第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・砂海神殿』 第4回 〜 沖縄:南極


Sp4『 The missed chance to win 』

 滑りを帯びた皮膚に、蛙とも魚とも取れる異様な頭部。そして水掻きの付いた手足。何処から沸いて出てくるのか、無数のディープワンが徐々に包囲を狭めて来る。ルルイェ上部のテラス中央に在る巨大な墓所にも似た石造りの神殿を前に、神州結界維持部隊(日本国自衛隊)西部方面隊第1混成団第14特務小隊と、亜米利加合衆国海軍・海兵隊第31海外遠征隊第3武装偵察大隊(Force Reconnaissance)ルルイェ突入分隊のメンバー達は奥歯を噛み締めていた。ルルイェの主である極大型最高位最上級超常体である海神龍 クトゥルフ[――]が放った〈狂氣の波動〉から何とか立ち上がったものの、ここに到るまでの負傷もあり、神殿への突入は心許無い。
「 ―― こんな最悪の場所で、最悪の男と、最悪の死に方をするなんて……。冗談じゃないわ!!」
「褒めるな ―― 照れるから」
 ナンシー・ワイアット(―・―)海兵隊一等兵の叫びに、軽口を叩きながらも壱肆特務小隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉は内心で舌打ちをする。殻島自身は危機に無頓着になりがちではあるが……
「……損耗とかを考えると撤退もやむねぇかな。海兵隊のねーちゃん、それとも逝くか?」
 No!という激しい拒絶の返事に、殻島は唇の端を吊り上げた。
「撤退 ―― 兎に角、逃げるぞ! 金城、誘導しろ!」
 殻島の命令に、金城・仙一[かなぐすく・せんいち]一等陸士が応えた同時に、M16A1閃光音響手榴弾が放り投げられた。
「 ―― 対ショック、対閃光防御!」
「……耳を塞いで、目を瞑るだけじゃないですか」
 茶化す 邑井・郡次[むらい・ぐんじ]一等陸士の背にさりげなく蹴りを入れてから、殻島は駆け出す。更にナンシーが霧を発生させると、閃光と衝撃音で感覚を麻痺させられたディープワンズは右往左往するだけだ。氣を探って金城が脱出路を先導し、死に物狂いで撤退に成功した。

 頬杖を付きながら、戦闘糧食I型(缶飯)No.1の乾パンを口に放り込むと、
「 ―― 恥ずかしながら帰って参りました」
「いや。全然、恥ずかしそうにしているように見えないし。むしろ胸を張っている気が。……というか、その言葉、先人に対して申し訳無くないか?」
 オレンジスプレッドに口を付ける殻島に対して、第1混成団音楽隊第140組長にして超神戦隊『 Great Old Ones 』“真紅の炎”オールド・フレイムこと 炎・竜司(ほむら・たつし)陸士長が突っ込みを入れる。だが殻島は悪びれずに、
「横井庄一さん(※註1)には一応敬意を払っておくが……俺が使ってもあながち間違ってはいねぇ。まぁ『 何とかしてやる 』って意気込んで突入しておきながら、未だクトゥルフを殺せず、一時とはいえ撤退しているんだから、恥ずかしいったら恥ずかしいよなぁ」
 唇の端を歪ませて、殻島は笑う。竜司も責めるつもりは毛頭無い。光るような白い歯を見せて笑い、壱肆特務を労う。
 結界維持部隊が宿営地にしている旧アヤミハビル館。少なからず出ている壱肆特務の負傷者を手当てすべく、応急処置や医療技術に長けている、笹本・珠美[ささもと・たまみ]二等陸士は引っ張りだこだ。珠美の指示で、他のWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)が包帯や軟膏を手に走り回っている。何故か メイ・メイスフィールド(―・―)陸軍二等兵も巻き込まれているのは御愛嬌だろう。
「……くっ。あいつら、俺を差し置いて女子に甘えやがって……こんな時、自分の丈夫さが恨めしい」
「それだけ軽口が言えるなら、確かに殻島准尉に手当ては必要無いな。それとも俺が看てやろうか?」
 第1混成団第1433班甲組長、松永・一臣(まつなが・かずおみ)陸士長が呆れ顔で言うと、殻島は御免被ると手を振った。そして真面目な顔付きになると、
「お前達からの報告は理解した。今は姿を見せてないようだが、封印されていた神は無事解放されたか」
 与那国島に封印されていた神、少名毘古那[すくなびこな]は神女(ノロ)である第1混成団第1432班乙組長、小島・真琴(こじま・まこと)陸士長達や、巫女(ユタ)となったメイによって解放された。
 だが力を発揮するには、現在、ルルイェに注がれている龍脈の流れを正すだけでなく、占拠している“ 月に吼えるモノ(ハウリング・トゥ・ザ・ムーン[――]) ”を打ち倒して龍穴(パワースポット)であるティンダハナを奪還しなければならないという。
 障害はクトゥルフと“ 月に吼えるモノ ”―― そしてリーコン小隊長の ジョージ・ルグラース[―・―]海兵隊大尉だ。殻島、並びに 八木原・祭亜[やぎはら・さいあ]二等陸士言葉によると、ルグラースの正体は“ 処罰の七天使 ”の1柱。神州を支配する為にティンダハナを強奪し、自分側の超常体を引寄せる事が目的らしい。
 殻島は顎に手をやり、考える素振りをすると、
「……一時撤退を選択したものの、時間的な余裕がまるでねぇな。クトゥルフを倒せたら急いで取って返そうかと思うが ―― こちらが片を付けた直後に“ 月に吼えるモノ ”を攻略、そのまま龍脈を確保されてしまうのが最悪のパターンだ」
 負傷者の手当てに奔走しているWAC達を見遣ってから、松永と竜司を向き直ると、殻島は犬歯を剥き出しにして笑う。
「仕方ねぇ ―― お前達の活躍に期待するぜ」
「……何か、上官らしい物言いだなぁ」
「おいおい。俺は懲罰部隊を率いているが、階級は紛れもなく上官……だったと思うぜ? 確か」
「 ―― 何故に疑問形!?」
 竜司の言葉に笑い合う、男共3人。松永は真面目な顔に戻すと、
「大丈夫だ。戦力不足を解消する為に、火力を整えた上で部下を呼び寄せている ―― 着たようだ」
 旧アヤミハビル館の外、96式装輪装甲車クーガーが停車する。M2重機関銃キャリバー50に張り付いていた 笹本・亜由美[ささもと・あゆみ]二等陸士が安堵の息を漏らし、操縦していた 笹本・清美[ささもと・きよみ]二等陸士が降りる否や、出迎える真琴に抱き付いた。
「 ―― 真琴おねぇさま 〜 道中怖かったです」
「はいはい。それはそれとしてドサクサに紛れて変なところは触らないように。……亜由美ちゃんも物欲しそうな目で見ないでね」
 真琴は2人を窘めながら、島に到着して早々の遣り取りを思い出す。幸い、過ちは無かったとは言え、猛る笹本三姉妹のアレを鎮める為に行った事を思い出し、赤面してしまう。3人の裸体はとても官能的で美しく、線が細い割に豊満な体を持ち、アレも恐らく並みの男性以上の大きさを持っていた……かも知れない。
 頭を振って妄想を払うと、努めて冷静に、
「……もう。君達は警務に捕まりたいの?」
「あぅぅ〜ごめんなさいぃ」
 土下座して靴を舐めろと言われれば素直に従いそうな程の笹本姉妹に、真琴は大きく溜息を吐く。
( 少名毘古那からも『女福?の相が出ている。……序に女難?の相も出ているぞ』と言われたしなぁ )
 色々と悩む真琴の心中を知らず、亜由美が報告。
「 ―― リーコン第3分隊も武装を整え直す必要があるというので、遅れて再合流するとの事です」
「出迎えは不要かな? それでも要請があった時は、清美ちゃん、またお願いね」
「任せて下さい、真琴おねぇさま! もう与那国の悪路といえども大丈夫です!」
 さておき、クーガーから降車した松永の部下達が到着の報告をする。また運び出されていく武器の数々。
「またハチヨン。―― 好きですね、殻島准尉」
 メイの手を引っ張って連れ回す祭亜が補充された武器弾薬・物資を見て感想を述べてきた。なお口では文句を垂れているが、メイは無理に祭亜を振り解かず、逆に連れ回したりもしている。メイと祭亜を眺めていた殻島が、意味ありげに唇の端を歪ませて笑うと、
『 べ、別に、祭亜といると楽しいって訳じゃないんだから。ほら、あんた達、英語が喋れるとはいえ、やっぱり通訳があると心強いし。そ、それだけよ!』
「あー。ツンデレ、ツンデレ。……それはそれとして、やっぱハチヨンだよなぁ」
 追加で要請した84mm無反動砲カール・グスタフを担ぐ。松永達、第1433班甲組もカール・グスタフだけでなくFN5.56mm機関銃MINIMIを要請し、火力上昇を狙っていた。対して『 Great Old Ones 』は……。
「ジャングルマシェットにククリナイフ、それから……カタールですか。先輩もマニアックですね」
 配られていく白兵戦武器を見ての祭亜の感想。だが竜司は立てた人差し指を小気味良く左右に振ると、
「カタールは違うぞ、ジャマダハル。……カタールとは本来ショートソードの一種であって、このような誤解が生じたのは、歴史書『 アーイーネ・アクバリー 』でカタールとジャマダハルの挿絵が取り違えられていた為なんだ」
「へー。先輩、物知りですね。ボクなんてずっと間違えて覚えていました」
 何処からか取り出したのか、富●見ド●ゴンブックの『 アイ●ム・コ●クション 』の挿絵を見ながら、しきりに祭亜が感心して見せた。
「全員には行き渡っていませんけど……」
「ああ、俺は銃剣で、オールド・アースは大円ぴだ」
 携行用の折り畳み式スコップを小円ぴ、土木作業用の直状型ショベルを大円ぴという。使い古された円ぴは最も使い勝手の良い白兵戦武器であり、切る・叩く・突く・弾くといった様々な戦闘用法が可能(※なお個人の感想であり、効用の説明ではない)。
「素晴らしい! 素晴らしいですよ、先輩! そしてオールド・アースさん! 是非にも円ぴの良さを知らしめてやって下さい! ―― ビバ、円ぴ!」
 何故か興奮する祭亜に面食らい、“ 昏黄の地 ”オールド・アースと顔を見合わせてから、竜司は生返事。
「……さて、と。俺達クトゥルフぶっ殺し隊は海兵隊のねーちゃん達と再合流してから出発するが、お前等はニワトリ野郎にティンダハナ奪われないように準備が整い次第、作戦を開始しろ。―― じゃあ、期待を裏切るなよ?」
 殻島の言葉に敬礼を以って応じる。そこで苦笑。
「しかし……“ 怠惰 ”な俺が、何で上官風を吹かしているのかねぇ?」

*        *        *

 自衛隊の大型輸送回転翼機(ヘリコプター)CH-47JAチヌークから降ろされた武器弾薬・補給物資を受領するリーコン。要請していた火器類を確認して、ジョン・スミス(―・―)海兵隊伍長は満足気に頷いた。
「先日の威力偵察によりますと、“ 月に吼えるモノ ”は光と炎に弱い事が判りました。ここは複数の火炎系武器や魔人で取り囲んで燃やしてしまう事を提案致します。可能ならば、ナパームで焼くのも良いかも知れませんが」
 スミスの言葉に、ルグラースは頷くと、
「確かに。とはいえ炎の祝福を受けた兵士は多くない。また閃光手榴弾や焼夷手榴弾も限りある。包囲殲滅は難しいだろう。一応、手配はしたが……」
 さすがにティンダハナ攻撃分隊全員へ行き届かせる事は出来なかった。提案者であるスミスにしてもAN-M14焼夷手榴弾が回された訳ではない。だがスミスは焼夷手榴弾を上回る武器 ―― 火炎放射器を手にしていた。ルグラースは釘を刺しておく。
「くれぐれも取り扱いが難しい点を肝に銘じておいてくれ。……ボンベへの被弾に気を付けろ」
「Aye Aye, Sir!」
 武器弾薬の補充を受けたのはルルイェ突入分隊も同様だ。ナンシーは肩に負ったM249SAW分隊支援機関銃を然りと確かめる。
「キーン伍長、指示は宜しくお願いします」
 ナンシーの言葉に30代黒人男性兵士 ―― ジョゼフ・キーン[―・―]海兵隊伍長が黙って頷いた。寡黙なところが災いしてか部隊内では目立つ方ではない。だがスミスと同じく叩き上げのマリーンで、誰もが信頼を寄せている。ルルイェ突入分隊チーム・リーダー(班長)の1人として、分隊長(二等軍曹)の補佐を預かっていた。
 準備が進められていく中、ナンシーはルグラースに向き直る。敬礼をして、
「 ―― キャプテン(※海兵隊大尉)、聞けばネイビーが原潜を出航させ、大統領閣下が戦術核発射を許可している……とか」
 ルグラースは眉を潜めると、自然と声を小さくしてナンシーを逆に詰問してくる。
「増援として原潜が来るのは聞いていたが ―― 戦術核発射は誰から聞いた? 私は初耳だ」
 問われてみれば、ルグラースが知らなかったのも無理は無かった。核ミサイルが発射される事を聞けば、島外脱出希望者は必ず出る。だがリーコン隊員の多くは地獄のような与那国島で踏み止まる事を選んでいる。つまりルグラース以下、リーコン隊員は原潜出航の事実さえ掴んでいなかった、或いは報せられていなかったと言える。それが軍トップの判断による故意か、それとも連絡事故なのかは判断が難しいが。
「……自衛隊からです」
「 ―― おそらく最初に掴んだのは“ 落日 ”だろうな。忌々しいが奴等が流す情報には価値がある」
 信頼出来るかどうかはまた別の話だが、と悪態を吐いてからルグラースは唸った。
「 ―― 実のところ大統領閣下は傀儡に過ぎん。決定したのは……フェラー大統領補佐官だな。“ 堕ちた明星 ”め!」
 ルグラースが罵ると、ナンシーは眉を潜めた。米国人ならば知らぬ者は居ない。ルーク・フェラー[―・―]大統領補佐官とは、亜米利加経済の支配者にして影の大統領とも言われる金髪碧眼の白人男性だ。
「 ―― フェラー補佐官が裏で動いているのは間違いないだろう。だが……」
「はい。私が以前調べた記録によれば、ルルイェに対する極秘作戦が二度行われたと」
「ポナペ作戦と、アーカム計画。――ラヴクラフト・スクールのメンバーが娯楽小説として書き著しているが、それと似た作戦は実際に行われていた。……だが核攻撃を以ってしてもクトゥルフに致命傷を与えられなかったのは、ワイアット一等兵がルルイェに突入して実体験してきた通りだ」
「はい。奴は……『 そは永久に横たわる死者にあらねど、測り知れざる永劫のもとに死を越ゆるもの 』。少なくとも奴は健在です」
 突入した時の衝撃を思い出して、憑魔が疼いた。神殿の奥から寝息なのか、それとも動悸なのか、波打つ重低音が轟いて来たのを確かに覚えている。
「それにクトゥルフが封じられているという仮説を信じれば、ルルィエを破壊するのは解放する事になる可能性があります」
「……“ 堕ちた明星 ”の狙いはそれか? だが単純に“ 這い寄る混沌 ”の利になる事をするとは思えん。……何等かの取引が? 数ヶ月前、北海道の米陸軍キャンプが慌しくなったという噂は聞いた事があったが……」
 独り呟いていたルグラースは、ナンシーの怪訝な視線に気付いて、咳払いをした。呟きを心に留めておきながらも触れずに、ナンシーは意見を続けた。
「……クトゥルフに対する強攻は現有戦力では、確かに成功確率は低い作戦と言えるでしょう。ですが自衛隊の懲罰部隊には、人間性は最悪ですが ―― 少なくとも、その実力は計り知れない兵士がいます。……私は、その可能性に賭けてみたいと思います」
 ルグラースは険しい表情でナンシーを見詰めていたが、不意に顔を綻ばすと、
「 ―― 了解した。ワイアット一等兵が正規リーコン隊員でないのが惜しまれるな。君ならば直ぐにチーム・リーダーを任せられるようになるはずだ」
 ルグラースの言葉に、慌てて謙遜するナンシー。微笑みながら、
「核ミサイル発射に関しては、私のコネクションからも阻止……出来なくとも延期するよう働きかけよう。フェラー補佐官といえども、無視出来ない勢力がホワイトハウスには幾つか存在する。そのうちの1つに私が信頼する人物が居る。―― 必ず、延期させる」
 だが核ミサイル発射を阻止する為には、
「ルルイェ突入分隊の成功が必要不可欠だ……君達に祝福ある事を祈る」
「 ―― Aye Aye, Sir!」

*        *        *

 与那国空港跡から飛び立つチヌークへ通信士が指示を送る。E-767早期警戒管制機 ―― コールサイン『 ピノキオ 』は航空監視体制の強化を迫られていた。既に機長でもある戦術調整士官の第1混成団第101飛行隊・第7小隊長、西村・哲夫(にしむら・てつお)准空尉が行う航空監視体制だけではない。伊良部島のSBU(Special Boarding Unit:特別警備隊)飛行隊もまたF-4EJ改ファントムIIをいつでも緊急発進出来るよう待機していた。
「……さすがにクイナが撃墜された事に、危機感を募らせていますね」
 先日、満月の夜にクトゥルフが放った〈狂氣の波動〉によって人事不省に陥ったピノキオと、クイナこと哨戒機ロッキードP-3オライオン。状況把握が遅れた為に、ハンティング・ホラーの接近を許してクイナは撃墜された。以来、ピノキオ・メンバーの幾人は後ろめたい思いを引きずっている。何も手立てが無かったとはいえ、見捨てて逃げ出したのではないかという罪悪感だ。西村は重い息を吐いた。
( わたしにもう少し力があれば…… )
 機長席に身を深く沈め、一度瞑目する。そして額にもう1つの目 ―― もしくは点がある事を想像しながら意識を集中させていった。徐々に目を開いていき、航法士やセンサー操作士官の報告に耳を傾けながら、機外へと感覚を広げた。
 ―― 機体外部への憑魔能力使用データを収集。特にレーダー照準による攻撃が可能かどうか。記録によれば憑魔能力の遠隔発動は、最長200mの球形空間に及ぶ事が確認されている。ただし発動者の知覚・認識が及ぶ範囲までであり、通常は前方視界が発動空間となる。また200mの球形状といえども上空や地下、それほどの水深は無茶であり、また背面も難しい。更に障害物により視線を遮蔽しているものや、擬装で隠密下にある相手に対しても困難だ。結局、器官(眼・耳・鼻・舌・肌)で知覚された情報を、正しく頭脳で認識並びに分析処理し、そして意思を以って憑魔を支配しなければ能力発動は不可能と言えるだろう。
 逆に言えば、正しく情報を理解すれば、間接的な認識であろうとも、どんなに遠距離であろうとも、何が遮っていようとも、能力を発動出来る。もっとも条件が厳しくなるにつれ、命中率や威力が犠牲になるのは否めないが。
 ともあれ、西村は自身の能力が機外にまで働きかけられるだろう論理を得ていた。残るは実践であるが、こればかりは半身異化してみなければならない。それは侵蝕率を上げて、自身が人ならざるものに変わっていく恐怖との戦いだ。焦らずにイメージ・トレーニングを続けていくしかない。
 送られてくるデータには、クイナに代わる新しいオライオン『 ペンギン 』が海面下の哨戒任務を続行中という事を告げてくれている。海中に潜んでいる巨大なショゴスをいち早く見つけ出す事。それが役割だ。
( 二度と見殺しにはしない )
 そう決意すると、西村は顔を引き締めるのだった。

*        *        *

 本人は頬を膨らませて不機嫌さを強調しているようだが、傍から見る者には、そこがまた可愛らしく思える。新たに配属されてきた部下に、第1混成団第1433班乙組長、山之内・アリカ(やまのうち・―)陸士長は顔を綻ばせた。
「 ―― 元・第1432班甲組所属、松田信之介二等陸士。本日現時より第1433班へ配属になりました。宜しくお願い致します」
 中性的な顔立ちに、凹凸に乏しい肢体。癖の無い綺麗な黒髪を後頭部でくくって、ポニーテールとも髷とも取れる髪型。着流しを羽織り、腰に刀でも差していれば「少年剣士」という表現が似合うかも知れない。
 憮然とした表情のままだが、松田・信之介[まつだ・しんのすけ]はそれでも生来の性格で、真面目に敬礼してきた。
「ああん、もう♪ シンちゃんったら何て可愛いの! 班長もそう思うわよねぇん☆」
 アリカが同意を求めると、第1433班長は快く頷いてくれた。
「 ―― 銘苅小隊長。本当に第1433班がシンちゃんを貰っていいの?」
「それがしは、モノではありません!」
 抗議する信之介を無視して、第1403中隊第1小隊長、銘苅・昌喜[めかり・まさき]三等陸尉は、
「ああ、もうやる。好きに扱き使え。……というか第1432班甲組を編成し直して、再訓練を終えて、何とか形になったと安心すると……敵の襲撃で元の木阿弥になる」
 銘苅の呟き声は、次第に高が狂ったものに変わっていった。愛用しているM1911A1コルト・ガバメントを握り締めると、素の琉球弁で喚き散らす。
「わんや、なーくたんでぃたん……事務しくちは、なー止めだ。前線にんじーん。わんかいガバメント撃たせろ!(俺は、もう疲れた……事務仕事はもう止めだ。前線に出る。俺にガバメントを撃たせろ!)
「小隊長ってば、落ち着いてよねぇん。どうどう。勝っちゃん、お願い〜」
 アリカの懇願に軽く溜め息を吐いて、本田・勝正[ほんだ・かつまさ]一等陸士が銘苅を羽交い絞めにしようとする……が、あっさり振り払われて宙に舞った。某怪力無双少女が居る為に目立った事は無いが、銘苅も実は強力の持ち主だ。小隊本部や第1431班の男達も加わって、ようやく押し止まる。
「えー。小隊長の暴走はさておき。……第1433班乙組は、シンちゃんの編入を歓迎するわん♪」
 アリカの言葉に「ありがとうございます」と律儀に頭を下げる信之介。
「……残念だけど歓迎会は後になるわ。ごめんなさいね」
 いつもながらの爽やかな笑みを浮かべながらも、眼差しは真剣なものに変えるアリカ。銘苅や他班長達はパイプ椅子に腰を下ろして、続きを促した。
「先日の、満月の晩を体験してきた皆は解っていると思うけど……クトゥルフが目覚めてしまえば、さらに強力な〈狂氣の波動〉とともに、眷属達が攻め込んでくる事が予想されるわ」
「 ―― 松永達、与那国出向組がクトゥルフ退治を成功させる事を祈るしかない訳だが」
 第1431班長の呟き。だがアリカは意地悪く笑うと、
「カズちゃん達頼みという訳にも行かないわよ。いつまでも守勢に甘んじていてはジリ貧なだけ」
 アリカの言葉に、銘苅が深く頷いた。アリカは指でペンを回しながら、
「まぁカズちゃん達の成否に関わらず、いずれにしても敵の陸拠点であるコートニーを陥としておいた方が、防衛が容易になるわね。それに奪還したコートニーに配備する程の戦力がない場合でも少なくとも物資を確保する事は損にはならないわ。敵に使用された場合を考えると、コートニーの物資は最低でも使用不能にするべきであるよ」
「道理だな。……すると作戦目標は、1にクトゥルフ覚醒前にコートニーを奪還する事。2に敵司令官 ―― 魚の親分を撃破する事。3に物資を確保、状況によっては破壊する事。……以上で間違いないか?」
 銘苅の言葉に、アリカは微笑みで応えた。
「攻撃に転じるのは悪くない。ここにいる第1403中隊第1小隊が……まぁ松永と小島の組は与那国で、第1432班甲組は欠番なんだが……中心となるだろう。他にU.S.マリーンにも声を掛けておく」
「そうねぇん。古巣を取り戻したいと彼等も思っているでしょうし、何よりもキャンプへの侵入に協力は不可欠だわ。小隊長、話を付けてくれるかしら?」
 上官の仕事なんてこんなもんだとばかりに銘苅は苦笑すると、了解してくれた。アリカは満足気に笑うと、一同を見渡す。
「他にも協力者は募っていくけど、作戦目標はこんなものよ。質問は無いわね? ……では、あたし達で頑張ってコートニーを奪還しましょう!」
 アリカの檄に、第1403中隊第1小隊の面子が大きく頷いた。銘苅だけが独り苦笑する。
「……おい、山之内。それ、本来ならば小隊長である俺の台詞だぞ?」
 銘苅の呟きを受けて、笑いが巻き起こった。

*        *        *

 両肩を交互に上げ下げして、凝りをほぐす。水平線に太陽が昇るのを見届け、大きく背伸びをした。
「 ―― 速攻で行くぞ、野郎ども!」
「「「ハイホー、ハイホー、ヒーホー!!!」」」
 サンニヌ台から再び狂氣の空間を貫くトンネルを抜けて、ルルイェへと駆け出す。断続的なテラス状の地形を転げ落ちていく勢いで駆け抜けていく壱肆特務の後ろ姿に、ナンシーは軽い溜め息を吐く。
「……何が『 ハイホー、ヒーホー 』よ。マリーンの掛け声を茶化しているなんて気分が悪い」
 ナンシーの呟きを耳聡く聞き付けて、苦笑する分隊長。片手を上げると、士気向上と連帯感を高める為にライフルマンの信条を述べる。
「……お前達が信じていいのは神とステイツと海軍海兵隊上官、仲間だけだ。―― だが自分が究極に立った時に、最後に信じられるのは自分のライフル1挺だけだ(※註2)」
「「「 ―― Gang Ho, Gang Ho!!!」」」
 頼もしい分隊唱和が沸き起こる。突撃の合図に、リーコン第3分隊も壱肆特務に続いて駆け出した。前回の突入でディープワンズの戦い方も解ってきている。断崖や奇岩に隠れ潜み、海面を割って現われる魚人どもへと銃弾の雨を降らすリーコン。自然と歌を口ずさむ。
  ―― モンテスーマの戦いから
    トリポリ海浜の激戦まで
    空に、陸に、そして海に
    我等が正義と自由の為
    著戦を戦う、我等誇り高き
    亜米利加合衆国海兵隊
 声に合わせて、M249SAWが唸りを上げた。後ろから迫ってくるリーコンに負けじと、殻島も怒鳴る。
「くそっ。定番の『 星条旗よ永遠なれ 』でも歌うかと思いきや、海兵隊賛歌かよ。―― 邑井、対抗して俺達も何か歌え」
「……えぇと。『君が代』とか?」
「……それはまたシュールだな」
「……あ、アニキ! 超神戦隊『 Great Old Ones 』のテーマソングはどうだ? 仲宗根オバア作詞の」
「 ―― すまん。俺が悪かった」
 金城の提案に、殻島はウンザリした表情で返した。が、前方に現われた大型超常体の姿を確認して、眼に凶悪な光を宿す。犬歯を剥き出して笑う。
「前回バラバラにしたっていうのに、復活しやがったか、ハイドラ! それとも別の固体か!」
 殻島が吼えると同時に、邑井が一歩先んじて前に出る。両腕に電光をまとうと、
「……ですが怪人にしろ怪獣にしろ、再生して二度出の奴は弱いと相場が決まっています。……踊れ、雷の舞いを!」
 放たれた電光が再生し掛けのハイドラを襲う。千切れた触手が炭化して飛び散った。鼻息を鳴らして、邑井が縁無し伊達眼鏡の弦を中指で押し上げる。続いて殻島が左掌を向けると、襤褸屑になったハイドラを空間ごと握り潰した。
「よし、排除完了。―― ガンガン行くぜ!」
 ……前回の戦いで多くのディープワンを打ち倒していたお陰か、浮上した台地ルルイェに到着してもまだ時間や体力、そして精神状態にも幾分か余裕があった。だが本番はこれからだ。ユークリッド幾何学を無視した狂った曲率を描く線と形で構成されている、緑色がかかった黒色の泥土に覆われた岩塊を組んだ擁壁。そして無尽蔵に湧き出てくるディープワン。感覚を歪める雰囲気にも幾分耐性が付いた。また群がってくる魚人を機銃掃射や空間圧縮で排除していっているが、
「 ―― ゴキブリや鼠じゃねぇんだから、掃いても掃いても沸いて出るのは止めれぃ!」
 苛立った殻島が歯軋り。それでもルルイェ上部のテラス中央 ―― 巨大な墓所にも似た石造りの神殿を前にして、気を引き締める。奥から波打つ重低音に、ナンシーが顔を歪めた。動機か、それとも寝息か。重低音に合わせて大合唱が混じる。
   ふんぐるい むぐるなふ くとぅるふ
    るるいぇ うがぁなぐる ふたぐん
 体を蝕む激痛が湧き上がる。
 ―― 憑魔異常進行。強制侵蝕現象。
 だが脂汗を浮かべながらも、ナンシーは歯を噛み締めて踏み止まる。
「 ―― 満月時の〈狂氣の波動〉程じゃないわ!」
 殻島も荒い息を吐きながら、
「……上等。今度は小便漏らさなかったようだな。――って、こら。銃口を向けんな!」
 無言で突き付けたMarine Expeditionary Unitピストルを狙いから外して、ルルイェ周辺を渦巻いている海流をナンシーは探る。眉を寄せて、怪訝な表情を浮かべた。盗み見ていた殻島は鼻を鳴らす。
「……龍脈は水の流れじゃねぇよ。氣に近い。お前の氷水系じゃ探れないのは当然だ。―― 金城、やってくれ。……辛そうだな、大丈夫か?」
「 ―― 氣に直接関わる分、侵蝕にも強く影響されるからな。……大丈夫。やれるぜ、アニキ」
 強がって笑うと、スキンヘッド・マッチョは殻島の指示に従った。目の辺りが腫れ上がり、首両側の皮膚がしなび始めているのを見て、ナンシーは既視感を覚える。
( 彼と似たような男を何処かで…… )
 金城は89式5.56mm小銃BUDDYを構えると、壱肆特務の先導を務める。犬歯を剥き出して、怒りに満ちた殻島に、ナンシーは小声で尋ねた。
「もしかして彼は……」
「解っている ―― リーチが掛かりやがった。くそぅ」
 左拳を右掌に叩きつける。邑井が伊達眼鏡の弦を押し上げて、
「隊長の手を汚させません。いざという時は……」
「馬鹿野郎。―― 責任持って、部下の最後まで面倒見るのも隊長の務めだろうが」
 ……緊張と覚悟に、壱肆特務とリーコンは沈黙で神殿を進んだ。断続的に襲ってくるディープワンズを排除しつつ、奥深くに辿り着く。
「 ―― おいおい。溜まらんな、これは……」
「……Indeed, it is the fish of the devil.」
 目算でも身の丈300mは下らないだろう。類人的な外観をしているが、蛸に似た頭部が付いていた。鱗に覆われた緑のゴムのようにも見える体の背には、細長い羽が畳まれていた。アンバランスに巨大な腕には相応しい鉤爪があり、顔には触角が固まって密生している。――その姿を見て、誰からともなく乾いた笑いが沸き起こり、音が聞こえるほどに身体が大きく身震いする。妙な動悸が早鐘のように鳴り打ち、酸素を無くした鯉のように口を開け閉めするが、立ち続けていた者はまだ良い方だ。膝を屈し、腰を抜かしてうわ言を呟き出す者。最悪なのは自他共に認める豪傑揃いのマリーンですら狂乱の余りM4A1カービンライフルを何も無い空間に撃ち放つ者も居た事だ。そして、それを咄嗟に止められる者も居なかった。
 バラ撒かれた5.56mmNATOは呆然と立ち尽くしていた同僚を挽き肉に変え、また眠っているクトゥルフの肌に刺激を与える。血臭と、蚊に刺された程度の刺激に、閉じていたクトゥルフの目が薄く開かれる。触角が獲物を求めて蠢き始めた。
「 ―― 目覚めた?!」
「いや……未だ寝惚けているだけだ!」
 半開きになった目蓋から伺われる、腐ったような眼には、知性らしきものは宿っていなかった。だが本能か条件反射か、独自の意思を持っているかのように触角が襲ってくる。
「お前等、気合を入れ直せ! ―― 散開!」
 殻島の怒声と、ナンシーの悲鳴に、我に帰った者は触角から逃れるように展開して攻撃を開始する。だが小銃弾等はクトゥルフにとって豆鉄砲にすら感じられないのだろう。ゴム状の皮膚は容易く弾き返し、触覚の先に傷付ける事すら出来ない。
「下手にハチヨンでぶっ飛ばしたり、空間掌握したりすると……寝ている奴を起こしかねん。くそぅ!」
 ましてや相手は異形系だと思われ、注がれる龍脈もあり、その再生力は驚異的だ。せめて龍脈の流れを遮断し、核 ―― 心臓部を潰しておかない事には。
「……しかも心臓を取り出したぐらいじゃ死なねぇしな(※註3)」
 無軌道に繰り出される触角の薙ぎ払いを避けながら、舌打ちする殻島に、重い声が掛けられた。
「 ―― アニキ。これが最後の勤めになる。この世にムシャクシャして色々悪さしてきたが……あんたに拾われた最後は楽しかった。少しでも悪い事はやっておくもんだ」
「 ―― 他人様に迷惑掛けておいて、開き直るんじゃねえ。しかもそれを俺の所為にするな!」
 殻島の叱咤に、金城が子供のような顔をする。殻島は鼻を鳴らすと、
「……仲間の為に死んでみせる事こそが、俺達、懲罰部隊が唯一出来る贖罪方法だからな。―― やれ」
 殻島の言葉に、聞いていたナンシーが息を呑む。邑井が伊達眼鏡の弦を押し上げ、キーンが無言で十字を切った。金城は唇の端を歪めると、
「 ―― むん。龍脈が注がれるクトゥルフの核は……」
 ポージングをする金城のスキンヘッドに青筋が浮き上がり、次いで滑らかな光沢を持つ鱗状の皮膚と代わる。腫れ上がっていた目蓋から眼が飛び出て、逆に鼻と耳が削げ落ちる。水掻きの付いた手で指し示すと、真一文字に大きく開かれた口から言葉を紡ぎ出した。クトゥルフの狂氣に同調した結果だ。
『 ―― 核は喉元。触角が群生している箇所の奥深く』
「……解った。刑期を終えて釈放だ、お前は。俺達より一足先にシャバを楽しんできてくれ」
 背後に回った殻島が9mm機関拳銃エムナインを、金城だったモノの後頭部に突き付ける。
『 ―― 直ぐに来てくれよ? アニキ達にも好みの琉球美女を紹介してやるから 』
「残念だが、刑期が終わるには未だ早いぜ、俺は。……じゃあな」
 引鉄を絞ると発射された9mmパラペラムが脳漿を吹き飛ばした。倒れゆく金城に視線を落とさず、殻島はエムナインを仕舞うと両掌をクトゥルフへと向ける。
「 ―― 触角が邪魔だ。邑井、ねーちゃん。それから有象無象の役立たず共 ―― 何とかしろ。手伝え」
 邑井が電光をまとわせたのを見て、ナンシーは周囲の水分を凝固させる。大気中に浮かぶ氷の結晶に電撃が通り、
「マハジ●ダイン ―― リンケージ技〈鳴る神〉!」
 蠢いていた無数の触角が吹き飛ばされる。剥き出しになった喉元を視界に捉えて、殻島の指が空間を抉る。
「空間掌握 ―― 圧縮消滅!」
 ルルイェ全てに響き渡る絶叫が轟いた。半眼だったクトゥルフが完全に目覚め、怒りの火が点いている。だが殻島の右指は、不気味に躍動する緑色の肉塊を掴み出していた。左に握られるのはコブラの牙 ―― 殻島愛用のコンバットナイフ。
「……心臓を抉り出されて、切り刻まれ、潰されても死なないだろうが ―― それでも龍脈の流れを断つ事が出来るんだよ!」
 心臓に突き立てられた王蛇の牙。再び台地を揺れ動かす叫びが上がる。暴れ回るクトゥルフを抑えるように強力な風が吹き始めた。睨み付けるキーンが両腕を広げて、嵐を巻き起こす。怒りと憎しみを込めてナンシーが冷気を放つ。風は雪と氷を孕み、大寒波となってクトゥルフを凍えさせていった!
「 ―― 殺るぞ、お前等! 自衛隊と海兵隊の仲良しパーティーだ。撃ちまくれっ!」
 ナンシーとキーンによる大吹雪で、再生速度と動きが鈍ったクトゥルフに銃弾やHEAT対戦車榴弾FFV551、電撃、手榴弾を叩き込んでいく。
「 ―― もう一度、眠りに付け。永遠の!」
「…… To the resting and eternal sleep.」
 殻島と、ナンシーの攻撃がクトゥルフの巨体を粉々にした。クトゥルフが消滅して直ぐに、感傷する間も与えず、ルルイェが鳴動を始める。
「 ―― 最後まで悪の本拠地らしいじゃねぇか。ボスが倒れたら、沈むとか爆発するのは定石だな」
「……ふざけた事を言っていないで、撤退よ。海底深くに沈むまでに脱出しないと」
「ああ、俺。ちゃんと潜水用具一式揃えているから平気なんだわ。小型酸素ボンベもあるし」
「そういう事を言っている場合じゃないわよ」
 叱咤するナンシーに合図を送ると、リーコン分隊長は撤退の指示を出しながらM4A1を構えて走り出した。リーコンは撤退中も邪魔なディープワンズを撃ちのめすのを忘れない。我先にと壱肆特務も続く。
「 ―― 解せないのは、キーン伍長とワイアット一等兵の合体技です。何故に必殺技名を叫びませんか!」
「……あなたの脳はビデオゲームのやりすぎで腐っているんじゃないのかしら」
 憤慨する邑井が喚くのに、ナンシーがこめかみに青筋を立てながらも冷たく反論する。キーンは黙っているが、口元は笑っているようだった。
 サンニヌ台に全力疾走で辿り着いたのは、もう深夜だった。完全に海底へと帰っていったルルイェの方へと一同振り返る。敬礼を捧げると、
「 ―― 亡くなった戦友達に、黙祷!」
 殻島は横を向いて頬を掻く。
「 ―― さて。此方は片付けた。あいつ等の方は……何だ!?」
 胸ポケットに仕舞っていた“ 銀の鍵 ”が鳴動する。血が滾り、沸き立つ感じ。しかし脳には分泌液が満たされ、思考が妙に冷めていっている。心の奥底で愛しさと、憎しみとが合い混じる。極一部の魔人特有の“ 憑魔共振 ”作用が、殻島を襲っていた。
「……“ 七つの大罪 ”? ―― いや、“ 処罰の七天使 ”か! まさか龍穴を奪われたんじゃねぇだろうな」

*        *        *

 ティンダバナ攻略分隊が作戦を開始したのは、ルルイェ分隊が行動したのと、ほぼ同じくする。鬱蒼と生い茂る下草を切り開き、姿を見せたムーンビーストを射撃する。もはや隠密に行動し、敵地に接近するという訳には行かなくなったようだ。
「キャプテン ―― 三時方向に奇妙な陰が。待ち伏せです」
 操氣系でなくとも長年の経験の技術から、敵が隠れ潜んでいる場所に見当が付く。リードトラッカーとして隊の前方偵察を務めるスミスの指摘に、リーコン隊員はM203 40mmグレネードランチャーを叩き込み、焙り出されてきたスター・ヴァンパイアを5.56mmNATOで蜂の巣にした。昼間とはいえ視界が悪い、ティンダバナ周辺は常闇の領域。狂気と混沌が蠢く、悪夢に侵された地。異形のモノが隠れ潜むには都合が良い。スミスは顔を引き締めると、慎重かつ迅速にリーコンを導くのだった。

 リーコン分隊の後を、隠れ潜みながら尾ける集団。視界が50mもない薄暗闇と、高さ3mも達する下草が、目に痛いような五原色ですら隠してくれている。
「……あ、先輩。もう少し後ろに下がって。その位置だと敵に気付かれます」
『 ―― 祭亜。二時方向の5歩程先に窪みがあるわ。遮蔽に適した感じの茂みもある。部隊を其方に』
 氣で隠れ潜む敵を探り出す祭亜に、素早く先行して安全を確認するメイ。息の合った2人の誘導。そして松永が可視光線を操り、全体を擬装する。敵超常体にもリーコンにも発見されずに『 Great Old Ones 』と第1433甲組、第1432班乙組 ―― 仮称『天使滅殺隊』はティンダハナへ無事に辿り着いていた。
 先行しているルグラース達に焦燥感を募らせる祭亜だったが、皆で説得して漁夫の利狙いを提案・実行したのである。
『 ……当然“ 月に吼えるモノ ”を倒した後の好機を狙って攻撃を仕掛けるべきだな。ルグラース大尉が敵を倒した後であるならば相手を連戦に追い込める。だが倒す前であるなら、此方が連戦を強要される事になるからだ。攻撃目標はルグラース大尉であり、彼さえ倒せば龍穴の支配が出来なくなるんだから 』
 竜司の言葉に、松永も激しく同意。
『 そもそも先に“ 月に吼えるモノ ”に仕掛けた結果、ルグラース分隊と挟み撃ちに合いましたという状況は避けたい。そして炎の言う通り、戦力を消耗するのは得策ではない。確実を期する為に可能であれば、双方を争わせた上で戦力を消耗させた所を強襲する事を提案するのは当然の帰結だ 』
 そして松永は愛用の対人狙撃銃レミントンM24を構えて見せると、
『 ―― 無論、先にティンダハナを奪回される危険性はある。だが少なくとも後方を警戒しつつ戦闘する可能性は少なくなる利点がある。またルグラースを全力で狙撃出来る可能性も出てくる訳だ 』
『 ……真琴ちゃんも同意?』
 促されて、真琴も頷いた。
『 ルグラース分隊が“ 月に吼えるモノ ”を攻撃し倒しきる直前、もしくは撤退するところで襲い掛かるのが一番かと』
 さすがに絶好の機会を図るには、敵に気付かれる事無く付かず離れずの状態が望ましい。クーガーでの移動は無理と判断され、キャリバー50のみを取り外し、車体は旧アヤミハビル館の土中に半ば埋まった状態で隠蔽されている。
『 ……えーと。メイちゃん 』
『 あたしも同意見よ。とりあえず最初はルグラース分隊に“ 月に吼えるモノ ”への対処をさせておいて、勝敗が決まりそうなところで攻撃を仕掛けるのがいいかな、と 』
『 ……意外と皆さん、姑息ですよね 』
 呆れたような、感心したような口調の祭亜に、メイが噛み付いた。
『 な、何よ。だってしょうがないじゃない。こっちはただの人間なんだからね! あんな化け物どもと正面きって戦うなんて冗談じゃないわよ。ルグラースも人間じゃないってんなら……あいつらと同じ化け物だってんなら遠慮しなくていいしね 』
 腕組みをして吐き捨てる。超常体の出現で、運命を憎むのは彼女も一緒だ。
『 ―― ルグラースも今は正体を隠しているみたいだけど……敗色が強くなったら、さすがに正体現して応戦するんじゃないかしら? ルグラースが“ 処罰の七天使 ”のうちの何モノかも判明して万々歳じゃない 』
『 ……見た目に分かる天使化してくれれば、後が楽なんだがな 』
 メイの言葉に、竜司が苦笑しながらも相槌を打つ。
『 ―― ふん、お偉い天使様が何だってのよ。あたしら人間を助けてくれない神なんてクソ喰らえだわ 』
「……我々も、古き神の名を名乗っているぞ? 混合団長の趣味でなっ」
 メイに聞こえないように日本語で呟く、竜司。多少投げ遣りに聞こえるのは気の所為か。祭亜は溜め息を吐いて諸手を挙げる。
『 ……はい、はい。では先に攻撃させて、好機到来とばかりに横取りする ―― 良いんですね、皆さん、それで? ボクに付き合って下手をしますと亜米利加合衆国と喧嘩になりますよ?』
 祭亜の言葉に、何を今更と一同は不敵な笑みで返した。メイがそっぽを向いて、
『 べ、別に祭亜の意見を優先させた訳じゃないんだから。勘違いしないでよね!』
 こうして天使滅殺隊は密かにリーコン分隊を監視下において行動している訳だが。……説得状況を思い出したのか、祭亜は頬を染めて時折笑う。その度に顔を真っ赤にしたメイが祭亜の頬を摘んだ。
『 弛んだ顔を引き締めて、しっかり氣を配りなさいよねっ! ―― 来たッ!』
 メイの言葉に、祭亜だけでなく皆が顔を引き締めた。リーコンが銃口を向ける先 ―― 闇の深奥より何かが蠢いてくるのを感じ取れたからだ。嫌らしく耳障りな吹奏楽器のような音が響き渡ってくる。囁くような含み笑いが周囲に沸き起こり、樹木の枝や蔓にムーンビーストがぶら下がり、跳ね回っていた。そしてシャンタクバードの轟くような鳴き声。
「 ―― 選曲、林原めぐみ『Reflection』」
 祭亜の氣が膨れ上がった。だがルグラースに気付かれる事は無い。何故なら這い寄って来た、闇よりもなお濃い黒い塊が吼え声を上げたからだ。
 憑魔が悲鳴を上げるが、祭亜の氣が相殺してくれた。そして意識を失った祭亜が膝を崩して地面に接吻する前に、メイが支える。息が荒いが、大事は無い……と思う。手信号で竜司が各自準備するよう指示し、松永がレミントンM24の照準眼鏡を覗いてルグラースに合わせた。
 天使滅殺隊が見守る中で、リーコン分隊は“ 月に吼えるモノ ”との交戦を開始した。M16A1閃光手榴弾が投擲されて“ 月に吼えるモノ ”が怒りの叫びを上げる。鉤爪の付いた手のような器官が振り回されて、M249SAWを構えていた隊員を薙ぎ払う。鉛玉を恐れないのか、吹奏楽器のような器官を加えた不定形の怪物が“ 月に吼えるモノ ”に続いて闇から襲い掛かってきた。スミスは同僚の援護を受けて、火炎放射器で迎え撃つ。肉が焼ける音が耳に、臭いが鼻に、煙が目につく。
『 ―― 爆薬を投げろ!』
 怒号の中、焼夷手榴弾が“ 月に吼えるモノ ”に集中投擲された。炸薬で撒かれたテルミットが“ 月に吼えるモノ ”の肉片を焼く。のた打ち回る“ 月に吼えるモノ ”の顔の代わりに付いている長い触手が、鋭い槍と化して隊員達を貫いていった。返り血に染まった触手がルグラースにも迫る。
「 ―― キャプテン!」
 だが確かに貫かれたと思ったルグラースは、瞬時にして“ 跳んで ”いる。“ 月に吼えるモノ ”を睨みつつ、聖句を呟くと掌を頭上に掲げた。
「 ―― Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus, Deus Sabaoth. Pleni sunt caeli et terra gloria tua.」
 ―― 光が生まれ、そして爆発が起こった。超常体が“ この世界 ”に出現する際に生じる空間歪曲現象。轟音と共に周囲の物体を吹き飛ばし、消失した空間と入れ替わるようにして忽然と姿を現すのは、数体の有翼人身超常体 ―― エンジェルスとアルカンジェルス。宗教色強いその姿形だが、習性は冷酷にして獰猛。少なくとも助けを求める人々に対し、救いをもたらしてくれたという報告は皆無である。
 そして現われたのはエンジェルスやアルカンジェルスだけではない。群れの中心に立っているのは、青黒く輝く3対の光翼を背にしたルグラース。朗々と読み上げる。
『 ……巻き物を開いて、封印を解くのに相応しい者は誰か。―― そはユダ族から出た獅子、ダビデの根。貴方は巻き物を受け取って、その封印を解くのに相応しい方です。貴方は屠られて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神の為に人々を贖い、私達の神の為に、この人々を王国とし、祭祀とされました。彼等は地上を治めるのです 』
 ―― 屠られた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるのに相応しい方です ――。
『 御座に坐る方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように! ―― Amen!』
 合唱が轟いた。エンジェルスから放たれた光が、“ 月に吼えるモノ ”を拘束する。ルグラースの変容に一瞬でも戸惑ったスミスだが、
『 ―― 止めだ!』
 一片の細胞すらも残しておかぬ覚悟で踏み出すと、“ 月に吼えるモノ ”にスミスは背負ったボンベが空になるまで炎を浴びせ続けた。焼け爛れていく“ 月に吼えるモノ ”は、ついに黒い染みとして地面に溶けていく。浄化というつもりは無いが、閃光手榴弾のピンを抜いた……。

 エンジェルスとアルカンジェルスを従え、6つの光翼を広げるモノは、ティンダバナの奥へと一歩を踏み出そうとしていた。だがスミスが立ちはだかる。ルグラースだったモノはいぶかしむ表情をすると、
『 ―― スミス伍長。そこを退いてくれないか? “ 月に吼えるモノ ”が完全に消滅していない恐れもある。何よりパワースポットを確保しなくては』
 だがスミスは苦笑を以って応える。
『 ……『 銃声とは神への祈り、闘争とは神への供物、我らがアメリカは神権国家なり、米兵とは神の先兵なり 』―― 教練所の庭で教官からそう習ったものですが…… 』
 ボンベが空になった火炎放射器を放り捨て、代わりにM4A1カービンを構える。
『 ……勝利宣言は、神との盟約に従い“ 闘争の終結 ”をもってなされるべきかと思います。人の子として、神との宗教的契約に従い、闘争の開始を宣言します 』
『 スミス伍長 ―― その言葉は驕りというものだ。君は悪魔に誘惑されて“ 傲慢 ”という罪に塗れようとしている 』
 ルグラースだったモノの苛立つような声に、だがスミスは敢然と立ち向かう。周囲の同僚へと呼び掛けるように声を張り上げた。
『 ―― 神との契約に従いて、人の統治を望むならば私と共に銃を取れ。神の統治を望むならばキャプテンに従うが良い!』
 だが答えは銃声を以って返された。幸いに掠っただけだが、肩に走った熱と痛みに騎兵銃を取り落とす。スミスを囲むのは見知ったリーコン隊員ではなかった。錫状のような物を手にした双翼のプリンシパリティと、鎧と見紛う外骨格に覆われたパワー。
『 …… 残念だ、スミス伍長。ヨハネ(John)と名を同じくする者よ。君が“ 洗礼 ”を受け、皆を導いてくれる事を祈っていたのだが。―― だが君は悪魔に誘惑された罪悪人と判った。もはや処罰するのみ 』
 ルグラースだったモノは聖書の一節を諳んじる。聖マタイ福音書第4章。
『 ……『 あなたの神である主を試みてはならない。』……引き下がれ、サタン。『 あなたの神である主を拝み、主にだけに仕えよ。』―― 君が言う契約とは、愚かな人が悪魔の誘惑と知らず説いた物、偽りの契約だ! 罪悪人ジョン・スミス! “ ”の御遣いとして君を処罰する!』
 青黒い光を放っていた翼がより強い輝きを見せ、スミスを包もうとした。―― その時、甲高い音を引く銃声に“ 処罰の七天使 ”が1柱、“ 神の災い(マカティエル[――]) ”が大きくのけぞる ―― 狙撃! また間を入れずに12.7mmブローニングの弾雨が天使の群れに降り注いだ。怒声を上げて五原色の塊が突っ込んでくる姿に、スミスは安堵するとともに緊張の糸が切れたのか意識を失った。マカティエルが顔をしかめる。
「 ――“ 落日 ”か!」
 青黒い翼が広げられた。松永はレミントンM42で続けて狙い撃つが命中したのは1発だけ。続く2発目からはマカティエルを避けるように弾道が曲がる。
「……空間を捻じ曲げているのか」
 マカティエルには銃撃が効かないと判断して、松永は狙いを変える。カマイタチを放つプリンシパリティの頭蓋を貫いた。メイもM16A2アサルトライフルを構えると、第1433班甲組に合わせて一斉射撃を行う。さらにMINIMIでプリンシパリティを薙ぎ払い、84mmHEAT弾が命中してパワーを打ちのめす。
「よし、白兵戦に持ち込んだ! そのまま支援射撃に移行してくれ! 周りの天使がうっとおしい」
 竜司の叫びに、撃ち尽くしたBUDDYの代わりに特注戦鎚『 鬼殺丸 』を握った真琴は、
「 ―― 亜由美ちゃん、弾幕を張り続けてエンジェルスやアルカンジェルを掃射! 珠美ちゃん、装填と銃身交換! 清美ちゃん、空からの接近を許さないで!」
「「「 ―― はいっ、真琴おねぇさま!!!」」」
 白兵戦に持ち込まれては、リーコン隊員であった名残の騎兵銃は同士討ちになる可能性がある。天使群はM7バヨネットを抜いたり、氣で武器を作り出したりして応戦してくる。ジャマダハルが刺し貫き、ジャングルマシェットが薙ぎ払う。ククリナイフが、パワーが手にしていたバヨネットと噛み合って膠着したところを、回り込んでいたオールド・アースが大円ぴを振るって打ち倒した。
 銃剣を装着したBUDDYを構えて、竜司がマカティエルに迫る。巧みなフットワークで詰め寄ると、松永の狙撃を受けた箇所へと集中的に打突を放った。傷の痛みに動きが鈍っているのか、マカティエルは防戦一方。弾道を曲げた能力も接近戦では使えないようだ。更に接敵した真琴が鬼殺丸を振るう。掠めもしないのに羽根が舞い散る勢いに、マカティエルの顔が蒼褪めた。
「……やむえん! ―― 『 そこで、第一の御使いが出て行き、鉢を地に向けてぶちまけた。すると、獣の刻印を受けている人々と、獣の像を拝む人々に、悪性のはれものができた 』」
 ヨハネ黙示録16章2節。聖句を朗じると、青黒い輝きが竜司と真琴を包む。妙な動悸が起こり、脂汗が流れる。激しく咳き込み、喀血した。
「 ―― 状況、ガス!」
 細菌兵器か、化学兵器か。体内で毒を作成出来るのは……。
「 ―― 異形系か、マカティエルは!」
 慌てて防護マスク4型を取り出して装着する。だがオールド・アースが間に合わず毒を吸い込んでしまったところを、パワーの操氣剣に両断された。
「 ――ッ!」
 初めての仲間の死に衝撃を受ける竜司。鬼殺丸でマカティエルを殴り付ける真琴も、少なからず吸った毒の影響で先程までの力は出ない。
 勿論、竜司と真琴の攻撃に、マカティエルもただでは済んでいなかった。全身に打撲や刺し傷を受けて、苦しそうな表情を浮かべている。もはや先にどちらが倒れてもおかしくない状況だった。―― 時間が勝敗を決める。
 その時間を狂わせたのは、いつの間にか奥から這いずり出てきていた、1つの闇の欠片だった。誰にも気付かれる事無く戦場の真ん中に滲み出た闇は、突如、膨れ上がって爆発する。飛び散る無数の肉片は触手となって周囲に放射。先端を鋭利な爪に変えて天使や人間も差別無く刺し貫いていく。それらは白兵戦闘を行っていた者だけでなく、遠距離から銃撃している者まで及んだ。咄嗟に松永が閃光を放った御蔭で、触手が怯み、第1433班甲組は凶爪から免れた。しかし、
「 ―― 清美ちゃん!」
 自らも受けた痛みを忘れて、真琴が叫ぶ。触手の1つが対空射撃を行っていた清美の胸元に吸い込まれていくように見えたからだ。―― だが、
「……えっ?」
「 ―― ドジッてしまいました、てへ★」
 いつの間にか立ち上がっていた祭亜が清美の盾となって触手に刺し貫かれていた。珠美がベルトリンクを投げ捨て、慌てて傷口を診る。貫かれた腹部は ―― 致命傷だった。重要な内臓器官が損なっているのは誰の目にも明らかだった。
「ど、どーしてですか。私達の事嫌っていたんじゃ」
「……嫌いだけどさ。兇悪な氣に当てられて、目を開けたら、ついね……」
 微笑む祭亜。メイが泣き叫んで、祭亜を抱きしめようとするのを松永が押さえた。傷口の大きさと深さにしては出血が少ない。恐らく文字通り氣力で、死の到来を遅めているのだろう。だが時間の問題だ。
 マカティエルと天使群も空に舞い上がって、戦場から大きく引いた。中央に在る闇の塊を睨み付ける。
「 ――“ 月に吼えるモノ ”。やはり肉片がどこかに隠されていたか!」
 ―― 敵が来ると判っていて、核を隠さぬほど愚かでは無いよ、キャプテン・ルグラース ――
 何処からとも無く声が聞こえ、脳裏に響いた。全てを嘲笑い、吼える声だ。
 ―― 君達が一致団結して、僕を集中攻撃してくるのが一番怖かったのだが……ふふふ。どうやら“ 白痴の ”アザトースはこの展開を望んだらしい。素晴らしい。痛み分けのようだね ――
 ―― さて。どうやら、クトゥルフはまたもや眠りに付いたようだ。……残念だよ。ここまで来るのに20年近く掛けたのだがね ――
 ―― ただ、龍脈の流れが元に戻された事は、僕の再生に繋がる。何が幸いするか解らないものだ ――
 ―― 見たまえ、龍脈の流れが注ぎ込まれて再生した僕を ――
 闇が膨れ上がり、形を成していった。3本足の狂い神。先程よりも、より巨きく、より禍々しくなった姿。
「「 ―― 撤退だ!」」
 どちらともなく引き上げの合図が出た。マカティエルと天使群は西へ飛び立つ。気絶したままのスミスや遺体を抱えると、天使滅殺隊は東へと退いた。

*        *        *

 センサー操作士官の報告に焦りを覚えてから、数時間経つ。与那国 ―― ティンダハナ付近上空に、多数の有翼人型超常体が出現する事を確認。暫くして敵は西の久部良へと移動したが、島内で活動中の陸自との音信不通なのが気になった。空港跡を守備する海兵隊からは、支離滅裂な答えしか返って来ていない。
( 何が起きているのですか……? )
 西村は冷静を努めようと大きく息を吸い込んだ。与那国島を見張っていたセンサー操作士官が大きく声を上げたのは、その時だ。
「西村准尉! ルルィエが震動を始めました。」
「クトゥルフが目覚めましたか!?」
「いえ、違います。……台地が崩れ始めています。沈降開始を確認しました!」
 機内は歓声で満ちた。
「ペンギンに至急報告。―― クジラを見つけ出して、潮吹きを止めさせなければ」
 クジラ ―― グァムから出航したという原子力潜水艦ロサンゼルス級SSN-772の秘匿呼称だ。ルルィエが沈降を始めたという事は、突入していった部隊がクトゥルフを討ち倒した事を意味しているだろう。ならば潮吹き=核ミサイル発射を阻止すべく、一刻も早く攻撃原潜を発見し、通達しなければならない。オライオンの対潜哨戒能力が頼みの綱だ。
「ですが……そろそろ闇の時間。クトゥルフは倒されたかもしれませんが、“ 月に吼えるモノ ”の動静が定かではありません。引き続き、航空監視体制を緩めないように」
 勝って兜の緒を締めろ、という言がある。西村が気を引き締めさせた事は効を為した。
「ペンギンより通達。―― 海面下に漂う巨大な影を確認。……ショゴスです! 針路は東南東、現在の速度は約25ノット(=時速47km)。このままだと1時間後には西表島に上陸してしまいます!」
 並みのは直径5mの肉(?)塊だが、現在西表島へと向かっているショゴスは、小島ならば簡単に丸飲みしそうな巨大さを有する。200mあるのではないか?
   てけり・り! てけり・り!
「……忘れていた訳ではありませんが、今更厄介ですね。―― ペンギンを支援します。航空索敵、与那国上空の警戒を怠るな! また伊部良・下地島に要撃機要請を!」
 前回は〈狂氣の波動〉で人事不省になった上で、ショゴスに気を取られてハンティング・ホラーの接近を許してしまった。もう二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
「ペンギン ―― バラクーダを投下します」
 パラシュートで減速し、着水時の衝撃を和らげられたMk50対潜水艦短魚雷バラクーダは、ショゴスを見付け出すと、獰猛な牙を剥いた。狙い違わずに巨体に命中すると、45.4kgの成形炸薬を爆発させる。一発だけでは無い。次々とバラクーダだけでなく、機雷、爆雷、爆弾を水平投下していく。
「……やったか?」
 だが、のたうちながらもショゴスの巡航速度に変わりは無い。効いてないはずは無いのだが、余り有る生命力が、損傷を凌駕しているのだろう。
「 ―― 准尉。ハンティング・ホラーが舞い上がりました! その数……3体!」
「航空支援要請を急がせなさい!」
「下地島空港からアラート待機中のファントムIIエレメント(2機編隊)は既に発進しています」
 ファントムIIの最高速度はマッハ2.2(=時速2,300km)。ハンティング・ホラーは時速177km。雲泥の差はあるが、与那国島からと、下地島からの距離を考えるとファントムIIが間に合うかどうかは際どいラインだ。また2対3で、しかも相手は航空力学を無視するような機動性を有している。腕利きのファントム・ライダーといえども苦戦を労する。―― 西村は覚悟を決めた。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 ディスプレイを通して目から、報告を通して耳から、敵の位置を把握する。意識を集中すると、そこに光が見えた ―― 敵を貫く一条の光。E-767の機外に生じた光が線を引いてハンティング・ホラーに突き刺さる。奇声を上げて、失速するハンティング・ホラー。コンピュータが算出した三次元空間上の敵位置へと西村は光の弾を叩き込んでいく。威力には自信が無いが、動きを止めて、時間を稼ぐには十二分だ。
「 ―― ファントムIIです!」
「管制支援を! ……わたしはこのまま奴等を追い込みます」
 西村の放った光で傷付けられ、動きの鈍ったハンティング・ホラーの群れをファントムIIが捕捉した。ロックオンし、90式空対空誘導弾AAM-3が発射。爆音とともにハンティング・ホラー2匹が四散する。驚異的な機動力で直撃を避けたもう一匹も、西村の光弾で撃墜された。
 神経を使い果たした感があって、西村は座席に深く身を沈めた。通信士がエレメント・リーダーからの通信とともに、オライオンからも連絡を受け取る。
「 ―― クジラ発見! ソナーが魚雷発射管開放音を確認したとの事!」
「……ショゴスへの爆雷音の中、よく聞き付けたと褒めたいところですが、クジラへと通達が先です! ミサイル発射を阻止しなければ!」
「……間に合いません。発射されました!」
 一同、凍り付いた。攻撃原潜の魚雷発射管から発射されたモノは、しかし海面上に飛び出る事なく、ショゴスに命中する。……対潜/対艦長魚雷Mk48 Mod5 ADCAP。
「 ―― トマホークではありませんでしたか」
「……亜米利加さんが軽妙に挨拶をしてきていますが……どうしますか?」
「協力に感謝する、とだけ今は伝えておいて下さい」
 再び身を深く座席に沈める。もう気力尽きたが、ショゴスの最後を見届けなければならない。オライオンの投下に加えて、攻撃原潜から発射された魚雷の猛攻を受けて、ついにショゴスは散り散りになった。再生力の強い異形系ゆえに細胞核を破壊し、肉片組織1つも残さずに焼滅しておく事が望ましいが、ここは海洋。処理は難しい。それでも少なくともあの巨体まで育つ事はもう無いだろう。西表島や石垣島の防衛に当たっているSBUに注意を呼び掛ける事を考えて、そのまま西村は安堵の眠りに付いたのだった。

*        *        *

 国道330号線をひた走った。那覇大橋まで迫っていたディープワンズを強行突破し、キャンプ・キンザーで抗戦を続けていたU.S.アーミーの援護を受け、普天間海兵航空基地で追撃してくるミ=ゴを振り切り、キャンプ・フォスターでU.S.マリーンの別働隊と分かれ、嘉手納空軍基地でU.S.エアフォースの生存者を確認した。そしてコザ十字路から県道75号線に侵入する。
 高機動車『 疾風 』に乗り込んだのは、アリカを始めとする第1433班乙組と銘苅。第1433班長には那覇駐屯地の留守を任せている。あの人は前線 ―― 攻勢には向いておらず、支援や守勢タイプだ。従い、銘苅に代わって残留している第1403中隊第1小隊の指揮を預かっている。アリカは助手席の銘苅に確認を取った。
「……ではコートニーに突撃するのはあたし達と、U.S.マリーンなのね?」
「襲撃の可能性が低いとはいえ、那覇駐屯地の守備も疎かにできんからな。またキャンプ・トリィで抗戦を続けているU.S.アーミーの支援に向かわせないとあかん。他のキャンプ地も同様だ。……山之内の呼び掛けを仲宗根団長が拾って、コートニーだけでなく沖縄本土奪還の決起として指揮するそうだ」
「……一斉蜂起の総力戦? でも作戦賛同者を募っていたあたしが言うのも何だけど、規模が大きくなればなる程、情報漏洩や侵入者による内部工作の危険が高まるんじゃない?」
 アリカの指摘に、銘苅は外の風景を眺めるように視線を逸らすと、
「 ―― 仲宗根団長が言うには、内部に侵入していた超常体……ディープワンズやミ=ゴの殆どは焙り出して一掃したそうだ。放した餌に喰い付かせて、釣り上げたんだと」
 松永が調べていた事を思い出して、アリカは合点がいった。祭亜が第1混成団長、仲宗根・清美[なかそね・きよみ]陸将補とした裏取引の内容。祭亜が囮となって派手に動き、また情報を漏らす事で、内部に潜在していた敵を誘い出していたのだろう。
「 ―― じゃあ、コートニーを奪還する本隊は予定通りにU.S.マリーンに任せていいのねん?」
 さりげなく話を変えると、銘苅は視線を前に戻して頷いた。
「ああ、あいつらの面子も立てないといかんし、俺達は敵司令官狙い一本に絞れる。……障害は多いが」
「 ―― 敵前線突破よ! 各員、射撃体勢に移れ!」
 安慶名交差点に築かれたバリケードに、本田が担いでいたカール・グスタフを向けた。84mmHEAT弾はバリケードごとディープワンズを吹き飛ばす。信之介が架台に設置したMINIMIに取り付くと、5.56mmNATOを撒き散らした。アリカは鼻歌交じりに、アクセルを更に踏み込む。
「 ―― コートニーまで残り1kmよぉん! このまま突っ込むわ。勝っちゃん、もう1つ宜しく!」
 最高速度に達した疾風は、コートニーの門へと突撃する。大破しなかったのが不思議なぐらいの勢いで踊り込むと、逃げ遅れたディープワンズを跳ね飛ばした。
「全員降車! 俺に続け!」
「……銘苅小隊長。それ、あたしの台詞〜」
 ボンベを背負ってアリカは躍り出る。本田はカール・グスタフを担ぎ、架台から外したMINIMIを信之介が抱える。
「シンちゃんには重いんじゃない?」
「だ、大丈夫です! それがしにも、これぐらい平気ですとも! それよりも山之内士長殿こそボンベに被弾されませんように気を付けて下さい」
 コートニーのディープワンズは海兵隊装備を身にまとっている。M4A1カービンを構え、またM203グレネードを装着しているモノもいた。ナパーム燃料の詰まったボンベに被弾すれば誘爆は免れない。信之介が心配するのはそこだ。だが片目をウィンクしてアリカは笑い返すだけ。
「……まぁ銃器もそうだけど、抗弾ベストを着ているのがアレよね〜。その分、動きが鈍っているのは確かだけど。1発や2発では止めが刺せないから、皆、注意するのよん」
「それでもインターセプター・ボディアーマーを着ていないだけマシだが。7.62mmライフル弾の直撃を止めるそうだからな」
 銘苅の言葉に第1433班乙組は息を飲み込む。ならば極力狙うは、ケブラー・ヘルムを被っていない醜い魚人面を晒した頭部。3点発射で確実に止めを刺しながら、司令官の執務室へと走り出した。追いすがろうとするディープワンズの守備隊だが、時間差を付けて到着したU.S.マリーンの猛攻に動けなくなっていた。
 慎重に且つ迅速に敷地内を駆ける。建物の角や木陰を遮蔽物にし、全方位に気を配りながらBUDDYを振り回す。氣を巡らして索敵していた、本田と信之介が揃って声を上げる。
「 ―― 来るぞ、武! 大型超常体ダゴンだっ!」
 6m超の姿が建物の影から現われる。魚か蛇のような下半身ながら、素早く突進。
「散開して、四方から攻め立てるのよ」
 ダゴンは前傾姿勢になると、更に速度を上げてくる。四つ腕 ―― 計20指の鉤爪を振るってきた。遮蔽物は鋭い爪で薙ぎ払われ、もろともに隠れていた班員の1人が宙に舞う。
「 ―― てめぇ! 可愛い部下に何しやがんだっ!」
 ノズルを向けて、トリガーを引く。噴射口から噴出した薬剤に着火し、炎がダゴンへと襲い掛かった。
 顔を炎に包まれて、ダゴンは奇声を上げながらも下半身の先 ―― 尾を振ってアリカを薙ぎ払おうとする。だが強化された身体能力により、辛うじて避けた。回り込んだ本田がカール・グスタフを撃ち込む。右上半身を吹き飛ばしてやった。さらに駄目押しとばかりに合図を送るが、
「 ―― 武。撃ち止めだ」
「ああ、もう肝心な時に弾切れか! それと、俺の事はアリカって呼べって言ってんだろ!」
 ダゴンの傷口が泡に包まれ、喪われた部位組織を復元しようとするのが見てとれた。アリカは下唇を舐めると、
「 ―― 希臘の半身半人英雄ヘラクレスは、炎で傷口を焼いて再生を止めたってな……勝正、信之介、後の事は構わねぇ! 氣力の限り、ドンドン怪我を与えろ! 他の奴等は申し訳程度でもいいから、支援射撃!」
 アリカの怒声に似た指示にBUDDYの斉射。四方から降り注いでくる弾雨にダゴンの注意が散漫になったところを、本田が掌を向けて氣弾を放つ。ダゴンの残る左腕が吹き飛んだ。さらに飛び込んだ信之介が、裂帛の氣合いを込めて刃を振るう。氣を練って生み出した刀は、ダゴンの脇腹を深く抉った。たまらず前のめりになったダゴンへと、アリカは火炎を浴びせる。声にならぬ絶叫が上がった。薬剤が尽きるまで炎を浴びせられ、焼け爛れたダゴン。
「そして最後は棍棒で叩き潰したんだっけかな? 俺が振るうのは琉球唐手の拳だがな!」
 驚異的な力が正拳となってダゴンへと突き出された。空気が爆発したような音が轟き、ダゴンを圧壊する。アリカは重い息を吐く。そして身動ぎもしなくなった部下へと静かに歩み寄ると、静かに目蓋を閉じてやった。沈痛な表情で呟く。
「……直ぐに迎えに来てやるからな。すまねぇが、もう少しここで休んでいろ」
 顔を上げるとアリカは司令室のある建物の方を睨み付ける。空になったボンベを捨てると、BUDDYを抱えて走り出した。

 司令室前の壁に張り付くと、ハンドシグナルを送る。本田が蹴飛ばし、アリカと銘苅が転がり込むように室内に突入した。バックアップに信之介が9mm拳銃SIG SAUER P220を向ける。残るは退路の確保だ。そして室内を見た全員が顔を蒼褪めた。
『 ……もうすぐだ。もうすぐだった ―― 我が神が目覚めるのは、あと少しの辛抱だったのに!』
 そこに居たのは、もはやヒトの姿を辞めた、ジョセフ・ウィリアムス[―・―](元)海兵隊大尉の姿。魚人面を通り越して、その顔は蠢く触手に覆われ、東部は蛸に似たものだった。体格は醜く膨れ上がり、全長3mは越すだろう。翼を持つ、二足歩行の恐竜。緑色の鱗に包まれた軟体質状の皮膚が滑りを帯びており、余りの気味悪さに堪らず信之介が悲鳴を上げた。豪胆な銘苅も顔をしかめている。
「……ディープワンやハイドラ、それにダゴンとも違うでしょぉ? 噂に聞く、クトゥルフに似ているけど」
 アリカが漏らした呟きを聞きつけたのか、ウィリアムスだったモノは耳障りな音を発した。笑ったつもりなのだろう。
『 ……そうだ。大いなる神の似姿を得た私に、敵う者は無い。la mayyitan ma yatabaqa sarmadi fa itha yaji ash-shuthath al-mautu qad yantahi.』
 ―― そは永久に横たわる死者にあらねど、測り知れざる永劫のもとに死を越ゆるもの ――
   ふんぐるい むぐるなふ くとぅるふ
    るるいぇ うがぁなぐる ふたぐん
『 ―― 私は、あの時、与那国島で神の声を聞いた! 神の精を受けて、力を得た! 我は捧げん、数多の供物を! ああ、大いなる神よ、大いなるCTHULHUよ!』
 The bastard of CTHULHU ―― クトゥルフの落し子。翼を広げ、氣が増大してくる。憑魔が悲鳴を上げ、身体に激痛と衝撃が走る ―― 強制侵蝕現象。だが、
「 ―― 所詮、劣化コピーだよ、てめぇは! モノホンの〈狂氣の波動〉に比べれば、ぬるいんだよ!」
 脂汗を流しながらも、アリカは踏み込んで正拳を放つ。衝撃でバスタードの腹部が歪んだ。嫌な雰囲気を感じて咄嗟に跳んで離れる。間一髪。バスタードの十指が細長く伸びて鞭と化し、先程までアリカが居た場所を薙ぎ払った。厚い絨毯を引き裂き、鋭くて深い傷跡が床に刻まれる。
「……ダゴンで出血大サービスしちまったからな」
 大きく舌打ちすると、アリカはP220を抜いた。狭い室内でBUDDYは取り扱いが難しい。それ以前に、もう弾切れだ。サブアームを構えると、アリカは引鉄を絞る。
「駄目だ、パラじゃ効き目が薄い!」
「だからガバメントにしろと」
 銘苅が怒鳴る。9mmパラペラムよりは、コルト・ガバメントが吐き出す.45ACPの方が、バスタードに大きな損傷を与えている。
「ダムダム弾も使えれば……な」
「ハーグ陸戦条約違反では?」
「相手は人間じゃねぇ!」
 悪態を叩き合いながらも、バスタードに対して焦燥感が募っていく。実際、ダゴン程の脅威は感じないのだが、何分、手持ちの威力が弱過ぎる。閉所ということもあり、身動きが取り辛いのも苦戦の一因だった。さらにバスタードもまた再生力を有する。
 ついに撃ち尽くしてしまったP220を捨てる。アリカは半身に構えて拳を固めた。信之介が錬氣の刀を握り、本田もまた掌に氣を込めていた。
 蝕肢が打ち出された。アリカは跳んで避けたが、銘苅は先程刻まれた絨毯の傷跡に足を取られて、体勢を崩してしまう。銘苅の身体が鞭打たれ、鋭利な刃物と化した触手は深くに潜り込む。
「 ―― 小隊長!」
 だが銘苅は血を吐きながらも不敵に笑うと、指が切り刻まれるのも構わずに触肢を掴む。空いた手で腰に下げていた雑嚢から手榴弾を取り出す。
「……これ、何だと思う? 最後の隠し玉として温存していたテルミットだ」
『 この距離だと貴様も!』
「……なんくるないさー」
 笑う銘苅に対して、焦ったバスタードがさらにもう片方の指を振るうが、それもまた身を張って掴まえて見せた。銘苅が叫ぶ。
「攻撃は封じてやったぞ、蛸野郎。―― 山之内、容赦なく、ぶん殴れ! 蹴り抜け! 思いっ切りな!」
 アリカが突進する。バスタードは最後の手段として顔面に蠢いていた触手を飛ばそうとするが、信之介の刃が断ち切った。翼を広げ、天井へと逃げ延びようとするのも、本田が放った氣弾が阻む。
 左手を引くと同時に右の正拳を突き出す。背中で一本の綱で結ばれたような感じ。アリカの正拳は頭部をひん曲げ、さらに勢いをつけた回し蹴りが胴体に炸裂する。反動を利用して大きく飛びずさるのと、焼夷手榴弾のピンが抜けるのは同時だった。
 一瞬にして業火が、バスタードと銘苅を包む。バスタードが声にならぬ断末魔の叫びを上げるのとは対照的に、銘苅の影は軽く手を挙げ、そして静かに崩れ落ちていった。
「……小隊長。結局、最後までアリカって呼んでくれなかったわね」
 炎に向かい、アリカは敬礼を送った。

 キャンプ・コートニーのみならず、各地のキャンプや施設の奪回に成功。歓喜の声に、星条旗が再び翻る。
 残る懸念は、与那国だけ。
「……クトゥルフはどうやら眠りに付いたようだけど ―― カズちゃん達、大丈夫かしら?」
 疲れた身体を疾風の座席に沈めながら、アリカは呟くのだった。

 

■選択肢
Sp−01)那覇駐屯地/トリイの死守
Sp−02)八重島列島の防衛/支援を
Sp−03)旧アヤミハビル館にて待機
Sp−04)与那国空港跡地の確保継続
Sp−05)“月に吼えるモノ”に止め
Sp−06)久部良の“神の災い”滅殺
Sp−07)落日/大罪者に天誅を下す
Sp−FA)南西諸島の何処かで何かを


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に、当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 致命傷を負った八木原祭亜二等陸士は基本的に「旧アヤミハビル館」で生死の境を漂っている。操氣系能力で自らの死の到来を長引かせているが、重要器官が損傷している為、よくて数日の命である。当然ながら強制侵蝕現象相殺は不可能なので期待しない事。
 ジョージ・ルグラース海兵隊大尉ことマカティエル率いる『 神災部隊 』は「久部良」に布陣している。マカティエル自身は傷を癒すべく攻勢に出られないが、一部を割いて「ティンダハナ」や「旧アヤミハビル館」へと強襲してくる恐れもあり。なお内訳はマカティエル1、パワー2、プリンシパリティ1、アルカンジェルとエンジェルは多数。
 なお米海兵隊が守備している「与那国空港跡」は現在(暗黙的かつ結果的に)中立区域である。
 与那国島並びに八重島列島では強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、また死亡率も高いので注意されたし。

註1)横井庄一:(元)大日本帝国陸軍伍長。ポツダム宣言受諾の無条件降伏を知らず、太平洋戦争終結28年後にグァム島で発見・保護される。「帰ってまいりました…恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」は帰国時の第一声。1997年、永眠なされた。……黙祷。日本人が忘れてはならない、語り継いでいくべき先人の1人である。現実世界では2006年6月24日、名古屋市中川区に横井庄一記念館が開館。毎週日曜日に無料開放されている。

註2)ライフルマンの信条……第二次大戦中に海兵隊少将W・H・ルパタースが書いた有名な誓い。

註3)菊池秀行『 妖神グルメ 』(ソノラマ文庫。1984年初版発行)より。傑作なので是非にもお勧め!


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