同人PBM『隔離戦区・神邦迷処』最終回〜 北陸:東欧羅巴


EEu6『 Result of the black and white 』

 暦の上では、6月中旬に差し掛かった初夏の頃といえども、残雪ある白山の頂――御前峰では未だに寒風厳しいものがある。隔離前に避難小屋として賑った白山室堂を拠点にすれば、安穏と過す事も可能だろうが、
「……少しでも目を離した隙に、何があるか判らないからな」
 天幕から這い出して大きく伸びをすると、水上・三殊(みなかみ・みこと)二等陸士は独りごちた。吐く息は白い。表情の変化は乏しいが、其の声色に若干の緊張が見られる。頭の後ろで縛った長めの髪が風に揺れた。
 本来ならば、白山連峰一帯は駐日露西亜連邦軍が管轄する特別戦区であり、自国領でありながら陸上自衛隊を前身または根幹とする神州結界維持部隊といえども潜り込む事は禁忌とされている。
 其の理由は、先日にあった叛乱部隊の爆弾発言によると……
「日本国政府と超常体との密約……か」
 正確には違う処もあるだろうが、大体は駐日露軍の露西亜空挺軍・第819独立親衛特殊任務連隊(スペツナズ)に所属している ヨシップ・グリゴロフ[―・―]中尉こと、東欧羅巴スラヴ地方における獣神 ヴェーレス[――]が裏付けている。尤も、グリゴロフとしても言質を取られるような口振りではなかったが、端々にそう取ってもオカシクないのを匂わせていた。
「……しかしグリゴロフ中尉が共闘に応じたとはいえ、ラドゥイギン大尉が諦めたとは思えないしな」
 三上の言葉に返すように、鬼部・智孝[おにべ・ともたか]二等陸士が口を開く。得物の大剣がなくとも、筋骨隆々とした巨体から繰り出される力は頼もしい限りだ。
「……って、自分としては鬼部二士にも原発方面に向かって欲しかったんだがな。1人でも多くの戦力を送り込むべきだと思ったからこそ自分は残ったんだし」
 どうして此処に居るのか?と非難めいた口調になるのは仕方ない。鬼部は強面に似合わぬ仕草で、
「……前園准尉に連れ立っていくのは、どうにも悪目立ち過ぎる気がして。打診も無かったし」
 悪戯を叱られている少年のような表情をする。だが鬼部は直ぐに眼光鋭くすると、
「正直、グリゴロフ中尉や前園准尉を信用出来ないのもある。どうも腹芸は苦手だ」
「――率直に言えば、自分もグリゴロフ中尉を信用する気はない。同感だ」
 水上は唇の端を歪めた。だが視線を北西の山裾へと向けながら、
「……とはいえ自分個人の意見であり思想だ。利害の一致という点は納得出来るし、原発方面における状況を考えれば、1つでも多くの戦力を送り込む事が肝要だろう」
 再度、咎めるように鬼部へと向き直りながら、水上は考えを吐露する。
「ならば、最も身軽である自分が封印解放を行い、他の面子を原発方面の作戦に参加させるのが理に叶うというものだろう」
 霊峰の頂にある白山神社奥宮には、菊理媛[くくりひめ]が封じられている。白山妙理権現の異称を持つが、古事記には名が挙がらぬ神であり、日本書紀の一書に一度だけ出てくるのみで、謎が多い。しかし菊理媛を主祭神として祀る白山比盗_社は、日本各地に2,700余りある白山神社の総本社である事からも考えると、神格や力は、かなり上位にある存在と看做されていた。一説には、正体は伊邪那美そのものと言われているらしく、天父神たる伊邪那岐が天照を後継者としたのと対照的に、地母神たる伊邪那美は菊理媛を後継者としたという説もある。
 いずれにしても封じられても尚、菊理媛の霊威は凄まじく、眷属を生み出して超常体に抗うだけでなく、水上や鬼部の傷や疲労を癒してもくれた。グリゴロフや、雷神 ペルーン[――]こと ウラジミール・ラドゥイギン[―・―]大尉……そして原発で騒ぎを起こしている“黒の神( チェルノボーグ[――])”が狙ってくるのも当然と言えよう。
 水上の言葉と、現状の整理。鬼部は首肯すると、
「だからこそ俺もまた居残る必要があると思う。チェルノボーグと完全侵蝕魔人共は確かに脅威だが、駐日露軍――いやラドゥイギン大尉が執念を燃やしていないとは言い難いから。其れに水上二士へと復讐を考えている恐れもある」
 グリゴロフの話によれば、水上によって重い痛手を負ったラドゥイギンは、駐日露軍の駐留地に籠もって守りを固めているそうだ。スラヴ神群の主神格たるトリグラフの一角を担うモノとして負けは認められないのだから、慎重になったラドゥイギンが守勢に転じたというのも間違っていないだろうが……
「其の情報を鵜呑みにするのも危険過ぎる。……何にしろ、護衛は必要だろう」
 そう結論付けると鬼部は笑みを浮かべた。厚意に対して、水上は頭を掻くしかない。実際、ラドゥイギンが形振り構わずに、虎の子である戦闘回転翼機Mi-24クラカヂール(※NATO通称:ハインド)で強襲してきたら、水上が幾ら用意周到に罠を仕掛けていても効果が薄いのだ。
 大きく溜息を吐くと、水上は改めて奥宮に向かって拝した。菊理媛を慰撫する本格的な儀礼は判らずとも、封印を解する鍵は手にしている。其れでも……
「少しは身奇麗にしておいた方が良いのかな?」
 携帯情報端末に落とした祝詞等を確認しながら、身繕いを正すのだった。

*        *        *

 白木海水浴場跡地を再制圧し、高速増殖炉もんじゅへと到る隧道の突破を図る、奪還部隊は思わぬ珍客に眼を疑っていた。敦賀の分屯地から前以て連絡があったとはいえ、実際に姿を現すとざわめきが隊内に満ちていく。
 そんな維持部隊の様子等お構い無しに、野性味溢れる顔立ちの将校が敬礼を送ってきた。たどたどしい英語で所属を名乗る。
『 ――駐日露西亜連邦軍・露西亜空挺軍・第819独立親衛特殊任務連隊のヨシップ・グリゴロフ中尉です』
 混合団長を兼ねる第14普通科連隊長(一等陸佐)は流石に堂々とした態度で返礼をする。だが嫌悪感を隠さず、
『 ……駐日露軍が今更ノコノコお出ましとは。本官等の遅々とした動きに業を煮やしましたか?』
『 ――共闘の申し出が遅れたのは詫びましょう。大佐殿。……否、一佐と呼ぶのでしたな。失礼』
 そしてグリゴロフは目標の方角へと顔を向けると、
『それだけチェルノボークが脅威と感じているのですよ。とはいえ駐日露軍も意見が分かれていましてね。このまま日本軍――失敬、日本の維持部隊に任せるか、其れとも惜しみなく援軍を送るか……』
 一佐は鼻で笑うと、
『其れで……恩を売る方が得策と?』
 投じた喧嘩言葉に、だがグリゴロフの副官と思しき男が間に入り、
「――繰り返しますが、それだけ本国でも懸念しているのです。両国が睨み合うのは先ず敵を殲滅してからでも遅くは無いでしょう?」
 流暢な日本語で、一佐をなだめにかかる。
「――君は?」
 グリゴロフと違って目出し帽で顔を隠した男に、不機嫌な眼差しを送る。声からして30代後半は下るまい。目出し帽の副官は一瞬逡巡した後、
「プリリジェニエ准尉であります」
 一佐は目を細める。眉間に皺を寄せてから、
「……成る程。中尉をよく補佐してくれたまえ。君達の共闘を歓迎する。――しかし随分な賭けに出たな」
 最後の方は、プリリジェニエにだけ聴こえるような呟きだった。プリリジェニエも他の者に気付かれぬよう目配せしながら小声で、
「……既成事実を作り上げてしまえば、こちらのもんですよ」
 互いにしか判らぬ、忍び笑い。グリゴロフとプリリジェニエも含めて駐日露軍の派兵は12名の1個分隊程度。だが半数以上が魔人兵で構成されている為、並みの1個小隊――いや、1個中隊にも匹敵する働きを見せるだろう。別の意味で問題としては、
「……チェルノボーグによる“汚染”――強制侵蝕現象がある。対策は?」
「いざとなればグリゴロフ中尉独りでも行けます。そして、其の時は全員覚悟しておりますよ」
 酷い話もあったものだが、プリリジェニエは自決用の爆弾を晒してみせる事で納得させる。
「いいだろう。――作戦についてはプリリジェニエ准尉を通して説明してやれ。以降、駐日露軍の窓口は彼が取り仕切る」
 自身の副官に命じると一佐は駐日露軍へと背を向けた。が、思い出したように「……部隊の名は?」
「――スヴィトリアーク(ほたる)」

 一佐が受け入れたとはいえ、奪還部隊の人員としては、突然の駐日露軍の出向に唖然としたままだ。第10師団第10高射特科大隊・第1中隊第3小隊長の 大江山・椛[おおえやま・もみじ]准陸尉も複雑な表情を浮かべていた。
「……信用出来るんでしょうか」
 傷病の手当てに診て回っていた 桜屋・ひさ乃(さくらや・ひさの)二等陸士が不安を口にする。赤縁眼鏡には手垢や汗といった汚れが付いており、拭く余裕も無い様子に、衛生科も寝る間もない程に激務というのが伺えられた。アップにしている長髪も乱れが隠しきれず、また、ひさ乃のトレードマークの野戦服の上から羽織っている白衣にも汚れが目立っていた。
 疲労が残るひさ乃の言葉に、だが椛としても首を傾げる他無い。疑えば限りが無いし……
「爆弾放送に対する、動揺もありますしね」
 松塚朱鷺子の爆弾放送に対して、椛の部下は流石に動揺もどころか益々の意志を燃やしたが、誰もが全て強い訳ではない。奪還部隊からも少なからず脱走者や、自暴自棄になって仲間達を襲い、止む無く射殺された者もいる。猫の手も借りたいのは間違いないのだ。
「……兎に角、信じるしかありませんわね。もっと、私に力があれば――」
 椛は思わず呟く。其の時、痛みが走った。椛の表情の変化に、ひさ乃が眉間に皺を寄せるが、
「何でもありませんわ。私もかなり疲れているみたい。少し休めば大丈夫ですよ」
 空元気な笑顔に、ひさ乃は不安そうにしていたが、
「無理はしないで下さいね」
 そう忠告すると、別の部隊へと様子を見に行った。ひさ乃の後ろ姿を見送り、椛は自嘲めいた笑みを浮かべると、憑魔核のある部位を押えながら、
「――無理はせずとも、次に“汚染”がくればアウトですわね……」

 共闘が受け入れられたとはいえ、やはり維持部隊員は駐日露軍を遠巻きに見ているのが殆どだった。其れは其れでボロが出なくて済むとプリリジェニエが薄暗い笑みを浮かべる。名目的な上官であるグリゴロフに向き直ると、流暢な露西亜語で、
『 ……しかし、ラドゥイギン大尉が動かないとは。俺としては、グリゴロフ中尉に説得に当たってもらいたかったが』
『 ――そうなると俺達は此処に来られなくなるな。説得に無駄な時間を割くぐらいならば、既成事実を作り上げてしまう方が余程、有意義だ。何しろ、お前達、人間側には時間が無い。黙示録の戦いで、只の人間では無力だ。せいぜい基地に篭って守りに努めるだけしか出来ないだろう』
 グリゴロフに言われて、プリリジェニエが不機嫌な声を漏らす。
『 ……だがグリゴロフ。協力を打診するだけでもマシだと思うんだが。さもないと菊理媛の怒りで露軍はまとめて吹っ飛ぶと思われるぞ』
 プリリジェニエの忠告に、グリゴロフは笑った。
『 ――いいか、マエゾノ。それこそ余計な心配というものだ』
 プリリジェニエ――否、正体は第14普通科連隊・第1037班甲組長の 前園・賢吾(まえぞの・けんご)准陸尉へと、グリゴロフは指摘する。
『怒りの波動に襲われる? だから協力しろ? 逆にラドゥイギンの事だから意固地になって協力を拒むだろう。そして露西亜だけでなく国連は決して、此の国の神が封じられていた事を認めないだろう。だから、其の恫喝は通じない』
『 ――恫喝?』
 言葉を捉えて、前園は眉を上げた。グリゴロフは笑い続けながら、
『そうだ。白山連峰で俺に交渉を持ち掛けた時といい、マエゾノよ、お前のやり方は人によって恫喝外交と見做されても仕方ないぞ? 俺達の言う事を聞け、さもなくば痛い目に遭うぞ……ってな』
 そして交渉の窓口に立とうとする前園自身が其れを行使する力を有しているのならば兎も角、実際は封じられたままの菊理媛のものだ。交渉カードにしても、使い方を誤ればハッタリとしか思われない。
『 ……で、話は戻すが、各国政府は神の封印を認めていない。“ 唯一絶対主 ”の下僕を自称する輩が告発しようがな。其の結果、派遣している兵士が怒れる日本の神々によって鏖殺されても構わないだろう』
 何故か? 答えは簡単。
『派遣されてくる兵士の大半は、二度と祖国の地を踏めない連中だからな』
 犯罪者や、憑魔に寄生された者。彼等が祖国の地を踏む事は二度とないとされる。祖国では既に死んだと同然の者達なのだ。
『とはいえ現場の者は生き残りを図るだろうに』
『そうだな。だから俺のような神や、事情を知る者は其れこそ必死になって封印を守るか、或いは力を支配下に置こうと動く。事情を知らない者は言葉も満足に通じない異国の地だから、上官の命令に盲従するか、或いは自暴自棄になるかだ』
 グリゴロフは指を突き付けると、
『ラドゥイギンの協力を得る為に交渉したいならば、こうするべきだろう。――神の封印は解かないから、力を貸せ。もしくは協力すれば神を利用する祭器を報酬として渡す、とな』
 ギブ・アンド・テイク。其れが交渉の基本だ。生き残りたければ力を貸せ……というのは違う。
『でも、其れが通じたというのは、実際に選択の余地が無い状況に追い込まれたという訳なの。そうなのね、ヴェーレス?』
 赤いマフラーを巻いた肥満体の中年―― 明石・喜助(あかし・きすけ)三等陸曹を引き連れた幼女がいつの間にか姿を現し、口を挟んできた。場違いな程に白い髪に、白いワンピースを纏った、透き通るような白い肌の幼女――“白き神( ベロボーグ[――])”こと 鈴白・御幸[すずしろ・みゆき]の言葉に、グリゴロフはバツの悪い表情を浮かべた。
「……というか、わし、すっかり御幸ちゃんの保護者代わりになってしまったのう」
 喜助がぼやくが、御幸は知らぬ顔。さておきグリゴロフは御幸の指摘に首肯する。
『 ――其れだけの“器”と力の持ち主が居たのだ。ヒトの身でありながらペルーンをも退けた程の者が』
『其れは是非にも逢って、クルースニクになってもらいたかったの』
 横目で御幸は前園を見ると、
『小父様はクルースニクを希望するなの?』
 つまり、其の資格というか“器”の持ち主と認められたという事か。だが前園は首を振ると、
『 ――生憎と。おじさん、心根は生粋の日本人でね』
 返事に、御幸が落胆する。
『さて、じゃ。来たからには駐日露西亜軍の部隊にも働いてもらうぞ』
 喜助の言葉に、一同の目が集まる。
『わしが掘り抜いた突入経路は流石にもうバレて対策されておるじゃろうから……』
 喜助は腹鼓を叩くと作戦を説明するのだった。

*        *        *

 4回、大きく息を吐き出す。そして、ゆっくりと静かに長く、出来るだけ息を吸い込んだ。続けて口から息を静かに細く長く吐き出す。息長、或いは息吹永世と云われる神道式呼吸法を以って、清浄な氣を充満させる。水上は息長を繰り返すと、
「――生魂、足魂、玉留魂。国常立命」
 唱えた。携帯情報端末に落としている儀礼では、更に親指と薬指、小指を曲げ、人差し指と中指を伸ばす印(※刀印。神道では天沼矛印と呼ばれる)を形作るらしいが、水上は代って右に神剣を握り、左に神鏡を携えた。鏡は自身が輝きを発しているかのように陽射しを照り返した。
「――地の底にありし月影、白山の頂に昇りて、天、照らす光となれ……」
 周囲の警戒をしていた鬼部も我知らずに口ずさむ。
「――剣にて紐を断ち、天照の光を映した鏡にて、地に封じられた魂を濯ぎたまえ」
 果たして、鏡が照らし返した光が奥宮を包むと、浮かび上がったのは、括り紐。扉だけでなく、奥宮の社ごと厳重に縛り付ける霊的な封印。
「――威鋭ッ!」
 左足から踏み込んで、剣を左前方へと振り下ろす。淡い光に包まれた刃が括り紐に断ち切っていった。
『……ああ、ようやく解放される……』
 断ち切った紐が奥宮の深奥にて括っていたのは、勾玉の形状をした温かい光だった。括り紐という視覚情報の封印から解放された勾玉から、一層、強い――だが眩しくない光が溢れ出す。そして……
「――菊理媛様。大変、お待たせ致しました」
 鬼部が頭を垂れるのを、光が成す事で受肉した菊理媛が微笑で返した。
「……どっと疲れた」
 全精力を使い果たした感で尻餅を付いていた水上だが、直ぐに菊理媛より温かい息を掛けられると、疲労が吹き飛んでいく。
「ありがとうございます。高天原の霊と、葦原の血肉に連なりしヒトの子よ……。苦労を掛けました」
 微笑を浮かべる菊理媛に、だが水上は頭を横に振ると、真面目な顔で応じる。
「礼を戴くのは、未だ早い。媛様にお願いがある」
「……なんなりと」
「――駐日露軍やスラヴ神群へと仕返しの力を放つのは留まってくれないか?」
 水上の言葉に、菊理媛の微笑が崩れた。片眉が跳ね、口元が固く結ばれる。だが無言。視線で、言葉の先を促してきた。
 水上は現在の北陸における状況の苦しさを説明し、事態打破の為に僅かでも多くの戦力が必要である事を口にした。
「つまり……その為に利用出来るものは何であれ利用したい。駐日露軍は信用に足らないところは確かにあるが……だが此の先、彼等の協力し合わなければならない局面もくるだろう」
 忍とは、刃の下に心と書く。
「だから、怒りのままに力を奮うのは、思い留まって欲しい。其れが、俺のお願いだ」
 水上は視線を逸らさず、断言する。鬼部は沈黙を守る中、菊理媛は冷たい声で尋ね返してきた。
「――外津神々は、豊葦原の地を『遊戯』の場とし、血で穢し、命を奪ってきた輩。其の様な所業をも許せと? そなたが語る凶事も、元はといえば外津神々の内輪揉めに等しい。妾としては総てを消し去るが、此の地の為と思いますが」
 菊理媛の言葉を噛み締める。其の上で、
「……許す必要はないと俺も思う。だが、此れもまた未来を築く縁となろう。故に激情を押し殺し、苦難を耐え忍ぶも大事だ」
 水上の言葉に、菊理媛は瞑目。そして紡ぎ出すは、
「――及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣」
 菊理媛は哀しい笑みを形作ると、
「父様の御言葉――此れが、豊葦原に棲まうモノ達の本質なのでしょう」(※註1)
 そして温かい手を差し伸べると、
「――了解しました。妾の力は、いずれ必要となる時に、争いとは違う方向で揮う事にします」
 ですが、此れぐらいは……と初めて神らしからぬ悪戯っぽく笑みを浮かべると、菊理媛から温かい波動が周囲に広がっていくのだった――。

*        *        *

 疲労困憊で力尽き、心折れ掛けた隊員達に温かいものが流れ込んできた。怪我の手当てをしていたひさ乃は心温まっていくと同時に、傷の痛みが和らいでいくのを確認する。
「――あれ。何で、涙が……」
 温かい慈母に包まれての安らぎ、癒しに心清明となり、焦りが消える。キャンプ地の彼方此方から、誰からともなく歓声が湧き上がっていた。

 温かい波動が届いたのは後方だけではない。最前線の、もんじゅ隧道でも隊員達が声を張り上げる。
「――よしっ! 未だイケる!」
「このまま俺達の地を守り抜くぞっ!」
 疲れが吹き飛び、痛みも和らいでいた。そして気分は晴れやかとなり、心落ち着いて、戦況を見渡せる余裕が生じる。
「――悪いクスリをやったのとは違いますね」
「あら? そういう体験がありますの?」
 部下の言葉に、咎めるように椛が口を挟む。問題発言をした部下は頭を掻きながら、
「飽くまで喩えですよ。……其れよりも敵は怯んだようですよ」
 各地からの報告――特に九州北部では宗像三女神が解放された際に、周辺の超常体が一掃されたと聞いている。温かい波動は菊理媛が放ったのであろうが、別段、敵超常体そのものを傷付ける力はなかったようだ。其れでも士気が上がった隊員達は自然と勢い付くと、対する敵超常体や完全侵蝕魔人『ストリゴイ』は怯み始める。
「――まさに好機! 圧し潰します!」
 椛の号令と同時、一佐からも全隊に向けて指示が下る。大攻勢に転じた隊員達が声を張り上げた。
「……チェルノボーグの“汚染”もない。先日の突入で弱体化したというのは間違いないようですわよね」
 憑魔核も鳴りを潜めている。少なくとも此の戦いが終わるまで乗り切る事が出来ると、椛は確信。
「人間としての力を見せて差し上げますわ!」
 椛の合図で、87式自走高射機関砲スカイシューターが唸りを上げ、エリコン90口径35mm2連装機関砲が咆哮するのだった。

 もんじゅ隧道から『もんじゅ』正面へと、奪還部隊が圧力を掛けている間に、喜助達、突入組と駐日露軍及びスヴィトリアークは山林を抜けて裏手より突入を果たした。勿論、途中、仕掛けられていた罠や徘徊する超常体、そして待ち伏せしていたストリゴイに足止される事もあったが、
「――我が軍に任せて、日本軍は先へ!」
 駐日露軍兵士に扮する前園の指示を信じて、維持部隊は後を省みる事なく深奥へと迫る。グリゴロフの子飼いの兵士達は散開すると、維持部隊突入組をよく支援した。
『……アルファは、このまま俺と共に日本軍の銃撃支援を続行。ベータ、ガンマは左右に展開し、側面からの横槍を抑え込め。デルタは退路の確保』
 テキパキと指示するグリゴロフに、前園は口元だけで笑みを形作る。
『 ――男に笑みを向けられても嬉しくないね』
『御幸ちゃん……だったか、ベロボーグに微笑まれた方が良かったかな?』
『ベロボーグは名の通り、俺達“白の神”側の集合体が独立したような神格だ。まぁ、あの姿では女性格が強いようだが、それでも自分自身に微笑まれている感じがして、つまり自画自賛……日本語では“自演乙”とか言うのだったかな?』
『 ……何処から仕入れた知識なんだか』
 呆れた口調で返す。だが直ぐに口元を引き締めた。正面に大半の超常体やストリゴイを引き付けはしても、施設の中核はやはり手薄にならない。ましてや、最悪の電波野郎が待ち受けていた。
「――ひゃっはー!!!! 呼ばれて飛び出て、ジャジャジャジャーン! でひゃひゃひゃ!」
 相変わらず気に障るような笑い声を上げながら、クドラクが乱射してくる。右手にMINIMI、左手にAKS-74(アブトマット・カラシニコバ・銃床折畳式1974年型)機関騎銃。突出しているバカと違って、遮蔽物を巧みに利用してストリゴイが銃撃してくる。更には――
『 ――コシチェイの狙撃だ。気を付けろ!』
 正確無比な狙いで此方を釘付けにする。とはいえ、手をこまねいている余裕は無い。
「……明石三曹、ベロボーグ。予てからの作戦通り、此処は我が軍で応対する。日本軍はチェルノボーグ撃破だけを優先されたし」
「了解したわい」
 前園と喜助達で敬礼を交わす。グリゴロフが大きく吼えると、黒と白との違いはあれども、同じスラヴ神群の眷属。獣神の咆哮に、ストリゴイどもが一瞬でも怖れに支配されたように感じる。
「――突貫!」
 其の一瞬を見逃す事無く、喜助達が深奥へと駆け出す。ストリゴイ共の追撃を許さぬよう、駐日露軍が弾幕を張り続ける。
「――オレサマを無視するなー!」
 銃弾を浴びてもなお狂ったように銃弾を吐き出す、クドラク。まるでどころか、まさしく、
『 ……駄々を捏ねているガキだな』
 呆れたように呟く前園だったが、クドラクが脅威なのは間違いない。異形系故に傷をものともせず、ただ感情のままに暴れる魔人に、辟易する。
『 ……弾が尽きた時が好機だが、相変わらずコシチェイが邪魔だな』
『腕の良い狙撃兵は1人でも厄介だからねぇ。一応、手を打ったつもりだが……』
 グリゴロフと前園が目配せを行う。コシチェイの狙撃位置は把握している。距離が問題だが……
『 ――射てっ!』
 前園の合図に、ギリースーツに身を包んだ上に〈消氣〉で潜んでいた狙撃手が発砲した。構えるは、コシチェイが手にしているのと同じSVD(Snayperskaya Vintovka Dragunova)――通称ドラグノフ狙撃銃。AKの機関部を参考に、エフゲニー・ドラグノフによって開発されたセミオートスナイパーライフルの傑作。
 銃弾はコシチェイへと狙い違わずに吸い込まれていく。だが……
「……なっ!」
 前園は思わず日本語で驚きの声を上げる。観測手の報告では、銃弾はコシチェイを間違いなく貫いたはずだ。だがコシチェイは体勢を崩したものの、すぐさま反撃を此方へと叩き込んでくる。操氣系の狙撃手は慌てて防護壁を張ったものの、7.62mm×54R弾の貫通力は凄まじい。直撃は逸らしたものの、狙撃手に傷を負わせたようだった。
「……そういえば、コシチェイの二つ名は“不死身の”だった。ちゃんとデータ集めていたじゃないか、しっかりしろ、俺」
 コードネーム“コシチェイ”と呼ばれる男は、異形系の完全侵蝕魔人。
 コシチェイとはスラヴ神話における醜い老人の姿をした悪の化身。コシチェイの肉体と生命は別々になっている為、普通に攻撃しても殺す事は出来ない。コシチェイの魂は針の先にあり、其の針は卵の中、其の卵はアヒルの中、其のアヒルはウサギの中、其のウサギは鉄の箱の中、其の鉄の箱は緑のオークの樹の下に埋められ、其れは大洋に浮かぶブヤンの島にあるという。
 勿論、此処にいるのはコシチェイの名を与えられた魔人に過ぎず、伝承にいわれる悪の化身ではないが、
「其の名を与えられる程に、不死身という事か」
 やれやれ困ったねと前園は頭を掻く。グリゴロフと再び顔を見合わせると、
『 ……どうする? クドラクのヤツ、銃器を交換して調子に乗ったままだが……抑え込むには直接、打ちのめすしかない。アイツも俺と同じ異形系だからな。並大抵の攻撃では効かないぞ』
 だがクドラクに接近するには、コシチェイの狙撃の雨の中を突破しなければならない。異形系のグリゴロフだと平気だが、決定打が無いのはどちらも同じ。
『 ――いや、決定打は自分が持っているんだが』
 そして隠し球も。
『……やれやれ。此れは非常用だったんだけどねぇ』
 口元を歪ませて前園は笑みを形作る。部下に運ばせて背負うは――
『パンツァーファウスト!』
 110mm個人携帯対戦車弾を担ぐと、コシチェイの狙撃位置へとロケットを叩き込む。流石の異形系でもロケット弾の火力と爆発には沈黙せざるを得ない。
『 ……しかし俺達で対戦車弾といえばRPG-7だろう。何でパンツァーファウスト?』
 折角の擬装工作も、装備1つで台無しになる。呆れた口調のグリゴロフだったが、直ぐに顔を引き締めて前園と頷いた。コシチェイが蘇生を果たす前に、クドラクを倒す。そして逃げられる前にコシチェイにも止めを刺す。両者の合図と共に、駐日露軍兵士とスヴィトリアークが果断な攻勢に出た。ストリゴイを猟犬のように追い詰めて、狩っていく。
「――オレサマが此処で死ぬかよ!」
 クドラクは銃弾をバラ撒き続けるが、そのうちに尽く。コシチェイの支援もなく銃器の交換や給弾もままならないクドラクへと、グリゴロフと前園は一気に肉薄した。クドラクの腕が異形のものになり、骨や爪が鋭い刃物と化す。だが前園は怯む事無く光を放った。
「――目が、目がァッ!」
「……どこのラ●ュタ王だ、お前さんは」
 目晦ましの発光。だが相手は異形系だ。視覚に頼らずに動く事は充分に予測される。だから油断せず破片手榴弾を叩き込んだ。弾体を浴びて襤褸になったクドラクの咽喉を、獣と化したグリゴロフが噛み千切る。
『 ……此れで耳障りな音が聞こえる事はないな。しかし臭いな、本当に。魂まで腐っていやがる』
 肉片を吐き出すと、グリゴロフが鼻で笑う。クドラクは怒りの声を上げるが、蘇生が間に合わずに、空気が漏れ出て行くだけ。そして――
『おじさんからの贈り物だ。熱いのは苦手かね?』
 前園が焼夷手榴弾を叩き込んだ。テルミット反応を起こし、クドラクの肉片を焼き尽くしていく。
『コシチェイの身柄も捕まえて、焼き尽くせ!』
 指示に頷くと、スヴィトリアークが散開した。念の為に、操氣系の狙撃手にクドラクの死を確認させる。
『 ――憑魔核の動体反応は間違いなく沈黙しました。クドラクの焼却完了です』
 事務的に応える狙撃手に、前園は片手を軽く挙げてねぎらう。グリゴロフに向き合うと、
『 ……悪いが、おじさん達は此のまま突入部隊の応援に向かうけれども。間に合うかはさておき。……で、ヨシップはどうする?』
『ストリゴイの中には露軍からの脱走兵も散見されるからな。カスが残らないように、責任取って狩り尽すさ。――では、健闘を祈る』
 どちらからともなく敬礼を交わし合った。

 先の戦いで力を弱めたとはいえ、制御室に近付くにつれて放射されてくるチェルノボーグの悪しき波動は激しさを増してきている。
「――増殖炉を再び運転させるつもりなのかのぅ」
「夏至の日……『黙示録の戦い』が始まるまで時間が無いのは確かなの。焦ってはいると思うのよ」
 喜助のぼやきに、波動を相殺・中和させながら、御幸が返す。クドラクやコシチェイの邪魔を突破すれば、ストリゴイや超常体の妨害も苦ではない。着実に、だが迅速に区画を制圧していくと、突入部隊は制御室へと急いだ。
「……予測した通り、屋内は暗いのぅ」
 力を奪った事で、隔離前の伝説的コンシューマゲームのラスボスが纏う『闇の衣』というべき、無敵の防護膜を失った今のチェルノボーグは、光に弱い。施設内の照明程度の光量では痛くも痒くも無いだろうが、其れでも苦手意識は残るものだ。照明をはじめとする電気経路の殆どは使い物になっていなかった。
「……とはいえ、増殖炉を運転する為にも全てが壊滅状態とはなっておらんじゃろうが」
 突入部隊員の多くは個人用暗視装置JGVS-V8を着用、喜助も視覚を変化する事で、暗闇の戦闘は問題は無い。覚束無い走りは御幸ぐらいだが、ロリペド……もとい紳士の誘導もあり、遅れをとるほどではなかった。そもそも御幸の操氣系能力の御蔭でチェルノボーグの“汚染”に抗する事が出来るのだから重宝もされよう。
「しかし甘えは禁物じゃがのぅ」
 目的地に辿り着いて、気を引き締め直す。
「――戦いに終止符を打つぞ!」
 合図に、M16A1閃光音響手榴弾が制御室へと放り込まれる。爆音と衝撃が室内を満たした直後に、弾幕を張りながら先制の5.56mmNATO。だが、
【……呑気に待ち構えているとでも思ったか?】
 室内の邪悪な気配が消えると同時に、側面から凍てつく波動が放たれた。直撃を受けた2名が氷像と化し、また避け切れなかった数名が凍傷にのた打ち回る。
「……己の気配を囮にしたなの!?」
 返答はない。頬肉はなく、まるで髑髏のよう頭部を持つ痩身の躯は、外見と反する強靭な身体能力で以って突入部隊に割って入ると、格闘戦を仕掛けてきた。殴られた隊員達は壁や床、天井に叩き付けられるだけでなく、
「――何と!? 呪言系か?」
 触れられた装備が朽ち果て、また皮膚は爛れて、腐れ落ちる。
「其れも脅威じゃが……同時に複数の能力は使えないのは不文律。強靭な身体能力は素のパラメータか。何というチート存在め!」
「……明石三曹! 感心するところが違います」
 悲鳴を上げる同僚に、解っておるわいと不敵に笑うと喜助は光を放つ。其れだけでなく、21.5mm信号拳銃より照明弾を発射する。長く続く強い光に、チェルノボーグが呻いたのを聞き逃さない。
「……おりゃおりゃおりゃりゃ〜!!」
 怯んだ瞬間に、同僚達が距離を置く。すかさず喜助はベネリM3Tで直接的な暴力を叩き込むのも忘れない。怒号の叫びを上げたチェルノボーグは再び凍て付く波動を放とうとするが、
「――させん! 南無喜野明神の加護よ、あれ!」
 喜助が腹鼓を打ち、胸元に両腕を寄せる。左手の食指を立て、他の四指を握る。立てた左の食指を右手で握ると、右親指は中に入れ、右食指は左のと爪先を合わせる印行――智拳印を形作った。
 精神を集中させると、光の檻でチェルノボーグを囲む。動きを封じられたチェルノボーグが声にならぬ絶叫を上げた。其の光の中へと決死の表情で飛び込むのは御幸――否、“白の神”。
「……まさか、チェルノボーグを取り込んでトリグラフの一角になるつもりじゃなかろうな」
「ないない、其れは無いなの」
 やや呆れた口調でベロボーグは答える。だが表情は悲壮とも取れる真剣なまま。苦悶に歪むチェルノボーグに取り付くと、
「……喜助には前にも言ったなの。チェルノボーグが倒れたら、ワタシも消え去るべき運命なの、と」
 チェルノボーグとベロボーグは対になる存在だ。一方が倒されたら、もう一方も消え去らなければならない。ペルーンやヴェーレスといった独立した神格とは違うのだ。
「白と黒が互いを取り込む事はないから安心するなの。そんな事したら対消滅するだけなの」
 彼我の差により、どちらか一方が残ったとしても弱体化するに過ぎない。プラスとマイナスの和は、ゼロに近しくなるだけだ。
「……ならば、何をするつもりじゃ?」
「言ったなの。消え去るべき運命だと。――チェルノボーグは、ペルーンやヴェーレス、ワタシのように憑魔を通して人間に寄生したものと違って、次元の壁を越えて、直接に此の『遊技場』の肉体を構築したなの。だから完全に葬り去るのも苦労するのよ」
「――だから、どうするつもりじゃ」
 次元の壁を越えて、もんじゅより得たエナジーから直接に力を奮う肉体を構築したチェルノボーグ。対してベロボーグは空間系という次元に干渉する能を持つ。
「お別れなの。でも最後にお願いがあるのよ? ――此の世界から吹き飛ばすのに、集中する必要があるの」
 だから、と続けるベロボーグの言葉を遮るように、
【させるか、ベロボーグ! 貴様さえ振り落とせば!】
 チェルノボーグが狂ったように“汚染”の波動を放射する。暴力を伴った氣の奔流に隊員達の多くが吹き飛ばされたが、
「――此処でやらねば侠が廃るのう」
 圧する力に逆らって喜助が、力の渦の中心へと跳び込んだ。掌に光を集めると、
「……わしからのはなむけじゃ!」
 チェルノボーグの胸部へと叩き付けた。激痛にチェルノボーグの抗いが弱まり……
「スパシーバ、喜助! ダスヴィダーニヤ!」
 感謝の礼と、別れを告げると――チェルノボーグと共にベロボーグの姿が光の中へと消えていった。
 チェルノボーグとベロボーグがいなくなった事で、制御室に静寂が訪れる。遠くで銃声が轟いているが、遥か彼方の出来事の様だ。
「ベロボーグ氏……否、御幸嬢へ敬礼!」
 隊員達は姿の無い幼女へと、誰とも無く敬礼を行っていった。喜助も寂しく笑いながら倣う。
 ――こうして、もんじゅ奪還戦は多くの犠牲を払いながらも、勝利の結末を迎えたのだった……。

*        *        *

 ……駐日露軍がキャンプ地を置く辰口丘陵公園跡地。訪れた前園が面会を求めると、グリゴロフが晴れ晴れとした顔で出迎えてくれた。
『書類仕事ばかりで辟易していたんだ。助かるよ』
『 ……おじさんの顔で嬉しがられるってのも複雑な心境だねぇ』
 グリゴロフの独断による、維持部隊への共闘。当然ながら露西亜政府に問題視され、幾つかの罰を受ける事になった。暗黙的ながらグリゴロフは神でもある以上、露西亜政府としても処罰を与えるのに頭を悩ませたらしく、少尉への降格と謹慎処分が科せられたに過ぎないのだが。
『ラドゥイギン大尉としては競争相手が転がり落ちてくれて嬉しいだろうねぇ』
『……どうかな? 結局、白山連峰の実質的な支配権は日本軍が取り戻したようなものだし、スラヴ神群としては“柱”を立ててもいない。そしてトリグラフの一角を担うペルーンとしての矜持もあって、今更、日本軍や此処の女神様に頭を下げる訳にも行かない。アイツはアイツで悩んでいるようだぜ』
 鼻を鳴らして、グリゴロフは意地悪く笑う。
『そういう意味では日本軍と縁を結んだ俺の方が未来は開けているのさ。……で、どうだ? 疎開の進行具合は? 俺の部隊から援助は行っていると思うが』
 白山連峰は、形式的には未だに露軍の管轄下にある特別戦区のままだが、菊理媛の影響もあって維持部隊が出入りしている。来るべき最終戦争に向けて、非戦闘員が疎開し、多くの物資も運び込まれていた。
『鬼部二士や水上二士がよく先導してくれているそうだよ。彼等も直ぐに原隊へと戻れないしね』
『ミナカミか……今度、手合せする時は勝ってやると伝えておいてくれよ。オニベともまた戦いたいしな』
『神に目を付けられて2人とも幸運なのか、そうでないのか……とりあえずヨシップくんは謹慎処分が解けるようになりなさい』
 前園の呆れながらの忠告に、グリゴロフは不敵な笑みで返したのだった。

 ――そして夏至の日。世に言われる、黙示録の戦いが始まった。高位の超常体が、神州の支配権を巡って相争い始める。天を覆う、神の御軍。地を覆う、魔の群隊。人々は拠点を死守するのに精一杯だった。
 だが白山から眺望される北陸を直接脅かすものは少なく、復興が進んでいく。多くの犠牲を払ったが、其れでも勝ち取った平穏だった。

 戦場が繰り広げられた白木では、万が一の場合に備えて、新たに分屯地が築かれた。再び原発群が奪われる事への警戒だ。椛が率いる部隊のスカイシューターもまた守りの一隊として空を睨んでいる。
「――本音を言うと、大江山准尉には後方勤務をお願いしたいんですけれどもね」
 ひさ乃の言葉に、椛は苦笑。
「私の命が残り僅かなのは解っていますよ。でも、やはり最後まで防人でいたいのですわ」
 いざとなれば自決するのに躊躇いは無いし、部下達にも厳命している。どう終るか解らない人生だが、せめて最後まで神州を守る防人として、椛はいたかった。
「……そういえば、明石三曹は?」
 ひさ乃の問いに、呆れた口調で同僚が答える。
「デジカメを手にして、偵察と称してWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)を撮影していたぞ」
「で、いつものように張り飛ばされて、データ消去されると」
 戦闘中はあんなに格好良かったのにね……と、一同は溜息を吐いた。

 データは消去されても、デジカメ自体は没収されないのが、人徳なのか、そうでないのか。
「……まぁ、アヤツが此の世界に遊びに来てもいいように光景を撮り続けるのは文句言われんしのぅ」
 喜助は笑みを浮かべると、戦いの後に生まれた束の間の平穏を撮り続けたのだった。

 

■状況終了――作戦結果報告
 第10師団(一部)、第12師団(一部)による北陸方面の戦いは、今回を以って終了します。
『隔離戦区・神邦迷処』第10師団(一部)、第12師団(一部)(北陸 = 東部欧羅巴)編の最終回を迎えられた訳では在りますが、当該区域作戦の総評を。
 中盤まで人類側の敗北をも覚悟していましたが、見事な逆転勝利でした。
 諦めずに菊理媛の封印解除に奮闘した水上二士の働きが大きかったと思われます。
 また早めの段階で天使の横槍を排除した、大江山准尉の頑張りも無ければ、最終局面でどう転んでいたかは判らなかったでしょう。
 そして全体を通して最も活躍したのは、明石三曹で間違いないと思います。
 唯一の気掛かりとしては、菊理媛の力と、東北編の霊場恐山とが密接に関わっていた事に誰も指摘なされなかった事です。結果として、奮闘空しく恐山は超常体の手に落ちました。悪しからず御了承下さい。
 其れでは、御愛顧ありがとうございました。
 此の直接の続編は、当分先になると思います。とりあえずは、時間を少し溯りまして、同時期の関東地方での作戦に御参加頂ければ幸いです。
 重ね重ねになりますが、ありがとうございました。

●おまけ・設定暴露:
 御幸は憑魔に寄生されたデビルチルドレン。但し胎児の段階で、受容体としてベロボーグと同一化を果たしていた。ベロボーグそのものはスラヴの善神の集合意識が独立化したもの。
 対するチェルノボーグは悪神の集合意識の化身だが、単体でも存在感を有するだけでなく、実は“這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”と密接に関わっていた。其の名の通り“黒の神”なので。クドラクがニャルラトホテプについて、ちょこっと漏らしているので再確認してみよう。
 コシチェイとバーバヤガーは、クドラクが未だマトモだったころからの戦友。此の3人は高位中級ぐらいの力を有していたが、其れでも魔人に過ぎなかった。
 天使達の目的は、ベロボーグの説明通り。ニガヨモギの記述の再現儀式を行う場として、もんじゅを選んだのである。
 結局、クルースニクは生まれなかったが、ちなみにベロボーグが明石三曹に誘いの言葉を掛けなかったのは、妖怪=人間ではなかったから。そもそも妖怪は憑魔に完全侵蝕された生物が世代を経て生態系を確立し、土着したものであり、実は超常体の一種に過ぎないからである。
 逆に、菊理媛が生み出した女芋虫は、厳密に言うと超常体ではなく、神使という、似たようで非なる別個存在に当たる。なおオキクムシが正式名称。

※註1)……外来の暴挙にも、先ず自らの非を省みて対応しようとする日本人の性質は太古からのものらしい。だからといって調子に乗って、堪忍袋の緒を切らせないようにしなければいけないよう諸外国は注意せよ。いざ動き出した日本人は苛烈でもあるからだ。荒御魂と和御霊の矛盾した二面性を併せ持つ事こそが日本人の本質ではなかろうか。


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