第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 第3回 〜 沖縄:南極


Sp3『 The coming out child 』

 樹木に鉈を打ち込み、引き倒す音が轟く。風も無いのに揺れ動き、歪に捻りゆくだけでなく、倒れる際に悲鳴に似た音を立てた。ここは闇と混沌に侵された領域 ―― 与那国島。ジュラ紀や白亜紀を思い起こす、原始的でかつ巨大な植物群を前に米海兵隊・武装偵察部隊(Force Reconnaissance)は悪戦苦闘していた。
 異様な雰囲気に、ナンシー・ワイアット(―・―)海兵隊一等兵は未だ慣れずに嫌悪感を抱いていた。いや、慣れてしまう方がどうかしているだろう。そう考えれば、ナンシーは正常な部類と言える。狂ってしまうか、或いは強靭な意志の持ち主だけが、この世界でも支障なく活動出来るのではないか。では、この男はどちらなのだろう? ……部下達に指示を出している、ジョージ・ルグラース[―・―]海兵隊大尉を見詰めながら、ナンシーはそう思った。
「 ……キャプテンが何か?」
 ナンシーの視線に気付いて、ジョン・スミス(―・―)海兵隊伍長が尋ねる。ナンシーは何でもないとばかりに頭を振ると、前左側に編み込んで垂らしている髪の一部が揺れた。
「いえ。ただ……感情的な所を差し引いても、尊敬に値する上官だと考えただけです」
「裏切り者の恥知らずであるウィリアムスと違い、敬意を払うべき上官なのは間違いありませんね。しかし感情的な所……ですか?」
 ナンシーの言葉に、スミスが問い質す。
「いや、いつも冷静なワイアットさんらしくない言葉ですので……」
 ナンシーは一瞬言いよどんだものの、
「わたしは……キャプテンと違って、神を信じてはいませんから。神は、あの時 ―― 超常体に家族を奪われた時、何もしてくれなかった」
 幼い頃に過ごした、カリフォルニア州の農村での想い出。愉しかった日々。それを奪ったのは、光に包まれた有翼人型超常体 ―― 天使タイプ。
「むしろ、神は、わたしの全てを奪ったようなものです……」
 憎しみの篭もったナンシーの呟きに、スミスは暫し天を仰ぐと、
「 ……まぁ、キャプテンはいささか信仰厚きところはありますが」
 暫しの沈黙の後、ナンシーは面を上げる。先ほどの憎悪の色は隠れ潜んだのか、青い瞳には伺えられない。スミスは何事も無かったように口を開くと、
「しかし……与那国空港跡の滑走路を切り開かなければならないとは思いませんでした」
「仕方ありません。自衛隊第1混成団長からの直々の要請です。増援派遣の為に、与那国空港跡を一時的にも使えるようにして頂きたいと……」
 ナンシーの声が聞こえたのか、
「 ―― とはいえ、自衛隊の増援は“ 落日 ”らしいな。“ 大罪者(ギルティ) ”に続き、忌々しい話だが」
 ルグラースは眉間に皺を寄せたまま、悪態を吐くのを隠さなかった。上官の苛立ちに比して、だがスミスとナンシーは迎合せずに冷静を努める。
「 ―― キャプテンに上申しますが、沖縄本島の兵站が壊滅した現状で、自衛隊と対立すれば作戦が破綻するのは必定」
 4月の下旬 ―― 超常体側に寝返った、元海兵隊大尉 ジョセフ・ウィリアムス[―・―]が率いる魔人兵とディープワンズにより沖縄本島の海兵隊キャンプは強襲を受けた。キャンプ・コートニーの米海兵遠征軍(MEF:U.S. Marine Expeditionary Force)第3師団司令部並びに、キャンプ・ハンセンの第31海兵遠征隊(31MEU:31st Marine Expeditionary Unit)は壊滅。また普天間海兵航空基地は機能停止に陥ったらしい。嘉手納の米空軍基地も同様と聞く。
 従って与那国に展開しているリーコンの補給線は、那覇航空基地(那覇国際空港)を死守した自衛隊頼みという情けない有様だった。
「キャプテンが成功を求めるなら、対立感情を抑えて下さい」
 スミスに加えて、ナンシーも畳み掛ける。
「確かに我が海兵隊は『ステイツの911番(※註1)』として最強無比ではありますが、絶対的に兵力が不足しているのも間違いありません。一部戦力を割いてまでも沖縄本島に帰還し、マリーンの汚名を雪ぐ事を希望している者は少なからずいます」
 スミスとナンシーの説得を受けて、ルグラースはMCCUU(Marines Corps Combat & Utility Uniform)下衣のポケットを軽く押さえた。短く聖句を呟くと、
「 ―― 了解した。引き続き、自衛隊との協力体勢を維持しよう。……しかし滑走路の修復とは、どういう要件だ? 伊良部にあるSBU航空基地を中継すれば、チヌークでも与那国まで辿り着けるだろうに?」
 スミスとナンシーは顔を見合わせた。
「 ……どうも、致し方ない事情が出て来たそうで」

*        *        *

 2、3日程、遡る。
 笑顔を浮かべてはいるが、眉間に皺を寄せ、こめかみに青筋を浮かべ、そして瞳は怒りに満ちていた。
 怯えた 笹本・清美[ささもと・きよみ]二等陸士は、結界維持部隊西部方面隊第1混成団・第1432班乙組長、小島・真琴(こじま・まこと)陸士長に抱き付いた。他の姉妹も同様だ。
「まぁまぁ……祭亜さんも落ち着いて、落ち着いて」
「落ち着いていられますかー!」
 犬歯を剥き出しにして、八木原・祭亜[やぎはら・さいあ]二等陸士が喚き散らす。喧騒に、第1混成団音楽隊・第140組長にして超神戦隊『Great Old Ones』の“ 真紅の炎 ”オールド・フレイムこと 炎・竜司(ほむら・たつし)陸士長が不思議そうな顔をした。
「どうした、八木原? 夜這いでも受けたか」
「陸士長! 流石に、こんなに怖い人に夜這い掛けるなんて、命知らずじゃありません! そもそも私達、真琴おねぇさまLOVE一筋です!」
 違うところから猛烈な抗議が来た。竜司が首をすくめると、祭亜が溜め息を吐いて。
「えーと。皆の要望を聞きまして、与那国島に行く事にしたんですが……問題が1つ」
 指差す先には、96式装輪装甲車クーガー。全備重量、約14.5t。
「チヌークでは、クーガー運べないんですよ」
 CH-47J/JA輸送回転翼機(ヘリコプター)チヌーク。機内10tの搭載や、機外9tの吊り下げ輸送が可能。
「 ……無理だな」
「 ―― わ、私、要らない娘ですかぁ!? こ、このまま捨てられて、ソープランドの泡姫送り……それかチャイルドポルノでスナッフムービー!」
 清美が泣き叫ぶが、竜司はツッコミ。
「いや、神州にソープランド無いって。チャイルドポルノは問答無用で警務に摘発されるし」
 さておき、
「しかしクーガーが来た時、喜んでいたくせに。ここで『お荷物になるから要らん』と言うのは、我侭じゃ無いか、八木原? クーガーを手配した小島も良かれとは思えど、悪気が無いんだし」
 年長者として、そして先輩の貫禄で、祭亜を黙らせた。後光が見えたのか、竜司を拝む笹本三姉妹。それでも真琴からは離れないのだが。
「 ……解かりました。ボクが悪かったです」
 祭亜は携帯情報端末を取り出すと、何処かに連絡を入れ始める。
「 ……やれやれ。仲宗根オバアに、また借りが出来ちゃいました。―― 先ずは静花さんに連絡を、と。現在地は佐賀でしたっけ?」

 ……そして時間が過ぎて、那覇国際空港。
 防衛に付いていた、第1混成団・第1433班乙組長、山之内・アリカ(やまのうち・―)陸士長が感嘆の溜め息を吐いていた。隣では、上官である第1433班長(眼鏡を掛けた、気弱なWAC。階級は二等陸曹。30代独身の元需品科隊員)と、第1403中隊第1小隊長、銘苅・昌喜[めかり・まさき]三等陸尉の開いた口が塞がっていないようだった。
「勝っちゃんは、あんまり驚かないわねぇん?」
「武に付き合っていましたら、これ程の事は、もう」
 幼いころからの親友、本田・勝正[ほんだ・かつまさ]一等陸士の返事に、いやん、アリカと呼んでよと笑いながら、再び見上げる。―― ロッキードC-130H輸送機ハーキュリーズ。愛知の小牧基地(名古屋空港)の維持部隊中部方面隊・第1輸送航空隊(旧・空自)に集中配備されている大型固定翼機である。
「 ……固定翼機は無理とか言ってなかったか」
 竜司の呟きに、祭亜は珍しく沈痛な表情で、
「 ―― 頭を下げて、何とか手配して貰いました」
 うなだれる祭亜に、真琴は謝り倒す。
「まぁ……いいですけど。先行している海兵隊や壱肆特務への補給も頼まれていますし。残る問題は与那国空港が整備されているかなんですけども……」
「問題点を上げれば限が無いぞ。さあ運んだ、運んだ。乗った、乗った」
 竜司の言葉に気を取り直して、積載作業。清美の運転でクーガーが運び込まれ、与那国出発組が搭乗した。
「では行ってらっしゃいね。カズちゃん」
「がっ、がっ頑張って来て下さいね……松永さん」
「カズちゃん言うな。―― 行って参ります、班長」
 見送るアリカと第1433班長に対して、第1混成団・第1433班甲組長、松永・一臣(まつなが・かずおみ)陸士長は敬礼を送った。
「しかし……山之内が駐屯地に居残るとは思っていなかったが」
 松永の疑問に、アリカはしなを作りながら、
「 ―― そうねぇ。コートニーへ突っ込んでやろうかと思ったんだけど……那覇の防衛を継続する事にしたのよ。航空基地が那覇空港しかない現状、潰されたら様々なところで支障が出て、こりゃあ不味いでしょ?」
 嘉手納や普天間の主要航空基地の機能不全 ―― 航空機の離着陸及び整備点検、燃料補給が全く出来ない状況の現在、沖縄本島の飛行場は那覇のみとなっている。航空基地に限らず、駐屯地やキャンプの生命線を巡って、ディープワンズと睨み合いを続けていた。
 U.S.アーミーはキャンプ・トリイと嘉手納飛行場との中間に当たる読谷村 ― 嘉手納町役場(国道58号線と県道74号線の分岐点)付近でディープワンズと戦火を交えている。
 対して、結界維持部隊は那覇駐屯地・那覇航空基地を中心として、北面は明治橋・那覇大橋・とよみ大橋 ―― 国場川が境界線となっている。東面は豊見城総合公園、南面は豊見城村の国道331号線を主戦場として銃火を交えていた。
 もっとも主戦線地域が完全封鎖されている訳でも、すぐに深刻な戦闘に発展する訳でもなく、車輌での走行突破、また隠密浸透は充分に可能である。その為、生き延びたU.S.マリーンがトリイと那覇で合流する事もあるが、逆に言えば敵側にとっても条件は同じ。油断は大敵であった。ましてや沖縄の地勢上、駐屯地は海岸線に近い。陸が駄目ならば、海から強襲を掛けて来る事は充分にありうる。有事に備えて、アリカは駐屯地の武器庫から隊支援の重火器を引っ張り出してきていた。
 頼もしい様相に、松永は苦笑すると、
「なら、守りは任せた。……俺自身は監視警戒、それに確かめたい事があって八木原と共に与那国に向かうが、その間の情報収集は部下に任せているんでな ―― 班長、あいつ等を宜しく頼みます」
「は、はい」
 松永の言葉に、第1433班長は背筋を伸ばして返答する。どちらが上官か見間違えそうな光景だ。
「あら? 甲組を連れて行かないのん?」
「さっき、本島で情報収集させているって言っただろうが。……必要があれば、次の便で呼び出すさ」

 ハーキュリーズの機長と簡単な挨拶をすませてから、第1混成団第101飛行隊・第7小隊長、西村・哲夫(にしむら・てつお)准空尉は自分の隊機体に乗り込んだ。
「 ……お互い、空自上がりの意地を忘れていないようで何よりです」
 E-767早期警戒管制機 ―― コールサインは『ピノキオ』。SBUの航空管制支援として南西諸島上空を警戒監視してきた“ 空の眼と耳 ”は、ハーキュリーズの航空管制支援と駆り出されていた。
「元々、派手さとは無縁の仕事ではありますが」
 西村は苦笑する。だがハーキュリーズと同じく、誰かが裏方を担わなければ、何もかも立ち行かなくなるのだ。愚痴を零すぐらいは許されるだろう。
 ハーキュリーズが離陸態勢に移り、E-767も続いた。要撃機の支援が欲しいところだが……流石の陸自の騒動屋達も、そこまで手が回らなかったようだ。
「わたしも要撃戦闘機、可能であれば支援戦闘機をと要請しているのですが。梨の礫ですね……」

 大空に舞い上がる2つの大型機を、アリカ達が見送っていると、慌てて普通科隊員が駆け込んできた。
「あら、カズちゃんとこの隊員じゃない。どうしたのん?」
「 ―― 松永士長に伝えておきたい事があったのですが……遅かったか」
「空港管制室から呼び掛けたら、どうかしら?」
 だがアリカの提案に、甲組員は気まずそうに押し黙る。察したアリカが手招きした。
「 ―― 余り知られたくない情報みたいね。もしかして祭亜ちゃんの事かしら?」
 アタリを引いたらしい。甲組員は呻いた後、
「彼女達の行き先等をリークしていた人物が分かりました……」
 そこで意外な人物の名を上げる。
「 ―― 八木原祭亜二等陸士。彼女自身が、極秘裏に情報を流していたんです!」
 甲高い音が空に響き渡った。北東から西へと2つの機影が飛び去っていく。
「 ―― ハリアーまで敵は入手していたのね!」

 普天間基地から発進した単座垂直離着陸機マグダネル・ダグラス/BAe AV-8BハリアーIIプラスを、空港管制からの急な報せを受けて、西村達ピノキオも捕捉した。F/A-18ホーネットと並ぶ、米海兵隊の主力戦闘攻撃機だ。狙いは……
「ハーキュリーズ! ロックオンされました!」
「 ……超常体が、戦闘機を操る可能性に思いやれませんでした」
 考えれば低位上級超常体ミ=ゴは人間の武器を鋏状の触手で器用にも使いこなす存在だ。キャンプ襲撃にディープワンズだけでなく、ミ=ゴが密かに加わっていたとしたら、ハリアーが奪われている可能性も捨てるべきではなかった。対してE-767もハーキュリーズも、本気で戦闘出来ない機体である。
「 ―― ミサイル発射されました!」
 ハリアーよりハーキュリーズへと、レイセオンAIM-9サイドワインダー短距離赤外線ホーミング空対空ミサイルが発射される。ピノキオに打つ手は無かった ―― そのはずだった。

 ハーキュリーズの格納庫。ピノキオからの報告にパニックになる一同。唯一、幻風系として飛行能力を有する純白の風オールド・ウィンドが、半身異化状態に移行して迎え撃とうとするが、
「 ……狙い通りです。ハッチを開いて下さい。ボクが相手をします」
 竜司が見たのは、斎場御嶽(せーふぁうたき)での祭亜の表情。昏い笑み。底知れぬ深奥の闇。寂寥と、嘲弄と、憐憫と、……そして悔恨。確かに、少女の姿をした異生(ばけもの)が居た。
「 ―― 選曲、林原めぐみ『 〜infinity〜∞ 』」
 携帯情報端末から伸ばしたイヤホンを耳に嵌めて、歌を口ずさむ祭亜。隠していた氣を解放した祭亜に反応して、憑魔が活性化する。鈍痛と衝撃が魔人達を襲った。
『 ―― ロックオンされた!』
 ハーキュリーズ機長の悲鳴。だがハッチから入り込んで来る暴風をものともせずに祭亜は笑うと、発射されたミサイルへと掌を向ける。祭亜の氣が更に膨れ上がり……
 ―――――― ッッッ!!!
「 ……嘘だろう?」
 祭亜の操氣 ―― 念力で、ガラガラヘビは空中停止。強引に反転させられ、ハリアーへと向けられた。慌てて回避しようとするが、自ら放ったミサイルによって撃墜されるハリアー2機。
 祭亜はハッチを閉じるように頼むと、微笑みを浮かべながら……打っ倒れた。床に接吻する直前で、慌てて飛び込んだ金髪の少女が抱きかかえる。真琴が心配げに尋ねた。
「だ、大丈夫ですか?!」
『 ……寝ているわよ、この娘。気持ちよさそうに 』
 頬を摘まんでも起きない祭亜に、金髪少女が安堵の息を交えて微笑んだ。
『 ―― って、いつの間に紛れていたんだ、お前!』
 今明かされる、驚愕の真実! 竜司のツッコミに、金髪少女 メイ・メイスフィールド(―・―)陸軍二等兵が顔を赤らめながら反論した。
『 さっ、祭亜に、是非にも頼まれたからに決まっているじゃない! それにあたしだって、トリイでただ遊んでたわけじゃないんだからね! ちょっと色々調べてみて、与那国に行こうと思っただけよ。……ほ、ほんとにそれだけなんだからね! 別に祭亜が心配とかしてないから勘違いしないで! 』
 それでも笹本三姉妹が口を揃えて、
『 ……その割には、祭亜さんが倒れた時、真っ先に駆け付けていましたけど 』
『 ……気、気の所為なんだから! ていうか、あんた達の眼が腐っているんじゃない! 』
 ムキになって抗弁するメイに、笹本三姉妹は悲鳴を上げながらも真琴にすがりつく。真琴を間にして、喚き合う女性陣。
 だが竜司と松永は、いつもながらの騒ぎを尻目に、顔を見合わせる。
「 ―― クトゥルフの〈狂氣の波動〉を相殺した時といい……とんでもないな」
「アレが力を解放した、本当の八木原という事か」

 脱力して座席に埋まる。西村は重い溜め息を我知らず吐いていた。部下達も同様だ。
「 ―― 魔人は、単体において最強の戦力とはよく言われていますが……」
 人並みの知恵があり、知識があり、武装する。憑魔能力をも有する魔人は、戦車や戦闘機等も含めて、単体において最強の戦力と言われる。それを目の当たりにして衝撃を隠せない。
「しかし……アレは……」
 最早、ヒトの領域と言って良いのだろうか? 自らに寄生する憑魔を思い浮かべながら、西村は独りごちるのだった。

*        *        *

 ピノキオの航空管制を受けて、ハーキュリーズは与那国空港跡に静かに、そして然りとアプローチした。周囲警戒に当たっていたリーコン隊員達が出迎える。
 管制塔でM40A1スナイパーライフルのスコープを覗いていたナンシーに、M2.50HMGの銃座に陣取っていた伍長が合図を送った。ナンシーは敬礼をすると、M40A1を抱えて、降り出した。
 日本語に堪能なナンシーは自衛隊との連絡役を任せられている。いくら英語が共通語とはいえ、こちらも相手の言語を充分に理解している者がいるといないでは大きな違いだ。ましてや些細な意思疎通の間違いが、致命的な自体を招きかねない戦場なのだから。
 ナンシーが着いた頃には、ハーキュリーズから自衛隊のAPC(Armored Personal Carrier:装甲輸送車)―― クーガーが降り立ち、数名の自衛官が並んでルグラースに着任の挨拶をするところだった。
( だけど……とても珍妙な連中だわ。自衛隊は遊んでいるつもりなのかしら? )
 並んでいる自衛官の最高階級が伍長(陸士長)。それが3名。誰が代表者なのか。悩んだ挙句、自然とルグラースは一番マトモな格好をしていた、松永に顔を向けた。松永は折り目正しく敬礼すると、
『 ―― 日本国陸上自衛隊西部方面隊・第1混成団第1433班甲組長、松永一臣陸士長と、その他です』
『 亜米利加合衆国海軍・海兵隊第31海外遠征隊第3武装偵察大隊小隊長、ジョージ・ルグラースだ。階級は大尉。宜しく』
 答礼を返してからルグラースは握手を求めてきた。松永は軽く応じるが、握った瞬間、憑魔核が活性化に似た痛みを覚えた事に眉を動かした。とはいえ与那国島に降り立ってから、潜む超常体に反応して憑魔核は常時活性化している。気の所為だろうと押し黙った。
 さておき。ルグラースは眉間に皺を寄せ、
『 確かに……その他としか言いようがないな。松永伍長、これが君の部下である第1433班甲組か?』
『 いえ。違います。こんな連中と、俺の部下を一緒にしないで下さい! 』
 松永が抗議したくなるのも無理はない。『Great Old Ones』と祭亜は、仲宗根・清美[なかそね・きよみ]陸将補から送ってきた盛装に身を包んでいたからだ。
「スーツが新しくなったが……デザインを全面的に任せたのは失敗だったかな」
 汗を掻きながら竜司は笑うが、最早遅い。
 とはいえ『Great Old Ones』5人組のスーツそのものは音楽科の通常演奏夏服がベース。1970年に防衛庁が委託した服飾デザイナー三宅一生氏が担当したものであり、上位正面の両肩部には獅子と月桂樹を模った刺繍が為されている。また背中の上部にも竪琴を背に乗せた獅子と月桂樹が刺繍されていた。襟付きシャツに、ネクタイはまぁ御愛嬌と言えよう。
 問題は施された柄だ。イメージカラーを布地にして、それぞれ1着ずつ。見た目にもきつい五原色が並んでいた。当然ながら密林での擬装効果は無い。
「仲宗根オバアに借りを作ったら、こんな目に合うのは解かっていたのに……」
 祭亜にいたっては滂沱の涙。黒タイツ着用は認められたが、膝上10cmの極ミニスカート。胸を強調するように前が開いたエプロンドレスに、フリルの付いた半袖シャツ。カラーは蛍光ピンク。前世紀の日本風俗に詳しい人へと解かり易く言えば、アンミラ風コスだった。ついでに大きなリボンが頭を飾る。
「なっ何ですか、これはあぁぁぁ!!」
 クーガーの中からも真琴の悲鳴が上がる。真琴が竜司達から渡された箱を開けてみると、そこには魔法少女風の衣装と甲冑をモチーフにした明らかにコスプレ衣装が入っていたからだ。
「あっ、これも仲宗根団長から送られて来たものみたいですね?」
「うわー、おねぇさま、素敵ですぅー。」
「うーん、どうして巫女さん風の衣装が無いのですかねぇ……やっぱりここは私が作った、この巫女さん衣装を!!」
 笹本・亜由美[あゆみ]二等陸士、清美、珠美[たまみ]二等陸士が上気した顔でにじみよって来る。
「亜由美ちゃん、珠美ちゃん、清美ちゃん……。あなた達っていったい……って、どうして其処までリアルに巫女服を作れるの!?」
 衣装を品定めする笹本三姉妹に、天を仰ぎ涙を流す真琴だったが、ふと気付いて、
「 ……どうしてあなた達の衣装は無いのよ」
「えぇぇ? 私たちは、ほら……真琴おねぇ様のマネージャーですからー」
「御蔭で衣装もおねぇ様の体にジャストフィットしますよぉ」
「 ……なっなんで、あなた達は私のスリーサイズ知ってるの!?」
「「「だって、私達はおねぇさまのマネージャーですから!!」」」
「あああぁぁぁぁ!!」
 逃げようとする真琴だが、それよりも早くすがりつく笹本三姉妹。
「さあ、おねぇ様……お着替え手伝いしますね」
「あっ……あん。駄目、そこ。さわっちゃ……うん」
「おねぇ様の弱いところはだいたい解かって来ましたから……あはっ。あん、んん……御免、もう我慢出来ない。好きです、おねぇ様……」
 クーガーの外に漏れ出てくる荒い息遣いは、ハッチが完全に閉じられた事で遮断された。時折、大きく車体が揺れ動くのは気の所為だと信じたい。
『 ―― エロスもほどほどにしなさいよね 』
 真っ赤にしたメイの顔を、祭亜が期待に満ちた瞳で覗き込んでくる。察したメイは、ますます顔を紅潮させると祭亜を叱り付けた。
「一線越えさせられたかな?」
 悟りきったような顔で、松永と竜司が呟き合う。
「各自の判断に任せよう。ただ言える事は……」
「 ―― 何だ?」
「小島も本気で嫌だったら、振り解けばいいんだ。憑魔は常時活性化しているし、そもそも怪力無双の小島だぞ? 本気で抵抗すれば笹本三姉妹なんて簡単に振り解ける」
「 ―― そうだな」
 ちなみにこの間、言語の壁もあって、リーコン隊員は訳が解からず目を丸くしていた。日本語堪能なナンシーは額に青筋を浮かべ、少し出来るルグラースは聖書の文句を呟いていたが。

 真琴と笹本三姉妹の秘密時間を無視し、海兵隊と自衛隊の作戦を擦り合わせる。
 その際、祭亜とルグラースの間で緊張が走った。先日に石垣島で起こった程では無いが、それに近いものだったとスミスとナンシーは冷汗を掻く。意を決し、スミスは口を開くと、祭亜に問うてみた。
『 特務小隊長もそうでしたが、貴方達は米軍との対立を望むのですか? ―― それは結界維持部隊の判断なのですか?』
 問うてからスミスは激しく後悔する。祭亜の瞳にあるのは嘲笑の光。スミスにだけ聞こえるように囁いてくる。
『 ―― 残念ながら、ボクは正しい意味での維持部隊員じゃないんですよ。何せ、結界を破壊する側ですからね。そういう意味で、ボク達 ――“ 落日 ”は亜米利加や国連の敵です 』
 祭亜は問題発言を悪びれずに発していた。
『 殻島さんも……彼には彼の役割がある訳でして。まぁ表向き米軍と対立するつもりは無いんですけど。大好きな友人も出来たし。……でもアレは別です。きっと貴男もアレと敵対する時が来ます。それとも ―― 既にアレに洗脳されていますか? ……ならば貴方も異生として“ 処理 ”しますが』
 昏い笑み。底知れぬ深奥の闇。……それでもスミスは負けじと言い返そうとする。だが祭亜は何事も無かったかのようにスミスに背を向けると、鼻歌混じりに米陸軍の少女兵に愉しげに声を掛けていた。
「 ……それではサンニヌ台からルルイェへの突入作戦の提案になるけど、自衛隊に先行偵察をお願いし、我等が海兵隊は後続する形で進軍するという事で宜しいわね?」
「 ―― 殻島准尉がどう判断するかは解からないが、おれ達には、概ね提案に反論は無いな。何にしろ先ずは旧アヤミハビル館に陣を張っている壱肆特務と合流するしかないんだが……」
 ナンシーの提案に、竜司は応えるとクーガーを振り返った。クーガーからは巫女姿に着替えさせられた真琴と、妙に顔艶の良い笹本三姉妹がようやく出て来た。4人とも紅潮して、夢か現か判らぬ表情なのが気になるところだが……敢えて皆触れない方向性で。
 そのままクーガーの発進準備に移る自衛隊を横目にして、ナンシーは向き直る。ルグラースは頷くと、リーコンを3隊に分けた。一隊はルグラース率いるパワースポット偵察部隊。これにはスミスが同行を希望している。2隊目は、与那国空港跡に置かれた橋頭堡を死守する部隊。そして最後はナンシー提案の自衛隊との共同作戦 ―― ルルイェ突入部隊である。だがナンシーはリーコンで無く、先行する壱肆特務に参加する旨を伝えていた。
「万一、自衛隊が暴走した際にも、私が同行していれば、最悪、本隊にその事実を伝えられますから」
「 ……頼んだ。分隊長には宜しく伝えておく」
 神妙な顔をしているルグラースに、
「 ……キャプテンにお願いがありますが、宜しいでしょうか?」
 ナンシーは古い封筒と、祖母の形見のフルートを手渡すと、
「 ―― 幸か不幸か、遺言を残す相手もおりませんけど……もし、わたしが死んでキャプテンが生き残ったら ―― 故郷の土に、わたしの遺品を戻して頂けますか?」
 ルグラースが驚いた表情を浮かべるのにも構わず、
「わたしの未熟はわたしが一番理解しています。冷静に考えれば、キャプテンが生き延びる確率が最も高い。お願いした理由は、ただ、それだけです。……それだけなんです」
 ナンシーが見詰める先で、ルグラースは天を仰いで聖書の祈りを唱えていた。そして深く息を吐いて向き直ってくると、
「 ―― 悪いが、それは受け取れられない。自分で生き残って故郷に戻すと良い。―― この作戦が成功に終わり、私の目的が果たされ、そして楽園が築かれれば……あと一年も茨の道を乗り越えた先に、きっと君は故郷に戻れるはずだ。約束しよう」
「 ……あと一年? 楽園が築かれる?」
「そうだ。“ ”の栄光の下で、真なる安息と至福がもたらされる ―― 君に祝福あれ」
 与那国島では常時憑魔核が活性化している。故に長時間過ごすと痛みと衝撃に対して感覚が麻痺してくるのだ。それなのにナンシーは更なる痛みを覚えた。だがそれは甘い痛み。全てを委ねたくなる暖かいモノに満ちたナニか。ルグラースの言葉に頭を垂らしたくなるのを、奥歯を噛み締めて堪えると、
「 ……生憎と、わたしは神を信じておりません」
「残念だ。―― だが“ ”はいつだって迷える羊を見守りたまう。君が望めば、更なる加護が与えられよう。その気があれば……」
 だが最後まで語らずに、ルグラースは言葉を濁した。いぶかしむナンシーにただ微笑み返すだけ。
 クーガーがエンジン音を轟かせた。分隊長が出発の合図を送る。ナンシーは口を引き締めると、
「 ―― 御武運を」
「 ―― 祝福あれ」
 ルグラースと敬礼を取り交わしたのだった。

*        *        *

 旧アヤミハビル館へ向かう、リーコン1個分隊と自衛隊を見送ると、次に出発の準備を整えた与那国島偵察部隊が整列する。
 ルグラースに、リーコン隊員達は敬礼を送った。然りと頷いてからルグラースも答礼を返す。名指しされたスミスが、一歩前に並ぶ。
「スミス伍長、当隊の目的は?」
「はっ。我が隊の目的は、島の状況把握を急ぎ、現状を把握する事にあります」
「宜しい。―― 心許なかろうが前回に上陸した私の記憶が役に立てば幸いだ。現在地は与那国空港跡。前回においても、ここをベースキャンプとして作戦が敢行された」
 立てられた掲示板に張られた白地図に、棒が指し示す。島の北海岸ほぼ中央に、与那国空港跡は在る。
「与那国の主要だった生活区域は3つ。西端の久部良、南岸の比川、そして北岸の祖納だ。前回の作戦において、部隊は祖納探索に向かい ―― そこで全滅した」
 前回の偵察時における、敵との遭遇ポイントは北東 ―― 与那国島役場跡近郊。北東の町役場付近は島内の施設が集中しており、今や超常体の営巣地し化しているのは間違いない。先日、スミス達が簡単に調査に向かった際にも確認されている。
「全滅の直接的な原因は……“ 月に吼えるモノ(ハウリング・トゥ・ザ・ムーン[――])”に退路を塞がれた事にある。だが圧倒的数による超常体の果断無き攻撃と、狂気に侵された島自体こそが脅威だ。心せよ!」
「「「 ―― Aye Aye, Sir!!!」」」
「この時点で注意すべき点はあるか、スミス伍長」
「はっ! ―― 単独偵察は慎むべきです。ただし、通常の作戦行動が許される限りは、です」
 しかし……と逡巡して口を濁す、スミス。
「自身は単独での先行偵察を繰り返し、簡単な情報を収集するのも大事と考えております。―― 許可を」
「却下だ。……与那国を舐めるな、ジョン!」
「 ―― 失礼しましたっ」
 にべも無く斬り捨てくる、ルグラース。身を固くしてスミスは起立した。
「 ……だが勇敢さは高く評価しよう。スミス伍長にはリード・トラッカーとして、隊の前方警戒と誘導を命ずる」
「 Aye Aye, Sir!」
 背筋を伸ばして、スミスは敬礼した。ルグラースは満足げに頷くと、
「さて、我が分隊の目的はスミス伍長の言う通り、島内探索による状況把握にあるが……その必要性は実は無いと言えよう」
 ルグラースの言葉に、スミスが目を細めた。
「南東部にあるサンニヌ台からルルイェに突入する部隊と……自衛隊が、島の東部・南部を実質的に調査した事になるからだ」
「では北部……祖納の調査と、西部の久部良の調査は如何致しますか」
 ルグラースは一瞬苦笑いを浮かべると、
「ジョン……君の長所は慎重なところだが、いささか目的と手段を履き違えるところがあるな。我らの目的は探索による状況把握ではない。私達の目的は初めから明らかであり、1つだけ!」
「「「 ―― 与那国制圧であります、キャプテン!」」」
 スミス以外の分隊員が斉唱する。
「その為に我等がなすべき事は!」
「「「 ―― パワースポットを占拠する、“ 月に吼えるモノ ”を討ち倒す事であります、キャプテン!」」」
「諸君、海兵隊魂を見せてやれ!」
「「「 ―― Gang Ho, Gang Ho!!!」」」
 同僚達の声に、スミスは奮えるものを感じた。武者震いでは ―― 無い。頼もしいはずの分隊唱和が、狂信的なソレにも聞こえていた。
「 ……キャプテン。ですがパワースポットの位置は未だ……」
 意を決して口に出す事で冷静を努めようとするスミスだったが、ルグラースは心中を知ってか知らずか、事も無げに、
「 ―― ティンダバナだ」
「 ……はっ?」
「もっともワイアット一等兵はルルイェの奥 ―― クトゥルフ神殿にパワースポットがあると思い込んでいたようだが……。“ 落日 ”は最初からティンダバナと正しく見込みをつけてきていた」
 そう呟きながらもルグラースは微笑する。
「だが彼等が旧アヤミハビル館へと向かった事は、我等にとって幸いである。まさに“ ”の采配と言えよう ―― 彼等に奪われる訳にはいかないからな」
「 ……解かりました。ですがティンダバナへの突入は、今回は慎重にすべきと申し上げます。今回の投入で詳細な情報 ―― ティンダバナの現状地形と“ 月に吼えるモノ ”や群がる超常体の戦力を把握する事を優先し、リスクを少しでも抑えるべきです」
 努めて冷静に慎重論を唱える。
「後方 ―― 沖縄本島が混乱している現状は、十分な兵站が望めないのはキャプテンの承知のはず。損害や消耗を、出来る限り押さえる必要があります」
 スミスの言葉に、ルグラースは暫し熟考。
「 ―― 了解した。スミス伍長の申し出を受け入れよう。“ 月に吼えるモノ ”の戦力分析は確かに必要だ」
 ルグラースが歩み寄りを見せた事で、スミスは内心で安堵の息を吐く。気持ちを切り替えると、
「では、作戦を始めましょう」
「「「 ―― Gang Ho, Gang Ho!!!」」」

 小隊の先任曹長にベースキャンプ守備役を任せると、ルグラース率いる偵察分隊はティンダバナに向かう。
 与那国島の北東、祖納集落にある標高100mの隆起珊瑚の岩塊。その断崖にあるティンダバナは高さ70mの自然展望台で、明治頃には犬座鼻(ケンザバナ)と呼ばれていた。そして16世紀に与那国島を統治していたという女酋長サンアイイソバの碑があったらしい。
 繁茂する奇怪な植物は僅かな距離の移動を困難にするだけでない。樹木の葉が厚い林冠を形成し、陽光を遮る。薄暗い為に視界は50mもない。また日光が届かない地面にも下草が繁茂していた。風もないのに揺れ動く羊歯や奇妙な蔓草、捻じ曲がった低木等が生い茂る。高さは3mに達する事もある為、視界は更に悪くなっていた。―― 昼間とはいえティンダバナ周辺は常夜の領域。狂気と混沌が蠢く、悪夢に侵された地。また天候も悪く、曇り空が続いており、闇を好む“ 這い寄る混沌 ”の眷属にとって活動に支障が無い事は予想出来た。
 糸を引くように粘つく泥塊を踏み付ける。既に衣服は湿気を吸って鉛のように重くなってきている。だが弱音を顔に表さず、黙々とスミスは周囲を警戒しながら分隊に先行していた。
 スミスの警戒と誘導もあり、分隊はここに到るまで超常体の奇襲に合わずに進む事が出来ている。むしろ逆に強襲を掛ける事さえ出来ていた。だが油断は禁物である。静かに呼吸をした。
 静謐と言えば、後続する分隊メンバーもである。スミスのように気配を殺して隠密行動をしているという意味では無い。スミス以上に機械的、無表情に、ただルグラースの命に従う。叱られる事を敢えて覚悟して言うならば、カルヴァン主義のプロテスタントを錯覚させた。沖縄に赴任してくる前にあった彼等は、昔からこうだっただろうか?
 だが意識を戦友に向け続けている訳には行かない。いよいよティンダバナに近付いた頃には、闇の深奥より何かが蠢いてくるのを感じ取れたからだ。
 嫌らしく耳障りな吹奏楽器のような音が響き渡ってくる。囁くような含み笑いが周囲に沸き起こり、いつの間にか樹木の枝や蔓にムーンビーストがぶら下がり、跳ね回っていた。そしてシャンタクバードの轟くような鳴き声。
 後方にハンドシグナルを送ると同時に、咄嗟に草叢にしゃがみ込む。鼻面には蛆虫にも、蚯蚓にも似た奇怪な小生物が這いずり回っていたが気にもならない。個人携帯無線で警告を発した。
「 ―― キャプテン、奴が来ます!」
 闇よりも、なお濃い黒い塊が這い寄って来た。鉤爪の付いた手のような器官に、3本足の狂い神。顔の代わりに付いている長い触手だけが、赤い血のような色をして闇の中に映えていた。3m程の大きさだが、報告に拠れば月に吼える影は17m近くもあったという。伸縮自在なのか、それとも元より形が無いのか。
 吠え声に周囲の眷属達が一気に襲い掛かってくる。対してルグラースも号令を発していた。M203 40mmグレネードランチャーを装着したM4A1カービンライフルに、M249SAW分隊機関銃が荒れ狂う。銃火と轟音。嬌声に似た叫び。血に塗れた饗宴場。
 鉛弾を受けて挽き肉に変わるムーンビースト。スター・ヴァンパイアに生き血を吸い尽くされるリーコン隊員。グレネードを放つと、シャンタクバードが断末魔の叫びを上げて巨体を揺るがした。その状況の中でも、スミスは冷静に観察を続ける。
「 ……効いていない?」
 触手を横薙ぎに振るい、鉤爪を引き下ろして戦友に傷を負わせている“ 月に吼えるモノ ”だが、5.56mmNATOの直撃を受けても物ともしていない。
「 ―― 異形系ですか。厄介ですね」
 異形系超常体は半不老不死ともいうべき回復力を有する、殺しても殺しきれない怪物だ。更に一部の存在は身体組織を液状化して物理攻撃自体を無効化する。まさに“ 月に吼えるモノ ”がソレだ。
 それでもグレネードの爆発により生じた衝撃と火が傷を負わせている事を確認する。もっとも些細な傷では、すぐに復元するが。
「 ……キャプテン、この場は撤退を! 現状ではジリ貧になるだけです。目標と、その戦力が確認出来ただけでよしとしましょう!」
 スミスの意見に、暫しルグラースは無言で応じていたが、
「 ―― 仕方が無い。今回は退こう。だが、時間が無いのは確かだ。次こそは消滅させてやるぞ!」
 ルグラースの撤退合図に、M16A1閃光音響手榴弾を放り投げる。今日一番の衝撃と悲鳴が超常体から発せられた。“ 月に吼えるモノ ”が闇の深奥に退いていく。
「 ……今のは致命傷には到らなかったようですが、どうやら光と、そして炎は、有効のようですね」

*        *        *

 リーコン第3分隊の誘導で、先ずは町役場を目指して県道216号線を進む。川に突き当たったところで右折し、沿って遡れば旧アヤミハビル館へと辿り着く。地図上では僅かな道程だったが、20年近くも人が通っていない路だ。また繁茂した奇怪な植物に邪魔され、装輪装甲車が進むのに、ただの徒歩での移動よりも倍以上の時間を有した。その為、人数の関係もあり、殆どの者が降車し、クーガーを囲む形で路無き道を歩いている。
「済みません、真琴おねぇさま。足手纏いになってしまって……」
 操縦席でハンドルを握った清美が今にも泣きそうな声を上げるが、真琴は微笑み返す事で慰める。
 実際、倍以上掛かってはいるが、時間を引換えにして余りある安全というモノをクーガーは提供していた。居るだけで神経をすり減らす島だ。装甲に守られて移動中も交代で車内で休む事が出来るというのは大変貴重であり、車載されたブローニングM2重機関銃キャリバー50はリーコンの火力と合わせて群がってくるムーンビーストを寄せ付けなかった。
 こうして無傷に近い状態で旧アヤミハビル館に辿り着いた一行を、壱肆特務が待ちくたびれた様子で出迎える。
「すぐに野戦陣地を構築します。四角い塹壕を掘り、その上に擬装したクーガーを被せるように」
 戦闘防弾チョッキを笹本三姉妹に手渡すと、自ら円ピを握って塹壕を掘り始める真琴。
「 ―― いい? スター・ヴァンパイアは透明だから大変見付け難い。ましてや憑魔が常時活性化しているから、私には期待しないでね。祭亜さんならば氣を探る事が出来るから、彼女を頼る事」
「 ……あの人、怖いんですけど」
 悪印象が強いのか、笹本三姉妹は祭亜をかなり苦手としているようだった。真琴は思わず苦笑するが、聞こえなかった振りして、
「それと貴方達は炎士長や私の間に入るように心がけて、決して単独行動はしない事。またムーンビーストは密林等での機動力が高いから、例え用を足したい時でも皆から離れちゃ駄目だからね? これ、命令ね」
「「「はいっ、おねぇさま!!!」」」
 作業に取り掛かる、第1432班乙組の姿を見て、第1混成団第14特務小隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉は感嘆の声を上げる。
「 ―― 思ったより、しっかりと隊長やっているじゃねぇか、あの嬢ちゃん……なんで巫女さん姿なのかは解からんが」
 言って向き直る。凄く嫌そうな顔をすると、
「お前等も……もしかしなくとも仲宗根オバアの仕業だな?」
「勿論、壱肆特務のも預かってきて ―― 」
「断わる!」
 竜司の言葉を遮り、電光石火で拒否のポーズ。さておきリーコンを横目に笑うと、
「 ―― ニワトリ野郎は来なかったか。これが本当のチキン(臆病者)だな。U.S.マリーンが泣くぜ」
 聞き咎めたナンシーが目を細める。
「 ……キャプテンは別作戦を遂行中よ」
「 ……“ 落日 ”がよく見過ごしているな」
 ナンシーの反論に、だが殻島は別件で首を傾げてみせた。金髪娘と仲良く(?)作業をしている祭亜を見詰める。
「 ……何か思惑があるのか。それとも本当に何も考えていないのか。相変わらず、喰えねぇ娘だ」
 さてとリーコンと作戦の詳細を擦り合わせる。
「オゥケイ、オゥケェイ。良いだろう、先行偵察を任されよう。実はお前らを使い潰す手もあったんだが……何をされるか分からないのに、イライラしながら待つのは性に合わないんでな」
「正直過ぎだぜ、殻島のアニキ」
 野卑た笑いが壱肆特務から上がる。殻島は軽く手を挙げて、部下を静めると、
「 ―― クトゥルフを殺したら、次はあいつだ」
 壱肆特務に再度の大爆笑が起こった。対してリーコン分隊は激昂し掛けるが、率いる軍曹が押さえ付けた。だが殻島の見立てでは、軍曹も怒りを腹に抱えているのは間違い無い。唯一、冷静を保っているのは、ナンシーとかいった、ねーちゃんだ。
「そういうわけで、夜明けと共にサンニヌ台からルルイェに突貫する。罠の匂いがプンプンするし、待ち伏せもアリアリだろうけど、ここを抜くしか手が無い。虎穴に入らずんば虎子を得ずってな!」
 殻島の言葉に、壱肆特務が作戦時間まで仮眠をとるなり、準備するなり、散っていった。中には何も知らずに笹本三姉妹をナンパしようとして、真琴に追い払われる者もいた。祭亜とメイに到っては本気で銃口を突き付けられたり、投げナイフの的にされたりしていたが。
 そんな部下達を見ながら、
「 ―― 未だ封じられている神かどうかは判らねぇが、旧アヤミハビル館が比較的安全な場所であろう事は確かだ。宿営地にしているから、留守は頼んだぜ」
 殻島の言葉に、竜司が頷く。
「こちらとしても、旧アヤミハビル館周辺の要地を調査するプランを提案するつもりだったんだ。願ったり適ったりだな」
「向こうから接触してきた神 ―― 超常体の正体と立場の確認する必要があるのは間違い無いな。壱肆特務が戻ってくるまでには解放しておきたいところだが……問題は」
 殻島と竜司は、言いよどむ松永に先を促した。
「 ……人類側であるかどうかだ」
 苦虫を潰したかのような松永の表情だが、対して竜司は唇の端を歪ませると、
「発狂するよりは土着の神の方がマシだな。―― そもそも神の思惑など知らんよ? 人の思惑すら計りきれんというのに、そこまで面倒見切れるか。八百八十万の国だ。少しぐらい、変なのが混ざっても構わんとは思うがね」
「流石は仲宗根オバアの下で戦隊物やっているリーダーだ。考え方が違うね」
 竜司の言葉に、殻島も犬歯を剥き出して笑う。挑発とも取れる言葉に、だがむしろ竜司は誇るように、
「 ―― 娯楽とは即ち笑いだ、笑いを忘れては絶望に埋もれてしまう。笑える内はまだ生きる事を考えられる、その為なら、喜んで道化を演じるぞ?」
「オゥケイ、オゥケェイ! なら、こちらは〈狂氣の波動〉の根源を何とかしてやる。だから頼んだぜ」
 サムズアップで男3人は頷き合った。

 口笛を吹きながら館内に設けた仮眠所へ向かう殻島。窓から見える月が大きく夜空に居座っていた。
「 ―― 明日ぐらいが満月だったか?」
 ぼやきながら殻島は振り向いた。ナンシーがMarine Expeditionary Unitピストルの銃口を向けている。
「 ―― デートのお誘いなら、作戦の後にしてくれ。今すぐにニャンニャンしてもいいが、死亡フラグが立ちそうだからな。……って、あれ? 約束した方が立ち易いかな」
「相変わらず、品の無い男ね。……聞いておきたい事が幾つかあるの」
「スリーサイズが知りたいなんて、いやんスケベ」
 今すぐ撃ち殺してやろうかと思ったが、ナンシーは自制した。殻島のペースに巻き込まれるだけだ。
「キャプテン ―― ルグラース大尉が、貴方を敵と判断した理由、聞かせていただけるかしら」
「勿論、俺とアイツが天敵同士だからだ」
 壁に拠り掛かり、腕組みしながら殻島は答える。
「訊きたいんだろ、俺達の正体が。教えてやる、別段口止めされている訳でも無いしな」
 暗がりの中、犬歯を剥き出して笑った。
「 ―― 俺は『七つの大罪』が1つ“ 怠惰 ”を背負いし“ 大罪者 ”と呼ばれる異生。対して、奴は最高位最上級超常体 ―― 熾天使(セラフ)の内でも、四大元素天使(※ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル)や天使長メタトロンと並ぶ、“ 処罰の七天使 ”の1柱だ。……違っていたとしても俺と同じく『扉』を潜ってきた“ 懲罰者(パニッシュメント)”という異生だな。―― 俺の攻撃は奴に深い傷を負わせると同時に、奴もまた俺に深い傷を負わせられる、天敵同士。言うなればDNAとか魂レベルとかで敵と認識し合っていやがるんだ」
「異生と言ったけど……完全侵蝕された魔人という事かしら?」
「違うんだな、これが。完全侵蝕された魔人というのは、意識まで憑魔に屈した連中を言うが ―― 我ながら実感無いし、よく知らないんだが……俺は完全侵蝕された魔人とは違う。……何と言うか、超常体に似して異なる存在。憑魔能力を完全支配下に置きながら、なお己の心と意識を保つ存在。―― 上手い表現や語彙が無いので、今んところ異生と呼ばれている。だが俺は人間のつもりだ」
 懐から取り出した、銀色の鍵を玩ぶ。
「 ……最後よ。先月のルグラースとの会話の中で出てきた『燭台の火を灯し、“ 天獄の門 ”を与那国島で開く』とは、何を意味するの?」
「 ―― 日本語が達者だな」
 呆れたように笑うと、殻島は肩をすくめながら、
「簡単に言うと、『燭台の火を灯す』というのは、そのエリアを占拠支配して光の柱を立てる事で『ここは俺様の陣地になったんだぞ』と周囲に知らしめると同時に、この世界と異界を繋ぐ門を召喚する儀式の事。そして『 “ 天獄の門 ”を開く』というのは、そのまんまエンジェルスが一杯いる世界の扉を開いて、神州に大量召喚するという意味だ。―― アー・ユー・アンダスタン?」
「 ―― No!」
 怒声にも悲鳴にも似た叫びが咽喉から出た。激情に駆られてナンシーは喚き立てる。
「 The fairy tale is much already! I curse the foolishness of myself who honestly consulted the man who doesn't have a character like you!(御伽話はもうたくさん! あなたのような品の無い男に真面目に相談した私自身の愚かさを呪うわ!)
 怒りの余り、ナンシーは日本語を忘れて、英語で責め立てた。震える銃口より早く、
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 大気中の水分が針状に収束凍結して、殻島に打ち込まれる。……だが、
「悪い。こちらも用心していたさ。お前の攻撃は効いてねぇよ。俺は特別な能力持ちなんでな。……全周囲から来たら〈跳ぶ〉しかなかったが」
 殻島の周辺空間が湾曲し、正面から打ち込まれてくる〈氷の針〉の弾道を逸らしていったのだ。
「 ……証拠は無いし、戯言と考えてもらって結構。真実は人それぞれ違うんだ。後はお前自身で納得してみるんだな。……とはいえ、人に攻撃しておいて、ただで済むと思ってんじゃないんだろうな?」
 犬歯を剥き出して笑う殻島。一気に詰め寄ると、身構えられるより早くナンシーの手からMEUピストルを弾き飛ばした。そして胸座を掴む。左手には、いつの間にか逆さに握ったナイフ。死を覚悟して、ナンシーは思わず目を瞑る。
 ―― 唇に、熱い粘膜が触れた。獣じみた臭いが鼻に付く。
 仰天して目を見開いたナンシーに、殻島は野性味溢れる笑みを送った。不器用にウィンクする。
「お前の唇は奪わせてもらった。ケッケッケ。日米交歓って奴か? 祭亜には負けられねぇ。アイツはレズだって話だし」
 続きをする気があるなら、正式に作戦後にデートの誘いをしてくれ。そう笑うと、殻島は背を向ける。廊下に落ちたMEUピストルを拾って、ナンシーが構え直した時には、最早姿を消していたのだった。

 水平線より太陽が昇る。サンニヌ台に展開していた壱肆特務と、リーコン分隊はそれぞれの得物を構えた。
 84mm無反動砲カールグスタフを左肩に担いで、殻島は階段状の断崖に足を掛けた。
「これより状況を開始する ―― Go ahead!」
 号令と同時に、殻島の左右から2人の男が駆け出した。スキンヘッドをした筋肉質と、シャープな切れ味の眼孔を持つ細身。階段状に続く、垂直に切り立った断崖沿いの元遊歩道を抜けて行き、狂氣の空間を貫くトンネルに突入した。目指すは、テラス状の地形が断続的に続く先 ―― 2.5km程も離れたルルイェ。これこそが唯一の抜け道。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 スキンヘッド ―― 金城・仙一[かなぐすく・せんいち]一等陸士は氣を巡らせると、警告を発した。
「むん! 下方、海面より中型超常体が急速に上がってきておる。―― 下位中級。数は1、2……沢山!」
「 ……餓鬼ですか、君は?」
 嘆く声を発すると同時に、切れ長目付き ―― 邑井・郡次[むらい・ぐんじ]一等陸士もまた半身異化。
「 ―― サン●ガ! ギ●デイーンっ!」
 世紀末において双璧と言われた、コンシューマRPGの電撃系呪文を叫ぶ邑井。掌より発した雷光が、海面を割って跳躍したディープワンズを打ち払う。
「どっちもどっちで、餓鬼じゃねぇかよ」
 苦笑しながらも、殻島は右手で構えていた9mm機関拳銃エムナインで掃射する。反動で銃身が大きく跳ね上がるが、気にしない。
 荒波が侵食した事で形成された奇岩。その蔭に隠れて待ち伏せしていたディープワンズが大口を開いて、咽喉を震わせた。高圧の水鉄砲が一斉に放たれてくる。
「 ……悠長に捜索用音響探知機や暗視装置を使っている場合では無いようですね」
 邑井の電撃網を抜けてくる水圧砲を、ナンシーが氷の、金城が氣の、それぞれ障壁を張って防いだ。敵の動きが止まったところを、横列状態で進撃する壱肆特務隊員が一斉にBUDDYで掃射する。
「 ―― 隊長の、ちょっといいとこ、見てみたい♪ それ、いっき、いっき、いっき、いっき!」
 部下の囃し立てを背に受けて、殻島は掌を前方に向ける。空間のトンネルをひしめく、魚群。岩肌は朝陽を浴びて不気味に光る、滑る皮膚と鱗によって覆い隠されていた。
「流石に数は多いが、抗弾チョッキは着てないな。……もっとも俺の前では意味無いんだが」
 犬歯を剥き出して笑うと、五指が宙を毟った。
「空間掌握 ―― 圧縮消滅!」
 殻島の握り潰す仕草に、地面ごと魚群が消し飛んだ。巨大な爪が抉ったような痕が、岩肌に刻み込まれる。
 ―― なるほど。昨夜の湾曲障壁といい、今の攻撃といい、空間を操る力こそが、懲罰部隊の問題児を捻じ伏せているのか。これが、ルグラースの天敵。
 壱肆特務が暴れまくる姿を、ナンシーはしっかりと眼に焼き付けた。勿論、後続するリーコン分隊も負けてはいない。退路を確保するべく、壱肆特務が撃ち漏らしたり、後方や側面から海面を割って新たに現れたりするディープワンズを掃討するのだった。
 ……ルルイェを護るディープワンズは沖縄本島を襲撃しているのと違って、銃器や防弾チョッキ等の武装をしていない。その為、個体を潰すのは楽だった。だが、群体ともなれば話は別だ。進撃は徐々に勢いを殺され、歩みは遅々として進まない。いつの間にか頭上に太陽が差し掛かっていた程だ。
「おい、いい加減、疲れてきたぞ。ていうか飽きた」
「子分どもにも負傷者が出て来始めましたしね」
 大物狙い用に担いでいたカールグスタフの重さが邪魔になってきて、殻島は悪態を吐いた。フレーム無し伊達眼鏡の弦を中指で押し上げて、邑井が損耗を報せてくる。早々に尽きた銃弾の代わりに、氣を纏った拳で殴り続けている金城が、威嚇のつもりかポージングをしながら、
「 ―― むん。まだまだ海面下に超常体を確認。その数 ―― 海が3割に、敵が7割」
「いや、それは流石にデータが壊れているとしか思えないけど……しかし、このままではジリ貧よ。後続する我が海兵隊分隊と一旦合流し、圧倒的な火力で薙ぎ払うべきと提案しておくわ」
 ナンシーの言葉に、殻島は頷き掛けたが、前方にソレを確認してカールグスタフを構え直した。
「 ―― 中間地点、立神岩まで辿り着いた。お前等、気を付けろ、大物が来るぞ!」
「むん! 前方に大型の ―― うわぁ!?」
 金城が警告を発するよりも早く、海にそびえ立つ高さ15m程の奇岩 ―― 立神岩から無数の水流刃が押し寄せてきた。邑井が電撃波で迎え撃つ。
「 ―― ショッ●ウェーブ! ……金城! 警告を発するのが遅い!」
 金城を罵る邑井を横目に、殻島は唸り声を上げる。水流の衝撃を殺し切れずに、圧せられていた。
「 ……母なるハイドラか」
 高位中級超常体 ―― クラスとしては亜神/神獣。全体的にはディープワンズが大型化したという、かつての面影はあるが、ハイドラは鰭が異形化した多くの触手を有していた。見方を違えれば、多頭の海蛇。或いはイソギンチャク。そのどれもが混ざったようで、どれとも言えない醜悪な姿に、ナンシーの青い眼が厳しく光る。
「さて、あんなデカ物、どうやって倒すかな」
 少しも困っていないような口振りで殻島が笑うが、
「 ……1つ判っている事があるわ。数年前にステイツにある大学で、Mr. Naruseという男が『ディープワンズは氷水系ではなく、異形系である』と発表したの。ハイドラもまた同じと考えられるわ」
 異形系の特徴の1つは、半不老不死とも言うべき尋常ではない再生力が上げられる。勿論、異形系と言っても、その再生力にはピンからキリまであり、ディープワンズは回復が並の超城体より高いというだけで、1つの肉片から蘇生する程では無い。だが、ハイドラともなれば……。
「 ―― 希臘神話のヒュドラぐらいはあるかも知れないね。ほら名前も似ているし」
 おどける殻島。邑井が頭を照り輝かせながら、
「なら、どうするか?」
「 ―― 再生力を上回るダメージを与えればいいのです。……海兵隊のねーちゃんの力を借りますよ」
 邑井が眼鏡の弦を押し上げながら、不敵に笑う。全身から放電が起こってみえた。
「 ―― 何をすれば?」
「雷電系は、氷水系の力を吸収し、やり方に拠っては自身の力を強化させます!」
 両腕を+−それぞれの極にすると電撃が走った。眼前のハイドラが次の発射態勢に移っているのを確認した、ナンシーは邑井に言われるがまま大気中の水分を凝固させる。大気中に浮かぶ氷の結晶に電撃が通った。 ハイドラの全周囲を雷光が走る!
「行きますよ、マハジ●ダイン ―― リンケージ技〈鳴る神〉!(※註2)」
「 ……リンケージって何かしら?」
 電撃の絶大な効果を目の当たりにして呆然と呟くナンシーの横で、殻島が笑い声を発した。
「 ―― とどめ!」
 カールグスタフから発射されたHEAT対戦車榴弾FFV551は狙い違わず胴体中央に吸い込まれると、弱りきっていたハイドラは次の瞬間に爆発四散した。殻島は握り拳に、力こぶをつくってガッツポーズ。そして吼える。
「 ……とはいえ行程はようやく半分だ。寝所を求め、神殿の奥へ、底へ。だが上手く行き過ぎる時ほど行動に注意が必要だぞ!」

 無尽蔵に群がって来るディープワンズを蹴散らしながら突撃する事、十数時間。海底より隆起し、浮上した遺跡ポイント ―― ルルイェに辿り着いたのは、満月が空に鎮座する真夜中だった。死者がいないのが不思議なぐらいの連戦に荒い息を吐く。退路を護るはずのリーコン分隊とも合流し、一丸となって突き進んでいた。
 M4A1カービンを片手に、もう一方には捜索用音響探知機を持って先を探るナンシー。天井にの巨石を3個嵌め込んだトンネル状の通路 ―― アーチ門の蔭に潜んでいるものの音を感じると、すかさず発砲。倒れいくディープワンズを踏み付けてルルイェに入り込んだ。
「 ―― うっ!」
 動かずとも、三半規管が揺れ、足下がおぼつかなくなり、手が震える。胸に込み上げて来る何か。目眩がし、甲高いようで、だが時折、不快な重低音の混じった幻聴。妙な動悸が早鐘のように鳴り打ち、インナーは大量の脂汗を吸って、冷たく重たくなっていた。ナンシーだけでは無い。百戦練磨と思われる殻島さえも、酸素を無くした鯉のように口を開け閉めしていた。
 緑色がかかった黒色の泥土に覆われた岩塊を組んだ擁壁は、ユークリッド幾何学を無視した狂った曲率を描く線と形で構成されている。そうした回廊を抜け、ループ状にも見える昇り通路を上がった。
 ……ああ、重低音の正体はこれか。
 ルルイェ上部のテラス中央には、巨大な墓所にも似た石造りの神殿がある。パンテノン神殿のような列柱建築だが、柱の1本1本だけを注視すると、波打ったり、歪んだり、捻じ曲がったり、他の柱と交差したり……明らかに狂っていた。その神殿の奥から波打つ重低音が轟いて来る。寝息なのか、それとも動悸なのか。―― 間違い無く、極大型の最高位最上級の超常体、海神龍クトゥルフが横たわっているはずだ。
 誰とも知らず、勇気を以って足を一歩踏み出そうとした。その時、大合唱が突如として沸き上がる。
   ふんぐるい むぐるなふ くとぅるふ
    るるいぇ うがぁなぐる ふたぐん
「 ―― ッ!」
 声にならぬ叫びを上げて、ナンシーは崩れ落ちた。神殿の奥から発せられる〈狂氣の波動〉。二度目になるが、身体を蝕む激痛に堪える事は難しかった。泣き叫びながら岩肌を転げ回る。泡立つように無数の肉腫が膨れ上がり、内側から肉を引き裂いていく。引き裂かれた肉から血が吹き出し ―― 裂けた肉の間を異常な速度で根を張り出した神経組織のようなものが埋め尽くしていく。
 ―― 憑魔異常進行。強制侵蝕現象。
 狂氣に犯されているのは、ナンシーだけではない。憑魔に寄生されていない者達も、耳やコメカミを押さえ、眼から涙を溢れさせ、鼻血を垂らし、口から泡を吹く。痙攣を起こしていた。唯一、殻島だけが2本の足で踏ん張れたが、衝撃は凄まじい。
   ふんぐるい むぐるなふ くとぅるふ
    るるいぇ うがぁなぐる ふたぐん
 クトゥルフの放った〈狂氣の波動〉により、リーコンも壱肆特務も死屍累々の惨状だ。対して、合唱するディープワンズの声は益々大きくなってくる。
「 ―― 金城、金城! 完全侵蝕されて無いだろうな!? 人間のままだったら、さっさと目覚めて、皆を起こしやがれ!」
 倒れている金城を蹴りながら、殻島はBUDDYを構える。ふらつく頭を押さえながら、金城は何とか意識を取り戻すと、這い付くばりながらも味方の氣を正調し、回復させていく。
 失神し掛けた衝撃で胃の内容物を吐き散らし、また股間を濡らしてしまったナンシーが、顔を紅潮させながらも立ち上がる。恥ずかしさか、それとも怒りか。
「さて、寝所の前まで到着したが、心臓にサンザシの杭を打ち込むのにはもう一苦労しそうだぜ。絶対、アレ、寝癖も悪いぞ」
「かっ、か、覚悟の上よッ!」
 それでもすぐに撤退出来るように、ナンシーはM16A1閃光音響手榴弾を放り投げる構えを取る。覚悟して特攻すべきか、それとも……。
 徐々に包囲を狭めて来るディープワンズを目に、何とか立ち上がった者達は奥歯を噛み締めていた。

*        *        *

 叩き付けられたような衝撃と、そして奈落に引き摺り込まれて行くような喪失感。汗と涙に顔を汚しながらも、西村は何とか起き上がった。周囲の者も泡を吹き、息も絶え絶えだ。
 コンピュータとコンソールにより処理され、表示されたデータは先月の時と同じく、奇怪な数値が表れては目まぐるしく変わっていく。時には数値として出るはずの無い記号も画面に表示されていた。
   ふんぐるい むぐるなふ くとぅるふ
    るるいぇ うがぁなぐる ふたぐん
 下腹部を濡らした航法士が、現在位置・距離・方位を必死になって測り直そうとするが、悪戦苦闘。通信士が悲鳴を拾う。
『 ―― こちら、クイナ。状況の指示を乞う。そちらは無事か?』
 SBUの哨戒機ロッキードP-3オライオン、コールサイン『クイナ』からの連絡を受けて、通信士は口を拭いながら、
「 ……こちら、ピノキオ。何とか飛行を保っている」
『 そうか、それは良かった。状況の報告を ―― って、アレは何だ!?』
「どうした、クイナ?! 報告せよ!」
 西村は席から身を乗り出すと、通信士越えに声を発した。勢い、怒声に近いものになる。
『 海面下に、巨大な影が……何だ、島ほどはあるぞ! ―― 馬鹿な、ショゴスがこれ程まで大きいなんて』
   てけり・り! てけり・り!
 西村も思わず海面を覗こうとした。その時、警告音が響き渡り、センサー操作士官が叫ぶ。
「ハンティング・ホラー急速接近! 数、2体!」
「何故、気付かなかった!」
 西村が怒鳴り返すが、理由は判っていた。先ほどの〈狂氣の波動〉を受けての、数分間の人事不省。そして計器異常。与那国島を飛び立ったハンティング・ホラーは、その隙に猛スピードで渦巻きながらレーダーが感知し辛い低空を接近してきたのだろう。
「 ……クイナ、喰われます!」
『 たっ、たすけ ―― 』
 ハンティング・ホラーはオライオンの胴体に、その巨体を巻き付かせた。助けを求める僚機。だが西村は奥歯を噛み締めると、
「 ―― 急速離脱!」
 E-767の脱出を優先した。次の瞬間に、オライオンがハンティング・ホラー共々爆発四散する。
「西村准尉……仕方無いんですよね。この機には武装は無いんだし……そうだ、仕方が無いんだ。僕は悪く無い。だって……」
 言い訳を呟きながら、もう1体に飛び掛かられる前に操縦士はE-767を伊良部島に向けるのだった。
( そうです。戦闘手段がありません。だから仕方無いのです。本気で戦闘出来ない…… )
 内心で呟く。だが……本当にそうか? この機体自体には武装が無くとも、わたしにはハンティング・ホラーに有効な憑魔能力が無かったか?
 伊良部島に帰投するE-767の席で、西村は悔恨の自問自答を繰り返していた。
 ―― 恐らく、今のままでは、次は無い。

*        *        *

 怒りに任せて、アスファルトを叩こうとする。だが強制侵蝕による激痛が、アリカの思い通りには身体を動かしてくれなかった。
「 ―― くっ、クソぅ。糞ったれが! 動けよぉう!」
 悪態を吐きながら、アリカはのたうち回る。先月は祭亜に相殺されて護られたようなものだったが、今回は〈狂氣の波動〉をマトモに受けてしまい、この体たらく。銘苅が倒れたというのも当然だ。しかも戦闘中だから始末に負えない。
 人間と違って逆に活気付いたディープワンズが、倒れて無力化している人間達を襲う。水掻きの付いた手が握るM4A1カービンから5.56mmmNATOがバラ撒かれ、悲鳴のドラム音を叩き出していた。また何をトチ狂っているのか、無抵抗のWACの衣服を破き、己の腰を擦り寄せている魚人ども。地獄絵図が繰り広げられていくのを目を瞑って忌避しようとするが、耳に流れ込んでくる音がそれを許さない。
 奥歯が砕けるぐらいに噛み締めるアリカ。その背に暖かいものが触れた。親友の、優しい掌。
「 ……武。動けるか?」
 本田に乱れていた氣の流れを正してもらい、アリカは大きく息を吐いた。跳躍するように飛び起きる。知らず怪鳥音が迸っていた。己の意志で、憑魔を侵蝕させる。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 強化された肉体から繰り出される蹴りや拳が、アリカの動きに付いて来られなかった、ディープワンズを打ち倒す。左手を引くと同時に右の貫き手を突き出すと、第1433班長を押し倒して狼藉を働こうとした魚人の頭部が吹き飛んだ。第1433班長は零れ落ちてくる魚人の体液に悲鳴を上げるが、
「 ……あ、ありがとうございます、アリカさん」
 破かれて露わになった胸と股間を手で隠しながら、眼鏡の上官は礼を言ってきた。アリカは一瞥した後、MINIMIを拾って、
「 ―― 班長、生き残りをまとめて反撃の指揮を頼むぜ。……おい、銘苅小隊長、生きてやがるかっ!」
 アリカが個人携帯短距離無線機に怒鳴り付けると、弱々しい声で、
『 ……ちゃーがらー。きっさまで意識ねーんなちうたんうやいびーしが、いやーぬ怒鳴りくぃーし目覚めやびたん。んでーいえ、なーまちむふじゅんに動けやびらん 』
 銘苅も大変なのか、素の琉球弁のままだ。とにかく身動きがままならない事は解かったので、
「こちらの回復が終わり次第、勝正をそちらに向かわせるから手当てしてもらってくれ。……勝正、いけるか?」
「 ……今、第1433班の手当ては終わった。小隊長は何処だ?」
 本田の操氣による手当てで回復した第1433班は遮蔽を取りながら、BUDDYで応戦を再開していた。幸運にも重傷者は無いようだ。勝正を送り出すと、アリカはMINIMIで掃射する。毎分約750〜1,000の発射速度だ。30発弾倉ではすぐに尽きる。
「予備ベルト、誰か持ってないか!」
「 ……あ、はい。私が」
 おずおずと第1433班長が手を挙げるを見て、アリカは腰溜めに構えていたMINIMIを接地した。200発弾薬箱が機関部下に装着される。
「しかし驚きました……アリカさんって男らしくもあるんですね」
 班長に言われて、アリカは一瞬自分の顔を指差す。頬を染めて、手を当ててしなを作ると、
「あらん。お恥ずかしいところを見せたわねぇん」
 微笑み合った。すぐに顔を引き締めると、アリカはディープワンズに5.56mmNATOをお見舞いしてやる。ベルトリンクは、銃口から閃光が走るたびに空薬莢とに分離されて右側に流れていった。
 周囲でも立ち直った味方達が必死に反撃を行なっていた。とはいえ〈狂氣の波動〉の衝撃は残っており、旗色は余り良くない。
「 ……今夜は生き延びる事さえ出来れば御の字かしらねぇ」
「 ―― アリカさん、海岸の方! 巨人の影が!」
 独りごちたアリカに、第1433班長が海岸線を指差す。海から現れたのは6m超の大きさを誇る高位上級超常体――群神/魔王クラスの ダゴン[――]。名の意味は“ 魚の偶像 ”。今やクトゥルフの眷属であるが、かつてはセム人によって信仰され、またペリシテ人に海神として崇められた大物だ。全体的には巨大化したディープワンのシルエットだが、その下半身は魚か蛇のようであった。リュウグウノツカイ等の深海魚とかの長駆を思い起こす。
 第1433班長が悲鳴を上げるが、アリカは乾いた笑みを張り付かせながらも、
「 ……倉庫をあさくっていて良かったわん。前回の襲撃といい、本当にわたしってば先見性があるのよねぇ。―― ハチヨン、持って来い!」
 アリカの怒声に、部下がハチヨンことカールグスタフを持ってくる。アリカは担ぎ直すと、向かって来るダゴンに砲口を向けた。
「 ―― Go home!」
 発射された対戦車榴弾が狙い違わずにダゴンへと吸い込まれる。爆発に、周囲から歓声が上がった。だがアリカは強張ったまま、
「 ―― 集中砲火! 休まず叩き込め!」
「斉射、斉射、斉射!」
 慌てて第1433班長が指示を出す。周囲の班や小隊から火線がダゴンへと集中していった。それでも、
「 ……やはり〈狂氣の波動〉の影響で、分が悪かったのよ。致命傷を与えるまでには到らなかったわん。でも撤退させただけでも、こちらの勝ちかしらん?」
 ディープワンズとしても〈狂氣の波動〉の影響下でありながら、那覇駐屯地を攻め落とす事が出来なくて歯噛みしているに違いなかった。
「 ……そういえば前の時も、満月の夜だったわね。上手くいけば攻守交代かも」
「 ……ふむ。次の満月までは〈狂氣の波動〉は起きないと思うか?」
「あら、銘苅小隊長。生き残ってくれて何より」
 敬礼して迎えると、銘苅は溜め息を吐いた。アリカは肩をすくめると、
「まぁ次の満月を迎えるまでもなく、与那国に行った祭亜ちゃんやカズちゃん達がクトゥルフを倒しているかも知れないけどね」
「このまま護り続けるか、それとも攻撃に転じるかだな……お前の先見性に賭けよう。何か意見があったら頼む。とりあえず被害の把握が先だが……」
 かしこまりましたわとアリカは敬礼して応えた。
 那覇駐屯地の死守は成功したが、キャンプ・トリイは半壊したらしい。やはり〈狂氣の波動〉の影響が大きかったという。それでもU.S.アーミーの生存者は何とか踏み止まって戦い続けるつもりだ。
 そんな折にU.S.ネイビーより連絡が入った。グァム島より原子力潜水艦ロサンゼルス級SSN-772が出港したらしい。
「 ……攻撃原潜が? 嫌な予感がするわねぇ」
 アリカの予感はまたもや的中する事になる。台湾やユーラシア大陸の東端、そして環太平洋諸島の一部にまで〈狂氣の波動〉が再び及んだ事に慌てた亜米利加合衆国大統領が、ルルイェに向けての海洋発射巡航ミサイル『トマホーク』を放つ事を命じたのだから。
「 ……もしかして、核弾頭、か?」

*        *        *

 特注戦鎚『鬼殺丸』で力任せに薙ぎ払う。被弾しながらも飛び掛かってくるムーンビーストは、真琴の強力一閃で潰れていった。
『 ―― 八木原の様子はどうだ?』
『 ええ、大丈夫よ! ちゃんと息はしているわ 』
 メイがニーリング・ポジションでM16A2アサルトライフルを撃ちながら応える。隣には昏睡した祭亜と、恐る恐るながらも看護する珠美の姿。
 ルルイェから発せられた〈狂氣の波動〉は当然ながら旧アヤミハビル館をも襲った。衝撃に打ちのめられそうになったが、すかさず祭亜が氣を放って相殺。但し前回と違って距離が近い事もあってか、相殺後に意識を失って昏倒した。松永と珠美が素早く応急処置をするが、未だ目覚めない。
「 ―― ガグまで寄って来たぞ。やはり火に群がってくる蟲みたいに、八木原の能力が超常体を呼び寄せてるんじゃないか?」
 応急処置後を珠美に任せると、松永は対人狙撃銃レミントンM24の照準眼鏡を覗きながら狙いを付けた。満月の光を増幅した暗視装置によって、四つ手の巨人ガグの姿が闇夜にも浮き上がって見える。
「 ……そうかも知れんし、そうでないかも知れん」
 塹壕に半身を隠しながら『Great Old Ones』の仲間と共にBUDDYを斉射する竜司は、松永の言葉に難しい表情を浮かべた。
「いずれにしても、振りかかる火の粉は払わないといけないのは確かだな! 亜由美二士、キャリバーで薙ぎ払ってくれ!」
「亜由美ちゃん、お願いっ!」
「はい! 解かりましたっ、真琴おねぇ様!」
 クーガー搭載のキャリバー50に張り付いていた亜由美が、真琴の要請に2つ返事で応える。12.7mmの.50ブローニング弾が、ムーンビーストや隠れ潜むスター・ヴァンパイアを挽き肉に変えていった。
 ガグが怒り猛るが、松永は目を細めると、
「 ―― お前の相手は俺だ。喰らいな!」
 レミントンから発射された7.62mmR弾が、ガグの縦に避けられた口腔を撃ち貫いていく。だが脳を損傷したぐらいで巨体は止まらない。
「ここまで来たら脊髄反射で動いているとしか考えられんな。ならば ―― 駄目押しだ!」
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 砲身に光が集まって来る。銃口に輝きが溢れ出した。松永は唇の端に笑みを張りつかせると、引鉄を絞る。集束されて撃ち出された光の弾が、次の瞬間にガグの上半身を吹き飛ばした。
 戦場を走る強烈な光に、闇の眷属達が恐れをなして逃げ去っていく。代わりに舞跳ぶのは、
「 ―― ヨナグニサン」
 蛾の燐粉が月光を浴びて淡く輝く。更には松永の力が呼び水になった訳ではなかろうが、
「 ―― 太陽が昇る!」
『 ……てぃーだぬ加護 受きたん神女がちゃんか。なまやくとぅ、我 封印から解放せしめよ(太陽の加護を受けた神女が来たか。今こそ、我を封印から解放せしめよ)
 聲が聞こえてきた。陽光を浴びて、光り輝くヨナグニサン。そして真琴、オールド・アクアやオールド・ウィンドに衝撃が走った。斎場御嶽で感じたのと同じ、痛みは無く、魂(まぶい)を揺さ振る、暖かい“ 何か ”が身中より沸き起こる。眩しく輝き出した。
「 ……別段、神女(ノロ)以外と交渉しないって訳では無いようだな。しかし俺の出番はなさそうだ」
「 ―― そうでもないですよ、松永士長の力で太陽の光を集めて……照らし出して下さい」
 夢現の面持ちで真琴が願う。そうだ、この光こそが解放の鍵となる。松永が意識を集中すると、3人の神女から発せられた光は集束し、旧アヤミハビル館の一角を照射した。光を浴びた燐粉が渦巻き、小さい人を浮き上がらせた。西洋の妖精譚に出て来る、フェアリーか、ピクシーか。蛾の羽根を背に生やした、小神。
 竜司が代表して敬礼すると、
「本官は、神州結界維持部隊 ―― 日本国陸上自衛隊西部方面隊第1混成団音楽隊所属、第140組長、炎竜司陸士長であります! ―― 畏れ多くも貴方様の御名を聞かせ願いますでしょうか?」
『 我か……。わんねー…… 』
 竜司の問い掛けに、だが小神は沈黙する。そして困り果てた表情を浮かべると、
『 わんねー……ぬーやくとぅあいんか? わんが、我どぅーぬくとぅんうびーんじゃすんくとぅが出来ぬ。わんぬ名は……(我は……何モノであろうか? 我が、我自身の事を思い出す事が出来ぬ。我の名は……)
 竜司も困り果てて周囲を見渡す。真琴と目が合ったが……、
「御免なさい。はっきり言って、小官自身は、こちらにおわす神様がどういう方なのか、まるで判りません」
「神女だろ、おまえ」
「判らないものは、判りませんよ〜」
 隅で『の』の字を書きながらいじけだす真琴を、笹本三姉妹が慰める。
「調査したところ ―― 与那国島には独特の伝承がある。それは昔、天変地異に襲われて島中の人が全滅したという恐ろしい伝説。……突然空が赤くなり、鬼が出てきて人々を襲い始めた。その時、火の雨と津波が押し寄せてきたので、島人は泣き叫びながら神に祈りを捧げていると『 ドナダアブという穴に逃げ込めば助かる 』という神の声が聞こえてきた。そのドナダアブに逃げ込んだ人々は助かったという」
 松永の語りに、竜司は頷きながら聞いた。
「 ……この現象は、幻のムー大陸が沈む時の情景と同じもので、この伝説は火山のない沖縄では異色の存在でもある」
「ふむふむ。興味深い話だ。……それで? 肝心の、その神の名は?」
 竜司の詰問する視線。松永の頬に汗が伝った。
「 ―― 済まん。判らなかった」
『 ……喪われた名が、第二の封印という事だったんですね。困ったなぁ 』
 祭亜の声に思わず振り返る。メイに支えられて、祭亜が起き上がっていた。手を軽く握ったり、開いたりする事で感覚を取り戻しながら、
『 ……今の調子だと、クトゥルフは次の満月には完全に目覚めてしまいますね。殻島准尉が何とかしてくれている事に期待しますが』
 それよりも、この小神をどうするか。下唇を噛んで、一同は悩みまくる。その中で、
『 ……からしまんは、蟇蛙や案山子の方が知っているって言ったのよね、確か。それに蛾の衣…… 』
 メイが小神を見据えて呟いた。脳裏に天啓が閃き、胸の内より言葉が沸き上がる。
「 ―― The god came from the sea. He was riding the Ama-no-Kagamifune. He wore the feather of the moth. Even if I ask a name, he doesn't answer. I asked the gods who are following me. However, " that it doesn't know " all. The toad said " that the scarecrow should know this " here. Therefore, I called a scarecrow and asked. The scarecrow answered " he was the child of Kamimusubi "...」
 魂が揺さぶられるような感じ。メイは確かに掴んだ。透き通ってくる“何か”が染み渡ってくる。
 メイが口を開いた。
「 ―― Sukunabikona!」(※註3)
『 おおっ! まさしく、うれーわんが名(それは我が名)!』
 蛾の羽根を振るわせて、小神は舞い上がる。
『 我は ―― 少名毘古那[すくなびこな]なり!』
 思わず歓声が沸き起こる。軽く、心地良い疲労感に支配されていたメイは、祭亜の突然の抱き付きに抵抗出来なかった。
「 ―― I fell in love with you!」
 祭亜は瞳を潤ませて熱く語ると、メイの唇を奪った。顔を真っ赤にしてメイは引き剥がそうとする。
『 あっ、あたしのファーストキッスを奪うなんて! 』
『 ボクだって、これがファーストキスですよ! メイちゃん、愛してる! お姉ちゃんと同じぐらい!』
『 なっ、何よ、お互い初めてのキスなのに、あたしが一番じゃないわけっ!……って、ちょっと、辞めてよ、皆が見てるじゃないっ!』
 頬や額だけでなく、目蓋に、鼻の頭、髪に到るところまでメイの顔中に、祭亜はキスの雨を降らしてきた。
「 ……あー。お見苦しいところを。痴女は放っておいて話を進めますが」
 いたたまれなくなった竜司が、少名毘古那に話を促す。目覚めてすぐに展開される光景に目を点にしていた少名毘古那も、咳払いして頷き返してくれた、
「〈狂氣の波動〉を、海龍神クトゥルフを何とかしたいと考えているのですが……今の調子だともう1月後に完全に目覚めてしまうそうです」
『 わんにんちゃーがらーしーぶさんでぃぅくるうてぇあいびーしが……なま、龍脈は“ 月に吼えるモノ ”に抑えられたままやいびん。龍脈ぬ流れ正しちんにけーいんねー、いきらーさぬともわんとぅ等しい存在むっちゅん輩、排除せねばならん(我も何とかしたいところではあるが……現在、龍脈は“月に吼えるモノ”に抑えられたままである。龍脈の流れを正しきものに変えるには、少なくとも我と等しい存在を持つ輩を排除せねばならない)
 すなわち、先に海神龍クトゥルフと“ 月に吼えるモノ ”を倒さなければ、少名毘古那も存分に力を振るえないのだという。
『 むとぅむとぅ、龍穴はティンダハナにあったしが、龍脈ぬ流れ“ 月に吼えるモノ ”が狂わせ、海神龍クトゥルフにすすじゅんようにさびたるむん。クトゥルフ倒さあいびらんがやーじり、龍穴はむとぅむとぅあいん位置ティンダハナに再びむどぅいんくとぅやねーらん。あんさーに“ 月に吼えるモノ ”が倒さぬかじり、ティンダハナとぅい戻すくとぅんないびらん(本来、龍穴はティンダハナにあったのだが、龍脈の流れを“ 月に吼えるモノ ”が狂わせ、海神龍クトゥルフに注ぐようにしてしまった。クトゥルフを倒さない限り、龍穴は本来ある位置ティンダハナに再び戻る事は無い。そして“ 月に吼えるモノ ”が倒されぬ限り、ティンダハナを取り戻す事も出来ない)
 だが両者共に倒し、少名毘古那がティンダハナに収まれば、沖縄・南西諸島一帯の結界を反転させる事が出来るという。更に理由は教えてもらえなかったが、南西諸島だけでなく南極大陸に、新たに超常体が異世界から顕れる事も無くなるらしい。
「 ……何にしろ、ティンダハナか」
「 ―― となれば海兵隊とも戦わないといけないですけどね。あの大尉は、絶対に滅ぼさないと」
 顎に手をやって考えていた竜司と松永に、メイに引き剥がされた祭亜が泣きそうな顔で声を掛けてきた。泣きそうな理由は、海兵隊と戦う事になるというからではなかろうが。とはいえ聞き捨てならない言葉に、
「 ―― どういう事だ? 殻島准尉といい、八木原といい、ルグラース大尉を目の仇にする理由は何だ?」
「彼は異生 ――“ 処罰の七天使 ”の1柱。ティンダハナを“ 月に吼えるモノ ”から強奪して、神州を支配する為に、自分側の超常体を引寄せる事が目的ですよ。……少名毘古那を解放した以上、ボク達は奴より先にティンダハナを奪還しなくてはなりません。最悪、亜米利加さんとも喧嘩する覚悟が必要ですが」
 昏い笑みを浮かべながら祭亜は宣言する。一同、押し黙った。日本語が通じていないメイも雰囲気を察して、困惑の表情を浮かべる。
 その時、着信音が鳴り響いた。嫌そうな顔をして祭亜が携帯情報端末を取り出す。
「もしもし。……はっ? ミスターX? 相変わらず、君はキ印な事を言っていますね……用件は?」
 どんな連絡なのか、祭亜の顔が強張っていった。携帯情報端末を仕舞うと、嘲笑を浮かべている。
「 ……どうした? 誰からだ?」
「 ―― 亜米利加合衆国大統領が、核ミサイル発射許可を出したそうです。目標は、ここ ―― 与那国島」
 正確には、海底より隆起し、新川鼻沖に浮上した台地 ―― ルルイェだそうだが。
「 ……1947年9月の『ポナペ作戦』失敗を覚えていないのでしょうかね?」(※註4)

 

■選択肢
Sp−01)那覇駐屯地/トリイの死守
Sp−02)コートニーの魚人へと反撃
Sp−03)八重島列島の防衛/支援を
Sp−04)クトゥルフ寝所に飛び込む
Sp−05)“月に吼えるモノ”に挑戦
Sp−06)落日/大罪者に天誅を下す
Sp−07)ルグラース分隊を滅殺する
Sp−FA)南西諸島の何処かで何かを


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 与那国島並びに八重島列島、更にキャンプ・コートニーでは強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、また死亡率も高いので注意されたし。
 なお現在、ルルイェのクトゥルフ寝所前にいる殻島暁准陸尉とナンシー・ワイアット一等兵は「この直後から戦闘を続行」させるか、それとも「一旦撤退して再攻撃」を行なうか選択出来る。
 戦闘続行を選んだ場合、増援は間に合わず、また功績消費による陳情要請獲得物はない。
 一時撤退後の再攻撃を選んだ場合、増援と合流や功績消費による陳情要請獲得物を使用出来るが、その間に敵もまた新たな戦力を増強していないとも限らないので注意する事。
 同様に、増援を希望する者は上記2名のうち1人でも戦闘続行を選択した場合は「決して間に合わない」ので、考慮しておいて欲しい。
 八木原祭亜二等陸士は基本的に周囲の多数意見に従う……が、誰も提案が無い場合は「ジョージ・ルグラース大尉を滅殺」に向かう危険性が高い。なお高位上級超常体(群神/魔王クラス〜)以上が有する『憑魔の強制侵蝕』能力を祭亜は相殺出来るが、数時間は戦力にならなくなる事を注意するように。

註1)ステイツの911……日本の110番に値する緊急番号。

註2)ナルカミ……「電撃ハイブースタ+氷結ハイブースタ+メ●ド系スキル」が正しい。

註3)『古事記』……波の穂より天の羅摩船に乗りて、鵝の皮を内剥に剥ぎて衣服にして、より来る神ありき。ここにその名を問はせども答へず、また所従の諸神に問はせども、皆「知らず。」と白しき。ここに谷蟆白しつらく、「こは崩彦ぞ必ず知りつらむ。」とまをしつれば、すなわち崩彦を召して問はす時に、「こは神産巣日神の御子、少名毘古那神ぞ。」と答へ白しき。

註4)ポナペ作戦……オーガスト・ダーレス『永劫の探求』より。更にロバート・ブロック『アーカム計画』も読むと、なお面白い。


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