神州結界維持部隊中部方面隊・第3師団第36普通科連隊・第309中隊第3小隊・第398班……3月末に万博記念公園跡地への警邏中に壊滅した部隊だ。
三鷹・秀継(みたか・ひでつぐ)陸士長と、其の相棒は、当時、第398班の仲間達とは別行動を取っていたのだが、そして合流しようとした矢先に事件が生じたのである。
仲間に助けの手を差し延ばす事も叶わず、眼前で行われた凶行。戦友達は炎に呑み込まれ、また氣で練られた刃に両断されていった。第398班長もまた超常体として憑魔に完全侵蝕された挙句、消し炭にされる。
「――大丈夫か?」
いつもは何処か愛嬌を感じさせる穏やかな容貌の三鷹だが、此の時ばかりは怒りを露わにした。灰色の双眸は鋭さを増し、普段は柔和な雰囲気を醸し出す口元が怒りと悔しさで歪んでいる。其れでも感情に任せて暴発しなかったのは、相棒にして部下である操氣系魔人が急にのた打ち回った事もあった。第398班長と同じく、寄生している憑魔核が突如暴走。激痛で膝を屈したのである。能力で自身の乱れた氣を正調したものの、疲労感が強そうだった。
「……あの少年に班長が手を差し延ばそうとしたのと同じ瞬間だったな。――魔王クラスか?」
国際連合は否定しているが、超常体の中には各地の神話伝承――神や魔王に似た高位のナニカが存在する。特に高位上級に格付けされるモノを、群神/魔王クラスと呼んでいた。勿論、ピンキリだが、特徴的なのは憑魔強制侵蝕現象と呼んでいる波動。無理矢理に活性化された憑魔が、寄生している宿主の肉体や意識を侵蝕していく現象だ。激痛で魔人の多くが無力化されるばかりでなく、完全に侵蝕された場合、超常体として人間の敵に回る。そうなれば、かつては親友であったとしても、最早、殺すしかない。
「……いいえ。あの“彼”から波動が放たれたような感じはしませんでした。しかし其れ以外のナニカ――例えば班長達の命を奪い取った赤髪の超常体の仕業でもありません」
超常体が付近にいれば、憑魔は反応して活性化する。半身異化しなくとも並の人間よりも身体能力が強化される。此れは強化系に限らず、全ての魔人に言える事だ。そして部下は操氣系だ。超常体が近くにいるかどうかしか判断出来ない通常の活性化と違い、半身異化という憑魔の能力を最大限に引き出せるようにすれば、半径200m以内の超常体や魔人の多くをほぼ把握出来る。具体的な位置だけでなく、どんな能力を所有しているか、また或る程度の強さの目安等だ。だが「ほぼ」と断っている通り「完全」ではない。一方でも魔人を父母に持つ子――第二世代魔人(デビル・チルドレン)は能力を発揮しない限り、魔人かどうかも判別が付かない。また操氣系の中には、気配を隠す応用で、己が魔人かどうかも誤魔化す使い方も出来るらしい。
さておき、
「……赤髪の少女と、其の御供のような5人は、超常体だったのか」
第398班の仲間を殺害した、赤髪の少女と御供の5体。赤髪の少女は炎を放ち、また少なくとも1体は氣の剣を使っていた。
「少女の方は能力を使わなければ判らなかったかも知れません。恐らくデビチルです。しかし……とてつもなく強いですよ。他の5体は完全侵蝕魔人でしょう。操氣系が3体。氷水系が1体。雷電系が1体」
それと……と声を潜める。
「――先程まで廃屋の1つから此方を見下ろしているのが3体いました。操氣系と強化系、それから祝祷系。此の3体も完全侵蝕魔人です」
どうします?と部下は視線で三鷹に問い掛けてくる。相手の数は、仇だけでも6体。そして潜んでいたのが3体。三鷹と相棒では圧倒的な戦力不足だ。しかし、
「奴等――完全侵蝕魔人は、あの少年だが少女だか判らない“彼”を追い駆けていた。何等かの戦略もしくは戦術的な価値があるのだろう。……奴等よりも先に身柄を保護する必要がある。そうでなくとも、どうしても真相を突き止めたい。此れは男の意地だ」
「――承知しました。“彼”もですが、奴等は、どうにも土地勘がないように思えます。付け入るとしたら、其処だと考えます。しかし無茶は出来ないし、先輩にもさせませんよ?」
相棒の言葉に、無理にでも不敵な笑みを形作ると、駆け出すのだった。
93式金距離地対空誘導弾クローズアローや地対空誘導弾ペトリオットが並ぶだけでなく、74式戦車も駐機している大津駐屯地。
「今津の戦車大隊や饗庭野の第12高射隊に要請していた増援だけでなく、豊川の古巣からも戦力が割かれるとはな。守山の奪還に忙しいだろうに」
第10高射特科大隊・試作自走対空砲小隊長の 村田・巌(むらた・いわお)准陸尉が地対空戦力を眺めて呟いた。そして自身の部隊を振り返る。
「俺の方も87式自走高射機関砲の改良を申請したんだがな。……まぁ、予算の範囲内で頑張ってくれた結果が此れさね」
35ミリ2連装高射機関砲L-90が5門。此れが村田試作小隊の主戦力である。エリコンKDB 35mm機関砲と、レーダー制御の射撃統制装置によって構成されるL-90だが、ミサイル等に対空武器の座を取って代われ、超常体が現れなければ退役されるのは間違いなかった。とはいえ村田の提案に基づき、防弾性能と不整地走行性能に未だ難点が残るものの、近代改修と自走化がなされている。更に指揮統制を行い、対空戦闘を援護する装置にも自走化が図られ、また最新型電子機器を備えての改良が施されていた。コストパフォーマンスの点と対空性能から考えれば優秀と言わざるを得ない。
「……しかし此れだけの戦力を掻き集めても京都の防壁を突破は難しいだろう」
悲観的にとれる発言は、大津駐屯地司令を兼任する中部方面混成団長(※註2)だった。苦労が祟ってか、全身の体毛は白く染まり、また頭頂部は禿げ上がっている。村田より一回り歳上とはいえ、随分と疲れ切った御仁であった。
大津駐屯地は京都の天使共と戦う最前線の陣営であり、神州でも指折りの激戦地だ。武装の損耗率も戦死率も極めて高い。京都は、神州が隔離されて直ぐに天使の群れの大規模な襲撃を受けて陥落した土地であり、今や天使共の巣窟となっている。桂駐屯地にいた人員の生存は絶望視され、そもそも記録自体が抹消されている有様だった。
京都が制圧されて20年近くも戦ってきた。蓄積された戦闘データから出た結論は「京都を正攻法で奪還する事は不可能」という残酷なものだ。
「此れまでの戦いから俺も解っています。しかし、だから特殊部隊の突入による偵察と破壊工作――暗殺を決行させる、と?」
正攻法での奪還が不可能と断じられた以上、せめて一矢報いる為に選択されたのが、MAiR(Midle Army Infantry Regiment:中部方面普通科連隊)や零参特務――正式呼称は『第03特務小隊』、そして志願者達による敵地である京都の偵察と、敵の中核を担う四大元素天使の撃破だった。
「京都に突入するまでが最初の難関だがね」
「其の為にも敵を誘導し、目を引き付けて、少しでも突入する隙を作り出す。其れが俺からの提案でしたが」
とはいえ村田試作小隊だけでは鎧袖一触されるだけだ。敵の目を引き付けるのならば出し惜しみせず総戦力で以て行わなければ意味がない。
「――防空陣地を複数構築し、後退しながら敵を誘引して撃破、敵戦力が減少した後に進軍して、京都への進入路をこじ開ける……どうです? そして俺の部隊はケルプを引き受けましょう。勿論、四大元素天使を落とせる機会があれば遠慮はしないですがね」
村田は強気で発言するが、
「……今度こそ、そう上手く行けばいいがな」
隔離以来20年近くも戦ってきたのだ。村田が提案した作戦と似たものは何度も繰り返し、試してきた。だが尽く失敗してきたからこそ、今も尚、京都は天使共の巣窟なのだ。中部方面混成団長の嘆息に、村田も表情を引き締め直した。
「当然、撃破そのものより、交戦により敵を誘引して少しでも多くの味方が入り込むことを優先します」
「――そうだな。成功し、蟻の一穴となる事を信じよう。信じるしかあるまい。今回失敗したら、もう敵の目を引き付けられるだけの戦力は無いのだからな」
突入を支援する作戦が決行されるまで入念な会議が開かれた。過去20年近くに渡る戦いの記録や、役割の分担。
「――兎に角、四大元素天使が戦場に現れるまでに突入部隊を送り出すのが肝心だろう」
「……どういう事だ?」
白樺・十夢(しらかば・とむ)二等陸士が不思議がる。神州結界維持部隊では暴論的なまでに実力主義が通っており、階級や年齢に問わず、有益な案を持つ者は作戦会議への出席や意見を具申される事が許可されている。
「むしろ好機ではないのか? 四大元素天使が無数の天使共に十重二十重に護られているのは聞いている。だが、どれほど厳重に守ろうとも、攻撃するのであれば必ず射線は通るはず。だから突入部隊と協調行動をとり、その一瞬をとらえて狙撃してみせるが」
白樺の言葉に、京都との戦いで生き残ってきた数少ない古強者の士長が言葉に詰まる。どう切り出して説明すればいいか悩んだ後、
「白樺二士は中部地方でなく関東出身だったな。しかも特戦群で鍛えられた精鋭。だからこそ余計に判り辛いかも知れんが……正攻法で挑んだ場合、9割方失敗する。射線? そんなもの、四大元素天使には必要ない。遠くから腕1つを振るうだけで戦術級の破壊を生み出すのだからな」
「いや……しかし!?」
憑魔能力は距離にして200m、範囲は半径200mの球形状に及ぶ。其の範囲内において能力者の想像により、様々な応用が可能である。しかし人間の頭脳では処理の限界がある。知性ある超常体や完全侵蝕魔人が恐ろしいのは此の処理限界が外れたところにあるという研究者もいた。
ちなみに憑魔武装の応用範囲が狭まれるのも、寄生した物の形状に対しての人間の無意識な固定観念が邪魔するからだそうだ。例えば刀剣に憑いた幻風系の武装で理論上は空を飛ぶ事も可能なはずだ。しかし刀剣という形状から「切るモノ、突くモノ」つまりは攻撃する物という固定観念が邪魔して、其れ以外の用途が想像し難い点にあるらしい。
……閑話休題。
白樺に説明する古強者の言では、屋外等の戦場における四大元素天使は戦術――もっと怖れを込めるならば戦略兵器そのものだという。戦略シミュレーションゲームにおけるMAP兵器と言えば解り易いかも知れない。目標地点だけを定めて力を発すれば、猛威が吹き荒れ、其処は焦土と化す。
「――四大元素天使を殺るのは突入部隊の工作員に任せて、我々は支援に徹するべきだろう」
諦観じみた口調で古強者の士長が呟く。そして、ふと気付いたように訊いてきた。
「そう言えば……白樺二士は特戦群なのだから、何故、突入部隊に志願しなかったのだ?」
「敵指揮官級を優先して撃破し混乱を誘い、其の上で突入路が開けたら侵入を試みたいと思って……」
「――甘いな。支援するなら支援する。突入するならば突入する。戦場での役割を明確にしようとしていないのは、他ならぬ君の方だろう」
其れまで黙って聞いていた議長が指摘する。そして無表情に言葉を続けた。
「……既に突入に志願する部隊は、北白川に向かったそうだ。また北面からの突入を図るMAiRは京都精華大跡地に移動を終えている」
「先程、第3飛行隊から連絡があり、零参特務を亀岡へと無事に送り届けたとの事です。――其のまま大阪や兵庫に脱柵しないといいのですが」
「……零参特務は札付きのワルばかりだが、其処まで愚かではないさ」
そして、また白樺に視線が移された。
「……我々としても何とか白樺二士を突入させてやりたいが、余り期待はしてくれるな。尤も白樺二士の提案通り、戦場に現れた四大元素天使を撃墜出来れば、其れに越した事は無いのだろうがな」
大阪――島之内・道頓堀・難波・千日前といった地域に広がっていた元繁華街の総称であるミナミ。普通科の部隊も滅多には突入出来ない、超常体の巣窟。過去、何度も伊丹の第36普通科連隊総出で掃討をしたものの、半月もしないうちに超常体の棲息地に戻る程の厄介な地域だった。
其の御堂筋(国道25線)を南下する普通科1個班。隊用携帯無線機で周辺の別働隊と密に連絡を取り合いながら、ミナミを捜索していた。
「――中央大通りから新橋までの御堂筋はクリア」
第37普通科連隊・第377班の甲組長である 田南辺島・清顕(たなべじま・せいけん)陸士長の言葉に、第377班長が頷き返す。
伊丹の中部方面警務隊から正式に普通科へと応援要請が来たのは4月に入って直ぐだった。先月の頭から急に大阪管区内の維持部隊の風紀の乱れ――強姦や乱交といった性暴力・薬物摂取・飲酒等が著しくなっており、警務隊が危機を覚えたからである。使用されていた薬物には脳神経だけでなく憑魔核をも刺激する成分が含まれている事が化学科の分析で発覚している。また出回るはずのないアルコール類。其れ等の出所がミナミからという証言に、伊丹の第36普通科連隊へと出動命令が発せられたのだ。伊丹だけでなく、信太山の第37普通科連隊からも応援が来ているという話もある。
「――ミナミの捜索ならば零参特務の役割だろうに」
零参特務――正式呼称は『第03特務小隊』。各師団長直属の懲罰部隊の1つだ。命令無視や暴走、引き金の軽い問題児はどこの集団にもいるが、特務に送られる連中は一線を画している。懲罰部隊は重犯罪者の集団……上官や同僚の傷害、殺しの罪人達だ。
当然ながら危険な戦域へと最初に投入され、ミナミは正しく其れに当たる。だが、
「……アイツ等は北に向かったそうだからな」
「北? ああ、京都で大規模な作戦があったねぇ、そういやぁ」
第377班長の言葉に、田南辺島が納得の表情を浮かべた。ミナミが超常体の巣窟ならば、京都は要塞だ。どちらにしても死が近い。
「なら、俺もいずれは京都送りかのう?」
ミナミ捜索前に田南辺島は第307中隊長に呼び出されており、軽く口頭で注意を受けている。いや脅しと言っても良いだろう。というものの田南辺島の蔑称は「死神」「死に損ない」「味方殺し」……此れまで田南部島が関わってきた作戦の中で、彼以外の隊員が戦死しているという事例が度々存在する事からだ。と言っても、実際は田南辺島に限った事ではない。田南辺島のように彼1人だけ生き残ったというケースは超常体との20年近い戦いの中では少なくないからだ。
「――お前は他の班や小隊の連中からの受けが良くないからな。其れに『懲罰部隊送り』を口にするのは、うちの中隊長の悪い癖だ。聞き流しておけ」
田南辺島の直接の上官である、第377班長は肩をすくめてみせる。田南辺島が率いる甲組の部下だけでなく、第377班長や乙組のメンバーもまた悪評を知った上で付き合ってくれる希少な戦友だった。
「そうですよ。厭味な中隊長の相手していたら疲れるだけだし。第一、僕は田南辺島さんの事、嫌いじゃないよ?」
先山・命(あずやま・みこと)二等陸士の言葉に、田南辺島は何とも言えない表情を浮かべる。小学校低学年程の年齢で、美少女と評される先山。何故か手に持つバールは「敵の血を吸って成長する」と恐れられているが、顔立ちや仕草はまさに美少女。
其のような先山に「嫌いじゃない」と言われても、どうしたら良いモノか誰でも時々悩むらしい。田南辺島はペドフィリアでないから尚更だ。
「……と小休止としては、此れで充分かねぇ?」
表情を改めた田南辺島が目配せすると、軽く笑っていた第377班長もまた気を引き締める。ミナミに入ってから憑魔核は警告を発して止まない。大なり小なり超常体は周囲に潜んでおり、第377班の喉笛に噛み付かんと狙っているのだ。だが刺激にはもう慣れ、痛みも感じない。そして半ば崩れた建物を見上げる。
「――ホテル日航大阪跡。警務隊から重点的に調べて欲しいと要望のあった1つだ。一応、すぐ隣の四ツ橋筋を第378班が捜索しているが、救援は期待するな。勿論、此方も第378班から救援を求められても簡単には応じられないのでお互い様だがな」
皮肉めいた笑みを第377班長は浮かべる。田南辺島は個人用暗視装置JGVS-V8を装着し、89式5.56mm小銃BUDDYを構える。
「――班長、甲組が先行して潜入するから、退路の確保や側面の警戒等のバックアップを宜しく頼むぞ」
「ああ。……ついでに先山も連れて行け」
先山もV8で綺麗な顔を隠すと、意気揚々とバールを構え直す。先山の装甲は田南辺島達が着用している戦闘抗弾チョッキより耐久性の高い、インターセプターボディアーマーだから大丈夫だろう。ケブラーを使ったソフトアーマーとセラミックプレートが挿入されたベストだ。
「……仕方ないねぇ。とりあえず接近戦になる事は無いと思うけど、屋内は死角が多いから頼りにするか」
半ば諦めたような口調で先山に言い聞かせた。そして息を潜めると入り口から直ぐの様子を探る。微かな物音を聞き逃す事無く、手信号で合図。暗視装置が捉えた影を5.56mmNATOが貫いた。
「入り口の掃討を開始、目的は退路の確保」
暗闇を銃火が彩っていった。
双眼鏡で観測していた偵察員が瓦礫から顔を出して、エンジェルの警戒する姿を確認する。
エンジェルは天使共の中でも底辺に位置する超常体だが人並み以上の知性を有し、組織的に行動する厄介な存在だった。複数形はエンジェルス。アルカンジェルやプリンシパリティといった、上位の天使の尖兵として、集団となって襲ってくる。宗教色強いその姿形だが、習性は冷酷にして獰猛。
『――各突入部隊に通達。此れより状況を開始する』
中部方面混成団長の通達が行き届くと、東野の国道1号線沿いに展開していた村田試作小隊のL-90が口火を切る。35mm砲弾に吹き飛ばされたエンジェルだったが、すぐに砲声を聞き付けた他の天使共が金切声を上げた。木陰や岩陰、そして廃屋にマネキンの様に微動だにせず眠っていたエンジェルやアルカンジェルが羽を広げて飛び立つ。
「――天使共が集まってきます! 防衛陣を形成」
「交戦しながら後退。遅過ぎず、だが速過ぎずだ!」
押し潰してくる様な天使の数。空はエンジェルスの発光によって輝いて見えた。
県道35線が交差する地点にまで戦線が後退したところで布かれていた対空陣地が稼働。待ち構えていたクローズアローやハンドアローが発射されるだけでなく、キャリバー50や5.56mm機関銃MINIMIが弾幕を張る。地上では築いたバリケードから覗かせたBUDDYの銃身の横列が銃声の狂騒曲を響かせていた。
対するエンジェルスも光の矢を雨の様に降らし、プリンシパリティが衝撃刃で装甲を掻き削ってくる。ぢ面の上を滑るように低空飛行してきたアルカンジェルは身を氣の障壁で包むと、5.56mmNATOの直撃を弾くと同時に、1つの放火となって荒れ狂った。そしてアルカンジェルの群れを率いる、外骨格のような鎧を身にまとったパワーが槍を振るうと、衝撃で陣地が突き崩されていく。空の戦列に加わったヴァーチャー数体がそれぞれ異なる能力を発揮すると、炎の柱が巻き起こり、雷鳴が轟き、突風が吹き荒れ、大地が崩れ、氷雪が舞い散った。
「――距離800m、風速25m。障害としてエンジェルスが3。……当てられるか?」
相棒の観測手の言葉に、白樺は不敵な笑みで返す。XM109 25mmペイロードライフルを構えるとエンジェルスの小隊を動かしていたヴァーチャーの一体を照準眼鏡に捉えた。
「さて、仕事をしようかね?」
米陸軍が湾岸戦争後に打ち出した対物狙撃兵器の開発を進める計画の中で、特殊部隊用に50口径(12.7mm)アンチマテリアルライフルより高性能でより破壊力のある25mm弾を使用した重装弾狙撃銃(ペイロードライフル)の開発を打診し、バーレット社が1990年代より開発を進めてきた大口径アンチマテリアルスナイパーライフルがXM109である。超常体の出現により開発が遅れたが、2012年に制式採用され、一部米陸軍特殊部隊に先行導入されているだけでなく、維持部隊にも数少ない程の愛用者が居る。
そしてXM109から発射された25mm弾は射線上で障害となるはずのエンジェルスを巻き込みながら、目標のヴァーチャーを両断する。氣の障壁を展開しようとするアルカンジェルをも吹き飛ばし、猛威を振るった。
「流石に目を付けられるか。此方にやってきたぞ」
脅威を排除しようとアルカンジェルを引き連れたパワーが押し迫ってくるが、周囲を固める普通科隊員がBUDDYやMINIMIで応戦する。白樺と観測手は味方を信じて狙いを新たに定めると、続いてXM109の砲火を射ち放した。
「――敵の増援を確認。益々空が白い光に染め上げられていきます! ドミニオンと……ケルプです!」
背に2対の翼を持つドミニオンへと銃弾や砲火が殺到する。だが双翼が身を護るように展開し、氣の障壁が直撃を逸らすだけでなく、威力をも殺した。
そしてパワーズを引き連れた重戦車の如き人面獣ケルプが咆哮にも似た唄声を上げる。青い2翼は、背からではなく頭から生えている。1個体で1個大隊に匹敵すると言う高位上級の超常体。唄声と共に発せられた氣弾が、陣地を吹き飛ばし、クローズアローだけでなく74式戦車すら叩き潰す。
「……L-901基が沈黙しました」
対空戦闘指揮装置に張り付いていた部下が沈痛な表情を浮かべた。村田はキャリバー50のベルトリンクを交換するとケルプに向けて発射する。
「――火線を集中させろ!」
村田に続いて、普通科の隊長達も怒鳴って部下を叱咤するとケルプへと集中砲火を浴びせようとする。だが主力戦車並みの装甲に等しい外皮を傷付ける事は難しかった。其れでも……
「クレイモア一斉点火! 動きを止めろ!」
鈴生りに仕掛けていた指向性対人地雷M18クレイモアが一斉に破裂する。ケルプと共に動き回っていたパワーやアルカンジェルを鋼球が襲い、そして目標の動きも鈍らせた。此処ぞとばかりに5.56mmNATOや12.7mm弾が叩き込まれる。其れでも足りぬとハンドアローを水平に構えて射出した。
「誰かパンツァーファウスは残ってないか!」
「くそっ! 未だ動きやがる」
傷を負いながらも強靭な肉体で再び動き回り出さんとするケルプを封じるべく、村田は切り札を出す。
――憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
瞬間、村田の全身が霜に覆われた。氷雪の渦が巻き起こり、ケルプの身を閉じ込める。そして110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウスト3から放たれたロケットが命中――爆発した。更なる止めとして村田は再びキャリバー50を構えると尽きるまで叩き込んでいく。銃身が熱く焼けた臭いが漂い始めた頃、ようやくケルプの動きが止まっていた。
「――此方も止めだ!」
ヴァーチャーやプリンシパリティの護りを抜けて、白樺の殺意がドミニオンの身を貫いた。寄生する憑魔の力によって電磁加速された砲弾はドミニオンの厚い氣の防護壁を貫き、腹部に風穴を作り出す。撃墜されたドミニオンへと多くの隊員達が止めを刺すべく殺到する。弾雨が地面を揺らし、砲火が場を染め上げた。
……が、勢いは凍り付く。周囲の空気が一瞬にして静まり返り、そして激しい反動が衝撃となって維持部隊を襲った。
襲ってきた反動に村田をはじめとする魔人隊員が崩れ落ちる。白樺もまた強制侵蝕現象の波動に叩きのめされていたが、氣で張って自らの乱れを正調すると照準眼鏡を覗き込んだ。ぶれの激しい照準眼鏡で何とか捉えたのは、ウェーブのかかった長髪をした女性。3対の翼を背に生やし、手には杵のような棒状のものを持っていた。
「――東の四大元素天使が1柱、ガブリエル」
引き鉄を直ぐにでも絞ろうとするが、震える指は満足に動かず、また狙いも定まらない。其の間にも“ 神の人( ガブリエル[――])”は高らかに唄い出す。
―― Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus, Deus Sabaoth. Pleni sunt caeli et terra gloria tua.
気温が急激に下がり、氷の結晶が舞い散り始める。エンジェルスが発する光を乱反射して、幻想的な雰囲気を漂わせたものの、
「――総員撤退!」
氷水系能力者である村田が気付いて叫ぶ。そうでなくとも20年近くも戦い続けてきた古強者達は我先にと逃げ出していた。天使共も急速に空高く舞い上がる。
そしてガブリエルが杵を振り上げると――
ガブリエルの眼前から距離にして50m先。範囲にして半径150mの球状空間。一瞬にして雷光が荒れ狂い、収まった時には全てが蒸発していた。
ガブリエルは微笑を絶やさずに、翼を使わず二の足で歩を進めると、再び全てを蒸発させていく。逃げ遅れた者、横転して放置されていた装甲車等は、雷光に包まれると一瞬にして消滅していった。そして範囲から免れても、戦意を喪失し放心している維持部隊員は攻撃を再開した天使共に容易く殺されていく。
「――白樺二士、逃げるぞ。残念ながら、お前を京都に送り届ける事は不可能になった」
天使共が殺到するのを見て、白樺と相棒の観測手の狙撃地点を守っていた普通科部隊長は撤退を促した。
「震えは止まった。痛みも収まっている。今がガブリエルを狙撃する機会だ!」
「狙撃出来たところで、必ず殺せる確証が無い。そしてガブリエルを殺せたとしても、今のうちに逃げなければ、お前は生き残れない。悔しいが逃げるんだ」
其れだけ伝えると、普通科部隊長はもう白樺達を見捨てたとばかりに足早に撤退していく。取り残される前に、観測手は白樺に決断を求めた。
「……止むを得ない。撤退する」
白樺は血が滲むほど唇を噛んだ。
……突入支援として行われた、今度の作戦での損耗率は8割近い数値が出た。
「――同様の作戦を行えと言われても、もう無理だ」
中部方面混成団長は嘆息する。そして天を仰ぐと、
「最早、突入していったMAiRや零参特務が成功している事を祈るしかないだろう」
だが彼等からの報告は――未だ無い。
地の利を活かして“彼”の行方を捜索する三鷹達。“彼”が逃げ出した方角――山田駅跡から西へと向かう。〈探氣〉で“彼”の居場所を探れればいいのだが、
「未だ“彼”自身が魔人であるかどうかの確証がありません。其れに〈氣〉を放てば僕達の位置も敵に見つかる危険性が高いです」
操氣系能力の〈探氣〉は半径200mの球状空間における超常体や魔人(と無理をすれば他の動体)の位置や能力を把握する事が可能だが、此れは原理的に潜水艦等にアクティブ・ソナーに近い。氣を張り巡らせる事は、敵の操氣系魔人に居場所を自ら報せるようなものなのだ。実際、赤髪の少女が率いている完全侵蝕魔人と思われる操氣系能力者は度々〈探氣〉を発しており、三鷹達からすると位置が丸判りだ。
「――御蔭で不要な戦闘を避けたり、奴等が何処を探索中なのかが判ったりしているのだが……」
念の為に此方は相棒の〈消氣〉で気配を隠している。此れは赤髪の少女達の不意打ちを避けるだけでなく、
「――姿を見せない3体の完全侵蝕魔人への警戒ですね。少なくともコイツ等も赤髪の少女達を警戒してか、〈探氣〉を発していないようです」
兎に角、現在、赤髪の少女達は旧・千里東町公園内にて探索しているようだった。弘済院附属病院跡から旧・千里中央公園を経ており、つまり其の場所に“彼”が見付からなかったという事でもあろう。
現在、三鷹達は千里ニュータウンの中央区画である千里中央駅を含むショッピングセンター跡地を捜索していた。通称して「せんちゅう」。当然ながら隔離以来の20年で日用品等は回収され、もぬけの空。食糧品は言わずもがなだ。
「……其れでも生き物である以上、食事や休息は必要だからな」
旧・千里セルシーに足を踏み入れる。部下が訝しむ表情を浮かべた。警邏する維持部隊の靴跡や超常体との戦闘の傷が刻まれている中、異なる気配を感じ取ったようだ。
「――先輩、此れを」
不器用に抉じ開けたオリーブドラブの缶――戦闘糧食I型。通称、缶飯が転がっていた。側面に書かれている文字から、
「ウィンナーソーセージか。じゃあ、こっちの破れた袋は乾パンだな」
缶飯の中でも唯一の乾パンを主食とするメニュー。
「……先輩。そろそろ弾薬だけでなく携行食も底を尽き始めています。一旦、駐屯地まで戻って補給し、応援を募りましょう」
相棒の言葉に、三鷹は暫く黙考。班長達の仇を取るべく、真実を求めて“彼”を其のまま追跡していたが、そろそろ限界に近いのは後輩の訴え通りだ。伊丹までの往復のタイムロスは惜しいが、自分達の身までも危険な状態に追い込んでは元も子もない。
「――よし。残念だが、一度戻って補給と報告、そして応援を……」
言葉の途中で切って、奥の物陰へと見遣った。此方の話し声を聞き付けたのだろう、何か細い影が視界の端に映る。超常体――? いや、あれは……
「待ってくれ! 本官達は敵じゃない。君を保護しに来た。味方だ」
此方を覗いていたモノが逃げ出す前に呼び掛ける。血と汗、そして泥に汚れ、破れが目立つ戦闘迷彩II型を着ているが、其の容貌は“美しい”。歳の頃は10代後半ぐらいで、女性とも男性とも判断の付かない華奢な体格。
「――女性、それも男性? いや、もしかしたら両性具有体かも知れませんね」
超常体の出現の際に巻き込まれて渡ってきた、此の世界と異なる動植物による環境の変化。地球各地で最初期に行われた超常体への戦闘において使われたNBC兵器の後遺症――様々な原因が考えられているが、ホルモンバランスの異常か、遺伝子情報の問題か、両性具有や無性の身体を持つ者が多くなってきた(※註3)。
部下の言葉に成程と内心で納得しながらも、三鷹は“彼”に穏やかな笑みを向けた。
「――本官の名は三鷹。三鷹秀継だ。君の名は?」
「私の名……?」
口に出そうとした“彼”だが、咽喉からは枯れた嗚咽が漏れただけだった。“彼”自身が困惑し、そして美しい眉を八の字にして、頭を抱える。
「――名前、思い出せない」
(……戦闘のショックによる記憶喪失か?)
三鷹は相棒と顔を見合わせる。兎に角、手を差し延ばすと“彼”を引き起こそうとした。
「――失礼。宜しければ、“彼”の身柄を譲って頂きたい。ああ、声を掛ける前に名乗るべきだったか」
着ていた野戦服は薄汚れていたものの、そうと思わせない洗練された立ち居振る舞いで、男は挨拶してきた。後ろに、厳つい顔をした巨漢と、対照的に病んでいるかのように痩せ細った男を連れている。
「……すみません、先輩。気付きませんでした」
「いや、其処の貴男。気付かなくても仕方ない事。私共も気配を隠し、そして姿を周囲に溶け込ませていたからね」
そういえば、赤髪の少女と別口の、完全侵蝕魔人3体の内訳は操氣系と強化系、それから祝祷系だった。同じく気配を隠していた三鷹達の居場所が判ったのは、
「“彼”を呼び止める時に、俺が上げた声か――」
「偶然聞き付けたにしては出来過ぎているな。“唯一絶対主”の気紛れかも知れない」
自嘲めいた笑みを口の端に浮かべる完全侵蝕魔人。さておき、
「私は七十二柱の魔界王侯貴族が1柱ロノヴェ。他からは美貌伯と呼んでもらっている」
後輩によると、ロノヴェ[――]が祝祷系。そして紹介されていく巨漢が怪腕王 サレオス[――]といい、強化系。痩身の男が予言貴公子 ヴァッサゴ[――]で操氣系らしい。
「では改めて頼むが“彼”の身柄を私共に譲って頂きたい。宜しいかな?」
ロノヴェの呼び掛けに、だが三鷹は閃光発音筒を投擲する事で応えた。閃光と爆音が轟き、衝撃で放心となった“彼”の身を抱えて駆け出す。時折、振り返ってはM14バトルライフルで、視界を取り戻して追い駆けてくるロノヴェ達に牽制射撃を行う。
……だが、
「先輩、前方左より完全侵蝕魔人が5体接近!」
正確には完全侵蝕魔人と赤髪の少女の、計5体だ。閃光発音筒と銃声を聞き逃す事無く駆け付けてきたのだろう。急ぎの駆け足で荒い息を吐いているが、
「――寄越せ! “主”の許しを得たくば!」
赤髪の少女の手に炎が生まれた。其れは鞭となって業火を撒き散らす。だが驚嘆すべきは、
「――六翼! こいつ、熾天使か!?」
赤髪の少女の背に3対の赤白く輝く翼が見えた。高位上級の群神/魔王クラス――否、こいつは!
「『処罰の七天使』が1柱“神の火(プシエル)”だ、こやつは!」
三鷹の後ろからロノヴェが叫ぶ。
「処罰の七天使……?」
「人間でいうところの最高位最上級の主神クラス! 京都の四大元素天使と同じ化け物だ」
“ 神の火( プシエル[――])”に従う完全侵蝕魔人も正体を露わにする。4翼のドミニオンに、ヴァーチャーが2体、そして鎧のような外骨格に身を包んだパワーが2体。前門の虎ならぬ天使共に、後門の魔王3柱。挟撃された状況に奥歯を噛み締め、だが諦めずに三鷹はM14を、相棒はBUDDYを連射する。降り注ぐ弾雨を、しかしプシエルは手にした炎の鞭で叩き落とすと、目を光らせた。
――瞬間、三鷹の背後で閃光が走り、プシエル共が悲鳴を上げた。ロノヴェが光を放射してプシエル等の視界を奪ったのだ。そのままサレオスが突進し、勢いの乗った拳でヴァーチャーを殴り倒す。またヴァッサゴが氣弾を発射して、視界が未だ快復していないながらもプシエルを護ろうとするパワーを撃ち崩した。
「……先に行け。私達が戦っている間に逃げろ」
「何故だ?」
魔王3柱の突然の援護に、三鷹達は一瞬だが躊躇する。ロノヴェは鼻で笑うと、
「――敵の敵はナントヤラという。“唯一絶対主”を盲信する輩に“彼”の身柄を奪われるより、君達に預けておいた方が遥かにマシなのだよ」
ロノヴェの言葉に、三鷹は素早く頭の中で状況を整理し、計算を終えた。相棒に目配せすると、旧・千里セルシーを脱け出すべく強く床を蹴る。そして今度は脇目も振らずに加速。
背後で爆発音と、炎や光が荒れ狂うのを感じた。
旧・千里セルシーを脱け出したところで、高機動車『疾風』から普通科隊員達が降車してくるのを確認する。相手の班も三鷹達に気付いたのか、BUDDYを油断なく突き付けながら、誰何の声。
「――第398班の三鷹です! 要救助者を保護したところ敵完全侵蝕魔人に追われているところです」
「……第398班の。連絡が途絶えていたから最悪、不慮の事故で全滅していたかと思ったぞ」
「第398班で残ったのは本官と相棒の2名だけになりました……其れよりも旧・千里セルシー内で天使と魔王が交戦中です。一刻も早く撤退を!」
「――天使と魔王が? しかし漁夫の利狙いが出来る状況ではなさそうだな。了解した」
救援に訪れた普通科班は、半数の人員を監視と警戒の為に残すと、三鷹達を疾風に搭乗させる。緊張の糸が切れたのか“彼”が意識を失った。
……此の後、“彼”の身柄を確保した三鷹達は、伊丹駐屯地へと収容された。しかし魔王と天使の両陣営に狙われ、しかも第398班壊滅時の報告から“彼”に疑いの目が向けられたのは当然の事だろう。
なお後日、旧・千里セルシー内へと確認に向かったところ焼け焦げた巨漢――サレオスの遺体が1つ。そして多量の羽根と血痕が残されていたという……。
設計技師・木村得三郎が手掛けた日本初の鉄骨・鉄筋コンクリートである大阪松竹座は、テラコッタを使用したネオルネッサンス様式の正面大玄関の特徴あるアーチを持つ劇場建築だ。だが隔離以来の戦禍から免れるはずもなく、痛々しい姿をさらしていた。
ミナミの捜索及び超常体の掃討を行っていた第377班は御堂筋を南下し、ついに道頓堀を越える。連日の無数でも過言ではない超常体との戦闘で、班全員が疲れ切っていた。いつ誰かが脱落してもオカシクナイ程の状態で、廃墟と化した大阪松竹座を眼前に捉える。
「……流石に、もう、僕、限界だよ……」
元気に頑張るが口癖の先山さえもが挫けそうな面持ちだった。美しい顔立ちも疲れが見え隠れしており、戦闘迷彩II型は超常体の血と脂で汚れている。但し手に持っているバールだけは活き活きとして見えるから逆に怖い。比喩表現でなく、どれほどの超常体の命を喰らったのだろうか。
「でも、此れだけ多くの超常体の巣窟となっているミナミで禁制品の取扱なんて不可能に近いと思うんだけど……。そもそもどうやって取引しているんだろう?」
先山の呟きに、田南辺島も眉間に皺を刻む。
確かに禁制品の取引現場が超常体の巣窟にあるのであれば、おいそれと警務科も手を出す事は出来ない。だが裏を返せば、幾ら禁制品を求めるからといって、命を賭してまで超常体の巣窟へと潜り込むのはオカシイ。無事で済むはずがない。
「――何処かにカラクリが?」
田南辺島だけでなく、第377班長も唸るようにして考え込んでいるようだった。しかし当の先山は疑問を並べ続けていく。
「……其れに高位下級以上、完全侵蝕された魔人でもなければ、超常体のど真ん中で、こんな活動は出来ないと思うんだけど……。其れだとこんなことするだけに見合った目的があるはず。なら目的って何かな?」
先山の疑問に、だが誰も答えられない。其れでも何等かの回答を考えあぐねていると、
「……ん?」
田南辺島が全員に隠れるように手信号。旧・大阪松竹座の前にある廃ビルの陰に急いで身を潜めた。エンジン音が近付いてくる。背嚢を負った維持部隊員が2人。BUDDYを構えているものの何故か頼りなく見える。
「……僅か2人で此処まで来られる割には、変だな」
田南辺島の呟きに、誰もが頷き返した。
「――うち以外に御堂筋を割り当てられている部隊があったか?」
「……いや、無いはずだが」
田南辺島の確認の問い掛けに、第377班長が首を傾げながら答えた。そうして周囲を見渡しながら旧・大阪松竹座に侵入していく彼等。第377班は示し合わせると彼等を追跡する。だが先山が美しい眉を八の字にして、鼻を押さえた。
「変な……厭な臭いがするよ」
此処、数日の戦闘で超常体の返り血や脂を浴び、体臭が全員の戦闘服に染み付いている。とはいえ其れとも異なる臭い。もしかして彼等の残り香か? 田南辺島も顔をしかめた。だが、
「臭い? 全く感じませんが」
臭いを嗅ぎ取ろうとする田南辺島指揮下の隊員達だが、困った顔をするだけだ。第377班長もまた不思議そうな表情を浮かべる。
「――先山と田辺島だけ臭うのか?」
「ああ。我慢出来ない程ではないが……念の為、全員に防護マスクの着用を」
田南辺島の進言に従い、第377班員は防護マスク4型を着用。2階のメインロビーを抜け、3階にある観音開きの扉を潜ると、劇場空間が広がった。奥の舞台では先程の2人とは別に、超常体を従える影があった。
体毛の無い真っ黒な馬のような姿をしているモノや、両手両足が長い人型が数匹いる。田南辺島や先山も初めて目撃した超常体で、此れまで報告にも上がってきた事のない新種だ。
其のような数匹の超常体に囲まれながら、2人と直接相手をしているのは遠目からでも美しいと判る蠱惑的な女。だが後ろに用意された席に足を組んで悠然と座っているのは、其の彼女すら引き立て役にする程のカリスマ性を醸し出す、美髯のロマンス・グレー。更に男が控えているようなのだが、影に隠れて容貌までは判らない。
幾つか破損し、荒らされてはいるが、未だ遮蔽物として有効な客椅子の陰に隠れながら、接近を試みる。維持部隊員2人と女の声が聞こえてきた。
「……4月中旬には大規模な捜索・掃討が終わるはずなのに、其れまで待てなかったのかしら? もしかして預けていたクスリも個人的に使ってしまったんじゃないわね?」
責めるような女の声に、維持部隊員2人は、
「――い、いえ、ちゃんと御指示通り、混入していっておりますとも」
震える声で弁解。だが女は鼻を軽く鳴らすと、
「そうかしら? 此処に来るとは、大方我慢が出来なくなって新たに欲しがってきたんじゃない? だとすると予定より底が尽きるのが早いようよ。そして其の割には駐屯地への影響が少ないようね。――使えない屑共ね。アスモダイ様、如何致しましょう?」
(……アスモダイだと!?)
女に傅かれているロマンス・グレーの名が、アスモダイ[――]で正しければ、七十二柱の魔界王侯貴族が1柱にして、『七つの大罪』が1つ“姦淫”を司りし大魔王という事になる。
『……事はクスリとかどうかのレベルを超えている』
耳に着けた個人携帯無線の受信機から第377班長の苦悩が感じられた。此処は情報を持ち帰る事を優先して危険を冒さず撤退するか、それとも……
「生憎と、そう上手く行かないようだ!」
しかし第377班長の苦悩を嘲笑うかのように、超常体が突如、唸り声を上げて、襲ってくる。どうやら潜入に気付かれていたようだ。慌てふためていた維持部隊員2人も、だが何時の間にか傍に寄った蠱惑的な女が息を吹き掛けると惚けた表情を浮かべる。そして急変した。突如、声にならぬ叫びを上げると、眼を血走らせて第377班に襲い掛かってくる。
「……アパオシャ、ブーシュヤンスターもいれば充分であろう」
此れから始まる戦いを一瞥してアスモダイは立ち上がると、女に案内させて舞台裏に消えて行く。第377班は襲ってくる超常体の応戦で手一杯で、追跡は不可能だった。
「――足場が悪い! エントラス……せめてロビーまで後退するぞ」
そう言いながら田南辺島は閃光発音筒を投擲。閃光と爆音で超常体の動きが鈍ったところを、連射しながらロビーまでの後退に成功する。加えて劇場から出てこようと扉へと殺到する連中の鼻先に、Mk2破片手榴弾を放った。爆風による衝撃と飛び散った弾体が怪物の身を引き裂く。更に5.56mmNATOを喰らわせてやった。致命傷を負わずに肉薄してきた超常体も、
「――とぅりゃー!」
掛け声と共に、先山に振り払われたバールで叩き潰されていく。其れでも超常体を掃討し終わった時には予備の弾薬も尽き果て、全員が疲労で立つのも億劫になっていた。
「……徽章から、両名の階級は士長と一士。職種は2人とも需品科。所属は伊丹の駐屯地業務隊でしょう」
防護マスクを外して汗を拭いながら、田南辺島の部下が確認する。
「……やっぱり其の2人臭いよ」
同じく汗を拭う為に防護マスクを外そうとした先山だったが、臭いに負けて被り直した。他の班員は嗅ぎ取れないようなので、田南辺島が我慢して臭いの元を探る。腰に提げた雑嚢の中にロージンバックを見付けた。但し含まれているのは滑り止めの松脂等でなく、何かの粉末。此れが臭いの根源だ。
「――アスモダイに逃げられたが、かなり収穫があった。もう駐屯地に帰還しよう」
田南辺島の提案に、先山が真っ先に挙手した。
化学科の分析に回されたロージンバッグだが、半日ぐらいで臭気は消えたらしい。其れでも田南辺島や先山以外の魔人にも臭いを嗅がせるには充分だったようで、全員が「我慢出来ない程ではないが、やはり近寄りたくない」と感想を漏らした。
「――超常体や魔人だけに影響を与える生理活性物質という事か?」
「そうだとすれば、あの人達がミナミに潜り込めた理由して考えられるよね」
田南辺島の推測に、先山が納得の表情を浮かべる。第377班長は分析結果の伝達を続ける。
「……其れとクスリの成分が判った。地球上の組成物質ではないが、未知のモノでもない……らしい」
解るか?という視線に、先山だけでなく班員全てが首を傾げる。
「憑魔の細胞を粉末状にしたものらしい。作用は酩酊・多幸感等をもたらす一方、強力な依存性がある。そして――微量ならば兎も角、摂取すると侵蝕と同じ症状が体内で発生する」
何故だか血の気が引いた。代わりに嘔吐感が込み上げてくる。理由は判らないが、本能的なモノだった。
「なお、此れはどうでもいい話かも知れんが……アパオシャとブーシャヤンスターは拝火教(ゾロアスター教)に伝わる悪魔の名らしい」
■選択肢
WA−01)京都の状況を偵察・観測する
WA−02)京都の四大元素天使1柱挑む
WA−03)京都・伏見稲荷の制圧/調査
WA−04)伊丹駐屯地で“彼”に関わる
WA−05)伊丹駐屯地で“汚染”の粛清
WA−06)ミナミ捜索/アスモダイ追跡
WA−FA)近畿地方西部の何処かで何か
■作戦上の注意
当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
また強制侵蝕が発生する可能性が高い為、注意する事。
なお京都へ突入したとしても、脱出するのにもアクション1回分を消費し、都度、成否判定がある事を了承せよ。京都とは異なる地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)を選択しただけでの移動は認められない。脱出の為のアクションが無い場合は失敗もしくは死亡したとして処理する。そして再び突入する際にも厳重な判定がある。(※註1)。
対してヘブライ神群(天使群)側としてキャラクターを作成し、アクションを掛ける事も出来るが、高位天使の監視は厳しいので警戒を怠らない事。但し京都の出入りは人類側と比べて易しく、他の地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)を選択するだけで移動は可能である。
※註1)京都の突入/脱出の特別ルール……
1.「WA−01)京都の状況を偵察・観測する」「WA−02)京都の四大元素天使1柱挑む」「WA-03)京都・伏見稲荷の制圧/調査」の3つから選択する。
2.突入する方角(東・西・南・北の4つ)を選び、突入する為だけのアクションを別に明記する。上記選択肢における行動とは異なるアクションとして処理される。此れは複数行動に当たらない。もしも突入アクションが明記されていない場合、自動的に京都突入は失敗する。最悪、死亡。
3.京都から脱出する場合は「京都とは異なる地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)」を選択する。
4.脱出する方角(東・西・南・北の4つ)を選び、脱出する為だけのアクションを別に明記する。上記選択肢における行動とは異なるアクションとして処理される。此れは複数行動に当たらない。もしも脱出アクションが明記されていない場合、自動的に京都脱出は失敗する。最悪、死亡。なおアクション判定で失敗した場合、其のキャラクターのプレイヤーには京都のノベルが送られる。
5.突入/脱出する方角を護る四大元素天使やケルプが倒されていた場合、アクション判定における難易度は大幅に下がる。
※註2)中部方面混成団……現実世界では2008年に創設された、第2教育団を母体とする部隊。教育・訓練、予備自衛官の管理を任務とする。
しかし神州世界では、同じく第2教育団を母体としているが、京都のヘブライ神群との抗戦において普通科だけでなく、高射特科や野戦特科、機甲科等の部隊も隷下に置く必要がある為、団長の指揮裁量権は広い。
同じ名前だが、神州世界と現実世界では任務や特性が大きく異なる。
※註3)両性具有や無性……飽く迄、当作品で触れるのは身体の性(生物学的性)のデータであり、性の自己意識(性自認)についてではない。従って性同一性障害等に関して、当作品では言及しない。