同人PBM『隔離戦区・神邦迷処』第3回〜 北陸:東欧羅巴


EEu3『 The king of thundercloud 』

 敦賀分屯地。――停止や封鎖がなされたとはいえ、危険性から原子力発電所の警戒する為に新規設営された神州結界維持部隊の駐屯地。
 先月来、敦賀分屯地では2つの案件を解決する為に、人員や設備、そして物資総てが全力稼動していた。
 クドラク[――]を自称する 久遠・楽太郎[くどう・らくたろう]が率いる、完全侵蝕魔人の集団『ストリゴイ』と超常体の群れが占拠した若狭湾の原発群――通称『原発銀座』奪還が1つ。そして何らかの目的で高速増殖炉『もんじゅ』を強奪しようと飛来してきた天使――ヘブライ神群への迎撃が2つ目。
 原発銀座奪還は、残すはもんじゅを奪還するのみとなったが、クドラク共は目的である“黒の神(チェルノボーグ[――])”という最高位最上級の超常体を顕現させる。第14普通科連隊を主幹とし、今津と饗庭野からの戦車と高射特科の編隊とする混合団は白木海水浴場を布陣として、チェルノボーグとストリゴイの動きに神経を尖らせていた。
 そして天使迎撃だが、三方の敵拠点へと強襲して目的である、原発銀座への介入を阻止したものの、手酷い損害を被っていた。三方強襲部隊は大きく敦賀に退き、損害の回復に努めていた。
「……機体の修理が完了したのは不幸中の幸いです」
 第10師団第10高射特科大隊・第1中隊第3小隊長の 大江山・椛(おおえやま・もみじ)准陸尉の言葉に、饗庭野分屯基地から合流した87式自走高射機関砲『スカイシューター』3号車の部下は黙って敬礼した。
 先日の戦いで犠牲を払ったのは何処も同じだが、それでも同僚の弔い合戦として、大江山小隊は血気に逸る。拳を打ち鳴らし、
「――大江山准尉。我々の準備は万端です。今度こそ、鶏共の羽根を毟って、蒸して、戦友の墓碑に捧げてやりますとも!」
「三方への出発命令を!」
 だが椛は厳しい表情のまま、頭を横に振ると、
「――此れより作戦会議に入ります。あなた達の気持ちは感謝しますが、感情に任せては駄目。今は損害の回復に努めると共に、有事に際して他部隊との連携が出来るよう関係を密にしておいて下さい」
 椛の言葉に、部下達は息を呑む。部下や同僚を失って一番堪えているのは椛なのだ。全員が拳を固く握り締めると、奥歯を噛み締めた。だが――
「……承知しました。小隊長の御指示通りに。ですが、いつだって頼りにして下さい」
 改めて敬礼する部下達に、答礼を返してから椛は、会議室へと向かう。椛と同じく部下や同僚を奪われた、幹部(士官)や下士官が熱気を持って、地図を睨み付けていた。
「――地形に問題があるな」
 その言葉を皮切りに、意見が飛び交う。
「三方の敵本拠地を直接叩くには、部隊展開が難しい事は反省点だ。では――どうする?」
 問い掛けに対して、椛が応える。
「天使共の能力に対抗し得るレベルの魔人の協力を得られない限り、正面から押し込むのは困難と判断出来ます」
 椛の言葉に、大きく頷く。敵の主力たるエンジェル1体は弱くとも、視覚情報を通して精神操作を行う、祝祷系の能力――皮肉を込めて〈安らぎの光〉が厄介極まるのは先日、先々日より骨身に沁みていた。
「……全員が耐性は付いたと思うが、絶対的と呼べる程の自信は無いな」
 気持ちを代弁する呟きに、椛も首肯した。
「操氣系能力で、ある程度は緩和出来るらしいが、無理はさせられん。侵蝕率が100%になれば元も子もない。――大江山准尉も、そのつもりでいてくれ」
 気遣いの言葉に、感謝する。
「もんじゅ奪還部隊から、祝祷系魔人である明石三曹の出向を要請しているところだが、……彼1人頼みというのも、正直情けない話だな。で、大江山准尉、何か意見あるか?」
 自分と同じく陸上自衛隊以来の古強者が唇の端を歪ませた。釣られて椛も不敵に微笑み返す。
「此方を――」
 地図上の敵拠点から、椛はポインターを県道27号線に沿って北上させ、
「可能な限り敵本拠地に近い場所に、対空陣地を構築し、出てくる天使を迎撃するプランを提示します」
「……美浜か。小学校と中学校の跡地があり、駐機するには充分な広さがあるな」
「耳川が死守線という事ですか? 解り易いです」
「此処ならば敦賀からの迅速な増援も可能だわ」
 また敵が、三方との間の山々を抜けてこようとも、迂回してこようとも看過する事は無い。
「更に前回の戦いで受けた教訓を生かし、ペトリオット発射システムにも出張ってもらいます。敵の挟撃、伏兵の危険性を少しでも軽減します」
「承知した。……上の連中は大仰だと叫ぶだろうが、現場は命を張っているんだ。対策は完璧にする」
 総員が首肯した。そして目標を設定する。
「……飽く迄も、天使陣営の原発突入を阻害し、かつ戦力削減に努めるのが目的ですが」
 一同を見渡してから、椛は力を込めて口にした。
「順位は指揮官級の大物を最優先目標とします。すなわち、高位中級以上とされる四翼の天使……」
 ――ドミニオン。
 目標が決まった事で、復讐心や熱気に駆られて総員が席を立つ。椛も部下達に作戦を伝えようと部屋を後にしようとするが、
「……損害の問題から、もっと受け身になると心配していたが」
 話に上がっていたペトリオット――第10高射特科大隊第1中隊第2小隊長が声を掛けてくる。
「……確かに、こういう意見もあったでしょう。――“二虎競食の計”ではありませんが、両陣営が相打つ事を狙うと」
 誰もが考えなかったとはいえない。しかし、
「ですが原子炉で交戦の結果、最悪の事態が発生するリスクを背負ってまでとなると……」
「そうだな。――それに奪還部隊からの話によるとだが……」
「……話によると? 何です?」
 珍しく言い難そうな表情をしているのに、椛が顔をしかめた。先を促すと、半信半疑の口調で、
「……どうも下手な攻撃では、チェルノボーグとやらに、逆に力を与える事になりかねないらしい」

*        *        *

 白木海水浴場に布かれた、もんじゅ奪還混合団。天幕の1つでは、混合団長を兼任する第14普通科連隊長(一等陸佐)が苦虫を潰したような顔で、童女を視線の先に捉えていた。
「……チェルノボーグへの生け贄か」
「チェルノボーグに限らず、高位上級とされる魔王や群神クラス以上の超常体は、其の力の強大さ故に“こちら”の世界に顕れるのにも、莫大なエナジーを消費しなければならないの」
 白い髪に、白いワンピースを纏った、透き通るような白い肌の幼女。だが正体はチェルノボーグと対であり、戦う宿命を定められた超常体“白き神(ベロボーグ[――])で……。
「――違います。正体バレしても『御幸ちゃん』の方が可愛いから、御幸ちゃんで」
 ストレートロングの髪を後ろでアップにし、赤縁の眼鏡を掛けた衛生科のWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)が訂正する。戦闘服を着ていても、いつも白衣を羽織っているならば迷彩効果は無いだろうが、桜屋・ひさ乃(さくらや・ひさの)二等陸士は気にしない。そういう人物だった。
 前日は負傷者の手当てで忙しく、構ってやれなかったようだが、白い幼女―― 鈴白・御幸[すずしろ・みゆき]の保護者の位置に何時の間にか収まっていた。少なくとも、見掛けは幼女でも、正体は超常体に他ならない。幾ら日本古来の超常体――妖怪に対して寛容な北陸でも、出自の異なるモノに対しても同様に接するのは感情的にも難しい。そういう意味でも、ひさ乃の態度は、本人のみならず、周囲にとってもありがたかった。
 さておき、第14普通科連隊長は咳払いすると、
「とりあえず莫大なエナジーを消費する必要があるのは理解した。……それから?」
「解決方法は幾つかあるの。1つは憑魔核を通して、寄生元を侵蝕し、心身を乗っ取る事。ヘブライの熾天使や堕天使、九州のラー神群、山陰のアース神群、山陽のオリンポス神群とかは、このタイプなの。わたしもそうなのよ?」
 なお第二世代の胎児の頃から寄生――同化している場合もあるという。ベロボーグはまさにそれらしい。
「このタイプは、消費する量は少ないのが利点だけれども、受け入れるだけの“器”の持ち主――受容体が少ない事と、また顕現してもベースは寄生元に准ずるので、力量的には弱い事」
 それでも並みの完全侵蝕魔人や超常体を遥かに凌駕する能力を有する。
「2つ目は顕現出来るだけのエナジーを強引にでも集めてきて、時空の隔たりを無理やり突破するの。チェルノボークや、九州のセトとかバールゼブブとかが、このタイプなの」
 此処で立てた人差し指を、左右に振ると、
「……ちなみに日本古来の神々や、ニャルラトホテプに、クトゥルーとかハストゥールは元々“こちら”の世界の存在なの。だから、あいつらの顕現に、召喚や儀式以外のエナジーは必要ないのよ?」
「ちょっと待って!? 今サラリと爆弾発言しましたよ、美幸ちゃん!!」
「おっと……今の発言はNGなの。オフレコにして欲しいの。わたしと皆との約束なのよ?」
「……とりあえず聞かなかった事にしておこう。そうでなくとも、頭がおかしくなりそうだ」
 第14普通科連隊長が頭を抱えるが、副官達も同意の顔で頷いてみせた。
「……話を戻すの。チェルノボーグのように強引に突破してきた超常体は“元いた”世界の物理法則や戦闘能力を持ち越せるの。1つ目のタイプと比べると、力量は雲泥の差なのよ」
 つまりチェルノボーグと正面から喧嘩したら、十中八九、御幸が負けるという事だ。
「――チェルノボーグは、炉心溶融させる程の熱量を糧にして“こちら”の世界に顕現した。そして、それが、久遠達がもんじゅを占拠した理由なのだな?」
 合わせて、ひさ乃も繰り返すかのように尋ねる。
「そうか。もんじゅでチェルノボーグが復活しちゃったわけなんだけど……。とりあえず白山神社の菊理媛の力を取り込んで、世界を滅ぼそうとしている、って事でもOK?」
 御幸は可愛く唸り声を上げてから、
「一佐の質問には、それで正解なの。そして、ひさ乃への答は、ちょっと違うの」
「えー、違うんですか?」
「……うん。恥ずかしい事ながら、そんな大それたバカなのをやり始めているのは、ペルーンとヴェーレスみたいなの」
 ペルーン、ヴェーレスという新たな神名に首を傾げる第14普通科連隊長達。だが、ひさ乃が説明し出すより早く、御幸は口を開くと、
「もんじゅの高速増殖炉は今も稼動中だと思うの。顕現しただけでなく、熱量を無限に吸収して力と変えているはずなの、チェルノボーグは。そして、もんじゅだけでなく、いつかは、ペルーンをはじめとするわたし達の主神トリグラフすらも打ち勝って、この世界を自分好みに変える――とかいう妄想爆進中なの。厨坊なの、あいつ」
 スラヴ神話の暗黒神を、厨坊扱いも無いと思うが。
「まぁ、熾天使はさておき、ちょっと近くにいる天使共程度ならば、チェルノボーグにとって餌に過ぎないのは間違いないなの」
 で、ペルーンに話を戻すが、ひさ乃が自慢の知識を披露する。
「ペルーンはスラヴ神話の主神の1柱で雷神です。天空神スヴァローグと太陽神ダジボーグと集合し、トリグラフに成ると言われています」
「だいたい合っているなの。トリグラフは単体の下位の軍神とされる事もあるけれども、上位3柱が集合すると……」
「基督教の三位一体や、ヒンドゥー教の三神一体と似たところがあります」
 ひさ乃に取られて、口を無言で開け閉めする御幸。
「……ひさ乃に任せるの」
「ああ、いじけないで下さいよ、美幸ちゃん! もう、そんな姿も可愛いんですから。……あ、ええと続いてヴェーレスですが、天空に座するペルーンに対立する神で、家畜を守る存在です。対立といっても共にスラヴの人達にとって信仰に欠かせない神のようです」
「そう――チェルノボーグと違って」
 ベロボーグも、チェルノボーグも、正確に言うと単体の神名ではないらしい。いうなればスラヴ神話における善と悪という抽象的存在の擬人化――もとい擬神化といえるだろうか。
「そういう訳で、わたしは主神と呼べる程には、実は力が無いなの。わたしが負けを宣言したところで、スラヴ神群全体が敗北した訳ではないなの。勿論、わたしは維持部隊や日本古来の神々と戦うつもりはないなの。敵はチェルノボーグだけなのよ?」
 と、そこでひさ乃は美幸に詰め寄った。
「御幸ちゃん、チェルノボーグと戦うに当たって、あなたが力を授ける戦士……クルースニクを探してたけど、ずばり、その授ける基準って何なのかな? 授ける人に会ったら判るとか、兎に角、強い人がいいとか……。御幸ちゃんの意思で決められるものなの?」
 御幸は両眉を八の字にして考え込むが、
「……クルースニクは英雄なの。英雄とは、オリンポス神群や日本神話にもある通り、神の雛型なの。つまりクルースニクになれるのは、先ほどの話に絡むけれども群神クラスを受け入れられるだけの“器”の持ち主が望ましいの。ちなみに、ひさ乃にも受容体としての資格があるのよ?」
 御幸の言葉に、ひさ乃が逆に噴き出した。
「そして、わたしは確かに強制的にクルースニクにする事が出来るの。“器”が足りなくても無理矢理にも。でも、やはり本人の意思が大事なの」
 そして言葉を切る。何事か考えた後、
「――憑魔核を寄生させて、人造的に魔人を誕生させる。そうした魔人による軍隊。……それは東北の荒吐連隊のようなものなの。つまり下手すると、関係者皆殺しにされる覚悟が必要なのよ? それからクルースニクはスラヴ神群に組み込まれて、永久的に日本古来の神々の加護を失ってしまうなの」
 だから、本人の意思が必要。其れは覚悟であり、死への決意だ。
「……兎に角、今この場には、ひさ乃以外にクルースニクになれる“器”の持ち主はいないなの」
 ひさ乃は色々な理由から肩を落とす。さておき、
「――話をチェルノボーグに戻すが……このまま放置するのは危険だが、下手な手出しだと全滅する可能性が高いのだな?」
「わたしは、これからひさ乃に連れられて、ちょっと離れるの。だから力を貸せないの」
 御幸は頭を深く下げる。そして念の為にか、
「……とりあえず取り巻きのストリゴイとか名乗っている魔人の数を減らしていくしかないなの。でもチェルノボーグの波動に影響されて、味方の侵蝕率は増大していくの。また低位の超常体も引き寄せられてくるの。――充分に気を付けるのよ?」

*        *        *

 焼き討ちされた白山中居神社から北――山へと深く入り込む。北陸地方の中で標高の高い白山連峰に登るには充分過ぎる程の装備が必須だ。白地の冬季迷彩に身を包み、非常用の予備食料を携帯して、鬼部・智孝(おにべ・ともたか)二等陸士は山頂――御前峰にあるといわれる白山比盗_社奥宮を目指した。
 石徹白の大杉から南縦走路(石徹白道)に入る。登山といっても隔離前とは勝手が違う。ルートを違えば簡単に遭難する。ましてや白山の中腹は急峻なところが多く、道も殆ど無い為、隔離前でも人跡未踏の場所も少なくなかった。そして今ではズメイと称される所謂ドラゴン(大型竜系高位下級超常体)が多数棲息しているのだ。鬼部は油断を微塵も見せず、警戒しながら黙々と雪を踏み締めていった。
( ……だが超常体は可愛い方だ。それよりも)
 脳裏に思い浮かぶのは、白山中居神社が焼き討ちされる光景。陣頭指揮を執る野性味溢れる面差しの駐日露西亜連邦軍の青年将校の姿。――露西亜空挺軍の第819独立親衛特殊任務連隊に所属する ヨシップ・グリゴロフ[―・―]中尉。
( ……厄介な奴に目を付けられたなぁ)
 たどたどしい英米語で『臭いを覚えた』といっていた気がする。とすれば、犬よろしく鬼部の後を追跡しているのだと思うと、滑稽ながらも空恐ろしく感じる。能力は異形系。憑魔核さえ無事ならば無尽蔵に近い再生力を有し、半不老不死といっても良い。其の分、侵蝕率が高く、人間を止めて超常体と化す事も多いが、
( ……あの様子では、どうなのだろう? )
 グリゴロフはAK-74M(アブトマット・カラシニコバ・1974年近代型)機関騎銃を巧みに操り、敵を撃ち払っていたが……。
 いずれにしても強化系の鬼部とは、戦うには相性が悪い。可能な限り、戦いを避けたいところだが、グリゴロフ達の目的もまた奥宮にあるとするならば、いずれかち合う事も覚悟しておかなければならなかった。
( 駐日露軍が突然に白山中居神社を焼き討ちにしたのも、原発銀座と何らかの関わりがあるのは間違いないようだが…… )
 白山中居神社には、駐日露軍が隠蔽し、白山連峰に封じられていた神―― 菊理媛[くくりひめ]を解放する為の鍵が恐らくあったと考えられる。焼き討ちしてまでもグリゴロフが手に入れようとしたソレは、
( ……もしかして、此れなのだろうか?)
 錆が浮き、刃も欠け、朽ちた古い剣。鬼部が見付けたソレは、操氣系でないモノにも何らかの力が宿っていそうな事が感じられたが、どういうものかが謎だった。恐らくは解放の鍵かもしれないだろうが……。
 いずれにしても白山の頂に行けば何か手掛かりがあると信じて、鬼部は歩みを止めない。
 グリゴロフ達は3輌の装甲兵員輸送車BTR-Dで移動しているようだが、流石に南縦走路を登るのは困難極まる。人数が多いだけ、移動に束縛が掛かり、歩みは遅くなる。道中に、鬼部が休憩を取ったり、罠を仕掛けたりするには充分だろう。
「――相手がハインドを有していなかったのが、何よりの救いだったよなぁ」
 ぼやきが思わず口から漏れ出たが、残雪と木々に吸い込まれて、聞き咎める者はいなかった。

*        *        *

 同じ頃――鬼部やグリゴロフとは別ルートで白山連峰の頂を目指す者達が、北側にもいた。
( ――何処が『楽々』なのか、名付け親が存命ならば、小一時間程、問い詰めたい!)
 声にならぬ怒りを内に秘め、水上・三殊(みなかみ・みこと)二等陸士は楽々新道より白山比盗_社奥宮を目指していた。
 白山比盗_社本宮の焼け跡より、一端、金沢駐屯地に戻り、情報収集等に努めた水上は、すぐに白山連峰の頂を目指した。駐日露軍――特に、白山比盗_社本宮を焼き討ちした ウラジミール・ラドゥイギン[―・―]大尉の部隊は、キャンプに戻って準備を整えた後、国道157号線を南下したという。
 慌てて金沢を出た水上が追い掛けたものの、流石に相手は車輌である。だが路上に残った轍の方向から見て、ラドゥイギンの部隊は国道360号線に入る事無く、そのまま157号線を進んだ模様。地図から確認するに、途中で県道33号線に折れ曲がり、市ノ瀬或いは別当から観光新道、砂防新道から登山すると思われた。
 相手には車輌があるとはいえ、大人数故に束縛が掛かるのは間違いなく、また伝聞にあるラドゥイギンの性格ならば、余裕を持って動くだろう。今頃、市ノ瀬野営場跡地で大休止に入り、近くの白山温泉で一風呂浴びているのかと思うと、恨めしくも感じる。其れを油断と取るか、それとも白山登頂に向けて部下達を鼓舞させる為かは判断が分かれるところだが、水上が出し抜けるかも知れない好機と考えるとありがたい。
 さておき楽々新道を登りながら、水上は金沢駐屯地で収集してきた情報を吟味していた。
 白山比盗_社本宮で交神した、菊理媛は『力を掌中に収めようとするモノ』と『西に顕現した禍』について触れていた。『西に顕現した禍』とは、もんじゅにて出現したチェルノボーグだろう。そして『力を掌中に収めようとするモノ』とは――駐日露軍か? ラドゥイギンが本宮で何かを探していたのは間違いが無い。また脱柵(脱走)者の仕業とされているが、白山中居神社もまた焼き討ちにあったらしい。此れにも駐日露軍の関与が疑わしく思えた。
( 状況を整理すればする程、露軍は最早敵と断ずるに値するな。……元からだけど)
 だが駐日露軍が求めていた『力』とは、菊理媛のモノらしいが、水上が手にしている汚れた銅鏡が鍵なのは間違いないようだ。残るは剣らしい……が、
( キーワードが『高天原の霊、葦原の血肉に連なりしヒトの子』というのでは……)
 余りにも漠然とし過ぎているというか、考えてみると、菊理媛から観た『日本人』という事になるだろう。高天原と葦原が、それぞれ天津神と國津祇に対応するならば、血や地の縁に連なる者は『日本人』に他ならない。
 問題は、剣を手にしている者が、菊理媛の解放に賛同してくれるかどうか。恐らくは水上と同じく白山連峰に探りを入れている別働員なのだろうが……
(互いに隠密行動をしているが為に、連絡を取り合うのが難しい……)
 一応、金沢駐屯地にそれとなく情報の根を張っておいたが、どうなることか。
( ……『女神は解放する』。それから『露軍もどうにかする』……どちらもやらなくっちゃあならないのが『忍者』の辛いところだな)
 心の中で戯言を吐くと、水上は静々と楽々新道を登るのだった。……忍者的に。

*        *        *

 水上が去ってから暫くして金沢駐屯地に若狭から帰還したのは、ひさ乃だった。
「……よく考えれば、わたしが付いてくる必要性はない気がするの」
「いいえ。チェルノボーグ――じゃなかったペルーン達が、先ず菊理媛を狙ってるって事だから、私達も白山比盗_社に行ってみるのは大事ですよ。奴等より先に菊理媛の協力を得なきゃいけないですし」
 ひさ乃の言葉に、連れて来られた御幸は納得のいかないような顔で首を傾げるばかり。
 さておき、聞き咎めた隊員が眉間に皺を寄せた。
「白山比盗_社ならば焼失したぞ」
「ええ、知っていますよ。文明12年に。今の本宮は末社の三宮の位置だそうで……」
「――いや、先日に。落雷か何かで」
 ひさ乃が固まる。御幸に至っては、元々白い肌が蒼くなり、そのまま卒倒しそうな程に愕然としていた。
「白山比盗_社だけでなく、岐阜にある白山中居神社も放火されたと聞いているしな……」
「――ペルーンなの?! 菊理媛の力を利用するにしても何て大それた事を!」
 そのまま両膝を落とし、両手を床に着けて項垂れる。腰を浮かせた土下座とも取れる格好で、御幸は震えていた。
「……もはや死して詫びをする他無いなの」
「死んじゃダメー! というか、白山比盗_社に向かえませんか?」
 ひさ乃の問いに、隊員は難しい顔を浮かべると、
「そもそも、あそこは駐日露軍が睨みを効かしている場所だからな。日本の文化財が焼失したとはいえ、調査に立ち入る事も出来ない」
「宝剣が奉納されていたって聞いた事がありますが、それも?」
「――粟田口吉光の事か?」
 思わず顔を見合わせる。粟田口吉光(あわたぐち・よしみつ)は鎌倉時代の刀鍛冶で、岡崎正宗と並ぶ名工と知られている。白山比盗_社本宮の境内にある宝物殿に、他の重要文化財と共に、銘吉光の刀が収められていた。隔離されて間も無く、駐日露軍が管轄する特別区に白山比盗_社も入っていた為、回収する事も出来なかったのが実情であり、今度の焼失で銘吉光のみならず多くの重要文化財が失われた事が悔やまれる。
「――奉納されていたのは、銘吉光でしたか。もしや十拳剣とかじゃないかと心配していましたが……ほら、火之迦具土神の亡骸が剣の形をとっているとか」
 だが白山比盗_社の御神体は、霊峰たる白山だ。ひさ乃は自ら口にしておきながら、宝剣の重要性に対する疑いに関して脳内から削除する事にした。
「……剣といえば、誰かが情報を集めていたな」
 思い出したかのような台詞に、注目する。
「どなたが? もしや筋骨隆々、大柄で強面のパワーファイターっぽい人ですか?」
「いや、どちらかというと痩せ気味だった気が。剣の持ち主を探しているとか、情報があれば教えて欲しいだとか」
「……今、どちらに?」
 ひさ乃の言葉に、隊員は押し黙った。だが視線だけで白山を示す。表向き、白山連峰は維持部隊員が立ち入り厳禁の特別区域であり、秘密裏に探りを入れてはいるが、其の人員も何かあれば切り捨てられる旨、覚悟している。駐屯地内とはいえ、口にするのははばかられた。ひさ乃は親指を立てて、微笑んで見せた。相手も親指を立てて無言で頷く。
 礼を言ってから、ひさ乃は御幸を連れて屋外に出た。白山の方を見上げながら、
「鬼部二士だけでない人も動いているんですね……封印を解く方法見つけたかなぁ?」
 呟いた。さておき拳を固めて振り上げると、
「こうなれば山頂の奥宮に直接乗り込んでやりましょうか、装備はこっそり整えているし」
 だが振り向くと御幸は顔を蒼白にしたまま。
「……駄目。もう菊理媛の協力は得られないなの。少なくともスラブ神話に縁あるモノ――チェルノボーグだけでなく、ペルーンやわたし、クルースニクになったモノ、そして駐日露軍兵士は、菊理媛の怒りによって鏖殺されてしまうの」
「えーと……そうなの?」
「まがりにも自分を祀る聖堂を破壊されたの。怒らない訳がないなの。そして菊理媛は白山妙理権現の異称の通り、霊峰白山の化身でもあるなの」
 白山は休眠期にあるとはいえ、火山である。封じられ、そして神社が焼き討ちにあい、更には力を奪わんとするモノに対する怒りは、さぞかし凄まじいだろう。最近現れた新種の超常体――仮称、女芋虫も菊理媛の怒りの顕れだと、御幸はいう。
「……封印状態でも、眷属を外に顕し、侵略者――駐日露軍兵士やスラヴ神話系の超常体に抗しようという程の力の持ち主なの。もしも解放されたならば、其れだけで、わたしやクルースニク達も弱体化や抹殺されてしまうなの」
「――菊理媛は縁結びの女神様ですから、説得すれば皆殺しとまでは……」
「力の効果対象は絞り切れないなの。チェルノボーグだけを、ペルーンだけを、狙うという事は出来ないなの。わたしもひっくるめてスラヴ神話に縁あるモノ全てが影響を受けるなのよ」
 それでもチェルノボーグを倒せるのならば、御幸としては問題ないのだが。御幸――ベロボーグにとって最優先にして唯一無二の行動原理はチェルノボーグを討ち果たす事。其れは共倒れも含める。だがチェルノボーグは、もんじゅで無尽蔵に力を蓄えている。菊理媛の力をもってしても弱体化さえ出来るかどうかも怪しい。
「ええと、効果対象は絞り切れなくても……其の、指向性を持たせるとか、効果範囲を狭める事とかは出来ないんですか?」
 ひさ乃の指摘に、御幸は我に帰る。両眉を八の字にして考え込むと、
「……出来るかも知れないなの。でも指向性を持たせて、効果範囲を狭めるように誘導するにしても、説得だけでは難しいなの」
「ペルーン達は菊理媛の力を利用するって言っていましたよね? そうするには何らかの制御アイテムが必要であり、其れを強奪すべく神社を焼き討ちにしたんじゃありません?」
 そうなると、今アイテムを手にしているのは誰なのかという話になる。ペルーン達なのか、それとも隠密行動をしている維持部隊員なのか。
「――いずれにしても山頂に行ってみましょう?」
 ひさ乃の提案を、だが御幸は頭を振って断る。
「今からだと山頂に辿り着くのは難しいと思うなの。表向きは立ち入り禁止の区域。車も飛行機も出せないなの。そしてペルーン達が先に辿り着いているか、それとも――」
 道中で戦闘が勃発しているか。いずれにしても危険に飛び込む事になる。御幸は慎重だった。
「……其れに、やっぱりチェルノボーグが気になるの。菊理媛はひさ乃に任せて、わたしは若狭に戻りたいなのよ?」

*        *        *

 背嚢に仕舞っていた鏡を丁重に取り出す。陽射しを受けて照り返す様は、まるで其れ自身が輝きを発しているかのようだった。
「――地の底にありし月影、白山の頂に昇りて、天、照らす光となれ……か」
 思わず口に出た呟き。水上は感歎の息を漏らす。
 白山の御前峰にある奥宮。周囲を警戒していたが、敵の気配や潜む物音等が無い事を確認して、水上は安堵した。
( どうやら、何とか先に辿り着けたようだ )
 やはり団体と個人では行動のペースが違うという事か。軍人とはいえ十数人も集まれば、体力が劣る者や山歩きに慣れぬ者もいるだろう。ラドゥイギンが軍隊指揮官として優秀であればあるほど、部下に落伍者が出ないように慎重に登山する。ましてや白山連峰には従来の超常体だけでなく、菊理媛の眷属と思われる女芋虫もまた巣食っているのだから。
 対して水上はというと、やや強行的な登山であったが、自分のペースで行動が出来たのが1点。そして頂上に近付く程に活力が湧いてくるような不思議な感覚があった。事実、精神的にも肉体的にも疲労らしきものはない。少しの休憩で快調そのものだ。封印されているとはいえ、女芋虫の召喚といい、菊理媛の力は強大らしい。水上がラドゥイギンより先に辿り着けたのは、菊理媛の加護があったからとも言えよう。
( ……とはいえ、時間の問題か)
 腹這いとなって南西の方角――主要な登山道である砂防新道と観光新道のある南西の方角を見遣る。双眼鏡で覗いたところ、まだ遥か遠くにだが、確かに動く集団の影が視認出来た。但し白地のコートに身を包んでいるのだろうか、残雪に溶け込む迷彩効果もあってか、遠目に見付け出すのも苦労する。
( ……さて。どうするかな )
 やるべき事は決まっている。出来るならば、先ずは菊理媛の解放だ。
( しかし鏡だけでは難しいか )
 鏡が照らし返した光が、奥宮を包む。光によって浮かび上がったのは、括り紐。扉だけでなく、奥宮の社ごと厳重に縛りつけている。材質は判らないが、光によって照らし出されるまで見えなかったからには霊験的な何かだろうか。
「――御無礼致します」
 社に頭を下げてから、水上は念の為に愛用の短刀で試してみる。だが短刀は括り紐を断ち切るどころか、
「……こちらが欠けただと?!」
 やはり特殊な刃が必要のようだ。それでも何とか出来ないかと背嚢の中を探ってみたが、
(……流石に、此れは無いな)
 手にしたのはプラスチック爆弾。力任せに試してみるのも程がある。そして此れを持ってきたのは別の為だ。背負っていた指向性対人用地雷M18クレイモアも下ろすと、
( ……ルート上に仕掛けるには時間が無いか )
 双眼鏡で再確認すると、姿勢を低くして周辺に仕掛けを施して向かった……。

 ラドゥイギン大尉が率いる部隊の規模は、人員にして1個小隊程。AN-94(アブトマット・ニコノバ94年型)――通称アバカンは、大半が肩に担いでいたが、先頭の分隊と、後方と側面の警戒に当たる分隊は油断なく構えていた。
 操氣系魔人らしきらしき兵が眉間に皺を刻みながらも、周辺の気配を探っている。女芋虫や維持部隊側の魔人の襲撃への警戒だろうが、
( ……普通の人間相手には効果が薄い )
 それでも気配を探り出される危険性が高い。そして何名が魔人兵なのか――全員がそうだとしたら、どうしよう。自分、終わった。
 いやいや……と、内心で頭を振ると、水上は覚悟を決めてタイミング良くリモコンを操作した。操氣系能力は生物の気配を探知出来ても、無生物の存在を見付け出すものではない。起爆されたクレイモアは破裂すると、内部の鋼球を撒き散らし、ラドゥイギンの部隊へと襲い掛かった。
「――ッ!!?」
 露西亜語で悲鳴が上がった。〈探氣〉をしていた魔人兵が直撃を喰らって絶命。先頭の数名も即死だろう。だが他にも操氣系魔人がいたのか障壁が張られ、また土や雪が盛り上がって、残る者への被害を軽減する。
 ラドゥイギンが吼えた。死傷者を庇う様に隊列を素早く組み直すと、アバカンを構え直す。ラドゥイギンの拳が電光を纏い、振り払われた瞬間に、雷撃が周囲へと放たれた。
( ……ちっ!)
 水上は大きく舌打ち。ラドゥイギンが放った雷撃を受けて、隠し仕掛けていた残る2つのクレイモアが誘爆する。放たれた鋼球は土や氷雪、そして幾重にも張られた氣の壁で防がれてしまった。
( ――やるな。だが本命は此方だ!)
 クレイモアとは別に仕掛けていた罠のスイッチを入れる。瞬間、雪の中に埋めていた数箇所のプラスチック爆弾が反応した。噴き上がった大量の雪が、ラドゥイギンの部隊に襲い掛かる。
「――ッッッ!!!」
 露西亜語での絶叫は雪崩や土砂崩れに掻き消されて行く。崩落した雪や土砂はラドゥイギンの部隊を飲み込み、遥か山下へと流れていった。
( ――やったか?)
 岩陰に隠れていた匍匐体勢から身を乗り出して、様子を見遣る。大きく流れ落ちていったラドゥイギンの部隊は、もはや見る影も無く……
 ――次の瞬間、大爆発が生じた!
 濛々と蒸気が湧き上がる。愕然として双眼鏡を覗き、水上は思わず驚嘆の叫びを上げてしまった。
「――嘘だろ?!」
 蒸気が晴れるに従って姿を見せるのは、雷光に包まれたラドゥイギン。覆い被さってきた雪や土砂だけでなく、周辺一帯を吹き飛ばし、雷神は立っていた。
「……幾ら相生相剋の関係があるとはいえ、周辺一帯の雪や土砂を吹き飛ばすなんて――最早、人間業ではないぞ」
 とはいえ緊急回避の技だったのには違いなく、巻き込まれた部下達の被害も尋常ではなかったようだ。雪崩の衝撃で死んだ者、窒息した者、そして脱出の為とはいえラドゥイギンの放電に耐え切れなかった者。
 それでも生き残った者は上官に感謝し、そして死傷者の救出にと身体を動かしていた。ラドゥイギンも指示を飛ばし、また自ら未だ雪に埋もれたままの部下を掘り出している。
 ラドゥイギンは死者や生存者を確認すると、頂上を睨み付けて山を下っていった。強行するにしても、最早、このルートは使えない。ましてや死傷者の後送が先だ。ラドゥイギンが指揮官としてマトモな性格である事を感謝しつつ、水上は武者震いするのだった。
「……次は、最精鋭の部下――間違いなく魔人のみの構成で、そういった優秀な奴だけで襲ってくるな」
 そして奥宮を振り返る。
「……早く、剣を持った奴が来てくれないものかな」
 菊理媛が解放されれば、ラドゥイギンみたいな正真正銘の異生(ばけもの)に対しても勝機が見出せるかもしれない。
 そう思えば、解放の鍵たる剣の持ち主の到来を、水上は待ちわびるのだった。

*        *        *

 全身をバネにすると、尾根から滑り転がるようにして鬼部は銃弾を回避する。AK-74Mから放たれた5.45mm×39弾は、だが鬼部に命中する事なく、足跡を穿つだけだった。
 石徹白道の南竜ヶ馬場を越え、トンビ岩コースには入りかけたところでグリゴロフの部隊に追い付かれた。最初から少数精鋭だったのか、グリゴロフをはじめとする5名の魔人兵と、支援役の5〜6名の、合わせて1個分隊規模の人員が先遣にして主力として鬼部を追跡――ひいては御前峰へと迫ってきた。
 銃撃支援で、鬼部を足止めさせてから、先ず強化系魔人兵がスペツナズナイフを手に襲ってくる。ナイフの刃を手甲で弾くと同時に、鬼部は体当たりで強化系魔人兵を崩す。そして衝撃に呼吸が止まったところへと、凄まじい速度でグレートソードを叩き落した。鉄塊の直撃に、悲鳴を上げる事も許されずに魔人兵は絶命する。
 だが、其の間にも魔人兵は追撃の手を休める事もない。むしろ仲間の仇とばかりに、鬼部の大剣に怯む事無く、怒声を上げながらグリゴロフとは別の異形系魔人兵が突っ込んできた。
 もう1人の強化系はというと、先のとは戦闘タイプが異なるようで、重火器を構えて弾幕を張り続けるタイプのようだ。異形系が半不老不死なのをいい事にPK(プリミョート・カラーシュニカヴァ)機関銃で、仲間もろとも鬼部へと7.62mm×54リム付弾をバラ撒いてくる。
 レベル3のボディアーマーは7.62mm弾の貫通を止める事もあるが、当然ながら守られていない箇所まではカバー出来ない。ましてや弾は止めても、衝撃波までは防ぎ切れない。鬼部は顔や関節等に弾丸や破片が跳び込んでこないように庇いながら、銃撃の雨を耐える。鍛え上げ、そして半身異化により強靭となった肉体は、弾雨の衝撃にも耐え切った。痛みも、暖かな気配に包まれて緩和していく。――封印されているとはいえ、菊理媛が加護してくれているのだと、直感ながらも鬼部は悟った。
 弾雨の中を耐え切った鬼部は、身体が崩れながらも其の生命力の高さで平然としていた異形系魔人兵へとグレートソードを振り払う。まさか異形系でもない鬼部が衝撃に耐え切った上、かつ反撃してくると思わなかった魔人兵は避ける事も出来ずに潰された。
 元々、銃弾の中を無視して鬼部に肉薄した輩だ。鬼部の一撃も加わり、すぐに復活は難しいだろう。憑魔核を探り当てて潰す余裕は無いが、其れでも戦力外と判断。鬼部は本命――グリゴロフと向き直った。
 部下達の猛攻にも耐え切っただけでなく、反撃してきた鬼部に対して、油断なくAK-74Mを構える。
『 ……其れだけ、実力、あって、脱走兵か』
 たどたどしい英米語で呟きながら、鬼部を睨む。どうやら鬼部を維持部隊から脱柵した者と誤解しているらしい。――其の誤解は、或る意味、有難いが、もしも身許を照合されれば、原隊は間違いなく鬼部を尻尾切りするだろう。菊理媛の解放に成功しても、社会的に抹殺される。そして鬼部のように体躯に恵まれ、また特徴的な得物を持つ者はそう多くない。
( 最初から殺すのも止む得ない相手だが…… )
 口封じも兼ねて、グリゴロフ達を生きて帰す訳にもいかない。第一、言葉が嘘でないのならば、グリゴロフに体臭を覚えられている。鬼部が原隊に戻り、北陸から離れたとしても、安心は出来ない相手だった。
 グリゴロフは操氣系魔人兵に何事か命じると、異形系の手当てに向かわせた。其の間も強化系のガンナーがPK機関銃を鬼部に向けてきているが、グリゴロフの目配せを受けて、先程のようには乱射してこないようだ。……菊理媛の加護により痛みが緩和されているとはいえ、正直、乱射がないのは助かる。すると、グリゴロフとのサシ勝負という事か。
 グレートソードがグリゴロフの憑魔核を潰すのが早いか、それともAK-74Mから放たれる5.45mm×39弾が鬼部の急所を貫くのが先か。グリゴロフが異形系ゆえに、強化系の鬼部にとって相性が悪い敵なのは間違いない。となれば――
 鬼部はバックステップで巨躯を大きく退けると、反転して路なき道を駆け始めた。鬼部の動きに虚を突かれたグリゴロフの動きが一瞬だが固まる。露西亜語で罵声を上げると、慌てて鬼部の背へとAK-74Mを連射してきた。だが強靭な足腰からくる動きを捉える事無く、弾道は空を切るのみ。怒りの雄叫びを上げてグリゴロフは鬼部の後を追跡する。しかし戦いは避けられないと察して、事前に鬼部が掘っていた穴――罠に足を取られ、グリゴロフの怒りは益々上がっていく。
 ようやくグリゴロフが追い付いたと思った瞬間、鬼部は振り返った。そして地面スレスレに張っていたワイヤーを自らの足で引っ掛けた。
 ――次の瞬間、仕掛けられていた閃光手榴弾が炸裂し、衝撃と音響でグリゴロフを圧倒した。
 そして鬼部がグレートソードを振り下ろす。再生力の高い異形系というならば、死ぬまで殺し続ければ良い――そう判断して、鉄塊で挽き肉にし、憑魔核をすり潰さんばかりに剣を叩き付けた。
 が――剣がグリゴロフの肉体を断ち切ったと思った瞬間に、液体が噴射された。刺激臭が鬼部を苦しめ、銃弾を受けて弱くなっていたボディアーマーは降りかかった液体によって完全に使い物にならなくなる。愛用のグレートソードも溶解して途中から折れ曲がる。何とか目に浴びる事はなく、失明を免れたが……グリゴロフから噴出されたのは強酸に間違いなかった。
『力任せ、相手、此の手、よく効く』
 鬼部に言い聞かせるように呟きながら、グリゴロフは立ち上がる。既にグレートソードによって断ち切られた身体は蘇生し終わっていた。鬼部の憑魔核が脅えるように震え、痛みという形でグリゴロフの脅威さを訴えていた。
 体内にある胃液に含まれる胃酸も、化学的にはpH1〜2の塩酸であり、腐食性の強毒である。異形系の恐ろしさは半不老不死に近い再生力にあるだけでなく、多種多様な生物の器官を組成する事だ。グリゴロフは自らの体液を強酸に変え、鬼部の攻撃を敢えて受ける事で、罠にはめたのだった。
『 ――降伏しろ、とは言わない。お前、部下の仇。脱走兵、射殺許可、ある』
 スチェッキン拳銃を抜くと、グリゴロフは鬼部へと突き付けた。そして連射。破損したボディアーマーでは最早、9mmマカロフ弾すらも止める事は出来ず、鬼部は満身創痍で片膝を付く。それでも鬼部は徒手格闘術で以って抗おうとするが、グリゴロフは警戒を緩める事なく、不用意に鬼部へと接近する事はなかった。弾倉を素早く交換して連射する。強靭な肉体が、菊理媛の加護が、苦痛を長引かせる結果となっているのは皮肉でしかない。
 ついに崩れ落ちる鬼部。だが、まだ息があると判断すると、グリゴロフは更に弾倉を交換して、頭部へと狙いを付けてきた。また背後の部下に指示して、火炎放射器をも用意させる程の念の入りよう。
『 ――さらば、脱走兵』
 スチェッキンの引き鉄が絞られ――る直前に、グリゴロフが体勢を崩した。身体を貫くのはAKS-74U、愛称クリンコフから放たれた5.45×39mm弾。操氣系魔人兵が慌てて防護壁を張るのと、投擲された破片手榴弾が炸裂するのは同時だった。
 突然の襲撃者達は、5人から成る露西亜軍兵装の部隊。だがグリゴロフが露西亜語で喚いても、返事をせずに、無言でAKS-74Uを連射するのみ。そのうちリーダー格と思しき男と、もう1人が鬼部を担いだ。そして再び破片手榴弾を投擲すると、逃走を開始した。

 ……鬼部の意識が戻ったのは、アレから数時間経過した後のようだった。周囲には誰もおらず、ただ簡単な擬装による隠蔽と、軽い応急手当てがなされていた。
 鬼部は薄れいく意識で、自分を露西亜軍兵装の部隊が救ってくれたのは覚えていたが、
「……まさか仲間割れか?」
 グリゴロフには、ラドゥイギンという名の仲悪い上官がいるらしい。とはいえ互いの邪魔をする程、反目しあっているとは思えなかった。
 暫くいぶかしんでいたが、鬼部は我に帰ると慌てて背嚢の中を調べる。幸い、剣は盗まれておらず、安堵の息を漏らす。
 御前峰はもう数十分程、歩いた先にある。剣は静かに、引き合い、求め合うかのように存在感を強くしていた……。

*        *        *

 警戒していた交代番から連絡が入り、小休止中の部隊が一気に獰猛の雄叫びを上げた。寝ていた者は飛び起き、食事していた者は飯を掻き込む。
『 ――各員、状況開始!』
 対天使迎撃部隊長の号令に、2輌の87式自走高射機関砲スカイシューターが唸りを上げた。
「――准尉。ペトリオットのレーダー装置からも受信ありました!」
 部下の言葉に、指揮車輌に乗り込んだ椛は深く頷く。自身の低空レーダー装置も合わせて、今度こそ死角はない。
 三方が舞い上がった天使の郡隊は、矢筈山の稜線を越えて来るにつれて空を光に満たしていく。規模は先日の対戦を更に上回る数だ。
「――総力戦という事かしら? 天使共も、もんじゅのチェルノボーグ相手に、戦力の小出しでは勝ち目がないと踏んだのでしょうね」
 椛の判断は正しいのだろう。其れだけに天使の群れがチェルノボーグを脅威に思っているという事だ。何の為に、もんじゅを占拠しようとしたのか、未だ謎は残っているが、相手が総出で仕掛けてきたというのならば、迎え撃つ維持部隊としても決戦の好機といえる。
 そして歌が聞こえてきた……美しくも、忌々しい合唱が鳴り響く。声ならぬ歌が脳裏に響いてくる。
    われらの罪をも すべてつつみたもう
    主のいつくしみは ゆたかにあふれて、
    み民のそむきを あがなう牧者の
    恵みはつきせじ
 詠うエンジェルスから中心に一際大きな光が放たれてくる。
「……二度も、三度も同じ手が通じると思わないで!」
 椛の叱咤や怒声を受けて、部下達は奪われかけた意識を取り戻す。再三に渡る精神攻撃に大半が耐性を得てはいるが、其れでも一瞬を突かれた者達が胡乱な眼で、あらぬ方へと銃口を向けてきた。……が、
「――わしが着たからには、もう安心じゃよ!」
 低く重く、そして確りとした腹鼓の音が響いた。同時にエンジェルスが放つ光を上回る輝きが走る。我に帰った隊員達はバツの悪そうな表情をし、周囲へと侘びをしてから、本来の敵へと銃口を向け直した。
「――遅いぞ、明石三曹!」
「あれ? 何で、わし、叱られとるんじゃろう?」
 周囲の怒声に、恰幅のいい男性隊員が目を丸くした。円に『喜』の字が縫い込まれた真っ赤なマフラーが特徴のエロ布袋 ―明石・喜助[あかし・きすけ]三等陸曹はとぼけた態度のまま、力を発揮する。其の度に感謝の意を含んだ声が上がった。
「――明石三曹に伝達。精神攻撃への対策に専念してもらえるように」
 耐性は付いているとはいえ、一瞬の油断は禁物だ。エンジェルスは〈安らぎの光〉が効かないと判ると、光の矢を放ってくる。しかし、それもまた、
「光である以上、波長を捉えれば対策は簡単じゃよ。年季が違うわい」
 喜助は智拳印を組むと、エンジェルスの矢を打ち消す輝きを放つ。其の光に隠れるように、スカイシューターや、設置された12.7mm重機関銃ブローニングM2による対空砲火がエンジェルスを撃ち落していく。
「――両翼から山を迂回してきた別働隊が接近中!」
 光学迷彩を施されているのだろう。姿を空に溶け込ませた天使の群れが、美浜を包み込むように展開してくる。だが――
「今度は、油断はありません!」
 姿は見えずとも、ペトリオットのレーダー装置に捉えられたエンジェルスの群れへと砲撃が加えられる。低空の敵には5.56mm機関銃MINIMIや90式5.56mm小銃BUDDYによる弾幕が張られた。無理に突っ込んできたアルカンジェルには、近接戦闘に慣れた隊員達が銃剣やコンバットナイフだけでなく、日本刀はおろか大円匙までも手にして切り結んでいく。
「――ドミニオン、来ます!」
 混戦模様になりつつ状況を打開する為にか、天使共の指揮官が二対の翼を広げて高みから見下ろしていた。広げられた一対の翼から力を伴った光が放たれる。
「……くっ!」
 喜助が打ち消そうと奥歯を噛み締めて、力を振り絞るが、ドミニオンからの重圧に負けて膝を屈してしまう。椛や操氣系魔人が張った障壁で緩和されたが、其れでもカバー出来なかった隊員の幾人かが絶命する。
「――チクショウっ! これでも喰らえ!」
 潜んでいた狙撃員がM24対人狙撃銃で、ドミニオンへと7.62mmNATO弾を叩き込むが、ドミニオンの残る2翼が身体を包むように展開すると、防ぎ切る。
「――7.62mm程度では効かねぇのか!?」
 悔しさを滲ませた言葉を最後にして、ヴァーチャーが放ってきた紫電によって狙撃員は打たれてしまう。プリンシパリティが荒れ狂う風の刃で薙ぎ払い、アルカンジェルが隊員へと氣の剣を振るう。
 ……それでも、
「負ける訳にはいかないのです! 弾幕薄いですよ! 射ちまくりなさいっ!」
 椛も自らBUDDYを構えると、スカイシューターを潰そうと接近してくるアルカンジェルへと発砲する。叱咤と、椛の姿に奮い立った部下達はドミニオンの翼を突き破らんとすべく計4門の90口径エリコン35mm機関砲を射ち続けた。35mm砲弾が空に四条の軌跡を描いて、ドミニオンに迫る。
『 ……准尉、捉えました! 行けます!』
 飛び込んできた通信に、椛の唇が笑みを形作った。
「――射てっ!」
 椛の号令を受けて、切り札が戦場に出された。隠れ潜んでいた81式短距離地対空誘導弾ショートアローがミサイルを次々と発射する。射撃統制装置によって誘導されたC型弾頭はドミニオンへと狙い違わずに命中。防護翼をも吹き飛ばす威力に、ついにドミニオンが墜ちた。アルカンジェルを倒しながら維持部隊員が殺到する。ヴァーチャーやプリンシパリティに対しては、弾尽きるのを承知で張った威嚇射撃で援護させない。……そして、
「――ドミニオン、討ち取ったぞ〜っ!!!」
 幾数の銃剣で突き刺され、胴を断たれたドミニオンの姿に、天使の群れが動揺する。其の隙を突いてスカイシューターの砲撃がヴァーチャーを撃墜し、また多くの天使を殲滅していった。
 生き残ったエンジェルスやアルカンジェルも散り散りになって逃げていく。維持部隊からは歓声が沸き起こった。
「ようやく……勝ちましたわね」
 敵の逆襲が無い事を確認すると、安堵の息を漏らして、椛は席に身を沈めた。
『 ……やったな。大江山准尉』
「辛勝といったところですが」
 迎撃部隊長からの通信に苦笑する。相手も溜息を吐くと、
『 ……確かに。払った犠牲は大きかったし、また天使共がもんじゅを狙っていた理由も判らないままだしな。それでも勝利には違いない。ところで――』
 言葉を切ると、
『 ――其のもんじゅで残念な報せがきた。天使を撃退したところで悪いが急いで、対チェルノボーク戦の布陣を展開しなければならない』
「……どうしたんですか?」
『 ――正面からの突入に失敗。チェルノボーグの影響……いや、もう汚染といってもいいらしいが、其れによって魔人の大多数が完全侵蝕されて敵に回った。また普通の者も敵に捕らえられて、無理矢理に魔人――ストリゴイにさせられているそうだ』
「――!!」
『チェルノボーグによる汚染範囲は今も拡大中。もんじゅ奪還部隊本隊は、白木海水浴場を放棄して丹生へと後退を決定したらしい』
 戦勝気分を吹き飛ばされた報告に、息を呑む。
『 ……隊員の中には、ベロボーグによってクルースニクになる事を望む声も出始めているそうだ。これは由々しき事態だぞ』

 

■選択肢
EEu−01)福井・原発施設に突入して交戦
EEu−02)石川・白山神社奥宮の封印解放
EEu−03)石川・白山連峰北で雷神を阻む
EEu−04)石川・白山連峰南で獣神の狩猟
EEu−05)石川・駐日露軍と接触して暗闘
EEu−FA)北陸地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお福井の原発施設や石川の白山連峰では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もあり、さらに死亡率も高いので注意されたし。
 また駐日露軍と接触する場合、露西亜語にも精通している事が望ましい。駐日露軍の幹部は英米語での会話も可能だが堪能という程ではなく、ましてや日本語はまったく喋れない。一般兵士に至っては英米語会話すら不自由である。
 白山神社奥宮に施された封印を解放するには、必要な神器が全て集まっている(※所持者が03を選択する)事が最低条件である。だが雷神と獣神への対策をしていない(※04と05を選択しない)と、襲撃を受けたり、儀式を邪魔されたりするので、自動的に解放への行動は失敗すると考えても間違いない。
 クルースニクを望む場合は、本文中にある鈴白御幸(=ベロボーグ)嬢からの注意を念頭に置く事。現在のところ、無名の維持部隊員(※一般NPC)の中で成りたがっている者はいても断っているが、戦況次第でどう転ぶか判らない。御幸は誰かが連れ回さない限り、基本的に若狭で行動しよう(※選択肢02)とする。
 なお前園准尉と明石三曹(のPL様)が多忙により、NPC化申請を行っている。救援を必要とする場合は、アクションに明記する事。北陸ならば要望に応えて何処でも馳せ参じてくれるだろう。要望がない、或いは多数の場合、前園准尉は白山連峰で、明石三曹は原発銀座関連で秘密裏に行動する。但し選択肢が異なるような救援要請(※例:前園准尉達に敵の進行を止めてもらうよう要請し、本人は奥宮で解放の儀式を行う)は自動的に没とするので、此方も注意。


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