第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 第5回 〜 北九州:埃及


Eg5『 大 海 嘯 』

 警務科の取調室に続く廊下の先から、無言でWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)が現れる。固唾を呑んで見守る男達の前で、紙を広げた。
 ―― 判決、無罪
 拳を握り締めて喜ぶ一同を前にして、WACに隠れるようにいた 雪村・聡(ゆきむら・さとる)二等陸士が軽く癖の付いた茶色っぽい長髪を弄りながら、照れながら笑ったのだった……。
「 ―― 私が思うに、雪村二士は宮元二士に好かれているのかねぇ?」
 鹿島・貴志(かしま・たかし)三等陸曹の何気無い言葉に、隣でお茶を飲んでいた 山本・和馬(やまもと・かずま)三等陸曹が思わずむせる。
 博多・福岡駐屯地にある会議室の1つ。情報交換や今後の計画の為に集まったのだが、食事を取りながらでは、先ずは下世話とも取れる男女間の事情から始まるのはお約束かも知れない。
 福岡駐屯地を覆っていた狂気と闇の気配は薄れているが、元凶たる“ 這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”の化身“ 黒の王ブラック・ファラオ[――])”が去った訳ではない。凝縮した闇と狂気は今なお福岡駐屯地の奥深く ―― 第4師団長の執務室に居座っている。
 神州結界維持部隊西部方面隊・第4師団長、立花・巌>[たちばな・いわお]陸将が“黒の王”に殺され、擬態されていたという雪村からの報告は直ちに福岡駐屯地の上層部に伝えられた。残念ながら未だに砂漠化と伴う砂嵐による電波障害で熊本・健軍にある西部方面隊総監部とは連絡が取れていない。方面総監の 加藤・忠興[かとう・ただおき]陸将からの指示を仰ぐ事が出来なかったが、それでも執務室を包囲するように、続く廊下にバリケードが築かれ、外にも狙撃手が配置されており、一部区画を除けば駐屯地は平穏と言っても良いだろう……今のところは。
 だが“黒の王”の正体を露見せしめたとはいえ、雪村が、師団長の執務室へ忍び込んでいたのは事実。当然ながら問題になったものの、雪村は高位上級超常体出現の急を強く押し出し、また元・警務科である 宮元・鈴鹿[みやもと・すずか]二等陸士の尽力もあってウヤムヤにされたのである。
「……いや。どうでしょう? 何しろ、宮元二士は表情が読めず、何を考えているのか」
 鈴鹿と同じく、山本の部下である 後藤・辰五郎[ごとう・たつごろう]二等陸士が口を開く。
「……まぁ、恋愛関係になったとしても、雪村二士は絶対に尻に敷かれるものだと ―― ウワッチチ!!」
「 ―― 失礼しました。手が滑りましたので」
 静かに歩み寄っていた鈴鹿に、ヤカンの熱湯を頭から浴びせられて、後藤がのた打ち回る。
( ……大分でハチヨンを心なしか嬉々して構えていた時といい……躊躇も容赦もしないな、この女)
 状況を思い出して、山本は頬を強張らせた。
「 ―― 山本組長、何か?」
「いや、全然、サッパリであります、はい」
 何故か目下の鈴鹿に敬語を使いつつ、山本は即答する。独りだけ違う弁当を食べていた、第3対戦車ヘリコプター隊・第347組長の宮野太郎こと イェゴリー・アレクセイエビッチ・アレンスキー(―・―・―)一等陸曹がいぶかしむ。
「 ―― いや、でもヤマモトスキー。本当に顔が暗いぞ。何か悩み事でもあるのか? 力になれるかどうか判らないが、僕に話してみなさい」
「いや、その。……どうして俺自身には浮いた話1つも無いんだろうなぁて」
「はっはっは。それか。ならば、僕とかみさんの馴れ初めを聞かせるから、何かの参考にでも……」
「そうやって愛妻弁当を食べながらノロけられても困るぞ、イェゴリー。……というか、その話は聞き飽きたから、やめてくれ」
 イェゴリーの相棒、グレゴリー・イワノビッチ・スコルトフ[―・―・―]陸士長の言葉に、一同は激しく首肯した。
「……女難の相よりマシじゃないかと」
 風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士が思わず口に出した呟きを、しかし皆は聞き逃さなかった。
「何々!! 何があった!?」
「ここでもか! ここでもラブなのか!」
「吐け! 吐かぬなら、絞め殺すぞ!」
 詰め寄られて、渋々と風守は一部を誤魔化しながら説明する。ストーカーじみた女性に求愛されて、しかも要求を呑まなければ非道い目に合わされそうな気配。
「……コレで死んだら本当に色んな意味で洒落に成らないんだよなぁ」
 雪村の目から見ても、普段から気だるげな風守が別の意味で疲れ切っているように思えるのは気の所為か。そんな風守の肩を山本が優しく叩く。
「……山本三曹」
 助けを求めてすがるような視線に、山本は朗らかに笑うと、親指を立てて、
「 ―― 男子たるもの、好意を寄せる女子を無碍に扱うなどすべき事では無い。もし、少しでも君にも彼女に気があるのならば!! 殴りつけてでも『見くびるな!! 全てを捨てて俺についてこい!!』と言ってやれ。さすれば、彼女も救われるであろう。……こんな助言で宜しいですかね?」
「 ―― 山本! あんた、他人事だと思って、好き勝手に言っているだろー!」
 爆発した。雪村と後藤が必死になって風守を押しなだめる。暴れる男性陣に対して、女性2人は楽しげに見守っていただけだが、
「あーうー。そぉいえば〜。鹿島三曹は私の何処がお気に召したのですかねぃ〜」
 佐藤・茜[さとう・あかね]二等陸士の言葉に、男性陣が静まり返った。弄る対象が風守から鹿島へと移り、視線が集まっていく。汗を掻く、鹿島。
「え〜と。その……」
 しどろもどろになった鹿島は、動転のままに真っ正直に告白した。
「 ―― 童顔・巨乳を見て『好きだ!』と言うくらい!」
「「「……あんた、正直過ぎだー!!!」」」
 会議室が荒れ狂った……。

 食事という休憩時間も終わると、馬鹿騒ぎも収束する。打って変わって真面目な雰囲気で、情報交換や計画を立案する。
「 ―― では、鹿島三曹は別府に?」
「ああ。……ビックブルの手配は既に済ませている。後は山畠准尉が物資輸送のついでに送ってくれる事になっている」
「……『神殺しの武器』は見付かったのか?」
 山本が問い質すと、鹿島は無言でただ力強く頷いた。そして時刻を確認して席を立つ。
「 ―― 御武運を」
「佐藤二士……茜ちゃんにアプローチしておいて死んでしまうなんて、心残りになる事はしないよ」
 後ろ手に振って去る鹿島の背に、敬礼を送った。
「……さて辺津宮だが。猫は間違いなく敵なんだな?」
 宗像三女神の解放も、残すは辺津宮の 多岐津比賣[たきつひめ]だけ。三女神が解放されれば、低位の超常体が一掃され、高位といえどもその力を抑え付ける事が出来るという。だが、今度ばかりは易々と封印を解放させてくれないだろう。
「ああ、埃及神話において猫の女神であるバステトは、どういった事情があったかは知らないが“黒の王”側に付いている。眷族たる猫は全て敵だと思って良い」
 以前に偵察した内容を風守は伝える。だが沖ノ島や大島の件から、駐日エジプト軍(※以下、駐日埃軍)の配置が変更になっている可能性は充分にある。再度の充分な事前偵察を担う事を約束した。更に立案していた基本方針を伝えた上で、山本達の考えていた強襲策と煮詰めていく。数時間後、詳細が決定した。計画準備を整える為に、席を立つ。
「 ―― 風守も、山本三曹も御無事で」
 福岡駐屯地に“黒の王”対策で残る雪村が敬礼するが、山本は唇の端を歪めると、
「君こそ、気を付けてな」
「いっその事、宮元二士を残しますか ―― イタッ!」
 また要らん事を言って鈴鹿から痛めつけられている後藤を努めて無視すると、山本達は答礼を返した。

*        *        *

 惨劇に塗れた前川原駐屯地 ―― 幹部候補生学校から南下する事およそ3km先にある廃墟群。隠れ潜んでいた広川中核工業団地跡から、高機動車『疾風』が出立した。国道3号線に入って、左折すると更に南下する。運転席には陰のある顔立ちをした細い体付きの青年がハンドルを握り、助手席には汗と泥、そして血に汚れた看護衣をまとったWACが不貞腐れた表情で座っている。広々とした後部には、成瀬・蔵人(なるせ・くろうど)陸士長が89式5.56mm小銃BUDDYをはじめとする火器の分解洗浄をしていた。
「よくもまぁ揺れる車体で、そんなに器用に作業が出来るな。そもそも細かい作業していて酔わねぇ? どういう三半規管しているんだか」
 セルケト[――]と称する看護衣WACが振り向かずに、成瀬に話し掛けてきた。大仰に返事をし、
「トラック輸送中の細かい作業等、慣れたものだよ。それに武器の手入れは、扱う者として最低限必須の業務だからな。少しの汚れが誤動作を招きかねん」
「……ホントに、成瀬教官はデスクワーク派とは思えねぇな」
 セルケトの皮肉めいた喋りに、
「いやいや。一応、乗り物に酔わず、論文作業に熱中出来るという強みもあるのだ。第一、君も移動中に車内での救護活動もあるだろう? 乗り物に弱いとか強いとか、そういう事は問題外では無いかね?」
 成瀬の問いに、セルケトは言葉に窮したようだった。ますます不貞腐れたのか、
「……やはり腐ってもセンコーなんだなぁ」
 と聞きようでは失礼な事を呟いている。
「しかし……石守君達は、あっちの疾風に乗っていったのか。せっかく僕が手配したのも無駄になったかも知れんな」
「当たり前だろうが。こちらは歩いて充分なのに、車なんて贅沢なものを使っていられるか」
 広川中核工業団地から成瀬達が目指す目的地まで、直線距離にして3kmもない。対して、分かれた 石守・妃美子[いしもり・ひみこ]陸士長こと イシス[――]達が向かっているのは、遥か北東に位置する直方市。幹部候補生学校脱出の際に使用した疾風を、はじめからそのまま使用するつもりだったらしい。
「まぁまぁ、セルケト。成瀬教官殿がもう一台車輌を手配して下さったお陰で、私達は食料や銃器等の運搬に楽が出来るようになったというものです。復活したばかりのオシリスを運ぶ際にも役立つでしょう。教官殿には感謝すべきところです」
 暑い中でも91式常装冬服を着こなしている、操縦席の青年 コンス[――]が口を開いた。慇懃な口調だが、
( ……少しも感謝の響きが感じられんのだがね )
 組み立て直したBUDDYを脇に置いて、次に9mm拳銃SIG SAUER P220の動作確認をしながら、成瀬の大きな口がへの字を形作った。
「まぁ、オシリス君の復活が無事に済めば、すぐさま石守君達のところへ駆け付けたいものだ。……電波の調子が良い時に、偶然、話が解りそうな人に繋がったが ―― やはり、すんなり受け入れられるとは限らん。身の安全には細心の注意を払うようとは言い含めておいたが、やはり心配なのは変わりが無い」
 その為にも移動手段として車輌があった方が格段に有利であろう。もっとも石守達の安全についてはそれほど心配していないのだろうか、
「大丈夫だろ。本気になったら、普通科1個小隊ぐらいは妃美子独りで壊滅させられるぜ。―― アイツはアタイが言うのもなんだが、特別だ」
「イシスは五大系、操氣系、異形系といった複数の憑魔能力を自在に使いこなせます」
「なんと! それは……1個小隊どころでは無いのではないかね?」
 成瀬は仰天した。さすがは魔術の母神とも呼ばれた存在である。
「しかし何だね……高位の超常体とは意思疎通出来るという事は重要だ。若狭の方では、既に“白き神”というのが向こうから共闘を申し込んできたという話もある。おおっ、論文にまとめなくては!」
「まぁ……アタイ達は二世魔人 ―― デビ・チルだからという理由もあるけどな」
 デビル・チルドレン ―― 前世紀に悪魔を扱った某ソフト会社が携帯遊技機で発表したゲームのタイトル。ではなくて。片方にでも親に魔人を持つ子供は生来ながら魔人であり、彼等をデビル・チルドレンと俗称される。生まれながらの魔人はそれだけに憑魔能力を自在に扱い、能力も高い。
「イシスが妃美子に“憑依”……完全侵蝕したのは、母親の胎内にいた時だっていう話だ。アイツは生まれながらにしてイシスであり、妃美子であるんだ。そしてデビ・チルは操氣系では無いけれど、自分の超常体の気配をある程度隠す事が出来る。それで今まで普通の人間として猫を被っていたという訳さ」
「おおっ!! 成る程、どおりで石守君達が憑魔に寄生されたという記録が無いわけだ! ……しかし初めて聞いたな、それは!?」
「いや、だって、今まで聞かれた事無かったし」
 仰天する成瀬に、セルケトは事も無げに応える。
「……アタイも似たようなものでね。人間の身をしている穏健派のヤツラは大体そうじゃないかな? 少なくとも物心つく時には“覚醒”しているんだ。そして既に『アタイ』という意識がこの体の本来の持ち主のものなのか、それともセルケトのものなのか ―― アタイにも見当がつかねぇ」
 セルケトの言葉に、興奮した成瀬はワシ鼻を膨らませるように息を荒くすると、
「いや、しかし! 学説が全てひっくり返るぞ! そうだ、ついでに聞いておきたい事がある! アメンが恨むアトゥム。だが中世ではヤハウェあたりを恨んでいるように感じるのだが。となれば、唯一絶対の創造神が何柱も存在するという疑問が……」
「あー、それな。……テメェは何を信仰している?」
 ひどく言い難そうになったセルケトの声色に、成瀬は口をへの字に曲げて応える。合掌すると、
「……真宗だが? 本願寺派だ」
「あー、仏教か。なら神仏習合とか本地垂迹説があるから、未だ理解され易いかもな。―― おんなじだ」
「 ―― へ?」
「唯一絶対の“ ”は唯一絶対だからこそ、“ 唯一絶対主 ”なんだよ。……いいか、これから、すげぇ乱暴な事を言うぞ。気を悪くするな?」
「はっはっは。今更、何を驚く事があるものか」
 悠然と胸を張る成瀬だったが、
「じゃあ……行くぞ。―― アトゥムも、ヤハウェも、アッラーも、アフラ=マヅダも、マハーヴァイローチャナも、ブラフマンも、オロルンも、オメテオトルも、ましてやアザトースも……全て“ ”の側面であり、同一の存在だ! “ 昔いまし、常にいまし、後に来られる御方 ”!!」
    ( 間 )
    ( 間 )
    ( 間 )
「……いやいや。ちょっと待てまてマテ! 乱暴過ぎるのも程があるぞ! それに本地垂迹説では天照大御神が大日如来の化身。つまりマハーヴァイローチャナ! つまり天照大御神が“ ”かぁ!?」
「ああ、それは違う。日本神道では天御中主が“ ”に当たるんだ」
 セルケトの言葉も、脳味噌が煮えくり返った衝撃にのた打ち回る成瀬には話半分しか聞こえない。奇声を上げようとするところを、
「 ―― 盛り上がっていますところを、失礼致しますが、既に目的地に辿り着いておりまして。如何致しましょう? セルケト、そして教官殿?」
 いつの間にか、疾風は目的地に辿り着いて駐車しているだけでなく擬装すらも施されていた。セルケトと成瀬の遣り取りの間に、コンスがやってしまっていたのだろう。冷ややかで慇懃な態度のコンスが今ばかりは成瀬でもありがたく感じた。煮詰まった頭を切り替えるには助かる。
 目的地、岩戸山古墳 ―― 磐井の墓。ここにオシリスの本体が隠されている可能性が高い。疾風を岩戸山歴史資料館跡に隠すと、周囲の気配を伺いながら慎重に岩戸山古墳を調査しようと、一歩踏み出した矢先、
「おい ―― あれ、何だ? ヘリのお化けが来たぞ」
 セルケトが指差す方向から爆音が聞こえてきた。回転翼機(ヘリコプター)のお化けとは言い得て妙だ。その巨体に、成瀬が顔を引き締める。
「 ―― ペイブロウ!!」

 密かに別府駐屯地を攻略すべく展開している、WAiR(Western Army infantry Regiment:西部方面普通科連隊)に物資と鹿島を送り届けたついでに、西部方面支援飛行隊・戦闘捜索及救難隊・試験班長たる 山畠・大地(やまばたけ・だいち)准空尉は、大型輸送回転翼機MH-53Mペイブロウを八女市へと向けていた。眼下に全長約135m、後円部径約60m、前方部幅約90mの前方後円墳を確認する。
「 ―― 輸送任務のついでだ。少しばかり調査活動をしようか。……本来の任務で、エンジンが止まっては航空機を失ってしまうしな」
 護衛として付いていたF/A-18Eスーパーホーネットはそのまま目達原駐屯地に向かわせるが、勿論、いつでも緊急発進出来るように通達しておく。
「……万一に備えて、F15J戦闘機部隊にも支援要請の話を繋げておくか。制空権さえあれば、最悪でも逃げ切る事は出来るからな」
 佐賀上空を我が物顔に飛び回っているという、七十二柱の魔王が1柱・不死侯 フォエニクス[――]への警戒だ。老婆心に済めば、それに越した事は無いが。
 古墳の北東部に位置する広場 ――〈別区〉にペイブロウを駐機すると、山畠は部下の数名を伴って降りた。航空ヘルメットFHG-2改を外して大きく息を吸うと、
「吉田大神宮と、歴史資料館か。神話系の何かが封印されている可能性はあるな。―― そう。自力で活動出来ないように、隠してあると言うより、厳重に封印してあるはずだ。……『落日』に問い合わせても未だ返事は無いから、具体的に何を捜せば良いのか分からない以上、それだけが手がかりか。……何にしても、味方を増やしたい」
 手掛かりがあるとしたら、宗教施設である吉田大神宮か? 幾人かにペイブロウの整備と警備を任せると、折り畳み式のBUDDYを構えて山畠は斜面を降りようとした。そこで ――
「おわ! いきなり、鳴り出した! えぇい、この毒電波が!」
 携帯情報端末の激しい呼び出し音と、怒声。山畠が相手を見付け出すより早く、銃口を突き付けられていた。この距離では相手の方が早い。山畠達はBUDDYを放して諸手を挙げる。
 太い眉、二重の大きな目、がっしりと大きな鼻に、大きなへの字口という濃いパーツが間延びした馬面に並んでいる男。そして場違いな看護衣WACと常装冬服の青年。呼び出し音は未だ止んでいない。迷惑そうな顔で、馬面男は端末に怒鳴ると、
「 ―― はっ?! 銃を降ろせ? 味方だと? ……おおう、味方なのか、君達は?」
 不思議そうに山畠を見遣ってくる。
「 ―― 准空尉の山畠大地という。さておき、その携帯情報端末に、毒電波……もしかして、おまえ達は『落日』の関係者かね?」

*        *        *

 天蓋を覆わんばかりの翼を今は畳み、巨体を地に伏して眠る、黒竜 セト[――]。呼吸と思しき風の流れが周囲から熱を、力を奪っていく。ただ存在するだけで生を奪い、死を撒き散らす悪神。
 死の砂漠と化した直方市でセトを護るように活動しているのは、バビと呼ばれる事になった超常体で、厚い皮と深い毛で覆われている為か、極寒の中でも動きが鈍っていない。
 舞い上がる砂塵に視界を奪われつつも、野戦特科の前進観測班が双眼鏡を覗いて監視を続行する。油断しなくとも、直ぐにでも凍え死ぬ状況の中、体を小刻みに震わせて歯を食い縛って挑んでいた。
「 ―― FOより定時報告。現時点でもなおセト本体に動きなし。ただし超常体出現時において観測される空間爆発現象を多数確認。バビは増加傾向にあります」
「……福岡、小郡、久留米、小倉内の需品科倉庫から引っ張り出してきました冬季装備。各員への配給率6割に達しました!」
 野戦及び高射の第4特科と第19普通科連隊からなる対セト攻撃群。指揮陣幕に戦場を走り回る第4偵察大隊からの報告が続々と飛び込んでくる。
「 ―― 熊本・健軍の西部方面総監部より『第4師団指揮代行権を、対セト攻撃群長たる第19普通科連隊長に正式に委ねる』との通達が届いています」
「……立花陸将殿亡き後、第4師団司令部は混乱しているとも聞くからな。この砂漠化による通信状況が悪い中、福岡駐屯地にいる陸将補達でなく、前線に指揮権を委ねて貰えるのはありがたい」
 対セト攻撃群長の一等陸佐が、溜め息を吐いた。今までも後方の指示を仰ぐ間も無く、現場の指揮で展開させていたが、やはり正式な辞令があるのと無いのでは気の持ちようが違う。肩の荷は重いままだが、胃のきしみは幾分、和らいだ気がした。
「全隊員に寒冷地用装備が行き届き次第、攻撃を再開する。急がせろ」
「群長、“黄金の隼”―― ホルスへの対策はどうします? 一部で『味方に引き込めないか』との意見が出ているそうですが」
「ホルスは、こちらが攻撃しなければ我々には危害を加えない。味方になりえる存在だ……と、そういう噂だな。だが希望的観測で物事に当たる訳にはいかない」
 苦虫を潰したような声で応じる群長に、特科大隊長(二等陸佐)が挙手した。
「神宮司准尉からも、ホルスとの意思疎通を図る旨が上がっています。―― 何らかの交渉手段が得られたと」
「神宮司准尉の上申は先日にもあったが……」
 群長は唇を噛んで黙考。眉間に皺を寄せて、
「……セト攻撃再開までの期限で何とか片を付けろと伝えておいてくれ。それまでに成果が無いようならばホルスも攻撃対象から外す事はない、と」

 国道200号線、JR勝野駅跡前。干上がった遠賀川を左手に臨みつつ、第4師団第4高射特科大隊・第40分隊 ―― 通称『ツングースカ隊』隊長、神宮司・業子(じんぐうじ・のりこ)准陸尉は彼方を見遣っていた。
 対セト戦の状況を打開するかも知れない“黄金の隼”ホルス[――]との交渉役が来るという話を、電波の調子が良い時に、偶然、聞き出す事が出来て、こうして出迎えに赴いたのだ。
 さすがに率いている対空自走砲2S6統合型防空システム『ツングースカ』を伴う訳には行かない。交渉役に威圧感を与え、無用な警戒心を抱かせる恐れもあるし、第一、ツングースカは部下とともにセト包囲網で展開中だ。代わって、業子と共に出迎えるのは……
「すみませんね、大蔵三曹。忙しいところなのに、無理を言って足を用意してもらって」
「何、負傷者の手当てや後送、医薬品に寒冷地用装備の輸送も大体終わってらぁ。残った仕事は、部下に任せても問題ねぇさ。それに一応、護衛は必要だろう? オマエさんの部下で揉め事が得意そうなのは見受けられなかったぜ」
 第4師団第19普通科連隊内・衛生小隊 ―― 人呼んで『特攻野郎Mチーム』長、ウェイン・大蔵(―・おおくら)三等陸曹はバギータイプDPV(Desert Patrol Vehicle)のハンドルに行儀悪く足を掛けたまま、操縦席に身を沈めていた。だがいつでも体勢を整えてガンベルトからP220を抜き放てられるように気を配っている。また手の届く範囲に愛刀を置いている姿は、見た目とは裏腹に油断の隙間も感じられなかった。加えて無線機で懸命に音を拾おうとしている通信士と、周囲を警戒する隊員1人で、Mチームは計3名。
 苦笑する業子の柔和な表情が、彼方で巻き上がる砂塵に一瞬だけ引き締まった。
「 ―― 来ましたね」
 業子の呟きに、ウェインが目を細める。近付いてくる疾風を見て、口元が歪んだ。乗っているのは、迷彩2型作業服の少女2人と、黒い猟犬。ウェインがDPVのライトを点滅させると、疾風も返してきた。長く美しい黒髪のWACが降車するや否や、背筋を伸ばして綺麗な敬礼を送ってくる。
「 ―― 元・幹部候補生学校在籍の石守妃美子と」
「おっ、おお、同じく堀田鳩子ですっ!」
 緊張の余りにどもるもう1人の少女に、ウェインは犬歯を剥き出して笑うと、
「 ―― 落ち着け、嬢ちゃん。しかし、そうか、オマエさんらが……」
「色々と便宜を図って頂きまして助かりました、大蔵三曹。この恩は必ずお返し致します」
「何、怪我人を運んで行った時、率先して手伝ってくれただろうが。それで、貸し借り無しだ」
 妃美子に対して、ウェインは軽く手を振って答える。2人の遣り取りに、面食らうのは業子だけ。
「 ―― 知り合いだったのですか?」
「前川原に怪我人を移送した時に、ちょっとな……。だがオマエさんらが脱け出してくるとまでは思っていなかったが。―― 零肆特務の狼藉は耳にした。念の為に『放棄』しておいて良かった……とも言えんなぁ」
 幹部候補生学校で起きた惨劇を思い出したのか、妃美子達の顔が曇った。だが直ぐに引き締めると、
「……時間がありません。今すぐにでもホルスと、そしてセトの説得に入りたいと思います。先ずはホルスから ―― 案内して頂けますか?」
 業子とウェインは顔を見合わせる。
「ホルスはともかく……セトはなぁ」
「セト攻撃再開まで時間が無いのは確かですが……それとは別の事情のようですね?」
「事は急を要します。―― 闇の渾沌蛇アポピスが完全顕現を果たせば、世界が終わります。少なくとも大分が呑み込まれるのは確実でしょう」
 ―― 疾風の運転は部下に代行させて、ウェインのDPVに妃美子達を同乗させる。ホルスが身を休めているだろう鷹取山へと向かった。
 堀田・鳩子[ほった・はとこ]一等陸士と名乗る少女がなだめてくれているが、黒犬 アヌビス[――]は警戒心を剥き出しにして荷台から未だに睨み付けてくる。それでも業子は柔和な笑みを崩さず、ウェインも平静を装って、妃美子から詳しい話を聞いた。
「 ―― へぇ。成瀬のオッサンも大活躍だったな。ロリコン疑惑が沸いた時は正直どうしたものかと思ったんだが」
「成瀬教官のお陰で、アメン様の企み ―― アポピス顕現が解ったのです。他にも色々手助けして貰っています。教官には感謝しても、し尽くせません」
「……あなたがラー神群の王妃たるイシスである事は解りましたわ。そして堀田一士がホルスの妻とされるハトホルである事も」
「……母親と、妻に涙ながらに説得されては、早とちりで聴かん坊のホルスともいえども、言う事を聞かざるを得ないか」
 ……オレも家族を持ったら、そうなるのかねぇ。カカア天下か、おっかねぇ。ウェインは独りごちた。
「ホルスは自らの依り代に隼を選びました。ヒトの言葉が通じないのは、その所為もあります」
「ならば、あなた達はどうやって交渉するの?」
 業子が発した当然の疑問に、
「操氣系の応用 ―― 念話、つまりはE.S.P.です」
「……という事は、オレもやろうと思えば、ホルスと会話が出来るんか!?」
 とはいえホルスと会話する為だけに半身異形化して侵蝕率を上げるのもどうかな?とも思う。それに会話が出来たとしても、交渉が成立するのとはまた別の話だ。リスクの高い賭けだが……。
「……ま、必要になったら、その時に考えるさ。分の悪いギャンブルだし、オマエさんらが居る以上はありえないと思うけどな」
「残る問題はセトだけですね……ホルスの説得はともかくも ―― 上層部が見逃すかどうか」
「ちゃっちゃとホルスの説得を終わらせ、攻撃再開までの時間にセトと交渉するしかねぇだろう。……ひとまず直方市から仲良く別府方面へ飛び立ってくれれば格好は付くんじゃねぇか?」
 これまたギャンブルだな。ウェインは唇を舐めた。

*        *        *

 澱んだ気配がたゆなう別府を眼下に望む、城島後楽園。別府駐屯地を攻略すべく、WAiRが余念無く、作戦準備を進めている。
「 ―― 湯布院駐屯地の制圧を完了致ししました。大上側魔人の“処理”終了」
「玖珠へ第4戦車大隊の配備を要請しております」
 司令塔代わりの一室に伝令が飛び交う。戦車という単語に、オブザーバーとして出席していた鹿島の眼光がますます精悍なものに変わった。思わず熱り立とうとする己を、奥歯を噛み締める事で律する。
( うう……戦車。必ずカムバックしてやるぞ )
 そんな鹿島の内心を知ってか知らずしてかWAiR連隊長(一等陸佐)は硬い表情のまま向けてきた。
「 ―― それで。鹿島三曹から立案があると聞いているが。要望の通り、ビッグブルの整備済みだ。面白い意見だと嬉しいが」
「 ―― はっ。陽動をお願いしたいと」
「陽動……か。つまり囮になれ、と?」
 向けられてくる鋭い眼光に、だが鹿島は怯む事無く考えを伝える。
「セベクを倒した時と同じ要領です。大上並びに第411普通科中隊をWAiRに引き付けて頂き、その間に奴等が護っているというアポピスに接近して直接攻撃を加えようかと」
「アポピスに関しては情報が足りない。羊の皮を被っていた時に大上がデータを送っては来ていたが、信用は出来ないものとして考えている」
「しかし、未だ完全に覚醒していないという後方の化け物を倒すべきかと。大上はアレを守るように展開しているのですから」
 鹿島とWAiR連隊長の視線が交錯する。暫くの沈黙の後、先に折れたのはWAiR連隊長の方だった。大きく嘆息の息を吐くと、
「……陽動という訳にはいかん。曲がりなりにも相手は大魔王を称する奴だ。こちらも全力で以って葬るつもりでいく。―― やまなみハイウェイ沿いに部隊を展開。堀田付近で大上どもと交戦を開始する。戦車大隊には火力支援を要請」
 そのまま地図上の北面を指すと、
「西方普連の一部隊と、戦車大隊の主力は十文字原より電撃突入し、敵後方を蹂躙せよ。……鹿島三曹も其方で作戦行動をしてくれ。―― それでいいな?」
 鹿島は直立すると、素早く敬礼を送る。
「配慮に感謝致します!」

 見返坂展望台を占拠して狙撃班 ―― 真名瀬・啓吾(まなせ・けいご)陸士長はBarrett XM109 25mmペイロードライフルを組み立て、照準眼鏡を覗き込みながら作戦開始の合図を待った。幸いな事に別府は、砂漠化による通信不能に未だ犯されていない。無線機から入る暗号化された通信により、十文字原突入準備が整った事を知ると、唇を舐めた。唇のぬめりが、気温と湿度、風の流れを感じさせてくれる。
「……しかし、鹿島三曹もよくやるぜ」
 苦笑を1つ。だが作戦開始の合図に顔を引き締め、照準眼鏡を覗く眼に昏い笑みを湛える。観測手を務める同僚の指示に ―― 引鉄を絞った!

 発端が開いた戦場から銃撃や爆発音が轟いてくる。戦車部隊に配属していた頃の友人や、同僚に親指を立てて挨拶を送ると、鹿島は75式ドーザ『ビッグブル』の操縦席に乗り込んだ。
『 ―― 突入、開始!』
 かつての上司だった第4戦車大隊長の野太い声に、鹿島は犬歯を剥き出しにすると、
「 ―― Britz, Britz... Britz!!!」
 装軌路帯が音を立てて駆け出す74式戦車の群れは圧巻の一言に尽きる。北面を警戒していた第411中隊の一部が、慌てて96式装輪装甲車クーガーや73式中型トラックでバリケードを作ろうとするが、戦車の砲塔が旋回し、ヴィッカースL7A1 105mm砲が炎を上げると、空き缶のように舞い上がって四散した。
『 ―― 鹿島。露払いはしてやったぞ。武運を祈る』
『無茶な事をやり過ぎて、今度は施設科でなくて輸送科に左遷されないようになー』,br>「うるせぇっ! 見ていろ、生きて帰ってきたら、私が隊長になって指揮してやるからなっ!」
 戦車隊の友人達から送られてくる激励に応えると、鹿島はビックブルを加速させた。突進に慌てて避ける敵隊員を尻目に、ビッグブルは鉄輪・亀川へと高速で駆けた。視界の先に黒く濁った塊を見出した鹿島は、
「 ―― Besten Dank! 短い間だったが、君は悪くない相棒だった」
 ビッグブルの操縦席を名残惜しそうに見遣ると、鹿島は飛び降りた。そして腰に佩いていた軍刀を抜く。中心が綺麗に分かれている剣身は、神妙な輝きを自ら放っていた。―― 神剣『天叢雲』は鹿島の意志を受けて、凍気を帯びていく。
 細工が施されたビッグブルは速度を緩めずに突撃し、ドーザ・ブレードを黒塊に叩き付けた。時折渦を巻いていた黄色の線が生き物のように蠢く泥塊。闇より浮き上がってきた数匹の大蛇がビッグブルにまとわりつき、呑み込もうとする。その瞬間 ―― 鹿島が吼えた。
「 ―― 私は鹿島貴志。軍神の名を持ち、貴き志(こころざし)を持てと生まれた! 埃及の神々よ、見るがいい! 闇の渾沌蛇アポピスを倒した私がファラオを名乗ろう!!」
 天叢雲を水平に構えると、鹿島は裂帛の気合と根性を以って突撃する。ビックブルを呑み込んでいた大蛇へと体ごと深く突き刺した。
 瞬間 ―― 大蛇が凍り付く。鎌首をもたげていた新たな大蛇も音を立てて氷柱と化した。
「……さすがは天叢雲。『神殺しの武器』といったところか。―― 砲撃支援!」
 慌てて離れると、氷漬けになった黒塊へと戦車部隊からの砲撃が開始される。105mm砲弾を雨霰に受けて粉砕されていく黒塊。ともに爆散していくビッグブルへと鹿島は敬礼を送った。
「 ―― 勝った」
 携帯個人用無線を通して、戦車部隊の友人からも歓喜と賞賛の合唱が起こった。
「 ―― ざまぁ見ろ、大上め! これで残るは貴方だけだ……ってアレ、アレレ?」
 高らかに勝ち誇っていた鹿島だが、突然の地響きに慌てて体勢を正す。そして眼前に展開されていく光景に目を剥いた。地面を割って無数の大蛇が湧き上がり、闇が大地を覆い潰そうとしてきたからだ。もはや大蛇どころではない。圧倒的なまでの質量を伴った闇。
 鹿島は天叢雲を振るうと、再び凍気が闇を襲う。だが全てを氷漬けにする前に、凍気を上回る闇が呑み込んでいった。眼前に押し迫ってくる闇――。
「……茜さんっ!」
 何か鋭い音が聞こえたところで……鹿島の意識は途絶えた。

 喧騒に飛び起きる。頭が痛い。何故か、かなりの数の瘤が出来ていた。鹿島は痛む頭を押さえながら、周囲を見遣る。傷付いた戦友達が呻き声を上げ、衛生隊員達が鎮痛剤を投薬しているのが目に映った。
「……ああ、間抜けがようやく起きたか。どうだ、調子は?」
「 ―― 頭が猛烈に痛い。生きているのか、私は?」
「散々、戦車大隊の面々が気絶中のお前を殴っていたからなぁ。きっとそれだろう。……死んでいた方が良かったか?」
 ところどころ破れた迷彩II型戦闘服に身を包んだ青年がつまらなさそうに呟いた。陸士長の略章が肩に縫い付けられてはいたが、胸元には氏名を示す刺繍は無く、ただ……
「……『落日』がお出ましか」
「 ―― 虎森鐘起陸士長。神器回収を任務としている。で、こっちは妹の鈴芽」
 虎森・鐘起[とらもり・しょうき]が顎をしゃくると、虎森・鈴芽[とらもり・すずめ]一等陸士が無表情のまま僅かに頷いて見せた。
「ようやく見つけたぜ、鹿島三曹。―― やっと傷が癒えたんで壇ノ浦にリターンマッチしに行ったら、恐怖公が居なくなっていてさ。心底焦ったぜ。関門橋守備部隊に三曹の事を聞き出して、何とか追い掛けて来たら、アポピスに呑み込まれる寸前 ―― 天叢雲が永遠にこの世界から喪われてしまうところだったんぞ」
「うう……済まない」
「『神殺しの武器』って言っても、相生相剋の関係がある。アポピスの属性は水と土。2つの属性を持っているんだ。風と火を吸収し、同じ水と地は効果が薄い。神器といえども氷水系の『天叢雲』じゃ、とどめは差せねぇ。……まぁ火炎系でも世界を焼き尽くすほどの神器 ―― レーヴァテインなら滅ぼせるらしいが」
 試した事は無いから、何とも言えんと肩をすくめてみせた。
「一応、効いたみたいだったぞ?」
「とどめは差せないって。単純に威力が違うんだよ。相手は世界を原初の渾沌に孵してしまえる存在 ―― 言うなれば1つの世界そのものだ。情けないけど、天叢雲じゃお話にならないの。……解ったら、さっさと天叢雲を渡せ」
「待て。待ってくれ。……せめてアポピスを倒すまでは預けておいてくれないか? それに大上相手ならば抜群の効果ありそうだし」
「 ―― なら最初っからアメンを狙えよ! 陽動作戦で皆ボロボロになったんだからな!」
 怒られた。肩を落としてうなだれる鹿島に、
「……次はねぇぞ? 天叢雲は夏至の日まで預けるし、オレ達も手助けしてやる。オレは操氣系で、妹は幻風系だ。オレは銃が得意。妹は……歌うのが得意?」
「ミンメイ・アタックは効果無いと思うんだが……」
「うん、まぁオレもそう思う。それに操氣系で銃が得意といっても“ガンドレスガール”みたいに強制侵食現象の相殺や、曲芸じみた銃撃は出来んのだが」
「誰の事を言っているのかは知らないが……それよりも神器回収が任務と言っていたな。他に何か、あるのか?」
 鹿島の言葉に、鐘起は身を強張らせた。引きつった顔に、脂汗が流れるのを鹿島は見逃さない。
「いや、その、あのね? ……今まで恐怖公との遣り取りばかりで、実は殆ど回収してないんだわ、これが。あはは」
「 ―― 使えねぇー!」
「ああ、どうせ、役立たずだよ、オレらは。2人で1つのユニットだ! ……そんな事よりもアメンを倒したからといっても直ぐにアポピスを何とかする手立てを思い付かんと、世界は終わっちまうぜ?」
 無理矢理に誤魔化そうとする態度はアレだが、鐘起の言っている事は尤もだ。鹿島は唇を噛み、腕を組んで考え込むのだった。

*        *        *

 満月から注がれる光から逃げ隠れるように夜陰を泳ぎ渡る。宗像大社辺津宮より南西に約200mにある高宮祭場をクリアすると、風守は暗視機器を装着させた双眼鏡で見下ろした。
「 ―― やはり猫の群れが集まっているな。それに駐日埃軍も死守せんとばかりに大集合っと」
 かつて駐車場であった場所に天幕を張って『第111任務部隊(Task Force 111)』が警戒網を布いていた。武装と配備・人数を再確認して、携帯情報端末の記録に収めていく。
 猫の群れは辺津宮本殿で鈴なりになっているが、物陰に隠れている事は予測に難くない。そんな猫どもから遠巻きにTF111は配置についている。
「……この距離で狙えるか?」
 風守は、後ろに控えて周囲の警戒に当たっていた普通科隊員に声を掛ける。
「BUDDYの最大射程は3km……とはいえ5.56mmNATOは軽くて風に流されやすい。また月明かりがあるとはいえ、無照明だと何とやら。……ギリギリと言ったところだな。観測手無しだと更に難度が上がる」
「ついでに言うと、悪いが通信も当てに出来ない。巧く誘い出してみせるから、何とか仕留めてくれ」
 風守の言葉に苦笑すると、隊員は肩をすくめて返した。風守は軽く手を振ると、斜面を滑るように駆け下り始めた。時刻を確認する。そろそろ頃合だ。
 遠い空から爆音が轟いた。
「……あの人達に掛かったら、隠密行動って訳には行かないか。だが陽動にはもってこいかな?」

 雲ひとつ無い、晴れ渡った空を戦場回転翼機Mi-24V ―― NATOコード『ハインドE』が駆ける。
「……しかし、ハインドで強襲するのは良いんだけど、埃軍の奴等も対空ミサイルの類はあるだろうから危険かも知れないなぁ」
 今更ながら山本がぼやくが、操縦席のイェゴリーは鼻歌交じりに、
「んー。確かにねぇ。……どうする? 僕のワニ(※旧ソ連兵間におけるハインドの愛称)で車輌類とか片っ端からやっちゃおうか?」
 イェゴリーの提案に山本は後藤と顔を見合わせる。茜は何も解っていないような笑顔を浮かべるだけ。溜め息を吐くと、
「……いや、さすがにそれはなぁ。無難に辺津宮まで強襲降下作戦でいくのがマシじゃないかな、と。……って、宮元、ハチヨンを嬉しそうに担ぐのは止めれ!」
 山本の叱責に、名残惜しそうに84mm無反動砲カール・グスタフを肩から下ろす鈴鹿。念の為にカール・グスタフは後藤に確保させておいた。
「……僕の事とやかく言える人おらんよ。みんな強引だねぇ」
「はは、イェゴリー。人は切羽詰ると、強引な事も普通に考えるようになるさ。ロシアの格言にもあるだろ」
「……そんなのあったかなぁ」
 軽口を叩き合えるのも、目標の辺津宮を眼下に見据えるまでだった。銃手のグレゴリーがハインド機種下のターレットに取り付けられている2砲身の23mmGSh-23-2機関砲で薙ぎ払っていく。
「 ―― 降下!」
 合図を受けて、茜がロープを機外に垂らす。山本、そして続いて鈴鹿がラペリングを開始。後藤がHE榴弾FFV441Bを撃ち放ち、グレゴリーが機関砲弾をバラ撒いているが、降下の間、空中停止している回転翼機は対空兵器の良い的でしかない。恐れていた通り、携帯式低高度地対空ミサイルFIM-92スティンガーを向けてきた。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 スティンガーが命中する直前に、イェゴリーが操縦席で怒声を上げた。膨れ上がった氣が、防護幕となって爆発の衝撃を抑え込む。だが2発、3発目と直撃が続けば氣力を保ち堪えられる訳は無い。対空兵器を潰そうにも後藤とグレゴリーは、山本達の降下も支援しなければならなかった。奥歯を噛み締めて踏ん張ろうとするイェゴリーの脳裏に、妻と生まれてくるはずの赤子が浮かんだ……。瞬間、対空ミサイルを構えていた兵士が次々と倒れていく。
「遅いぞ ―― 風守!」
「……山本三曹達が派手過ぎんだよ」
 隠密を以って接近した風守が対空兵器を無力化していく。風守の存在に気付いた兵士がAKMを向けてくるが、その隙に無事着地した山本が憑魔を覚醒させて地面を鳴動させる。操られた地脈は乾いた肌を割ると、兵士達の足場を崩し、引きずり落す。亀裂に腰まで嵌まって身動きの取れなくなった兵士もいた。素早く駆け寄った鈴鹿と、風守がAKMを蹴り飛ばしていった。
 TF111兵士を無力化させていく風守の背筋を怖気が走る。甲高い鳴き声を上げて、四方八方から猫の群れが殺到してきた。余りの不気味さに、降下を終えた茜が息を呑む。山本が叱責する。
「バディを組め! 死角を作るな!」
 茜の背と合わせるように鈴鹿が割り込むと、襲ってくる猫の群れに5.56mmNATOを叩き込む。
「グレゴリー、機関砲!」
「相手が小さ過ぎて、見た目より効果が薄い! それにヤマモトスキー達との距離が近過ぎる!」
 ハインドの操縦席で怒鳴り合っている2人の声が聞こえたかどうかは知らないが、
「円陣を組むようにしながら、本殿を目指せ!」
 山本の指示に、同意とばかりにBUDDYで弾幕を張りながら急ぐ。風守がM16A1閃光音響手榴弾のピンを弾いて放り投げた。それでも猫は怒涛のごとく押し寄せてくる。
「 ―― 山本組長。本殿に人が!」
 鈴鹿が指差す先に、身体全体を覆う黒系の布をまとった人物。目元以外は隠されているが、どうやら柔らかな輪郭や物腰から女性のようだ。
「……ネフェルティティ」
 ネフレン・カ大佐の個人秘書と紹介されていた女性は布を払うと、その顔を獣に変える。猫頭人身の女神 ―― バステト[――]。更に前傾になると、その肢体を優美な肉食獣に変形させた。2m近い大型の猫。
 咄嗟にMk2破片手榴弾を投げ付けるが、バステトは弾体が飛び散るより早く殺傷効果範囲を脱け出すと、その勢いのまま踊り掛かってくる。銃口を向ける時間も、引鉄を絞る隙も与えられぬまま近接戦闘距離に持ち込まれた。BUDDYでは取り回しの効かない距離。役立たずと化した銃器を棍棒に見立て直すと、一同振り回す。だが相手はバステトだけでは無い。振ったわずか体勢の崩れを突いて、群がってくる猫が牙を剥き出し、爪で引っ掻いてきた。戦闘防弾チョッキで護られた山本達はともかく、風守は血塗れになっていた。
 血臭に酔ったのか、バステトの動きがますます俊敏なものになる。……埃及に住まう人々は砂漠を「赤い」と表現する。砂漠が赤いのはかつて血に酔いしれた女神が人々を殺戮したからだという。セクメトと呼ばれた獅子頭の殺戮神は、人の血に見立てた赤い麦酒に酔い潰れてようやく鎮まったという。それがバステトの側面という話だ(※註)。―― つまりバステトは殺戮の肉食獣そのもの。バステトの強さに押され、風守と山本達の敗色は色濃かった。
「……だが獣ならば、火を怖がるだろうが!」
 風守がAN-M14焼夷手榴弾を投げ付ける。バステト自身がテルミットを浴びる事はなかったが、炎が猫の群れを遠避ける。次々と投擲される焼夷手榴弾に、猫の群れが逃げ惑う。炎に囲まれてバステトも動きが一瞬止まった。その瞬間を狙って風守が叫ぶ。
「 ―― 射てっ!」
 甲高い連続音が走ると同時に、バステトの体が跳ね上がった。休む事無く撃ち込まれていくライフル弾を受けて小刻みに震える。風守が配置していた狙撃手がその役割を存分に果たしてみせた。だがバステトは異形系。欧州にある伝承の獣人のごとく傷口が盛り上がり始め、再生力の強さを見せ付けてくる。
「 ―― 後藤。ハチヨン、ぶっ放せ!」
 背負っていたカール・グスタフを構えると、後藤は躊躇せずにHE榴弾を放った。半身が吹き飛ばされてバステトはようやく地に伏す。だが念を入れて、山本が頭部に手を添えると―― バステトの身を粉砕した。

 本殿に辿り着いた風守達は、封印の要である『ウジャトの眼』を消し去る。封じられていた多岐津比賣が姿を現し、幼さが残るような笑みを浮かべて、礼を言ってきた。
「 ―― お姉様達を救って下さり、厚くお礼を申し上げます」
 奥津宮・中津宮・辺津宮に封じられていた宗像三女神の解放。それは北九州における超常体の抑制となる。低位の超常体は一掃され、高位の超常体といえども力振るう事が適わなくなるという。そして新たに超常体が神州に出現する事もなくなる ―― そういう話だ。
 期待の眼差しに応えて、多岐津比賣は微笑んだ。その腕を広げて、祝詞を唱え始める。

 沖ノ島 ―― 奥津宮。多紀理毘賣[たきりびめ]が謡うと海が湧き上がり、巨大な水柱が噴き上がった。噴き上がった柱は折れ曲がり、水鉄砲となると沿岸へと向かって走り出した。

 大島 ―― 中津宮。狭依毘賣[さよりびめ]が舞い踊ると砲弾は周囲から海水を巻き上げながら、膨れ上がる。そして津波と化して、白い牙を剥いた。

 そして辺津宮。押し寄せてくる巨大な津波を確認して、イェゴリーが慌ててハインドを降下させて、山本達を拾おうとする。が、間に合わない。全ては巨大な質量に飲み込まれていった……。

 荒い息を吐く。津波に襲われたというのに、服も体も濡れておらず、何事も無かった。むしろ心の内から力が湧き上がってくる感じ。誰からか歓声が上がった。火照った身で、安堵の息を吐く。
「 ―― 驚きましたよ。前もって言って下さればいいのに……」
 驚かせられた恨みも含めて、山本は口にする。だが言葉を最後まで紡ぎ出す事は出来なかった。茜の悲鳴が場を切り裂く。泣きながら訴えてきた。
「山本組長〜。埃軍の皆さんが、死んでるんですぅ」
 確かに打ち所が悪く、誤って銃弾で死んだ者もいただろう。だが全てとなると……。確認して山本は凍り付いた。TF111兵士全員が悶死している。その喉を押さえ、呼吸を貪るような死に方は……
「 ―― 溺死したのか? まさか、今の津波は!」
「私達を封じ、この地を我が物顔で侵していた不逞の輩や、外津神には神罰を与えました。さすがに全土とは参りませんでしたが」
 事も無げに微笑んでいる多岐津比賣。風守は気付かれぬように個人携帯無線機で通信を送った。
「 ―― マルコキアス、無事ならば返事をしろ」
『……心配したか? 安心しろ、俺は無事だ』
 返事に安堵すると共に、疑問を放つ。
「 ―― お前はどうして?」
『既に俺は、お前の所有物と同じ扱いになっている。お前が敵と認定されない限りは、俺も敵と認定されない。そのお陰で助かったと言えるだろう』
「 ―― 敵味方の判断基準は?」
『瑞穂の民である事、瑞穂の為に動いているという理由ではないかな? そこの露西亜人はどうだ?』
 風守が視認する限りにおいて、イェゴリーもグレゴリーも無事のようだ。判断基準は、生まれではない。どう生きているか、か。
「……しかし。となると、キャンプ地に残っている駐日埃軍兵士は。非戦闘員もいただろうに」
『 ―― 全滅だろう。神罰とはそういうものだ。奴等は長年封じられていた鬱憤を一気に晴らしたのさ。見掛けに騙されない事だ。荒ぶる魂を鎮めずに封印を解けば、災いが降り掛かる……まさか知らなかったのか?』
 恐ろしいものを見る目付きで女神を伺う。そんな風守達の心中を知ってか知らずか、多岐津比賣は三度微笑むと、
「それではお姉様と私達は、この瑞穂の地を護る為に力を尽くしましょう……重ね重ね、皆様の助けには感謝をしています」
 ……そうして姿を消していったのだ。

*        *        *

 岩戸山古墳は六世紀後半に九州北部を支配していた筑紫国造磐井の墓と目されている墓である。『記紀』によれば、磐井は朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いる朝廷の進軍を阻み、叛乱を起こしたので、物部麁鹿火によって鎮圧された。これが通称「磐井の乱」と呼ばれるものだ。
 だが『筑後国風土記』逸文(「釈日本紀」巻13所引)には「官軍が急に攻めてきた」となっており、磐井はヤマト政権の逆賊ではなく、戦いは朝鮮半島との交易と九州北部の覇権を巡るものが勝者によって潤色されたという説が有力である。
「……太平洋戦争後、古代より石人が立っていたという『筑後国風土記』の記述もあって、岩戸山古墳が磐井の墓と特定できた訳だが……」
 鋭利な大鋏に腕を変形させたセルケトが境内に生い茂る植物を切り開いていく。コンスが続き、更に後ろで成瀬が油断無くP220を構えながらも知識を披露。
「 ―― 磐井はこの墓に眠らず、豊前に逃げたものの、ついには英彦山で没したともある。それでも古代九州北部を治めていた王の墓。“王(ファラオ)”の本体を隠すにこれほど格式の高いところはあるまい」
 玄室の石戸を無理やり抉じ開けるセルケト達に言い切った。山畠が眉間に皺を寄せる。
「……つまり、この地に封じられているのは日本古来の神霊でなく、ラー神群の“王”―― オシリスなのだな?」
「君には申し訳ないが、そういう事になる」
「そうか。……まぁ味方になってくれるのならば、問題は無い」
「穏健派の“王”だから敵にはならないだろうが、味方になるとも判らん。尤も、未だに可能性の段階だ。格式が合うからといって当たりとは限らん」
 相手の階級が上だろうとも、知識をひけらかす時に大仰かつ偉そうなのは成瀬らしい。山畠も別段不快とは感じず、おとなしく耳を傾けていた。
「……いや。妃美子の愛する女の勘は当たるもんだな。本体が近い事に、核の一部がかすかに脈動している」
「それはオシリスの陽根だと聞いたが……」
 山畠はますます渋面になるが、それを包んだものを手にしているセルケト本人は平気な顔をして。
「何、男のアレなんて、見たり触ったりするのは飽きるぐらいだ。手術や治療の際に慣れたもんよ」
 思わず成瀬と山畠は顔を見合わせた。さておき玄室の奥に照明が射し込まれ、
「あれか……? 奥に人のような形をした物が」
 セルケトの注視が奥に向かっている瞬間、成瀬が動いた。いや、正確にはセルケトの背後に手を指し伸ばしたコンスを抑止する為に動いた。P220を突き付けると同時に、大きく舌打ちをしたコンスが腰を落とす事で頭を深く沈めて狙いを外すと、そのまま床に手を付いて円弧を描く払い蹴り。足を引っ掛けられて体勢を崩したセルケトが見た目と違って可愛い悲鳴を上げながら前に倒れ込む。成瀬も避け切れずに壁に手を付いた。P220がこぼれて床を滑る。更に思わぬ事態に反応が遅れた山畠に向かって、天井まで跳び上がったコンスが襲い掛かった。脇腹へと抉るような打突が3発。そして狭い石通路を感じさせないような回し蹴りが頭部を横打ちする。
「……もしやと思って警戒していたが、本当にそうなるのは哀しいな。悪い予測は外れた方が良い」
「私も成瀬教官殿の御蔭で計画が狂ってしまって、困っておりますけれども」
「……今野、テメェ!」
 床にぶつけて血が溢れる鼻を押さえながら、セルケトが呻く。成瀬は床に落ちたP220を探しながらも、視線はコンスから放さずに、
「 ―― セルケト君。君は知っていたはずだ。油断が過ぎるよ」
「……まさか、本当にこいつが裏切るなんて思ってなかったんだよ。第一、アメンが馬鹿な事やっていると知ったのもつい数日前だぞ!」
 痛みを堪えながら、山畠が説明を求める。
「 ―― コンスとは埃及のテーベにおいて崇拝された月神の名だ。アメンの子と言われてもいる」
「ちなみに確かに私はアメン様の子でもありますが、この身体自身も大上一佐殿の実子でございますよ」
「……初耳だぞ、おい。記録の偽造なんて ―― もしかして最初から全て計画していたって訳か?」
「そうですよ。少なくとも父上様は最初からそのつもりでこの身体を産ませて、そして私に“憑依”させましたから」
「……おまえの役割は?」
 山畠の詰問に、コンスは冷笑を浮かべながら、
「 ―― アポピス顕現までの時間を稼ぎます事。オシリスを封印し、セトに濡れ衣を被ってもらい、ホルスの怒りに油を注ぎました。復活の儀式と称しまして、実は何の意味も無い遣り取りにイシス達を従事させました。それで仮初めの学校生活を味わってもらう ―― つもりでしたが、不確定要素が計画を狂わせたのです」
 コンスの視線は成瀬に向けられていた。
「なるほど、なるほど。……だが君も私の生徒だった者だ。坂江君やセルケトの様に、この世界で静かに暮らすという選択は出来んかね?」
「この世界で静かに暮らす? このような争いの絶えない遊技場で? ―― 答えは否です」
 コンスは不気味な笑みを張り付かせながら、
「 ―― 父上様は、アトゥムへの恨みから“遊戯”を引っくり返そうとしているようですが、私がアポピス顕現に協力しますのは、全て皆様の事を思っての慈悲ゆえに」
「……慈悲だと?」
 眼尻を吊り上げて、怒りを荒げる山畠に、
「そうです。前世紀末から戦ってこられた山畠准尉ならば御理解出来ると思います。この世界が如何に狂った遊技場なのかと。―― 結界を施され、隔離されました神州日本。活かさず、殺さずの戦いを強いられました人類。来る『黙示録の戦い』で審判が下さりましょうとも、神々の戦いという遊戯に巻き込まれました貴方達が可哀想な存在に思えてなりません。ですから、私はそんな貴方達を苦しみから解き放ってあげるべく、アポピスを顕現させようというのです。世界が原初の渾沌に孵れば、今の苦しみから救われるのですよ!」
「 ―― 狂ってやがる」
 誰ともなく呟いた。しかし、その言葉もコンスにとっては賛辞らしい。悠然と笑みを浮かべるだけ。怖気を感じながらも視線は逸らさず、成瀬は必死に落ちたP220の所在を探る。そんな足掻きは既にバレていたのか、コンスは目を細めると、
「 ―― お探しモノは、これでございますか?」
 器用に足を折り曲げると、爪先にはP220。何時の間にかコンスの半長靴の底は穴が開き、素足に近い。そのまま放り投げてくる。成瀬は慌てて掴んだものの、直ぐに棄てた。何故ならば銃身は錆付き、或いは腐り落ちて、使い物にならなくなっていたからだ。
「 ―― 呪言系か。厄介な」
 近接戦闘において、地脈系と並んで厄介な憑魔能力が呪言系である。触れるものを老化させて死に至らしめたり、物を腐食させたりする事が出来る力は、攻防ともに発揮する。半不老不死と言われる異形系さえも呪言系相手は無力という。そして狭い玄室内では銃身の長さの問題から小銃を取り扱う事は難しい。頼みの拳銃は腐れ落ちてしまった。
「 ―― セルケト君は拳銃の腕は? 山畠准尉も」
「……アタイは拳でのど突き合いは得意なんだよ」
「私の握る得物は、航空機の操縦桿だ」
 近接戦闘を強いられる状況は絶望的だった。悔しさに奥歯を噛み締める。―― だが、そこに少女が光明を射し込んだ!
「……お姉さま? 妃美子お姉さまはこちらでごさいますの?」
 か細く、戸惑いながらの声。だがコンスは一瞬でも気を取られたのか、山畠は隙を見出した。
「 ―― 成瀬士長!」
 山畠は自分のP220をホルスターから引き抜くと、成瀬に向かって放り投げた。呼び掛けだけで意図を悟った成瀬が身を乗り出して跳んだ。宙空にあるP220を素早く掴み、受身を取って着地しながらコンスへと9mmパラべラムを叩き込む。
「 ―― いい腕だな、成瀬士長」
「教官のままにしておくのは、やっぱり勿体無ぇよ」
「いやいや。一生分の大活躍をしてしまった気分だ」
 血溜まりの中に倒れ伏したコンスを見下ろしながら、安堵の息を吐いた。そして場に救いをもたらしてくれた少女を見遣る。視線を受けて、麻曲・丸美(あさまがり・まるみ)二等陸士は身を強張らせたものの、
「……あの、その、以前、妃美子お姉さまが岩戸山古墳と仰っていた事を思い出して……全てわたくしが悪いのは解っていますが、それでも居ても立てもいられなくなってしまって……迷惑なのは承知の上で追い掛けてきたんです……」
 消え入りそうな声で弁明する丸美の頭を、
「残念だったな、妃美子は直方市に行っちまったよ。もう近付くなって言っただろう? ……だが助かったぜ。ありがとう、感謝する」
 笑いながらセルケトが乱暴に撫で回した。

 そして……オシリスは復活した。欠けていた核の一部を喪われていた部位に合わせる事で、木乃伊化した状態で封印されていたオシリスは、瞬く間に再生を開始した。尋常ならざる異形系能力である。そして今、ペイブロウのキャビンの中で、一同は儚げな美少年の姿をしたオシリスと相対していた。
「勃起状態でアレほどの巨根が、この美少年に……むむ。何と言うか犯罪的な……。というか何故、美少年? どう見ても義務教育を習い始めた頃だぞ!?」
「今から約10年前に封印されてしまったので。……僕だけ、こんな姿なのだと思います。それと、僕のアレですが……将来的には合うぐらいに背丈も高く、体格も大きくなりますから」
 照れ笑いを浮かべる。聞きようによってはセクハラかも知れない発言だが、顔を真っ赤にしているのは丸美ぐらいなものだ。……それはさておき。
「 ―― 何を尋ねるべきか……多過ぎて逆に思い付かん。とりあえず単刀直入に1つ。―― 君は覇権を望むか?」
 成瀬の問いに、オシリスは首を横に振り、
「僕の望みは、イシス ―― 妃美子と幸せに過ごす事だけですよ。降り掛かって来る火の粉は払いますが、自ら求める事はしません」
 オシリスの返事に安堵する成瀬。だが続きがある。
「但し、幾ら僕が争いを望まなくとも、アメン様が存在を明らかにされている以上、僕には神群をまとめる王権が実質的にありません」
「つまり……アメンが倒れない限りは、戦いは止まらない、と?」
 今度は縦に首を振って、哀しそうに頷いて見せた。
「とにかく今は石守君のもとに急ごう。―― いやぁ、山畠准尉が来てくれていて助かった。今日中には直方市へと辿り着けるぞ」
「オッサンは、アッシー代わりかよ」
「……君も古い言葉を知っているねぇ」
 ちなみに成瀬達が乗ってきた疾風もペイブロウに運ばれている。成瀬の言葉にセルケトは苦笑し、オシリスははにかんで見せた。が、直ぐに表情が曇る。
「……何か、巨大な力の奔流が北から迫ってくる! すみません。一旦引き返して下さい!」
 オシリスの懇願に、山畠はペイブロウを佐賀方面へと引き返す。直後、津波とも思える力の奔流が福岡全土を覆い尽くしたのだった。
「イシスは……妃美子達は無事でしょうか?」

*        *        *

 時は戻り、事は前後する。博多・福岡駐屯地でも狂気の主との戦いが再開されていた。如何に月明かりに満ちているとはいえ、夜に闇の権化たる“黒の王”と相対するのは自殺行為と嘲笑われるかも知れない。だが一度弛んだ精神のたがは惑わされて、容易に狂気へとひた走る。
「 ―― SANチェックに失敗すれば正気度が減る。正気度が減ればまたSANチェックに失敗する。そういうものだ。負への悪循環だな」
 同僚の嘆きに、どういう意味だろう?と雪村は眉をひそめた。今までも時間があれば、趣味でもある剣術の訓練に費やしてきた。同僚等が卓を囲んで、テーブルトーク型RPGに興ずるのを横目にしていたが、話題についていく為に、僕も遊んでいれば良かっただろうか? 戦いを通して、風守だけでなく後藤といった元・飯塚駐屯地の面子とも交友(?)関係を築いてきた。この戦いが収まれば、余暇を剣術の訓練に費やすだけでなく、彼等との付き合いを増やす方向で過ごすのも悪くないかも知れない。
「……その為には、必ず生き残らなくちゃいけないんだけど。そして生き残るには、先ず敵を知らなければならない」
 廊下から果敢に行われている味方の銃撃戦を陽動として、再び雪村は天井裏に忍び寄る。このまま不意を討てれば僥倖だが、
「……さすがに期待するのは虫が良過ぎるね」
 上階の床と、下階の天井に生じた隙間を醜い人に似た面をした鼠のような超常体 ―― ラット・シングが駆け回っているのを見て、目を細めた。
 ランクは低位下級に位置付けられるが、その小柄さと俊敏さで閉所を駆け回り、電線を齧ったり、水道管を破裂させたりするといった生活を脅かす憎き敵だ。ある意味、厄介さだけでいうならば中型の超常体より始末が悪い。活動範囲は北海道(南北亜米利加)を中心にするが、おそらくは“黒の王”が嫌がらせに持ち込んできたのだろう。赤子のような五指で掴みかかってきては、黄色い牙で雪村を齧ろうとしてくる。
「えーい、邪魔だよ!」
 雪村が抜いた銃剣で払うと、ラット・シングは奇声を発して逃げ惑う。少なくともこれで執務室への奇襲は無理だろう。それでも匍匐で辿り着くと、眼下を覗いた。
( 金属製の箱 ―― 輝くトラペゾヘドロンは? )
 今や預言者とも言うべきH.P.ラヴクラフトが記した小説に、書き著されている偏方多面体。“這い寄る混沌”に深く関係するソレの記述と、先日に見掛けた金属製の箱に収められていたモノとの一致。“這い寄る混沌”の化身を召喚する工芸品とあるが、超常体がはびこり、憑魔に寄生されるこの世界ではもう1つの意味が見えてくる。―― 核。とりわけ異形系を敵にするに至っては、頭脳とも心臓とも言われる、この部位を探り当てているか否かで勝負が決まる。アレが“這い寄る混沌”の核だとすれば?
「……勿論、無造作に机の上に置き放しにしたままにする訳はないがね」
 そう含み笑いをしながら、見上げてくる“黒の王”と視線が合った。親しい友人に呼び掛けてくるような気軽な仕草で“黒の王”の右手が上がる。だが親愛の情ではあるまい ―― 握られているのはIMI(イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ)デザートイーグル。50アクション・エキスプレス弾が放たれる直前、頭で判断するより早く、雪村は天井板を踏み抜くと、室内に降り立った。手榴弾のピンを弾いて、投げる。レバーが外れて、激しい光と音、そして衝撃が起こった。“黒の王”の呻き声が上がり、デザートイーグルで乱射してくる。掠っただけでも肉片を抉り取っていく代物だ。雪村は暴れ回る銃口から身を避ける。撃ち尽くして再装弾する隙を突いて、別の手榴弾を放った。炎に包まれた“黒の王”が怒声を上げた。
「 ―― この狭い室内では、君も閃光に耐えられまい! なのに、どうして自由に動ける!?」
 空いた手で目元を押さえながら呻く“黒の王”はもう片手で何とか炎を振り払う。焦げ、或いは爛れた姿が痛々しいが、雪村は攻撃を畳み掛けた。閃光が再び生じて“黒の王”の傷口を灼く。再生を上回る激痛に“黒の王”はのた打ち回るだけ。
「……タネを明かせば簡単なんだ。セトが引き起こした砂漠化で、僕は米海兵隊から払い下げ品を貰っていたんだよ。デザート・カモのユニフォームに、キャメル・バッグ。デザート・ブーツに、そして」
 目元まで下ろしていたゴーグルを親指で示した。ダスト・ゴーグル ―― 砂塵から視界を護る為の物だが、日射や照り返しの強い環境を考慮して、偏光ガラスが使われているものもある。完全に、とはいかないものの閃光を和らげてくれていた。
「……まさか僕もこんなところで、こんなものが役に立つとは思っていなかったよ」
 ちなみに音対策は耳に詰め込んでいた脱脂綿。“黒の王”が怒声を張り上げなければ、何を言ってきたのか実は判らなかったのは、ここだけの話。
 焼夷手榴弾を更に放る。再生速度を上回る攻撃に、ついに“黒の王”が崩れた。
「……もしかして、倒せた?」
 だがトラペゾヘドロンの破壊は終えていない。相手は異形系だ。愛刀を抜いて、油断なく構える。
 ……果たして、動きがあった。“黒の王”の身体が最初は微かに、そして段々と激しく震えながら、膨らんでいく。雪村は思わず後ずさった。執務室を埋め尽くすかと思われた“黒の王”の膨張は、雪村を生き埋めにする寸前で止まる。そして『黒い』というこの世のものではない光を放って、遺骸を割って中からトラペゾヘドロンが浮き上がってきた。だが雪村が手を伸ばすより早く、周囲の闇がトラペゾヘドロンを核に凝縮していき、そして“死”が生じた。
 ―― 人の頭部と、獅子の胴体、そして鷲の翼を生やした獣。“王”が死後に被る王冠(ネメス)と儀式用の飾り鬚。だが顔は濃い闇や黒で覆われていた。……“這い寄る混沌”が化身の1つ“無貌の神獣フェイスレス・スフィンクス[――])”。人型であった“黒の王”と違って、戦闘に特化した形態。
 雪村が最後に残った焼夷手榴弾を投擲するも、翼が羽ばたいて炎を掻き消す。それでなくとも炎は黒い獣毛を焦がす事はなかった。―― 揺らぎを感じて、咄嗟に刀を掲げる。瞬間、振り下ろされた前脚に雪村は押し潰されていた。重圧に肋骨が悲鳴を上げている。
 ……動きが全く見えなかった。刀を掲げていなければ、鋭い爪で引き裂かれていただろう。しかも抜き身の刀身に触れているのに、前脚には傷1つ付いていなかった。
 もはや軽口も、怒声もなく、ただ無音のまま、純粋に全てを破壊する獣。……狂気を撒く神の獣より、雪村は死を賜る ―― その瞬間に奇跡が起こった。
 突然に外から圧倒的な力の奔流が、場を襲う。勢いに身体を押されたのか“無貌の神獣”の体勢が崩れ、雪村を重圧から解放する。潮騒の匂いと、音。それだけでなく雪村は自分の身から力が湧いて来るのを感じた。這って脱け出すと、立ち上がりざまに斬り付ける。傷1つ負わなかったはずの獣皮が確かに裂かれた。“無貌の神獣”の素早い反撃が来たものの、先程とは違って、まだ眼で何とか追えるぐらいに落ちている。原因は解らないが、明らかに“無貌の神獣”は能力低下しているようだった。
( もしかしたら……宗像三女神が解放された? 風守達がやってくれたんだ )
 ―― 勝つ望みが見えてきた。だが確実ではない。雪村は身の安全と、戦いを次に伝える事を優先する。最後まで温存していた閃光手榴弾を放ると、この場は撤退を選んだのだった。

*        *        *

 月明かりとは異なる、眩い光にセトを包囲していた隊員達は緊張を走らせる。東の鷹取山方面からホルスが舞い降りてきた。
「 ―― 対空戦闘用意! ホルスを敵と看做し、最大火力を以って……」
「……待って下さい! 大蔵三曹から通信が! 神宮司准尉がホルスとの交渉に成功したそうです」
 空に打ち上げられた信号弾に発炎筒からの煙、そして途切れ途切れの電波を拾いながら、通信士が報告すると、攻撃群長は高射特科への命令を中断した。
「……だが直ぐに攻撃出来るように準備を進めておけ。相手は高位上級超常体だ。セトを倒せば、次に討ち果たさなくてはならん。―― まぁとにかく今はホルスに構わず、セトに集中砲火を浴びせろ」
「……待って下さい。その」
 申し訳なさそうに、通信士が続ける。
「セト攻撃も中断して欲しいという要望が……」

 ホルスの飛来に緊張が走ったのは、維持部隊だけではない。騒ぎ出すバビの中心で、セトもまた首を持ち上げてホルスを睨み付ける。巨大な皮翼を広げ、威嚇音を上げようとした。―― が、ホルスの下で発炎筒の煙を上げながら走るこちらを見て、硬直する。
「……見ろよ、神宮司准尉。セトめ、明らかに狼狽しているようだぜ。まさかホルスと同じ反応を示すとはな」
 DPVを運転しながら、ウェインが歯を剥き出して笑う。セトが動きを止めたのは、縁をしかと掴みながらも架台に立つ少女イシスの姿。勿論、悪路に荒れ狂うDPVから落ちないよう、腰にしがみつくようにハトホルが支えていた。
「……本気でセトと交渉するつもりですか? ホルスと違って、攻撃中止までは保障出来ませんよ」
 重ねて何度も業子が注意するが、イシスの意思は固そうだった。イシスの強い瞳に射抜かれてセトが頭を垂れる。バビの群れを呆気無くすり抜けると、DPVはセトの眼前に躍り出る。ホルスが上空を優雅に舞う中、セトとイシスは見つめ合うだけ。
「……何を喋っているのでしょうか?」
「さて。やろうと思えば出来るけど……わざわざ盗み聞きするつもりはねぇな」
 イシスとセトの遣り取りを横目に見ながら、ウェインはラッチを後ろに押して21.5mm信号拳銃のバレルをブレイク・オープン。弾を詰め替える。そして小声で同乗している部下に合図。油断無く、搭載していた96式40mm自動擲弾銃を用意させる。業子もまた折り畳み式のBUDDYを掴んでいた。
 業子達が見守る中、幾度かセトが唸り声を上げていたものの、ついにイシスが微笑を浮かべる。
「 ―― 話が付きました。このまま私達はこの世界からアポピスを追放する為に別府に向かいたいと思います。……無理を承知で頼みますが、包囲を解いて下さるように掛け合って頂けませんか?」
「 ―― さすがに、それは難しいですね。……穏健派だというあなた達はともかくセトは強硬派なのでしょう? アポピスを追放出来ても、その後に再び戦い合う事になりますもの」
「……セトといえども、あの人 ―― オシリスが復活して“遊戯”の負けを認めてしまえば、強行する意味はありません。そして、あの姿ですから、この世界に隠れ潜み、生きていく事も出来ないでしょう。―― セトと、そしてホルスは退出していくしかありません」
「アメンはどうなる?」
「アポピスを追放するという事は、必然的にアメン様にも負けを認めさせるのが前提です」
「つまりは王権がオシリスに下る、と。……無事に復活していればの話になりますけれどもね。―― 成瀬士長は首尾良く進めているかしら?」
 とりあえず、攻撃群長に再び話を通す必要があるだろう。先の戦いで出た死傷者を考えれば、易々と了解は得られないだろうが……これ以上の犠牲者と引き換えと考えれば、悪くない取引かも知れない。
 そう考えていたウェインだったが、急に憑魔核が疼き出した。強制侵蝕現象に似ているが、それよりも暖かく優しい感じ。覚醒させている訳でもないのに、北西から強大な力が押し寄せてくるのを感じ取る。幻視した津波に、思わず悲鳴を上げた。
 ―― 奔流を浴びて、内から力が湧き出てくる感じを受ける。部下や、業子も同様だった。歓声を上げそうになるが ―― セトとホルスが上げた嘆きにも似た叫びに血の気が引いた。周囲を見れば、バビがのた打ち回りながら絶命している。自分達とは相反する影響。そして、それはバビだけではない。先程まで微笑を浮かべていたはずのイシス達は地に伏し、苦悶の表情と変わっていた。喘ぎながら、空気を貪るように喉を掻きむしる。アヌビスに至っては身動ぎもしていない。手当てをすべくウェインが慌てて手当てをしようと駆け寄ろうとするのを、光線が阻んだ。見上げればホルスの怒りに満ちた眼で睨み付けてくる。怒り、恨み、そして憎しみ。
「 ―― いや。これは何かの不可抗力だ! 決して騙し討ちした訳じゃない!」
 抗弁しようにもホルスは聞き訳がない。怪鳥音を上げると、セトが咆哮をもって応じる。皮翼を広げると、一気に温度が下がった。
「 ――〈渇きの風〉かっ」
 だが、この至近距離においても、肌寒くなった程度。先程の戦いで見せたような、極寒という程ではない。
「……弱体化している?」
 理由は解らないが、セトは能力低下している。ホルスも動きが鈍く感じた。もしかして先程の奔流が影響しているのだろうか。人間に力を湧き上がらせ、逆に超常体の力を抑える、そんな影響が。だがイシス達までも深刻な悪影響を及ぼすとは ―― 交渉がまとまったのに、何てタイミングが悪い!
「……予想外の相手から介入を受ける危険はあると警戒していましたが。まさか、こんな事が起こるなんて」
 業子が呻く。ウェインが万一の事を考えて詰めていた信号弾を放つ ―― 交渉失敗、攻撃再開の合図。野戦特科から砲撃が開始された。慌ててウェインはDPVをチェック ―― 大丈夫、〈渇きの風〉を受けてもなお動く。
 飛来する砲弾を掻い潜りながら舞い上がったホルスが、セトの尾を掴む。ウェインは何か力が伝達しているのを感じ取った ―― 瞬間、ホルスの嘴から一条の光が放たれる。光の直撃を浴びた203mm自走榴弾砲サンダーボルトを中心にして半径50mの範囲にあるものが、影だけを地面に灼き付けて蒸発した。
 再びセトが周囲の熱を吸収し、力に変換。変換された力は、尾を通じてホルスに伝えられて、発射されていく。
「……抑制されていて、これほどか」
「確かに完全状態ならば、アポピスでも滅ぼせるでしょうね……〈渇きの風〉が吸収して変換する熱量は膨大なものとなり、またホルスの放つ光子砲の威力や範囲も大きく上回るでしょうから」
 味方にすれば最強のタッグ攻撃。だが、それも今では叶うはずも無い夢幻となった。むしろ神話時代の仇敵同士が、人間を相手に共闘状態という最悪状況に。
「とはいえ、怒りに我を失って、足元がお留守な今のうちだ。気付かれる前に、イシス達を救助して脱出するぞ! オレ達も砲弾に巻き込まれかねねぇ」
 ウェインの言葉に激しく同意すると、業子達は協力してイシスとハトホルの身柄を保護する。そしてホルスとセトに気付かれる前に脱出した。

*        *        *

 セト&ホルスとの戦場から大きく退き、共立病院跡地に駆け込む。すぐに手当てを施されて、イシスもハトホルも最悪の状況は免れた。
 安堵の息を吐くウェインは、ツングースカに戻った業子に報告を入れるべく無線機を弄る。
「……津波の影響がまた1つ。今頃になって電波状態が回復しやがった。となれば、殻島のオッサンにも繋がるかな……ん?」
 割り込んで、無線機から声が轟いた。

 そして……あらゆる通信機器から、電波ジャックした放送が流れてくる。凛々しい女声が響き渡る。
『 ―― 諸君』
 対空自走砲2S6統合型防空システム『ツングースカ』の車長席に座り、ホルスへの対空砲撃指示を部下に出そうとした業子の眉が潜まる。
『諸君』
 直方市の状況に表情を暗くしていた成瀬と丸美が、ペイブロウのキャビンの中で顔を見合わせた。操縦席では山畠が顔を厳しくする。
『諸君――』
 女の声は、三度同じ呼びかけをし、
『もうすぐ約束されし時がくる! 安息と至福に満ちた神なる国が!』
 偵察用オートバイ『ホンダXLR250R』を駆っていた風守が、搭載されている隊用携帯無線機からの声に唇を噛む。
『 ―― 私は松塚・朱鷺子、旧国連維持軍・神州結界維持部隊・西部方面隊第8師団第42連隊所属、第85中隊隊長だったもの。天草を拠点として腐れきった日本国政府からの独立を唱え、宣戦布告をしたものとして覚えておられるだろう』
 ……知るか、と吐き棄てる真名瀬。鹿島は腕を組んで、首を傾げる。
『かつて、私はこう言った。―― 我々は、日本国に生まれ育ち、そして超常体と呼ばれる来訪者達を身に宿したというだけで自由と生存権を奪われ、その裏に己の保身と私欲に走る愚鈍な各国政府と日本国政府との間に密約があったという事を!』
 放送主は一息吐き、そして爆弾発言を続けた。
『その証拠を今こそ示そう! その時が来たのだ。証拠とは――』
 雪村は誰かが嘲笑いの声を上げた気がした。
『 ―― 私自身だ! 私という存在がその証拠である。私は……我こそは処罰の七天使が1柱“ 神の杖(フトリエル) ”―― 最高位最上級にある超常体、熾天使(セラフ)である!』
 奥歯を噛み締める音が聞こえた。
『我は、この世界に“ ”の御命による安息と至福に満ちた国を建てる為に愚かなる者どもを打ち倒し、魑魅魍魎を祓い出すよう申しつけられ顕現した。己が自由と誇り、生命を守る為に、当然ながら我等に抗われるだろうと覚悟の上で、だ。しかし――』
 悲しみと怒りに満ちた声が周囲に渦巻く。
『 ―― あろうことか、愚鈍な者どもは保身と私欲の為に我等に媚び諂うと、この国を売り渡したのだ』
 糾弾するフトリエルの声が天に満ちた。
『 ―― 怒れよ、戦士達。我は、同志であれ、同志で無くとも、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた諸君等に惜しみない賞賛と敬意を送る。と、ともに問い掛けたい。…… 我は諸君等の敵であるとされていた。確かに我等は諸君等を殺め、命を奪ってきたものだ。だが、真なる敵は諸君等から自由と権利を奪い取り、そして何よりも誇りと生命を軽んじている者どもではないだろうか!?』
 聞く者の心に、困惑と、そして嘆きが迫ってきていた。呆然が憤然に取って代わる。
『今一度、呼びかけたい。―― 我は約束する! 戦いの末、“ ”の栄光の下で真なる安息と至福を諸君等に与えよう。ゆえに己が自由と誇り、生命を守る為に、この理不尽なる全てに対して抗いの声を上げよ。そして我等とともに戦い抜こうではないか!』
 …… 聖約が、もたらされた――。

 ハインドの操縦桿を握りながら、イェゴリーは溜め息を吐く。そしてキャビンへと呼び掛けた。
「……だってさ、ヤマモトスキー。どうする?」
「どうするも、何も……。しかし、最悪のタイミングで通信状態が回復してしまった気が……」
 キャビンの中で、山本は肩を落とした。

 

■選択肢
EgH−01)直方市方面でセトに止め
EgH−02)直方市方面でホルス撃墜
EgH−03)直方市方面でイシス謀殺
EgH−04)直方市方面から逃亡幇助
EgH−05)別府駐屯地のアメン打倒
EgP−06)“貪欲”のアメンに神罰
EgG−07)アメンに“力”を求める
EgH−08)博多の“無貌の神獣”戦
EgP−09)博多・福岡駐屯地で決起
EgG−10)“無貌の神獣”より狂気
EgH−FA)北九州の何処かで何かを


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に、当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 直方市一帯・別府駐屯地・福岡駐屯地では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、死亡率も高いので注意されたし。
 対セト&ホルス戦は、この直後から始まるものとする。なおイシス達は意識薄弱の重体に陥っている為に「直方市」から身動きが取れない。オシリス達は最終回開始時点で「直方市」に到着しており、力尽く(※仕方なくセト並びにホルスを殺害してしまう事も含む)ででも戦闘を停止させてから、イシス達を連れて隠遁する事を希望している。基本的に、維持部隊に協力する意思は無い事に注意するように(恩義ある相手からの個人的頼みとしてならば聞くが)。
 対アメン戦に参加する者は、『落日』虎森兄妹に指示する事が出来る。鐘起は操氣系のアサルト/スカウト、鈴芽は幻風系のスカウト/オペレーター。但し、正しく指示を出さない場合は2人揃って役立たずなので悪しからず。またアメンに勝っても、具体的なアポピス対策を見出さない限りは、完全顕現した際に呑み込まれて死亡確定である事を覚悟しておいて欲しい。
 なお維持部隊に不信感を抱き、誓約に呼応する場合はEgP選択肢を。アメンに従って世界破滅を望むか、或いは“無貌の神獣”の狂気に触れたい場合はEgG選択肢を。なお人間社会を離れて独自に行動したい場合はFA選択肢にて扱う。

 泣いても笑っても、次が『隔離戦区・砂海神殿』第4師団( 北九州 = 埃及 )編の最終回である。後悔無き選択を! 幸運を祈る!

※註) セクメト……バステトではなく、ホルスの妻であるハトホルの側面という説もある。これはセクメトが獅子の頭部に、牝牛の角を持っていたからであり、獅子(猫科)の部位がバステトに、牝牛の部位がハトホルに受け継がれたのだろう。ハトホルだけでなく、バステトも家庭を守護する女神だという事は意外に知られていない。いずれにしろ殺戮のセクメトが、バステトあるいはハトホルという家庭の守護神に変わるというエピソードは、ヒンドゥー神話のパールヴァテイとドゥルガー(及びカーリー)に似た点があり、面白いだろう。


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