第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・神人武舞』 第4回 〜 山陰:北欧羅巴


NEu4『 歓喜の産声 』

 捕らえた野兎の身から血抜きし、皮を剥ぐ。内臓を傷めぬように慎重にかつ素早く肉から取り除くと、火で炙った。肉によく火が通るまで、摘んできた菜類を軽く煮る。調理する間も、手の届く範囲にFNハースタルP90短機関銃を置き、警戒を厳にしていた。出来る限り遠目から発見されないように火を扱っているものの、灯りや臭いから妖精型超常体が興味に駆られる恐れがある。今も木陰や草叢に潜んでいるかも知れないのだ。
「……ふぅ。食事時なのにちっとも安らげませんね」
 溜め息を吐きつつ、神州結界維持部隊中部方面隊・第13旅団第13偵察隊に所属する、山瀬・静香(やませ・しずか)二等陸士は火の通った肉に噛り付いた。咀嚼し、沸かした湯とともに嚥下する。……食事を終えると、残った部位を片付けて木陰に身を沈めた。擬装を狙って、草で身を覆い隠すが、保温も望めるかは定かではない。だが満腹感による安堵から、緊張が緩む。それでなくとも、敵地に単身潜入している疲れから、静香は眠気に打ち負かされそうになっていた。
「対人用の擬装は視覚メインですが……さて、対動物用の偽装はどうしたものでしょうか……」
 隠岐島。ダーナ神群が逃れた彼方の楽園、常若の国の地、ティル・ナ・ノーグ。そして 大國主[おおくにぬし]の身が封じられている地。ダーナ神群は封印の監視とともに楽土を守る為に、隠れ蓑としているSAS(Special Air Service:英陸軍特殊空挺部隊)を駐留させていた。それでなくとも妖精型超常体に跳梁跋扈する地。大國主を解放する為の情報を収集すべく潜入した静香に気を休める場所等、無きに等しい。
「――いけない、寝入ってしまうところでしたわ」
 頭を振ると、より安全な場所を求めて島内をさ迷い歩く。愛機の偵察用オートバイ――ホンダXLR250Rカスタムに積んだ隊用携帯無線機が何かを受信している事に気が付いた。オート改と同じく、高性能にチューニングされた機器だ。救援からの通信か、それともあの機関からの連絡か……。
『 ――Hello? This is Setanta.』
 流暢な英語に、顔をしかめる。発信元はSASの セタンタ[――]曹長。大國主の力を封じた出雲大社を警備する武人からの呼び掛けに、一瞬躊躇するが、
「……妖精が教えてくれましたか」
『いいや。ダーナ――私達の母にして女王が教えてくれた。まだ女の子が島内を迷っているから、外へと脱出するよう声を掛けて上げなさいと』
「……生憎と外へと脱出しようにも、空を翔る翼も、また海渡る鰭もありませんので。そちらの地対空ミサイルを引っ込めていただければ助かるのですが」
『 ――それは悪い事をしたが、島内の……ダーナの警備はアリアンロッドが統括している。私が口を出すとややこしい事になりかねない』
 困った口調のセタンタに、静香は詰問するように、
「それで、こうして通達してもなお従わない場合は、アリアンロッドに報告を入れますか?」
『 ――私としては君が素直に投降してくれるのを望むだけだ。ダーナは争いを望まない。かといって積極的に君を逃す訳にも行かない。……アリアンロッドに相談せずに、私から君に連絡を入れるよう指示なされた陛下の心中を察してくれ』
「御配慮痛み入ります。……が、このまま、泣き寝入りを決め込む訳には行きませんので」
 静香の返事に、セタンタは苦笑したようだった。
『 ―― WHO DARES WINS』
 危険を冒す者が勝利する……創設者デービット・スターリングが掲げたというSASの信条。セタンタはその信条を呟くと、連絡を絶ってきた。対立する関係ながらも、セタンタなりの敬意と激励の現われなのだろう。静香は口元に笑みを浮かべ、そして改めて気を引き締め直した。
「さて……アリアンロッドの警備が手薄な箇所――別の寺社から接触出来ないものかしら」

*        *        *

 慌ただしく行き交う衛生科隊員に謝りながら、新井・真人、(あらい・まこと)二等陸士は警備部隊の詰め所へと飛び込んだ。勢いに顔を顰めると、伊坂・巴[いさか・ともえ]二等陸士は9mm拳銃SIG SAUER P220の分解洗浄の手を休めて、顔を上げる。
「騒々しい、何事ですか?」
「何事ってのは自分の台詞だよ。聞いたぜっ! ついに敵地に殴り込みかけるんだってな!」
 新井の言葉に、敵地――かつて駐日独軍キャンプ地であり、今やフォールクヴァングと化した鳥取空港跡の測量図を眺め直していた、第1382班甲組――通称『スコッパー』長、峰山・権蔵(みねやま・ごんぞう)陸士長が唇の端を歪めると、
「おう。バイブ・カハ三姉妹を退け、妖精型超常体の包囲網が瓦解した御蔭で、防衛戦に余裕が出来たしな。積極攻勢で攻撃側の主力ユニットを削る事にした」
 そして改めて図面を見詰めると、
「解放より打倒を優先する。――フレイアを打倒した後の独軍駐留地跡解放は脅威の減少に繋がるが、逆は強大な戦力の遊撃化を招き、対応が困難になる恐れが大きいからな」
 峰山は振り向くと、新井と視線を合わせて、
「……おまえも来るか?」
 一瞬、誘いの言葉に奮い立つものを感じた。だが新井は奥歯を噛み締めて我慢の子。親指を立てて、
「いや、自分は皆の留守を預かってみせる。何にしろ、残った相手は魔王だからな。とにもかくにもレーヴァテインは来るべき決戦において極めて重要だ! となれば病院の守りは抜かせられないって。こうなりゃ、山陰に骨埋める覚悟は完了だぜ!」
「――うむ。任せたぞ」
 刀の手入れをしながら、天辺・尚樹(あまべ・なおき)二等陸士が頷く。重ねが薄く平肉が付かない造り込みで刃の通りが良い形態に、木立が嵐に揺れる様を表現した乱れ三本杉の刃紋は、最上大業物と知られる末関が双璧の1人、孫六兼元の逸品に相違ない。だが、そんな業物といえども、超常体相手には心許なく感じたのだろう、
「天辺のじっちゃん、これ」
 佩いていたマチェットを外して、差し出した。天辺が眉間に皺を寄せて、怪訝な表情を浮かべる。
「――良いのか?」
「切れ味じゃ名品には劣るかも知れねぇけど持っていて損じゃねぇぜ! 是非にも使ってくれ。こいつで、自分の代わりにフレイアを打った切ってくれよ」
 咽喉を震わせて笑うと、天辺は唇の端を歪めて受け取った。抜くと、目を細めて刀身を吟味する。
「――アレと同じか。よく解った。使わせてもらうぞ」
 関の孫六共に、天辺は腰に佩いてみせた。
「さて。準備はいいか? フレイアに対しては強制侵蝕現象の対象とならない第二世代魔人である俺達『スコッパー』と、天辺のジイさんで当たる。『末尾』や、一般の普通科隊員はエインヘリャルにぶつける……が、ここまでで質問はないな?」
「私は如何致しましょう?」
 巴が声を上げる。気の乱れを正調したり、相手の気配を探ったり出来る能力を有する巴だが、唯一の第一世代であり、まともに強制侵蝕現象の影響を受ける。支援に徹せさせるには、清楚で穏やかな見掛けに依らず、天辺のような戦闘狂に師事する気性。当然ながら配置に気を遣う。どうしたものかと考えあぐねいていると、峰山が手を叩いた。
「――失念していた。殻島准尉から作戦の意見書を預かっていたんだ」
「ほう。あの男から?」
「正確には、殻島准尉のものではないらしいけどな」
 苦笑していた峰山だったが、記述内容に目を通して顔付きを真面目なものにした。キャンプ地跡の図面を見比べながら感嘆の息を漏らす。そして頭を掻いた。
「――3月に陥落した後からの数と種類の分析。予測される戦力や罠の配置箇所。敵超常体への対応。――しまったな、フレイアに気を取られ過ぎて、スクルドの存在を忘れていた」
 元 エレーナ・シェルニング[―・―]駐日独軍少尉こと現 スクルド[――]は強制侵蝕現象を引き起こすだけでなく、憑魔を植え付けて魔人――エインヘリャルとして取り込んでいく存在だ。スコッパーと天辺がフレイアと相対している間に、スクルド単騎で攻撃部隊を瓦解させるだけでなく、エインヘリャルを増やしかねない。
「指摘を受けて、スクルドについては渋々ながらも殻島准尉が当たるらしい。本当は俺達同様にフレイアを最優先で狩るつもりだったらしいがな」
「ふむ。……巴、あの男の事だから要らぬ心配かもしれんが、トールの戦いの件もある。また極短時間ならば憑魔に寄生され掛ける味方を引き戻す事も出来よう。お前は殻島准尉と『末尾』全体の支援に回れ」
「――かしこまりました」
 僅かながらも不本意な顔色を覗かせたが、天辺の言に従う巴。
「しっかし、あの殻島准尉に渋々ながらも言う事聞かせられたって、どこの参謀だよ。メートヒェン(das Madchen:女中。独語)か?」
 新井の質問に、峰山は驚きと共に苦笑を隠さずに、
「――久美嬢だよ。そっち方面の才能が豊からしい」

 鼻を鳴らすと、目を通していた書類から顔を上げる。第1316中隊第3小隊――通称『末尾』隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉の視線に気付かず、賀島・久美[がとう・ひさみ]は数値を上げてスケッチブックに書き込んでいた。
「――どうでしょうか?」
「……ふん。まぁ及第点って言ったところだな。敵の増援の可能性に言及したのは何故だ? 米子の第8師団2個中隊の警戒下にあって、向こうさんからは何の連絡もないが」
「……殻島さん達がヴンダァパールさんと戦ったのが4月の半ば。下旬には、無意味な損耗とエインヘリャルの増加を警戒する為に攻撃は控えたんだよね」
 旧・鳥取赤十字病院の包囲網を破り、また殻島の傷が癒えて戦力が整うまでの間、余計な攻撃を控えるよう新井達が上申したのは事実である。
「それで確かにエインヘリャルの増加は緩やかなものになったかもしれないけど、ドヴェルグやデックアールブの数は判らないから……」
 ダーナのバイブ・カハ三姉妹が集めた妖精型超常体と異なり、ドヴェルグ(※ドワーフ)とデックアールブ(※ダークエルフ)は低位上級超常体で個々体は弱くとも、人間並みの知性があり、組織立って集団行動する。スクルドが駐日独軍キャンプ地を攻略した際の主力だ。そして報告の中には、何もない空間から突然に爆発とともに超常体が出現するものもある。狙って現れる訳ではないだろうが、可能性は捨て難い。
「……まぁ、お前にしては上出来だ。せいぜい注意させてもらうぜ」
 殻島の言葉に、上気した顔で頷こうとする久美。だが持続していた集中力が緩んだのだろう。説明で使った体力の消耗から、思い出したかのように咳き込み、見る間に顔色が悪くなった。見守っていた 小島・優希(こじま・ゆうき)二等陸士等より早く、控えていたメートヒェン―― スミホ・フェルヘンゲニス[―・―]駐日独軍特務少尉が久美の肩を支えた。グラスを渡して、ゆっくりと飲み干すよう囁いている。
「……やはり体力的な問題は克服出来ねぇか」
 不治の病に冒された久美の肉体が憑魔に完全侵食されているのは、ここにいる者は皆知っている。完全侵蝕されているからこそ、今まで生き延びてこられたのだ。体力不足なのは甘やかされている点もあるとはいえ、不治の病を抱えているのも忘れてはならない。
「――ヘルの受容体になっても、いずれ死ぬ事には変わりがないってか。ましてや望みが叶っても」
 そうだ。ヘルの、そして今や久美のものである望み……愛する者と結ばれて、愛する人の子を身ごもる事。そして、その際に受胎した子を媒介にして、レーヴァテインという最強の『神殺しの武器』が顕現する。母子の命を焼き尽くしながら。
「――死が避けられないうえに、本人も納得して望んでいるのなら、何の問題がある? あとは誰を選ぶかというだけで」
 殻島は口元を歪めると、優希と同じく久美を見守る男に視線を向けた。第1383班乙組長、意多伎・黒斗(おだき・こくと)陸士長は殻島を睨み付けると、改めて久美に向き直る。呼吸も和らぎ、落ち着いた久美が意多伎の思い詰めた表情に首を傾げた。
「……どうしたの、黒斗さん?」
 無邪気な微笑みを向けられてもなお、意多伎は唇を噛み締めていたが、
「――聞いてくれ。俺はデビ・チル……生まれながらの憑魔能力者。魔人だ。そして母を手に掛けた罪人だ」
 罪の告白――生まれた時に憑魔能力の炎で母親を殺傷してしまった事。父親は母殺しの彼を殺そうとした事。そして、それらが原因となり幼年期に周囲から冷たい仕打ちを受けて、依怙地な性格になっていた事。過去を述べてから、意多伎は久美を見詰める。
「……この世界で俺だけは言えるんだ。自分の命を犠牲にして子供を生もうとしないでくれ。それは生まれる子にとって嘆きしか生まないから」
 沈痛な空気が病室を満たした。久美は衝撃を受けたまま、だが押し黙る。意多伎は続ける。
「君の望みを痛い程に判るよ。母もこんな俺を望んで産んだ。それは俺にとって救いではあるけど。けして俺の罪と嘆きを消しはしないんだ……」
 だから、
「もう少し思いとどまってくれ。君の事が好きだから。君と子供が微笑む事が出来る世界を俺が作るから」
 重い嘆願だった。だが久美は寂しそうに微笑んだ。笑顔のまま、涙が一筋零れる。震える声で、
「――今まで黒斗さんを信じていたの。あなたと出会えて、短いながらも過ごせて楽しかったよ。多分……ううん、きっとわたしは黒斗さんがパパよりも大好きだったんだと思う。でも……御免ね。さようなら。もう……来ないで」
 意多伎が声を掛けるよりも早く、スミホが肩を掴んだ。無表情のまま、有無を言わさぬ態度で病室の外へと意多伎を叩き出す。殻島は鼻で笑った。
「――馬鹿が。何が『痛い程判る』だ。……結局、何ひとつも解ってなかったじゃねぇか」
 そして何事もなかったかのような仕草で時間を確認する。そろそろ準備の時間だ。殻島は退室間際に振り返ると、
「まぁ、お前の人生だ、好きにしろ。だが恋をして、それで終わりでいいのか? 生きた証として残す物の意味を考えろよ。レーヴァテインを残すからには、お前にも『この世界を守りたい』という意思を残して欲しい……それだけだ」
 毛布に泣き崩れる久美の背に声を掛けると、殻島は扉を乱暴に蹴り開けて出て行った。廊下から殻島の怒鳴り声が聞こえたが、優希はそれどころではない。
「……黒斗さんが悪いんじゃない。でも、わたしが恐れているのは、生きるという事。このまま無為に生き続けるのは嫌だった。だから、わたしは……」
 涙で汚れた顔を上げた。
「わたしは恋をして、愛する人と結ばれて、何かを残したい……。いつ死ぬかもしれない、わたしなんかの命と引き換えに多くの人が守れるというのならば……。ねぇ、そう考える事も駄目なの!?」
 悲痛な叫び。本当のところ久美とて死が怖くないはずはない。だが死を受け入れて、納得しての覚悟。そうした意思を無下に否定する事は、ある意味その人の心を著しく傷つける行為に他ならない。……だから、優希は言葉を選んだ。
「んー。ようは久美ちゃんと、その北欧神話のヘル?だっけか? 貴女達が本当に恋をしてその証を作る事だけで満足出来るのか?って事なんじゃないかな? その先にある人生を本当に望んでいないの?って事を良く考える必要はあると思うよ」
 意多伎は言葉足らずだったのかも知れない。だが、それが致命的なまでに、久美との関係に修復不可能なほどの溝を刻んでしまった。
「……ただ」
 優希の続ける言葉に、久美の肩が震えた。スミホは黙ったままだが何か怖い。それでも優希は意を決すると、考えを口にする。
「ただ、ここ最近の久美ちゃんとヘルを見てると……私は、その先の人生をその手で掴みたいって無意識に思い始めてるんじゃないかな?と思う」
「そんな事は……」
 ない、という言葉が紡ぎ出されるのを遮って、
「北欧神話のヘルはバルドル……だっけか?――それと結ばれなかったかもしれないけど、この神州では少なくとも私は二心同体の貴女達と添い遂げたいと思っているよ。北欧神話ではロキがバルドルの意思を無視して伴侶として冥界に落したようだけど、そんなの、失敗して当然だよ」
 おどけるように、肩をすくめてみせる。そして久美の顔を覗き込んで、
「……だけど、もし、私が北欧神話の舞台にいて、貴女達を知っていたら例え冥界に落されても私は後悔しない。神々が指を加えて羨ましがる家庭を死の国で築いてみせる」
 微笑んでみせる。
「――なんなら、今からでもロキに懇願してみたら良い。『私達は好きな人と結ばれ愛する人とその子供に囲まれて生きたい。だから、契約を変える事は出来ないか?』と……もしくは『レーヴァテインを生み出しつつもその後の人生を歩む方法はないか?』と、今回の説にあるロキならば溺愛する娘の懇願を無下に断ることなぞしないよ」
 横目でスミホを見る。だが表情は変わらぬままだ。出来るのか、それともやはり出来ないのか。窺い知れなかった。それでも最後まで言い切る。
「人はほんの僅かだけど運命に抗う力がある……って何かで見聞きした気がする。上手く行くか解らないけど、足掻けるだけ足掻いてみようよ」
 泣き止んだ久美の瞳に映るのは、優希の微笑み。
「――それでもダメなら、事を成して一緒に冥界に行こう?」
 手を差し伸べると、久美はおずおずと、だが確かに握ってきた。そしてぎこちなく笑う。
「でも、おかしいですね。まるで優希さん、男の人みたい……」
「そりゃそうだよ。んーと、久美ちゃんのお父さんと同じって事かな、女であり男でもあるんだから」
 優希が放った言葉の意味を理解するのに、久美は時間にして秒針が一回りするほど要した。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!」
 慌てて顔を真っ赤にして、手を離す。
「え? ちょ? し、知らなかったの?」
「いや、だって、その……ええ?!」
 余りにも思い掛けなかったのだろう。先ほどまで以上に気が動転している久美。移ったのか、優希もどう落ち着かせようかと空回りをする。ただ、控えていたスミホだけが微かに笑みを形作っていた。

*        *        *

 廃墟となった羽合温泉街に、闇色の龍―― クロウ・クルアッハ[――]がうずくまっているのが見て取れた。ケルト神話においてフォモール族の盟主バロールによって生み出された暗黒龍。神話においてヌァザをはじめ、多くのダーナ神群を惨殺したという。
「――核、位置、判る?」
 8.60mm狙撃銃サコTRGに備え付けている照準眼鏡で窺いながら、鹿取・真希(かとり・まき)二等陸士は観測手に問い掛けてみた。
「――駄目だけん。こん距離じゃ掴めんの」
 難しい顔して気配を探っていた 鉢屋・小瑠璃(はちや・こるり)二等陸士が、一息吐いて首を横に振る。
「ただでさえ異形系の属性もあるけん、正確に撃ち抜かないといけん。……まぁ、うちが絶対に探り当てるから、その時は任せるけんの」
「――レンジャー!」
「……御二方、大尉がお呼びです」
 周辺の警戒に当たっていたSAS隊員が無線を受けて、小瑠璃達に声を掛ける。
「……エロ髭、何の用?」
「まぁ、そう言わないで。本人にとっては自慢のカイゼル髭なんだけん」
 大平山公園に張った天幕に戻ると、カイゼル髭を撫でながら ヌァザ・アガートラム[――]SAS大尉が周辺図を見ながら、考えて込んでいた。小瑠璃達が便宜的にも入って敬礼すると、顔を上げて答礼を返してくる。
「クロウ・クルアッハの動きは如何かな、レディ?」
「ゆっくり、周り、腐食。取り込んでいる」
「ふむ。異形系と呪言系の組合せは実に厄介極まるな。おまけに火炎系を有しているから、近付かなければ良いというのものでもない」
 咥内から噴出した火炎は、遠くの敵を焼き尽くす。
「それでも炎を掻い潜って、核を直接叩き潰すしかないけん。……そこで、お願いがあるんやが」
「何かな、レディ?」
「ブリューナク、貸してもらえん?」
 先日に“麗しの”ブレスから取り戻した、エリン四宝が1つ。光明神ルーグが持つ魔槍。
「レディ、あれは大変貴重な物なのだが……」
 憑魔が寄生した程度の物ではなく真の『神殺しの武器』を、ヌァザが貸し渋るのは仕方のない事かも知れない。ましてや現在はクロウ・クルアッハの存在がある為に共闘しているが、元来はいつ敵対し合ってもおかしくない間柄である。
「――エロ髭、狭量。ジェントルマン、聞いて呆れる」
 鼻で笑うような仕草で、真希は肩をすくめてみせた。さすがのヌァザも頬がひくつき、カイゼル髭が小刻みに揺れる。
「まぁまぁ。……それでも再生能力を持つクロウ・クルアッハに対しては、核を直接攻撃する事が必要となるけん」
 取り成すように小瑠璃が割って入るが、
「待ちたまえ。それならば我輩がやっても変わりなかろう。第一、レディを危険に曝す等……」
 ヌァザは難色を示したままだ。だが小瑠璃は小動物的な上目遣いで見詰めると、
「……あんたより、うちの方が小回り利くけん。そーに接近戦が得意ではねだらか?」
 より成功率が高い方に委ねるのが、戦術というものだ。ヌァザは指揮官タイプであって、小瑠璃のようなインファイターではない。クロウ・クルアッハには触れただけで腐食する。高い回避能力が物を言う。
「そーに、うちの能力なら核を探知しながらで直接攻撃を行う事が可能やけん」
 ここまで畳み込まれたら、ヌァザも折れるしかない。渋々ながらもブリューナクを手渡してくれる。
「紛い物ではない、真の『神殺しの武器』だ。扱いには細心の注意を払ってくれたまえ」
「……他、エリン四宝、この世界、ある?」
 真希の質問に、ヌァザは困ったような顔を浮かべたままだが、
「いや、この世界に現出した神器はブリューナクだけだ。我輩のクラウ・ソナスは気合いを込める掛け声のようなものであるしな」
「……ああ、必殺技、叫ぶ、みたいな」
 ケルト神話においてヌァザが持つ光の剣がエリン四宝の1つ、クラウ・ソナスだ。しかし、このヌァザが使うのは、義手に疾風の刃を纏わせたもの。本物には程遠い。冷たい視線が小瑠璃達からヌァザへと注がれる。少女達に睨まれて、額に汗を浮かべる紳士。実にシュールな光景と言えよう。
「――さておき」
 咳払いをして、誤魔化そうとするヌァザ。小瑠璃や真希も追及はせずに、先を促せる。
「……これ以上、フォモール族に携わっている場合ではない。クロウ・クルアッハで終わりにしたものだな」
「当たり前や!」
「――レンジャー!」
 小瑠璃と真希が勢いよく返事をすると、わんこ先生も同意するかのように激しく吠えるのだった。

*        *        *

 額に浮かんだ汗を袖口で拭う。車輪があるとはいえ本体重量120kg程のオートを運ぶには、骨が折れる。改良を施して燃費性を良くしたとはいえ、いざという時にガス欠になれば意味もない。静香は愛車を押して、県道485号線を北上していた。
「……この辺りは比較的に警戒が薄いようですね」
 玉若酢命神社より北北西に約10Km――隠岐の島町郡(こおり)に、静香が新たに当たりを付けた目的地がある。隠岐国一宮、水若酢神社。水若酢命を主祭神とし、中言神、鈴御前を配祀するとしているが、その出自はおろか創建の由緒でさえも火災や水害等により旧記を失なっており、不明である。それでも伝え聞くところによると仁徳天皇の時代に創建されたらしい。
「我ながら馬鹿げた考えだと思うけど……ここを通じて大國主命に接触出来れば――」
 疲れからか、我知らず呟きながら、廃屋となった社殿に歩み寄る。しかし所縁の知れぬ社だ。必ずしも接触出来るとは限らない。
「――ハズレですか」
 下唇を噛む。他に当ては無い。西ノ島には、由良比女神社という一宮がある、祭神は由良比女命。延喜式神名帳には「元名 和多須神」とあり、そこから海童神あるいは須世理比売命とも言われる。大國主の本妻、建速須佐之男命の娘。接触出来る可能性としては、こちらが高いだろうが……
「西ノ島まで海を渡る手段がありませんわ。……それに何をどうすれば解放出来るのか不明では、手の打ちようがありません」
 となれば強行突破しかないのか? ダーナ神群の女王。ティル・ナ・ノーグを治める主神にして母親。そしてダーナは何と言っていた?
「……そうでしたわ。聞き逃していたなんて。ダーナは『貴女達の英雄を封じているもの』と名乗っていました。――つまり彼女を殺めるか、何とかしなければ、大國主命は解放されない」
 奥歯を噛み締める。結局、ここまで来たものの調査は空振りに終わり、難解な答えを突き付けられただけなのだ。
「となれば、戦力が足りません。せめて、もう1人か2人、味方がいれば道は開けるかも知れませんのに」
 それとも単独で特攻するか。精強と知られるSASのチーム相手に、何の策もなく事を成し遂げられると思うほど愚かではなかった。ましてや、相手は妖精型超常体という数にも優る。しかし、だとすれば……。
 堂々巡りの思考から、静香を引き戻したのは、微かな響きだった。複数。オートを隠して、息を殺す。樹木や草の葉で擬装した身を伏せた。……道を割って現われたのはSASパトロール隊のジープ。降りた隊員達はダイアモンドの隊列となると、周辺を警戒する。身を潜めた箇所近くを通り掛かるが……
「――クリア。異常ありません、少尉」
「どうかしら。ピクシーの囁きによれば、こちらの周辺に人影があったようですけど」
 ただ1人ジープに残って無線に耳を当てていた女性将校が眉をひそめる。確か アリアンロッド[――]という名だったはず。アリアンロッドは水若酢命神社の拝殿を見上げると、
「……ここにもテンプルがあったのですか」
「小官も初めて知りました。ここも警戒区域に指定しておきましょうか?」
 部下の言葉に、アリアンロッドは暫く考え込んでいたようだったが、
「――いや、必要無いでしょう。このテンプルには最早、力は見当たりませんし。ピクシーの囁きに注意を払っておくだけでも問題ありません。どうせ島外には逃げられないのですから、これ以上捜索しても無駄かと。それよりも母上の安全を守る事が優先事項です」
「承知しました」
 ジープに乗り込むと、SASは来た道を戻っていった。静香は伏せたまま多く安堵の息をする。
「……ダーナを何とかするにしても、まず障害となるのは彼女ですね」
 アリアンロッドが指揮するSAS部隊が壁となって立ちはだかっているのだった。

*        *        *

 車体上面に身を乗り出した殻島は、威嚇射撃も気にせずに腕を組んで、ふんぞり返る。歯を剥き出しにして笑いながら、
「よう独逸人ども! 大罪者にしてお前らの死、殻島暁のお出ましだ。覚悟は済んだか? 今から本物の地獄を見せてやる!」
「――せめて独逸語で無ければ、通じないのでは」
 表情を変えずに鋭く指摘する巴だが、殻島は敵陣営に対して挑発のジェスチャーと罵声を浴びせ続ける。古今東西、悪意に対して人は敏感だ。それは超常体も同じ事。デックアールブが矢をつがえて、射撃。放物線上を描いた矢は、落下速度も相まってライフル弾に優る貫通力を発揮する。戦闘防弾チョッキをまとっていても紙のごとし。だが殻島は避けるでも、隠れるでもなく堂々と挑発し続ける。しかも不思議な事に矢の幾つかは、見えない何かに阻まれたかのように軌道を逸らしているのだ。まるで殻島の身を避けるように。プリズムを通過した光のように、有り得ない急角度で。
「――突貫!」
 瓦礫を幾重にも積んで張り巡らせた防壁に、掘り抜かれた塹壕。顔を覗かせたデックアールブが弓を、エインヘリャルがそれぞれ得意の小銃を手に弾幕を張ってくる。こちらも応戦の銃撃戦。
「――目標、現出!」
 防壁の上に姿を現したのは、美にして愛の女神―― フレイア[――]。淫蕩にして奔放。妖艶にして豊潤。駐日独軍制服ではなくイブニングドレスをまとい、言葉通りに見下している。口に手を当てて笑い、そして光が放たれ――
「させるか!」
 天辺が大きく振り被っての投擲。老体とは思えぬほどの膂力で投げられた手榴弾は、中空でエインヘリャルの弾幕で阻まれた――と思いきや、被弾と同時にガスを撒き散らした。場所は屋外だ。すぐに煙は晴れるが、フレイアの光を遮断するには充分。更にMk2破片手榴弾を投擲し、塹壕に隠れ潜むドヴェルグ共を炙り出す。また煙幕が晴れる前に、防護マスク4型を着用した峰山達『スコッパー』が大円ぴを構えて突撃。89式5.56mm小銃BUDDYに着剣した『末尾』隊員達が続いて、混乱する敵陣に肉薄して、近接戦闘を開始した。抗うドヴェルグに、銃剣で刺突を繰り返す。組み伏して、ナイフで急所を掻っ切る。無論、こちらの一方的で終われる訳もなく、個々で立ち直ったドヴェルグから戦槌で胴を抉られ、闘斧で頭を割られ、鉄棒で潰される。泥沼の地獄絵図が展開される上を、銃弾は飛び交い続ける。別部隊が援護射撃を繰り返し、氣の防護壁を張らせてエインヘリャルを足止めしていた。
「――来ます! ……くっ!」
 氣を探っていた巴が警告を発するまでもなく、突如として体を蝕む激痛に魔人達が膝を屈した。スクルドの強制侵蝕現象。殻島は舌打ちをすると、84mm無反動砲カール・グスタフを担ぎ、
「――調子に乗んな!」
 逆に活気付いて押し寄せてくる超常体に向けると、対戦車榴弾を打っ放した。飛び散る肉片に、鼻で笑う。荒い息を吐きながら立ち直る巴に、
「波動の感じは覚えたな? じゃあ、スクルドがふざけた真似をしてくる前に、とっと他の連中の調子を戻しに行け。ぶっちゃけ戦力外だ」
「……私もこのまま行けます」
「うるせぇ、身内から敵をこれ以上出したくねぇだ。さっさとしろ!」
 怒鳴ると、適当に隊員を捉まえて“跳んだ”。目的地は空港施設の管制塔。空間を“跳躍”して現われた殻島に、潜んでいたエインヘリャルが仰天する。向き直る前に9mm機関拳銃エムナインで掃射。
「……ちっ! お嬢ちゃんの読み通りだ。狙撃手を配置してやがった」
 出だしから泥沼と化した戦場も、次第に落ち着きの様子を見せ始め、膠着状況となりつつある。そうなれば狙撃手の出番だ。本来ならば指揮官を狙撃し、敵を混乱に陥らせてから戦端が開かれるのだったのだろうが、殻島が目立ったのが奴らにとって運の尽き。対戦車狙撃銃ならばともかく7.62mmNATO程度ならば空間歪曲を貫き通せはしない。
「――ほら、早く狙撃準備に移れ。特等席だ。七面鳥射ちだぜ?」
「……隊長と違って、慣れてないんですから、無茶言わんで下さい。ちょっと時間を……」
 共に“跳躍”させられた末尾隊員達が口元を押さえて呻く。だらしがねぇと舌打ちする。やっぱり巴も捉まえてくりゃ良かったかな、と頭をよぎったが、
「――狙撃ポイントは最低でも2つ。おっ、いいのがあるじゃねぇか。最初にこれを叩き込まれていたら危なかったな」
 敵の110mm個人携帯対戦車榴弾パンツァー・ファウストIIIを拾い上げると、久美が指摘していた場所へとロケット弾を叩き込む。そのうちに復活した部下達が眼下の敵へと弾雨を降り注ぎ始めた。
「――来たか。相手になんぜ、ガキジャリ!」
 念動で自らを浮かせたスクルドが飛び込んできた。手に構えたH&K G36で乱射してくる。殻島は歪曲した空間で弾雨を逸らしたものの、白兵戦距離に肉薄してきたスクルドはG36を捨てると、素早く左手にMP5K短機関銃を、右手にUSP自動拳銃を手にしていた。狙い定める事無く乱射されるMP5Kで殻島の動きを封じ、USPで正確無比に銃弾を叩き込んでくる。殻島もまた並外れた身体能力で回避に努めるが、流石に全ての弾道から逃れる事は難しい。急所は外したが、右肩を、左腿を撃ち抜かれる。が、
「――舐めるな、ガキジャリ!」
 エムナインを捨てて、抜き様に愛用のナイフで切り払う。首を庇ったスクルドの左腕が鮮血に染まり、手からMP5Kが零れ落ちた。互いが与えた痛みが両者を襲うが、共に堪えて必殺の一撃を放とうとした。USPを手にしたスクルドの右腕が跳ね上がり、殻島の王蛇が牙を剥く。が、殻島の左足が崩れた。
「――!!」
 独逸語で歓喜の叫びを上げるスクルド。だが殻島は犬歯を剥き出して笑うと、生じた隙を逃さない。崩れたように見せ掛けたのはフェイント。そのままスクルドの足を刈り取るように突進。銃声と共に背中を灼熱が走ったが、そのまま押し倒して馬乗り。自らの両足でスクルドの腕を封じ、刃を咽喉へと突き立てる。捻り込んで抜き去ると、噴血が殻島を紅く染め上げた。
「……手こずらせやがって。ヘトヘトだ。あっちはジイさんやスコップ野郎達に任せるか」
 緊張が緩み、痛みが押し寄せてくる。顔をしかめながら荒い息を吐くと、戦闘救急品から包帯を取り出して止血するのだった。

 ドヴェルグが振り上げる戦鎚の柄を、峰山が大円ぴの穂先で分断する。支えを失った鉄片が放物線を描いて仲間達に襲い掛かっていった。慌てふためくドヴェルグを、続く天辺が関の孫六で切り払う。音を立てて大地に沈むドヴェルグを踏み越えて、ただ前へ――フレイアへと特攻する。
「――邪魔じゃッ!」
 七人の小人よろしく立ちはだかるドヴェルグを突き倒し、斬り払っていく、スコッパーと天辺。ただし相手は白雪姫ではなく、魔女だが。犬歯を剥き出して一喝すると、天辺は腰に提げた破片手榴弾を抜く。ピンが抜かれ、そのまま投擲……放物線上でレバーが外れて、弾体が衝撃と共に取り巻きに降り注ぐ。フレイアは金切り声を上げると、自らを中心にして氣を無差別に放出した。氣の衝撃が波紋となって、全周囲を押し返す。破片手榴弾や銃弾が降り注ぐ中でも無傷。
「――じゃが」
「ああ、殻島准尉の隠し芸とは、ちょっと違うな」
 歯を食い縛って氣当たりに耐え抜くと、こちらも心ばかりの気合いを乗せて突撃する。眉根を歪ませて、嫌悪の表情を浮かべたフレイアが独逸語で喚き散らしながら、手を広げる。光が漏れ――
「醜い性根を顕わにしおったお前に、誰がたぶらかされるものか!」
 峰山から受け取ったM7A2ライアット手榴弾を流れるように、天辺は放り投げる。催涙ガスは光を包み込み、諸に吸い込んだのだろうフレイアの悲鳴。当たり散らかすように放出された氣が、煙を吹き飛ばそうとするが、
「――力を狩りるぞ、新井っ!」
 振るったマチェットが風を巻いて、煙を閉じ込めようとする。咳き込み、泣き叫びながらフレイアが氣で吹き飛ばそうとするが、なかなか叶わない。視界を奪われ、氣も乱されたフレイアは、迫り来る4人の殺気を感じるのが遅れた。次々と振り払われる大円ぴが、フレイアの膝を砕き、胴を抉り、腕を折り……最後に頭蓋を砕いた。煙が晴れた時、そこに立っていたのは魅惑的な美女ではなく、醜く潰れた肉塊。崩れ落ちた瞬間――駐日独軍キャンプ跡地の攻略は目的を果たしたのだった。
「終わった……のか?」
「――そうだと思いたい。まさか異形系ではあるまいが、念の為に憑魔核を探して抉るか」
 首実検宜しくフレイアの遺骸を掴まんと近付く天辺だが、目を細めて振り返った。味方達の歓声に紛れているものの、聞き覚えのある声と拍手に、孫六を構え直す。天辺の雰囲気に峰山も油断なく見張った。
「――メフィストフェレスか。そうか、お前が残っておったな」
「…………」
 シルクハットを被り、燕尾服をまとった紳士が、優雅に挨拶。峰山達をなだめるように両手を上げると、メフィストフェレス[――]は戦場の惨状を面白そうに見渡す。そして破顔一笑。
「――大変、楽しませていただきました。それでは、皆様、御機嫌よう」
 瞬時に消え失せた。
「……“跳んだ”?」
「――いや、姿を隠しただけだぜ。祝祷系の使い手だな。巴に探してもらえば、すぐ近くで捕まえられるんじゃねぇか?」
 びっこを引きながら殻島が顔を出す。言葉を受けて巴が力を行使しようとするが、峰山が止めた。
「深追いはよそう。力が未知数過ぎる」
「思わせ振りな様子だが、実はただの諜報工作員かもしれんな。戦闘能力はそれ程無いのかも知れん」
 とはいえ得体が知れないのは変わりなく。油断は禁物だ。そして……
「少なくとも病院の防衛戦力の半分以上が、こちらに回っている事がベリアルにはバレちまったな」
「――動ける者の半数は、疾風に搭乗! 病院が危ないっ! 戻るぞ。……部隊長に報告を入れよ!」
 峰山が号令を掛けるが、殻島は肩をすくめて、
「……果たして間に合うかどうか。間に合っても、今の俺達で力になれるかどうか、判んねぇがな」
 偉大公 ベリアル[――]の脅威を思い出してか、珍しく弱音らしきものを吐く。悔しいが、天辺も同意するしかなかった。

*        *        *

 クロウ・クルアッハが眠りから目覚め、咆哮を上げる。身をよじると、周辺の廃屋を腐食、風化させながら前進を開始した。
『 ――作戦5分前。用意はいいんやの?』
「レンジャー!」
 アルティマ・レシオ・ヘカテIIを傍らに置き、H&K AG36アッド・オン・グレネードランチャーシステムを構える真希。銃身下部にはアダプターでH&K AG36が備え付けられている。照準眼鏡で捉えている中、目標の呪言系の歩みは鈍重ながらも止まる事はない。カウントがされる中、冷静な面持ちで引き鉄に指を掛ける。
『 ――ゼロ!』
 引き金が絞られ、真希を含む四方からグレネードが放たれた。着弾とともに煙幕を張る。同時に氣を放ってクロウ・クルアッハの注意を撹乱させるSASの操氣魔人達。歩みを止めて、苛立たしげに唸り声を上げるクロウ・クルアッハに肉薄しようとするのは――
( ……もう少しだけん。もう少しで、こいつの氣脈が掴める! )
 ブリューナクを片手に駆け寄る、小瑠璃。視界の悪い煙幕の中でも氣配を探知する小瑠璃にとって接近等、苦は無い。だが視界を塞がれ、四方から殺気をぶつけられたクロウ・クルアッハは怒りを露わにして、身を震わせた。振り回される脚を小瑠璃は慌てて回避する。重量もさる事ながら、触れただけでもアウト。それほどまでに周辺の腐食化が激しい。そしてクロウ・クルアッハは咽喉を鳴らした。
「――しまった!」
 中り構わずに咥内から業火を噴出す。前方だけでなく、首を巡らして全周囲へと薙ぎ払った。瓦礫を遮蔽物にするには、間に合わない。ましてや煙で視界が悪く、無機物のそれは感知し難い。――焼け死ぬ!
「――クラウ・ソナス!」
 怒号と共に発せられた風の刃が、降りかかろうとしていた炎の息を切り裂いた。相生相剋関係では、炎に弱い風だが、これぐらいならば出来る。生憎と煙幕も晴れてしまったが、ここまで接近したら、何とかなる。してみせるっ!
「――ここや! 首の付け根!」
 個人携帯短距離無線機を通した小瑠璃の叫びに、だが真希は眉一つ動かさず、ヘカテIIに取り付いた。冷静かつ慎重に、そして素早く狙いを付ける。12.7mm弾が放たれ、爆発力を伴った大質量がクロウ・クルアッハの首の肉を抉る。遅れて、SAS魔人からも氣弾が打ち込まれた。着弾の確認をするまでもなく、排莢して次を装填。回復する間も与えずに、肉をこそぎ落としていく。砲身が灼熱と化して、狙いが大きくぶれ始めた時、わんこ先生が高く吠えた。
「――ありがと。もう充分だけん!」
 剥き出しになった核を直視して、小瑠璃が手にしたブリューナクに氣を乗せる。伝説に謳われる通りに灼熱の槍と化すと、ブリューナクは稲妻のような轟音と爆発力をもって小瑠璃の手から放たれた。
「この、くろへびっ! 元の世界へ、いね!」
 神殺しの武器が、クロウ・クルアッハの核へと突き立つ――だけでなく、周辺の肉ごと爆発四散せしめた。クロウ・クルアッハは途切れ途切れに炎の息を吐き散らしながら、音を立てて大地に沈む。地響きに、周囲一帯が揺れた。そして静寂――打って変わって、SAS隊員達から歓声が湧き上がった。わんこ先生が激しく尻尾を振り、真希の頬を舐めまくる。
「――良い仕事だった。レディ」
 力を振り絞った反動で、尻餅を付いて呆然としていた小瑠璃に、微笑みながらヌァザが手を差し伸べてきたのだった……。

 クロウ・クルアッハやフォモールが汚染した地域を調査し、場合によっては洗浄をするSAS部隊。逃げ延びたかもしれないフォモールの掃討も考慮しなければならないとなると頭が痛いとヌァザは苦笑した。
「――とはいえ、ブリューナクを我輩等の女王陛下の元へ手ずから届けるのが先であるが」
「……女王、ダーナ、どこ?」
 真希の呟きに、ヌァザはカイゼル髭を撫でながら、
「残念ではあるが、それは苦楽を共にした戦友といえども教えられない」
「――エロ髭、ケチ」
 頬を膨らませて抗議する真希に、ヌァザは頬を引きつかせる。小瑠璃が感じ取ったところ、心なしか気落ちしているようだ。と、それはどうでも良くて、
「……バロールの顕現は無いと思っていいんやの?」
「それは無いと断言出来る。安心したまえ。――我輩等の敵は、魔群とアース神群とだけとなった」
 小瑠璃は微かに動じたが、ヌァザに気付いた様子はなかった。真希が小首を傾げる。
「――天使、神州全土、出現。敵、違う?」
「アーサーの時代に、メタトロンと女王陛下との間で不戦協定が結ばれているのでな……口惜しいが」
 どうもダーナ神群にとって優位もしくは対等な関係にある協定ではなかったようだ。ヌァザの言葉から匂わされていた。とはいえ、いつまでも続く協定では無いだろうと付け加えてくる。
「……『黙示録の戦い』がもうすぐ始まるからな」
「――黙示録?」
「そーはラグナロクやの?」
「そうとも呼ばれているな。神群によって呼ばれ方は様々だ。……とはいえ、レディ達と会う事は最早あるまい。願わくは『黙示録の戦い』の後でも無事に生き残っている事を祈らせて貰うよ」

*        *        *

 駐日独軍キャンプ地跡に攻略部隊として向かって手薄になった分、残った者達の緊張は高まった。ピンからキリまであるとはいえ、強力なモノは1個体でも1個大隊に匹敵するというのが高位上級の超常体だ。主戦力の半分近くを欠いた防衛陣に、ベリアルを押し止める自信は無い。それでも新井が陣頭に立って、不安にさいなまれそうになる同僚達に発破を掛けていく勇壮は頼もしい。――本音を言うならば今来るな。だが、いつでも掛かって来い。そういう気概で目を光らせる。
( ……来ないな )
 焦りに似た面持ちで意多伎は宙を睨み付けていたが、微かな風の動きを感じ取って振り返る。2本の三つ編みお下げを揺らしながら、メートヒェンがいつの間にか立っていた。
「――魔群の襲撃が終わってから、わたくしと戦おうというおつもりですか? 御都合が宜しい考えでございますね」
 目深にまで垂れ下がった前髪が、スミホの表情を隠す。何故か、周囲から人の気配が絶えたのを感じながら、意多伎はセラミクス製の長剣を抜いた。
「――ああ、そのつもりだった。出来るだけ味方の部隊に迷惑を掛けたくなかったからな」
「……随分と舐められたものです。偉大公も――」
 頭を振ったスミホの前髪が左右に掻き分けられ、鋭い眼光が露わになる。そして吐き捨てた。
「――わたくしも! 連戦が適う実力があるのだと自惚れる程に、目が曇りましたか!?」
「ほざけ、シンモラ! ……喩え、自惚れと言われようとも、人の生命と心を弄ぶ神々に憤怒と義憤を燃やしているのは偽り無い! 母を殺めて生まれてきた者として、その悲しみを繰り返そうとする存在を許せないのだ! ――俺が北欧神話のヘタレな英雄のようなら、泣く泣く久美ちゃんと契って子供を生んでいたかもしれない。だが俺は俺の道を進ましてもらう!!」
 セラミクス製剣を構えると、意多伎は睨み付ける。だがスミホは一瞬不思議そうな顔をした後、続いて笑い出した。爆音のような哄笑は、空間が震える程。
「なっ、何が可笑しい! ……久美ちゃんがレーヴァテインを内包する『レーギャルン』ならば、それを守り、鍵を持つ貴方はスルトの妻であるシンモラではないか。貴方がレーヴァテインを生み出す事に拘るのは、夫のスルトの為なのだろう。生まれてくる子供がレーヴァテインではなく、スルトなのかもしれないしな」
 だが笑いを抑えたスミホは嘲りを通り越して、哀れみの視線を送ってくる。
「――シンモラ。わたくしが、シンモラ。なるほど勘違いしている時点で早急に正しておかなければ、ここまで歪んでしまうものですか」
 腰に提げた輪に束ねられた無数の鍵を指す。
「これは異界に繋がる時空の扉を開き、また閉める、銀の鍵。……ランドルフ・カーターの名は御存知で? シンモラが有するレーギャルンを掛けられた九つの鍵には数が多過ぎますが」
 間違えられた事に抗議するかのように、無数の鍵は互いを打ち鳴らし合って、耳障りな音を出した。
「……そしてレーヴァテインはあくまで手段であり、経過の一つに過ぎないと申し上げたはず。欺瞞してどうなりますか。スルトを呼び出したところで、人間側の脅威が増えるだけですのに。――再び申し上げますが、わたくしの目的は“這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”を神州から追い払う事。分身ならばともかく、彼奴の本体を倒すにはレーヴァテイン級の『神殺しの武器』がなければ困難を極めるのですよ」
 先日の話で何を聞いていた?とばかりに、意多伎より身長が低いはずのスミホから、見下すような視線を投げ掛けられる。
「……そして、貴男様の憤怒も悲哀も、児童の感傷に過ぎません。――取るに足らない、偽善です」
 ――スミホの言葉に、キレた。周囲に巡らした火種が機雷となって爆発する。仕掛けていたプラスチック爆弾が炸裂し、衝撃を放つ。声にならぬ叫び声を上げると、意多伎は生じた爆炎を操ってみせた。爆炎は周囲を舐め尽くした上に、さらに巨大な龍を形作って荒れ狂う。スミホが居た場所は一瞬にして灼熱の獄土と化したはずだった。しかし、それもまた目晦ましに過ぎず、炎を纏わせたセラミック製剣で、意多伎は乾坤一擲の捨て身の攻撃を掛ける。だが……
「――die Barriere」
 炎を割って跳び込んだ意多伎が見たのは、風ひとつも吹かず静寂そのもののスミホの周辺。どこからか取り出してきた長柄の大鎌を構えると、炎に照らされた刃が軽妙かつ脱力的な音を奏でた。薙ぎ、切り、刈り、そして払う。瞬く間に繰り出された数合の攻撃は、意多伎の右腕を細切れの肉片と変えた。
「――わたくしの正体を知りたいですか? ……この神州とは異なる時空。異なる歴史を歩んだ世界。霧に隠れ、閉ざされた天空の城。永遠に時が止まった玩具箱。大法螺吹きの主を帰り待つ城代――それがわたくしです。何しろ時間は無限にございますので、人並み程度には知識や技術を心身に刻むには充分でして」
 今の、火炎を塞ぎ止めきったのも、憑魔能力ではないらしい。スミホの言によると、魔術。自然に隠れ潜む要素と法則性を見出して、利用する、科学の一種。
「さて、無駄口が過ぎました。――自らの命を狙ってきたモノを生かして帰す程、甘くはございませんよ。ましてや意多伎黒斗――貴方は、お嬢様の花婿候補から外れてしまったのですからね。死になさい」
 大鎌を仕舞い、代わって旧式の9mm自動拳銃を構える。無様に転がる意多伎に、銃口を向けると、
「……放っておいても野垂れ死ぬでしょうが、せめてもの情けです。――Gute Nacht!」
 引き鉄が絞られる、その刹那に、意多伎が吼えた。身に着けていた焼夷手榴弾が爆発し、炎上。炎の口は術を唱える一瞬も与えずにスミホの身を呑み込んだ。永劫とも思える、数秒後。鎮火した跡には、全身に火傷を負った意多伎のみ。服も武器も炭化してしまい、跡形も無い。そしてスミホが居たはずの場所には――塵1つも残っていなかった。
「……こ、これで、『契約』に関わった存在の1つであるメートヒェンを抹殺出来た……契約は解除されたのか……?」
 呻きながら意多伎は呟く。耳元に風が囁いた。
『 ――さあ、どうでしょうね?』
 笑みを含んだ声に周囲を見渡すが、誰も居ない。幻聴か? 身体は満足に動かない。助けを呼ぼうと声を張り上げようとした時――
「……何で、今頃になって!」
 魔群襲来の警報が鳴り響く。這ってでも、久美の病室に向かわなければ――だが思いは叶わず、力尽きて意識を失ったのだった……。

 警報が鳴り響く中、優希はメイスを握った。心配する久美に微笑んで返す。襲撃の時間まで久美が起床しているのも珍しいなと思いつつも、ならばいっそうの事、守り抜いて見せなければならないと決意を新たにした。久美とヘル――二心同体の彼女達と添い遂げる為にも……。どうにかして子供と共に生きられる抜け道は無いものかと考えてはいるのだが。
「――って、今更になって閃いた!」
「……えっ。えーと、何が?」
「あのね、子供の事。スミホさんや他の人がどうしてもレーヴァテインが欲しいと言うのなら、んーとあれ、そうだ!! 人工受精でそれは可能なのか?とか、そこら辺も良く調べる必要はあるんじゃないの?」
 優希が思いついたのは、こうだ。人工授精用の試験管に久美=ヘルの卵子と相手の精子を掛け合わせて生み出されたレーヴァテインの力をスミホの結界で安定するまで抑える。レーヴァテインが生み出される条件と黙示録の勃発までの時間を考えると、受精した瞬間に母体を突き破ってレーヴァテインが生み出されるようなので、久美(ヘル)が認めた相手なら、子宮外で受精しても良いんじゃないのか? そういう疑問と閃きだった。
「……まさか10ヶ月も育ててから出産って感じではないと思うし、契約の中に『ヘルの母体で育てなければ生み出せない』とか言うのは無いと思うんだけど」
「――なるほど。それは妙案でございますね。単に契りを逃げるよりは、よほど未来が伺えられる。実に前向きで、好ましいと言えましょう。わたくしには考えもつきませんでした」
 いつの間に姿を現したのだろう。スミホが部屋の隅にたたずんでいた。照明が暗いせいなのか、姿形が曖昧な感じを受け、また存在が希薄に思える。神州の世界に霊魂の存在は証明されていない。だが、もしも幽霊という存在が居たのならば、こういうモノかもしれない。心なしか、向こうの壁が透けて見えるのは気の所為か。
「しかし――確かに『契約』にはございませんが、やはりレーヴァテインの出現には、お嬢様と御子の代償が不可欠です。レーヴァテインを放棄なされるおつもりで? “這い寄る混沌”に勝つ見込みは限りなくゼロに近くなりますが、宜しいので?」
「――それでもゼロじゃないんだろ?」
 優希の反論に、スミホは沈黙。
「んー。私自身は身に過ぎたる武器を持ちたいって言う欲望は無いんだよねぇ。小島家の家訓なんだがー」
 そして優希は深呼吸してから歌う様に宣言する。
「――我は、1つの体に2つの心を宿している。私ともう一人の私は、共に戦士なり。血も肉も骨すらも全て残らず戦う事に捧げ、神に遭うては神を叩き、魔に遭うては魔を打ち砕く。超常、不可思議この世に溢れる中で血肉を持って戦う私ともう一人の私、そしてその同胞達、偉大なる戦士の魂宿す我らこそ、真の神殺しなり。その手に持つ武器こそが神殺しの武具なり」
 視線を構えて、朗々と紡ぎ続ける。
「……ならば、我らに恐れるものなし。我、事ならずとも我の後に続く、幾百、幾千、幾万の同胞が事をなそう。無力なる我らの微々たる思い、それが束ねられた時こそ、神すらも殺す力とならん。故に――人こそ最凶の神殺しなり」
 ゆっくりと息を吐いてから、
「……だから、私はレーヴァテインなぞ、あっても無くても構わない。欲しいのは命燃え尽きるまで、生きる為に戦う事――」
 優希は、久美を見て微笑むと、
「――生きた証をこの世に残す事!」
 どこからか拍手喝采が聞こえた気がした。スミホでは無い。久美でも無い。だが自分達を見詰めている存在を感じ取る。――誰だ? そんな優希の思案を断ち切るように、
「――体外受精と一口に申しますが、受精した卵子をお嬢様の胎内に戻すとなれば危険が生じるでしょう。レーヴァテインの出現の有無ではなく、単純にお嬢様の体力では出産に堪えられません。また代理母出産となれば『分娩の事実により母子関係が成立する。※註1』とあります。遺伝子上はともかく、法制上は他人の子とされるのです。……お嬢様が望まれますか?」
 ましてやレーヴァテインを出現させる為のトリガーとなる受精卵だ。募ったところで代理母に名乗り出る者は居ないだろう。スミホが説明したところで、優希は唇を噛んだ。諦めた久美の表情が、視界に映る。
「――あ」
「……何か?」
「――遺伝子上も、法制上も、親子関係を成立させる解答があった。ははは、運命にしては出来過ぎだ!」
 笑い声を上げた。そして自らの下腹部をさする。
「……その子の母親には私がなる。出来れば、その、久美ちゃんが望んでくれるならば、父親にも」
 優希は顔を真っ赤にしながらも、微笑みを向ける。
「――両性具有の身体を、今日ほど誇らしく思ったのは初めてだ!」
 呆気にとられていたスミホと久美が、思い思いの表情を浮かべた。スミホは優しく慈しむように微笑み、久美は嬉し泣き。
「――おめでとうございます。優希様は新たな選択を見出されました。もはや、わたくしから申し上げます事はございません」
 姿が段々と薄くなり、消えていく。驚く優希達に心配無用と笑うと、スミホは深々とお辞儀。
「わたくしが贈る最期の祝福をお受け取り下さい――久美様と優希様に、幾万の幸せと、幾億の慈愛があります事を……」
 そして力が室内を満たしていった……。

 ――魔王は正面から蹂躙をしてきた。ベリアルの指先に灯った小さな炎が、瞬時にして十数人の命を焼き尽くしていく。爆発で生じた炎と風、そして煙が旧・鳥取赤十字病院を阿鼻叫喚の地獄と変えていった。
「――救護員、走れ! 援護射撃、用意!」
 怒号と悲鳴が行き交う。火炎系魔人の対抗策としてある、倉御・美加[くらお・みか]一等陸士の氷水系と、山倉・美津[やまくら・みつ]二等陸士の地脈系の支援活動がなければ、一瞬にして焦土と化していただろう。だが彼女達2人も限界に近い。
「……意多伎士長も小島二士も連絡に応答が無い。おまけにメートヒェンは言うに及ばす。――へへっ! 俺1人が頑張るしかないって訳か!」
 震える膝を叩いて黙らせると、新井はBUDDYから取り外した銃剣を構えた。ベリアルも、そして付き従う豹公 フラウロス[――]も火炎系の耐性を有する。新井の憑魔能力は決定打になり得ない為、素早さを活かした格闘戦を主にする他ない。
「――ええい、ままよ!」
 フラウロスの視線がこちらを向いた。慌てて身体を振るう。フラウロスの直視は免れたが、凝視された場所で業火が沸き上がった。発火能力者(パイロキネシスト)――火炎系に相違無い。火炎に耐性があるのは新井もだが、衝撃で体勢が崩れるのは避けたかった。また視線を合わせなければ良いというものでなく、おそらくは侵蝕して奪い取った素体――少女の腕だろう。杖術の技量も高い。一瞬の油断が、即死に繋がる。
「――この少年、意外にやる。ベリアル、先に行け。但し、遊びは程々にしろ」
「……遊ぶなとは、私に酷な事を仰る」
 笑うベリアルを先に促して、フラウロスは新井を齢や外見に違って実力者と判断したようだ。杖を構えて立ち塞がる。ベリアルが久美の病室に辿り着くまでの時間稼ぎのつもりではない。本気で自分を殺りに来る気だ!
「――へっ。自分も随分と高く買い被られたもんだ!」
 破片手榴弾を握ると、流れるように投擲。火炎に耐性があるとはいえ、手榴弾の衝撃と、散らばる破片は魔人にとっても危険極まりない。異形系で無ければ尚更だ。瞬時に身構えて、維持部隊員の遺体を遮蔽物にするフラウロスだったが……
「――不発?」
 ピンが抜かれておらず、レバーが外れていない。憤りと照れ隠しをない交ぜにした表情を一瞬だけ浮かべて、フラウロスは新井に襲い掛かってきた。が、
「――これが決め技の1つ、デビチル・トラップ!」
 転がったままの手榴弾に、直接、憑魔能力で点火! 炸薬が爆発して、弾体と衝撃がフラウロスの背に降りかかった。駄目押しとばかりに、怒りと苦痛に歪むフラウロスへと手榴弾を投げ付けた、凝視された手榴弾が空中爆発――するはずだった。しかし爆発の代わりに閃光! フラウロスの眼を灼き尽くす。背中の傷と、視界を奪われた痛みでのた打ち回るフラウロスへと組打ち。関節を極めるだけでなく、首を銃剣で掻っ切った。視力を失ったフラウロスだったが、新井の方向へと振り向いて信じられないような表情を浮かべ、事切れた。湧き上がってくる感慨は捨て置いて、新井はベリアルを追う。――ベリアルはついに久美の病室の扉に手を掛けようとしていた。
「……おや。フラウロスを倒されたのですか。しかし、今一歩でございましたね。私の方が先に詰みです」
 おどけた口調でノブを回そうとするベリアル。その瞬間、銃声が轟いた。9mmパラペラムを受けてもなお平然とするベリアルだったが、苦笑しながら撃った当人を見詰める。賀島・亜貴[かどう・あき]三等陸尉がP220を両手に構えると、弾尽きるまでベリアルを撃つ。空になったところで、ベリアルの反撃が来た。新井は足下を爆発させると、その勢いを利用して猛ダッシュ! ベリアルの反撃が届くより早く亜貴を抱えると、大きく遠ざかった。 超人
「無茶すんなよ、三尉は非戦闘員なんだから!」
「子を思う親の気持ちに、非戦闘員かどうかは関係ない!」
「――ああ、麗しきは、親子愛でございますね。しかし無駄な足掻き。久美嬢は、私の手で……」
 と、ここで初めて慄然とした表情を浮かべるベリアル。後ろずさる。
「……病室の時空間が隔絶されていらっしゃる? まさか契りが交わされ、レーヴァテインが生み出されようとしているのですか!?」
 焦りの色を露わにしたベリアルは掌、いや両手で抱える程の炎球を作り出そうとした。その威力は病室はおろか、病棟――否、この周辺全域を焦土と化すだろう。新井や亜貴が止める間も与えずに、放とうとするベリアルだったが――次の瞬間、身体をくの字に曲げて吹き飛んでいた。
 いつの間にか扉から出てきた、優希のワンパンチ。上下共に肌着一枚の姿は、契りを交わした証左か? だが、その手にはレーヴァテインらしき剣は握られていない。また新井は、優希の雰囲気が、どことなく変っている事に気付いた。人の姿をしているが、人ではない存在――すなわち異生(ばけもの)と。
「……まさか“認められた”というのですか? しかしレーヴァテインは……?」
 血を吐きながらも、身を起こすベリアル。亜貴が慌てて病室に跳び込むが、久美は静かな吐息で眠っているようだった。
「……『契約』は果たされて、久美ちゃんは解放された。でもレーヴァテインは願い下げさせてもらった」
「……なるほど、そうでしたか」
 ベリアルは立ち上がると、道化服についた汚れを叩き落とす。そして帽子を脱いで一礼をした。
「――ならば、もはや、この地に用はございません。私は撤退し、二度と足を踏み入れる事はないでしょう。レーヴァテインという脅威が無くなり、解放されて、ただの娘となりました御令嬢には、何の戦略的価値もございませんから。……それでは『黙示録の戦い』まで、御機嫌よう」
 光を放ち、瞬時に消え去った。
「えーと。勝ったんだよな?」
「……ああ。新井二士が頑張ってくれたお陰でね」
「いや、その、実感が沸かないんだが……つまりは」
 新井は一気に脱力。腰を落として尻餅を付いた。
「――もう、病院に迫る脅威は無いって事だな!」
 頷く優希。外では、キャンプ跡地から慌てて戻ってきた攻略部隊が状況を確認すべく走り回っている。息せき切って走り込んできた峰山達が状況を把握して、新井を祝福代わりに小突き始めた。殻島が苦笑しながら優希の肩を叩く。
「――終わったか。ま、大切にしてやんな。だがこれから続く戦いの中で、生き残ってやるのが先だがな」
 大きく頷くと、病室の寝台で今なお眠り続けている最愛の少女へと微笑みを向けるのだった。

 

■選択肢
NEu−01)鳥取県八頭郡を攻略開始
NEu−02)隠岐島で大國主解放計画
NEu−03)出雲大社へ侵入して戦闘
NEu−FA)山陰地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。

※註1)分娩の事実により……最高裁判所第二小法廷昭和37年4月27日判決、昭和35年(オ)第1189号 親子関係存在確認請求事件、民集16巻7号1247頁。


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