第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・神人武舞』 第1回 〜 山陰:北欧羅巴


NEu1『 集いし、死する魂の担い手たち 』

 出雲駐屯地――第13偵察隊の駐機場に、誰もが振り向かざる得ない美貌の持ち主が足を踏み入れると、まだ陽が昇る明け方前だというのに、まるで華が咲いたように明るくなった。整備員や同僚達が溜め息を洩らす。拝んだりしているのは流石に行き過ぎのような気もするが。
 かくのごとく一同の注視を受ける 山瀬・静香(やませ・しずか)二等陸士は、豊かな胸も、腰のくびれも、臀部の曲線美も、カモシカのような肢体も見受けられない――パーツ・フェチなら落胆するような、無いっすバディ(※キャラクター登録原文ママ)だが、それでも、誰もが認めざる得ない美少女である。
 眼差しに、だが静香は平静を装って、ただ敬礼を返す事で挨拶とする。そして自らも加わって極限にまで改造した愛車――偵察用オートバイ『ホンダXLR250R』カスタムに跨ると、ハンドシグナル。サインを受けて整備員が親指を立て、駐機場の格納扉が開いた。静穏性の高まったホンダXLR250R改は、忍び行く影のように、だが確かな力を持って、大地を駆け出していく。
 目的は、最も頼り甲斐がありながらも、最も厄介な隣人――特殊部隊SAS(Special Air Service:英陸軍特殊空挺部隊)が陣取っている、出雲大社の潜入調査であった。
 正式名称「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」――通称「英吉利王国」の誇りにして、世界最強の特殊部隊と賞賛されるSAS。駐留している本拠地は宍道湖の東端たる松江市で、旧島根県庁と松江城にキャンプを張って、山陰地方に出没する超常体数を調整する者として自負している。
 実際、中国地方の山陰は、鳥取と島根という横に伸びた戦区であり、しかも相手は種類も多く、無尽蔵ともいえる欧州伝承の妖精型超常体の群れだ。また魔群(ヘブライ堕天使)の存在や、海岸沿いには獣頭人身のフォモール、中国山地にはヨトゥンやムスッペルという、俗に巨人と呼ばれる大型超常体も確認されている。駐屯する第13旅団第8普通科連隊だけでは手に負えない。
 ましてや、先日には山陰地方に駐留する外国軍の中で、英軍と肩を並べるほどであった独逸軍キャンプ地が超常体の襲撃に遭い、壊滅したばかりである。同じく駐留している波蘭(ポーランド)、丁抹(デンマーク)、白耳義(ベルギー)、阿蘭陀(オランダ)各国は、己がキャンプ地の防衛だけに躍起になって、神州結界維持への余念は窺い知れなかった。
 そのような中で、英軍は本部キャンプ地のみならず、出雲大社や隠岐島にまで部隊を派遣しているのである。だが駐日英軍の専横とも思える行動にも、誰が異を唱えられるか。今や駐日英軍無くしては戦線を維持出来ないのである。
「……とはいえ、戦力を分散してまで何をしているのでしょうか?」
 迷彩覆いを被せたオートバイ用鉄帽の下で、静香は思わず独りごちた。
 出雲は、大國主命[おおくにぬしのみこと]を筆頭に八百万の神々が集って、「幽(かく)れたる神事」すなわち縁結びの会議を催す土地。純戦術的な目で見れば価値があるとは思えない大社に、貴重な戦力を貼り付ける意味は?
「噂されていますように――封印の監視?」
 超常体が、ある種の群れを形作るのは今や周知の事実であり、神州に対応する世界各地の神話・伝承に似通っていると言われている。まさしく山陰だと、北欧神話や欧州の妖精伝承。そして超常体の群れを統率しているのは、伝承や神話で謳われる主神級の存在であり、そいつさえ倒せば、超常体が居なくなるのではないか? ……これが、現在、維持部隊で流布されているオカルト説。希望であり、そして夢物語だ。
 同時に陰謀論も流れている。――日本土着の妖怪を統率している古来の神々は封印されており、そして駐日外国軍は監視する為だというものだ。
 オカルト説も、陰謀論も、一笑に伏してしまうには駐日英軍の動きは余りにも符合し過ぎている。ましてや駐日独軍キャンプ地を強襲した超常体を統率していたのは、北欧神話の存在を自称していたという。
 さすがに猜疑心を募らせた第8普通科連隊本部は密かに各隊に偵察調査を打診。静香は志願し、出雲大社方面を当たっている。しかし……
「出立前に少しでも情報が欲しかったのですけれども……利害が一致する限り、“彼等”は情報を提供してくれるものと思っていましたが」
 静香は唇を噛む。情報提供出来ない事情があるのか、それとも……
「提供するほどの情報でもないと思われましたか。何にしろ、百聞は一見に如かず」
 故に偵察隊の意義があるのだから。静香のオートは乗り手の名の如く、隠密に駆けていくのだった。

*        *        *

 湖山町に駐留していた独逸連邦共和国軍キャンプ地が襲撃を受けて陥落したとの報に、中部方面隊総監部並びに第13旅団司令部は非常事態として特別な対応手段を講じる事を許可した。すなわち、
「――本日、鳥取空港跡地奪還作戦が発令され、第8普通科連隊2個中隊を中核とする部隊を組織して当たる事が決定された」
 第8普通科連隊本部がある米子駐屯地の一室。作戦会議から戻ってきた小隊長(三等陸尉)の説明に、一同は騒然となるが、先任の陸曹長が咳払いするとすぐさま静かになった。落ち着くのを見届けてから小隊長は説明を続け、最後に意見を求めてきた。
「……うちから質問があるけん、小隊長。――目撃証言によりゃ、敵超常体の群れに、独逸軍将校の姿が見え隠れしょぉったとあるけんど、より詳しい情報開示はでけんの?」
 短髪で、小柄な少女―― 鉢屋・小瑠璃(はちや・こるり)二等陸士が挙手。どんぐり眼で小隊長を凝視していたが、逆に小瑠璃へと皆の視線が集まった事に気付いて、途端に身を縮ませる。広島弁風の口調で威勢が良いように誤解されがちだが、普段の小瑠璃は挙動不審なほどに臆病で、かつ口下手だ。人付き合いは良い方ではない。
 今でもそのまま机の下に潜り込みそうな様子に、隣に座っていた 鹿取・真希(かとり・まき)二等陸士が慰めるように肩を叩く。……年下に慰められて落ち着くのもどうかと思うが小瑠璃は上目遣いに小隊長を見詰め直した。小隊長は苦笑。
「直接にキャンプ地を襲撃したエレーナ・シェルニング少尉の他にも、トーマス・ヴンダァパール大尉が赤十字病院に宣戦布告に現れたらしい。また公式記録では三年前に八頭郡の戦場で死亡と思われていた、ゴットフリート・フィヒトナー大佐の姿が確認されている」
「……三年前、八頭郡の戦場?」
 小瑠璃に代わって、真希が疑問を口に出す。無口な性格で、開いても単語の羅列にしかならない真希の喋りは、小瑠璃とは別方向で意思疎通が難しい。長年の付き合いで意を汲んだ曹長が説明をする。
「突如として山中から北上を開始したヨトゥンを抑える作戦だったらしい。ヨトゥン北上は阻止出来たものの、フィヒトナー大佐の部隊は壊滅したとの事だ」
 ヨトゥンの響きに、小瑠璃が微かに身動ぎした。
「……それで、遺体は確認されたんやの?」
「遺体の確認までしていたら、今頃、こんな事件に発展してなかっただろうさ」
 小瑠璃の呟きに、曹長は肩をすくめて見せた。小瑠璃は唇を固く結んで暫らく考えていたが、
「……小隊長。うちだけ、皆から外れて八頭群への偵察に志願したいんやけど」
「――危険極まりないぞ」
 注意はするが、にべも無く却下はしない小隊長に、小瑠璃は「ええ人や」と感謝した。
「……百も承知だけん。それに山は、うちの勝手知ったる故郷や。安心しい」
「……十日しても戻ってこなくても、人手が足りない為に捜索は出さない。死んだか、脱柵したものと判断する。だから生きて戻ってこい」
 小隊長はそれだけ返し、班長が小瑠璃の背中を叩く。同僚達が心配げに、だが親指を立てて送り出してくれた。真希の足元に伏せていた戦闘用犬たる、わんこ先生もまた一声吠えると、小瑠璃に尻尾を振る。
「……おいおい。見送りは未だ先だ。鉢屋が別行動とるのは敵に包囲陣を布いてからだからな」
 呆れたような曹長の言葉に思わず苦笑。各班、各員が作戦準備に入っていこうとするが、
「――東郷池に、駐日独軍とSASが小競り合いしていただと?」
 小隊長に耳打ちされた囁き声を聞きとがめて、真希が歩みを止める。わんこ先生が鼻先を上げた。
「……小隊長。詳しく、聞かせて」
 小隊長の眉間に皺が寄ったが、
「鳥取空港跡までの中間に位置する、東郷池にて駐日独軍残党とSASが争った形跡がある。確証は無いが様々な情報が流れているらしく、中には巨大な狼の影や遠吠えを聞いたという者も出ているらしい」
 とはいえ、貴重な戦力の分散を嫌がる中隊長は、東郷池周辺を迂回、或いは迅速に強行突破して関わりを避けるつもりらしい。だが無言で見詰める真希に対して、小隊長は重い溜め息を吐いた。曹長に振り返ると、
「……鉢屋に続いて、鹿取もか。我が小隊の自慢であり、貴重な戦力たる魔人を割けたくなかったんだけどな。それも2人も失うのか」
 肩を落とす。真希は眉を八の字にして、
「……ごめん、なさい」
「いや。何か感じたのならば、それを最優先しろ。但し、こちらとしては鉢屋と非常時の対応は同じだ。悪いが覚悟しておけ」
「――レンジャー!」
 特有の返事をして敬礼する、真希。
「で、移動手段だが……」
 真希はわんこ先生と視線を合わせると、
「オート、壊す、から。駄目。大丈夫、マウンテンバイク、ある」
「マウンテンバイクって……チャリやの!?」
 オートの手配を済ませていた、小瑠璃が唖然としながらも思わずツッコミを入れるのだった。

*        *        *

 つい先日までは超常体との争いの外れに位置していた元・鳥取赤十字病院は、今や混乱の渦中だ。護りにつく第13旅団第8普通科連隊・第138中隊が警戒を増していた。
 北西6kmに、超常体に襲撃されて占拠された鳥取空港跡地――駐日独軍キャンプがあるのも一因だが、最大の理由は複数の高位超常体の出現と、襲撃によるものだ。オカルト説の正しさを示すかのように各地の伝承に基づいて各勢力に分かれているようだったが、全ての高位超常体の目的は一致している。少女1人を強奪する――その目的を阻止する為に、防衛部隊は緊張状態を強いられていたのである。
「……時間が掛かるものの、傷病者をより安全な場所に移送すれば良かろうに」
 鋭い眼差しで睥睨しながら壮年の男が呟く。天辺・尚樹(あまべ・なおき)二等陸士――初老とは思えぬほど引き締まった肉体を迷彩服II型に包み、刀を差した古強者は鼻で笑う。
「確かに天辺のジイサンが言う通りなんだが……賀島先生がここを出るのを固辞しているんだから仕方ないだろ。それともジイサン、怖気付いたか?」
 88式鉄帽を脱ぎ、首に巻いていたタオルで顔を拭いながら、第1382班甲組長の 峰山・権蔵(みねやま・ごんぞう)陸士長が意地悪く問うと、あろうことか天辺は口元を歪めて笑った。
「――是非も無い。人であれ、化け物であれ、戦えるのであれば同じ事よ」
 武者震いという奴か? 天辺の腰に差している刀が小刻みに動き、音を鳴らす。峰山の足が知らずに後ろに下がっていた。奥歯を噛み締めて、冷や汗が落ちるのを堪える。もしも峰山が天辺の正面に立ち、瞳を覗き込んでいたら、昏い光を宿していた事にまで気付いていただろう。峰山は気を取り直すかのように、手に持つ大円ぴで軽く叩きながら肩をほぐすと、
「つーか、そんな上位の連中が押し寄せるなんて、何があるのやら……。深窓の御令嬢にどんな秘密が?」
 呟いてから、峰山は誤魔化す。
「別に他意はありませんよ? ほら、同年代らしいですし。挨拶はしておかないとー」
 だが、そちらには心底興味がないように天辺は無視。こちらが階級では上位とはいえ、やはり人生経験の差か、気が引ける。何とも付き合い辛いジイサンだ。峰山は溜め息代わりに、苦笑した。
「――ん? ようやく増援が到着したか」
 峰山が目を凝らすと、空港跡を迂回しての県道21号線から25号線沿いを突破し、82式指揮通信車コマンダーに引き連れられて高機動車『疾風』3台が現れた。追いすがろうとする獣型超常体を車上からの89式5.56mm小銃BUDDYの乱射で引き離すと、4台は病院敷地内に駆け込んできた。後続の超常体は、待ち受けていた第138中隊の一斉掃射で薙ぎ払われる。
「――『末尾』か」
 車体に塗布された印章――鎌首をもたげた王蛇を目敏く確認した天辺が呟く。『末尾』――第13旅団第1316中隊第3小隊。最前線の過酷な戦場に飛び込む特攻部隊。いつでも切り捨てられるように割り当てられた小隊番号が第13旅団末尾だから付けられた通り名だ。
「ジイサン似合いの部隊だな」
 峰山の冗談を、だが天辺は真顔で頷いた。
「然り。転属願いもいいかも知れん。ワシの望みは戦いじゃからな」
 通常、危険な最前線に鉄砲玉として投入されるのは、上官や同僚の傷害、殺しの重犯罪者を寄せ集めて設立した、団長直属の懲罰部隊である。だが第13旅団は例外であり、第13特務小隊(壱参特務)は旧・山口刑務所に収監されて動く事はなかった。しかし、ただでさえ過酷な中国地方だ。代わりとなる部隊が必要となる。そこで重犯罪といかなくとも訳有りの人員で構成された『末尾』が運用されているのだ。
「……もっとも、隊長の若造は、壱参特務の郷田と並ぶほどの札付きの悪だと聞くが……」
「というと、外国軍の将校を衆人環視の中で強姦してから殺したのか? 取巻きも全滅させて」
「……さすがに郷田以上の悪はいないか」
 峰山と天辺以外にも多くの第138中隊員達が見守る中、コマンダーから降り立った男――まだらに脱色したぼさぼさの頭髪に、袖まくりした左腕には王蛇の刺青――第1316中隊第3小隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉は、出迎えた第138中隊長(三等陸佐)に形だけでも着任の挨拶をする。
「増援はこれだけか……」
 落胆する中隊長に、殻島は悪びれる事無く、
「正直、海田市や米子の連中は、病院防衛に難色を示しているんだわ。俺達にしてもキャンプ地奪還に回されかねなかったところだったし」
「……それでも、君達がこちらへの出向を選んでくれて助かった。ありがとう」
 中隊長とは別の声。男にしては高い声域の持ち主から感謝の言葉を受けて、殻島は皮肉気な笑みを返す。
「……既に高位超常体の侵入を許している以上、ここが最前線であるとの認識に異論は無いだろう。で、お前が実質的な責任者の賀島亜貴三尉で間違いないな」
 忘れていたとばかりに、おざなりな敬礼をしながら殻島が問うと、賀島・亜貴[がとう・あき]三等陸尉は気分を害する事なく頷いて見せた。整った鼻梁に、紅を引かずとも濡れたように赤い唇の美麗な顔立ち。音楽科や海外からの雑誌にでも出てくるモデルのような長身だが、肩幅は狭くて腰は大きい。事前に知っていなければ、殻島も亜貴を女性と見間違えていたかも知れない。とにかく頭を振ると、
「詳しい警備態勢の話は後で詰めるとして……来たばかりの俺が言うのも何だが、先ずは身元確認を徹底し直せ。――聞けば、余りにも簡単に侵入されてしまったそうじゃないか」
「……我が部下に内通者がいると?」
 思わず気色ばむ第138中隊長を制して、亜貴が言葉の続きを促す。殻島は鼻で笑うと、
「傷病人、衛生科隊員に関わらずだ。デビチルみたいに反応を隠せるタイプの人型超常体が紛れ込んでないと誰が言い切れる?」
 デビチル、二世魔人、デビル・チルドレン。――前世紀に悪魔を扱った某ソフト会社が携帯遊技機で発表したゲームのタイトル……ではなくて。片方にでも親に魔人を持つ子供は生来ながら魔人であり、彼等はデビル・チルドレンと俗称される。生まれながらの魔人はそれだけに憑魔能力を自在に扱い、能力も高い。だが反面、侵蝕率の上昇も早く、超常体と化す危険も極めて高かった。
「せめて院内のデビチル全員を洗い直す必要もあるんじゃねぇか?」
「……ちょっと待ってくれよ。内通者の疑いを掛けているって言うんなら聞き捨てならないな」
 峰山が溜まりかねて口を出した。
「――こいつは?」
「第1382班甲組――魔人第二世代で実験編制された、大円ぴが標準装備の特殊土木部隊、通称『スコッパー』の隊長じゃ」
 殻島の問いに、助け舟を出したのか天辺が答える。内容に殻島が頭を抱えた。
「……何を考えて編制されたんだよ」
「――俺自身も、何が謎って、それが一番謎なんだ」
 何だかなー?と一同に乾いた笑い。
「……他には?」
「小島や、第1383班乙組長の意多伎もデビチルだな。他にもいるが……。特に意多伎は“発破の意多伎”と言われて、“掘削の峰山”と並ぶ戦力の要だ」
「……通り名だけで聞くと……普通科じゃなくて、施設科じゃねぇのか、第138中隊第1小隊?」
 第138中隊長が口を挟んだ内容に、殻島が呆れて見せたが、
「更に付け加えると、小島の通称は“重WAC”。得物は重鈍器の、硬い・重い・強い装備が自慢だ」
「――本当に際物ばかりじゃねーか!?」
 殻島の叫びに、天辺が口元を歪ませて一言呟き。
「……お前が言うな」

 物寂しい音色が中庭に流れていた。よく陽に焼けた色黒の肌をした少年がハーモニカを吹き鳴らす。
 別任務で負傷し、入院していた第1383班乙組長、意多伎・黒斗(おだき・こくと)陸士長だったが、ようやくリハビリも終え、復帰が言い渡された。
 とはいえ上官の第1383班長より下されたのは『鳥取赤十字病院の死守』である。被保護者の立場から、警護者に代わるだけで、この場所に引き続き厄介になるのは変わらない。ならば任務復帰までの僅かな休息期間、息詰まる病室を抜け出し、ようやく見つけ出した安息出来る場所で、何ともなしにハーモニカを吹き鳴らしていたのだった。
 ただ想うがまま吹き鳴らしていたが、ふと気配を感じて口を離した。周囲を見渡して変わらず独りである事を確認。だが、それでも感じる視線に、つい視線を上げた。
「……あっ」
 視線が合った。病室の窓から身を乗り出すように、意多伎を見詰めていた少女。すぐに顔を引っ込めたが、その面差しは、意多伎の目蓋の裏にはっきりと焼き付いていた。――顔を覆い隠さんばかりの長い黒髪。重く長い病を患っているのか、頬肉の付きは悪く、やや蒼白な顔色。だが、その瞳はとても澄んでいたように思えた。
「……あれが噂の、深窓のお姫様か」
 賀島三尉が溺愛する、赤十字病院の姫について、意多伎も話には聞いた事がある。何故か、複数の高位超常体が狙っているとも。確か、名前は……
「――亜貴ちゃん?」
「違う。それは賀島三尉の名前だ。女子とお近付きになりたいなら、相手の名前を間違えては駄目だな」
 容赦ないツッコミを横から喰らった。意多伎が慌てて振り返って――腰を抜かすほどに仰天。
「……って何故、後ずさる?」
 後ずさりたくもなる。意多伎にツッコミを入れたのは、如何にも重そうで、かつ念入りにラバーウェアで隙間無しのボディアーマーに、88式鉄帽と防護マスク4型を着用した人型の塊だったから。
「……こ、ここ、小島二士か?!」
「他に誰がいるというのか……って、そうか」
 合点がいったように手を叩くと、小島・優希(こじま・ゆうき)二等陸士は鉄帽を脱いで、マスクも外す。白銀の長髪が背に流れた。優希は一息吐くと、赤い瞳で意多伎を見詰め返した。
「お互い、中隊ではちょっとした有名人だから、自己紹介は必要無いよな、“発破の意多伎”士長? もっとも小官の通り名は甚だ不本意だけど。まるで小官が体重管理を怠っているみたいじゃないか」
 口を尖らす優希――“重WAC”(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)とは確かにあまり良い響きではない。だが重装備の優希には相応しいと思えた。
「……さておき。いつの間に?」
「何、ハーモニカの音に誘われてね。ちょうど施設案内と重要人物の紹介を誰かに頼みたいと思っていたところなんだ。特に――彼女と是非にも」
 優希が見上げると、再び窓から引っ込む影。思わず苦笑。
「確か、小官の記憶では、亜貴じゃ無かったよな」
「……それは、パパの名前なの」
 優希の確認の問いに、病室の主―― 賀島・久美[がとう・ひさみ]が答えてきた。意多伎は心理的な痛恨のミスで、思わず引っくり返りそうになる。だが負けない男の子! 気を取り直すと、
「仕方ないだろ、初対面なんだから。……とっ、と、とにかく、下りてこないかい?」
「それともこちらがお見舞いに行こうかな?」
 笑って優希が続ける。暫らく、久美は顔を引っ込めたままだったが、
「――スミホさん。いいかな?」
「お嬢様のお望みのままに。それがわたくしの喜びでもあります」
 久美は誰かに確認を取ると、すぐに下りてくる旨を伝えてきた。その間、意多伎と優希はお互いを牽制。
「――あまり寂しそうな演奏するものじゃないと思うよ。久美ちゃんの前では特に」
「……小島二士には、そう聞こえたのか?」
「作戦外では優希でいいよ、意多伎士長」
「なら俺の事も黒斗と呼んでくれ、優希」
「うん。……音色が、ね。少し寂しそうだった。だから久美ちゃんも気になったかも知れないけど」
「……喜ばしい事か、そうでないのか、判らないな」
 自分の演奏に寂寥感があると指摘されて、意多伎は溜め息を吐いた。思わず顔をなぞる――火傷跡のようにケロイド状になった部分を。意多伎が思い知らされる罪の烙印だ。しかし優希は気付かぬ振りをして、
「どうせならアニソンがいいなぁ。石川智晶さんって知っている?」
「……すまない。知らないな」
 意多伎が謝ると、少し肩を落として優希は笑った。
「隔離前の『See-Saw』という女性グループのボーカル担当なんだけど。……まぁ、そんなに有名じゃなかったか(※註1)
 会話のうちにメートヒェン(das Madchen:女中。独語)に押された車椅子に乗って久美が下りてきた。久し振りに出た外に、どことなく嬉しそうに見えた。
「改めて、こんにちは。それとも初めましてかな、俺は意多伎黒斗と言うんだ。気軽に黒斗と呼んでくれ。……名前を間違えて済まない」
「私は優希だ。小島優希。私も同じく気軽に呼んでくれると嬉しいな」
 2人の紹介を受けて、久美は微笑むと、
「賀島久美よ。久美と呼んで。……今度からはパパと間違えないでね、黒斗さん」
「――いや、本当に面目ない!」
「初っ端から、減点1〜♪」
 謳うように口ずさんで優希がからかうと、バツの悪い顔をして意多伎は平謝り。と、鈴のような笑い声に2人は同時に振り向いた。思わずといった感じの、久美の笑い声。だが、すぐに咳き込んだ。心配した意多伎や優希を弱々しくも手を挙げて制すると、
「……御免なさい。本当にわたしってば駄目だなぁ。皆が命を掛けて戦っているのに、わたしは安全なところでただ無為に日々を過ごしているだけ……」
 虚ろな笑みを浮かべる久美に、だが意多伎は、
「――君は俺なんかよりも上等な人間だよ」
「……黒斗さん?」
 片膝を付いて、視線の位置を久美に合わせると、
「賀島三尉――君のパパは、君を愛している。多分、いや絶対に、パパだけじゃなく、皆、君を愛してくれるさ。だから君は俺なんかよりもずっと上等な人間だ」
 沈痛な表情で空を仰ぎ見る、意多伎。そのケロイド状の肌を、右手で優しく触れる久美。
「……? 醜いだろ、この火傷跡は」
「ううん。わたしと同じよ」
 頭を振る久美。左半身を覆い隠す長い髪が揺れ動いた。手が触れ合うほど間近な黒斗は気付いた。恐らくは優希も気付いたかも知れない。
 ――土気色の死体のような肌をした、左腕。
 だが2人の心中の驚きを知らず、久美は優しく語り掛けてくる。
「……大丈夫。黒斗さんは大丈夫だから。優希さんも。だって2人とも皆に愛されている……」
「「……久美ちゃん」」
 何とか2人が微笑み返そうとした時、
「――久美っ!」
 血相を変えて亜貴が走ってきた。手塩に掛けた育てた綺麗な花から悪い害虫を追い払うような視線に、思わず意多伎と優希はたじろぐ。
「――もう時間だ。パパと一緒に部屋に帰ろう?」
「……うん。黒斗さん、優希さん。また今度ね」
 微笑む久美に、意多伎と優希は笑い返して、
「今度からは、お部屋に見舞いに行くよ」
 久美は満面の笑みに、亜貴は苦虫を潰して飲み込んだような顔になるのが、実に対照的だ。
「本当?! 嬉しいなぁ」
「――久美っ! くっ、スミホ君!」
 秀美な顔を歪めて亜貴は、メートヒェンに言い聞かせようとするが、平然とした顔で
「お嬢様の喜びが、わたくしの望みであります」
 にべもない。肩を落とした亜貴はせめて自分の手で久美を部屋まで送り届けようと車椅子を押していった。思わず苦笑する、意多伎と優希。
「さて、俺も病室に戻るかな……」
 意多伎が立ち上がったところに、小走りにやってくる少女が2人。倉御・美加[くらお・みか]一等陸士と 山倉・美津[やまくら・みつ]二等陸士。意多伎の前に立つと、責めるように
「「おとなしく病室で寝ていて下さい」」
 異口同音で、注意された。
「おや。意多伎士長は意外にモテるんですね」
「誤解するのはよしてくれ。……しかし倉御も、山倉も心配してくれるのは嬉しいんだが、さすがに四六時中、張り付かれてはな」
 自分の身を案じてくれているのだろう。以前から2人の部下はよく見舞いに来てくれたが、厳重警戒態勢に入ってからはまるで監視するかのように隣室や廊下で待機するようになった。2人とも自分と歳も違わぬ女性だ。何ともアングラで流行っている成年男性向けゲームに似たシチュエーションで同室の陸曹長からは羨ましがられていた。だが、どうやら2人とも自分に恋愛感情を抱いてなさそうなのは間違い無い。ちょっとは夢見る事があるので、残念ではあるが。
 とにかく引き摺られるように病室に戻っていく意多伎を見送った後、優希は伸びをする。
「さて、当番時間まで私も風呂にでも……」
「――では御案内致します」
 居たのか!? すぐ隣で無表情に控えていたメートヒェンに、何故か優希は薄ら寒いものを感じるのだった。……早く風呂場に案内してもらおう。

 物陰から状況を見届けた殻島が肩をすくめて見せた。
「……青春だねぇ」
「――彼女が最優先護衛対象。高位超常体が狙う目標か。彼女を死守すべく刃を振るえばいいのだな?」
 天辺の呟きに、峰山が頭を掻く。
「まぁ俺が最も気になるのは……」
「この、わたくしでございますか? 殻島准尉」
 本当に気配を感じ取れなかった! 躊躇無く天辺が『妖刀鎌鼬』を抜く。すかさず斬り付けるが、メートヒェンは何処からか取り出した大鎌で受けて立つ。
「――殺すつもりですか?」
「……死んでないではないか」
「おいおい、ジイサン」
 思わず峰山がツッコミ。だが峰山もメートヒェンに大円ぴで殴り掛かろうとしたのは間違い無い。天辺に先を取られてしまっただけだ。
「……お前は何者だ? アレか?」
 内ポケットの仕舞っているモノが共振しているのが、殻島には感じられた。身動ぎもしていないのに、メートヒェンの腰に提げられている鍵束が耳障りな音を立てている。
「……聞いたぜ。単身で高位超常体を圧倒する能力を持ち、オマケに、ソレだ。……お前はアレか?!」
「……『アレ』とは?」
 峰山は首を傾げる。殻島が言及しているだろう存在には、峰山も心当たりがあったが……『彼等』は病院については『不介入』と断ってきていた。ならば、このメートヒェンは一体?
「―― Achtung!」
 突然のメートヒェンの号令に、緊張が走る。メートヒェンは魔法のように大鎌をどこかに消し去ると、
「――わたくしは駐日独軍所属のスミホ・フェルヘンゲニス特務少尉である! 所属は違えども、わたくしは貴殿等より上位階級にある! 以後、気を付けよ!」
 両の手を腰の後ろで組んで声を張り上げた。2本の三つ編みお下げが揺れる。目元を隠すような垂らした前髪から、強い視線が窺い知れた。
「……『フェルヘンゲニス』だと? 成る程、やはり、そうか!」
 犬歯を剥き出しにすると、殻島はナイフを構えて肉薄。スミホ・フェルヘンゲニス[―・―]は滑るように間合いを取る。
「お前の真の主は……『ドミナス』だな? ならば遊戯の性質や勝利方法を知っているはずだ!」
 殻島の怒声にも似た叫びに、スミホは暫らく沈黙。
「――お前の力を見せて貰うぞ!」
 峰山が止める間も無く(天辺は隙あらば、いつでも参戦しようと身構えていた)殻島はスミホに飛び掛かろうとした。だがスミホは迎え撃つ素振りも見せずに何故か重苦しい溜め息を吐くと、
「……残念ですが違います。我が真の主は、すぐに大風呂敷を広げてしまう、困り者の法螺吹き娘です。今も何処をほっつき歩いているのやら……」
 …………。
 ……………………。
 …………………………………………。
「……人違い?」
 呆然とする殻島に、肩をすくめて見せるとスミホは身繕いを正してから、
「……さて、どうでしょう?」
 何事も無かったかのように立ち去っていった。

*        *        *

 わんこ先生が唸りを上げた。自身に寄生した憑魔が活性化する痛みと疼きに、付近に超常体が潜んでいる事を感じ取る。
「――敵、囲まれた? 撃つ」
 横倒しにしたマウンテンバイクとともに伏せ、わんこ先生が唸りを上げる方へと真希は8.60mm狙撃銃サコTRG-41で狙いを付けた。
 TRG-41はフィンランドの銃器メーカー、サコ社が欧州各国の軍・警察向けに開発したボルトアクションタイプの軍用狙撃銃である。TRGファミリーにおいて「41」は50BMG弾の次に強力なラプア・マグナム弾を使用、遠射性とマンストップを両立している。
 真希が照準眼鏡を覗くと、わんこ先生は犬歯を剥き出しながらも押し黙る。……暫らくの緊張と、沈黙が場を支配する中、最初に根を上げたのは相手だった。
「……待て。待て待て待て、摩利――じゃなくて、辛抱強いのは真希の方だな?」
 茂みから諸手を挙げて出てくるのは、血と汗、そして泥で汚れた駐日独軍戦闘服に身を包んだ金髪の美丈夫と、その他8名様。
「奇遇だな、真希。……いや、鹿取二士。良ければ銃口を下げてくれると嬉しいんだが」
 独逸語で嘆願してから金髪の美丈夫は考え直すと、英語で再び言い直す。しかし真希の返事は、
「……偽物、倒す。仇、とる」
「あんなに可愛がってやったじゃないか、それを偽物呼ばわりするのか、お前は!?」
 金髪の美丈夫が喚き立てるのを、真希は小首を傾げた後、
「中尉、だけど、違う。敵、偽物、超常体」
「……確かに、肉体は憑魔に完全侵蝕されたし、人格統合したけど、お前を可愛がっていた記憶までは失ってねーよ!?」
「……しかしテュール様。『可愛がっていた』を連発すると、何故か性犯罪臭を感じますね」
 金髪の美丈夫 テュール[――]は、部下の呟きに素早く反応。鋼鉄の右義手で激しく殴打。
「……喧嘩、駄目。部下、大事に」
「――誰の所為だと思ってやがる! というか話が進まんわ!」
 キレて喚き散らすテュール。だがすぐに顔を引き締めた。真希も気付く。押し殺しているつもりでも殺気が包み込もうとしているのを。
「――散開! 各自、身を隠せ」
 言いながらテュールは真希へと駆け寄ってきた。伸ばした手でわんこ先生を掴まえて抱えると、真希に覆い被さる。同時、榴弾が爆発四散。破片塊を撒き散らすのを、テュールの氣が防護幕となって衝撃を緩和してくれる。身を起こすと、
「陰湿な英国人が! てめぇら、不意打ちばかりしか能がねぇのかよ」
「いやいや、自衛隊の可憐なWACが、イヤラシイ男に押し倒されそうとしているのを我慢していられなくてね。女子には騎士であり、紳士たるものだよ」
 テュールが怒鳴ると、SAS制服をまとった紳士然とした ヌァザ・アガートラム[――]は自慢のカイゼル髭を撫でながら答えた。ヌァザとテュールはそのまま睨み合っていたが、
「――痛ったぁー! ちょっと、スケベ中尉! 人を助けたつもりでしょうけど、足を擦り剥いたわよ! このエエ格好しいの変質者!」
 突如として癇癪を爆発させた真希に、表情を強張らせた。真希――いや、既に性格と口調が変わった彼女はサコTRG-41からH&K MP5KA4を握り直すと、
「……ったくっ、雑魚にかこまれちゃって何やってんのよっ! ノロマはこの間合いと数じゃ役立たずなんだからっアタシに任せなっ!」
 問答無用で乱射。慌ててテュールが防護幕を張りながら逃げまくる。ヌァザも血相を変えて退避。
「レディ、もう少しお淑やかにですな……」
「うっさい、このエロ髭オッサン!」
 真希だった彼女の容赦ない言葉の暴力に、ヌァザは轟沈。人間だった頃の付き合いがあるテュールが腹を抱えて爆笑。
「ようやく、お目覚めか、グレムリン摩利!」
「テメェもうっさいってば、スケベ中尉! ほらっ、これが弾幕ってもんだよっ! アタシが左舷なら誰にも文句は言わせないねっ!」
 SASや元駐日独軍兵士からの反撃を許さぬ勢いで摩利が乱射を続ける。が、当然、
「……あれ? 弾切れ〜っ! 何でこれしか予備弾倉持ってないのよっ! 信じらんないっ! アイツ、絶対〆るっ! ――もう、アタシってばっ、か弱いからこの感触、嫌いなのよね〜っ!」
 何処が、だっ!と周囲からの激しい批判も無視して、マウンテンバイクに積んでいた薙刀を構える。そんな摩利にテュールが恐る恐る、
「……もしもし摩利ちゃん。少しは人の話を聞いてくれないかな?」
「うっさい、偽物。スケベ中尉が」
「いや、だから話を進めさせてくれよ! 頼むから」
 土下座せんとばかりのテュール。一応、アースガルドの軍神のはずだが、15歳の少女に対する態度としては情けない事、甚だしい。部下が手拭いで涙を払う。摩利も哀れに感じたのか、
「……話って? 手短に、ね」
「おお、流石は摩利ちゃん。――実は、フェンリルという高位中級超常体を追っている訳よ。ところが陰湿なエロ紳士が邪魔するので少しも進展しなくて……出来れば、付き合いもある摩利ちゃん、真希ちゃんに協力してくれないかな、と。先ずは小憎たらしいジョンブルどもを一緒に撃退しねぇ?」
「……笑わせるな。レディがお望みならば、我輩達が丁重にエスコート致しましょう」
 再び睨み合うヌァザとテュール。そのまま、部隊を挙げての罵詈雑言が飛び交い始める。ある意味、平和な光景だ。そんな独英間の争いで、真希/摩利の存在は、まさしくワイルドカード。味方に引き込んだ方が有利に状況を運べるのだろう。
 どうしようかと決めかねていると、わんこ先生があさっての方向へと唸り声を上げた。摩利だけで無く、テュールとヌァザも視線を向ける。先には成人男性を騎乗させられる程の大きさをした2頭の狼。
「……スコル、そしてハティか。フェンリルの子供達」
 2頭の狼は嘲笑うように遠吠えすると、再び木々の影に消えていく。SASをまとめるとヌァザが追跡に向かった。対してテュールは鼻で笑ってから、摩利に向き直ると、
「……今、親交を暖めるのは、ここまでだ。次はいい返事を待っているぜ」
 部下を引き連れて、テュールもまた追跡に入った。置いてけぼりにされた摩利……いや真希はわんこ先生に振り返ると、
「……どうする、わんこ先生?」
 わんこ先生も困ったように首を傾げるのみ。

*        *        *

 後ろ引かれるような思いをそのまま表情に出して、亜貴が病室の扉を閉める。夜も深く、既に愛娘はまるで死んだかのように、すぐ近くで銃声があったとしても起きぬほどの眠りに付いていた。
 ――死んだかのように?
 大きく頭を振って、嫌な考えを払おうとする。だが知らず、表情は蒼褪め、また朱唇を強く噛み締めていた。眉間に刻み込まれた深い皺が、端麗な顔立ちを困惑に満ちたものとする。
「――随分とお悩み中じゃねぇか」
 からかう口振り。暗がりの中から野卑た笑みを浮かべて殻島が歩み出る。電気が貴重な時代だ。治療器具へと優先的に電力が回された結果、廊下は薄暗く、窓から入る星や月明かりが数少ない光源となる。隠れ潜むには都合が良い。……それは人といえ、人で非ざるといえ。
「……しかし、内通者が手引きしたとも思ったが、調べれば杞憂だったな。何せ、警備の目はザルなんだから。少しでも隠密に長けているモノであれば、何処からでも潜り込めて、何処からでも抜け出す事が出来る。――俺とした事が無駄足踏んだか」
 殻島は悪態を吐きながら、肩をすくめた。
「警備上の問題点は三佐と討議して欲しい。残念ながら私では力になれない」
 目を細めて亜貴が答えてきたが、殻島は犬歯を剥き出しにして意地悪く笑うと、
「だが1つだけ防衛に隙間の無い箇所がある。久美の病室――正確には、“あの女”の傍だ。さすがに複数の高位超常体に狙われては、護り切れないようだが、今まで程度だったならば問題無い。……あの女は何だ?」
 殻島の問いに、亜貴は沈黙で応える。だが、それが答えだった。殻島は更に押す。
「――『契約』だったかな? あの夜に居合わせた警衛から聞き出した。お前とあの女が口にしていたと」
 目を細めると、亜貴を凝視する。まさしく王蛇の邪眼の如くに睨み付けた。
「……お前は『契約』した。それは娘に関する事だ! その結果、娘は高位超常体に狙われる事になった。おお、可哀想に! 『親の因果が子に報い』って奴だ。お前は娘を材料に取引したんだ! どの口から『娘を愛している』なんてほざきやがるっ!」
「――君に何が解るッ!」
 怒りに歪んだ亜貴の面立ちに、普段の秀麗な美しさは微塵も無かった。体力や技量の差も考えずに激情のままに掴み掛かってくるのを、殻島は敢えて受けた。亜貴は憎悪に満ちた眼差しで声を張り上げていく。
「私は、久美を愛している! 生まれながら病に冒された久美を死なせたくなかった! だから私は憑魔核の誘惑を受け入れ、久美に延命処理を施してしまった。それが、今の状況を招いたとしてもだ! だが、それでも……」
 いつの間にか亜貴は涙を溢れんばかりに眼に湛えていた。殻島の襟を掴む手に力は無い。
「……久美に生き続けて欲しい。それだけなんだ」
「お前は娘を“死の女神”にしたくない訳だな?」
「――違う。……既に“彼女”は久美と1つだ。それ故に久美は生き続けていられる。“彼女”自らが記憶に封印を施した結果、簡単に目覚める事は無いだろうが。……それでも久美が愛しい我が娘に変わりない」
「……おいおい。じゃあ『契約』って何だ? あの娘の願いは――?」
 問い掛ける殻島を我に帰らせたのは無邪気な殺意。放たれたカードが鋭利な刃物となって襲い掛かってくる。空間障壁を張ろうにも間に合わない。正確に頚動脈を狙ったカードは、だが一迅の風が叩き落してくれた。亜貴を庇うように構えながら、冷や汗を拭う。
「……助かったぜ、ジイサン」
「――戦えれば、それで良い。お前に礼を言われる必要は無いわ」
 狂笑を唇の端に乗せながら、天辺が妖刀鎌鼬を構える。殻島と亜貴には興味なく、天辺の視線はカードを放った主――男とも女ともとれぬ端正な顔立ちの、奇妙な帽子を被った小柄な道化師へと注がれていた。七十二柱の魔界王侯貴族が1柱にして、その実力は最高位最上級超常体――主神/大魔王クラスに匹敵する存在、偉大公 ベリアル[――]。肩をすくめてみせると、
「……彼女に関して、これ以上の詮索は、私共の仕事の妨げになります」
「――余程の秘密って訳だ。そうだな……例えば、盤がひっくり返る事態になる程の」
「言い得て妙でございますね。その通りです。彼女が望みを果たした時、絶望から災いが顕れます。それはアース神群だけでなく、私共が畏敬して止まぬ猊下にとっても煩わしい事態となりましょう」
 だから口封じも兼ねて死ね、とばかりの殺意。だが邪気は無い。殺すという行為が、生きていくのに呼吸するのと同じぐらい当然という認識ならば、そこに邪気は生まれない。故にズレに戸惑い、殻島の動きが遅れる。そんな無邪気な殺意に即応したのは、戦闘の狂気。長年の経験から培われた、これまた自然な動き。天辺の妖刀鎌鼬が、ベリアルの攻撃を受け、弾き、流すだけでなく、逆に斬り、払い、突き返す。
「亀の甲より年の功だね……異生でなくとも、人間は立ち向かえるっていう良い証拠だ。眼福、眼福」
 殻島はおどけて見せるが、それでも相手はベリアルだ。天辺の動きを支援する形で、愛用のナイフを構えて参戦する。ベリアルは目を細めると、爪を伸ばして鋭利な凶器と変え、天辺と殻島の猛攻と切り結んだ。
『――出て来い、ベリアル! さもないとグレート・チキン・デューク。偉大なる臆病者の公爵という不名誉な仇名を付けてやるぞ』
 外から大音量の声が聞こえてきた。
「……何か呼んでいるぞ?」
「さてさて。人気者は辛いところでございますが、猪武者と違いまして、安っぽい挑発に乗る程、私は暇ではございません。とりあえず、今は貴男達2人と遊ぶだけで精一杯」
 微笑みながらも猛攻を休ませないベリアルに、天辺と殻島は奥歯を噛み締めるのだった……。

 元・鳥取赤十字病院の正面に堂々と姿を現したのは2mを越す巨漢だった。正面玄関に防衛陣を布く第138中隊第2小隊から銃口を向けられても、雷神 トール[――]はものともせずに特注戦鎚を振り上げると、
「――推して参るっ!」
 裂帛の気合を発して単身駆け抜けようとしてきた。怒号に怖じ気を誘われながらも第138中隊第2小隊が一斉射撃で迎えんとする、その矢先――
「……ちょっと待ったー!」
 叫びを上げながら、優希が地面にヘビーメイスを叩き付けて土砂を巻き上げた。視界が塞がれて、両者の動きが止まる。
「小島二士……何を考えている。下がれっ! 相手は高位上級――群神クラスだぞ!」
 心配気に声を張り上げる小隊長に、手を挙げて「任せて」と合図を送る。そして小島は背負っていたドラム缶をトールの眼前に下ろすと、
「堂々の名乗り、さすがは見事なり! ここで貴殿と一騎打ちを行える事が出来れば大変な名誉だと思う」
「……射撃を止めて、貴殿に任せてみようという、小隊長の心意気も見事だと思うぞ」
 トールは豪快に笑ってきた。優希も防護マスクの中で苦笑しつつも、
「だけど他の奴らからすれば、ちょっかいをかける絶好の瞬間になってしまう。それに、今は夜中だ、余り騒がせたくない!」
「……ふむ? 確かにいつも深夜遅く来るのは問題があるな。次からは考慮に入れよう。が、とりあえず、今日のところはどうするつもりだ?」
「――どうだろう、ここに用意したドラム缶がある。これで漢が行う崇高な勝負をやってみないか?」
 トールは面食らった。首を傾げると、
「ドラム缶に見せ掛けた酒樽で呑み勝負か?とも考えたが、神州では手に入るまい。それは……何だ?」
 それもアリだったか! でも酒なんて飲んだ事がない優希には不利極まりないだろう。第一、お酒は二十歳を過ぎてから。いや、それはさておいて、
「――腕相撲だ。自分が勝ったら、今日は手を引いて欲しい。貴殿が勝ったら、今日一日私が手を引く。どうだろう?」
「よかろう!」
「「「――即答かよ! いいのか、それで?」」」
 誰よりも遣り取りを見守っていた第138中隊第2小隊の面々から文句が来た。黙れと優希は再び地面を叩いて、砂塵を巻き起こす。黙った。
「……約束だぞ」
「武人たるもの、二言は無いつもりだ」
 よく言ったとばかりに、優希とドラム缶の上面に右肘を付ける。同じくトールも袖捲りをして右肘を乗せた。防護マスク越しに視線が合った。どちらともなく動き、握手。もう片方の手はドラム缶の端を掴む。
「……ところでベリアルとやらも呼び出せないかな」
「無理だと思うが」
 トールの呟きを無視して、優希は声を張り上げる。
「――出て来い、ベリアル! さもないとグレート・チキン・デューク。偉大なる臆病者の公爵という不名誉な仇名を付けてやるぞ」
「……敵とはいえ不名誉を負わせるのは、俺は感心しないが。たとえ挑発に過ぎないのだとしても」
 憮然とした表情に、思わず優希は謝意を述べた。暫らくしてもベリアルらしき動きは無い。諦めて大きく深呼吸。そして見合った。緊張が張り詰めていく。
「――初めッ!」
 誰が合図を飛ばしたのか? だが瞬間、優希とトールは互いの腕を捻じ伏せんとばかりに力を込めた。活性化しているとはいえ、それでもトールとの力量差は変わらない。拮抗した力が逃げ場を失い、小さな戦場であるドラム缶が静かに、だが確実に歪んでいった。
 ――勝てないっ! ここは憑魔覚醒、半身異化状態に……。
「……止めておけ、半身異化を繰り返せば、末は俺のように人間を止める事になる」
 トールの呟きに、一瞬、いや刹那、優希は虚を取られた。その隙に一気に腕が押し倒される。勢い余ってドラム缶は圧壊、優希の身も吹っ飛んだ。
「ひ、ひきょー!」
「……何を言う。強化系の有利さを隠して、力勝負に持ち込む方が小賢しいわ。あとは単純な運よ」
 トールは豪快に笑う。そして特注戦鎚を掴んで、優希に背を向けた。
「――約束を忘れるな。貴殿が手を出す事は許さぬ」
 歯噛みする優希を尻目に、トールは悠然と進む。眼前に並んだ第138中隊第2小隊の銃口を鼻で笑った。
「……そうそう。腕相撲勝負に乗ったのは、俺の方にも打算があってな。何しろ俺は猪武者。……部下を残して単身突入するばかりだ。追い付いてくる時間を戴いたのはありがたい」
「――あっ!」
 県道193号線の向こう――鳥取空港跡地から軍靴の響きが聞こえてきた。完全侵蝕されて超常体と化した元・駐日独軍兵士――エインヘリャル。単体において魔人は(戦車や戦闘機も含めて)最強の戦力だ。それが1個小隊の規模。
「――蹂躙せよ! 正面から堂々と!」
「「「Jawohl, Herr Hauptmann!」」」
 独軍制式小銃H&K G36アサルトライフルが構えられる――前に、第138中隊第2小隊長の号令でBUDDYの横列一斉射撃! 5.56mmNATO弾がトールとエインヘリャルの列に叩き込まれた……はずだった。
「……馬鹿な、無傷だと」
 氣の障壁で緩和した上で、抗弾チョッキが銃弾の貫通と衝撃を防いだ。返礼の掃射がG36から放たれる。そしてトールは銃弾の中を悠然と歩んでいく。銃弾はトールの身体をかすめる事すらない。
「――斥力障壁」
 雷電系魔人の憑魔能力は雷撃だけにとどまらない。高度な技量者は磁力をも操る。鉛弾すら逸らすほどの磁力を纏うトールに並みの銃撃では効果は無い。更にトールが手に持つ戦鎚を振り上げると、
「――喰らうが良い! ミョルニルの威力」
 勢いよく振り投げた! ミョルニル――神話伝承で使う雷鎚それ本物ではないだろうが、打撃威力は彷彿とさせる。一撃でバリケードが破壊。後ろに居た隊員達を吹き飛ばす。そして戦鎚は伝承通りにトールの手元に戻っていった。
「……トール自身の腕力に、斥力が加わって、敵を破壊。そして、指向性の高い限定的な引力で手元に戻しているんだ……」
 約束通りに全く手出しが許されない優希は、次の戦いに備えて冷静に戦況を分析するしかない。だが、この状況で次が果たして有るのか? 気持ちを抑えて奥歯を噛み締めて耐え忍ぶしかないのか。トールと、率いるエインヘリャルの軍勢は第138中隊第2小隊を蹴散らすと、病院へと突入を開始しようとする。思わず約束を破って、優希は追いすがろうとした。
「……ま、待っ」
「――待て! ここから先は俺が相手だ!」
 剣を振りかざして、立ち塞がろうとするのは意多伎。刃は、斥力の幕に覆われているはずのトールの肌に肉薄した。
「――強化セラミクス製の剣だ。……俺は訳有りなんでな。しかし、これがこういう形で役に立つとは思ってもみなかったぜ」
「……貴殿の事は覚えているぞ、意多伎士長。傷はもう癒えたのか?」
「覚えてくれていて嬉しいぜ、ヴンダァパール大尉。ああ、大丈夫だ。――久美ちゃんは俺が護り通す!」
 裂帛の気合と共に強化セラミクス製剣を振り上げる意多伎に、トールは笑って返した。
「……面白い。勝負だ、意多伎士長!」

 正面玄関で銃撃戦が開始されたと同時刻。死臭を嗅ぎ付けたのか、夜空に大きな影が舞い踊る。翼長2mにも及ぶ巨大な烏だ。――烏? 巨大さもさる事ながら夜間に飛ぶ鳥がただの生き物であるはずがない。それぞれ灰色、緑色、そして赤色をした三羽の烏。眼下の喧騒を横目に、屋上へと舞い降りてきた。凄まじい量の羽根が抜け落ち、そして巻き上がる。現われたのは三姉妹。
「――姉ちゃま。血でしゅよ、血が流れていまちゅ」
 年齢はローティーンか? 赤毛の童女がフェンスから身を乗り出して、舌足らずにも興奮を口にする。咎めるように、濃緑の戦闘衣に身を包んだ少女が長い黒髪を掻き揚げた。その仕草はハイティーンと思えないほどに優雅で妖艶だった。
「駄目よ。詰まらぬ些事に拘っては。今は彼女の捕獲――或いは抹殺が先でしょう」
「……誰を抹殺するんだって?」
 思わず声を掛けてしまった。三姉妹が振り向くのを見て、同僚達が頭を抱えている。
「……待ち伏せが台無しじゃないですか」
「うん、まぁ、俺が悪かった」
 頬を掻きながらも峰山は油断無く三姉妹に相対。峰山をはじめとする第1382班乙組『スコッパー』が、通り名である得物――大円ぴを構える。
「病院で銃撃戦は御法度だよなぁ。攻め込まれたら厳しいぞ、と。……まぁ、病院内でスコップ振り回すのもどうかと思うがな」
 峰山の苦笑。対して三姉妹は、
「だが本官達には遠慮が要らない話だ。――お初にお目にかかる。本官はモーリアン、バイブ・カハ三姉妹の長姉。では、さようなら」
 灰色の戦闘衣を着た美女―― モーリアン[――]が無愛想に挨拶。同時に9mm拳銃SIG SAUER P226を2挺構えての踊るようなガンアクション。続いて、緑衣の少女が声を張り上げる。
「アタシはネヴァン。毒婦と呼ばれし、バイブ・カハ三姉妹の次女よ。宜しくね!」
 高い声が風を切り、鼓膜を揺さぶる。戦場の狂乱を巻き起こす ネヴァン[――]は、民間伝承において告死女バンシーと同一視される。その鳴き声を聞く者に死をもたらす。動きの鈍ったスコッパーに、赤毛の童女が長大な剣を手にして襲い掛かってきた。
「あたちはバイブ・カハ三姉妹の末妹、マッハ。ねぇいっぱい血を流して、そして死んでちょーらい♪」
 バイブ・カハ――ケルト神話に伝わる、戦場の三羽烏。戦死者の魂を刈り取る、ダーナの女神達。
「……おいおい。5対3で、数の上ではこちらが有利なはずだろ!」
 モーリアンの正確無比な射撃の腕に、精神を揺さぶるネヴァンの声、そして マッハ[――]が肉薄してくる。5人組のスコッパーに勝るとも劣らない、三位一体の連携攻撃。何よりもスピードが……
「速いぞ、このガキんちょ!」
 マッハの連撃を大円ぴで捌くのが必死。幸いにも戦闘防弾チョッキの御蔭で致命傷には及ばずとも、無数の斬撃痕が頑健な肉体に刻まれつつある。傷は浅いが、流れ出た血で真っ赤に染まっていた。
「――血だ、血だよ♪ もっと血を見せて!」
 マッハは峰山よりも瞬発力に優るが、その分、持久力には劣っているはずだ。ましてや、こちらはもう特訓を積んで鍛え上げた体力自慢の猛者達。だが、マッハをモーリアンの銃撃とネヴァンの声がカバーする。加えて三姉妹のベースは異形系だ。生半可の傷ではすぐに回復されてしまう。
(……加えてネヴァンは幻風系。音の波を操る。あの声を聞いたらマズイ。マッハは操氣系能力もあるな?)
 マッハの速度に戦場は次々に移動。病棟へと深く浸透されていく。峰山は追い込まれているのを感じていた。それでも打開策を講じるべく堅実に相手を観察する。願わくば再戦があればいいのだが!
「――おいおい、オールスター勢揃いじゃねぇか」
 疲れているようだが悪態のこもった軽口に、峰山は我に帰る。いつの間にか、久美の病室があるフロアへとステージが移っていた。先客はベリアルと相対していた殻島と天辺。更に――
「……どうやら、俺がビリのようだな」
 声と同時に、階段下から意多伎が投げ飛ばされてくる。肩を回しながらトールが悠然と上がってきた。
「思ったよりも足止めを受けていたか。このスコップ集団はなかなか手強い」
「嫌味だと思うが、ありがたく受けとくよ」
 素早く弾倉を交換しながらモーリアンが呟くのに、峰山は苦笑して応えた。病室の扉を護るように背中合わせに陣を布く、殻島達。階下からエインヘリャルの軍靴の音が響き渡り、悲鳴と怒号が行き交っている。
「……初っ端は後手に回りがちとはいえ、ちょっと様子見が過ぎたかな」
 殻島の独白に答える者は無い。高位超常体達にしても、互いに牽制し合って動き辛いようだった。暫らくの緊張の後、最初に動いたのはイカレ帽子屋。
「……私独りでも皆様を殲滅する事は出来ましょうが、いささか時間が掛かり過ぎますか」
「サバを読むな、このヤロー」
 とはいえ、ベリアルの言葉は正しい。この場にいるモノ達では間違いなく最強。何の作戦無しに勝てる相手ではない。最強を誇るベリアルは、だが肩をすくめてみせると、
「手駒が必要でございますね。――恐怖公が下関に向かって出払っている間に、暇を持て余している盟友を借りて来る事に致しましょう」
「……更に魔王クラスを連れてくるという事か?」
 天辺が睨むと、ベリアルは微笑み返してきた。
「ええ。まぁ引っ張ってくるのに時間が掛かるでしょうから、その間に彼女が、どこぞの勢力に奪われないかと心配ではありますが……貴男達の御武運をお祈りしておきましょう。では、おやすみなさいませ」
 帽子をちょっと上げての、小洒落な挨拶。ベリアルは次の瞬間、闇に溶け込んで消えた。次に退いたのはバイブ・カハ三姉妹。
「マッハの体力が限界に近い。ここは退き、作戦を図り直す。――こちらも戦力を増強する必要がある。ネヴァン、すぐにでも周辺の妖精を掻き集めろ。アース神群の支配下にあったユニットもだ」
「んー。数では確かに最大勢力になるだろうけど、自衛隊やエインヘリャルより質は遥かに劣るわよ?」
「……妹よ。戦争は数だ。そしてスピード。烏合の衆だろうが、圧倒的な物量差こそが相手を打ちのめす」
 モーリアンの言葉にネヴァンは渋々と頷いた。疲れた顔をしていたが、マッハは笑顔で峰山に手を振る。
「――またね、お兄ちゃん♪」
「……もう、来るな」
 最後にトールが背を向けると、階下まで押し迫っていたエインヘリャルに撤退を指示。
「自衛隊の防衛を強行突破したところで、最後に控えているのは特務少尉だ。如何に俺とて勇者数人を相手に、無傷で突破出来るとは考えていない……エインヘリャルの更なる増加を待って、仕切り直しとしよう」
「未だ増えるのか、エインヘリャルは?」
 軍勢を割って、優希が顔を出す。優希が手を出せない代わりに、エインヘリャルも優希に攻撃をしてこなかった。
「残念だがフレイヤが到着した事によって、元駐日独軍キャンプはフォールクヴァングとなった。自衛隊は果敢に攻略を進めんとしているようだが……スクルドの力でエインヘリャルを増やすだけの結果となっているようだ。御蔭ですぐに1個分隊程が加わる」
 駐日独軍キャンプ襲撃時に、スクルド[――]が強制侵蝕現象を引き起こし、また憑魔を寄生させていたという報告は受けていた。下手な攻撃はエインヘリャルを増やすだけにしかならない。そして余剰分が元・鳥取赤十字病院の援護に回るという訳だ。
「……敵である俺が言うのも何だが、後手では決して勝ちは得られんぞ。攻める機会を逸しないようにな」
「――忠告ありがとう、な」
 口元の血を拭いながら意多伎が呟くと、トールは軽く手を振って応えたようだった……。

*        *        *

 出雲駐屯地より県道162号線及び国道431号線沿いに3kmほど北上。堀川より北岸は、駐日英軍SASの監視下に置かれていた。当然ながら主要な橋はSASが見張っており、また小さなものは落とされている。静香は慎重に潜入すべく、東側の県道159号線沿いの菱伊川を下るように大きく迂回する事にした。その為、低位下級の妖精型超常体との戦闘や、SAS偵察隊の目を避ける為の待機で、多くの時間を掛ける事になった。その苦労の結果、大事に至らずに現状、目標を双眼鏡内に納める事に成功したと言えるだろう。
「――要記録。SASは超常体に襲われる事も無しに、作戦活動を実行が可能と見られます」
 隊用携帯無線機に報告を入れると、駐屯地の通信科隊員は了解と応えた。――勿論、超常体の全てが人類に対して好戦的という訳では無い。明らかな実力差を認めると、似たモノに対して忌避行動を示す例もある。これは通常の獣と変わらない。低くとも知性があると思われる超常体ならば尚更だ。だが静香が目撃し、記憶する限りにおいても、SASが超常体と戦闘している状況は余りにも少なかった。SASが山陰地方を縦横無尽に迅速に部隊展開出来る理由も、超常体との交戦する頻度が少ないからだと考えればどうか?
「……記録に止めておく必要はありますね」
 だが静香は、今は観察者に留まる事に徹した。推測するには未だ情報が足りているとは言い難い。「下手な考え、休むに似たり」と言われるが、戦場においては休むどころか些細な考え違いが致命的事態を招きかねないのだ。ましてや偵察行為に先入観は禁物。思考はそのままに、だが早急な判断は下さずに静香は目標へと一層の接近を試みる。
( ――目標にてSAS1個分隊の存在を確認。ここまでに目撃したパトロール隊と異なり、常時待機のものと見られます。兵装はM16A2。幾つかはM203装着済み。他に分隊支援火器としてMINIMIを……)
 一瞬、双眼鏡に映っていた向こう側で光が放たれたような感じがした。強い氣に、思わず反射的に立ち上がりかけたが、心を凍て付かせる程の冷静さで何とか留まる事が出来た。すぐ脇にあった樹木が飛んで来た槍の直撃を受け、粉砕している。大音量で分隊を率いている曹長と思しき男が声を張り上げていた。
「――私の名は、セタンタ! またの名を“クランの犬”! 隠れているのは判っている! 直ちに姿を現して降伏すれば、命は取らない!」
 セタンタ[――]と名乗る曹長は、新たな投擲槍を構えた。そしてすぐさま放つ。轟音を立てて、また別の樹木が破砕した。だが静香は息を潜めて、押し黙ったままを選ぶ。折れた木々の幹が倒れてきて、足を激しく打ち、挟みこんだとしてもだ。――大丈夫、軽い打ち身だ。筋肉繊維や神経、骨には異常は無い。
「……気の所為だったか?」
 破壊活動を続けていたセタンタは目を凝らしてこちらを見詰めていたようだった。しかし、そのうち諦めたのか、首を傾げながら他の方角へと去っていった。
( ……半身異化して憑魔能力を使っていたら、間違いなく見付かっていましたわね)
 時間を掛けて、挟まれていた足を抜き出す。一息吐いてからオートを隠している場所へと戻る事にした。出雲大社に隠されているものを調べるという目的を達成するには、あの魔人兵を排除する必要がある。投擲槍の破壊力から考えて強化系か、或いは操氣系。いずれにしても簡単には接触させてもらえないだろう事は予測が付いた。
( ……問題なのは、出雲大社が静まり返ったままという事。もしかしたら何らかのメッセージが送られてくるかもと思ったのですけど……)
 余りにもオカルト的で都合の良い事態が起きるのを期待していた事に気付き、頭を振るのだった。

*        *        *

 千代川沿いに南下。「南に下がる」というが、地図上の表現であり、実際は山間部に向けて登るのであるから、違和感があること甚だしい。そんな悪態を吐きながらも小瑠璃は超常体の拠点を探っていた。
 当初、小瑠璃が探っていたのは、八頭郡周辺における過去3年間の外国人、或いは馬の蹄跡の目撃情報である。だが元々、鳥取県庁周辺が第13旅団第8普通科連隊の管轄区域でありながら外れに位置する。従い、充分な目撃情報が集まる程の警戒態勢すら向けられていなかったのが実情だ。山間部といえば、ヨトゥンやムスッペルといった巨人の群れがあるものと決め付けている観すらある。障らぬ神に祟りなし。巨人が平野部に下りてこない限り、手出しはしないというのが暗黙の了解となっていた。――それが、また小瑠璃の不満を燻ぶる。
「――となれば、板井原集落やの?」
 板井原集落は、鳥取県八頭郡智頭町にあった山村である。平家落人の隠れ里伝説があるが、
「……駄目じゃ。岡山県境に――日本原駐屯地に近過ぎる。あそこはギガス……希臘神話の世界だけん」
 となれば、虱潰しに行楽キャンプ用地の跡を当たっていくしかない。それでも小瑠璃は諦めなかった。そして――
「……あった、お城が。こんなところに」
 茂みを掻き分けて進んできた小瑠璃に、突如として開かれたのは城の姿。河原城、またの名を丸山城とも若鮎城とも呼ばれる建築物。文献によると、天正8年(1580)、豊臣秀吉が鳥取城攻めで因幡地方にやってきた際に陣を張った山で、丸山城と伝えられている。だが、この山に建物としての城はなく、従って、実在の城を復元したものではない。前世紀前の「ふるさとづくり一億円事業」という愚かとも思える金銭バラ撒き行政の結果、建築された観光施設だ。
「……じゃが今じゃぁ、超常体の城として名に恥じぬ存在となっとるんや」
 ドヴェルグの手によって、より実用的に、より強固に改築された河原城は馬鹿馬鹿しくも、だが確かに館に相応しいとも言える。小瑠璃は暫らく逡巡した後、意を決すると、オートを駆って躍り出た。防衛についたり作業をしたりしていたドヴェルグや、デックアールヴの群れが反応して、迎え撃とうとしてくる。一瞬にして場を満たす殺意に、小瑠璃がオートの陰に思わず隠れる。周りを囲まれ、逃げ場を塞がれた。何とか白旗を振って敵意が無い事を示そうとする小瑠璃に、
「――ここまで来ておいて、わざわざ投降するとは、可笑しな方ですね」
 最初は独逸語。だが小瑠璃に通じていない事が解ったのか、続いて英語で話し掛けてくる、こぎれいな駐日独軍制服をまとった青年。襟章の階級は少尉のようだが、超常体となった今では何の意味があるかは窺い知れない。とりあえず小瑠璃は勇気を振り絞って背筋を伸ばし、敬礼をしてみせた。
「――中部方面隊第8普通科連隊所属の鉢屋小瑠璃二等陸士や」
「元・駐日独軍少尉の……今はヘイムダルです」
 ヘイムダル[――]と名乗った青年は苦笑しながらも手を伸ばしてくる。思わず握手――してしまった小瑠璃に激痛が走った。両膝が折れ、腰が砕けたように崩れ落ちる――憑魔強制侵蝕現象による激痛と衝撃だ。口から泡を吹きながらも氣を鎮めて小瑠璃は見上げた。見下ろしてくるヘイムダルと視線が合う。
「失礼ですが、無力化させて頂きました。貴方が素直にエインヘリャルとなるか判りませんでしたので」
「……エ、エインヘリャルの他は問答無用で敵と看做すっちゅう事か」
「――残念ですが、生き馬の目を抜くような状況が、この『遊戯』です。如何な相手といえども油断は出来ません。少なくとも貴方が第二世代で無い証明にはなりました。……そうでなくとも交渉とは先ず相手より優位に立つ事から始めるものですよ。対等な関係はありえない」
「優しそうに見えて、結構厳しいんじゃの」
 立ち上がり掛けた小瑠璃へと更に駄目押し。拳銃H&K USPスタンダートが突き付けられる。だが怖気を内心で噛み殺しながらも小瑠璃は自らの用件を伝えるべく口を開く。
「あんた等は、定められた滅びの運命に逆らって行動しとるんじゃの。それは、うちも同じやけん……」
 銃口を突きつけながらもヘイムダルは沈黙。興味を持ったのか、視線で先を促してきた。
「――もう、たくさんなんや」
 見詰められているうちに、小瑠璃は感情を爆発させていた。
「もう、たくさんや。永遠に続く、化けモン共におびえ暮らす毎日は! あんた等が化けモンを追っ払ってくれるいうんなら、うちはあんた等に協力したってもええ!!」
 普段の小瑠璃の姿はそこにない。小動物のように大きな物音に怯え、物陰に隠れて、上目遣いで相手の機嫌を伺うような少女の姿は。
「――理由を聞きましょう」
「理由? 理由が必要やの? だったら教えてやる。あんた等、エッダやサガに伝えられる神さんやろ! 神話通りなら、アース神群は巨人を駆逐するはずや。うちは、それに賭けてみるのも今の状況ではやむ無い思っちょるだけん!」
「具体的には? 何を協力してくれますか?」
 ヘイムダルの囁きに、小瑠璃は一瞬だけ我に帰る。だが、それも一瞬だけ。口に出たのは、
「……自衛隊内におけるフェンリル討伐作戦への参加及び、あんた等への情報リーク。もしくは自衛隊から離脱して、アース神群とともにフェンリルとの戦闘に加わっても、ええで」
「――フェンリルに関してはテュールの管轄です。ラグナロクの、そしてオーディンの脅威には違いありませんが、残念ながら私には興味がありません」
 聞きようによってはトンでもない言い様だったが、今の小瑠璃にすかさず聞き咎めるほどの余裕はなかった。続いてヘイムダルは、こう囁いてきたのだ。
「……そうですね。亜貴と久美――賀島親娘、どちらか1人でも構いません。彼女達の暗殺に成功したのならば、貴方をエインヘリャル、いやヴァルキュリアとして喜んで迎え入れましょう!」

 

■選択肢
NEu−01)鳥取赤十字病院にて交流
NEu−02)病院にて対魔群戦の護衛
NEu−03)病院にてアース神群撃退
NEu−04)病院にてダーナ神群警戒
NEu−05)独軍駐留地跡を攻略解放
NEu−06)鳥取県八頭郡を先行偵察
NEu−07)駐日英軍の動向を怪しむ
NEu−08)隠岐島への渡航に挑戦す
NEu−09)出雲大社を潜入調査する
NEu−10)東郷湖周辺にて見敵必殺
NEu−G1)賀島親娘を暗殺してみる
NEu−FA)山陰地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 なお敵超常体の台詞から、次の襲撃を予測しておく事を忠告しておく。最悪、万全の準備を用意していても肩透かしを食らって、貴重な戦力と反撃の機会を無駄に失いかねないだろう。

※註1)See-Saw、石川智晶……デビューは1993年シングル「Swimmer」だが、有名になった契機は2002年『機動戦士ガンダムSEED』ED「あんなに一緒だったのに」である。当然、神州世界では発表されていないので、残念ながらそれほど名を残していない。
 現実世界で2000年以降の作品は、神州世界では存在しないものが多いのに注意(※幾つかの性格タイプを除いてキャラクターが其れを知る手段は無い)。


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