第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 第4回 〜 北九州:埃及


Eg4『 反 撃 の 狼 煙 』

 先月まで漂っていた暢気な世界は、最早、何処にも見当たらない。最前線にも似た、いや、それとも異なる奇妙な緊張感が張り詰めている前川原駐屯地 ―― 幹部候補生学校。異常な雰囲気の中を、竹刀を手にした 麻曲・丸美(あさまがり・まるみ)二等陸士が慌ただしく駆け回る。ポニーテールが揺れたり、跳ねたり、丸美の動きに合わせて踊っていた。
 未だに緩和される事の無い砂漠化に、照り付けてくる熱い陽射し。乾いた風が砂を巻き上げると、嵐は電磁波を妨害する。通信状況もまた良好とは言えなかった。それでも幹部候補生達に重度のストレスを課しているのは、苛烈な環境だけが原因では無い。第04特務小隊の来訪に対する備えが、幹部候補生達に極度の緊張を強いていたのだ。
 零肆特務が幹部候補生学校を来訪する目的は、超常体信奉者を狩り出す事。その為に、教官等は全面的に協力するよう厳命が下され、また抵抗する素振りを少しでも見せた者や非協力的な態度な者は、超常体信奉者の疑いが濃いものとして問答無用で射殺しろという。これは神州結界維持部隊西部方面隊・第4師団長である 立花・巌[たちばな・いわお]陸将の直命だった。
 余りにも厳しい命令もさる事ながら、それを実行するのは零肆特務 ―― 重犯罪者によって構成された懲罰小隊である。通常ならば消耗品として危険な最前線に突入されるべき部隊が、安全なはずの後方で強権を与えられて魔女狩りの異端審問を行う。これが異常と言わなければ、何であろうか?
 元々、エリートを自認していた幹部候補生達である。当然ながら反感が生まれたものの、少しでも疑わしい素振りを見せれば射殺される。この二律背反が幹部候補生達だけでなく、教官等の間にも重い緊張感を生み出していたのだ。
 そのような中でも流れるのは、多くの噂話。事の発端である、超常体を信奉する集団の噂だけでは無い。就寝の喇叭が十三回目を吹き鳴らすのを聞いた者には死神が訪れるだの、女子トイレの奥から二番目にある開かずの扉には花子さんが居るだの、戦場で無念の死を遂げた隊員が首を抱えて夜な夜な歩き回っているだのといった定番の『学校の怖い話』から、現在休職中の某化学科教官は、実はファラオの呪いにより既に狂い死にしているだの、某才媛は邪馬台国の女王である卑弥呼の生まれ変わりだの、某女子幹部候補生は教官との禁じられた愛の逃避行の末に殺されて埋められてしまっただのという幹部候補生学校の人物をモチーフにしたもの。幹部候補生学校は裏で超常体と密かに取引して人体実験を繰り返しているだの、超常体で構成された特殊部隊を育成しているだのといったものすらも流れているのだ。
 丸美は勢いを込めて扉を開け放った。唸り声を上げる黒犬 アヌビス[――]を押し宥めると、石守・妃美子[いしもり・ひみこ]陸士長が力無く丸美へと微笑み掛けてくる。
「 ―― 御機嫌よう、丸美。貴女は変わりが無くて嬉しいですよ」
「……ごきげんよう、妃美子お姉さま。その……」
「なぁに?」
 アヌビスの背を撫でる妃美子に、丸美は視線を合せる事が出来なくて、つい逸らしてしまう。
「……すっ、すみません」
「何を謝るのですか? 可笑しいですよ、丸美」
 鈴の音色のように笑う妃美子。だが丸美は申し訳ない気持ちで一杯だった。妃美子の周囲には、いつもの取り巻き達の姿は見受けられなかった。妃美子に関する噂が、取り巻き達を遠ざける事になったからだ。
 噂の流布がストレスの捌け口となり、尾鰭が付いていつの間にやらトンデモないものになってしまったのだ。特に邪馬台国女王の噂は、異様なほどの広がりとバリエーションを生み出していた。生まれ変わりどころか、実は本人であり人の血を吸って生き延びていた、鬼道という術で超常体を操る事が出来る、信奉集団の指導者であり、黒幕である……etc.etc.
 魔女狩りに確証は要らない。怪しいというだけで十分。つまり『 妃美子 = 卑弥呼 』という噂で、魔女狩りの対象になったのだ。今までの取り巻き達も巻き添えを食わないように自然と疎遠となっていった。
 替わりに妃美子を守るように居るのは忠犬と、今まで話した事も無い男女3名。柔和な瞳が印象的な迷彩2型作業服の少女、看護衣を身にまといながらも柄の悪そうなWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)、そしてこの暑さの中でも91式常装冬服を着こなす陰のある顔立ちをした細い体付きの青年だった。
( あ……この人達は、確か )
 いつか真夜中に妃美子と密談していた者達だった。
「それで、丸美の用事は何かしら?」
「えーと。その。―― わたくしはこれからも妃美子お姉さまの傍でいっしょうけんめいがんばっていきたいと……」
 丸美の言葉に、妃美子は嬉しげに微笑を浮かべてくれた。だがすぐに寂しそうな表情を浮かべて、
「ありがとう。その言葉だけで嬉しいですよ。でも私の傍に居ない方が良いでしょう。噂は、丸美も聞いているのでしょう? 零肆特務は私を射殺しようとするでしょうね。だから今後は、丸美と私は無関係。私の傍に居たら、丸美も疑いを掛けられてしまいますから」
「……でも、その噂は ――」
 だが丸美の言葉を、看護衣WACが遮る。
「いいから、もう近付くんじゃねぇよ。テメェを巻き込みたくねぇっていう妃美子の心遣いが解んねぇのか? ほら、さっさと行った、行った。―― アヌビス、このジャリを追い出せ」
 アヌビスが牙を剥き出して吠え立てる。丸美は教室から追い出されてしまったのだった。
「……妃美子お姉さま。―― 御免なさい。わたくしの所為で……」
 丸美は唇を噛むと、走り去るしか出来なかった。

 丸美を追い出した妃美子達は、扉の位置から死角になっていた方へと向き直った。
「それで ―― お話を聞かせて貰えますか、成瀬教官」
「テメェ、瑠眞をどうしやがったんだ? アイツはアタイのマブだ。事によっちゃあタダじゃおかねぇぞ」
 いきり立つ看護衣WACに、呼ばれた男 ―― 成瀬・蔵人(なるせ・くろうど)陸士長は沈痛な表情で返した。
「申し訳無い事をした。坂江君 ―― ヘケト君は僕を庇って、アポピスに飲み込まれてしまったよ」
 妃美子、看護衣WAC、そして作業服少女の顔が青褪めた。ただ冬服青年のみが鼻を鳴らす。
「 ―― アポピスですか。嘘や冗談にしては性質が悪いですね、教官殿? アレがこの世界に顕れるはずがありませぬ。おおかた、ヘケトを殺して……」
「お待ちなさい、コンス。……御免なさい、成瀬教官。詳しくお聞かせ願えますか? 別府で何があったのですか? 瑠眞 ―― ヘケトはどうしたのです?」
「……どうやら本当に僕が出していた電波は届いていないようだな。実は……」
 成瀬は大仰に身振り手振りを交えながらも、真剣な面持ちで説明を始める。
 ―― 別府に現れたという存在の調査に赴いた成瀬と、彼の監視役を自ら任じていたヘケトは、それが全てを無に孵す闇の渾沌蛇 アポピス[――]だと知る。そして第4師団第41普通科連隊長、大上・陽太郎[おおかみ・ようたろう]一等陸佐の正体は、七十二柱の魔界王侯貴族の1柱“ 炎の大侯爵 ”にして、七つの大罪が1つ“ 貪欲 ”を司りし大魔王 アメン[――]。“ 堕ちし明星 ”と結んで堕ちる前は、ラー神群の主神でもあるという最高位最上級超常体。
「……大上は警戒監視というのは表向きで、その実、アポピスが完全顕現するまで護っていたのだ。目的は ――“ 唯一絶対主 ”アトゥムへの復讐。奴が言うには『 この狂った世界を滅ぼし、アトゥムの定めた遊戯を全て御破算に 』したいと」
 妃美子達が息を呑む。―― ヘリオポリスの宇宙創造神アトゥム。その名前には“ 完全な者 ”という意味があり、己自身単独で『 在りて在るモノ 』。アマルナ宗教改革においてアメンホテプ4世ことイクナートン(アクエンアテン:アテンに帰依する者)が信奉した、太陽円盤を象徴とする唯一絶対神アテンこそがアトゥムという。
「……ヘケト君は僕を庇って、襲い来るアポピスに喰われてしまった。そして彼女が託した、アポピスを止めて欲しいという願いを伝える為に、僕は今ここに居る。―― 以上だ。何か質問があるかね? もっとも僕の言葉をまず信じるかは君達次第だが」
「 ―― 信じます」
 妃美子が向けてくる真摯な眼差しを、成瀬は受け止めて大きく頷いた。コンス[――]と呼ばれていた冬服青年が口を開く。
「妃美子様は信じたようですが、私には疑問がありますね。アメン様はどうやってアポピスをこの世界に召喚したというのですか?」
 疑いの眼差しも受け止め、成瀬は胸を張った。
「 ―― 詳しくは知らん」
 大きく肩をすくめて見せると、
「そこまではアメンも手の内を明かさなかったのだ。仕方あるまい。―― ただ召喚を可能にした“ 物 ”を有していると言っていた。それを利用すれば、逆に追放する事も出来ると。それ以外の手立ては……」
「 ―― セトとホルスの連携攻撃」
 今でこそ悪神と蔑まれている セト[――]だが、元来は『 太陽の船 』の舳先に立って、アポピスに対して勇敢に戦う神である。セトが使う、全ての熱量を吸収して力に転換する〈渇きの風〉。こうして活動を止めるとともに転換した力を、ホルス[――]が収束して光砲として撃ち出せば ―― アポピスといえども倒す事が出来る。
「……だがセトとホルスは仇敵同士。説得するのは容易ではないぞ」
「 ―― それは私の役割です。直方で繰り広げられている戦いを止めさせ、アポピスとそしてアメンへと」
 妃美子が己の胸に手を添えると、作業服少女が頷いた。異論を出すのは看護衣WACである。
「おいおい。オシリスの復活はどーすんだ!? 妃美子、テメェが一番やりたいのは、愚弟と馬鹿息子の喧嘩を止める事じゃねぇだろが?」
 妃美子の本音を言えば、オシリス復活に回りたいらしい。だがホルスとセトを説得し、協力させるにも妃美子の存在が不可欠だった。苦悩する妃美子に、成瀬は突き放すように告げる。
「おう? ……悩んでいるようだが時間は無いぞ。僕の見立てでは、アポピスは6月中旬にも活動を開始する。そうなれば世界が沈み始める ―― 少なくとも大分は完全に消滅するだろうな。それに……」
 廊下を慌しく駆けてくる音に、成瀬は眉を寄せる。顔を真っ赤にした 戸渡・学[とわたり・まなぶ]一等陸曹が飛び込んできた。
「 ―― 零肆特務が来たっ!」
「おおうっ! どうやら、ここで悠長に悩んでいる状況ではなくなったようだ」
 成瀬は背嚢を担ぎ直し、89式5.56mm小銃BUDDYを手にすると、
「……先に出て、外から反撃や逃亡を手助けする。幸いな事に僕の帰還に気付いている者は少ない。サポートは任せておきたまえ。―― 零肆特務が来るまでに話が出来たのも幸運だったな」
 入ってきたと同じく、慎重に隠れ潜みながら出て行こうとする成瀬。
「……だが、このタイミングで零肆特務の魔女狩りか。アメンが関与しているのかしていないのか。命じた立花陸将がどこまで知っているのか判らんな」

*        *        *

 風で巻き上がった砂塵により、視界は良好とは言えない。また自身の砂漠迷彩は完璧だ。米海兵隊より入手したMCCUU(Marines Corps Combat & Utility Uniform)デザートに身を包んだ 雪村・聡(ゆきむら・さとる)二等陸士が博多の福岡駐屯地 ―― 第4師団司令部へと帰還した時、歩哨に当たっていた警衛隊は驚愕の余りBUDDYを構えて発砲仕掛けたのは当然だったのかも知れない。砂塵から突然姿を現したように見えたのだろう。慌てて所属・姓名・階級といった自己主張をしなければならなくなった……。
「……そりゃさぞかし警衛も驚いただろうさ。雪村の隠行は、探知が得意な超常体にも気付かれないからな」
 いつもながらの気だるげな顔付きだが、同じく第4偵察大隊所属の 風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士は言葉にからかいを含めながら、雪村を見遣る。
「そんなに僕、地味で存在感が薄いかなぁ……」
 主体性が無く、周囲に流されて生きていると陰口を叩かれている雪村だが、それなりに悩んでいるらしい。戦友が眉を潜めているのを見て、風守は唇の端を歪ませて笑った。
「それで……飯塚方面 ―― セト攻撃群の動きはどうだ? 報告は上げたんだろ?」
「僕が出立した頃は未だ大わらわだったけど、もう編成を整え直して、直方市に向かっているはずだよ。移動及び展開中に障害が無ければ、明晩にはセト包囲網を布き終わって、攻撃の第一波が加えられているね」
 砂漠化の影響により電波障害は相変わらずだ。第4偵察大隊や、航空科が命令や報告を伝達しなければならない状況に変わりは無い。雪村が博多に帰還したのは、飯塚からの報告を伝える任務もあったからだ。
 ついでに雪村はちょっとした疑念を晴らそうと考えていた。雪村としては報告任務より本命である。声を潜めて周囲をはばかるように風守に問い掛ける。
「……第4師団司令部にオカシナところが無い?」
 風守は垂れ気味な眼を細めると、
「どういう意味だ?」
「いや、なんとなくだけど。……いつもならば最前線に投入されるはずの零肆特務に、前川原への出向命令が出たり ――」
「ああ、もう、魔女狩りの件は前線にも広まっているのか。人の口に戸は立てられないって本当だな」
「うん。他にも色々とあるんだけど……よく分からない事が多過ぎる。とりあえず僕は訳の解らない状況で死にたくないよ」
 雪村の正直な言葉に、風守は暫し無言で腕組み。普段の眠そうな表情が、一瞬だが眉間を寄せた真剣なものに変わったのを見て雪村も沈黙した。視線を変える事なく、ただ周囲に対する警戒を強める。雪村は平静を装って話題を変えた。
「そういえば福岡県図なんか今更広げて、どうかしたの? ……あれ? これ、珍しいね。玄界灘まで載っているけど……」
 原則、神州結界維持部隊の活動範囲は陸上に限られている。従い、地図上で玄界灘まで載せる必要は無い。いぶかしむ雪村は、自分と同じく剣図を覗き込もうと近付いてくる気配を感じ取った。風守も県図を畳んでとりとめもない話題に変えようとしたが、
「 ―― 狙いは、沖ノ島か、それとも大島か」
 近付いてきた男の声に、目を細める。風守が見上げれば、痩せ型の厳つい中年親父が興味深そうに県図を見詰めていた。見慣れぬ作業服 ―― 襟には、准空尉の略章が。慌てて敬礼するが、壮年の男 ―― 山畠・大地(やまばたけ・だいち)准空尉は、軽く答礼を返すと、
「……ソースは『 落日 』からか?」
「 ―― どういう意味ですか?」
 山畠の口から出た『落日』なる言葉に、風守も、そして雪村も聞き覚えはなかったが、どうやら何かの鍵になる単語のようだ。2人の疑念を山畠はどうとったのか解からないが、
「……ふむ。ここでは難しいようだ。2人とも、私に付いて来い。安全な場所で腹を割って話そう」
 返事を待たずして、山畠は背を向ける。顔を見合わせた風守と雪村だったが、
「どうやら、あの人は敵ではないようだ。少なくとも周りから感じる危険とは関係ない」
「……危険を、この駐屯地からも感じ取っているの?」
 風守には操氣系の憑魔能力に匹敵するほどの第六感というものがある。その風守が言うからには、この駐屯地は現在危険が満ちているという事だ。そして、山畠は少なくとも敵ではないだろう。雪村は頷いた。
「それに、雪村の疑念に対する、俺からの回答をしなければならないしな」

 山畠が連れてきたのは、駐屯地に隣接している春日公園 ―― に駐機していた大型回転翼機(ヘリコプター)のキャビンの中だった。雪村と風守は顔を見合わせる。
「何で……ペイブロウがこんなとこにあるんだ?」
「まぁ、色々と、空自時代からのコネとか現状の制度を利用してな」
 シコルスキー社のMH-53Mペイブロウは米空軍の大型輸送回転翼機である。米海兵隊の大型侵攻輸送用回転翼機CH-53Eスーパースタリオンや、SBU(※註)の掃海輸送回転翼機MH-53Eの兄弟機に当たり、大量の物資や人員の空輸だけでなく、装甲板を取り付けて火器を搭載する事で、戦闘捜索および救難を可能にせしめる大物である。
「これぐらいで驚いては困る。自慢ではないが、春日基地板付地区には、これの専属護衛戦闘機としてスーパーホーネットが駐機しているからな」
「准尉! あなた、何者だー!?」
 ボーイング社のF/A-18E/Fスーパーホーネットは米海軍のF-14トムキャットや、旧型のホーネットに代わる可能性のある攻撃機だ。超常体が出現する直前の1999年1月にVFA-122『ファイティング・イーグルス』に正式受領されたという、F-22ラプターや現在も開発中のF-35と並ぶ最新鋭機。幾ら何でも贅沢過ぎである。
「試しとばかりに、コネに要望したら本当に貰ってしまって……さすがに複座型は無理だったが」
 スーパーホーネットには単座型のF/A-18Eと複座型のF/A-18Fがある。単座型と複座型の機体における決定的な違いは無い。だが複座型は操縦や火器管制を分担したり、カバーし合ったり出来るという点で、より高性能と言えるかも知れない。
「……僕は隣のハインドにも驚いたんだけど」
 米海軍のペイブロウの隣に旧ソ連軍の傑作戦場回転翼機Mi-24V――NATOコード『ハインドE』が並んでいる様は、東西冷戦期を知っている者には悪夢としか思えない光景であろう。雪村は隔離後の生まれだが、これが悪い冗談と思うぐらいの知識はあった。
「 ―― 小官を呼んだか?」
 雪村の呟きに、キャビンから体格のがっしりした露西亜人男性が顔を出した。流暢な日本語(でも時折露西亜語訛り)で自己紹介をしてくる。
「第3対戦車ヘリコプター隊・第347組長の宮野太郎だ。階級は一等陸曹」
「……日本人名だけど?」
「ああ。苦労の末、日本国籍を取得したんだ。本名はイェゴリー・アレクセイエビッチ・アレンスキーだが、好きに呼んでくれ」
「というか、何でハインドさ!」
「ああ、ワニ(※旧ソ連兵間におけるハインドの愛称)の事か。良い機体だろう? 恥ずかしながら、この年になっても未だ西側兵器の運用になれる事が難しかったんで、武器科に泣き付いて手配して貰ったんだよ。ああ、もう一つの祖国の懐かしい香りがする」
「はは、イェゴリー、さすがに機体に頬擦りするのはどうかと思うぞ」
 同じくペイブロウのキャビンから顔を出した グレゴリー・イワノビッチ・スコルトフ[―・―・―]陸士長が、イェゴリー・アレクセイエビッチ・アレンスキー(―・―・―)へと突っ込みを入れているが、他の者にはそれどころではない。
 ハインドは、1個分隊の兵員を乗せ、かつ自己防御と制圧用火器を備えた「空飛ぶ歩兵戦闘車両」として考案された回転翼機である。実戦運用や後継機開発が進むにつれて、キャビンは兵員輸送よりも再装填用ミサイル積載するスペースと捉えるようになり、ハインドEに到ってはチューブ発射式の9M114 ―― NATOコード『AT-6スパイラル』ミサイルを最大12発携行可能。またアフガン戦の経験を踏まえて、機種下のターレットに2砲身の23mmGSh-23-2機関砲が取り付けられている。
「……悪夢の産物だ。これらが並ぶなんて ―― 神州でしか見られない光景だな」
 風守はウンザリした表情のまま呟く。さておき雪村がイェゴリーに問い質す。
「でも、あんたは、どうして?」
「ああ。ハインドを受領したのはいいものの、正式な命令を受けてなくてな。『何したらいいのかなー』と目達原から博多へお伺いしに参ったら、山畠准尉と……こちらの三曹一行に掴まって」
 イェゴリーの紹介に、最後の組がペイブロウのキャビンから顔を出してきた。
「 ―― 山本三曹!? そして……何でこんなところに居るんだよ、鹿島三曹も?」
 問われて、山本・和馬(やまもと・かずま)三等陸曹と 鹿島・貴志(かしま・たかし)三等陸曹が顔を見合わせる。先ず山本が口を開いた。
「ちょっと、な……『 ある筋 』から宗像の事を聞いてな。……どうも北九州の情勢を左右しそうな選択肢になりそうな気がする為に、渡る手段を探していたんだ」
 宗像、そして渡る手段という言葉に、風守が目を細める。ある筋か……どうも自分とは違うソースからの情報のようだが、目的は一緒のようだ。
「そして……運良く山畠准尉と宮野一曹に会って。特に、山畠准尉は『 ある筋 』と関わりがあるようだから」
「……関わりがあると言う程ではない。まぁ運が良ければ情報を得られたり、無理を聞いて貰えたりするかも知れないというぐらいだ。実際、山本三曹が持つ繋がりと変わらんよ」
 山畠は憮然とした表情で、断りを入れた。
「兎に角、そこでペイブロウのキャビンで相談していたという訳だ」
「……ハインドの中は狭くてですね」
 山本の部下である、後藤・辰五郎[ごとう・たつごろう]二等陸士が呟く。すぐに「何でもないですよ」とばかりに、あさっての方向に視線を向けていたが。
「で、相談の結果はどうなった?」
 山畠の言葉に、イェゴリーが頭を掻きながら、
「んー、危ない橋渡るからなぁ、極上のウォッカで手を打とう……と思ったんだけど」
「神州にアルコールの類はありません」
 元・警務科の 宮元・鈴鹿[みやもと・すずか]二等陸士が冷たく告げる。イェゴリーは軽く掌を上げて冗談だというのを強調。
「まぁ、僕のかみさん、ヤポンスキーだしねぇ。かみさん、今大切な時期だから、福岡が安全になるなら協力してもいいかなぁ……と」
「 ―― で、山本三曹は沖ノ島か、それとも大島か」
 風守の問い。ちなみに事が事だけに、下手しなくても重罪の共犯者だ。階級が上だからといって敬語を使う必要は無いだろう。
「沖ノ島だ。そういう君は?」
「大島の予定だ。辺津宮にはバステトの存在、また船への警戒態勢が厳しくなる可能性を考慮して、先に辿り着くのが困難なものを選んだんだが……」
「さすがに大島にも寄るのは危険が高いぞ」
 イェゴリーが、風守に謝る。また山畠も、
「……こうして計画立案には加わっているが、砂漠化で孤立した部隊の捜索活動がある。口惜しいが、実行には参加出来ない」
「皆を引き合わせて下さっただけでも大助かりだよ。兎に角、今の面子が、この福岡駐屯地内でも信用出来る味方って訳だ」
 風守の言葉に、雪村が唖然とした。
「……そういえば、僕、いつの間にか悪企みに参加させられている!」
「いや、私もなんだけど……何で『 神殺しの武器 』の手掛かりを求めに来ただけなのに、こんな悪企みを耳にしてしまうかな」
 鹿島が肩を落とす。同じ飯塚駐屯地出の仲間じゃないかと山本は笑いながら、
「しかし『 神殺しの武器 』か……どうして、また?」
「ああ。明確に肉体を持つセベクなら私でも対処出来たが、より格上のセトなんて、今のところ対処方法が思い尽かないから……」
 それで、伝承や神話上の『 神殺しの武器 』を探してみようと鹿島は考え付き、博多駐屯地の資料を無理して閲覧させてもらっていたのだ。
「それで、何か手掛かりは掴めたか?」
 妙に興味津々な山本を不思議に思いながら、
「壇ノ浦に行ってみようと。治承・寿永の乱 ―― 俗に言われる源平合戦の末に、『 天叢雲 』或いは『 草薙 』と呼ばれる神剣が安徳天皇とともに二位尼に抱かれて入水したとある。一番近いところでの『 神殺しの武器 』と言えば、これぐらいかなと思うんで」
「 ―― 解った。門司は直方の延長先だが、捜索活動のついでに送って行ってやろう」
 山畠の申し出を、鹿島はありがたく受けた。
「 ―― 他に交換しておくべき情報はあるか?」
 皆への問い掛けに対して、風守が手を挙げた。
「 ―― 自分から1つ。山畠准尉や山本三曹の『 ある筋 』とは別のところから、この福岡駐屯地が『 大変な事になっている 』と忠告を受けた。実際に戻ってきてからは、眠れない程、常に危険を感じている」
「……その情報源とは?」
「悪いが……答えられない。―― いや、隠すつもりは無いんだが、どうも頭に靄が掛かっていて……話そうにも話せないんだ。だが彼女が言うには『 “ 這い寄る混沌 ”は何時でも何処でも顕れて、全てを嘲笑っている 』と……宗像と福岡駐屯地のどちらにも最高位最上級超常体ニャルラトホテプが陰謀を張り巡らせているという事を、念頭に置いて欲しい」
 風守の言葉に、一同息を呑むが、だが然りと頷いた。そして善は急げと各々準備を始める。
 だが鹿島は、山本の部下である 佐藤・茜[さとう・あかね]二等陸士を見掛けるや否や強張ると、
「あ、茜さん!」
「はぁい。どうなさりましたかぁ、鹿島三曹?」
「……こ、今度、音楽科で配給される。え、映画でも、み、見に行かないか?」
 ―― おおっー!? と思わず周囲がどよめいた。が、極度に焦った余り、
「……み、みんなで!」
 一同、綺麗にひっくり返った。
「 ―― 待て! あんたはガキか!?」
「……そして見事な死亡フラグ。まさに天晴れです、鹿島三曹殿」
 突っ込みを入れる雪村と、何故か涙ぐむ鈴鹿。
「そうそう。かみさんと僕との馴初めを誰か聞きたい人は居るー?」
「いや、その、一曹殿。その話は、またいずれどこかで」
 騒ぎ立てる周囲の中、茜は頬を染めて、
「えーと……おとーさん、どうしましょー?」
「だっ、誰が、お父さんだっ! いや、立ち位置的にそうかも知れんが、せめてお兄さんで! いや、そうじゃなくて! というか、ラヴコメで落とすのか、このシリアスな雰囲気を!」
 ただ一人、山本が吼えるのだった……。

*        *        *

 博多の一角で勇士達が行動を開始したと同じ頃、セト攻撃群が進行を続けていた。灼熱の陽射しが降り注ぐ昼間は休止し、過ごし易い夕方から再び移動する。飯塚で超常体を統率していたセベクを討ち果たしたとはいえ、完全に敵の襲撃が止んだという訳でもない。砂や荒れた地肌が装輪車の歩みを阻み、僅かな距離といえども遅々として進まない。
 そのような悪環境に本領発揮するのが、バギータイプDPV(Desert Patrol Vehicle)である。高機動車『疾風』もDPVには劣るが悪路には強い。更にRATT(Rescue All Terrain Transport)を加えた、ウェイン・大蔵(―・おおくら)三等陸曹が率いる第4師団第19普通科連隊内・衛生小隊 ―― 人呼んで『 特攻野郎Mチーム 』はまさしく戦線を支える救急医療部隊であった。
 医薬品や物資を降ろした荷台に重傷者を寝かせていく。ウェインが大きく息を吐く。吐いた息は白く、吸った空気は清涼としているが冷え冷えとして、内から身を凍らせるようだった。
「 ―― 御苦労様です」
「これが仕事ですから、ね」
 第4師団第4高射特科大隊・第40分隊 ―― 通称『 ツングースカ隊 』隊長、神宮司・業子(じんぐうじ・のりこ)准陸尉は絶やさぬ笑顔を浮かべると、補給品のリストを手渡す。ウェインは目を通して、署名した。
「セト包囲網の方はどうですかね?」
「先遣の部隊が鞍手竜徳高跡に陣営地を設けるべく奮闘中との事です。すぐ後方に共立病院が廃墟としてでも残っているから負傷者の収納も可能だそうです。また迂回した別働隊が『びっくり市遊技場』跡地に同じく陣を設けていますよ」
 そして一息吐く。
「……それでも相手は、埃及神話によれば悪業を一身に背負った死神セト。包囲網を布いたとしても、充分とは言えないかも知れません」
「第41普通科連隊の増援2個中隊が、大上一佐の帰還命令を詭弁で後回しにして、攻撃群に残留してくれたというのに?」
 別府から増援として出向してきた2個中隊は、セベク討伐後も残留を希望し、セト攻撃に加わっている。彼等曰く「連隊長からの帰還命令には従います。……が、ちょっと寄り道するだけです」とか何とか。
「くっくっく……いいね、馬鹿ばっかしで」
 ウェインは唇の端を歪めて笑った。しかし業子は秀麗な眉をしかめると、
「 ―― 航空優勢の確保や敵戦力削減として支援攻撃に努めますが、それでもセトへの具体的な対処方法が未発見であり……通常兵器の効果に疑問が残ります。より多くの情報を収集する事で、効果的な対応を見出す必要に迫られていると言えるでしょうね。……気になるのは“ 黄金の隼 ”ですが」
「 “ 黄金の隼 ”か……佐賀上空に出没している“ 火の鳥 ”とは別系統のようだが……」
「伝承と一致するのは、天空神ホルス ―― セトの仇敵です。可能ならば“ 黄金の隼 ”と接触し、交渉によって、一時的な共同歩調を打診出来ればいいのですが」
「……面白そうな意見じゃねぇか」
 ギャンブル性の高い言葉に興味を覚えたウェインは、上官への敬語を忘れると、笑いを込めて呟いた。
「勿論、事が済めば、対立する事になると思いますが……元より“ 同盟 ”とはそういうモノですから」
「それはそれで穏やかじゃねぇ話だが……ただ、接触する、交渉するといっても手段が無ぇな。『 もしもし、そこのホルスさん 』と声を掛けたとしても、素直に空から降りて来て、話に耳を傾ける相手とは限らねぇ」
「それでも……“ 黄金の隼 ”と接触を試みる必要がありそうですね」
 どうだろうかね?と、ウェインは肩をすくめて見せた。
「まぁ情報の収集は必要だ。その点はオレも同意するが……とはいえ、どうもオレもオマエさん ―― 神宮司准尉も何か見落としている気がしてならないんだが。特に偵察大隊の風守とか言ったか、最初にセトを発見した奴が提出した報告書。……何か、とても地味なようだが、部隊の生命線を左右するような重大事項が書かれていたのを、オレ達は忘れている気が」
 冷え込んできた夜の砂漠で自然と足踏みしながら、ウェインは白い息を吐く。背を丸めると、首を傾げながらウェインは車に戻った。夜が明けるまでに、少しでも傷病者を後方に移送しなければならない。
「あれ? エンジンが一発で掛からねぇな」
 差し込んだキーを数度回して、ようやくエンジンが掛かる。ヘッドライトで悪路を照らすと、通称『特攻野郎Mチーム』は戦線を離れていった。
 腑に落ちないものを感じながらも、業子もまた夜が明けぬうちに展開すべく、部隊に戻っていった。
 ―― 夜間の砂漠は、灼熱の昼間と違って極寒の領域となる。夜間に部隊展開を急ぐ余りに、攻撃群は自らが地獄に踏み込んでいる事に気付くのが、遅過ぎたのである……。

*        *        *

 欠けた月が飾られた暗天の下で、夜鷹が舞う。
 目的地へと低空侵入した、多用途回転翼機UH-60JAブラックホークのハッチから、リペリングでWAiR(Western Army infantry Regiment:西部方面普通科連隊)隊員達が降下していった。降下した全員が片目に暗視装置V8を装着しており、またボディアーマーに身を包んでいる。憑魔の活性化を感じ取り、最初に降り立った部隊長が後続へハンドシグナルを送ってくる。
『 ――“シャープシューター ”支援狙撃体勢に移れ 』
「 ―― Jawohl, Herr Leutnant.」
 口調はおどけながらも、真名瀬・啓吾(まなせ・けいご)陸士長が愛銃SIG550アサルトライフルの暗視照準眼鏡を覗き込む目付きは真剣この上ない。
 同僚達が無事に降下したのを確認してから真名瀬も観測手とともにリペリングで降り立つ。半身異形化して、自前の翼を広げようかとも考えたが、別府で何が起こっているか詳しくは判っていない。必要以上に憑魔能力を行使するのは抑えていた方がいいだろう。
 暗闇で覚束ない足取りながらも観測手とともに、前進している同僚に追いつこうとする。次の瞬間、仕掛けられていたブービートラップが作動し、手榴弾が炸裂した爆音が轟いた。間髪入れずにBUDDYが響き渡る声と、周囲を照らし上げる銃火が起こっている。
 身を低くして回り込むように移動。WAiRと交戦している敵影を見出すと、真名瀬はSIG550で確実に仕留めていった。
「 ―― 今の銃撃で此方の侵入は相手に筒抜けとなった。負傷者を後送させ、この場より速やかに離脱。……敵の所属が判ったか」
「第4114班ですね。完全侵蝕されていて、もう手遅れ状態でした。……間違いなく、大上はクロです」
 身を屈めて、探っていたWAiR隊員が振り向く。その声が上擦った。
「 ―― 隊長。敵魔人が此方を包囲しようと展開してきます」
 半身異化して、操氣系憑魔能力を行使した同僚は敵の動きを捉えてみせる。真名瀬達は射線を遮る位置へと素早く身を隠して狙いを付けた。
 相手側にも操氣系がいるのだろう。此方の動きを察知して動きを止めると、岩や樹を遮蔽物にして殺気だけを放ってくる。両者間に張り詰めた緊張の糸。膠着に陥った状況を無理矢理に動かしたのは、敵方の闇から歩み寄る1人の男。ボディアーマーに身を包んでいるとはいえ、銃口に身をさらけ出すなど無用心この上ない。だが何かの罠かと勘繰ったのか、WAiR隊長は発砲を制止。真名瀬は逸る気持ちを落ち着けて、引鉄から指を外した。
「 ―― 成瀬博士を逃がした事から、探りを入れにくるとは予測していたが……まさか西方普連という貴重な戦力を割いてくるとは思っても見なかったな。立花師団長の……いや加藤総監の見識か。さすがは激動の時代を生き抜いてきた歴戦の猛将……といったところか。後方 ―― 総監部から動けないとはいえ油断は出来ん」
 痩身の男 ―― 大上が、感心したように独りごちていた。
「大上陽太郎 ―― 貴様並びに第411普通科中隊を超常体と看做して『 処理 』する!」
 個人携帯無線で、射ち方用意の指示が下された。引鉄に外していた指を掛け直す。照準眼鏡を覗き込む真名瀬の瞳に昏い笑みが宿った。だが ――
「……面白い! お前達の力は我の糧になる! こい!」
 大上の叫びに、突如として憑魔が悲鳴を上げた。激痛に、WAiR魔人達が狂わんばかりにのた打ち回る。真名瀬とて例外ではない。紛れもなく、これは ――
「……きょ、強制侵蝕現象」
 高位上級超常体の群神/魔王クラス以上が用いるという、憑魔活性化を誘発する能力。セベクがした〈恐怖の咆哮〉のように完全無力化される程ではないが、一瞬でも精神集中が途切れ、また身体の自由が効かなくなったのは事実。大上に向けられていた銃口が逸れてしまった。
「……どうやら成瀬博士と接触をしてなかったか。私はアメン――七つの大罪が1つ“ 貪欲 ”を司りし大魔王。私の相手をするには用意が足りなかったようだな」
「ハッタリかますんじゃねぇ!」
 怒号を上げて、真名瀬はSIG550を乱射する。同じく立ち直った味方がBUDDYで斉射した。ボディアーマーを着込んでいるとはいえ無数の銃弾を喰らった衝撃で、大上の痩身が揺れ動いた。また数発は剥き出しの顔を間違いなく貫いている。しかし ――
「……死なないのか? そうか、異形系か!」
 異形系は半不老不死ともいうべき回復力を有する、殺しても殺しきれない怪物だ。更に一部の存在は身体組織を液状化して物理攻撃自体を無効化する。確かに大上へと衝撃は与えているものの、損傷は半減しているようだった。
「異形系ばかりではない。私の称号は“ 炎の大侯爵 ”―― 浴びるが良い、灼熱の炎を!」
 大上の頭部が変形し、梟と化す。牙の生えた嘴が開かれ、炎の舌が放射された。WAiR隊員が火達磨になって、隠れていた岩陰から転がり出る。
「……火炎系も持った複合能力体?」
「 ―― 炎だけではない。かつては太陽神と敬われた私には、こういう力もある」
 大上から眩い光が発せられると、暗視装置が焼き付いた。祝祷系もか!? 一瞬にして視力が奪われ、真名瀬は眼に痛みを覚える。操氣系隊員だけが大上の気配を感じ取って即座に対応した。氣を収束させて、刃を作り出すと迫り来る大上へと一気に振り下ろす! 回復した真名瀬の視力には、袈裟切りにされた大上の姿が映っていた。異形系とはいえ、大上の復元力はそう速くはないようだ。復元するより早く細胞全てを壊死させてしまえば、勝てないわけではないだろう。
 だがそんな期待を打ち砕くように大上は笑った。左肩から右脇腹まで喰い込んでいる氣の刃をものともせずに。操氣系隊員が逃げられぬように腕を掴むと、そして更なる変形を遂げる。―― 内からボディアーマーが弾けた。質量保存の法則を無視して、痩身は屈強で大柄なものとなり、狼のような獣毛に覆われている。そして蛇の尾が生えていた。
「 ―― 私が何故に“ 貪欲 ”の大罪を担っているか、知っているかな? “ 暴食 ”は喰らったモノから、尋常ではないほどの再生力や増殖力を得る。だが私は……」
 嘴が大きく開き、操氣系隊員に噛り付いた。悲鳴を上げる間も与えずに、音を立てて喰らい、そして飲み込む。血一滴残さずに、操氣系隊員は消失した。
「 ―― これで私は操氣系の力も得た。さすがに部下を喰らうのは気が引けるのでね」
 大上は掌に氣の塊を生み出すと、無造作に放り投げてきた。慌てて真名瀬は身を屈めたが、逃げ遅れた同僚が氣の爆発によって上半身を吹き飛ばされる。
「……喰らったモノの力を吸収し、そして我が物とする ―― これが“ 貪欲 ”の大罪だ。さすがにバールゼブブの“ 暴食 ”と違って、喰らうには直に接触しなければならないが」
( ……こんな奴に勝てるかっ! )
 真名瀬は内心で毒吐いた。確かに何の対策や用意も無しに相手をするには悪過ぎる。用意したところで勝てるかどうか。大魔王という肩書きは伊達ではない。
 それでも何か弱点はないかと、大上 ―― アメンを観察する。ふと胸元に、銀色に淡く輝くものを見出した。
( ……ペンダント? お守りとかドッグタグとか? いや、あれは ―― 鍵だ!)
 銀の、鍵。それが鎖によって繋げられ、アメンの胸元を飾っている。
「 ―― 撤退! ここはひとまず退却するぞ!」
 WAiR隊長の叱責に近い指示に我に帰ると、真名瀬は離脱を敢行した。逃げる同僚の背へと敵方から5.56mmNATOを浴びせられ、何人かが脱落する。だが全滅は免れた。
「 ―― さすがに、勢いに任せて無闇に追撃してくるような馬鹿ではないか」
 撤退の支援と、追撃してくる敵の側面を穿つべく隠れて罠を張っていた待機部隊が合流する。
「魔人が敵ってのは厄介ですね。しかも大上は百戦錬磨と評判です。多くの上級将校が陸自上がりの中で、数少ない隔離後に連隊長まで昇進した猛者ですから。……実は大魔王だったというのなら、その勇名も合点はいきますが」
「……いずれにしろ正攻法じゃ勝てる気がしないっすよ」
 真名瀬が漏らした悪態は、どうやらWAiR全員の正直な気持ちのようだった。

*        *        *

 欠けた月が弱々しく照らす海に、大潮が唸る。暗い玄界灘の上を、無灯火のまま回転翼機 ―― ハインドが飛んでいた。
 春日航空基地を出たハインドは、いったん南下して目達原に向かうと見せ掛け、背振山裾で反転 ―― 糸島半島を抜けて、沖ノ島に向けて北上する。直線でも60km以上はある距離に、山本は燃料が保つかどうか今更ながら心配になったが、
「ワニの戦闘行動半径は160km ―― 見せ掛けの航続距離も含めたらギリギリ……いやいや充分だよ、ヤマモトスキー」
 イェゴリーは茶目っ気を出して笑う。キャビンで待機している山本と後藤が冷や汗を掻きながら、顔を見合わせるしかない。
「……しかし野郎ばかりでむさ苦しいですね、山本組長。佐藤や宮元は駐屯地で留守番ですか……うう、女性2人を今頃独り占めしている雪村が羨ましい」
「雪村二士を誤解させるような発言は慎め、後藤。仕方無いだろ、沖ノ島は女人禁制の聖地なんだから」
 沖ノ島は玄界灘に浮かぶ周囲4km、高さ243mの孤島で、古代より航路の道標とされた神体島である。23ヶ所の古代祭祀遺跡が発見され、12万点に及ぶ神宝が出土された事から『 海の正倉院 』という異名を持つ。宗像三女神の1柱 ―― 多紀理毘賣[たきりびめ]を奉る奥津宮があり、かつて住人は奥津宮の神職1人だけであったらしい。
「 ―― 目的地が見えてきた。降下準備に入ってくれ」
 前方の副操縦兼射撃手席に座っているグレゴリーの言葉に、山本と後藤がBUDDYを抱えて身構えた。
「……守備する部隊の手堅い歓迎会でもあると思ったのだが。まぁ辺鄙な島に大規模な部隊は駐留していないという事か」
 イェゴリーが拍子抜けする程、沖ノ島は低空進入するハインドを静かに迎え入れる。それでもグレゴリーがレーダーを睨み、12.7mmYakB(前方射撃用旋回式4銃身回転式機関銃)の制御桿を握る。山本と後藤が慎重かつ迅速にキャビンから躍り出た。敵の迎撃は ―― どこからも無い。
「これならば佐賀上空を飛び回っているという“ 火の鳥 ”に対する警戒の方が辛かったなぁ。帰りに遭遇しなければいいけど」
 イェゴリーが安堵の息を吐きながら、軽口を叩く。
「 ―― 話を聞いた事はあるが、“ 火の鳥 ”って?」
 先週に目達原に現れた武器科WACの准陸尉が解説するに、不死侯 フォエニクス[――]という七十二柱の魔界王侯貴族が1柱らしい。ただし、かなりの気紛れなので、此方から喧嘩を吹っ掛けない限りは、たいてい見逃してくれるという暢気な魔王である。もっとも、ただ存在するだけでも憑魔の強制侵蝕を引き起こすというのだから迷惑極まりないのは確かだが。
「 ―― 危ないのは、救難捜索活動で飛び回っている山畠准尉ぐらいなものか……」「御無事で……」
 イェゴリーとグレゴリーの呟きに、山本は曖昧に頷くしかなかった。
 さておき後藤とバディを組んで、山本は奥津宮へと急ぐ。やはり守備隊はいないのだろう。また棲息していても可笑しくないのに超常体にも遭わず( 島に昔から生息していた動物はいた )、平穏無事に社まで辿り着く。扉を封じているのは ――
「……ウジャトの眼」
 本来は邪(蛇)視を防ぐ、魔除けの意味を成す紋様が刻まれていた。おそらく此れが封印の要。恐る恐る触れると、呆気なく消え去った。代わりに ―― 憑魔が活性化し、痛みと衝撃が走った。「……いや、大丈夫だ、後藤。この痛みは懐かしいものだ。―― 御尊顔を拝謁出来ます事を嬉しく思います、多紀理毘賣命様」
 山本が敬礼すると、慌てて後藤も倣う。敬礼を向けた相手 ―― 多紀理毘賣が微笑みを返した。海で焼けたような肌に、顔や胸元には魚鱗か、それとも海蛇を模した刺青が施されている。ムナカタは胸形。『魏志倭人伝』にいう黥面文身 ―― 全身刺青で潜水漁をしていた倭人が宗像族という説がある。そして多紀理毘賣は説の通り、胸元の刺青を露にし、海女姿ともとれる巫女装束に身を包んでいた。さらに多紀理毘賣からは、全体的に柔和な印象を受ける。母性とも取れるだろう。それはそうだ。
「山本組長。―― 美人ですね」
「後藤……言っておくが、命様は夫子ある神妻だぞ。……大国主命様を相手にする自信はあるか? ていうか、そもそも神様だっつーの」
 山本が釘を刺すと、後藤はうな垂れる。多紀理毘賣は朗らかに笑った。
「 ―― 何かお礼をと思うのですが、力ある宝は全て異邦の神々に奪われてしまいました。そして解放されたとはいえ、私も未だ力及ばず……申し訳ありません」
「いえ。命様のその言葉だけで苦労が報われた気が致します」
「ありがとう、優しき子よ。私の妹達もまた解放されれば、存分に力になりましょう。……妹の事を宜しく頼みます」
「 ―― はっ! 畏まりました!」

 山本が多紀理毘賣と邂逅を果たしていた時と同じ頃、風守もまた女神解封の為に行動を起こしていた。
 以前、潜入していた記憶を頼りに、駐日エジプト軍(※以下、駐日埃軍と略)が隠し持っている舟艇を確保しようとする。
 なお残念ながら、船舶及び飛行機の所有・運行は脱出阻止の為、国連並びに日本国政府によって著しく制限・管理されている。浅くて小さい河川を渡る手段としての舟艇はあるが、船舶の多くは超常体との戦闘で沈められたり、また脱出を阻止する者達の手で破壊されてしまったりしていた。そして船舶を操縦出来る者は限られており、彼等の存在もまた秘匿されている。船を操縦する技術自体が喪失してしまったのではないかと笑えない冗談もあるぐらいだ。当然ながら風守を支援するような操船技術者は何処にも見当たらない。風守は聞き齧りの知識と勘で、自身の手で舟艇を操縦しなければならなかった。
( 操船に不安はあるが……兎に角、確保が先決 )
 かつて大島へのフェリーが存在した神湊ターミナルを風守は探る。果たして、そこに目的の物があった。だが当然ながら ――
「ちっ! やはり、ここでも見張っていたか!」
 宗像における最大の脅威は、駐日埃軍の『 第111任務部隊(Task Force 111) 』ではない。高位上級超常体 バステト[――]の眷属たる猫こそが、最大の敵だ。小柄で隠密行動に優れ、俊敏にして獰猛。神湊ターミナルを根城にしていた猫は風守の姿を認めると、首を絞められたように鳴き声を上げた。
 風守の背筋を悪寒が走る。埃軍キャンプ地に殺気が膨れ上がり、殺到してくるイメージ。襲い掛かってくる猫に構わず、慌てて舟艇に飛び付くと風守はエンジンを掛ける。操舵輪を握ると発進させた。外洋への発進は初めての試みだ。波は大潮。命を捨てに行くようなものだと言っても良い。だが風守は恐れずに敢行した。
 忘れず、通り過ぎざまに他の舟艇へと手榴弾を放り込んでおく。破壊は出来ずとも追撃の遅延にはなるだろう。埠頭からの銃弾を尻目に、風守が操る舟艇は大島へと向かった。
 ……大島港に辿り着いて、舟艇を止める。上陸するなり、風守は溜まらずに吐いた。どんな悪路を駆け抜ける機甲科の偵察員といえども、時化った海への初渡航はさすがに酔ってしまった。命あるだけ儲けものだと思い直す。水筒をあおり、咥内を雪いだ。
 息を整えて、中津宮を目指す。往来の為に舟艇を隠し持っていたとはいえ、TF111が隠れ潜んでいるような気配はなかった。何よりも猫がいない事に風守は安堵する。
 そして辿り着いた社に手で触れ、封印として張ってある『ウジャトの眼』の紋様を消す。封じられていた 狭依毘賣[さよりびめ]が解放され、美しい身を顕わした。肌の線を露にした薄絹を身にまとっている、狭依毘賣から美しい微笑を向けられて、風守は暫し呆然となる。同時に頭の奥に掛かっていた靄が晴れた。
「 ―― 妾を封印から解き放ってくれた事に厚く礼をしよう」
 妖艶で、蠱惑的な笑みを浮かべる狭依毘賣は、下唇を舐めながら風守にしなだれかかってきた。神仏習合で弁財天に喩えられている狭依毘賣は、日本神話上で屈指の美貌を誇る女神だ。相手が神とはいえ言い寄られて悪い気はしない。だが緩み掛けた風守の顔を、酷氷なまでの殺気が引き締め直した。
「 ―― 待ちなさい。和也に先に唾を吐けたのは私よ。退きなさい、狭依毘賣。さもなければ……吟詠公の名と力に懸けて、完全に、殺して、やるから」
 カラクリ仕掛けの人形のように、ぎこちない動きで風守は殺気の方向へと振り向く。そこに居たのは第2種礼装に身を包み、無骨なATV(All Terrain Vehicle)に騎乗したWAC ―― ではなくアラブ風の衣装を纏い、駱駝の背に横座りした美女。波打つ茶褐色の髪に、金糸だろうか刺繍入りの黒いベルベットを纏っている。
「貴女は……いや、お前は、七十二柱の魔王が1柱、吟詠公グレモリー!」
 呻き声を上げる風守に対して、優しくも哀しげな笑みを返す グレモリー[――]。
「……記憶に施していた術が解けてしまったのね」
 だがグレモリーはすぐに険しい表情に変えると、鋭い視線を狭依毘賣に向ける。対する狭依毘賣は涼しい顔だ。小気味良く鼻で笑うと、
「 ―― 瑞穂(※日本の美称)の海流を司りし、妾を殺せば、汝といえども“ 堕ちた明星 ”から叱責は免れまい。汝等が殺さず、封じたに留めていた訳を、妾が気付いておらぬと思ったか。脅し文句にもならぬわ」
 だがグレモリーは顔を引きつらせながら、
「猊下の怒りを買うのは覚悟の上よ。―― でもね。和也は私のものなの。貴女に横取りさせないわ」
「随分と惚れ込んだものよ。しかし先に唾を吐けたとしても最後に決めるのは、この男子自身。外津神の汝より國津神の妾を選ぶに決まっておる」
 女神2柱の視線が風守に注がれる。間に挟まれて凍りついたままだった風守は、今まで味わった事の無い危険を感じ取って尻込みした。
「 ―― 和也は私のものよね? そうね、私を選んでくれたならば、この現身を好きにしていいわ。……それだけじゃない。憑魔核を与え、権天侯マルコキアスとして覚醒させて上げる……黙示録の戦いも、その果ても、私と和也はずっと一緒に過ごせるわ」
 グレモリーの眼が狂気に満ちているように思えた。対して狭依毘賣の瞳には、笑いが含まれているように感じ取れる。
( 狭依毘賣 ―― 絶対にグレモリーをからかって遊んでいる! とはいえ、どちらを選んでも危険極まりない! 俺は何処のエロゲー主人公だ!? というか、もしかして女難の相持ちか?! )
 とにかく、この場は ―― 逃げる! 数歩退いた後、風守は背を向けて全力で逃げ出したのだった。

*        *        *

 砂塵を撒き散らして停車した73式中型トラック。降車した零肆特務隊長に、幹部候補生学校長が渋面ながら出迎えの挨拶をする。
「 ―― 遠路はるばると御苦労だった。本官がこの前川原駐屯地を預かる……」
「うぜぇ」
 零肆特務隊長は一言吐き捨てると、躊躇せずに9mm拳銃SIG SAUER P220を発砲。学校長の身体が崩れ落ちた。
「なっ、何を ――!」
 愕然とする教官達に嘲りの笑みを浮かべると、後ろの荒くれどもに視線を送り、
「今、俺、狙われていたなぁ」
「狙われていやしたね」
「こいつら、抵抗する気満々だよなぁ」
「超常体信奉者確定ですね」
「幹部候補生学校丸々浄化しないと駄目だなぁ」
 狂気の笑みを浮かべて、零肆特務はBUDDYを構えると乱射した。機を取られた警衛達が反撃する間も無く、次々と射殺されていく。
「……正気か、貴様達?」
 地に沈んだ学校長が必死になって手を伸ばしてくるのを、零肆特務隊長は足蹴にして唾を吐く。
「ひゃっはーッ! 糞喰らえの懲罰小隊に監禁されて初めての粋な計らいだ! 立花陸将からの命令は『 みなごろし 』……殺して、殺して、殺しまくれ!」
 The order is only one. ―― The search and the destroy!
 解き放たれた狂犬どもは、手近な子羊達に牙を剥いた。幹部候補生達も必死になって応戦するが、戦場の経験と、重犯罪者特有の狂気に呑まれて、命を散らしていく。目前で友人を殺された男子候補生が、尻餅を付きながら命乞いをする。股間を臭気のある液体で濡らしていた。
「 ―― ま、待て。あんた達、超常体信奉者を探しにきたんだろう?! 教えるよ、石守だ! 石守妃美子と、その取巻き達が怪しいんだ! あいつらの所為で!」
「……そうか、協力を感謝する。でも助けてやるって約束した覚えは無いなぁ」
 含み笑みを浮かべて、9mmパラペラムを叩き込んだ。虐殺を繰り返していた他の零肆特務隊員が、近寄って耳打ち。
「 ―― どうも、妃美子って奴は結構なスケらしいですぜ。……その取巻き達にも超常体なんかより『 人間 』の、しかも男の良さを教えてやらないといけません」
 下卑た笑みに、零肆特務隊長は舌舐めずり。
「女を味わうのはヘマやって警務に捕まって以来だな。……知っているか? 死ぬ瞬間、女のアソコは得も知れぬ快感を与えてくれる ―― 戦場で殺しながら犯すっていうのを覚えたら病み付きになるぞ!」

 戦う事すら忘れて逃げ惑う、温室育ちの子羊達。泣いて許しを請う女子幹部候補生を押し倒すと、狂犬どもは股間から出した不浄のモノを引っ張り出そうとしていた。その頭部が跳ね飛ばされる。
 両腕を大鋏持つ甲殻類のそれに変形させた看護衣WACが醜悪なものを見る目付きで、零肆特務隊員に相対する。
「 ―― 異形系魔人!? て、てめぇ!」
 慌てて零肆特務隊員はBUDDYを構えようとするが、肩を撃ち抜かれて悶絶した。看護衣WACが鼻を鳴らす。
「デスクワーク派かと思ったら意外といい腕しているじゃねぇか、教官。……でも、どうせなら頭を撃ち抜けよ。馬鹿は死ななきゃ治らねぇんだからさ」
 看護衣WACは個人携帯短距離無線を通して、外から狙撃支援する成瀬へと文句を垂らす。
「おおっ、ラッキーヒットだよ! これでも僕は争い事が苦手でね。BUDDYなんて恐ろしくて堪らない」
 外部からの正確な単発射撃を放っておきながら、成瀬はそううそぶいた。
「……だが馬鹿どもの乱行は見るに耐えない。次からは考えておこう。だが今は出来る限り生かしておいて、可能なら零肆特務からアメンの関与の有無を聞き出したいのだ。立花陸将が大上の正体を知っていたか否かで今後の展開が大きく変わりそうでな」
「どうかな? アタイが大上ならば、こんな回りくどい事はしねぇよ。こいつらの背後には大上より悪意があり、狂気を孕んだ奴の臭いを感じる」
「 ―― それが君の能力かね?」
 だが看護衣WACは頭を振ると、
「いや……女の勘だ」
「ところで……君の名前だが、確か衛生科の……」
「 ―― セルケトだ。今は……それで頼む。人間の名前で呼ぶのは、アタイが平穏な日々が送れるようになってからにしてくれ」
 セルケト[――]は埃及でも旧い女神であり、豊穣と来世、そして復活を司る。意味は“ 呼吸させる者 ”。頭上に水棲昆虫タイコウチを乗せる姿で現されていた。だがタイコウチの別名が水さそりというところから、その後、女性の頭と蠍の身体を持つ姿で描かれるようになったという。
( それで甲殻類に似た外骨格をまとう姿に変形するのか。ヘケト ―― 瑠眞君と親友の間柄だったというのは同じ元が水棲生物だったからか? ついでに言えば、蛙も蠍も毒を持っているし)
 ただセルケトは、正体を知っている仲間に対しても、たいてい人間時の姓名で呼び掛ける。もしかして人間と神の線引きについて、ケジメをつけようとする彼女の表れかも知れなかった。
( 或いは、ヒトへの……平穏な暮らしへの憧れから来るものか )
 感心を覚えながらも成瀬は、幹部候補生を保護していくセルケトの狙撃支援を行っていった。

 憎悪の篭った視線で睨まれる。妃美子の取り巻き達から丸美は突き飛ばされた。
「 ―― 調べたわよ。丸美、貴女が最初に『 妃美子=卑弥呼 』なんて馬鹿な説を流したんですってね!」
「アンタの所為で石守が目を付けられたわ。仲が良かった女子の多くは言い掛かりを付けられて、アイツラにヤられたわ! ……アンタがヤったのと同じよ!」
 丸美は泣き崩れて謝るしかない。丸美としてはただの思い付きだったのだ。もしも言葉に魔法があるのならば、名前に力があるのならば、妃美子が卑弥呼であるという事に意味を持つかも知れない。……そんな、ただの思い付きだった。だが、それは裏返しとなって妃美子と ―― 彼女の取り巻き達に襲い掛かった。
 アヌビスが唸り声を上げて、丸美に襲い掛かる。組み伏すと、牙を剥き出しにして喉を噛み千切ろうとしてきた。それを止めたのは ―― 妃美子。
「アヌビス ―― いいのです。丸美を許して上げて。丸美に悪気は無かったのです。……でも、丸美。貴女とはここまでです。他の人達も。―― 今まで、ありがとう。……さようなら」
 取り巻き達へと深く頭を下げてから、見慣れぬ需品科少女とアヌビスを伴って妃美子は立ち去った。涙は見せなかったが、泣いていたのは間違いない。
「妃美子お姉さま……御免なさい、御免なさい」
 泣き崩れる丸美へと、取り巻き達は侮蔑と嫌悪、そして怒りの視線を注ぐ。零肆特務の狼藉から逃げ、隠れ潜む為に足早に去った。唯独り残された丸美はいつまでも泣き崩れるだけだった……。

 あらかた幹部候補生を救出・逃亡させた成瀬達は、妃美子達や戸渡と合流。打ち合わせていた場所に着くと、コンスが疾風を用意して待っていた。
「 ―― 随分と用意がいいな」
「偶然にも『 放棄されていた 』車輌が残されていましてね。何処も故障が無いのに、不思議なものです」
 コンスが冷笑を浮かべるが、妃美子は瞑目して感謝の意を表すと、
「……ある御方の厚意です。心苦しいですが、その御方の厚意に甘えたいと思います」
 乗り込んで発進させるが、門は車輌による脱出を阻止すべく零肆特務が先回りをして封鎖していた。目に残虐な光を湛えると零肆特務隊長が84mm無反動砲カール・グスタフを向けてくる。
「石守……いや、王妃イシス様。―― 王家の幸いが貴女にあらん事を」
 戸渡が頭を下げた。勘付いた周りが止める間も与えず、荷台に仁王立ちになると戸渡は氣の衝撃波を放つ。強い衝撃波の威力は、特務隊長を吹き飛ばしただけでなく出入り口を封鎖していた73式中型トラックすらも横転させる。―― その時、コンスが酷笑を浮かべるのを、成瀬は確かに見た。
 疾風は戸渡が放った衝撃波によって生じた間隙を抜ける。戸渡が跳び下りるのを、今度も止められなかった。妃美子が声を上げるが、戸渡の応えは軽く手を挙げるのみ。そして ―― 爆発が生じた。

 前川原駐屯地 ―― 幹部候補生学校はこの日を以って閉鎖された。零肆特務は『 突如として 』現れた高位上級超常体( ※後日、“ 大いなる導き狒狒 ”トートと呼称される )を倒したものの、損害激しく隊長以下数十名が『 戦死 』して壊滅した。生き残った教官、幹部候補生達も、当時沈黙を保っていた久留米駐屯地に移籍する事で有耶無耶にされた。それは彼等が今まで庇護してくれた温室と、エリートとしての未来を失った事を意味していた。
 そして丸美は……放棄された前川原駐屯地で心無くしたかのように、今はただ立ち尽くすだけだった。

 広川中核工業団地跡 ―― 久留米駐屯地から南下する事、およそ3km先にある廃墟群に、成瀬とラー神群穏健派は隠れ潜んでいた。
「さて、これから君達はどうするかだが……」
「アポピスを何とかしなくてはなりません。アポピスの脅威に比べれば、遊戯の勝敗はもはや問題外ですから。……セトとホルスを説得しなければ」
「おいおい。オシリス復活は諦めるつもりかよ! あれだけ復活の儀式を行っておいて。第一、オシリスを誰よりも復活させたかったのはテメェ自身だろうが、妃美子!」
 声を荒げるセルケトに、妃美子は暫く沈黙。噛み締めていた唇から赤い血が零れ落ちた。それでも、
「私は、直方に向かいます。既にホルスやセトへと攻撃が加えられているでしょうが、それでも共闘の道を開きたいのです」
「解った。そこまでテメェが言うんなら、アタイは文句言わねぇよ。オシリス復活は諦め……って、おいおい、これをアタイに渡すなんて何考えてんだ?!」
 妃美子は今まで大事に抱えていた、長さ30cm・太さ直径5cmほどの丁寧に包帯を巻かれた竿状のモノをセルケトに預けた。成瀬はいぶかしんで眉を潜める。
「……それは一体?」
「イシス様の寂しい独り寝を、お慰めしていたモノですよ」
 コンスの言葉に、需品科少女 ハトホル[――]は顔を真っ赤にし、セルケトは声を荒げた。コンスは済ました顔で、
「正直に申し上げますと、オシリス様の憑魔核の一部 ―― 陽根です。これは復活の鍵になります」
「伝承では魚に喰われたとあるが……?」
「まぁ伝承は、あくまでも伝承ですから」
 セルケトは苦虫を潰したような顔のまま、
「妃美子! テメェの愛しいモノをアタイに預けるなんて、何を考えてんだ!」
「 ―― 王復活はセルケトとコンス、貴方達に任せます。私はハトホルとアヌビスを連れて直方へ」
 冷静な表情を変えずに、妃美子は告げる。成瀬が質問の挙手。
「……オシリスの本体が隠されている場所が、解っているのかね?」
「 ―― 残念ながら確信はありませんが、ただ岩戸山古墳が怪しいと思っています」
「磐井の墓か。確かに王の本体が隠されている場所に相応しい。ここからならば徒歩でも充分に辿り着けるしな。……ふむ?」
 成瀬は首を傾げた。
「名前を上げられていなかったが、僕は何をすれば良い? 直方へのお供か、それとも岩戸山古墳か」
「教官の自由です。今までの御厚意は感謝していますが、これ以上は無理強いする訳にも参りません」
「はっはっは。それは聞きようによっては、体のいい厄介払い ―― 仲間外れだな。いやいや、君にそのつもりが無いのは解っている。が……困ったものだ」
 いざ自由を与えられても困ってしまう。他にも、別府で挑むか、博多を探るか、それとも……。いずれにしろ時間が無い。成瀬は頭をめぐらすのだった。

*        *        *

 飯盒に盛られた熱々の戦闘糧食II型No.9 ―― 通称パック飯・牛丼を美味そうに貪り食う、第40普通科連隊第41中隊の生存者達。発見した際には、さながら地獄図に描かれる餓鬼の群れであった。
「 ―― 救助、感謝致します」
 腹を満たして眠りに付く隊員達の中で、一人、眼の下に濃い隈を作った男が、山畠に感謝の最敬礼を送ってきた。生存者達を率いていた三等陸曹だ。
「なに、孤立した部隊の捜索活動は、正当な私の任務だ。砂漠化で分散している戦力を集結させ、一刻も早く指揮統制を回復しなければならないからな」
 ついでに壇ノ浦調査に向かう鹿島を、九州自動車道めかりPA(パーキングエリア)跡地に送り届けた山畠達は、本来の戦闘捜索救難活動を北九州市から開始した。飯塚救出・奪還作戦へ出動したものの合流を果たせずに消息を絶っていた小倉駐屯地の第40普通科連隊本隊の捜索である。
 果たして、八幡IC(インターチェンジ)で生存者を発見。ペイブロウに保護したのである。
「……飯塚駐屯地の救出に向かった我が隊は、直方市で極大型の超常体と遭遇。―― 顕現半ばでありながら奴は、その特殊能力によって我が隊を壊滅させたのです。砂漠化や、負傷者を多く抱えて、移動も困難。武器弾薬も乏しく、明日をも知れぬ命でした」
 三曹の状況説明と、現在、直方市で展開中のセト攻撃作戦の事前報告が合致する。間違いなく第40普通科連隊は飯塚救出の移動中に、直方市で顕現中のセトと遭遇し……壊滅していたのだ。
「奴の周囲では全ての動力機関が沈黙しました。その為、疾風やクーガーは停止。また極寒で多くの仲間達が凍り付き、震えたまま死んでいくのを忘れません」
 脳裏に焼き付いた地獄図に三曹が震える。だが山畠は聞き捨てならない報告に顔をしかめた。
「……待て。全ての動力機関が停止しただと?」
「はい。瞬間的な爆発や衝撃等は兎も角、持続すべき動力源は全て停止しました」
「……となれば、装甲車だけでなく、戦車や自走砲等は棺桶にしかならないという事だな。電気系統もまともに動くか、怪しいぞ」
 航空機に到っては、セトに近付く事すら出来ない。
「ミサイルや砲撃での攻撃は出来るのだな?」
「 ―― 可能でした。しかし厚い外皮の前に、有効打になっていたかどうかは……」
「 ―― セベク以上の防御力はあるという事か」
 現在、セト攻撃部隊の主力は、第19普通科連隊と特科混合大隊である。野戦特科の砲撃は有効打になるだろうが……牽引するトラック等の機動力が失われれば、固定砲台としての役割しか担えない。電気系統も停止するとなれば、コンピュータ制御による照準調整は不可能。そして普通科隊員達の多くは飯塚の灼熱地から、直方の極寒地に対する装備変更をしていない。
「……捜索活動どころではなくなったな。大蔵三曹だけでは、救援がおっつかなくなるぞ」
 山畠は捜索活動を打ち切ると、直方市への航空支援に向かおうとする。山畠の後ろ姿に、三曹が恐る恐る声を掛けた。
「……飯塚救出活動は成功したのですか? 陥落前に第42中隊が先行していたと聞いているのですが」
「火狩一尉の部隊か……ああ、彼等のおかげで多くの人命が救われた。飯塚は無事に奪還しているよ。―― そろそろ君も休め」
 安心させるように言い聞かせると、三曹は毛布に包まってすぐに寝息を立て始めた。山畠は航空ヘルメットFHG-2改を被ると、
「一度、芦屋航空基地に寄って負傷者を下ろす。上空で旋回待機中のスーパーホーネットの燃料も補給だ ―― こういう時、STOLで無いのが恨まれるな」

 負傷原因の多くが低体温症 ―― 凍傷である。冷え切った身体を毛布でくるみ、衛生科隊員達は、凍り付いた部位を慎重にマッサージした。中には指先や鼻がもげ落ちた者もおり、下手に暖めた事で血塗れにさせてしまう。
「負傷者を乗せたら、すぐに後送する。エンジンはまだ活きているか!」
 ウェインが怒鳴り上げると、焦った顔で部下は何度もエンジンキーを回していた。
「バッテリーがもう死にそうです!」
「何とかしろ! いざとなれば手で押し、引きずってでも負傷者を運ぶぞ」
 自分でも無茶を言っているとは解っていたが、そうでもないと助かる命も助けられなくなる。遠くにのさばっている元凶を睨み付けた。
 西洋に伝わる竜によく似た極大型の超常体セト。首は蛇のように長く、土豚にもロバにも似た醜悪な顔付きをしている。天蓋を覆うほどに大きな翼を広げ、もうすぐ顕現を果たそうとしていた。セトの特殊能力〈渇きの風〉―― 周囲の運動力量や燃焼をはじめとする化学反応と、それにより生じる熱を奪い、我が物とする力が攻撃部隊を半壊状態に陥らせた。更には憑魔の強制侵食現象で、魔人の多くが脱落。 「 ―― 防寒装備の不用意が、何よりも今回の作戦の失敗だ。〈渇きの風〉ってのを舐め過ぎていた。……考え無しの上層部が殺したも同然だぞ!」
 直方市一帯へ下手に踏み込むのは、蟻地獄か底無し沼に自ら飛び込み、そして引き摺り込まれていくようなモノ。ウェインの眼前で地獄の光景が広がっていた。
「更に言うならば、あの糞っ垂れの隼だ!」
 ウェインの怒声に呼応した訳では無いだろうが、セトの上空では黄金の隼ホルスが翼から光線を発していた。扇状に拡散した光線の多くはセトに命中するが、厚い外皮により致命傷にまで到らない。憎しみの篭った目でホルスを睨み返すセト。またお構い無しにホルスの流れ弾は、周囲に展開していた攻撃部隊にも牙を剥く。被弾して壊滅した部隊も十は下らない。
「……交渉出来るなんて、私が甘かったのです」
 対空自走砲2S6統合型防空システム『ツングースカ』の車長席で業子が眉間に皺を寄せる。ロシア製のおかげか、エンジンは寒冷に未だ耐え忍ぶ事が出来ているが、既に電子機器(レーダーとコンピュータ)は沈黙している。暗闇の中、じわじわと押し寄せてくる寒さに震えながら、業子は唇を噛んだ。
 ホルスと共闘を試みようとする業子の主張だが、交渉手段が提示されていない事から攻撃群長(第19普通科連隊長:一等陸佐)に却下された。
 共闘態勢がなし得ないまま、包囲していた攻撃群はセトとホルスの戦いに巻き込まれてしまう形になる。だが、それでも当初ホルスの攻撃は拡散したものでなく、セトだけを狙う指向性の強いものであった。流れ弾による攻撃群への被害はあったが微々たる物。しかしホルスに対する意思統一を果たしていなかったばかりに、高射特科は地対空誘導弾『改良ホーク(Homing All the Way Killer)』でホルスも攻撃。以降、ホルスは攻撃群も敵と看做して光線を拡散してきた。
 懸命に普通科隊員がM2重機関銃キャリバー50を空に向けて弾幕を張っているが、高速で上空を飛び回るホルスにはかすりもしない。
 セトやホルスだけではない。新たな超常体の群れが攻撃群へと襲い掛かってきた。後に、バビ(※『死者の書』に著された悪魔。セトの陪神もしくは別名。男根を勃起させた狒狒の姿で描かれる)と名付けられる事になる超常体は、体長2〜3m程の猿に似ており、厚い皮と深い毛で覆われており、極寒でも動きが鈍っていない。その巨体に似合わぬ俊敏な動きで次々と寒さに震える隊員達を爪で引き裂き、牙で噛み千切り、拳で打ち殺していった。ツングースカ2機の2A38M二連砲身式自動機関砲、計4基が弾幕を張る事で何とか凌いで見せるが、レーダーとコンピュータ制御無しでは心許ない。
 そして ―― ついに、セトを覆っていた“ 歪み ”が消えた。……セト完全顕現。喜びにセトは咆哮を上げ、広げた翼で再び大気を打つ。
「 ―― 急いで後退しなさい!」
 怒声を上げた業子に、操縦士はツングースカを急いで後退させる。急激に温度が奪われていく空間から間一髪でツングースカは回避出来たが、逃げ遅れた牽引トラックが凍り付き、隊員の多くが氷の彫像と化した。
 巨体を揺るがすと、鎌首をもたげてセトは口を開く。ホルスもまた怪鳥音を上げて嘴を開いた。互いの咥内から放たれた攻撃が中空で衝突し、大爆発を起こす。衝撃波を受けてセトとホルスが互いに呻き声を上げた。余波に吹き飛ばされる攻撃群の面々。
 さすがに傷を受けたのか、悔しげにホルスは鳴くと東の鷹取山方面に飛び去っていく。セトもまた重たげに首を下ろすと皮翼を畳んで、バビの群れに護られながら眠りに付いた。
 攻撃群は包囲を大きく広げると、死傷者の回収と今後の作戦について再考を迫られる事になったのである。救援に駆け付けた山畠は惨状に呻くと、
「 ―― 宗像の三女神が早く解放されて、セトの力を抑制してもらわないと、話にもならんな……」

*        *        *

 北九州市・門司区の北、田ノ浦海岸で鹿島は、周防灘 ―― 壇ノ浦を望んでいた。この海底に『 神殺しの武器 』が一振り、天叢雲剣が眠っていると考えた鹿島は、確かめに来たのである。
 源平合戦を描いた『 吾妻鏡 』において三種の神器(天叢雲剣=草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)が海に没したとある。鏡と勾玉は回収されたものの、後白河法皇の命による20回以上にも及ぶ探索が行われたが剣はそのまま紛失されたまま。もっとも、これには異説があり、宮中に有ったのは勾玉だけで天皇の即位に際し渡される神器は、須賀利御太刀(天叢雲剣のレプリカ)及び内侍所の御鏡(八咫鏡のレプリカ)とされ、天叢雲剣=草薙剣を御神体として祀る熱田神宮や、鏡を祀る伊勢神宮より外に持ち出された記録は無いという。この為、壇ノ浦に沈んだのは須賀利御太刀だとする。
( だが天叢雲剣が本当に力ある剣なら、源平の時代でも平氏が自分で所持しておこうと思うだろう )
 そう強く信じた鹿島は、少なくとも手掛かりだけでも入手すべく壇ノ浦を望んでいた。……が、
「……しまった。本当に壇ノ浦に沈んでいたとしても、引き上げる為の用意を何もしてなかったんだよなぁ」
 頭をうな垂れた。複雑な潮の流れを御するような船舶も無く、また潜水用装備一式も無い。さらに駐日外国軍が部隊を派遣していれば限りなく黒だと思っていたが、その気配も無い。
「ただ……手掛かりというか、度々ここで戦闘が生じているという目撃情報は、守備隊から得ているんだが」
 本州と九州を繋ぐ関門橋(と関門トンネル)は陸路の要の1つである。門司城跡にある古城山無線中継所に駐留する門司側の関門橋守備隊は、田ノ浦海岸で激しい戦闘の目撃報告を寄せてくれた。関門橋に直接被害が及ばない為に、看過しているそうなのだが……。
「手掛かりには違いないが……でも何にも無いぞ?」
 空振ったかと落胆する鹿島は諦めて去ろうとした。その時、
「 ―― 天叢雲剣を手に入れるべく『 落日 』がまたもや来たかと思いきや……ただの間抜けか」
「誰が、間抜けか!? 誰が……って、誰?」
 思わず鹿島が振り返り、そして言葉を失った。視線の先には、黒いナチス武装親衛隊風軍服をまとった男装の麗人が大蛇に乗って中空に浮遊している。
「で、でで、出会いが来たー!」
「何を騒いでいる、間抜け」
 冷たい眼差しで鹿島を見下ろす、黒衣の麗人。
「間抜け、間抜け言うな。私には鹿島貴志という名前がちゃんとある! 貴方こそ名乗れ!」
 半ば自棄気味に言い放つと、律儀に返してきた。
「そうか。―― 本官はアスタロト。他者からは“ 恐怖公 ”と呼ばれる事もある」
 恐怖公 アスタロト[――]? オカルトや超常体知識に詳しくない鹿島にも、確かかなり高名な魔王だった記憶がある。“ 七つの大罪 ”を司りし大魔王に限りなく近い実力の持ち主。騙りであろうと何であろうと、鹿島の血の気が一気に引いた。震えを押し隠して、
「アスタロトという大物が出てきたならば……やはり当たりか。壇ノ浦に天叢雲剣は沈んでいる!」
 鹿島の呟きに、だがアスタロトは鼻で笑うと、
「やはり ―― 間抜けか。何も知らずに本官と相対しているところを見ると『 落日 』ではないな」
「間抜け、間抜け言うなーっ!」
「では問うが、貴様はいつまでも天叢雲剣という『 神殺しの武器 』がそのまま放置してあると思っているのか? 貴様等の手に入らないように、既に回収されていたり、封印されていたり、あるいは……破壊されていると考えた事は無いのか?」
 言われてみれば、その通りである。高位上級超常体 ―― 群神/魔王クラスが自らの脅威になるモノを看過しているはずが無かった。
「では……?」
「そうだ。貴様が求めるもの ―― 天叢雲剣は、本官の手にある。これを巡って本官と『 落日 』とは度々奪い合いを繰り返しているのだ」
 十戦中、五勝二敗三分との事。守備隊が報告した激しい戦いとは、アスタロトと、その『 落日 』なる存在との遣り取りであろう。つまり天叢雲剣を手にするには、鹿島もアスタロトと戦わなければならないという事だ。―― 冷や汗が流れた。それでも、
「そうかい……つまり貴方を倒せば手に入るという訳だな!」
 P220を素早く抜くと、鹿島は果敢に撃ち放った。だがアスタロトが左掌をかざすと、9mmパラペラムは全てありえない方向に曲がっていく。
「良い度胸だ ―― 決して独りでは勝てぬ相手と知りながらも果敢に戦おうという、その勇気。敬意を払い、本官が全力を以って相手をしよう」
 軍刀を抜いて残酷に笑うアスタロト。茜の柔和な微笑が、鹿島の脳裏を走馬灯として横切る。迫り来る死を目前に、奥歯を噛み締めた。が、
「……とはいえ、誰の力も借りず、導かれず、命じられず、ただ己の力だけで欲するままに行動したところは好ましい。―― 面白い。持っていくが良い」
「……はぁ?」
 抜いた軍刀を鞘に納めると、そのままアスタロトは呆然とする鹿島へと放り渡してきた。
「……何を考えている?」
「言っただろう。『 面白い 』と。本官が持っていても、『 落日 』と面倒な奪い合いを繰り返すだけだ。それならば、貴様に渡してしまった方が面白い事になる」
 鹿島は眉間に皺を寄せながらも、渡された軍刀を抜いた。眉の端が跳ね上がる。広刃の直剣であるが、
「真ん中から綺麗に割れている……」
 どうやったのか知らないが、美事なまでに中心から分かたれており、片刃となっていた。
「もう片刃 ―― 草薙剣は熱田に隠されていたと本官は聞いている。今や誰の手にあるかは知らないが、両刃を合わせれば、真の『 神殺しの武器 』となるだろう」
 腕を組んだアスタロトは覚えの悪い部下に言い聞かすように鹿島に助言してきた。
「もっとも片刃だけでも充分に力ある。……だが一応忠告しておこう。『 神殺しの武器 』といえども全てが全て万能では無い。相生相剋により、相手に致命傷を与える事もあれば、効かぬ事もある。……それに使い手の技量もまた左右する。貴様にそれほど剣術の腕があるとは思えないが」
「 ―― 放っとけ」
「それから天叢雲剣を持っていると『 落日 』から確実に目を付けられる。貴様が歩むのは修羅の道だ。それは皇位継承の証でもあるからな」
 思わぬ言葉に鹿島は唸る。
「天叢雲剣が皇位継承の証というのは知っているが。しかし何故『 落日 』とやらが?」
「……『 落日 』はアマテラスに忠誠を誓っており、彼の神に仕える異生(ばけもの)からなる決戦部隊だ。皇位継承の証を放っておく訳が無い。今までは本官と奪い合っていたが、次から狙われるのは貴様になる。―― 悪い事は言わない。貴様の手に負えないと思うならば、潔く放り捨てるのも一つの道だ」
 言い放つとアスタロトはもう興味無いとばかりに、硫黄臭と爆発音を残して姿を消した。
『 ……もしも貴様に力あるならば、黙示録の戦いで遭い見える事になるだろう。愉しみにしているぞ 』

*        *        *

 第4師団長、立花巌陸将は陸自時代からの生き残りであり、自尊心が強くて我欲に満ちた人間ではあるが、それでも無能と言い切れない。少なくとも1個師団を預かるぐらいには能力のある男なのだ。
 だが最近の立花陸将は変わったと、師団本部付きの隊員達は口を潜めながらも証言する。安全な後方だが、周囲の目を浴びる為に作戦会議室でふんぞり返っている事が多かった彼にしては、ここ最近、執務室に篭りがちである。室内は厚いカーテンで陽射しが遮られており、照明も薄暗く、報告や食事を届ける者も長居させない。トイレや風呂にすら行っていないのではないかという噂が立つ程だが、その癖、室内からは人の気配がしないらしい。
( 怪しい……というレベルを行き過ぎているよ )
 天井裏に忍び込んで狭い空間を這いずり回る。古典的だが、有効的な手段には違いない。もっとも燃料不足の神州ゆえに電気系統の警備機能が失われているとはいえ、曲がりなりにも師団司令部施設だ。当然ながら天井裏にも防衛設備や罠が仕掛けられている。死ぬ目に遭いながらも潜り抜ける事が出来たのは、隠密術だけでなく体術も体得していたからだろう。
 目的の頭上に辿り着いてようやく安堵の息を吐く。だが直ぐに気を引き締めて、眼下を覗き込んだ。警衛からの言葉によると、現在も立花陸将は執務室に篭っているはずだ。だが……。
( ―― え? 灯りが点いていない?)
 薄暗い室内に、人の気配は全く無かった。扉の外で待機している警衛に忍ばせていた盗聴器からも、立花陸将が外出したという様子は無かったはずだ。執務室に隠しマイクやカメラを仕掛けるならば絶好の機会と言えなくも無いが……。
 暫く逡巡したものの結局、静かに室内に降り立った。愛用の日本刀を握り締めて、室内に視線を巡らせる。―― 誰も居ない。
 机上には書類1枚も無く、ただ奇妙な金属製の箱が安置されていた。いぶかしみながらも触らずに、引き出しの裏に盗聴器を設置した。長居は無用とばかりに再び天井裏に戻ろうとしたその時、
「 ―― 用は何か、雪村聡二等陸士?」
 名前を呼ばれて雪村は驚いて振り返る。誰も座っていなかったはずの椅子に、最初から居たかのように立花陸将が微笑んでいた。
「まさか君が来るとは思っていなかった。……やはり不確定要素があるからこそ遊戯は愉しい」
 紛れもない立花の声色と口調だが、怖気を感じる。戦友のように第六感がある訳ではない。しかし躊躇わず雪村は日本刀を抜き放った。
「……あんた、誰だ? 本物の陸将を何処へやった?」
 暗闇の中、なお昏い何かが立花の ―― 否、立花の姿をしたナニカに纏わり付くようにたゆなっている。また机上の箱もいつの間にか蓋が開かれており、中から『 黒い 』というこの世のものではない光を放って輝いていた。赤い筋の入った、殆ど黒に近い多面体。一つ一つの面が不規則な形をとっている。
「 ―― あんた、誰だ!?」
 狂気を孕んだ絶叫の如き声が、知らずに雪村の口から漏れた。叫びに扉の外から警衛が激しくノックしてくるが、それすらも雪村は遠い世界のように感じる。立花の姿をしたナニカも警衛を招くような事はせず、ただ感慨深げに頷くのみ。
「前川原にも十二分に混乱と狂気、そして殺戮が撒かれた。立花陸将の姿を借りるのもこれぐらいで良いだろう」
「 ―― 質問に答えろ」
 狂気に駆られて斬り掛かりそうになるのを、理性が必死になって押し止めてくれている。奥歯を噛み締めると、雪村は荒い息を吐いた。
「立花陸将ならば喰ったよ。余り美味くなかったがね。―― 風守君が教えてくれなかったかね? 私、いや僕こそが……」
 立花陸将の姿をしたナニカが言葉を放つと同時に、扉の錠が破壊されて9mm機関拳銃エムナインを構えて警衛達が跳び込んで来る。だが雪村はナニカから目を離す事が出来ず、逃げるなんて考えもしなかった。警衛もまた雪村の存在より、
「 ―― 立花陸将、無事ですか!? ……ひぃっ!」
 狂気を孕んだ悲鳴を上げた。腰を抜かし、尻餅を付きながらエムナインを乱射する。9mmパラペラムは立花の姿を穴だらけにするが、ナニカは何事も無く、ただ身体を泡立つ泥塊のように変形を始める。
「 ―― 衣替えには具合良く穴だらけになってしまったよ。……やはり、この姿の方が良いな」
 浅黒い肌に、掘りの深い顔立ち。「高貴」という言葉が相応しいスーツ姿の男。雪村が絶叫した。
「――“ 這い寄る混沌 ”ニャルラトホテプの化身が1つ、“ 黒の王 ”!」
「如何にも! だが親しみを込めて、ネフレン・カと呼んでくれても構わないよ?」
 嘲笑う“黒の王(ブラック・ファラオ[――])”の右掌に、手品のように大型拳銃が収められていた。50アクション・エキスプレス弾を放つハンドキャノン ―― IMIデザートイーグル。抗弾チョッキを着ていても、その威力の前にはなすすべも無い。雪村は素早く跳んで遮蔽物に身を隠す。デザートイーグルが咆哮を上げると、逃げ遅れた警衛の1人が打ち倒された。
 素早く床を蹴り、雪村は遮蔽物を踏み台にして飛び掛かった。日本刀を一気に振り下ろす。刃が袈裟切りに食い込んだ。だが“ 黒の王 ”の嘲笑が耳朶をくすぐる。
「 ―― 哀しまなくても良いよ? 斬撃が効いていない訳ではないからね。再生の速度を上回る攻撃を受け続ければ、いずれ形を成す事が出来なくなる。ただ僕はこの痛みを、傷を愉しんでいるんだ。……生来的なマゾヒストかも知れないね?」
 からかうような含み笑いに怖気を感じて雪村は離れた。“ 黒の王 ”の傷口が黒く泡立ち、ふさがっていく。そしてゆっくりと近付いてくる“ 黒の王 ”に、
「 ―― 逃げるよ!」
 指で手榴弾のピンを弾くと放り投げた。空中で安全レバーが外れ ―― 閃光と衝撃が走る! 初めて怒りと憎しみに満ちた絶叫が“ 黒の王 ”から上がった。
 まだ息のある警衛に肩を貸して、逃げる雪村。今まで何処に隠れていたのか、待機していた鈴鹿がBUDDYで援護射撃してくれた。一度だけ振り返る。執務室の闇に引き篭もっていく“ 黒の王 ”の身体が閃光を浴びて爛れているのが、確かに映ったのだった……。

 

■選択肢
Eg−01)直方市方面でセト攻撃
Eg−02)直方市方面で対ホルス
Eg−03)直方市方面でイシスと
Eg−04)宗像辺津宮の女神解放
Eg−05)別府駐屯地の大上打倒
Eg−06)博多で“黒の王”挑戦
Eg−07)岩戸山古墳で探索活動
Eg−FA)北九州の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 直方市一帯・別府駐屯地・福岡駐屯地では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、死亡率も高いので注意されたし。

※註) Special Boarding Unit:特別警備隊 …… 現実世界においては2000年に発足した海自の特殊部隊。不審な船舶に移乗し、制圧・武装解除し、積荷に武器や輸出入禁止物品が積載されていないか検査する。
 神州世界では2004年に発足され、沿岸部における特殊超常体殲滅活動に従事している、数少ない操船技術や水中作戦の専門家達として設定。


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