同人PBM『隔離戦区・呪輪神華』第3回〜 関東:東亜細亜


EA3『 The woman of the captivation 』

 互いに携帯情報端末の記録データおよび残り容量を確認する。不足分を埋めるべくデータを送り合うと、神州結界維持部隊通信団・通信保全監査隊に所属する、火々原・四篠(ひびはら・よしの)二等陸士は穏やかに微笑を浮かべる。
「……此れで、いざとなればデータの上書き保存も出来るし、捕まった時に消去するのも躊躇わずに済みますよ」
「前提に捕まった時の事を挙げるのは止めようぜ」
 呆れ交じりに、第1師団第32普通科連隊・第106中隊第4小隊――小松小隊所属の 生駒・現在子(いこま・いまこ)二等陸士が頬を掻いた。
 互いの携帯情報端末を繋ぐ通信ケーブルを抜くと、丁重に束にして仕舞う。
「電波で外に送信出来れば苦労しないんだけれどもな」
「盗聴されかねませんからね。ゲームや映画と違って足が付きやすいですよ」
「暗号通信でも?」
「暗号通信でも。というか……」
 周囲を見渡しながら火々原は溜息を吐く。暗がりは、身を包み隠してくれるが、逆に接近してくるかも知れない敵の姿を見落としがちになる。早いうちに暗視装置といった闇を見通す何がしかを確保する必要があるだろう。
「――自前の秘密基地から、謎の暗号通信が送受信されて、怪しまないのがオカシイですよ。解読されていなくても、不明な周波数の行き交っているという事は、所属者以外の存在が侵入している証左です」
 電波それ自体が、暗闇に灯された明かりのようなものだ。隔離前ならばいざ知らず、今の御時勢では電波が行き交う事は、そうは無い。ましてや地下から周波数の不明な電波というのならば、怪しむなというのが嘘である。
 生駒は難しそうな顔で溜息を吐くと、
「仕方ないな。じゃあ、あたしが地上にデータを持ち込むよ。あんたには、此のまま頼むぜ」
 火々原は薄く笑うと敬礼で返答。天井裏の暗がりの中を、手探りで生駒が匍匐で進んでいった。火々原は苦笑すると、駅構内図を思い浮かべた。
 地下鉄霞ヶ関駅――中華人民共和国人民解放軍(※駐日中共軍)内の蔓延っているという噂の“秘密結社”の存在の証左と動向を探っていた、火々原と生駒が辿り着いたのが、つい先程。
 中共軍が巡回する動きから推測し、かつて隔離前には東京の動脈の1つを担った地下鉄線に目星を付けた火々原達は、地下鉄霞ヶ関駅にて“秘密結社”と思われる戦力の隠れ家を突き当てた。問題は“秘密結社”の戦力が、中共軍兵士のみならず、ヒト型であるものの、人間と異なる生き物――超常体が野戦服をまとっていた事だ。
 其れだけでも“秘密結社”と思われる、此の武闘集団を叩く理由になるが……
(……相手が、いつどのような行動に出るか判らない以上、時間の猶予は測れないとはいえ、迅速に更なる情報収集を努める必要があります)
 火々原はそう判断すると、連絡に戻るという生駒と別れて、更なる探索の続行を選んだ。
(……しかし、あの御簾の主は……?)
 狙いを付けた千代田線の改札階にある、事務室は果たして敵の首魁と思わしき人物がいた。淫靡な臭いが漂う中、操氣系どころか魔人ですらもない火々原達が強烈な存在感を覚える、御簾付きの寝台の主。御簾に隠れて姿は判らなかったが、とんでもない実力者だとは解る。
(――問題は人間か、超常体か、ですが)
 いずれにしても武闘集団を束ねる存在だ。厄介極まるのは間違いない。手持ちは工作活動に向いているものの、戦闘において自信が無い。
(……そもそも自信があろうがなかろうが、敵地の中で真っ向から戦闘をするのは、流石に厳しい物がありますしね)
 自嘲めいた笑みを浮かべると、火々原は思い浮かべた構内図に従って、逃走ルートを先ずシミュレート。続いて、逃走経路を踏まえた上で物資の集積所の当たりを付けていく。
 日比谷線で物資輸送しているのだとしたら、
(――丸ノ内線でしょうか?)
 目を細めると、火々原もまた匍匐での移動を開始する。貯蔵量の比率や傾向を調べるのもそうだが、先ずは視覚を確保するべきだろう。
(……欧米諸国には後れを取っているとはいえ、電子装備の1つや2つぐらいはあるでしょう)

 先に日比谷線に戻った生駒は、中共軍兵士――人間や超常体を問わず、緊張している様子を感じ取った。
 侵入がバレたかと思ったが、どうも神谷町駅方向を警戒しているらしい。
「――六本木駅の方に向かった普通科部隊のおっさん達が見付かったのかな?」
 だとすれば地上に脱出するとなれば、此の混乱に乗じるべきだろう。東京の地下を、網のように張り巡らされている路線だ。脱出口は沢山ある。
 逆に言えば――
「どの出入り口を塞いでも、封じ込めるのは無理だよな。本体を直接叩くのも困難……かもしれねぇ」
 本体の中核たる敵首魁を潰せば、また話は変わってくるだろうが、御簾の奥の主は下手な戦い方では一筋縄ではいかない相手だというのが予測出来た。ガチでタイマンを張るならば其れなりの喧嘩の仕方が出来るヤツ、数で攻めるならば圧倒的な火力の集中が必要となってくるだろう。
(……そう考えているって事は、アイツは人間じゃないって事だよな?)
 直接に姿を目視した訳でもなく、また戦闘の実力を思い知らされたでもないのに、生駒は御簾の奥の主に対して戦慄を覚えていた。――超常体とするならば間違いなく高位上級の魔王クラスだ。
(――地下鉄内に大量に超常体が発生した場合の対応シナリオが師団にあるか確認しておくべきだよなぁ)
 封鎖して以来、地下鉄の状況に無警戒とも思える維持部隊だ。生駒達が調査に当たって“秘密結社”と思しき武闘集団が隠れている事が判明したのだ。
 アテになるか訝しむものの、生駒は兎に角、地上へと向かう。
 丸ノ内線より国会議事堂前駅の構内に出ると、音響探知機を駆使しながら周囲を警戒。自分以外の音が無い事を確認すると、地上を目指す。封鎖している防火扉を解錠すると、ようやく安堵の息を漏らした。
「――報告。此方、小松小隊所属の生駒二等陸士であります。現在地、旧・国会議事堂前駅。至急、応援要請を……」

*        *        *

 東京から送られてきた情報を分析し、神州結界維持部隊東部方面隊・第1師団第32普通科連隊・第106中隊第4小隊長、小松・栄一郎(こまつ・えいいちろう)准陸尉は眉間に皺を刻んだ。
 元情報と解析をUSBメモリに移すと、自分に送られたものは廃棄。そして大きく溜息を吐いた。
 ――数時間後、項・充[シィァン・チョン]少尉に迎えられて、小松は中共軍茨城派遣部隊の天幕を訪れた。項少尉は難しい顔をしていたが、小松が顔を出すと、部下に命じて茶や点心を用意させた。
『――東京の部隊が此処まで腐敗していたとは』
 開口一番、怒りと呆れが混ざったような表情で項少尉は呟いた。そして部下を退けさせると、小松に頭を下げてきた。
『私にも報告を戴けて助かりました。馬鹿な噂と思っていましたが、断片とはいえ証拠を提示されては認めざるを得ないでしょうね』
 身内の恥を曝すようで苦々しいと断りつつも、
『……“秘密結社”――東京派遣部隊の大半が、東京城を狙っているという分析は、十中八九間違いないでしょう。そして、其れは日本の龍脈を死に至らしめるでしょう』
『――宜しければ、項少尉が分析した状況を詳しく教えて頂けませんか?』
 小松の言葉に、項少尉は溜息を吐くと、
『東京城は逆鱗です。龍穴どころではありません。日本が世界に対応する説は御存知でしょうが……では龍に見立てるという話は?』
 龍というのは中華においても特別な幻獣だ。日本列島が龍に見立てられるという説を苦々しく思っているのは間違いないだろうが、其れを項少尉の口から出てくるとは、正直、小松も内心で驚いた。
『――少しぐらいならば』
『結構。……そう、まさに東京城は逆鱗なのですよ。強大な力が集積していますが、だからこそ誰も手出しは出来ません。龍娘娘ともいうべき巫で鎮められるが、御する事は出来ません。……日本人の巫は上手く鎮めているようですが』
『――巫?』
 小松が問い質すと、これまた憎々しげな表情を浮かべて、
『八木原斎呼――維持部隊長官秘書たる彼女は東京城に集積された力を鎮める為の巫ですよ。人柱とも供物、生贄と言い換えても良いですがね。ヘブライの輩が東京タワーを狙っているのは、彼女の身柄を押さえる為ですが――此れは御存知なかったですか?』
 小松は首を横に重く振る。
『成程。機密が多過ぎるのも考え物ですな。……さておき東京派遣部隊は、巫の身柄を押さえず、直接に逆鱗に触れようとしています。其れが、如何なる破滅を招くかも考えずに。――何モノかの甘言にたぶらかされているのは間違いありません』
『……被害の規模は、靖国どころではないと?』
 問いに、暫くの沈黙。そして秒針が一回りしてから項少尉は重い口をようやく開いた。
『――最小限に抑えても東京は吹き飛びますね。最悪になると此の遊戯盤の消滅です。日本だけに限らず、地球諸共に砕け散ります』
 項少尉の表情だけでも、冗談でない事は窺い知れた。小松は知らず生唾を飲み込む。
『意見、宜しいですか?』
 どうぞと了解を得てから、小松は発言する。
『――超常体を従えているという事は“秘密結社”は人類共通の敵であり、排除対象でしょう。が、ことデリケートな問題だけに禍根を残さない形で処理したいのです。結界維持部隊上層部には未だ報告しておりませんし、其方が然るべく処理なされるなら、此の件はお任せしたいのですが。そして……処理に協力しろというならそう命令して頂きたい』
 だが項少尉は、心底から詫びる表情で、
『――生憎と私に北京の党本部に意見具申出来る程の力はありませんよ。間違いなく、党本部が関わっています。ましてや軍閥化は進んでいます。私は此の地から動けません。動いたら国家反逆罪に問われかねないでしょう』
 党本部が関わっている以上、決して超常体の存在を中共は認めない。ならば――
『あくまでも維持部隊と超常体との戦いとして処理しろ、と?』
『少なくとも茨城は動けません。任務は茨城特別戦区の――つまり大甕倭文神社の護りなのですから』
 それから、と付け加える。
『埼玉の周大尉も、私が説得したぐらいでは動かれないでしょう』
 茨城派遣部隊と同様に、埼玉派遣部隊もまた軍閥化している。埼玉派遣部隊の実質的な指導者―― 周・国鋒[ヂョウ・クオフォン]大尉を、項少尉が動かす事は不可能だ。
『――そして私達は『遊戯』での勝利を求めますが、運命を選び、また逆らう事が出来るのは……貴方達だけなのですよ』
『最後に1つだけ。御簾の主という人物に思い当るところは?』
 項少尉は首を傾げると、
『……妲己は日本の東北地方に身を隠していると噂を聞いた事がありますので違うでしょう。其れから瑶池金母(※西王母)様は覚醒される前に、ヤスクニの暴挙の被害に巻き込まれてしまいましたからね』
 靖国神社の暴挙で被害を受けたのは、西王母だけではない。有力な仙群の多くが覚醒する前に、祟りに巻き込まれて亡くなったという。
『――仙群でないものとして思い当るのは……清代末期から現れた妖婦がいます』
『其れは?』
 小松の問い掛けに、心底嫌そうに言葉を続ける項少尉だったが……
『ええ――〈膨れ女(ブローティッド・ウーマン)〉という、忌まわしき〈這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)〉の化身の1つで……』
 其処で何かに思い至ったのか、突然立ち上がった。
『〈這い寄る混沌〉――コントン――そうか、そうでしたか! もしかして!』
 怒りの感情を発露させると、項少尉は挨拶もおざなりに席を立ち、天幕を出て行ったのだった……。

 トウテツとの戦いで、憑魔武装を酷使した事もあり、また周囲の願いもあって、小松小隊のマスコット―― 佐伯・千香(さえき・ちか)二等陸士は長期の休暇が命じられていた。
 長期休暇を与えられたとしても、憑魔に寄生された魔人である千香が、結界の外――実の親族に会いに行ける訳がない。また千香自身にとっても家族と言えば、温かく迎えてくれた佐伯家や、小松小隊の皆である。とはいえ佐伯家の者達は散じて神州各地に出向しているとなれば、自然と千香は小松小隊が警戒待機している茨城の日立――大甕倭文神社周辺にて過ごしていた。
 任務という程ではない、小松小隊の簡単な御遣いや手伝いをしながら、中共軍の兵士達に言葉を学ぶ。地方の農村出身が多くを占める為に、茨城派遣部隊の中共軍兵士の多くは読み書きに関しては不得手なものの、言葉について優しく教えてくれた。
『……俺、物、教エル、苦手ナンダガ』 赤ら顔に困った表情を浮かべて、中共軍最強と謳われる 車・奉朝[チェ・フェンチャオ]六級士官が頬を掻く。
『“美猴王”、懐イテイル、理由。言葉学ブ、違ウヨ』
 最も解り易く教えてくれる中共軍兵士が指摘すると、他の者達も笑い声を上げた。罰の悪そうな顔をすると、千香の頭の髪を、乱暴ながらも、親しみを込めて掻き混ぜる。
 千香は中共軍兵士の中でも人気者で、言葉を教える者が多数名乗り上げている。其れとは別に奉朝が暇そうとしているのを見付けては、話を聞きに行っていた。言葉が解らない当初は兎も角、ある程度のニュアンスが伝わるようになったら、意外に奉朝は博識深い事が判った。
 また、伝奇を面白おかしく語る。特に『西遊記』と呼ばれる日本でも楽しまれる話は、まるで直接見聞きしてきたかのように語るのだ。千香だけでなく、休憩中の中共軍兵士や小松小隊員も聞き惚れ、時には笑い、時には怖れ、そして感心する程だ。
『――織姫、彦星、話ハ?』
『牽牛ト織女カ……』
 幾つか話を聞いたところで、千香はふと思い出した事を尋ねてみた。奉朝は片眉を逆立てて、訝しむ表情となり、
『……マタ、オマエ、岩、近付イタンジャ?』
 頭を激しく振って否定する。千香が立ち入り禁止域に近寄っていないのは、言葉を教えていた中共軍兵士が証言してくれる。そうでない時は、奉朝の話を聞いているか、小松小隊で手伝いをこなしているぐらいだ。
 まぁ、いいかと困ったような笑顔を浮かべると、
 七夕伝説――織姫と夏彦の話は、大陸も日本も、そう大差はない。織女は働き者であったが、夏彦と夫婦となった途端、共に仕事をしなくなって、父親である天帝に怒られた。そして天の川を挟んで別離させられ、年一回に会う事が許される――乱暴にまとめるとそういう話だ。ただし広い大陸では、長い歴もあって様々なバリエーションが生まれており、羽衣伝説が混ざった『天河配』は京劇等で演じられていたという。
『――岩、近寄ッタ、音、聞コエタ。機織リ。感ジタ、2ツノ意志』
 周りが、千香の言葉に首を傾げる。奉朝は口を結んで、だが黙って聞いていた。
『機織リ、得意ナ神様。悪イ神様、封ジタ。此ノ社ノ伝承。……何カ、関係アル?』
『――アル、言エバ、アル。無イ、言エバ、無イ』
 腕組みをしながら奉朝は唸って見せた。そして指を2本立てる。
『オマエ、勉強家。ダカラ、謎の鍵、教エテヤル』
 中指を畳む。
『1ツ――悪イ神、正体トハ、何カ?』
 そして人差し指を突き付ける。
『――織女、天帝ノ娘。機織リ、カツテ奴隷ノ仕事。ダガ、イツシカ魔術トモナッタ』
 休憩は終わりだとばかりに奉朝は、棍を肩に担いだ。
『――直接、結ビツキハ無イ。ダガ、関ワリ、アル』
 だからこそ岩に近寄るなと、警告を発すると任務に戻っていくのだった。

*        *        *

 35mm2連装高射機関砲L-90の整備状況や、隊員達の士気や健康に気を配りながら、周囲を散策していた第1高射特科大隊・試作運用小隊長の 山池・真一郎(やまいけ・しんいちろう)准陸尉へと、挙手して呼び掛ける声があった。
「今日も何事も無ければいいんですけれどもね」
 馴染みの普通科小隊長に決まった挨拶を送ると、不敵な笑みで返された。
「尤も緩み始めてきた気はするがな」
 同感です、と山池も首肯する。
 東京タワーを守備する陣容は人員や装備の補強はあれども、全体的には増援は無い。其れでも、此れまでの戦いで、魔群(ヘブライ堕天使群)の猛攻を退けるどころか、高位上級の魔王クラスを3柱も葬っている。特に銀色のドラゴン――龍公ブネを討ち倒したのは大きかった。
 ドラゴン……しかも一回り大きいのを倒したというのは、視覚的にも効果は大きい。東京タワーを守備する者達で、楽観的な雰囲気が流れてしまったのは無理なからぬ事だろう。だが山池は、其の緩んだ空気が大敵だと危惧していた。部下を気遣い、また入念に武装の整備をさせているのは、万一の事を考えてだ。
「第一、魔王は確認されているだけでも未だ3柱残っています。加えて、此の期に及んで増援も来たら……」
「元々、物量では負けているからな。此処で大増量の上、更に魔王の追加が来たら堪らねぇ」
 残るは、宗教画にも描かれそうな天使然とした翼を背にした軍服姿の美青年――愚者公子 イポス[――]と、鹵獲した偵察用オートバイXLR250Rに跨り、抗弾チョッキを着込んだ赤髪の青年――騎馬公子 オロバス[――]が健在だ。また報告によると、東京タワーに空間を“跳んで”侵入してきた、燕尾服を纏った存在もいる。
「――まぁ、燕尾服の方は、そう簡単には出張ってこないと思うが」
「……根拠は?」
 山池の問い掛けに、普通科小隊長は頭を掻くと、
「八木原一尉と相討ちになったと聞いているからな。幾ら超常体でも満身創痍の状態から復帰するには時間が掛かる。異形系なら別だが」
 報告によると、東京タワーの大展望で燕尾服の魔王は、八木原・斎呼[やぎはら・さいこ]一等陸尉と相討ち状態――斎呼は姿を消し、燕尾服も最後の力を振り絞って逃げ出したという。
「……八木原一尉の行方は?」
「――本人かどうかは真偽不明だが、生存を伝える音声は市ヶ谷に届いているらしい。だが執務は第二秘書官に全て任せるとか何とか」
 つまり姿を隠したままという事だ。
「――警務科が大々的に動いているらしいぜ」
「東京タワーの警備にですか? 元々、普通科部隊が来る前から配置させていたんじゃないですか?」
 だが普通科小隊長は頭を振ると、
「本来は警護任務らしいんだが……怪しんでいるのは何処も同じって事だな」
 そう呟くと、東京タワーを見上げるのだった。

 現れた先輩――つまり本官の顔を見て、困惑が表情に浮かんでいるのは明らかだった。
「――佐竹士長、お疲れ様です」
 困惑顔ながらも、教科書通りの綺麗な敬礼を送ってくる 川路・微風[かわじ・そよかぜ]一等陸士に、
「おう。お前も退院して早々に御苦労さん」
 凶相に笑みを浮かべると、周囲の警務科隊員達が必死に声を押し殺しながらも悲鳴を上げた。内心、傷付きながらも第126地区警務隊警邏部・第4班第7組の 佐竹・清志(さたけ・きよし)陸士長は「いつもの事だ」と苦笑する。
「――で、先任には悪いが、本官達にも改めさせてもらって構わんな?」
 先任――前の戦いから配備されていた警務科隊員や普通科隊員達が顔を見合わせる。直接の上司に確認を取ると、佐伯に任せる旨を伝えてきた。
「……お前も来るか?」
 ふと川路に声を掛けてみたが、
「いえ。本官の持ち場は特別展望台ですので」
 そう告げると、上階の特別展望台へと数人を連れていく。何故か釈然としないものを感じたものの、
「――後から邪魔する。そういえば繭についての調査許可は下りているのか?」
 だが川路は一度だけ振り返ると、
「必要ありませんから」
 唇の端に微笑が浮かんでいたように見えたのは、佐伯の気の所為だっただろうか?
「……気にくわねぇな」
 しかし先ずは全体の把握から始まり、詳細な確認をするべきだった。次の魔群の襲撃がいつ来るかは判らない。
 佐伯は部下を伴うと、フットタウンの建物から旧ライフラインに繋がる地下道、通気口、バックルーム、天井裏に到るまで調査に乗り出した。
「――敵の待伏せに注意しろ。瀕死で“跳んだ”なら安全圏まで逃げる余裕があったか判らないからな。意外に、近場に隠れて、体力回復を狙っているかも知れねぇ」
 フットタウンの廃棄された部屋の扉を蹴破って、ベネリM3ショットガンを突き付ける。安全を確保してから次の場所へと移る。其の繰り返しが続いた。
「……ふむ。フットタウン及び周囲には異状の痕跡は見当たらずか」
 流石に佐伯自身を含めても6人で全部を確認するのは時間が掛かり過ぎる。もっと目標を絞るべきだっただろうか。
「――東京タワーの防備を固めたところで、空間系という特殊な能力持ちなら問題なく“跳んで”こられるのかも知れんが……そんな希少なのを投入し、しかも1体死亡、もう1体も相討ちに近い形で撤退となると到底採算が合わない気がするんだが」
「……士長は、其れだけのものがある、と」
「本官だけでなく、誰だってそう思うだろ。なら、何とかしないと……っては思うんだが」
 小休止の食事を摂りながら、部下と意見を交換する。
「其れに1度目の大襲撃の際に、戦闘機や飛行系超常体を叩き落とした衝撃波は、展望台ではなくフットタウン最上階付近から起きていたっていうじゃないか」
 其の時の唯一の生存者が川路である。気絶していた為に何が起きたかは覚えていないらしい。だが地上で陣を布いていた者達の多くは賛美歌を耳にしている。
「其れだ。もう一方の主役、天軍(あまつみいくさ)が関与しているナニカがあるのに、情報が少ない。連中は何処で油を売っているんだ?」
「――やはり特別展望台の繭が怪しいと思われますが」
 部下の意見に、佐伯は腕組みして唸った。
「結局、アレは何なのかを突き詰めないといけねぇって事だな。魔群の目的がアレだとしたら尚更だ。其れに……」
 微笑が妙に気に掛かる。
「唯一の生存者ってヤツから、詳しい事情聴収もしないといけねぇよな」

*        *        *

 市ヶ谷駐屯地――神州結界維持部隊通信団・通信保全監査隊の一室。東京地下鉄網から脱出した生駒は、茨城の小松小隊に連絡を取った後、伝手を頼って関係者へと報告や質疑応答を行っていた。
「――結局、中共軍は動かねぇんだな」
「表向きは、知らぬ存ぜずだからな。ならば、此方にもやりようがある」
 小松小隊を隷下に置く、第32普通科連隊第106中隊長は生駒が持ち寄ってきた情報や茨城からの連絡を見て、苦み切った表情で答える。
「……とはいえ此方も大々的に動けんがな」
「何で?」
 生駒の当然の疑問に、第106中隊長は片眉を上げると報告をまとめて、分析した書類を手で叩いた。
「小松自身が上層部への報告を止めているからだ。中共軍茨城派遣部隊との取引だからな。上官とはいえ、俺の判断で、報告を上げられんよ」
 大きく溜息を吐いた。取引の為に上層部への報告が止められているのだから、動けるのは現状で関与している部署のみだ。
 其の関連している部署の1つに、第106中隊長に連れ立って、生駒は訪問する。
「――とはいえ、交戦記録があるからな。直ぐに知れ渡る事になるだろうが……」
「交戦記録――ああ、日比谷線での戦闘か」
 生駒が推測した通り、生駒達と別れた後に普通科1個班は六本木駅付近で中共軍と思しき敵と交戦。損害は出なかったものの、敵側にも地下鉄網を調査している事が警戒されてしまっている。未だ普通科部隊1個班が極秘で動いているとはいえ、地下鉄網の重要性を考えれば、情報管制を布いた上だとしても、近いうちに多数の部隊を投入しなければならなくなるだろう。
「そういえば、あのオッサン達って、第106中隊の同僚だったんだ?」
「……小松小隊は関東を自由に駆け回り過ぎだ。たまには大宮に帰ってきて、他の小隊との親睦も深めろ」
「そういうのは小松隊長に言ってくれよ……」
 まぁ小松小隊の利点は、機械化によって戦場を自由自在に闊歩出来る事にある。大宮駐屯地にこだわらせずに、小隊長の自由な采配に任せているのは、第106中隊長自身だから軽い冗談のつもりなのだろう。
 更に言うならば、埼玉の大宮から1個班を派遣したり、生駒の身元保証の為に自身が市ヶ谷に出向したり等、かなり第106中隊長が心配ってくれているのは間違いない。
 さて、と通信団の准陸尉が報告書のチェックを終えた。大体のところは小松と同じ分析結果らしい。
「――市ヶ谷や練馬、東京タワーよりも、敵の目標が東京城狙いなのは八割でしょうね。理由は判りませんが、小松准尉からは不可侵な領域だという注釈が付いています。茨城の中共軍将校の証言なので、何処まで信用していいか怪しいですけれども」
 詳しい事は此方に、と書類を追加する。
「――小松隊長からの分析は、未だアタシと、うちの中隊長しか持っていないはずなんだが?」
「此方は情報や通信の専門家だという事をお忘れなく」
 茨城との通信を傍受されたという事か。苛立ちを感じた生駒へ、第106中隊長は抑制を促す。
「まあ、いいさ。ぶっちゃけ、そうと筒抜けならば話は早い。質問を幾つか、いいか?」
 通信科准尉の返答を待たずに、生駒は続ける。
「1つ目。皇居――東京城の管理防衛に関してはどうなっているんだよ?」
「第1師団第1普通科連隊・第101中隊が常時警備しています。とはいえ皇居、新宮殿、宮内庁舎は封鎖され、侵入は禁じられていますが。内部は空ですよ」
 やんごとなき御方達の血族は御一人を除いて、結界外に避難されている。残る御一方も関東ではなく、紀伊の方にいらっしゃるとか。
「1個中隊が常時警護しているとはいえ、奇襲をかけられたら?」
「正直、微妙でしたね。第101中隊に連絡したからには奇襲は回避出来ましたが、事前情報が無ければ、最悪、陥落もあり得たでしょう……相手が超常体というならば」
「現在の東京タワーの防衛力が普通科2個中隊です。魔群の攻撃と同じ規模だった場合……」
「確かに危なかったな。奇襲ならば尚更」
 問題は、地下に潜り込んでいる敵戦力の規模だが、此ればかりは現在、潜入調査している火々原からの連絡待ちとしか言いようがない。
「兎に角だ。――地下鉄内に大量に超常体が発生した場合の対応シナリオが結界維持部隊にあるか確認しておきたいんだが」
「第1普通科連隊の多くは東京タワーに割かれていますしね。いざという時、第32普通科連隊からの部隊出向を上申します」
 生駒の問いに、第106中隊長の言葉が続く。だが通信科准尉は困ったような顔をすると、
「地下鉄封鎖は元々、超常体の巣窟にならないようにという考えで行われたものは御存知の通りです。とはいえ生駒二士の御指摘通り、穴がないと言い切れないのが実情。当然ながら対応シナリオは用意されています――が」
「……が?」
「かつて首都防衛師団ともいわれた第1師団の内、第1普通科連隊の半数は東京タワーに大きく割かれています。早々に魔群との攻防戦が決着しなければ、正直、対応シナリオを完遂するのは難しいかも知れません」

「……連隊長に上申は決まったな。となると上層部にある程度報告をしなければならんが……小松が何と言うかなぁ」
 第106中隊長が溜息を吐く。……とはいえ超常体やオカルト説は公式的には否定されている。中共軍に超常体との繋がりの物的証拠を突き付けたとしても“無かった事にされる”のが確実だ。従って中共軍の協力も取引も期待しない方が良いだろう。
「逆に言えば、此方が何やっても批難はされないって事だけどな」
 生駒が改めて指摘すると、通信科准尉は首肯した。さて生駒達がようやく解放される時に、
「――ああ、そういえば。子谷陸将補の動きも気になされていたそうですが」
「……何か尻尾でも掴んだのか?」
「尻尾というかは微妙ですが……数日前から所在不明となりました。外事関係は箝口令を布いているつもりですが、あと数日もしないうちに子谷陸将補の不在は市ヶ谷だけでなく東部方面隊全域に広まるでしょうね」
 生駒は、第106中隊長と顔を見合わせるのだった。

*        *        *

 ――霞ヶ関駅に居残り、潜入調査を続けてから、数日は経過した。“秘密結社”の糧食で飢えをしのぎ、入手した物資で視界を確保。また数日の環境が簡単な中共語の聞き取りや読解を可能にせしめた。
(……会話は相手が居ませんから自信がありませんけれどもね)
 誰に説明するでもなく火々原は呟く。自分の体臭や無精髭にも慣れた。慎重に調査を続けた結果、敵戦力の規模は把握したつもりだ。
“秘密結社”の規模は1個大隊に相当する。内、純然たる戦闘要員は3個中隊程だが、人間と確認出来るのは1個中隊もいないだろう。残る戦闘力が、ヒト型の超常体であった。
(しかしコボルトやインプとも異なりますね……)
 もちろんエンジェルズとも違う。中共軍野戦服を着て、95式自動歩槍(※95式自動小銃)を構える姿は、遠目から人に見えなくもない。知性も人並みにあるようで、中共軍将校の指示命令に従って動く。報告に上がっている魔群の襲撃におけるインプやコボルトとの違いは、その知性が見られるかどうかだ。東京タワーの襲撃におけるインプやコボルトは狂騒的な有様と聞く。ならば指示命令に従って統率的に動き、かつ自ら考えて状況を判断する超常体が軍勢を構成する事の恐ろしさは想像に難くない。
 運動能力的には人並みで魔人には遥かに及ばない。だが軍勢を構成するのに重要なのは質ではなく量だ。“秘密結社”は靖国の件で失った兵員を埋めるには余りある戦力を地下に潜ませてきていたのだ。銃火器や爆薬は、中共軍の正規ルートから横流しして。
(――糧食、弾薬共に、孤立しても2ヶ月は戦闘が継続可能な量が蓄えられています)
 其れだけの戦力が突如として東京城だけでなく市ヶ谷にまでも戦闘を掛けてきたら……
 咥内が乾くのを感じて、無理やり唾を飲み込んだ。万一に備えて弾薬庫に仕掛けを施す。流石に糧食――缶詰に穴を開けて毒を流し込む事は無理だったが。
(飲料水に毒というのもなぁ……)
 ともあれ戦力や内部構造の把握に努めた火々原は地上に出るべく準備を進める。天井裏を慎重に匍匐前進。生駒が脱出する前後に敵の警戒段階が明らかに上がった。少しの物音を聴き付けただけでも、調べに来る始末だ。まさに隔離前に流行したというステルス・アクション・ゲームの主人公の気分。
(……ん?)
 脱出の途中で、声を聴き付けて火々原は首を傾げる。聞き慣れた――だが“秘密結社”では耳にしない言語だったからだ。……日本人がいるのですか?
 天井裏板に耳を付ける。神経質そうな壮年男性の声だった。誰を相手にという事もなく、独り言を声高に叫んでいる。
「――いつまで待たせるんだ! 黒扇公主と会わせてくれる約束だったはずだ。――いや、合わせずともいい。私を、此の忌々しい土地から逃がしてくれる手配はどうなっている?! それこそが大事だ!」
 声の主を脳裏で照合。――子谷陸将補と一致。
(逃げるつもりだったのか、此の戦場から……)
 聞けば拍子抜けする程のちっぽけな願い。だが人によっては隔離された神州から脱け出すのが夢とするものもいるだろう。笑いはしない。
(……しかし彼の処遇をどうしましょうかね)
 子谷陸将補は紛れもなく証人となるだろう。だが“秘密結社”としては、子谷陸将補にどれだけの価値があるのか? 此処まで準備を整え、残るは決行のみとなれば、最早、子谷陸将補は用済みである。となれば、
(――罠でしょうか)
 潜入者を誘き寄せる為の餌。子谷陸将補と接触を図ろうとした瞬間に、隣に潜んでいる超常体が押し寄せてくるだろう。操氣系魔人でなくとも、火々原ともなれば気配で判る。
 ――ならば捨て置くに限る。子谷陸将補の身柄を確保するよりも入手した情報を持ち帰る方が先決だ。時間は無い。
(……東京城襲撃の決行は5月20日。もう半月もありません)
 既に生駒を経て、対抗策が練られているだろう。だが詳細な敵戦力や作戦内容があれば、其れに越した事はない。
 ――有楽町線より市ヶ谷駐屯地へと1個中隊規模の超常体が奇襲。だが其れは陽動で、本命は千代田線の霞ヶ関駅と大手町駅からの、2個中隊規模による東京城へ奇襲。Xデーは5月20日。其の間、霞ヶ関駅は御簾の主――黒扇公主と呼ばれているらしい?の護衛のみ。とはいえ……
(――魔王級の実力はあると思っていいでしょうね)
 弾薬庫への仕込みが見付からない事を祈りつつ、火々原は脱出を急ぐのだった。

*        *        *

 中共軍茨城派遣部隊は1個営(※大隊に相当)の規模がある。四凶との戦いで幾らか損耗しているとはいえ、全戦力が集まったとしても過言ではあるまい。
 小松からの情報を受けた、項少尉は部隊を率いる少校(※少佐に相当)に上申し、ほぼ全ての火力を動員させた。項少尉自身も宝貝――憑魔武装の火尖槍を構えている。展開する92式装輪装甲車に混ざって、小松小隊の96式装輪装甲車クーガー2輌も搭載している12.7mm重機関銃M2キャリバー50を構えた。
「……コントンの速度から言って、未だ迎撃ラインの構築で問題ないと思っていましたが」
 82式指揮通信車コマンダーにて小松が腕を組んで唸る。小松が渡した“秘密結社”の情報から、項少尉は コントン[――]との短期決戦を選んだ。名前からして五大系を操りそうなコントンに対して、小松は慎重論を述べたが、
『――後回しにしては付け入る隙を与えるだけです』
 と、項少尉は強硬論を主張。そして要請に従い、小松小隊のクーガーが駆り出されている。
「ブラックアイは隊長の言い付け通り、周辺の――というか大甕倭文神社の警戒に回しています」
「結構です。特別戦区内の超常体の警戒を引き続き怠らないように。本当に四散したのか、隠し球がまだいるのかを把握しておかないと足下を掬われるかも知れませんからね」
 部下の報告に頷いて見せた。
「万一、本丸を襲われたとしても千香ちゃんが居残っているから大丈夫でしょう」
「しかし中共の連中、総力を出してきましたね。今ならば神社にある封印も狙えるんじゃ?」
 特別戦区とは名ばかりで、駐日軍の本当の目的は日本古来の超常体――天神地祇の封印を護っているというのは維持部隊でも噂されている。千香の言葉からも宿魂石にナニカが封じられているのは間違いないだろう。しかし……
「中共軍最強の戦士――車六級士官の姿が此方には見受けられません。流石に項少尉も封印の護りを疎かにしないという事でしょう」
 小松が注意すると部下達は押し黙る。其の間にも中共軍兵士は大みか駅前、周辺に配置を終えた。
『――此方の準備は整いました。シィアソン(※小松)准尉、宜しいですか?』
 項少尉からの連絡。肯定の返事をすると、秒読みが始まった。そして一斉にコントンへと全火力が叩き込まれる。コントンは爆炎の中に沈んだものの、
「――次弾装填! 未だ生きています!」
 異形系であろうコントンは、炭化し壊死した細胞を殻代わりにして、炎症の進行を防ぐ。そして焦げた帯表面を割って、ぬめる触手が無数に蠢いた。
 今までの動きが嘘のような速さで瞬時に伸びると、攻撃してきた中共軍兵士へと死の手が振り下ろされた。重い棍棒を叩き付けられたように逃げ遅れた兵士達が潰されていく。
 少校が悲鳴を上げるが、項少尉は叱咤にも似た声を張り上げて、続く攻撃をコントンに浴びせていった。小松小隊も当然ながら加わる。……飽和した火力が注ぎ込まれる事、十数分。全火力が尽きかけた時に、ようやくコントンの動きが止まった。だが歓喜の声が上がる前に、項少尉が一気に詰め寄る。そして火尖槍でコントンの中央を抉った。穂先が貫き出したモノは『黒い』という此の世のものではない光を放って輝いている。赤い筋の入った、殆ど黒に近い多面体。一つ一つの面が不規則な形をとっていた。
「……何ですか、アレは?」
『――輝くトラペゾヘドロン』
 小松達の疑問に答えた訳でもないだろうが、項少尉の口から憎しみが込められた呟きが発せられる。そして火尖槍が炎を噴出し、多面体を焼き潰した。声にならない絶叫が響き渡り、侵蝕とまでは行かないが、小松の憑魔もまた激しい痛みを訴え掛けてくる。
「……此れで終わったのでしょうか?」
 痛みを噛み殺しながら、小松は口にした。だが、
「――隊長! ブラックアイより入電。大甕倭文神社に魔王級の超常体と、低位超常体の群れが襲撃を掛けてきているそうです!」

 時間は前後する。
 対コントン戦に総戦力の9割以上が注がれ、大甕倭文神社には中共軍の支援部隊と、小松小隊の1部のみが残っているのみだった。支援部隊と雖も、95式自動歩槍を肩に担いで歩哨に立つ者がおり、警戒を怠っている訳でもない。
 尤も協力関係にあって、1ヶ月近くもなれば、元々、地方出身が多くて反日教育が薄い者が多い茨城派遣部隊員とは仲良くなっている。言葉の壁があるが、千香と同じように教え合って、最低限度の意思疎通は出来るようになっていた。
「――そろそろコントンへの総攻撃が開始される頃でしょうかね?」
 87式偵察警戒車ブラックアイに搭乗し、周回してきた小松小隊の先輩が独りごちる。千香は空気の中に緊張を感じ取ったが、
「……違う。海岸の方じゃない」
 緊張はやがてざわめきとなり、悪寒を走らせる。千香の言葉に、先輩達は顔を引き締めると、中共軍兵士へと警告を発した。
「――奉朝さん? 宿魂石の方に向かっている」
 立入は固く禁じられているが、虫の知らせか千香は思わず後を追い駆けてしまう。奉朝も承知の上なのか、立ち止まると、
『――今回、特別。悪いが、手伝う。頼む』
 片目を瞑って、苦笑する。千香は目を丸くしたものの、直ぐに顔を引き締めて首肯した。
『――3分、待っていて』
 氷水系の憑魔武装であるナックルダスターは対トウテツ戦で無理させた事もあって療養中だ。物に寄生しているとはいえ憑魔は生き物だ。無理をさせれば過労死する。幻風系憑魔が寄生するナックルダスターを左手に嵌め、そしてフード付きコートを羽織る。そして携帯ミサイルを背負った。
『お待たせ!』
『……嬢ちゃん。本当、どうやって持っている?』
 重武装に呆れた口調。だが奉朝は微笑を浮かべていた。千香の武装に気付いた小松小隊の2名も追い駆けてくるが、奉朝は邪険にしないどころか、危険であり手伝いが必要な事を告げて、宿魂石へと案内した。
「……また音が聞こえる」
 規則正しい、だが温かい音が、巨石の裡から響く。操氣系でもないのに感じ取れるようなナニカ。裡に秘めるナニカは、恐ろしいものと、其れを宥めるような2つの力ある意思だ。
 だが聞き惚れる時間は与えられない。周囲のざわめきが頂点に達し、何処に隠れていたと言うのか、超常体の群れが襲ってきたのだ。
 小松小隊の先輩達が96式5.56mm小銃BUDDYで乱射する。フケイやチンが撃ち落とされていくが、サンキやフウリ、ショウジョウ、カソといった四凶に集っていた超常体もいる。先月までの戦いで、数を大きく減らしているとはいえ、今度は種類が豊富だ。
『――厄介』
 千香が聞き取れた言葉は其れぐらいだが、奉朝は大きく悪態を吐くと、伸縮自在の棍を振り回した。一瞬で周囲にいた超常体が潰れ、肉塊を撒き散らす。重装備を背負っていなかったら、風圧で千香の身体は吹き飛ばされてしまう程だ。
 其の千香も110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウストやMk2破片手榴弾で吹き飛ばしていった。
「――問題は数に限りがあるの」
 替わって幻風系のナックルダスターで殴り飛ばしていくが、相生相剋の理がある。効果覿面な相手もいれば、不利な敵もいる。しかし其の分は奉朝や先輩達が撃破してくれているので、千香は割り切ると体術を活かして超常体の攻撃を遮ったり、目を引き付けたりと、兎に角、動き回った。
 ……十数分後、攻撃の波が弱まった。全身、自らが流した汗と、敵の返り血や泥に塗れている。
「――もう予備弾倉もありませんよ」
 残る弾倉を押し込みながら、先輩は小声で呟く。宿魂石の周りだけでなく、他の場所でも激しい戦闘が行われている様子だった。――どちらが勝ったのだろう? 飴玉をくれたオジチャン達は大丈夫だろうか?
 怖い想像を身震いで払うと、千香は疲れた身体を騙して、ナックルダスターを嵌めた左拳を構えて、超常体を睨み付けた。
 千香達の気迫に押されて、超常体達が尻込みする。が、巨大な気配が近付くと目の色が変わった。
「――逃げてくれると助かったんだけど」
「……何か、来るぞ!」
 先輩達の言葉に、千香は敵を凝視する。朱色の髪を持つ人面蛇身。大きさはクーガーぐらいあるだろうか。奉朝は大きく舌打ちすると、早口で罵った。
『――性懲りもない。天帝、力、欲する。お前、無理。今度も、くたばる、キョウコウ!』
 何とか聞き取れた。あの人面蛇身は 共工[キョウコウ]というらしい。共工も、奉朝に何か言葉を放ったが、此方は聞き取れなかった。奉朝の顔が、益々赤くなったからには罵声の応酬に違いないだろう。
『――奇襲、失敗。諦め……死ね!』
 咆哮を上げると、奉朝が飛び掛かる。だが共工は見掛けによらず、奉朝を上回る速度で避けると、空間を爆発させた。そして再び千香が目を見開いた時には共工の姿が掻き消えていた。重圧から解放された超常体も逃げていく。
 奉朝も疲れた表情を浮かべると、宿魂石の前に座り込んだ。そして千香達に頭を下げると、
『――助かった。だが特別。悪いが戻れ』
 すまなさそうな顔をする。千香と先輩達は顔を見合わせると、仕方なく境内の方へと戻る事にした。超常体が襲い掛かってきたのは宿魂石の方だけではない。そういった心配もある。
 幸いな事に、超常体の襲撃の被害は軽く、また急いで対コントン戦から戻ってきた戦闘部隊によって逃げ遅れた超常体も、すぐに掃討されたのだった。

 すぐに項少尉は改めて礼を述べに顔を出すと、小松と相談を持ち掛けてきた。
『――四凶は、共工が姿を顕すまでの時間稼ぎだったのでしょう。此方の戦力を減らす目的もあったはずです。……尤も、全ての黒幕はコントンに化けていた“這い寄る混沌”でしょうが』
『狙いは宿魂石と聞いていますが? 共工が狙う理由が今1つ解りません』
 小松の問いに、暫く項少尉は黙考。秒針が一回りぐらいをしてから、ようやく重い口を開いた。
『――此処に、真に封じられているモノは天帝の力を有しています。私が口に出来るのは其れだけです』

*        *        *

 3度目とも慣れてきたもので、敵の発見から迎撃態勢へと流れるように動く。其れでも微かに緩んでいるものを感じて山池は顔を曇らせた。此の緩みが危機的状況を招かなければ良いのだが。
「――敵空戦力が少ないですね」
 対空戦闘指揮統制装置に映りこんだ敵影に、山池は熟考する。ガーゴイルやインプの数は其れなりにいるものの、ドラゴンやワイバーンといった航空戦力の要となる超常体が少ない。
「銀色のドラゴンを討ち果たした結果でしょうか?」
 部下の言葉に、山池は首肯する。
「エリコンの火力を以て航空戦力を更に減らします。しかし地上戦力の勢いは変わっていない事に注意して下さい」
 12門の35mm2連装高射機関砲L-90が火を放つ。ワイバーンやドラゴンの幾つかが地に墜ちていく。そして航空優勢を確保したと誰もが判断。攻撃回転翼航空機AH-1SコブラやF-15Jイーグルの編隊が爆撃、対地ミサイル発射。敵地上戦力を大いに減らしていった。
 爆撃の雨を耐え抜いてきたビーストデモンやファイヤードレイクも、キャリバー50や96式40mm自動擲弾銃が唸りを上げると、地に伏していく。
「……最早、戦闘の体も成していませんね」
 其れでもイポスやオロバスが普通科部隊に被害をもたらしていくのだが、多勢に無勢。魔人の隊員が果敢に攻め込み、ついに2柱とも討ち倒された。勝利の歓声が沸き起こる。
『――何とも呆気ない結末だ』
 馴染みの普通科小隊長の通信。だが感慨もない声は山池に注意を呼び掛けてきた。
『前も、其の前も、東京タワーに変事が起きた。2度ある事は……って、ヤツだ。油断するなよ』
 山池は返答を送ると、部下達に急いでL-90に給弾と配置転換を急がせる。
 果たして――
「……大当たりです!」
 周囲が勝利に沸き立っている中、東京タワーが不気味に鳴動を開始した。虹色の光が発せられ、妙なる調べが聞こえてくる。

『 ―― Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus, Deus Sabaoth. Pleni sunt caeli et terra gloria tua. 』

 空間爆発が特別展望台の周囲で起こり、エンジェルズやアルカンジェルズが姿を顕した。そして驚きの余り、硬直した守備部隊へと光の矢を――
「射てっ!」
 山池の号令でL-90が火を噴くと、エンジェルズの幾体を撃墜する。アルカンジェルが氣の障壁を張り、怒号を上げた。我に帰った他の部隊も銃口を東京タワーに顕れた天使へと構え直す。
「――山池隊長。プリンシパリティの姿も確認されました。また更に上級の超常体らしき気配も……」
 他の部隊にいる操氣系の隊員が言うには、パワーやヴァーチャーと呼ばれる天使も東京タワー特別展望台に出現した恐れがあるという。其れどころか……
『中から逃げ出してきたヤツからの報告だ! 最高位最上級の超常体が東京タワーを占拠しやがった!』
 馴染みの普通科小隊長が悲鳴交じりに声を荒げた。
「……何が起こっているんです?」
 天使との睨み合いながらも、山池は呟かざるを得なかった。

 そして、此処でもまた時間は前後する。
 ――東京タワーの特別展望台は地上約223mに位置しており、当初設置されていた作業台がそのまま残されたものらしい。エレベータは当然ながら動いておらず、佐竹と部下達は非常用の階段を汗だくになりながら昇り降りしなくてはならなかった。
「フットタウンと大展望台を行き来するときも辛かったが、此方の階段は別の意味でも汗が出るな」
 幻風系や操氣系でもなければ、空を飛ぶ事は不可能。墜落したら異形系でない限り、即死は免れない。佐竹達は魔人ではないのだから、冷や汗を掻くのは無理もなかった。尤も佐竹は表情には出さなかったが。
 さておき、そんな佐竹も特別展望台の様相に目を見張った。中央に繭とも蛹とも見える、不気味な球状のナニカ。其れは事前に報告にあった通りで、現物を見ても不思議に思えども、驚きはしない。問題は、球状の何かの前で儀式然とした仕掛けを施している川路と、同僚のはずだった警衛科隊員達。士長や一曹といった階級が上の者も、川路の指示に従って行動している。
 そして――
「川路……お前、何を考えていやがんだ!?」
 ――普通科隊員の数人の死体を認めた。怒声を上げるや否や、佐竹はベネリM3を撃ち放つ。粉体金属を押し固めたフランジブル弾は人体を貫入するが、固い物質に当ると粉々に砕けるので狭所における制圧には向いている。だが逆に言うと、障害があれば相手に届かないという事だ。
 氣の障壁が川路を護り、佐竹に続いてBUDDYを構える第4班第7組員達を、質量を伴った光が押し倒す。
「何を考えていると尋ねましたね、佐竹士長」
 障壁に護られた川路が振り返る。整った顔立ちが、やけに冷たく思えた。
「――八木原一尉の身柄を拘束し、そして“主”に此の魔女の罪を断じて頂くのですよ。魔女が掠め取っていた此の地の恵みは正しき“主”の御為に使われるのです」
「――お前、チキンだったのか!」
 天使(ヘブライ神群)に対する罵声を浴びせると、川路は困った顔をする。其の背から光によって三対の翼が形作られていった。
「私は“神の厳しさ(クシエル)”――処罰の七天使の1翼を担うモノです」
 気が付けば彼女に付き従っていた警衛科隊員もまた天使に変じる。鎧に似た外骨格に身を包んだパワーが2羽に、ヴァーチャーが1羽、そして4翼を持つドミニオンが1羽だ。加えて特別展望台の外では空間爆発が生じてエンジェルズやアルカンジェルズ、プリンシパリティが出現する。
「……そうか。4月上旬の襲撃の時、フットタウンでの衝撃や、お前1人が生き残ったというのは――」
「流石に未だ正体を明かせなかったので、危うく死に掛けましたが。とはいえ結果として、先の戦いで八木原一尉とガァプの相打ちに持っていく事が出来ました。何が幸いするか判りませんね」
 川路は不気味なほどに整った微笑を浮かべる。
「一手程、遅かったのですよ、人間は。佐竹士長、もしも貴方に疑われていれば、今回の八木原一尉の拘束は困難を極めていたでしょう」
「……1つ質問がある。八木原一尉を拘束したと言ったな? 彼女は何処にいる?」
 佐竹の問いに、川路は再び球状のナニカに視線を送ると、
「――此のおぞましき物体が、八木原一尉と呼ばれる魔女の正体です」
 八木原斎呼は魔人第2世代(デビル・チルドレン)の中でも特殊な生まれだった。比類なき強大な操氣系能力を有しながら、其の姿は人の形を成してなかったのである。そんな斎呼に“落日”と呼ばれる維持部隊の機関は居場所と任務を与えた。東京城に集積される力の制御だ。また操氣能力によって、東京内ならば何処にでも姿(※イメージ的には生霊に近いが魂の存在が確立していない此の世界では別物)を送る事が出来るようになった斎呼は、維持部隊長官である 長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]の秘書に抜擢されたのである。
「……ですが、今や魔女の身柄は私が確保しました。そして“主”の栄光に満ちた楽園の礎――“柱”を立てるのが、私の役割」
 以上、説明を終わります。告げると佐竹に振り向いた。“主”の教えに帰依し、天使に従うというのならば命はとらないばかりか、洗礼を施すという。
「――はっ! 即答は避けるが、今は御免だなっ!」
 佐竹はベネリM3を発射。部下達も跳弾を恐れずに乱射する。銃弾はドミニオンの張った障壁にふさがれたものの、脱兎のごとく、転げ落ちるように佐竹達は特別展望台から逃げ出したのであった。

 

■選択肢
EA−01)茨城・大甕倭文神社を探索
EA−02)茨城・日立で共工との攻防
EA−03)東京タワーを天使より奪還
EA−04)東京タワーにて魔王と決着
EA−05)市ヶ谷駐屯地で権謀術策を
EA−06)旧地下鉄路線にて見敵必殺
EA−07)地下鉄・霞ヶ関駅にて隠密
EA−FA)関東地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお東京タワーや大甕倭文神社境内、霞ヶ関駅では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、さらに死亡率も高いので注意されたし。
 また中共軍兵士の多くは日本語や英米語を解せ無い。下士官で片言程度に、士官は問題なく意思疎通が可能。


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