京都のヘブライ神群(天使共)との最前線である大津駐屯地。先月の戦いの傷痕も癒えてきた神州結界維持部隊・中部方面混成団だったが、人員は兎も角、車輛や火砲は未だ反撃を試みるには心許無い状態だった。
其れでも機会を逃さないよう、第10高射特科大隊・試作自走対空砲小隊――村田小隊は訓練に励んでいた。
常陣戦場の神州とはいえ、緊張も過ぎると感覚が麻痺して、危機意識を喪失してしまう。其れでなくとも過度の負担で精神がまいってしまう。何事もメリハリが必要だ。有事に於いては即応が求められるが、だからこそ意識の切り替えが肝心となる。訓練は肉体を鍛えるだけでなく、意識や精神を状況に対して円滑に応じられる為の心構えを学ばせる場である。
「とはいえマニュアル人間にもなられても困るが。基礎を学んで尊ぶ上で、臨機応変に行動出来るのが理想だな」
目を細めて、村田・巌(むらた・いわお)准陸尉が独りごちる。副官がデータを取りながら、
「天草や千歳の戦いではエンジェルスによる精神汚染もあったそうですからね。備えをしておいて損はありません」
頷き返す村田に、伝令が近寄ってきた。敬礼し、
「司令がお呼びです」
大津駐屯地司令を兼ねる中部方面混成団長の呼び出しに、訝しげな表情を浮かべたものの、直ぐに村田は答礼を返した。
「……京都で何か動きがあったのでしょうか?」
「――判らん。とりあえず俺が戻るまで、各自、小休止。だが遅くなった時は頼む」
警衛の敬礼を受けながら執務室をノック。入室許可の声に扉を開けた。中部方面混成団長へと敬礼を送ると、村田は室内を視線だけで見渡す。中部方面混成団長だけでなく主要な幹部(士官・下士官)が顔を揃えていた。
「遅くなりました」
「いや、村田准尉が最後という訳ではない。もう暫く待て」
村田が顔を向けると、隣の幹部は頬を掻く。
「自分も詳しくは未だ……。京都の件で動きがあったらしいのですが」
成程と頷き返す。そして幹部が揃い終わり、村田は代表して口を開いた。
「京都の状況に変化が起こると聞きましたが」
「そうだ。――神様ってのは本当に居たらしい」
正気を疑うような発言に、村田が眉間に皺を刻む。他の幹部もまた憮然とした表情を浮かべていた。混成団長は咳払いしてから苦笑すると、
「済まない。私は正気だ、そんな目をするな」
「……いつも口にしていた、神頼みの件ですか。伏見稲荷で大きな動きでも?」
「そうだ。京都に潜入している隊員が、伏見稲荷大社に封じられていた日本土着の超常体――神の1柱との接触に成功した」
眉に唾を付けたくなる話だが、非公式ながらも神州各地で日本土着の超常体――天神地祇と接触したという報告が流布している。オカルト説に基づく陰謀論が事実だったという話だ。
「伏見稲荷に封じられていた神は、未だ力を本領発揮していないという。現在、潜入した隊員が護衛を務めており、準備を進めている」
「――では京都内部で作戦が成功した場合に発生する、天使側の混乱を予測。機会があれば踏み込んで撃破する手順を整えておけば宜しいのですな?」
村田の返事に、中部方面混成団長だけでなく、室内の一同が不敵に笑みを浮かべた。
「実際にどういう事態が引き起こされるかは予測が付かない。とはいえ状況の変化を見逃す事無く、諸君等には動いてもらいたい。――私からは以上だ」
一同は敬礼を送る事で了承の返事とした。そして一刻も早い立て直しを図るべく、各自の部隊へと戻っていく。村田も退室しながら、
「さて……迎撃という防空態勢から、円滑に進攻出来るかが鍵だな。普通科との連携も考慮しなければならない。そして――」
進撃するに当たって、四大元素天使が構える東西南北のいずれから攻めるか。大津駐屯地から京都へと攻めるとしたら東の“ 神の人( ガブリエル[――])”となるが、どうする?
……此の迷いが、後に響くとは、村田自身も思っていなかったのだった――。
擬装して身を潜めて幾日経っただろうか? 白樺・十夢(しらかば・とむ)二等陸士は伏せ射ち体勢のままで周囲へと気を配っていた。伏見稲荷大社の神域である稲荷山。“ 神の栄光( ハニエル[――])”が率いる天使共に包囲されている一ノ峯にある上之社神蹟地を護るように白樺は待機していた。
上之社神蹟地に封じられていた伏見稲荷大社の主祭神である 宇迦之御魂[うかのみたま]。解放された女神が本領発揮するには、意識を集中しなければならないという。其の間、宇迦之御魂が無防備になる為、白樺と相棒の観測手が護衛の任に付いている。
ハニエルは暢気そうな見た目に反して慎重だった。宇迦之御魂が封印から解放された余波で、ザドキエルが弱まったのを見て、迂闊に此方へと飛び込まず、低空を這うように飛行し、また木陰や岩を遮蔽物として利用して堅実に詰め寄ってくる。だが――
(……時間が無いのをハニエルも理解している)
宇迦之御魂が本領発揮すれば、稲荷山に限らず、京都へと影響が満ちるという。エンジェルスやアルカンジェルは力を受けて吹き飛ぶだろうし、下士官級であるパワーやヴァーチャーも弱まるのは間違いない。そして高位上級超常体である熾天使(セラフ)のハニエルどころか、最高位最上級の四大元素天使に対抗する力となるだろう。
白樺が宇迦之御魂を護り通さなければならないのに対して、ハニエルは自らや兄弟姉妹の安全を確保する為にも力を奪い取らなければならないのだ。……尤も天使共が宇迦之御魂の力を狙っていたのには別の目的があったようだが)
兎に角、宇迦之御魂が力を振るうまで護り抜く事が白樺達の重要任務だった。問題は多勢に無勢である事だが……
「――狙撃に徹する限り、少なくとも、弾切れの心配だけはないな」
思わず口に出た。不安の裏返しだというのは白樺も理解している。実際、天使共が数を頼みに押し寄せてきたら、幾ら手にあるのがXM109ペイロードライフルという怪物でも、潰されるのがオチだ。また白樺の気付かぬところから接近してきたら……
と、此処で耳が、微かな葉擦れ音を聞き付けた。白樺の擬装を見抜いているのか、それとも偶然か。息を止めて身を周囲に沈ませると同時に、いざという時は反撃出来るように9mm拳銃SIG SAUER P220を抜いておく。〈消氣〉を使えば完全に気配を隠せるだろうが、擬装だけでも相手が此方を見過ごしてはくれないか?
体感的には永劫にも近い、僅かな後で、
「――すまん。驚かせた」
「……駐屯地に戻ったらタコ殴りだからな」
葉擦れ音の主――相棒の観測手が謝罪すると、白樺は怒りを言葉に包んで吐き捨てた。観測手は詫びると偵察してきた状況を報告する。
「狙撃に適した位置を此処の他に3点見付けてきた。とはいえ直ぐに移動という訳にはいかんな、やはり」
全長1m超、重量15kg超のXM109は、そう簡単に持ち運ぶ事が出来ない。相手に居場所を割り出されないように、いざという時は現在地を放棄する必要が出てくるだろうが、押し寄せる敵勢を相手に、そんな余裕があるかどうか。
「……となれば俺が奮起するしかないか」
89式5.56mm小銃BUDDYを見詰めて、相棒は溜息を漏らす。白樺も溜息を吐きながら、
「増援は期待出来ないからなぁ……」
宇迦之御魂が力を発揮しなければ、四大元素天使も弱まらず、京都の外からの救援は難しい。そして救援が欲しいのは宇迦之御魂が力を発揮した後ではなく、前だ。だから必要な時に外からの救援は期待出来ない。
そして白樺達より先に京都に潜入しているはずのMAiR(Middle Army Infantry Regiment:中部方面普通科連隊)や零参特務(第03特務小隊)との連絡は付かない。最早、彼等の生存は絶望的だと思えた。
「……四月上旬に行った大規模な陽動作戦は結局、無駄だったという事か」
無駄どころか、貴重な戦力を大幅に失った。一連の出来事が落ち着いたら、作戦へと許可を出した中部方面混成団長が更迭されるのは確実だろう。最悪、懲罰部隊送りかも知れない。
「……だが団長を失意のまま終わらせないようにしないとな。私達が奮起せねばならない」
白樺の呟きに、相棒が頷いて見せる。そして包囲を縮めてくる敵へと、一層の注意を向けるのだった。
陳情していたAN-M14/TH3焼夷手榴弾を確認する。テルミット法を利用し、通常の手榴弾などに比べて加害半径は極めて狭い。燃焼温度は約4,000度にもなり、鉄骨等を溶かす事が出来る。ベトナム戦争の頃から、鉄条網やバリケード等の構築物の破壊に使われてきたが、神州世界に於いては超常体や完全侵蝕魔人の焼却処分に活用される事が多い。特に異形系は半不老不死ともいうべき無尽蔵の生命力を有しており、細胞組織の一片でも残っていれば、其処から再生すると伝えられている。実際、核と呼ばれる心臓部とも頭脳とも言うべき細胞を破壊せねば安心出来ないのだ。戦車の砲撃や、飛行機による空爆、ミサイル等による攻撃が、無用の長物とされる所以の1つとして、超常体や魔人に対して獲り零しの危険性が高い為だ。
結局のところ白兵戦或いは近接距離による銃撃等の確実なトドメのみが、強力な超常体や魔人に対する有効打と認められないのだ。
「――とはいえ、手の届く範囲に来てくれないと、打つ手が無いよ」
焼夷手榴弾を収めながら、先山・命(あずやま・みこと)二等陸士がぼやく。先山は美少女然とした外見ながら、バールを手にした近接戦闘術から撲殺天使の異名を持つ。愛用のバールは先山が戦闘術を学んだ施設科の先輩から形見であり、操氣系憑魔が寄生している事から、敵の血を吸って成長すると恐れられている。また先山自身も呪言系能力を有している事から白兵戦闘に於いて強力無比、異形系の魔人や超常体にとっては天敵ともされる。だが、
「……其れは飽く迄も白兵戦闘に於いての話。近寄る事の出来る機会を増やさないとねぇ」
無尽蔵と云われる再生力を阻害出来る事から異形系は呪言系から見れば相性が良いとされる。だが接触でしか力を発揮出来ない呪言系に対して、異形系は其の生命力に比例するかのように無限の可能性を秘めている。特に、此れから対戦する三口三頭六目の異形の竜アジ・ダハーカ[――]は、千の魔法等を駆使して敵対する勢力を苦しめ、剣を刺しても傷口から邪悪な生き物が這い出す為、殺す事が出来なかったとされる。毒の息を吐き、溶解液を撒き散らす。
「此の一件が終わったら、アサルトライフルの取り扱いも、もう少し勉強しようかなぁ。……でも、何ミリ弾なら効果があるんだろう?」
「そうね……やっぱり5.56mmNATOでは威力不足が否めないかしら」
先山の呟きに、隣で受領していた検品していた 橘・柑奈(たちばな・かんな)二等陸士が口を入れる。ボリュームのあるセミロングの髪に、誰もが目を引く大きな胸。柑奈自身はコンプレックスを抱いているようだが、8歳の先山から見ても羨ましくてしょうがない。思わず平らな自身の胸を見る。……其れはさておき、柑奈はバレットM82A2という対物ライフルを携行するWAC(Women's Army Corps:女性自衛官)だ。火力に関しては一日どころか、かなりの長がある。
「あなたは魔人だから、超常体に反応して戦場では大人並みに銃器を持ち抱える事が出来るけれども、取り扱いに関しては不安が残るわね」
「そう考えればBUDDYで我慢した方が良いという事?」
「7.62mmのバトルライフルを扱うには、未だ早いと言うだけよ。今でもBUDDYで充分に戦えると思うけど」
其れに、と柑奈は柔らかい笑みを形作る。
「あなたが白兵戦へと持ち込む為の機会を得る為にも、私達が居るのよ。私達の援護射撃を信用しなさい」
柑奈は自らが取り寄せた弾薬種類を教える。説明を受けて先山は自然と笑みを零した。
「……さて、そろそろ準備が出来たか?」
先山と柑奈の様子を伺っていた第37普通科連隊・第377班長が声を掛ける。先山達が頷き返すと、状況の再説明と確認に入った。
七つの大罪が1つ『姦淫』を掌る大魔王 アスモダイ[――]が拠点としている「OCAT」(オーキャット)。地上階及び地下階への制圧・掃討が進められているが、クスリを摂取して、人を辞めたヒト型の超常体ドルグワントや女性の完全侵蝕魔人パリカーの妨害で思うように進まない状況だった。増してや地下ではアジ・ダハーカが立ち塞がっており、激戦が予想されている。
「……それにジャヒーと云われていたか。謎の女性型超常体は」
アスモダイと並んでいたところを目撃されていた美女 ジャヒー[――]。其の名前はアジ・ダハーカと同じくゾロアスター教で散見される。暗黒神 アンラ・マンユ[――]の妹(或いは母)にして愛人とされる淫魔だ。其の名で呼ばれている以上、強大な存在に違いない。そしてアスモダイがアンラ・マンユ側において重要な鍵を握っている事も推測出来た。
「アスモダイの前身がゾロアスター教における悪魔アエーシュマかも知れないというのは文献を当たってみて判った事だけれども……其れだけじゃない気がする」
「ジャヒーは確かアジ・ダハーカにこう言っていたわね――『あの御方が真の姿を取り戻すまでの道具に過ぎない』だと。『道具』がアジ・ダハーカを指すとして、では『あの御方』とは? そして『真の姿』とは?」
ゾロアスター教に於いて、ジャヒーは六大悪魔に並ぶ程の悪徳を持つ存在とされている。アエーシュマもまた六大悪魔に並ぶ強力な存在だとしても、アンラ・マンユの愛人とされるジャヒーが敬意を払う程の相手だろうか?
「謎は深まるばかりだが……観測によれば、地下から感じる凶悪な氣は時間を経る事に増々大きくなってきているという。予定通りに作戦を決行する。覚悟しておいてくれ」
第377班長の言葉に、柑奈と先山達は敬礼で応じるのだった。
ミーシャ[――]の身柄の保護と、監視にある。
処罰の七天使が1柱“ 神の火( プシエル[――])”に追われるミーシャは、七十二柱の魔界王侯貴族が1柱の美貌伯 ロノヴェ[――]の言が正しければ、2つの存在に変わる可能性を有する。
1つは処罰の七天使が1柱“ 神の敵( サタナエル[――])”に。
もう1つは、七つの大罪が1つ『憤怒』を掌る大魔王 サタン[――]へと。
いずれにしても人間の脅威であり、一部には未だどちらか決まっていないうちに『処理』すべきだという強硬論も出始めていた。今でさえミーシャがサタンとして存在が確立していないのに『憤怒』の力は時折、暴走しているのだ。『憤怒』は憑魔能力の制限を解除する。だが能力を行使するモノは心身が保たずに自滅する。そしてミーシャ自身の意思を無視して、敵味方問わずに魔人や超常体だけでなく周囲の全てに影響を及ぼす。
「……しかし俺は思うのだ。魔人や超常体でないモノ――つまり一般人が何故ミーシャの影響を受けるのかだが、アスモダイによる“汚染”の為も考えられるのではないかと」
ミーシャを監察する 三鷹・秀継(みたか・ひでつぐ)陸士長の仮説に、馴染みとなった40代女性の医官(准陸尉)と、警務隊から派遣されている 檜山・大河(ひやま・たいが)一等陸士が興味深そうに耳を傾ける。檜山達の促しに応じると、
「アスモダイが広めたクスリを、食事への混入等で俺達は大なり小なり摂取してしまっている。此れは人体に速やかに消化や吸収され、体外に排出されない」
「まぁ口に含んだ程度――直ぐに吐き出せば大丈夫かもしれないがね」
医官の補足。尤も誰も試そうとしていない為に実際は判っていない事だが。
「クスリは憑魔核と同じようなモノを原料にして、粉末状にして精製したモノ……。摂取したモノは例外なく完全侵蝕し、超常体と化しています。だから少量でも摂取した僕達も――正確にはクスリもまた『憤怒』の影響を受けている可能性があると?」
飽く迄も仮説だが可能性はある。檜山は眉間に皺を刻むと考え込んだ。
「しかし、其れはミーシャさんの安全性を訴えられるものではありません。むしろミーシャさん排除論を強める事になりかねない。……噂では第17普連が駐屯する山口に憑魔能力を抑え付けるという収容所があるそうですが、其処にミーシャさんを送り込んでも本当に『憤怒』の影響がなくなるかどうか」
「まぁ、1つの仮説としては考えさせられた。とはいえミーシャの決断次第では其れを確かめる機会すら無いがね。“彼”が人類の敵になる事を選んだら、な」
医官の警告に、三鷹は言葉に詰まる。
「思うんだがね。ミーシャに選ばせるというのは、自主性を重んじると聞こえはいいが、実際は自分の選択から逃げ出し、責任を相手に丸投げするという事ではないか。三鷹士長はミーシャにどんな選択をして欲しいんだ? そしてミーシャの選択が、希望と異なった時――例えば“彼”が人類の敵になる事を選んだ際に、どうするつもりなのか?」
言葉の刃物に、三鷹の顔は苦渋に染まった。一頻り唸った後、
「俺は――ミーシャの『意思』と『選択』を自らの責任において最優先したい……其れだけだ」
「……いざという時は自らの手で決着を付けるという事ですか?」
檜山が目を細める。鋭い視線を受けて、三鷹はホルスターに収めているP220を重く感じた。
足取りは重く、歩みは遅く感じたが、しかし三鷹達は目的地に辿り着く。檜山に対して警備に付いていた隊員が敬礼。答礼を返してから、檜山は扉の鍵を開けた。警衛が9mm機関拳銃エムナインの安全装置を外してから、檜山達に代わって扉を開けた。
部屋の窓には申し訳程度の鉄格子に、金網が張られており、多層構造の鉄筋コンクリート壁で囲まれている。特別にミーシャ向けの為に設えられた病室では無い。外からの攻撃や内からの脱走を阻む備えとして数年前から使われてきたモノだ。とはいえ……
「――プシエルの〈跳躍〉には意味のない備えだが」
「警護する者にも気休めは必要ですよ」
思わず苦笑する三鷹に、檜山もまた肩をすくめて見せた。
さておきミーシャは三鷹の呟きを耳聡く聞き付け、俯いていた顔を上げた。泣き疲れたのか、目は赤く充血しており、頬が腫れた様になっている。其れでも尚、老若男女を惹き付ける絶世の美。
「……高殿さんが。私の所為で」
三鷹の後輩であり、また戦場での相棒だった、高殿・透[たかどの・とおる]。先日の対プシエル戦で、三鷹とミーシャを庇って戦死した。
「私が居なければ高殿さんは死ななかったのに」
「違う。高殿の死は、俺に責任がある。俺が油断しなければ……」
奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。
「私は、あの赤い髪の少女を許さない……」
ミーシャの涙で曇っていた眼に、激しくも昏い光が宿ったように見えた。空間が満ちていく煩悶に引き摺られていくかのように歪んでいくのを感じた。高殿の想い出を火種にして『憤怒』の力が暴走しようとするところを――
「ミーシャ。高殿の仇は必ず討つ。必ず討とう。だから、今は心を落ち着かせるんだ」
ミーシャが怒りに染まる前に、三鷹は呼び止める。そして片手を挙げて、背後でエムナインの銃口を向ける警衛を制する。
「高殿の仇、第398班の皆の仇は必ず討つ。プシエルの隠れ処は判明している」
瑞ヶ池公園での戦いで傷を負ったプシエルと配下のドミニオンは長尾中学校跡地に逃げ込んだ。追撃した第309中隊が包囲網を布いている。
「遅かれ早かれ、奴は倒される。俺達が、俺が倒す。だから――ミーシャは力を振るわなくても良いんだ」
三鷹の言葉に、ミーシャは再び涙ぐみながらも頷いて応えた。しかし……
「プシエル討伐も大事ですが、期限のある問題がある事もお忘れなく」
ロノヴェ達――ヘブライ堕天使群(魔群)が、ミーシャの身柄の引き渡しを要求している。期限は5月末。引き渡しに諾と答えなければ、ロノヴェ達は強引にもミーシャを連れ去ると最後通牒を突き付けてきている。だがミーシャを引き渡せば、協力を誓約するという。
――個人差はあるが、私共は嘘を吐かない。……信じられないだろうが、交わした誓約は絶対に護る。但し誓約を都合の良い様に解釈したり、相手から破らせるように誘導もしたりする。博愛でも、利他主義でも無いのだ。しかし誓約自体を護るのに間違いない――
ロノヴェの言葉だ。信じられるかどうか。未だに三鷹の中でも疑う余地がある。だが、
「……私、行きます。ロノヴェさん達と一緒に」
「――其れがミーシャの決断なんだな?」
「協力すると約束してくれています。其の後――どうなっても、私は三鷹さん達を恨みません」
ミーシャの言葉。其の真意に気付いて、三鷹は深く頷き返す事しか出来なかった。
覗いていた双眼鏡を放り投げる。警告を発しながら、相棒の観測手はBUDDYを構えた。
「チキン共が焦れて押し寄せてきたぞ!」
「……其れは焦れても仕方ないだろうな」
背後――護るべき対象である上之社神蹟地では宇迦之御魂が意識を集中しており、半身異化していなくても力が高まっているのが判る。天使――特に指揮官であるハニエルも察しているのだろう。白樺の砲撃での犠牲を覚悟して、物量作戦で押し寄せてきた。
「私はアルカンジェル以上のを狙っていく! 漏れたエンジェルスは任せた」
「弾足りるかなぁ……」
アルカンジェルを先頭に発光しながら押し寄せてくる天使の群れ。目敏くアルカンジェルへとXM109ペイロードライフルで撃ち放つ。アルカンジェルの張った氣の障壁を、しかし電磁加速により威力を増した25x59mmNATO弾は易々と切り裂いた。アルカンジェルは肉片となって飛び散り、また周囲のエンジェルスも衝撃波で吹き飛ばされたり、墜落していったりしていく。次弾を装填する間も、相棒がBUDDYで弾幕を張った。それでも空を覆う光は増し、より強くなっていく。
「ハニエルさえ落とせば――半身異化して居所探れないのか?」
相棒の要求に、だが白樺は首を横に振る。
「生憎と狙撃のアドバンテージたる長距離射撃は放棄したくない」
半身異化して〈探氣〉をすれば半径200m以内の超常体や魔人の位置を把握する事は可能だ。だがXM109の約2kmという有効射程があってこその防衛線だ。此の物量差で200m先にまで引き寄せるのは自殺行為に等しい。現在もXM109の砲撃を逃れたエンジェルスは相棒の弾幕で何とか抗しているのだ。BUDDYの有効射程は500m。一分間に650発以上を撃ち尽くす為、本気で弾幕を張ろうとすれば、30発の箱型弾倉でも瞬く間に尽きる。相棒の周囲には多くの空弾倉が転がっていった。
「其れに――根拠は乏しいが、此方の気配を感じ取っている様子から、ハニエルは恐らく操氣系だ。〈探氣〉頼みで位置を把握しようとして、実は〈消氣〉で接近していた――なんて笑い話にもならない」
「確かに接近を許した時点で死亡だからなぁ。……と、悪い。弾尽きた。やはり狙撃要員だけで大部隊と戦うのって無茶過ぎるよなぁ」
まさに多勢に無勢。XM109の威力が如何に強大でも、一度に全方位に撃ち放てる訳ではない。そして暢気そうに見えてハニエルは中々に冷徹だ。パワーやヴァーチャーといった側近は控えさせて、使い減りの効くアルカンジェルやエンジェルスばかりを前進させてくる。白樺の残弾が無くなったところで、ハニエルとヴァーチャーやパワーといった大物が姿を表すのだろう。
「――なら、此方にも考えがある。非常手段だ。奥の手を使う」
「……半身異化するのか?」
相棒の期待の声に、しかし白樺は口元に裏切りの笑みを浮かべてみせた。そしてXM109を構える。砲身が雷光を纏った。
「よく忘れがちだが、憑魔武装は――実体弾が無くても銃撃戦が可能だ!」
電撃そのものが銃弾となってアルカンジェルを撃ち貫いた。威力は弱まり、衝撃波による周囲への損害も少ないが、替わって弾数無限が最大の強みだ。
「……とはいえ寄生している憑魔が疲弊して力尽きたら、此れも終わりなんだが」
「解説ありがとよ」
其れでも、やはり天使の攻勢を完全に抑えきれるものではない。XM109の砲弾や電撃を潜り抜けてきた超常体を、相棒が必死の形相で刺突する。
……時計の長針が1周する迄もない、其れでも地獄のような永遠に満ちた時間を経て、白樺は荒い息を吐いていた。銃剣の刃は折れており、相棒もBUDDYを棍棒代わりに振り回している。其れでも白樺自身を無傷に近い状態まで護り通してくれたのは感謝すべきだろう。……何でこんなのが観測手やっているのか?
頭に浮かんだ些細な疑問に、白樺は苦笑。そして、こんな苦しい戦いも、もう終わりだ。
「外から来た人間って強いんだねぇ〜。アタシ、感心しちゃった。――降伏して“主”への愛と忠誠を誓う気はない? 洗礼を受ければ“主”の栄光の下で、真なる安息と至福が戦いの末に訪れるんだよぉ。じゃないと――もう終わりにしちゃうんだからぁ〜」
ハニエルが思念波で降伏勧告。空も、そして山肌もエンジェルスが発する光で満たされている。圧倒的な敵の数に、相棒と顔を見合わせて、白樺は笑った。
「……どうするんだ?」
「――ハニエルの言う通りだな」
そして白樺は取っておいた最後の弾倉をXM109に装填すると、
「……もう、終わりだ!」
上ハ天子ヨリ下ハ萬民ニイタル幸福豊楽ノ神明ナリ
白樺の喝破と同時に、上之社神蹟地より色に例えるならば稲穂がなびく黄金の、波動が放たれた!
金色の波は、エンジェルスの放つ光を打ち消していくばかりでなく、天使の群れを一瞬で葬り去っていく。天を覆っていたエンジェルスは文字通り落命していき、地に満ちていたモノも膝を屈して倒れていく。ハニエルと思しき悲鳴が上がった。其の声を確かに聞き分けて、相棒が距離と方角を誤りなく観測して報せる。XM109の砲身が雷光を纏う。宇迦之御魂の波動を受けて、先程までの疲労感は無い。血が昂ぶって身体が熱いが、精神は自分でも驚く程に澄み切っていた。苦しみながらも遮蔽物に隠れ逃げようとするハニエル。遮蔽物や陰で、直視出来ていないはずなのに、確かに其の姿を捉えた。線が繋がる。周囲の音が消えた中、観測手の合図だけが耳を打った。
「――射てっ!」
引き鉄を絞ると、25x59mmNATO弾が放たれる。電磁加速した銃弾を、間の遮蔽物を薙ぎ倒し、また庇おうとしたパワーやヴァーチャーを巻き込みながら、ハニエルを貫き、切り裂き、肉片と変えた。
「……着弾を確認! 敵勢力、消滅!」
相棒の声を耳にしながら、動画のスローモーションのように、白樺は仰向けで倒れ込んでいく。宇迦之御魂の恩恵により、疲労感は無い。ただ、やり遂げた満足感から意識を失ったのだった……。
京都を観測していた偵察員の報せに、待機警戒していた村田は思わず右拳を左掌に打ち付けて、咆哮を上げた。――伏見稲荷にて金色の波動を確認。中部方面混成団長が反転攻勢の号令を発する。
「……とはいえ天使共が混乱しているのは僅かと見るべきだ。拙速さが勝利の鍵だぞ」
村田の指示に、部下達が勢い良く返事。試作自走対空砲小隊の対空戦闘指揮装置改と35mm2連装高射機関砲L-90改4基が出撃する。また村田小隊だけでなく、再編制を終えた普通科部隊の幾つかも発進。少数ながらも頼もしく、96式装輪装甲車クーガーや高機動車『疾風』が我先に飛び出していく。
4月前半に受けた屈辱の戦い――ガブリエルに蹂躙された東野の国道1号線沿いと県道35線が交差する地点へと到る。目にしたのは地を覆い隠さんばかりの数の、墜落したエンジェルスの屍骸。
「天使の最大の恐ろしさたる無尽蔵の兵力。――指揮官の夢の一つだったな。敵にやられると、悪夢でしかなかったが」
だが、其れも伏見稲荷から発せられた波動により、一瞬で葬り去られた。
「……此処までの影響力を有するのか、神の力というのは」
とはいえ虚しさを感じる暇はない。波動を受けて弱まったとはいえ京都東の防衛線を死守すべくパワー以上の天使が迎撃に出てきた。京都の戦いに決着を付けるのは、飽く迄も人間だ。人間でなければならない。神の力が如何に強大であろうとも。
「相手の喉笛に喰らい付け! 何としても橋頭保を築き上げるのだ!」
先行するクーガーが車載する12.7mmブローニングM2重機関銃キャリバー50で弾幕を張る。別のクーガーからは96式40mm自動擲弾銃が咆哮を上げ、疾風から降車した普通科部隊員がBUDDYを撃ち続けた。
「隊長、前方上空にガブリエルを目視!」
「――射てっ!」
L90改4基からの35mm砲弾が、光線を引いてガブリエルへと殺到する。波動の衝撃から未だ快復していないのか、苦しげな表情を浮かべていたガブリエル。だが、それでも咄嗟に氷壁を張って防御した。しかし連続する砲弾に氷壁が破砕。直撃はしなかったが、ガブリエルへと傷を負わせた。
「討てるぞ! 叩き込め!」
ガブリエルが傷付く姿に、敵からは悲鳴や怒声が、味方からは歓喜の喝采が沸き立った。しかし油断は出来ない。ガブリエルは血を流しながらも携えていた杵のような棒状のモノを振り上げる。そして枯れた声ながらも唄い出す。
―― Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus, Deus Sabaoth. Pleni sunt caeli et terra gloria tua.
「――残念だったな! 此れまでとは違う!」
ガブリエルが呼び起こす氷点下の世界。だが封印から解かれた宇迦之御魂が力を抑え込んでいるのか、此れまで維持部隊を絶望に叩き込んでいた絶対的な凍気は感じられない。
――憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
村田は憑魔能力を発動させて、ガブリエルが起こした冷気を逆に喰らい込む。ガブリエルが驚愕の表情を浮かべるのを見て取れた。杵を振り下ろし、雷撃を発するが――威力も範囲も、脅威ではない!
『一斉射撃、集中砲火!』
放たれた雷撃を圧し返すように、火力がガブリエルに押し迫った。弾幕や爆炎が視界を阻む中を、ガブリエルの悲鳴が響き渡る。
「――油断するな。確実に止めを刺した事が解るまで、高位超常体は生きていると肝に銘じろ!」
村田の警告に応えて、更なる駄目押しを放とうとする維持部隊。だが、
「――しまっ、た……!」
ガブリエルが居たところから強い波動が発せられてきた。村田の憑魔核が激痛を訴え、神経や肉体を這う。痛みに膝を屈する村田や、魔人隊員達。脂汗を流しながらも睨み付ける村田は、咄嗟にガブリエルを庇ったのだろうか、パワーやヴァーチャーが崩れていくところを確認する。そして破砕した杵を残して、ガブリエルの姿は無かった……。
ガブリエルには後一歩のところで逃げられたものの、京都内に橋頭保を築き上げる事を成功した。
「問題は……補給線だな。宇迦之御魂の力による天使共の弱体化も、いつまで有効なのか安心は出来んし」
「補給線ならば大津駐屯地からの支援が約束されています。其れよりも、此の絶好の機会に四大元素天使を討ち果たす事を考えないと」
普通科の部隊長と相談しながら、村田は状況を再確認する。部隊は東山五条まで到達。清水寺で知られる音羽山を制圧した。
到達するまでエンジェルスやアルカンジェルといった低位超常体の屍骸を多く見掛けたが……
「天使に与していたモノもまた被害を受けたか」
偵察に出ていた普通科部隊によると、20年という過酷な歳月でも天使に屈せず、抵抗していたグループとの接触に成功。だが其れ以上に、苦しみで倒れている人間達も発見したという。天使に従属する事で生き延びてきた大多数は、宇迦之御魂の波動を受けて、命まで取られなかったものの精神的な衝撃で幼児退行や記憶障害を起こしているらしい。発見出来ただけでも保護して後送したが……
「全てを『戦災』という言葉で片付けてしまうのも酷かも知れんな……」
天使に平伏した彼等が悪いのか。其れとも……。
村田は大きく溜息を吐く。そして頭を振ると、今後の戦いに向けて、無理矢理にでも考えを切り替える。
抵抗グループからの情報提供によると、ガブリエルは旧二条城まで逃げ込んだという。そして京都北を護る“ 神の光( ウリエル[――])”は府立植物園、南を護る“ 神の如し( ミカエル[――])”は京都駅、“ 神の薬( ラファエル[――])”は太秦映画村を防衛拠点にしているとの事だ。
「……長かった。20年掛かった。多くの仲間を失った。だが、ようやく咽喉元に刃を突き付けたぞ」
日本建築の粋を集めて建てられたとされる鴻臚館だが、20年近くの戦傷が残っており、かつての姿はない。今もまた内部に指向性対人用地雷M18A1クレイモアやプラスチック爆弾が施されている上に、駆り出されてきた警務科の実働部隊が潜んでいる。
「――遅くなった。申し訳ない」
景色が歪むと、祝祷系能力を駆使した光学迷彩を解除しながらロノヴェと予言貴公子 ヴァッサゴ[――]が姿を表した。ロノヴェが姿を隠し、ヴァッサゴが気配を消す。今更ながら隠密行動には強力なコンビと言えよう。とはいえ姿を表した以上は、多くの銃口に晒され続けているという事だ。三鷹の個人携帯無線機に、警務科の狙撃員が射撃体勢に付いた事を報せる連絡が届いた。勿論、ロノヴェやもヴァッサゴも易々と騙し討ちを受けるようではなさそうだが……。
「アスモダイやプシエルとの戦いも控えており、俺達も忙しい。刻限には未だ早いとはいえ、もう少し、此方の事情も鑑みて頂けないだろうか?」
三鷹の言葉に、ロノヴェの眉間に皺が刻まれた。しかし実際のところプシエル追撃やOCAT攻略に人手は幾らあっても足りない状況だ。京都の方でも大きな動きがあったらしく、第3師団司令部へと増援要請が届いているらしい。
――ミーシャの転換点という大事な場面だが、本来、戦力を遊ばせておく余裕はないのだ。魔王2柱との交渉後に、其のままプシエル追撃の増援として長尾中へと向かうという流れは寸断されてしまっている。三鷹達もまた焦れているのだ。
其れを理解したのかロノヴェは再び慇懃に頭を下げて、謝罪のポーズ。そして口を開いた。
「では早速、用件と参ろう。ミーシャ――“彼”の身柄を引き渡して欲しい。是か非か?」
「答える前にもう一度確認する。引き渡せば協力を惜しまないというのに嘘偽りは無いのか?」
「勿論だ。だが飽く迄も協力だ。私共の不利益になる事には力を貸せない。猊下への裏切りは、先ず盟友達と結んでいる誓約を破る事になるからな」
「……仮に此方に協力出来ないという事態は?」
「協力を求められた際に、断わる事を約束しよう。或いは流れでそうなる事が予測出来るようになった時点で、少なくとも私とヴァッサゴは離脱させてもらう。土壇場で裏切ったり、協力した振りで罠へと誘導したりはしない。また離脱した後も事態が一段落するまで、相手にも君達にも力を貸さない。どうかね?」
ロノヴェの言葉に、ヴァッサゴが頭を振って同意した事を見せてきた。三鷹は暫く黙考。そして、
「追加の確認事項だ。先ず魔群――俺達が君等をそう呼んでいる軍勢は『猊下』とやらの盟約で成り立っているモノと考えていいのか? オカルトの文献や伝承から『七十二柱の魔界王侯貴族』と一括りにしているが、実際はどうなのだ?」
古代から中世、そして近世に至るまでの欧州で形作られた反基督教や悪魔学の考察。現在、魔群(ヘブライ堕天使群)と呼んでいるモノ達は、其れ等を基にして区分けされている。果たして正しいかどうか。此れは『猊下』と呼ばれる存在を頂点にして、魔群が一枚岩の軍勢であるかどうかの確認を意味していた。
ロノヴェは端正な顔立ちを歪ませると、唸るような息を漏らした。そして口を開く。
「……君達が『魔群』と呼ぶ私共は、猊下を盟主にしての繋がりだ。とはいえ元来“唯一絶対主”や、其れに盲従する輩と敵対するモノ達が集まったに過ぎない。実際のところ猊下の思惑とは別に動いている『七十二柱の魔界王侯貴族』のモノも少なくない」
例えば、七つの大罪が1つ『貪欲』を掌る大魔王アモンは九州で、同じく『怠惰』のベルフェゴールは山陽で、また『嫉妬』のレヴィアタンも四国に向けて、独自の思惑で動いているらしい。そして其れは――
「……アスモダイも同じか」
三鷹の追及に、ロノヴェは苦々しい表情を浮かべて返した。
「『姦淫』を掌りし大魔王にして、復讐公子を冠するアスモダイ殿が、私共を支援してくれる手筈だったのだがな……最初は。そうであればプシエルや君達に後れを取る事は無かった」
つまりミーシャを巡る動きとアスモダイの策謀は無縁という事か? ロノヴェは続ける。
「アスモダイ殿は猊下に無断で独自の戦力を拡充している。其れが――」
「ゾロアスター教における悪魔共か」
OCATに現れる超常体はゾロアスター教における怪物の名で呼ばれている。
「元々、アスモダイ殿は其方との繋がりが強い御方であったからな。そうする事は自然だ。問題は……」
ロノヴェやヴァッサゴとは秘密裏に動いていた事。猊下や盟友と絶縁するような動き。
「……アスモダイの動きや企みは、魔群でも掴めていないのか」
「掴んでいるのは君達と同じ程度だ。但しアスモダイ殿は正体を私共にも隠している節がある。“唯一絶対主”と盲従する輩に貶められた結果が、現時点でアスモダイ殿について知られている姿だ。猊下は其の点にアスモダイ殿の狙いがあると読んでいるようだが」
幾つか判った事がある。そして三鷹は最後の確認を問い質した。
「もしもミーシャを引き渡した場合、対プシエル戦だけでなく、対アスモダイ戦についても協力または情報提供を行ってくれるか?」
ロノヴェとヴァッサゴは暫し逡巡。視線を交わす事で何かを意見交換しあったようだ。そして、
「……了解した。アスモダイは盟約を破り、猊下に対しても害する恐れがある。ミーシャの身柄を引き渡してくれれば、アスモダイに対する戦いでも協力を約束しよう」
そしてロノヴェは改めて向き直ると、
「確認は終わったな。ならば誓約を。私共だけでなく、君達もまた誓うのだ」
我知らずに咽喉を鳴らしていた。だが三鷹は強い意思を以って決着を付けると、亡き戦友に誓っていた。そしてミーシャもまた覚悟を決めていた。だから――
「了解した。ミーシャの身柄を引き渡す」
――誓約は成された。
今まで三鷹に庇われる形で控えていたミーシャが、足を踏み出した。寂しそうな表情だが、其れでも瞳には強い意思が宿っているように見えた。
ロノヴェに替わって、ヴァッサゴが前に出るとミーシャへと首を垂れる様に片膝を付く。そしてミーシャが自然と差し出した手を取った。
一瞬。だが確かに強い衝撃を、三鷹は感じ取る。耳にするのはミーシャの小さな悲鳴。
「ミーシャ!?」
三鷹の呼び掛けに振り返ったミーシャは、だが其れまでの“彼”とは違った。操氣系でなくても三鷹は、ミーシャの気配が変わった事を感じ取る。黒い光としか形容出来ないモノを放つ、不気味な三対の皮翼を背に生やし、蛇のような尾を伸ばしている姿を幻視した。
「……ミーシャ? 其れともサタンになったのか」
困惑する三鷹に優しい微笑を向けてくる。
「大丈夫です、三鷹さん。今後も此の受容体の事を『ミーシャ』と呼んで下さい。『黙示録の戦い』が訪れるまで、私は三鷹さん達の味方です」
心奪われるような笑みだった。虜になるような声色だった。そして――ミーシャが“居なくなった”事を三鷹は理解した。ミーシャが居なくなり、替わって此処に顕れたのは、七つの大罪が1つ『憤怒』を掌りし大魔王サタン。
何が正しかったのか、そして誤ったのか、三鷹には理解出来ない。だが、其れでも、善いにせよ、悪いにせよ、意思を以って交渉を完遂したのだ。三鷹は拳を固く握り締める。
「――早速だが、至急プシエル追撃に対して増援してくれるよう要請する。またアスモダイについても詳しく聞かせてもらうぞ」
「了解した。とはいえ今のアスモダイについて、君達以上の情報は持ち得ていないような気がする」
情報を出し惜しみしている訳でもなく、ロノヴェは本気で悩んでいるようだった。其処にヴァッサゴが、
「……アスモダイの『姦淫』の力について、未だ直接相対していないのであれば教えられる」
ヴァッサゴが口を開いたのに、三鷹だけでなく、ロノヴェも驚きの表情を浮かべていた。
「……君は喋れたのか」
「ああ。何を驚く事がある? さておき『姦淫』の力に付いてだが教える。……もう遅いかも知れないが」
――ヴァッサゴが危惧する通り、既にOCAT攻略戦が再開されていたのだった。
なお対プシエル追撃戦だが、ロノヴェ達が救援に向かったものの既に1つの動きが終わっていた。第309中隊の猛攻により、プシエルに付き従っていたドミニオンの撃墜に成功。だがドミニオンは自らを囮にする事で、プシエルの怪我の回復時間を稼いでいた。プシエルの反撃を受けて第309中隊は、一時撤退。長尾中学校跡地の包囲網を継続中だという。
状況開始の通達。そして突入の合図にOCAT攻略戦が再開された。迎え出てくるアパオシャやブーシュヤンスターといった低位超常体を打ち払いながら、前回と同じくポンテ広場から地下階へと向かう。前の戦いと違うのは、第377班甲組長の 田南辺島・清顕(たなべじま・せいけん)陸士長が積極的に先頭に出ている事だろう。
「地上階のドルグワントに挟撃されないように注意しなくちゃね」
「地上階攻略部隊に任せるしかないわ」
柑奈達が張った弾幕で傷を負いながらも突進してくる超常体を、先山がバールで叩きのめして止めを刺す。続いて姿を現したヒト型超常体ドルグワントへと、柑奈は素早くBUDDYから肩に担いでいたバレットM82A2へと構え直した。
――憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
強化された身体で、襲い掛かるドルグワントを捉えると12.7×99mmNATO弾を叩き込んでいく。尋常でない再生力を有するドルグワント共だったが、強大な破壊と衝撃を受けて流石に動きが鈍る。其処を先山が呪言系能力で止めを刺していった。時には焼夷弾を放ち、焼き払う。
「各員、マスク着用!」
狭い屋内で多量に使用される火炎。テルミット焼夷弾の一種であるサーメートは、酸素を消費して燃焼する訳ではない。だが焼夷弾の大量使用により火災が発生すると、酸欠や一酸化炭素中毒による窒息死も多発する。
だが第377班長が着用を命じた理由は其れだけに非ず。ドルグワント共に続く強大な敵に備えてのモノだ。圧倒的な畏怖が迫り来る。まるで空間そのものを震わせる振動に、先山の美顔が引きつっていった。
力を持った竜の咆哮。だが流石に激痛にも耐えられるようになった柑奈や先山は奥歯を噛み締めながら身構える。そして――
「田南辺島士長!」
「大丈夫だっ! 堪えられる」
人型の龍と化した田南辺島だが、怒りや憎しみに呑まれる事無く、其の瞳には強い意思が宿っていた。アジ・ダハーカに対する敵意は隠しようもない。だが第377班の仲間に支えてもらう今の田南辺島は、もう狂うはずが無かった。
アジ・ダハーカより酸と毒の息が吐かれ、浴びた床が腐食する。毒素は兎も角、強酸をまともに浴びたら、致命傷だ。慌てて回避する先山達の中で、唯一人、田南辺島が真正面から突撃した。無尽蔵とも言われる再生力を有する異形系は、どんな悪環境の中でも生存し続けられる。強酸を浴びても、皮膚を焼かれる前に新たな細胞が傷口を覆っていく。そして酸液を弾く強靭な鱗に覆われた田南辺島は、器用にBUDDYを構えて至近距離からアジ・ダハーカの首の1つに5.56mmNATO弾を浴びせた。
5.56mmNATO弾による衝撃は、アジ・ダハーカにとって小煩いものでしかない。だが向かってくる田南辺島の敵意を薙ぎ払わんと、別の首が牙を剥けて襲い掛かる。が、其処を横からぶん殴るように柑奈がM82A2を撃ち放った。しかも焼夷弾だ。流石の高破壊力に首の1つが吹き飛び、傷口を炎が舐めていった。
残った2つの首の口から咆哮が上がる。其の口へと放り込む様に、先山が焼夷手榴弾を投擲。そして燃焼によって苦しみ、動きが鈍ったところでバールを叩き付けた。氣を纏ったバールは、アジ・ダハーカの鱗を砕き、肉を穿ち、そして骨を断つ。再生しようとする傷口に先山は手を突っ込んで、呪言の力を注ぎ込む。
最早、異形の竜が放つ咆哮は、絶叫に近かった。柑奈が惜しみなく焼夷弾を撃ち、先山と田南辺島が至近距離からアジ・ダハーカを叩きのめしていく。他班や第377班の仲間が援護射撃を繰り返す。
そして――
「此れで、終わりだ! 喪った友の、お前に殺されてきた先輩達の、仇だ!」
肉を抉り、核を曝け出す。そして手持ちの破片手榴弾のピンとレバー外して叩き付けてやった。
核を損傷し、アジ・ダハーカがついに崩れ落ちた。念の為にと先山が核のあった場所に呪言の力を送り込み、また他班から提供された焼夷手榴弾で焼き尽くす。
だが一息吐くには未だ早い。今居る場所より、更に地下から凶悪な何かが蠢いているのを感じ取っていた。そして拍手が鳴り響く。
「――本当に無様だったわね、アジ・ダハーカ」
煽情的な衣装の女性完全侵蝕魔人パリカー達に護られた、妖艶な美女ジャヒーが微笑みかけてきた。先手必勝とばかりにバレットの砲口が火を噴いた。流石に対物ライフルの直撃は御遠慮願いたいらしい。腹立たしくも可愛い悲鳴を上げてジャヒーが奥に引っ込む。代わりに肉の壁となって12.7×99mm弾を喰らったのは3体のパリカー。だが意にも介さぬジャヒーの笑い声だけが響く。そして誘う声。
「未だ早いけれども、あの御方が挨拶に出て来られるそうよ。アジ・ダハーカを葬った事への称賛らしいわ」
田南辺島がBUDDYを構え直す。第377班は、他班と合わせて慎重に階段を下りる。そして、かつて医療法人による健診施設があった地下3階に辿り着いた。700坪あったという広大なフロアはぶち抜かれ、代わりに退廃的な光景を瞳に映す。パリカーが煽情な姿で絡み合い、クスリと思しき香気が色の付いた煙として漂っている。淫靡な様子に、思わず柑奈は先山の視界を塞ごうとする程だった。
とはいえ其れに心奪われる事も無く、すぐにMk2破片手榴弾を投擲し、掃討戦へと移行しようとする維持部隊。だが投じた破片手榴弾は氣の衝撃で吹き飛ばされた。氣の主は、美髯のロマンス・グレー。アスモダイ。手を叩くと続いて風の刃を放ってくる。
「操氣系に、幻風系?」
柑奈が弾倉交換したばかりのバレットを撃つ。氣の障壁を張ったとしても12.7×99mm弾の直撃は防ぎ切れない。事実、アスモダイの半身が吹き飛ばされた。しかしアスモダイは強い衝撃を受けたはずなのに倒れず、楽しそうな笑みを浮かべると再生を始めた。
「異形系もか。焼き尽くせ」
言葉に、先山は最後の焼夷手榴弾を投擲。だが再生しながらアスモダイは氷壁を張ってみせた! 氷壁は燃焼で溶かされたが、其れよりも……
「――異形系による再生中にも関わらず、氷水系を同時に使用した、だと……?」
憑魔能力は同時に使用する事は出来ない。此れは鉄則であり、常識だ。どれだけ強大な超常体や完全侵蝕魔人であっても、同時に能力を行使するのを確認した例は無い。複数の能力を有するモノはいるが、同時に其れ等を行使出来るモノはいなかった。ちなみにブースターとして五大系が相生効果で威力を付与していくのは、同時使用と異なる。
『――此れがアスモダイとして貶められた代償に手に入れた『姦淫』の力。複数能力の禁じられた混合い』
何処からかジャヒーの嬌声が響く。そして何時の間にか脇に控えていたパリカーが銃口を一斉に向けてきていた。
「――総員、撤退する!」
班長の合図に、先山が閃光発音筒を投擲。一瞬の目晦ましを利用して、慌てて降り注いでくる銃弾の雨から逃げ出したのだった……。
撤退していく維持部隊の後ろ姿を、面白そうに見詰めるアスモダイ。傍らにジャヒーが姿を現す。
「次は無い――な。アジ・ダハーカを破ったように、我を倒す手立てを考え、そして死に物狂いで向かってくる。人間の恐ろしいところだ」
だが、其れが心地よい。
「尤も……我が真の姿を取り戻してからも、同じ振舞いを出来るか、興味深いモノだが」
■選択肢
WA−01)京都の状況を偵察・観測する
WA−02)京都の四大元素天使1柱挑む
WA−03)プシエル追撃し決着を付ける
WA−04)アスモダイの企みを阻止する
WA−FA)近畿地方西部の何処かで何か
■作戦上の注意
当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
また強制侵蝕が発生する可能性が高い為、注意する事。
なお京都へ突入したとしても、脱出するのにもアクション1回分を消費し、都度、成否判定がある事を了承せよ。京都とは異なる地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)を選択しただけでの移動は認められない。脱出の為のアクションが無い場合は失敗もしくは死亡したとして処理する。そして再び突入する際にも厳重な判定がある。(※註1))
対してヘブライ神群(天使群)側としてキャラクターを作成し、アクションを掛ける事も出来るが、高位天使の監視は厳しいので警戒を怠らない事。但し京都の出入りは人類側と比べて易しく、他の地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)を選択するだけで移動は可能である。
※註1)京都における特別ルール……
1.「WA−01)京都の状況を偵察・観測する」「WA−02)京都の四大元素天使1柱挑む」の2つから選択する。
2.突入や行動する方角(東・西・南・北の4つ)を選び、突入する為だけのアクションを別に明記する。上記選択肢における行動とは異なるアクションとして処理される。此れは複数行動に当たらない。もしも突入アクションが明記されていない場合、自動的に京都に突入した後の行動等は失敗する。最悪、死亡。
3.京都から脱出する場合は「京都とは異なる地域(愛知・三重・大阪・中部地方の何処か)」を選択する。
4.脱出する方角(東・西・南・北の4つ)を選び、脱出する為だけのアクションを別に明記する。上記選択肢における行動とは異なるアクションとして処理される。此れは複数行動に当たらない。もしも脱出アクションが明記されていない場合、自動的に京都脱出は失敗する。最悪、死亡。なおアクション判定で失敗した場合、其のキャラクターのプレイヤーには京都のノベルが送られる。
5.突入/脱出する方角を護る四大元素天使やケルプが倒されていた場合、アクション判定における難易度は大幅に下がる。
※方角の記載漏れが多いので、ルール表記を一部改正。内容的には初期情報や第1回アクションより変更なし。