神州結界維持部隊・中部方面総監部のある伊丹駐屯地より西へ約200先に瑞ヶ池公園がある。貴重な貯水池であり、広さは19.3ha、池の周囲は1.6km、隊員達のランニングコースとしても使われていた。
三鷹・秀継(みたか・ひでつぐ)陸士長が交渉の場として指定した理由は、伊丹駐屯地に程良く近い、開けた場所である事。勿論、公園外には20年近い超常体との戦いで廃墟となってはいるが、多くの建物が未だ残っており、普通科部隊を隠れ潜ませている。
更に処罰の七天使が1柱、“ 神の火( プシエル[――])”が乱入してきた際に、大量の水で応戦出来るという期待が上げられていた。プシエルは強大な火炎系能力を有するが、相生相剋関係により水に弱い。彼我の差が激しい場合は単純に言えないのだが、其れでも多量の水気が付近に有ると無しでは、心構えが異なる。尤もプシエル配下に、氷水系能力を有するヴァーチャーが居る為、逆に利用されかねない危険もまた高かったのだが。
さておき、やはり何処かで聞き付けていたのだろう。一方的に指定した場所と時間ながら、七十二柱の魔界王侯貴族の2柱が姿を表した。此方が仕掛けた罠だと疑っていないのだろうか? それとも……。
目を細める三鷹に対して、美貌伯 ロノヴェ[――]が以前に顔を見せたように慇懃な挨拶を送ってくる。後ろには病んでいるかのように痩せ細った男――予言貴公子 ヴァッサゴ[――]が呆けた顔で空を眺めていた。しかし本当に呆けていた訳ではない。
『……三鷹士長。先程、ヴァッサゴから〈探氣〉が発せられた。此方の位置や規模は察知されていると思った方が良い』
周囲に待機潜伏している部隊長からの通信に、だが三鷹は表情を変えない。知られているのならば、其れなりの交渉の仕方というモノがある。だが三鷹は自身の役割は、『彼』――ミーシャの保護者であり、またロノヴェ共と最も顔を見知った関係というだけで、交渉そのものには参加しないと踏んでいた。三鷹が同伴させた交渉人が主役だと思っていたからだ。
しかしロノヴェは、三鷹が連れてきた交渉人に挨拶すらしなかった。虫を見るような目で一瞥しただけだ。三鷹へと顔を向けると、
「記録係かな、此れは? まぁ、邪魔にならなければ此処に居る事を認めよう」
「――私は中部方面総監から命じられて交渉にきた、正式な……」
交渉人が静かに抗議の声を上げようとするが、ロノヴェは視線を向けようともせず、唯一言。
「――黙れ」
交渉人が息を飲んだ。そしてヴァッサゴが片手を上げると、交渉人の身体が後に吹き飛ぶ。思わず9mm拳銃SIG SAUER P220に抜こうとした三鷹だったが、ロノヴェは溜息を吐くと、
「幾ら小賢しく、弁が立つとしても、受容体の器にも満たない格下を相手にする気は無い」
「……俺ならば相手とすると言うのか?」
三鷹の問いに、ロノヴェは然りと。
「自覚は無いだろうが、人間には器というモノがある。其れは私共を受容する事が出来るモノであり、また“意志”を以って選択するモノ」
三鷹に言い聞かせているようで、だが虚空に呟いているようにも聴こえた。
「――“意志”あるモノとは、即ち、運命に抗い、自ら選択するモノだ。そして其のモノこそが私共にとって何よりも恐れる存在であり、また“遊戯”を決する切り札でもある。……まぁ、選択の結果の善し悪しはさておき」
自嘲とも取れる笑みを浮かべた。
「さて『彼』の事だったな。未だ私共に引き渡す用意は出来ていないようだが」
「ああ。『彼』――ミーシャをどうするか、上官とも相談したが、決断出来ていない。そして実際のところ君等に引き渡すだけの判断材料が足りない」
「判断材料が足りない? 実際に『憤怒』の力を体験して、どれだけ人間にとって危険かは自覚しているだろうに……」
「其れはお互い様だろう? 魔人だけでない。君等、超常体にとっても不安定な爆弾だ、ミーシャは。プシエルもまた自身を制御出来なくなっていたからな」
先日に伊丹駐屯地を強襲してきたプシエル。猛威を振るい、少なからず維持部隊に損害を与えたものの、ミーシャ[――]が力を暴走させた事で、慌てて撤退していった。ミーシャの力で、魔人の多くが暴走し掛けただけでなく、三鷹といった憑魔核に寄生されていない者も影響が出たのである。其の日以降、ミーシャへの視線に恐れが混じったモノがあるのは仕方無い事だろう。
さておき三鷹の指摘に、ロノヴェは首肯する。
「確かに。『憤怒』の力は敵味方問わずに周囲に影響を及ぼす。『彼』自身の意思を無視して」
「――制御は?」
「出来ない。出来たとしても発動のオン・オフ程度。範囲や対象の指向性は期待するだけ無駄だ」
そしてロノヴェは『憤怒』の力に付いて語る。人間が名付けた憑魔能力というモノは、行使者の想像のままに無制限に創造されると研究者から言われている。
「だが其れは、ある意味で正しく、ある意味で間違っている。喩えれば……肉体能力を無意識に制限しているという話を貴男様は御存知か?」
肉体が自壊しないように、力を無意識で制御しているというのは有名な話だ。同様に、憑魔能力もまた無意識に制限を掛けているという。効果範囲が最大で半径200mの空間内というのもそうだが、其れ以外にも脳の負担を抑えるべく無意識に制御が掛かっているらしい。『憤怒』は其の制限を解除するが、当然ながら心身が保たない。また憑魔能力に限らない。魔人だけでなく周囲の全てに影響を与える。
「……まぁ、こういう感じの説明しか出来ないが。大体は理解して頂けただろうか?」
ロノヴェの説明に解ったような、解らなかったような。三鷹が複雑な表情を浮かべていると、ロノヴェは今更のように苦笑した。
「しかし……『ミーシャ』か。其の名の響きには些か皮肉なものを感じる」
「――何か?」
少しばかり不機嫌になった三鷹が聞き返すと、
「勿論、綴りは異なるだろうが、ミッシェル、ミハエル、マイケル……つまるところは“唯一絶対主”を盲信する輩のミカエルと似ているからな」
偶然であり、こじつけにしか過ぎないのは承知だが、面白いと。
「貴男様達がミーシャと呼ぶ『彼』の正体を薄々勘付いているのではないか? 『憤怒』の力もある。そして何よりプシエルは『彼』を何と呼んでいたかな?」
覚えている――“ 神の敵( サタナエル[――])”と。
「だが、其れだけではない。『彼』の正体は懲罰の七天使が1柱サタナエルであり、また七つの大罪が1つ『憤怒』を掌る大魔王サタンであるのだ」
サタナエルとサタンの違いは“神”を意味する「エル」の有無。そしてサタンの名は「敵」を意味する。
「……だが此れは『必要悪』『敵対者という“唯一絶対主”に対する、かませ犬』としての意味が強い。“唯一絶対主”の権勢を誇る為に捧げられた贄だ」
つまるところ茶番。だから皮肉にも“神の敵”と呼ばれるのだ。
「しかし『彼』の存在は未だ揺れ動いている。“唯一絶対主”に忠実なサタナエルでなく、真実に敵としてのサタンとして目覚めたら?」
「君等の狙いは――ソレか」
三鷹の指摘に、首肯して返してきた。
「……どちらにしても人間の敵になるというのはそういう事か。しかし真実かどうか……。そもそも真実だとしても莫迦正直に話すとは思えなかったが」
ロノヴェは心外とばかりに眉間に皺を刻むと、
「個人差はあるが、私共は嘘を吐かない。……信じられないだろうが、交わした誓約は絶対に護る。但し誓約を都合の良い様に解釈したり、相手から破らせるように誘導もしたりする。博愛でも、利他主義でも無いのだ。しかし誓約自体を護るのに間違いない」
そして唇の端を歪めて、笑みを形作ると。
「“唯一絶対主”を妄信する輩と違って、私共は全てが強引に事を運ぼうとする訳では無い。こうして情報を提供し、交渉し、平和的に事を進めようとするモノも居る。だが――」
ロノヴェは嘲りを込めると、
「対して“唯一絶対主”を妄信する輩はどうだ? プシエルの諸行を思い出せ。居丈高に命令し、強奪し、搾取しようとするだけではないか。傲慢の大罪は彼奴等にこそ相応しい」
そして哄笑を上げた。どちらが正しいのか。敵か味方か。三鷹には未だ判断は付けられない。其のまま何とも言えずにいると、ロノヴェは見透かしたかのように口を開く。其れは最後通牒だった。
「――5月末までに結論を出して欲しい。此れ以上は待たない。残念だが『彼』を強引に連れ去る事になる。尤も『彼』を引き渡してくれるならば、盟友として出来る限りの協力を誓約しよう」
そして閃光が走ると、次の瞬間にはヴァッサゴ共に姿を消していたのだった。
京都・伏見稲荷大社の主祭神である 宇迦之御魂[うかのみたま]は「お稲荷さん」として全国広く信仰されている。名前の「ウカ」は穀物・食物を意味しているが、商工業の神としても知られていた。別名は御饌津神(みけつかみ)と言われ、狐の古名である「ケツ」と混同される事がある為か、狐が神使とされている。
「――『古事記』や『日本書紀』共に名前が出て来るだけで事績の記述は無い。性別が判る様な記述も無くて……でも稲荷神社の総本社である此処では女神としていたらしいな」
大津駐屯地への報告と引き換えにでは無いが、伏見稲荷大社の記録を収集してもらった。白樺・十夢(しらかば・とむ)二等陸士は隊用無線機で聞いた知識を読み上げて相棒である観的手へと伝える事で、自身の整理ともする。
神州隔離政策が行われて直ぐに天使によって制圧された京都。約20年近い期間、天使の巣窟となっていた京都へと潜入に成功した白樺達は、伏見稲荷大社で今後の方針を確かめていた。
「先に潜入したはずのMAiR(Middle Army Infantry Regiment:中部方面普通科連隊)や零参特務(第03特務小隊)とも接触出来れば良いのだが」
4月上旬の大規模な陽動作戦の裏で京都に送り込まれたMAiRと零参特務だったが、音信不通が続いており、生存すら危ぶまれている。もしも全滅しているのであれば4月上旬に行われた陽動作戦は、莫大な犠牲を出した上での無惨な失敗に終わった……という事になるだろう。あの作戦でガブリエルによって殺された隊員達の無念が報われない。
「MAiRは北側から、零参特務は西側から突入したはずだから合流し辛いだけだと信じたい……が」
相棒の言葉に白樺は頷くと、集まった情報の整理を再開する。
伏見稲荷大社は、全国に約4万社ある稲荷神社の総本社であり、稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする――此処迄は事前に頭に叩き込んでいた資料通りだ。そして応仁の乱で焼失したものの、稲荷山の中には幾つか社があったらしい。再建されず、神蹟地として残っている。また、其れとは別に、其処彼処に祀られた「お塚」と呼ばれている小さな祠が存在しており、其の数、1万基、或いは其れ以上とも伝えられていた。
「流石に……全部回るのは無理だ」
「同感だ。人海戦術が出来る天使共と違って、此方には2人しか居ない」
だから其の内、主要な神蹟地7つに絞る。頂上から一ノ峯、此れは末広大神を祀る上之社神蹟地だ。以下、二ノ峯にある青木大神を祀る中之社神蹟、三ノ峯にある白菊大神を祀る下之社神蹟、そして荒神峯には権太夫大神を祀る田中社神蹟、間ノ峯には伊勢大神を祀る荷田社神蹟がある。此れで5つ。
「他には、往古に三ヶ峯に神供をした所と伝えられている御膳谷遙拝所に、加茂玉依姫を祀る長者社がある。長者社の後には御神体として釼石があるらしい」
「……釼?」
「謡曲には、三条小鍛冶宗近という刀鍛冶が勅命を蒙り、山中で稲荷大神の助けを得て、名刀小狐丸を鍛えたと語られているからな。何か関係があるのかも知れないが」
ちなみに玉依とは「神霊の依り代」という意味で、玉依姫は即ち巫女の事だとされる。様々な神話や古典に登場し、此れは明らかに其々別の存在を指している。綿津見大神の子で、豊玉姫の妹にして、鵜草葺不合命の妻となり、神武天皇の母となった玉依姫が最も有名だ。他にも賀茂別雷命を産んだ加茂玉依姫も知られており、稲荷山に祀られているのは此方だろう。
「……成程。しかし長者社で祀られている加茂玉依姫や、伊勢大神は判るが……末広大神とは何だろうな?」
「俗説だが小薄という天狐という話もある。但し由来がよく判らない。だが狐という事から、宇迦之御魂と一番関わりが深いだろう」
「――という事は山頂を目指す事が先決か」
「7つに絞ったとはいえ他の神蹟地をも全部回れないからな。調査における優先順序は決めておこう。其れに……」
稲荷山の麓にある本殿の方を見遣る。本殿裏から稲荷山へと踏み込み、千本鳥居を潜り抜けてきた白樺達だったが、一種の結界なのか天使共に突破は容易でないらしい。様子を伺って麓に下りた際に、千本鳥居のある辺りから足止めされて、癇癪で当り散らす“ 神の正義( ザドキエル[――])”を視認している。対して“ 神の栄光( ハニエル[――])”が暢気そうにしているのが印象的だった。尤も――
「可能な限り潜入の痕跡は残さずに行動していたつもりだったが……此方に気付いているっぽいな、あの嬢ちゃん」
結界を突破してきたら、追い詰めてくるだろう。ならば賭けになるが上之社神蹟地を目指した方が良い。
「しかし……まさかオカルト説に頼る事になるとは」
白樺と相棒は、顔を見合わせて苦笑する。維持部隊の現場で流れているオカルト的な陰謀論。日本土着の神々――超常体は封印されているという説だ。しかし白樺は千本鳥居を通り抜ける際に、確かに視たのだ。
狐面を被った巫女。体格は小柄で、童女といっても良い。薄く透けて見えるところから、人間ではないだろう。しかし……敵ではないと確信していた。
『わらわは宇迦。伏見稲荷の権現なり。瑞穂の子よ、来たれ。――縛める檻よりわらわを解き放て……』
そう告げられたのだ。祀られていた宇迦之御魂であるならば天使共に対する救けとなってくれるかも知れない。封印からの解放が、白樺達の目的となった。山中で封印らしき物を探す。そして予想として神蹟地がソレだと考えた。
「しかし……最低限の敬意は持ち合わせているが、具体的に神仏に対してどうすればまでは……。どうやれば封印が解けるのか。流石に礼拝ぐらいは出来るが」
相棒に言い訳するように口にする。そして溜息を吐くと、覚悟を決めて白樺達は参道を登り始めたのだった。天使共に追い付かれる前に事を成し遂げる為に。
天使共に支配されている京都から南に位置する、大久保駐屯地。先日から出向してきた第10高射特科大隊・試作自走対空砲小隊長の 村田・巌(むらた・いわお)准陸尉は困惑の表情を浮かべていた。
京都への突入支援と、宇治駐屯地跡に造られた天使側の前線基地からの侵攻に対しての迎撃の為に、大久保へ出向してきたのだ。京都突入の支援という第一目標を達成した事から、村田は役割を終えたと判断。大津へと戻り、天使への迎撃による防空戦闘をと考えていた。
だが大久保駐屯地司令は、村田小隊の残留を要望してきたのだ。気持ちは判る。対空火器が12.7mmブローニングM2重機関銃キャリバー50しかない大久保駐屯地は、基本的に天使共との交戦は命じられていない。役割は監視塔として敵の様子を観測し、有事の際には周辺へと警告を発する事。交戦より撤退を厳守されていた。だから先日の戦いで僅かな数だったとはいえ天使を撃退した村田小隊へと期待したのだろう。
いつ天使の群れが大規模な侵攻を開始するか判らない。ならば少しでも戦力が欲しいと駐屯地司令が村田小隊を引き留める気持ちは判る。
だが……
「下手に抵抗する方が、命を縮める事になりかねない。大規模な侵攻があれば素直に撤退をすべきだ」
村田の忠言に、肩を落とす。村田も溜息を吐くと、一応、直ぐにでも救援に駆け付けられるようにと路面図の見直しを部下に命じる事にした。
「懸念を払拭するには四大元素天使を撃破する事だが……しかし踏み込めば潰される、機会を待つしかないのか……」
京都のある北を見詰めて、歯痒さで、思わず拳を握り締めるのだった。
「OCAT」(オーキャット)として称される複合商業施設の大阪シティエアターミナルは、地下3階・地上6階建てで、地下1階にはJR難波駅、2階にはミナミにおける長距離の高速や観光・ツアーバスの拠点であった。1994年9月4日に開港した関西国際空港への利用を活発化させる為に、JR難波駅の再開発計画(通称:ルネッサなんば)の一環として1996年に開業したという。
「其れが今では大魔王の隠れ処か……」
第37普通科連隊・第377班甲組長の 田南辺島・清顕(たなべじま・せいけん)陸士長がOCATへと振り向いて思わず呟いた。OCATに現在、大阪を“汚染”している巨悪の元凶、七つの大罪が1つ『姦淫』を掌る大魔王 アスモダイ[――]が潜んでいるのだ。そしてアスモダイの配下であろう、あの異形の竜も……。
伊丹や信太山から続々と応援に来た普通科連隊がOCATを中心に包囲網を布いていく。ミナミは超常体の巣窟である為、先ずは周辺の掃討に、第37普通科連隊・第377班もまた駆り出されていた。
サブアーム9mm拳銃SIG SAUER P220の点検を終えた田南辺島は間違いなくホルスターに収める。
「……今回は忘れないでね」
苦笑する 先山・命(あずやま・みこと)二等陸士に、田南辺島は困ったような表情を浮かべると、
「いや、実は武器科隊員が謝罪するには『功績点無しで自動取得する武装から9mm拳銃SIG SAUER P220を外すようにルール改訂したのに、肝心の告知を実は忘れていました。御免なさい。間違いを指摘して頂いた場合、キャラクター有利に働くようにするのに努めていますので、功績点消費無しで入手してもらって構いません。重ね重ね申し訳ありませんでした』――だと」
「……おお、メタい、メタい」
先山が冷汗を掻いた。隣で聞いていた 橘・柑奈(たちばな・かんな)二等陸士が首を傾げながら、
「でも装弾数を考えたら、P226の方が良くないですか? 私は個人的に此方を求めたんですけれども」
念の為に断わっておくが、柑奈のP226は功績点を消費して入手したモノである。……本当にスミマセン。
さておきP220とP226は同じSIG SAUERの姉妹であるが、最大の違いはP220が9mmパラペラム弾で装弾数9+1発なところ、P226はダブルカラムを採用しており15+1発である。但し此れには理由があり、P220は民需部門において極めて大きな市場である亜米利加合衆国への輸出を念頭に置いており、銃の外形は.45ACPに合わせた規格のものとなっている。其の為、本来の9mm弾用としてはかなり大柄であり、またシングルカラムの弾倉を採用しなければならない為、装弾数も制限される事となったらしい。だが逆に言えば、弾倉交換をすれば.45ACP弾が発射可能という事だ。
「……とはいえ手持ちの予備弾倉は生憎と9mmパラペラムしか持っていない訳だが」
苦笑する。しかし相手が堅い装甲――例えば、竜の鱗ともなれば9mmパラペラムでは威力不足で弾かれる可能性も高い。いずれは……と思いを秘めた。
「弾切れが起きる事も考えれば、バールが一番だと思うけれども」
「銃剣による刺突だけでなく、円匙(えんぴ)による殴打や切断といった戦闘術は聞いた事があるけれども……バールを使うのは多い方じゃないわよ」
円匙はスコップ、ショベルの事である。聞いた話では塹壕戦で最終的にナイフや銃よりもスコップが最も人を殺めた道具という。先山は施設科の先輩からバール戦闘術を学んだと聞くが、バールもまた同様なモノだろうか? 田南辺島も柑奈も複雑な表情を浮かべるしかなかった。
さておき、其れまで黙っていた第377班長が手を叩いて注目を集めると、
「武器談話は此処迄。本題に移ろう。――第377班は他の部隊と連携してOCATに突入を図る訳だが、何か此れと言った情報はあるか?」
柑奈が挙手。手帳を開き、調べて書き記してきた知識を読み上げる。
「アスモダイだけど、皆さんも御存知の通り、猶太教と基督教の悪魔の1柱で、旧約聖書外典『トビト記』等に登場するわ」
「えーと。……伝承では魚の内臓を焼いた香を嫌うんだったよね?」
事前に柑奈から教わっていた先山が口を挟む。しかし口を尖らすと、
「でも、そんなので対応出来れば苦労はないよね」
先山の素直な感想に、一同が「まったくだ」と頷き返した。柑奈もまた微笑んでから話を続ける。
アスモダイはグリモワールの1つ『ゴエティア』で72の軍団を率いる序列32番の大いなる王とされる。姿形は牛・人・羊の頭とガチョウの足、毒蛇の尻尾。手には軍旗と槍を持って地獄の竜に跨り、口から火を噴くという。
「地獄の竜か……。確かに、あの時の、異形の竜がソレだとすれば辻褄も合うのう」
田南辺島が独りごちる。だが耳聡く聞き付けた先山は注意するように、
「……問題は、只の眷属じゃないみたいなんだよ」
「どういう事じゃ?」
田南辺島の問いに応えるように、柑奈が口を開いた。竜についての話は後になりますがと断ってからアスモダイの説明を再開する。
「アスモダイの語源……というか猶太教や基督教に組み込まれる前身が問題なの」
周囲を一旦見回すと、
「猶太教や基督教で悪魔とされたのは、対立していた地方の神や精霊が多いんだけど、アスモダイに至っては少し異なるのよ。というのも……アスモダイの語源はゾロアスター教の悪魔アエーシュマで、其の呼び名アエーシュモー・ダエーワが希臘語やヘブライ語に入り、其々アスモダイオス、アシュメダイ等になったという説が有力」
つまりアスモダイは神が零落した姿ではなく、根源から悪の存在だったという事だ。
アエーシュモー・ダエーワという語形は残存しているアヴェスター語文献には確認出来ない。しかし、そもそも現在残っている文献の数が非常に少なく、またアヴェスター語文献を翻訳したとされるパフラヴィー語文献にはヘーシュム・デーウという語形が見られるだけでなく、現在で伊蘭(イラン・イスラム共和国)とされる地の大きな影響下に『トビト記』全体があった事も、此の説を補強している。なおパフラヴィー語とは中世ペルシア語の一種であり、伊蘭の公用語だ。
そしてアエーシュマとは、ゾロアスター教の悪神の1柱。其の名はアヴェスター語で「狂暴」を意味する。暴力を掌る者として毛むくじゃらの体と血塗られた武器を持った姿で表される。義無き暴力の司である事から神スラオシャやミスラの敵対者だけでなく、救世主サオシュヤントに倒されるとも伝えられる。此の敵対者が3柱もいるというのは、ゾロアスター教では異例な話である。有名な悪魔には必ず敵対する存在が1柱ずつ設定されている――というのが通常だからだ。
「成程。此れがアスモダイの周囲にゾロアスター教を由来とする名前の超常体がいる繋がりか」
体毛の無い真っ黒な馬のような姿をしているアパオシャや、両手両足が長い人型のブーシュヤンスターは、ゾロアスター教の悪魔が名前の由来だ。
「そして……ゾロアスター教の悪魔には有名な竜がいるの。三口三頭六目の、異形の竜が。其の名はアジ・ダハーカ。フェルドウスィーの『シャー・ナーメ』では悪王ザッハークの名で登場しているわ。其の姿は、両肩から2匹の黒い蛇を生やした人間。なんばウォークで目撃した敵の姿と一致す……」
奥歯を噛み締める音が、誰の耳にも明らかに聞こえた。思わず音の主へと注視する。血の気が無くなるほど固く拳を握り締め、血走った眼を爛々と輝かせた田南辺島が、其処にいた。
「――田南辺島。皆が驚いている。落ち着いてくれ」
第377班長の言葉に、我に帰る。田南辺島が頭を下げるのを確認して、安堵の息を漏らすと、
「橘二士、情報収集、御苦労だった。勿論、敵が伝承通りの相手とは限らない。また此れ等の情報が対策の役に立つか疑問に思う者もいるだろう。だが少しでも情報を知っているのと知らないのとでは心構えが異なる。其の点でも情報収集に感謝する」
橘へと拍手が送られる。先山は頭をひねりながら、
「アスモダイの伝承から考えれば、火炎系という事だよね。それと異形系も考えられるから、複数の能力持ちという事。兎に角、核を潰さないと安心出来ない相手って訳だね、うん」
だが納得し掛けたところで眉間に皺が刻まれた。
「――アジ・ダハーカは伝承だとゾロアスター教の最高の悪神アンラ・マンユ直属の配下。アスモダイの前身とされるアエーシュマと、どっちが格上なんだろう? いや、アスモダイの部下としてアジ・ダハーカが姿を表していたというのなら? それにアスモダイの隣にいた美人のお姉さんは?」
流石に調べただけでは判らないような先山の問いに対して、柑奈も困り果てるしかなかった。
伊丹駐屯地にある中部方面警務隊本部。檜山・大河(ひやま・たいが)一等陸士は通信隊本部から送られてきた記録を元に外部――包囲網が布かれているミナミのOCATをはじめする不審な地点との交信が無かったかを確認していた。
先日の強制捜査で、かなりの『処理』対象が出たものの、完全に“汚染”がゼロとなったと言い切れない。取締りに勘付いて脱柵した者も少なからずおり、また強制捜査が執行されている間は任務を理由に駐屯地を離れて、そして素知らぬ顔で舞い戻っているモノもいないとは限らない。
またアスモダイの“汚染”とは別に、内通者が潜んでいる事も檜山は疑っていた。強制捜査で川西へと応援に向かおうとした矢先に、天使共の襲撃が在った事だ。余りのタイミングの良さに、誰かが手引きした恐れを考慮したのだが……
「只の偶然の様ですね、何とも紛らわしい」
檜山は眼をほぐすように目蓋を押さえながら大きく溜息を漏らす。冷めた珈琲を啜った。丹念に時間を掛けて記録を精査したが、天使共の襲撃は全くの偶然。勿論、或る程度は外から観測し、強制捜査の騒ぎに乗じた事もあるだろう。強制捜査に際して、少なからず銃撃戦があったのは確かなのだから、其れを聞き付けなかったなんて在り得ない。
但し、強制捜査と襲撃があった数日前に、川西駐屯地に魔王2柱が現れたのは偶然でないだろう。目撃証言から魔王2柱は祝祷系と操氣系である。姿を隠し、気配を消せば、余程でないと発見は困難だ。そして駐屯地内を我が物顔で歩き回っている可能性が高い。
実際、交渉と称して瑞ヶ池公園に誘き寄せた際に、聞いているか判らないような一方的な呼び付けながらも、魔王は現れたという。
「――“汚染”の調査のついでに、身許不明な人物が紛れ込んでないか照会しましたが……」
「残念な事に、魔王2柱に該当するような人物像は出て来なかった。尤も調査の際に記憶操作された恐れもある。何せ、相手は祝祷系だしな」
檜山の言葉に、同僚が続ける。手にしたポットから熱い珈琲をカップに注ぐと、
「お代わり、要るか?」
「――お気持ちだけで」
正直、泥水のような味の珈琲を何度も飲むのは御免だった。檜山は乾いた笑いで断ってから、
「引き続き不審人物へと警戒するしかないですね」
「伊丹や千僧に関しては、此れ以上、洗い出そうとしても出て来ないだろう。――川西にあると思うか?」
同僚の問い掛けに、檜山は書類を片付けながら、
「アスモダイに関しては主戦場がOCATに特定されてしまいましたからね。最早、荒事は普通科の仕事です。そして現状で手持ちにある以上の情報を、川西から引き出せるとも思えませんが……」
同僚に振り返ると、真面目な顔付きで返した。
「“汚染”調査は一度引き受けた仕事ですから。最後までやり遂げるのが義務です」
「無理して身体を壊したら、元も子もないがね。待て、此れ、飲み終わったら、俺も同行しよう。天使の襲撃への備えと、OCATの包囲網で、捜査に回す戦力が無いそうだからな。銃が使えるヤツが必要だろ?」
茶目っ気な笑いに、檜山は表情を崩すと、
「助かります。僕は頭脳派なので」
檜山の返しに同僚は笑い声を上げると、珈琲を飲み干した。
京都の天使共が領域拡張を狙っての侵攻。――そういった有事における緊急即応策を練った村田は、大津駐屯地に戻って中部方面混成団長及び幕僚幹部との詰めに入った。
「此の春より超常体の動きが激しい。大久保駐屯地が村田小隊にすがる気持ちも解らんでもないが……」
中部方面混成団長が溜息を漏らした。点滴の管が繋がっていた先日よりも些か体調を回復したように思えるが、衛生科のWAC(Women's Army Corps:女性陸上自衛官)が隣室に控えているからには完全とは言い難いのだろう。
「――貴重な対空戦力を徒に損耗したくはない」
希少な戦力は一点集中して運用がするのが中部方面混成団長の考えだ。かといって、
「此のまま大津だけで警戒待機し続ける訳にも行かないでしょう」
大津を拠点に置くのは変わりないが、緊急即応しなければならない時は、何処であろうと機動運用が必要になる。特に対象が奥に引っ込んだままならば。
「だが正直に申し上げて、現状では打ち倒せる気がしないのです……」
部下の前では決して見せない弱音を吐く姿も、20年近い付き合いのある戦友の前では露わに出来る。村田の呟きに、中部方面混成団長も重く溜息を漏らすと、
「そうだな。最早、神に頼むしかない。非科学的な話で、ある意味、人間としての敗北かもしれんが」
京都に突入したMAiRや零参特務からの連絡は全く無い。唯一の希望は、伏見稲荷大社からの報告。
「――起死回生の一手となれば良いのですが」
半信半疑だが、現状では四大元素天使の一角も崩せそうにない。
其の後、緊急即応策を煮詰めた後、村田は敬礼をして自分の部隊に戻る。京都のある方角を見遣り、
「――潜入者が大金星を勝ち得たならば、何らかの兆しが出てくるはず。其の際に、直ぐに対応出来るようにしておかなければならんな」
つい独り言を漏らす。我に返って、頭を振ると、
「ついに俺も神頼みか……まぁ日本の神ならば祈るのも悪くないか」
唇の端が自嘲を含んで歪むのだった。
ギリースーツ程ではないが、着込んでいるインターセプターボディーアーマーには木々の葉や汚れで以て擬装を施していた。また敵の目が届かず、音すらも聴こえるはずのない山中でも、慎重に、潜入の痕跡を残さないように努めている。――だが、
「追われているという恐怖感が酷いモノだな」
食事の後始末をしながら、白樺は麓を見遣る。木々の合間からはエンジェルスが自ら発する光が見え隠れしていた。同じく素早く食事を終えた相棒が頬を掻く。
「もう少し落ち着いて休止したかったが。また神蹟地が潰されたかな?」
目を細めると、取り出した双眼鏡で彼方を見遣る。詳細は判らずとも、標高の低い位置の祠の幾つかへと天使が群がっている様子は伺えられた。千本鳥居で足止めされていた天使だったが、結界の突破に成功すると、山中の祠や社――多くの神蹟地の調査も兼ねて潰しながら登山を開始した。
「四つ辻辺りまで上がってきているぞ」
現在、白樺達がいるのが二ノ峯だ。欲を出して三ノ峯、間ノ峯も調べていたので時間を食った。
「どうやら四つ辻向こうの荒神峯――田中社神蹟を調査するのは無理だ」
一ノ峯の上之社神蹟を最優先するとしていたが、未だ余裕があると見誤って、間に点在する神蹟地の調査も行っていた。しかし天使の進攻速度を計測するに、数時間後には追い付かれる恐れが高い。
「長者社もまた調べてみたかったが難しいな。このまま急いで一ノ峯に直行するぞ」
背嚢を負うと白樺達は参道を足早に上るのだった。
……そして数時間後。標高233m、稲荷山の最高峰にある上之社神蹟地。どの神蹟地もそうだったが、社は焼失して無くなったものの、代わりに祠が祭壇や捧げ物を奉る神域として役割を果たしていた。其の祠も維持管理も無い約20年近い歳月で汚れ、また周囲の木々や草によって蔽われていた。
「だから儀礼に関して詳しくないんだが……」
白樺達はボヤキながらも先ずは祠を掃除する。他の峯も調査のついでに簡単ながらも清掃を怠らずに行っていた為、登頂が遅れた訳だが……。
「折角、綺麗にしたのに天使共が潰してきやがって。罰当たるぞ。というか罰当ててやる」
相棒の観的手が89式5.56mm小銃BUDDYを構える。天使が発する光が空を強く染め始めており、もう数十分もしないうちに尖兵が一ノ峯にと到着するだろう。白樺も愛用のXM109ペイロードライフルを構えようとしたが、
「お前は封印を解く事を急げ」
「だが威力から考えてみれば……」
「幾らXM109の威力が高くとも、多勢に無勢で必ず押し潰される。そして何よりも大事なのは……」
一瞬だけ神蹟地に視線を送ると、
「俺はお前と違って、狐面の童女の姿まで視えていなかった。声は聴こえたんだがなぁ……」
其の違いが何に由来するかは解らない。だが相棒は宇迦之御魂を封印から解放するに至って意味があるのではと判断したという。
「兎に角、急げ!」
「神道の作法なんて二拝二拍手一拝しか教えて貰ってないぞ!」
20年近い戦いの中で、神道の礼法を正しく伝えるものは神州全体でも少なくなっている。知識としては記録媒体に残されているものの、感覚や雰囲気は簡単に受け継ぐ事が出来るものではない。怒鳴り返してみたものの、相棒は不用意に近付いてきたエンジェル数羽を撃ち落としていた。上手く姿を隠している為か、敵は銃撃への警戒に身構えたものの、未だ相棒を発見出来ずにいる。だが、
「――ボクが出る! 弟妹は支援と、周辺への警戒に当たれ」
ザドキエルが吠えた。5.56mmNATO弾はザドキエルが張った不可視の盾に阻まれる。阻まれるというより、在り得ない角度に逸れ、或いは弾かれていった。
「……待ってろ。お稲荷様を解放してみせる」
駄目で元々。綺麗に清掃した神蹟地の祠へと白樺は姿勢を正して拝礼を2回、指先を揃えて柏手を作ると2回打つ。そして1礼。
果たして―−鈴が鳴った。次の瞬間に、祠を中心に波動が発せられる。波動に触れて白樺は己の精神が昂ぶるのを感じた。だからといって意識を手放すような悪いものでなく、むしろ清涼として晴れるような感覚。それでいて身体に活力が吹き込まれていくような息吹。白樺だけでなく相棒にも霊験あらたかのようで銃撃が冴え渡る。
対して天使共は、逆に猛毒を浴びたかのように苦悶の表情や、痙攣しながら墜落して行った。運良く波動に巻き込まれずとも、動きが鈍り、力が弱まっているところを相棒のBUDDYが貫いていく。
そしてザドキエルもまた同様だった。高位上級の熾天使(セラフ)という事で致命傷にはならなかったようだが、間近で波動を浴びた事の影響は確かにあった。明らかに動きが鈍っているだけでなく、5.56mmNATOの幾つかが不可視の盾を貫く。満身創痍となったザドキエルは撤退しようと背を向けた。
「――敵に背を向けるなんて甘ちゃんが!」
其の時には既に白樺は愛銃での狙いを終えていた。XM109に寄生している憑魔が励起し、銃身内の25x59mmNATO弾を電磁加速する。そして発射された砲弾はザドキエルを真っ二つに切り裂き、また肉片を塵と化した。ザドキエルの死に様に、ハニエル率いる後続が遠巻きにするだけでなく、木陰へと身を隠す。
「有効射程は2kmだが……射界から逃れられては流石に当てさせてくれないか」
相棒の舌打ちに、白樺は首肯する。
「十重二十重に包囲網を布いてくるな。どうする?」
相棒の問い掛けに、だが白樺は返事をせず、祠へと振り返った。いつの間にか姿を顕わしたのは狐面の童女。表情を変えたところから、今度は相棒にも視えているらしい。
「――わらわを解放せし事、感謝する」
ハッキリと聴こえた。狐面の童女――宇迦之御魂は礼を述べると、天使が潜む周囲の木々を見渡した。
「然れども状況は好転しておらぬな」
「どうにかなりませんか?」
白樺はXM109を下すと、相棒より自分のBUDDYを受け取る。腰溜めに構えながら、宇迦之御魂に尋ねてみた。宇迦之御魂は暫く黙っていたが、
「溜まっていた力を振るおう。さすれば周りのモノだけでなく都に巣食いし外津神(=天使)にも痛手を負わせられるであろう」
「先程の波だけでは無かったのか!? いや、無かったのですか?」
言葉使いを正す白樺に、微笑んだような宇迦。
「そう畏まるでない。なれは、瑞穂の子であり、わらわの恩人よ。普段通りに話すが良い。許す」
白樺は相棒と共に恐縮する。また笑みの吐息を漏らしてから、
「先程のは封印から解かれた際の余波に過ぎぬ。長い年月の間に澱んだ氣は未だ残っておるわ」
「……何か助けが必要か?」
「わらわを護れ。力を振るおうとする前に意識を集中せねばならん。其の際、わらわは無防備となる。振れば消し飛ぶような輩は兎も角、此の周りを囲むのは其れなりのモノが数柱、特に強きモノが1柱おる」
其れなりのモノというのは、パワーやヴァーチャーだろう。そして強きモノというのはハニエルだ。
「かつて外津神の甘言に騙されて、わらわを封じた者は、しかし畏敬の念を持っておった。されども、今、わらわ達を囲むモノは異なる。わらわを燭台の火を灯すだけの道具としか思うておらん。再び封じられるより非道な事が行われる」
だから護れと。白樺と相棒は顔を見合わせてから、
「「承知した」」
宇迦之御魂へと敬礼をした。
「……ザドキエルの件から、すぐには襲ってこないだろう。相手が警戒して、此方への手出しを控えているうちに迎撃準備を整えなくては」
「一応、駐屯地に報告するが、MAiRや零参特務が救援に駆け付けてくる可能性はどれだけあるかな?」
軽口を叩き合いながらも、油断なく周囲に対して身構えるのだった。
檜山の要請を受けて、協力に応じたのは40代女性の医官(准陸尉)だった。
「正直言うと、私はミーシャの件で忙しいんだがね」
「ミーシャ……ああ、噂の“彼”ですね」
「其の件込みで話を聞きに来たんじゃないのか?」
いぶかしむ医官に、檜山は頭を横に振り、
「捕り物後の情報等を……」
医官は鼻を鳴らして、書類を渡す。
「“汚染”されていた看護師だけでも、うちの全体の6割近く。其れが大捕り物でゴッソリいなくなったものだから、御蔭様で寝る間もなくなってオーバーワークさ。皮肉な事に患者も同じぐらい減ったから、何とか回っているけれどもね」
とはいえ疲労状態は限界に近い。だが傷病者に疲れた顔を見せる訳にも行かず、衛生科隊員は元気な笑顔で任務をこなしていた。
「今、栄養剤と称してクスリでも渡されたら、コロッと行きかねないな。元気が出ると言われたら、明らかに怪しいモノにでもすがりたくなってしまう」
麻薬やアルコールに逃避する始まりは、此の様な感じだろうか。
「……負の連鎖ですね」
しかし神州の何処も激戦だ。四国や東北が平穏という噂も聞くが、飽く迄も他の地域と比べての事。超常体との戦闘は常時起こっており、衛生科隊員の出向は難しい。看護や介護には義務教育を終えたばかりの少年少女も駆り出されているが、
「飽く迄も出来るのは手伝いの範囲までだ。流石に生死に関わるところまで頼む訳にもいかない」
結局、衛生科隊員の絶対数が増えない事には解決しない問題だ。海外からボランティアで医者や看護師が来る事もあるが、
「やはり絶対数が足りない」
大きく溜息を吐く。そして思い出したかのように、
「すまない。此方の愚痴に付き合ってもらって。其方の目的とも違うし」
「いえ、どんな事であれ、現状を把握する事は役立ちます。事件との繋がりがあるかも知れませんし」
衛生科だけでない。アスモダイからもたらされた麻薬やアルコール、そしてクスリが蔓延して“汚染”されていった背景は、超常体との戦いにおける恐怖や緊張からの逃避行為の一環だ。此ればかりは規律や取締りを厳しくしたところで簡単に解決できる事ではない。他の方面隊で“汚染”と似た事例が確認されないのは、単にアスモダイのような供給者がいなかっただけの事。其れ程にヒトは弱い。
「……アスモダイの目的は何でしょうね?」
「一介の医官には想像が付かんね。とはいえ魔王クラス以上が動いているんだから、何らかの狙いはあるんだろうが。私達を“汚染”しただけで御仕舞いって、そんな愉快犯じゃないだろう」
しかし、と医官は話を続ける。
「つい先程に、ミーシャが憑魔核を暴走させる『憤怒』という力を持つっていう話を聞いたんだが」
「初耳ですが。……例の魔王2柱からですか?」
「具体的な話は未だ其方に回っていなかったか。私も未だ伝聞だが。――怖い事に魔人だけでなく一般人にも影響を与えるという話なんだが……少なからず私達全員がクスリに“汚染”されている訳だ。もしかして、そこんところでも連鎖反応があるかも知れない」
「――“彼”の登場と、アスモダイによる“汚染”は何等かの繋がりがあると?」
医官は遣り切れない表情で頭を掻いた。
「ますますミーシャへの疑惑が高まってしまう、気分の良くない話になるが、その可能性も考慮に入れておかないと。其れにアスモダイの手下に美女がいて、何か囁いたら“汚染”者が超常体化したっていう証言もある。ミーシャの『憤怒』と原理は違うだろうが、結果は似てなくもない」
其れは事実だ。医官の話に、檜山は思わず唸る。
「まぁ、疑い出せば何でも怪しく見える。話半分で聞いておいてくれ」
「忠告痛み入ります。何にでも嘘や罠の可能性は考えていますから、鵜呑みにせず、念入りに調査する事にしますよ」
檜山の返事に、医官は微笑を浮かべたようだった。そこに同僚が近寄り、耳打ちする。通信記録は以前に伊丹駐屯地の中部方面通信隊本部で得られたモノと余り変化なく。不審なモノは無く、内通者の存在は見いだせられなかったという。
「……強制捜査の際に脱柵に成功した者が“彼”や“汚染”の記録を転写したモノを持ち出した形跡が確認されたぐらいだな」
「警務隊長は何と?」
「“汚染”の疑いが濃い者からの追跡は手詰まり感があると。別の路線で迫る事も考慮しろと」
「承知した」
頷き返すと、医官へと振り返る。そして檜山は敬礼すると、
「御協力に感謝します。今後も何かと要請があるかも知れませんが、宜しくお願い致します」
「了解だ。私としては患者を悪化させるような事態が起きなければと思っているよ」
OCAT2階のバスターミナル跡や、JA難波駅跡から繋がる路線には96式装輪装甲車クーガーが道を塞ぎ、バリケードと共にFN5.56mm機関銃MINIMIやキャリバー50の銃座が設けられる。隣接するビル跡に潜入して指向性対人地雷M18A1クレイモアを設置し、OCAT地下1階にある各連絡口からの脱出・逃走を妨害。また周辺の低位超常体掃討に目処が付いたところで、ついに包囲していた第36と第37普通科連隊からの選抜部隊はOCAT突入を開始した。
OCAT1階にある正面口と東出口、そしてポンテ広場から突入した維持部隊は出迎えた超常体アパオシャとブーシュヤンスターへと苛烈に5.56mmNATOを叩き込む。投擲されたMk2破片手榴弾が爆発し、敵へと衝撃と破片を撒き散らす。弱ったところにBUDDYの斉射。
『1階クリア! 地上階の攻略に移る』
続いてバスターミナルも制圧した部隊だったが、3階で進撃が止まる事になった。
『――脱柵者を確認。完全侵蝕化して……否、もう、アレは人じゃない! ヒトの形をした超常体だ』
憑魔に完全侵蝕された魔人は、超常体として処理される。だが彼等は人としての理性は無くとも、ヒトとしての知性は有している。だからこそ厄介なのだが。
しかし突入部隊が目にしたのは、人であったモノの成れの果て。クスリを摂取して、人を辞めたヒト型の超常体だった。若干の知性は残しているようだが、今まで報告されてきた完全侵蝕魔人よりも狂暴性や身体能力は増しているようだった。
後にゾロアスター教の伝承に因んで「ドルグワント」と名付けられたヒト型超常体は、張られた弾幕も物ともせずに高い瞬発力で一気に迫ってくると、無造作な動きで拳を振り抜いた。88式鉄帽を被った頭部がドルグワントの拳でトマトのように潰れる。
半狂乱になった部隊員が遺体諸共にドルグワントへと5.56mmNATO弾の雨を注いだ。しかし弾力性の高い皮膚は貫通を妨げ、衝撃を殺し、軽傷を負わせる程度。眼等の弱いところに命中しても――
「強化系だと思ったが……異形系だと!?」
再生速度は遅くとも、傷口が盛り上がり、潰れたものに替わって新たな眼球が現れた。但し異形系といっても再生能力だけのようだ。手が増えたり、牙が生えたり、翼で空を飛ぶなんて事は無い。また知性は低くなり、人であった時のように銃器を使う訳でもない。其れでも超常体化した事による身体能力の高さと、緩やかながらも再生するドルグワントは脅威だった。しかも、其の数は10体を下らない。そしてドルグワントの逆襲に、OCAT地上階は阿鼻叫喚の地獄と化した。
田南辺島や先山、柑奈達の第377班もまたOCATに突入していた。地下階の制圧を命じられた第377はポンテ広場にある階段を慎重に下りる。隔離前にはJA難波駅を内包し、またカフェやレストランが並んでいた地下1階は、今ではアパオシャやブーシュヤンスターが巣食っていた。BUDDYで斉射し他班が進撃する中、田南辺島は退路の確保に努める様に動く。
「非常時に備えて『仕掛け』を施す。各員、周囲の警戒と、先遣隊への応援要請に即応出来る様に」
田南辺島の進言を受けて、第377班長が指示を出した。捜索用音響探知機で壁の裏を探り、破壊構造物探索機で狭所の様子を調べる。自分達が『仕掛け』を施すのに必要なだけでなく、相手の罠もまた警戒したのだ。田南辺島が親指を立てて、敵の罠が無い事を伝えると、部下が『仕掛け』を配置していった。
「――撤退時に追い討ちとばかりに発動させられてはたまらんわ」
「そういえば伊丹から失踪した隊員――脱柵者が目撃されたんだっけ?」
愛用のバールを斜めに構えながらの先山の言葉に、田南辺島は頷く。クスリで理性を失っている可能性もあるが、知性を有していれば武器や爆発物を扱ってくる。OCAT其れ自体が巨大な罠の可能性もあるが、だからといって小さなモノに無警戒ではいられない。それに……
「相手には異形の竜がいるからのぅ」
「ぼくは他班と一緒にガンガン行きたかったけど」
頬を膨らませる先山だったが、8歳という幼い年齢ながらも挟撃や罠の危険性を理解していた。田南辺島の言う事を聞き、第377班長の指示に従うのは当然だ。しかし、
「――班長。地上階制圧に向かった部隊からの連絡が途絶えつつあります。異常事態です」
他班との通信を担当する仲間の報告に緊張が走る。また前方から響いていた銃声が途切れつつある事にも気が付いた。第377班と同じく退路の確保に務めていた部隊長が緊張した顔で頷く。
「――先遣の部隊より救援要請です」
「仲間を助けに行くぞ。各員、突入開始!」
周囲を警戒しながら、慎重に歩を進める。救援要請もあって焦る心を無理矢理に殺した。
「――新種だ!」
此の時点では地上階からの連絡が十分に伝わっていなかったが、其れはドルグワントと呼ばれるヒト型の超常体。ドルグワントは完全に知性と理性を失ったような吼え声を発しながら暗闇から跳び掛かってきた。維持部隊はBUDDYやSIG SAUERで応射するが、ドルグワントの勢いは止まらない。
「5.56mmや9mmパラでは火力が足りん!」
「バレットに持ち替えるわ!」
「狭くて巻き込まれちゃうから辞めて!」
銃声に交じって、叫びと怒気が荒れ狂う。
――憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
柑奈の身体能力が更に増加。銃剣を手にすると、P226と組み合わせての白兵戦に移行する。肉薄するドルグワントの動きを観察眼で読み取ると、的確に急所へと銃弾や刃を叩き込んでいった。が――
「再生する?!」
「なら、ぼくが!」
倒れたドルグワントへと素早く掌拳を打ち込む。触れた箇所から細胞が壊死し、ドルグワントから始めて苦悶の叫びが漏れた。先山が危険と判断した他のドルグワントが数匹同時に襲ってくるが、小柄さと巧みな身体捌きで紙一重で攻撃を避けると、
「お返しだよ!」
バールを叩き付けていった。柑奈の援護に、美少女然の先山の奮闘。士気が向上した維持部隊は、ドルグワントを圧し返していく。
「よし! 此のまま……」
だが暗闇から発せられた波動が、維持部隊の勢いを叩き潰した。其れは力を持った獣の咆哮。柑奈や先山が声にならない叫びを上げながら、床に崩れ落ちる。仲間の魔人もまた身体を掻き毟りながら床を転げ回っていた。其れは憑魔強制侵蝕現象。田南辺島も逃れられなかったが、其れは先日に、そしてかつて味わった事がある痛みだった。敵の咆哮に応じるかのように、全身が鱗に覆われる。骨格や筋肉が造り替えられるような不気味な感覚。そして湧き上がってきたドス黒い激情が、咆哮の主を見た瞬間に田辺島の思考を支配した。人型の龍と化した田南辺島は、咆哮の主である両肩に竜の首を生やした異形、仮に ザッハーク[――]と名付けられた男へと手にしていたBUDDYを乱射。弾切れした後は棍棒のように振り回して迫った。
ザッハークは銃創を物ともせず、田南辺島が振り下ろしたBUDDYを片手で掴むと、動きの止まった腹へと空いた手刀で貫いた。
鱗を突き破られ、内臓を掻き回される感触。咽喉の奥から鉄分の臭いがする紅い液体が込み上げてくる。だが田南辺島は力を振り絞って、噛み付いて来ようとするザッハークの両肩の竜を掴むと、胸を踏み蹴りした。反動で田南辺島の腹部からザッハークの手刀が抜け、身体は大きく宙に投げ落ちる。追撃しようとするザッハークを弾幕が足止めした。高い再生力で損傷を与えられなくとも、衝撃と勢いで足止めするぐらいならば可能だ。
部下の助けに、傷口を治しながら田南辺島は感謝を伝える。先山や柑奈といった他の魔人達も、同僚の助けを受けて体勢を整え終えていた。形勢は逆転したものの、部隊に致命的な損害は見受けられない。――大丈夫、冷静になった。
「……このまま、ただ撤退するというのは悔しいなぁ」
「退きどころを間違えるでない」
先山の呟きに、田南辺島は口に溜まっていた血を唾棄してから返す。先山は複雑な笑みを浮かべて、
「田南辺島さんが、其れ、言うの?」
「大丈夫。俺は正気になった」
「……えーと。其れ、実は正気になっていない決まり文句じゃなかったかしら?」
軽口を叩き合う事で、呼吸を整えていく。そして田南辺島は床を蹴った。ザッハークの攻撃を避け、忍ばせていたP220を連射。弾切れを起こしても今度は冷静さを失わずに弾倉交換。其の隙に狙ってきたザッハークの攻撃は、巧みな体捌きで割り込んだ先山がバールで受ける。両肩の竜の首が第3、第4の腕と化して先山を襲うが、
「触れるもの、みな、傷付けるよ!」
掌底を竜首の顎へと叩き付けると、1本腐れ落ちた。竜首は慌てて引くと、毒煙を吐く。しかし田南辺島が庇った。生まれた時間を利用し、先山は避けるのに成功。そして再び流れるように田南辺島と組んで、ザッハークに迫っていく。第377班をはじめとする仲間達がドルグワントを抑え込んでいた。
「――あの時と違う。亡くなった仲間の仇を、ようやく打たせてもらうっ」
田南辺島の言葉に、ザッハークが苛立つように吼え返そうとした。が、田南辺島や先山に注意を奪われた隙を狙っていた柑奈がついに引き鉄を絞る。レーザーサイトが照射したポイントを捉えた。砲声が轟くと、柑奈が肩に担いでいたバレットM82A2から発射された12.7×99mmNATO弾が、ザッハークを切り裂き、肉片を塵に変えた。事前に示し合わせていた先山達も、田南辺島が身を削って庇わないと、衝撃波に巻き込まれて即死だっただろう。
「――死ぬかと思った」
「同感だ」
先山を庇った際に、衝撃波で欠損した部位を再生しながら田南辺島が立ち上がる。未だ完全とは言えないが、ザッハークもまた異形系。細胞全てを焼き尽くさない限り、直ぐに復活する。特に核を残す訳にはいかなかった。
「――誰か、焼夷手榴弾を」
田南辺島の声に、他班の魔人が投げ渡そうとした。が、急に顔色を変えて、身体を震わせる。
「――何か、足下に凶悪なのがいる!」
叫びに思わず見下ろした。……足下? 床に異常は見受けられない。するとOCATの地下2階以降か? 操氣系魔人だから、波動や気配に敏感だ。ザッハークより脅威的な何かが地下にいるという事か? もしかして、其れがアスモダイ?
「兎に角、ザッハークに止めを刺すのが先決だ。早く手榴弾を……」
だが田南辺島の要請を、銃弾の雨が遮る。味方でもなければ、銃器を使わないドルグワントでもない。ならば新手の敵は――完全侵蝕魔人だ。物陰に隠れて弾雨から逃れる。龍人と化している田南辺島の身体は、銃弾を受けても直ぐに治るが、其れでも衝撃は殺せない。おとなしく弾幕が晴れるのを待つしかなかった。
「――アジ・ダハーカ。無様ね」
銃を構えて、此方を寄せ付けようとしないのは、推測通り、脱柵者――完全侵蝕魔人だった。しかし肌を露わにした姿であったり、煽情的な衣装を身に纏っていたりと、戦場において唖然とさせられる格好の女性ばかり。そして、後にゾロアスター教の伝承より「パリカー」と称される完全侵蝕された魔女達に護られて、妖艶な笑みを浮かべた美女が姿を表す。
「……ジャヒー。手を出すな。此処は俺の狩場だ」
初めて人語を口にするザッハークに、だが ジャヒー[――]と呼ばれた美女は冷たく視線を投げると、
「負けている分際で、偉そうに。貴方はあの御方が真の姿を取り戻すまでの道具に過ぎない事を忘れないで。そして道具なら、道具として――役に立ちなさい」
ジャヒーに冷笑を浴びせられて、ザッハークは大きく舌打ち。そしてジャヒーが無造作に放った瓶を掴むと、中の錠剤――クスリ全てを一気に呑み込んだ。瞬く間に身体が再生するばかりでなく、
「――質量保存の法則は無視なの?」
「しつりょー保存って、何?」
柑奈と先山だけでなく部隊の全員がザッハークの変貌に茫然とする。完全にヒトの姿を辞めた巨大な三つ首の竜。天井を崩しながら、維持部隊を睨み付けてくる。そして噴霧状の毒息を吐いてきた。
「――状況、ガス!」
慌てて防護マスク4型を着用。だが遅れた隊員数名が毒を吸ってしまい、悶絶死する。また毒息の直撃を浴びた隊員は生きながら融解した。
「――撤退する!」
田南辺島の叫びに、班長達も部下へと指示を出した。先山が隠し玉の閃光発音筒を放り投げると、ザッハーク改め アジ・ダハーカ[――]やパリカーの目を晦まし、一瞬だけだが敵の攻撃が止まる。其の隙を突いて、大きく後退。追撃を払う為に、田南辺島は仕掛けていたクレイモアやMk2破片手榴弾を発動させるのだった。
……操氣系魔人が報告するに、地下から感じる凶悪な氣は時間を経るごと増々大きくなってきているという。だが地下はアジ・ダハーカと、ジャヒーが率いるパリカーが護っている。また地上階の制圧も苦戦を強いらせられていて遅々として進んでいない。OCAT攻略は困難を極めたのだった。
瑞ヶ池公園内にある、公益財団法人ビル跡で警戒待機していた三鷹達に通信科隊員が連絡を入れてきた。
「伊丹駐屯地にてプシエル出現!」
連絡に続いて、三鷹の相棒である 高殿・透[たかどの・とおる]一等陸士が顔をしかめた。憑魔が寄生しているところを手で押さえて、
「――痛みの方から〈探氣〉が発せられました。此方の位置を確認して、移動してきます」
伊丹駐屯地の方角を見遣ると、空中で爆発が起こる度に光が増えていく。双眼鏡で捉えたのはプシエルが率いるエンジェルスの群れ。窓から身を乗り出すと、試しとばかりにM14バトルライフルを構えた。
「……距離180m、風は北向き、速度は3m」
心得たかのように高殿が測距した数値を読み上げた。そして照準眼鏡に捉えたプシエルへ7.62mmNATO弾を発射した。だが――
「……蒸発したか」
舌打ち。先日の襲撃で確認した通り、プシエルが身に纏う、薄い炎の膜と放射される熱波で、7.62mmNATO弾は宙空で融け落ちる。逆に此方へと気付いたプシエルが手に生んだ炎の鞭を振るって返した。
――公益財団法人ビル跡の周辺が一瞬で焼け野原となった。プシエルが居る事を考えてか、威力を弱めてくれたのかも知れない。屋内に慌てて引っ込んだ三鷹は外からの熱気で顔をしかめながら、『仕掛け』が誘爆しなかった事に感謝した。
エンジェルスが空を覆い隠さんと飛来してきた。しかし周辺の廃ビルに隠れ潜んでいた部隊が、近付いてきたところを一斉に攻撃を開始する。MINIMIやキャリバー50が火を噴いた。また氷水系をはじめとする魔人隊員が半身異化して、能力を叩き付ける。エンジェルスの多くは撃墜され、だが弾幕や憑魔能力の攻撃を潜り抜けてきたアルカンジェルが肉薄。すぐに白兵戦が繰り広げられた。プシエルは何処にミーシャが潜んでいるか迷っていたようだが、副官の四翼天使――ドミニオンが三鷹達が居るビル跡を指し示すと、
「此れが最後の警告よ! サタナエルを渡しなさい。そして我等が“主”へと絶対の忠誠を誓うというのならば、我等が造り給う楽園に住まう事を許すわよ」
……だが断わる! 返事代わりにM14で射撃。勿論、炎の膜に阻まれてプシエルには傷を与えられなかったものの、挑発としては充分だった。
「ミーシャ、此方だ!」
プシエルが突撃してくるのを身構えるなんてせず、三鷹はミーシャの手を引いて裏口から屋外へと脱け出そうとした。
「――逃がすか、愚か者めっ!」
壁を突き破って登場したプシエルが炎の鞭を振り上げた。しかし三鷹は口元の端を歪めるように笑うと、閃光発音筒を投擲。プシエルが目を晦ませて、動きが止まったところに、更に催涙球2型を放り投げる。視界を奪われた上に、噴出するガスで咳き込むプシエル。其の時には三鷹とミーシャ、高殿は屋外への脱出を果たしていた。そして発信機のスイッチを押す。
受信した着火装置が仕掛けられていたプラスチック爆弾を発破。爆音と衝撃で公益財団法人のビル跡が完全に瓦解した。
「……やったか?!」
建造物での生き埋め。核を潰さなければ確実に倒せたと言えないが、其れでも直ぐには動けなくなる程の損害を与えたと三鷹は期待した。だが――
「――先輩、危ないっ!」
高殿の警告と同時、三鷹の前の空間が割れ砕けるように吹き飛んだ。空間を『跳んで』現れ出たのは、無傷のプシエル。反応が遅れた三鷹へと、手にした炎の鞭が振り下ろされ――ようとしたところを、高殿が突き飛ばした。憑魔が活性化している魔人は、半身異化した強化系程ではないが、身体能力が強化される。高殿は強化された瞬発力に脚力、そして腕力で、三鷹とミーシャを突き飛ばして炎の鞭から庇った。刹那の間のはずなのに、三鷹の眼に映り込んだ高殿の顔は足しに笑っていた。そして――代わりに炎の鞭を受けた高殿は焼失する。骨も残らず、焼ける音も臭いも無く、炎に呑み込まれて、高殿は、消えた。
「――――――――ッ!!!!」
声にならない叫びが抱えていたミーシャから発せられた。そしてミーシャに引き摺り出されるように、三鷹もまた憎悪が心の奥底から鎌首をもたげた。
空間が悲鳴を上げ、そして煩悶に満ちていく。魔人の多くがのた打ち回る。奥歯を噛み締めて堪えようとするプシエルだが、身体の痙攣は止めようがない。三鷹は薄く赤く染まった視界に苦悶するプシエルを捉えると、昂ぶる精神のまま、熱く滾る血潮が命じるままに、M14を乱射した。『憤怒』の力で苦悶するプシエルは炎の膜や熱波といった充分な護りを展開する事が出来ず、数発の7.62mmNATO弾で身を削られていく。装着した銃剣で突き殺そうとする三鷹だったが、強大な氣によって弾き飛ばされた。
見ると、荒い息を吐きながらもドミニオンが氣の障壁を張りながら、プシエルを抱えていた。『憤怒』は敵味方関係なく力を暴走させる。ドミニオンが放った氣は逃走を阻もうとする周囲の隊員を薙ぎ倒した。そして三鷹が弾倉を交換し終えた頃には、ドミニオンとプシエルの姿は北西の空に消えていた。
気絶しているミーシャの身柄を信頼出来る衛生科隊員に預けて、三鷹は第309中隊長の下へ出頭する。
「追跡した偵察隊員がプシエルの隠れ場所を発見した。此の瑞ヶ池公園から北西2km程にある、長尾中学校跡地だ。重傷を負わせたのは間違いなく、しかも異形系ではないようだから、直ぐにまた襲ってくる事は無いだろう。逆に居場所が判明した事から、此方が攻める好機だと言える。我が部隊は其のままプシエルの隠れ処へと強襲するつもりだ」
しかし、と言葉を切ると、
「手負いの獣ほど恐ろしいモノは無い。……それから魔王の存在もある。プシエルとは別に魔王対策も用意しておかなければならない。プシエル追撃と、魔王対策のどちらを選ぶか、君の自由裁量に任せよう」
そして重い息を吐くと、
「なおプシエル追撃には、ミーシャは同行させられない。プシエル追撃に参加する時は“彼”は伊丹駐屯地で護ってもらう事になる。此れは決定事項だ」
■選択肢
WA−01)京都の状況を偵察・観測する
WA−02)京都の四大元素天使1柱挑む
WA−03)京都・伏見稲荷の制圧/調査
WA−04)プシエル追撃し決着を付ける
WA−05)魔界王侯貴族との交渉の行方
WA−06)アスモダイの企みを阻止する
WA−FA)近畿地方西部の何処かで何か
■作戦上の注意
当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
また強制侵蝕が発生する可能性が高い為、注意する事。
なお京都へ突入したとしても、脱出するのにもアクション1回分を消費し、都度、成否判定がある事を了承せよ。京都とは異なる地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)を選択しただけでの移動は認められない。脱出の為のアクションが無い場合は失敗もしくは死亡したとして処理する。そして再び突入する際にも厳重な判定がある。(※註1)
対してヘブライ神群(天使群)側としてキャラクターを作成し、アクションを掛ける事も出来るが、高位天使の監視は厳しいので警戒を怠らない事。但し京都の出入りは人類側と比べて易しく、他の地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)を選択するだけで移動は可能である。
※註1)京都の突入/脱出の特別ルール……
1.「WA−01)京都の状況を偵察・観測する」「WA−02)京都の四大元素天使1柱挑む」「WA-03)京都・伏見稲荷の制圧/防衛」の3つから選択する。
2.突入する方角(東・西・南・北の4つ)を選び、突入する為だけのアクションを別に明記する。上記選択肢における行動とは異なるアクションとして処理される。此れは複数行動に当たらない。もしも突入アクションが明記されていない場合、自動的に京都突入は失敗する。最悪、死亡。
3.京都から脱出する場合は「京都とは異なる地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)」を選択する。
4.脱出する方角(東・西・南・北の4つ)を選び、脱出する為だけのアクションを別に明記する。上記選択肢における行動とは異なるアクションとして処理される。此れは複数行動に当たらない。もしも脱出アクションが明記されていない場合、自動的に京都脱出は失敗する。最悪、死亡。なおアクション判定で失敗した場合、其のキャラクターのプレイヤーには京都のノベルが送られる。
5.突入/脱出する方角を護る四大元素天使やケルプが倒されていた場合、アクション判定における難易度は大幅に下がる。