第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 最終回 〜 北九州:埃及


Eg6『 黒き太陽を越えて 』

 怪鳥音が、甲高く鳴り響く。金色の翼を広げた隼 ―― ホルス[――]が鳴き声を上げるたびに、全方位へと光線が放たれる。被弾した高機動車『疾風』から普通科隊員が慌てて降りた。
「 ―― でっかいのが、また来るぞ!」
 怒声にも似た、悲痛な叫びが沸き起こる。ホルスが掴まっている尾の元 ―― 黒竜 セト[――]が皮翼を広げると、一気に周囲の温度が下がった。周囲の熱量を吸収して力に変換する〈渇きの風〉。力はセトの尾を通じてホルスに伝達され、光砲となって発射される。
 ……福岡県直方市を戦場とした対セト攻撃は、一時期は何らかの働き掛けにより平穏無事に回避される様相を見せていた。
 だが宗像方面から突如として押し寄せてきた力の奔流を受けて、セトだけでなく、ホルスもまた激昂。埃及神話来の仇敵同士が手を組んで、ここに戦闘が再開されていた。
 宗像からの力を受けて攻撃力や機動性が弱体化していると思われるが、それでもセトとホルスは強大だ。155mm榴弾砲FH-70『サンダーストーン』の攻撃や地対空誘導弾『改良ホーク(Homing All the Way Killer)』に傷付きながらも、猛威を振るっている。
 特に着弾点から半径50mの範囲にあるものを一瞬にして蒸発させるほどの威力を持つ、ホルスの光子砲は厄介極まりない。これでも抑制されているというのだから、相対した者達にとって絶望的な境地に立たされていると言えよう。防御も回避も不可な、MAP兵器。ホルスの嘴がこちらを向いたら、その時点でアウトだ。自然、ホルスへと集中砲火を与え、発射態勢を取らせないようにするしかない。だが天蓋を覆うほどのセトの皮翼が防御幕となり、ホルスへと直撃は当たっていなかった。
「 ―― 奴らを切り離してくれ!」
 対セト攻撃群長たる、神州結界維持部隊西部方面隊・第4師団第19普通科連隊長(一等陸佐)が、特科大隊長(二等陸佐)に指示する。
「標的が2つになるが、いいのか?」
 セトとホルスも巨体である上に、現状では尾を通じて1つに固まっている。離れられたら、機動性を以って蹂躙されるのでは? だが特科大隊長の危惧よりも、
「このまま特大のを撃ち込まれ続けるよりはマシだ。野戦特科はセトを、高射特科はホルスを狙ってくれ。普通科は機会を待て!」
 指示はすぐさま、全隊員に伝わる。
『 ……要請は聞こえたか、神宮司准尉』
「 ―― はい、間違いなく」
 ロシア製対空自走砲2S6統合型防空システム『ツングースカ』の車長席に座る、第4師団第4高射特科大隊・第40分隊 ―― 通称『ツングースカ隊』隊長、神宮司・業子(じんぐうじ・のりこ)准陸尉はよどみなく返事をする。
 いつも平静穏やかの笑みを湛える、年齢不詳のナイスバディを持つ美女は、だが今はそこには居ない。居るのは、前世紀から超常体相手の戦いに生き残ってきた古強者。部下、同僚、そして上官から頼りにされる、歴戦の勇士だ。
『 ―― ツングースカが頼りだ。ミサイルだけでなく、対空機関砲を撃ちまくってくれ! そちらに注意が向く事が無いよう、こちらも全力を尽くす!』
「かしこまりました。―― 各車、砲弾残数確認。機関全速しての、対空砲火用意。グリソン全弾発射。着弾確認の要なし。全速で後退離脱する」
 業子の言葉に復唱する、ツングースカ隊員達。前進の号令に、周囲から改良ホークだけでなく91式携帯地対空誘導弾ハンドアローを担いだ普通科隊員もまた果敢にも攻撃し、注意を逸らしてくれた。
 毎分5千の発射速度を有する2連砲身式機関砲2基4門で30mm砲弾をバラ撒きながら接近すると、9M311 ―― NATOコード:SA-19グリソン対空ミサイルの発射筒が目標へと向けられた。
 ツングースカ2機の計16発を叩き込めば、さすがにセトの皮翼は破って防御を貫く。幾つかがホルスと、そしてセトの尾へと直撃した。轟音を立てて、千切れたセトの尾は地面へと落下する。慌ててホルスは空へと舞い上がった。
『 ―― 築城基地に航空支援要請! あん? ここには芦屋の方が近いって? ……どこからでも良いから要撃機を回せ! 空中戦だっ!』
 通信から攻撃群長の怒鳴り声が上がるのを耳にしながら、業子は唇を噛み締める。難しくなったが、それでも説得が出来さえすれば……。
「 ―― 准尉。南西方向上空に機影を確認」
 業子の思考を中断させる部下の声。航空支援にしては早過ぎるが……。
「機体を認証しました。戦闘捜索及救難隊・試験班機 ―― ペイブロウです!」

 共立病院跡地に張られたテントの中に運び込んだ少女2人と黒犬1匹を前にして、第4師団第19普通科連隊内衛生小隊 ―― 人呼んで『特攻野郎Mチーム』長、ウェイン・大蔵(−・おおくら)三等陸曹が意識を集中する。
 すぐに手当てを施したおかげで、2人の少女 ―― 石守・妃美子[いしもり・ひみこ]陸士長こと イシス[――]、堀田・鳩子[ほった・はとこ]一等陸士こと ハトホル[――]は、最悪の事態すなわち死亡を免れたが、それでも意識不明の重体だ。
 外傷ならびに骨折が無い事は確認。だが極端な顔面蒼白、冷たく汗ばんだ皮膚、弱いが早い脈……いわゆるショック状態。危険な兆候が続いている。溺水の兆候も見られるが……。
( やはり内気が乱れていやがる…… )
 宗像からの力の奔流は、ラー神群の魔人である少女2人にとって攻撃的に襲い掛かった。奔流に打ちのめされて、身体を流れている気が乱れているのだ。
 ウェインは大きく息を吐き、そして小さく吸った。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 掌を肌に触れるかどうかまで伸ばすと、氣を送り込む。同時に、相手の気を整調していった。見る見る、荒い息を繰り返していたイシスとハトホルの呼吸が落ち着いたものになっていく。さて問題は ――。
「ホルスやセトのような怪物じみた姿や、人間の身体よりも、動物型の方が深刻な損害を受けるのか」
 黒犬 アヌビス[――]は身動きもせず、息もしていない。心臓がある辺りを探ってみたが鼓動らしきものは感じ取れなかった。アヌビスは死んだのだ。
「それでも、蘇生の可能性が無いわけじゃない。外傷はなく、ショック死だ。まだ魂が繋ぎ止められるかもしれねぇ」
 魂の存在は、神州世界においても証明されていない。完全な死に、復活はありえない。だが疾患等による呼吸や心臓停止には、迅速な救命措置による蘇生の可能性はゼロでは無い。
 アヌビスに掌を直接当ててウェインは氣を送り込む。強く念じて生命の息吹を注ぐ。しかし黒犬は身動ぎもしない。……駄目か、駄目なのか? 唇を噛み締めるウェインだったが、
「 ―― 手を貸します」
 突然、背中に手を当てられた。宗像とは異質ながらも、同じような強大な力を受け取り、ウェインを通じてアヌビスへと注ぎ込まれた。アヌビスの四肢が痙攣したように跳ねる。
「……よっしゃ! 蘇ってくれたぜ!」
 ウェインは両の手を叩いて、ガッツポーズ。それから助力の礼を言うべく振り向いた。そこに居たのは、儚げな面立ちの美少年。後ろには馬面似の壮年と、薄汚れた看護衣を着たWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)が続く。ウェインは頬を掻くと、とりあえず見知った顔に挨拶した。
「……よう。久し振り、成瀬のオッサン。聞いたぜ、ロリコンだったんだって?」
「 ―― ロリコン、違ーう!」
 馬面似の 成瀬・蔵人(なるせ・くろうど)陸士長は激しい身振りを以って疑惑を否定。ウェインは意地悪く声を立てて笑った。
「……冗談、冗談。だが、とすると、このお子ちゃまが ――」
「オシリスです。妻イシス ―― 婚約者の妃美子と、家族であるアヌビスとハトホルの命を救って下さり、熱く礼を申し上げます」
 オシリス[――]と名乗った美少年は微笑んできたので、肩をすくめてウェインは応じる。
「……で、ウェイン先輩。妃美子と鳩子の調子は大丈夫なんすね?」
「オマエさん、オレを誰だと思っていやがる。……ていうか、オマエさんもラー神群だったのか、加藤?」
 看護衣WACを見詰めて、ウェインが溜め息を吐く。ほうと成瀬が笑った。
「セルケト君。君の本名は、加藤という姓なのか」
「……今は、その名前で呼ぶなよ」
「何が、不満だ。加藤瀬里菜。親が付けてくれた素敵な名前じゃねぇか、加藤瀬里菜。それとも衛生科の先輩であるオレに文句があるのか、加藤瀬里菜」
 加藤・瀬里菜[かとう・せりな]という現身名を連呼されて セルケト[――]が唸り声を上げる。
「ウェイン先輩、勘弁してくれよ。一応、アタイなりにケジメつけようと思っていたんだからさ……」
 何だか涙声なセルケトに、ウェインは唇の端をゆがませると、
「 ―― ま、再会を祝しての遊びはさておき」
「……遊びだったのかよ」
 打ちひしがれるセルケトを無視して、ウェインはオシリスや成瀬と向き直る。
「……セトとホルスへの攻撃は激化していく一方だ。だが、それでもオレは何とか説得して、アポ何とかのとこに向かわせたい、と考えている」
 イシスから聞いた、闇の渾沌蛇 アポピス[――]の危険性。各方面に情報を浸透させれば、セトやホルスが大分に向かう場合に限りではあるが、攻撃中止への流れも再び作れるかも知れない。
「ふーむ! 中々にウェイン君も鋭い」
「『も』は余計だ」
「僕もアメンを何とか出来ればラー神群は敵でなくなるので……セトとホルスを倒す必要は無いかと考えているのだよ」
 大仰な身振りで、成瀬は補足説明をする。
 第41普通科連隊長、大上・陽太郎[おおかみ・ようたろう]一等陸佐こと アメン[――]―― 最高位最上級超常体、七つの大罪が1つ“ 貪欲 ”を司りし大魔王にして、七十二柱の魔界王侯貴族の1柱『炎の大侯爵』は、ラー神群の勝敗を決する存在でもある。アメンさえ倒せばラー神群を束ねる王権はオシリスに移り、彼は『敗北』を認め、“ 遊戯 ”から降りる事を宣誓する。
「……だから説得が失敗しても、戦闘不能に追い込むか、撤退させる事が出来れば充分かと」
 だがオシリスは浮かない表情で、
「ホルスには妃美子や鳩子だけでなく、さらに僕も加わりますので再度の説得の機会はあるでしょう。しかし、セトについては……」
「 ―― 神話上のわだかまりがあるかね?」
「今度の事はアメンやコンスの計画による濡れ衣とはいえ、セトが僕を殺して王権を得ようとしたのは事実です。妃美子は優しいから平和的な解決を望んでいたのでしょうが、僕はセトがアポピスを倒せば収まるとは思っていません。最悪……」
「 ―― 最悪、アポピスやアメンを倒した後、返す刀でオシリスを葬らんとしてもオカシクはないな」
 大型輸送回転翼機(ヘリコプター)MH-53Mペイブロウを駐機し、また報告を終えてきた、西部方面支援飛行隊・戦闘捜索及救難隊試験班長、山畠・大地(やまばたけ・だいち)准空尉が顔を出すと同時に意見を述べた。
「そうなれば当然ホルスも黙ってはいない。二大怪獣決戦が続くだけだ。巻き込まれる周辺が溜まったものでは無いぞ。……実際、福岡県域は宗像三女神の力で抑えられているとはいえ、大分県域にまでその効果が及んでいるかは怪しい。更に言えば威力が弱まったとしても〈渇きの風〉は厄介極まりないのだから」
 と、なれば……。
「 ―― セトは諦めるしかないという事か」
 成瀬が重く溜め息を吐いた。
「まぁ、説得が出来るのならば、それに越した事は無いだろう。セトが応じるかどうかまでは、仕方ないが私達の責任では無い。―― ところで戦後処理に関して、オシリス、おまえ達に私から提案があるのだが……」
「何でしょう?」
 オシリスは真面目な顔をすると山畠の言葉を待っていた。
「 ―― 私のコネに、維持部隊の裏側に精通している機関がある。おまえ達が結界維持部隊に協力する気があるなら仲介するが……」
「ああ。……電波妖精の連中か?」
 成瀬の問い掛けに、山畠は顔をますます厳つくさせながらも頷いた。
「 ―― 関わったのも何かの縁だ。手当てもするし、後方までは移送を保証しよう。だが、それ以上の事は出来ないぞ?」
 確かに維持部隊の裏側に存在しているという『落日』なる機関と関係を持てれば、ラー神群穏健派も少なくとも隠れ潜む必要は無くなるかもしれない。だが、
「申し出はありがたいのですが、僕達はやはり維持部隊を離れます。でも皆さんから受けた恩は忘れませんので、必要な時はお声を掛けて下さい」
 オシリスの返事に、そうかと山畠は苦笑した。
「さて、ホルスとセトへの攻撃は苛烈になっていっているようだ。手遅れになる前に動いた方が良い。それに……セトやホルスだけが敵では無いしな。燻ぶっている奴は他にも居るだろう」
「 ―― 天草叛乱部隊の放送か?」
 ウェインの呟きに、山畠は然りと頷いた。
 天草叛乱首謀者、松塚・朱鷺子[まつづか・ときこ]―― 処罰の七天使が1柱“ 神の杖フトリエル)”の爆弾発言を受けて、神州各地の部隊は大混乱に陥っていた。元より、隔離された国土で、勝ち過ぎず負け過ぎずの果てしなき戦いを強いらせられていたのだ。潜在的な不満は誰しも有していた。朱鷺子の爆弾発言は、その堪忍袋に止めを刺したも同義。各地で朱鷺子に賛同すべく叛乱決起する者、また脱柵・離反する者も多く出ているという。
「 ―― 馬鹿が、我が身可愛さの上層部は不甲斐ないとは言え、“ 主 ”とやらの為に戦った記憶など無いわ。神の国に賛同するくらいなら、疾うの昔に我々は反乱を起こしている」
「 ―― そんな山畠准尉ほど、ヒトは達観したものでは無いがね」
 肩をすくめる成瀬。とはいえ、
「さすがに眼前の敵を無視して、叛乱を起こすほど愚かではないだろうさ。それに……」
 ウェインが唇の端を歪ませて笑った。
「 ―― 馬鹿ばかりじゃないって事さ」

*        *        *

 封じられていた宗像三女神の解放に伴い、砂漠化が停止。それによって無線電波を妨害していた砂塵の嵐が沈静化した事により、九州北部の通信状況は回復したと言える。
 もっとも、その為に、フトリエルの煽動放送までもが流れてしまったのだが……。
「あー。フトリエルとかいう超常体がぶち上げた演説に対抗するべく、こちらも宗像三女神に御出馬を願いまして、日本人の結束を訴えては如何かと思います」
 山本・和馬(やまもと・かずま)三等陸曹の上申に、第4師団長の 立花・巌[たちばな・いわお]陸将亡き後、博多の福岡駐屯地を預かっている副団長が面を上げた。何だか泣きそうである。
「……山本三曹。私が直々に君を呼び出したのは、そういう意見を聞く為ではなかったんだが」
 今まで立花陸将の隣で、胃を痛めながらも健気に頑張ってきた副団長はとにかく気弱そうな男だった。髪が薄い。今も気休めに胃薬錠剤の瓶を握り締めながら、山本に問い直す。
「 ―― 駐日エジプト・アラブ共和国軍(※以下、駐日埃軍と呼称)の壊滅に関して訪ねたかったんだが……」
「それに関しては、第4偵察大隊の風守二士から報告が上がっているはずですが」
 しれっと答えてみる。
「……二等陸士を呼び出して詰問しても仕方ないだろう。准幹部(※下士官)たる君から見聞きしたであろう事が聞きたいんだよ……」
 胃の辺りを押さえながら、涙声。
( ……階級だけならば、同じく“ 悪企み ”に関わったイェゴリーの方が上なんだが )
 春日航空基地で別れてから連絡を取っていないが、逃げたのかもしれない。まぁ、いいか。
「あー。前回の大津波なんですがー。起こっちゃった事は仕方ないですよね。どうせ神州見捨てた奴等だし」
「組長……まあ、それはそうなんですけど……」
 補佐すべく同じく出頭していた、宮元・鈴鹿[みやもと・すずか]二等陸士が眉を潜めたが、山本は悪びれずに肩をすくめる。
「 ―― だろ?」
「……身も蓋も無い言い方ですね」
 小声なのだが、副団長には丸聞こえ。机の端を掴みながら、身悶えしていた。息が荒い。
「 ―― 解った。もう、その件は良いっ! 上層部からも、その件に関しては『不問にしろ』という通達が来ている。第一、『封印された宗像三女神が力を揮った』なんて記録に残せないだろう……?」
 日本古来の超常体 ―― 神々が封印されていたという事実は“ 無い ”とされている。従って“ 解放された ”という事実も無い。事実が無い以上は、原因不明の災害(たいていは超常体の襲撃)によって駐日埃軍は壊滅した ―― そう、公式には記録されるだろう。
 副団長の髪の数本が抜け落ち、風に流れていった。下がって良しの合図に、だが山本は、
「 ―― それで、本官の上申は……」
「ああ、もう好きにしたまえ!」
 現在、九州北部で最高位にある人物の言質を取れば、長居は無用。敬礼をして退室するや否や、山本は第4通信大隊の詰め所に向かう。書類を出して、手続きを行う。だが、さすがに、
「 ―― 残念ながら三女神の来賓は無理か。……ま、出て来られたら、出てこられたで、ややこしくなるかも知れんしな」
 日本土着・古来の神ではあるが、一般的には超常体の分類には変わりない。フトリエルという外来の超常体から、別の超常体を上に頂くだけと捉えれば、それはまた別の反感を生むだろう。ヒトとはそういう生き物なのだ。だからこそ“ 這い寄る混沌ニャルラトホテプ)”から付け込まれる。
 山本は用意していた演説文を握り締めると、通信科隊員より送信器を受け取る。軽く咳払いをして、
「 ―― こちら、福岡駐屯地・第4師団本部より各員に告ぐ。単刀直入に言うから、よく聞け。―― 叛乱部隊の首謀者が電波ジャックして好き勝手言ってくれたようだが……俺達の祖国を我が物顔で蹂躙して居るにも拘らず、『同志になれ』とは図々しいにも程がある! 神州 ―― 日本の事は日本に住まうもの達が決めるのであって、他所者がとやかく言うべき事ではない! 俺達は、貴様等の上辺だけの同情心や、口先だけの約束なんて真っ平御免だ。平穏も、未来も俺達が自分の手で勝ち取ってやる! ―― 舐めるな、日本人を!」
 どこからか拍手が沸き起こった。歓声が上がり、祝砲が撃たれる。感触を得て、山本は送信器を下ろした。親指を立てて、鈴鹿に振り返る。
「 ―― お見事です」
「まー、こんなものだろう。ただし本音を言うと、フトリエルとかいう輩が告げた事にも共感出来る部分もあるがなぁ……」
 眉間に皺を寄せて、述懐する。周囲は不気味に静まり返り、一言一句に注意を払われているが、気付かずに山本は続ける。
「 ―― だが、俺達を見捨てて保身に入った野郎どもを裁く権利を持っているのは、俺達日本人だけだぜ。この地を、そして親しい人達を守り抜く為に、戦ってきた連中だけだ。全てが終わった後で、のこのこ戻ってきた売国奴を俺達の手で吊るし上げて、処罰する」
 そして山本は力強く断言した。
「だから、俺は絶対に生き残ってやるさ!」
 再び割れんばかりの拍手がどこからか沸き起こり、歓声と祝砲のお祭り騒ぎが、福岡駐屯地で生じた。受信機が鳴り響き、通信科隊員達が嬉しそうに働く。
「……あれ? 今の、まだ通信状態か!? ちょっ、いっ今の無し。今の無しだぞぉぉぉ!!」
「組長、既に北九州全域にリアルタイムで流れています。現在、通信科が受け取っているのは同意や歓迎の言葉のようですね」
「……てっ何で? 通信切ったはずだぞ!! 切ったはずじゃなかったんか? 何でじゃー!!」
 携帯情報端末が鳴り響く。慌てて取ると、
『 ―― 面白そうだからリアルタイムで流しちゃった。てへ☆』
 同じく通信科隊員達が大きく笑っていた。

 第4偵察大隊車庫の暗がりで、風守・和也(かざもり・かずや)二等陸士が苦笑する。
「……全く、山本三曹らしいな」
「笑っちゃいけないと思うんだけど、そこがまたね」
 雪村・聡(ゆきむら・さとる)二等陸士も笑いを噛み殺した。
「 ―― さて状況はだいたい理解した。“ 黒の王ブラック・ファラオ)”は倒れ、大詰めという訳か」
 風守の言葉に頷く。雪村の手は中肉中背の体格に、やや不似合いな大太刀を抱えていた。“月桂”―― 刀剣術の師匠から譲り受けた物であり、思い出も篭った秘蔵の一品。古美術学や歴史的には無名であり、刀工の銘も刻まれていない。だが素人の風守からも妖刀や霊刀の類に見えた。大太刀ゆえに儀礼祭事に扱う物ではない。超常体が公式に記録されたのは1999年8月であるが、それ以前にも魑魅魍魎・妖怪化物の類はいた。格は違うが、宗像三女神の存在が良い証拠だ。ならば、これは ――。
「……伝説上の物とはいかずとも、『神殺しの武器』になりうるものか」
 風守は独りごちて、目を細めた。
「 ―― それで。風守も“ 無貌の神獣フェイスレス・スフィンクス)”相手に?」
「……あ、ああ。“ 黒の王 ”には色々と世話になった返礼をしなくちゃならないからな。それに……叛乱の決起者共もまとめて潰せればとも思っている」
「今の、山本三曹の放送を聞いても?」
「……ヒトってのは弱い生き物さ。確かに多くの仲間達は山本三曹の放送を聞いて、人間の誇りってヤツを棄てないだろうが、それでも自分より強いのに頼ろうとする奴もいる。そんな連中もまた少なからず存在するのが人間って奴だ。……俺だって、維持部隊への不信不満は無くもないが、だからと言って誰かが張り上げた声に簡単に乗る奴等には、少なくとも俺は価値を見出せない。―― 俺はそんな奴等を誘導して、“ 無貌の神獣 ”にぶつけてやるつもりだ。何にしろ、敵となるなら、数は少なくしておいた方が良いだろう」
「……僕の方でも“ 無貌の神獣 ”が多少弱っているうちに出来るだけ手傷を与え、回復させないよう ―― そして敵が小細工を打つ余裕を与えない為にも攻勢作戦を仕掛けるべく、駐屯地の皆に呼び掛けているけど」
「そこら辺の調整が必要だな。とにかく不信を燻ぶらせている連中の情報が欲しいな……」
 しかし独りで出来る事には限りがある。また風守に自覚は無かったが、かなり早い時点から宗像に関わっていたお陰でそこそこ有名人になりつつあった。上手に動かない事には警戒されるだけだ。
 風守が思い悩んでいた、その時、
「 ―― 和也。私に任せてよ」
 波打つ茶褐色の髪をした女性は頬を紅潮させ、上気した声で嬉しそうに顔を覗かせた。雪村は不思議そうな顔をして、
「……誰? 風守の知り合い?」
「 ―― ああ、こいつは……」
 だが風守が渋々と紹介するより早く、
「小森月子! 階級は和也と同じ二等陸士。和也の恋人よ! 宜しくね、雪村君」
「……あ、はい。こちらこそ宜しく。……って僕、自己紹介したっけ?」
「 ―― 待て待て待て待て! 誰が恋人だ!」
 小森・月子[こもり・つきこ]の手を引っ張って、雪村から聞こえぬよう小声で問い詰める。
「 ―― グレモリー! お前、どうして!?」
「猊下にお願いして、吟詠公の立場としては“ 遊戯 ”から降りる事にしたの。今は和也の恋人よ」
「……いつ、俺がお前を恋人にした」
「大丈夫。すぐに既成事実として皆に認めてもらえるから」
 瞳が妖艶に輝く ―― そういえば、こいつは祝祷系の魔人だ。うわ、性質悪りぃ。
「……お前、性格変わったんじゃないか?」
「そうね。―― これからの人格というか仮面(ペルソナ)は、現身の『小森月子』が強く出て行くわ。『グレモリー』としての仮面は、もう出て来ないでしょう。でも、月子もグレモリーも同じものよ。どちらが強く出ているかだけ。グレモリーとしての知識や記憶は残ったままよ」
「で、そのストーカー気質のところは月子の方か」
「やだ、褒められちゃった。それだけ一途なのよ」
 褒めてないよ。風守は肩を落とす。
「……私の力は情報収集に役立つわ。和也の力になりたいのは本当だから」
「……解った。とにかく、そちらは任せよう。俺自身が動くより、警戒は少ないだろうし」
「……ええと、話はまとまった?」
 蚊帳の外に置かれていた雪村が恐る恐る声を掛けると、気だるそうな顔付きで風守は手を挙げる。
「 ―― ああ。しかし俺は本当に女難の相なんだな」
 呟きに対して、風守の愛車が笑うかのように、排気音を吹き鳴らした気がした。

 戦場回転翼機Mi-24V ―― NATOコード『ハインドE』の整備を進めていた グレゴリー・イワノビッチ・スコルトフ[―・―・―]陸士長が顔を上げる。
「……で、イェゴリー。俺達はどうするんだ? 直方の戦場に向かうか、それとも博多駐屯地の航空優勢を死守するか。各地で、天使型の群れに駐屯地や航空基地を襲われているという報告も来ているぞ」
「 ―― んー。それはねぇ……」
 問い掛けに第3対戦車ヘリコプター隊・第347組長の宮野太郎こと イェゴリー・アレクセイエビッチ・アレンスキー(―・―・―)一等陸曹が返事をしようとした時、部下の整備員が慌てて駆け込んできた。
「宮野一曹、おめでたです!」
「 ―― んー。僕のかみさん、確かに妊婦だけど」
「いや、その、今朝方に急に産気付いたそうでして! 陣痛が始まったとか何とか」
「なっなんだってー!?」
 イェゴリーは工具を放り出すと走り出す。慶事にグレゴリーの顔も一瞬ほころんでいたが、
「おっ、おい? どこへ行く?!」
「ごっ、御免よー。僕、病院に行ってくるねー。グレゴリー、後は任せたー」
 確かにハインドは銃手単独でも操縦出来るが……機動性の高い天使型相手にグレゴリーの腕だけで渡り合う自信は無い。
「……ど、どーすんだよ?」
「 ―― どうしましょう?」
 顔を見合わせるグレゴリーと整備員達。誰からともなく咳払いをして、
「ま、まぁ……状況は殺伐としているが、だからこそ、そんな状況でも命の誕生があるのは喜ばしい事じゃないか。笑って送り出してやろう!」
「士長……顔が強張っています」

*        *        *

 乾いた笑いが沸き起こる。笑われた 鹿島・貴志(かしま・たかし)三等陸曹は憮然とした表情を浮かべた。
「何がおかしい?」
「いや、スマン。何がおかしいかおかしくないかじゃなくて……もう一度、頭から尻まで説明してくれないか? Once more please.」
 虎森・鐘起[とらもり・しょうき]陸士長は頬を掻きながら、促してきた。
 別府駐屯地に陣取っているアメン打倒の為に、WAiR(Western Army infantry Regiment:西部方面普通科連隊)が拠点としている城島後楽園跡地。様々な作戦が立案されて、攻略準備は着々と進んでいる。
 だがアメンを打倒するだけで事は終わらない。闇の渾沌蛇アポピスの完全顕現を阻止しなければ、少なくとも大分県域が原初に孵るとされていた。
「 ―― だから、アポピスを無力化させる方法を実行しなければならないが、現在3つある。1、セトとホルスの合体攻撃。2、『神殺しの武器』による攻撃。3、アメンが持っているらしい……アポピスを操る為の『何か』を入手する」
 立てた3本指を折りながら説明する。
「だが直方の状況を聞くに、1の方法はどうにもなりそうもないので却下。3の方法を本命とする。そこまでは良いな?」
 鹿島の言葉に、鐘起は深く頷いた。
「 ―― だが私は疑っているんだ。アメンはアトゥムとやらを怨んで、アポピスによる世界の破壊を実行しようとしているのに、召喚したり帰還させたりする操る為の『何か』を、ちゃんと用意しているのかって。その『何か』はアポピスを呼び出すだけの機能しかないとか……」
「 ―― その指摘は確かに間違ってないな」
「だろう? だから、私は分担行動をとるって言ったんだ。3の本命はWAiRにいる知人に任せて、私は一応の保険として2案を実行する為に熱田神宮に行く。『神殺しの武器』を完成させて、アポピスを倒す事。その後に神剣『天叢雲之草薙(アメノムラクモノクサナギ)』を『落日』に引き渡そう」
 断言すると鹿島は、鐘起へと視線を向けた。
「天叢雲剣の片割れである草薙剣を手に入れるには熱田神宮に行かなければならないが、私には移動するツテが無い。―― で、熱田神宮という日本古来の神域に草薙剣があるという事は、既に『落日』の管理下にあると推測したのだが、どうだろう? 君達のツテと権限があれば、夏至の日までに熱田神宮に行って北九州に戻ってくることも可能だろう」
 だが返事をしたのは、今まで黙っていた 虎森・鈴芽[とらもり・すずめ]一等陸士だった。鈴芽は無表情で、
「 ―― 無理」
「そう、無理か。……って、えー!?」
 あっさりと切り捨てられた鹿島が仰天している間に、鐘起が妹の言葉を続ける。
「草薙剣は確かに熱田神宮に隠されていたと聞いているが、神州が隔離されたドサクサで行方不明だ。熱田大神は殿下と ―― 」
「 ―― 鐘起!」
 鐘起の言葉を、鈴芽が鋭く遮る。慌てて、
「失礼。……熱田大神は天照坐皇大御神様と同一視されており、現在は、うちの中隊長が珍しく大暴れした事もあって神宮奪還もしてある。だが封じられていたはずの日本武尊ともども空だったらしい。それ以降、俺達はアスタロトに掛かり切りだったし、情報が回って来ないし、で……知らん」
「だが天叢雲剣があれば探す手掛かりになるだろう。元々一つの剣なのだから、近付くと『共鳴』とか『共振』としそうで、草薙剣を熱田神宮で捜索する時に役に立ちそうじゃないか」
「どうかな? それに ―― 天叢雲剣は、対アメン戦に投入するんじゃないのか?」
「確かに有効だろうけど、アメンを倒す為に絶対不可欠という訳ではないだろう?」
 鹿島にしては何気ない言葉だったかも知れない。その通り、絶対不可欠ではない。だが……。
「 ―― 有るのと、無いのとでは前線で戦う隊員の生死が激しく左右されるぜ。見付かるかも、手に入るかも判らない物を探すよりは余程役に立つと思うがな」
 鐘起が冷たく笑っている。魔人でない鹿島にも、鐘起の氣が膨れ上がったように感じた。
「……幾つか問題点を挙げておく。先ず探し出すのに時間が掛かる。そして万一間に合うのだとしても、他の者が手にしていて、しかもそれを別の作戦に投入している時、無理して持って帰るつもりか? そもそも繰り返して言うが……天叢雲之草薙剣ではアポピスに勝てない。真の姿を取り戻しても1つの世界を滅ぼすには足りないんだ。―― 火之迦具土神の力が宿りし『夜藝速』(※註1)か、レーヴァテインぐらいじゃないとな。硬度は随一だが、雨雲を呼び、火気を避けるだけの剣が世界を滅ぼせると思えるか?(※註2)」
 問われて、言葉に詰まる。
「……マイナス要因の方が大きいのに、完全なる形に拘り過ぎじゃないか? それよりも現状で確実に出来る範囲で全力を尽くすべきだろう。―― 少なくとも鹿島三曹、昔のアンタ ―― 施設科に配属されても燻ぶらず、しかもビッグブルでセベクと相対していた頃は、そうだったと思ったんだが……」
 不意に鹿島は立ち眩みを覚えた。微かに耳鳴りがしている。鐘起の陰に隠れる形で、鈴芽が囁くように小声で歌っていた。気が付けば、鹿島は金縛りにあったかのように動けなくなる。
「……悪いが天叢雲剣はここで回収させてもらう事にする。今のアンタじゃ、これは害毒にしかならない。目の前の力に拘り過ぎだ」
「待て、アポピスはどうなるんだ。――『落日』としても神州を守る為に行っているのだから、神器を回収する為に、世界……大分県域がアポピスの力で沈んでしまうのは本末転倒じゃないのか?」
「……頑張れ。少なくとも、オレらの任務じゃない」
 ―― 放棄かよ!? 突っ込みも空しく、虎森兄妹は鹿島へと背を向けて退室しようとする。が、一瞬だけ振り返り、
「……そうだ。質問の件だが、うちの中隊長は確かに憑魔核を通じて、須佐之男の力を譲り受けているらしい。もっとも普段あの人は糸の切れた凧のようにふらついているから、頼りにならんのだが。……ただし『落日』の由来は、須佐之男に関係なかったと思うぞ」
 それだけ告げると、動けぬ鹿島を残して、今度こそ虎森兄妹は姿を消したのだった……。

*        *        *

 上空から降り注ぐ光弾の雨と、地上を灼き払う業火の吐息。大空で支援戦闘機F-2Aと要撃戦闘機F-15Jイーグルがホルスとドッグファイトを交わす下で、セトの巨体へと野戦特科の砲撃が繰り返されていた。時折、発せられる強制侵蝕誘発の波動に魔人がのた打ち回る。最悪、次の瞬間は、その場で敵側に回る。
 次々と救護テントに運び込んでいく負傷者を黙って見ていたウェインは、後の事を部下に任せると、愛刀を腰に差した。ガンベルトから9mm拳銃SIG SAUER P220を抜くと、弾倉を装填してスライドを引く。薬室に第1弾を送り込んでからレバーを下げて、撃鉄を半ノッチ。
 独り黙って脱け出そうとするウェインだったが、裏口にはオシリス達が待ち受けていた。ウェインは小気味良く唇の端を歪めると、
「 ―― やってみなくちゃ判らねぇ、ってな」
「私達も、再度呼び掛けたいと思います。ホルスは……それで何とか……」
 まだ本調子ではなく互いに支え合いながらも、イシスとハトホルは微笑んで見せた。
「……とはいえ、この状況だ。オレがやる事は独断でのものになる。説得に成功しても、オマエさんらも脱け出すのは容易でないぜ?」
 ウェインの言葉に、だがオシリスは笑みで返す。
「ですが、このまま何もしないよりはマシでしょう。―― 行きましょう、戦場へ」
 鼻で笑うと、ウェインはオシリス達をバギータイプDPV(Desert Patrol Vehicle)に乗せる。
「……そういや、成瀬のオッサンと、加藤はどうした?」
「先に大分へと向かっています。最悪でも成瀬さんとセルケトだけでもアポピス対策に奮闘してもらえる手筈です」
「……オッサン、役に立つのかねぇ?」
 まぁ成瀬の知識と閃き、そして行動力は下手な武力より頼みになる。ウェインは笑うと、エンジン・キーを回した。同時、憑魔を活性化させていく。
( ……リスクだけは高いんだよなぁ)
 セトの周辺は、異常な氣の暴走状態にある。氣を抜けば、意識もろとも侵されて、向こう側の住人になりかねない。説得の際に、氣を同調する必要もあるから尚更だ。同調しようとすれば、合わせるほどに多大な影響を受けるのだから。
 内心で毒吐くウェインだったが、シフトレバーに置いていた手に触れる温もりがあった。横目で見れば、助手席のオシリスが微笑んでいる。
「 ―― 大丈夫です。セトの氣は僕が中和します」
「……そうか。だが流れ弾にも気を付けなきゃらんねぇんだが……」
「私が防護幕を張ります。弱っていても、それぐらいは出来ますよ」
 後部座席からイシスのか細くとも、美しい返事。
「そしてハトホルがホルス説得の助力か。ありがたくて涙が出るぜ。……しかし、何だな。たとえ美少年でも手を触れ合って喜ぶ趣味はオレにはねぇぞ」
 苦笑する一同。だがセトとホルスに近付くにつれて、表情は引き締まっていく。停止を命ずる無線を切り、流れ弾の雨を掻い潜り、接近を果たした。DPVから身を乗り出して、意識を集中。呼び掛ける。
『 ―― 良いか、良く聞け、この馬鹿叔父と馬鹿息子! オレはウェイン。こう見えても、傷付いた仲間を安全なところまで送り届けるのが仕事だ! だから、いたずらに怪我人を増やすオマエさんらに説教したい事がある!』
 氣合の篭った呼び掛けに、ホルスとセトの意識が、ウェインへと向けられた。攻撃の意思が感じられたが、すかさずオシリスが割り込む。
『 ―― いいから、黙って彼の言葉に耳を傾けなさい。ホルス、そしてセトよ』
『――父王!』『イシスに続いて、兄王もか!』
 身を固め、或いは戦闘機の攻撃を回避しながらも、2柱の意識が完全にこちらを向く。何故か、ウェインは大きく息を吸ってから、
『 ……いいか、良く聞きやがれ。―― オレらが生きていくにはオマエさんらが邪魔だ。オマエさんらにとってもオレらは邪魔だろ?』
『 我が覇道を往くに、邪魔なのは確かだな 』
 生真面目にもセトが返してくる。
『 だが今は、アポ何とかっつー奴を手遅れになる前に倒さなきゃ、どっちもお陀仏だぜ?』
『 ……貴様に言われるまでも無い。我がこの世界に現出した理由の1つは、アメン様の暴走を止める為でもあった。……この愚かな甥は、そこまで考えが及ばなかったようだがな 』
 セトの言葉にホルスが抗議をしようとするが、ハトホルがなだめて黙らせる。セトは続きを促した。
『 ……それで何が言いたい?』
『 ああ、言いたい事はとても簡単だ。アポ何とかっつー奴を倒さなきゃならない。だから、オレが先導するから大分まで付いて来い!』
 そこで一旦肩を落とす。
『 ……つーても、オレにはオマエさんらへの攻撃を止める権限はないから、オマエさんらへの盾にはなれないかもな。―― そん時は、オレの命が、オレの言ってる事が本心だって証だ。……頼む、アポ何とかのとこに行って、倒してくれ!』
 ウェインの訴えに、セトとホルスは暫し沈黙。ハトホルとイシス、そしてオシリスがウェインの説得を補足するように念話を続けているが、
『 ―― ウェインよ。貴様の言葉はシンプルだが、とても気持ちが良いな。元より念話で嘘は吐けん。貴様が“ 這い寄る混沌 ”の化身でもなければ 』
 セトは苦笑したような氣を送ってくる。ならば、とウェインは期待するが、
『 ―― だが、もはや、大分に行け、そしてアポピスを倒せと訴えられても、そういう単純な問題でもない。イシスが倒れた際に、幾ら頭に血が上っていたとはいえ、我は人間を殺し過ぎた。それに、我がこの世界に現出した際に払わせた犠牲は少なくないだろう?』
『 ……それもこれも、アポ何とかを倒してから償ってもらうさ』
 笑いが沸き起こった。不器用な男の笑みだった。
『 ―― 兄王が復活された事もある。我はアポピスを倒した、その返す刃で、兄王を弑逆するだろう。大分はここよりも我を抑える力が弱い。人間の身を借りている兄王と違い、我はこの肉体を造り上げて、この世界に来た。ホルスといえども、元はこの世界に元々居た隼に宿っただけに過ぎん。本気になれば、皆殺しにするのは容易いのだ。そして大分から砂漠化が広がっていくだろう。そうなれば、お前には我を止める手段は無い』
『 ……僕が黙って殺されるとでも?』
『 ―― 兄王よ、そしてイシスよ。貴方達は厳しいところもあるが、それ以上に優しいのだ。ネフティスの件も、それらが原因にあると知れ 』
 糾弾しつつも、含み笑いを上げている。
『 ……だが、黙示録の戦いで優しさだけでは生き抜く事は出来ない。“ 遊戯 ”から降りたとしても、だからといって黙って我らを見過ごしてくれるほど甘い奴らでないのは、百も承知だろう? 隠れて過ごそうとしても、いつかは見付かる。それに対して、ただ護りにつくのを拒否したのは我やセベクだけでは無い。負けるとしても力で以って抗おうとするというモノは少なくないのだ。―― 誰かが、それを示さなければならん』
『 ……オマエさんは本気で不器用な男だよ 』
 悪という業を背負わされた、王弟神。だが覇道を往く事を、本当に彼は望んでいたのか。
『 ―― ウェインよ。日出ずる処の勇士よ。この優し過ぎて、愚かな兄王達を導いてやれ。貴様達が進もうとする道がどんなに険しく、そして惨めであるかを教えてやれ。……我は、ここで暴れ続けさせてもらう。ホルスよ、貴様との決着はまた次に持ち越しだ!』
 セトが咆えた。ウェインは唇を噛むと、DPVを急転回させる。そしてアクセルを思いっきり踏んだ。急速するDPVに従ってホルスが追い掛ける。傍から見れば、それは、仲間を超常体が執拗に襲おうとしているように思えるだろう。イーグルがホルスに向かって空対空ミサイルを発射しようとした瞬間、セトが炎の息を吐いた。慌てて急上昇して回避するイーグル。セトは炎を噴き回して、包囲している攻撃群を払っていく。
「セトは……オレ達やホルスの脱出路を作ってくれてやがるんだ。暴れれば、それだけ奴に注意が集中する」
「 ―― セト」
 イシスが振り返る。泣き崩れそうな妻に、オシリスは黙って頭を振った。力無いが、イシスは頷く。
「……しかしセトが殿役を引き受けてくれたとはいえ、大分まで脱出するのは容易では無いぜ? ていうか、ホルスの大きさはどうにかならんか!?」
『 ―― 翼を畳んで、身を縮めてくれれば何とか入るかも知れんな。ただ、その時はDPVを放棄してもらう事になるが 』
 突然、無線から聞こえてきた声は、
「 ―― 山畠准尉か! そうか、ペイブロウに……。大丈夫、オレ達は頑張って陸路で行くさ。対アメン戦にはギリギリかも知れねぇけど。成瀬のオッサンに宜しくな!」
 見上げれば、ペイブロウが後部格納扉を開きながら飛んでいる。
『 そうか。ハトホル君だけでもこちらに乗り移ってくれると助かるが……そんな余裕は無いか。すまないが指示を出すから、ハトホル君に地上から誘導を頼む。ホルスを巧く飛び込ませてやってくれ 』
 山畠の指示に従い、ハトホルがホルスを誘導していく。収まったと思った瞬間、ペイブロウは高度を上げて、速さを増した。
『 ―― このまま戦闘捜索や負傷者の救助という名目で、一足先に大分へ向かう。……おまえも無茶をするなよ、大蔵三曹 』
 無線を最後に、ペイブロウは南東へと飛び去っていく。ウェインは鼻をこすると、唇の端を歪めた。
「……山畠准尉も、やるときゃ、やるねぇ」
 すぐに顔を引き締めて、ウェインはミラー越しに後方を見遣る。炎に包まれたセトの姿が眼に焼き付いたのだった。

 ホルスが直方市から消えた御蔭で、全戦力がセトへと集中される。セトの巨体や外皮、そして攻撃は、宗像三女神の力で抑えられているとはいえ、驚異的であった。だが如何に強力な超常体といえども、限界は来る。
「 ―― 行動パターンの解析を終了! このまま機関砲で追い込みます!」
 味方の損害も覚悟しての猛攻に、ついにセトの動きが鈍っていった。
『 目達原より対戦車回転翼機隊、第二陣到着 』
「報告 ―― 全弾再装填完了しました!」
 部下の報告を受けて、自身も強制侵蝕の疼きを堪えながらもついに業子は止めとなる号令を発した。
「 ―― 各車、砲弾残数確認。機関全速しての、対空砲火用意。グリソン全弾発射。対戦車ヘリ隊の対地ミサイルと合わせて叩き付けます! 着弾確認の要なし。発射後、爆発に巻き込まれないよう後退離脱!」
 集中砲火を浴びせられ……セトが倒れていく。歓声が沸き起こった。誰とも無く肩や背中を叩き合い、勝利の雄叫びが上がる。
 砂漠化を引き起こし、多くの人命を奪った悪神は、ついにその巨体を地に沈めたのだった。

*        *        *

 腕時計を秒単位で揃えて、一同を見回す。風守の視線に、雪村をはじめとする対“ 無貌の神獣 ”攻撃隊は深く頷いて返す。風守は満足しながらも、最終確認を怠らない。各地点で待機している者に呼び掛ける。
「 ―― 山本三曹、待ち伏せを宜しく頼む」
『 ……演説を一席打ったら、それで出番は終わったと思っていたんだがな 』
 無線から、苦笑する声が聞こえてくる。
『 作戦に誘ってくれた以上は任せておけ。罠も仕掛けて準備はバッチリだ。……って宮元はハチヨンを担ごうとするな。……後藤、確保しておけ 』
 何をやってんだろうかな……と苦笑い。雪村も呆れた顔だ。続いて、
「 ―― 先日に続いて難しい狙いだが大丈夫か?」
『 ……的は猫よりは大きいでしょうが。やりますよ。注意を逸らせば良いんで……』
『 ―― ねぇ、和也。私へのラヴコールはまだ?』
 突然割り込んできた声に、風守は頭を抱えた。周囲は意地悪く笑っている。
「……俺が悪かった。小森。ある意味、お前が一番重要だ。しくじるんじゃないぞ」
『 任せておいて。こちらの人数は1個班 ―― 10名程度。山本さんの演説が効いたみたいね。で、内訳は完全天使化した魔人が5体。パワーが2に、プリンシパリティが3。他のも魔人でなくとも手榴弾やらMINIMIで重武装しているわ。―― 予定通り1時間後に武器弾薬庫に続いて燃料タンクへ強襲し、爆発物を仕掛けてから天草へとトンズラするつもりだわ。……佐賀上空で不死侯と遭遇して、撃墜されるのがオチだけど 』
「……とはいえ、武器弾薬を奪われるだけなら未だしも、爆発させられたら溜まったもんじゃない。何より燃料は貴重だ。予定通りに運んでくれ」
『 ―― それと私からひとつ忠告。……フトリエルの言葉に動揺して人の道を外れたのは、天使側についている連中だけじゃないわ。和也も気を付けて 』
 それだけ言うと、月子からの連絡は切れた。風守は眉根を寄せたが、決起まで時間はもう無い。風守は、対“ 無貌の神獣 ”攻撃部隊を率いる三等陸尉に視線を送った。警務科の小隊長だが、ここには風守や雪村という機甲科だけでなく、各科より志願してきた勇士が集っていた。
「 ―― 突入!」
 三尉の指揮に、普通科の曹長が号令を発する。闇の温床となった執務室へと繋がる廊下を駆け出した。雪村が月桂を背負うように構えると、先陣を切る。が、風守の背筋を痺れが走る。
「 ―― 雪村、危ないっ!」
 警告と同時に、闇の彼方から火花が散ったように思えた。雪村が跳び込むように前転して回避すると、銃弾が床を抉った。
「あっあぶなー! 風守、ありがとう」
「礼を言うのは後だ! 続いてくるぞ」
 暗がりから現われたのは、“ 無貌の神獣 ”ではなくうわ言を呟く隊員数名。虚ろな瞳で89式5.56mm小銃BUDDYを乱射してくる。また中には銃器を構えず、棍棒代わりに振り回す者も居た。
「……絶望の余り、狂気に囚われたんだね」
 雪村の呟きに、風守が舌打ちする。
「これが……小森の言っていた連中か。確かに放送で、天使を頼る奴だけでなく、自棄になって破壊衝動を撒き散らす奴もいるよな」
 狂気に陥った者は自然と“ 無貌の神獣 ”に引き寄せられ、肉の盾となっていた。心弱き者達。だが同情は出来ない。
「 ―― 防弾盾を構えろ。支援射撃用意……発砲!」
 狙いは不確かだが銃弾には変わりなく、万が一、当たれば被害は大きい。指揮に合わせて盾が展開。押し出すように前進。そして隙間を埋めるように突き出した銃口が、狂気に囚われた者達を薙ぎ払う。
「 ―― 痛みが無いのか、こいつ等。手足を吹き飛ばしてもまだ動きが止まらないっ!」
 BUDDYの引き鉄から指を離して、風守はAN-M14焼夷手榴弾を投げ付けた。テルミットが、哀れな犠牲者を火達磨にする。が、まだ止まらない。一瞬の怯みが、部隊の皆に伝播した。……仕舞った、崩れる ―― 次の段階に移るには早過ぎる! 風守は歯噛みした。
 だが閃光と衝撃音が走ると、敵は上下に切り倒されていた。防塵ゴーグルを目深に下ろした雪村が無表情のまま月桂で薙ぎ払っていく。
「 ―― スマン。だが、持ち直せた。三尉!」
「近接戦闘が得意な者は突入し、完膚なきまで殴り倒せ! ―― 彼等の援護を忘れるなよ」
 風守が焼夷手榴弾を投げ付けて動きが止まったところを、雪村が両断する。―― 背筋に寒気が走った。
「 ―― 雪村、本命が出てくるぞ! 左へ!」
 風守の合図に、雪村が跳ぶ。脇をかするのは、先端が鋭利な槍と化した、闇色の触手。戻りざまに月桂を振り下ろすが、思った以上の弾力と強靭さで触手を切断出来なかった。が刃が喰い込んだのは間違いない。相手の弾力を逆に利用して月桂を跳ね上げると、円弧の軌跡を描いた ―― 下からの斬撃。断ち切った触手が宙に舞い上がる。だが雪村は動きを休む事無く、流れるように刃を振るい続けた。
 刃の嵐に、だが強烈な力の猛威が襲い掛かり、雪村は殴り跳ばされた。宙を舞った雪村の身体を、慌てて風守がキャッチ。衝撃で風守も尻餅を付く。
 闇の奥から、獣が現われた。人の頭部と、獅子の胴体、そして鷲の翼を生やし、“ 王 ”が死後に被る王冠(ネメス)と儀式用の飾り鬚を備えている。だが顔は濃い闇や黒で覆われていた。
「 ―― 出てきたな、“ 無貌の神獣 ”」
 後ろから更に狂気に陥ったモノ達が這い出てくる。憑魔核の暴走か、もはや人の形も崩れ始めて、醜い怪物と化した元隊員達。皮膚は融け、髪は抜け落ち、モグラかネズミとも取れる醜い顔。ただ爛々とした瞳と、乱杭歯が妙に強調されていた。銃弾をマトモに受けても、腐臭を撒き散らしながら傷口が塞がっていく。
「……異形系か。“ 無貌の神獣 ”だけでも手一杯というのに ――」
 風守が思わず呻いた、その瞬間。待ちに待っていた通信が入った。すぐに不敵な笑みを浮かべると、
「 ―― 三尉、この場は撤退命令を! 殿役は、俺が引き受けます」
 風守の言に頷いて、三尉は号令を発する。弾幕を張りながら後退を開始した。だが容易に逃がしてくれる相手ではない。恐るべき速さで“ 無貌の神獣 ”が迫ってきていた。風守が危険を感知する間もない。巨大な爪が振り下ろされる ―― が、間に割り込み、腰溜めにして振り払った月桂で雪村が迎え撃つ。爪と刃がぶつかり合い、少なからずとも勢いを殺した。それでも上からの圧力に屈してしまいそうになるが、押し潰されてしまう前に、風守が雪村の襟を掴んで引っ張り出す。息が詰まる雪村の顔は真っ赤になっていく。
「 ―― 首、首、首が絞まるぅぅ〜」
「我慢しろ! ―― これでも、喰らえ!」
 振り向きざまに、焼夷手榴弾を投げ付ける。だが翼が風を起こして直撃を避けた。そのまま素早い動きで追い掛けてくる。
「……逃げ切れないっ!」
「 ―― 来いっ、マルコキアース!」
 指を鳴らして叫ぶ風守に応じて、偵察用オートバイ『ホンダXLR250R』が廊下に飛び込んできた。風守が飛びつくや否や、急回転して猛発進する。
「 ―― 風守。これ、今、勝手に動いてなかった?」
「黙っていろ、舌を噛むぞ」
 必死にしがみついている雪村の疑問を黙らせると、風守は無線に何事か呟いた。女の声がナビゲート。風守は脳裏に浮かべた見取り図のルート通りに、減速無しのターンを決める。背後の威圧感は遠ざからない。
( 囮としては上出来だ! )
 だが気を緩めれば、すぐに追い付かれてヤラれる。狂魔人どもも“ 無貌の神獣 ”に従うように走ってきていた。だが風守はほくそ笑むと、
「 ―― 良し、ドンピシャ!」
 どこからか撃ち込まれた銃弾が“ 無貌の神獣 ”をかすった。損傷は与えられなくとも、一瞬でも気を逸らせてくれば御の字。更に、
「 ――“ 無貌の神獣 ”! しまった、掛かれ!」
 突然、眼前に飛び込む形となった別の小部隊が“ 無貌の神獣 ”や狂魔人との戦闘を開始する。その間に、風守達は文字通り背景に溶け込むと、相手の視界から消えて失せた。
「 ―― 助かったぜ、小森」
「『小森』なんて他人行儀よ。もっと愛を込めて『月子★』って呼んでよ、和也」
 憑魔能力で光学迷彩を掛けてくれた月子が、口を尖らせて不満そうに抗議する。
「……心苦しいけど、見事にぶつかり合わせたよね。これで共倒れしてくれると良いけど」
 雪村が呟く。風守が考えていた作戦通り、天使側についた連中と“ 無貌の神獣 ”がぶつかり合っていた。その間にも一旦離脱していた対“ 無貌の神獣 ”攻撃部隊が再集結してきた。隠れ潜み、絶好の機会を待つ。
「……どっちが勝つと思う?」
「 ―― 戦ってみたお前なら一目瞭然だろう。……宗像三女神の力で抑えられているとはいえ、“ 無貌の神獣 ”の方が圧倒的に強い」
 風守の指摘に、雪村は頷いた。数分後 ―― 狂魔人共を幾人か倒したところで、ついに天使側は壊滅した。決起は風守の周到な作戦で潰されたのだ。残るは……
「 ―― 回復させる暇を与えるな! 火力集中!」
 三尉の合図に、待ちくたびれていた山本が破片手榴弾を投げ付ける。周囲に仕掛けていたM18A1指向性対人地雷クレイモアが炸裂し、後藤・辰五郎[ごとう・たつごろう]二等陸士が担いだ84mm無反動砲カール・グスタフを打ち放つ。BUDDYが掃射するたびに、狂魔人どもが不気味なステップを踏んだ。弾幕が晴れた後、残るは挽き肉。テルミットが細胞一片残さずに焼き尽くす。
「 ―― よし、狂魔人どもも片付いた。残るは!」
 BUDDYを脇で抱えるように構えて連射をしながら、閃光手榴弾を放る風守。支援を受けて、雪村が突撃する。風を巻き起こして接近を許そうとしない翼を、だが周囲からの射撃が押さえ込んだ。
 M16A1閃光音響手榴弾の衝撃の中、ついに雪村が肉薄。全身の体重を掛けて振り下ろし、そして精一杯の膂力を以って引き抜くようにして、ついに“ 無貌の神獣 ”の黒き肉体を断ち裂いた。無言だが、だが確かに絶叫が轟いた気がした。衝撃に顔の皮が震えるのを感じながらも、雪村は意を決すると傷口に腕を突っ込んだ。掻き回す様にして、奥へ、奥へと潜らせる。そして握ったのは――
「……輝くトラペゾヘドロン!」
 掴むと、怒声を上げながら引き抜く。再び、聞こえぬ絶叫が響き渡る中、放り投げた。そして一閃。月桂で、宙空で断ち割って見せた。
「……かっ」
 割れた多方偏面体は、ヒビが走り、そして粉々に砕け散る。
「 ―― 勝った?」
 凝縮して獣を形作っていた闇が爆散した。
「「「 ―― 勝ったーーーっっっ!!!」」」
 中央の雪村へと駆け出す、一同。BUDDYを祝砲代わりに撃ち鳴らし、地響きが起きるほどに足踏みする。喝采の中心で、雪村が胴上げされる。続いて三尉が、山本が、他、戦った勇士達が宙に舞った。
「 ―― 何よ、最大の功労者は、和也じゃないの」
 頬を膨らませる月子だが、風守は唇の端を微かに歪めて見せる。そして地面に大の字で寝転がった。
「……激動の三ヶ月だったな」
 まだ戦いが完全に終結したわけでは無い。だが今はただ、感慨に浸るのだった。

*        *        *

 小郡駐屯地にある一室でもまた歓声が沸き起こり、祝福に包まれていた。佐藤・茜[さとう・あかね]二等陸士が息を弾ませる。
「可愛い女の子ですよぉ〜!」
 報告に、一応警戒に加わっていたグレゴリーが頬を弛ませる。
「それじゃ、イェゴリーの奴、メロメロだろう」
「……それが」
 出産に立ち会っていたイェゴリーは困り果てていた。嬉しさ余っての困り物だ。
「 ―― はぁい、パパですよ。ほら、あなた、この子の名前はちゃんと考えていた?」
 この世に生を受け、今や保育器の中で健やかに眠る、我が子の名前を考えておくのを忘れていたのである! ああ、なんてこったい。
 さておき。どこかの戦場では、今もこの瞬間に命が喪われているのだろう。それを思えば、ただ喜んでもいられないのかもしれない。
 だが、それでも新たに生を受けた命がある事に、感謝の念を禁じえなかった。
「この子に、幸いがありますように」

*        *        *

 ブリーフィングでの鹿島は、誰が見ても打ちひしがれていた。パイプ椅子の上で膝を抱えて、懐かしの体育座り。中肉中背のいいオトナが背中を丸めて欝状態というのは、周囲にとっても良い気分ではない。目に掛かるほど伸びた前髪をいじりながら、真名瀬・啓吾(まなせ・けいご)陸士長は薄ら笑いを浮かべた。
「 ―― まぁ、元々、オレは天叢雲なんて頼りにしてなかったから気にしちゃいないんだが」
「……私が気にするよ。これでも少しは銃器や近接戦闘も出来なくはないが、君達に比べるとなぁ……。囮役にもなれやしない」
「それっぽいのを持って、『俺は天叢雲を持っているぞー』と叫んでいれば良いじゃないか。前回の突撃で、鹿島三曹が持っていたというのは、アメンの奴も知っているだろう? 威力だけは伝聞しているけど、実際に奴は目視している訳でもないし、ハッタリは効くって」
 真名瀬の言葉に、それしかないかと鹿島は面を上げた。抱えていた足を伸ばして、床に下ろす。
「 ―― だがアポピスを倒す決定打がなぁ」
「アメンがしていた首飾り ―― アレがアポピスを御する為の鍵なんだろう? 言葉通りに」
 真名瀬は先月に遭遇した時の、異形化したアメンの姿を思い出す。―― 牙の生えた嘴を持つ梟の頭部。屈強で大柄な体格は、狼のような獣毛に覆われていた。そして蛇の尾が生えている。鎖によって繋げられた、銀色に淡く輝く鍵が胸元を飾っていた。
 その時の状況を思い出した真名瀬の瞳に、暗い笑みが浮かんだ。WAiRの仲間達を惨殺したアメン。殺し、焼き、そして喰らっていた。―― 怒りや憎しみが湧き上がる。普段の生活に感動のなくなったはずの自分。今更、復讐心等が残っていたのか?
 内心、自分でも驚くばかりだが、部隊長に進言して、わざわざ対アメン戦の決死隊を募った。懇意の武器科WACより切り札も用意した。アポピスは無理でも、アメンだけは片付けてやる!
 そんな真名瀬の内心を知ってか知らずか、鹿島は顎に手をやり、首を傾げながら考え込む。
「……鍵か。聞けば、確かに怪しいといえばそうだが、それでも疑問がなぁ。そもそも、何故に鍵という形状なんだ?」
「 ―― それは僕が教えて上げよう! もっとも君達からの報告を電波妖精から盗み聞きしての推察でしかないが」
 突然に会議室に飛び込んできたのは、間延びしたような馬面に、濃いパーツが並んでいる男。
「……誰だ、オッサン?」
「くわーっ! ウェイン君もそうだが、まだ僕は、本当は35歳だぞ! 何故にオッサン呼ばわりされんとあかんのだ!」
 ちなみに、この3人の中で一番若いのは、実は鹿島だったりする。閑話休題。
「……いいから、成瀬教官。時間も押し迫っている事だし、ちゃっちゃっと説明する」
 成瀬と呼んだ男の背中に蹴りを入れながら、看護衣WACが自己紹介してくる。
「アタイはセルケト。こっちは成瀬士長。……アタイ達もアメンと色々と因縁があってな。役に立たんかも知れんが、決死隊に参加させてくれ。アタイはともかく、こう見えても成瀬教官は知識だけでなく戦闘能力も高いんだぜ。……っていうか、本当に何で戦闘力が高いんだ、あんた?」
「 ―― 安全な国外から意を決して故郷に戻ってきたんだ。それなりに銃器の扱いにも手馴れておかなければ生きていけないだろうが」
 呟きながら成瀬は立ち上がる。大きく咳払いをすると、呆気に取られていた一同が我に帰った。
「……さて。銀の鍵だったな。アメンが首から下げている物が、僕の想像通りの物だった場合、アポピスを送り返す事が出来るはずだ」
 一体どうして? 疑惑の眼差しに、
「ラヴクラフトの小説は読んだ事が無いか? そのうちの代表的作品の1つに、まつわるものがある。邦題は確か『銀の鍵』……それに『銀の鍵の門を越えて』だったかな」
 への字口の端を歪めて笑う。
「 ―― ランドルフ・カーターが使ったという工芸品だよ。鍵を夕陽に向けて持ち、9回回しながら呪文を唱えると、どの時代にでも移動する事が出来る」
 実際に小説や伝聞と同じ状況や能力とは限らないが、と前置きした上で、
「大上自身も、召喚を可能にした“ 物 ”を有していると言っていた。それを利用すれば、逆に追放する事も出来るも。―― 間違い無い」
「……嘘を吐いていた可能性は?」
 疑問を口に出す、鹿島。だが成瀬は胸を張って、
「 ―― その時は、その時だ!」
 余りにも堂々とした態度に、一同は言葉を失う。だが真名瀬は腹を抱えて笑い出した。
「 ―― これだから戦場はイイっ! 素っ頓狂な連中にも会えるし、こんなオレでも心動かされる!」
 涙目をこすりながら、成瀬に手を差し伸べる。
「……じゃあ、パーツは出揃った。作戦決行だ」

 アメンとの最終決戦の幕は、第4戦車大隊の砲撃で切って落とされた。蠢くアポピスには効果が怪しいとはいっても、アメンに従う(元)第411普通科中隊には充分に脅威的だ。砲撃に炙り出された敵魔人へと、待ち伏せしていたWAiR隊員が5.56mmNATO弾を喰らわせていく。
 だが重い痛みと衝撃が走れば、状況が悪化する。強制侵蝕現象 ―― 数度の接触で慣れてきたとはいえ、それでも一瞬だが動きは鈍る。その一瞬に、炎の吐息が戦場を舐める。逃げ遅れたWAiR隊員が炎に飲まれて絶命した。
「 ―― さすがは大魔王といったところか。たった一体でWAiRと渡り合えるんじゃないか?」
「……熊本の人吉でも、大魔王バールゼブブ相手に多数の部隊が壊滅していると聞いているよ。他の戦地でも似たようなものだな。主神級はそれ程に恐ろしい」
 鹿島の苛立ちに、成瀬が答える。野戦医となったセルケトは超常能力を用いて治療活動を続けていた。
「 ―― 悪ぃ、鹿島三曹に、成瀬教官。アタイは怪我人治しながら行くから、遅れちまう。すまないがアタイの事は無視して、先にぶん殴ってきてくれ」
「……優秀な衛生科隊員が後方にいるというだけで充分だよ。ああ、これが茜さんだったら、更に言う事無しなんだが」
「……まぁイシス君でなくとも、セルケト君がいれば手足の1本くらい失っても即死を回避すれば直してもらえそうではある」
 顔を見合わせてから決死隊は、戦場の中心地 ―― アメンの元へ駆け出す。既に砲撃や炎によって、繁茂していた植物群や瓦礫の山はなくなり、更地と化していた。アメンを狙撃するに障害は無い。逆に言えば、こちらも身を隠す場所が無いという事だが。
「 ―― 私は鹿島貴志。軍神の名を持ち、貴き志(こころざし)を持てと生まれた! 埃及の神々よ、聞くが良い。主神たるアメンを倒して、今度こそ私がファラオを名乗ろう!!」
 充分な距離をとって鹿島は叫ぶと、手に天叢雲を模した剣を握り、アメンへと構える。鹿島の陰に隠れるように控えていた決死隊の氷水系魔人が凍気を放つ。この距離では、本物かどうかは判るまい。アメンは警戒心を露にしていた。慎重に構えて、舌打ちしてみせる。氣の防護膜が身体を覆っていった。
「 ―― 天叢雲か。……まさか、アスタロトの奴から『神殺しの武器』を手に入れる事が出来たとはな」
 内心は冷や汗を掻きまくりだが、おくびにも出さずに鹿島は不敵に笑ってみせる。
「 ―― アメン。いや、大上君」
「……おや、御無沙汰していたな、成瀬博士。博士の御蔭で色々と誤算だらけだ」
 アメンは不敵に笑っているが、成瀬は溜め息を吐くと、
「……コンス君も倒れたよ。僕は彼にもこう言ったが ―― この世界で静かに暮らすという選択は出来ないかね?」
 決死隊員達が驚く中、成瀬はBUDDYを下ろし、P220も放り投げる。肩を落として、
「……幹部候補生学校での暴虐、そして先日の駐日埃軍殺戮で、人死にはうんざりした。僕はね、夢物語かも知れないが、可能な限り犠牲は少ない方向を模索したいのだよ。……君にしても現状ではアトゥムに抗するどころか“ 這い寄る混沌 ”に踊らされているに過ぎない気がする。それに『悪魔も結局は神によって存在を許されているに過ぎない』とも思うんだよ」
「 ―― だから?」
「……僕はね。“ 遊戯から降りる ”事こそが“ 唯一絶対主 ”を出し抜く、たった一つの方法だと思うんだが」
 成瀬の言葉に、アメンは笑みを収めた。暫しの沈黙が訪れる。だが、それは静寂とは違う。攻撃する絶好の機会にも関わらず、決死隊員誰一人としても身動き取れなかった。つまり圧倒的なまでの怒り、憎しみがアメンを中心に渦巻いていた。
「 ―― 今更、今更になって、降りろというのか! 滑稽だ、侮辱するにも程がある!」
 大気が炎に包まれた。眼光が爛々と輝く。
「……ルキフェルとの盟約もあるが、“ 這い寄る混沌 ”が私を利用しているのは百も承知! だが私にも誇りがある、意地がある! ここで引き下がれるものならば、最初からアポピス召喚等、企てんっ!」
 地獄の業火が降り注いできた。鹿島は思わず剣を振り払い、合わせて氷水系魔人が冷気の壁を張る。
「 ―― もしかしなくても薮蛇だったんじゃ? 絶対にアメンはオッサンを許しはせんと思う。『神殺しの武器』とか、魔人とか、無防備とかに関わらず、オッサンをイの一番に殺りに……って来たーッ!」
 鹿島が慌てて、成瀬の頭を掴んで地に伏せる。瞬時に詰め寄って、踊り掛かってきたアメンを、氷水系魔人が間一髪で迎え撃つ。が、威力を殺し切れずに吹き飛んだ。地面にバウンドして血を吐く。
「 ―― おいおい。相生相剋関係が無ければ、一撃で焼失していたぞ、自分」
「……各員、距離をとれ! 散開! 固まっていたらまとめて殺られるぞ!」
 鹿島の指揮に、決死隊員達はすぐさまBUDDYを構えて攻撃。更に――
「 ―― 噂に聞いていた、対物ライフルか!」
 Barrett XM109 25mmペイロードライフルから放たれた徹甲弾がアメンの身体を吹き飛ばす。強力な異形系ゆえに直撃を受けても致命傷とはなっていないようだが、体勢を崩すだけでも充分。その間に鹿島の巧みな指揮を受けて、決死隊員達が銃弾や氷水系能力を浴びせていく。
「……押してはいる! が、決定打には足りないぞ」
 成瀬の呟きに、だが応えたのは真名瀬だった。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 背中の皮翼を広げた真名瀬が、急速度で遠距離から飛んで来た。抱えているのは……ボンベ。
「 ―― 俺の中にいる居候さん。これが終わったら俺の体をくれてやるよ。だから今だけはオトナしくしておいてよなっ!」
 バンザイアタック! アメンへと特攻した真名瀬が爆発した。だが爆炎も衝撃も無く、あるのは白煙の凍気。爆心地には四散したアメンが無念そうな表情で氷漬けになっていた。
「……真名瀬。お前って奴は」
「 ―― 鹿島君、彼の死を無駄にするな。鍵を!」
 慌てて鹿島が鍵を見つけ出すと、成瀬が素早く手に取った。そしてアポピスの方へと駆け出す。
「……何とかヘケト君を引っ張り出せれたらと思ったが……」
 呟く成瀬だが、アポピスに飲み込まれたヘケトは、もう既に『この世界』の身体を喪ってしまったらしい。サルベージは無理だとオシリス達からも言われていた。ならば、もはや心残りは無い。
「銀の鍵よ、力を――!」
 だが、無意識ながらもアポピスも感じるところがあったのだろう。地を割って無数の黒蛇を現出させると襲い掛かってきた。閃光音響手榴弾を放るが、
「……てっ、敵は圧倒的じゃないか!」
 それはもう完全顕現を果たしたら、最低でも大分県域を無に飲み込むという怪物だ。手榴弾1つで接触する間を作れるはずが無い。
 ―― 終わったか。
 思わず目を瞑った成瀬だったが、それが偶然にも功をなした。手榴弾で作り出した光以上の輝きが周囲を圧倒する。鳥のいななきに目を見開いた。
「 ―― ホルスっ! ペイブロウ……山畠准尉が連れてきてくれたか!」
 黄金に輝く隼が、アポピスへと光砲を放つ。広げられた翼からは扇状に光が放たれ、周囲の黒蛇を消滅させた。だが地上に溢れ、そして地下で蠢いているアポピスは無尽蔵の勢いでホルスへと襲い掛かっていく。やはりセトは来られなかったか。……だが、
「 ―― アポピスの隙を作ってもらうには、充分過ぎだ!」
 鍵をアポピスへと捻じ込む。鍵は飲み込まれずに、
 ―― 扉が開く。七色の虹に輝く扉が。
 突如空いた空間の穴に、アポピスの巨体が吸い込まれていく。世界を喰らい尽くさんばかりの無数の黒蛇もまた吸い込まれていった。ホルスは慌てて高高度へと舞い上がる。ただアポピスが放つ断末魔の叫びだけが、この世に残った。
「……鍵は開くだけではない。閉じる為にもある」
 成瀬は再び扉へと鍵を差し込み、捻る。虹色の扉は掻き消えた。
「……終わった?」
 見届けた鹿島が呟く。お互いに肩を貸し合って近付いてきた決死隊員達が呆然とした表情で、もう一度呟いた。
「終わったんだよな……?」
 徐々に実感が沸き起こり、
「 ―― 終わったー!」
 74式戦車の群れが装軌を鳴り響かせながら、祝砲代わりに打ち放つ。WAiR隊員が駆けて来る。ホルスの甲高い鳴き声が別府の空に響き渡るのだった。

*        *        *

 あどけなく眠る我が子を見て、イェゴリーの顔は弛みまくっていた。
「……それで? 名前はもう決まったのか?」
 山本の問いに、途端にしどろもどろ。
「いや、その。……姓名判断やら、黄道や白道やら、ゲマトリアやら、その他諸々の要素を鑑みて善処する次第であります」
 何故に軍人敬語か? 苦笑する一同。なおグレゴリーは腑抜けになった相棒に付き合いきれなくなったのか、整備場に向かっている。
「しかし、この戦況の中、この子は無事に過ごす事が出来るのだろうか……? ――って痛! 宮野一曹も銃のスライド引かないでー」
 後藤が要らん事を言って、また鈴鹿に足を踏まれた上に、イェゴリーにP220を突き付けられる。山本は咳払いしながら、
「……いや、しかし。各地で状況が一旦停止したものの、全てが超常体の活動を押さえ込めた訳ではない。場所によっては、主神/大魔王クラスの顕現を許し消滅した駐屯地もあるという。―― 近いところでは、熊本の天草に向かっていた部隊が壊滅し、フトリエル率いる“ 神の御軍(かみみいくさ)”の橋頭堡が築き上げられているという話だ。それに……」
 言葉を濁す。
「――“ 黒の王 ”と、続く“ 無貌の神獣 ”を倒したとはいえ、“ 這い寄る混沌 ”は北九州にだけ陰謀を張り巡らしていた訳じゃないらしい。沖縄では“ 月に吼えるモノハウリング・トゥ・ザ・ムーン)”に、鹿児島では“ 蠢く密林アトゥ)”といった化身が出現していたらしく……奴の本体は未だに健在らしい」
 そして叛乱に呼応したり、維持部隊から脱策したりした者も少なからずいる。山本の放送があったとはいえ、潜在的な問題は今も抱えているのだ。対する市ヶ谷の幕僚監部からの命令は、各拠点・駐屯地や分屯地の死守 ―― 篭城戦である。
 前途は多難だ。思わず溜め息を吐く一同に、
「大丈夫ですよ〜。この子の未来はきっと明るいに決まっています〜」
 底抜けに明るく、茜が微笑む。そうだな、そうに決まっていると笑みを取り戻した。
「 ―― ところで、佐藤。その……鹿島三曹との仲はどうなっているんだ?」
「デートの誘いをお受けしました〜。でも、鹿島三曹は大分の別府に居らっしゃって〜。あら? 玖珠の第4戦車大隊に異動 ―― 返り咲いたんでしたっけ?」
「……詳しいな。ていうか、いつの間に連絡を!」
「え〜と。『ご飯を美味しそうに元気に食べる姿に惚れました』って……えへ〜♪」
 ……いや、きっと、それだけじゃないと思うぞ。茜の年相応 ―― いやもっと低く見られるか……童顔に、反して豊かな胸の膨らみ。あの正直男は。
「 ―― ていうか、質問に答えていなーい!」
「まだお互いの内面や性格について詳しく判らないんだから、これから少しずつ知っていこうと仰って下さったんですよ〜」
 だから会話が噛み合っていないって。
「それで、組長。移動が禁じられる前に、玖珠に出向してもいいですか?」
 恥ずかしげに、だが笑いながら茜がおねだりしてくる。山本が肩を落とす中、イェゴリーと奥さんがのろけ話を始め、鈴鹿が熱心にメモを取っていた。
「 ―― ああ、もう好きにしろ」
 大きく溜め息を吐いた。

 次第に覚醒していく眼に最初に映ったのは、
「 ―― 知らない天井だ」
「……何故に、前世紀末のへたれアニメ主人公みたいな台詞を喋っているんだ?」
 突っ込みの声を受けて、頭だけを何とか動かすと、見知った顔が手を挙げた。
「……鹿島三曹。俺は生き残ったのか?」
 真名瀬は不思議そうに尋ねる。寝台に毛布を掛けられて横たわっている身体はまだ重くて動かせないが、徐々に五感が蘇ってきた。鹿島は立ったまま、真名瀬の顔を覗きこむと、
「 ―― 四肢はバラバラだったが、抱えていたのが液体窒素だった御蔭で凍結していた事と ―― あとは異形系憑魔の生命力だな。セルケトという腕利きの衛生科隊員がいたとはいえ、生き残れたのは間違いなく君自身の力だ」
 それと、と鹿島は視線を寝台の脇へと流す。真名瀬も視線を何とか追うと、懇意な間柄の武器科WACが看護疲れか、眠っているのが見えた。
「茜さんほどじゃないが、好い娘じゃないか。君が昏睡状態に陥っていた、この3日間。ずっと付きっ切りで看護していたんだから」
「 ―― 俺には勿体無い話だ」
 思わず笑みがこぼれた。鹿島は肩をすくめると、扉へと向かう。
「……そうそう。WAiRの部隊長から伝言だ。『先に長崎・相浦の古巣に戻るが、お前は恋人にしっかり養生してもらえ』だと」
「 ―― 置いてけぼりかよ。そして、いつの間にやら恋人認定か」
 苦笑した。そして退室した鹿島から視線を戻して、武器科の少女を眺める ―― 暖かい眼差しで。

 山畠が部下に指図して、ペイブロウから物資を降ろす。
「とりあえず、これだけ用意させてもらったが……」
「 ―― 充分です。ありがとうございます」
 オシリスが代表して頭を垂れて礼を言う。
 大分の中津市。宗像三女神の影響が及ぶか及ばないかの、この地にオシリス達は隠れ潜むという。
「じゃ、達者でな、加藤瀬里菜」
「いや、もう……ウェイン先輩。アタイのフルネームを呼び続けるのは嫌がらせか何かですか?」
「いや、親愛からくる……からかい?」
 何故に疑問形か。ウェインの笑みを含んだ言葉に、セルケトが肩を落とす。笑みを隠せないのはイシス。
「 ―― で、成瀬のオッサンは暫らくオシリス達に付き合うのか? 期日までに手近な駐屯地に戻って来いよ。……じゃあ、山畠准尉。オレ達は被救難者の捜索でもすっかね」
「そうだな。砂漠化が収まったとはいえ、すぐに元の環境に戻る訳では無いからな。福岡県域では低位の超常体は一掃されたとはいえ、新たに魔群や、天使どもが侵入しようとしている。宗像三女神の結界があるとはいえ、油断は出来ん」
 市ヶ谷からの命令もある。救助が必要ならば速やかに駐屯地に護送すべきだろう。DPVと疾風の車輌群が大地を駆け、ペイブロウが空に舞っていった。
 手を振って送り出すオシリス達。そして改めて成瀬に向き直って、
「 ―― 新たに得た超常体に関する情報を論文にまとめるとか」
「うむ! 特に“ 唯一絶対主 ”に関する事柄は、この馬鹿げた争いそのものを回避出来るかもしれない内容だ。君達の意見を訊きつつ考察を深めたいと思う。ああ、安心したまえ、君達の情報は一切結界維持部隊に上げずに秘匿するから……もっとも電波妖精は知っても知らぬ振りのようだが。何を企んでいるのか?」
 首を傾げる成瀬に、オシリスとイシスは顔を見合わせて難しい顔をしていた。そして、ついに意を決して口を開く。
「 ―― 成瀬教官。僕達がこの地に隠れ潜むのは大きな理由があります。中津は、ある存在と、ある土地を警戒し、そして防波堤となるに相応しい地だからです」
「 ―― 何?」
「これが僕達の恩返しでもあり、“ 遊戯 ”を降りる事へのケジメです」
「……何を警戒しているというのかね。―― もしや!」
 アメンが倒され、アポピスが送還された今、何を恐れるというのか。だが自らが口に出した存在についてならば……
「アトゥム ――“ 唯一絶対主 ”に関わる何かが近くにあるというのかね?」
 成瀬の問い掛けに、オシリス達は確かに頷いて見せた。
「……日本全国に3万社とも4万社とも言われる『八幡様』の総本宮 ―― 宇佐八幡宮」
 八幡神については一般には応神天皇と言われているが、今なお謎や異説が多い。渡来神である事は間違いなく、一説には巨大氏族・秦氏(※自らは秦の始皇帝の一族と名乗りながら、パレスチナから流れてきたユダヤ人という説さえある)が運び込んできたヤーヴェが正体というのもある。強引ながらも八幡という名には「ハチマン→ヤハタ→ヤーヴェ」が隠されているというのだ。
「……そしてシナイの地に対応する国東半島。両子山には熾天使長メタトロンが居座っていました」
「……まさか。まったく思いも寄らなかったぞ!」
「一連の騒動にも沈黙を保っていましたから。恐らくは戦力を温存していたのでしょう ―― 来る『黙示録』に備えて。そして宇佐は既に落とされているのは間違ありません。……説明は出来ないのですが、神州の要の1つなのです、あそこは。もしも完全顕現を果たしていたならば、アメン様は宇佐から各地の八幡宮を通じて、日本全土にアポピスを送り込んでいたでしょうね。もっともメタトロンが迎え撃つでしょうから、そう易々とはいかなかったとも思いますが」
「……下手をすれば本気で神州が原初の混沌に孵るところだったのか! すぐに維持部隊上層部や電波妖精に連絡を!」
「市ヶ谷はともかく……『落日』は既に気付いていますよ。そこらへんは抜かりなく。とはいえ、戦力が足りていないのでしょう。おそらく彼等は決戦存在となるべき存在を求め、この前哨戦をふるいとしています」
「……何か、どっちもどっちだなぁ」
「ともあれ、ここは危険です。メタトロンはアメン様とアポピスという後顧の憂いが消えた事で攻勢に出てくる可能性もあります。でも、そうなっても成瀬教官と……」
 黒犬に追い立てられている、麻曲・丸美(あさまがり・まるみ)二等陸士を見遣る。慕う妃美子 ―― イシスを追って、同じく中津に居残り希望しているのだ。
「 ―― 彼女は、駐屯地へと無事に送り届けます。ご安心下さい」

 宗像三女神の影響下にあり、能力を著しく制限されているとはいえ高位の超常体は侵入を果たそうとしてくる。特に、あの放送の日から天使の群れが空に現われる事が多くなってきていた。
「 ―― 対空砲撃準備! 射てっ!」
 久留米に戻る事無く、福岡駐屯地の防空を任されたツングースカ隊が業子の号令で弾幕を張る。砲撃に口惜しそうな表情を浮かべると、パワーズが退いていった。だが襲撃の頻度は高くなってきている。予め篭城戦の命令がなかったならば、昨日今日で陥落の憂き目にあう恐れだって棄て難いのだ。
「……負けられませんね」
 いつもの穏やかな表情は崩さず、だが決意を込めて業子が発すると、部下達が勢いよく返事をした。

 福岡駐屯地隊舎の一室で、風守が怒鳴っていた。
「 ―― 何故に、お前が俺の部屋に上がり込んでいるー!」
「それは私が和也の奥さんに決まっているからじゃない。今日から『風守月子』になります……ポッ」
 月子が手を当てて、頬を染める。そして書類を出す。婚姻届には月子と風守の署名がなされ、実印も押されていた。そして受理印が押されている
「 ―― 公文書偽造は犯罪だーっ!」
 冷静になれと自分に言い聞かせてはいるが、どうにもならない。
「……わぁ。御成婚おめでとうございます。部隊内でも祝賀パーティーを用意しているみたいだよ?」
 入室するなり雪村がお祝いの言葉を述べると、風守は力尽きた。終わった……俺の人生、終わった。グッバイ、青春。宜しくね、ストーカー妻。
「……それで、雪村は俺に止めを刺しにきたのか」
「いや、何か書類を預かっちゃって……」
 破り捨ててやろうかという思いで引っ手繰ったが、『落日』の徽章と……
「 ――『召集令状』だと? 雪村、お前もか」
「うん。……貴官の活躍を認め、黙示録の戦いへの参加を要請する ―― 落日中隊って書いてある」
 顔を見合わせていると、月子が含み笑いを上げた。
「 ―― 和也は猊下から認められた程の戦士。雪村も、和也に会う前だったら、私が惚れ込んでいたかも知れない程の戦士にまで成長した。“ 黒の王 ”に一泡吹かせたんだものね」
「今すぐにでも、こいつに鞍替えしてくれ」
「えっ、えー!? ……遠慮します」
 野郎2人の遣り取りはさておき、
「 ―― 強制じゃないから、召集に応じなくとも別に咎めは無いみたいね。でも和也はどうするの? どうしたいの?」
 月子の探る眼に、だが風守は即答は避けて、頬を掻きながら確認を取る。
「……お前はどうする?」
「 ―― 私は和也のものよ。和也が望まなくても傍に居続けるだけ。和也にずっと付いて行くわ」
 苦笑し、そして溜め息を吐いた。やれやれ、と。

 ―― そして夏至の日。世に言われる黙示録の戦いが始まった。高位の超常体が、神州の支配権を巡って相争い始める。天を覆う、神の御軍。地を覆う、魔の群隊。人々は拠点を死守するのに精一杯だった。
 だが、それでも新たな生命は産まれ、そして育まれていく。願わくは、この子達の未来に幸あれ。
 未来を護る為、銃を取り、剣を取って戦いに挑んでいくのだった。


■状況終了 ―― 作戦結果報告
 九州北部(埃及)奪回作戦は、今回を以って終了します。
『隔離戦区・砂海神殿』第4師団( 北九州 = 埃及 )編の最終回を迎えられた訳では在りますが、当該区域作戦の総評を。
 飯塚奪還(対セベク)戦では、火狩一尉が一個中隊を率いて防衛に付いていなければ、非戦闘員は全滅・飯塚駐屯地は更地という状況から開始していたはずでした。これは火狩一尉の投入勝ちでしょう。投入という点では、大蔵三曹が突入しなければ、これまた内部の残留組は全滅していました。やや連携不足な面が見られましたが、それを埋めるように各自のアクションが働いていたような気がします。
 宗像三女神解放では多数の協力者が集った為に僅かな回数で終わりましたが、駐日埃軍への計らいが足りませんでした。これは駐日埃軍に交渉・接触する機会が少なかった為ですが……下手な感情移入も起こらず、ある意味正しかったかもしれません。そしてイシスの交渉に与えた影響は、本当にタイミングが悪かっただけで、他の作戦にはプラスとして働いた点から、解放に働きかけた事自体は間違っていませんでした。
 対セト攻撃戦ですが、砂漠化の原因たる〈渇きの風〉対策が不十分だったのが難点でした。イシスを連れての交渉は、本当にタイミングが悪かったとしか言いようがありません。
 対“ 黒の王 ”&“ 無貌の神獣 ”戦は当初受身に回ってしまい、幹部候補生学校での暴挙を許してしまう事になりましたが、これはその時点で行動出来る人間が限られていたので仕方無かったかも知れません。その後は雪村二士が先見性に富んだ積極的な行動もあって打倒に成功したのは御見事でした。
 幹部候補生学校は、超常体の謎を聞き出す場であり、またイシス達の信頼を勝ち取り維持部隊への全面協力を得られるはずでしたが……結局、零肆特務の暴挙を許す形となってしまったのは残念でなりません。そのような中でも、成瀬士長が八面六臂に動いて場面や情報を繋げてくれた事に感謝の念が絶えません。
 対アメン戦では、アポピスの脅威ばかりに気を取られ、全体的に空回り気味でした。一足飛びに解決しようというのではなく、段階的に目的をこなしていっていれば、逆に制限時間まで余裕を持って行動出来たでしょう。急がば回れです。最後は全滅の危機もありましたが、アメンを倒し、アポピスを追放するのにも成功出来たので、結果オーライというところでしょうか。
 それでは、御愛顧ありがとうございました。
 この直接の続編は、当分先になると思います。とりあえずは、時間を少し溯りまして、同時期に中国地方(山陰・山陽)、そして四国での作戦に御参加頂ければ幸いです。
 重ね重ねになりますが、ありがとうございました。

●おまけ・設定暴露:
 ノベル本文でも暴露しましたように、宇佐八幡宮と国東半島の両子山には、神州の謎に迫る展開が隠されていました。ただし難易度は高めであり、対する超常体も主神/大魔王クラスの内でも、最強に数えられる1柱メタトロン様でしたが。
 アメンの現身である大上陽太郎は、正確には完全侵蝕された魔人ではなく、出自は南極編や熊本・人吉編に登場している某キャラクターと同じく“ 大罪者(ギルティ)”と呼ばれる、異世界から『銀の鍵』で扉を開いて渡ってきた超人です。ただし大上は『銀の鍵』の力に呑まれてしまい、アメンに意識を乗っ取られてしまいました。そういう点で『銀の鍵』は憑魔核と変わりはありません。
 コンスの現身は大上の実子で、コンスが乗り移りやすいように用意した(愛人に密かに産ませた)デビル・チルドレンでした。
 デビル・チルドレン(=魔人の子は、生来的に魔人である)という設定は、世界の説明頁にも匂わせていましたが、現時点でPCにはいません。次作『隔離戦区・神人武舞』ではキャラクター作成段階から解り易いように明記しておきたいと思います。特典も大きいですが、勿論、通常の魔人より損失も大きいです。
 バステトが“ 黒の王 ”に付いたのは、セトのような強硬派とまではいかなかったものの、オシリス&イシスのような穏健派に甘んじる気がなかったからです。彼女もまた『黙示録の戦い』で生き残る為に色々と模索しており、そこを“ 這い寄る混沌 ”に付け込まれたのです。
 グレモリーはもう少し“ オトナの女性 ”として隊員達を翻弄するはずでしたが、風守二士は彼女の誘惑(=彼女の力を頼りにする)を完全に振り切って行動していました。そのストイックさが逆にグレモリー(や『猊下』と呼ばれている存在)の好感を呼び、グレモリーはストーカー少女に成り果てる始末です。
“ 這い寄る混沌 ”は日本各地に化身を放っています。埃及編で“ 黒の王 ”と続く“ 無貌の神獣 ”は倒されてしまいましたが、本体は別にいて、全てを嘲笑っています。『黙示録の戦い』で本体がようやく姿を現すかもしれません。

註1)夜藝速……火之迦具土神の真名「火之夜藝速男」より名付けた(※一般的に知られる、「火之迦具土」は“亦の名”である)。物を焼く火力の勢いや速さを表す。母神たる伊邪那美を死に至らしめた事は、すなわち世界を滅ぼしたと同義であると解釈。

註2)天叢雲之草薙剣……記紀に、八俣大蛇の尾を切っていた時に、十拳剣「天羽々斬(あめのはばきり)」の刃が欠けたとある。その尾を裂いて取り出したのが、天叢雲之草薙剣である。
 なお雨雲を呼んだというのは、織田信長が桶狭間の戦いで熱田神宮に必勝祈願をしたところ、突如として豪雨となったという伝承より。その話から草薙よりも天叢雲が隠されていたという方が設定として正しい気はするが……。


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