同人PBM『隔離戦区・呪輪神華』第4回〜 関東:東亜細亜


EA4『 The fragment in the polestar 』

 東京タワーに出現したヘブライ神群――天使共は、特別展望台を中心にして、光輪を描くように防御陣を布いていた。時折、エンジェルズやアルカンジェルの数体が輪を外れて、包囲する神州結界維持部隊東部方面隊・第1師団第1普通科連隊の二個中隊へと挑んでくるものの、其の都度、対空砲火によって撃墜されている。とはいえ光輪――否、三次元に展開されたソレは球状に近い――は強固であり、小競り合い程度の火力では貫く事も、削るのも困難を思わせた。
「――どう考えても火力の集中運用が必要ですね」
 第1高射特科大隊・試作運用小隊長の 山池・真一郎(やまいけ・しんいちろう)准陸尉は、東京タワー特別展望台を見上げながら眉間に皺を刻んだ。ヘブライ堕天使群(魔群)の襲撃を追い払ったと思ったら、今度は天使の群れだ。しかも魔群の時と違って、既に守るべき場所を護るのでなく、奪還する事が作戦目的である。
「航空科や普通科の狙撃員と協力して、航空優勢を改めて確保。天使側の動きを制約出来れば御の字でしょうが……」
「防衛というか、支援だけでは事態の解決に寄与しないってか?」
 馴染みの声に山池は振り返る。いつもの普通科小隊長だけでなく、凶相の壮年が付き従っていた。
「第126地区警務隊の佐伯です」
 警邏部第4班第7組の 佐竹・清志(さたけ・きよし)陸士長が敬礼を送ると、山池もまた答礼を返す。
「当時の状況をよく知る人物と、作戦会議の報告で聞いています」
 山池達に勧められて着席すると、佐伯は天使が現れた時の状況を、再び説明する。山池の部下が淹れてきた珈琲が鼻孔と、咽喉を潤した。
 ――天使を招き入れたのは、元警務科の一等陸士である 川路・微風[かわじ・そよかぜ]。彼女の正体は、ヘブライ神群の最高位最上級クラスの『処罰の七天使』が1羽“ 神の厳しさクシエル [――])”だったという。
「目的は……東京城に眠る莫大なエナジーを制御する東京タワーに座する、八木原一尉の身柄を確保する事でした」
 様々な筋から集められた情報によると魔群も天使共も東京タワー自体を狙っていたのではない。本当の目的は東京タワーに身を置いていた、八木原・斎呼[やぎはら・さいこ]一等陸尉の確保だった。
 斎呼は尋常ならざる強大な力を有するのと引き換えに、ヒトの身とは異なる肉の塊として生を受けた。
「……しかし見掛けがどうかは別として、結界維持部隊の仲間に変わらない。見捨てられねぇ」
 思わず「ですます」調を忘れて呟く佐伯だったが、山池達は何も言わなかった。むしろ佐伯の人となりを感じ取り、軽く頷いて見せる。佐伯は山池達の視線を気付かないように話を続けた。
「――長さんにも尋ねてみたのだが、だいたいにおいて裏付けは取れた。東京城に集約されている力を鎮める巫女としての役割があるから、おいそれと殺される事にならないだろうが……」
 長さんとは、維持部隊長官の 長船・慎一郎[おさふね・しんいちろう]の事。市ヶ谷駐屯地で神州各地からの戦況報告と、其の処理で忙しく身動き取れないようだったが、佐伯の質問には快く答えてくれた。但し長船自身も知っている事と知らない事、ましてや教えられる事と教えられない事があるらしい。だが少なくとも嘘は吐かないと約束してくれている。尤も佐伯の質問には全て答えてくれたものの、大体が情報の裏付けで終わっただけだった。
 さて説明によると斎呼が殺されないのには理由がある。斎呼は東京城に集約される力を鎮める巫女の役割があり、彼女を殺める事は即ち東京城に眠る力が暴走する危険性を示している。
「――最悪、世界が吹っ飛んで無くなっちまうそうだ」
「……信じ難い事ですが、嘘だと否定も出来ないのは解ります」
 佐伯の説明に、山池が大きく溜息を吐く。
「しかし概ねは作戦会議で聞いた通りですが……わざわざ私の隊に足を運んできたのは、彼の暇潰しではないでしょう?」
 山池の言葉に、普通科小隊長が「暇潰しとは何だ」と抗議の声を上げるが無視。佐伯は山池へと改めて向き直ると、
「作戦会議でも提案したが、特別展望室の壁を吹き飛ばす……なんて事は、やはり無理なのか?」
「不可能とは断言しませんが、困難を極めます」
 山池は天使の群れを苦々しく見上げた。
「アルカンジェルによる十重二十重の氣の障壁に、実質上、エンジェルズが肉の盾として機能しています。其れ等を貫通した上で、外壁を吹き飛ばす程の火力の調整は難しいと答えるしかありません」
「そうか……兵糧攻めが出来ればと思ったのだが」
「現在包囲している戦力の火線を集中運用し、天使の群れを削っていく事になるでしょう。が、実質は、佐伯さん達――東京タワー直下からの奪還部隊の突入が作戦の鍵を握る事になります」
 しかも特別展望室への入口は非常用の階段のみ。足場も悪く、攻めるのは難しい。
『――他にも突入方法はありますけれどもね』
 山池の憑魔が突如として悲鳴を上げた。東京タワー周辺に配置して以来、随分と超常体から発せられる波動には慣れたと思っていたのだが、油断した。普通科小隊長も脂汗を流しながら地面に片膝を付いている。だが憑魔に寄生されていない佐伯は異変を感じ取るとすぐに愛用のベネリM3ショットガンを抜き構えた。
「……おっと。失礼致しました。心より謝罪しますので、どうか其の物騒なものをお下げして頂けませんでしょうか?」
 銃口の向こう、空間を“跳んで”燕尾服を着こなした青年が頭を下げる。
「……魔王クラスか」
「ガァプと申します。二つ名は『家令公子』と称されております」
 慇懃な口調で、七十二柱の魔界王侯貴族の1柱として名を連ねる家令公子 ガァプ[――]が再び頭を下げた。佐伯だけでなく、山池の部下や異常を聞き付けた普通科隊員達もまた89式5.56mm小銃BUDDYを突き付ける。
「――八木原一尉に重傷を負わせた燕尾服とは、お前の事だな」
「如何にも。但し勘違いしないで下さい。アレは不幸な事故。小生も本当は斎呼嬢を傷付けるつもりはありませんでした」
「……信じられませんけれどもね。目的は八木原一尉の身柄を捕らえる事でしょうし」
 山池が睨み付けるも、ガァプは唇の端を形良く歪めるばかり。
「――当然。小生の目的は猊下の望みたる伏魔殿を建立する礎を築き上げる事。御使いを気取る連中が柱を立てて、天獄の扉を開かんとするのと、残念ながら同様です」
 慇懃に、かつ大仰に振る舞うガァプ。そして不敵に笑うと、頭をまた下げる。
「御提案があります。共闘しませんか? 小生の力を以てすれば、階段を上らざるとも、空間を“跳んで”特別展望室に奇襲を掛けられます」
「ならば何故お前がやらない?」
「無論、向こう側も障壁というか結界のようなものが用意しており、邪魔していますので。突破するにも骨が折れます。そして特別展望室に出ても、体勢を立て直す余裕を与えてくれないでしょう」
 山池は目を細めた。つまりガァプは“空間跳躍”後の身を護るだけの戦力を有していないという事なのか? それとも何か他に企みがあるのか?
「――共闘するとして、其の期限は?」
「クシエルを撃破するまで」
 クシエルを倒した次の瞬間に、ガァプは維持部隊の敵に戻るという、実に明確な共闘関係。
「――直ぐに回答して頂けるとは小生も期待しておりません。顔合わせと御提案が出来ただけで小生は満足です。共闘の約束は、今回、皆様が独力で試されてからでも遅くはないでしょうし」
「……其れは失敗すると暗に言っているって事だな? 舐めんな、魔王野郎!」
 佐伯はベネリM3の引き鉄を絞る。しかし撃ち放った直前に、ガァプは空間を“跳んで”逃げていた。佐伯の大きく舌打ちする音が響くのだった。

*        *        *

 鋼の棍で地面を軽く小突く。軽く触れただけなのに地面が震えたように、佐伯・千香(さえき・ちか)二等陸士には感じられた。棍の主は猿に似た愛嬌のある容貌ながらも、視線は鋭く睥睨する。
『……嬢ちゃん。俺は前回で確かに言ったな。――特別だ、と。其の上でオレッチは手伝いを求めた。ん、間違いない』
 駐日中華人民共和国人民解放軍(※駐日中共軍)でも最強と謳われる戦士、車・奉朝[チェ・フェンチャオ]六級士官は歯を剥き出して威嚇するように告げてくる。
『つまり特別なのは前回だけだ。もしも岩に近付くつもりならばオレッチに打ち倒される覚悟があるって事だな?』
『千香はそういうつもりじゃないの。ただ編み物をしたいだけで……』
『編み物がしたいんならば、自分達の天幕や装甲車の内でやれ。充分だろ?』
 闘氣が質量を持ち、衝撃となって放たれた。吹き飛ばされた千香の身は1mほど宙に浮いてから地面に叩き付けられる。加減はしてもらったのだろう。そうでなければ木々や岩にぶつかって千香の身は潰れていた。
『“美猴王”、相手は女子だ。そう脅かさんでも』
 いつも菓子をくれる年配の中共軍兵士が気を遣ってくれるが、奉朝は鼻を鳴らすと、
『見掛けに騙されるなよ。此の嬢ちゃんは、いっぱしの戦人だ。受容体の器を持つ……な。俺達の役割は、此処の封印は護る事。敵と看做したら排除するだけだ』
 歯を剥き出して奉朝は笑う。
『――で、でも共公が来たら』
『もう二度と直接“跳んで”来れねぇよ。ナタが手配している』
(……ナタ? 誰だろう? 項少尉の事?)
 疑問はさておき。四凶の対策に分散していた兵力は、大甕倭文神社――ひいては宿魂石の護りへと再び集中運用される事になった。四凶との戦いで兵力の損耗は少なからずあったものの、奉朝をはじめとする魔人兵や宝貝(パオペイ)と呼称される憑魔武装は健在である。そして何らかの手配を打ったと言うのであれば、間違いないのだろう。千香は何となくだが肌で感じていた。
『共工や超常体の群れは此処まで来られねぇよ。神社手前でナタが率いる部隊に撃退されるだけだ。用心の為にオレッチ独りは待機だが』
 片目を瞑って、千香を見遣る。そしてまたも挑発的な笑みを浮かべた。
『オレッチに打ち倒される覚悟がある莫迦が来る――そんな用心の為に。……嬢ちゃんはそんな莫迦なのか?』
 哄笑を上げる奉朝を背に、千香は逃げ出した。何故か悔しくて涙が出てくる。
『――“美猴王”、脅かし過ぎだ』
 呆れた口調に、奉朝は鼻を鳴らして返す。
『……何、あんな周りの顔色を伺うばかりの小賢しい嬢ちゃんにはアレぐらいしないとな。残念ながら、あの嬢ちゃんは莫迦じゃねぇ。そして莫迦じゃない限り、オレッチと戦う覚悟も勇気もねぇよ。……つまんねぇな、本当に』
 吐き棄てた。

 第106中隊第4小隊――通称『小松小隊』の有する96式装輪装甲車クーガーに戻ってきた千香は泣きべそを掻きながら編み棒を動かしていた。宿魂石に封じられている神を想い編んでいるうちに、奉朝から脅された事も忘れ、自然と歌を口ずさむ。
 宿魂石より感じ取れた2つの意思。1つは 天津甕星香香背男[あまつみかほしかかせお]だとして、もう1柱は 天羽槌雄[あめのはづちのお]だろうか? 名前からすると男の神様と思われるが……。
 天羽槌雄は別名として 倭文神[しとりのかみ]や 建葉槌命[たけはづちのみこと]を持つ。機織りの祖神とされるが、建を武に、葉を刃に見立てて武神とする説もある。技芸と武の相反する様相は、だが西洋――特に希臘神話では珍しくない。アテナは軍神でもあるが文化神でもある(※アラクネとの機織り勝負等)。周辺地域を征服する過程で土着信仰を習合していった結果、1柱の神性が多数の側面を持つ事は当然だろう。八百万の多神教である日本でも様々な要素が付加されていった。
 さておき天羽槌雄が機を織る音と歌声。気配からして名とは異なり女性のように千香は感じられた。女子に男の名を付ける事も無い訳ではない。名の響きよりも感性を信じる事にして、千香は女神と思う。
「小松さんにも尋ねてみて、色んな話を聞いてみたけれども……よく解んなかったもん」

 コントンを退けた事で部隊を集中運用出来るようになった中共軍茨城派遣部隊。補給や再編制等に忙しい 項・充[シィァン・チョン]少尉だったが、小松・栄一郎(こまつ・えいいちろう)准陸尉の面会の申し出には合間を縫って応じてくれた。
『……シィアソン(※小松)准尉。貴方は真っ直ぐなのが美点ですが、誤った方向性へと突き進んでしまう事があるのは欠点ですね』
 苦笑を通り越して呆れ顔で言われた事に、小松は憮然とする。自分の考えを説明しての開口一番が、この返事だ。だが小松の視線に臆する事もなく、項少尉は続ける。
『〈 這い寄る混沌ニャルラトホテプ[――]〉は名の通り、混乱こそが目的であり、手段。確かにレーヴァテインといった幾つかの〈世界を滅ぼす神器〉の幾つかを恐れていますが……此処に封じられているのは、貴方が考えているモノではありません。〈這い寄る混沌〉は面白半分に鴻均道人の姿を偽って、共工を焚き付けただけに過ぎませんよ』
 ちなみにレーヴァテインに関しては山陰地方に潜む〈魔女〉の所管にあるという。
『――では此処に封じられているのは?』
 小松の問い掛けに、だが項少尉は首を振ると、
『私が教えるとでも? といっても四凶が襲ってきた事で、封じられている神がナニカを調べ直して、ようやく判った程度ですが、ね』
 項少尉は頭を掻くと、
『文化大革命という美名の下で、愚行をやった私達が言うべき事ではありませんが――貴方はもう少し自国の神を調べた方が良いでしょう。しかも穿った見方でなく単純に、それでいながら異説を拾ってくるべきでしょう。アレが天帝の力を有しているのは事実ですが、其れも私達が異説を調べ、四凶が襲ってきた状況を照らし合わせての結論です』
 大きく溜息を吐くと、
『――1つだけ誤りを訂正しておきましょう。クトゥグアが封じられているのはフォーマルハウト星系のコルヴァズです。そし彼の神性を召喚するとしたら〈這い寄る混沌〉を真に倒すべき手段がなくなったときのみ。レーヴァテインが顕現されるように〈魔女〉が動いていると聞いていますから無用の心配でしょうが』
 それでは席を立とうとする項少尉。小松は挙手して引き留める。
『――まだ何か?』
『……東京タワーの龍巫――八木原一尉は天使に押さえられました。東京派遣部隊が巫の身柄を押さえずパワースポットに手を出せば、東京のみならず最悪世界崩壊の危機であると仰いましたね』
 小松の言葉に、項少尉は首肯する。
『ならば、それを見過ごすのは這い寄る混沌を是認するに等しい。既に『遊戯』を降りた仙群はもはやこの世界に興味がないのかもしれませんが、選択をするのが人間であるというのなら、たとえ世界が滅ぶとしても我々は最後まで抗います。誤った命令と知りながら座して死ぬつもりはありません』
 独白に、項少尉は暫く黙っていたが、
『――実際、貴方の推測通り、仙群は此の『遊戯場』には興味がなくなっています。むしろ『遊戯』が破局になるのを期待している節もありますしね』
 此の『遊戯』は此れが最初ではないだろうし、最後になるとも限らない。負けが確定している陣営としては『遊戯』そのものが破局したほうが好都合である。次の『遊戯』から再起出来るからだ。
『――但し天帝の決めた約定により、敗北した以上『遊戯』そのものに積極的に干渉する事は出来ません。与えられた役割を演じるのみ。なので仙群が世界の破滅へと行動する事はありませんから御安心を』
 そして此の日初めて微笑を浮かべる。
『――口上、確かに収めました。では貴方達が信じるように選択して下さい。場合によっては全力で立ちはだかる事でしょう。……其れもまた選択の結果なのですから』

*        *        *

 密やかな支援要請を受け、大宮駐屯地から出向してきた第106中隊。衛生隊員の経験がある第3小隊長が 生駒・現在子(いこま・いまこ)二等陸士の提案へと苦言を返していた。
「――神州は隔離されて20年を経ているのよ? 洗剤なんて生活物資が死蔵されている事はないわ」
「認識が甘かったのは確かだけれども、催涙ガスや塩素剤の取り扱いを認めてくれないじゃないか」
「当たり前だわ。化学薬品の取り扱いのイロハが無い者の提案等、本当ならば危なくて却下されて当然だと思いなさい。中隊長も今回だけの特別と釘差しているからね、以降、注意しなさい」
 取扱等は、此の第106中隊第3小隊長が行う。だがノリ気でないのは明らかだ。化学兵器によるテロ、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件――通称『地下鉄サリン事件』の記録は、隔離前(※註1)とはいえ、忌まわしいモノとして記録されている。陣地攻略に有効とはいえ心情的に戸惑いを覚えるのは仕方ないだろう。
(……あたしだけでなく、小松隊長への説教にもなっちまうかなぁ)
 尤も作戦を最終的に認可したのは第106中隊長自身である。責任の所在は第106中隊長にあるし、実行者は第3小隊長という事になる。つまり提案者だとしても生駒にはない。だが作戦に従事する者達が割り切れるかどうかは別だ。
「――兎も角、実行のタイミングは此方から連絡します。相手の出鼻を挫くぐらいが丁度良いでしょう」
 敵の詳細な情報を地上に持ち帰ってきた、神州結界維持部隊通信団・通信保全監査隊の 火々原・四篠(ひびはら・よしの)二等陸士は冷静を努めて意見した。
「……攻勢に対処するだけでは解決にならず、攻撃を凌げたとして地下勢力にまた隠れられては意味がありません。此れは生駒二士にも同意するところです」
 第106中隊長が生駒の提案を聞き入れた最大の理由が其れだ。なので第3小隊長も苦虫を潰した表情をしたものの、押し黙るしかない。思わぬ助け舟を出した火々原は続ける。
「故に、相手が決起する機を利用し、逆に此方から攻勢を掛けるべきなのに異論はないでしょう。……幾つか仕掛けを施してきましたし」
「おいおい。地下から送信してきて問題ないのかよ?」
 以前の経験から生駒が問うが、火々原は何でもないように返す。
「其の時は作戦が決行されるのですから、侵入者の位置を探り当てる余裕はないはずです。むしろタイミング合わせを怠ったら、僕の命が危ないですしね」
 其れだけでなく火々原の設置していた仕掛けに突入する第106中隊が巻き込まれる恐れもある。
「そういう訳で、僕は先行して再潜入を試みます。送信はXデーの敵決行時間の30分前。もしも其の時間に僕からの連絡が来なかった場合は、既に死んでいるモノとして扱って下さい」
 まるで他人事のように口に出してから、火々原は仕掛けを作動させる予定時間を告げていく。そして背を向ける火々原に、生駒は敬礼で見送るのだった。

*        *        *

 天津甕星香香背男は天津神の1柱でありながら、天照にまつろわかったモノと知られる。建御雷や経津主という名高い武神2柱を退け、ようやく天羽槌雄によって鎮められた天津甕星香香背男は天津神であるから星神とされており、明星――金星に象徴されるというのが通説だ。其の点から ルキフェル[――]と対応される事も多い。だが――
「……成程。此れが天帝に通じるという所以でしたか」
 書類を取り寄せて研究調査していた小松は、思わず呻き声を漏らす。
 異説によれば天津甕星香香背男は金星でなく、北極星に象徴されるという。北極星――すなわち道教ひいては仙群における玉皇大帝、つまり天帝だ。また日本神道における天御中主も一説では北極星と看做される事もあるのも記憶の片隅に留めておく。
「……いずれにしても四凶や共工が狙うには充分な理由です。クトゥグアという推察は大外れでしたが、兎に角も天津甕星香香背男の無制限解放が拙い事は理解しました」
 勿論、共工[――]に力を奪われる事もだ。思わず小松は独りごちる。そんな難しい表情を浮かべていた小松へと副官が血相を変えて報告を入れた。
「――小隊長! 共工の足取りを追っていたブラックアイからの連絡が途絶えました!」
 共工の足取りを追って強襲を目論んでいた小松は、各班を周辺地域へと偵察に出していた事が裏目に出た。共工が率いる超常体の群れに、分散されていた戦力は壊滅してしまったのである。
「――最後の通信地点は?」
「県道254号線沿い、日立製作所跡地です」
 しかし強襲する戦力を整えるまでもなく、共工が率いる超常体の群れは大甕倭文神社に向かって進軍を開始してきた。

 中共軍の92式装輪装甲車の兵装である25mm機関砲が咆哮を上げた。サンキやフウリが爆風で挽き肉に変わるが、狂気じみた形相で襲撃の勢いは止まる事を知らない。横列した中共軍兵士が95式自動歩槍(アサルトライフル)で弾幕を張る。小松小隊からの報告を受けた中共軍は迎撃態勢を整えると超常体の群れへと交戦を開始する。銃火によってチンやフケイが撃ち墜とされ、ショウジョウ等が薙ぎ払われる。
「――それでも数が多い……勢いが止まりません」
 小松小隊も駆り出されて防衛線の一角を担わされる。ブラックアイ班の弔いも兼ねてとあって小隊員が奮起していた。
「……宿魂石の防衛はどうなっているんですか?」
 参戦している千香の姿を見咎めて小松が呟くと、副官が返してきた。
「――車六級士官が付いているそうです」
 先の戦いによると、共工は空間を“跳んで”逃げたという。だが、そういった能力は消耗も激しいようで完全な奇襲が成功する場合や撤退する際の非常時以外は、容易に使う事は出来ない。“跳んだ”直後に隙が生まれるらしい。そして項少尉や奉朝といった高ランクの魔人兵に対して其れは致命的だ。
 だから物量による正面突破。そして強大な気配が防衛線に押し寄せてくるのを感じ取れた。大きさは96式装輪装甲車クーガー程もある、朱色の髪を持つ人面蛇身――共工だ。クーガーに搭載されている12.7mm重機関銃M2キャリバー50の弾幕すらも物怖じもせずに圧迫してくる。銃弾はまるで自ら避けるように共工の身を逸れ、あらぬ方向に曲がり、また弾かれる。
「――空間湾曲ですか」
『白兵戦用意! 他は射撃による援護続行!』
 小松の呟きに応えた訳ではないだろうが、項少尉の声が上がった。宝貝を持つ魔人兵が号令と共に突撃していく。また項少尉も火尖槍だけでなく、円環状の宝貝を構えて共工に挑み掛かっていった。
「――伝承によれば共工は洪水を起こす悪神。憑魔の相生相剋関係によれば、火尖槍には分が悪いはずでしたが……」
 となれば、円環状の宝貝は地脈系武器か?
「――小松隊長。あたしはどうしましょう?」
 千香が半泣きで指示を求めてきた。千香の主武装は氷水系と幻風系のナックルダスターだ。氷水系の共工とは相性が良くない。地脈系の憑魔武装もあるが、コートという形状からして、攻撃に転用するのは容易ではない。ある程度の方向性は与えられるものの、やはりイメージから来る向き不向きが生じるのは、人間の想像性からして無理なからぬ事らしい。とはいえ、
「共工の意識を逸らすべく出来る限りの支援行動を!」
 コートに寄生する憑魔に働き掛けて、周囲の地面から石飛礫が放たれる。威力は乏しいモノの、やはり相生相剋関係から共工の意識を散らす事は出来るようだ。共工は大きく怒りの咆哮を上げた。そして展開した空間湾曲で石飛礫を弾くが、
『――支援に感謝する!』
 複数の憑魔能力を有していても、同時に使用する事は出来ない――此れが基本原則だ。どれほど強大な超常体であっても逃れられない事実(※註2)。共工が空間湾曲を駆使した瞬間に、項少尉が肉薄して火尖槍を突き立てていた。
 己の身を焦がす炎の槍を掻き消さんと、共工は水の障壁を張らんとするが、
「いっきまーす!」
 同じく肉薄した千香が110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウストを叩き込む。爆風が千香を吹き飛ばすが、地面に叩き付けられる前に受け身を上手に取った。そして再び石飛礫を放つ。
 項少尉や千香だけではない。宝貝を手にした魔人兵や、周囲の超常体を掃討した中共軍兵士や小松小隊員が火力を共工へと集中させていく。
「……此れで終わりです」
 火尖槍によって脳天を貫かれている共工へと、千香はパンツァーファウストを再び撃ち放つ。吸い込まれるように咥内に飛び込んでいったロケット弾は共工の身を吹き飛ばしたのであった。

 共工の死によって狂気から戻った超常体は散り散りに逃げ出していく。
『――狩り尽くす事が無いように調整して下さい』
 項少尉の指示に、追撃に向かう中共軍兵士達は敬礼して応じる。国連及び政府からの指示は、超常体が神州以外の地に極力出現しないように数を調整する事だ。維持部隊の役割であり、駐日外国軍もまた同じだ。此れに関して、小松は異を唱える事は出来ない。
 そして項少尉は振り返ると、
『――四凶及び共工との戦いに関して、日本軍の協力に感謝します』
 しかし、と言葉を続ける。
『……明日0時を以て茨城特別戦区への立入は認められません。速やかに戦区外への退去を命じます』
 追撃に向かわなかった中共軍兵士が小松小隊へと銃口を向けてくる音がした。
『明日0時以降、特別戦区内の我が軍以外の動体反応あるモノは、問答無用で超常体と看做して攻撃対象となります。――御注意下さい』

*        *        *

 東京タワーの包囲は徐々に戦火を増し、遂に山池の試作運用小隊にも出動の命が下った。
『――突入部隊から敵の目を晦ませる役割だな』
 馴染みの普通科小隊長からの通信に、山池は苦笑を漏らす。
「此方が本格的に動けば、逆に突入のタイミングも計られませんか?」
『だから段階的に戦力を上げているんじゃないか。どのタイミングで突入を図っているのか、其れこそ目晦ましにな』
 そういうモノかと山池は頭を傾げたが、元より突入部隊を外部から支援するのが務めと考えているから、総隊長の意思に反する気はない。
「……兎に角、手の届くところから物事を始めましょうか?」
 航空優勢を確保する為に、山池の35mm2連装高射機関砲L-90だけでなく91式携帯地対空誘導弾ハンドアローも発射される。キャリバー50がエンジェルズを撃墜していく中を、氣の障壁を張ったアルカンジェルが急下降して突進してきた。
「撃ちまくりなさい! ――援護を!」
 山池の怒声に応えて、部下達は敵を見据えてL-90による対空砲撃を止めない。其れでも砲撃を抜けてきたアルカンジェルに対しては、随伴として護衛を駆ってきた馴染みの普通科小隊がBUDDYの弾幕で塞き止めていた。
『――騎兵隊の到着だ!』
 攻撃回転翼航空機AH-1Sコブラの編隊がエンジェルズやアルカンジェルの雲を割いていく。其れでも未だ壁は厚い。
「プリンシパリティの姿を捕捉!」
 叫びにも似た副官の報告に、即座に集中砲火を指示する山池。九州における天草叛乱においても苦戦を強いられたという報告が回ってきている。更には鎧のような外骨格を纏ったパワー1羽と、ボディアーマーを着込んだヴァーチャー1羽の姿を視界の端に捉えた。
「防空指揮官は、あのヴァーチャーですね」
『……確証は?』
 茶化したような普通科小隊長の声に、経験による勘と言い返す。ヴァーチャーは光環の雲に再び隠れてしまったが、
「抉じ開けます! 火線集中!」
 全てのL-90の砲口が向けられる。そうはさせじとプリンシパリティが真空刃を放ち、また数体のアルカンジェルを引き連れてパワーが突撃してくるが、
『――突出は愚の骨頂だぞ』
 嘲りを込めて護衛の普通科小隊がパワーへと火力を集中させる。銃弾はアルカンジェルの氣の障壁を貫いて勢いを殺し、更には控えていた魔人隊員が迎え撃って出た。他の隊も退路を断つように東京タワーの天使共へと銃弾を叩き込んでいった。勿論、此方の損耗も少なくはない。だが――
「射てっ!」
 毎分550発の速度で撃ち込まれていく35mm×228砲弾。1輌につき2門――計24門の砲撃は天使の壁を掘削し、貫徹し、そして破砕する。ヴァーチャーを捉えると抵抗虚しく挽き肉どころか塵芥に変えた。
「――此れで少しは。航空優勢は確保出来たと言えるでしょうか?」
『……ああ。大物を撃ち墜とした事で、確かに対地攻撃の勢いは弱まった気がするな。だが折角減らしてもまた、エンジェルズやアルカンジェルといった低位が壁を埋めていきやがる。何処から沸いて出るんだ?』
 逆に言えば――柱が立てば、パワーやヴァーチャーが当たり前のように空を埋め尽くすという事だ。
「……突入部隊が熾天使を撃破し、一刻も早く東京タワーを奪還してくれる事を願うばかりですね」

 包囲戦の戦火が増す中を突入部隊が非常階段を駆け上がる。普通科の部隊から選抜された者の他、志願しての警務科隊員も加わっている。
「まぁ局所的な屋内戦では警務科にも長があるからな」
 誰に説明する訳でもないのに、佐竹は呟いた。
「しかし奇襲って訳には流石に無理だろ?」
 東京タワー特別展望台へと地上から昇降するには、エレベータと非常階段しかない。電気が通っていないのだからエレベータは使えないとなれば、非常階段に絞られる。
「戦況が此方に傾いて航空優勢が確保されたならば、ヘリボーンも考えられますが……オヤッさん、航空科にツテとかあります?」
 後輩でもあり部下でもある若手が呟く。天使は存在自体が飛行可能な、卑怯な超常体だ。航空優勢を確保しても油断は出来ない。余程の腕の良い操縦士や装備の回転翼機が必要になるだろう。
「――普通科の隊長さんとか、どうなんだよ?」
 答に窮した佐竹は話を他に振ると、申し訳なさそうな声で返された。
「残念ながら。中隊長は第一空挺団の出動を要請しているらしいが……」
「サボってないで、さっさと来いよ!!」
 まったくだ。同じく習志野にいる特殊作戦群といい動いてくれないにも程がある。
「そういえば東方普連はどうした?」
 ――ちなみに佐竹達は知らなかったが、此の時、東部方面隊本部直属の、精鋭を集めたという東部方面普通科連隊(EAiR:Eastern Army Infantry Regiment)は不審さを増す東北方面隊の動きを警戒し、関東地方の北部へと展開していたらしい。尤も後手となってしまったが……其れはまた別の話である。
 閑話休題。
「兎に角、今は非常階段を上るしか突入方法が思い付かないからな……」
「……逆に言うと非常階段を落とされたら、本官達は終わりじゃないか?」
 佐竹の何気ないツッコミに一同の顔が蒼褪めた。
「駆け足、急げ!」
 足場が良いとも言えないながらも、非常階段を全速力で駆け出す。間一髪で敵の攻撃から逃げ延びたが、
「やっぱり落とされたか……」
 敵の攻撃を受けて破損した非常階段は、もはや上り下り様態を保っていなかった。しかし佐竹は嘆く素振りも見せず、素早く愛用のベネリM3を大きく舌打ちする声へと撃ち放った。非常階段を落としたヤツ――鎧に似た外骨格を纏ったパワー1羽は、防御力の高さに加えて氣の障壁を展開して、無傷。逆に腕に氣を絡めて此方へと攻撃してきた。BUDDYの弾が放たれ、また数名の魔人隊員も半身異化しての憑魔能力を行使する。
「――此の場は任せて先に行け!」
「其れ、死亡フラグじゃねぇか!」
 しかし数の上では勝るとはいえ、非常階段の中途で戦うのは不利。パワー相手に数名を残して、突入部隊は特別展望台へと急ぐ。
 非常階段の扉前に普通科隊員が張り付き、そして佐竹は催涙球2型を放り込んだ。
「――突入!」
 BUDDYで制圧射撃する普通科隊員や部下に混ざって、佐竹はベネリM3を撃ちまくる。だが――
「……すっかり忘れていたぜ」
 突風が室内から吹き出して、ガス成分を飛ばす。態勢の崩れた何人かが空へ放り出されて落ちていった。そして銃弾を止めたのは4翼のドミニオン。氣の障壁が銃弾を受け止めており、中央の繭にも蛹にも似た斎呼の肉塊を前にたたずんでいるクシエルは涼しい顔だ。
「――クシエルは控えておいて下さい。僅かなりとも彼等は私が押さえておきます」
「……任せました」
 遣り取りを前に、普通科隊員が日本刀を抜いて斬り掛かる。だが迷彩2型の上に抗弾ベストを着用したドミニオンは両袖から9mm拳銃SIG SAUER P220を出すと真っ向から迎え撃ってきた。刀が振り下ろされる前に内側に潜り込み、銃尻で相手の手首を叩き上げる。佐竹の耳にも嫌な音が聞こえてくる中、ドミニオンは流れる動きで普通科隊員のボディアーマーの隙間を縫うように銃口を押し当てると引き鉄を立て続けに絞った。
「――ガン=カタって、おい、遊び過ぎだろ?」
 同じく接近戦に持ち込んでベネリM3を叩き込もうとする佐竹だったが、ドミニオンは先程の死体を蹴り上げて盾にした。また横から飛び込んでくるナイフ使いの隊員も的確にあしらい、急所へと銃弾を叩き込んでくる。
 ――憑魔覚醒、半身異化に移行!
 何人かの魔人隊員が駆け出すが、
「――失礼します」
 瞬間、中央にたたずむクシエルの方から圧力が来た。魔人でない佐竹ですら気圧される衝撃――憑魔侵蝕現象の波動に、魔人隊員が泡を吹いて崩れ落ちる。そして容赦なく頭部へと2発を叩き込まれていった。
「こうなったら……」
 佐竹は窓ガラスへと発砲。元より老朽化に加えて戦いの衝撃もあったのだろう。破砕する。特別展望台に吹き込んでくる風は唸りを上げて佐竹達を襲うが、クシエルは平然としている。
「……まさか?」
「お忘れですか、佐竹先輩? 私がヒトであった時の名は“微風”ですよ。まぁ名前にあやかって、此の能力も持っている訳ではありませんけれども」
 苦笑を浮かべて見せた。気圧が急速に減っていき、耳鳴りがする。高さ223m程の特別展望台で高山病になるはずはない。とすれば――クシエルは風を操る事が出来るのだ!
「悪足掻きは済みましたか? では罪を贖いなさい!」
 ドミニオンが9mmパラペラムをバラ撒く。対する此方の銃弾は氣の障壁に阻まれて届く事が無い。
「――地獄に墜ちろ、チキン野郎!」
 非常口から新たに現れた普通科隊員がBUDDYを連射。思わぬ攻撃に氣の障壁を其方へと展開したドミニオン。其の隙を突いて、佐竹は内に跳び込んだ。ベネリM3で腹へとぶっ放す。1度だけに止まらず7発全弾を叩き込んでやった。
「スミマセンがお先に失礼しますよ……」
 其れがドミニオンの最期の呟き。クシエルは一瞬だけ悲しみの表情を浮かべたものの、
「――“主”の下に召される兄弟姉妹に幸あれ」
 祈りを唱えてから、佐竹達に相対する。そして風を放った。慌てて佐竹は床に転がるようにして回避。プリンシパリティの真空刃を上回る、鋭利な力が普通科隊員数名を両断していった。
「――生きてるやつぁ、声を上げろ!」
「佐竹班、全員生存。但し軽微なりとも負傷者2名」
「普通科の第1123班、隊長が殺られた。他重傷者多数。畜生、パワーを倒して死亡フラグ回避出来たと思ったのに……」
 戦意は損なわれていないが、クシエルが強過ぎた。部下がBUDDYを乱射するが弾は在らぬ方向に曲がっていく。――今まで使っていた幻風系とは違う。噂に聞く空間系も持っているのか?
「せめて儀式とやらを邪魔出来ればと思ったが……祭壇とか、ソレっぽいのは無いのかよ!」
「御期待に沿えなくて申し訳ありませんが」
 平然とした表情で返された。ドミニオンやパワーは倒したものの、割れた窓――外部からエンジェルズやアルカンジェルが入り込んでくる。低位とはいえ多勢だ。厄介極まりない。そして続く嵐そのものの攻撃に佐竹達は翻弄される。
「下手すれば終わりか……」
 血反吐を捨ててから舌打ちした。咥内に鉄の味が広がる。そんな時――
 空間が歪み、浮遊感とも落下感とも判らぬナニカが身に襲ってくる。そして酩酊と嘔吐感。気が付いた時は地上で転がっていた。口元を押さえる佐竹達に、驚いた維持部隊員が銃を構える。が、其の銃口は改めて燕尾服の魔王に向け直された。
「――どういうつもりだ……? 余計な節介をしなくてもクシエルは打ち殺せた」
 蒼褪めたままだが、其れでも犬歯を剥き出して佐竹はガァプを睨み付ける。ガァプは「おお、怖い、怖い」と大仰に振る舞いながらも、笑みを浮かべたまま、
「――何、勝手な節介と仰りますが勝算は果てしなくゼロに近かったと思いましたので。……どうです? 共闘を再考願いませんか? いずれにしても、小生の協力が無ければ特別展望台に行くのは容易でないと思いますが」
 唇を醜く歪ませると、ガァプは慇懃に一礼。そして空間を“跳んで”姿を消したのだった……。

*        *        *

 5月20日――駐日中共軍東京派兵部隊に巣食う“秘密結社”による襲撃が決行される。有楽町線より市ヶ谷駐屯地へと1個中隊規模の超常体の群れが強襲を掛けるという。だが脅威であるものの、実は陽動。本命は千代田線の霞ヶ関駅と大手町駅からの、2個中隊規模による東京城へ奇襲――という計画だった。
 中共軍野戦服を身に纏ったヒト型の超常体による先遣部隊が整然と日比谷線を行進していた……。

 中央合同庁舎第1号館――農林水産省庁舎の跡地。第32普通科連隊第106中隊第3小隊長は隷下の各班からの連絡を受け、第106中隊長へと視線を送った。別働隊として参加している第114中隊長も首肯する。
「……潜入員から伝達を確認」
 無線機で暗号通信を拾っていた隊員が報告を上げる。そして責任者として第106中隊長は厳かに口を開く。
「――作戦開始」
 努めて冷静に指令が発せられた。

 行進していた超常体の先遣部隊は構内に突然噴出されてきたガスに判断が遅れた。数少ない正規の中共軍兵士がガスマスクの着用を命じるものの、
「――射ち方、始めっ!」
 構内に待ち構えていた第114中隊の普通科隊員が横列に並び、BUDDYを発砲。またキャリバー50での掃射も行われた。
 変事は構内だけではない。“秘密結社”が基地としていた霞ヶ関駅にもガスが噴出。瞬く間に充満し、続いて出発する予定だった本隊の視界と呼吸器官を奪う。更には貯蔵されていた火薬や武器庫において爆発。武器を取ろうとした多くの超常体が爆炎に消えていく。生き残ったモノも突入する第106中隊と第114中隊によって射殺されていった。
「――催涙ガスによる無力化で制圧は順調のようだな」
 換気ダクトの幾つかをチェックして、敵の逆襲を警戒していた生駒は独りごちる。時折、銃声だけでなく爆発による振動らしきものがダクトを震わせているのが、中の激しさを物語っていた。
「……此れでも大将首を取れるとは思えないってのがアレだよな」
 茨城の連絡で、生駒は“秘密結社”の中核――黒扇公主と呼ばれる存在についての警告を受けている。予測されている正体は――
「隊長から聞いたところじゃ〈這い寄る混沌〉の化身が1つ、〈 膨れ女( ブローティッド・ウーマン[――])〉らしいじゃないか。タイマン無理、絶対」
 其れでも先に潜入して“秘密結社”内部の破壊工作に従事する火々原の身を心配した。
「……まぁ、無茶はしないと思うけれどもなぁ」

 ところがどっこい。再潜入を目論んでから、作戦が決行されるまでの間、火々原は生きた心地がしなかった。前よりも厳重になった警備を潜り抜け、そして仕掛けを施して回って気を抜く暇もない。
「其れでも……制圧が成功しているようで良かったです。頑張った甲斐があるというものです」
 装着している防護マスク4型の内側で安堵の息を吐く。忍ばせている“お守り”だけでは心許無いので武器庫より拝借してきた54式手槍(トカレフTT-33)の弾倉を交換する。混乱の中で偶発的に遭遇した超常体共を射殺する為に幾らか発砲しており、残る予備弾倉は1本だけだ。
 兎に角、同じく拝借した中共軍野戦服で変装した火々原は混乱する中共軍兵士や超常体の群れに混ざって、目的地へ向かう。間違われて、仲間に撃たれてはたまらないので迅速に用件を終わらせなければならない。千代田線の改札階にある、駅事務室跡。改装されて今や黒扇公主の居室となっている場所に、騒ぎから“秘密結社”の幹部と思わしき構成員が主の警護や、或いは指示を仰ぎに殺到していた。だが血相を変えている幹部連とは対照的に、御簾の向こうにいるだろう黒扇公主は他人事のように、愉快そうに笑い声を上げているのみ。幹部連は蒼褪め、そして続いて紅潮し、54式手槍を御簾へと向けた。警護兵が即座に引き鉄を絞って、撃ち返そうとする瞬間――火々原は手持ちのMk2破片手榴弾と焼夷手榴弾を放り投げる。ワイヤーで繋がれた安全ピンは一気に抜かれ、宙でレバーが外れていった。そして廊下に飛び出した。
 爆風により弾帯が巻き散らかされ、狭所に集まっていた幹部連を挽き肉にする。またテルミット反応での延焼が護衛兵を火達磨に変えた。
 すぐの反撃が無い事を確認して、火々原は続いて閃光発音筒を放り込んだ。そして突入すると御簾へと54式手槍で発砲。御簾は爆風で吹き飛び、そして燃え上がっている。偏光グラスで覗いた火々原の視界に映り込んだ黒扇公主の姿は――醜悪な化け物そのものだった。火が着いて使い物にならなくなった黒い扇を放り捨てると、傾国の美女ともいうべき肢体が変じていく。目を背けたくなる程の醜悪さを、だが理性で抑えて火々原は54式手槍の引き鉄を絞り続けた。
 ――〈膨れ女〉の呼称はまさしく其の通り。5つの口と多くの触手を持つ巨大で、肥満体の女怪。腕のあるべきところに触手があり、更に多くが病的な灰黄色の皮膚からとぐろを巻いて生えていた。目の下にも更なる触手が波打っており、其の横と下に膨れ上がった顎がある。其々に口があり、牙の塊で恐ろしくなっていた。異形系なのだろう。銃弾を受けても肉が盛り上がって傷口を塞ぐ。爆風や炎で壊死した肉片は崩れ落ち、新たな皮膚が張られていく。
 発狂しそうな恐怖に、だが火々原は冷静な意思で全弾を叩き込むと、残る最後の予備弾倉を素早く交換した。僅かな瞬間だったが、〈膨れ女〉は見た目に反する動きで火々原に体当たりをかます。衝撃で火々原が構えを崩したところ、〈膨れ女〉は突進した勢いのまま、室外へと飛び出していった。
 追撃しようと身体が動いてしまうところを、火々原は思い止まり、息を吐いた。未だ炎の舌が蠢いている室内を出て、安全なところで尻餅を付く。ここ数日間の疲れが一気に噴き出してきた。〈膨れ女〉が逃げ去ったと思われる方向で銃撃音が轟いているが、火々原は動く気力が沸かない。銃性も止んで暫くしてから複数の靴音が聞こえてきた。フラッシュライトに照らし出されるより早く、火々原は最後の気力を振り絞って合言葉を叫んだ。
「――火々原二士の身柄を保護! 要救助」
 そして意識を失った……。

 霞ヶ関駅構内の掃討は終盤となり、多くの超常体が射殺。生き残った中共軍兵士も投降してきた。後は政治決着となるだろうが、北京の共産党も不都合な事は無いものにしてしまうだろう。
 問題は――
「〈膨れ女〉は神谷町駅の封鎖を突破。そのまま六本木駅へ向かったようだな……」
「六本木から足取りが掴めなくなるぜ? どうするんだよ」
 生駒が愛機に騎りながら呟く。六本木駅から地上に出たのか? それとも大江戸線に逃げたのか? はたまた他にも逃走経路や、隠れる場所は無数にある。尤も、あの醜怪だ。地上に出たら直ぐに目撃情報が上がるだろう。
「……とはいえ異形系だから、姿形を変じるかも知れねぇし」
「――大江戸線です。其処に別荘があるらしいです」
「火々原、あんた、もう大丈夫なのか?」
 衛生科隊員に付き添われて火々原が顔を出した。顔色は悪いままだが、
「……単なる過労ですから。直ぐに戻ります」
「過労を莫迦にしちゃいけねぇぜ? とはいえ別荘って何だ? 大門か、それとも青山一丁目か?」
 生駒の質問に、しかし火々原は頭を横に振ると、
「超常体の出現で、開発途中のまま放棄された駅があります(※註3)。其の内の1つ、麻布十番駅には災害時に備え、食料品や毛布等を保管する非常用備蓄倉庫が設置される予定だったとか……。新たに見付けた資料で、其れらしき名が書かれていました」

 

■選択肢
EA−01)茨城・大甕倭文神社を襲撃
EA−02)東京タワーを天使より奪還
EA−03)東京タワーにて魔王と交戦
EA−04)市ヶ谷駐屯地で権謀術策を
EA−05)旧地下鉄路線にて見敵必殺
EA−FA)関東地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお東京タワーや大甕倭文神社境内、地下鉄路線及び駅構内では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、さらに死亡率も高いので注意されたし。
 また中共軍兵士の多くは日本語や英米語を解せ無い。下士官で片言程度に、士官は問題なく意思疎通が可能。

※註1)地下鉄サリン事件……1995年に東京都地下鉄で某カルト団体が起こした、世界初の化学兵器を使用した無差別テロ事件。

※註2)複数の憑魔能力の同時使用不可……特例が1件確認されている。次作『隔離戦区・禁神忌霊』にて展開予定。

※註3)麻布十番駅……現実世界の開業年月日は2000年9月26日。神州世界では赤羽橋駅(2000/12/12開業)と共に中途で放棄されている。


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