同人PBM『隔離戦区・人魔神裁』第5回 〜 神州西部


WJ5『 義を以って裁きをし、戦いをされる 』

 大阪の何処からでも観測する事が出来る魔群(ヘブライ堕天使群)の“柱”――通称“地獄門”。魔群の“世界”から超常体を送り出す、其の存在だけでも否応無く大阪が魔群の勢力下にある事を思い知らされるのに、心身に及ぼす影響は直接的に圧し掛かってくる。
 神州結界維持部隊の魔人隊員の多くは呼吸するだけでも脂汗が滲む程の激痛に苛まれていた。寄生している憑魔核が悲鳴を上げ、伸びている神経組織が身体を蝕み、痛みが肌を刺激する。身体が鉛にまとわりつかれたかのように鈍く、日常行為ですら支障が出る。ましてや戦闘ともなれば、どれ程の負担を強いられるか。
 魔人の 荒金・燕(あらがね・つばめ)二等陸士だけではない。憑魔に寄生されていない 風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士もまた激痛に苦しめられないだけで、圧迫感を覚えている。足運びは重く、数歩で息切れをする程だ。
「――いざとなれば信太山を放棄し、和歌山へと撤退する事も視野に入れている」
 そう話してくれたのは、対アスモダイ戦、そして続く対アンラ・マンユ戦で指揮を執っていたという中部方面隊第3師団・第37普通科連隊第377班長。伊丹が魔群に制圧された事で、信太山駐屯地に籠城したのはいいが、
「結局、逃げ道を塞がれてしまっただけだったかも知れないな。――和歌山は未だに天使共残党が巣食っているが、大阪に居続けているよりはマシだろう。……お前達と一緒に四国へと運べれば最良だが」
 幾ら勢力下に置いているとはいえ、維持部隊の猛者達が籠城している信太山駐屯地へと積極的に襲撃を掛けてくる魔群は居なかった。だが駐屯地から離れれば無傷は約束出来ない。政策上の都合とはいえ、艦船や舟艇といった渡航技術が失われた神州日本では、四国へと移動するには、陸路か空輸しかない。しかし空路は燃料不足の問題も然る事ながら、上がったところで墜とされるのが予測出来る。陸路となれば兵庫の明石海峡大橋を利用する他ないが、魔群が集う大阪中央を突破しなければならない。
「かといって信太山駐屯地に籠り続けても、“地獄門”の影響により日々衰弱していくだけ。消去法で和歌山へと撤退するしかない――と」
 荒金の理解に、第377班長は首肯して見せた。既に信太山駐屯地司令を兼務している第37普通科連隊長は、脱出の手筈を整えたらしい。信太山駐屯地を拠点として利用出来るのは8月末で終わりだろう。
「――“地獄門”を落とせれば、問題の多くは解決するのだろうが……」
「駐屯地堅守の絶対命令に背いて活動しているのが4人程いるが……つい最近1人増えて5人になった。先の4人の内、3人は荒金二士の知り合いらしいぞ」
 第377班長の言葉に、荒金が首を傾げる。そして機会を狙っていたかのように声を掛けられた。
「Hey! Mr. Aragane!」
 男声に振り返ると、視線の先に居たのは黒髪に、筋骨隆々とした白人だった。
「ワイズマン二等兵……無事だったか」
「何とか。リリアは“地獄門”の所為で、疲労が激しいようだが。魔人でないマリーもまた辛そうな顔をしている。……あんたの方も大変そうだな」
「むしろ、あなたが平気な顔をして施設内を歩き回っているのが不思議だな」
 訝しむ荒金に対して、ラリー・ワイズマン(―・―)二等兵は大仰に肩をすくめた。手近な段差を見付け、荒金と第377班長と共に座ると、
「……皮肉な事に、俺はリリアやマリー程には『エニシ』が深まっていないようだ。だから“地獄門”の影響は受けても、あんた等みたいに深刻なダメージが無い。――逆に言うと、イセの殿下から恩恵を受けられない身でもある」
 苦笑する。しかし実際ラリーの様な軽微な影響しか受けていない存在は貴重であり、魔群に対する周囲への警戒や和歌山への撤退準備において、かなり助けられているという。
「では此のまま和歌山へ?」
 だがラリーは頭を横に振ると、
「リリアとマリー、そしてカンナが、イタミへと再挑戦するようなので、其の支援を。最近、大阪へと応援に来たレディが加わったからな」
「――第377班長も言っていたが、其のレディが5人目か。一体……」
 どういった人物なのか? だが荒金の問いを遮るかの様に、場違いな黄色い歓声が起こった。思わず騒ぎへと視線が集まる。そして目を丸くした。
「――魔女っ子? 何て場違いな格好だ」
「……『お前が言うな』と、俺は思うぞ」
 タキシード姿の荒金へと、今迄、別行動を取っていた風守が不意に現れ、ツッコミを入れる。
 さておき騒ぎの中心――魔女っ子と再会を果たして歓声を上げているのは、風守の押し掛け女房だった。風守・月子[かざもり・つきこ]二等陸士が手を取り、振り回している魔女っ子は、田中・国恵(たなか・くにえ)二等陸士。番組『魔法少女 マジカル・ばある』主役の1人だ。――更には、
「天使共から宇佐八幡宮を奪還した猛者の1人だ。見掛けによらず強いぞ」
 風守の太鼓判押しに、荒金が深く感心する。荒金と同様に“地獄門”の影響を受けているが、辛さを隠して気丈に振る舞うのはアイドルとして培ってきた経験によるものだろう。だが国恵からは其れ以上の強さを秘めている事が、鈍ってはいても動きから感じ取れた。
 月子に引っ張られて国恵が、荒金達に挨拶に来る。敬礼を交わし、互いに自己紹介をした。
「此のロリータが、リリア達のイタミ行きへと新たに加わったメンバーの一人という訳さ」
「……宇佐に続いて、天草解放にも噛んでいたという報告を耳にした。お疲れ様。本当に息吐く暇も無く走り回っているが、大丈夫か?」
 風守の労う声に対して、国恵は気取った様な笑みだけで返した。だが“地獄門”の影響を受けているのは皆知っている。其れでも色褪せない愛嬌はプロフェッショナルの領域だろう。
「――さて、話は変わるが。アラガネ達に聞いておきたい事がある。イタミ攻略に於いて大事になるかも知れない話だ」
 周囲に目を配ってからラリーは厳しい顔をすると、荒金達を問い質し始める。
「――先日、キティホークに出入りしているあんた達の姿を目撃した。何があった?」
「中々目敏いな……。其れとも私達に運が無かったというだけかも知れんが」
 詰問に、だが荒金は苦笑で返す。亜米利加合衆国の国家安全保障問題担当大統領補佐官ルーク・フェラーの正体が魔群の盟主、七つの大罪が1つ『傲慢』を掌りし大魔王 ルキフェル[――]だというのは未だ限られた情報だ。第7艦隊が魔群に乗っ取られているというのは公然の秘密だが、亜米利加経済の支配者にして実質的な影の大統領とされる存在が超常体という事実は恐慌を招くだけだ。其れだけでも一大事なのに“ 這い寄る混沌ニャルラトホテプ[――])”の件をどこまで伝えても良いのか? まさか核兵器が神州日本全土に降り注ぐ迄の期限が押し迫っている事もラリーに伝えてよいモノか。“這い寄る混沌”の本体が居る場所は掴んでいる。だが“這い寄る混沌”の本体を滅ぼす手段は手探り中だ。
「……しかし彼との会話から、何か手掛かりや閃きがもたらされるかも知れないな」
「――何の話だ?」
 藁をも掴むかの様な思い。荒金と風守は、ラリー、そして国恵に対して“這い寄る混沌”が地球上の電子網を支配している事、本体は電脳世界に隠れ潜んでいる事、だが倒す手段について決定打が見出されていない事を伝えた。勿論、他言無用と断った上で、だ。
「……キティホークへと出向いたのも魔群の盟主が“這い寄る混沌”を倒す手段について手掛かりを得ていないかの確認だったのだが……」
「――其の顔を見るに手掛かりは得られなかったようだな。大体、日本人の顔色も判る様になってきた」
 おどけて見せるラリー。だが打って変わって真面目な顔をすると、
「――“這い寄る混沌”の本体を倒すには『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』が必要だと言ったな。そして電脳世界に隠れ潜んでいると」
「……何か妙案があるのか?」
「ああ、直ぐ頭の上にあるじゃないか」
 ラリーは天井――否、更に上空の先を指差す。
「――太陽だ。其れにイセのプリンセスは、シントーでいうところの太陽の聖霊の化身と聞いている。一寸強めの太陽フレアでも出して貰えば、地球上の電子機器やネットワークを丸ごと吹っ飛ばせるんじゃないか?」
 ラリーの提案に、だが風守と荒金は渋い表情を隠せない。
「確かに殿下――天照坐皇大御神は太陽神であり、存在して当然のモノというと太陽か? だが流石に持ち込む……というか御同行願って、御力を頼むのは最後の手段にしたい。そもそも殿下は伊勢の地からお離れになれない。電脳空間に渡る手段を持つ者がいるのは香川だが、其処迄、殿下に御足労戴く訳にはいかないのだ。それに……」
 再び風守へと目配せする。だが風守は荒金の仕草に気付かず、何か考え込んでいる様だった。風守だけではない。国恵も月子も美しい眉間に皺を刻んでいる。
「――? 兎も角、殿下に御力を使って頂くのは、私も考えてみた。だが市ヶ谷からも釘を刺されているから、其れは最後の手段だ。他にも太陽神と云うとアポロンが頭に浮かんだが……」
 沈痛な表情を浮かべた。
「報告によると、先日にアポロン等が居たという那岐山へと魔群の部隊が襲撃を掛けたという。詳細は調査中だが状況から推測するに『暴食』の大魔王バァルゼブブと相討ちする形で、オリンポス神群のアポロン、そしてアルテミスは戦死したらしい。つまりアポロンに助力を願う交渉も断たれた。一歩遅かった……」
 握った拳を固くし、唇を噛み締める。
「そして同じ様に、電子網を叩く案は魔群の盟主から決定打にならないと言われてしまったよ。太陽のフレアは強力だが、携帯情報端末の大きさなモノでも電磁シールドによって残ってしまえば、“這い寄る混沌”を倒せたかどうかが不確実になる」
 電脳世界の外部からではなく、直接に『世界を滅ぼす程の炎と熱、光』を叩き込まなければ“這い寄る混沌”を確実に倒せるとは言えないのだ。
(――超常体に対して、航空機による爆撃等が有効打にならないのと理屈は同じなのだな)
「……勿論、太陽を持ち込めないし、殿下に御同行願う訳にもいかない。其れでも色々と考えている」
 苦笑する荒金に、ラリーは何か言い掛けて、だが大きく息を吐くと肩をすくめて見せた。

 ……ラリーと国恵と別れてから、荒金は風守と月子に視線を向ける。先程の風守達が見せた複雑な表情が気になったからだ。
「――太陽。太陽神というところで、何か咽喉につかえている様な、もどかしい気になって」
 風守は唸りながら頭を掻く。月子もまた同様に思い浮かべそうで、だが出て来ないもどかしさに顔を歪ませていたという。
「国恵ちゃんも同じみたいだったから、私達3人が共有する記憶か何かだと思うのだけれども……」
 言葉少なく、申し訳なさそうに風守達は頭を下げるのだった……。

*        *        *

 山口に居た維持部隊の殆どは“神の怒り(ログジエル)”に付き従い、人類側に残ったのは中部方面隊・第13旅団第13施設中隊・秋吉台分遣隊が唯一と言っても良い。秋芳洞奥底に封じた時空の歪み――“奈落(タルタロス)”の警戒監視に務めており、今や 羽村・栄治[はむら・えいじ]陸士長が中心となっていた。羽村の正体はオリンポス神群最強と謳われる神、冥王 ハーデス[――]の受容体。だが羽村自身は“奈落”の監視以外は、第13音楽隊で慰問活動を続ける 式神・ユタカ[しきがみ・―]一等陸士にしか興味が無く、超常体が相争う『遊戯』に関しては中立を貫いている。
「――天使共に付かず、また魔群の誘いにも乗らず。ゼウスが降りた今、オリンポス神群の主神を称する事も出来るのに何もせず……」
「ボクはユタカちゃんが此の『遊戯盤』――“此の世界”で楽しんでいれば、其れで良いよ」
 男声の主に振り返ると、羽村は無精髭を撫でた。落ち窪んだ目の下には隈があり、肉付きが悪いのか頬骨が浮き出ているような貧相な顔立ち。手入れもされずに伸びっ放しの髪は、顔を隠すかのようだ。
 対する男声の主も五十歩百歩。血と汗、そして泥に汚れた戦闘迷彩2型をだらしなく着て、煙草を咥えている。『落日』中隊長、滅日・荒実[ほろび・すさみ]一等陸尉は喫い切った煙草を携帯灰皿に押し込むと、新たな1本を咥える。だが火を点けようとしたら、羽村に厳しく睨まれた。情けない顔をしながら咥えていた煙草を、ソフトパックに仕舞い直す。
「改めて久し振りだね。といっても受容体同士は初めてになるけど」
「更に言うと、お前さんは冥界の王。俺は根の國を治めた事があるってぐらいだからなぁ。繋がりなんて」
 苦笑し合う。
「何しに来たの? “奈落”は現状問題無いよ。勿論、油断は出来ないけれども」
「山口の様子を伺ってきたついでに、顔を出した。“奈落”に関しては菊理媛がそろそろ何とかするって言っていたから、監視はもう暫くの辛抱だ」
「菊理媛ちゃんねぇ……十勝岳に開いた冥府(ミクトランもしくはシバルバー)は括り終わったんだ。お疲れ様って伝えておいて。それから“奈落”より先に、恐山に開いた“地獄”を括っても構わないよ?」
「恐山の“地獄”はデーヴァ神群が活動拠点代わりにしちゃっているからなぁ。ヤミー様が動いてくれていらっしゃるが、武闘派は放棄してくれなさそうでねぇ」
 大きく溜め息を吐く。
「……お前さんは『ユタカちゃんが楽しんでいれば、其れで良い』と言うけれども、何か“あっちの方”では“這い寄る混沌”の所為で騒がしいと聞いているが?」
「ペルセポネーも、ユタカちゃんが成人する歳まで、“此の世界”で遊ぶ気はないみたい。其れに言葉を返すけれども、君こそ山口なんかで油を売らずに、“這い寄る混沌”対策に動いたら良いじゃないか?」
 羽村の指摘に、だが滅日は肩をすくめると、
「市ヶ谷も、習志野も、伊勢からも、命令が来なくてねぇ……。どうも一部の報告が此方には教えてくれてないみたいなんだけど――多分に“這い寄る混沌”関連で。……荒吐への警戒で燻っていた上に、どうも俺達は無駄に時間を潰しているような気がする」
「――お仕事がんばれ」
 苦笑した羽村は、そう告げるしかなかった。

*        *        *

 香川の善通寺は、第2混成団の司令部にして第15普通科連隊の駐屯地である。そして濠太剌利に対応する四国で、最も勢力の多いアルケラ神群をまとめる“銅のニシキヘビ” ユルング[――]の巫女――ドリームシャーマンの 巳浜・由良[みはま・ゆら]海士長は保護の名目で、監視下に置かれていた。
 春に生じた『嫉妬』を掌る大魔王レヴィアタン襲来にまつわる激闘や、山陽のオリンポス神群の海王ポセイドン対策の支援、そして愛媛の 石土毘古[いわつちびこ]の封印を巡る騒動といった大きな事件はあったが――他地域と比べると四国は平穏な部類に入る。
 此れは四国で最も勢力の多い超常体であるアルケラ神群が『遊戯』に興味を示してない事が大きいだろう。ユルングは、空間を割って新たに超常体が増えないよう約束してくれていた。尤も生態系を確立してしまった超常体が殖える事に関しては流石にどうとも出来ないようだ。其れでも恐慌や極度の緊張、或いは飢餓状態にでもなければ超常体から襲ってくる事は無い。基本的に維持部隊員と出遭ったら、超常体の方から逃げ出すのが常だ。
 少数精鋭の強みで大阪から兵庫に分布している魔群の勢力版図を突破した荒金達は、第2混成団長である 綾熊・敏行[あやくま・としゆき]陸将補や、駐屯地司令を兼任する第2混成団副団長に挨拶。支援を頼み込んだ後、由良と接見した。
「いらっしゃ〜い」
 美しく長い黒髪の少女は、だが寝間着姿で欠伸交じり、そしてマンボウのヌイグルミを抱えていた。
「緊張感が……無いな」
 荒金の呟きに、風守の「お前が言うな」という視線が突き刺さる。憑魔武装をコーディネイトした結果と言い訳しても、タキシード姿の荒金の姿は初見の第2混成団幕僚も面喰らっていたモノだ。
 ――さておき荒金が用件を伝えるより先に、由良は夢で見ているからとドリームダイブの注意事項を魔の抜けた口調で並べていく。
「えぇと〜コピペで悪いけれども、一応注意しておくねぇ〜。でもコピペという事は何回も前から注意していた事柄という意味だから、アクションが失敗しても責任を此方に擦り付けない様に。以前から注意している事項なんだから、知らなかったというのは言い訳にもならないから〜」
「……メタ発言なのに、辛辣で説教臭いぞ!」
 風守のツッコミに、だが由良は気の抜ける様な笑いで返す。そして、
「……夢や『さいばぁすぺぇす』では、心豊かなものほど強く、貧しきものはそれなりに。物理的な、肉体的なモノに依存する武器や能力は無意味だよ〜。あ、技術や経験、其れに知識は有効だけど、どこまで通用するかは臨機応変。そして防御相性は、性格タイプの属性となるから、気を付けてね〜」
 注意事項に風守は、荒金が対“這い寄る混沌”用に準備してきたモノを思わず見詰めた。『太陽』の代用品として人工太陽照明灯。其れから……
「副武装としてアンチウイルスソフトも持ち込もうと用意した。こっちは多分、駄目だと思うが」
 風守の視線の意味を取り違えて、荒金が苦笑する。しかしツッコミを入れる前に、由良が一同を促した。釈然としないモノを感じたまま、風守は瞑想に入る。ユルングの夢渡る巫女を称した由良が導くままに、意識を深く、浅く、沈めて……
 …………。
 ……………………。
 …………………………………………。
 気が付いた、というのは大変な語弊があるが、風守達の意識は薄暗くて、仄明るい、空間を漂っていた。
「3名様、ごあんなーい」
 振り返ると、虹色に鈍く光る銅のニシキヘビを全裸に絡ませた由良が万歳をしていた。思わず月子が口煩いかなと思ったが、横目で妻を確認して、風守は目を見張った。
 ――意識を投影したものが、此の世界での見た目になるという。普段の月子の意識と人格は、“器”になった受容体の少女が強いが、夢の中では宿っている吟詠公 グレモリー[――]が色濃く反映されていた。阿剌伯風の衣装を纏った美女。波打つ茶褐色の髪に、金糸だろうか刺繍入りの黒いベルベットを纏っている。
 対する風守は――
「……何だろう、此の妖怪アンテナは?」
 やや長めの黒髪に垂れ気味の黒眼。平時は常に気だるげにしており、眠たそうな印象を与える、いつもの姿――だが某妖怪漫画の片目の主人公みたいに、頭の頂点の髪が針の様に立っていた。
「……危険感知の特異体質が、こういう形で現れたか」
 苦笑する。では戦友の狙撃手である 正岡・勝義[まさおか・かつよし]は?というと……
「あ〜。勝っちゃんなら〜『どうせ夢や『さいばぁすぺぇす』の中では、只のおぷしょんえぬぴーしーだと肉盾にも役に立たないだろうから現実で見張りしている』って〜」
「まぁ……普段から影が薄いからな、あいつ」
 ならば存在感が濃い荒金は?と思って視線を送ると、美事なばかりのタキシード仮面が居た。あ、普段からタキシード仮面だったか。問題は……
「――人工太陽照明灯が持ち込めなかっただと? 両のFN P90は間違いなく手にしているのだが……」
 唖然とする荒金。動揺を反映してか、姿が揺らぎ、不安定に見えた。
「やはり……か。『物理的な、肉体的なモノに依存する武器や能力は無意味』――恐らくは、そう言う事だろう。FN P90やタキシード、そしてマントが持ち込めたのは憑魔が寄生しているからだ。微弱ながらも憑魔の意識が、此の夢で形成しているのだろう」
「ならば、私の仮面は?」
「其れは機能というより、周囲や自身の意識の反映かと。暗視機能は付いてないだろう? 尤も夢の世界で暗視機能は在っても無くても同じ事だろうが」
 風守の推察に、由良が拍手。ついでにと今更ながら注意事項を付け加える。
「……と言っても、此れもほぼコピペ〜。此の夢の世界や『さいばぁすぺぇす』で亡くなれば脳死に近い状態になるよ〜」
「――逆だと、どうなる?」
 正岡が現実世界で見張りをしているという話を聞いた風守が呟く。すると由良は微笑を強くして、
「夢や『さいばぁすぺぇす』に潜っている際に、肉体が負傷したり最悪死んだりした場合は〜、意識も消失しますぅ〜。『かくりせんく』しりーずに霊魂は存在しません! 肉体の死は、意識の消失。但し操氣系ならば時間にして2週間ぐらいは肉体が死んでも、夢や『さいばぁすぺぇす』で行動出来ると思うよ?」
 勿論、其の後で意識は霧散化する。夢の世界では溶け込むが、サイバースペースでは“ごみ”となってバグをもたらす。
「さておき――頼みの綱であった人工太陽照明灯が夢の世界に具現化出来なかった……恐らくはサイバースペースでも同じ事だろうが……引き返すか?」
 風守の確認の問いに、荒金は溜息1つ。だが仮面の奥に決意を宿して、
「もしも持ち込んだ手段で倒せなければ、セスナの救出だけでも試みるつもりだった。まぁ、神宮の知合いに送っている手紙も我々が失敗する迄は情報を封鎖してくれる事になっている。そして失敗したら止められているが、殿下に情報が伝わるだろう」
 其れは最終手段にして、切りたくない札だ。
 ――兎も角、荒金と風守達は、由良に導かれるままに夢空間を泳ぎ行く。次第に曖昧だった雰囲気が、鋭角なモノになっていく。其れは現実と変わらない、だがドットで構成された映像風景。昔ながらの格子や輪郭という線でなぞられ、だが本物同然の錯覚を与える。そして……風守の意識に危険信号が鳴り響いていた。
「此れが……サイバースペース?」
「どのように見えるか〜本来は人其々なんだけどね〜」
「“這い寄る混沌”が何処に潜んでいるか、判るか?」
 だが由良は首を横に振って否定。夢と繋がりがあるとはいえ、由良がサイバースペースに入り込んだのは初めてらしい。しかし風守が厳しい視線で、
「“這い寄る混沌”は此の空間に充満している……だが特に『凝り固まっている』というならばアチラだ」
 針の様に立っている一筋の髪が、サイバースペースの一角を指し示していた。意を決して進むと、果たして其処に、少女の影が見えた。周囲を触手が這い擦り回っている中で、鳥籠の様なグリッド線に封じられた少女。かつて電子映像で浮かび上がった電波妖精 セスナ[――]に違いなかった。
「――“這い寄る混沌”の姿は? 罠の可能性が」
 しかし安易に近寄る事無く、周囲の警戒を怠らず、慎重に様子を伺った。触手が阻害する様に波打つが、此方に気付いた様子は無い。……まさか“這い寄る混沌”は此方がサイバースペースに進入した事に気付いていない?
「確かに常識で考えれば、神ならぬ身で、夢の世界やサイバースペースに突入してくると思わないな」
 だからこそ『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』も用意出来ていれば、奇襲が成功し、一瞬で倒せると由良が言っていたのだろう。
 セスナを救出すれば、核ミサイル発射のカウントダウンも停止する。“這い寄る混沌”の本体を倒す手段は無い。だが最悪を止める為に、荒金がセスナの救出へと近寄ろうとした瞬間、風守の意識を激震が走る。
「――駄目だ! そいつは、やはり罠だ! ソレはセスナに似て非ざるモノ――“這い寄る混沌”だ」
 風守が警告を発すると同時に、荒金は反射的に退避した。元より罠を疑っていた事もある。だからこそ危機一髪の回避。セスナだったモノ――“這い寄る混沌”は俯いていた顔を上げ、嘲弄の笑みを浮かべた。
「アレが本体の核?」
 月子の呟きに、だが風守は怒鳴りながら否定。其れは悲鳴の裏返しだった。
「違う――何だ! 何なのだ、此れは!?」
 空間其の物が悪意を以って、3人を取り囲もうとする。無数の触手が空間を割ったかの様に、一斉に襲い掛かってくるが、荒金の両のFN P90が威力を発揮して薙ぎ払う。片方の紫電によって増幅された火炎は、砲弾と化して、最寄りの触手を一瞬で焼失させた。
 だが――
「限りが無い! 焼け石に水だ」
 遠火で手を炙る、天井から目薬。What is a pound of butter among a kennel of hounds?(一群の猟犬に1ポンドのバターで何の足しになる?)
 ――荒金のFN P90が撃ち出す炎の効果が無い訳ではない。また月子の発する光も、触手を怯ませ、打ち払う事が可能だ。しかし圧倒的に力が足りない。量でも質でもなく、強さとも言い表せなく、只、単純に『力が足りない』としか言いようがない。触手は無限に沸き出し、時空間を掻き削り、そして埋め尽くしていく。触手と云ったが、実際は臓腑の様であったり、無機物でもあったり、表面上には自らを喰い破る牙が限りなく生えていたり、また燃える様な眼が睨み付けてきたり、怨嗟の叫びを上げるデスマスクが張り付いていたり……正しく、そして正しくなく、“混沌”だった。触腕、鉤爪、手が自在に伸縮する不定形の肉の塊が顕れては消え、そして顔のない円錐形が咆哮する。全てが“這い寄る混沌”であり、そして核であり、輝くトラペゾヘドロンといえた。
「――報告に聞いていた、闇の渾沌蛇アポピスにも似てなくもないな」
 アレも確か倒すのに『世界を滅ぼす程の炎と熱、そして光』が必要とされたとか何とか。其の手段は入手出来ず、結局は敵から奪い取った『銀の鍵』という神器(?)で、此の世界から放逐する事で、原初へと孵るのを退避したのだが……
 何にしろ――力が足りない。圧倒的に足りない。セスナを救うには“這い寄る混沌”を倒す他ない。だが方法は、今、手元にない。兎に角、逃げるだけだ。勿論、逃げ切れればの話だが。
「――駄目だ、対応出来ない……」
“這い寄る混沌”の悪意を浴び続ける荒金の意識を侵し、蝕もうとするナニカが、色濃くなり始めた。対して荒金の意識はノイズが乱れ走り、次第に投影は薄れ、掻き消えそうになっていく。混沌は圧倒的な力を以て猛威を振るい続ける。月子もまた消耗が激しい。
「――マルコキアスっ!」
 其れは賭けだった。だが風守の懇願に応えて、愛機に憑依していた存在は姿を顕した。マルコキアス――翼を持つ黒狼は口から激しい炎を吐いて、一瞬でも触手を怯ませると、風守達を身に乗せる。搭乗過積載になるかと思ったが、合わせて姿も大きくなった。夢やサイバースペースという空間は意外にも『思った通り』になるのかも知れない。
 そして風守に操縦を委ねると、マルコキアスは現実世界と同じく走る事だけに全力。追い縋り、圧し潰そうとする混沌を振り切り、そして脱出に成功した――。

 飛び起きる様に覚醒する。
 現実の五感を取り戻すべく、身体を動かした。他の者も意識が現実世界に帰ってきたようだった。其の中で由良だけが呑気に欠伸をしつつ、
「“這い寄る混沌”は此方を認識したよ〜。絶対に反撃、逆襲がされると思うね〜」
 言葉の中身は全く呑気でない様な事を、口にしたのだった。

 


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 また過去作のノベルを参考にする場合、PCが当事者でない場合、然るべき理由が確認出来なければ、其の情報を用いたアクションの難易度は上がり、最悪、失敗どころか没になる事もあるので注意されたし。
 全体的に死亡率が高く、下手な行動は「即死」と思って欲しい。加えて、常に強制侵蝕が発生する事態を考慮せよ。
 基本的にPCのアクションは超法規的活動であり、組織的な支援は受けられない。

 巳浜由良の力を媒介にドリームダイブし、電脳空間へと挑む場合は、専用の選択肢「Ja-49)ドリームダイブ」を。ダイブ後の注意点は由良の台詞にある。
 なお由良自身がどう動くかは掛けられたアクションによって左右される。由良自身は、香川の善通寺駐屯地から別の駐屯地へと、自分の意思で動こうとはしない。自身が持つ重要性の認識や危機感は無いに等しい。影響度も「香川」を起点とする。
 ダイブをせずに由良と関わる場合は「Ja-38)香川にて行動」を選ぶ事。由良を連れ回して別の駐屯地へ避難しようとする場合も、選択肢は同じである(※移動先の選択肢では無い事に注意)。

 泣いても笑っても、次が『隔離戦区・人魔神裁』の最終回であり、『隔離戦区』シリーズの結末である。後悔無き選択を! 幸運を祈る!

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