第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・神人武舞』 最終回 〜 山陰:北欧羅巴


NEu6『 誓いを大樹に刻んで 』

 荒れ果てていた境内は、部下を総出しての清掃により、かつての様相を取り戻しつつあった。なお繁茂する植物に覆われているが、それでも人の手が加わった事で、渾沌とした面影は最早無い。戦争が終わり、平穏が訪れ、多くの人が詣でるようになれば、かつての隆盛もまた戻るだろう。
 ――愛媛の西条にある石槌神社本社・口之宮で、スカーフを首に巻いた伊達男が、神社参拝作法に則りたどたどしくも二礼二拍手一礼をする。石鎚神社の祭神は、石土毘古[いわつちびこ]――伊邪那岐・伊邪那美より産まれ出た、由緒正しき、土石を司る神である。
「石土毘古様をお祀りする前に、やるべき事が出来てしまいました。……借りがあった男が、山陰で命を落とした様です」
 顔を覆い隠すように、右手で黄色い縁の眼鏡の弦を補正する。空いた左を手櫛にして髪を後ろへと撫で付けた。……そのような気取った仕草の中に、神州結界維持部隊中部方面隊・第2混成団第50普通科連隊・第15063班長の 護堂・銃司(ごどう・じゅうじ)三等陸曹が寂寥感を隠し通そうとするように思えたのは気の所為だろうか。
 後ろに控えていた 開座・忍[あかざ・しのぶ]一等陸士は目を細めていぶかしむように、上官を見詰めていた。
「……生きて帰る事が出来れば、宮司なり禰宜として仕える勉強をするつもりではあります。……しかし」
 言いよどみ、しばし逡巡。唇を噛み締めての沈黙の後、再び護堂が頭を下げた。
「――約束を違えるつもりはありませんが、私が戻らなかったとしても、変わらぬ四国の守護をお願い致します」
『 ――気に病む事は無い。その心持ちで充分だ。汝の誠意に応える為にも、変わらぬ四国の守護を約束しよう。――往ってまいれ。そして必ず帰って来い』
 感謝します。護堂は背筋を伸ばすと、敬礼。振り返る護堂に合わせて、開座が声を張り上げた。
「――各員注目! これより第15063班は山陰に出向し、アース神群攻略に参戦する。準備にかかれ!」

*        *        *

 伝え聞いていた無線の周波数に合わせると、山瀬・静香(やませ・しずか)二等陸士は送信端末を手渡した。老若男女問わず、誰もが振り返らざるを得ない美貌の持ち主に、だが第13旅団第8普通科連隊・第1382班甲組――通称『スコッパー』長の 峰山・権蔵(みねやま・ごんぞう)陸士長は咳払い1つで気持ちを落ち着けると、
「――SAS(Special Air Service:英陸軍特殊空挺部隊)のアリアンロッド少尉、聞こえるか? 改めて名乗りを上げるが、俺は日本国自衛官の峰山という。メフィストフェレス追撃における共闘を申し出たい」
 よく日焼けして、土に塗れたようながっしりした体格の持ち主の声は、見た者を裏切らぬ力強いものだった。峰山は返事を待たずに、呼掛けを続ける。
「俺はヌァザ・アガートラム大尉と相対し、彼をこの手に掛けた男だ。大尉は見事な武人だった。その大尉が息を引き取る際に、敵であるはずの俺に頼んだのだ――『命を報酬に、女王の身柄を護って欲しい』と」
 峰山は言葉を止めると、無線を聞いているはずの アリアンロッド[――]に考える時間を与えた。
「……俺は、この頼みを取引とみなした。そして現状の問題――メフィストから聖杯を奪回する為に、SASとの共闘が成立したと判断する。……どうする? この誓約を受け入れたのは私情に過ぎないし、共闘を拒否するのはそちらの自由だが」
 それでも峰山は力強く、再び告げた。
「聖杯は奪回後、必ずSASへ引き渡そう。これを条件に、暫定的な共同戦線の構築を提案する」
 メフィストフェレス[――]を追って、島後島(沖の島町)全域を捜索するといえどもアリアンロッド達が受信していないはずがない。だが応答はなく、沈黙が流れるまま。……峰山は苦い溜息を吐いた。だが今まで様子を見守っていた 小島・優希(こじま・ゆうき)は送信端末を奪い取ると、顔を覆うガスマスクを脱いで怒鳴りたてる。木漏れ日を受けて煌めく白銀の髪と、眩しそうに目を細める赤い瞳が、深緑の中で映えた。
「あーあー、此方、小島優希、ダーナを手に掛けたものだ。アリアンロッド応答しろ」
 仇敵の言葉に、果たして返事があった。
『 ――黙れ。お前の声など聞きたくない』
「黙らんさ。いいか、よく聞け。無線を切るな。――貴殿は“私情”と言ったな。私情……大いに結構、私は私の愛する人々、愛する祖国、同胞をこの馬鹿げた遊戯と言う地獄に突き落とした……お前等こそ許さない!! ――ええ、これは私情だよ。始めに言っておく、憎しみの引き金を引いたのはお前等だという事を認識してたよね? まさか、認識もしてない癖に憎悪の対象になったから被害者ぶってる事ないよな? 私の愛する物に報いをくれてやる? ――やってみろ、人はいずれ死ぬ。この地獄のような神州じゃ、明日超常体に殺されても誰も文句すら言えない!! 母を殺された? ああ、それがどうした!! 私の父は超常体に引き裂かれて肉塊となって死んだ。原型すら残らなかったよ。母は覚醒するまで憑魔能力を使い続けて、化け物扱いされて射殺だよ……」
 呼吸を整えるべく息を吸いながら、思い出す。
「陣取りゲームにうつつを抜かしていた貴様等にこの悔しさ、この狂おしい憎悪が解るのか。――もう一度言っておくよ、憎しみの引き金を引いたのはお前等だ。私はその引き金を引き返した。たとえ私の愛する者を殺されたとしても、私はそれ以上の憎悪でお前の愛するもの全てを奪いとってやる!! ダーナ神群を皆殺して、その聖地をお前らの臓腑で穢すまで殺し続けてやる!!」
 喧嘩を売ってどうしますの? 呆れたように溜息を吐く静香に、優希は頭を下げると、
「……とは言うものの、そこまでやると恐らく私は鬼に堕ちるだろうね。正直、そこまで自分を落とす事と他者を死んだ後も辱める事は、あの子に嫌われちゃうから、したくは無いね。お前等と違って日本人は死んだら全て償ったと考える民族でもあるし。まあ、お前がやりたいのならとことん付き合うけど。……ただ、後の叙事詩にアリアンロッドは死と狂気の女神なんて人間に伝わりたくないなら、私のアドレスに決闘の申し込みでもするがいいさ、手が空いてるなら存分に殺しあってやる」
 優希は静かに、だが力強く誓った。
「――約束だ。お互い、サシでやろう。そして無用な流血を避けよう。それから今は、私情は後回しにしてくれ。互いにいがみ合って、バカを喜ばせるだけだ」
 そこで静香に受信端末を奪い取られる。
「まったく……優希さんに喋らせると、どう転ぶか判りませんわね。――アリアンロッド少尉。小島さんも申し上げていますが……あなたの私情は、復讐と聖杯遺失のリスク。どちらを重くみているのでしょう? それに望むと望まずとも、人手はあるに越した事はありませんわ。時間もそれほどありません。御決断を」
『 ――了解した。申し出を受け入れよう。コジマ・ユウキに伝えておけ。お前とは必ず決着をつける、と』
 暗い声だったが、それでも差し出した手を握り返してきた。峰山が苦笑しながら頭を掻くと、スコッパーの面々に目配せして追撃の準備にかかる。静香が微笑みながら無線を切ろうとすると、アリアンロットが含み笑いで、
『 ――それと知らなかったようだな。今更、伝え広める必要は無い。アリアンロッドは、銀色の車輪。時と死を司りし運命の神。運命は狂気をも孕むのだよ』
「……だと仰っていますわよ?」
「上等! ……でも助かったよ、静香さん。SASの無線周波数を知っていてくれて」
「戦友ともいうべき素敵な殿方からの贈り物ですわ。礼ならば直接、お言いなさい。――行かれるのでしょう? 大國主様と須世理比売様の護衛をよろしく頼みますわ」
 互いに敬礼を交わす。玉若酢命神社に幽閉されていた 大國主[おおくにぬし]と 須世理比売[すせりひめ]の夫婦祇が、玉座たる出雲大社へと無事に帰還していいただくのを護衛するのが優希の役目だ。障害は、セタンタ[――]軍曹。ダーナという主神が失われたとはいえ、英雄は未だ現在である。
 さておき運転手は、操縦がお仕事とばかりに、今まで沈黙を保っていた第2混成団第14飛行隊・救難飛行隊第2小隊長の 大空・燃(おおぞら・もえる)准空尉が、手を挙げた。
「山瀬さん。その無線はかなり弄っていると思われるが……少し貸してくれませんか。こちらの無線でも試してみますが、ね」
 いぶかしむ静香が送信端末を手渡すと、大空は維持部隊の共通周波数に合わせる。
「――こちらは、第2混成団第14飛行隊・救難飛行隊第2小隊長の大空です。この無線が伝わるならば、心して聞いて欲しい。つい先日に松塚准陸尉……いや“神の杖(フトリエル)”より放送があったと思います。確かにフトリエルの言葉は、超常体が出現した1999年当初であれば説得力があったしょう。ですが――」
 普段は、人生の哀愁を感じさせるような中年としか思えない男が、人が変わったように声を荒げた。
「――我々と戦ってきたのは誰だ! 誰の手によって、我らの父母が物言わぬ屍に変わり果てたのか。もはや、共産主義者共のプロパガンダと変わりはない。彼らの言う『真なる敵』と変わりなく、天使等もまた、自らの権益を求め“彼らの統治に従わぬ”だけで我等の命を奪う侵略者に過ぎない!」
 熱く、力強く吼えると、急に我に帰ったように恐縮する大空。咳払いをして、
「……私が言いたいのは、とりあえず、それだけです。この電波を誰が聞いてくれていたか判りませんが、何かを感じ取っていただければ幸いです。――over.」
 送信端末を静香に返すと、照れ隠しなのか慌てて大型輸送回転翼機MH-53MペイブロウIVの操縦席へと大空は向う。峰山は大空の背を苦笑して見送りながら、
「――しかし、いささか不穏当な発言があったような気もするな。隔離前生まれの人は、皆、あんなものなのかな?」
「……さあ? でもお口にチャックされた方が宜しいと思いますわよ」

*        *        *

 泡立つように無数の肉腫が膨れ上がり、内側から肉を引き裂いていく。引き裂かれた肉から血が吹き出し――裂けた肉の間を異常な速度で根を張り出した神経組織のようなものが埋め尽くしていく。身を蝕む痛みと――同時に心の底から沸き上がる衝動。憑魔核が疼き、脳裏に声が囁いてくる。
 ――私はスカジ、神々の麗しい花嫁。貴女の肉と心と1つとなりオーディンに尽くしましょう。
 意識が塗り替えられていく。“視点”が変わる。鉢屋・小瑠璃(はちや・こるり)の意識と記憶はそのままに、スカジ[――]の思考が重なる。シナプスが繋がり、情報が流れ込んでくる。ああ、そういう事か。
「――うちは、小瑠璃という人間をベースにして顕現したスカジだけん。たとえ死んでも、スカジという意識は“この世界”との交神力を失うだけ……」
 超常体が世界に顕現するに当たって方法は幾つかあるが、通常は発生――空間転移というべき現象で登場する。轟音と共に周囲の物体を吹き飛ばし、消失した空間と入れ替わるようにして忽然と姿を現す……これは元いた世界と、この世界の空間をそのまま入れ替えると同時に、この世界の物質を元に、新たに身体を再構築しているのだ。無から有は創り出せない。この世界のモノから見て、如何に超常的な力を有していても。なお出現の時に生じる爆発は、言うならば身体の再構築の際に生じる化学反応。――勿論、爆発ではなく、爆縮や冷却現象等も起きるだろう。
 ――低位に分類されているモノは、質も量もともに、それほどは必要ない。だが高位中級の亜神/神獣クラスと呼ばれる存在以上になると、出現するに当たって莫大な“存在”を必要とする。
「……だけんど、そんな莫大な量と品質の高い材料は簡単には用意でけん」
「――だから代わる手段が用いられる。憑魔核という受信機を利用し、心身を侵蝕して己の分身とも言える近しい存在に造り替える。それが意識統合、憑魔の強制侵蝕現象の正体だ。再構築して一から造り上げた存在よりも、能力は劣るが動き易さでは遥かに優る」
 玉座に腰掛けた隻眼の威丈夫が小瑠璃の呟きを続けた。まとっている厚い長衣の下には筋骨隆々と鍛え上げられた肉体が隠されている。左眼が醜く潰れており、顔に傷痕が刻まれていた。元・駐日独軍大佐 ゴットフリート・フィヒトナー[――]であり、そして意識統合した後はアース神群の王 オーディン[――]と称するモノ。
「オーディン……否、ゴットフリートは何故、統合を受け入れたんやの?」
「絶望……そして希望だな。戦い続ける事と、そして果てにあるものへの」
 かつて未だにヒトであった頃の微苦笑をオーディンは浮かべた。鼓動が1つ跳ね上がるのを感じて、小瑠璃はそっぽを向く。我知らず呟いた。
「――うちがあんたの左眼になーけん」
「……ん?」
「いや、その……こげな時に、おかしげな事だが」
 慌てて向き直ると、
「もし、ラグナロクが終わって、生きちょる事が出来たら、そん時は、心から笑っちょるオーディンを見る事が出来るげなか……」
 最後の方は小声になっていた。何となく気まずい空気を晴らしたのは、1人の老兵だった。オールバックにした白髪に、彫の深い顔立ち。鷲鼻と、きれいに刈り込まれている口髭。元・駐日独軍准尉、ゲオルグ・ヒルデブルグ[――]。神との統合を望みながらも、だが器が足らず、エインヘリャルとして仕える男。
「――残念ながら支援要請に対する空軍からの応答はないですのぅ。東方アーリア人の分際で、指導的民族である、このわし等に、歯向かうとは……。身の程を知らぬ愚か者よのぅ」
「――口を慎め、ゲオルグ。元より駐日独軍を壊滅させたのは他ならぬ我等だ。そして自衛隊が空戦力を寄越すはずが無い。机上の希望論だけで作戦を立てるから、こうなる」
 オーディンの叱責に、ゲオルグは畏まる。縁を指で叩くと、
「――それでも布陣に関しては、おまえの進言に任せているが……状況は?」
「はっ! ドヴェルグに速やかなる再構築を命じておりますが、敵の包囲網下で進捗は計画の40%……それでもエインヘリャルの配置が済めば、充二分の結果を生むでありましょう」
 右手を斜め前に挙げてのゲオルグの即答に、小瑠璃は滑稽なものを感じる。それはスカジとしての溜息かもしれない。だが心中の思いをおくびにも出さずに、代わりにオーディンに進言した。
「うちらを包囲している維持部隊へと呼び掛けを行いたいんやけど……」
 オーディンは好きにしろと。頷くと、小瑠璃は隊用携帯無線機の周波数を維持部隊共通に合わせた。
「――この声が聞こえたら、暫く耳を貸して欲しい。うちは、鉢屋小瑠璃。皆と同じく、この神州での戦いに疑念を抱いていたものや……」
 そこに、かつて口下手で、他者に怯えて、物影に隠れがちな少女の姿はもう無かった。

*        *        *

 誰かが怒鳴り声を上げて、無線機を黙らせようとするのを、鹿取・真希(かとり・まき)二等陸士は睨み付ける。わんこ先生が唸りを上げると、隊員は大きく舌打ちをした。無線機から聞こえてくるのは、かつて友人だと思っていた女の声。
『……うちは維持部隊の『戦いを継続させる為の戦い』に疑問を抱いとった。――そんな、うちにオーディンは山陰地方からの超常体殲滅を約束してくれた。やから、うちはアース神と共に戦う事に決めたんだけん! 今からでも遅くないが。うちらに終わりなき戦いを強いる維持部隊を見切って、一緒にラグナロクを生き残る為に戦ってもらえんだらか?』
 耳にする言葉に、両膝を抱えて震えた真希に、
「……彼女への射殺命令が降りました。最早、反逆者とでしかなく、立ち塞がる容赦なく排除すべきモノに過ぎません」
「殻島准尉の仇討ちはしないとな!」
 声を掛けてきた2人組の男達を一瞥した真希は、ようやくの事で口を開いた。
「……私はどんな事があっても殺せないよ」
 真希の呟きに、灰色のトレンチコートを着用した青年は溜息を吐いた。萩野・弘樹(はぎの・ひろき)一等陸士――第2混成団の対魔群(ヘブライ堕天使群、魔王)戦で活躍した男は、眼鏡の弦を押し上げる。
「――フトリエルの放送もそうですが……今まで人間の事を一顧だにしなかった連中が、今更掌を返しても信じられるものでありますか。超常体共の発言も主観的なもので、客観的な証拠が提示された訳ではなく、口約束や空手形で何の裏付けもありません。大空准尉の発言ではありませんが、アレの言い分もフトリエルのと何等、変わりはありませんよ」
 そして、と淡々とした表情で告げる。
「もしも讒言に騙されて、反旗を翻せば……アレと同じく、自分は命令に従い、排除するだけであります」
 萩野の言葉に相方の 新井・真人(あらい・まこと)二等陸士は真っ赤に染めたツンツン頭を傾げながら、
「んー。お前は相変わらず、固いというか何というか。まぁ、自分は、鉢屋二士は完全浸食されてしまったものとして考えてるな。身体が鉢屋二士でも、中身が違うんじゃ別物。その為、アレは自分にとって『殻島准尉と鉢屋二士の仇』って感じ。仇討ちはしないとな、ともに戦ってきた友人として!」
「――友人とは大きく出おったな」
 初老の男が太刀の手入れをしながら、含み笑いをした。傍らに控えていた大和撫子風のWAC(Woman's Army Corps)が新井を図々しいと非難する。
「おっ、天辺のジッちゃん。新武器かい? やっぱりクライマックスに向けて、武器が新調されるのって燃えるよな!」
 伊坂・巴[いさか・ともえ]二等陸士からの冷たい視線を、口笛を吹きながら受け流して、新井は 天辺・尚樹(あまべ・なおき)二等陸士が手入れしている太刀を覗き込んだ。刃長62.7cm、反り1.3cm。刀身の先端から半分以上が両刃になっている奇妙な特徴をしていた。
「これは、キッサキモロハヅクリ、或いはホウリョウジンヅクリという」
 筆を取って『鋒両刃造』と書く。
「――だが、通称は『小烏造』。桓武天皇の御世、伊勢の神宮より遣わされた八咫烏の羽から出てきたと伝えられる桓武平氏一門の家宝が、これと同じ造りであってな。以降、そう呼び習わされている。刀工『天国』作といわれる。この天国じゃが、日本刀剣の祖ともいわれ、そうとなれば、布津主神の化身やも……」
 いつになく我が子のように自慢げに誇りながら、刀剣に関してのウンチクを垂れ流す天辺に対して、やや引きながら、
「――もしかして、オリジナル!?」
「いや。レプリカじゃろう。とはいえ、憑魔武器や、話に聞く『神殺しの武器』ではないが、かなりの大業物よ。……聞けば、武器科の女将とも畏怖される人物が秘蔵の逸品を寄越してくれたらしい」
「……はぁ、武器科の女将ね。おっかねぇ」
 さてと手入れした太刀を腰に刷き、代わって無造作に銘刀『関の孫六』を巴に放る。
「――銃剣だけでは心許ない。使え」
「謹んでお借り致します」
 恭しく頭を下げると、巴もまた腰に刷く。
「……へへっ。伊坂二士もいっぱしの侍みたいだな」
「そういう軽口を叩く暇があったら、君も準備を怠るな。意多伎士長を見習え」
 溜息を吐きながら萩野が視線を向けると、第8普通科連隊第1383班乙組長の 意多伎・黒斗(おだき・こくと)陸士長は作業の手を休めて、顔を上げた。健康的に陽に焼けた秀麗な顔立ちの半分は、火傷のようにケロイド状になっている。幼少の頃は、容貌や生い立ちで周囲と疎遠であったそうだが、今や“発破の意多伎”から目を背ける者はいない。
「しかし、本当にすげぇな」
 萩野が感嘆の声を漏らすのも当然。ありったけの爆薬と燃料。全てはユグドラシルを倒す為の準備だ。そして右が義手とは思えないほどの器用さで、意多伎が作業を進めていた。
「――賀島三尉の腕は凄いな。ここまで義手だというのに違和感がないとは」
「御謙遜を。慣らすまで大変な苦労をされたと聞いております」
 萩野の言葉に、意多伎は鼻を器用に掻くと、
「――何にしても、ユグドラシルがある限り、このままでは大國主の力が解放されても、オーディン等アース神群の力は弱くならず、味方が倒す事は難しいだろうからな。但し相手は世界樹と言われる樹だ。この程度では燃え尽きない可能性があるが……」
「――何か考えが?」
 意多伎の表情に、何故か気になるものを感じて萩野が問い掛ける。天辺も目を細めて見遣るが、意多伎は済ました仕草で、
「いや、何……その時は、その時だ。安心してくれ、ちゃんと用意はしてある。それよりもユグドラシルまでの障害を、宜しく頼むぞ」
「まーかせておけって! 天辺のジッチャンは文字通り敵陣を斬り開いてくれるだろうし、四国からも殻島准尉の元部下っていう人が駆けつけてきた」
「――護堂三曹だ。見掛けで侮ると痛い目に遭うぞ」
「そして再結成した、自分と萩野との凸凹コンビ! やってやるぜ!」
 萩野の整えられていた髪を掻き回しながら、新井が笑う。瞬間、地面に叩き付けられた。萩野が髪をセットしなおしながら、
「――調子に乗り過ぎであります」
「……全くです」
 仰向けの新井へと、膨れ顔で巴が見下ろしていた。

*        *        *

 背負った騎乗槍。ハンドルを握り、アクセルを回しながら静香が苦笑する。
「……セタンタを相手取ってと考えて申請した、バイクで使える近接武器ですが」
 ――傾斜機能材料と化学の結晶による火薬式ランス。
「持ってきてくれたのは嬉しいのですが、こんな使い捨て武器が、よく倉庫に転がっていましたね……」
 駄目元で武器科に申請したところ、静花[しずか]さん――そう呼ばれている女怪が手を回してくれたらしい。恐らくは静香も垣間知る維持部隊の深奥にある機関の介入……。
「肝心な時には、情報を寄越したり、手助けをしたりしてくれないのに」
 唇を軽く噛む。そんな折に、鉄帽に仕込んでいた受信機が味方からの連絡を伝えてきた。
『 ――こちら、スコッパー1。ランサー1応答願う』
「こちら、ランサー1。スコッパー1、何か?」
『ホイールRと合流。妖精の囁きと、そちらの意見を元に目標の潜伏場所を絞り込み中。都万方面から南下。ランサー1は蛸木から津戸へ』
「――畏まりましたわ」
 伊達に十数日間、妖精の目を逃れて隠れ潜んでいた訳ではない。メフィストが如何に祝祷系の力で姿を眩まそうとも、臭いや気配までを消し去る事は困難だ。メフィストの立場で考え、静香自身の経験と培った土地勘が、目標の居場所を逆に炙り出していた。
「――聖杯は、悪魔側に渡さないですわ」

 魔術師的な観点からは、聖杯とは魔女の釜を教会が暗喩したものとされている説がある。そして釜の源流こそが、ダグザの大釜。エリン四至宝が1つ。無限の食料庫。だがダグザは生死両方をもたらす棍棒をも持つという。
「――聖遺物には病気治癒等の奇跡をもたらすという信仰がある」
 SASの戦闘用軽車輌ランドローバー・ディフェンダー110を運転しながら、アリアンロッドは呟いた。
「――疑問を抱いた事はないか? 教化されたとはいえ何故にアーサー王と円卓の騎士は聖杯探索を目指したのか?と。ローマからすれば辺境の地である、この島国で何故?と」
「研究や探求嫌いじゃないが歴史浪漫や伝承はなぁ」
 峰山が困ったように頭を掻くと、アリアンロッドは鼻を鳴らす。
「……聖杯探索伝説には下地があったからだ。それが答になるだろう。伝説中の聖杯は、さらに通過すると音楽が鳴り美味な食事をもたらす等といわれる。これはケルト神話が、色濃い影響したという証左の1つだ。すなわちダグザの大釜が、聖杯へと収束されたのだ」
「だが、ダーナの母胎が聖杯というのは……?」
 峰山の疑念ももっとも。ダグザは父性の象徴。ダーナは母性の象徴である。アリアンロッドは振り向かずに、眉根に皺を寄せると、
「……聖杯にはまた別の観点で伝えられている説がある。ヴィンチ村の天才が暗号を遺しているという名画『最後の晩餐』――そこに聖杯そのものは描かれる事はなく、また奇怪な空白がある。ある説によれば、ヨハネと思われている人物はマグダラのマリアを意味し、V字型の空白こそが聖杯を意味すると。マグダラのマリアと聖杯から子宮を、そしてキリストの隠し子の存在を暗喩しているというものだ(※註1)」
 道に出張った枝が迫り来るのを難なく避けて、ランドローバーは目標を追い続ける。峰山は掛けていた大円ぴで肩を軽く叩いた。そして先を促す。
「……話をケルトに戻すが、母上――ダーナの別名は、アヌ、ダヌ、ドーン……そしてドンナー。女主人という意味だが、更に『マ・ドンナ』で我女主人という意味になる。更にマドンナとは――」
「……!? 聖母マリアの意!!」
「そうだ。突飛な論かと思うだろうが……ダーナ、その母胎こそが聖杯。それこそがメタトロンが我等と協定を結んだ真実」
 元々、基督教に聖母信仰はない。欧州に基督教を広める際にダーナ神群を利用して聖母信仰に変じさせたという説もある。勿論、聖母信仰は埃及のイシスをはじめ、各地に土着していた“黒い聖母”もまた根源の幾つかとして数えられているが。
「――ジグソーパズルの欠片のようなものか。各地、各説話に散らばった事実が集まり、そこに真実が見出されてくる……と。何にしろ、ダーナから聖杯が取り出され、それをメフィストが掠め取って逃げている。それだけ解れば俺としては問題無い。聖杯の正体が何であれ、引き渡すといった誓約に嘘偽りは無いさ」
 というか、聖杯を手にしたところで、使い道がいまひとつ判らないのであれば、戦略価値は見出せない。むしろ下手に所有権を主張する事で、敵愾心を抱かせるのであれば、それこそデメリットの方が大きい。峰山の判断が正しかったかどうかを決めるのは、彼自身では無い。
( 現場は、自分で勝手に考えてはならない )
 現状の維持部隊にある暴論的なまでの実力主義は、まさしく本来の文民統制とは異なるものだが……
( ……考えない方がいいか )
 今ある最善を尽くす。最善と、勝手とは違う。そう、改めて心に留めていた峰山の耳に、味方からの声が衝いた。
「――魔王クラスが渡ってきましたわ!」

 現代風にアレンジされた魔王は、緑色のボディアーマーに身を包み、装甲をまとった有翼獣――鷲頭獅身の超常体グリフィンに騎乗していた。メフィストが恭しく頭を下げる。
「――座天侯ムルムル様。私ごときのお願いにお応え頂き、このような辺鄙な島にお出でになられた事を、厚く御礼申し上げます」
「――その慇懃無礼な態度は相変わらずよ。諜報と窃盗しか出来ぬ道化が」
 ムルムル[――]と呼ばれた高位上級超常体は座上のままメフィストを見下ろし、吐き捨てたが、
「――留守居役ばかりで暇を持て余していらっしゃる御方に比べれば、忙しい事は幸いでしょう」
 激昂しかけたムルムルだが、自制してか、大きく舌打ちするだけ。グリフィンに相乗りするよう促すが、
「――ッ!」
 飛来してくる5.7mm×28弾頭を氣の障壁を慌てて張る。5.7mm弾は小口径で、弾体の質量も軽いが、高初速で射出される。運動力量を極めて狭い範囲に集中させる事から、剛体に対してライフル弾並みの貫通力を有する。直撃すれば、ボディアーマーで守られているムルムルといえどもただでは済まなかっただろう。致命傷ではなくとも、被弾したグリフィンが降下した。
「――操氣系とは厄介ですわね」
 両で構えていたFNハースタルP90を左手に固定。素早く予備弾倉を装填すると、乱射。精密さを犠牲にした代わりに、接近する為の距離を稼ぐ。そして味方が駆け付けてくる時間もだ!
「――母上の遺品を返せ!」
 アリアンロッドの駆るランドローバーが藪を突き破り、肉食獣が牙を剥けて唸るがごとく、7.62mm機関銃弾をバラ撒く。慌てて避けるムルムルとメフィスト。ムルムルが片手を挙げると空間が爆発した――。

 鋭い勢いで振り上げられたムルムルの軍刀を、大円ぴの腹が受ける。重い衝撃に、峰山が取り落としかけたところを、仲間のスコッパーが下から柄を跳ね上げて支えてくれた。
「――小癪な!」
 鈍重そうなボディアーマーを身にまとっていながらも、ムルムルの動きにはよどみがない。巧みな体捌きにより、ただの打突では当たっても装甲の厚い部位へと流されるだけ。傷を負わせる事は出来なかった。
「ならばっ!」
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 瞬時に、灼熱で赤色化した鋼に、さすがのムルムルも身を退く。傷で戦闘中に飛べなくなったとはいえ、グリフィンが威嚇の声を上げた。
 周囲では、ムルムルが召喚したビーストデモンを相手に、増援のSASが応戦している。すぐに島外への離脱を企んでいただろう魔群としては、この足止めに歯軋りするほどの屈辱と焦りを覚えているのは間違いない。……それでもムルムルは魔王を冠するだけあって強かった。
「――フォーメーションB1からD7、そしてC3。全力で行くぞ!」
 応との声に峰山は仲間を信じて、穂先を繰り出す。すかさず軍刀で撥ね返したムルムルが、そのまま内に飛び込んでくる。握られた左拳が峰山の腹を打ち、肺腑を抉られたような衝撃に息が詰まった。だが意識を繋ぎ留めて、止めとして振り下ろされる軍刀を大円ぴの柄で絡めた。一瞬。だが、それで充分。回り込んでいた仲間が足元の地面を割り、たたらを踏ませる。逆巻く風が視界を奪う。雷をまとった穂先がムルムルの背後から襲った。
「――これで封じたつもりか! 往生際が悪い!」
 全身に氣を張り巡らしてからムルムルが衝撃波を放つ。吹き飛ばされる仲間達。だが、
「往生際が悪くなければ、神州で生き残ってないさ」
 極至近距離ゆえに衝撃波を浴びなかった。拳に炎をまとわせて、顎へと振り上げる。重そうなムルムルの身体が瞬間、浮き上がった。地面に転がっていた大円ぴを足で跳ね上げて、両手で掴むと、炎をまとわせて胸部に突き立てる。耐熱効果もあったのだろうボディアーマーは、だが内側からの灼熱には脆かった。炎を口から漏らしてムルムルが崩れ落ちようとするが、胸に突き刺さった大円ぴがそれを許さない。自重により、ムルムルの身体は地面に串刺しとなっていった。グリフィンもまた断末魔の叫びを上げる。
「……困りましたね。穏便に、ムルムル様の乗騎で島外脱出を計っていましたものを」
 目晦ましの光を放ちながら、気取った口調のメフィストであったが、氣の乱れは隠せようがなかった。幻惑の光で同士討ちを狙ったり、姿を隠そうとしたりするも、氣を張り巡らせた静香が的確に居場所を見抜く。言葉ほどの余裕はメフィストにはない。
「――そこですわっ!」
 後輪に重心を傾けて、オートが跳ね上がる。叩き付けた前輪が、メフィストのタキシードを汚した。
「――フロイライン。お転婆が過ぎますよ」
 悔し紛れに、光の槍を乱射。だが割り込んだランドローバーが静香を庇う。被弾したランドローバーが動きを止めた。しかし、その間に十分な距離をとって、静香は加速。騎乗槍を構えて、突撃した!
 ――直撃と同時に、内蔵した爆薬に着火。後方にカウンターマウスと爆風が噴出される。突撃した反動で静香の身体も大きく宙に投げ出された。手から離れた愛車は、慣性の法則に従い、激しい勢いのままに遥か彼方の廃屋に激突! ガソリンに引火したのか派手な爆発を起こした。
「――私の、オートが……」
 だが愛車を引き換えにした甲斐があったというものか、メフィストの半身は千切れて無残な姿を見せている。メフィストは血走った目で、
「……だ、が……聖杯さえあれば……」
 残った手で、隠し持っていた聖杯を取り出し、口を付けようとした。伝承が正しければ復活してしまう? だが光線が聖杯を持つ腕を貫くと、断末魔の叫びを上げながらメフィストはついに事切れる。振り返れば荒い息を吐いて、ブリューナクを構えるアリアンロッド。
「……母上に、これ以上、触るな、下郎」
 アリアンロッドは聖杯を回収すると、倒れた静香に手を差し伸べる。静香は引き起こされると、肩を貸してもらっていた。アリアンロッドは顔を向けようとせず、独り言のように呟く。
「……協力に感謝する。山瀬二士」
「――どういたしまして」
 思わず苦笑。ビーストデモンを打ち直して歓声を上げるSAS隊員と、同じく肩を叩き合うスコッパーを見遣った。
「――さて。暫くすれば、また敵同士だが……」
 アリアンロッドの言葉に、無言で応える。
「……セタンタが護っているとはいえ、イズモは奪回されてオオクニヌシは力を取り戻すだろう。覚悟は出来ている。――おめでとう。君達の勝ちだ」
「違う形でお会い出来れば宜しかったですわね」
 同感だと頷くアリアンロッドの顔は、何処か寂しげで、だが晴れやかなものだったと静香は思った。

*        *        *

 用心の為にペイブロウ内部をくまなく探索したが、メフィストフェレスが侵入していた形跡はなく、胸を撫で下ろした。
「メフィストフェレスは、ヌァザ・アガートラム大尉のフェリーに密航していたんだな」
「少なくとも私が見落としなんてしませんよ」
 優希の呟きに反論するよう、大空が口を尖らせる。玉若酢命神社より出雲大社まで直線で約100Km。ペイブロウの巡航速度は約280km/h。航続距離は2千kmとなれば、余裕の空路といえた。
「――地対空ミサイルがなければの話ですがね」
 大空の呟きに頷くと、副機長がレーダーに目を凝らす。出雲市に入り、八雲山上空に差し掛かったとき、レーダーが何かを捉まえた。
「――光点が10、20……30!?」
 驚きの声を上げる前にペイブロウが被弾。機体制御に操縦桿を握り締めながら、大空が声を張り上げた。
「警告音はありませんでしたよ! スティンガーではないのですね」
 赤外線パッシブ・ホーミングや、POST(受動式光学追尾技術)であれば、何らかが発信されているはずだ。それを逆感知して回避なり、発火弾なり、被弾を免れるのだが……。
「第二射接近! ――ッ!」
 さらに被弾。機体損傷に警告音が鳴り響く。優希が悲鳴を上げる中、第一射と第二射の間隔を測った大空が博打に掛けた。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 脳裏に浮かべたイメージ通りに力を解放すると、ペイブロウの下方に光の弾幕。飛来してくる第三射を撃墜する。
「……何が起きているんだ?」
「判りません。相手――セタンタについて少しでも調べておけば良かったですね」
 第三射を避けたとはいえ、第一射と第二射の損傷が深刻だ。大空は奥歯を噛み締めると、せめて不時着しないようにと操縦桿を握る。勿論、撃墜されないよう光の弾幕を張り続けるのも忘れない。
「機銃を発射点に向けて威嚇射撃!」
「――いや、待て。そうか。相手がセタンタならば、ゲッシュが通じるかもしれない。交信を試みる」
 外部に向けたマイクを手にすると、優希が呼び掛けた。――ゲッシュはアイルランド神話における英雄が自らに課す誓約である。ゲッシュを厳守すれば神の祝福が得られるが、一度破れば禍が降りかかると考えられた。犬の肉を食べない)、自分より身分の低いものからの食事の誘いを断らない、詩人の言葉には逆らわない……といったゲッシュが挙げられるが、これは半神半人の英雄クー・フーリンのものとして有名だ。そしてクー・フーリンの幼名は、セタンタ。
「あーあー、此方、小島優希。結界維持部隊の陸士長。セタンタ曹長と食事をしたいのだが……」
 果たして返事はあった。
『こちらの世界に渡ってゲッシュの効力はないのだけどな……いいさ。礼には礼を以って応えよう』
 笑い声。大空が苦い顔をして、
「……では、さっきの地対空攻撃は?」
『私にはクランの猛犬としての責務もあるんだ。挨拶みたいなものさ』
 とすれば、今の攻撃は? ――後に調べてみて判った事だが、クー・フーリンが影の国の女王スカアハから授かった銛状の槍。あるいは投擲技法。それがゲイボルグであり、投げれば30の鏃となって降り注ぎ、突けば30の棘となって破裂するという。
 誘導に従い、境内に降り立つペイブロウ。セタンタ以下、SAS隊員が完全武装で出迎えてくれた。大空と救難飛行隊第2小隊、そして優希に、途中で拾った新たな部下――第1382班乙組。最後に、大國主と須世理比売が降り立つと、SAS隊員はM16A2アサルトライフルを立てて、空砲を撃つ。セタンタが槍を手にした腕を背にして片膝を付くと、恭しく頭を下げた。
「――出雲の大王よ。偉大なる祇よ。御無礼致しております」
『 ――武人よ、面を上げよ。貴殿に……貴公等にも事情があったのは理解している。確かに幽閉されてはいが、ダーナ殿も礼を以って接してくれた。少しも恨み無いといえば偽りになるが、それでも怒りに任せるつもりはない』
「――ありがたき、お言葉」
 セタンタは頭を上げて、姿勢を正して立つ。そして優希達に振り返った。
「では食事……と言いたいところだが、それより先に解決しておく事があるだろう?」
「――ダーナは私が打ち倒し、貴殿等の神群の敗北は決まった。このまま社も解放して頂きたいのだが」
 優希の言葉に、セタンタは微笑むと、
「――私の別名は“クランの猛犬”。主が亡くなったとしても、忠義を尽くすのが務めだ」
「……解った。黙示録の戦いで『人間』が勝つ為にはどうしても大国主命らの加護が必要なんだ。……だから再び退いてとは言わない。押し通る。文句ないよね?」
「是非も無し!」
 優希とセタンタ。共に部下や周囲の者に手出し無用と言い放つと、一騎打ちの構えを取る。積層大盾を前面に押し出してメイスを腰溜めにする優希に対して、セタンタは槍の柄を地面に付けると右足を引いた。
「――そういえば、先ずは礼を言わせてもらいたい」
 セタンタの突然の申し出に首を傾げると、
「……アリアンロッドだよ。どんな形であれ、目的が出来た。御蔭で暴走しなくて済みそうだ」
「恨みの捌け口は必要だ。とはいえ、討たれてやるつもりはないけどね」
 互いに苦笑を交わす。旧知の友人のような雰囲気が2人に流れ、そして、それゆえに戦いは避けられないものと知った。
 ――勝負は一瞬だった。
 見届けた大空はそう語った。瞬きした後には、分厚く硬いはずの積層大盾が割れ、持っていた腕が千切れかけているかのように見えるほどの大量の血を流していた。盾だけでなく優希自慢のボディアーマーも破裂し、血塗れ姿で両膝を付いていた。対するは……
「……背骨が逝っちまったな」
 メイスを受けて挽き肉状になった胸をさらして、大地に横たわっていた。赤黒い血溜りが広がっていく。
「……聖地を汚す事、御容赦願いたい。死して御詫び致します」
 視線で大國主と須世理比売で非礼を詫びると、そのままセタンタは息を引き取ろうとしていた。だが――
『……武人よ。楽に、義父君や大祖母の身元――黄泉津國へと送られると思うな? 敗者として口惜しさを抱いたまま、生き恥を掻くがよい。それが我等の恨みに対する罪滅ぼしと思え』
 大國主が手を掲げると、高みにある出雲大社の扉から膨大な氣が溢れ出した。大國主が手にした生太刀と生弓矢を鳴らすと、須世理比売が比礼を振るう。幻視の白兎が舞踊り、蛤と赤貝が合唱した。
「――傷が」
 波動が過ぎ去った後、優希が立ち上がる。装備の破損は仕方ないとしても、肉体の傷は治っていた。それはまたセタンタも同じ。安らかな表情で気を失っている。大空が振り返ると、
『 ――ダーナ殿との約定だ。あの女王は、真に母親であった。死して後も、子を想い、我等に祈りを託した』
「……では、ダーナ神群の超常体は?」
『悪戯好きの小鬼共はいるが、そこな武人等と協力すれば脅威にはならぬだろう。それに我の影響もある』
 大空が頷くと、覚悟していたSAS隊員達は緊張が解けたのか、地面に座り込んでいた。
『大樹の輩だが、汝等の励みもあって今頃、何等かの罰を味わっているだろう。問題は、他にも隠れ潜んでいる魔の輩だ。――幾ばかりか力は削がれているだろうが、油断出来まい』
 山陰の何処かに居城があるという恐怖公 アスタロト[――]をはじめとする魔群(ヘブライ堕天使群)の動きは表立ってない分、不気味だった。
「……むむむぅ」
 傷をすっかり癒された優希が唸りを上げる。何事かと注視すると、優希は手を挙げた。
「……質問。というか、お願いです。大國主命様なら、久美ちゃんの病治せないでしょうか?」
 事情を伝えると、大國主は難しい顔で頭を振る。
『残念だが、私だけでは無理だ。常世に還っている親友の力もあれば……何とかなるかも知れんが』
「……親友? 少名毘古那!? 知っている。多分、連絡も付くし、力も借りられるかもしれない!」
「どういう事です?」
「第1混成団の従姉妹がね。与那国島で神の復活に関わっているって聞いた事がある。やった、これで――」
 将来的に快復の希望が、明るい未来が見えた。優希は諸手を挙げると万歳を繰り返すのだった。

*        *        *

 大樹の根が張り出した地面を、だが銀輪は危なげなく滑る。枝々に隠れ潜むデックアールヴがマウンテンバイクを駆る真希――否、グレムリン摩利を狙うが、巧みな操作で敏速に動き回る物体を捉える事は難しい。むしろ自ら居場所を晒しているようなものだ。手にしたH&K MP5KA4が9mmパラベラムを放つと、銃声と共に、薬莢受けへと耳障りな音が鳴り響く。
「――陣取りが厄介だ」
 河原城――いや、オーディンの居城ヴァラスキャルヴを中心にして、ユグドラシルが生い茂る。天を枝々が張り巡り、地を根が覆い尽くす。樹皮が壁となり、床となり、歩みを遮る。またエインヘリャルも巧みに配置しており、密集せず、だが連携し、攻略部隊へと弾幕を張り続けてきた。駐日独軍標準装備のH&K G36アサルトライフルのみならず、分隊支援火器としてH&K MG4が荒れ狂う。89式装甲戦闘車ライトタイガーが強行突破を図ろうとすれば、ユグドラシルによる枝が阻害し、うねった根が足元の起伏を激しく、そして歩みが鈍ったところをバレットM82A1の12.7mm弾が貫いた。ドヴェルグにより、橋の幾つかが落とされて進撃路が限定され、そして掘られた塹壕に隠れ潜む。
「――まさしく難攻不落だわ、王神の居城」
 だが真希にとっては絶好の狩場。愛用のマウンテンバイクを駆り、わんこ先生と共に戦場を走る。
「――ポイントA3、C6、H8」
『 ――了解。2分後に着弾予定』
「レンジャー!」
 荷台に括り付けている隊用携帯無線機で指示をすると、すばやくペダルを踏んだ。数分後に、飛来した155mm榴弾が敵陣を突き崩していく。日本原の戦いを終えた第13特科隊の多くは瀬戸内に向ったが、それでも数機は支援要請に応じて、八頭郡攻略戦に加わってくれた。真希が正確無比に誘導した重火力が戦場を蹂躙。エインヘリャルが張る氣の障壁もベニヤ板のようなものだ。歓声と怒号が上がり、攻略部隊が前進を開始する。
「――っ! 大鴉!」
 わんこ先生が吠え立てた。2羽の大鴉が襲い掛かってくるが、
「……邪魔だっ! 退けっ」
 放電と共に髪が逆立ち、電磁波を撒き散らした。電気の網に、いったん舞い上がる大鴉だったが、
「――デビチル・ファイアーフィスト!」
「……その必殺技を叫ぶ癖はどうにかならないでありますか? あと、憑魔能力を使っていません」
 割り込むように跳び込んできた新井と萩野が、110mm個人携帯対戦車榴弾パンツァーファウストIIIを叩き込む。続いて、意多伎士長が率いる第1383班乙組が場の制圧に乗り出す。
「効果的にユグドラシルを破壊するポイントは?」
 意多伎の問い掛けに、摩利は頷くと、
「この先。でも発破士長じゃ相性が悪い」
「相性が悪い分は部下がカバーしてくれるさ。――新井二士と萩野一士は、このまま護堂三曹や天辺さん達と合流してオーディンへ。ユグドラシルは任せろ」
「承知しました。鹿取二士も御無事で」
 素早く敬礼すると、萩野と新井はヴァラスキャルヴへと足を速める。意多伎は摩利の先導に従ってポイントに進むと、背負っていた爆薬を仕掛け始める。
「――設置中の護衛を宜しく頼む。引火が怖いので、気を付けてやってくれよ」
「戦場では無理な注文だな――真希に代わる」
 乱暴な口調で応えると、対物狙撃銃アルティマ・レシオ・ヘカテIIを構え直す。雰囲気を重く、そして鋭く。第1383班乙組もまた警戒する中、
「――背負っているライフルは使わないのか?」
 狙撃銃サコTRG-41へと視線を向けて問うと、
「……これは私の銃です。似た銃は多いけど、これは私の銃です。By.ジャーヘッド」
「――会話が噛み合っていない気がするが、何となく解った」
 苦笑する意多伎だったが、怪鳥音に舌打ち。井上・百合子[いのうえ・ゆりこ]二等陸士が悲鳴を上げ、わんこ先生が吠え立てる。巨大な鳥影が周辺を覆うと同時に叩き付けられてくる風。倉御・美加[くらお・みか]一等陸士が緩衝の壁を立てて直撃を避けるが、放たれる冷気は、周囲を凍て付かせる。
「フレスベルク! 風幻と氷水の複合系か……なるほど確かに、俺には相性は悪いな」
「……でも、冷気、メインならば」
 むしろ糧となる。冷気で吐く息が白くなった中、帯電したヘカテの銃身が発光を開始。危険を察知したフレスベルクが空高く舞い上がろうとするが、
「――レンジャー!」
 銃身から放たれたのは電磁加速した12.7mm弾。灼熱化した大質量弾は狙い違わずに、フレスベルクを貫いた。だが一撃で終わらず、銃身が破裂するまで連射。
「――障害排除」
「よし、御苦労さん。御蔭で作業は順調に終わる。後は任せろ。鹿取二士は味方の支援に回ってくれ」
「……レンジャー」
 腑に落ちないものを感じたが、爆薬を設置し終わった以上は、真希が援護を続ける必要は無い。敬礼をしてからMG4を握ると、わんこ先生と共に他の隊が突入するのを援護に回った。
「――お前達も、ユグドラシルの爆破や延焼で味方が巻き込まれないように、誘導したり、憑魔能力での援護をしたりで彼らを守ってくれ」
 真希の後ろ姿を見送った意多伎が振り向き様に言うと、美加が目を細める。
「……どういう事ですか?」
「お前達がいると全力で炎が操れない。大丈夫、炎で俺は傷付かないよ」
 半身異化状態になれば、滅多な事では火炎系魔人が火傷を負わないのは周知の事実である。事実、意多伎はメートフェンとの決戦で火傷1つ負っていない。だが不安げな表情を隠せない。
「――そうだ。任務が済んだら、義手に似合う服を選ぶのに付き合ってくれ。俺も新しい恋を見付けて、彼女と『キャッキャッウフフ☆』をしたいからな」
「あら。悪いですけど井上さんとの先約があるので、私はお断りします。任務外でも組長にお付き合いするなんて御免です。もっとも倉御さんならば喜んでお付き合いするでしょうけど。あと、高嶺の花を狙うよりももっと身近を見直した方がいいと思いますよ?」
「なっ――!」
 山倉・美津[やまくら・みつ]二等陸士の言葉に、顔色を何故か赤らめる美加。顔を背けると、
「――知りません! では、組長の御自由に!」
 肩を怒らせると、他の隊の支援へと向う。三人が去るのを確認してから、意多伎は微笑んだ。
「……昔から不器用極まりなかったな。女心も解らず、本当に駄目な男だよ、俺は」
 そして意識を集中。
 ―― 憑魔核、暴走せよ。侵蝕限界、超過!
 一瞬にして全身が炎に包まれる。仕掛けていた爆薬に引火し、また撒いていたガソリンが炎の渦を生み出した。そして更に、己の裡に呼び掛けた。
「――生まれた時からいる兄弟よ。世界樹程度を燃やし尽くす事が出来ない、がっかり残念な『小物』なんて事はないよな?」
 呼び掛けに果たして、何かが応えた。
『 ――力を求めるのは、お前か』
「ああ、兄弟。俺だ、黒斗だ」
 憑魔核を通じて語り掛けてきた“何か”が哄笑を上げた。
『 ――残念だが、俺はお前の兄弟ではない。そして、やはり知られていないようだから誤解があるようだな。憑魔核は“俺達”と交神したり、力を発動させたりする為の生体受信端末に過ぎない』
「……そうか。それは良い事を知った。だったら、呼び掛けてきた誰かさんよ。俺は力を求める! 生まれた時に母を死なせた炎である俺が、新たな母子を生かす為の炎になる!」
『 ――世界樹を焼き尽くすほどの力を求めるか。面白い。我は顕現する気はなかったが、お前の気概には応えよう。……受け取るが良い――世界を焼き尽くす、災厄の杖(レーヴァテイン)の力を!』
「――ッ!! そうか、お前の名は……。ならば来い! 俺の名は意多伎黒斗。お前の名そのものだ。俺の命を糧にして世界を焼き尽くす剣を振るえ!」
 叫びに応えて、炎の舌がユグドラシルの枝葉末節まで這い回る。消えいく意識の中、
「……俺の戦友達は、神なんて目じゃないぐらい手強い……ぞ……」
 知っているとも。そんな満足げな笑みを耳にした。

 ユグドラシルを焼き尽くさんとする大火に、維持部隊もエインヘリャルも動揺が走った。それでも燃え盛る枝々の中を銃火の音が止む事は無い。
「――消火を。消火を急ぐのじゃ」
 もはや総力戦に移行していた状況の中、ユグドラシルの火を消そうとゲオルグは氷水系魔人を出すが、まさに焼け石に水。逆に炎は唸り声を上げて、氷水系魔人を飲み込んだ。憑魔相生相剋関係すらも意味が無いほどの圧倒的な火勢。借り受けていた幻風系魔人も焼け死に、ここに拮抗していた維持部隊との戦線が崩れた。維持部隊も火勢に辛苦を味わいながらも、迷わず突き進んでくる。そして――
「……っ! 何じゃ、今の衝撃は!」
 遥か西から強大な波動が戦場を襲った。だが衝撃は受けたものの、ユグドラシルに護られており、意識を失ったり、力を削がれたりする程ではない。しかしユグドラシルの護りは、それで限界だった。
「――世界樹が焼け落ちる……!?」
 炎に蝕まれ、そして強大な衝撃波。アース神群に従うモノを護り切ったが、ついにユグドラシルは崩れ落ちる。恐れ知らずのエインヘリャルに動揺が広がり、それを見逃す維持部隊ではない。一気に攻勢を掛けてくる。残り火も波動で掻き消えた。
「……戦力自体に損害は無い。立て直せ!」
 時間稼ぎに幻惑の光を放つものの、腹に灼熱感を覚えた。何時の間にか両膝を付いている。
「――パッショーネが捉えるのは偽りではなく真実」
「気取ってないで、さっさとトドメをさせよ」
 慇懃な口調の主が気取って、コルト・シングル・アクション・アーミーの銃口に息を吹き掛けていた。護るように小太刀を振るっていたWACが呆れ顔。然り顔で頷くと、
「――チャオ」
 ゲオルグの眉間に穴が開き、身体が崩れる。コルトSAAパッショーネをホルスターに仕舞いながら、護堂は開座に振り返った。
「……こちらの損害は?」
「点呼を取ったら、2割減ってところだな。ユグドラシルが焼け落ちたとはいえ、エインヘリャルの連中は未だ健在だ。突入は少数精鋭に限る」
「了解です。萩野一士達とも、もうすぐ合流出来ます。嬉しいでしょう?」
「……いつか殺す」
「私は単に、信頼出来る戦力が加わって嬉しいですよね?――と言っただけですが」
 意地悪く笑う護堂に、開座は顔を真っ赤にして喚き始めるが、
「――護堂さん。残念ながら限界です」
 息を切らしながら、沙原・水紗[さばら・みしゃ]一等陸士が無念そうな表情をする。護堂と同じく元・第1316中隊第3小隊――通称『末尾』の一員だった魔人。殻島の死を聞き付け、第15063班に加わったものの、ゲオルグが率いていたエインヘリャルとの激戦で力を使い果たしていた。
「――これが最後になります。御武運を」
 水紗から暖かい氣が放たれると、護堂も開座も疲労が癒され、軽い傷痕が治っていった。
「……殻島隊長の仇を是非にも獲って下さい」
「――柄じゃない。仇討ちなんて、全く私の柄じゃないんですよ」
 護堂は水紗から顔を背けると、言い捨てた。
「……だったら自分が貰っちゃうぜ? ――末尾じゃなかったけど、『動け、働け、戦え、頭使え』って良く怒鳴られたもんだから。あの人は自分にとっても良い目標だった」
 肩に担いでいたパンツァーファウストを放り捨てながら、新井と萩野が顔を覗かせる。そして……
「いずれにしても、オーディンの前に立ちはだかる最後の障壁なのは間違いなかろう」
 巴に肩を貸しながら、天辺が現れた。満身創痍ながらも天辺に衰えるところはない。
「……まぁ巴が力を分けてくれた御蔭じゃがな」
「ここから先は少数精鋭での突入となります。残念ですが、沙原一士と伊坂二士はここで残留。第15063班も残しますので、退路の死守をお願いします」
「……だったら、私も」
 追い付いた真希がMG4のベルトリンクを交換しながら陣取る。そして弾幕を張りながら、
「――小瑠璃、お願い。私、殺せない、から」
 呟きに、誰ともなく重く頷き返した。

 たて続きに襲う振動の中で、玉座の主が瞑目していた右眼を開き、唇の端に笑みを浮かべるのを、小瑠璃は見て取った。
「――見上げた者がいるものだ。部分的かつ一時的とはいえ、己の命と引き換えにしてレーヴァテインを召喚するとは」
 オーディンは玉座から立ち上がり、暗がりの中で周囲を見渡した。
「――日本土着の神が放つ力すら及ばぬはずのユグドラシルも、まさかレーヴァテインとの二段重ねでは、さすがに保たなかったか。……ユグドラシルが焼け落ちた今、ラグナロクに勝利する事は難しい」
 虹の橋(ビフレスト)が掛からぬ以上、アスガルドからの援軍は見込めぬ。予測を遥かに上回ったとはいえ、ヘイムダルが討たれた時点で……。オーディンはついに大声を出して笑った。
「――ユグドラシルが再生する、万が一つに賭けるのも悪くない。スカジ、歓迎してやるぞ」
 小瑠璃は暗視機能付きの照準眼鏡を覗き込んで備える。氣を巡らして、自分とオーディン達の存在を隠すと同時に、敵の接近を察知。投げ込まれる音に、照準眼鏡を離して備えた。
 ――閃光と衝撃!
 投げ込まれたのはM16A1閃光音響手榴弾だったが、同時に入り口手前に仕掛けていたM18A1指向性対人地雷クレイモアが鋼球を噴射した。悲鳴と怒号。
「……おい! せっかく集めてきた新人2人がいきなりリタイアしたぞ!」
 入り口手前に仕掛けられていたクレイモアから放たれた鋼球。九澄・朋貴[くすみ・ともたか]二等陸士と 九澄・晶貴[くすみ・あきたか]二等陸士が咄嗟に身を張って盾となってくれた御蔭で、突入組の大多数は軽傷で済んだ。魔人であり、ボディアーマーを着させていた事もあって、未だ息はあるが、それでも重傷に違いない。追い討ちとばかりに小瑠璃も閃光音響手榴弾を投擲のモーション。だが――
「――ッ!」
 気配は完全に隠していたつもりだ。なのに銃弾が襲い来る。暗がりの中、マズルフラッシュが彩った。
「……気配は隠していても、体温や身に帯びた磁気体までは考えが及ばなかったようだな」
「――新井。種明かしをしている暇はないぞ!」
 萩野がたしなめる間も、天辺がMk2破片手榴弾を投擲。爆発して撒き散らかされた弾体に対して、咄嗟に氣の防護壁を張ってしまうが、
「――狙い撃ちには充分です」
 気配を隠す事と、防護壁の同時展開は不可能。暗闇の中、赤い弾道が小瑠璃を襲う。撃ち出される銃弾に翻弄されるうちに、近くに気配を感じて振り向いた。
「――銃弾が飛び交う暗闇で接近戦させんなっつーの。いつか絶対殺す!」
 白刃が閃いた。戦闘防弾チョッキが切り裂かれる。暗闇の中では相手も手探り状態のようだが、小瑠璃が氣を探って相対しようとする瞬間、防護壁が消える。その瞬間に赤い銃弾は悪視界を物ともせずに敵味方を正確に区別すると、小瑠璃だけを傷付ける。組み付く間もなく、手足を撃ち抜かれて床に転がった。玉座の間でオーディンが猛威を振るっている様子は窺い知れるものの、小瑠璃の助けに回ってこない。
「――神州に真の平和をもたらす方法は、人類の勝利以外あり得ませんよ。どのみち貴女にそれを享受する資格はありませんが」
 慇懃な声が掛かった瞬間、灼熱の鉛が叩き込まれて、内部で弾ける。業火が身を包み――小瑠璃の意識は闇に落ちた……。最期に脳裏に浮かんだのは、かつての幸せな想い出か、それとも信じようとしてくれた友人の笑顔か――燃え盛る姿にパッショーネで止めを差した護堂には興味無き事だった。

 玉座に擬態していた異形系魔人は、探り出した瞬間に萩野と新井の合わせ技「デビチル・ライトニングフレイム(※叫んだのは新井だけ)」で瞬時に葬り去った。が、オーディンは付け入る隙を与えず、天辺も加わった三人掛かりでも守勢を強いらせられていた。
 天辺が振り下ろした小烏丸で残像を残して捌くと、返す刀で斬り付けようとする動きに出る前に、腕を押さえてきた。オーディンの右手が天辺の手首を、左手が肘を掴む。肘を曲げる事が許されぬまま、巻くように捻られ、前下方に圧せられ――折られる!?
「――させるか!」
 炎を上げて新井は拳を繰り出す。ラッシュを、だがオーディンは涼しげな表情でスウェイ。距離を置くと思いきや、身を屈めての回し蹴り。凍気を纏っての蹴りに、萩野が割り込んでガード。半身異化した身に凍気は効かずとも、蹴り自体は止められない。衝撃で新井もろとも壁に叩き付けられた。
「――策謀と知略が得意の魔術師かと思いきや、何だよ、あの完璧超人!」
「……ローブの下の肉体が、あれほど鍛えられているとはな」
「だが退く訳には行かない――新井!」
 萩野の呼び掛けに、応!と返すと新井は駆け出す。同時に天辺が小烏丸にて連続刺突。更に――
「二刀流じゃ!」
 幻風系が憑いたマチェットを振り下ろした。さすがのオーディンも避けきれぬと思ったか、氣で硬化した腕で受け止める。そこを萩野の雷をまとって、新井が咆哮を上げた。
「――デビチル・メギドフレアー!」
 決まった! だが直撃しようとする刹那に、空間が爆発。三人共に吹き飛ばされる。
「……殻島隊長と同じく空間系も持っておったか。さすがはアース神群の王。何でもありじゃな」
「雷電、幻風、氷水、祝祷、操氣、強化――そして空間を確認。また素体の格闘能力にも秀でている」
「……もはや打つ手はなしかのぅ」
 だが言葉とは裏腹に、爛々と目を輝かせながら天辺は二刀を構える。新井が歯を剥いて笑う。溜息を吐きながらも、ヒビの入った眼鏡を掛けなおして萩野が立ち上がる。オーディンは不敵に笑うと、
「――グングニル!」
 凍て付く風を纏った雷撃が無数の槍となって、放たれた。同名の『神殺しの武器』は伝承によると必中であったり手元に帰ってきたりと2つの説があるが、どちらにせよ、放たれたならば
「致命傷を避ける事だけを考え――」
 天辺の警告が聞こえたかどうか。満身創痍ながらも未だ息がある3人に、オーディンが感心したような吐息を漏らした。
「――おまえ達が望めば、エインヘリャルとして迎えよう。また、それほどの器の持ち主。アスガルドの息子達を受け入れる事も出来ようぞ」
 オーディンの降伏勧告に、3人が答えた。
「断る」「願い下げじゃ」「寝言は、寝て言え」
 3人の答に、だがオーディンは満足げに笑うと再びグングニルを放とうとした。だが床が振動して体勢を崩す。同時に気弾が3人に撃ち込まれた。疲労と痛みが少しだが和らぐ。
「――お待たせしました」
 床に手を着いた開座と、パッショーネを構える護堂。
「スカジも倒れたか。だが――2人加わったところで、我に勝てるとでも?」
 問われて護堂も言葉を窮する。5人で掛かって、ようやく拮抗するかもしれない戦力差。同じ主神/大魔王クラスであったレヴィアタンは倒せたものの、数週間も掛けて用意周到に準備をして挑んだ御蔭だ。オーディンと同じ状況で挑んで勝てたかどうか判らない。
「……勝てるさ。神殺しの武器に匹敵する策が、自分にある」
 焦燥感に押し黙っていた中、新井が不敵な笑みを浮かべた。新井は覚えていた。旧・鳥取赤十字病院での激戦を。
「――萩野、コートの力を解放しろ。そして雷を俺に寄越せ!」
 察した萩野がコートを翻す。表面に浮いた水滴が霧散して、萩野が放つ雷光を躍らせた。
「……させるか!」
 さすがのオーディンも血相を変えたが、パッショーネの銃撃で護堂が邪魔をする。オーディンが黙らせようと一気に詰め寄るが、
「――目晦ましは如何です? 遠慮なさらずに」
 護堂は隠し持っていた閃光音響手榴弾で自分諸共に、オーディンの視覚と聴覚をしばし奪う。その間にも雷撃を新井が受け取り、そして開座が繋ぐ。もはや嵐となった強大な力。
「……だが幻風系がいないぜ!」
 開座の叫びに、だが躍り出るのは、
「――新井。もはや無傷で返すのは難しくなったようじゃな」
「問題ないさ、ジイサン。遠慮せずに突き立てろ!」
 心得た開座が、天辺が手にしたマチェットに力を注ぎ込んだ。――神を殺す力。雄叫びを上げると、天辺は一気に振り下ろした!
 ――力に耐え切れずに砕ける刃。
 ――そして、張った空間と氣の防護壁ごと、両断される、神の王。
 ……全てに、決着が付いたのだった。

*        *        *

 河原城跡地の焼け落ちた巨樹。慰霊碑代わりに立てられた石塔に、美加は献花する。そして八頭郡攻略で戦死した勇士達へと敬礼した。頬を暖かいものが伝ったが美加は拭う事もせずに敬礼し続けた……。

 藪を掻き分けて、誰も足を踏み入る事がない場所に信号銃を埋める。親友の形見。真希が渡した、唯一の品。わんこ先生が慰めるように顔を舐めてくれた。
「――帰ろうか、わんこ先生」
 そして一度だけ振り返る。
「さようなら……小瑠璃」

 ペイブロウを操縦して、警戒監視を続けていた大空は複雑な表情を浮かべていた。地上ではムスッペルやヨトゥンが隊列をなし、海岸へと向かって足を勧めている。巨人達は病棟の屋上で見送ってくれている少女へと頭を下げたり、手を振ったりして、まるで別れを惜しんでいるように思えた。
「……事実、巨人族の女神に対して、別れを告げているのでしょうね」
 鳥取港跡には、巨大な艦船が停泊しており、巨人達が乗り込むと、虹色の光を発して、消えた。
「――巨人達の消滅を確認。これより帰投します」
 大空の報告に、無線の向こう側から溜め息の音が漏れ聞こえてきた。思わず苦笑すると、ペイブロウを米子へと向けた。

 八頭郡攻略戦で負傷した隊員達で、旧・鳥取赤十字病院は溢れかえっていた。衛生科隊員が息吐く間もなく動き回る姿には、申し訳ないものを感じる。
「――護堂三曹達は四国にトンボ帰りする予定だったところを賀島三尉に強制入院させられたとか」
 見舞いの林檎を食べながら、萩野が同室の新井に話し掛ける。だが新井は唸りながら何事か呟いており、どうも萩野の言葉を聞いてはいないようだ。耳をそばだてると、名前を上げている。
「……世界を焼き尽くす炎の代わりに生まれる小さな希望の灯火。という訳であかりちゃん。賀島あかり? 小島あかり?」
「どうして貴方が名付け親になろうとしていますか」
「いや、その、何となく……」
「……自分の事でも心配しなさい。聞きましたよ、伊坂二士とはどうなのですか?」
「ばっ、莫迦を言え! いや、その……それを言うならば、お前だって、開座一士とはどうなんだよ?」
 新井の逆襲に、萩野は黙して語らず。言わぬが華。ウサギの姿になっている林檎に楊枝を刺した。新井もまた綺麗に切り分けられた林檎を口に持っていった。
「――話は変わりますが、天辺二士がまた脱走を仕掛けたそうです。忍さんから聞きました」
「……ジイサン、元気だよな。魔人じゃないはずなのに、どこにそんな体力があるんだろ? 巴も大変だ」
 恋愛に不器用な男2人は、再び黙々と林檎を食べるのだった。

 ――そして夏至の日。世に言われる黙示録の戦いが始まった。高位の超常体が、神州の支配権を巡って相争い始める。天を覆う、神の御軍。地を覆う、魔の群隊。人々は拠点を死守するのに精一杯だった。

 無線機の送信端末を手に、静香は報告をする。
「――セタンタ曹長、聞こえまして? 出雲空港跡地にて魔群を確認。現在、スコッパーが交戦中。念の為にSASに増援を要請しますわ」
『……了解。自衛隊に従うさ、約束だからな』
 交信を切り、静香もまたFNハースタルP90を手にして援護射撃を加える。大國主の影響下にあって弱体化しているとはいえ、どこかに隠れ潜んで波導を免れていた魔群は厄介極まりない。峰山達が奮闘しているが用心に越した事はなかった。
「全く厄介です事!」
「同感だ! どこかにアスタロトの居城があるはずだが……見付け出して叩き潰さないといけないな!」
 峰山は悪態を吐きながらも、懸命に大円ぴを振り回してガーゴイルを圧倒してみせるのだった。

 ……病室に若い夫婦が2人っきり。
「――召集令状って?」
「うん。……貴官の活躍を認め、黙示録の戦いへの参加を要請する――落日中隊って書いてある。強制じゃないから、召集に応じなくとも別に咎めは無いみたいだし……この子の為にも、ねぇ?」
 優希は下腹部を優しく撫でながら微笑むと、頬を紅く染めて、久美も笑った。
「ところで、優希さん。名前決めてくれた?」
「いや、その、ねぇ……色々と周りも考えてくれているんだけど……」
「――男の子だったらアキトって駄目かな。『暁』を皆にもたらす為に『斗』う人って意味なの。……2人にはお世話になったから」
 久美の暖かい眼差しに、そして優希は頷き返した。

 ……だが、それでも新たな生命は産まれ、そして育まれていく。願わくは、この子達の未来に幸あれ。

 


■状況終了 ―― 作戦結果報告
 中国・山陰地方(北欧羅巴)作戦は、今回を以って終了します。
『隔離戦区・神人武舞』第13旅団( 山陰 = 北欧羅巴 )編の最終回を迎えられた訳では在りますが、当該区域作戦の総評を。
 各地に戦場が点在していましたが、1つずつ丁寧に対応し、上手く勝利していたと思います。
 東郷湖における戦いは、フェンリル発見が早かった為、かなり前倒しになりました。当初の展開ではクロウ・クルアッハのみならず、バロールまで顕現するはずでしたが、迅速な解決が有利に運んだ結果と言えましょう。
 旧・鳥取赤十字病院防衛戦で各個撃破が成功したのは、皆様の役割分担と連携によるものです。もっともベリアルを倒しきれずに逃がしてしまったのは、残念な結果でしょうが、これは最終決戦にて敵戦力の増大という形で現れる事になります。御了承下さい。
 レーヴァテインについては、当初の予測を遥かに超える結果に、こちらが驚いてしまいました。まさに盲点を突くアクションに、脱帽です。ただし最終決戦時に戦力が激減してしまいますが、お覚悟の程を。
 大國主の復活は期限まで間に合わずに終わると内心焦っておりましたが、病院防衛が前半で終結して事もあり、無事に戦力が揃って一安心しました。
 対オーディン戦は、敵味方に分かれた上に、まさしく死力を尽くしたものでした。アクションや判定次第ではオーディンが勝利する可能性もありました。意多伎士長の文字通り命を掛けたものが、結果を大きく決めたと思います。――但し、これは最終回だからというのを利用した自殺アクションとも見做されるので、有効性や必要性は兎も角、お奨め出来ない……むしろ禁じ手とも言うべきアクションです。今回はイエローカードを出すに止めておきますが、以降、類似のアクションは没や失敗になると考えて下さい。
 それでは、御愛顧ありがとうございました。
 この直接の続編は、当分先になると思います。とりあえずは、時間を少し溯りまして、同時期に北海道での作戦に御参加頂ければ幸いです。
 重ね重ねになりますが、ありがとうございました。

●おまけ・設定暴露:
 ベリアルは女性体のように思えて、実は無性です。既存作品におけるイメージモデルは、由紀香織里『天使禁猟区』花とゆめコミックの、まんま、その人。
 メフィストフェレスは祝祷系で、諜報工作員の位置付けです。色々と暗躍していたのですが、誰も関わろうとしなかった為、殆ど流されてしまいました。
 スルトとロキは元の世界――ヨトゥンヘイムのウトガルズで遊戯の行方……というか、ヘルが望みを叶えるかどうかを見守っていました。
 大國主が発した波導の影響を、久美(=ヘル)やヨトゥン、ムスッペルが受けていないのは、アース神群ではないからです。またヘルは小島士長と契りを交わした時点で「日本人」に識別されたという秘密もあります。
 オーディンの既存作品におけるイメージモデルは、松江名俊『史上最強の弟子ケンイチ』少年サンデーコミックスの“完璧超人”“長老”こと風林寺隼人。山陰において、まさしく最強でした。アスタロトよりも強いです。
 山陰で出てきた神器は、ブリューナクと聖杯(ダグダの大釜)のみ。ミョルニルや、クラウ・ソナス、ゲイボルグ、グングニルは、必殺技の掛け声にしか過ぎません。
 最大の謎である、メートフェンの正体ですが、山陽編や四国編、そして『神州結界』『砂海神殿』においてヒントが散りばめられています。自分から申し上げられる事は“這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”を追放しようとしているとだけ。なお原典であるH.P.ラヴクラフト御大の作品とは全く関係ありません。
 クトゥルー神話や聖書(?)は隔離戦区シリーズの大元ネタ(の1つ)ですが、そのまま持ってきている訳ではないので御注意を。諸説入り混じって、その上で持論を展開しています。J.R.トールキン大先生によれば、旧神ノーデンスはヌァザ=アガートラムと類似点が見出されるそうです。神州世界において、O.ダーレスが確立した体系は通じません。与那国島近海にクトゥルーを封じたのは、ダーレスが言うところの旧神ではありません。隔離戦区シリーズにおけるエルダー・ゴッズは何か?と問われれば、ガイア・エレボス・タルタロス・ニュクスと自分は答えるでしょう。

※註1):マグダラのマリア …… 米国で2003年に出版されたダン・ブラウンの長編推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』で世界的に有名になった説だが、出版される以前より「『最後の晩餐』で描かれているのはマグダラのマリア説」というのは議論されていた。なお神州世界で海外作品の『ダ・ヴィンチ・コード』は出版されている可能性があると考えても良い。


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