第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 第2回 〜 沖縄:南極


Sp2『 The collapse by the tidal bore 』

 腕を組んでそっぽを向く動きに、金髪が流れた。蒼い瞳で睨み付けるようにして見遣る。
 新迷彩ATC(All Terrain Camouflage)が施されたACU(ARMY Combat Uniform)と、迷彩II型戦闘服。金髪碧眼と、黒髪黒眼。
 周囲の男達は、固唾を飲んで見守るだけだ。
「……いよいよ始まるのか ―― 米陸軍と自衛隊の、2人のWAC(Woman's Army Corps)対決!」
「 ―― んなわけありませんッ!」
 漫画的表現でいうならば『くわっ!』と擬音が張られそうな勢いで眼を見開く、炎・竜司(ほむら・たつし)陸士長。すかさず突っ込みが 小島・真琴(こじま・まこと)二等陸士から入る。チョップを受けて竜司の身体がよろめいた。
「……もしも憑魔活性化していたら、おれ、死んでいたんじゃ?」
「い、いや。そこまで力はありませんよ……」
 真琴の力無い否定に、だが第1混成団音楽隊・第140組『Great Old Ones』の青黄白黒4名が、一斉に軽く手を横に振る。
 そんな周囲の遣り取りを見渡していた メイ・メイスフィールド(―・―)陸軍二等兵は、口を押さえて笑いを堪えている 八木原・祭亜[やぎはら・さいあ]二等陸士に、
『……あんた周りの人達、キャラ濃すぎ!』
『『『 ―― おまえ(君、メイetc.)もだよっ!』』』
 当然ながら周囲から突っ込みが入った。のけぞるメイ。祭亜は我慢出来ずに腹を抱えてのた打ち回っている。
「 ―― ヒィっヒぃ、腹痛い……」
「 ―― Shut up!」
 顔を真っ赤にして、黙らせるメイ。鼻を鳴らすと、
『……ようやく本題に入れるわね』
 再び腕を組んで、横目で睨み付けるようにすると、
『 ―― 協力してあげるわ』
『……何を?』
『いい加減、ボケボケはやめなさいよっ!』
 苛付きながらも、一気に吐き捨てる。
『あたしは、あんたの目的 ―― 沖縄に封じられているはずの日本神の解放と神州結界を破壊する事について協力して上げるって言っているのよ!』
『……いいのか、亜米利加が、そんな事言って?』
 比較的常識人に認識分類されている西部方面隊第1混成団・第1433班甲組長、松永・一臣(まつなが・かずおみ)陸士長が問い質すが、
『 ―― 最終的には超常体をこの世界から追い出すつもりだという言葉を信じたから……』
 気丈にも胸を逸らして、祭亜を見下ろすような素振りをするメイ。小柄で華奢な体格ゆえに上手くはいってないのだが、
『……まあ、あんたって姑息な嘘だけは吐かないタイプに見えるし……。他人にどう思われてもいいだろうから、本当に世界をメチャメチャにするつもりならハッキリそう言うだろうしね。―― だから、いいわ。協力して上げる』
 メイの言葉に、満面の笑みを浮かべて手を差し伸ばす祭亜だったが、
『……でも嘘だったらその場合、アンタを殺すからね! ほ、本気なんだから。いいわねっ!!』
 メイに睨まれて、頬を掻き始めた。
『……それで、実際どうするつもりなんだ?』
 竜司の言葉に、メイは髪を掻き揚げると、
『与那国島に行くつもりよ。あんた達が知念半島を調べるなら、二手に分かれれば調査もはかどるでしょ。……あんた自身が与那国島のどこらへんにアタリをつけているのか知らないけど』
『 ―― ティンダバナ』
 祭亜が呟いた地名に、メイは頷いた。そしてキャンプ地へと戻っていく。その後ろ姿に祭亜が呟いた。
「……どうやって与那国島に行くつもりかなぁ?」

 キャンプ・トリイ ―― 第1特殊作戦群第1大隊(グリーンベレー)が駐留する地。超常体の出現により、グリーンベレーだけで無く、一般のU.S.アーミーも多く滞在待機している。メイもその1人だが……彼女は今、分隊長から怒られて恐縮していた。
「確かに、俺は『兵舎に戻って警戒待機か、或いは独自の判断で行動』とは言ったがな」
 拳をメイの頭に叩き付ける。
「 ―― それは沖縄本島の話だ、阿呆!」
「しかし、与那国島に偵察部隊が……」
「海兵隊のクソったれどもがな! それで、メイスフィールド二等兵、貴様は海兵隊か!?」
「No, Sir! 陸軍兵士であります!」
 どの時代、どの国でも、陸軍と海軍の仲は悪い。ましてや米4番目の軍とも揶揄される米海兵隊(U.S.マリーン)は、米海軍(U.S.ネイビー)に位置しながらも嫌われていたりする。米陸軍(U.S.アーミー)とは推して測るべし。メイが米海兵隊主導の与那国着上陸作戦参加への志願が却下されたのは、そういう訳だ。
「そ、れ、に、だ! 与那国に向かった馬鹿共は武装偵察部隊(Force Reconnaissance)という話じゃないか。奴等は馬鹿だが、憎たらしいほどのエリートなのは違い無い! 対してメイスフィールド二等兵、貴様は何だ?!」
「新米のペーペー、ヒヨっ子であります、分隊長殿!」
「解かったなら、身の程弁えて訓練に励め! 貴様は当分、キャンプ地で警戒待機だ!」
 言い付けると、肩を怒らせて立ち去る分隊長。その後ろ姿に心で舌を出すと、メイは天を仰ぎ見た。生憎の曇り空で、神は救いの手を差し伸ばして下さらない。
「 ―― Oh! My God!」

*        *        *

 同時刻、ナンシー・ワイアット(―・―)海兵隊一等兵は些か冷たい眼差しで、上官を見詰めた。
「 ―― キャプテン、如何しましたか?」
 何故か、沖縄本島のある方角を向いていた ジョージ・ルグラース[―・―]海兵隊大尉は困ったような表情を浮かべると、
「……いや、気の所為だ」
 MCCUU(Marines Corps Combat & Utility Uniform)下衣のポケットを軽く押さえて苦笑。ナンシーの記憶によれば、内には聖書があったはずだ。聖書に手を伸ばすのは、ルグラースの癖だな、と観察する。
「済まない、報告を続けてくれ。」
 石垣島にある神州結界維持部隊・特殊部隊SBU(Special Boarding Unit:特別警備隊)の第1混成団管区分隊本部。フォース・リーコンのメンバーは一部を間借すると、作戦の打ち合わせをしていた。
「Aye Aye, Sir. ―― SBUは我が隊の着上陸作戦を支援するものの、自身は引き続き八重島列島の防衛線死守に努めるとの事」
 ナンシーは、日系2世であった祖母の影響もあって日本語が堪能。その能力を買われて、自衛隊との交渉役を任されていた。
 ナンシーの報告に、今まで黙って聞いていただけの ジョン・スミス(―・―)海兵隊伍長が口を開いた。
「元よりアテにはしておりませんでしたが……着上陸の支援だけでも感謝すべきなのでしょうね」
「SBU自身は島内偵察には参加しません。……が代わって陸自第1混成団長、仲宗根・清美[なかそね・きよみ]陸将補から、正式に1個小隊を派遣する旨が通達されました」
「 ―― 1個小隊?」
 顔をしかめるルグラースだが、ナンシーは平然と、
「犯罪者集団 ―― 懲罰部隊だそうです」
「……成る程。納得致しました。そうでなければ、我が勇敢なるマリーンと違って、自衛隊員が上陸するとは、物好きか命知らずとしか言えませんからね」
 スミスは深く頷いた。
「 ―― 伍長殿。日本人がお嫌いですか?」
 ナンシーに問われて、スミスは暫し唖然。我に帰ると、静かに首を横に振り、
「どうやら毒にひたっていたようです。―― 自衛隊のアングラ・ラジオ局パーソナリティが、ステイツへの反目電波を流していましてね。……私とした事が、つい感情的になっていました」
 ……アレか。日本語に堪能なナンシーならば兎も角、赴任してきたばかりのスミスも影響されているとは、あの反米番組はかなり問題があるようだ。
 さておき、
「ワイアット一等兵は、日米共同作戦における最高指揮権を自衛隊に委ねる事を提案していたのだったな。しかし大丈夫か? その懲罰部隊が調子に乗ってこないとも限らないぞ」
 ルグラースの疑念だが、
「 ―― 私は目的を達成出来るなら、それが誰の手によってなされようと問題とは思いません」
 ナンシーは切って捨てた。
「それにこのような重要な任務に、懲罰部隊を派遣してくる自衛隊の真意は解かりませんが、懲罰部隊の隊長については、少し気に掛かります」
 そこまで言ってから、視線を逸らして呟いた。
「……品性下劣なフィッシュフェイス大尉と並んで、個人的にはプライベートでは絶対にお付き合いしたくない男ではありますが」
 漫画的表現で頭にクエスチョンマークを浮かべるような怪訝な表情のスミスとルグラース。その疑念は、形式的な挨拶の為に入室してきた男の姿を見て、払われた ―― 悪い方に。
 斑に脱色した、ボサボサ髪の男 ―― 西部方面隊第1混成団・第14特務小隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉。
「 ――“ 大罪者(ギルティ)”か!」
 殻島を見るなり、ルグラースが突如いきり立った。ナンシーの憑魔核が突然の活性化に悲鳴を上げる。ルグラースの背に六翼の光を幻視した。ルグラースはM7バヨネットを構える。殻島もまた臨戦体勢に。いつの間にか現われたコンバットナイフを、左手で握り、
「 ――“ 懲罰者(パニッシュメント)”が!」
 次の刹那、力がぶつかり合った。互いに互いを、最優先抹殺対象と認めた、殻島とルグラース。両者から膨れ上がった力が衝撃波となって、室内を荒れ狂う。スミスとナンシーは力場に圧せられて床に打ち倒されている自分達に気付いた。
『キャプテン、落ち着いて下さい!』
「Mr.殻島も!」
 だが制止の声に対して、殻島もルグラースも怒りとともに吐き捨てて返した。憎悪の篭もった眼差しで睨み合い、
「「 ―― こいつは、敵だッッ!!」」
 同時に踏み込んで、コンバットナイフとバヨネットが噛み合う。
「……いつもは高みの見物している米軍が、必死になっているのが興味深かったんで、可能ならそれとなく探りを入れてみようかと思っていたが ―― 陣取り合戦の駒が潜り込んでいやがったか!」
 至近距離での膝蹴り。ルグラースの腹部に当てて体勢を崩させたが、向こうも強引に肘打ちを当てに来た。が、両者、負けじと踏み止まる。
「お前の目的は良く解かった! “ 這い寄る混沌 ”を排除し、代わって龍穴を独占。燭台の火を灯し、“ 天獄の門 ”を与那国島で開くつもりだろ!」
「 ―― 黙れ!」
 ルグラースの背に、青黒い光が生まれた。
「口封じするつもりか。いいぜ、俺もお前を打っ殺す口実が出来るというもんだ ―― 正体見せてみろ!」
 殻島の挑発に、ルグラースが応えてくる。スミスとナンシーは急に息苦しさを覚えた。不規則な動悸に、脂汗が流れる。
「……キャプテン、待って」
 だがルグラースが暴走する事は無かった。騒ぎを聞きつけて、リーコン隊員達が室内に突入。コルトガバメントをリサイクルし、ファイーンチューニングを施されたMarine Expeditionary Unitピストルを一斉に殻島へと突き付ける。そのリーコン隊員達も、遅れて殺到してきた壱肆特務に9mm拳銃SIG SAUER P220を向けて廊下の向こうから狙われていた。妙な動機が収まるのを感じながらスミスとナンシーはようやく立ち上がる。一触即発の緊張感に、今度は冷汗が流れる。
「 ―― これは何事だ!」
 リーコンと壱肆特務との間に張り詰めていた緊張を打ち払ったのは、警務科隊員を引き連れたSBU一等海佐の怒声だった。殻島は舌打ちを、ルグラースは十字を切って懺悔する。
「 ―― 気を付けろ、敵は前にいるとは限らねぇ」
「そっくりお返しするぞ、“ 大罪者 ”め」
「「……殺す。次は殺す」」
 詰問してくるSBU一佐を軽く流しながら、殻島は壱肆特務を引き連れて、この場を去った。
 対してルグラースは聖書を抱えて何事か呟くと、荒い息を吐く。スミスに振り返り、
「済まない、ジョン。私は冷静さを欠いているようだ。暫く休む。皆と相談し、着上陸案を練っておいてくれ」
「――Aye Aye, Sir!」
 スミスは敬礼して、同僚や上官と着上陸作戦を立案する事にした。だがナンシーは、
( ―― キャプテン。貴方は一体?)
 幻視した、背に生えた青黒く輝いていた3対の光翼。そして“ 懲罰者 ”、燭台の火、“ 天獄の門 ”―― 殻島が語ったのは日本語ゆえに、同じ部屋に居たとはいえスミスには聞き取れなかったようだが……。
 ルグラースへの疑念が一層増していくのを禁じられなかった。

 那覇駐屯地に隣接している旧那覇国際空港 ―― 那覇航空基地。報告を聞いて、天気予報図に落していた目を上げて、呆れた表情を浮かべたのは第101飛行隊・第7小隊長、 西村・哲夫(にしむら・てつお)准空尉である。
「……海兵隊も、陸自も何やっているんですか? これから与那国島に突入するんですよね?」
 西村の感想に、部下も呆れた表情のまま肩をすくめていた。
「少なくとも両者が歩調を合わせる事は難しくなった訳ですが……本当に大丈夫なんでしょうか?」
 西村のぼやきに答えられる者は居ない。溜め息を1つ吐くと、
「……まぁいいです。わたし達は、わたし達のやるべき事をやりましょう」
「 ―― 整備、完了」「燃料、補給しました」「電子機器に異常無し」「体調、万全です」
 部下達が点呼に応えると、西村は満足げに頷いた。
「では行きますよ ―― 空へ」

*        *        *

 ほんのり甘くて後を引く。紅いもチップスを摘まみながら書類整理をしていた第1混成群・第1403中隊第1小隊長、銘苅・昌喜[めかり・まさき]三等陸尉は、こちらを見て思わず停止。その隙に、第1433班乙組長、山之内・アリカ(やまのうち・―)陸士長はチップスを袋ごと奪った。
「あら、銘苅小隊長。最近、間食が多いんじゃない? 駄目よ、適度な運動をしなくちゃ。中年太りは嫌われるわよん」
 相棒の 本田・勝正[ほんだ・かつまさ]一等陸士を引き連れてのアリカを見て、目を開く銘苅。
「……お前が戻ってくるとは思わんかったが」
「あらん? 驚かせちゃったのねん。本当は、あたしも祭亜ちゃんの護衛に付いていたかったんだけど……ほら、彼女には既に多くの人員が割かれているから帰れって ―― 勝っちゃんに説得されて」
 本田は無言のまま敬礼した。銘苅は頬を掻く。
「……そうだな。松永の方は別件で動いているし、お前達が戻ってきてくれて助かる」
 銘苅は書類を脇にやってから腕を組んだ。小隊付き副官が、冷えたスポーツドリンクのボトルをアリカと本田に手渡してきた。遠慮無く蓋を回して、
「……で、カズちゃんは何を?」
「 ―― 先日、与那国島近海に浮上した台地ルルイェ。眠りし最高位最上級超常体、海神龍クトゥルフ。狂氣の波動を、お前も感じたな?」
「……祭亜ちゃんの御蔭で、あたし達には影響が少なかったけどね」
 アリカが報告するその時の様子に、銘苅は眉間に皺を寄せて、
「強制侵蝕化を相殺か ―― 人間技じゃないな」
 俺なんてこの様だ、と青黒く変色して痣になった右腕を見せる銘苅。狂氣を受けて、のた打ち回っていた1人らしい。アリカは顔をしかめると、
「 ―― 祭亜ちゃん自身も『自分は異生(ばけもの)だ』って認めていたわよん。……それに彼女を派遣してきたのは“ 上 ”じゃなくて“ 裏 ”」
 目を細めると、口調を真面目なものにする。
「銘苅小隊長 ――『落日』なる部隊に聞き覚えは?」
 銘苅は机の端を指で叩きながら、記憶を巡らせていたが、
「いや、初耳だな。―― 本土には色々と都市伝説が流れているからな。―― 曰く『魔人駆逐を主任務にした部隊がある』、曰く『人工憑魔の実験部隊がある』……そして、曰く『超常体で構成された部隊がある』」
 椅子に深く座り直して、
「 ―― 気になるな。一寸、俺の方でも調べておこう。第1432班の再編も目処が付いた事だし」
 最近、書類仕事ばかりだなと愚痴る銘苅に、
「報せたあたしが言うのも何だけど、余り深入りはしない方が良いわよん。気を付けてね、小隊長」
 口調を普段通りに戻して、アリカはおどける。
「解かっている。―― さておいて、だ。松永の方は、狂氣に侵された魔人の方を追っているようだな。目撃情報を集めている」
「7名も完全侵蝕されたんですものね」
 アリカの言葉に、だが銘苅は首を振って、
「7名しか報告が無かったんだ。しかも、それらは全て身内 ―― 維持部隊のだ。亜米利加さんに関して報告は無い」
 言わんとする事に、アリカは気付いた。
「……潜在的脅威が眠っているかも知れないのね」
 そう言えば、先日に襲ってきたミ=ゴは、維持部隊員だけでなく、米兵の姿も借りていた。
「松永も理解してくれていたようだ。……外交問題にもなりかねんが、充分に警戒しておいてくれ。いざという時の責任は俺が持つ」
 敬礼という形で、アリカと本田は応えてみせた。
「まぁそれはそれとして……第1432班の再編に目処が付いたって言っていたけど教えてくれないかしら? 同じ小隊になる仲間に付いて気になるわん」
 ああ、それか、と隠す必要も無いのか書類をアリカに投げ渡してくる。
「 ―― 丁度、訓練を終えた3人組がいてな。姉妹らしくて『一緒じゃ無いと嫌だ』と希望していやがってな。……調整が面倒なので1つに押し込めた」
 書類に目を通したアリカは溜め息を1つ吐くと、
「 ―― 銘苅小隊長。ちゃんと書類チェックしていたのん? 中々の問題児よ、この3人」
 アリカが指摘した項目 ―― 性別欄に、銘苅は初めて目を通したようだ。些か青褪めており、動揺。
「 ―― げっ。名前だけから見て、普通の女だとばかり思っていたが。……ま、まぁ、大丈夫だろう」
「彼女達を預かる事になる、不幸な第1432班乙組長は誰なのん?」
「 ―― 小島だ。昇進させて押し付けた」
 思わずアリカは噴き出して笑ってしまう。
「あらぁん。真琴ちゃんも大変ね。やっぱり、あっちに残っていた方が楽しかったかしら?」

*        *        *

 アリカの予測通りに、辞令を押し付けられて真琴は悲鳴を上げていた。竜司が思わず合掌。
 ……暫し時は遡る。
「 ―― やっぱりフィールドワークをする場合、移動手段や食料等の装備品が無いとかなりきついと思うんです」
 ポニーテールを揺らしながら、そう訴える真琴。
「うんうん、真琴ちゃんは気が利きます★ ……何処ぞの先輩はこういう気遣いには疎いですし。ああ、だから男って使えませんよね」
「……聞こえているぞ」
 祭亜の視線に、竜司がこめかみに青筋を立てる。まあまあと冷汗を掻きながら、真琴はなだめると、
「そういう訳で、思い切ってクーガーを陳情してみました。大所帯ですし」
 現在は……真琴、祭亜、竜司達『Great Old Ones』5人、そして松永が残した連絡役1人で ―― 計8名。
「もう、2、3人は乗れるな」
「乗る気満々ですね、先輩。ボクは男よりも女性の方が……メイちゃん、帰って来ませんかねぇ」
「 ―― あいつ、今、何してんだ?」
「……キャンプで居残り特訓中。やっぱり与那国島には行けなかったみたい ―― メールで愚痴っていましたよ」
 携帯情報端末を見ながらの祭亜に、
「……何時の間にメル友になっていたんだ?」
「先輩にはメルアド教えてあげませーん」
 掛け合い漫才をする習志野の先輩後輩コンビを横目に、真琴は96式装輪装甲車クーガーが受け渡されるのを待つ。―― 果たして、待ち望んでいた物が来た事は来たのだが……
「あっ、あのぉー? 小島陸士長は、こちらでしょうかぁ?」
 クーガーを運転する操縦士と、搭乗していた2人 ―― 未だあどけなさの残る少女達。3人はクーガーから降りると、独特の空間を放つ一行に恐る恐る声を掛けてきた。
「小島は私ですけど?……何ですか陸士長って?」
「あっ銘苅三等陸尉から、これを持って陸士長の所に行けと言われまして。」
 A4大の封筒を取り出して、真琴に手渡してくる。怪訝な表情で中を開くと、陸士長の階級章と辞令と……真琴宛の手紙が入っていた。
「えーと……『あの濃い面子相手に二士のまんまでは体裁悪かろう、というか張り合うにも苦労するだろう。お前は力量もあるし、充分な功績もある。勝手な判断だが、陸士長へ昇進させておいた。また再編した第1432班乙組長を任じるので、新米3人の面倒を見てやれ ―― 銘苅』……って、小隊長ーッ!?」
 悲鳴を上げる真琴。思わず、竜司は合掌。そんな天を仰ぎ、懊悩する真琴を無視して、3人の少女はようやく安堵したのか笑顔を見せた。元気に敬礼。
「「「よろしくお願いします!!! 真琴おねぇさま!!!」」」
「おっ、おねぇさまって……」
 純真な6つの瞳の奥底に、祭亜に通ずる何かを見た気がしたような……。が、反して祭亜は3人娘に対して敬遠の素振り。竜司が疑問を口にする。
「……お前好みの少女だろう? メイや真琴に対しての態度と随分と違うが?」
「あ、ボク……流石に“ 付いている ”のは遠慮させて頂きますので……」
 祭亜の発言に、青褪めて不安な表情に戻す3人娘。真琴は1人絶叫する。
「……ちょっ、一寸待って下さい。“ 付いている ”って何がー!?」
 ―― さて、何だろうね?
「「「ああっ真琴おねぇさまぁ……。もうあたし達、行くところが無いんです。見捨て無いで下さい」」」
 何が何やら。放心する真琴に、すがる3人娘。竜司達も展開についていけない。
 様子を伺っていた、松永が残した連絡役が呟いた。
「 ―― すっかりイロモノ集団になったなぁ、ここ」

 実は監視も兼ねていた連絡役からの報告に、松永は一瞬遠い眼をする。
「……何やってんだろうかな、あいつら」
 魔人となった為に、既に外での生活は諦めていた松永は、自分では達観していたものと思っていた。しかし、どうにもこうにも祭亜達と触れ合っていく事で、未だ未だと見詰め直す機会を得ていた。感嘆とも取れる溜め息を1つ吐くと、再び報告に目を通す。超常体や魔人の目撃情報を収集し、白地図に書き込んでいった。古書に目を通し、該当項目に付箋を張り、赤ペンで注意事項を書き抜いていく。
「琉球八社の最高位 ―― 波上宮にて、脱柵者発見。交戦し、負傷させたものの結局逃げられる。首里杜(すいむい)御嶽、クボー御嶽……等々にもクトゥルー神群に分類されている超常体が、多数出没している。あの日を境に」
 先日の、満月の夜。狂氣の波動が発せられた日を境に、超常体の出現が顕著になっている。多くはミ=ゴのような下っ端(それでも下位上級)だが、
「ムーンビーストといった変り種や、ガグといった大型も現われてきている。バランスが崩れてきているのは間違い無い」
 維持部隊が国際社会から求められている役割は、超常体の数や力関係を調整する事である。超常体を国外に出現させないように、神州という隔離された結界の中で、勝ち過ぎず負け過ぎない戦いを続けていく事。
 その事自体に憤っていた時代は、松永の中ではとうの昔に過ぎたつもりだ。しかし、それが破綻してきたというのは……。
「 ―― 下手すると、人間が滅びてしまう」
 松永が生を受けて、今年無事に誕生日を迎えられたら30になる。超常体が姿を現してから20年。このまま今の状態が一生続くと思っていたが……。神州各地で起きている異常。対して、祭亜をはじめとする日本神霊を解放しようとする動き。米海兵隊の強攻策。
「……うかうかしていられないな」
 その為の統計分析調査だ。だが第一目的の琉球神話自体の調査は遅々として進んでいない。君真物(キンマモン)とは、聞得大君(きこえのおおきみ)とは、アマミチューとは。何が与那国に封じられている? 手掛かりさえ掴めていない。
「……ただ勘に頼っているだけでは、いけないのか」
 苛立ちを秘めて溜め息を吐きつつ頭を掻く。そんな松永に、目撃証言を集めていた部下から新たな報告が入る。
「 ―― 松永士長、脱柵していた魔人多数が確認されました」
「……場所は?!」
「知念城跡です。負傷していた1名の殺害に成功したものの、残り6名は逃走を続け ―― 追跡していた班が壊滅しました!」
 魔人は(当たり前だが)人並みの知恵があり、知識があり、武装する。憑魔能力をも有する魔人は、単体(戦車や戦闘機等も含める)において最強の戦力なのだ。下手をしなくとも、1個班程度ならば壊滅させられてもおかしくはない。
「斎場御嶽に近いな ―― 」
 連絡役に通達しようとしても既に出発した後だ。無線等を持たせておらず、急な連絡は付けられない。とはいえ『Great Old Ones』に、『鬼小島』もいる。祭亜自身が得体の知れない程の戦力を有しているから危険は少ないだろう。だが用心の為に、松永は出動する事にした。―― 松永の手の中で、対人狙撃銃レミントンM24が鈍く光って見えた。

 3人娘 ―― 歩美[あゆみ]・清美[きよみ]・珠美[たまみ]の 笹本[ささもと]三姉妹と合流した一行は、クーガーに搭乗。国道329号線を東進し、斎場御嶽を目指していた。
「祭亜さん……」
「 ―― ん? どうしました?」
 番組の台本に赤ペンを入れながら目を通していた祭亜は、真琴の問い掛けに片眉を上げて応えて見せた。
「……気になったんですが、日本土着神達っていうのは、単刀直入に日本人をどう思っているんでしょうか?」
「本当に単刀直入ですね。……でも複雑で難しくなりますよ、その答えは。快刀乱麻とはいかないです」
「ええ。……日本土着の神様といっても、それは飽くまでも外国人や外来の宗教から見たもので、日本神道においても天津神や國津祇等に分類されます。それらの神々が日本人に対して、どういう感情を持っているのか、知れる範囲で知りたいんです」
 真琴の真剣な態度だが、祭亜は複雑な表情のまま。
「 ―― 日本人を守護するつもりがあるなら良いのですが……そうで無い場合は解放するのは困るでしょうし、そこら辺を祭亜さんがどの様に考えているか利けたら……と。ほら、えーと、“落日”とかいう特殊部隊に所属しているそうですから」
 台本を畳んで、暫し首を傾げながら熟考。ようやく口を開いてきた。
「 ―― 日本人といっても、単一民族でもなければ、同一人種でもありません。狩猟民族の縄文人を、大陸や南洋諸島から渡来してきた農耕民族の弥生人が征服したのが原始日本国家成立だというのが最近の通説です。……そして縄文人が崇めていたのが國津祇であり、弥生人が奉るのが天津神なんですが……この時点で愛憎は入り混じりなんですよ、現日本人に対して」
 赤ペンを指で回しながら弄り出す。
「ましてや琉球 ―― 縄文系人は17世紀という比較的近い過去にも、島津 ―― 弥生系人によって征服されています。その後に亜米利加に拠って侵略されたとしても、どちらの衝撃が強かったかどうかの違いだけで虐げられたという事実は変わりが無い訳ですよね」
 笑顔のまま、だが抑揚のない声で祭亜は呟いた。底知れぬ深奥の闇が、そこにあった。真琴は知らず、身震いをする。祭亜は目を細めると、
「 ―― 封印されている神が何であれ、こちらを恨みに思っていても仕方無いと思いますよ」
 祭亜に見詰められて、真琴の憑魔核が活性化を始めていた。―― ここに居るのは少女の姿をした、紛れも無い異生。と真琴が身構えた瞬間に、祭亜はおどけて見せた。途端に活性化が止む。何時の間にか乾いていた咽喉。無理矢理、唾を飲み込むと、
「……それでも封印を解くと」
「うん。実際、どっちに転ぶか判りませんし、何もしないよりは遥かにマシですから」
 舌を出してから、笑う祭亜。
「まぁ、どの系統の神祇であれ、自分達が封印されているのに、日本人から無視されていた事に怒っているかも知れませんけど。―― ねぇ、先輩?」
「……何だ?」
 立ち位置や段取りを調整していた、竜司が突然声を掛けられて振り向いた。
「先輩が敵に掴まって幽閉されたとして、ボクが先輩の安否を全く気遣わずに面白可笑しく呑気に過ごしているとしたら……ムカつきません?」
「 ―― おれがそんなに狭量だと思っているのか? まぁ人それぞれだろうが……可愛さ余って憎さ百倍という奴も居るかも知れないなぁ」
 竜司の返答に、祭亜は真琴へとウィンクする。
「我が身が不自由でも子を愛し続ける親も居れば、省みる事無い子を嘆き、怒り、憎む親も居る。どちらにしろ交渉役が必要です。荒んだ魂(まぶい)を鎮めるもの ―― 琉球では神女(ノロ)とか巫女(ユタ)とか呼ぶ、そんな存在が」
 それだけ言うと祭亜は再び台本を広げた。そして顔を埋めるように読み続けていくのだった。

 斎場御嶽 ―― 琉球開闢の祖アマミチューが造ったとされる国始め七御嶽の1つに数えられる、沖縄最大の聖地である。沖縄最上位の神女、聞得大君の即位式もこの地で行なわれたという。
「……かつて参拝に訪れた琉球国王でさえも、御嶽前の階段までしか足を踏み入れる事を許されなかった、男子禁制の地 ―― 」
 ナレーションの声を当てていたガンドレス・ガールは、そこで一気に大声を上げると『Great Old Ones』を指差した。
「 ―― という訳で、キミ等、アウトだー!」
「「「おおお、しまったーッッッ!!!」」」
 真紅の炎オールド・フレイム、漆黒の雷オールド・サンダー、昏黄の地オールド・アース ―― 男3人が頭を抱えて唸る。対して、純白の風オールド・ウィンド、碧青の水オールド・アクアが勝ち誇ったようにハイタッチ。
「 ―― というか、おまえ等、女だったのか!」「コラ待て、フレイム。……リーダーの癖に設定を決めて ―― もとい、知らなかった、お前が悪い」
「……今、メタ発言が聞こえたような」
 イッツア気の所為。笑顔でサムアップ。
「小官は大丈夫ですよね……?」
 おずおずとMGH(ものすごく・ごっつい・はんまー)マコートが手を挙げる。
「男顔負け、怪力無双のMGHといえども、何処から見てもWACだろうが。―― 逝って、中を見て来い。俺達の屍を超えて逝け!」
「炎士長、無茶苦茶不穏当な発言は止めて下さい。というかMGHって呼び方は駄目ぇー!」
 悲鳴を上げ、顔を真っ赤にしてMGHマコートは抗議するが、素敵にスルーするとフレイム達はカメラやマイクの持ち込みも許されるかどうか苦悩していた。
「やはり聖地だしなぁ……撮影は自粛するか?」
「幾ら御当地紹介とはいえ、礼は尽くさないと」
「外側を映すのは問題無いだろう。本題は内部なんだが……放映出来ない事も起こる気がするから、最初から諦めよう」
 ガンドレス・ガールを見遣ってから、『Great Old Ones』は決断する。
「何で、皆さん、こんなにノリノリなんですか……」
 肩を落とすMGH真琴は、笹本三姉妹に慰められる。が、ガンドレス・ガールから駄目押し。
「あっ。笹本三姉妹も入っちゃ駄目ですよ」
 笑顔で一言。但し眼は笑っていない。
「入りたければ ―― チョン切られるか、それとも今すぐボクに撃ち殺されるか……好きな方を選べ」
 愛用のP220を構えて唇の端を吊り上げるガンドレス・ガール祭亜に、笹本三姉妹は震え上がる。真琴に益々すがってきた。流石に反論でも言ってやろうかと思ったその時、
「 ―― ッ!」
 軽い痛みと衝撃。憑魔の活性化を感じる。『Great Old Ones』が素早く身構えた。真琴は掘っていた塹壕に身を隠すと、89式5.56mm小銃BUDDYを構える。
 クーガーは降車した時点で物陰に隠して擬装し、破壊されないようにしている。用心の為に操縦席には清美が、搭載火器12.7mmM2重機関銃キャリバー50には歩美が張り付き、松永の連絡役がBUDDYを手に支援。同じくBUDDYを構えさせはしたが、珠美は車内に待機させておいていた。
「 ―― 捉えました。南西の方角、距離20mの木陰に隠れています。数6、強さ……高位下級以上の、魔人クラス!」
 氣を張り巡らせていた祭亜が注意を促してきた。通常の憑魔活性化では近距離(25m)内の“ 存在 ”を感知する事しか出来ない。その方角、距離、数、強さが探知出来るのは操氣系の半身異化だけ。しかも有効距離は半径200mという段違いの索敵能力を有する。
「 ―― 選曲、林原めぐみ『question at me』」
 携帯情報端末から伸ばすイヤホンを耳にはめると、もう片方にベレッタM92Fを握る。二挺拳銃。
「 ―― って、一寸待て。そのベレッタは?」
「……あ。メイちゃんから借りっぱなし」
「前回から返してないんですか、祭亜さん!」
 ドンマイ、と笑うと塹壕の存在等無視して、祭亜は踊り出る。隠れ潜みながら接近してきた敵魔人に対して、容赦無く9mmパラペラムを叩き込んでいった。1体が被弾して倒れたが、残る5体は氣による障壁を楯にしたり、傷を瞬く間に修復したりしてBUDDYで応戦してきた。
「射撃戦は銃声ほどには、絵にならないんだよな」
 ぼやくフレイム竜司。とはいえ、銃弾が尽きるまでは白兵戦を臨まないのはセオリーだ。
「……ま、祭亜は除くが。あいつ、一体幾つ弾倉を隠し持っているんだ?」
「ガンドレス・ガールというコールサインは、伊達では無いという事なのでしょうね」
「 ―― 小島。接近中の援護を頼みたい。おれ達は射撃が得意という程じゃないからな。先に行く」
 言うが早いか、竜司達は意識を集中する。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 了解の意を伝えると、真琴は素早くBUDDYの弾倉を交換。駆け出す『Great Old Ones』を支援する。
 炎や雷、風が荒れ狂うにつれ、敵魔人からの射撃が止む。真琴も特注戦鎚『鬼殺丸』を握ると、
「 ―― 出ます!」
 跳ぶように突撃。鬼殺丸を横薙ぎに振るうだけで、先端が空気を震わせて音を立てた。まともに受け止める事能わぬ威力に、氣の障壁ごと敵が潰される。
「 ―― 残り、4つ!」
 踏み込む反動を利用して転回。眼前に新たな敵魔人を見出すと、腰の捻りを加えて叩き付けた。が、
「勢いを殺されましたッ?!」
 確かに直撃したはずだ。しかし敵魔人は大きく後退して衝撃を殺す。その際に身体が無気味に歪んで波打って見えた。
「……異形系っ! ならば憑魔核を潰すまで!」
 踏み込む真琴だが、突然に足下を攫われる。異形系魔人から放たれていた触手が、真琴の足を引掻けたのだ。体勢を大きく崩したところに、至近距離からの拳銃射撃。咄嗟に両腕を組んで顔を庇う。9mmパラペラムは胴部に命中。少しは衝撃が通るが、拳銃弾ではボディアーマーを貫けやしない。問題なのは転倒。敵魔人は券銃弾が効かない事を悟って銃剣を握った。触手の先が鋭利な刃物に変じる。身動きが満足に取れない状態で、四方からの攻撃が ――
「 ―― クトゥグァ・フィスト!」
 炎を纏った打撃が、触手を焼き払う。業火に包まれて、異形系魔人がのた打ち回った。かばうように立った竜司の背で、真琴は何とか起き上がる。
「炎士長……」
 震えている真琴が安心するように、竜司は白い歯を見せて朗らかに笑った。が、
「 ―― 今の必殺技名って凄く不穏当な響きがしたんですけどっ!?」
「お礼より、突っ込みが先かっ!」
 愕然とする竜司の隣で、ウィンドが呟いた。
「……私の技名なんて、ハストゥール・ブレードですよ」
 続いて愚痴り出す、『Great Old Ones』の皆様。
「あたしなんてクトゥルフ・シュートだし……今の御時世、変名を希望するわ」
「僕なんてツァトゥグァ・クエイクなんだよね」
「君達は未だ良いぜ……俺なんてシアエガ・ショック。なぁ、シアエガって元ネタは何だよ?」
 戦闘しながらも律儀にコメントを発せられるのは、やはり慣れなのだろうか。
「おまえら……ネーミングは仲宗根のオバアなんだから仕方無いだろ!」
「「「「ぶぅーっぶぅーっ!」」」」
 口を尖らせて抗議をしながらも、その眼は敵を捉えたままだ。『Great Old Ones』は確かに精鋭部隊には違いない。小官も負けられ無い、と真琴は鬼殺丸を握り締めた。―― 潰す!
 異形系魔人から繰り出される触手。だが竜司の刀拳が外側に円弧を描いて、打ち払う。続いて反り身しながら、掌拳で外から内に受ける。上受け、すくい受け、下受け、横受け……流れるように、舞うように、踊るように竜司の両腕が動き、無数の触手を全て受け、払い、落し、流し、打つ、そして焼く ―― 対多超常体戦闘技術。
「手数は多くても、おれの敵じゃなかったな」
 白い歯を輝かせて笑うと、全身火傷を負った敵魔人は怯んで見せた。周囲を見渡せば、残るはただ1人のみ。逃げを決めた異形系魔人は大きく後ろに跳躍し、戦域から離脱しようとする。
 しかし真琴は追いすがると、容赦せずに鬼殺丸を振るい続けた。腰の横に当てて動きを止める。横打ちの一閃が顔面を陥没ざせた。心臓が破れ、体液が迸る。脂肪が溶け、流れ落ちた。皮膚が弾け、剥がれていく。既に骨は粉微塵だ。鬼殺丸が何度も振り下ろされた。憑魔核が割れて飛び散り ―― 異形系魔人は完全に活動を停止した。
「……まさに、鬼」
 浴びた体液に塗れた小島。表情に翳りは無いが、だからこそ竜司は戦慄した。
「 ―― 炎士長」
「ああ……何だ」
 竜司は唾を飲み込んで答える。真琴はほつれたポニーテールを結び直しながら、
「焼却処分をお願い出来ますか」
 困ったような、そんな表情で笑った。顔を見合わせると、溜め息1つ。『Great Old Ones』は黙々と弔いの作業に入る。狂氣により完全侵蝕されたとはいえ、元同僚だ。それに気持ちを切り替える為にも、何らかのケジメが欲しい。
 真琴に、クーガーから降車した笹本三姉妹が駆け寄って来る。体液を浴びた真琴に一瞬怯えの表情を浮かべたが、直ぐにタオルやら何やら持ってきて甲斐甲斐しくお世話を申し出てきた。
「おねぇさま……さあ、服の着替えを」
「えぇと、勝手に脱がさないでぇー! あっ、あふ……ああん。ど、何処を触っているんですか!?」
「おねぇさまったら感じ易いんですね……。何だか可愛い★」
 なんだかなぁ……と気持ちを落ち着けた竜司が、苦笑して真琴達を見遣った。ふと騒ぎに加わらない祭亜を見る。
「 ―― ッ!」
 そこにあったのは昏い笑み。底知れぬ深奥の闇。寂寥と、嘲弄と、憐憫と、……そして悔恨。確かに、少女の姿をした異生が、そこに居たのだった。

 松永達がようやく到着した頃には、焼却に続いての埋葬も終わり、本格的に斎場御嶽の調査に入るところだった。太陽が昇る明け方までに、準備に取り掛かる。
「遅れて済まない。やはりアシが無いときついな」
「気にするな。撮影は今から再開するところだ。人手が多いのは助かる」
「 ―― いや、そっちの手伝いはしない」
 断固の拒否。それから真琴やアクア、ウィンドが仕度をしているのを見て、松永は独りごちる。
「さて……ここまで来る間に思い至った事が1つある。―― 超常体の出現ポイントは神話伝承に縁ある地が多い訳では無い。これはデータを分析しての確かな事実だ。にも関わらず、ある時を境に偏りが見られてきたのも確かだ。―― 八木原が現われてから御嶽周辺や古跡での戦闘が多くなってきた。……それに」
 狙撃する時のような眼で、目標を見詰める。
「先日の那覇市でミ=ゴに襲われていた時もそうだが、斎場御嶽に八木原達が来る事をどうやって敵は察知した? 今回の魔人による襲撃は、明らかに八木原達を狙ってきたものとしか思えない」
「……あ、やべ、次回予告とかで、訪問場所を言っていたかな?」
「超常体は、ラジオやテレビを視聴しないだろう」
 松永の言葉に、それはそうだと竜司も納得。
「 ―― 御嶽や古跡が重要であり、敵もそれを狙っている、という考えも確かに出来る。しかし、ここまでピンポイントに襲撃してくるのはどう考えてもオカシイ」
「……見張られている? それとも……誰かが漏らしているのか?」
 眉間に皺を寄せると、竜司は唇を噛んだ。

 斎場御嶽に拝所は6ヵ所ある。それらの中でも東側にある三庫理(さんぐーい)は神の島と崇められていた久高島を望む事が出来る遥拝所である。
 久高島は琉球開闢の祖アマミチューが天から降り、最初に造った島と言われる。島の東側に広がる伊敷浜から望む水平線の向こうに、ニライカナイがあると信じられていた。
「……という事は、ニライカナイは与那国島の方角では無くて、太平洋側に?」
「 ―― 太陽信仰から考えれば、日が生まれて昇って来る、東に楽土があるという考えの方が当然という気はしますけどね」
 オカルトで有名なムー帝国は太陽信仰である。そして琉球はムーの一部だったという説がある。そこから考えて見ても『東方(太平洋)に楽土がある』という裏付けも出来よう。
「……けど本土には、仏教伝来の西方浄土信仰がありますからね(※ 註1)」
 祭亜が苦笑して見せる。
「まぁボクが探しているのは、与那国島に封じられているかもしれない、神の手掛かりであって、ニライカナイじゃありませんし。―― 正直どうでもいいです、楽土なんて」
「……祭亜さんは、楽土を信じていないんですか?」
「他力本願を信じていないだけです。それに楽土信仰は、来世利益の一種ですから。自力本願、現世利益 ―― 人間死ねば終わりです」
 憑魔により魔法や超能力と似たような事を発揮出来るが、霊魂の存在は確認も証明もされていない。また蘇生の奇跡も確認されていない。死ねば終わり、という祭亜の考えは、ある意味正しいとも言えよう。
 言いながら、真琴達は巨大な2枚岩のトンネルを抜けた。祭亜が腕時計を見る。
「 ―― 時間だ」
 天候は晴れ。遥拝所から望む、久高島から朝陽が昇っていく ―― その時、真琴や、アクアとウィンドに衝撃が走った。だが痛みは無い。言うなれば魂を揺さ振る、暖かい“ 何か ”が沸き起こる感じ。
『 ―― くぬばす、くぬ時やーか、てぃーだぬ祝福受きたん神女よ。我がむとぅんかいめんそーれー(この場、この時より、太陽の祝福を受けし、神女よ。我がもとにこよ……)
 聲が聞こえる。何時の間にか、真琴達の頭上を大きな蛾が舞っていた。陽光を浴び、燐分が輝いて見えた。そして脱力する。軽く、心地良い疲労感が真琴達を支配する。ただ独り ――
「やはりボクには資格がありませんか……」
 祭亜が自嘲とも悔恨とも取れる微苦笑を浮かべていたのが、真琴には気に掛かった。

*        *        *

 洋上を飛ぶ、E-767早期警戒管制機。
「……昼間の方が安全ですからね」
 与那国島着上陸作戦を支援すべく、ピノキオ[――]は警戒監視・要撃管制を行なっていた。
「 ―― 正確な情報と補給こそ、戦闘の基本です」
 与那国島や、ルルイェの上空を警戒するとともに、米海兵隊のベル/ボーイングMV-22Aオスプレイや、SBUの哨戒機ロッキードP-3オライオンを管制する。
「オスプレイ、もうすぐ与那国上空です。ハンティング・ホラーの姿、確認されず」
「……やはり日中の動きはありませんか」
 クトゥルー神群に分類される超常体には、光を苦手とするものが多い。極大型飛行超常体ハンティング・ホラーはその最たる物だ。与那国島に接近するとしたら、日中において他には無い。
「とはいえ、シャンタク・バードが代わって出て来ないとも限りません。警戒は引き続き最大に」
「 ―― 了解」
 ピノキオ・リーダーの指示に、緊張を持続したままにセンサー操作士官が装置を睨む。
「クイナより ―― 海面下の動きは無いとの事です」
 コールサイン『クイナ』ことオライオンからの入電に、眉を潜めるピノキオ・リーダー。
「 ―― ディープワンズや、ダゴンの姿が見えない? ……明らかにオカシイですが」
 満月の夜、海面が煮沸しているような泡や白き浪の光景を思い出す。呪歌を大合唱していた魚群は、果たして何処へ行ったのか?
「……クイナ・リーダーも同感だそうですが、揚陸作戦を実行するのにはまたとない機会です」
「 ――『おおすみ』よりエルキャック発進しました」
 オライオンが海面下を哨戒する中、輸送艦『おおすみ』より、エアクッション艇LCAC2101が発進する。
「……『おおすみ』とエルキャックが健在とは……艦船の全てを廃棄したというのは嘘でしたか」
 少なくとも海自の艦船は密かに隠されていたのだろう。
「しかし仲宗根団長は本気ですね」
 ピノキオ・リーダーが感心する中、壱肆特務を載せたエルキャックは真っ直ぐに与那国島に向かう。無事に送り出した『おおすみ』は西表島へと反転。
「……日米共同着上陸作戦、第1段階クリア ―― 引き続き敵航空戦力の警戒監視に努めますよ」

 回転式機関銃に張り付いていたナンシーは与那国島の異様な光景を見下ろして、顔をしかめた。ジュラ紀や白亜紀を思い起こす原始的でかつ巨大な植物群。歪に捻りゆく奇怪な樹木は、風も無いのに揺れ動き、まるで手招いているようだった。それらの樹木には蜘蛛の糸のようなものが絡み付いていた。粘液のような皮膜が所々覆い被さり、樹皮を腐らせ、融解させている。その滴り落ちる液から崩れかかったミートボールのようなものが這い回り、さらに汚染を塗り固めていった。嫌悪感は、吐瀉物となって咽喉元に込み上げて来る。口元を押さえて堪えると、息を何度も吸って妙な動悸を整えた。ユニフォーム下に掻いた脂汗がとても不快だった。
「 ―― もうすぐ与那国空港跡地に着陸する。日中とはいえ低空に近付くにつれ蔭がある。警戒を怠るな」
「「「 ―― Aye Aye, Sir!!!」」」
 ルグラースの言葉に、リーコン隊員は揃って頷いた。北部にある与那国空港跡地を、着陸地点に選んだのはナンシーの提案も大きい。空路、海路共に、撤退にも便利である。またルグラースが以前に極秘潜入した際の離着陸地点だったという理由もある。当時は中型侵攻輸送回転翼機ボーイングCH-46シーナイトではあったが。
「前回の偵察時における、敵との遭遇ポイントは北東 ―― 与那国島役場跡近郊であった。北東の町役場付近は、島内の施設が集中している」
「敵超常体の営巣地となっているのは間違いありませんな」
 スミスの意見に、ルグラースは大きく頷いた。
「着陸後は、オスプレイの擬装。その後、与那国空港施設を制圧し、探索時のベースキャンプとする。日没までに施設をクリアせよ。同時に斥候部隊を選抜し、町役場方面への警戒と偵察を命ずる」
 斥候部隊には、スミスとナンシーは当然ながら志願する。ルグラースは念を押した。
「 ―― 日没までに戻れられないと判断した場合は、太陽が沈み終わる前に隠れられる場所を見付け出して、身を潜めろ。何があっても絶対に動こうとするな。点呼を怠らず、全員が全員の状態を確認して把握出来るようにしておけ。用足しは、その場に垂れ流せ。羞恥心は捨てろ。命が大事だ!」
「「「 ―― Aye Aye, Sir!!!」」」
 オスプレイ2機が、かつて滑走路が敷かれていた空間に降り立つ。分隊長が後方扉を開けて出ると、中腰の姿勢でM4M1カービンを構えて周辺警戒に視線を配った。続いて飛び出すリーコン隊員達に展開方向を指示すると、部下達はオスプレイの周辺を扇形に囲むように伏射姿勢を取る。一人、立て肘姿勢のまま全体の把握に努めていた分隊長は、視界の端に動く気配を察知。合図して部下達に斉射させると、目の無い蟇蛙に似た灰色がかった白い大きな油っぽい肉塊が踊り出てきた。5.56mmNATOを受けて沈むが、怖れる事が無く、次が涌き出て来る。
「 ―― ムーンビースト!」
 リーコン隊員達の銃撃を受けて、ムーンビーストは沈む。M203 40mmグレネードランチャーを装着、或いはM249SAW分隊機関銃 ―― FN5.56mm機関銃MINIMIを持つ隊員達を引き連れて、ルグラースは空港跡地の制圧を指揮。スミスとナンシーも各分隊長の指示に従って掃討に乗り出した。……数時間後には、オスプレイ周辺の安全を確保。擬装して機体を隠すと、予定通りに、空港施設制圧と、町役場方面への斥候とに分かれた。
 スミスとナンシーは、樹海の中を進む。糸を引く大地を踏み締めるのにも、もう慣れた。
「……確かに長時間も居ると気が狂いそうだわ」
 ナンシーの呟きに、スミスは無感情ながらも頷く事で同意。むせるような臭いの中で、町役場や比較的人家が集中していた北東部へと進んでいく。可能な限り戦闘は避けたいつもりだが、M4A1カービンやM40A1スナイパーライフルを握る手が汗ばみ、自然と力が篭もる。それでも冷静を努め、慎重に歩み続けた。
「……酸っぱいような、それでいて油に似た臭いがするわ」
 口元を押さえた。これが潮の香りとでもいうのか? 辿り着いた場所から見える祖納港跡からは、淀んだ空気が漂っているが伺えられた。まとわりついてくる空気を払うように、頭を振った。目的の町役場に接近する。割れたガラス窓から内を覗くと、中には巨大な紫色の蜘蛛が蠢いており、剛毛の生えた長い足で糸を張り巡らせていた。
「……島がどのような経緯で現在のようになったかが記録された文書、電子記録媒体が残されていないか調査したかったけど」
 脳裏にフィッシュフェイスの言葉が響く ―― 与那国島が超常体に完全占拠されたのは、今世紀に入ってすぐだ ――。それは島民にとっては一瞬の事だったろう。ナンシーが前もって調べていた限りでは、脱出に成功して生き残った島民は……居ない。
「 ―― 記録が残されていたとしても、中身が正常な判断材料に足る物かは怪しいですが」
 ナンシーの呟きに、スミスが無感情に応えた。
「そうね……ホラーかテラー小説ばりの空間で、正常な思考で記録を残せる人が居たら、それこそ頭を疑いたくなるわ」
「ワイアット一等兵は、ラヴクラフトを創始者とする一連の作品を読まれた事は?」
「…………」
「戻ったら、読み直そうと思っています。―― 今ならば、あれらで語られていた物のいかがわしさが少しは理解出来るかも知れませんから」
 時計を確認。気象官の予測では、もう数十分後には日没だ。無事に帰還を果たす為には、そろそろ撤退しなければならないだろう。
( ……大和墓も調べて見たかったけど )
 だが大和墓は、南東部の山間に位置する。残念ながら諦めるしか無い。ナンシーとスミスは道程を確認し合うと、空港跡地へと戻り始めた。

 双眼鏡から覗いて殻島は大きく舌打ちをする。新川鼻沖に浮上した台地 ―― ルルイェは島内の様子以上に歪んでおり、胸糞悪くて吐き気がした。
「……狂氣の波動が厄介だから、クトゥルフを倒すには、目覚める前に用意できる全戦力を投入して一気に片を付けるのが最善 ―― まぁそれはいいとして。その為にも、先ずはルルイェの正確な位置を特定するのが最重要かと思ったんだが」
 正確な位置も何も、嘲笑うかの様にルルイェは威容を眼前に晒している。だが、
「空間が歪んで ―― いや、本当に狂っているとしか言えねぇな。“ 跳んで ”接近したら、何処に飛ばされるか判らねぇ」
 おおっと。石の中にいる。……洒落にならねぇな。
「上空気流、並びに周辺海流も狂っていやがる。空挺降下や潜水接近は……駄目だ、ありゃ」
 殻島が調べ上げた限り、ルルイェに近付く手段は1つだけだった。与那国島上にあるサンニヌ台から2.5km程も離れたルルイェへとテラス状の地形が断続的に続いている ―― これこそが唯一の抜け道。狂氣の空間を貫く、トンネルだ。
「 ―― 当然ながら、ディープワンズやダゴン、ハイドラ辺りが番人として立ち塞がっていやがるだろうな……だがクトゥルフの心臓に刃を突き立てるには、ここを突破するしかねぇ」
 悪態を吐く。何にしろ日が傾き始めている。日が完全に沈む前に部下達と合流しなければならなかった。ホンダXLR250R偵察用オートバイに跨ってエンジンを掛けると、路無き道を走り抜けて行く。
 北東のウドゥマイ浜に揚陸した壱肆特務。殻島は部下達に拠点となる場所を探し出しておくよう命ずると、より危険度の高いルルイェへと単独で調査に向かっていたのだった。
「……ディープワン相手ならともかく、下手に近付いて、クトゥルフが放つ狂氣の波動で無駄に部隊を損耗したくねぇしな」
 勿論、殻島より部下達が安全とは限らない。だから急いで戻る。また、いざとなれば同じく島に上陸しているはずの米軍海兵隊とも協力しなければならなくなるだろう。ルグラースはクトゥルフ以上に優先させる抹殺対象だが ―― 部下の安全の為には亜米利加さんとも外面だけでも協力態勢を結ばないと、与那国島では生きていけない。
「それは理解しているんだがな……」
 舌打ちをした。向こうもそれを理解しているだろうか? それとも奴の部下は全て“ 洗礼 ”済みなのか? もしも全て“ 洗礼 ”済みならば……
「戦力は1個小隊どころじゃねぇぞ。高位下級ランク以上の羽根付き魔人が3ダース超。……死ぬて」
 ただでさえ“ 這い寄る混沌 ”の化身が1つ、ハウリング・トゥ・ザ・ムーンがいるっていうのに。
「……しかし、アレだな。“ 這い寄る混沌 ”が占拠している与那国近海にルルイェ浮上。そこには日本土着の神が封じられているハズというのは、どう考えても出来過ぎだよな」
 因果関係は逆で、日本土着の神が居るから与那国島を占拠したと考えた方が腑に落ちる。“ 這い寄る混沌 ”が介入しているならば、最悪のケース、既にクトゥルフか“ 這い寄る混沌 ”自身に取り込まれていると考えた方が良いのかも。クトゥルフ召喚の贄になったとか……。
 そこまで考えて殻島は頭を振った。おっかねぇ。
「しかし、最高位最上級のはずの“ 這い寄る混沌 ”が沖縄経由で本土侵攻を開始せず、南海の小島で大人しくしているのは何故だ? そう考えるとクトゥルフを殲滅してしまえば、“ 這い寄る混沌 ”の企みを挫けるのではないか? だからクトゥルフの方を優先的に排除すべきだと考えられるんだが……」
 が、何か、前提条件を1つ見落しているような気がしてならない。胸の内ポケットにある“ 銀の鍵 ”が脳裏に何故か浮かんだ。――“ 這い寄る混沌 ”は千の顔をもつ……“ 月に吼えるモノ ”“ 黒の王 ”“ 蠢く密林 ”“ 無貌の神獣 ”“ 燃える三眼 ”“ 膨れ女 ”“ 闇の跳梁者 ”“ 大暗黒天将軍 ”“ 背徳の神父 ”……etc.etc.
「 ―― 俺と同じようなものか?」
 同一にして別個の存在。それが“ 這い寄る混沌 ”ニャルラトホテプだとすれば……。
「ちょ、一寸待てッ! そうだとすると、かなり厄介な超常体だぞッ! ……奴は同時に違う場所で、異なる陰謀を企んでいやがるはずだッ!」
 歯噛みする。たが、今は部下達と早く合流する事が先決だった。―― 日が沈めば、闇が訪れる。混沌と狂氣。恐怖と戦慄。奴等の領域になるのだから。

 日が沈み、夜の帳が下りる。
「 ―― 奴等の時間です。与那国島上空に、飛行体を確認しました。ハンティング・ホラーです」
 奇妙な螺旋形の非ユークリッド的な線を描きながらも、猛スピードで渦巻きながら接近して来る、有翼の巨大なクサリヘビ。
「……憑魔能力で搭乗機をステルス化出来ないものでしょうかね?」
「 ―― 完全侵蝕化を早めたいのなら可能だと思いますが。問題は超常体の感覚器官にもよります」
 祝祷系の憑魔能力は光を操作する事で、視覚情報や精神を支配する事も可能だ。逆に言えば、視覚を頼りにしていない存在相手には、影響力は少ない。闇の眷属たるハンティング・ホラーが視覚を頼りにしているかどうか……。
「……って、あれ? 与那国島ではE767……というより、このピノキオにも攻撃能力があるではありませんか。しかも最も有効 ―― 祝祷系による外道浄心霊波光線。つまり私」
 闇の眷属には、確かに最も有効な手段である。欠点は1つ ―― とにかく目立つ。
「……人間ビーム武器として搭載されたいのならば止めません」
 自身の能力を再検討するピノキオ・リーダーの真面目な言葉に、部下達は冷汗を流しながら応えた。
「さておき。要撃機の支援があれば、もう少し粘れるのでしょうが……」
 そもそも与えられた役割は、与那国島や浮上したルルイェに対する航空監視の継続であり、今回は着上陸偵察任務の支援が追加されたに過ぎない。要撃機等への航空管制は制圧の準備が整って来てからになろう。
「 ―― 伊良部島に帰投します」
 そして振り向くと、与那国島に上陸している米海兵隊や壱肆特務に対して幸運を祈った。
「 ―― Good luck!」

 活性化したムーンビーストが、樹木の枝や蔦をつたって飛び跳ねてくる。もはや隠密とかどうか言っている場合では無い。スミスが5.56mmNATOをバラ撒いて動きを止めている隙に、ナンシーは意識を集中する。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 周辺を濃霧が流れ出し、ムーンビーストを包む。視力らしき感覚器官の無いムーンビースト相手だが、戸惑わせる事には成功する。それでも追いすがろうとしてくるムーンビーストには、霧状の水分を、針状に収束し直し ―― 氷結した物を叩き込んでやった。
「 ―― ワイアット一等兵、上空だ!」
 見上げれば、シャンタク・バードが巨体でもって押し潰そうと滑空してきた。周りの樹木や、地面への衝突等おかまいなしだ。ただ貪欲に獲物を片付ける事しか脳が無い。―― そこを轟音一閃。グレネードが直撃し、シャンタク・バードを叩き落した。
「 ―― Thank you!」
 ナンシーの発した救難信号を拾ってきたリーコン隊員達が火力でもって敵を薙ぎ払う。
「ベースキャンプはどうなっています?」
 スミスの問いに、応援の分隊長は
「キャプテンが奮闘している。とはいえ、クスクス笑いに気を付けろ。既に3人が殺られた」
 ―― クスクス? 眉を潜めるスミスの耳に、確かに含み笑いが聞こえてきた。先頭で誘導していた海兵の1人が何も無い空間で突然に引っ掛けられて、転倒した。分隊長がM4A1カービンを構えて躊躇無く射撃。倒れた隊員から吸った血で、赤く染まって浮かび上がるゼリー状の塊を撃ち倒した。
「 ―― スター・ヴァンパイア」
 含み笑いのような無気味な響きは鳴り止まない。数は多い。不可視の存在に囲まれている。が、ナンシーは薄く霧を発生させると、朧げながら輪郭を浮かび上がらせる。
「Nice support!」
 銃打の音が鳴り響く。敵中を走り抜けた。海岸線に沿った獣道から見た光景に、ティンダハナの威容な岩壁が重々しく圧し掛かっていた。何とかベースキャンプに辿り着く。体液を浴びて全身を汚したルグラース達が出迎えてくれた。
「 ―― 生存者は?」
「斥候組のうち、5名が逃げ切れずに喰われました」
「こちらも似たようなものだ。ドッグタグだけでも収容してやりたいところだが……」
「夜間での行動は控えるべきです。朝陽が昇るのを待ちましょう」
 スミスの意見に、ルグラースは固い表情のまま頷いた。ナンシーは周囲を展望出来る位置に上がると、M40A1のスコープを覗く。上空を旋回しているハンティング・ホラーの巨影を確認して引鉄を絞った。
「 ―― 着弾を確認。効果は不明だが、続けて撃ってくれ。とにかく近付けるな」
 観測手を買って出た同僚の言葉に従い、ナンシーは目標を捉えて引鉄を絞り続ける。
「 ―― ワイアット一等兵。無線機を借りる。俺のは壊れちまったんだ。本島と連絡を取りたい」
 同僚からの要請に、スコープから目を離さぬまま承諾の意を返すナンシー。隊用無線機をいじるリーコン隊員だったが、その声がすぐに上擦った。
「キャプテン、大変です! 本島のキャンプが……半数近くが壊滅したとの事です!」
 さすがの豪胆な海兵隊が青褪め、色めき立つ。その中でも冷静を努めてスミスが問い質した。
「 ―― どういう事です?」
「叛乱……だそうです。魚野郎のウィリアムスが同族を率いて本島各地を一斉に襲撃 ――。コートニーの少将閣下は戦死なされました」
 ルグラースは怒りを露わにすると、左掌に右拳を叩きつけた。
「……くそっ、やってくれたな、ジョセフっ!」
「嘉手納、普天間も機能を停止した為、戻るならば自衛隊の基地を利用するしかありません。現在、本島では自衛隊とアーミーが共同で抗戦中。……どうしますか?」
「 ―― 帰還を希望する者がいれば止むを得まい。裏切り者を倒し、マリーンの汚名をすすげ」
「「「Aye Aye, Sir!」」」
「 ―― だが私はこの悪夢と狂氣の島に残る。……時間が無いのだ」
 血を吐くようなルグラースの叫びを、スミスは耳にしたのだった。

*        *        *

 時間は遡る。―― 沖縄本島・読谷村。超常体出現により駐在するU.S.アーミーの人員増大を決定された米陸軍キャンプ・トリイ。通信施設を拡張した基地でメイはくすぶっていた。携帯情報端末をいじりながら、祭亜からのメールを何度も確認する。
「―― つくづく、祭亜と一緒に斎場御嶽に行けば良かったと思うわ」
 与那国島への上陸が却下されたメイは、トリイで警戒待機の名目で訓練の日々だ。口を尖らせながらも、今日も深夜の見張りに着く。
「……祭亜と一緒ならば、与那国島にも行けるんでしょうけど……それはあんまりだと言う気も」
 問題なのは、陸軍には与那国島へ上陸する気が全く無いという事だ。精鋭のグリーンベレーも尻込みしている。この点、積極派と消極派に分かれていただけでも海兵隊の方が羨ましい。
「祭亜に頼らないとすれば……アーミーを除隊して、マリーンに入隊志願するしか……それでも与那国島へ行けるとは限らないのよね」
 大きく溜め息を吐く。金髪の毛先を摘まんだ。大丈夫、未だストレスによる枝毛は出来ていない。
「本当にどうしようかしら ―― って、あれ?」
 暗闇に紛れてフェンスに近付いてくる多数の気配。U.S.マリーン? MARPAT(Marines Corps Pattern)が月明かりの無い暗闇の中に溶け込もうとしていたが、メイの眼は確かに捉えた。肩に負っていたM16A2アサルトライフルを構え直し、
「 ―― Stop! Cancel arming, and raise both hands and stand in line. Describe belonging and a class! (停まれ! 武装を解除し、両手を上げて並べ! 所属と階級を述べよ!)
 警告を発するが、動きは止まらない。何か変だ。人影は前傾姿勢に映る。中には4本足で飛び跳ねている者も……
「 ―― って明らかに変よ!」
 メイは監視塔に合図を送ると、サーチライトが一斉に点灯した。照らし出されたのは、不恰好ながらもMCCUUを着用した半魚人。皮膚は光って滑りを帯びており、蛙とも魚とも取れる異様な頭部。光から逃れるように飛び跳ね、水掻きの付いた手で器用にもM4A1カービンを構えて ――
「 ―― させないッ!」
 撃たれるより速く、空いた手でメイは投げナイフを放つ。ライフルで射撃するより速く、そして正確な投擲はディープワンズの肩に刺さって動きを阻害する。慌ててメイは翻らせると、バリケードに身を隠してM16A2の引鉄を絞った。5.56mmNATOがディープワンズを躍らせたが、
「 ―― 魚が抗弾ベストなんて着込むなッ!」
 1発や2発では倒れてくれない。ディープワンズも応戦してくる。駆け付けてきた味方も加わり、キャンプ周辺で銃撃戦が巻き起こった。
「 ―― 嬢ちゃん、無事か!?」
 あからさまに格下扱いしてくる同僚達の言葉も、今日は何だか頼もしく、安心するから不思議だ。
「ええ、大丈夫よ。とりあえず撃退するわよっ!」

 那覇駐屯地にも、U.S.マリーンの武装に身を固めたディープワンズが押し寄せてきていた。
「 ―― 勝っちゃんの忠告は、本当に聞いておくべきよねぇん」
 BUDDYを振り回しながら、アリカは相棒に感謝する。駐屯地で警戒待機していた隊員全てが応戦に駆り出されていた。
『 ―― 山之内、そちらは大丈夫か』
「あら、銘苅小隊長。こちら第1433班乙組は、班長共々元気にやっているわよ。そちらはどうかしら?」
 個人携帯短距離無線機から聞こえてくる銘苅に対して、笑い声で返す。
『 ―― 第1432班甲組が持ち堪えられそうにない。悪いが余裕が出来たら援護に回ってくれ』
「あらあら。かしこまりましたわん。確かに、新卒には辛いわね、この奇襲は」
『幸いな事に未だ死者は出ていない ―― が、訓練はやりなおしだ。再編成したばっかりだったのに……俺は明日もまたデスクワークだ。くそっ』
 管理職って大変よねぇと呟きながら、アリカは自分の部下を思いやる。相棒の本田が物凄い形相で奮戦している。その隣で、第1433班長は皆に護られながらMINIMIの給弾補助をしているだけだ。眼鏡を掛けた気弱なWAC。階級は二等陸曹。30代独身の元需品科隊員。憑魔さえなければ前線には決して出て来なかったタイプ。御蔭で、部下であるはずのアリカや松永は自分の組で好き勝手させてもらっている。
「 ―― まぁ、うちの班長はアレで良いわよね」
 ある程度の撃退は出来たと感じたアリカ。新米達の応援に向かうべく、第1433班長に声を掛けた。
「はっ、はい! アリカさんにお任せしますっ」
 ……しかも、あたしの事をちゃんと『アリカ』って呼んでくれる貴重な上司なのよねぇ〜。微笑むと、班長を促して次のポイントに急ぐのだった。

 かくして奇襲を察知した米陸軍キャンプ・トリイと、不測の事態に備えて警戒していた那覇駐屯地の被害は軽微に収められた。だが米海兵隊キャンプ地の多くは突然の叛乱に壊滅し、機能不全に陥る。米海兵隊遠征軍司令部のあるキャンプ・コートニーは、ジョセフ・ウィリアムス[―・―]を新たな主に迎えると、生き残ったマリーンやアーミー、そして維持部隊に対して宣戦を布告したのだった。

*        *        *

 オートに跨ったまま振り返り、殻島は9mm機関拳銃エムナインを斉射する。9mmパラペラムを受けた異形の巨人は、垂直に開いた口を大きく開けて怒声を上げた。鉤爪の付いた腕を振り回す。巨大な両腕はそれぞれ肘関節の辺りから2つに分かれていた。前腕4つが獲物を捕らえようと伸ばされてきた。
「走れ、走れ! 掛け足、全速! 俺が足止めしているうちに、とっととずらかれ!」
「ア、アニキはどうするんですか?!」
「馬鹿か、俺の心配無用だ。俺はオートに乗っているだろうが! すぐに追い付く! ……ていうか無法集団、壱肆特務の鼻摘まみ者が、上官の心配なんぞするじゃねぇ! 上官死んだら、自由だぞ?」
「アニキが死んだら、アッシ達、この島で生き延びられないんだってば!」
 それもそうか。そりゃ部下達も頼りになる上官の死は望まないわな。―― 納得した殻島は、Mk2破片手榴弾のピンを抜き、大きく振り被った。投擲の放物線を描く間にレバーが外れ、撃鉄が雷管を叩く。破片塊が飛び散ると、大型高位下級超常体ガグが苦悶の声を上げた。その間に、オートで更に距離を広げる。
「 ―― と、どんどん山奥に入ってないか?」
「海岸沿いに逃げたいんですが! ショゴスが塞いでいるんです! こっちしかないんですってば! それに……」
「それに?」
「 ―― 蛾です」
「蛾? ……モスマン?」
 モスマンは、北海道西部(北亜米利加大陸)に現われる蛾の頭と羽根を持つ、吸血の低位中級超常体だ。クトゥルー神群に分類されており、生物学的にミ=ゴとの関係も噂されている。が、
「 ―― 違います。とにかくでっかいヤツなんですが、見た目は普通の蛾です。まるで先導してくれるかのように、大きな蛾が舞っていて。アニキがいない昼間も、それで幾つか危険を逃れまして」
「……偶然だろ」
 とは言え、今、壱肆特務は誘導に従って逃げている。罠か、それとも……
「 ―― 鬼が出るか、蛇が出るか」
「……親分、建物が!」
 先頭を走っていた班員の1人が、声を上げる。樹海に覆い隠され、忘れられた施設。月明かりすらない夜というのに、燐光を放っている。よく見れば建物の周辺を、無数の蛾が舞っていた。
「 ―― どう考えても、怪しいだろ!」
 だが、殻島の疑念の叫びに反して、無数の蛾は舞い上がるとガグの顔を埋め付くそうと襲い掛かっていく。苦悶の悲鳴を上げるガグは手足を振りまわしてのた打ち回っていたが、次第に動きが鈍り、そして地響きを立てて倒れてしまった。
「 ―― 燐分による窒息死? それとも毒か?」
 どちらにしても嫌な死に方には違いない。それ程の蛾に囲まれて殻島は身震いした。差し渡し20cm超の羽根に、美しい模様 ―― 世界最大の蛾ヨナグニサン。奇怪な植物に埋もれていた看板には、
「……アヤミハビル館?」
 殻島の呟きに、何かが反応した。“ 共振作用 ”を感じるが ―― 痛みは無い。
『 ―― 太陽ぬ加護、受きたん神女がちゃーんばーとうみたしが、咎人ぬ群れか。流石に一両日で我ぬむとぅんかいは来ららんか(太陽の加護を受けた神女が来たのかと思ったが、咎人の群れか。流石に一両日で我のもとには来られないか)
「……誰だ、お前は?」
 突然、脳裏に聞こえてきた聲に、奥歯を噛み締めると、何処とも知れぬ空間を睨み付ける殻島。
『 ―― 我、わかやびらんか。蟇蛙や案山子ぬ方が、なーま学があいんぞ?(我を知らないか。蟇蛙や案山子の方が未だ学があるぞ?)
 笑いを含めて語り終えると、“ 何か ”の気配は消えた。殻島は眉間に皺を寄せる。
「 ―― 馬鹿にされたッ! 封印されている神かも知れないが、随分と元気あるじゃねぇか!」
 殻島は地団駄を踏むと、咆哮を上げるのだった。

 

■選択肢
Sp−01)那覇駐屯地/トリイの死守
Sp−02)コートニーの魚人へと反撃
Sp−03)沖縄本島で神話伝承の調査
Sp−04)八重島列島で支援/防衛を
Sp−05)サンニヌ台からルルイェに
Sp−06)“月に吼えるモノ”に挑戦
Sp−07)与那国島で封神解放の為に
Sp−FA)南西諸島の何処かで何かを


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 与那国島並びに八重島列島は、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、また死亡率も高いので注意されたし。

註1)某漫画が、与那国島近海にニライカナイを置いたのは、そこから来たものと思う。―― まぁ作者に尋ねてみないと真相は明らかにならないだろうが。


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