同人PBM『隔離戦区・呪輪神華』最終回〜 東海:南亜細亜


SA6『 蛇が天を隠し、桜は散る 』

 大宮小学校跡に整備された駐機場に、特殊作戦仕様中型多目的回転翼機MH-60Kブラックホークと、護衛の攻撃回転翼機AH-1Sコブラ2機が着陸する。
 操縦席から降り立った東部方面航空隊・第1ヘリコプター隊強襲輸送班長の 佐竹・史郎(さたけ・しろう)准陸尉は、富士山本宮浅間大社からそびえ立つ大樹を見上げた。境内に奉納されている桜の樹々が大社上空で渦を巻くように寄り集まって形作ったもので、枝葉は天蓋となって周辺を包み込んでいるように見えた。
「アレが――デーヴァ神群の『柱』ってヤツか」
「……未だ『柱』とはなっていないらしいですよ」
 佐竹の呟きに返ってきたのは、女の声。佐竹達を出迎えた細身の美女――東部方面航空隊・第4対戦車ヘリコプター隊第2飛行隊第3班長の 風早・斎(かざはや・いつき)准陸尉へと敬礼を送る。風早は苦笑すると、返礼。
「階級は同じなんですから、私の方から先輩格の佐竹さんに敬礼すべきなんでしょうけれども」
「浅間大社での先任はおまえだろ。……機体を喪ったと聞いたが?」
 先日の戦いで敵将と相討ちになり、コブラ1機を墜落させてしまった。だがラクシャーサ神群最強の超常体メーガナーダと引き換えとなれば安いモノだったというのが周囲の判断であり、風早を責める声は無い。とはいえ、
「お恥ずかしい話ですわ。……貸して頂けます?」
 冗談交じりの風早の言葉に、だが佐竹は唇の端を歪めて返す。
「構わねぇぜ。俺の部下の誰よりも、おまえの方が扱いは上手いからな」
「あら……お世辞でも嬉しいですわね」
 機体の整備は部下に任せて、佐竹は報告を受ける。書面で前以て知ってはいたが、やはり現場の声を聞くのも大事だ。
「ラクシャーサ神群自体は壊滅状態。だが主神格たる王のラーヴァナは逃走中か」
「駐日印軍と協力して山狩りじみた事をやっていますが、余り成果は……。其れにフトリエルによるプロパガンダの所為で、駐日印軍との間の雲行きがオカシクなっています」
「部隊レベルで?」
「いいえ。元々、駐日印軍との関係は良好でしたし、ラース殿下はデーヴァ神群について説明をして下さっていましたから。但し極個人的に反発や脱落、不安に思う者がいるのは組織として仕方ありませんわ」
「問題は、個人の感情が周りを巻き込んで暴発しないように抑えたり、なだめたりする事だな」
 顎を撫でるような仕草をしながら、佐竹は片眉を吊り上げる。
「チキン相手には――『我々は戦い抜こう、我々を不当に支配しようとする“全ての敵”に対して戦い抜こう。天使軍もまた、支配を求めるのであれば、それはすなわち、“敵”にすぎない』と説教してやるんだが」
「是非、お願いします。……私も、奴隷の自由より、戦争を日常とする人間である事を選びましょう」
 あなたは、人ですか? 奴隷ですか?
 此の風早の問いは、維持部隊へと広がるが……
「しかし……デーヴァ神群とチキン共とどう違うかと問い返されれば……説明は難しいぞ」
 佐竹の苛立ちに、風早も言葉に詰まる。
「――本音を言うと、交戦を覚悟で主権を回復したいのですが……陸戦戦力が絶対的に不足している上に、木花之佐久夜様や一般隊員の多くもデーヴァ神群寄りのスタンスなので……」
 主権を天使(※ヘブライ神群)に委ねるのと差異は何処にあるのか。
「主権を売り渡して安全を買う行為が、後々に災いとならなければ良いのですが……」
「――儀式を邪魔するのはラーヴァナよりも、主権を取り返そうとする有志かも知れんな。其の場合、維持部隊にとっての、日本国にとっての裏切者は儀式の護衛をする俺達になるかも知れん」
 佐竹の言葉に、風早は苦渋の表情を作る。
「信用できる魔人が後一人居てくれるのであれば、盟約を破棄することを真剣に検討しましたが……」
 駐日印度共和国軍(※駐日印軍)の実質的指導者である ラース・チャンドラ・シン[―・―・―]大尉は、デーヴァ神群の主神の一角 ヴィシュヌ[――]の化身(アヴァターラ)が1つ、カルキ[――]だ。伝説では白い駿馬に跨った英雄、あるいは白い馬頭の巨人の姿で現され、カリ・ユガと呼ばれる世界が崩れ行く時代に登場する。そして世の全ての悪を滅ぼし、新たな世界を築くと謂われている。
「――まさしく此の神州はカリ・ユガで、『遊戯』で勝利すれば新たな世界を築くって訳だ」
 日本古来の超常体――天神地祇と友好的な関係を築くと誓っており、其の言葉を信じて 木花之佐久夜[このはなのさくや]は協力を惜しまないようだが……。
「考えれば考えるほど頭が痛くなる話だぜ。本当にカルキに挑める程のヤツが居れば……」
 だが人手も時間もない。
「せめて横合いから殴られるのを防ぐために、警戒を行うしかねぇか。結界維持部隊に損害が出ない限り、共闘している相手以外からの奇襲へ警戒する事を優先すべきだろう」
「……そうですね」
 どちらともなく重い溜息を吐く。
「せめて山辺が満足に動けたら、また話は違ったんだろうが……だが、そうなると諏訪が大変な事になっちまうしな」
 眉間に皺を刻むと、佐竹は遥か彼方へと目を遣るのだった。

*        *        *

 長野、松本駐屯地。“ 神の杖フトリエル[――])”の放送は此の地にも少なからぬ影響を与えていた。
 ただでさえ超常体に留まらず、アスラ(※東海地方における完全侵蝕魔人の通称)との争い――そして春からの諏訪大社奪還において“ 這い寄る混沌ニャルラトホテプ[――])”の化身が1つ、“ 嘆き悶えるモノウェイリングライザー[――])”こと、ナーハリ単騎相手に絶望的な戦いを味わってきたのだ。
 隔離以来の地獄を経てきた遠因が、日本国政府と超常体との裏取引にあったというのであれば、無気力になるというものだ。特にナーハリの猛威を其の身で味わった者だけでなく、一方的にも取れる虐殺の記録を間接的に見知った者にも厭世的気分が漂い始めていた。其れでも無気力になるだけなら未だ良い方で、中には自暴自棄になって脱柵や自殺、或いは無理心中に似た周辺へと破壊衝動を撒き散らす者が出てきてもオカシクナイ状況だったと言えよう。
 ……だが最もナーハリと身近に接して戦ってきた男は違った。山辺・進(やまのべ・すすむ)二等陸士は先ずフトリエルの放送内容を切り捨てる。
「……敵の発言を鵜呑みにする莫迦が何処にいます? 一割の真実に九割の虚言、詐欺の基本ですよ?」
 とはいえフトリエルの発言――日本国政府との遣り取りが概ね正しい事は、神州各地から上がってくる報告でも明らかだ。勿論、日本国政府だけでなく亜米利加合衆国をはじめとする国際連合は否定しているが。
 其れでも山辺は言い続ける。
「だからと言って、自分が裏切り、超常体側に就くのが許されるという訳でもないでしょう?」
 山辺の言葉に、同僚たる第125地区警務隊や諏訪大社奪還戦で顔見知りとなった普通科隊員達が押し黙る。
「――其れは過去に超常体と戦い、そして死んでいった先人達や味方に対する裏切りです。また私自身をも騙す事になりかねません」
 そして山辺は不敵に笑う。ナーハリとの戦いで未だ癒えぬ傷を負っている者とは思えない程の力強い笑みだった。
「――だから敵は倒します。今日と同じ明日を送るだけですね」
 皆さんはどうですか? そう山辺の視線に込められた意味を受け止めたのだろうか、周囲の空気が変わった。誰ともなく大きく頷き返す。
「――解った。確かに山辺二士の言う通りだった」
「警務科隊員は莫迦な考えをしている連中を取り締まれ。そして説教してやれ。……山辺さん、お言葉借りても良いですよね?」
 気力を取り戻した仲間を見て、山辺も立ち上がる。そして黒スーツに袖を通し、ファブリックナショナルP90に手を伸ばそうとする。だが、
「――そろそろ自愛しないとマジで死ぬぞ?」
「山辺二士が酷使した御蔭で憑魔武装もボロボロですしね。ナーハリの抑えは俺達に任せて、治療に専念して下さい」
 きついお灸を据えられた。山辺は渋面を形作ると、
「だが人手不足なのは変わりませんし」
 戦力が不足しているのは事実である。山辺のような負傷者や、非戦闘員でも駆り出したいのが現状だった。とはいえ実際に最前線に出したら無駄に命を散らすのも判り切っている。だから普通科隊長は、
「では秋宮の護衛を頼む。一応、念の為にだ。無論、アスラやナーハリが襲撃に来たら、戦わずに逃げろ。此れは厳命である」
 一同から釘を刺されて、山辺も観念した。
「解りました。……正直、戦闘は流石に無理です」
 苦笑。とはいえ護衛だけでなく、下社秋宮にて試しておく事は別にある。
「――佐藤二士達が言及していた諏訪大社の封印について、か」
「ええ……流石に誤って太古の祇まで解放する事はしたくありませんが、其れでも建御名方神もしくは妃神である八坂刀売様と、可能であれば交神が出来ないものかと……」
 山辺の提案に、第125地区警務隊長や普通科隊長は顔を見合わせていたが、
「――くれぐれも深みにはまるなよ?」
「承知しておりますとも」
 そう首肯すると、山辺は両隊長に敬礼をした。

*        *        *

 富士山本宮浅間大社の天蓋として周囲を包み込もうとする大樹の枝葉は、よく見ると氣により形作られていた。其の枝先は蛇のようにくねっており、千の頭を持つ巨大な蛇の王――アナンタを脳裏に浮かばせる。アナンタの名は「無限」するという。
 ヒンドゥー教ヴィシュヌ派の説話によれば、此の世が始まる前の宇宙が混沌の海だった時に、ヴィシュヌはアナンタに横になって寝ていたと謂われ、臍から蓮の花が伸びていき創造神ブラフマーが生まれ、其のブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされる(※勿論シヴァ派では別の説話が教義されている)。
 木花之佐久夜の祭儀が執り行われた後、此の大樹はアナンタの“器”となるだけでなく『柱』としてデーヴァ神群の旗印――拠点であり、橋頭保となる。
「……果たして、此のまま放っておいていいモノかな」
 89式5.56mm小銃BUDDYを手に、佐竹は独りごちた。愛機のブラックホークは警護には大仰過ぎる。ましてや現在最大の敵である ラーヴァナ[――]と、其の取り巻きであるラクシャーサは軍隊の形を成していない。他に警戒すべきは長野のナーハリとアスラ共や、中部地方のヘブライ神群だが――いずれが相手でもブラックホークは無用の長物だ。自然、機体から降りて、でも身体を遊ばせておくのも勿体ない為に、普通科よろしく立ち番を任されていた。
「もうすぐ還暦の年寄りに立ち番やらせるなんて正気の沙汰じゃねぇな……俺も今回だけはコブラに乗っておいて待機した方が良かったかな……って、ん?」
 完全武装の維持部隊員が数名、決死の覚悟で浅間大社の桜門に現れた。とはいえ、どの銃口も布で覆われており、敵意が無い事を表していたが。
 彼等は二拍手してから敬礼する。そして口上。
「――本官等は無礼を承知ながら媛神様へと上訴せんと参上しました。祭儀をお辞め下さい。謹んでお願い申し上げます」
 だが声は届かないのか、応えは在らず。代わって思わず佐竹が口出してしまった。
「……其れは維持部隊への翻意や、駐日印軍ひいてはデーヴァ神群への敵意からくるものか?」
「いいえ。維持部隊員として仲間を護り、敵超常体と戦う決意に変わりありません。駐日印軍とも友好的な関係を続けたいと思っています。――しかし、だからといってデーヴァ神群の『柱』とやらが立つのを看過する訳にはいきません」
 祭儀を邪魔したいのならば奇襲や破壊工作、ラースの暗殺に走ればいい。だが彼等は先ずは正面から言葉で訴えてきた。完全武装なのは常時戦闘状況を意識してのものだろう。非武装で訴えている最中にも敵超常体の襲撃があれば役立たずでしかない。勿論、駐日印軍と戦闘といった万が一も考慮してもいるだろう。
 彼等を説得する言葉に、佐竹は窮する。他の隊員達にも苦悩が見て取れた。
「――君達の気持ちはよく解った。だが其れだけでは媛神様が御心変わりする事はない。……諦めてくれ」
 富士教導団副団長の 竹内・清[たけうち・きよし]一等陸佐が心痛な表情のまま、彼等を諫めようとする。勿論、彼等も納得する訳がない。かと言って、佐竹や他の隊員達もどちらに味方して良いのか悩む。
 組織としてみるならば、上官が決めた事に従うのが正しい。だが個人としてみるならば、彼等の気持ちも否定出来ない。
 結局のところ、長い時間、重苦しい空気が場を支配するだけだった。
『――ラーヴァナと思しき超常体を発見! 国道139号線沿い、富士宮東高跡地です!』
 張り詰めていた緊張を霧散させたのは、皮肉にも敵超常体の襲撃。最後の悪足掻きに姿を現したラーヴァナだった。素早く臨戦態勢に戻り、上訴に参じた者達も持ち場に戻っていく。佐竹は我知らず安堵の息を吐いたのだった。
 ――だが此れは問題が有耶無耶になっただけだ。そして再び問題を論じるには時間がもう無かった……。

 曲がりなりにも王の名を冠するだけあってラーヴァナは強かった。ラーヴァナの取り巻きとして、数少なくなった五大系能力を有するラクシャーサ数体は其れなりに厄介ではあったものの、維持部隊と駐日印軍の数の護りを突破する事は出来ず、討ち果てていく。
 だがラーヴァナは何百発の銃弾を撃ち込んでも怯みもせず、また刃を叩き付けても嘲笑を浮かべるだけ。
「――其れでも諏訪に顕れているナーハリより遥かにマシだ」
 報告に上がっているナーハリと比べればの話だ。だが並みの異形系超常体より上回るのも確か。元よりラクシャーサの身体能力は人間より上。挑み掛かる維持部隊や駐日印軍の魔人達がことごとく吹き飛ばされていった。
「……ラーヴァナが、メーガナーダやクンバカルナと同じく前線に出てきていたら先に陥落したのは浅間大社だったのではないかしら……?」
 と風早は心胆を寒からしめる。
 戦闘能力はメーガナーダが上だった。しかし子に負けず劣らずに単騎でも普通科1個中隊に匹敵する化け物――其れがラーヴァナだった。
「とはいえラクシャーサの軍隊が崩壊した今、幾ら強くてもラーヴァナは裸の王様。各機、攻撃せよ」
 宙を舞う3機のコブラが、ラーヴァナに襲い掛かる。20mm M197三砲身ガトリング砲が唸りを上げるが、肉片を撒き散らし、ラーヴァナに衝撃と激痛を与えながらも、其の猛威を留める事は出来ない。ならば核を焼き尽くせばと射撃手がTOW対戦車ミサイルを放つが、ラーヴァナは爆発する前に掴むと投げ返してくる。
「――無茶苦茶ですわ!」
 風早が思わず金切り声を上げた。ラーヴァナは背より翼を造り出して広げると、コブラの居る大空に舞い上がる。そして口から唾を飛ばしてきた。コブラ1機が避け切れず、テールロータに被弾。唾によって溶解し、機体バランスが崩れる。そしてキャノピーに張り付いたラーヴァナが残忍な笑みを浮かべたまま拳を振るい――操縦席が赤く染まった。其のまま佐竹の班のコブラが墜落していく。
 ――何とかして動きを止めねば!
 焦る風早。だが、もう此れ以上、自機も僚機も落とさせる訳にはいかない。巧みな操縦でラーヴァナの猛攻撃を避ける。地上から牽制を兼ねてラーヴァナの動きを捉えようと12.7mm重機関銃M2キャリバー50が弾幕を張っているが、今のところ目立った効果は無いようだった。
 ――が、次の瞬間。
 異様な波を感じ取って風早は目を細めた。眉尻がきつくなり、口を固く結ぶ。空間が塗り替えられていくような妙な感覚。だが憑魔強制侵蝕現象のような激痛は伴っていない。
「――まさか!?」
 浅間大社のある彼方を見れば、桜の大樹が狂い咲きし、そして蛇王アナンタが目覚めていた。発せられる波動は強くなっていき、眼下では駐日印軍の兵士達が意気揚々と声を上げていた。対して維持部隊員は戸惑いの表情を浮かべるものが大多数。
「――デーヴァ神群の『柱』が立ったのですわ」
 変化が顕著なのがラクシャーサ残党だった。蛇の毒に噛まれたように蒼褪め、或いは赤黒くなって悶死していく。流石にラーヴァナには即死といかなかったようだが……
「今です! 全弾発射!」
 風早の合図にコブラ2機からTOW対戦車ミサイルが放たれる。また地上からも91式携帯地対空誘導弾ハンドアローが発射された。激痛により動きの鈍ったラーヴァナを誘導弾は確かに捉えると爆発。飛び散った肉塊も地上に落ちる前に燃え尽きていった。
「――ラーヴァナをはじめとするラクシャーサ残党の撃破を確認。状況を終了する」
 言葉に、駐日印軍兵士から歓声が上がった。だが維持部隊員からは困惑が拭い切れないままだった……。

 アナンタの頭の1つが大きく口を開けると、虚空からデーヴァ神群の超常体が続々と吐き出されていく。中でも強大な猛禽類のすがたをした鳥人が降り立つと、空気が震えた。
「ガルダ、よくぞ来てくれた」
 ラースに対して首を垂れる鳥人ガルダ。また猿に似た風貌の人型超常体も顕れて、忠誠の礼をする。
「ハヌマーンも。両雄が揃えば余に敵は無し」
 駐日印軍大佐も波動の影響で半身異化が進み、熊王ジャーンバヴァットとしての姿を顕す。
 其の光景を遠巻きにして見ていた佐竹は渋面を作るしかない。アナンタから発せられる波動は友好的関係にある維持部隊に悪しき影響を及ぼさないが……
「だが気分の良いものじゃないな。――俺達は間違ったのか?」
 ――佐竹の呟きに答えられる者はいなかった。

*        *        *

 神事における儀礼作法は、各々の神祇で違うばかりか、同じ祭神であっても地方によって異なる事もある。土着の祇を天孫系の神が習合する際に、其の地方の風習を周到する事もあるからだ。
 さて諏訪大社は全国の諏訪系神社の総本社である。起源は定かではなく、国内にある最も古い神社の1つとされている。其の為、格式高い祭祀や他の神祇とは異なる儀法が隔離前に執り行われていたが、20年も経た現在では多くの資料が紛失していた。
 下社秋宮にて警護の傍ら、調べ物をしていた山辺は何とか探し出してきた限りある資料を前に頭を抱える。祈祷文が書かれた文書の多くは汚れ、更には、
「御柱祭は兎も角、御頭祭は難しいですね……」
 ――御頭祭とは4月15日に上社で行われていた祭儀の事である。隔離直前までは剥製で代用されていたらしいが、中世や近代の資料によると鹿の五臓等が供されるといった生贄の風習が見られる。
「……そういえばケートゥから奪還した時、血生臭い状況だった覚えがあります」
 濃厚な血の臭いが充満しており、中央の床を下から突き破るように柱が露出していた。其れは柱というより、罪人を地に打ち付ける杭のようで、周辺には人や獣の生首が儀式の供物として捧げられていた。
「アレは御頭祭を意識した上での、封印解放――太古の祇を呼び起こす儀式だったのでしょうか?」
 勿論、建御名方自身への供物だった可能性も高い。生贄を求めるようならば太古の祇と同様に危険極まりないのだが……
「――いずれにしても、建御名方神と八坂刀売神に呼び掛けるに生贄を供えるというのは、此の際、考慮に入れないでおきましょう」
 となれば仲介役とされる巫覡(ふげき)と認められるにどうすればいいか?
 ……結局のところ、誠心誠意努めるしかないのだ。儀礼作法は違っても共通の精神は変わらぬ。神祇を畏れ敬う事に他ならない。
 戦いで汚れた社殿の床を清澄な水で洗い流し、清涼な風を通す。中央の床から突き破って現れた柱に注連縄を飾る。他の3宮でも同じく丁重に祓った。
 そして解読出来た範囲でも祈祷文を口にした。多少は他の神祇の祈祷文が混ざっていたが、大事なのは畏敬の念だ。
 ――祈祷文を読み続けるうちに空気が張り詰めていく。耳が痛くなるような清々しさが、社内を満たしていった。そして……風が走り抜ける!
『私に呼び掛ける者よ、名をお聞きしましょう』
 風と共に響くは涼やかな女の声だった。
『私の名は八坂刀売。其方の名は?』
「――神州結界維持部隊・第125地区警務隊に所属する、山辺進と申します。封じられておられる建御名方神様と八坂刀売神様の解放を願わんと、お呼び掛け致しました」
 しかし、と言葉を続ける。
「不慣れぬ身でありますが、敬意を示し、礼儀もお尽くし致します。されど組織に属する以上、強力な敵性存在の解放を前提とするのであれば、非礼とそしられても解放には応じられません」
『――湖底に眠りしモノの事を言っているのですね?』
 八坂刀売の問いに、山辺は深く頷く。
『忌まわしき外津神の手により、湖底のモノの眠りが浅くなってきています。確かに建御名方と私が解放される事で、彼のモノも目覚めてしまうでしょう』
 ならば……と眉間に皺を刻む山辺に、だが女声は微笑みの色を浮かべると、
『彼のモノは目覚めてしまうでしょう。ですが心配は要りません。よく私に呼び掛けました。彼のモノを目覚めさせぬようにするが、建御名方と私の務めなのですから』
「では――」
『最後の封を解きなさい。そして忌まわしき外津神の企みを水泡に帰しましょう』
 封を解くには、どうすれば良いか。頭では理解出来なかったが、心が感じ取っていた。山辺が柱に手を差し延ばす。そして――

 ――諏訪大社の4宮から光の奔流が立ち昇った!

 同時間帯、諏訪高島城ではナーハリを足止めする作戦が決行されていた。残るアスラ2体と超常体の群れは回復した魔人や決死隊の猛攻によって仕留めたものの、昼間というのに、やはりナーハリは強大だった。強力な光の下では驚異的な再生力は失われるとはいえ、元が凶悪な戦闘力だ。ナーハリに与える以上に、此方の損害が大きい。
「――万事窮すか」
 決死隊の指揮官が弾を撃ち尽くしたBUDDYを棍棒のように構え直す。魔人隊員も強制侵蝕現象に伴う痛みに堪えながらも、ナーハリを睨み付けた。ナーハリが嘲りを込めた笑みを浮かべて威風堂々と迫ってくる。
 其の時、四方――諏訪大社の4宮から光の奔流が立ち昇る。上社の前宮と本宮の光は寄り集まると黄金色に、下社の春宮と秋宮の光は白銀色になる。そして諏訪上空で螺旋を形作った。
 諏訪湖もまた、発していた虹色の光が黒く染まっていき、濁った水柱が立ち昇ろうとする。だが金と銀の螺旋の光が、真上から黒の柱へと降りて行った。其れは打ち下ろすようなものでなく、まるで宥めるようにも、優しく包むようにも思えた。
 螺旋の光が湖面に到達する頃には、黒の柱は眠りに就くように底に沈んでいき――そして晴れた後には諏訪湖は穏やかな風景を取り戻していた。
 螺旋の光は諏訪湖だけでなく、維持部隊員やナーハリにも影響を与えていた。維持部隊員の活力が湧き上がり、士気が高揚する。対してナーハリの動きは明らかに鈍くなり、力もまた弱まっているようだった。
「――総員、絶好の機会だ! 戦力を集中しろ!」
 指揮官の合図に応じて、怒涛の攻撃がナーハリに加えられていく。そして再生が間に合わないナーハリへと焼夷手榴弾が投げ込まれた。
「――やったか!?」
 悲鳴を上げる余裕さえも与えずに、ナーハリは消し炭になる。だが……
「……逃げられた。報告によると〈這い寄る混沌〉の核は“輝くトラペゾヘドロン”という奇妙な偏面四方体らしいが……アレを破壊しない限りは、倒せたとは思わない事が良いらしい」
 舌打ちをする。其れでも、
「警戒は厳重に。だが――」
 今こそ諏訪を取り戻したという実感が沸き起こり、大歓声が鳴り響いた。そして周囲から轟く祝砲に、山辺は笑みを浮かべるのだった。

*        *        *

 ……富士山本宮浅間大社にて警戒待機していた維持部隊に駐屯地や分屯地へと撤収するよう命令が来たのは、6月中旬に入ってすぐだった。
 竹内はラースへと別れの挨拶をする。
「――では殿下。維持部隊は此れで。デーヴァ神群の勝利をお祈りしておりますが……」
 一瞬、言いよどんだものの、
「いずれ、此の静岡の地を正々堂々と取り返させて頂きたいと思っています。其れまで御健勝を」
「――了解した」
 竹内の言葉に、ラースも不敵な笑みで頷く。竹内と同じく敬礼を送り終えた維持部隊員が高機動車『疾風』や96式装輪装甲車クーガー、73式大型トラック等に搭乗していく。
 最後に竹内が出発の合図を出そうとした時、光に包まれて男神が降りてきた。駐日印軍兵士やデーヴァ神群超常体が慌てて神を取り巻こうとするが、ラースが押し止める。神はラースを一瞥すると、
『……我が妹(※妻の意)を解放し、此れまで保護して頂いた事には感謝する』
 軽く一礼。そして浅間大社へと足を踏み出した。
『――佐久夜よ、遅くなり申し訳ない。だが恨み言は後で聞く。兎に角、浅間を捨て、私と共に高千穂へ向かおう』
『心残りはございますが、邇邇芸様――我が背(※夫の意)に従いましょう』
 神は、浅間大社より現れた木花之佐久夜の手を取ると、また光と共に消える。其の間、竹内は敬礼で不動だにしなかった。
「状況終了――撤収する!」
 号令を受けて車輛のエンジンが掛かる。駐日印軍やデーヴァ神群が見送る中、維持部隊は浅間大社から完全に撤収したのだった。

 ――そして夏至の日。世に言われる、黙示録の戦いが始まった。高位の超常体が、神州の支配権を巡って相争い始める。天を覆う、神の御軍。地を覆う、魔の群隊。人々は拠点を死守するのに精一杯だった。

 ……時折、天使或いは魔群が、デーヴァ神群と小競り合いしているのが遠目に観測されるが、建御名方と八坂刀売の影響下にある諏訪の地は比較的平和と言えた。東海だけでなく関東や中部からも避難してきた非戦闘員を受け入れており、多少は物資面で不安なところがあるものの、問題は乗り切れると言えた。
 そして……人々は戦い続けるのだ。武器を磨き、身体を鍛える。大切なモノを護る為に。
 ――失われたモノをいずれ取り戻す為に。

 


■状況終了――作戦結果報告
 第1師団(一部)と、第12師団による東海方面の戦いは、今回を以って終了します。
『隔離戦区・呪輪神華』第1師団(一部)、第12師団(東海 = 南亜細亜)編の最終回を迎えられた訳では在りますが、当該区域作戦の総評を。
 残念ながら東海地方の総評として人類側の勝利は認め難いと言わざるを得ません。とはいえ御指摘頂きましたように戦力不足が決定的要因であり「勝ちは獲れなくても、負けはしなかった」結末を迎えられたのは奮闘あってのものだと思います。
 静岡の富士山本宮浅間大社はラクシャーサ神群の侵攻を阻止したものの、デーヴァ神群との曖昧な友好関係が続く事になりました。デーヴァ神群とは友好関係にありますが、決して対等な形ではありません。ラース殿下(ヴィシュヌ、カルキ)としての個人的な厚意と、神群との力関係による立場は別なのです。御理解頂ければ幸いです。
 さて長野の諏訪大社では建御名方と八坂刀売の解放に成功しました。太古の祇が暴走しかねないという危険性はあり、よく賭けに乗ってこられたものだと感心しています。但し〈這い寄る混沌〉の化身ナーハリを倒すには至らなかった為、またいずれ何処かで猛威を振るうでしょう。御用心下さい。
 其れでは、御愛顧ありがとうございました。
 此の直接の続編は、当分先になると思います。とりあえずは、時間を少し溯りまして、同時期の近畿・中部地方での作戦に御参加頂ければ幸いです。
 重ね重ねになりますが、ありがとうございました。

●おまけ・設定暴露:
 ラクシュミーの受容体は、ラースと同世代のPC女性から選ばれる予定だった。もしもラクシュミーの受容体であるPCが現れていたら、また違った展開・結末を迎えていただろう。
 拙作『神邦迷処』においてラクシャーサ神群の別働隊が青森の恐山を占拠しているが、ラーヴァナが討たれた事で『遊戯』に参加する資格を失っている。従って『黙示録の戦い』でヘブライ神群もしくは魔群(ヘブライ堕天使群)によって恐山は陥落する事が予測に難くないが、捕らえられているヤミーを助け出す為に、デーヴァ神群が動く可能性もある。いずれにしてもラクシャーサ神群に未来は無いだろう。
 諏訪湖に封じられている太古の祇は、御赤口御石祇「ミシャグヂ]。諸説あるが、荒吐[アラハバキ]に並ぶ古い祇であり、其の力は強大。仮に解放されただけでも諏訪一帯は壊滅していた。
 シヴァは『遊戯』に不参加。ヴィシュヌに今度の破壊と創世を譲っていた。
 隠しシナリオとして用意されていた秋葉山本宮秋葉神宮には火之夜藝速男が封印されており、レーヴァテインと同じく〈這い寄る混沌〉を真に滅ぼす為の手段が与えられるはずだった。クリシュナに扮した〈這い寄る混沌〉によって第4回終了時点で消滅。神としての意識も力も失ってしまった。


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