同人PBM『隔離戦区・神邦迷処』第2回〜 北陸:東欧羅巴


EEu2『 The voice of the dead person 』

 獲物がかかると、トリガーが外れて空中高く持ち上げた。水上・三殊(みなかみ・みこと)二等陸士は愛用の短刀を抜くと、獲物――頭部の皮膚が角質化した野鼠を絶命させてから温かいうちに内臓を出し、皮を剥ぐ。肉を使い易い大きさの塊に切り分けていった。刃で切った鼠の首から流れ出る血を、躊躇無く水上は舐める。血は水分・塩分・蛋白質・鉄分を含む完全栄養食だ。肉もまた空腹を満たしてくれるだろう。
 ……超常体の出現は、自然環境や生態系にも多大な変化をもたらした。憑魔による変形だけではなく、交配による世代変質。対超常体に用いられた核兵器や化学物質による汚染。奇怪な植物が繁茂する中で、適した進化を遂げていく。
 だが化学科や衛生科の研究によると、見掛けは兎も角、ただの野鼠に過ぎないらしい。有害物質も無いし、何よりも超常体を食べるよりは、抵抗は少ない。捕らえた低位超常体を食糧として転化する試みは、各地で行なわれている。一部の者には抵抗感を覚えるだろうが、いざ戦場では贅沢は出来ない。
 携帯端末に落としたデータを確認しながら、水上は軽く火で炙った肉を口に入れていく。火の灯りが遠く見付けられないよう、また血の臭いに他の動物や超常体が集まってこないように、水上は廃墟となった建物の一角で作業と休憩を行っていた。
「……残った肉は凍らせて保存するか」
 食事をすると、我知らずに気が緩むようだ。慌てて口をつぐむと、床に這うような体勢で耳を澄ませる。地獄耳と揶揄される水上の鋭敏な聴覚は、幸いな事に周囲の異常を検知しなかった。
( ……危ない。危ない。周囲に人が居なくとも、無駄口を叩くとは。緊張が足りないのかな )
 慎重にならねばと、溜め息を漏らしてから割れたガラス窓越しに外の様子を窺う。獅子吼高原にある、レジャー施設『スカイ獅子吼』で、水上は休息を兼ねて観察を行っていた。
 なお高原といっても、一般的な『高原』とは違い、後高山並びに周辺を、鶴来町が観光開発のため名付けて宣伝し、周知した地域名だ。山麓には産業公園として開園していた『パーク獅子吼』があり、人工芝によるスロープや4人乗りゴンドラで繋がっていて、隔離前はさぞかし愉しいところであったと想像出来る。だが今の『パーク獅子吼』には、駐日露西亜連邦軍・露西亜空挺軍の第819独立親衛特殊任務連隊が展開しており、周りを寄せ付けないように警戒網が敷かれていた。時折、現れ出る新種の超常体――成人女性に似た上半身を持つ芋虫状と銃撃戦が繰り返されており、日に日に、激化しているようだった。
 女芋虫――まだ正式な呼称が付けられていないのだが、既存の在来種を脅かし、そして駐日露軍へと執拗に攻撃を繰り返している超常体は、特別戦区となっている白山連峰に突如として出現した。単体の戦闘力は低位中級ぐらいだが、何より数が多い事とまるで死を恐れない攻撃性の高さで、駐日露軍や白山連峰に棲む大型の竜系高位下級超常体を圧倒している。
( ……だが奇妙な事に自分が襲われる事は一度とてなかった )
 女芋虫の群れと危うく接触しかけた事も数度ある。群れの移動や音に注意を払っていても、突如として地面から湧いて出てくるのだ。だが、女芋虫は水上を無視するかのように動き、そして駐日露軍や在来の超常体へと攻撃していく。当初は隠れ忍んでいた自分に気付かなかったのかと思ったが……どうもそうではないようだ。まるで何かを嗅ぎ分けているかのように、女芋虫は水上に手を出してこない。むしろ、
( ……自分を案内しているような気配も )
 スカイ獅子吼から見下ろせるのは、パーク獅子吼だけではない。全国2,000社近くあると言われる白山神社の総本社――白山比盗_社が見えた。駐日露軍は白山比盗_社を包囲するように陣を敷き、外から内から現れる女芋虫の掃討に躍起になっているようだった。AN-94(アブトマット・ニコノバ94年型)――通称アバカンが唸る音が断続的に聞こえてくる。そこまでして護らなければならないものがあるのか? 否、護っているのではないとしたら?
( ……いずれにしても白山比盗_社に辿り着かねばならない。何があるのか、そして結界維持部隊に何をもたらすのか )
 其の時、声が聞こえたような気がした。耳で捉えたのでなく、脳裏に直接響いたような……。
『 ―― 妾を解き放ちたまえ。高天原の霊と、葦原の血肉に連なりしヒトの子よ……』
 思わず、水上は頂にある分社――獅子吼白山比盗_社へと振り返る。
 か細い声だった。女の声だった。低き位置からから響くような、だが……安らぎをもたらす声だった。
「――考え事に気をとられて動きが遅れるような事は避けるべきだが。忍者的に」
 また言葉を漏らしてしまった。平常心を保つよう努なければ、忍者的に。

*        *        *

 厳つい表情で歩哨に立つ、駐日露軍の兵士達。だが馴染みとなった顔を出すと、苦笑いながらも敬礼をしてきてくれる。
「――マエゾノ准尉。御苦労様であります。……しかし、残念ながらグリゴロフ中尉は数刻前に作戦任務に向かっておりまして」
「何だ、ヨシップの野郎、居ないのか。……ああ、ならば、ある意味、都合がいいかもな。野郎には悪いけれども、おじさん、今日はラドゥイギン大尉の方に会いに来たんだ。――もしかして大尉も作戦任務中かい?」
 第14普通科連隊・第1037班甲組長、前園・賢吾(まえぞの・けんご)准陸尉の問い掛けに、兵士は中へと連絡を入れる。
「――御用件は何か?と」
「ああ、確認されている完全侵蝕魔人とか、脱走もしくはMIA(Missing in action:任務中行方不明)のリストを持ってきた。……とはいえ、ガキの使いじゃないんだから、リストを渡しただけで帰るつもりもなくてな……話は出来そうか?」
 前園の言葉に、兵士達は顔を見合わせる。確かにリストといった情報の遣り取りだけで済む事だが、
「――暫くお待ち下さい。確認を取ります」
「すまんね、感謝する」
 ……数分後、前園は将校の執務室に案内され、ウラジミール・ラドゥイギン[―・―]大尉と対面していた。髭を生やした巌のような強面の男。険悪の仲である ヨシップ・グリゴロフ[―・―]中尉より、一回り年上だろう。グリゴロフが言っていた通り、「頭が硬くてお行儀がよすぎる」とは、以前にも何回か会った事がある前園も納得するものだった。
「――リストは確かに受け取った。御苦労」
 組織は違っても階級の差は絶対だ。ラドゥイギンから見れば、年齢の近い前園でも同格として扱うつもりがないのは相変わらずだった。
「……日本軍は今もなお若狭湾の原発群を奪還しあぐねていると聞いている。我が軍からの脱走兵も加わっていると報告を受けているが?」
「主犯は3名という話ですがね。コードネーム『コシチェイ』……異形系の元維持部隊一曹。コードネーム『バーバヤガー』……操氣系の元維持部隊二士。そしてリーダー格が『クドラク』……異形系の元維持部隊士長だそうで……」
 クドラク[――]の名を告げた時、前園はラドゥイギンの顔を盗み見た。だがラドゥイギンは詰まらなさそうに、書類に目を通しているだけ。表情が変わる素振りは全く見られない。
「……土地柄なのか。それとも我等、露西亜人への嫌がらせか何かとしか思えんな。このコードネームは」
「しかし、其の名を付けられるからには、それなりの力やらあるんでしょうな。――もしも伝承通りのクドラクと同じ存在になっていたのなら、対抗するにはクルースニクの登場を待つしかないと思いますがね」
 前園の言葉に、ラドゥイギンは鼻で笑う。
「バカバカしい……伝承通りのモノだとしても、今と昔では戦い方も武器も異なる。ましてや、死なないというのならば、生き返るのを諦めるまで叩き潰し続ければ良い事だ」
 この世界には霊魂の存在は証明されていない。半不死性を有する異形系といえども、憑魔核を破壊されたり、細胞全てを焼き尽くされたりしたら、死亡しかない。そしてクドラクは自称に過ぎない。久遠・楽太郎[くどう・らくたろう]という、元は人間だ。
「日本軍の間ではオカルトが流行っているらしいが、我から言わせれば、もっと現実を見る事だな」
「そうですか……しかし、もんじゅ奪還部隊がクルースニクを探す少女を保護したらしいですよ。伝承ではクドラクはクルースニクと戦う宿命にあるため露西亜軍に居るかも知れないので照会してくれと頼まれたんですが……もんじゅ攻略は難航しているそうなので、藁をも掴む心境なのかも知れませんよ」
「生憎と、白山連峰の平穏を維持するのが、我が軍の役目と心得ている。それに我が軍が日本軍の救援に向かったところで、良い顔をするとは思えんな」
 そろそろ時間だと、ラドゥイギンは腰を上げた。
「……万が一、原発奪還に失敗した場合、我が軍も対応に迫られる事になる。そうならないよう、日本軍の健闘を祈っておく事にしよう」
 それは、此方に迷惑を掛けるなという拒絶に似た言葉だった。
「万が一失敗した場合は……どうなるんですかね?」
「……ただの核テロリズムであれば未だ良い方だな」
 追求を止めない前園だったが、ラドゥイギンは素っ気無く答えただけだった。鼻で笑うと、
「……日本軍で流行っているオカルトに従ってみれば、どうだ? 核暴走熱を利用して、悪神や大魔王を顕現させる気かも知れんぞ。――だが、そうなれば此方も動かざるを得ない。現状より、もう一歩計画を進めなければならなくなるが……ソレは日本軍が不甲斐無いからだと思え」

*        *        *

 敷地内にある浄安杉とブナの原生林は、かつて県指定天然記念物だったと聞く。至る所に、新種の超常体である女芋虫が巣くっているが、鬼部・智孝(おにべ・ともたか)二等陸士に危害を加えようとはしなかった。
 現在、鬼部が滞在している白山中居神社は、白山信仰と関わりが深く、かつて白山中宮長滝寺(※現・長滝白山神社、長瀧寺)を馬場(起点)とする禅道(禅頂=山頂に到る道)の中継点として巡礼者を助ける役目を担っていた。
「……媛神の声は、最早、聞けずか」
 新調した特注の山岳装備に身を包み、再び訪れた鬼部だったが、先日に心身を貫いた“何か”――脳裏に響いた声は聞こえてこなかった。か細い声だった。女の声だった。低き位置からから響くような、だが安らぎをもたらす声だった。
「……あの声。恐らくは白山権現、菊理媛神と思われる。だが――」
 菊理媛[くくりひめ]は、こう嘆いていた。
 ――妾を解放して下さいませ。自らの紐で括り、自らを封じる事となった妾を哀れと思うならば、妾を解き放ちたまえ。高天原の霊と、葦原の血肉に連なりしヒトの子よ……と。
「……恐らくは何らかの理由で自ら封印を施したのだろう。だが、この様な事態を招いた、我らの責任もあるでしょう。御自身を哀れと仰らないで下さい」
 頭を垂れて慰める言葉を口にした。だが、菊理媛を解放するに至っての手段が判らない。直接、菊理媛に問い掛けて答が得られるのならば、其れに越した事はないだろうが、残念ながら、先日のような衝撃は二度と感じられなかった。巣くう女芋虫の群れもまた鬼部に解を与えようともせず、ただ見守るように、そこらに居続けるだけ。
「……媛神の眷属は間違いないだろうが、自分が具申する意見に従ってもらえそうにないようだ」
 白山連峰は駐日露軍の管理下にあるといっても良い。駐日露軍に抗する為にも腹案があったのだが、意思疎通が出来なければ意味がない。せめて菊理媛と再び交神出来れば……。
 仕方なく女芋虫の存在に遠慮せずに、鬼部は封印解放の手掛かりや、交神手段を求めて、本殿を調べさせてもらう。本殿に奉納されていたのは、
「……剣か、これは?」
 錆が浮き、刃も欠け、朽ちた古い剣。調べたところ、歴史的には加賀や美濃、越前の白山三馬場よりも中居神社の創建は古く、雄略天皇の頃に護国鎮護の為、剣を奉納されたとあった。
「……紐か、もしくは鎖等で戒められた御神体があると思ったのだが」
 確かに歴史的にも貴重なものに違いない。菊理媛の別名……というか、白山信仰における名は白山権現。山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、本地仏は十一面観世音菩薩である。六観音が1仏であり、阿修羅道の衆生を摂化するという。
 そもそも菊理媛自身が謎めいた神である。記紀本文には姿を現さず、ただ『日本書紀』の一書に一度だけ出てくる神である。神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊邪那岐と伊邪那美の仲を取り持った事から縁結びの神とされる。他に、糸を紡ぐ(括る)事に関係があるとする説、「潜り」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説等がある。ケガレを祓う神とも、巫女(シャーマン)的な神とも言われる。
 また白山比盗_と同一視される経緯も謎めいており、古代において白山比盗_は伊邪那美であったとされている。
「……とはいえ、俺は菊理媛と信じ――否、菊理媛でなくとも封じられし神を解放する為にも手掛かりを得なければならない」
 この剣に何らかの力が宿っていそうな事は操氣系でない鬼部にも判ったが、どういうものかが謎だ。解放の鍵かもしれないとは思うが……。
「しかし……此処に最早、手掛かりが無いとしてもどうするべきか。此処を捨て置いて、先へ、奥へ、頂へと進むべきか。それとも守るべきか。露西亜はハインドという戦闘ヘリとかを持っている関係上、此処も直ぐに奇襲されかねない危険はある。警戒するに越した事はないのだが……」
 鬼部は唸ると、考え込むのだった。

*        *        *

 白木海水浴場に布陣する、もんじゅ奪還を目的とする混合団。第14普通科連隊を主幹とし、今津と饗庭野からの戦車と高射特科の編隊とする部隊は、完全侵蝕魔人によって占拠された高速増殖炉もんじゅをはじめとする若狭湾の原子力発電所施設群――通称『原発銀座』の奪還を目的としている。
 美浜発電所等に潜んでいた完全侵蝕魔人や超常体を排除したものの、肝心のもんじゅは隧道に仕掛けられていた罠によって攻略の歩みが停滞していた。隧道を回避する山越えも試みられているものの、待ち伏せしている超常体や完全侵蝕魔人と偶発的な戦闘を繰り返している。
「――隧道を埋めていた瓦礫等の撤去、8割方完了しました」
 報告を受けて、混合団長を兼任する第14普通科連隊長(一等陸佐)が頷いた。地図を睨みながら、
「撤去作業も大詰めだ。敵の妨害工作、襲撃には引き続き警戒に当たれ。またレンジャーにも何とかして山越えコースを探らせておいてくれ」
 隧道さえ開通すれば、相手が単体戦力において最強とされる魔人であっても、数でもって圧倒する事は不可能でない。だが遊撃や浸透しての工作という選択肢が増えるのであれば、困難な攻略にも、多少は犠牲を減らす事が出来るだろう。
 連隊長の指示に、敬礼を以って応える中隊長。
「しかし……問題はもんじゅを占拠している魔人共だけではありません。天使陣営が介入させない事も同時に成しえないといけません」
 第10師団第10高射特科大隊・第1中隊第3小隊長の 大江山・椛(おおえやま・もみじ)准陸尉が発言に、机を囲む一同が唸った。
 完全侵蝕魔人が原発銀座を占拠したのと前後して、天使――ヘブライ神群の有翼人型超常体の群れが大挙として押し寄せてきた。天使共も何らかの目的があって原発銀座の占拠を企んでいるようだったが、敵の敵は味方とは言えず、もんじゅ奪還部隊と交戦が展開されている。今でも時折、アルカンジェルが率いるエンジェルスの斥候が現れては迎撃するのを繰り返していた。正直、鬱陶しい。
「此方は敵本拠地の場所を把握しています。此れに圧迫を掛ける事で、天使共を原発から遠ざけるべきだと上申します」
 先日の襲撃の際、撤退する天使共を追跡した結果、三方の八幡神社址に前線基地を設けている事が判明している。椛の意見としては、敵拠点に圧力を掛け、一方的に守勢へと追い込み、もんじゅ攻略への邪魔をさせない事に趣旨があった。
「ふむ。とはいえ、相手の動きを縛るにも、それなりの戦力が必要だ。割ける戦力は、そうは無いぞ?」
 連隊長の言葉は覚悟の上だった。
「ええ。可能なら本拠地を攻略したい物ですが……最低条件は原発奪還に介入させない事ですから」
 問題として、対空攻撃の要ともいえる椛達が率いる高射特科部隊は車輌が主力である以上、進攻に路面が不可欠である。装軌とはいえ若狭湾のリアス式海岸の性質――起伏が多く、急な傾斜の山地が海岸にまで迫る事もあり、平地が少ない為、県道27号線沿いに西進するしかなく、また移動や展開も極めて困難といえる。対して、その背の翼で空を飛翔出来る分、天使共の方がアドバンテージは上だった。
「――天使共の目を釘付けにして、動きを阻害させる事が目的とはいえ、犠牲を強いらせる事になるのは間違いないな」
「しかし、後顧の憂いを断つ為にも、大江山准尉の作戦案は了承するしかありません。随伴する部隊には敦賀待機の一個中隊より回しましょう」
 苦悩していた第14普通科連隊長だったが、
「敵は、より上位とされるドミニオンが1体、ヴァーチャーも1体いる事が報告されている。また烏合の衆とされるエンジェルも祝祷系による精神操作攻撃も使う。油断するな」
 ……九州の天草や、北海道の千歳といった神州各地でも苦しめられる精神攻撃は、皮肉を込めて〈安らぎの光〉と称される事になる。
「前回は何とか抵抗出来たが、都合良く今回も上手くいくとは限らん。用心して行け」
「此方も祝祷系で対抗し、緩和を目論みたいと思います。……流石に押し切れるほど強力ではありませんが、被害軽減なら可能でしょう」
 だが椛の意見に、混合部隊の幹部達は、それこそ複雑な表情を浮かべる。――光を操る事で眩惑させたり、精神に働き掛けて相手を魅了したりする事が出来る祝祷系と呼ばれる能力だが、所持者は全国各地の維持部隊に所属している魔人を全員集めても、2割以下に満たない。維持部隊内の魔人の割合自体がそう多くないのだから、都合良く祝祷系魔人の能力を期待する方が、問題というものだ。
「……前回の立役者である明石三曹を説得出来れば良いのだがな」

 派手なくしゃみをする 明石・喜助(あかし・きすけ)三等陸曹に対して、周囲の反応は、
「うわっ、汚っ! 唾を飛ばさないでくれよ」
「……風邪ですか? うつさないで下さいよ」
 実に散々なものだった。尤も意地悪く言っているが、親愛の念からくると判っているので明石もワザとらしく泣真似しながら、
「……何じゃい、バイ菌扱いしおって、世間は冷たいのぅ。……こう『明石の小父様、寒いのでしたら温めてあげますわん』とか、美女の群れが労わってくれても良いのに」
 WAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)達から半ば呆れ気味に「エロ布袋」と呼ばれる事もある、明石は不満を漏らしながら鼻を噛んだ。
「ふーむ。誰か、わしの事を格好良く噂してくれているのじゃろうか?」
「まぁ、前回の襲撃の際に、天使共の精神攻撃から立ち直る為の切っ掛けを与えてくれた事といい、追跡して拠点を発見したといい、大活躍だったのは確かだが」
 苦笑する同僚達。でも美女が噂するなんてナイナイと一致して否定する。
「それよりも本当に風邪だったら問題だ。衛生科で薬でも貰ってくれば?」
「……わし、魔人じゃからウィルス抗体は強いんじゃがのう」
 正確には異形系能力も有しているからなのだが、同僚相手にしても説明したところで面倒が生じるだけだ。2種以上の憑魔能力を有する魔人がいる可能性も確率論としてはあるが、現実的には存在しないと思われているのが、一般の見解だ。
 ……だが明石といった一部の維持部隊員の中には、複数の能力を有している者がいるのも、また事実である。複数の憑魔核を有しているもの、或いは特殊な生育環境を持つものが、それらに当たる。明石の場合は後者だ。
 さておき、そういえばと思い出して、明石は衛生科の天幕へと顔を出した。
「――オカルト好きのお嬢ちゃんはおるかのぅ? ちと聞きたい事があるような、ないような……」
 どっちだよ!?と、だが生憎にもツッコミを入れてくれる人はいなかった。代りに目が合ったのは、
「ひさ乃はいないの。負傷者の手当てでてんてこ舞いなのよ?」
 白い髪に、白いワンピースを纏った、透き通るような白い肌の幼女。
「……雪女?」
「そういう疑問が出るとは思わなかったの。でも違うの。……アルビノでもないのよ?」
 そして白い幼女は、明石をつぶらな瞳で見上げる。背筋がざわめく感覚。明石は体質上、憑魔核の活性化という魔人特有の反応に覚えが無いが……
「……おまえさん、異生(ばけもの)じゃな」
 魔人の活性化とは異なる反応――共振とも共鳴ともいえる作用が明石の身を貫く。しかも幼女の実力は、超常体の分類で言うならば群神や魔王とされる高位上級並みはあるだろう。
「――ソレは、お互い様なの」
「わしは、ただの古狸じゃよ」
 嘯いて見せるが、幼女は見詰めたまま、
「あなたは、わたしのクルースニクではないの」
 断言した。明石の顔が渋面を作る。
「じゃから、わしはただの古狸よ」
「……困るの。クルースニクが見付からないの。このままでは、“あいつ”が出てくるのを、このまま指を噛んで見過ごすしか出来ないの」
「ふむ……? そういえばオカルト好きのお嬢ちゃんが口にしていた覚えがあるが……クルースニクとは何なんじゃ? クドラクと敵対する存在と言っておった気がするが?」
 明石の言葉に、幼女は頷くと、
「吸血鬼ハンターなの。でもD(※註1)とは違うの。ましてや峠は攻めないの」
「それは、DはDでも違うD(※註2)じゃ!」
 明石がツッコミに回るのも珍しい。というか何で隔離前の出版物に詳しいのか。見掛けの歳に騙されてはいけないだろう。
「……クルースニクとは、クドラクと戦う事を宿命とした特殊な戦士なの。とはいえ、もんじゅを占拠しているのは、其の力からクドラクを自称しているだけで、元は普通の魔人なのよ? それでもクドラクを自称するに相応しい力とイカレ具合は間違いないの」
「ふむ……では、おまえさんが探しているクルースニクとは何じゃ? 相手が本物のクドラクでないとしたら、クルースニクというのも……」
 ふと思いついた疑問を明石は口にする。幼女は軽く頷いて見せると、
「勘違いがあるみたいだけれども、神とか英雄の個人名とかじゃないの。わたしが言うクルースニクとは、わたしが力を授けるに相応しい戦士の事なの。クドラクも同じ。……わたしと“あいつ”が対立する関係にあるように、クルースニクとクドラクも同じなの」
「……それは一種の代理戦争みたいなものじゃな」
 明石が何となくでも理解した事を呟くと、幼女は再び首肯して見せた。
「その認識で間違っていないの。でも、今回は『黙示録の戦い』が近付いて来ているの。だから、わたしはこの身体で生まれ出る形で、この世界に顕現したの。でも、“あいつ”はもんじゅを暴走させる事で生じる莫大な熱量を利用して、直接この世界に現れるつもりなの」
 そして幼女は背を向けると、またあちらこちらを歩き回る。怪しいはずなのに、幼女を誰も咎めない。祝祷系能力による誤認誘導か?
「待つが良い。お前さんの名は――?」
「ベロボ……じゃなくて、今は『すずしろみゆき』と名乗っているの。ちなみに『しろ』は『代理』の『代』でなくて、『白色』の『白』なの」
 鈴白・御幸[すずしろ・みゆき]とあからさまな偽名を自称する幼女は、明石が追いかける間も無く、人の群れに溶け込んでいった。
「ふむ……何かあるとは思っておったが――クドラク達の目的は『“あいつ”の顕現』じゃと言っておったな」
 しかし“あいつ”って誰じゃろう?

*        *        *

 ヤスリ状のドラムを親指で勢い良く回転させると、摩擦で火花が散る。ライターで煙草に火を点け、前園は燻らせた。訓練の小休止とあって、部下達も軽く伸びをしたり、手足を揉んだりして、疲れを発散させていた。
「……露軍に動きが無いねぇ。ラドゥイギン大尉とグリゴロフ中尉が先を争って、もんじゅに向かう事を期待していたんだけどなぁ」
 紫煙を見詰めながら、前園は独りぼやく。ラドゥイギンは白山連峰北面の守りを今まで以上に固めており、グリゴロフの方も南側の警戒に向かったまま帰ってきてないようだ。前園からの伝言を聞いたグリゴロフがそのまま若狭へと向かってくれる可能性にも期待したが、敦賀からの連絡では影も形も見えないという。いくら彼等がスペツナズであり、隠密行動していたとしても、敦賀を通過せずにもんじゅへと辿り着くのは困難だ。自衛隊の警戒網もそこまで節穴ではない。
「……結局、2人ともクルースニクじゃなかったって事か。好奇心や自負心があれば、何かアクションをしてくれると思ったんだけどなぁ」
 だが、ラドゥイギンの物言いは、もんじゅで行われている何かについて知っているようでもあった。
「――悪神や大魔王を顕現させるつもりかも知れんぞ、か。阻止に失敗したら、俺達、自衛隊の責任って言うし。……でも、どうせなら露軍が出張って阻止してくれたら楽なんだけど。色々と……」
 ぼやきを漏らす前園。通信を傍受していた部下が恐る恐る声を掛けた。
「――准尉。ラドゥイギン大尉が動いたようです」
「ほんとっ!? どこ? 遅まきながらも、もんじゅへ向かってくれたんなら、おじさん、嬉しいんだが」
 だが部下は頭を横に振ると、
「――白山比盗_社へ。本格的に新種の超常体を掃討する作戦の指揮を取るようです」
「……白山比盗_社か。白山神社の総本社だったよな」
 部下に確認するまでもなく、地図を広げる。駐日露軍の支配下にあるとはいえ、今まで直接的には手を出していなかったとグリゴロフから聞いていたところだ。そこへラドゥイギン自らが乗り込んでいくだと?
「おじさん……もしかして、また藪をつついてしまったかな? 厭な予感がするんだけれども」
 前園の問いに、だが部下は答を返さなかった。

*        *        *

 県道27号線沿いに西進し、気山駅跡に差し掛かる。上空を絶えず見張っていた観測手が、南に発光体が増え始めたのを視認し、各隊へと警告を発した。
「――やはり此方の動きに勘付いたようです。迎撃に出てきたエンジェルスを確認しました」
 87式自走高射機関砲スカイシューターに搭載されているパルス・ドップラー方式の索敵レーダからの観測情報は、椛が乗る対空指揮車輌を通じて、各隊に共有された。普通科隊員は搭乗していた高機動車『疾風』や96式装輪装甲車クーガーより降りると、建物の陰や屋内に潜り込んで、敵を待ち受ける。
「――各員、状況開始!」
 戦闘の火蓋を切ったのは、無論、スカイシューターのエリコン90口径35mm2連装機関砲。広がりつつあるエンジェルスの群れへと、火線を引きながら35mm弾が吸い込まれていく。エンジェルスの多くを撃墜していくが、漏らした敵が光の矢で応戦してきた。
「――各員、用心しなさい!」
 氣で身を包んだアルカンジェル数体が突撃してくる。文字通り、張られた弾幕を切り込んでくる敵は傷付きながらもスカイシューターに肉薄しようとした。だが随伴していた隊員がBUDDYを乱射。また普通科隊員が5.56mm機関銃MINIMIの圧倒的な弾雨を叩き付け、蹴散らす。
 それでも恐れを知らずに、アルカンジェルはバンザイアタックを続けてくる。無尽蔵に沸くと言われる程の圧倒的な数量に物言わせての特攻に、歯噛みした。
 更には、
「――プリンシパリティ、並びにパワー、各1体が加わりましたっ!」
「あら。でも、まだ大物が出てきていませんわね」
 敵後方に甲冑に似た外骨格に身を包んだパワー。其の顔は窺い知れぬが、先日の汚名を返上すべく、躍起になっているのだろうか。重圧の氣を放ってきた。
「各員、歯を食いしばれ!」
 普通科部隊の班長達が大声を張り上げる。屋上や、窓から乗り出した隊員が設置した12.7mm重機関銃ブローニングM2で薙ぎ払う。風の刃を撃ち出してくるプリンシパリティに対して、91式携帯地対空誘導弾ハンドアローを構えると、もったいぶらずに叩き込んだ。
「――今です! 短SAM、射てっ!」
 椛の号令を受けて、81式短距離地対空誘導弾ショートアローが咆哮を上げた。射ち出された誘導弾は改良されたC型と呼ばれるもの。対妨害性が向上された弾頭は、エンジェルスが放つ光に惑わされる事なく、パワーをロックオンすると狙い違わずに命中する。
 パワーに直撃を確認し、空中に広がる花火に味方から歓声が沸くが、椛は叱咤するとスカイシューターのエリコンを向けさせた。コンピュータでコントロールされた射撃統制装置は、レーダが捕捉した影へと容赦なく35mm機関砲弾を叩き込んでいく。
「――なぶるなぁ!」
 怒りの叫びを上がる。爆煙が晴れた後、椛が危惧した通り、パワーはしぶとく生き残っていた。ショートアローが放った誘導弾の直撃を氣の防壁で凌いでいたのだ。しかし容赦無しに叩き込んだ機関砲弾で、身を削られてパワーはついに墜ちそうだった。
「……このままでは死ねん!」
「各員、集中砲火! パワーを撃ち落とせ!」
 死力を尽くして膨れ上がった氣を纏って、パワーが突撃してくる。スカイシューターだけでなく、MINIMIやブローニングM2、豆鉄砲程度かもしれないがBUDDYも加わっての火線が集中した。
 ――そして後もう少しのところでパワーは墜ちた。
 今度こそ、歓声が湧き上がる。……流石の椛も頬を綻ばせた。
 だが、其の一瞬に過ぎないはずの油断を突かれてしまった。
 ……詩(うた)が聞こえてくる。人の声とは、違う声。聞こえぬ詩声が、脳裏に響く。前方のエンジェルスからではない。パワーの突撃に気をとられ、また撃墜した事による安堵の隙を突いて、敵の遊撃部隊が後方や側面から奇襲を掛けてきたのだ。翼を持ち、自在に空を飛翔する天使だからこそ可能な部隊展開。そして、光学迷彩を解いて現れたエンジェルスの中央で、透き通る様な肌を持つ高位中級超常体ヴァーチャーが高く声を張り上げた。
    われらの罪をも すべてつつみたもう
    主のいつくしみは ゆたかにあふれて、
    み民のそむきを あがなう牧者の
    恵みはつきせじ
 詠うエンジェルスから中心に一際大きな光が放たれてくる。椛は血がにじむほどに己の拳をきつく握り固めながら、
「……精神攻撃!? 各員、自我を保ちなさい!」
 だが椛の叱咤もむなしく、光を浴びて、心の隙を突かれた隊員達は、服従や自害、または同士討ちを始める。更に駄目押しとばかりに、
「――ッ! 敵本拠地より大本命が出てきました」
 挟撃という形に、部隊が浮き足立つ。姿を現したのは四翼の天使――ドミニオン。一対の光の翼が大きく広げられると、物量を伴った光が放たれた。パワーの氣を上回る圧力をまともに受けて、正気を保っていた隊員の数名も絶命する。勢いに乗ったアルカンジェルの攻撃を阻止する事も出来ずに、戦線は崩壊した。
 ――憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 椛の全身を痛みが走る。刺激を受けた憑魔核は、椛の意識のままに氣の防御壁を張る。荒れ狂うプリンシパリティの風刃や、ヴァーチャーの紫電の嵐の中、撤退を開始する。椛の氣は自分と、指揮車輌に搭乗している部下だけしかカバー出来ない。敵の包囲網を命からがら突破する椛の目に、逃げ損ねて敵に囲まれたスカイシューター1輌が映った。
「――准尉、危険です! このまま退いて下さい」
 指揮車輌のハンドルを握る操縦士は、巧みな運転裁きで敵の追撃を引き離す。だが、それは戦場に部下を残す事に繋がった。
「ですが、部下が! 大事な仲間達が!」
 椛は悲鳴を上げる。遠くで雷光が走ったと思った瞬間、爆発音が轟いた。
 ……こうして三方の天使拠点第一次攻略戦は、もんじゅ介入阻止という目的は果たしたものの、失敗と非難されてもオカシクない程の損害を出して終わったのだった。

*        *        *

 ――時は、三方の天使拠点攻撃部隊が戦闘を開始する頃と前後する。
 もんじゅ奪還部隊が、隧道の障害撤去作業を終了し、偵察を出して罠の発見と索敵に努める正面とは反対側――敷地内の外れ、山に深く面した場所に小さな穴が開いた。奥から管のような物が這い出し、外の様子を観察する。人の気配がない事を確認すると、穴は広がり巨大な獣を吐き出した。
( ……どうやら、無事に辿り着いたわい )
 成人男性と同程度の大きさを持つモグラはそのまま建物の陰へと潜り込む。そして胸元に両腕を寄せると、左手の食指を立て、他の四指を握った。立てた左の食指を右手で握ると、右親指は中に入れ、右食指は左のと爪先を合わせる印行――智拳印を形作る。
 次の瞬間に姿を現したのは、明石。だが微妙に容貌と体形は普段と違った姿となり、誰一人、彼と気付く者は居ないだろう。念には念を入れての変装だった。
( ……味方部隊の作戦が思ったより早くはじまったようじゃのう。穴掘りに時間を掛けてしもったわ )
 それでも静かに歩み寄りながら、頭の中に入れていたもんじゅの地図から現在位置を割り出す。もんじゅに潜んでいる完全侵蝕魔人がどれほどの規模か、何人潜んでいるのか、仕掛けられているのならば罠の位置等を探り出しておかないといけない。
 正面側から激しい銃声が響き、また砲音が轟いた。74式戦車の51口径105mmライフル砲L7A1が発射されたらしい。昼間とはいえ、彼方に爆炎が上がるのが見えた。
「――おい、てめぇ! 何してやがる?」
 声が上がった。血で汚れた戦闘迷彩II型の上から、露軍制のボディアーマーを着込んだ男がBUDDYを構えて、明石へと銃口を向けてきた。だが……
「維持部隊が攻めてきたんだから、迎撃に向かいに行くに決まっておるじゃろう。おまえさんこそ、どうした? 何もしておらんと、クドラクが煩いじゃろう」
 唇の端を歪めて笑うと、明石は当然のように返事した。魔人はいぶかしむ表情を浮かべたが、
「――判っているさ。クドラクの奴も電波でうるせぇが、コシチェイは別の意味で煩いからな。あいつは神経質過ぎる」
 BUDDYを肩に担ぎ直すと、魔人は唾棄した。魔人の話から窺うに、首謀者はクドラクでも、参謀役はコシチェイらしい。一番厄介かつ叩いて効果が上がるのはコシチェイと、明石は即座に認識した。
「じゃのう――彼女は煩くて仕方ない」
「……待て。コシチェイは男だぞ? 誰だ、てめぇ!」
 おっと、致命的なミス! だが明石は魔人が再び銃口を向けるより早く、光を放った。そしてからかうように笑う。
「――ちょっとした冗談じゃわい。なぁ?」
「そ……うだな。趣味の悪い冗談だな」
 瞳孔が開いた状態で魔人は首を傾げる。上手く催眠が掛かったと、明石は心の中で安堵の息を漏らした。
「……しかし冗談が過ぎるぞ。侵入者だと思ったじゃねぇか。余り、見かけない顔だし」
「おいおい、ひどいのぅ。まぁ、わしもよく覚えておらんのじゃから、お互い様じゃが。――果たして、此処に何人詰めていたのか、さっぱりじゃ」
「違いねぇ。とりあえず、面白そうだから集まってきただけであって、俺達全員がクドラクの命令に従っている訳じゃねぇからな。俺もよく覚えていないが、あの三人組を除けば……5〜6人ぐらいじゃねぇかな」
 そして再び唾を吐く。
「クドラクの野郎、いい気になって、俺達全員ひっくるめて『ストリゴイ』なんて呼んでいるがな。てめぇの舎弟じゃねぇんだよ」
 それよりもと完全侵蝕魔人――ストリゴイは正面の方角を向くと、
「バーバヤガーが暴れちゃいるが多勢に無勢だ。別に突破されたら、殺される前に逃げ帰ればいいんだが、コシチェイも煩いし、それに遊び足りねぇしな。仕方ねぇから応援に行くぜ。……バーバヤガーに恩を売っておいて、夜の相手をさせるのもいいかもしれねぇ」
 意地の悪い背を向けたストリゴイ。頷いた明石は従う振りをして後についていき、油断したところを手にした銃剣で突き刺した。叫びを上げられる前に口をふさぐと、銃剣で深く抉る。絶命を確認したが、異形系だとしたら憑魔核を潰さない限り、安心は出来ない。
「――しかし男を脱がせても楽しくないのぅ。露出しているところには核はないようじゃが」
「……右脇腹なの」
「おお、そうか。それはありがたい……って、おまえさん、何処から来おった!?」
 声に振り返れば、御幸がしゃがんで死体を棒で突いていた。明石を見上げると、
「――あなたの掘ったトンネルを通ってきたの」
「何故、ばれたんじゃろうな……」
 壁に手を付いて反省の姿勢。それでも御幸の助言に従ってストリゴイの憑魔核を潰しておくのは忘れない。
「目的地は同じなの。あなたはクルースニクじゃないけれども、もう時間がないの」
 問い詰めるよりも早く御幸は動き出す。が、すぐに止まった。明石を振り返り、
「――目的地の方角と距離は判るけれども、地図がないの。案内して欲しいの」
「操氣系か、おぬし?」
「今は、其の力を使っているの。だから、わたしが来た事も氣を探れる奴がいたらバレバレなの」
「……駄目ではないか!」
 慌てて自分も含めて気配を隠してもらい、ついでに迷彩を施す。操氣系と祝祷系の合わせ技だ。通常の方法では発見されない。
「……御陰で調べ易くはなったが、おまえさん、足を引っ張るでないぞ?」
「解かったなの。任せるの」
 気配と姿を隠した事で、敵の待ち伏せや仕掛けられた罠を危なげなく通過していく。正面側の攻勢へと、隠れ潜んでいるストリゴイの注意が向けられていたのも助かった。
「……しかし重要拠点は、やはり原子炉か」
 御幸が示す場所もまた増殖炉。そこに敵勢力がもんじゅを欲していた理由がある。明石は意を決して足を踏み出した、その時、
 ――火災警報が施設内に轟いた!
「……まさか。もう顕現するというの?!」
 気配を隠すのを忘れて、御幸が全力で走り続ける。慌てて追い駆ける明石。増殖炉の管理室に飛び込もうとしたところで、追い付き、そして手を引いた。入り口へと弾雨が降り注ぐ。明石の判断が遅れていたら、御幸は蜂の巣だった事だろう。
「でひゃひゃひゃひゃひゃ! やっぱり来やがったか。でも残念でーしたー! ちょっと遅かったねぇ」
 管理室の入り口を射角に収めるように陣取っているのは、クドラク。右手にMINIMI、左手にAKS-74(アブトマット・カラシニコバ・銃床折畳式1974年型)機関騎銃という東西混合の装備を構えている。そして火災警報の非常に大きなベル音は止まらない。
「……何を考えておるんじゃ? このままでは炉心溶融し、95年のナトリウム漏洩事故とは比較にならぬ程の被害が起きるぞ?!」
 明石の叫びに、だがクドラクは気に障る特徴的な笑い声を上げ続ける。鳴り響くベル音よりもクドラクの笑い声に、明石は苛立ちを覚えた。
「――メルトダウンなんか起きねぇよ。これから始まるのは、もっと愉しい事だぜ? なぁ……お嬢ちゃんの姿をした“白の神(ベロボーグ)”よ!」
 そして――管理室が虹色の爆発光に満たされた。
「キタキタキタキタキタキターーーーっ!!!!」
 衝撃が放たれた。それは魂を傷付け、激痛で蝕む忌まわしき波動だった。明石ですらも震えが来る程の痛みに声にならぬ叫びを上げた。維持部隊の魔人ならば尚更だろう。第一世代の中には憑魔核が暴走して、完全侵蝕魔人に堕ちてしまった者もいるかも知れない。
 だが痛みに苦しんでいる余裕もなかった。虹色の発光は、続いて湧き出した闇に飲み込まれていき、そこに強大な存在が顕現していた。
「……本当に顕現してしまったの。“黒の神(チェルノボーグ)”が」
【――其の通りだ、ベロボーグよ。吾は貴様との戦いに終止符を打ち、『黙示録の戦い』を征する事で、くだらぬ『遊戯』を、そして世界を終わらせて見せよう】
「……ヘブライの天使共と渡り合えるつもりなの? それこそお笑いなの」
【其れだけの力を吾は手に入れる。顕現して間もない今でも、主神を気取るペルーン――トリグラフ共ですら従えるのも容易い程だ。奴等は此の地の女神の力を取り込もうとするつもりだが……其の上で吾が捻じ伏せれば良いだけの事】
 それではお喋りは終わりだ。そう言葉を発すると、闇――チェルノボーグ[――]は、明石諸共に御幸を葬り去ろうと力を放とうとするのが感じられた。
「……どうするんじゃ!?」
「当然――逃げるの!」

 次の瞬間、気が付いた時は、明石は机の上に叩き落されていた。突如、空中に出現した明石達の姿に、第14普通科連隊長達の目が丸くなっていた。
「……明石三曹だったな? どうやって、否、何が起こった? もしや先程に生じた強制侵蝕現象と関係があるのか?」
 問い掛けに答えたくとも、物凄い嘔吐感を抑えるべく明石は口を押さえるしかない。空間跳躍――特殊な能力者しか使えない移動手段は、前以て覚悟していても慣れぬ者はとても酷い気分を味わう。ましてや逃げる為とはいえ突然ならば最悪だ。
 顔面蒼白にして込み上げてくる嘔吐感と戦う明石を横目に、変わって答えるのは御幸だった。堂の入った敬礼を連隊長に送ると、
「挨拶が遅れたなの。……わたしの名はベロボーグ。今、もんじゅに顕現した“あいつ”――チェルノボーグと戦う宿命を定められた超常体なの。正式に且つ公式に、チェルノボーグ打倒の為に維持部隊に協力をお願いするの」

 ――明石達に逃げられたチェルノボーグだったが、特段気にする事も無く、クドラクに振り返った。クドラクは相変わらず特徴的な笑いを続けている。
「――チェルノボーグが顕現したか」
 鳴り響くベル音を気にする様子も見せず、コシチェイが姿を現した。チェルノボーグを一瞥してから、
「……バーバヤガーが敗れた。とはいえ敵2個小隊程の人員を殺害し、ナナヨン1輌を破壊したから充分な働きだろう。ストリゴイ2名が残って戦い続けているが、正面が陥落するのは時間の問題だ」
「でひゃひゃひゃ。じゃあ施設内に突入してくるな。どうするよ、チェルノボーグ?」
 クドラクの挑発的な視線を受けて、しかしチェルノボーグは鷹揚に頷いてみせた。
【――自ら生け贄として飛び込んでくるのだ。気にする事もない】
 そして笑い声を上げるのだった……。

*        *        *

 社務所に寝泊りしていた鬼部は、外がざわめくのを察して目を覚ました。窓から覗くと、うっそうと生い茂る原生林に張り付いていた女芋虫が、襲い来る敵を迎え撃つように蠢き出した。
 南方――県道127号線から聞こえてくるのは銃撃音。そして照明弾が射出され、辺りが真昼のように明るくなった。双眼鏡で捉えたのは、3輌の駐日露軍の装甲兵員輸送車BTR―Dだった。路を埋め尽くす女芋虫を前面両側のPKT機関銃で掃討しつつ、跳ね飛ばしてくる。
 鬼部は素早く防具を装着すると、グレートソードを担いで裏手に回った。女芋虫の群れが敵に殺到する勢いに紛れて、大樹の陰に隠れながらBTR-Dへと接近を試みる。
 間隙を突いて、素早く降車して展開する駐日露軍兵士達。AK-74M(アブトマット・カラシニコバ・1974年近代型)機関騎銃で女芋虫を撃ち払うだけでなく、魔人兵は半身異化した肉体で打ち倒していく。
( ――魔人兵が5名もいるのか )
 強化系が2名、異形系が2名。そして操氣系が1名。特に指揮官と思しき、野性味溢れる面差しの男は尋常ならぬ強さに見受けた。巧みにAK-74Mで女芋虫を撃ち抜き、また異形化した腕で叩き潰していく。記録と照合すれば、グリゴロフ中尉に間違いなかった。
 露西亜語と思しき言葉で命じると、部下は木々に燃え移るのもお構い無しに、用意していた放射器で女芋虫へと火炎を浴びせていく。そしてグリゴロフは女芋虫を蹴散らしながら、本殿へと足を踏み出してきた。
「――っ!」
 大樹の陰に隠れていた鬼部がグレートソードを振り下ろす。強化された膂力の乗った一撃はグリゴロフを両断してみせる。だが……
『……成る程。マエゾノ、言っていた。脱走兵、白山連峰、隠れ潜んでいる、と』
 両断しても、やはり異形系。絶命させる事は叶わず。グリゴロフは鬼部の姿を見詰めながら、たどたどしい英米語で呟いてきた。
『――魔人か。完全侵蝕、していないようだが』
 異形系のグリゴロフならば、鬼部には相性が悪い。AK-74Mから撃ち出される5.45mm弾を、鬼部は強化された反射神経で以って篭手の金属部分で弾いてみせた。そしてきびすを返すと、大柄な体躯に似合わぬ俊敏な動きで大きく退く。
『――待て! ……と言って、待つ脱走兵、いないか。だが、臭い、覚えた。次、無い、思え』
 グリゴロフの叫びが、逃げる鬼部の背に突き刺さる。そして白山中居神社は女芋虫の群れと共に焼き討ちに遭ったのだった。

*        *        *

 同時刻――白山比盗_社。創建は崇神天皇の頃といわれるが、現在地は文明12年に火事の為に遷座したものらしい。だが、そうした携帯情報端末の記録も、今は必要も、意味もない。重要なのは、女芋虫の営巣地であり、そして駐日露軍が掃討に躍起になっているという事実だ。
 駐日露軍兵士は女芋虫との戦いで疲れ切っており、水上が包囲網を擦り抜けて境内に侵入した事に気付いている様子はなかった。女芋虫は水上を無視するどころか、むしろ歓迎するかのように道を譲り、または駐日露軍兵士の監視の目から逸らしてくれる。
( ……何が、あるというのか? )
 本殿に誘われるかと思いきや、導かれるのは裏手。いぶかしむ水上に、女芋虫の群れは仕草で一角を指し示した。女芋虫の群れが身を退けて、水上の目に露にしたのは、
( ――井戸か?)
 深く、成人男性が潜れそうな程に大きな縦穴。見続けると、女芋虫はこの縦穴から這い出してきて、数を増やしていた。
「……この奥、底にある何かを自分に見せたいのか?」
 思わず、口にして確認の問い掛けをする。女芋虫は喋れないものの、頭部を頷くように下げる事で、返事としたようだった。
 そうと返答されれば、潜らない理由はない。水上は意を決すると、縦穴の壁に付いた広げた四肢を支えにして慎重に潜っていく。
 ――古来、地に空けられた縦穴は異界に続く入り口とされていた。同様に井戸も同じく異界――黄泉に続くといわれ、皿屋敷伝説や、小野篁の逸話が有名だろう。
「……井戸の底に、月が見える?」
 だが、良く考えてみれば、深い縦穴の底に月光が届くには天頂になければならない。しかも、たとえ天頂にあったとしても水上の影で遮られるのだから、映るはずがなかった。
 両足で踏ん張って身体を固定すると、手を下方に伸ばして、底に映った月を掴む。それは、
「――皿? 否、銅鏡か、これは?」
 その時、身体に衝撃が走る。
『 ―― 妾を解き放ちたまえ。高天原の霊と、葦原の血肉に連なりしヒトの子よ……』
「……もしや菊理媛神様か?」
『然り。自らの紐で括り、自らを封じる事となった妾の名は菊理。母なる伊邪那美の意を聴き、代わって子等へと伝えて括るモノです……』
 菊理媛の声が、水上の脳裏に響く。か細い声だった。低き位置からから響くような、だが安らぎをもたらす声だった。
「自分に何が出来るか判らないが、どうすればよい?」
『――妾の魂は、母より継ぎし山の頂の社に括られております。剣にて紐を断ち、天照の光を映した鏡にて、地に封じられた妾の魂を濯ぎたまえ』
「鏡は判った。だが……剣は?」
『貴方と同じくする、高天原の霊と、葦原の血肉に連なりしヒトの子が抱いています。彼の者と力を合わせたまえ。されど――』
「何か、問題があるのだな?」
 水上の問い掛けに、菊理媛は躊躇いに似た沈黙の思念。だが覚悟を決めたのか、
『異邦より来たりし神々が、母の、妾の力を掌中に収めようと動き出しました。また、此処より西の地に、大いなる凶禍の神が顕れました。外津神々は貴方達の災いとなるでしょう。お気を付け下さいませ……』
 菊理媛の声が小さくなっていく。そして、完全に掻き消すかのように、地響きが走った。砲声と銃撃音が鳴り響くだけでなく、雷鳴が轟いた。
「何が? ……駐日露軍が侵攻してきたのか!」
 縦穴の底から見上げると、覗ける空が真っ赤に燃えていた。だが、すぐに蓋のようなものがされて、縦穴の中は暗闇に包まれる。そして縦穴の外では何かが猛威を振るっている有様だけが、音として窺い知れた。
 ……数分後、身を以って縦穴の存在を隠し通してくれた女芋虫をずらして、水上は外の様子を眺めた。隔離後も壮麗として在った白山比盗_社の本殿は最早なく、残っていたのは無残な焼け跡。そして焦げた女芋虫の死体がそこら中に転がっていた。
 目を凝らして闇を見据え、耳を済ませる。駐日露軍兵士が何事かを喋りながら、焼け跡を探していた。そして指揮官らしき男が声を張り上げると、兵士達は装甲兵員輸送車に乗り込み、去っていく。
 ――聞き覚えのある声。ラドゥイギンだった。そして最寄りの金沢駐屯地に密かに寄った水上は、携帯情報端末に録音していたラドゥイギンの言葉を翻訳してもらう。
『……これが御神体か? まぁ、いい。兎に角、敵超常体の巣窟を1つ焼き払った。我等は次の作戦に移る。チェルノボーグが顕現した以上、最早、猶予は無い。この地の女神の力を利用させてもらうぞ』
 ラドゥイギンの言葉に、露軍兵士達は『ダー!(了解)』と返答していたのだった。

 

■選択肢
EEu−01)福井・天使群隊の本拠地を襲撃
EEu−02)福井・原発施設に突入して交戦
EEu−03)福井・白い少女とアレコレ会話
EEu−04)石川・白山連峰に北側から隠密
EEu−05)石川・白山連峰に南側から肉薄
EEu−06)石川・駐日露軍と接触して暗闘
EEu−FA)北陸地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお福井の原発施設や石川の白山連峰では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、さらに死亡率も高いので注意されたし。
 また駐日露軍と接触する場合、露西亜語にも精通している事が望ましい。駐日露軍の幹部は英米語での会話も可能だが堪能という程ではなく、ましてや日本語はまったく喋れない。一般兵士に至っては英米語会話すら不自由である。

※註1)吸血鬼ハンター“D”(バンパイアハンター・D)……菊地秀行の小説。ヒトと吸血鬼との混血であるダンピールの青年“D”の孤独な激闘の旅を綴る物語。初版発行は1983年。

※註2)頭文字D(イニシャルD)……しげの秀一による漫画作品。公道において自動車を高速で走行させる事を目的とする走り屋の若者達を描いている。初版発行は1995年。


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