第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・神人武舞』 第2回 〜 山陰:北欧羅巴


NEu2『 敵はいずこに在りしや? 』

 隔離以来、放棄されたまま未整備の廃墟に、小柄な影が見え隠れしている。1つや2つ……足の指を使っても数え切れるものではない。
「――低位下級といえども雲霞のごとく押し寄せてきたら、洒落にならないよな」
 元・鳥取赤十字病院の屋上から、双眼鏡を覗きながら神州結界維持部隊中部方面隊・第13旅団第8普通科連隊・第1382班甲組長、峰山・権蔵(みねやま・ごんぞう)陸士長が乾いた笑いを上げた。
「……怖気付いたか、“掘削の”?」
 逆巻く風に翻弄される前髪をそのままに、帯刀した初老の男が呟いた。冗談!と鼻を鳴らして峰山は振り返る。
「――そういう天辺のジイサンこそ、震えているじゃないか?」
「……震えておるように見えるか? ふふふ――確かに、こうも嬉しくては、な」
 瞳に昏い笑みを湛えながら、天辺・尚樹(あまべ・なおき)二等陸士は頷いた。ドン引きするような狂喜に、峰山は冷や汗を流す。
「しかし、さすがにこれだけの量を突っ切るという訳にはいかんだろ。いくら『末尾』の連中がアレとはいえ……」
 峰山に指摘されて、天辺は初めて顔をしかめて見せた。敵地の中で、剣を抱えて死ぬのは本望だろうが、目的を達する事なく散るのは、ただの自己満足だ。天辺からようやく一本を取った事に、唇の端に笑みを浮かべると、柵に立て掛けていた大円ぴを肩に担ぎ直す。
「――伊達に『スコッパー』って呼ばれている訳じゃねぇぜ。組が総出で、地下の抜け穴を掘削中だ」
「解かった。利用させてもらう。……じゃが、ここの守りはどうなっておる?」
 天辺の問いに、峰山は肩をすくめると、
「一応、転院可能な人は転院を進めておいた。理由の如何を問わず、残る奴は腹をくくって貰うさ。複数の高位上級が確認されている状況では、カバーしきれない可能性が高いしな」
 元・鳥取赤十字病院が争いの外れに位置していたのは先月までだ。今では山陰で最も過酷な戦場と化しているとしても過言ではないだろう。1人の少女を狙って、複数の高位超常体が襲撃してきているのだ。現在、元・鳥取赤十字病院はダーナ神群バイブ・カハ三姉妹の支配下に置かれた低位の妖精型超常体に包囲されているだけでなく、北西6kmに超常体に襲撃されて占拠された鳥取空港跡地――駐日独軍キャンプから完全侵蝕された魔人兵エインヘリャルに狙われている。護りにつく第13旅団第8普通科連隊・第138中隊の警戒は益々増し、また入院している傷病者の移送が求められていたが……。
「残念ながら、元々ここに入院しているのは、近場の連中――駐日独軍とか、第138中隊のメンバーが多いし、それに……」
 峰山を鼻で笑うように、真っ赤に染めたツンツン頭が言葉を返した。腰に2本の剣を携えた 新井・真人(あらい・まこと)二等陸士だ。三白眼が威容を与えようにも背格好は、土方系で鍛えられた峰山と並ぶと、まるでガキ。同じ歳とはとても思えない。新井は言葉を続けて、
「――それに上層部の意向を無視して鳥取に居座り続けていた賀島先生の嫌がらせとして、重傷患者が逆に送り込まれていたんだ。今更、再移送出来るほどの体力は回復してねぇよ」
 復帰したとしても、実質的な病院責任者である 賀島・亜貴[がとう・あき]三等陸尉の外科医としての腕が良いから、絶える事無く重傷患者は送り込まれ続けていた。さすがに現状はストップされているが。そして、少なくとも転院可能なほどに回復した者は、亜貴への恩義として銃器を取って戦う事を選んでいた。
「難義な事だな……。で、おまえはどうよ? しばらくは来ないみたいな事を言っていたが、ベリアルという高位上級の魔王に匹敵する奴も襲ってくるぜ」
 ついぞ山陽から出向してきたばかりの新井に、峰山は脅し聞かせるように言うが、
「魔王? ――上等だ。魔王をぶっ倒せば、生き残った戦友が、すげぇデビチルがいたって覚えていてくれるかもしれない。そいつが子供作れば、自分の事、ずっと覚えててくれる奴が出来るかもしれない。偉い人も戦史の端っこに名前くらい載せてくれるかもなー」
 鼻をこすりながらの新井に対して、天辺が笑みを浮かべた。一瞬だけだが、これまた峰山が初めて見るような穏やかなものだった。
「……何だよ、変な目で見やがって、どいつもこいつも。俺がガキっぽいと馬鹿にしてんのか」
「馬鹿にしちゃいない。俺も、ジイサンも、似たようなものだ。……地獄の訓練や、狂った戦場の中で磨り減っていったものだがな」
 柵に身を預けて、空を仰ぎ見る。4月中旬の山陰。曇りがちの空が、今日に至っては気持ちが良いほどに晴れていた。しばらく見つめた後、
「――さて。頑張って守るとするか。警戒は引き続き厳に。……宣言通りに行動する義務がある訳ではないしな。無防備を見たら威力偵察くらいするだろう。俺ならやるがね」
 峰山は大円ぴを再び肩に担ぎ直した。作業に戻ろうと、足を踏み出した時に、耳に流れてくるはハーモニカの音。
「――御令嬢の護りも、厳重のようだ」
「そういえば、自分はまだ噂のお嬢さんとやらに顔見せに行ってねぇんだよな! ……へへっ。生きるという事は、喜びを見付ける事!」
 顔を輝かせた新井は回れ右をして、
「という事で、自分が色々と遊びを教えて……」
 だが後ろ襟を峰山に掴まれる。
「――時間も無いし、人手も足りない。お前もトンネル掘りを手伝ってくれ。あ、これ、上官命令な」
「……あんた、直接の上司じゃないだろー!」
 だが抗議空しく、新井は峰山に引き摺られていくのだった。

 吹き鳴らされたハーモニカの音に合わせて、小島・優希(こじま・ゆうき)二等陸士の歌声が室内を満たしていく。
( ……俺って、こんな音色を出せたのか?)
 ハーモニカを吹き鳴らしながら、第1383班乙組長、意多伎・黒斗(おだき・こくと)陸士長は内心で苦笑して見せたが、優希が防護マスク2型を脱いでいるのもまた珍しい事だ。そして音色と歌声が、明るく、だが穏やかさを醸し出す壁紙と調度品が、落ち着いた雰囲気で包み込んでくれる室内に相応しい空気を生み出していた。何よりも、部屋の主である 賀島・久美[がとう・ひさみ]の笑い声が鈴のように鳴り響いているのが2人にとって嬉しかった。……部屋の隅に控えているメートヒェン(das Madchen:女中。独語)の スミホ・フェルヘンゲニス[―・―]駐日独軍特務少尉が、いささか不気味だが。……さておき
「……もっと明るくて、今風の曲は知らないのか? 曲調は変わったとはいえ、曲自体が古くて辛気臭いぞ」
「悪かったな。最近の流行は良く知らないんだから、仕方ないだろ」
 反論する意多伎に、優希は見下すかのように笑うと、携帯情報端末を取り出した。今朝、配信されたばかりのファイルをダウンロードしたものを再生する。
「ふふふ。久美ちゃんに、これを。まー、沖縄でやってるマイナー番組なんだけどねぇ、個人的にはシュールで結構好きなんだよねぇ」
 だが映し出されているリアル特撮番組が進むにつれて、優希の頬が強張っっていった。
「……あれ? えっ? なあぁぁ!!」
「どうしたんですか?」
 久美が尋ねるが、優希は狼狽したまま、
「まっ真琴ぉぉ? 何やってんのあんたはぁぁ!!」
「……しっ、知り合いですか?」
 肩を落とす優希。
「沖縄に行ったって聞いてる分家の娘……」
「いや、他人の空似って事も……」
 意多伎がフォローを入れようとするが、
「――これ、見ても?」
 画面の中には、雷神 トール[――]が持つミョルニルにも見劣りしないような特注戦鎚を振り回すWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)の姿が……。
「………紛れも無く、優希の親戚だな」
 思わず、合掌。……ともあれ、賑やかな交流がなされていたところに、死の雰囲気を振り撒きながら男が訪れた。スミホに入室の許可を求めずに入り込んできた斑髪――第13旅団第1316中隊第3小隊:通称『末尾』の指揮官、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉は見渡すと、鼻で笑い飛ばした。
「……どいつも、こいつも、姫様に対する接し方を間違えているような気がしてなんねぇんだが。ただ腫れ物に触るように、ちやほやしていても仕方ないだろうが。『下半身で同情する』ってやつか?」
「……別に、俺達は久美ちゃんをそういう目で見ているつもりは無いがな」
 反論にも、だが殻島は肩をすくめるだけ。そして王蛇の視線は脅える少女を捕らえる。単刀直入に、
「トール――ヴンダァパールを殺すぜ」
「……トーマスさんを?」
「ああ。親しくしていたのかは知らないが、もう奴は敵だ。特に、お前にとってはな。俺が帰ってきたら奴は死んだって事だし、奴が生き残るなら俺は二度とお前の前には現れない。この病室の外はそういう世界だ」
 久美は息を呑んだようだった。しかし、それが、久美が望んでいる世界の現実だ。だが意外にも、
「……解かったわ。哀しいけど、わたしもすぐに逝くから、トーマスさんに今までありがとうって伝えて」
 ……この娘は、死そのものには恐れを抱いていないのか? 殻島は内心で唖然とした。それは意多伎も優希も同様だ。
「……死が、怖くないのか? 命のやり取りが」
「わたしを生かす為に、多くの命が今もなお失われているのよ。今更、そんなの怖くないわ。わたしが恐れているのは、生きるという事だから。このまま無為に生き続けるのは――嫌。わたしは……」
「――『恋をせずに死にたくは無い』か」
 殻島の言葉に久美は顔を上げると、表情は青褪めたままだが然りと頷いてきた。
「そうか。なら……愛したいのか愛されたいのかは知らないが、自分を卑下している時間があったら少しでも強くなれ。それだけの価値がある存在になれるよう努力しろ」
 鼻で笑うと、殻島は小振りのナイフを放り投げた。慌てて優希達が空中で掴もうとするが、久美は躊躇い無く受け取ってみせる。
「……思ったより、根性あるのか、お前? まぁ、スミホがいれば、たいていの奴はお前に辿り着く前に倒れるだろうが、万が一奴が抜かれたなら、お前の身を守るのはお前自身だ。叶えたい望みがあるんだろう? 己の願いの為に己の力を振り絞れないなら、誰にも好かれないし誰も愛する事など出来ないぞ」
 殻島は再び肩をすくめると、背を向ける。
「まあ、ここにはそんな奴でも甘やかしてくれる連中は沢山いるのかもしれんがな」
 唇の端を歪ませて、退室していった。重い雰囲気の中、やはり緊張していたのだろうか、殻島の姿が見えなくなると同時に、久美は咳き込みながら顔を伏せる。
「――やっぱり斑オジサンの言う通りかなぁ。……御免なさい。本当にわたしってば駄目。頑張って強がって見せたけど……」
 落ち込む久美の頭を、優希は優しく撫でる。
「……優希さん?」
「大丈夫。引け目を感じる事なんて無いんだ。――久美ちゃんは賀島三尉に誰よりも愛されている。そして謙虚で素直な久美ちゃんは、自然と守りたくなるって感じがする。だから……」
「――俺は、好きだから守りたい」
 優希の言葉を遮るように、意多伎が告白する。おとなしく優希に撫でられるままだった久美が、驚きのあまり、顔を上げた。久美の視線から逸らす事無く、
「――俺は久美ちゃんが好きだよ。あの時、病室の窓から身を乗り出す君の綺麗に澄んだ瞳を見てから」
 優希の目もはばからずの告白に、歯軋りするばかり。先にやられた!ってな感じである。そんな優希の内心はともかく、
「俺が君に相応しいかどうかはわからないけど……」
「……わたしの方こそ黒斗さんに相応しいの?」
 お互い自信も無く、今はただ見詰め合うだけ。優希が咳払いをすると、頬を染めながら久美が顔を伏せた。
「よろしく……お願いします……今はまだわたしにも判らないけど……だけど、黒斗さんがそう言ってくれるのなら……守ってもらいたい」
「――私も居るんだけどね!」
 思わず、優希は声を荒げてしまった。

 いつの間に俺より先に廊下に出ていたんだ、こいつ? 殻島が見詰める先には、三つ編みを振り乱さんばかりに笑っているスミホの姿があった。
「――あはっ! これはいい! まさかここまで進むとは。意多伎士長を見誤っていました。しかし、これでお嬢様の望みが叶うのも、もうすぐ間近となる! ――お嬢様の喜びこそが、わたくしの望みでもあるからには!」
「……随分と御機嫌じゃねぇか? いつもの済ました顔はどうした? 傍から見ていると、お前がラスボスみたいだぞ」
 唾棄するように呟いてから、殻島は背を廊下の壁に預ける。そして重い息を吐いた。
「『望みを果たした時、絶望から災いが顕れる』……お前とベリアルが揃って口にした台詞だ。俺には地雷のような気がしてないんだが。……望みを叶えない方が良い様にも取れるのに、お前は叶えさせようとしているし。――最高の悲劇か、最悪の喜劇、どちらにせよえげつない筋書きが用意されているようだな」
「……台詞の真意を掴めていないようならば、わたくしの口からは、先について、まだ申し上げる必要も無いかと。存外に皆様は無知でいらっしゃる」
 微笑みながら、毒を吐く。そしてスミホは唇の端を歪ませると、目元を隠すような垂らした前髪から、強い視線が窺い知れた。
「――しかし、意多伎士長が同じ罪の刻印を受け止められるかは疑問が残りますが」
「……同じ罪?」
「気になるのでしたら、御本人の口からお聞きすれば宜しいでしょう。しかし、本当に運命というものは残酷でございますね。これから先、何が選ばれるか、楽しみです――本当に」
 また微笑んでからスミホは背を向ける。そのまま、
「――殻島准尉は、わたくしを通して別の者を見ていらっしゃるようですが……忘れなさい。それが何よりも解決の早道となりましょう。それに……」
 慎重に言葉を選んだのか、間を置いて、
「――わたくしは『遊戯』に参加しているようで、実はしていないのですから」

*        *        *

 睨み合う、両陣営。2人のWACが取り成そうとするが、視線が集中すると 鉢屋・小瑠璃(はちや・こるり)二等陸士はたじろぎ、
「……いけん。うちは自信がねですわ」
 もう1人のWAC―― 鹿取・真希(かとり・まき)二等陸士の背に隠れた。そして上目遣いで両陣営の隊長を代わる代わるに見る。駐日独軍制服に身を包んだ金髪の美丈夫 テュール[――]が肩をすくめて見せた。対峙しているSAS(Special Air Service:英陸軍特殊空挺部隊)大尉 ヌァザ・アガートラム[――]も困惑の色を隠せない。
「――おいおい、真希。フェンリル捜索で提案があるからと聞いて、やってきたんだぞ。こんな憎たらしいジョンブルも一緒だと判っていたら……」
「それは我輩の台詞だよ。野卑な独逸人が一緒とは」
 再び睨み合う、両陣営。高位中級超常体(亜神/神獣クラス)フェンリル[――]を追っているテュール率いる駐日独軍残党(その実態は、アース神群)だが、東郷池周辺にてヌァザ率いるSASとかち合ってしまい、一触即発の状態に陥っていた。そんな険悪な中に自ら飛び込んできたのが真希と、新たに小瑠璃である。両陣営とも不確定要素にしてワイルドカードになる2人を引き込めればいいと考えていたようだが……
「……すまんだけん。喧嘩は止めて、うちの話を聞いてくれんね?」
 振り絞っての小瑠璃の言葉に、また視線が集中。
「――それは良い返事を期待してもいいのかね?」
 ヌァザがカイゼル髭を撫でながら問い掛けてくるが、
「……髭、気色悪い。剃る。仲間、考える」
 小瑠璃を背にしたままの真希が、首を傾げてから言い放った。わんこ先生もまた同意するように吠えると、ヌァザは髭を撫でていた手を止めて呻く。テュールが指差して笑うが、
「病院、聞いてきた。アース、信じられない。特に、エロ中尉、危ない」
「……って、誰だ! 俺の悪口を言いふらすヤツは」
 実際のところ、合流前に真希が元・鳥取赤十字病院で聞いてきたのは独軍キャンプ襲撃時の様子である。漠然とではあるが、テュール(とトール)は信用出来ると思っていた。まぁ、付き合いからくるお茶目だ。
「ええと、うち、そろそろ喋ってええやの?」
 何とか真希が間に立ってくれている御蔭で、視線や雰囲気にも慣れた小瑠璃が口を挟む。打って変わって、ヌァザもテュールも真面目な顔で頷いてきた。
「先ず、確認するは現在の状況だけん。……テュール達、アース神群の作戦目的は多方面に分散し戦力が乏しい上、自衛隊も増援は望めない」
「そうだな、ちょっと風呂敷広げ過ぎている気がしない訳でもない。そして、この地方に駐屯している自衛隊が超常体に比して少な過ぎるのは、俺達の間でも問題になっていた事だ……完全侵蝕される前だけどな」
 テュールは肩をすくめながらも首肯する。
「対するSASも少なくとも超常体を殲滅するという目的は同じだけん。――あんたらの目的は、バロールの発見と違うん? ここでアース神といざこざおこしとる場合じゃないと違うん?」
「バロール? ……そういや、確かに『フォモールらしき目撃情報を得て、周辺を探索中』とか言っていたな。成る程、そういう事情か」
 合点が行ったテュールが指摘すると、髭を撫でながらヌァザは渋々と頷いた。フォモールは高位下級の超常体で、山羊や牛、馬といった畜獣の頭部をした巨人である。また交戦した部隊に疫病が流行った事から呪言系能力を有しているとされている。そして バロール[――]はフォモールの盟主とされている大魔王クラスだ。ダーナ神群にとっての仇敵である。
「だから、うちはあんたらに協力を求め、共闘を提案するだけん。……その為には『アース神の東郷湖周辺からの目的達成後の撤退』を約束して。逆に、ダーナ神群の目的……バロールの発見についても、協力する事。あ、あんたらの目的はフェンリルを倒すこととちがうん? やったら、貴重な戦力を利用した方がええと思うんやけど……」
 テュールとヌァザ、両陣営の兵士が顔を見合わせる。畳み掛けるように、
「ここでアース神群やダーナ神群同士くらわしあっても、互いに増援を呼びあって泥沼やないのかなぁ。そうなったら、喜ぶのは狼連中だけなん違う?」
「――だが今更、共闘は無理な話だ、お嬢さん」
「……とはいえ、せめて喧嘩はやめるとするか。そして相手にとって有益な情報を売り付けるぐらいならば……譲歩してもいいかな?」
 ヌァザが微笑み、鼻を鳴らしながらもテュールは頷いて見せた。もっとも、
「――撤退までは約束出来ないけどな。フェンリルを倒せれば、それで終わりって訳じゃないんでね。それはヌァザの方だって同じだろ?」
「……否定はしない。バロールを確認、そして討ち果たすだけが役目ではないのでな」
 しかし今のところ歩み寄りが見られるようになったのは大きな前進である。
「それじゃ、うちはテュールに同行するんだけんど、真希はどうすーか?」
「私、SAS、一緒。東郷湖、調べる。……フェンリル、湖の小島、拘束。何か、あるかも」
 どうやら狙いは同じようだ。ただ両陣営でアプローチの仕方が異なるだろうと予測され、中立・第三勢力の意味合いで、小瑠璃は駐日独軍、真希はSASに同行する事になった。真希は21.5mm信号拳銃を小瑠璃に手渡すと、
「……変な事、される。使う」
「待て――待て待て待て。俺を何だと思っている!?」
 テュールが激しく抗議してきたのだった。

*        *        *

 無いっすバディの利点は狭所にも支えずに、身を隠す事が出来るというところだろうか。いきなりセクハラめいた出だしで申し訳無いが、第13偵察隊所属の 山瀬・静香(やませ・しずか)二等陸士はスレンダーな肢体を活用し、更なる目的地の奥深くへと浸透していっていた。
「……流石に到達は難しそうですね」
 思わず独りごちる。額に浮いた汗を拭った。前回の偵察をもとに、出雲大社に駐留しているSASの警戒網の穴を探っているのだ。菱伊川を下るように大きく迂回。更に北上し、八雲山側を探る。丘陵や水罰が低くとも郊外に出れば、超常体の縄張りだ。低位とはいえ、数は侮れない。……木陰に潜まる静香の周囲で漂う妖精型低位下級超常体ピクシーの四枚羽根が発光し、薄明かりで照らしている。向こうから襲ってこなくとも、その物言わぬ目に見詰められているのを感じて、静香は身震いするのだった。
「……中心部に到達出来なくとも、彼等の行動から作戦目的を割り出せれば良いのですが」
 震える気持ちを押し隠す為にか、無意識ながらもまた口に出してしまっていたのだった。

*        *        *

 久美の就寝は早い。元々、電力が貴重な為に消灯が早い事もあるが、専ら体力的な問題からきている。最近は、意多伎や優希を招いて歓談もあり、まさしく遊び疲れた童女のように眠りに付くのだ。
「――異常は無い。おやすみ、久美」
 まるで昏睡――どころか、死んだように眠っている久美の頬を撫でて、亜貴は複雑な表情を浮かべていた。そして意多伎達を見渡す。
「……口惜しいが、久美の護衛を頼んだ。スミホ君が居るから大丈夫だと思うが――」
 薄暗い中だというのに、支障がまるで無いように部屋の片隅で繕い物をしていたスミホが面を上げる。口の端に笑みを浮かべて、呟いてみせた。
「――来ますよ、皆様」
 聞き返す間もなく、外から銃撃音が轟いた。連続する打撃音。個人携帯短距離無線機からは怒号が喚き散らされる。新井がノックも惜しんで扉を開けると、飛び込んできた。
「敵超常体多数、一斉襲撃! 低位中級妖精型!」
「――ダーナ神群か!」
「そうだ。とにかく数が多い! 現在、部隊が食い止めているが、一匹でも突破されて、院内に侵入されたらどうしようもないぜ!」
 新井の言葉に、意多伎は振り返る。完全武装の優希が頷き返した。意多伎は昏々と眠る久美を覗き込むと、
「今、俺は自分の為にしか戦ってないな……。君を守りたいのは俺自身の願いだから」
 長い髪を一房手にとって軽く接吻しようとする。景気付けの、奮起する為のつもりだった。……が、
「――久美の髪に触れるな!」
 亜貴が我を忘れて叫ぶより早く、意多伎の咽喉元に大鎌の刃が掛けられていた。意多伎が凍りつく。誰一人も反応出来ずにいた。
「――お嬢様が眠っていて幸いでしたね。もしも意識がある時に、そのような事をされていたら、間違いなく絶交されていたでしょう。……貴男様には期待しているのです。お嬢様の望みを叶えて貰う為にも慎んで下さいませ。今は未だ、髪、ましてや身体に触る事まで心許してはいないでしょうから」
「……すまない。だが、彼女を護りたいという気持ちには偽りが無い!」
 再び意多伎は久美の顔を覗き込む。そして顔を引き締めると部屋の外に出て行った。
「……黒斗は気障なところがあるんだな」
 マスクの内では優希が舌打ちしそうな表情で悪態を吐くが、スミホは微笑み返して、
「それ自体は喜ばしいところです。ただ彼は、未だ自分本位なところが強過ぎていますね。ですが、そのうちにお嬢様の事を、真の意味で心配って下さるようになるでしょう。……これは貴女様も同じ事ですよ」
「……私は、認めないからな」
 亜貴は呪詛のように呟くと、他の入院者や、戦いで出てくるだろう負傷者の救助に向かうべく、後ろ髪を引かれながらも立ち去っていった。
「……で、新井二士。君は何故にここに留まっているのか?」
「へ? ああ、それはこのお嬢さんを敵に奪取される訳にはいかない為だ。特に潜入工作には警戒しないとな。爆発やら騒ぎが起きても陽動の可能性がある」
 石に噛り付いてでも、久美を最優先で守ろうとする強い決意。だが優希はマスクの内で笑うと、
「久美ちゃんの護衛は私とスミホさんでやるから、我慢していないで突撃してこい!」
 新井を締め出した。そして特注ヘビーメイスと積層装甲大盾を構えて、仁王立ち。
「フェルヘンゲニス特務少尉! 打ち合わせ通り、本官の死角のカバーを!」
「――了解しました」

 ポリタンク内に満たされていたガソリンに引火して、爆炎が巻き起こる。炎は意思あるもののようにうねりながら、低位下級超常体ゴブリンの群れを焼き尽くしていった。運良く生き残った妖精も、続くM18A1指向性対人用地雷クレイモアが炸裂し、撒き散らされた鋼球を全身に浴びて、すぐに崩れ落ちていく。
「……って、貴重な燃料を惜しげもなく!」
 新井が苦笑するのにもお構いなく、意多伎は炎を操り、圧倒的な数で迫りくる超常体を焼き払っていった。
「――倉御、山倉! 建物が延焼しないように頼む」
 部下に命じながら、意多伎は強化セラミクス製剣に炎をまとわせると切り付けていく。
「……さすがは“発破の”意多伎士長だ。自分も負けてらんねぇぜ!」
 ますます奮起した新井が、踊るように駆け出す。外へ向かって荒れ狂う炎を脚にまとわり付かせると、大柄な超常体へと回し蹴りを叩き込んだ。そして体勢を崩したところへと、双剣の刃を食い込ませる。右手に持つマチェットから放たれた風は鋭利な刃となり、敵超常体を切り裂き、また衝撃波となって動きを封じる。普段はコンプレックスでもある小柄な身だが、戦場では最大に利用して、群れの隙間をかいくぐると、新井はチンクエディアで急所を貫いた。別名「リングア・ディ・ブエ」――伊太利亜語で牛の舌という意味を持つチンクエディア(“5本指”という意)は、身幅が広い刀身をもった両刃の短剣だ。身には溝がある事も特徴であり、主に刺突武器として使われたという。
「デビチル・エターナルフォースブリザード――敵は死ね!」
 新井が叫ぶと同時に、チンクエディアに刺された箇所から敵超常体は凍結、そして破砕していった。
「……このまま敵を押し止めるぞ!」
「応さ! ――だが、自分達が迎え出る事で、守備戦力が手薄になったところを狙って、奪取を試みてこないとも限らないな! 特に、こいつらを陽動にているとしたら……」
 新井が息を吐きながら、視線は屋上の方へ。
「――機動力に優れ、数を持ってくる事が出来るダーナ神群が気になるぜ! 警戒に当たっている峰山士長が心配だな」
 だが応援に向かおうにも、雲霞のごとく押し寄せてくる低位超常体の群れに背を向けるのは激しく危険だ。戦いが始まった以上は、途中で抜け出す事は難しい。新井は額に浮き始めた汗を拭う余裕もなく、今はただ次々と押し寄せてくる超常体を屠っていくのだった。

 大円ぴの尖端を槍の穂先に見立てて、マッハ[――]の胸部へと突き入れる。見掛けも中身もローティーンの幼女そのものだが、マッハの俊敏な動きは歴戦の古強者のソレであり、長大な剣で払い返した。剣自体の重さと勢いに振り回されているかのようだが、身体強化されたマッハの機動性を損なう様子は見られなかった。まさしく突風。
「ねぇねぇ――死んで♪ 死んで死んで死んで……」
 迫り来る刃を、だが峰山は巧みな足捌きで飛び退くと、大円ぴを回転。柄の下方を握り直すと、斧に見立てて横殴りの一撃を見舞わせた。思わず左腕で受けるマッハだが、強化された金属部位からくる衝撃は細腕で受け止めきれるものではない。痛みをこらえながらも、右横に大きく跳んで衝撃を逃がそうとすると同時に、身体を傾けて軸線をずらそうとするマッハ。峰山が大円ぴを振り抜いた時には、マッハの肢体は壁にぶつかり落ちている。廊下の床を転がり、のた打ち回っていた。だが、その手に持つ剣を離してはいない。バイブ・カハ三姉妹の長女たる モーリアン[――]は他のスコッパーが足止めをしており、マッハの救援には間に合いそうにない。
「――マッハ!」
 慌てた ネヴァン[――]が鼓膜を揺さぶる高い声を上げようとした。が、峰山は素早くM7A2ライアット手榴弾を放る。飛び散る弾体を予測して、反射的に身構えるネヴァンだが、手榴弾からは暴徒鎮圧用の催涙ガスが噴出。視界が一瞬にして消えた。
( ……完全無力化は出来なくとも、歌い難い状況を作り出せれば! )
 素早くマスクを装着する峰山達『スコッパー』。激しく咳き込む音と、気配を頼りに、大円ぴを振りかざす。だが――
「……悪手を打ったな」
 ガスの中でも平然としたモーリアンの声。突然に風が巻き起こり、廊下のガラスが割れ散った。充満していたガスが吹き飛んでいく。幻風系でもあるネヴァンの仕業だ。そして、
「――お兄ちゃん。あたち、痛かったんだから」
 ガスの影響で涙を流しながらも、マッハが跳びこんで来た。折れ曲がっていたはずの左腕は何事もなく、振るわれた長大な剣の軌跡に鈍さは無い。
( しまった! こいつらのベースは異形系でもあったんだ! )
 異形系はその身体構造を自由にする事が出来る憑魔だ。そして余り知られていない事だが、無尽蔵とも言える再生力(細胞復元・分裂・増殖)を有している。憑魔核さえ無事ならば、一欠けらの肉片からも完全復活する事が可能とも言われているのだ。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死……」
 呪詛のような呟きが近付いてくるが、装着していたマスクが視界を悪化させており、峰山はとっさの反応が出来なかった。――鞠が弾むような音が廊下に響き、続いて血が噴き出る。天井まで吹き上がった血はマッハだけでなく峰山達をも赤く染めた。
「……あれ? お兄ちゃん違いでちた」
 赤く腫らした目をこすりながら、マッハは頬を膨らませる。峰山と間違えられて、その首を刎ねられたのは氷水系のスコッパー。ガスの影響による視界不良、またマスク着用によって生まれた対象者の誤認が、峰山の命を救ったといえる。……尊い同僚の死を代償にして。
「……いけるか? マッハ、ネヴァン」
 モーリアンの両手に持つ2挺のSIG SAUER P226が踊るように残ったスコッパーを牽制する。ネヴァンはガスを吸い込んだ影響が残っているのか、未だ咳き込んでいる。マッハもまた左腕を完治させたとはいえ、激しく消耗したのか、息切れを起こしていた。
「……あれほどの妖精達が塞き止められているのか」
 屋外から轟く爆発音を聞きとがめて、モーリアンの秀麗な眉が不機嫌そうに形作った。
「まぁいい。ゴブリン程度のユニットならば、幾らでも補充が利く。戦争は数と機動性が優るものが勝つ。足止めにより機動性は損なわれているが、数の優位さは問題ない。いずれ力尽きる。……幾ら頑強なチームとはいえ、1人でも葬れば、そこから容易く崩れていくからだ。――マッハ、よくやったな」
 褒められてマッハが頬を紅潮させた。対照的に峰山達はマスクをかなぐり捨てると、大円ぴを構えながら奥の手である憑魔半身異化の覚悟を決めた。憑魔の相生相剋関係において、幻風系の攻撃を吸収するという氷水系の魔人が殺されてしまったのは運命の悪戯と言う他無い。汗が頬を伝う。……が、
「駄目。モーリアン姉ぇ……未だ声がおかしいみたい」
「あたちも未だ目がシバシバするでしゅ。それに疲れたでしゅよ〜」
 肉体組織や構造を瞬時に変化させる事が出来ても(烏への変身や、腕の完治はソレ)、毒素を分解・無力化させるのは遅いらしい。瞬時にして、好機だと理解した峰山達が大円ぴを構えて突撃した。
「――チッ! 仕方ない。撤退だ!」
 ガラスの割れた窓から外に躍り出ると、三匹の烏は夜明けの空へと舞い上がる。
「BUDDYを構えて撃ち落とせ――っ!」
 だが峰山が大円ぴから89式5.56mm小銃BUDDYを構え直した頃には、既に遥か遠くへ飛び去った後だった。狙撃の才に恵まれているとは言い難い。舌打ちすると、峰山は沈痛な表情で仲間を弔う事にした。

 バイブ・カハ三姉妹が引き上げた事で、低位超常体も徐々に数を減らしていった。ようやく逃げ出し始めた群れへと追い討ちの一斉射撃を放ちながら、新井は荒い息を吐く。
「……次は、アース神群のエインヘリャルか。図らずとも波状攻撃を受ける羽目になっちまったな」
 数分でも銃器の点検や、弾薬の補充、負傷者の応急手当が叫ばれている。亜貴が衛生科隊員に慌ただしく指図していた。
「――もう来たのかよ」
 鳥取空港跡地から、数台の車が向かってくる。84mm無反動砲カール・グスタフを構える第8普通科連隊・第138中隊の面々だったが、
「違う――エインヘリャルじゃないぞ? あれは『末尾』だっ!」
 半壊状態となった『末尾』が敷地内に滑り込んでくる。死傷者多数。意識不明の重体で担架によって運ばれていくのは隊長である殻島当人だった。
「……トールは倒した。アース神群に病院へと割く戦力は、暫くあるまい。もっとも『末尾』も攻勢に回す事が難しいがのぅ」

*        *        *

 時と所は変わって、出雲大社。静香は愛車である偵察用オートバイ『ホンダXLR250Rカスタム』で山道を駆け抜けていた。振り向きざまにSMG(短機関銃)――ファブリック・ナショナルP90で問答無用の乱射。ベルギーのFNハースタル社が開発したこのSMGの最大の特徴は、5.7mm×28という特殊弾薬を使用する点にある。貫通能力に優れ、且つ、貫通後に跳弾となると急速に威力を失う性質を持つ。また、ブルパップ・タイプで設計され、また独特の給弾機能を持つプラスティック製弾倉が、機関部上面に本体と平行に設定されている。おまけにダットサイトが標準装備。追いすがってくる低位中級超常体カーシー数匹を瞬く間に蜂の巣にする。
( だけど、どうしてですの? 何処に隠れようとも、逃げようとも、正確にこちらの位置を割り出してくるなんて! )
 カーシーは犬に似た超常体だ。猟犬のように静香を追い立てて、またSAS隊員を誘導してくる。
「……どんな侵入者かと思いきや、女性だったとはな」
 困ったような声が目の前から聞こえてきた。SAS曹長……名は確か、セタンタ[――]。セタンタは迫りくる静香のオートに対して怖気も見せずに、ただ見据えてくる。慌てて静香は、オートを地面に寝かしつけるようにして急制動を掛けた。
「よし、いい子だ。……自衛隊の偵察員だな? 何しに来たのか知らないが、ここは英軍の管轄下にある。早急に立ち去って欲しい。私の名は……」
「クランの犬。……名乗りが正しければ、アイルランドの英雄ですか。主神級とも言える神の子。伝承通りゲッシュがあるとは思えませんし、戦いたくはない相手ですね……」
 静香の呟きに、セタンタの唇は笑みを形作った。
「……しかし、どうして、こちらの居場所が?」
「妖精が教えてくれたのさ。――いいかい、お嬢さん。まったく無害と思われるピクシーでさえも、侮ると手痛い事になるんだよ」
 元々、シェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』に出てくる悪戯好きの妖精パックが由来とされている。更に源流を遡れば、ケルト神話のプーカとなり、これはフェアリーの中でも恐ろしい一種である(※後世に従い、プーカも無害な存在に成り果ててしまったが)。
「妖精が……? 超常体と好意的に接触、そして意思疎通が可能――そんな報告はありませんが」
「自衛隊には知らされていない情報が沢山ある」
「それは……出雲大社に施されているという封印もでしょうか?」
 静香の言葉に、セタンタは片目を瞑って暫し思案。微笑むと、
「誘導尋問かい? まぁ緘口令が敷かれている訳でもないからね。――質問に答えよう。出雲大社には封印が施されているようで、施されていない。ここは空の玉座だ。社に秘められた力を解放する主の帰りを待つ、玉座。私の役割は社殿に帰還しようとする主に断りを伝える事。だから警備についている」
「主――大國主の事ですか? 祇は今どちらに!?」
「……ティル・ナ・ノーグ。彼と后は今、私達の母にして女王の下で、丁重に客人として歓待されている。心配する事は無い」
 さて、とセタンタは自然な動きで槍を手にする。そして、にこやかな表情で、
「さて。緘口令は敷かれていないし、もしも君が言い触らしたところで信用する者も少ないと思うが……一応、決まりなのでね。君も客人になってもらうよ」
 言い終わるが早いか、静香はアクセルを吹かせる。飛び散る泥が、目潰し代わりにセタンタの視界を奪った。静香はオートにまたがると、全速力で逃走する。セタンタの苦笑が耳に付いていた。
「――どうやら、君を客人としておとなしく迎えるには、まず、その足を潰さないといけないようだね」

*        *        *

 耳を澄まし、周囲から匂いを嗅ぎ分ける。BUDYYを油断なく構えながらも、地面に残留物がないか目を凝らしていた。
「……やはり、東郷池が怪しいんだけん」
「――なるほど。真希も同意していた通り、フェンリルがいる可能性が高いんだな」
 声に振り向くと、義腕に固定されたSIG SG550を弄りながらテュールが呟く。
「……気配を隠して近付くなんて。思わず信号拳銃を撃つところじゃったわ」
「別にてめぇに勘付かれない為に、気配を抑えている訳じゃねぇよ。狼を狩るからには、体臭はともかく、氣は隠さないとな」
 操氣系魔人は相手の気を探る他にも、自らの気配を隠す事も出来る。野戦服を汚泥に塗れさせたままにしているのは、汗や血の臭いを少しでも狼の鼻から誤魔化す為だろう。
「……まあいいわ。ちょうどテュールばっかしに話しておきたい事があったけぇ。――ヴァラスキャルヴに辿り着いたけん」
 小瑠璃の言葉に、テュールが感嘆の息を漏らした。視線で言葉の先を促され、小瑠璃も頷き返す。
「うちはアース神群とともにラグナロクを戦う事を望んでおるけん。生かさず殺さず――超常体の数をただ調整するだけの方針にはなじめないんじゃ。……じゃけぇフェンリル討伐に成功したら、アース神側として戦えるよう取りゃぁかろぉて貰えんじゃろうか? うちはこの戦いに賭けてみたいんや……。ただ――」
 言葉の詰まった小瑠璃をいぶかしむテュール。
「……あのヘイムダルいうにいちゃんには、どうも後ろ暗いトコがあるような……イヤな予感がするけん。もしかしたらヘイムダルは、ラグナロクを覆す事に消極的ではないやの?」
 先日に河原城で遣り取りした出来事を包み隠さずに話す。小瑠璃の問いに、テュールは生身の左手を顎にやり、暫く沈黙。顎をさすりながら、口を開く。
「――そろそろ髭を剃らないと真希に嫌われるか?」
「……人の話を真面目に聞いてたんやの?」
 信号拳銃を空に向けて撃とうとする小瑠璃に対して、テュールは慌てて弁解。
「おおっ、待て待て待て! ぶっちゃけて言うと俺もオーディンがどうなろうと正直どうでも良いんだ、これが。勿論『遊戯』の制約上、主神級――オーディンが倒されればアース神群は敗退する事になるんだが」
 ここでテュールは周囲をはばかるように声を潜めると、小瑠璃を招き寄せて、
「……それもオーディンが倒れる前に、正式に主神の座を委譲すれば良いんじゃないか?という抜け道も考えられている。実際出来るかどうかは不明だが」
 小瑠璃の目が大きく見開かれた。テュールは苦笑しながら、
「――俺だってラグナロクを覆し、『遊戯』での勝ちを狙っている。だがヘイムダルの様子では、オーディンに勝たせるつもりはないかもしれない。完全侵蝕したとはいえ、俺達は受容器たる元の人格・意識・記憶に多大な影響を受けている。俺から言わせれば、ヘイムダルの方が、若い頃のオーディンにそっくりだ。あの奸智……というか、小賢しいところが」
 九人の母親の息子とされ、人間の始祖リーグと同一視される ヘイムダル[――]。ヴァン神族の出自とされる事もあるが、父は オーディン[――]とも言われており、エッダで謳われる性格や役割から、一説では王神の側面を具象化した神と看做されている。
「要するに、ヘイムダルは隙あらばオーディンから玉座を奪おうとしているのかも知れんな。継承権において最大のライバルたるバルドルも顕現していないし」
 つまりは、チーム戦として勝利は目指すが、チーム内での主導権争いの話。神群として括られてはいるが、必ずしも一枚岩ではないようである。
「……そして俺はヘイムダルの野望についてはどうでも良い。俺の気掛りは、フェンリルとの決着を果たす事だけ」
「ラグナロクでテュールが相討ちになるんは……」
「――ガルムだ。が、奴は久美ちゃんの近くに姿を見せていない。あれほど忠実な犬っコロがだよ。……あの特務少尉が遠ざけたのか、それとも久美ちゃん自身が嫌ったのかは知らないがね。だから俺は病院に行かずに済んで、こちらに出向く事が出来る」
 おどけるテュールだったが、小瑠璃が口を挟む。
「――久美ちゃん? ヘイムダルも口にしょぉったけど、彼女にどがぁな秘密があるん?」
「それは……。――ッ!」
 口にしようとしたテュールだったが、答えは先送りになる。銃声が轟いたからだ。
「――その話は、またいずれ。どうやら、スコルとハティに接触したらしい……って、速っ!」
 先に反応した小瑠璃は、テュールを置いて走り出していた。

 東郷湖の西岸に位置する羽合温泉(はわいおんせん)は、1843年(※註1)に開湯された湖中から湧き出る温泉として全国的にも珍しい温泉地である。隔離前であれば、湖に突き出た砂州に立ち並ぶ旅館街が、まるで湖上に浮かぶ温泉郷と思えただろう。……だが今は超常体の巣窟。狼の住居だ。
「……あ〜! もう邪魔だ、この、この!」
 H&K MP5KA4から9mmパラペラムが毎分800発の速度でバラ撒かれる。真希――否、摩利は苛立ちを隠そうともせずに、床を蹴って大きく後退。銃弾を受けてもなお迫り来る勢いを止めない2匹の狼へと、ポーチから取り出した手榴弾を放った。空中で安全レバーが外れ、催涙ガスが噴出される。視界と、嗅覚を殺している間に旅館跡から脱出を試みた。
( 今のうちに退いて――っ!)
 煙から飛び出た影に突き飛ばされる。勢いに床を滑る摩利の肢体。大型自動二輪ほどの体躯を持つ2匹の狼が獲物めがけて殺到してくる。何とか半身を起こそうとする摩利の目には、銃創が瞬く間に塞がっていくのが映っていた。異形系だ。
「……仕方ないね、奥の手だよ!」
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 喰い千切ろうと覆い被さって来る狼の体躯へと掌を当てると、摩利は雷撃を放つ。電撃を受けて狼は大きく痙攣。素早く抜け出すと摩利はH&K USPエキスパート.45Mを抜いて撃ち放つ。.45ACPを叩き込まれて、狼は大きくノックバック。また強力な電磁波をもって、もう1匹の接近を寄せ付けない。
「……アタシってば遠距離戦向きだってのに、何で白兵戦距離で死闘を演じないといけないんだろ!」
 悪態が漏れた。.45口径弾の威力で狼の体躯を削ってはいるが、治癒がすぐに追いついてくる。電撃により細胞が壊死したのか、火傷は塞がっていないが、その分、慎重になったようだ。手負いの獣ほど恐ろしいものはない。2匹は連携すると、死角を突くように襲い掛かってきた。電磁波を放っていても、死角からの攻撃に対しては集中力に欠けてしまう――!
「――待たせたな、レディ! 伏せたまえ!」
 わんこ先生の吠え声とともに、ヌァザの号令。摩利は側転するように伏せると、空間を銃弾が薙ぎ払っていった。
「――異形系だよ! 治癒速度を上回るほどの威力で圧倒しないと!」
 摩利の叫びに、了解の旨を返すとヌァザは接近戦。義手へと風が取り巻いていく。
「――クラウ・ソナス!」
 鋭利な刃物と化した義手は、爪を振り下ろそうとする狼の前脚を両断。返す刃で首元を裂くが、
「浅いわよ! ……踏み込みが甘いんじゃない?」
「面目ない。この身体は白兵戦が得意ではないのだ」
 詫びるヌァザへともう1匹が躍り掛かってきた。しかし小柄な影が間に割り込む。 小瑠璃のアッパー
「うちは、逃げーわけにはいけん!」
 跳び込んで来た小瑠璃は、咽喉下に入り込んで顎を砕かんばかりのアッパー。氣をまとった一撃を受けて、大きく舞い上がった狼へと、続くテュールが氣の刃を振り払って両断してみせた。
「――トドメ!」
 大きくバックステップ。ヌァザが左手を振り下ろすと、号令を受けたSASと元駐日独軍の計2個分隊が5.56mmNATOの雨を降り注ぐ。最後に110mm個人携帯対戦車流弾パンツァー・ファウストIIIを担いだ小瑠璃が撃ち放って、戦いは終わった。
「……念の為だ。異形系は憑魔核を残さず焼却ぐらいしないと安心出来ねぇ」
 予め用意していたのだろう。テュールが狼の遺骸をテルミット手榴弾で焼き尽くす。そこで一息吐いた。
「……わんこ先生、ありがと」
 落ち着いて戻った真希が、救援を呼んできてくれたわんこ先生の頭を撫でると、嬉しそうに尾を振った。
「さすがに、これだけの戦力が集中したら、スコルとハティといえども、敵ではなかったな」
「しかし……この先に待ち受けるのは、やはり」
 一同、頷くと慎重に奥へと進む。ライトに照らし出された巨大な存在に、小瑠璃は大きく息を呑んだ。
『……仔供ハ討チ倒サレテシマッタカ。無念ダ』
 戦車ほども大きさのある巨大な狼フェンリルが窮屈そうに廃屋に横たわっていた。小瑠璃は、その巨躯を縛り付けている不可視の鎖を感じ取る。テュールがしかめっ面。
「……何で、この世界でもグレイプニルに縛り付けられているんだ、テメェ! 世界を渡ってきたんならともかく、この世界で肉体を構築あるいは、憑魔で寄生して成長したのならば、元の世界の拘束からは解き放たれているはずだろが!」
『吾ガ、コノ世界ニモ来ルノヲ恐レタおーでぃんガ、罠ヲ張ッテイタノダ。コノ世界ニ顕レタ瞬間ニ、縛リ付ケレルヨウニ。オカゲデ、コノザマダ』
 諦観するように苦笑しているようにも取れるフェンリルに対して、テュールは怒りを顕わにしていた。
「……あのクソジジイ! 今頃になって動き出した訳がようやく解かったぜ。フェンリルが罠に掛かるまで城に引き篭もっていやがったんだ!」
「……つまり、何やの?」
「オーディン、チキン。フェンリル、縛り付け、安全。動いた。……でも、どうやって?」
 真希の疑問に、ヌァザが眉をひそめる。
「――さすがは主神級といったところか。意識を集中すれば遠隔地・広範囲だろうとも影響を及ぼす事が出来るとは」
「その間は、まったく動けなくなるけどな。姿を隠してから3年間も動かなかったのは、そういう理由だ。で、罠に掛かった手応えを得てから、俺を派遣したのさ。確実に仕留める為に!」
 もはや怒りを通り越して、呆れ果てた表情のテュール。フェンリルを見上げると、
「――すまねぇな。今度こそ、納得の行く決着が出来ると思っていたんだが……あんなクソジジイでも、俺等の王なんだわ。殺させて貰うぜ」
『口惜シイガ仕方ナイ……妹ガ望ミヲ叶エル助ケヲ出来ナカッタノガ、残念ダガ』
 フェンリルの咥内に義腕を突っ込み、内部から氣を爆散して破壊しようとするテュール。真希が何事か訴えようとしたが、小瑠璃が引き止める。
「……さらばだ」
 そう呟いて氣を爆発させようとしたテュールだったが、突如として廃屋の壁が崩れ落ちた事に驚き、動きが遅れた。小瑠璃達が気付いた時には、テュールは何者かに突き飛ばされていた。床を跳ねた後、血溜まりが広がっていく。
「テュール様!」
「――大尉! 建物の外、フォモールの群れに取り囲まれています!」
 壁を突き破って現れたのは数体のフォモール。そしてテュールを突き飛ばしたのは、
「――ブレス? 裏切り者め、ようやく見付けたぞ!」
 ヌァザが呻く。秀麗な顔立ちの白人男性は、赤く染まった手をハンカチーフで拭うと、
「裏切り者とは失敬な。私は元々フォモールの一族ですよ。そしてダーナでもなく、アースでもなく、フォモールこそが勝者となるのです。……動けぬフェンリルの肉体を再利用してね」
「……テ、テメェ。フェンリルを更に辱めようっていうのかよ」
 息も絶え絶えなテュール。氣でもって意識を何とか繋ぎ止めようとしているようだが、死の色が濃い。
「有効的に再利用です。この肉体は、盟主バロールやクロウ・クルアッハの顕現に充分な材料となるでしょう。このまま朽ち果てるよりマシではありませんか。勿論、貴方達の死体もね」
 ブレス[――]と呼ばれた男の合図でフォモールが一斉に襲い掛かってくる。が、テュールが死力を振り絞って叫んだ。
「――ヌァザ・アガートラム! ここは俺に任せて、とっとと逃げろ!」
「逃げろ、とは……解かった、すまん」
 テュールの意を汲んで、元駐日独軍兵士がフォモールを引き付ける。SASが脱出路を切り開いた。促されて突破する一同の個人携帯短距離無線機に、テュールの声が流れてくる。
『……鉢屋だったっけ? すまねぇが俺は力になれんかったな。まぁヘイムダルやクソジジイと一緒に動いても、ろくな目に遭わねぇぞ。……それから真希。独軍駐留キャンプ地で、トーマスとかエレーナとか、皆で騒いだ思い出は、元の世界に戻っても忘れんぜ』
 そして笑いを交えた声。
『……じゃあな、テメェ等はラグナロク――黙示録の戦いでも生き残れよ!』
 テュールはそう最後に口にすると、氣力を振り絞る。フォモールの群れを巻き添えにして盛大に爆死した。敵超常体の追撃から逃げ延びた小瑠璃と真希、そしてSASは東郷湖へと振り返ると、テュールと元駐日独軍兵士へと敬礼を送るのだった。

*        *        *

 ……人間、環境が変わると立ち位置を探る為に、自身を省みる事があるという。天辺は周囲を見回して、思慮にふけった。
( なるほど……確かに『末尾』というだけはある。闘争狂、厭世者、自殺願望……つまるところの平穏な社会への不適合者。『壱参特務』との違いは犯罪に手を染めたかどうかの違いでしかない )
 となれば『末尾』に転属して、水を得た魚のように湧き上がるものを感じる己とは如何なる存在か。知らず、苦笑が端に浮かんだ。
『――よう。お前等、準備は良いか?』
 82式指揮通信車コマンダーにてふんぞりかえっている殻島が無線端末を片手に、高機動車『疾風』に搭乗している部下へと声を発する。死を望み、また望まれた者達はBUDDYを身に寄せると、ぎらつく眼で応えてみせた。無論、天辺も同様だ。違いは抱えるのが妖刀鎌鼬というだけ。
『――待つだけでは不利になるだけなので先手を打つ。エインヘリャルで戦力を増やされると厄介極まりねぇ。出撃理由はそれだけだ。――以上、可及的速やかに行動を開始するぜ、お前等!』
 返事を待たずに急発進する、コマンダーと3台の疾風。元々、非常時における通路網の1つとして地下搬入路が隠されていたのだが『スコッパー』の尽力で拡張。超常体の包囲網を掻い潜って『末尾』は外周へと躍り出ていった。……このすぐ後に、バイブ・カハ三姉妹が率いる超常体の群れが元・鳥取赤十字病院を襲撃するのだが――それは既に報告した通りである。

 国道53号線を北上し、国道9号線に合流後、西進する。鳥取大橋を越えたところで、末恒小学校跡地に陣取っている第8普通科連隊2個中隊(人員数は大幅に減っているが)――駐日独軍跡地攻略部隊へと連絡を入れる。面倒臭いので、暗号化はしない。
「……あー、こちら『末尾』だ。突入する」
『――了解。……頼む。死んで来てくれ。おっつけ、こちらも会いに行く』
 攻略部隊長(三等陸佐)からの沈痛に満ちた返答。殻島は笑うと、
「――ヴァルハラで会おうって言ったら、洒落になってねぇよな。ヴァルキュリアにたぶらかされてエインヘリャルになるんじゃねぇぞ!」
「――殻島准尉! 接近中の敵影発見!」
「よっしゃ、ドンピシャ! 行き違いにならねぇよう前回の進攻ルートを調べていて正解だったぜ。本当に馬鹿正直なヤツだ!」
 ヘッドライトに照らし出されて浮かび上がるのは、73式中型トラック。殻島はカール・グスタフを掴むと、車上へと《跳躍》。吹き荒れる風の中、肩に担いで
「――くたばれ!」
 HEAT対戦車榴弾が敵トラックに吸い込まれていった。急制動するコマンダー。慣性で前に飛び出てしまう殻島を、上部ハッチから身を出した車長が掴む。同時、コマンダー上部搭載の12.7mm重機関銃ブローニングM2が唸りを上げる。爆発炎上する敵トラックから跳び出たエインヘリャル達へと弾雨を降り注いだ。続く疾風から降車した『末尾』隊員もBUDDYで斉射。対するエインヘリャルだが、氣の防弾幕を張り巡らせて態勢を整える時間を稼ぐと、すぐさま反撃の狼煙を上げてきた。特に炎を割って鉄の塊が飛んでくると、疾風ごと『末尾』隊員数名の命が吹き消された。
「――敵が周囲に多数存在しておる。長時間の戦闘はこちらに不利になるわい。強襲はトールのみに速攻をかけるべきじゃろう。」
「解かっていらぁ、ジイサン! よし、上官特権だ、ジイサンが指揮を執れ。エインヘリャルは任せた」
「……ふむ? 二等陸士に部隊の指揮を執れと? それにトールは雷電系。ワシの刀であれば絶大な傷を追わせる事が出来るぞ」
 妖刀鎌鼬を振るってエインヘリャルを斬り捨てながら、天辺が眉間に皺を寄せた。殻島は左手にナイフを、右に9mm機関拳銃エムナインを構えると、
「――ヤツの性格上、一対一に拘るはず。付き合う義理はねぇが、まぁ、何となくだな」
「……不利と見れば、ワシも加勢するぞ」
「そん時は、そん時だ! ――よう、伊達男。一足早く『黄昏』を始めようぜ!」
 手に戻ってきた特注鉄鎚を握り直すと、軽い火傷を負いながらも足取り確かにトールが歩み出てくる。
「……〈大罪者(ギルティ)〉か」
「――他に〈殺戮生存(ジェノサイダー/サバイバー)〉、とかあるが、好きに呼べばいい。だが、お前と殺り合うに相応しい名は『王蛇の牙(ファング・オブ・サーペント)』か」
「……ヨルムンガンド気取りか、面白い。成る程、久美ちゃんを護衛するは、アングルボザの兄弟を名乗るが相応しかろう」
 笑うトールに対して、殻島は肩をすくめて返した。
「別に、あの小娘自身はどーでも良いがな。ただ俺が勝ったら、欺きの神の企みに付いて思い当たる事を吐いて貰うぜ。まあ、勢い余ってお前に止めを刺さなければだがな」
「――ほざけ! 行くぞ、雷鎚ミョルニル!」
 勢い良く放り投げられてきた特注鉄鎚。だが殻島は歯を喰い縛って集中すると、鉄鎚を凝視。空間が湾曲すると鉄鎚を彼方に弾き飛ばした。トールの驚愕。だがそれも一瞬。生粋の武人は口元に笑みを浮かべると雷撃の連打。空から降り注いでくる無数の雷に、殻島はナイフを放り投げた。鋼線が結ばれたナイフは避雷針代わりとなって大地へと電撃を逃がす。
「――ッ!」
 声にならぬ叫びとともにエムナインの連射。こめかみの血管が浮き出るほどに意識を集中させると、銃口からトールへと〈道〉を空ける。着込んでいたボディアーマーと強靭な肉体を貫通する事は適わぬが、それでも衝撃は浸透する。動きが鈍った瞬間に、殻島は愛用のナイフを抜くと、一気に詰め寄った。
「――貰った!」
「悪いが、ただではやらんぞ!」
 が、トールの手には、いつの間にか引き寄せていた鉄鎚が握られていた。相打ち覚悟のカウンター。加えて斥力障壁を破る為に、殻島は空間を歪めるべく集中していた。王蛇の牙はトールの首を抉ったが、
「――殻島准尉!」
 鉄鎚が直撃。骨が砕け折れる音、圧迫された内臓が潰れる温もり、沸騰した血の臭い――嫌な感覚を味わいながら殻島は大きく吹き飛んだ。大地に叩き付けられても、もう痛みはない。最後の気力を振り絞って伝えられるのは一言。
「……『末尾』の務めを……為、せ……」
 意識を失う。対するトールは首に刺さったナイフを引き抜いた。間違いなく致命傷だ。血が噴き上がり、赤い雨となって、辺りの大地を染めていく。
「見……事だ……ヨルムンガン……ド」
 九歩退き、そして倒れた。エインヘリャルも『末尾』隊員も壮絶な相打ちに凍り付いていた。誰よりも早く我に帰った天辺は、万一に備えて止めを刺すべくトールに近寄ると――死亡を確認。殻島愛用のナイフを回収すると、持ち主へと駆け寄った。口元に耳を寄せる。微かに空気が行き交う音。時折、唇の端から血の泡がこぼれているのを確認。続いて駆け寄ってきた『末尾』の女子隊員が、気道が詰まらぬように血を吸い出した事で呼吸を確保した。
「……トールは倒した。このまま勢いに乗ってキャンプ地跡を攻略すべきだったのじゃが」
 トールの死から立ち直ったエインヘリャル達が血気盛んに応戦してくる。妖刀鎌鼬で薙ぎ払うが、敵全てが魔人。対する『末尾』の大勢は常人であり、死傷者も多数出ている。何しろ要である殻島が重傷であり、一刻も早く治療が必要とされる。
「ワシが殿となる。無念だが、撤退じゃ!」
 死傷者をコマンダーと残った疾風2台に運び入れ、撤退準備をする『末尾』。天辺と同じく、殿を希望した数名とともにエインヘリャルの猛追へと立ち塞がる。
「――奥の手じゃ! 啼け、鎌鼬!」
 振るった刃から衝撃波が放たれ、鋭利な風となって荒れ狂う。エインヘリャル数名を切り刻んでいくが、それでも多勢に無勢。さらに――
「……何じゃ? あの色情魔は」
 淫蕩にして奔放。妖艶にして豊潤。美にして愛の女神―― フレイア[――]がそこにいた。駐日独軍制服ではなく、おそらくは本国流行のドレスをまとっているのだろう。独逸語らしき言葉でトールの遺体に話し掛けると、フレイアは下唇を艶かしく舐めた。こちらにも振り向いて、何事か囁いてくる。
「――日本語で喋れ」
 天辺が唸ると、未開人を見るような目付きでフレイアは口に手を当てて笑う。瞬間、膨大な氣が彼女を中心にして発せられた。氣当たりしたモノ全てが吹き飛ぶ。それは味方のはずのエインヘリャルも例外ではない。そして光もまた放たれる。……いつの間にか、天辺は妖刀鎌鼬を納め、フレイアの足下にひれ伏そうとしていた。天辺だけではない。全てのモノが……。
「――たぶらかしは、フレイアの得意技ですよ、御老人。お気を付けて」
 流暢な日本語が、意識を取り戻させてくれた。フレイアが憎悪の篭った眼で睨み付けている先には、シルクハットを被り、燕尾服をまとった紳士。フレイアと並べば、これから晩餐会でも始まるかの様な装いだ。
「……誰じゃ、お前は」
「――元・第8普通科連隊准陸尉。ですが趣味に生きる余り、自由を求めて部隊を脱けた今では、メフィストフェレスと呼ばれております。お見知りおきを」
 メフィストフェレス[――]と名乗った紳士は、脱いだシルクハットを胸に当てて、優雅に挨拶。だが視線はフレイアから外れる事は無い。
「……さあ、ここは一旦撤退を。力及ばずとも、逃げるまでの時間は稼ぎましょう」
「何故、ワシ等を助ける。お前は魔群じゃろう?」
 ステッキを小洒落に振り回すと、メフィストは朗らかに笑った。
「かつて人間――維持部隊員だった感傷でございますよ。それにベリアル様からの申し付けもありますが、とにかく場を引っ掻き回す事が好きな性質なのです、はい。わたくしは、付けば面白そうになる側の味方です……その時々によりますが」
 悪びれずに、笑い続けるメフィスト。だがフレイアが動きを出さずに慎重になっているところを見ると、
( ……こやつも少なくとも魔王級という事か )
『――死傷者の搬入、完了した。天辺二士、ここは退くぞ。殿を化け物に任せるのは癪だが……殻島隊長が危ない。時間が惜しい』
 承知の意を伝えると、天辺は後ろずさりながら退き、そして車上の味方からの射撃支援を受けて、疾風に乗り込んだ。そして脱出――その後、元・鳥取赤十字病院に帰還してからは既に報告した通りである。殻島准尉は辛くも命を繋ぎ止めた。メフィストとフレイアの対峙がどうなったかは判っていないが、フレイアは未だ健在な事が鳥取空港跡地の監視で確認されている。

 

■選択肢
NEu−01)鳥取赤十字病院にて交流
NEu−02)病院にて対魔群戦の護衛
NEu−03)病院にてダーナ神群警戒
NEu−04)独軍駐留地跡を攻略解放
NEu−05)鳥取県八頭郡を先行偵察
NEu−06)駐日英軍の動向を怪しむ
NEu−07)隠岐島への渡航に挑戦す
NEu−08)出雲大社を潜入調査する
NEu−09)東郷湖で襲撃/敵討ちを
NEu−G1)賀島親娘を暗殺してみる
NEu−FA)山陰地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。

※註1)羽合温泉……東郷湖観光ホテル『千年亭』によれば、慶応二年(1866年)4月10日らしい。


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