同人PBM『隔離戦区・神邦迷処』第1回〜 北陸:東欧羅巴


EEu1『 Do you rescue the world? 』

 神州結界維持部隊は、陸上自衛隊を前身・根幹として、警察や消防をはじめとする公共機関を吸収・統廃合して再編成された組織である。それは兄弟ともいうべき海上自衛隊や航空自衛隊も含まれる。
 饗庭野に配置されていた航空自衛隊第4高射群・第12高射隊も、維持部隊において第10師団第10高射特科大隊に吸収されていた。第10高射特科大隊は豊川に本部を駐屯させているが、北側の防空として虎の子を数輌配置させている。そして虎の子を率いる第1中隊第3小隊長は、隔離政策以前の陸自時代から戦い抜いてきた古強兵のWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)だった。
「――オーバーホール用の修理部品もままなりませんが、陸上自衛隊が健在だったら定数揃っていましたかね? いや、予算不足は陸自からの伝統芸でしたか」
 大江山・椛(おおえやま・もみじ)准陸尉が苦笑しながら87式自走高射機関砲スカイシューターを見上げると、居合わせた第2小隊長もまた返事に困ったかのように顔を歪めた。
「まぁ、今の御時世、調達や維持に莫大な金がかかるスカイシューターは上の方もいい顔しないんだろうな。そう不貞腐るな。うちの主装備はペトリオットだし、豊川の本隊でもクローズドアローが主装備だから」
「――私の言い分が贅沢過ぎなのでしょうか?」
 90式戦車は約8億円だが、スカイシューターは約15億円であり、おおよそ2倍。戦車だけでなく航空機の大半さえも無用の長物視される昨今では、新規に調達される事は先ず有り得ない。それ等よりも火力不足は否めないが91式携帯地対空誘導弾ハンドアローを行き届かせた方が良いという乱暴な話もある。
「――報告されている戦力だけでも、この地域の天使陣営が根こそぎになりそうな勢いですが」
 椛が言及しているのは、数日前に起こった高速増殖炉もんじゅをはじめとする若狭湾の原発施設群――通称『原発銀座』が、完全侵蝕魔人によって率いられた超常体によって占拠された事件だ。だが重要視しているのは、その際に有翼の人型超常体……ヘブライ神群、いわゆる天使の群れもまた原発銀座を狙い、大挙して襲ってきたという事実だ。
「今後の為にも、相手側の航空戦力を割り出しましょう。場合によっては、本隊に増援要請を出す必要があると思いますが……」
「それなんだが……未だ確認された訳ではないが、この地域一帯だけではなく、京都の鶏共も加勢しているという意見もある。舞鶴や経ヶ岬からも、天使の群れが小浜辺りを抜けたと思わしき観測記録が上がってきている」
「――失われた京都からですか」
 流石の椛も顔を青褪めたのも無理はない。京都市は神州が隔離されて直ぐに天使の群れの大規模な襲撃を受けて陥落していた。今や天使共の巣窟となっており、桂駐屯地にいた人員の生存は絶望視され、そもそも記録自体が抹消されている有様だ。
 京都への突入は、高位上級に分類される超常体――セラフ(熾天使)の中でも更に抜きんでている四大元素天使(※ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル)が阻んでいる。史跡や文化財等を無視して戦術核の使用を米国が声高に主張し……実際に維持部隊にも無断で発射したものの、四大元素天使によって撃墜されたという報告がなされていた。最寄りの大津駐屯地は、天使共と戦う最前線の陣営となっており、饗庭野だけでなく今津にも増援要請が日々来るほどだ。豊川の第10高射特科大隊本隊も京都奪還へと向けられている可能性がある。
「……そうなれば、本当に饗庭野だけで原発銀座の防空を行わなければならなくなりますね」
「とりあえず『善処します』とは伝えておいたがな。大江山准尉のスカイシューターや短SAMに期待しているよ」
「それこそ『善処します』ですわ。――今津からも戦車大隊が動きますか?」
「第3は京都や名古屋方面に向かうらしいが、第10が動くらしい。金沢や敦賀の普通科部隊だけでは心許無いそうだからな。――福知山の第7普通科連隊が動ければ話もまた変わるんだろうがな」
 第2小隊長は肩をすくめる。
「そうですね。占拠しているスラヴ神話系魔人は普通科や機甲科に任せましょう。強行するには相性が悪過ぎます」
 椛の言葉に相槌を打つと、
「出立は明朝になる。予定通り、敦賀で他隊と合流する。お互い、準備を入念にしておこう」
 そう告げると、第2小隊長は自身の部隊へと帰っていった。椛も自身の部下達へと向き直り、
「――損害の軽減には注意を払いましょう。損害機の補充は絶望的な可能性ですからね」

*        *        *

 敦賀は、福井南部の都市で、古代より港湾を中心に栄え、北陸と関西を結ぶ位置からも近代以降は交通の要所となっている。地形としては典型的な扇状地であり、周囲三方を山に囲まれており、平地が少なくて大部分は森林で覆われている。その所為でもあろうか、季節風の強まる冬でも、日本海沿岸の中では気候は比較的に穏やかであった。
 超常体が出現して神州が隔離されてから燃料等の輸出入制限と、設備維持が困難な理由により停止や封鎖がなされた多くの原子力発電所だが、万一に備えて警戒は厳にされたままだ。金沢の第14普通科連隊本部が、決して近くにあるとは言い難い状況で、敦賀に分屯地が求められたのは無理なからぬものであろう。旧市役所や合同庁舎の建物を改装し、また近隣の総合運動公園を訓練場にする事で、敦賀分屯地は設営された。
 通常は、第14普通科連隊より1個中隊規模の部隊が駐留し、原発銀座への警戒に当たっているのだが、4月に入ってから金沢より2個中隊の増援がなされ、また近隣の駐屯地よりも部隊が派遣されており、大賑わいとなっている。
「――人が増える。つまりは別嬪さんや綺麗どころも増えているはずなんじゃが……理由としては余り好ましい状況ではないのぅ」
 デジタルカメラのファインダーを覗き込みながら、明石・喜助(あかし・きすけ)三等陸曹がぼやく。恰幅の良い図体に、見事な福耳。笑顔も相俟って、布袋と呼ばれているが、WACからは「エロ」を上に付けて呼ばれる事もある。丸の内に「喜」と印が施されたマフラーがチャームポイントだ。
 喜助がぼやくのは無理もない。敦賀の人員が増加されたというのは、原発銀座に万一が生じたという事に他ならないからだ。天使群の襲撃だけでなく、クドラク[――]を自称する 久遠・楽太郎[くどう・らくたろう]に、バーバヤガー[――]と コシチェイ[――]をコードネームに持つ完全侵蝕魔人によって率いられた超常体による占拠。
「……わし等にとって数少ない安息の地。騒ぎを大きくされたくないものじゃが」
 溜息を吐く喜助だが、ファインダーはしっかりと道行くWACの姿を追い掛けていた。と、横から取り上げるかのように手が伸びる。
「――盗撮は良くありませんよ?」
「いやいや、ただの試運転じゃよ? 盗撮に使用するものじゃないわい。……でも操作に慣れて無くてのぅ。間違って何か撮ってしまっても――事故だから仕方ないんじゃ」
 喜助はうそぶくとデジカメをしっかりとホールド。取り上げられる前に懐に仕舞い直す。喜助の様子に、声の主は苦笑した。
 ストレートロングの髪を後ろでアップにしたWACは、赤縁眼鏡と戦闘迷彩II型の上に着用した白衣が学者然とした雰囲気を与える――が、
「……いつも白衣なんじゃから、野戦服の迷彩効果はないと思うんじゃが」
「しかし、こういうのがキャラクター性です」
 喜助の言葉にも、桜屋・ひさ乃(さくらや・ひさの)二等陸士は平然と構えた。
「さておき、デジカメで何を撮るつもりでした?」
「アー、その、天使じゃよ? 勿論」
 口調から嘘臭く感じるが、喜助が目を逸らさずに答えたのを見て、ひさ乃は納得した。
「――ほら。魔群と異なり、天使の情報は比較的少なくからのぅ。しかも最近、九州の熊本や、四国の徳島、北海道の千歳のように魔群は積極攻勢をとっておるが……」
「そうですね。エンジェルス、アルカンジェルは兎も角、プリンシパリティから上のクラスになると情報が乏しいですから」
「……わしの台詞が盗られた!」
 ひさ乃に続きを言われて、喜助は困ったように笑う。だが茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、
「ほら、パワー(能天使)とかも出たらしいじゃないか。存在するなら確認しておきたいと……単なる好奇心ではないんじゃよ? 敵を知り、己を知れば、百戦危うきに如かず」
 鎧に似た外骨格に包まれた高位中級超常体パワー。下級の天使と異なり、憑魔に完全侵蝕された魔人の成れの果てだという噂であり、目撃数や報告例は少ない。それでも1体で1個班ならば楽に渡り合えるという。
「ですね。しかし、私としては原発が気になります。天使も狙っていたようですし、ここの原発に何かあるのではないでしょーか」
 ひさ乃は眼鏡を押し上げると、
「――至急調査の必要ありだと要請しますっ!」
「よし、そちらは任せたわい」
 丸投げしたものの、ひさ乃は気にせず、喜助へと意見を求めてくる。
「はぁ、それにしてもバーバヤガーとコシチェイだなんて、『蛙の王女』ですか。……とりあえずクドラクは伝承通りだと殺すのはマズいですよね。西洋山査子の杭とか手に入るんでしょうか…?」
 意見……というか知識の披露? オカルト研究家を自称するだけあって、その手の知識は豊富だ。
「詳しくは知らんが……『蛙の王女』とは? それとクドラクの伝承も教えてくれると助かるんじゃが」
 心得たとばかりに、赤縁眼鏡のレンズが光を反射して輝いて見えた。
「露西亜の民話、醜い老人の姿をした悪の化身コシチェイに呪われて、蛙の姿になった王女様を娶ったイワン王子の物語です。そして民話によってバーバヤガーは森に住む魔女として主人公の敵にも、助けにもなる妖婆ですね」
 興が乗ったひさ乃の説明は止まらない。
「イワン王子は多くの場合で3人の王子のうちの末弟と設定されている英雄なんですが……まぁ、正直者ではありますが、悪くいうと些か考えが浅はかな人ですね。でも楽観的ともいえるほどの前向きさと、御都合主義的なところは、どこの民話でも同じ事ですし」
「……で、クドラクの伝承とは?」
「クドラクはスラヴ神話の吸血鬼です。西洋山査子で作った杭によって串刺しにするか、膝下の腱を切断した後に埋葬しなければ、確実に絶命しないとか。つまり、これ等の処置を怠ると、クドラクは更に強力な怪物となって蘇る、と。他にも敵対する存在として、クルースニクという存在もいますが、クドラクと戦う際には幾つかの条件を満たしておかないと勝てないそうですよ」
 此処で、ようやく一息を吐く。だが話は変わっても喋りは止まらない。
「――何か、駐日露軍の動きがおかしいって話もありますが……露軍にクルースニクがいて、こっちのも倒してくれればいいのにー」
 ひさ乃が頬を膨らませると、喜助は難しい顔をした。
「……昔は日が落ちたら戦は小休止。互いに死傷者を回収して、顔を合わせれば酒だのタバコだのを交換したり、勇戦を称えあったりしたもんじゃが」
 溜息を吐くと、
「最近の戦はつんけんぴりぴりして、わしは好きじゃないのう。――浪漫がないよ、浪漫が」
「ソレって、ドレぐらい昔ですか?」
「んー。わし、旅順攻略戦に参加した事があるんじゃよ。凄いじゃろ、惚れても構わんぞ?」
 本当か嘘か判らない物言いに、ひさ乃は煙に巻かれた気がした。まあ、いいやと一区切りをつけると、
「どうでもいいですが、もんじゅってナトリウム漏洩事故により休止って事になってますが、それが表向きの理由で、本当はもっと別な理由だったら面白いのにな……」
「それこそ不謹慎な話じゃな。いや、でも、今の御時勢、ありえん話でもないのぅ。……わしも気を付けておこう」
 クドラク達だけでなく天使の狙いも考えれば、確かに可能性は無いとも限らない。喜助は頷いて見せるのだった。

*        *        *

 神州結界維持部隊は、旧日本国自衛隊を根幹とするが、超常体を一身に引き受けている建前上、各国の軍隊も支援の名目で派遣されてきている。
 駐日露軍――駐日露西亜連邦軍・露西亜空挺軍の第819独立親衛特殊任務連隊もまた隔離政策後に編制され、派遣されてきたスペツナズ(特殊部隊)だ。手取川にかかる川北大橋より南の、危険度が最大級とされる白山連峰特別戦区――山岳森林地帯に展開している。
 そんな駐日露軍がキャンプ地を置く辰口丘陵公園跡地に立つ歩哨へと、声を掛ける。露西亜空挺軍の特徴たる青のベレー帽を被る兵士達は厳格にして豪快な露西亜人のイメージをそのままに、初め警戒の様相を見せていたが、此方が馴染みの顔だと判ると敬礼を送ってくれた。
「――ヨシップの野郎はいるかい?」
「グリゴロフ中尉でしたならば、申し訳ありませんがこれより暫くはお会い出来そうには……」
 丁寧に謝絶を返そうとする歩哨だったが、横からの声に言葉を遮られた。
「――マエゾノ准尉じゃないか。運が良かったな。今から哨戒任務に出るところだったぞ」
 野性味溢れる面差しの青年が、第14普通科連隊・第1037班甲組長の 前園・賢吾(まえぞの・けんご)准陸尉へと快活な笑顔を向ける。ヨシップ・グリゴロフ[―・―]中尉は副官に部隊小休止の指示を出すと、前園を冷たい風が吹き込まない屋内へと誘った。慣れたもので、兵士達の好奇の視線にさらされながらも前園は飄々とした態度で勧められた席に座る。
「手元にウォッカがあれば勧めるところだが、生憎、今は持っていない」
「うちじゃ、アルコール類は禁則事項だぜ。俺の首に縄でも掛けたいのかよ?」
 グリゴロフの冗談に、前園は軽く手を振りながらも付き合う。そして周囲へと視線を軽く這わせて、
「――いいのか。栄えある青年将校様が、おじさんにつきあって、本来の任務を怠るなんて」
「何、ラドゥイギンと違って、俺の部隊はそこまで厳格ではないさ。元々、祖国でもはみ出し者として扱われていた連中が大半だ。気にする事は無い」
 駐日外国軍兵士の大半は、祖国で罪を犯した事による懲罰として、或いは憑魔に寄生されての、文字通り、故郷を追われた者達だ。それは優秀な兵士として、青のベレー帽を被る栄誉を与えられた第819独立親衛特殊任務連隊の面々も変わりない。グリゴロフも経歴に何らかの傷を持っているらしい。
 対してグリゴロフと階級が違えども、互いに競争相手として敵視している ウラジミール・ラドゥイギン[―・―]大尉と、率いる部隊は“頭が固くてお行儀が良過ぎる”という事だ。
「――とはいえ、新型の超常体に困っていると聞いたが? 出掛けようとしていた用件もソレなんだろ?」
 前園の言葉に、グリゴロフの目の色が一瞬変わった。何かに集中した時、警戒している時に、無意識ながらも鼻をひくつかせるのはグリゴロフの癖だ。
「……耳が早いな。何処から聞いた?」
「――おいおい。もう金沢どころか北陸一帯に流れている話だぜ。最近、白山連峰特別戦区にズメイすら倒す厄介なのが新たに出てきたって。それでグリゴロフ達、露西亜は大慌てだってな。……俺は新型の超常体の死体を見せてもらいにきたのさ」
「そういう事か。日本軍も抜け目が無いな」
 グリゴロフは溜息を吐く。ウォッカが欲しいところだと呟くグリゴロフへと、前園は代りに煙草を差し出した。礼をしてからグリゴロフは火を点ける前に鼻に近付けて紙に巻かれた葉煙草の匂いを充分に味わう。そして紫煙を燻らせた。
「相変わらず、日本軍に配給されている煙草の質は高いな。紛い物が無い。……さて、生憎と死体は見せられない。回収する余裕が無くなる程、何処からともなく沸いて出てくるからな。何とか回収出来たものも研究の名目で掻っ攫われてしまっているよ」
「……どんな感じだ?」
「――芋虫だな。だが頭部は、日本人に似た女の顔をしている。今まで白山連峰に出てきていたヤツとは全く異なり、生態系を荒らしまくっている感じだ」
 煙を大きく吐きながら、頭を掻くと、
「堅くはないが、弱くも無い。何しろ数が厄介だ。とはいえ――」
 視線を前園に合わせてくると、
「日本軍がアイツラの相手をする事はない。アイツラは白山連峰から外に出てないみたいだしな。俺達で充分だ」
 だが前園は意地悪く笑うと、
「そうか? 言う割には最近、白山連峰特別戦区の動きが激化しているじゃないか。大丈夫なのか、本当に? 通告もないんで、もんじゅ奪回部隊を動かしていいのか連隊長が気を揉んでいる」
「マエゾノこそ嘘を吐くな。既に金沢から2個中隊が出立したって耳に入っているぞ? まぁ、日本軍に心配掛けられているのは問題だな。とはいえ、気兼ねなく原発奪還に向かってくれ。チェルノブイリみたいな結果は、俺達も御免だ」
 冗談になってない事を呟くと、グリゴロフは立ち上がった。副官が何事か耳打ちすると、鼻が引くつき、眉が微かに苛立ちを形作る。悪態を吐くと、奥へと向かった。
「……またラドゥイギン大尉が何か?」
 副官へと前園は意地悪く笑い掛けた。副官は困った顔をすると、
「当たりです。部隊の展開が遅れている事について、嫌味を言ってきたらしくて……いや、マエゾノ准尉に非がある訳ではありませんから、御安心下さい」
「……それは遠巻きに、おじさんにも責任を求められているっていうのが日本人的な解釈なんだけどなぁ」
 前園は苦笑すると、ふと思い出したかのように、
「――そういえば中尉には伝え忘れていたんだが、東北で、うちの特殊部隊を解体した女兵士がまたぞろ血の雨を降らせに来たって」
「……それが何か?」
「ああ。で、知っての通り、もんじゅを制圧したのは脱走した完全侵蝕魔人でね」
 ここで前園は尤もらしいように手を組んで、顎を預けるように上半身を前に傾けると、小声で囁いた。
「――上はお鉢が回ってくる前に綱紀粛正に乗り出すつもりらしい。どうも完全侵蝕魔人がこっちでもうろついてるらしいからね」
「“らしい”“らしい”と伝聞形で確証が掴めない話ですね。注意はしておきますが」
 副官は笑い飛ばす。前園は「思ったより賢くて遣り辛いなぁ」と内心ぼやきながらも、
「……まぁ、おじさんの話は此処まで。おうちに帰ったら、いつでも動けるように訓練でもしているよ」

*        *        *

 中腹に広がるブナの原生林の中を、痩躯の青年が黙々と進んでいた。身を包むは、白色の冬季迷彩戦闘服に、特製の防寒具。雪焼けや雪眼炎を防ぐ為だけでなく顔を判別されないように、覆面と色付きのゴーグルを装着していた。雪上を楽に歩く為に、西洋かんじき――スノーシューを履く。輪かんじきより浮力が強く雪を掻け分ける能力が高いというメリットがある。尤も、急斜面だと取り回しが良くない事や重さ等の弱点もあるが、
『――自分、忍者なんで』
 知らぬ者が聞けば笑われそうな一言だが、水上・三殊(みなかみ・みこと)二等陸士が発すると、理解を示される。事実、巧みな足捌きで重さや疲れを感じる事無く、水上は白山連峰に潜り込んでいた。
 正確に白山連峰とは、最高峰の御前峰(標高2,702m)、剣ヶ峰(2,677m)、大汝峰(2,684m)の「白山三峰」を中心とした、周辺の山峰の総称だ。別山と三ノ峰を加えて「白山五峰」といい、更にその南に峰が連なっている二ノ峰、一ノ峰までを合わせて、狭義的には言われている。広義的には、北側の野谷荘司山、笈ヶ岳までの領域を含めていたが……隔離政策後、露西亜軍が駐留してからは、東西を横断する国道158号線より以北、国道157号線より以東、国道41号線より以西が、そう呼ばれている。北端の境界線は、石川の三子牛山演習場辺りと実に曖昧だが、深く山中へと立ち入れれば駐日露軍兵士から警告が発せられた。
 白山連峰が特別戦区として、維持部隊でなく駐日露軍の管轄とされているのは、ドモヴォーイやレーシーと呼ばれる低位超常体のみならず、ズメイと称される所謂ドラゴン(大型竜系高位下級超常体)が多数棲息し、危険度が最大級となっているというのが公的な理由だ。
 しかし――危険といえば、神州全土で超常体との終わらない戦闘を強いらせられているのだ。確かに大型超常体の脅威度は高くとも、白山連峰が特別視されている事に、ある種、納得がいかない者も存在する。白山連峰だけでない。九州では、北部に宗像、中部に阿蘇、南部に屋久島。山陰でも駐日英軍が隠岐諸島の縄張りを主張している。全国各地でそういった駐日外国軍が維持部隊との協力支援体制を確立せずに、独自に展開する区画が幾つも存在する。
( ……やはり危険という意味以外の何かがあるのだろうな)
 水上は上官から志願するか否かの選択を迫られた時の事を、頭の中で反芻していた。
 ――駐日露軍の活動が激化。最寄りの金沢駐屯地の第14普通科連隊は、原発銀座奪還に戦力を割かなければならず、駐日露軍の動向に対応が困難である。また露軍からの警戒の目が強くなっている事もある。第14普通科連隊長は恥も外聞も捨てて、他の師団、他の方面隊へと、支援を要請した。勿論、外部に漏れたらただでは済まない危険な任務。必然、志願者は少ない。
( さて……自分以外は誰が潜り込んだのやら)
 一応、遭遇した時に“不幸な事故”が生じないようにと、符丁は教え込まれている。とはいえ、広い白山連峰。アプローチの仕方や、調査する事項の優先順位は、潜入者に任されている。
( 先ずは……駐日露軍の戦力分布だな )
 交戦の激しい地点や、露軍が戦力を多く割く位置を把握する。それ等自体や、共通点、分布が描く線等から、駐日露軍の交戦が激化している原因の位置を推測出来る。
( とはいえ……“不幸な事故”や超常体との戦闘は避けなければならないしな。……何だったけ? 20世紀最高のシナリオと謳われた、ステルス・アクション・ゲーム(※註1)は?)
 不殺不戦の心得を肝に命じると、水上は耳を澄ませながら、山中へと更に深く潜り込むのだった。

 北側の駐日露軍の動きに注意して探りを入れている水上とは対照的に、鬼部・智孝(おにべ・ともたか)二等陸士は逆のアプローチを試みていた。南側から潜入する強面の男は、外見からもまた水上とは対照的であった。筋骨隆々で骨格が太い大柄な体格。金属製の篭手や脛充て。手にする幅広く長大な剣は、鬼部の強靭な膂力も相俟って、ドモヴォーイ程度ならば一振りで両断するのも容易いだろう。
「――が、些か準備の方向性を間違ったのは認めないといけないな」
 それなりに隠蔽して、こしらえた野営地に潜り込むと、鬼部は携帯食を口に運びながら、ぼやく。普段、寡黙な鬼部にしては珍しい事だ。それだけ精神的にもまいってきているという事だろう。
 暦の上では春とはいえ、標準の冬季野戦服では白山連峰に挑むには防寒に心許無い。金属製の篭手と脛宛ても、万が一、寒風に剥き出し、晒すとなれば、逆に痛手となり得る。
 同行する者がない事で協力を求められず、より一層の慎重さを以って事を運ばなければならなくなった事が、鬼部にとって不幸中の幸いだった。中継の拠点を設けながら進む事で、潜入を強行して生ずるはずだった被害を最小限に出来たのだから。
「とりあえず今回は中継地点を設営していく事を優先し、調査は次回以降にするしかないな」
 口にする事で、自らに反省を促し、行動の戒めとする。鬼部が期待していた、同行の仲間がいない事は、この任務がどれだけ危険であるかを良く表しているとも言えよう。それでも鬼部と同じ様に、白山連峰に何かがあり、それを駐日露軍が隠しているのだと考えている者も少なくないはずだ。上手く遭遇出来れば、協力し合えれば良いのだが……
「今は自分の事だけで精一杯だがな。――それでも白山中居神社の辺りまで進めれば」
 何か手掛かりがあるかも知れない。それは推測ですらなく、確たる証拠も皆無であったが、何故か鬼部には目標として信じるに値する閃きだった。

*        *        *

 金沢を出立した第14普通科連隊の2個中隊は、同じく今津と饗庭野からの戦車と高射特科の編隊と、敦賀にて合流を果たした。混合団長を兼ねた第14普通科連隊長(一等陸佐)が壇上に立つと、隊員達は一斉に敬礼を送る。答礼を返してから、
「……こういう挨拶は不得手なので、状況と目標――勝利要件を手短に説明する。現在、もんじゅをはじめ、原発の幾つかが完全侵蝕された超常体によって不当に占拠されている有様だ。白木に拠点陣営を築いた先行部隊からの報告によると、もんじゅ隧道は低位超常体の群れにより封鎖され、文字通り巣穴と化している。先ずは此処を突破する事が求められる。いいか?」
 団長の言葉に、一同、大きく頷いた。
「よろしい。なお残念な報告だが……もんじゅを占拠している完全侵蝕魔人は3体だけではない。今まで何処に隠れていたかも判らない連中が目撃されている。充分に注意せよ」
 緊張の余り、固唾を呑み込む音が、あちらこちらから聞こえてきた。だが団長は努めて冷静に振舞うと、
「また南西方向から有翼の人型超常体――所謂、天使の群れが襲撃を掛けてきている。白木海水浴場を中心に迎撃を行う。……以上、もんじゅ奪還と天使迎撃の2点が勝利条件となる。各員の奮闘を期待する!」
 応じるように、再び一斉に敬礼がなされた。
「――状況開始!」
 高機動車『疾風』や、96式装輪装甲車クーガーに搭乗。大型や中型問わず用意された73式トラックにも隊員達は詰められて、74式戦車と共に前進を開始した。無論、椛が率いるスカイシューター2輌と81式短距離地対空誘導弾C型ショートアローに、ペトリオットの発射機も随伴する。
「――今更ながら思いますけれども中型相手にペトリオットは大仰過ぎますわね?」
 微笑を浮かべながらの椛の言葉を受けて、第2小隊長は肩をすくめて見せた。
「張子の虎としては最適だよ。それに言っていただろう? 実際はハエ叩きに任せて、楽をさせて貰うのさ」
 軽口の応酬に、椛は笑みを濃くする。しかし白木に部隊が展開され、敵を待ち受ける段階となれば、真面目な顔付きとなった。
「――第2小隊のペトリオット発射システムに、うちのをリンクさせておいて。充分に活用させて貰いますわよ。楽する暇も与えない程に、ね」
 部下に指示を出して、情報を共有化させる。椛が率いる第10高射特科大隊・第1中隊第3小隊は機動力を重視した対空部隊だ。疾風をベースに最新型の電子機器を搭載した指揮車は、ペトリオット発射システムからの情報をも吸い上げて、対空戦闘の頭脳と化す。
 74式戦車の履帯が唸りを上げると、89式5.56mm小銃BUDDYを構える普通科隊員と共に、もんじゅ隧道へと突入を開始した。その背後や補給路を護る為にも、天使共の横槍を阻止せねばならない。
「――大江山小隊長! レーダに反応がありました。天使と思しき超常体の群れが接近中!」
『……こちら、第14普通科連隊の第9中隊第1小隊だ。各員、迎撃の準備が整った。迎撃の第一射は譲る』
 他からも迎撃体勢が整った旨、連絡が入る。椛は下唇を軽く舐めて湿らせると、
「――責任重大ですわね。射程に入り次第、第1、第2車輌共に機関砲にて敵を掃射!」
 スカイシューターは、捜索レーダ・追撃レーダ・射撃統制装置を搭載し、目標発見・敵味方識別・捕捉・射撃がコンピュータでコントロールされている。主武装は戦場防空のみならず地上目標に対しても有効なエリコン90口径35mm2連装機関砲だ。
 椛の号令一下、エリコンが焔を吹いた。35mm弾が光の雲を切り裂いていき、また普通科部隊もクーガーに搭載されていたり、地上に設置したりした12.7mm重機関銃ブローニングM2で対空射撃を放つ。射ち落とされたエンジェルの遺骸が、敵味方に降り注いだ。
「各員、頭上注意! 落下物に当たるなー!」
「……何処かで聞いた事があるような台詞ですわね」
 射ち漏らしたエンジェルが光の矢を作りだし、投擲し返してくる。幾人かが貫かれたが、それに勝る物量と火力でもって押し返していく。アルカンジェルが氣の防壁を張り、プリンシパリティが風の刃を撃ち放つ。白木海水浴場の西の空は、エンジェルスが発光する淡い白色に塗られていった。
    逆巻く荒波 岸を打ちて
    高まりとどろき 迫るときも
    力に満ちたる 主のみ腕は
    たちまち嵐を 静めたもう。
 ……詩(うた)が聞こえてくる。人の声とは、違う声でエンジェルスが詩っている。聞こえぬ詩声が、脳裏に響く。そして詠うエンジェルスから中心に一際大きな光が放たれた。
    われらの罪をも すべてつつみたもう
    主のいつくしみは ゆたかにあふれて、
    み民のそむきを あがなう牧者の
    恵みはつきせじ
 その光が、彼等の心にどのように作用するものなのか。光を浴びた普通科隊員は、ある者は武器を投げ出し跪き、服従の意を示そうとした。またある者は涙を流しながら、銃剣で咽喉を突こうとした。そしてある者は……翻って、先程まで自分の隣や後ろにいた仲間達に銃口を向けた。
 ――後日、天草や千歳において、皮肉を込めて〈安らぎの光〉と称される事になる精神攻撃。だが、
「……化かし合いで負けたら、わしの――否、喜宮明神である喜左衛門殿の名に泥を塗る事になるのぅ」
 デジカメで戦いの様子を撮影していた喜助が腹鼓を打つ。胸元に両腕を寄せる。左手の食指を立て、他の四指を握る。立てた左の食指を右手で握ると、右親指は中に入れ、右食指は左のと爪先を合わせる印行――智拳印を形作る。
 そしてエンジェルスが創り上げた幻惑を塗り替える程の光を、喜助は放つ。喜助の放った光を浴びた迎撃部隊は、大惨事が繰り広げられる一歩手前で我に帰った。尤も、後日に上がった報告によると、この際に赤い服を纏った兵隊の姿という別の幻覚を見たという者も居たそうだが。
 兎に角も、立ち直った部隊は咆哮を上げると、天使共に怒りの猛反撃を開始した。椛は休む間も与えずに35mm機関砲弾を敵に浴びせ続けていく。ショートアローから射ち出された誘導弾は、ついにアルカンジェルの張っていた氣の防壁を砕き、守られていたプリンシパリティを肉片と変えて、白木上空に撒き散らした。
『――大江山、敵3割を撃墜した事を確認した。撤退していくぞ!』
 追撃しようにも、流石に相手は空行くモノ。波が引くように退き、追い付く事は難しい。
「敵の前線指揮官――パワーを撃ち落せなかったのは残念ですが。……しかし強力な祝祷系魔人が此方にもいてくれて助かりましたわ」
 ようやく一息吐いた椛達が、感謝の意を告げようとしたのだが……喜助は既に別行動へと移っていた。
『――明石三曹、何処だ? 今ならWACから感謝の声がプレゼントされるだろうに』

 ――文字通り俊敏な獣と化して、山の獣道を走る。魚に変じて、海を渡る。人の身では追い付けない速さと距離も、幻惑の際に作り出していた『道案内』を目印にして、喜助は食い付いていった。
「――思ったよりパワーが直接戦わなかったのが困ったものじゃのう。あと、わしらの戦力が半端ないし」
 結果として、戦力を分析出来る程には、情報が集められなかった。とはいえ敵の精神攻撃を看過したら、被害は甚大なものになる。此方の被害は少なく、かつ相手は戦力を出し惜しみさせない事――その匙加減が難しい。
「……それでも、敵の拠点が判れば丸儲けじゃわい」
 思わず呟く。天使の群れは若狭湾を越え、天王山を過ぎる。そして、ようやく落ち着いたのは、
「――ハチマン様か」
 三方(※註2)の八幡神社。八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、応神天皇という事にされてはいるが、その実態は謎めいている神だ。本地垂迹では阿弥陀如来となっているが、これもまたよく解らない。
「詳しい事は、オカルトお嬢ちゃんに聞くとするか」
 赤縁眼鏡に、戦闘服の上に白衣を羽織ったWACを思い出して、独りごちた。
 さておき八幡神社にはパワーが率いていた数を上回る程の天使が待機しているのが見て取れた。それ等をまとめるはパワーより上級の超常体――四翼を持ちしドミニオン(主天使)。副官代わりとしてヴァーチャー(力天使)1体を引き連れたドミニオンは、頭を下げて不首尾を報告するパワーを叱責しているようだった。
「……現場指揮はパワーで、参謀はヴァーチャー。で、総指揮官はドミニオンというところじゃな。思ったよりも大部隊じゃのう」
 流石に高位上級のセラフやケルプ(智天使)までもが出張っているようではないが、大戦力に違いない。重い溜息を吐くと、見付かる前に喜助は帰路に着くのだった。

*        *        *

 石川県――某所。完全武装を整えた部隊が、山岳森林を駆け抜ける。目標に肉薄すると、手にしたAKS-74Uで掃討していく。AKS-74の銃身を切り詰めたショートカービンで、バレルが極端に短い為、狭い場所での近距離戦闘に向いている。加えて装着されていた独特な形状のフラッシュハイダーを取り外して、替わりにサプレッサーを付けている代物だった。部隊の名称は『プリリジェニエ』――秘匿されている、幽霊達。
「……隊長、“本部”の方から連絡がありました。余り芳しくない状況です」
 部隊の展開と掃討の動きに、そこそこ満足げにしていた隊長が首を傾げる。
「――どういう事だ?」
「白山連峰特別戦区の警戒レベルを大幅に引き上げるとの事。戦区に侵入した日本軍兵士は、完全侵蝕魔人と看做して、照会並びに身柄の確保の必要なく、その場で射殺して良い――と」
 隊長は無言のまま、部下に報告の続きを促した。
「脱走者、しかも超常体となった完全侵蝕魔人を日本軍の代りに処理するのですから、彼等に感謝こそされ、万が一“事故”が生じたとしても一切賠償請求に応じなくも良いそうです」
「それは……正式な通達か?」
「半ば非公然ですが、間違いなく。……日本軍の一部に綱紀粛正の動きがあるらしい事が確認されたので、それに合わせたものとの事です」
 隊長は白山連峰の頂の方角を見詰めてから、
「では――戦争になるな。覚悟せよ、諸君」
「ダー!(※露西亜語で「はい」の意)」

*        *        *

 雪や、ブナの原始林に吸い込まれてしまうような微かな音を、だが水上の耳は確かに聞き分けた。白色首巻と耳充てを外すと、音が明瞭に染み入ってくる。水上は雪を摘まみ、宙に軽く散らすと、
「――風下は、あちらか」
 音の発生源の風上にならぬよう、また姿を目視されないように、地形や木々を巧みに利用して足を進める。風に乗って聞こえてくる銃声音が、耳充てを再装着しても次第に大きくなってくるのを感じ取り、些か顔をしかめた。
( ……聴覚が良過ぎるのも考え物だよな )
 腹這いになり、白色の身を雪景色に紛れ込ませると、様子を窺いながら匍匐する。果たして、目標を視界に捉えた。
( 装備はアバカンか。部隊指揮官は……記憶によれば、あの顔はラドゥイギン大尉というヤツか?)
 髭を生やした巌のような強面の男が号令を発すると、一糸乱れぬ動きで兵士達はAN-94(アブトマット・ニコノバ94年型)――通称アバカンを構えた。
 アバカンは、重い、かさばる、値段が高い、内部構造が複雑、信頼性に問題がある……等と陰口を叩かれる事もあるが、強力な2弾バーストによる命中率や連射時の集弾率の高さ、5.45×39mm弾を使用してのマンストッピングパワーの高さで知られている、1994年に露西亜軍に制式採用された機関機銃だ。
 敵目標に対して一斉射撃を浴びせていく部下を奮起するように、ラドゥイギンもまた力を行使した。轟音と共に雷光が走る。敵目標は瞬く間に爆散していく。だが――
( 数が多過ぎる……ドモヴォーイが集団で狩りをする時だって、あれ程の数は現れないぞ! )
 また、姿も異形。全体としては芋虫のような形状だが、上半身は肩から先の両腕を持たない女性に似ており、頭部もまた日本人顔の女に見えなくもない。露西亜軍の前身たる旧ソ連軍のように人海戦術とも言える圧倒的多数の襲撃に、普段から情動を抑制する旨を心掛けている水上でさえも震え上がった。
 それでもラドィギンが負けじと吼えると、雷撃が荒れ狂い、女芋虫を薙ぎ払っていく。数分後、ようやく女芋虫は姿を見せなくなったが、ラドゥイギンも大きく肩で息をして、片膝を地面に付く程の疲労困憊の様子を見せていた。だがすぐに立ち上がり背筋を伸ばすと、部下の手前、気丈に振舞う。部下に何事か伝える声が風に乗って聞こえてきた。そして歩兵戦闘車に搭乗すると、次のポイントへと去っていく。
 ラドゥイギン達、駐日露軍兵士が水上に気付いていた様子は無い。駐日露軍の最近の異常な行動理由も、またラドゥイギンの戦闘力も垣間見えた。偵察を引き続ければ、全容どころか詳細も計り知れるだろう。だが――水上は歯噛みした。
( 相手の話す言葉の意味が解らない…… )
 語学の嗜みも、忍者としての素養に違いない。
( ……さておき、大分絞れてきたな)
 駐日露軍が展開し、交戦によって遺した傷痕。ある地点に近付く程に激化していく。其処にあるのは……
( ――白山比盗_社か )

*        *        *

 白山連峰には、ドモヴォーイやレーシーをはじめとしてコボルト等の低位超常体の他、ズメイといった竜系の高位下級超常体も多く生息する。広大な領域に相応しく、棲息する超常体も多種多様だ。
 今、鬼部が相対している怪物ジランダもまた竜系に属する超常体。脚は鶏に似て、胴体は鳥。だが羽毛の代りに蛇の鱗で覆われている。山口辺りに出現するコカトリスに似てもいるが、接触しても石化する事は無い。ゆえに鬼部は躊躇い無く、長剣を振り下ろした。中型とはいえ、大きさは全長5m弱――疾風に匹敵する。また強さも低位上級であり、個人で遣り合うには危険が伴う。
 それでも――裂帛の気合を込めた刃は、ジランダの鱗を断ち割り、血肉を撒き散らす。断末魔の叫びを上げる暇も与えずに、一気に絶命させた。
( 白山中居神社も、もうすぐだというのに、思わぬ障害に遭ったものだ )
 ジランダだけでなく、周囲に転がる低位超常体の屍骸の数に、鬼部は白い息を吐いた。身体は温まった程度で疲れは生じていない。だが油断は禁物だ。休める場所を探して辺りを見渡すと、20年もの間に朽ちた廃屋が眼に止まった。かろうじて形を成していた門には『石徹白小学校』は刻まれており、目的地まで残り1km程だと確認出来た。しかし――
( ……僅か1km、されど1km。休むか)
 風雪を凌げる場所を求めに、歩みを向ける。
( ……しかし、超常体の挙動は明らかにおかしい )
 先程の戦い。本来ならば避けて通るべきところだったものの、鬼部が隠れ過ごそうとする暇も与えずに超常体は襲い掛かってきた。否――アレは、死に物狂いで邪魔するモノを押し潰さんとする勢い。進路上にある鬼部より怖いものから逃げてきたような……。
 そうと気付いた時には、遅かった。遠巻きに鬼部を包囲するのは、芋虫状の女怪の群れ。数は先程の戦いでのコボルト等を遥かに上回る。また、戦闘力は未知数。流石の鬼部も、冷や汗を掻き、口から漏れるは唸り声でしかなかったのだが……。
 女芋虫の多くは超常体の屍骸へと群がったものの、長剣を構えて武者震う鬼部に対して一切手を出してこなかった。むしろ、道を空けるように群れが割れる。
「誘っているのか?」
 鬼部の呟きに応えたのか、一匹の女芋虫が道を先導すらしてくれた。いぶかしむものの、案内に従って県道127号線を北上する。果たして朽ち掛けてはいたものの、白山中居神社へと辿り着く。未だこれ程まで居るのか!?と鬼部が仰天するぐらい。無数の女芋虫が巣食っていた。
「――だが、拝殿は無傷……?」
 見上げるように顔を向けた瞬間――声が聞こえた。
「……ッ!」
 活性化以上の“何か”が全身を貫く。だが、痛みはなく、むしろ心地良い。
『 ―― 妾を解放して下さいませ。自らの紐で括り、自らを封じる事となった妾を哀れと思うならば、妾を解き放ちたまえ。高天原の霊と、葦原の血肉に連なりしヒトの子よ……』
 脳裏に声が響く。か細い声だった。女の声だった。低き位置からから響くような、だが安らぎをもたらす声だった。
「――誰だ、あなたは?!」
 しかし鬼部の問いに答える前に、声は消える。そして女芋虫の群れは解を与えようともせず、ただ鬼部を見守るように、そこらに居続けるのだった。

*        *        *

 74式戦車の役割は、主砲同軸の7.62mm機関銃や砲塔上面に在るブローニングM2で敵を薙ぎ払う事ではない。無論、それもまたあるが、大半は超常体を押し潰し、轢殺する事にある。
 髭が生えた蛙のような二足直立のヴォジャノーイと、緑色の目を持ち、大きな乳房を揺らすルサールカ。奪還部隊の圧倒的な火力を前にしても逃げ出さず、狂ったようにぶつかってくる異様な光景が、もんじゅ隧道で繰り広げられていた。
 74式戦車に随伴する普通科隊員がBUDDYを撃ち鳴らし、銃剣で刺突していく。超常体の狂気が伝播したかのように、奪還部隊もトンネルの奥へと唸りを上げて突き進んでいった。
「――風の音だ。出口は近いぞ!」
 屍山血河を築きながら進んでいた普通科隊員が、出口の報告に沸き立った。超常体の群れを切り開いて、外の空気を貪り吸わんと殺到する。
 ――そして大爆発が起きた。出口へと向かっていた部隊先頭の数名が、飛散した複数の金属球をまともに浴びて消失、或いは直接の被害は免れたものの続く天井の崩落により生き埋めとなる。
「……指向性散弾地雷だと! 楽太郎の連中め、とんでもないものを仕掛けやがって!」
 激昂した第10163班長(一等陸曹)が吼える。もんじゅを目前として、生き埋めにされた仲間の救出や、罠の発見と撤去、そして尚も狂ったように襲い掛かってくる超常体の群れを掃討する為に、奪還部隊は大きく足止めをされるのだった。

 SVD(Snayperskaya Vintovka Dragunova)――通称ドラグノフ狙撃銃の照準眼鏡を覗いていたコシチェイが、爆発の様子を確認して、面を上げる。哄笑の声を上げるのはクドラク。指を差して、
「でひゃひゃひゃひゃっ! あぁーあー、ひっかかった、ひっかかった! ざまぁみろぉぃっ! ウォぉオレサマァぁ、サイコー!!」
 ちなみに罠を施したのは、コシチェイであって、クドラクではない。兎も角、得意絶頂のクドラクに反して不満そうなのはバーバヤガー。
『……つまんない。直接、手で引き裂き、千切り、バラバラにするのが愉しいのに』
 個人携帯無線機から聞こえてくる声は明らかに不貞腐れているようだった。もんじゅの建物正面に陣取り、奪還部隊の到着を――戦闘、殺し合いを待ちわびている、若い女の姿。
「……バーバヤガー、落ち着け。突出しては各個撃破される」
 低い呟きがコシチェイの口から漏れる。クドラクに視線を送ると、
「『ストリゴイ』から数名を割いて、バーバヤガーにつけるべきだ。維持部隊を舐めない方がいい」
 慎重なコシチェイの申し出に、だがクドラクは首を傾げると、周りを見渡す。コシチェイとクドラクの他にも武装して待機する人影が隠れていた。重罪を犯したり、完全侵蝕したり等で維持部隊や駐日露軍を脱走した元兵士達。どういう経緯があったかは判らないが、クドラク達と合流して、共にもんじゅを占拠している。『ストリゴイ』とは自意識過剰なクドラクが、自らにあやかって付けた集団名。スラヴ語圏で“吸血鬼”を意味する。
「んー? オレサマの部下じゃねえしなぁ」
 クドラクの呟きに応えたのか、下卑た笑みが何処からともなく漏れる。しかしコシチェイは渋みのある低い声で黙らせた。
「――遊びにしろ、何にしろ、一端、事を起こした以上は、逃げ隠れ出来ないのだ。……アレが姿を現すまでの時間稼ぎは必要だ」
「真面目だネェ? じゃあバーバヤガーと一緒に遊びたい奴は向かってちょだーい。殺し方は任せるぜぃ」
 クドラクの言葉に、数名のストリゴイが建物正面へと向かった。もう数名は屋内に隠れ潜む。
「――他の原発を押さえていたストリゴイからの連絡がない」
「連絡が面倒なだけじゃ? アイツ等、オレサマの部下じゃねぇんだから、無視して好き勝手してもらっても文句言えねぇし。飽きたら逃げるのも手」
「もしくは既に奪還されているか。時間稼ぎと敵戦力分散の為に占拠させておいたが、一ヶ月も保たなかったな。……いずれにしても罠を突破したら、敵が押し寄せてくるぞ」
 コシチェイの指摘に、だがクドラクは唇の端を歪めて、犬歯を剥き出しにしながら笑う。
「でひゃひゃひゃひゃ! 大丈夫、アイツは必ず顕現するぜぇ! だって“這い寄る混沌”からの電波――未来予報を、オレサマ、ビシッと受信したからね! でひゃひゃひゃひゃ!」
 そして癇に障る笑い声を上げ続けた。

 白木公民館の建物を再利用した休息所。数日前までは、警邏巡回の際に小休止の場として使われていた建物は、今は野戦病院と化している。もんじゅ隧道から運ばれてくる負傷者の治療に、衛生科隊員が忙しなく働き続けていた。73式大型トラックに車載されたコンテナ内や張られた病院天幕で外科手術が施されている。緊急の手術が伴わない軽傷だからといって安心も出来ない。何故ならば……
「はいはい、さくっと治療しますからねー」
 ひさ乃に問答無用でしょっ引かれた隊員達の顔は、一様に恐怖で満たされていた。「桜屋二士の治療は、消毒に激痛が伴う」と口伝に広まり、死線を戦い抜いてきた古強者ですら尻込みをしているのだから。
 畏敬の念を一身に浴びながら、ひさ乃は同僚と交代して休憩に入る。尤も、腕は似たり寄ったりというか、ひさ乃よりむしろ乱暴?なので、負傷者の悲鳴が絶える事は無い訳だが……。
「此方には、駐日露軍の干渉は無し……と。クルースニクは何処にいますかねー?」
 背伸びして、一息を吐く。ひさ乃は欠伸を噛み殺して白衣のポケットに手を突っ込むと、遅めの昼食を貰いに足を向けようとした。
「――クルースニクって言ったの?」
 小さな声がした。振り返ると、いつの間にか、部隊の輪を大きく外れたところに、見知らぬ幼女がいた。白い髪に、白いワンピースを纏った、透き通るような白い肌の幼女。
「……アルビノ?」
「違うの。白変種とかいうヤツなの」
 そういえば、ひさ乃を見上げる瞳孔は黒い。
「――って、いつの間に!?」
 目を離したつもりはなかった。だが瞬きの、ほんの刹那に移動してきたとしか思えない程に、少女はひさ乃に接近。しかも綺麗な手で白衣の裾を掴んでいた。
「――どうした、桜屋二士?! ……って、娘さんを連れてきちゃ駄目じゃないか。お嬢ちゃん、ママが心配になって此処まで来たのー?」
 後半は幼女に向かって話し掛ける普通科隊員の足を、ひさ乃は素早く蹴った。
「私の娘に見えますか? まだ25ですよ」
「ヒトは見掛けには因らない――すみません、失言でした。御免なさい。治療で痛くしないで下さい、頼んます。勘弁して下さい、注射嫌いなんです」
 土下座せんばかりに脅えながら頭を下げる普通科隊員は放っておいて、ひさ乃は改めて幼女と向き直る。支援役の後方とはいえ、戦場には違いない。憑魔核は周囲の超常体に反応して、常時活性化したままだ。だが幼女からは、それらともまた違う刺激を憑魔核は感じ取っていた。――少なくとも人間ではなく、異生(ばけもの)には違いない。かといってクドラク側に組する完全侵蝕魔人かと問われれば……自信が無かった。
「――名前は?」
 とりあえず名前を聞いてみる。幼女は首を傾げると、
「ベロボ……ううん、何でも無いなの。そうなの、『すずしろみゆき』と名乗るの。ちなみに『しろ』は『代理』の『代』でなくて、『白色』の『白』なの」
 鈴白・御幸[すずしろ・みゆき]と少女は自称する。あからさまな偽名に目眩を感じるひさ乃だったが、御幸は遠慮なく問い掛けてきた。
「――クルースニクを探しているの。ママが、わたしのクルースニクなの?」
「ママではありません。それと、クルースニクでもありません」
 即座に否定。ママ扱いは特に。御幸は何度も首を傾げると、表情を変えないまま、
「……困ったの。わたしはアイツが姿を現さないよう、力を付けないように頑張っているつもりなの。だから、クルースニクを探しているの」
 ひさ乃と遣り取りしている間に、BUDDYを構えて普通科隊員達に取り囲まれていた。だが御幸は全く臆する素振りを見せず、ただ淡々と言葉を続ける。
「だれ……わたしのクルースニク?」

 

■選択肢
EEu−01)福井・天使群隊の本拠地を襲撃
EEu−02)福井・原発施設に突入して交戦
EEu−03)福井・白い少女とアレコレ会話
EEu−04)石川・白山連峰に北側から隠密
EEu−05)石川・白山連峰に南側から肉薄
EEu−06)石川・駐日露軍と接触して暗闘
EEu−FA)北陸地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお福井の原発施設や石川の白山連峰では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、さらに死亡率も高いので注意されたし。
 また駐日露軍と接触する場合、露西亜語にも精通している事が望ましい。駐日露軍の幹部は英米語での会話も可能だが堪能という程ではなく、ましてや日本語はまったく喋れない。一般兵士に至っては英米語会話すら不自由である。

※註1):20世紀最高のシナリオ……コナミから1998年に発売されたゲームソフト『メタルギアソリッド』。米国のフォーチュン誌にて「20世紀最高のシナリオ」と評価された。神州世界でも度々話題が上がるほどの人気作。なお現実世界で展開されていく続編等が、神州世界でも開発や販売がなされたかどうかは未設定。

※註2)三方町……2005年3月31日に遠敷郡上中町と合併して若狭町が誕生したために消滅した。キャッチコピーは、「いつもあなたの“みかた”です」。


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