第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 第2回 〜 北九州:埃及


Eg2『 蠢 く 罪 悪 』

 愛車ホンダXLR250Rから降りた、風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士は眼前に広がる光景を見て、垂れ気味の黒眼をいつになく開くと、思わず感嘆の声を上げた。
「……潮の匂いに、浪の音。海は、いい」
 被っていた88式鉄帽を脱いでハンドルに掛けると、大きく伸びをして息を吸った。数時間も掛けて砂と岩、そして荒れた大地を駆けてきたのだから、喜びもひとしおである。
「風守二士はいいですよ、そりゃ……うぷっ」
 無理矢理に荷台に乗せて運んできた通信科隊員は口元を押さえると、転げ落ちるようにオートから降りる。岩陰へと駆け込んでいった。
 暫く背景で流れる不快音を無視すると、風守は肩を回す。海を前にして珍しく心弾ませてみたものの、これから行なう事態を考えれば、いつまでもはしゃいではいられなかった。
 携帯情報端末でエジプト軍(※以下、埃軍と略)駐留地を確認する。駐日埃軍のキャンプ地は、国道495号線沿いの牟田池を給水場として、(隔離前の行政区分に拠れば)福津市と宗像市の境に在る、ユーアイGC(ゴルフクラブ)玄海跡地に張っていた。
 現在、駐日埃軍は救援として部隊の一部を割いて、10kmほど南東に在る福岡国際CC(カントリークラブ)跡地に前線基地を敷いて超常体の北面侵攻を喰い止めてくれている。だが、現在飯塚市当地において展開されている救出作戦にまで参加を確約し、部隊を進めてくれているかと言えば、そうでも無い。
 風守は、駐日埃軍による飯塚への救出作戦参加を要請するという名目で、宗像市まで足を伸ばしてきたのである。……お供として、亜剌比亜語が堪能な通信科隊員を連れて。
 神州において英米語は必須であり、会話・読解が出来ない者は居ないと言われているが、埃及 ―― 正式な日本語表記名はエジプト・アラブ共和国 ―― の公用語は亜剌比亜語。流石に全てが英米語を喋られる訳では無いだろう。
 それに交渉だけでは無く、ある事情から、風守は通訳を頼んだのである。
 ようやく通信科隊員が岩陰から復帰して来る。気分は落ち着いたらしいが、表情は青褪めたままだ。
「……帰りも、オートに2人乗りですか」
 心底嫌そうな声。オフロード・バイクに2人乗りは危険である。だが恨み言を聞き流すと、風守はオートを押しながらキャンプ地に向かうのだった。

 隔離前の行政区分において、福岡市と北九州市の中間に位置する宗像市は、玄界灘を望む都市であった。当初は北九州市を中心とする、北九州都市圏のベッドタウンとして発展してきたが、前世紀末辺りには福岡市を中心とする発展に伴い、福岡都市圏への流れが優勢であったらしい。
 ……だが、それも全て隔離前の、過去の話である。
 現在の主人は、ユーアイGC玄海跡地にキャンプを張っている駐日埃軍『第111任務部隊(Task Force 111)』である。魔人や重罪者による特殊部隊。出迎える駐日埃軍兵士に囲まれて、風守と通訳は我知らず唾を飲み込んでいた。
 駐日埃軍に限らず、駐日外国軍兵士の大半は、罪を犯した事による懲罰として、或いは憑魔に寄生されての、文字通り、故郷を追われた者達だ。―― つまり4人に1人ぐらいは魔人兵だと思ってよいだろう。彼等は(当たり前だが)人並みの知恵があり、知識があり、武装する。憑魔能力をも有する魔人は、単体(戦車や戦闘機等も含める)において最強の戦力なのだ。TF111は、数としては1個大隊規模とは言え、個々の戦力を試算すれば、総力は1個師団に匹敵する。
 ちなみに冗談のようだが「111」の部隊番号は創設された2011年1月という日付に由来する(※ 註1)。
 さておき。案内されながらも、風守は見聞きした事や歩いた距離感等を頭の中でまとめていた。気付かれぬように、武装や人員配置等も記憶に留めておくのも忘れない。
( ……主武装はAKMか。神州に送られた特殊部隊といっても、立場的には懲罰部隊と変わらないという事だな )
 低性能安価な乱造銃の代名詞とされるAK-47(アブトマット・カラシニコバ1947年型)突撃銃。軽量・直銃床となったAKMも、その誹りを免れられない。AKMを持たされているという事は、TF111も本国では大した扱いをされていないのだろう。
( だが砂漠化が進む今では、AKファミリーのような構造が簡単で信頼性が高い銃の方が、戦場ではありがたられる。……全く何が幸いするか判らんな )
 考え込む風守だったが、対照的に通信科隊員は、はじめおっかなびっくり、次第にキャンプ地内で我が物顔で動きまわっている小動物を見る度に、顔がニヤケていっていた。
「風守二士、猫ですよ、猫!! うわー、もう可愛いなぁ。ニャーン、こっちおいでー♪」
「あのなぁ……猫ぐらいでいちいち顔をニヤケさせるなよ。―― しかし、やたらと見掛けるな」
 日向ぼっこしているものなら、暗がりからこちらを見詰めているもの。猫、猫猫、猫猫猫……。それらがこちらの一挙一足を見張っているようだ。
 可愛いを通り越して、薄気味悪い。首筋に言い寄れぬ空気を感じた。
「 ―― うわぁ☆ ここは猫の楽園ですね♪」
「……悪いが、俺には猫地獄としか思えん」
 悪態を吐くと、風守は足早にして案内に付いて行く事にした。……まるで猫の目から逃げるように。

 応接間に案内され、待たされる事、数時間。
 日が沈み出す頃になって、ようやく風守達の前に現われたのはスーツ姿の男だった。浅黒い肌に、掘りの深い顔立ち。「高貴」という言葉は、この男に相応しいのだろう。
 風守達を待たせた詫びを入れてから、男は自己紹介をしてきた。流暢な日本語で、だ。
「指揮を預かっている、ネフレン・カ[――]という。宜しく」
 人懐っこい笑顔を浮かべて、握手を求められた。手袋は嵌められたままだが、少しも嫌味は感じられない。それが許されるような高貴さだけが窺い知れた。通訳は、すかさず手を握り返したが、
「 ――ッ!」
 何故か、風守は激しく頭痛を覚える。何処かで、この男と似たような何かがあった気がした。
   ―― 凍てつくような砂漠の地。
   ―― 駱駝に乗った異国情緒漂う美女の姿。
   ―― 妖艶な笑みを浮かべ、そして……。
 気が付けば、汗が吹き出ていた。何だろう? 何かを思い出し掛けたが。
「……どうやら、待たせ過ぎて、客人に気分を害させてしまったようだ。お詫びと言っては何だが ―― ティティ、彼等に冷たい飲み物を」
 ネフレン・カに呼ばれ、体全体を覆う黒系の布をまとった人物が入室する。目元以外は隠されているが、どうやら柔らかな輪郭や物腰から女性のようだ。
「……ネフレン・カ大佐の個人秘書を務めています、ネフェルティティ[――]と申します。よしなに」
 これまた流暢な日本語で挨拶をされて、風守は通信科隊員と顔を見合わせた。小声で恨み言を吐かれる。
「……乗り物酔いしてまで付き合わされたのに、私、必要無いじゃないですか。―― まぁ、ここは猫天国だったんでいいですけど♪」
 ぼやきを聞かなかった振りして、風守は本題に入る。ネフレン・カは微笑みながら答えてくれた。
「……救援を申し出たのは僕だよ。同じ結界を維持する者として当然の義務だろう?」
「申し出はありがたかったですがね。……ただ、福岡国際CC跡地からの動きが見受けられませんが」
 風守の言葉に、心外だとネフレン・カは頭を振り、
「僕も飯塚への救援を推し進めたいところだけどね……残念だが、第4師団長の立花陸将からは『好意はありがたく受けておくが、北面での超常体侵攻阻止だけで感謝する』という返事を頂いてはね」
「……何だって?!」
「いやはや。君達にも面子があるのだろう? 誠に心苦しいのだが……正式な救援要請が無ければ、僕にも本国からの意向もあって、動きたくとも動けないのが当方の実状でね。済まないが、現状体勢の維持しか出来ないという事で……って、君、聞いている?」
 ネフレン・カが気遣ってくるが、風守はもう少しで激昂するのを必死に押し留めているところだった。通信科隊員の呟きが、妙に染みる。
「……仕方ないよ。立花陸将なら、そう返答するのはありうるね」

*        *        *

 前川原駐屯地 ―― 幹部候補生学校。
 休憩時間の中庭にて、救難の訓練犬数匹と戯れている令嬢の姿。麻曲・丸美(あさまがり・まるみ)二等陸士はツインテールを揺らし、感嘆の溜め息を思わず吐いた。
「……妃美子お姉さまってば、本当に絵になりますほど、お美しいですわ☆」
 丸美と同じく妃美子の取巻き達も賛同する。そんな声が聞こえたのか、石守・妃美子[いしもり・ひみこ]陸士長が微苦笑を浮かべながら振り返った。
 妃美子の手招きに応じて、丸美達も訓練犬を触りにいく。人懐っこいのか、それとも好かれる体質なのか、やたらと犬達は丸美に身体を擦りつけてきたり、尻尾を振ってきたりする。
「……やっぱり、何となく解かるものなのねぇ」
「うんうん、そうそう」
 多くの犬にまとわりつかれている丸美に対して、取巻き達が意地悪く笑う。
「な、何がでございますの?」
「ほら、丸美は妃美子様の“ 忠犬 ”ですもの。同じものとして犬も仲間扱いしているんですわ」
「或いは、その何と言うか……丸美の田舎っぽさが私達よりも近寄り易いのかも。まぁ羨ましい」
「そ、そんな……」
 流石に抗議しようとする丸美だが、それより先に妃美子が眉を立てて叱責してくれた。
「そのような事を言うものじゃありませんよ。動物というのは、本能的に“ 好い人 ”を見抜く力があるとも言われています。きっと、この仔達も丸美の心優しさを見抜いたんだわ」
 妃美子に言われて取巻き達は申し訳無さそうな顔をした。そして対照的に丸美は何だか自信を持った気がした。
 だが1頭だけ、決して妃美子の側から離れない犬がいた。犬と言うより、狗。狩猟……いや戦闘犬だ。精悍かつ頑強そうな四肢と胴体に、高い知性が伺えるような瞳。妃美子の守護者宜しく従っている。
「……妃美子お姉さま、その仔は?」
「この仔? ふふ、アヌビスって言うの。私の個人的なボディガードね」
 妃美子が頭を撫でると、アヌビス は嬉しそうに吠えたのだった。

 ……犬達とも別れて、人間同士で歓談する。話題は先日に行なった学舎での深夜探検であるが、
「満月の夜になったら、また秘密の魔術倶楽部の探索に行ってみたいですわ」
 丸美の提案に、取巻き達は頷いたり、笑い返したりするのだが、
「皆様も冒険心が過ぎますよ。……また戸渡教官に見付かって怒られても知りませんからね」
 妃美子だけが独り、諦め顔で溜め息を吐く。
「そうは仰っても、妃美子お姉さまも今度も……」
 だが妃美子はいつに無く突き放すように断固とした態度で、
「皆さんには申し訳ありませんが、私は今後一切、夜の探索にはお付き合い致しません。皆さんも諦めて、おとなしく勉強したり、就寝なさったりしたら宜しくて?」
 妃美子の言葉に、取巻き達は顔を見合わせると、
「石守士長が、そう言うならば……」
 一同に、あからさまに意気消沈した雰囲気が漂う。妃美子も暗い表情のままだ。
 夜の学舎探索に妃美子が付き合わないという宣言に、丸美も思惑が外れて残念なものの、今はこの場の雰囲気を変えるべく努める事にした。
「そ、そう言えば、妃美子お姉さまのお力を借りたい事がございまして……」
「何かしら? 超常体の生態パターンの研究分析に関しては、私に聞くよりも直接、成瀬教官にお尋ねした方がいいと思いますけど……」
「いいえ、坐学の事ではなくてですね。……その、ゲームのアイテムについてなんです」
 妃美子の顔が呆気に取られた。丸美は恥ずかしさに顔を赤らめながらも、そんな妃美子の表情を盗み見る。
「今、レトロな某ゲーム『ドラクエIII』をやっているのですけれども……『ラーの鏡』が見付かりませんので……妃美子お姉さまなら、何処にあるのか御存知かと」
 だが妃美子は心底困ったような表情を崩さずに、
「ご、御免なさい。私、『ドラクエ』とかはやった事が無くて……」
「もしかして石守さん、『ファイファン』好き?」
「いや、結界維持部隊ならば、『真メガ転』は外せないわよ」
 視線が集まる中、妃美子は泣きそうな顔で、
「いや、その、私。……RPGよりも『テトリス』や『ぷよぷよ』といった落ちゲー専門なんです」
「 ―― それだったら『ラーの鏡』が何処にあるか知らないはずよねぇ」
 一同、納得。しかし妃美子は苦笑しながら、
「それにしても『ラーの鏡』ですか。太陽神と鏡の関係について理解して、このアイテム名を考えたのでしたならば、中々凄い事ですよ。……効果はどのようなものなのですか?」
 問われた一同、首を傾げる。
「呪いで犬になった王女を元に戻す……だけよね」
「私も、それしか覚えが無いわね。でも、それ『ドラクエII』よ。『III』にラーの鏡は出てきたっけ?」
 今度は丸美に注視が行くが、答えられようが無い。首をひねる一同に微苦笑をすると、
「ゲーム製作者がどういう意図で、この名称を与えたかは今となっては知り得ませんけど……そもそも鏡と太陽の関係は……」
 妃美子は何故か嬉々として講義を始めたのだった。

*        *        *

 外から響く回転翼の爆音を気にせずに、内緒話を進めていく。
「……ラーは、ヘリオポリスを中心として信仰されていた太陽神というのが、通説だけど。その姿は円盤を頭上に戴く牡牛、または隼の姿として描かれる」
「はっはっは、甘いぞ、坂江君! この僕が知らぬと思っていたか! 前者の姿はメンフィスを中心として信仰されていた豊穣の聖牛アピスに、後者の姿は天空の太陽神ホルスに通じる。……事実、ホルスは一時期ラーの息子とされていた頃もあった!」
 回転翼の爆音に負けぬばかりの大声で、幹部候補生学校教官、成瀬・蔵人(なるせ・くろうど)陸士長が吼えた。
 隣で、蛙を模したフード付き雨衣を着込んだ ヘケト[――] ―― 現在は幹部候補生・化学科の 坂江・瑠眞[さかえ・るま]一等陸士が苦虫を飲み込んだ顔をするのには気付かない。
「……声が大きいよ、成瀬センセー。普通の声量でも会話には支障が無いんだから」
 多用途回転翼機(ヘリコプター)UH-1J『ヒューイ』に乗った成瀬達は、久留米から大分の別府駐屯地へと移動中であった。
「うむ。それは失礼。……しかし1つだけ疑問が生じたのだが ―― いいかね?」
「アタイに答えられる事ならば」
 上目遣いの瑠眞に、成瀬は自らの顎を撫でると、
「……何で『UH-1』なのに、通称が『ウヒィ』じゃなくて、『ヒューイ』なんだ?」
「 ―― そのギャグに答えられるかー!」(※ 註2)。
 絶叫を上げて、瑠眞はひっくり返った。そんな抗議を成瀬は何事も無かったようにスルーすると、
「さて。場も暖まった事だし、真面目な話の続きをしよう。そういうラーだったが、実体は余り知られていない。あらゆる神に習合したり、習合されたりした謎めいた太陽神と言える。……ふむ、面白いな」
 大きなへの字口を結んで、端で笑う。
「 ―― 古代文明において主神が、その時々において最も興隆のあった都市国家の守護神にとって変わられる事はある。メソポタミアが良い例だ。だが、同じオリエントでも、埃及は違う。前の主神にとって変わるので無く、前の主神を取り込んでいくのだ。そういう意味では、ラーという神は“ 在って無きがごとし ”の神と言える。いや、ある意味、王や主神である事の称号のようなもの。また、姓(かばね)とも言えるな」
「流石は成瀬センセー。目の付けどころが凄いね。そうさ、『ラー』というのは独立した主神格を意味するんじゃ無いんだ、アタイ達の中では」
「成る程、成る程。だが主神格とも言うべき存在は必要だろう。それが“ 王(ファラオ)”かね?」
 問い掛けに、だが瑠眞は肩をすくめて返してきた。
「そうだったら……話は簡単だったんだけどね。我等が“ 王 ”が隠れあそばせた時点で、アタイ達は敗退が決まっていたんだから」
「 ――『敗退が決まっていた』? よく解からないが、つまり現在は『敗退』では無いのだな。しかし“ 王 ”が居なければ『敗退』に変わらないのでは?」
「そこが本当にアタイ達の立場がややこしくなったところでね。――“ 王 ”と“ 主神 ”は、そうだね、『首相』と『天皇』みたいな関係なのさ、解かり易く言うと。“ 王 ”は群神の意思をまとめて方針決定をするけど、象徴的存在では無いんだ」
「成る程……亜米利加合衆国の大統領のように、政治指導者=象徴だと、確かに話は簡単だ。が、つまり現在、首相不在の政治混迷状態なのだな、君達は」
「うん。それで、アタイ達のような穏健派 ―― 敗北を認めてこの世界での残り時間を穏やかに過ごそうというものと、セトのような強硬派に大きく二分しているんだよ。困った事に、穏健派代表後継者のくせにホルスは血の気が多くてね。セトに突っかかっていくばかりだ。“ 王 ”が隠れあそばせたのも、セトに原因があると決め付けて」
 大きく溜め息を吐くと瑠眞は天井を仰いで見せた。
「……坂江君は、そうではないと?」
「昔から色々あったけどね、あの兄弟や、更には叔父と甥における愛憎関係は。―― だけど今回ばかりはセトの所為とは思えない。というか、直方市からの報告ではアイツは未だこちらの世界に完全顕現を果たしていないようじゃないか。……どうやったら“ 王 ”をどうにか出来るというのさ?」
「 ―― 動機は充分にあるが、いざ実行するにはアリバイがあって不可能という事か。……ふむ」
「更には、そんな内輪のゴタゴタに愛想を尽かしたのか、それとも“ 唯一絶対主 ”への敵愾心が高まったのか ―― アタイ達の“ 主神 ”は、別の悪い奴等と組んで、何処かへ行っちまったのさ。音沙汰無し!」
「 ―― グダグダではないか!」
 思わず成瀬は笑ってしまうと、
「 ―― グダグダなんだよ!」
 半泣きで瑠眞に返された。
「……実際、王妃がまとめてくれているとはいえ、もうアタイ達を見捨てた“ 主神 ”は兎も角として、“ 王 ”を復活させない事には『敗退』を認める事すら出来やしないんだ。……アタイはこのまま、こっそり人間に紛れて、残された時間をのんびりと過ごす事が出来ればいいのに」
 肩を落して俯く瑠眞の頭を、成瀬は撫でるように軽く叩くと、
「まぁ。監視役とはいえ僕に付いてきた以上は、暫しそんな事を忘れておくがいい。……だが、しかし、アレだ。傷を抉るようだが、少しばかり確認しておきたい事が」
「……ウヒィのギャグの蒸し返しはお断りだよ?」
 揃って苦笑する。真面目な顔付きに戻って、
「 ―― 君達はアレかね。実際のところは自分を埃及の神になぞらえている魔人では無いのかね? それとも、まごう事無き本物の神だと?」
「伝承程には、強力な力を発揮出来ないけどね」
「ふむ……。いや、何、僕は超常体の知識があるとはいえ、オカルト的分類説は妄説だと歯牙にも掛けていなかったのだが。しかし現物が目の前に存在するなら柔軟に考えを改めようかと思っているのだよ。超常体の組織的な動きも、知性が有る存在が指揮していると考えた方が理解し易いのでな」
 ただ、1点だけ疑問が。
「 ―― 霊魂の存在は未だ確認されていなかったはず。召喚では無く復活の儀式とは……文字通りの意味なら、生命の根源に迫れそうな問題かと思うのだが」
 だが回答はアッサリと。
「 “ 王 ”の能力本質は異形系なんだ。肉体組織一片でも見付け出せれば、あとはこちらの儀式で、復活は可能。もっとも“ 王 ”の身体が何処にあるのか、その所在が判らないのが最大の問題なんだけど」
 ……ああ、成る程。そして駄目じゃん。
 そうこうするうちに別府駐屯地が見えてきた。その光景に、機嫌を治したのか、蛙の鳴き声を真似た笑いで瑠眞は窓の外を覗いていた。神を称していても、心身は未だ10代の少女。隔離されて常時戦闘状態にある神州において、こんな形でも遠出しているのが嬉しいらしい。
 そのような瑠眞を眺めながら、成瀬はふと思い出す。ラーについての講義が未だ途中だった事と……“ 主神 ”について聞きそびれていた事に。

*        *        *

 遠雷の如く、砲声と、続く衝撃が鳴り響く。だがバリケードを張った建物の奥では、外の様子を伺い知る事は難しい。
 昼は砂塵に覆われ、夜は超常体に襲われ、疲労困憊。飯塚駐屯地の残存は少しでも空いた時間を見付け出すと、疲れた心身を休めた。もはや熱気や、閉塞感から来る息苦しさも苦にならない。苦にならぬというよりも感覚が麻痺してしまっている。銃座を抱えた護り手は交代が来ても、寝床を探すまでもなく横にズレるだけで、少量の糧食と水分を補給してから直ぐに眠りに落ちた。
 そのような貴重な休憩時間を犠牲にしてまでも、幹部・準幹部は顔を突き合わせて生き延びる方法を模索する。頬はこけ、目元は窪み、髭は不精で、髪は乱れ、そして肌は垢と汗で汚れている。ただ一同、瞳だけが狂ったように爛々と輝いていた。だが、その顔も集合する度に、数を減らしていっている。
「……山本君は無事に外と連絡を付けられたと思うか?」
 現在、飯塚駐屯地残存隊員達の総指揮を預かっている、西部方面隊第4師団・第40普通科連隊第42中隊長、火狩・京介(ひかり・きょうすけ)一等陸尉の問い掛け。副官は記録に目を落とすと、
「……推測ですが、恐らくは。でなければ、今頃、飯塚駐屯地は灰塵と化しているでしょう。―― 味方の砲撃と、空爆で」
「確かにのう。……集まっている超常体をまとめて討ち払うのに、死に損ないの駐屯地1つを代価にするのは安いものじゃ」
 火狩は力無く笑う。まとめて敵を一網打尽にするには良い機会なのだ、現状は。―― 生存者が残留している可能性さえ無ければ。
 そうと考えれば、決死の覚悟で送り出された、飯塚駐屯地警衛隊ろ組長、山本・和馬(やまもと・かずま)陸士長以下4名は突破に成功し、外と連絡を付けたのだろう。それ自体は喜ばしい事だ。
 問題は、対して外から連絡が来ていない事だ。脱出における被害を最小限に収める為には、外部との連絡が必要不可欠なのだが……。
 待ち続けるのも、もう限界だ。心身の疲労も然る事ながら、糧食や武器弾薬も枯渇を始めている。このまま現状を打破出来ず、枕を並べて討ち死にだけは避けたい。
 募る焦燥感を押し殺すと、火狩は集まった一同の顔を見回した。そして重々しく口を開く。
「 ―― 通信も回復せず、また外からの連絡も未だ届いておらん。この状況の中で、意見は誰かあるかの?」
「はい ―― 私に1つ案が」
 第2施設群所属、鹿島・貴志(かしま・たかし)三等陸曹が声を上げる。起立や挙手は余計な消耗を招く為に、この際省くが、誰も咎める者は居ない。皆、似たようなものだからだ。
 さておき、鹿島は一同を見回すと、 「このまま篭城戦をしていても全滅するだけだ。それは皆了解していると思う」
 全員が頷くのを確かめて、鹿島は僅かばかりに声に力を込めた。
「 ―― それなら全てを賭けて脱出した方が良い」
 同意の意思が伝播する。だが疑問の声も上がった。
「脱出に異論は無い。外からの救出をただ待つだけでは、最早保たないのは承知しているから。……ただ、全てと言うが ―― 負傷者や非戦闘員はどうする?」
 火狩もまた鹿島を凝視した。だが対して鹿島は怯む事無く、力強く言い放つ。
「 ―― 非戦闘員並びに負傷者には、脱出する際の囮になってもらう」
 鹿島の言葉に、場に今日初めての大きな力が渦を巻いた。喧々囂々、罵りの怒声がト轟く。
「 ―― ふざけるな! 正気か、貴様!」
「己の命可愛さに、彼等に神風特攻をやってもらうつもりか!」
 火狩もまた激昂しようとして ―― だが辞めた。鹿島の瞳の奥を覗いたからだ。元々鹿島は平凡な顔付きながらも、眼光だけは精悍な男だった。この戦いでの疲労で眼は血走っていたものの、その奥の輝きは澄んでいるままだった。陸自時代から戦い続けてきた火狩だからこそ、その輝きを信じる事にした。
「 ―― 静かにせんか!」
 一喝して周囲を黙らせると、火狩は鹿島と視線を合わせる。口の端を歪ませて笑うと、
「続きを ―― 真意を教えて欲しいものじゃな」
 鹿島は頷いて返すと、未だ怒りを湛える視線を受け止めながら、声を発した。
「 ―― 脱出案名称は『二重囮作戦』。簡単に説明すると……」
 鹿島の説明を受け、怒りの渦は静まる。
「鹿島三曹の意図は理解した……と思う。先ずは先程の暴言をお詫びする ―― 済まない。だが『囮』が危険なのは変わりが無いだろう?」
 その言葉は未だに納得出来ていない者達の内心を代弁していた。実のところ鹿島としても自分の案に対して我ながら許し難いところがある。そこを救ったのは責任を預かる者の言葉。
「……優先目的は脱出であり、非戦闘員や負傷者を無事に逃がしたいという気持ちは皆変わりなかろう。確かに鹿島君の提案は危険要素を含んでいるが、現状で他に案が無いのも事実なのだ」
 そして火狩は力強く宣言する。
「 ―― 脱出作戦『二重囮』を、わたし、火狩京介の責任を以って認可する。直ちに脱出ルートの選定を急げ。また危険な『囮』任務の志願者を募れ。本作戦の目的を充分に理解してもらえるよう、説得に努めよ」
 火狩の命令に、全員が起立した。敬礼を以って応えると、己に課せられた役割を果たすべく配置に付いていった。

*        *        *

 前方50mも満たない先に、隊伍を為した低位中級超常体が進んでいる。時折、先頭に立つネヘブカウが長い首を左右に振って周囲の索敵をしていた。毒液が滴る牙に、先端2つに分かたれた蛇の舌。それを目視するまでの距離に近付いている 雪村・聡(ゆきむら・さとる)二等陸士を、だが敵が気付いた様子は無い。
 建物は風化して崩れ去り、今や大地は砂に覆われているだけ。障害物の無い丘に、MCCUU(Marines Corps Combat & Utility Uniform)デザートに身を包んだ雪村が伏していた。照り返しを抑えるべく偏光ガラスを嵌め込んだ双眼鏡で、敵の数と動きを計る。
 ほぼ占領下に置いた郊外 ―― 飯塚駐屯地から勢力を広げようとする超常体は、市中心部に陣を布く救出部隊と相対すべく展開を開始していた。
 眼前を通り過ぎていく超常体の群れ。だが雪村は息を殺したまま、ただ腕時計を眺める。秒針が12の数字を刺す。と同時に耳を押さえて、身を縮めた。
 コンマ下の誤差で、砲弾が群れに直撃する。砂地がある程度を吸収するとはいえ、続く衝撃が周囲を打ち倒した。
「……未だ生きている」
 目視で確認。特科の放った155mm榴弾による衝撃波を受けて、のた打ち回りながらも生き残ったネヘブカウ数匹が、怒りに満ちた威嚇音を上げる。ネヘブカウが怒りの矛先を向けたのは、雪村ではなく、遥か先に位置していた特科の前進観測班。上手く隠れていたようだが、雪村のような本格的な砂漠用擬装には足りない。見付け出され、観測班は慌てて89式5.56mm小銃BUDDYを構えていた。
 ネヘブカウが蛇身を投げ槍の如く宙を滑っていこうとした。高速移動する物体を捉えて、狙い撃つ等、並の者では不可能だ。観測班は5.56mmNATOをただバラ撒く……前に、雪村は擬装カバーを掛けて隠していたオートに素早く跨ると、愛刀を抜いてネヘブカウに追いすがって斬り付ける。
 元々砲撃で傷付いていた超常体だ。瞬く間に斬り倒す。観測班は立てたBUDDYを振り回して、感謝の意を伝えてきた。雪村は鉄帽に空いた手を軽く当てて敬礼。そのまま、オートを寝かせるようにして急ターンを決めると、飯塚駐屯地へと更に前進するのだった。

 前進観測班が測ってきた情報を基に、距離・方向・角度を割り出す。最早、無線は満足に使えない状況だ。機甲科の偵察小隊が伝えてきた情報に、時間という修正を加える。観測情報は数分前のもの ―― 時間の経過で、超常体の現在位置は大きく変わっている。もはや前近代的な砲撃使用ではあったが、勘と経験を基に野戦特科班長は数字を読み上げていく。
 号令で155mm榴弾砲FH-70『サンダーストーン』が咆哮を上げる。甲高い射撃音に、砲身が後退する衝撃。
「 ―― 神宮司准尉、敵航空編隊が接近!」
「こちらでも捉えました。―― 対空砲撃用意!」
 穏やかな笑みを浮かべながらも、第4師団第4高射特科大隊・第40分隊 ―― 通称『ツングースカ隊』隊長、神宮司・業子(じんぐうじ・のりこ)准陸尉は素早く部下に命じる。
 果たして、対空誘導弾『改良ホーク(Homing All the Way Killer)』が並ぶ中、異彩を誇るロシア製対空自走砲2S6統合型防空システム『ツングースカ』はその役割を果たすべく、2基の2A38M二連砲身式自動機関砲を空へと向けた。
 磁鉄分を含んでいるのか砂嵐の影響で、レーダーもまた頼りにならなくなってきてはいるが、目視出来る分には支障が無い。
 野戦特科の砲撃を受けた超常体は、発射元を潰すべく群がって来ていた。低位下級鳥型バーの編隊が地上戦力よりも一早くこちらを潰そうと襲い掛かってくる。だが、それは……
「申し訳ありませんけど、狙い通りでもありますの」
 救出本作戦において航空優性を確保する為に、敵側の航空戦力を事前に削っておく。それが業子をはじめとする、高射特科隊員が一致するところだった。
 宙へとバラ撒かれた30mm砲弾がバーの群れを薙ぎ払っていった。
 ―― 飯塚駐屯地救出・奪還に向けて、予備作戦は次々と準備、実行されていっていたのである。

*        *        *

 飯塚市中心部。救出・奪還部隊本陣――物資仮集積所の一角にて、ショートカットの髪を撫でながら、真名瀬・啓吾(まなせ・けいご)陸士長は唇を離す。そして頬を染めたWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)に、微笑みを向けた。益々頬を紅く染めるWAC。だが真名瀬は内心では、彼女の瞳に映っていた自分自身を、滑稽な者として枯れた思いで見ていた。
「……それじゃ、済まないけど手配を頼むよ」
「解かりました、真名瀬士長。でもに『済まない』だなんて。飯塚の皆さんの為になるんですから……」
 頬を染めて俯いている少女には、滑稽な自分は目に入っていないようだ。真名瀬は微苦笑を思わず浮かべた。だが彼女に悟られぬように微笑みと変える。果たして彼女は気付かぬままに、真名瀬からの願いに応えるべく自らの場所に戻っていった。
 彼女の背に手を振って、見送っていた真名瀬に、
「 ―― 趣味のナンパも大概にしておけよ」
「いやだな、部隊長。覗き見なんて、それこそ悪い趣味ですよ」
 真名瀬は長い髪を掻き揚げると、悪びれずもせずに笑い返す。だが瞳は少しも笑っていない。部隊長は鼻を鳴らすと、
「武器科の少女をナンパして、銃器弾薬の用意か」
「私欲には使っちゃいませんよ。飯塚への補給物資の手配です。どうせ物資投下はある程度決まっているんでしょ? これは、それらを円滑に進めるサービスみたいなモンです」
 真名瀬の言葉に、部隊長は大きく溜め息を吐くと、
「そういうところが、お前が誤解されてしまうところなんだがな……気を付けろ。働きがあるから黙っているが、いつ警務科が乗り出して、お前を懲罰小隊送りにしないとも限らんのだからな」
 部隊長の心配を他人事のように聞き流すと、真名瀬は大仰に肩をすくめて見せる。
「危険な戦地に真っ先に突入させられる第04特務小隊ですか。―― 構いませんよ。西方普連との違いは周囲からの見る目と扱いだけでしょ」
 冷めた眼差しで、だが口元は嬉々を形作る。
「―― 超常体を殺戮するという役割は同じだから」
 部隊長は、この件に関してそれ以上、真名瀬に対して何も言わなかった。ただ複雑な表情を浮かべただけ。真名瀬も話題を変えるように、
「……で、オレからの案はどうなりました?」
「……今、うちの連隊長が19の連隊長や、特科の大隊長と角突き合せながら調整しているところらしい。通信状況が悪く、博多との連絡が上手くいっていない事もあってな」
「立花陸将の指示なんて待つ余裕は無いでしょうが。大体、手柄を得たかったら現場まで来て直接指揮すればいいのに、安全な場所で踏ん反り返ってられてもね」
「 ―― まさか、ここまで通信状況が悪くなるとは考えてもいなかったんだろう。砂漠戦用意も充分ではない。……迷彩II型もこの砂地では目立ちまくりだ」
 悪態を吐く部隊長に、真名瀬はからかうように、
「……そういえば、鳥取には砂丘用迷彩があるんですかね?」
 さあな、と生返事をする部隊長。そんな真名瀬達のところに、先程手配に向かっていた武器科のWACが戻ってきた。真名瀬に対して笑顔を向けていたが、部隊長の存在に気付くと一転して後ろめたいような驚きの表情を上げる。
 部隊長の脇を、真名瀬はWACに気付かれぬように肘で突付いた。部隊長は溜め息を吐きながらも、
「あー。……武器の手配をしてくれたそうだな。感謝する。直ぐにでも、チヌークに積み込んでいってもいいかね?」
「あ、は、はい! こちらへ ―― 」
 真名瀬が片目を瞑って見せると、WACは安心した表情で案内をする。部隊長は思い思いに小休止していたWAiR(Western Army infantry Regiment:西部方面普通科連隊)の部下達を呼び寄せると、大型輸送用回転翼機CH-47J/JAチヌークに物資を積み込んでいく。真名瀬はWACの隣でリスト確認する位置を抜かりなくキープ。
 そのような作業の中、直ぐ隣の区画でも高機動車『疾風』に物資を積み込んでいる姿を、真名瀬は見付けた。それぐらいならば大した事では無いが……。
「DVP(Desert Patrol Vehicle)やRATT(Rescue All Terrain Transport)もじゃないか。初めて見た、あんなの!」
「ああ、アレは第19普通科連隊内・衛生小隊の、人呼んで『特攻野郎Mチーム』の車輌です。ちなみにMはメディックのMです」
「……衛生小隊? 第4後方支援連隊で無くて、普通科連隊内で?」
 それにしても、そこらの普通科班よりも重武装なのは、どういう訳か。疾風にFN5.56mm機関銃MINIMIや96式40mm自動擲弾銃という重火器が備えつけられていた。
「まさしく……特攻野郎Mチーム」
「 ―― 自称じゃねぇぜ、言っとくが」
 真名瀬の思わぬ呟きに誰かが応えた。振り向けば、これまた衛生科隊員とは想像が付かない男が立っていた。戦闘防弾チョッキの上に抜き撃ち用のガンベルトを装着し、おまけに帯刀。袖の略章は、三等陸曹を示していた。
「オレが班長の ウェイン・大蔵(―・おおくら)だ。……何か、文句あんのか?」
「仰々しいと思って。本当にキミ等、衛生科か?」
 よく言われる、とウェインは悪態を吐いた。が、
「死地にある要救助者を助ける為には、敵の壁を突破しなくちゃいけねぇ。その為の重装備だ。……理に適っているだろ?」
 言われて、納得した。口元が歪む。……成る程、自身は心が枯れたつもりでいたが、戦場にはまだまだ心踊るような事が残っている。
 そんな真名瀬の思いに気付く事無く、ウェインは語り続けた。
「 ―― 第一、仲間が危険な目にあっているんなら、オレも危険を冒してでも助けに行かなきゃな。まっ、威力偵察の応用だと思えば出来無い事は無いんじゃないか!?」
 違いない、と同意の笑いを上げてから、
「 ―― オレは西方普連所属の真名瀬だ。階級は一つ下の陸士長。宜しく、三曹殿。キミとは仲良くなれそうだ。空挺失敗して孤立無縁になった時は、特攻野郎Mチームを信じて待つのも悪くない」
 だがウェインは憮然とした顔で、
「……だから、それは自称じゃねぇんだがな」
 溜め息を吐くのだった。

 旧飯塚市役所庁舎内。第19普通科連隊長(一等陸佐)やWAiR連隊長(一等陸佐)、特科大隊長(二等陸佐)が、難しい顔で飯塚駐屯地救出・奪還作戦案を練っている。飯塚駐屯地から脱出してきた山本もオブザーバーとして座っていたが、実際のところ作戦総指揮官であるはずの第4師団長、立花・巌[たちばな・いわお]陸将がいる博多の福岡駐屯地と連絡が付き難くて、困り果てているのが現状だ。
「……砂漠化がこれ程の早さで進むとはな」
「第4偵察大隊の一部を割いて連絡役として動かしてはいるが……道中で遭難したという報告が」
 一同、頭を抱える。砂漠化現象が引き起こした、連絡網の断絶。いずれは補給路も怪しくなってくるだろう。最後の手段として、航空科の支援を要請する他無い。
「 ―― とはいえ、佐賀や長崎の上空では火の鳥が飛び交っているらしい。竹松の第7高射特科群が、これ1体に敗走させられたという話だ。福岡方面に出張るとは思えんが……こちらも用心せんとな」
 部下達には見せられない重い溜め息を吐く。こんな調子だから、周囲には会議室に篭って角突き合わせていると言われるばかりだ。
 そんな重苦しい空気の中、意を決して山本は挙手する。連隊張達の視線が集まった。
「最早、福岡からの連絡を待つ事が出来無いのは、御承知の事かと思います。小官が脱出した時点で戦闘要員は100名近く ―― 今となっては……。また武器弾薬だけでなく、糧食の問題もあります」
「全くだ。山本三曹に気付かせられるまでも無い。……こうなれば現場指揮官の臨機応変といくしか無いだろう。成功すればいいが、失敗した時は……」
「 ―― 我等3人だけが査問会に掛けられる事で済ませられるように収めたいものだな」
 失笑が漏れた。3人は改めて向き直ると、
「山本三曹、意見はあるかね?」
 山本は居住まいを正すと
「はっ。―― 作戦としては、第4特科混合大隊の自走榴弾砲群は飯塚駐屯地手前の攻囲軍に対し砲撃を加えて、基地内に進入する超常体を牽制。第19普通科連隊は、特科の護衛部隊を除き前面に展開し特科の護衛兼、市街地の超常体掃討を行う。……これを基本としたものを提案します」
「……理由は?」
「サンダーボルトの制圧力を最大限活用し超常体の飯塚侵攻を遅らせつつ、普通科連隊が前面に圧力をかける事により、飯塚を制圧するよりも先にこちら ―― 救出部隊に矛先を向けさせ、結果、包囲を解かせるように仕向けます。敵も空中戦力の投入等してくると思いますが、対空部隊も居る事ですし、何とかなるのではないかなぁ……と」
「何とかなる……では困るのだが」
 本当に困ったような連隊張達の言葉に、山本は恐縮する。だが、
「貴重な意見には変わり無い。参考にしよう」
「……問題は奴等がこちらの思惑に素直に乗ってくれるかどうかだが」
「既に、砲撃を加えて誘い出しを開始している。だが第4偵察大隊の報告では、表層の連中しか動いていないらしい。敵にも智慧がある奴がいる……山本三曹の報告では、敵指揮官は魔王/群神クラスらしいな」
「……仕方無い。西方普連で空挺降下を行なう。丁度、部下達の中にヤル気があるのがいてな。―― 危険は承知だが、時間も無い」
「問題は救出作戦実行のタイミングだ。―― 内部への連絡役に志願者が居なかった為、急いで選抜するしかないが……」
「懲罰小隊 ―― 零肆特務を投入しよう。こういう時の為に生かしておいた連中だ。役に立ってもらわんと困る」
「本当に役立つかな、あのならず者達が。熊本の零捌なら確かに安心して任せられたのだが……殻島は特別だからな。人吉で鉄砲玉を見事に果たしていると聞く」
 ―― 沈黙。
「……やはりやめておこう。零肆特務は一応、師団長直属の部隊だ、忌々しい事に。我らでは命令に従うかどうかも怪しい」
 こうして山本の前で、トップ3は意見を交わしていき、救出・奪還作戦案が決定する。ようやく実行に向けて、始動したのだった。

*        *        *

 息を殺し、足を忍ばせて、夜闇の中を駆ける。砂地が衝撃を吸収し、音を飲み込む。月は欠け、大地を照らすものは無い。
 警戒している駐日埃軍兵士の監視をかいくぐり、風守はユーアイGC玄海・元施設に辿り着いた。物陰に潜り込んで息を整えると、昂ぶった血や意識が鎮まっていった。取り出した磁石レンズ付を眺めながら、記憶に収めた内部の様子を確認する。独り頷き、風守は目標へと慎重且つ大胆に接近していった。
 上衣の腕や、腿部を交差した紐で結び、服の衣擦れによる音を防ぐ。抜き足、差し足、忍び足。
( ……やはり何かに見られている気配がする )
 しかし駐日埃軍兵士に気付かれた様子は無い。確信を以って断言出来る。それでも昼間より一層、首筋に言い寄れぬ空気を感じていた……。

 仕込みを終えて、待機場所へ戻る。奥まで探索したかったが、言い様の無い不安感に駆られて、深入りを避ける事にした。首筋を這いまわる危機感は未だに薄れない。だが戻った待機場所の光景を見て、風守は思わず脱力してしまった。
「あ、風守二士、お帰りなさい」
「……何々だ、この状況は?」
 戦闘糧食I型 ―― 缶飯の副食が空けられており、数匹の猫がウィンナーソーセージに群がっていた。
「幾ら予備の糧食を1週間程ばかり余分に持ってきているとはいえ、猫にやるつもりはないぞ」
「まぁ、まぁ。猫ちゃんは可愛いデスよ?」
「だいたい、隠密行動中に餌付けなんて……猫の動きでこちらの居場所がバレないとも限らないんだぞ。―― ん?」
 その時、自分の発した言葉に、風守は何かのピースが嵌まったような気がした。……猫? 背筋を這い回る、言い様の知れぬ危機感の正体が……。
「まぁまぁ。これだけ猫ちゃんが居るんですから、問題ありませんよ。―― それより電波は割と良好です」
 風守が答えを導き出しかけたところで、通信科隊員は受信機を弄る。そしてイヤホンを差し出してきた。納得の行かない不安感を覚えながらも、渋々と風守はイヤホンを受け取る。聞こえてきたのは、昼間にあったネフレン・カという男の声。聞き慣れぬ言語。
『 ―― 飯塚への派遣は問題無い。部隊が幾ら損失したところで折込済みだ。……本国等気にする必要は無いよ?』
 通信科隊員が通訳してくれる。耳を傾けながら、
「 ―― ネフレン・カ大佐は誰かと喋っているようだが……もう1人の声は?」
 外国人の会話による声色は、他国人からすれば聞き分けが難しい。通訳も首を横に振った。
『 ……何を言ってきても“ 三姉妹 ”の封印堅持が優先される。砂漠化は致し方無いとしても、セトの眷属が下手に刺激を与えないとも限らないのだから。その為の防衛線だ。それに、日本国政府に対する示しにもなる。……そう、問題無い』
 ネフレン・カは誰と喋っているのだろうか?
『 ―― むしろ現状は好都合だよ。こちらやあちらに注目が集まっている今、本丸は手薄。頭を取り、攻略するのは僕1人で充分。来月頭ぐらいに行ってみようかな? それに、砂漠化で通信は劣悪 ―― 自衛隊の連絡網はズタズタだ。指揮系統や補給線は混乱しており……各個撃破するには簡単だね?』
 通訳が無ければ、意味は聞き取れ無い。だが、
「 ――! 声量が大きくなってきている。声が近い。まさか、こいつ!」
『 ―― そう。セトも、そしてアメンも、全て掌の上だ。……それは君も例外では無いんだよ、風守君?』
 確かな日本語、そして呼び掛け ―― 衝撃が走った。
「 ――“ 黒の王 ”ニャルラトホテプ!」
 思わず叫んだ呪名。脳裏をフラッシュバックする光景 ―― 駱駝に乗った美女、眩惑の光、そして接吻。
 何かを思い出しかける。脳を貫くような痛みに堪えかねて、呻く風守。あと少しで記憶が裏返る!
 しかし通信科隊員の悲鳴と、背筋を走る恐怖が、記憶の呼び戻しを引き止めてしまった。
「……か、風守二士。あ、あれ……」
 言葉に振り向き ―― 硬直した。それは僅かな光をも反射して輝く猫の瞳。猫好きも恐れ慄く程、無数の瞳。周りはすっかり囲まれてしまっていた。
「 ―― これか。これが、このキャンプで感じていた危機の正体か!」
 言葉を出す事で、身体の硬直が解ける。猫が一斉に鳴いて襲い掛かって来た! 一早くBUDDYを構えて乱射する。被弾した猫達の小柄な身体が、肉片となってバラ撒かれた。だが猫達は怯む事無く、牙を剥き、爪を立てて、風守に挑んでくる。
 絶叫が上がった。無数の猫に襲われ、首を、腱を ―― あらゆる部位を食い千切られていく通信科隊員の姿。猫科の動物は獲物の腸を真っ先に喰らうという。地に伏した通信科隊員は生きながら、猫達に貪り食われていった。
 猫達を近付けまいと風守はBUDDYを乱射する。だが650〜850発/分の速度を誇るBUDDYだ。30発の弾倉はすぐに空になる。弾が尽きたところで、猫達は一斉に跳び掛かってきた。風守はBUDDYを構え直すと、大きく振り回して叩き落していく。
「……超常体を相手にするより厄介だ」
 荒い息を吐く風守。更に大きな唸り声に、嫌な汗が頬を伝った。―― 暗がりから現われたのは、2m近い大型の猫科動物。虎? 雌獅子? いや……
「 ―― 猫だ!」
 風守が叫ぶと同時に、巨躯をしならせて雌猫が躍り掛かって来る。咄嗟に9mm拳銃SIG SAUER P220を抜いて牽制射撃。易々と動体 ―― しかも俊敏な目標に命中させられる程の技量は、風守には無い。だが一瞬でも間を作れば充分。もう片方の手はM16A1閃光音響手榴弾のピンを弾く。
「 ―― 喰らえ、ネコダマシ!」
 巨猫の顔前に放り投げる。空中でレバーが外れて ―― 閃光と衝撃。猫達の絶叫が上がった。瞬間、転がるように包囲網を脱け出すと、風守はオートに跨る。素早くエンジンを掛けると、アクセルを回す。
 闇の中、猫の群れを跳ね飛ばし、轢き倒し、払い除けながら、何とか脱出に成功するのだった……。

*        *        *

 音を立てて、報告書をめくる。両側にフラスコ、中央に桜花を配した徽章を着けた男は、眉間に皺を寄せて唸った。見かねて、蛙の頭部を模した頭巾付き雨衣の少女が首を傾げる。
「どうした、成瀬センセー?」
「……ふむ。いや、先入観を以って事に当たるのは、余り宜しく無いな」
 成瀬は目頭を押さえると、口をへの字に。別府駐屯地 ―― 温泉地と知られたこの地だったが、先月末に現われた物体により、湯治という訳にはいかない。時折、まるで生き物のように黄色の線が渦を巻き、泉源を黒く濁らせている“ 何か ”。駐屯する第41普通科連隊は、監視の為に1個中隊を残留させておかなければならない状態にあった。
 成瀬は現時点までのデータを見せてもらっていた。
「おお! 数値だけを見れば、マサチューセッツや北海道に出現した、ニョグダに近い物があるな」
「……どういう事?」
 瑠眞の問い掛けに、成瀬は束にした紙を叩く。
「何と言うか……最初に久留米で聞いた時は、アブホースやらウボ・サスラ等の生命を生み出す神性とか豊穣神を想像したものだが……。うん、何でもかんでも、ラヴクラフト・ノートに結び付けようとするのはいけないな」
 独りごちて、
「 ―― これはアレだ。同じ粘性半ゲル状生物でも、吐き出すので無く、吸い込む方だ。自分以外のモノは認めず、ただ喰らい、吸収する。そのクセ、自身は再生・分裂・増殖を繰り返して巨大化していく」
「 ―― 最悪の物体。いや、でも……」
 説明を受けた瑠眞は何故か蒼白となり、身体を震わせる。だが成瀬は気遣う事無く、言葉を続けた。
「僕としても瑠眞君達の役に立つかと期待していたのだが……どうした?」
「……そんな事は無い。あんなものをこの世界に呼び出すなんて、正気の沙汰じゃない。でも、もしそうなら? もしかして、セトはこれを感じ取って?」
 独り呟き続ける瑠眞に、流石の成瀬も眉間の皺を深くした。
「どうしたかね、坂江君!?」
「あ、はい! ……いや、その……思い過ごしだといいんだけど……」
 歯切れの悪い瑠眞の返事。だが問い質す前に、
「 ―― わざわざ、御足労掛けて申し訳ありませんな、成瀬博士」
 痩身の男 ―― 第41普通科連隊長、大上・陽太郎[おおかみ・ようたろう]一等陸佐が声を掛けてきた。成瀬は敬礼をするとともに、おどけてみせる。
「いやいや! 残念ながら、博士号は戴いておらんので。普通に呼び捨てで、構わん」
「……そうだっけ?」
 瑠眞の視線に、成瀬は肩をすくめて見せる。
「そうだとも。研究を学会で発表出来る程の論文という形にはしておらんのだ。御蔭で未だに修士号どまり。……はて? いや、待て。……亜米利加の大学で、教授に提出していたような気もするが?」
 師弟コンビの遣り取りに、苦笑する大上。
「 ―― そちらのWACは?」
「お? おおっ! 紹介が遅れた。幹部候補生学校での、僕の愛弟子だ。……ほれ、挨拶しておけ」
「幹部候補生、化学科の坂江瑠眞一等陸士です。よろしくお願い致し……ます……?!」
 蛙の頭部を模した頭巾を脱いで敬礼した瑠眞は、そこで初めてマトモに大上と顔を見合わせたようだ。驚愕の表情が浮かぶ。
「……何処かでお会いした事があったかな?」
「 ―― いや、誰かの空似だろう」
 しかし成瀬は、瑠眞と見合わせた時に、大上の眉が一瞬だが跳ね上がったのを見逃さなかった。
「それでは任せましたよ、成瀬博士」
 そう言って早々と姿を消す大上だったが、瑠眞の顔色は変わらぬまま。後ろ姿を凝視して何かを思い出そうとしていた。
「 ―― 大上一佐も何かしらの思惑を抱えた人物かもしれんので、何気に注意せんといかんようだな。ともあれ、データとだけ睨めっこしても仕方あるまい。現物を確認しにいくぞ」
 成瀬に促されて、瑠眞はようやく動く気配を見せた。変わらず浮かない顔のままだったが。
 ……そして泉源を覆う“ 何か ”の現物を確認すべく向かった、成瀬と瑠眞は ―― その日を境に消息を絶ったのである。

*        *        *

 アヌビスと名付けられた戦闘犬の背を撫でながら、それでも丸美は乾いた笑みを浮かべていた。ようやく撫でる事が許されるまでの距離にまで縮んだが、それでも何となく威圧感を受ける。
 そんな、おっかなびっくりの丸美を、だがアヌビス自身は歯牙にも掛けず、ただ妃美子の傍らに居た。
 そして妃美子はと言うと、時折、丸美とアヌビスに微笑みを向けながら、読書に勤しんでいる。
「お姉さまは何を調べていらっしゃるのですか?」
「笑わないで下さいね? ―― 九州北部に、黄泉還りに関する伝承や史跡が無いかと」
 首を傾げる丸美だが、妃美子は微苦笑を浮かべながら本をたたむ。古ぼけた表紙には『筑後国風土記』とあった。
「……やはり岩戸山古墳が怪しいかしら」
 表紙を見詰めながら、そう呟く妃美子。丸美は先日に学舎で見た光景を思い出して、息を飲み込んだ。不思議な緊張感が生まれ、勘付いたアヌビスが頭を上げる。唸り声を上げそうなアヌビスに、別の意味で丸美は息を飲み込みそうになった。
 その緊張感を破ったのは、赤ら顔の幹部候補生学校教官、戸渡・学[とわたり・まなぶ]一等陸曹である。丸美の姿を見て、戸渡は顔をしかめたが、
「 ―― 戸渡教官、何か?」
 妃美子の問い掛けに、渋々と口を開いた。
「化学科の坂江一士と……それに教官の成瀬士長が別府で消息を絶った。石守の耳にも入れておくべきかと思ってな」
「 ―― 瑠眞が?」
「更に言うと、公にはされていないが、成瀬教官に指名手配がされている。別府に残留していた第41普通科連隊1個中隊が、彼の身柄を確保すべく行動中という事だ ―― 大上一佐の名で射殺許可も下りている」
「……瑠眞が成瀬教官に付いて別府に行っていた事自体、私も不思議でしたが……一体、何が?」
「解からん。とにかく坂江が居なくとも例の件は取り止めなく進める事は出来るが……」
 もはや丸美の存在等無かったように会話する、戸渡と妃美子。口を挟もうとも、アヌビスの視線が怖い。居たたまれなくなって、ふと空を見上げた。
「……あれ? 昼間なのに流れ星がはっきりと見えますわ!」
 空を北東へと横切る、一筋の光。星では無くて、鳥のような気もしたが……。
 そんな丸美の言葉に、戸渡や妃美子、そしてアヌビスが反応した。
「「 ―― まさか、ホルスが動いたのかっっ!!」」
 妃美子は立ち上がると、直ぐに駆け出す。丸美も慌てて付いて行こうとしたが、アヌビスが一声吠えて、思わず地べたに正座。我に帰った時には、既に2人と1匹の姿は視界内からは消えていた。ただ、妃美子の謝辞だけが耳に残っている。
「 ―― 御免なさい、丸美。直ぐに帰ってくるから」
 数時間後、妃美子は帰ってきたものの、その美貌は曇っており、何やら疲れ果てているようだった。

*        *        *

 超常体が包囲網を重ねている飯塚駐屯地。雪村は双眼鏡片手に、携帯情報端末に記録を打ち込んで行く。
 特科の砲撃という挑発を受けてもなお包囲網を構築する主戦力は陣容を崩す事は無く、駐屯地に近付く程に層も厚く、質も高く、残したままだった。
( …… 逆説的に言えば、それは未だ駐屯地内部に生存者が残って、抗戦を続けているという事だよ)
 連絡役として飯塚駐屯地に決死の突入を図る第4偵察大隊の先輩達を見送っていた時の事を思い出す。悲愴の表情を浮かべていた彼等に対しては敬礼とともに哀悼の念で送り、選ばれなかった者達とともに隠れて安堵の息を吐く。だが、どれも偽らざる自分の姿であろう。
 周囲に流されているというと聞こえは悪くなるが、我を主張し過ぎて突出するのも如何なものか。ましてや今は戦時である。
 未だ英雄たる資格は無いと雪村は思っている。かといって祭り上げられて危険な地に送り込まれてしまう気も無い。目立たずとも、少しでも生き残れれば良いのだ。これが偽りざるヒトの本心ではあるまいか?
 ―― そのような悩みに似た思いを、雪村は頭を横に振る事で払う。今は、敵陣の状況を偵察し、戦況に拠る変化と、魔王/群神クラスをはじめとする超常体主力の位置を把握する事だ。
 目を凝らしながら、身を縮ませて更に身を深く進ませようとする。連絡役が出発してから、もう3時間は経つ。内部との接触に成功したのであれば、そろそろ何か動きがあってもおかしくない頃合だ。変化を見逃す事無いように、気を張る。愛刀を握った。
 ―― その時、南西から北東に向けて光が走った。
「……流れ星? い、いや、黄金の隼!?」
 超常体も、そして味方も上空の怪異に騒然となっていた。
 だが黄金の隼は、飯塚に飛来する事無く上空を通過すると、直方市へと向かう。報告によると、そこは砂漠化現象の中心部 ―― 最高位最上級の死神セトが出現しようとしている場所だ。
「……何々だろう、アレは?」
 雪村は呟いた時、飯塚市中心街 ―― 救出・奪還部隊本陣より4台の車列が、超常体の壁に突っ込んでいくのだった。

 ウェインは意識を集中して感覚を漲らせる。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 敵味方の位置、方角、距離を感じる。視覚イメージに変換するとなれば、脳裏に自分を中心とした地図が広げられ、一瞬にして数、種別、簡単な力量等の情報が光点となって映し出される、そんな感じ。
 上空を通過した黄金の隼に騒然となり、隙が生じた超常体の群れ。薄くなった壁へと、疾風に搭載されたMINIMIが唸り、5.56mmmNATOが突破口を広げていった。
 高速で流れていく視界の端に、喰い散らかされたまま野晒しになった味方の死骸を確認して、ウェインは僅かに目を細めた。黙祷したいところだが、ハンドルを握っている以上は無理がある。その間も、部下が車列に追いすがろうとするネヘブカウどもを撃ち払った。
「バリケードを突破する! 悪く思うな!」
 ウェインの指示で96式40mm自動擲弾銃から放たれた対人対軽装甲擲弾が、屋内に通じる入口を塞ぐバリケードと、それに群がっていた超常体諸共に吹き飛ばした。
 バリケードを突破して屋内に潜り込む。搭載していた96式40mm自動擲弾銃の発射装置を、屋外へと向けて連射させる。擲弾が殺到してくる超常体を吹き飛ばす度に、繋がったベルトリンクが弾薬箱から吐き出されていった。
「負傷者を乗せろ! 脱出するぞ!」
「 ―― ちょい待て! 何がどうなっているんだ!? 助けか、今頃になって助けが来たのか?!」
 銃剣を装着したBUDDYを屋外へと構えながら、鹿島がウェインを問い詰める。負けじと声を荒げて、
「数分後に! 特科が威嚇砲撃する中、西方普連が空挺降下! 救出作戦が決行される! オレ等はその先触れだ! 早く、手筈通りに怪我人を積めろ! さもないと間に合わずに、砲撃に巻き込まれるぞ!」
 怒鳴り返すウェインだが、ふと気付いて、
「……まさか連絡役が途中で全滅したのか」
 愕然とするウェインに対して、鹿島は唇を噛んで重く首を横に振るだけ。
「……何てこった。それじゃあ段取りが合わなくなるじゃねぇか」
「 ―― いや、君が来てくれた御蔭で、まだ何とか取り繕う事は出来るじゃろう。それで、外はどういう手筈で行なう事になっておるのじゃ?」
 奥から急いで駆け付けてきた火狩に、ウェインも敬礼。作戦内容を手短に伝えた。鹿島が振り向く。
「この医療特攻チームに協力してもらえれば、『二重囮』作戦が何とか適用出来ます……ていうか、良いタイミングで来てくれたな、この野郎! 歓迎するぞ! これで囮役先行脱出組の生存率が高まった」
「良く解からんが……負傷者を囮にするつもりか!?」
 ウェインが睨みつけるが、鹿島も吼える。
「包囲網を崩すにはその案しか無かったんだ。それに ―― 本当の囮は、喰い付いてきた超常体に噛み付く、私達の後続だ! ちょっと、こちらの段取りは狂ったが、負傷者は用意している! 振り向かずにさっさと連れていけ! 殿は私達に任せろ!」
「一応、オレ等も持ってきてはいたが ―― 西方普連が降下する前に、更に武器弾薬を投下するつもりだ。連絡役が誘導するつもりだったようだが……これを持っていけ」
 ウェインは21.5mm信号拳銃を鹿島に手渡すと、
「 ―― 必ず返せよ」
「……受け取ったら、死亡フラグが立ちそうだな」
 苦笑しながら、鹿島は中折れ式のバレルをオープンにすると、CAW製27mmモスカートを装弾した。
 急いで積載していた武器弾薬と入れ替わるように、疾風やRATTに負傷者が搭乗していく。下ろされた武器弾薬は後続組に配られていった。これで後続組もWAiRの空挺降下まで時間を稼ぐ事が出来るだろう。火狩はウェインの肩を叩いて、
「 ―― 感謝する。……君等の御蔭で、わたしも最後の御奉公が満足に出来るというものだ」
 背中を押されて、つんのめりながらもウェインは振り返った。既に火狩はBUDDYを肩に担ぐと、ここまで生き残った者達とともに発射体勢に入っている。
「……ちょっ、火狩一尉?」
 戸惑い、声を掛けようとするウェインに、
「 ―― 行け!」
 大音量で発すると、尻を蹴られた荒馬の如く、疾風やRATT、DPVが発進する。
「 ―― ちっ。爺が。いい歳こいて格好付けやがって。未だオレらには荷が重いんだよ。直ぐに負傷者下ろして戻ってくるから、それまで生き残っていろよ!」
 ウェインが怒鳴りながらも、敬礼。負傷者達も火狩や鹿島といった後続組へと敬礼を送った。火狩は微苦笑を浮かべると、
「 ―― わかるな? これが、次の世代に繋げると言うことだ。勿論、その次世代には、君も、この後続組に残った者達も含まれている」
 だが、鹿島は唇の端を上げると、
「残念ながら、火狩一尉だけ楽にはさせませんよ。生き残って、続く戦いにも苦労してもらわんと」
「……これ以上、君は老骨に鞭打つつもりかね?」
 瞳で笑い合った。真面目な顔付きをすると、囮組に喰い付いてきた超常体へと視線を向ける。
「作戦通り、これより敵を攻撃・撹乱する事で、先行組の無事な脱出を支援する! 各自、奮闘せよ!」
 火狩の号令一下で、飯塚残存部隊の最後の戦いが始まった。

 双眼鏡を覗いていた雪村は、砂煙を立てて飯塚駐屯地を離脱する車列を確認。電波状況が悪い中でも何とか救難信号を拾うと、オートに跨って刀を抜いた。エンジンを掛けると、空いた手でアクセルを回す。急発進したオートは砂塵を撒き散らす。刀を振り回し、車列を塞ごうとする超常体を払っていった。
 ウェインの車列に併進すると、
「 ―― 包囲網突破まで先導するよ!」
「ああ。こちらでも敵位置は判っちゃいるが……とりあえず任せた!」
 護送する疾風から放たれる擲弾連射に、MINIMIの制圧射撃が敵包囲網を内側から切り開いていく。当初の案では高い死亡率が覚悟されていた先行脱出組は、ウェインの突入によって、死亡者数ゼロに押さえられたのだった。
「 ―― 未だ要救助者は駐屯地内に残っているんだ! 負傷者を下ろして、とっとと戻るぞ!」

 市街地の掃討を終えて、敵陣前面に展開。超常体に肉薄する第19普通科連隊。その1つに山本達、元飯塚駐屯地組も参加していた。特科の砲撃支援の中を、超常体を払いながら進撃する。
「高位上級 ―― 魔王/群神クラスがいるのは確実でしょうが……上手く誘い込めるでしょうか? 先行偵察している雪村二士から、未だ確認の報告がなされていないところを考えると……随分奥深くにいると思われますが」
 伝達役として走り回っている 宮元・鈴鹿[みやもと・すずか]二等陸士が疑念を発する。
「……その場合は、次の作戦で活用する。一応、後藤君は準備万端なんだろう?」
「はい。佐藤二士とともに配置に付いています」
 自身の部下に落ち着いている 後藤・辰五郎[ごとう・たつごろう]二等陸士に、山本はある指示を出していた。敵の総指揮官を倒す為の仕掛けだ。だが、上手くそこに誘導出来るかは難しい。そもそも、相手がどういった姿・形状をしているか、電波障害もあり、偵察からの報告が未だ上がってきていない。近距離内の無線は通じるが、それを超えるとなると難しいのが現状だ。御蔭で、山本 ― 後藤間の伝達役として鈴鹿が走り回る羽目になっている。
「……しかし、雪村二士 ―― 先日に遭った第4偵察大隊の少年だったか。いつの間に、そんなに仲が良くなったんだ?」
「 ―― 仲が良いと言う程ではありません。彼自身は何とも思ってないでしょう。しかし信頼出来る、しかも面識ある人物をタネ元にしておくのは、情報の確証性を高める為の捜査原則ですから」
 鈴鹿は、元は飯塚の警務隊員であった。雪村との間に、現状で色恋関係のフラグは無し。
 思わず苦笑してしまった山本。だが、直ぐに顔を引き締めた。上空を、WAiRが搭乗したチヌークや、多用途回転翼機UH-60JAブラックホークが通過する。当然、敵航空戦力が群がってきた。
「 ―― 対空砲火、用意!」
 トラックに牽引されていた改良HAWKが展開する中で、一早く業子率いるツングースカ隊がレーダーに捉える。バーの編隊だが、動きがいつもより統率されている。一際大きな、低位上級鳥型超常体ベンヌが向かってきていた。
「 ―― 弾幕を張って、撃ち落とします! グリソンの発射も許可」
 業子の指示に、2A38M 2連砲身式30mm自動機関砲が咆哮を上げる。撃ち減らされたバーの編隊一部が、対地攻撃を開始する。といってもバー自体は爪や嘴が精一杯だが、
「 ―― 音速衝撃波!」
 ベンヌの飛翔速度が音速を超え、衝撃を生む。軽い爆弾を落されたようなものだ。随伴隊員が吹き飛ばされる。さらに衝撃波が、真空状態を作り出し、踏み止まった者も全身を切り刻まれてしまった。
 音速超過により、水蒸気爆発も生じた。後ろに生じた爆発を吹き飛ばしながら、ベンヌは飛翔する。
「 ―― 加速による風圧もものともしないなんて。幻風系ですね?」
 独りごちるとともに急いで指示を出す。2台のツングースカが互いの死角を補い合った。
「弾幕を張りなさい! ラッキーヒットでも相手には致命傷になりえます」
 速度は、諸刃の剣だ。弾幕を張っていれば、向こうから飛び込んできて自滅してくれる。
「近付けさえしなければ、どうって事ありません」
 とはいえ、ツングースカ2台がベンヌ1体に引き付けられている状況だ。その間にバーの編隊が地上戦力を襲って来る。改良HAWKやM2重機関銃キャリバー50が咆哮を上げて立ち向かっているが……。
「……見通しが甘かったのかも知れませんね」
 必死にベンヌを捕捉しようとしながらも、業子は唇を噛んでいた。

 亜音速で飛翔するベンヌを視界の端に捉えたが、
「……残念ながら、今日のオレは空挺要員なんでね。悪いが相手してられないんだ」
 真名瀬は肩をすくめてみせる。同僚達を見渡して、
「……まったく、オレ達の主戦場は海や街だと思って訓練してきたのに、何の因果で砂埃の中で降下する羽目になるかねー。砂埃の基地にブラックホークなんて縁起が悪いぜ」
 ぼやいてみせた。が、その眼差しに宿る光は喜々としたもの。
「 ―― ポイント到着。装備物資、投下!」
 眼下では飯塚駐屯地残留部隊が、敵の対空攻撃を抑えるべく奮迅していた。チヌークは滞空すると、横腹の扉を開いて、物資投下を開始した。投下された武器弾薬に辿り付いて、戦闘続行する満身創痍の残留組。続いてWAiRが空挺降下を開始する。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 同僚の空挺を支援するとともに、己自身も降下する為に、真名瀬は背から翼を広げた。蝙蝠を模した皮膜の翼。だが、その大きさは全身を包むに足る。
 愛用のSIG550アサルトライフルを腰溜めに構えると、威勢を発して飛び込んでいく。チヌークに群がろうとするバー編隊の横っ面に回り込むと3点バーストにて掃射! また単発に切り替えての、対地射撃も忘れない。5.56mmNATOが超常体を貫いていった。
「 ―― けっ。味気無いな」
 着地したWAiR隊員が、負傷している残留組に代わって飯塚駐屯地制圧に乗り出していた。軽口を叩きながらも、皮翼をはためかせて滞空する真名瀬は、その俯瞰視点から、油断無く戦場を観察する。
「……魔王/群神クラスは何処に居やがる?」
 呟いたその時、咆哮が上がった。激痛と衝撃が真名瀬を襲ってくる。自らの意識下にあった憑魔が、突如として叛乱を起こす。出していた皮翼がいびつに膨れ上がる。更には、飛ぶのに不要な組織器官が背を突き破って姿を現すと、醜く暴れ出した。
 真名瀬だけでは無い。WAiRの幾割かは同じく魔人だ。彼等もまた声にならぬ叫びを上げると、地面にのた打ち回る。泡立つように無数の肉腫が膨れ上がり、内側から肉を引き裂いていく。引き裂かれた肉から血が吹き出し ―― 裂けた肉の間を異常な速度で根を張り出した神経組織のようなものが埋め尽くしていた。
「こ、これが、ひょ……憑魔の、強制侵蝕現象 ―― 」
 飛ぶ事が出来ずに墜落する真名瀬。衝撃で翼は破れ、内臓が逆流するような圧迫感。熱を持った部位は骨が折れたか、少なくともヒビぐらいは入っているだろう。しかし脂汗を流しながらも、真名瀬が慄然としたのは、傷付いた身体を無理矢理修復していく憑魔核。真名瀬は半不老不死とも言われる異形系魔人だ。意識下では変形を“ 翼に固定している ”が、
( オレを無視して勝手に自己再生に入っていやがる……これが、乗っ取られていくっていう奴か )
 未だ満足に動けぬ身体に歯噛みする、今は、ただ肉体組織を修復していく憑魔の異音を耳にする事だけしか出来なかった。

 巨体を揺り動かすと、奥から前進を開始してきた。力強い後脚2本で立ち上がった、全長10m近くある巨大な鰐。全高は3〜4mを越すだろう。力強く太い尾が支えを補助しており、前脚は物を持てるように進化していた。もはや腕と呼んでも差支えはあるまい。
「 ―― 魔王/群神クラスを確認! 西方普連の3割が麻痺されているよ!」
 オートで特科部隊に駆け込んできた雪村が悲鳴を上げる。ここに辿り着くまでの間に、強制侵蝕現象で倒れた魔人が超常体に殺されている光景を見てきた。
「 ―― 強制侵蝕現象の効果範囲を算出しろ!」
「アウトレンジからの砲撃を開始する!」
 特科の隊長達が叫ぶ中を、悲痛な声で訴える。
「味方を巻き込んじゃうよ! 未だ立ち直っていない者が残っているんだ!」
「 ―― 砲撃中止!」
 拳を砲身に叩き付ける特科の部隊長。
「ツングースカ隊を前進させましょうか?」
「待て、神宮司准尉も魔人だろう? 強制侵蝕に巻き込まれてしまう。これほど強力な波動だ。車内に居ても安全とは限らない。―― 自重してくれ」
 特攻野郎Mチーム班長のウェインもまた周囲から止められて、続く救出活動を中断させられていた。
「動ける者は隊伍を組め! 味方を救出する!」
 魔人で無い普通科隊員達が、倒れ伏した味方を援護するべく超常体の群れへと突入していく。後ろ姿を見送り、山本も唇を噛み締めるしかなかった。

 気を緩めれば激痛と衝動で暴れ出しそうな身体を、無理矢理に抑え込んで火狩は荒い息を吐く。
「 ―― どうやら、だいぶ慣れた様じゃな、この痛みにも。しかし……」
 銃剣を着けたBUDDYを構え、巨鰐を睨み付けた。知性の輝きを灯した瞳が、火狩と視線を交わす。
「 ―― 埃及の神、セベクかね? 恐怖と洪水を支配し、ラーと結び付く程の強力な神と聞く。……が、侵略である以上、鉄と血で歓待する事になるのう」
 火狩の呟きに、巨鰐 ―― セベク[――]が咆哮を上げた。対して火狩も怒号を発する。
「 ―― 突撃!」
 号令一下、周囲に展開していた部下達がBUDDYを斉射する。火線が集中するが、
「5.56mmの小口径銃弾等、その鱗の前では豆鉄砲に過ぎんというのかね!?」
 蚊に刺された程にも効いていないセベクは瓦礫を握ると巨腕で投げ飛ばしてきた。直撃した数名の部下が潰されて、圧死する。また衝撃や飛び散った破片が、周辺にも軽くない傷を負わせていった。それでも負けじとBUDDYを振るう、火狩。失った部下達の名を心の内で呟きながら肉薄すると、銃剣で刺突。しかし刃先が立たないどころか、身体ごと弾き返された。
「……流石に若い頃のようにはいかんなぁ」
 口の中に溜まった血を吐きながら苦笑。火狩は意を決すると抑え込んでいた憑魔を解放する。
「これが、最後の御奉公になるかもしれん。そう悪い人生でもなかったか……」
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 肉腫が膨れ上がり、神経繊維が皮膚上を走る。毛細血管を内側から破りながら、剛質の筋肉が身体を覆うと鎧と化した。セベクに対応した、火狩もまた半人の鰐の姿。突撃してくるセベクを真っ向から受け止めると、顎を広げて牙を突き立てた。
 初めてセベクから苦悶の鳴き声が上がった。だがセベクは火狩が変じた鰐の尾を掴むと、物凄い膂力で持ち上げて振り回す。そして遠心力を付けて地に叩き付けた! 鈍い音を立てて、脊椎が砕かれる痛み。大量に吐血する。
( ……力、及ばずか ―― )
 ―― その時、声が聞こえてきた。
『  汝 、 力 を 望 む か ?  』
『  我 に 全 て を 委 ね よ  』
 憑魔核が蠢いた。表面が縦に割け、暗い眼孔が開く。眼球が生まれ、嘲笑を上げた気がした。
『  我 は ア ガ レ ス   』
『  変 化 の 公 爵 也  』
 蠢く肉片組織が、脳まで侵そうとしてくる。火狩はただ呆然と、いや歓喜の声を上げて受け入れようとしていた。それが自らの意思に反していようとも!
 危機一髪で我を取り戻す事が出来たのは、鹿島の救いがあったからだ。施設科の操る重機の1つ、75式ドーザ『ビッグブル』がセベクに突進。腹に車体をぶつけた上に、ドーザブレードを叩き付けた。
「 ―― 待たせたな、火狩さん! 残るは貴方達だけだ! ここは任せて脱出を始めておいてくれ!」
 敵味方の体液で赤と黒の斑に染まったビッグブルの操縦席で、鹿島が身体を震わせながらも気丈に言い放つ。首を曲げて、顔を向けてきたセベクと視線が合った。が、鹿島は笑い飛ばした。
「はっはっは! 命(たま)獲ったるで〜!」
 ドーザブレードを何度も叩き付ける。セベクの鱗が割れ、血肉が飛び散った。
「どうだ、神を殺すのは常に人間だ!……って?」
 車体が傾き始めた。セベクはドーザブレードを巨腕で受け止めると、持ち上げてきたのだ。
「 ―― 鹿島君。早く脱出するのじゃ!」
 火狩が叫ぶ。だが車体は既に大きく傾いていた。扉を蹴飛ばして逃げたとしても、倒されたビッグブルの下敷きになるのは必須。
「やはり、アレを倒すには火力・防御・機動力を兼ね備えた戦車が必要なのだ! 私はなんで機甲科ではないんだ〜! うぎゃ〜〜!!」
 断末魔の叫びを上げようとした鹿島だったが、セベクの動きが止まった。見れば、片目が潰れている。
「……へっ。ざまぁみろ、鰐野郎が」
 瓦礫の上、伏射体勢の真名瀬が悪態を吐いていた。SIG550による狙撃。鱗の貫通は難しくとも、それ以外ならば5.56mmNATOでも充分。尤も狙って必ず成功するとも限らない。まさに執念の一撃だった。
 痛みに暴れるセベク。だが止めを刺すには今少し準備不足だった感が否めない。口惜しいが脱出を優先させる事にして、鹿島はビッグブルの体勢を整えた。そして、火狩達に呼び掛ける。
「 ―― 車体に掴まれ! このまま脱出する!」
 生き残った数名が気力を振り絞って、ビッグブルに取り付く。敵を求めて暴れているセベクを尻目にすると、全速前進で敵の包囲網を突破。
 偵察していた雪村の報告を受けた特科の砲撃が、追いすがろうとする超常体を微塵としていった。

 ―― こうして、飯塚駐屯地脱出・救出作戦は終了した。救出された者185名。だが、その内、戦闘続行可能な人員は30名にも満たなかった……。
 山本と再会した鹿島は、佐藤・茜[さとう・あかね]二等陸士の治療を受けながら、
「……残るは、セベクだけだな。奴を倒して飯塚を奪還したら、いよいよセトかな?」
「油断は出来ない。敵航空戦力に厄介なのが残っているらしい。それに……」
「それに?」
「手負いの獣となったセベクは、易々とは倒させてくれないだろう」
 溜め息を吐きながら頷くと、
「……誰か、戦車を寄越してくれないかな?」

 

■選択肢
Eg−01)飯塚奪還/セベク決着
Eg−02)直方市方面でセト対策
Eg−03)宗像方面にて権謀術策
Eg−04)幹部候補生学校で探索
Eg−05)別府駐屯地で謎を解明
Eg−06)博多の福岡駐屯地防衛
Eg−FA)北九州の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 飯塚駐屯地並びに直方市一帯は、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、また死亡率も高いので注意されたし。

註1) 現実にエジプト陸軍には1977年7月に創設された『TF777』という、対テロ任務を主とする特殊部隊が在る。冗談のようだが、本当の話。

註2) 出展は、原作:夢枕獏/画:伊藤勢『荒野に獣 慟哭す』講談社マガジンZKC(1〜4巻。以下、続巻。月刊誌『マガジンZ』にて好評連載中)。秀逸なギャグである。是非にも購読をお薦めする。


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