……。其れとも私達に運が無かったというだけかも知れんが」
詰問に、だが荒金は苦笑で返す。亜米利加合衆国の国家安全保障問題担当大統領補佐官ルーク・フェラーの正体が魔群の盟主、七つの大罪が1つ『傲慢』を掌りし大魔王 ルキフェル[――]だというのは未だ限られた情報だ。第7艦隊が魔群に乗っ取られているというのは公然の秘密だが、亜米利加経済の支配者にして実質的な影の大統領とされる存在が超常体という事実は恐慌を招くだけだ。其れだけでも一大事なのに“ 這い寄る混沌( ニャルラトホテプ[――])”の件をどこまで伝えても良いのか? まさか核兵器が神州日本全土に降り注ぐ迄の期限が押し迫っている事もラリーに伝えてよいモノか。“這い寄る混沌”の本体が居る場所は掴んでいる。だが“這い寄る混沌”の本体を滅ぼす手段は手探り中だ。
「……しかし彼との会話から、何か手掛かりや閃きがもたらされるかも知れないな」
「――何の話だ?」
藁をも掴むかの様な思い。荒金と風守は、ラリー、そして国恵に対して“這い寄る混沌”が地球上の電子網を支配している事、本体は電脳世界に隠れ潜んでいる事、だが倒す手段について決定打が見出されていない事を伝えた。勿論、他言無用と断った上で、だ。
「……キティホークへと出向いたのも魔群の盟主が“這い寄る混沌”を倒す手段について手掛かりを得ていないかの確認だったのだが……」
「――其の顔を見るに手掛かりは得られなかったようだな。大体、日本人の顔色も判る様になってきた」
おどけて見せるラリー。だが打って変わって真面目な顔をすると、
「――“這い寄る混沌”の本体を倒すには『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』が必要だと言ったな。そして電脳世界に隠れ潜んでいると」
「……何か妙案があるのか?」
「ああ、直ぐ頭の上にあるじゃないか」
ラリーは天井――否、更に上空の先を指差す。
「――太陽だ。其れにイセのプリンセスは、シントーでいうところの太陽の聖霊の化身と聞いている。一寸強めの太陽フレアでも出して貰えば、地球上の電子機器やネットワークを丸ごと吹っ飛ばせるんじゃないか?」
ラリーの提案に、だが風守と荒金は渋い表情を隠せない。
「確かに殿下――天照坐皇大御神は太陽神であり、存在して当然のモノというと太陽か? だが流石に持ち込む……というか御同行願って、御力を頼むのは最後の手段にしたい。そもそも殿下は伊勢の地からお離れになれない。電脳空間に渡る手段を持つ者がいるのは香川だが、其処迄、殿下に御足労戴く訳にはいかないのだ。それに……」
再び風守へと目配せする。だが風守は荒金の仕草に気付かず、何か考え込んでいる様だった。風守だけではない。国恵も月子も美しい眉間に皺を刻んでいる。
「――? 兎も角、殿下に御力を使って頂くのは、私も考えてみた。だが市ヶ谷からも釘を刺されているから、其れは最後の手段だ。他にも太陽神と云うとアポロンが頭に浮かんだが……」
沈痛な表情を浮かべた。
「報告によると、先日にアポロン等が居たという那岐山へと魔群の部隊が襲撃を掛けたという。詳細は調査中だが状況から推測するに『暴食』の大魔王バァルゼブブと相討ちする形で、オリンポス神群のアポロン、そしてアルテミスは戦死したらしい。つまりアポロンに助力を願う交渉も断たれた。一歩遅かった……」
握った拳を固くし、唇を噛み締める。
「そして同じ様に、電子網を叩く案は魔群の盟主から決定打にならないと言われてしまったよ。太陽のフレアは強力だが、携帯情報端末の大きさなモノでも電磁シールドによって残ってしまえば、“這い寄る混沌”を倒せたかどうかが不確実になる」
電脳世界の外部からではなく、直接に『世界を滅ぼす程の炎と熱、光』を叩き込まなければ“這い寄る混沌”を確実に倒せるとは言えないのだ。
(――超常体に対して、航空機による爆撃等が有効打にならないのと理屈は同じなのだな)
「……勿論、太陽を持ち込めないし、殿下に御同行願う訳にもいかない。其れでも色々と考えている」
苦笑する荒金に、ラリーは何か言い掛けて、だが大きく息を吐くと肩をすくめて見せた。
……荒金達と別れてから、ラリーは国恵に視線を向ける。先程の国恵達が見せた複雑な表情が気になったからだ。
「――太陽。太陽神というところで、何かを思い出し掛けて、でも出て来ないもどかしさに苛立ってしまいまして」
“地獄門”の影響に対してはプロフェッショナルの意地を貫き通したが、内面の事には脆く出てしまった。未だ修行が足りませんわねと呟く。
「月子さんも同じみたいだったから、私達3人が共有する記憶か何かだと思いますけれども……」
言葉少なく、申し訳なさそうに国恵は頭を下げるのだった……。
罠の設置状況を直接に目視。綻びを見付けたら修繕し、また新たに設置し直す。神宮周辺の自然環境に配慮し、生態を窺う。野生動物は人間以上に敏感だ。殿下の影響もあって低位超常体は接近を許されず、高位もまた弱体化を余儀なくされる伊勢――ひいては三重と雖も、油断は出来ない。非情な様だが、敵接近を感知する手段は幾つも在って越した事は無かった。
「……とはいえ今日も特に異常無し、と」
相棒の 椎野木・健史[しいのき・たけし]二等陸士が配給飯を口に運びながら呟く。本日のパック飯の主食は鶏飯、副食は鮭塩焼きとポテトサラダ、そして油揚げの味噌汁だ。
「荒金の頼みで護りに付いてはいるが、俺達も各地に出向いて大物狙いした方が良いんじゃないか? 奈良では『遊戯』における決戦――ハルマゲドンが勃発しているんだろう? 正直、此処を護り続けるのは無駄じゃないのか」
椎野木の言葉に、だが 白樺・十夢(しらかば・とむ)二等陸士は頭を横に振ると、
「無駄かどうかは結果論に過ぎない。何せ、最後迄、手を出してこない保証は無いのだから」
『遊戯』に於いて夏至の日から『黙示録の戦い』に段階が移行した場合、神宮を襲撃しないというのは暗黙的に取り決められているらしい。神宮には『バベル(神の門)』が秘められており、殿下は管理者として、そして裁定者として『遊戯』の行末を見詰めているのだ。
――尤も、そういった取り決めの枠外で動く輩も存在する。“這い寄る混沌”がソレだ。『遊戯』における鼻摘み者。化身の1つである“悪心影[アクシンのカゲ]”で強襲し、結果として警戒の為に白樺達といった優柔な人材を足止めさせている。其の様な規約度外視の“這い寄る混沌”を、どの超常体も厄介視はしていても、しかし本気で除外しようという動きは見せていない。超常体にとって『遊戯盤』である“此の世界”が滅びて、『遊戯』が御破算になっても問題無いのだ。改めて最初から遣り直せば良い。特に現在敗退した神群にもまた『遊戯』への再戦が認められるらしい。そういう敗退した神群からすれば、積極的に応援しなくとも“這い寄る混沌”を邪魔する必要性は無い。従って“這い寄る混沌”の謀に対処しなければならないのは“此の世界”に生きるヒトだけなのだ。
「だから――最後まできっちりと御守りしよう。何、終わり良ければ、全て良し、だ。私達が活躍する機会が無いという事は、即ち神宮を平穏に護り切ったという証左なのだからな」
とはいえ、苦笑するのも付け忘れない。
「まぁ……状況が変われば神宮を離れて前線に赴く事もあるだろうけれどもな」
「其処は臨機応変にだよなぁ」
手を頭の後ろで組んで、椎野木は大きく伸びをした。そして空を仰ぎながら、
「――荒金から何か連絡があったろう? 俺、其の時丁度仮眠から起きたばっかりだったので聞いてなかったんだが」
「ああ、すまない。荒金さんから連絡は来た。自分が失敗した時に『混沌は電脳空間に居る』と伝えてくれと。そして、其れ迄は沈黙を守ってくれと。殿下が動くのは極めて危険な事らしい。仕方無いのでギリギリ迄は沈黙を守ろう」
白樺の言葉に、椎野木は暫く沈黙。秒針が1周ぐらいしたところで、
「……殿下って、そんなにヤバイか」
「ヤバイらしい。故人となった先任の侍女部隊長によれば、少なくとも其の力は最強にして、最後の手段。圧倒的だが、使ったら終わり。例えるならば……」
――核兵器。諸刃の剣どころではない。
「実際、どうなるかは判っていない。……というか判らないのが当たり前だが。しかし――」
「もしかしたら“這い寄る混沌”は殿下が力を行使するのも計算に入れている可能性もある、と……?」
椎野木の呟き、白樺は目を見開く。“這い寄る混沌”が、殿下が動く可能性も考慮に入れていないはずがない。殿下が力を行使した結果で“此の世界”に何等かの悪い影響が生じるかも知れない。“這い寄る混沌”にとって全てが思惑通りなのか? 捻じ曲がった破滅思想を垣間見た気がして、怖気が走る。嘲弄する笑い声の幻聴が、耳を責めた。
「……どうした?」
「――ッ!? いや、大丈夫だ。兎に角、狙撃による的の排除を手段として、私達は警戒態勢を執り続けよう。私達は、私達の仕事をするだけさ」
「りょーかい。……奈良では今頃、魔群とデーヴァ神群との間で屍山血河が築かれているのかねぇ」
相棒の呟きに、未練がましさを見て取って、白樺は苦笑するしかなかった。
――時間は、前後する。
デーヴァ神群の軍勢が通過する久居。デーヴァ神群の主神(の1柱)である ヴィシュヌ[――]が維持部隊に友好的であり、また非礼無く通過に当たって表敬訪問をし、前以て挨拶をしてきた事もあって、戦闘も無く超常体は通過していく。デーヴァ神群の軍勢の目的地は、奈良。信貴山を黙示録に記されたメギドの丘に見立てて、周辺には魔群との間に激戦が展開されていた。其の戦場へと向かい、理路整然とデーヴァ神群の軍勢は進む。殿下の影響を少なからず受けているものの、やはり神州日本の縁を結んでいる事もあってか、デーヴァ神群の歩みに滞りは見られない。
久居に駐屯する第33普通科連隊は、デーヴァ神群の通過を黙って見送るしかなかった……表向きは。
――久居駐屯地の施設の奥。駐屯地司令を兼ねる第33普通科連隊長が、武装した姿のまま敬礼を送ってくる6名を感慨深く見遣る。答礼を返してから、
「君達を見送るのは本官だけだ。其の点について、先ずは君達に詫びねばならない。――すまない」
第10師団第33普通科連隊・第1075班乙組長の 伊集院・明(いじゅういん・あきら)陸士長と部下5名は、頭を下げる第33普通科連隊長に直立不動のまま、
「問題ありません。連隊長殿が頭を下げる事こそが間違いだと考えます。何しろ命令違反を行うのは私共なのですから」
伊集院が歯を見せて笑みを浮かべると、第33普通科連隊長は心底申し訳なさそうな顔をしながらも顔を上げた。神州結界維持部隊長官の 長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]から発せられているのは駐屯地堅守の絶対命令。本来ならば駐屯地を離れて、戦場に赴き、超常体と相対する行為は、命令違反の厳罰に処せられなければならない。だがオカシナ事に、自らの意思と覚悟を以って戦う者が出る事を、暗黙的に認可しているのが実情だ。
伊集院達も、其の少なからぬ者だった。だが其れでも第33普通科連隊長が頭を下げるのは、
「……三重で動く範囲ならば最低限の支援を行う事が出来る。だが三重を離れて奈良に潜入した先は最早、此方は知らぬ存ぜずを貫く事を許して欲しい。君達が戦死したり、他にも問題が生じたりしても、本官等は君達を脱柵者と看做し、また最悪、人類の裏切り者として扱う。――此れを覚悟して欲しいのだ」
一瞬、部下達が顔を見合わせている動きをしているのを、伊集院は察した。だが其れでも不敵な笑みを色濃くすると、
「問題ありません。そもそも現状で、勝利するには前進以外に選択肢はありません」
固めた拳をもう片方の掌に叩き付けると、
「其れで駄目なら、神に頭を垂れてみますかね?」
第33普通科連隊長への問いではない。部下の引き締めを兼ねた言葉だ。流石に伊集院の部下だけあって5人の纏う空気が変わった。否、変わったというより迷いが張れたと言えるかも知れない。
部下の覚悟を背に受けると、伊集院は改めて敬礼を送る。そして犬歯を剥き出すかのように笑うと、
「千載一遇……と言うか、期限的にも最後の機会ですからね。横合いから思いっきり殴り付けて倒してきますよ」
第33普通科連隊長は黙って答礼を返す。伊集院は部下へと振り返ると、
「リソースの限界まで準備は整えました。さあ――」
決意と覚悟を秘めた瞳で、目標の居る方を見遣る。
「――戦争を終わらせよう」
大阪の地図へと、『黙示録の戦い』に移行して以来、幾度も偵察を敢行した リリア・エイミス[―・―]や マリー[――]、橘・柑奈[たちばな・かんな]二等陸士の情報を加味する。
魔群にとっての“光の柱”である“地獄門”が立つ伊丹駐屯地跡。七つの大罪が1つ『憤怒』を掌る大魔王 サタン[――]が坐しており、偶像崇拝視する第309中隊を中心とする元は維持部隊の完全侵蝕魔人が護り固めている。だがインプやリザドマンといった数頼みの低位超常体は伊丹駐屯地の敷地外に営巣地を形成しており、ビーストデモンやドラゴンも僅かなりに待機しているが、主力は飽く迄も完全侵蝕魔人の様だ。
「――まぁ、奈良の決戦へと、超常体も完全侵蝕魔人も多くが割かれているから、狙い目と云えばそうなのですけれども」
開いた“地獄門”を通じて新たに顕現した七十二柱の魔界王侯貴族といった高位超常体もまた奈良の決戦に赴いているらしい。魔群は強力だが、だからこそ一度の顕現数に限りがある高位上級超常体(群神/魔王クラス)を“地獄門”より召喚した。デーヴァ神群が“光の柱”に変じた世界蛇アナンタを通じて、多量の超常体を輩出して大軍を編制してきたのとは対照的と言えよう。
「『戦争は数だよ』と言ったのは誰でしたからね……? 数は力だと言えば、御蔭で此方も火力補助に手榴弾各種を要請してみた始末。本当は殴った方が早いのですけれども」
溜息を漏らす。居もしない誰かへと説明する様に独り愚痴るようになったのは単独行の天草突入以来の癖になりつつあった。
兎に角、鈍い身体を引き摺りながらも伊丹へと歩を進める。鈍色の海の中を、鉛で潜る様な閉塞と圧迫を覚える。“地獄門”の影響でオカシクなったのは身体や運動能力だけに非ず。憑魔能力に似た、生来のモノも弱体化している。伊丹への潜入が思いの他遅々として進まないのは、超常体や完全侵蝕魔人への警戒に対して慎重に進んでいるからではない。単純に諸々の能力低下に依る処が大きいのだ。
「――此の侭、潜入が成功するのを……敵に発見されない様に『神に祈る』事にしましょうか? “人でなし”に加護があるかは今以て、謎ですけどねぇ……」
アイドルらしからぬ自嘲めいた笑みが唇の端に張り付いた。其れでも歩みを止める訳にはいかない。別行程でリリア達が進んでいるし、ラリーも撤退路の確保に尽力してくれている。進むしかないのだ。
……信太山駐屯地を出て1週間程を経て、ようやく伊丹に到着する。別行程から辿り着いたリリア達も事前に話し合っていた配置に付いており、陽動そして援護の為に動いてくれる。果たして柑奈の砲撃を皮切りに、伊丹を警護していた完全侵蝕魔人の動きが騒がしくなった。
国恵は重く鈍くなった身体に鞭打って能力を行使。異形による体型変化にて潜入を果たした。
「目標のサタン及び“地獄門”は……彼方ですね」
脳裏に叩き込んでいた地図に従って慎重に進む。荒くなりそうな息を、其れでも自制して殺し、勘付かれない事を請い願う。サタンもそうだが、気を付けるのは――七十二柱の魔界王侯貴族といった高位上級超常体。多くは奈良に向かっているが、当然ながらサタンと“地獄門”を死守するべく、伊丹に残留していると考えて当然だ。
「――バイオリンの調べ? アムドゥシアスですね」
吟詠公 アムドゥシアス[――]は幻風系能力を有する完全侵蝕魔人と報告に上がっている。ルキフェルの側近として6月から大阪入りしていたと聞いていたが、奈良へと随伴せずに伊丹死守に回っていたとは!
幻風系は空気振動を通じて、音を操る。即ち聴覚を支配する。また達人によると空気の流れや息遣いから敵位置も把握するという。
(――厄介ですわね)
しかしアムドゥシアスの調べが聞こえてくるという事は、目標が近いのを意味する。音の調べに惑わされぬ様に聴覚を遮断する。敵が接近してくるのを察知する事も困難にするが、操られる危険性を考えれば仕方ない。……もしかしたら音が聞こえてきた時点で手遅れだったのかも知れないが。
其れでも進むしかない国恵は、ついに虹色に点滅する“光の柱”――“地獄門”の基部を視界に捉えた。“地獄門”の基部には映像で見たのと瓜二つの影――サタンと思しき姿を確認する。周囲には護衛である完全侵蝕魔人が2体。どちらも強化系と思われ、銃剣を装着した89式5.56mm小銃BUDDYを携えている。そして個人携帯無線を通してリリア達が起こしている陽動――戦闘状況に耳を傾けていた。対してサタンとは言うと祈りを捧げているかの様に瞑目し、地面に跪いている。
彼我の距離――20m! 強化系では無い為、一気に詰め寄るのは難しい。ならば……と携えてきた各種手榴弾を投擲。閃光発音筒が衝撃で、瞬間的に護衛の目と耳を塞ぐ。続く催涙球2型が動きを損なわせ、Mk2破片手榴弾が傷を負わせた。勿論、手榴弾は本命に非ず。本命は――肉体言語!
「関節を極める、負けたら死ぬ、以上!」
重い身体を駆使して肉薄。“地獄門”の影響下で鈍く、弱いが、だが永の歳月で染み込んでいる格闘技術は、最も無駄のない動きでサタンと思しき影に絡み付かせる事に成功した。
「――感染(マジカル・アウトブレイク)!」
関節を極め、固め、折り、砕き、そして腐敗の呪を込める。サタンと思しき影は崩れ落ちる。だが、其れは本当にサタンであったか? ――残酷だが、否。
「……そんな、サタンではありませんわ!」
死と共に、幻惑の姿が消えた。国恵が仕留めたのはサタンに非ず。記録によるとサタンの側近である、美貌伯 ロノヴェ[――]。祝祷系能力者であり、
「影武者を買って出ていたという訳ですわね」
狙撃や潜入者による暗殺――常套手段になりつつ維持部隊の戦術から考えて、敵方である超常体も対策を練っていないはずがない。幻風系であるアムドゥシアスがバイオリンの調べによって予め聴覚を操作して違和感を狂わせ、祝祷系であるロノヴェが姿を変える。こうして造られた影武者に騙され、国恵が釣られた。
「――ならば、せめて“地獄門”の破壊を!」
雑嚢から取り出したC4爆薬を仕掛けようとする国恵だったが――突然に神経を直接掻き毟られた様な激痛と、狂おしいばかりの衝動に、地面に崩れ落ちた。傍からすると、自らの身を、自らで地面に叩き付けた様に見えたかも知れない。衝動は咆哮となって口から漏れ出る。血走った眼が周囲を乱雑に見遣り、そして目標を捉えた。
――歳の頃は10代後半。女性とも男性とも判断の付かない顔立ちに、華奢な体格。だがロノヴェによる影武者と違うのは「美しい」という事。老若男女を惹き付ける絶対的な存在感。“彼”がサタン――“敵”という意を持つ『憤怒』を掌る大魔王。
ロノヴェの死に嘆くサタンの『憤怒』は、国恵だけでなく護衛の完全侵蝕魔人にも影響を及ぼしている。暴走した能力は完全侵蝕魔人の意識を呑み込み、悶え苦しみ、やがて国恵を獲物と見て取った。理性を完全に失った魔獣が国恵に襲い掛かる。能力で強靭となった身体に、着込んでいた抗弾チョッキが、破片手榴弾からの即死を免れたらしい。面倒な事だ。
とはいえ冷静に判断している間もなくBUDDYから乱射された5.56mmNATO弾が国恵の身を貫いた。衝撃で固まったところに、銃剣による数度の刺突。頸椎に引っ掛ける様に突き刺さり、そして力任せに放り投げられる。地面に叩き付けられた国恵の身体は、衝撃で数度も跳ね回る。
「其れでも死ねないのですよね……」
砕けた頸椎が異常な速さで再生し、破裂した内臓も瞬時に回復。『憤怒』による暴走で、異形系の再生力が向上したからだが、痛みや疲労まで快復した訳ではない。むしろ死に損ねて、苦しみが長引くだけ。敵に火炎系が居らず、暴走した威力で灰燼とならないのが、むしろ憎々しい。
サタンの信奉者である敵魔人が増援していく。発狂しかねない激痛と衝動が国恵の心身を蝕んでいき、終に心臓部へと銃剣の刃先が潜り込もうとした。――其の瞬間、衝撃波が敵魔人を襲い、肉片に変えて飛び散らせた。『憤怒』の波動が切れ、冷静さを取り戻した敵魔人共はサタンを庇い、肉壁となる。そして更なる衝撃波で襤褸屑となり、肉片を撒き散らした。
突入してきたのはバーレットM82A2を構えた柑奈。M16A4アサルトライフルを構えたリリアとBUDDYを手にしたマリーが弾幕を張り、援護射撃を加える。
だがサタンに届かぬと判断すると、国恵の身柄を救助し、撤退を開始した。
「――逃げます!」
置き土産とばかりにFGM-148ジャベリンや、110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウスト3を叩き込む。そして待機していた96式装輪装甲車クーガーに飛び乗った。ラリーが用意していたダネルMGL140グレネードランチャーで焼夷擲弾を撃ち放ち、追撃してくる敵魔人や超常体を払い除ける。そして脱出。……“地獄門”の影響で身体や能力が弱体化している中、変わらぬ機械が此の時ばかりは頼もしく思える。
「――ロノヴェを倒したとはいえ、サタンは健在だ。“地獄門”も崩れていない」
「……どうしましょうかしら」
国恵は溜息を漏らす。兎も角、今は泥の様に眠り、心身を休めたかった……。
神州世界対応論に於いてハルマゲドン(メギドの丘)に看立てられる信貴山は、隔離前は奈良百遊山の1つに選定されていたという。外観は雄岳と呼ばれる北峰及び雌岳と呼ばれる南峰の二峰からなり、花崗岩を基盤とする安山岩質の岩石から構成される。
生駒山地は大阪側の西が断層により急傾斜しているのに対し、奈良側の東は比較的緩く、侵食の進んだ樹枝状の谷が稜線近く迄発達している。此の様な特徴から信貴山の東側は中腹まで住宅地や樹園地・水田が分布していた――らしい。現在は魔群やデーヴァ神群の兵卒が入り乱れて戦っており、隔離前の遺物は遮蔽や潜伏に利用されていた。
「知っているか? 信貴山という名称の由来は、厩戸皇子なるものが物部守屋を攻めた時に、此の山で毘沙門天――クベーラが顕れ、皇子が『信ずべし、貴ぶべし』と言ったかららしい」
戦場の状況を見渡しながら、ヴィシュヌが配下の熊王ジャーンバヴァットへと苦笑交じりに話し掛ける。毘沙門天或いは多聞天で知られる クベーラ[――]に比べると、ヴィシュヌの音写である毘紐天(びちゅうてん)や那羅延天(ならえんてん:異名の1つ「ナーラーヤナ」の音写)は知れ渡っていない。
「少しばかり羨ましくもあるな」
さておき顔を引き締めると、部下からの報告を受けながら戦況を再確認する。静岡の富士山本宮浅間大社に立てたデーヴァ神群の“光の柱”――天蓋蛇アナンタに変じたソレから顕現したデーヴァ神群の兵士は、駐日印度共和国軍の武装で身を固め、魔群の超常体を撃ち倒していっている。
対する魔群の大部分はリザドマンやインプといった低位超常体であり、数が頼みに思えた。しかし、
「一見、数任せの人海戦術に思えるが、其れにしては良く統率が為されている。油断すると一瞬にして此方の戦線を分断させられて孤立――各個撃破される」
また大阪の伊丹駐屯地に立てた魔群側の“光の柱”――“地獄門”から新たに顕現した七十二柱の魔界王侯貴族といった高位上級超常体(魔王クラス)がデーヴァ神群兵士を蹴散らしていく。魔王クラスに対抗出来るのはジャーンパヴァットやガルーダ、ハヌマーンぐらいしか陣営にいなかった。インドラやヴァーユ、アグニといった群神クラスが参戦していれば、常に優勢に振る舞う事が出来ただろうが、秋葉山本宮秋葉神宮が消失した際に亡くなっている。シヴァの子等も諏訪での騒動で戦死しており、
「デーヴァに人材(ヒト)無しか……。七十二柱に比べれば、確かに圧倒的な戦力差だ」
しかし不平不満を嘆いても仕方ない。
「――行くぞ。カリ・ユガを終わらせ、新たな世界を創造する為に!」
ヴィシュヌの腕が2対に増える。スダルサナという円盤状の武器を投擲すると、棍棒のカウモダーキーを構え、また法螺貝のパンチャジャナを手にし、パドマナーバという蓮華を持つ姿はチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号の通りだった。そして眼前に眩く光を束ねると、矢の様に射ち放つ。光の矢は着弾すると、砲撃の様に魔群へ死と破壊をもたらした。またパドマナーバを持つ手が横に払われると、光の刃が生じてビーストデモンの硬い外皮すら易々と斬り裂いていく。
「――伝承に聞く神弓シャールンガと、光剣ナンダカか。恐ろしいモノだな」
まるで白馬に乗っているかの様に縦横無尽に戦場を駆け巡るヴィシュヌに、声と共に凍て付く波動が襲い掛かる。衝撃に紛れた氷の飛礫が鋭利な刃物となって、ヴィシュヌの着込んでいた抗弾チョッキや肌を切り裂いた。だが怯まずにヴィシュヌは相手を睨み付ける。
視線の先に居るのは金髪碧眼の壮年。着こなしているのは普段の儀礼的な亜米利加合衆国陸軍服でなく、迷彩パターンが施され、防護の金属板が縫い付けられた戦闘服。魔群の盟主――『傲慢』を掌りし大魔王ルキフェルが見下ろしていた。
既にガルーダやハヌマーンといった、ヴィシュヌの腹心は、ルキフェルと共に戦場へと現れた七十二柱の魔界王侯貴族と銃火を交わしている。能力の応酬に、銃弾が飛び交い、そして肉薄すれば徒手や剣刃が踊る。
ヴィシュヌとルキフェルとの間で繰り広げられる戦いでは、其れ等以上の応酬が展開されていた。複数同時に行使して発現したかの様に、五大系能力が矢継ぎ早に繰り出される。ルキフェルの氷礫を、ヴィシュヌが扇状に開いた炎が飲み込む。其の炎の舌がルキフェルを焙ろうと襲い掛かるが、地面から突き上がった石槍が絡み取って、逆にヴィシュヌへと向けられた。
数万――否、数億先の手を読み合う異様な戦闘時空が其処に生じていた。総大将同士の戦いに割って入れる超常体も完全侵蝕魔人も無く、巻き添えにならぬ様、足手纏いにならぬ様、自然と周囲に空白が生じる。其の間隙を縫って、密かに紛れ込んでいた影が6つ。ルキフェルとヴィシュヌという強大な2つの氣に当てられ、激痛に悩まされながらも尚、伊集院は意識を集中し、絶好の機会を待ち続けていた。
――そして永劫に続くとも思えたルキフェルとヴィシュヌとの戦いは些事によって詰みが生じた。傍目から見たら何がミスさえも判らない些事。ルキフェルがフェイントを掛けようとして、だが其処の加減をほんの微かに誤った。其の微かな――時間にして刹那にも満たない、些事にヴィシュヌが突け込む。光の矢が、刃が、衝撃が、見出されたルキフェルの核へと吸い込まれていく――筈だった。
「――ッ!」
意識を集中させていた伊集院が絶好の機会を看過せず、腰溜めに構えたブローニングM2重機関銃・改の砲口を目標に向けて撃ち放つ。放たれたRaufossMk211弾はヴィシュヌに直撃し、幾つもの銃痕が身体を穿つ。更にルキフェルの身を貫いていた光の矢や刃、そして衝撃波が集束すると、勢いは其の侭に大きく円弧の軌跡を描いてヴィシュヌへと襲い掛かった。12.7mmの弾雨を浴び、激痛と衝撃で動きが鈍ったヴィシュヌは、帰ってきた己の威力を避ける事は不可能だった。地面に崩れ落ちる。だが伊集院達の追撃は止まない。部下のFN5.56mm機関銃MINIMIの銃口5門が打撃音を彩る。そして意識を集中して探り当てたヴィシュヌの核へと、終に伊集院が放った銃撃が貫き、砕け散らしたのだった……。
ヴィシュヌの死が戦場へと大仰に喧伝される。魔群の歓声が天に轟き、デーヴァ神群の嘆きが地を覆った。続いて油断無く新たな目標へと銃口を向ける伊集院達だったが、隙を与える事無くルキフェルは悠然と構えてくる。怪鳥音に似た叫び声と共に、主天王 パイモン[――]が空間を割って、伊集院との間に立ち塞がった。仕方無く部下に合図を送ってMINIMIを下げさせると、伊集院は自身もM2重機関銃・改を地面に置く。
――其れでハルマゲドンの戦いは終結した。
「君達から協力の申し出があった時は耳を疑ったが、御蔭で助かった。ヴィシュヌを倒すには相討ちを覚悟していたからね」
「……あのフェイントは隙を創り出す為じゃなかったのですか?」
いぶかしむ伊集院に、だがルキフェルは恥ずかしそうに肩をすくめて見せると、
「否――真実、アレは自分のミスだ。自らが掌る傲慢の罪とは怖いものだな」
苦笑を1つ。異形系の再生力により、ルキフェルに刻まれた傷は少しずつ癒えていっている様だ。其の様子に眉間に皺を刻みながら、
「ヴィシュヌへと攻撃を返した様に見えますが――アレは如何なる手品で?」
伊集院の探る視線に、ルキフェルは鼻で笑うと、
「――隠すつもりは無い。アレこそが私の“傲慢”の力だよ。君達が憑魔能力と呼んでいるモノを瞬間的に操り、方向性を変える。タイミングさえ合えば、ああいう芸当も可能だ」
すると憑魔能力による攻撃を無効とする事が可能なのか。ならば単純な化学反応と物理法則による銃弾等は効くかも知れない。
其の様な伊集院の思惑に気付いていないか其れとも気付かぬ振りをしているのか、ルキフェルはパイモンからの戦況報告に耳を傾けていた。パイモンを除く、七十二柱の魔界王侯貴族は、ガルーダやハヌマーンといったデーヴァ神群の群神クラスと相討ち。だが主神の1角であるヴィシュヌの戦死によって、デーヴァ神群の『遊戯』に於ける敗北が決定した。
「静岡の“光の柱”が残っているが……ベリアルに任せているから倒壊は時間の問題だろう」
独りごちてからルキフェルは伊集院に向き直る。そして微笑を浮かべ、
「改めて感謝の意を述べよう。Thank you! 君達の御蔭で、我等の同盟が『遊戯』の勝者になる事が出来た。ありがとう」
「勝利です……か」
「ああ。最早『遊戯』に於いて主神格が残っている陣営は、我等の同盟しか存在していない。オリンポスやラー、アルケラが残っているが『遊戯』から降りていたり、或いは主神の座を継いで改めて参戦したりする気はない様だ」
だから魔群の勝利だという。
「……刻限が来て、勝利は確定する。其れ迄、私は居城にしているキティホークで戦勝会の準備でもしておこう。――パイモン、手配を頼む」
ルキフェルの言葉を受けて、パイモンが頭を恭しく垂らす。ルキフェルは笑みの色を濃くしながら、
「――私を倒す気ならばキティホークに挑みに来たまえ。出来るだけ早くにだ。勝利が確定になる刻限迄、もう半月も無いからね」
そしてパイモンの“空間跳躍”と共にルキフェルは姿を消す。言葉だけを残して……。
『――勿論、サタンが護る“地獄門”の影響下に加えて、我等が同盟に降ったヒトの子等を突破する、其の様な力が、君達に有ればの話だが……』
――9月8日、伊勢の神宮。奥宮の境内に伊勢分屯地の幹部連(士官や下士官、実力ある隊員等)が集められた。急な召集に白樺と椎野木は顔を見合わせて、事態を待つ。そして殿下―― 天照坐皇大御神[あまてらしますすめおおみかみ]の受容体たる斎宮昼子内親王が姿を現した事で、場が大きく騒然となった。御簾越しでない御姿に、白樺達の身にも自然と緊張が走る。そして葉が落ち着くのを待ってから殿下が口を開いた。
「『遊戯』の勝者が決まりました。――9月22日、太陽が秋分点を通過する時を以って、魔群と私共が呼称している超常体の陣営が『遊戯』で勝利した事が確定となります」
言葉の意味を捉え損ねて呆然とする者が多数。そして理解した少数が再び騒然となる。白樺はどちらでもなく、只、淡々と事実のみを受け止めようと努めた。
「奈良の決戦――信貴山をメギドの丘に見立てたデーヴァ神群と魔群との決戦において、デーヴァ神群の主神の一角であるヴィシュヌが戦死しました。静岡に立つデーヴァ神群の“光の柱”は未だ存在していますが、ヴィシュヌの後を継げて主神の代わりを務められる神格は居ません」
殿下の言葉によると、ヴィシュヌと並ぶ実力ある存在――シヴァは『遊戯』に最初から不介入らしい。ガルーダやハヌマーンといった神将も、決戦で七十二柱の魔界王侯貴族と相討ちとなっている。青森の恐山に陣を張ったクベーラは健在だが、ルキフェルと釣り合いが取れるとは思えない。対する魔群は――
「大阪に立ててある“光の柱”は立ったままであり、また盟主であるルキフェルがヴィシュヌと相打ちした事態に備えて、サタンが代役に立つ事も考えていたとか。尤もルキフェルは戦いで負傷しながらも生き残っていますけれども」
そして他の神群は『遊戯』で敗北している。アルケラ神群やラー神群、オリンポス神群といった主神或いはソレに準ずる神格が今尚存在しているところもあるが、『遊戯』の敗北を宣言して降りている。結果、消去法にも近いが、魔群が『遊戯』に勝利した事になったのだ。
「未だ暫定です。しかし秋分の日を以って勝利は確定となります。翌23日に、盟主であるルキフェルは神宮に来訪してくるでしょう。しかし勝利が確定したモノに対して、失礼が無い様に。魔群盟主に対しての一切の戦闘行為を禁じます。もしも銃火や剣刃を向ける者あれば、謀反人として処罰致します。此れは――決定事項です」
何か質問がありますか?という問い掛けに、幾つか声が上がる。
「殿下は、神宮を超常体へと明け渡す事に不満は無いのですか」
しかし殿下は感情を微かにも表さず、淡々と、
「魔群――“彼等”は『遊戯』に従って勝利し、そして盟主であるルキフェルは次の世界の新たな主……の中心として、正統に天之御中主様の後を継ぐのです。何の問題がありましょうか? 不満等ございません。要請に応じてバベルを開放するだけです」
殿下の言葉を受けて、口惜しい顔で項垂れていく一同。だが白樺は挙手。
「――確認しますが。『9月22日を以って勝利の確定』なのですね。……つまり其の前日迄は『暫定に過ぎない』と。仮に21日以前に主神格――魔群の場合は盟主であるルキフェルと、並ぶ実力者のサタンが倒れた場合、勝利も取り消されるのですか」
白樺の問いに、初めて殿下が微笑を浮かべた。其れだけで充分な回答だが、
「――其の場合、勝者は“此の世界”のヒト達になります。『遊戯』の勝利が確定する迄は、改めて仕切り直す事に為るでしょうが……別の『遊戯盤』が用意されて“此の世界”は解放されるでしょう」
新たに『遊戯盤』となる“別の世界”が犠牲になるだろうが、其処迄、責任は持てない。今迄の間“此の世界”が『遊戯盤』として犠牲になってきたのだから。
「――しかし現時点の最大の問題は、魔群の勝利ではありません。“這い寄る混沌”の企みを阻止するのが急務です。……白樺さん。荒金さんから連絡は入りましたか?」
厳しい視線に居た堪れなくなって、白樺はようやく報告を上げる。
“這い寄る混沌”は電波妖精 セスナ[――]の身柄を拘束し、サイバースペースに本体を隠れ潜ませている事。其の為、全世界の電波と情報は“這い寄る混沌”に押えられている事。異なる世界でもあるサイバースペースへは、夢渡りの蛇巫に導かれて突入出来る事。夢渡る蛇巫は香川の善通寺駐屯地で居る事。そして――
「荒金二士他2名が突入しましたが、作戦は失敗に終わったという事です」
「……荒金さん達に怪我は?」
「幸いと言ってはアレですが脱出には成功しており、3名共に心身問題なく。作戦の継続は可能と思われます。しかし失敗の最大の要因として『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』を用意出来なかったらしいのですが……」
だが殿下は毅然とした態度で応える。
「手段はあります。――私自身です。私がサイバースペースに乗り込む事が出来れば“這い寄る混沌”を倒す事は充分に可能です」
だが、乗り込む事が出来れば、の話だ。
「問題は、私は神宮から離れられないという事。何とかサイバースペースに乗り込む事さえ可能であれば、“這い寄る混沌”に此れ以上の翻弄をされないで済むでしょうに……」
悔しそうに唇を噛む殿下は、人間味溢れる様に見えた。
「兎も角、報告、御苦労様でした。しかし市ヶ谷の斎呼も情報を隠していたのですね……」
溜め息を漏らす。ようやく面を上げると、
「……善通寺には落日中隊も派遣します。私が動かせる唯一にして最強の武力です」
役に立つかどうかは判らないですけれども、と苦笑。白樺はふと沸いて出た疑問を口にする。其れは――
「殿下が御力を行使するのを、皆は止めようとしてきました。其れだけは御心にお留め置いて下さい。しかし……皆が心配する程の事、やはり問題が――」
「そうですね。受容体は器であり、檻でもあります。ヒトとしての許容値と限界に、力を抑止する枷でもあります。――恐らくは夢やサイバースペースでは、其の枷が取り払われます。そして“這い寄る混沌”を倒せる程の威力――『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』となるでしょう」
微笑んだ殿下に、思わず白樺が声を上げそうになる。白樺だけではない、一同が殿下の微笑みにナニカを感じ取り、声を発しようとするのが解った。其の様な強大な力を発揮して、殿下の心身に支障が生じないか? だが殿下は向けられそうになる異議を一言で断ち切る。
「神州日本――“此の世界”が消滅してしまうよりは、善き事でしょう?」
■作戦上の注意
当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
また過去作のノベルを参考にする場合、PCが当事者でない場合、然るべき理由が確認出来なければ、其の情報を用いたアクションの難易度は上がり、最悪、失敗どころか没になる事もあるので注意されたし。
全体的に死亡率が高く、下手な行動は「即死」と思って欲しい。加えて、常に強制侵蝕が発生する事態を考慮せよ。
基本的にPCのアクションは超法規的活動であり、組織的な支援は受けられない。
泣いても笑っても、次が『隔離戦区・人魔神裁』の最終回であり、『隔離戦区』シリーズの結末である。後悔無き選択を! 幸運を祈る!