第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・神人武舞』 第4回 〜 四国:濠太剌利


Oce4『 The overture to the release 』

 押忍!という掛け声を出して生い茂る樹木を掻き分けながら進む。大きく髑髏が刻まれた、四国を模った第2混成団の印章――第15特務小隊が眉山にて展開していた。
『 ――逃走中の敵火炎魔人と思しき人影を、国道438号線沿いで目撃したという報告が上がっています。誰何の声を振り切って、眉山へと逃げ込んだ模様』
「了解した。県道203号線を北上し、国道192号線へと回り込め。眉山北面を封鎖せよ」
『 ――承知しました』
 神州結界維持部隊中部方面隊・第2混成団第50普通科連隊・第1502中隊第1小隊長の 猪狩・夏見(いかり・なつみ)准陸尉は手持ちの部下に指示を出すと、壱伍特務隊長の番長君こと 八木沢・源道[やぎさわ・げんどう]准陸尉へと振り返る。意見を求める。
「……このまま山に潜まれたら厄介だな」
「敵位置を探り当てても、山中の利を先んじられれば損害も莫迦にならないからな。慎重に――といいたいところだが、レヴィアタンの接近も間近だ。早目に片付けるのに越した事は無い」
 首に嵌めた革製の装身具を撫でる。知人から借り受けた首輪には、憑魔が寄生している。周辺の氣を探知する等で便利だ。しかし滋養として着用者から活力を吸収する際、首筋を撫で回される感覚は気分が良いものではない。頭を振ると、
「――ともかく決戦に向けての下準備として、事前に障害となるものは掃討すべきだ」
 蒲生田岬のラインを突破した七つの大罪が1つ“嫉妬”を司りし大魔王 レヴィアタン[――]は、悠然と北上してきている。既にSBU徳島分遣隊基地跡からも観測出来る程だ。第2混成団長、綾熊・敏行[あやくま・としゆき]陸将補から迎撃指揮権を任せられた夏見は上陸阻止を断念。代わって、
「――報告によればレヴィアタンの目的は、四国の奥に封じ込められているというベヒモスとの接触にある。川を遡上する事が考えられ、おそらくは……」
 吉野川が決戦場となるだろう。既に第14特科隊と第14施設中隊、第14後方支援隊は吉野川沿いの決戦地点への展開を要請している。レヴィアタンが接近するまでに夏見達が出来る事は……障害の排除だ。不確定要素は可能な限り少ない方が良い。先のSBU徳島基地攻略戦で逃亡した敵魔人。彼もまた北――吉野川方面で目撃されたのは偶然ではあるまい。ならば……
「――山狩りだ!」
「押忍!」
 首輪に寄生している憑魔の力を解放。撫で回す感覚に震えるものを感じる。思わず吐息が漏れそうになるが、奥歯を噛み締めて自制してみせた。その苦労の甲斐もあってか、熱いものを感じ取った。感じ取った方向に掌をかざすと、ますます熱気を感じる――火炎系超常体に間違いない。合図を送ると、部隊を分けての散開。地図と無線を頼りに逃走経路を塞ぐように展開する。
「――各自、罠が仕掛けられている。足下に注意」
 夏見は近付くにつれて、憑魔系能力による火種が追跡路に仕掛けられているのを感じ取った。触れた者を火達磨に変える、即席の地雷。首輪を貸与してくれた知人に感謝しながら、木陰に身を隠す目標を視認。合図を送った。
「――アルファー、ブラボー、チャーリー! 遮蔽物ごと殲滅せよ」
 押忍!という唱和が3つ。続いて壱伍特務に貸し与えていたBarrett XM109 25mmペイロードライフルが咆哮を上げた。三方向からの砲撃は身を隠していた物ごと吹き飛ばし、影形も残さなかった。
『――砲撃やめ』『目標、跡形もなし』『状況終了』
 米陸軍が湾岸戦争後に打ち出した対物狙撃兵器の開発を進める計画の中で、特殊部隊用に50口径(12.7mm)アンチマテリアルライフルより高性能でより破壊力のある25mm弾を使用した重装弾狙撃銃(ペイロードライフル)の開発を打診し、米国の銃器メーカー、バーレット社が1990年代より開発を進めてきた大口径アンチマテリアルスナイパーライフルがXM109である。超常体の出現により開発が遅れたが、2012年に制式採用され、一部米陸軍特殊部隊に先行導入されている(※註1)。
「余りにも呆気ない最後だったな」
 鼻を鳴らす、夏見。だがレヴィアタンにはXM109ですら通じるかどうか……。握り拳を固めるのだった。

*        *        *

 先日までの攻防戦が傷跡として生々しく残る、旧・小松島海上保安部――SBU徳島分遣隊基地跡では復興作業と共に、レヴィアタンの観測と来る決戦に向けての準備が進められていた。だが全ての維持部隊員がそうという訳ではなく、
「……松山のWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)が行方不明だちゅう話や」
 第15普通科連隊・第15071班乙組長、三笠・修司(みかさ・しゅうじ)陸士長が噂話をするように、馴染みとなった面子に語り掛ける。頷くと、SBU高知分遣隊・第9班イ組長の 有馬・喜十郎(ありま・きじゅうろう)海士長が腕組みしたまま、
「聞いておる。該当地の石鎚山には、高位上級超常体――話に聞くと『変人バット』と呼称される存在がいるらしいな……。生存の可能性は低いが、何とか救出してやりたいものだ。せめて遺品を拾ってやらねば、成仏も出来んじゃろう。それに……」
「そう。そもそも、そのWACは石鎚山に封じ込められているという石土毘古命を解放しに行ったらしいですね。しかし解放されたら解放されたでの兆候が窺い知れません。恐らく失敗したのではないかと」
 第50普通科連隊・第15063班長、護堂・銃司(ごどう・じゅうじ)三等陸曹が続けると、有馬は然りと首肯した。
「ならば無念を晴らす為にも、誰かが遺志を引き継いで、石土毘古命を解放せねばならんのぅ」
 有馬の言葉に、護堂は気取った素振りで肩をすくめると、
「――亡くなったセニョリータには申し訳ありませんが私にとって優先すべきは彼女の無念を晴らす事でも、敵討ちでもございませんよ。私はオカルト説信者ではありませんが、もしも解放によってレヴィアタンに有効な手立てがあるとすれば、それに賭けてみようかと考えているだけです」
「……それが亡くなったWACの無念に晴らす事に繋がるじゃろうて」
 人生経験も豊富な事もあるが、そろそろ付き合いも長くなった事もあって、有馬は冷徹で打算的ともとれる護堂の言葉から、彼なりの優しさを見て取った気がした。思わず苦笑する。何となく気恥ずかしいものを感じて、居心地を悪いものを覚えた護堂は咳払い。
「――石土毘古の件がどうであれ、どのみち最高位最上級超常体“闇の跳梁者(ハンター・オブ・ザ・ダーク)”が殲滅対象である事には変わりありませんよ」
「そやな。WACの捜索と石土毘古神解放の成り行き上やけど、変人バットは攻略せなあかん」
 三笠が締め括ると、有馬と護堂は頷いた。そのまま視線を移し、
「――巳浜士長も連れて行こうと思うが、問題はないか? 戦力が不足し――といっても基地攻略と魔王撃破の立役者がこれだけ揃っているが……猫の手も借りたい状況になるかもしれん。巳浜士長には、衛生員として作戦に参加させたいのじゃが」
 有馬に問われて、巳浜・由良[みはま・ゆら]海士長の監視役も兼ねている衛生科二尉(女医)は思案顔。暫く悩んでいたようだが、
「ああ、問題は無いだろう。第2混成団の管区内ならば上層部も了解する。これが、違う管区ともなれば、面倒な事になるが」
 自分の事でありながら、相変わらずの寝惚け眼であらぬ方向を見詰めている由良を横目にして、
「あんなんでも魔王として目覚めるかどうか疑われていた身だ。ましてや今は腐っても主神級の超常体だからな。身柄の取り扱いは、今も第2混成団の監視下に置かれている。そもそも巳浜についての最終決定権は『落日』という機関が有しているのさ」
「……ああ、『落日』かどうかは判りませんが、巳浜士長――ユルングに関して、ある程度の自由に行動出来るよう便宜を図ってもらおうと上に当たりましたら、それらしい機関から連絡がありましたね」
 護堂の呟きに、皆が注視。
「とりあえず第2混成団管区内ならば自由に行動させても不問のようです」
「……海田市駐屯地から招聘の要請があったが、断固として拒否した。用があるなら自分から来いってな」
 女医が悪態を吐く。小首を傾げた由良が笑うと、
「ドリームダイブは距離の隔たりは関係無いよ〜。ダイブしたいのならば専用選択肢でね〜。逆に言えば、それ以外はアウトにしているから」
「……何か、メタな事を喋りはったで」
 三笠は頬を引きつらせながら困った顔。さておき有馬は咳払いすると、
「では巳浜士長と二尉は、わし等と同行して石鎚山に向かうとして……積太郎はどうするつもりじゃ?」
 今までおとなしく話を聞いていた、孫でもある 大山・積太郎(おおやま・せきたろう)海士長に問い質す。大山は頭を掻いてから、
「僕は……ベヒモスについて調査をしておこうかと」
「ふむ?」
 思わぬ回答に一同が唖然。大山ははにかみながら、
「ほら。ドリームダイブでレヴィアタンの目的を探ってきたのは僕だし、こうなったら最後まで調査しようと思って。それに……レヴィアタンが近付くとベヘモスが目覚めて、『巨大怪獣夫婦コンビが四国で大暴れ!』というのは回避したいから」
 言葉はアレだが、回避したいのは誰もが同じ。
「――部下を率いるようになったんじゃからな。頑張るのじゃぞ」
 今まで積み重ねてきていた功績もあり、大山はSBU高知分遣隊・第4班ロ組を率いる事になったのである。有馬は嬉しそうに大山の背を叩くと、
「おぬしの成長振りと、調査の結果に期待しておる」
「いや、でもお祖父さん。出来れば、由良ちゃんにも付いて来て貰いたいんだけど……」
 身長191cmの巨漢が萎縮しながら、祖父の顔色を窺う姿は滑稽だ。目を細め、眉間に皺を寄せた有馬へと弁解するように大山は続ける。
「ベヒモスが目覚める前に何とかしなければならないけど、その『何とか』する方法がいまいち判らないし。今回は高越山に行くけど、この地が当たりとは限らない。ドリームシャーマンである由良から助言を得たいので付いて来て欲しいんだ」
「……助言を受けるだけやったら、別に現地に連れて行く必要はないで。ここでドリームダイブする方が余程安全やないか。アタリかハズレかも判るんちゃうか」
 三笠が呆れ顔で言う。女医がコメカミを指で押さえながら、溜め息を吐く。
「それに先人達は足を運び、現地調査でアタリかハズレかどうか、そして『何とか』する方法を自力で探ってきたんだ。行方不明になったWACもまた同じだったろう。……だが、お前の言い分だと本人は楽して、助言という形で巳浜士長を便利な外付け判断装置にしているようにしか聞こえん。――女性を誘う時はもっと素直にな。下手に言い訳するから反感を買う」
「――積太郎。そういう訳じゃ。それに、わしが巳浜士長を石鎚山に連れていくのは、ただ衛生科隊員の役割を担ってもらうだけではない」
 勿論、WAC救出の際に少しでも医療技術の心得がある者が必要というのは間違いない。しかし有馬が本当に懸念しているのは別の事だ。皆を不安がらせないよう今は口に出さないが、老婆心ながらも『その時』の為にも由良を連れて行かなければならなかった。
「……積太郎。今回は我慢せい」
「女っ気が欲しいなら部下にいるだろ」
 頬杖を付いて 開座・忍[あかざ・しのぶ]一等陸士が毒舌を吐きながら、新たに大山の部下となった 音無・玲子[おとなし・れいこ]二等海士に視線を送る。ついでに言うと 北条・定美[ほうじょう・さだみ]一等海士が長い前髪の合間から、恨みがましい視線を送っているのは気の所為ではあるまい。
「何です? その言い分だと……戦場でも女扱いして欲しかったんですか?」
 横から護堂がヴェルサーチのスカーフをいじりながら口を出すと、開座は鼻を鳴らして睨み付け、
「……いつか殺す」
 女性を中心にした険悪な雰囲気に、三笠が肩をすくめて溜め息を吐く。
「――何か女性問題はややこしいわ。男衆は影が薄いし……」
 北条・慎吾[ほうじょう・しんご]一等海士と、新たに大山の部下として加わったもう1人、木野・宗太[きの・そうた]二等海士は顔を見合わせると、すぐに激しく同意してきたのだった。

*        *        *

 石鎚山に向かったWACが音信不通――という話は、彼女のホームグラウンドであった松山駐屯地でも当然大きく取り上げられていた。
「……藤原、お前も逝ってしまったか」
 ブラインドを下ろした窓。指で僅かな隙間を作り、外からの明りを採り入れる事で、表情や仕草に陰影の強調を付ける。もの悲しい雰囲気が支配しようになるところを、
「――縁起でもない! まだ死んだと決まった訳ではないでしょう?!」
 握り固めた拳骨で背後から叩かれた。大尾田・晋明(おおおた・くにあき)二等陸士は頭を押さえると、
「――脳細胞を死滅させるつもりか? 第一、病み上がりに対してもっと穏便に!」
 笑顔ながらも眼は笑っていない松山駐屯地警務隊2班長、夏目・和子(なつめ・かずこ)一等陸曹へと抗弁とも、なだめとも取れる態度で大尾田は向かい合う。思い出したかのように、城戸・玲[きど・あきら]陸士長が手を叩き、
「復帰おめでとうございます――モコイの呪いだとか。大変ですね。大丈夫ですか?」
「モコイは悪くない! モコイの悪口は言うな」
 フライング・ポリプが活動する中心地が砥部町である事を最初に突き止めた大尾田だったが、過労から来たものか寝込んでしまい、半月程の休養を余儀なくされたのだ。駐屯地の者は低位下級の小型超常体モコイの呪いと噂していた。モコイ好きか行き過ぎて、取り憑かれたのだと。実際にモコイとはアボリジニの一部族ムルンギンの言葉で「悪霊」を意味する。
「まぁ、まあ。何にしろ復帰おめでとうございます、大尾田二士。さておき藤原二士の生存は絶望的であるというのが、多くの一致する意見です。夏目一曹も心の内では解かっていらっしゃるのでしょう?」
 本当は誰よりも要救助者の生存を祈っている第2混成団第14飛行隊・救難飛行隊第2小隊長の 大空・燃(おおぞら・もえる)准空尉は、それでも沈痛な表情で事実を述べる。和子はうつむいた。
「――あの時、藤原二士に付いて行けば……」
 面を上げて、石鎚山方向へと強い視線を向ける。普段の、よく笑い、周囲に安心感を与えてくれる和子とは違う、怒りと決意の眼差し。
「――仇はきっと取るわ」
「高知の方からも救助隊が出向してくるようです。規模は――普通科が2個班程度」
 和子の警務隊2班と合流すれば、規模は1個小隊になる。ならば、と第15041班長(陸曹長)は整備済みの89式5.56mm小銃BUDDYを抱えると、
「――石鎚山方面は任せて、こちらは砥部衝上断層の遺跡探索に向かうとする」
「あら? ……正直に言うと、変人バットの電撃攻撃に対する為に石丸士長の力を借りたかったのだけど」
「石丸士長ことイシアンには遺跡の調査を手伝ってもらわないと困る」
 イシアン―― 石丸・隆児[いしまる・りゅうじ]陸士長と精神交換した外部世界の精神存在(※固体名は不明)は、フライング・ポリプの掃討に協力的だ。現代科学の数歩先を行く知識を有しており、ある種の情報管制があるらしいのだが、
「フライング・ポリプ自体についての情報には管制が布かれていませんので。そもそも、フライング・ポリプの出現自体がイレギュラーなのです」
 何に対してのイレギュラーなのか。残念ながら、それについては情報管制に引っ掛かるらしく頑固として口を割らなかったが。
「色々と話を聞いたが、あの施設が何であるか隠す気も情報管制に引っ掛かっている事もないので、構造の説明や簡単な地図を戴いた」
 抜け目ない大尾田。それでも、
「――しかし、それは放棄した数万年前当時のデータによるものですから。フライング・ポリプによって、幾つか修正が施されている可能性はあります。私達から見れば『蛮人』ですが、見掛けによらずフライング・ポリプの知性は高いです。少なくとも、この世界の平均的成人男性と同様の教養知識は有しているはずです。否、それ以上かも。そうでなければ彼等はこの世界の物理法則を逸脱して生存出来ません」
「……随分と難しい話になりそうだが」
「フライング・ポリプは、この世界とは別の物理法則下で生存活動を維持しています。逆に言えば、この世界の物理法則では生きていく事が出来ないのです」
 大空が挙手して口を挟む。
「世界が違えば物理法則が異なるという事(※註2)がありえたとして……つまりは何らかの手段でフライング・ポリプは生存条件をクリアしているという事ですね?」
 フライング・ポリプは浮遊が可能。吹き出す風は、対象を押し出すのではなく、逆に吸い上げるような現象。銃弾も火も効果は薄い。死んでも遺骸は残らない。……思い付く限りでも、フライング・ポリプが如何に世界の物理法則から逸脱しているか理解出来る。では、電撃が絶大な効果があるのは?
「――答はナノマシンです。フライング・ポリプは体内或いは表面に、自分達が棲んでいた元の世界と同じくする力場を発生させるナノマシンを散布ないし埋め込んでいます。電撃が絶大な効果を上げるのは、ナノマシンが破壊されるからです」
「自分達の物理法則が消滅すれば、こちらのものには耐え切れなくなる――という事か」
 大尾田はメモを取りながら頷いた。確かに、それならば、こちらの世界でも理屈に合う。
「……電撃攻撃が有効な理由は解ったわ。それと石丸士長が、フライング・ポリプ掃討を優先させる事も」
「亡くなった藤原さんには申し訳ありませんが」
 イシアンは頭を掻きながら、謝ってくる。イシアンにしても、その身体である石丸士長にしても、和子の部下ではない為に、無理強いは出来ない。あくまで協力者であり、今は第15041班に所属する身だ。
「諦めたわ。……では、一刻も早く高知から来る部隊と合流して、変人バット対策を摺り合わせないと。本当に石丸士長の電撃系憑魔能力は惜しいけど」
 苦笑する石丸。思わず本音が出たようだ。
「――下手すると、石土毘古復活で、私は巻き込まれて死んでしまうかもしれませんしね。あの遺跡に入る事で、やり過ごせれば良いと考えているんですよ」
 目が点になる一同。イシアンの真意が解るのは、先の事だった。

*        *        *

 石鎚山の一部である弥山。石鎚神社山頂社殿において餓死寸前の少女が食べられる物がないかと、背嚢をまさぐっていた。
「……どっこい、生き……てる、シャ●のなぁか〜」
 意識を維持する為に、体力消耗しない程度に歌を口ずさむ。食べ物はなかったが、現在の所持品を確認出来た。
「えーと……SIGに、BUDDYに、業務用強力ライトに、スタンロッドに、社にあった青銅製の円盤――残された書物から調べると、これがエイボンの護符印とかいうヤツっスね」
 鉤十字のような、でも3本の脚が渦を描くような奇妙な紋章がエッチングされた青銅製の円盤。落としたり割れたりすると不味いので、藤原・ノノ(ふじわら・―)二等陸士はしっかり懐に隠しておく。何よりも、これを最高位最上級超常体“這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”が化身の1つである、高位上級超常体“闇の跳梁者”が変じた、蝙人バット[へんじん―]に盗られてはならない。ちなみに説明がややこしくて不十分な為に誤解も多いが“這い寄る混沌”と“闇の跳梁者”は同一だが別個の存在である。……さておき、
「そして自分、独りで“闇の跳梁者”をどうにかして、この円盤を天狗岳に封じられている石土毘古様のところまで届けなきゃならないって事っスよね……」
 …………。
 ……………………。
 …………………………………………。
「何とか出来るかーっ!!」
 心の中で、一徹風卓袱台返し。実際にやったら、ただでさえ残り少ない体力が一気に尽きてしまう。ノノ、じっと我慢の子であった……。
「うう、今回は本気で死ねるかも……シクシク」
 涙も枯れ果てたのか、擬音で涙を表現する。毛布に包まり、社殿の床に転がる。
「……とりあえず体力が続くまでは、ひとまず社の中で待機しておくっス。まー、ないと思うっスけど別の場所で何か起こって、闇の跳梁者がそちらに向かうって可能性もある訳ですし……」
『あけてよーあけてよー』
 閉じた扉の外側から、明るい声で蝙人バットが声を掛けてくるのが、無茶苦茶怖い。夢見るは壁の中から引っ掻く鼠。屋根の上で踊る怪物。
「――ねぇ、それ、何処のホラゲ?」
 ……本気になれば扉どころか壁や天井を雷撃で打ち破って突入してきても可笑しくないのだが、意外にも蝙人バットは強行してこなかった。正面の旧き印(エルダーサイン)が効いているのか。それとも、自分をからかって、遊んで、なぶっているのか。見当が付かない。欧州の有名な伝承では家人が招かねば悪霊(吸血鬼)は中に入り込めないというものがある。それを真似しているのか? いずれにしてもエイボンの護符印を取り上げようと狙っているのは間違いなかった。しかも……
「もしも捕まったら命以外のものも奪われそうな気がする。……主に純潔的な意味で」
『 ――待て』
「だって変態だし」
『ちょっ! まっ、待て、お嬢さんは何かを誤解してないか。このイカす衣装の何が変態だというのだ!』
 何か、外でポージングしているような気合いの入った声と音が聞こえてくるが、きっと気の所為。幻覚だから無視するっス。
( ……救助も来ず、これ以上疲弊すると不味いと判断したら、単独で立ち向かうしかないっスねぇ)
 泣き止まぬ腹の虫を抑えながら、ノノは決意を秘めるのだった。

*        *        *

 吉野川は高知及び徳島を流れる吉野川水系の本川である。幹川流路延長194km、流域面積3,750平方km。その流れは徳島北部・西部民の心の象徴であるとも言われていた。
『 ――准尉、こちらは展開配置を終えた』
 第14特科隊の一尉から報告を受けて、夏見は労いと感謝の意を伝える。レヴィアタンとの決戦に備えて吉野川沿いに大部隊が集結している。SBU徳島基地攻略部隊からも人手を回して貰えば、第2混成団管区において最大規模の迎撃戦力となる。
( ……それでもレヴィアタンの防御力を結界維持部隊が現有する武器で突破するのは困難を極める)
 先日の戦いで得た記録が、それを裏付ける。
『 ……准尉。重ねて確認するが、俺達は動かないでいいのだな?』
「ええ、今回は戦力の温存に努めてくれ。とにかくレヴィアタンの心臓部――核を特定させる事が先決だ」
『 ――了解した。武運を祈る』
 吉野川上流に向かった第14施設隊の一部も、周辺の低位超常体を掃討。打ち捨てられていたダム施設の確保に成功している。
「……遡上中にダムを閉じて川の水を断った上で、魔人を中核とする普通科戦力によって肉弾戦を挑み、レヴィアタンの核を直接叩く」
 単純な生物であるならば、心臓部は肉体のやや中央――生体液を循環するのに適した位置にあるのが普通だ。超常体といえども生物に変わらないのだから。だが異形系だけは事情が違う。心臓や頭脳とは別に、存在の根幹となる生命組織――核が別個に独立している事が多い。これにより頭脳を破壊し、心臓を潰しても、時間を置けば再生・復元を果たす。もっとも生命体である以上は、その核ですら復活に充分な滋養がなければ死滅してしまうが、高位超常体ともなれば核すら無事ならば一片の細胞組織からも完全復元が可能な程の無尽蔵とも思える程の再生力を有しているのだ。
「相手は大魔王――当然ながら臓器とは異なる位置に核があるに違いない」
 だが、もしもその核を分厚く硬い防御の奥深くに秘めていたとしたら……? 神州各地での戦闘報告によれば集中砲火で肉体を少しずつ削り、奥深くの核を露出せしめ、そして直接叩くのが定石だ。しかしレヴィアタンの場合、戦術核でもってしても肉体を削るに足りない。ならば、幾ら戦力を集め、迎撃準備を整え、情報を求めたところで、全ては徒労に終わるのではないか? 小官がこれから行う作戦の結果次第では一筋の希望すらも絶ってしまわないだろうか?
「――押忍! 敵目標が河口を突破した!」
 八木沢の言葉に、夏見は我に帰った。今は恐れず、結果を求めるのみ。頭を振ると、首に嵌めた憑魔武装に意識を集中させる。撫でられる感覚が、実に厭らしくて……癖になりそうな気もする。
「――レヴィアタン、速度を緩めずになおも接近中」
 速度的には子供の歩みより遅い。だが圧倒的な存在感が抗い難い威容となって押し寄せてくる。吉野川大橋上で、正面から迎える夏見(と壱伍特務の命知らず共)。乗り込んでいる大型トラックはいつでも急発進出来るようにエンジンを掛けてスタンバイしている。
( 燃料が貴重なご時勢に、随分と贅沢をしているものだな、小官は)
 こういう時に莫迦な事を考える。いやこういう時だからこそ、些事が脳裏を横切るものだ。走馬灯も見えてきたら御仕舞いだが。
 ――核の位置を捉えた! 絶望が押し寄せる。長い首の根元――現用武器では決して削れ切れぬ、鱗と甲羅、そして肉で阻まれた奥深く。同時、
【 ――ユルングといい、妾の内裡に触れようとするか、痴れ者が!】
 強烈な思念破が轟いた。焼き切れそうな衝撃に首輪に寄生した憑魔の意識?が断絶。隣の八木沢が声にならない絶叫を上げながら崩れ落ちる。……報告によれば吉野川沿い――だけでなく想定以上の広範囲に渡って衝撃が走ったという。警戒待機していた魔人の多くが一斉に無力化されるだけでなく、数名がその場で銃殺された。――レヴィアタンによる強制侵蝕現象。デビル・チルドレンである夏見すらも全身の毛穴から脂汗を噴出しても可笑しくなかった程の強烈な敵意。
「――総員撤退! 全速で脱出」
 夏見が悲鳴に似た号令を出す前に、動ける者は逃げ出していた。恐慌に陥ったばかりにトラックから降りて、叫びながら駆け出す者もいる始末だ。
『 ――撤退支援! 撃ちまくれ!』
 悲鳴と怒号が行き交う中、川沿いに待機していた狙撃員がXM109で斉射。感覚器を狙えと言っておいたが、異形系に対して無茶な注文。目らしき部位を狙ったところで、突起物が生み出されて新たな器官を生み出すだけ。レヴィアタンに死角無し!
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に以降。
 夏見は意識を奮い立たせると、レヴィアタンに目眩ましの光を放つ。また周囲から88式地対艦誘導弾シーバスターが叩き込まれるが……
「――来るぞ! 総員、遮蔽物に隠れろ」
 隠れろといっても、それが気休めにしかならない事は夏見自身も解っていた。甲羅から出現した突起物は遮蔽物ごと目標を両断してしまう、高圧・高速によるウォーターメス射出器。無数のソレに対してはXM109から放たれた25mmペイロード弾で潰していっても焼け石に水。
「一射したら戦果確認なんてせずに速攻逃げろと厳命しておいたはずだろう!」
 恐慌に陥って、命令を忘れたのか。だが返ってくる無線の声色は正気のソレ。
『 ……隊長が安全圏に撤退するまでやってみせます』
『大丈夫、貴重なライフルには傷1つ付けさせずにお返ししますって。身体を張って守ります!』
『仇は必ず討って下さいね!』
「――莫迦野郎共!」
 失われたはずの右目からも涙腺はあるのだろうか。絶叫を上げる夏見だったが、レヴィアタンは無情にも周囲の水を吸収してウォーターメスを放とうと……
 ――その時、衝撃が走った!
 衝撃、いや共振とも共鳴とも言うべきか。心の内から響く力のざわめき。遥か西から届いた波動は夏見達に浸透し、気を昂ぶらせ、戦意が高揚させる。
【 ――――――――ッッッッ!!!!】
 逆に、声にならぬ絶叫がレヴィアタンから発せられた。直後に被弾したシーバスターで大きくのけぞり、ウォーターメスの発射を中断させていた。こちらは高揚した戦意に従うままXM109で追撃!
『 ……効果あり! 着弾を確認! 被弾したレヴィアタンの部位に損傷痕が確認されました!』
『 ――損傷部位の再生速度が落ちている模様!』
 飛び交う吉報に、我知らず呟く夏見。
「……何があった? これが天の、神の助けか?」
 今まで悠然と進んでいたレヴィアタンが動きを止めた。責める砲撃に唸りを上げると、身を反転。急に動きを速めると、身を海中に沈めていった。
「――逃げた?!」
 驚く一同だったが、急に実感が湧いて来る。歓声が轟き、祝砲が放たれた。

*        *        *

ノノ
 遥か東でレヴィアタン迎撃戦が始まったと同時刻。
「うぉー、もう限界っス!」
 気力を振り絞って立ち上がる。壁に掌を当てると、
「わーん、神様、社を壊して御免なさいっスー! でも今は自分の命が掛かってるんで見逃して欲しいっス!!」
 衝撃波で打ち抜いた。そのまま外へと駆け出す音が響く。翼が羽ばたく音を耳にした。
「……行ったスか?」
 裏口から逃げ出した……音を作り出して、蝙人バットを引き寄せてから、ノノ自身は表口から逃げ出す。が、薄暗い闇のような靄が急速に凝り固まって、皮翼と三つの燃える瞳を持つラバー姿の男を作り出した。
「HAHAHA――お嬢さん! 私をペテンに掛けようというのは3万5千とんで2日と19時間ほど早い!」
「うわーん。何て妙にリアルな数字っスか?! ていうか3万年も生きてられねー!」
 足で逃げても追い付かれるだけだ。また一刻も早く天狗岳の石土毘古のところにエイボンの護符印を届けた方が良い。ノノは両手を左右に広げて舞うように円弧を描くと、気流を操る。そして跳躍――
「――飛んだ! クラ●が飛んだ!」
「ク●ラ違うっス! って、こんな命がけの鬼ごっこしたくねぇっスー! しかも鬼は変態だしっ!!」
「……変態言うな!」
 傍から見れば御馬鹿な遣り取りだが、少なくともノノは大真面目。だが体力の消耗が酷く、また意識の集中もままならない。やばい、追い付かれる!
「HAHAHA! お嬢さん。追い付いたぞ。まずは変態を訂正し、それから危ない物を私に寄越しなさい! 怖くないからねー」
 ……覚悟決めて戦うしかないんスかね……。失速して山肌に墜落するノノはせめて一矢でも報いようと最後の気力を振り絞ろうとする。その時、
「おお! なんと生きておったのか!! ――しかし、アレはまさしく変態そのものではないか」
「そやなぁ――ほな、これ、いくで!」
 強烈な閃光が蝙人バットを襲った。音を立てて歯軋りをしながら蝙人バットは大きく退く。
「――おや。“闇の跳梁者”の変じた姿ちゅう話やなのに、光で致命傷与えられへんのか」
 ノノの生存と、敵との交戦開始を駐屯地に報告させながら、三笠が唇の端を歪ませた。
「……ふっ。私は光の弱点を克服したのだ! まさに蝙人バット! この姿の私に、光攻撃は致命傷にはならない!」
 蝙人バットは両手を広げて後ろへ反らし、胸を張り、片足立ち、そして恍惚とした表情でポージング。だが、有馬は鼻を鳴らすと、
「……ふん、なんじゃ、その醜い体は。ただの悪趣味なナルシストではないか。――本当の美とは、わしの持つ筋肉のようなものをいうのじゃ」
 片足を強く踏み出し、腕は力瘤を作ると、
「見よ! 我が肉の繊維が奏でる芸術の極みを!!」
「……有馬士長。そんなキャラでしたっけ?」
 呆れたような護堂が呟くのはさておき、
「さようか。でも光攻撃は克服したとちゅうたかて、強力なのは無理そうやな!」
 確かに光を浴びたラバースーツのような肌が徐々に変色していき、やがて煙を噴出し始めているのが見て取れた。三笠は指を鳴らすと部下が84mm無反動砲カール・グスタフを構えた。その数、2門! それだけではない。M16A1閃光音響手榴弾も加わり、光と火砲の饗宴が始まった!
「ちょっ! ――数が多くない?!」
「じゃかましいわっ!」
 反論する暇も与えず、数で押し切ろうとする救出部隊。その規模、1個小隊に匹敵する。幾ら高位上級隊相手といえども贅沢過ぎるに程がある戦力。
「……あれ? 自分、生きてるっスね?」
「無事で何よりだわ、藤原二士」
 やんわりと微笑み掛ける和子に、ノノは飛び付いた。
「和ちん一曹、逢いたかったスよ〜! ……って、見た事ない人もいっぱいスね? 自分、感激っス!」
「話は後ですよ、セニョリータ」
 護堂がコルトSSA『パッショーネ』で叩き込む。警務2班が持ち込んだ火炎放射器が荒れ狂い、蝙人バットは片膝を付いた。
「――い、いじめ、数の暴力、格好悪い!」
「どの口でほざくっスか。自分、怖かったスよ!?」
「……こんな口〜!!」
 蝙人バットが吐き出した唾が、雷撃をまとって襲い掛かってきた。皮翼が広がり、稲妻が周囲を走る。
「――ネタのバレた手品師程、醜いものはありませんね。効きませんよ。貴方からはダンディズモの欠片も感じません! 消え去りなさい!」
 護堂と定美が炎の壁を張って雷撃を吸収する。それだけでなく、定美が有馬へ、護堂が開座へと、雷撃を吸収した炎を送る。熱せられた大地は溶岩となり、上昇気流は嵐と変わる。そして、
「幻風系の使い手よ、受け取るが良い!」
「……好きにすれば?」
 有馬の気合いを玲が、素っ気無い口振りながらも開座からノノが引き継ぐ。生み出されたカウンター技に、さすがの蝙人バットも慌てふためき、集中を乱そうとするが、
「――邪魔立てさせへんで! もっとハチヨンに、手榴弾を喰らえ! 大盤振る舞いや!」
 三笠の閃光や集中砲火が蝙人バットの動きを止める。
「――終わりです」
「くたばれっス!」
 玲とノノの、同時風撃が逃げ場を与えずに蝙人バットを切り刻んでいった。相生相剋を最大限に利用した必殺の猛反撃に、怒りの形相を浮かべながらそれでも耐え抜こうとする蝙人バット。
「――舐めるなぁぁぁっっっ!!!」
「……ええ、そのつもりはないわ。だから、もう一押しよっ!」
 和子が、玲とノノに更に力を注ぐ。それが決め手となった――。

 わかめスープが弱った胃に優しく染み渡る。
「今はこれが精一杯じゃが、たんと喰らうが良い」
「何でも美味ーっ!」
 久方ぶりの食事を摂るノノの傍らでは、寝惚け眼ながらも由良が珍しく働いていた。女医とともにノノの健康状態を診断する。
「問題ないですよ〜」
「……しかし通信手段を持たぬのは迂闊の極みじゃ」
「てへっ☆」
「うわ、なに、このムカつくような笑顔」
 開座が呆れて見せるが、
「……まぁ無事で何よりじゃ」
 有馬は溜め息1つで事を納めた。
「――とはいえ、本題はこれからでしょう」
「そうやなぁ。当初の予定通り、石土毘古神の解放に動かんと。――しかし、どないすればええんやろ」
 護堂の言葉に続いて、三笠が頷く。ノノは食事を呑み込むと、懐に隠し持っていた円盤を取り出す。
「石土毘古様の話によれば、これを天狗岳に持っていけばオッケーらしいっスよ」
「……とはいえ、それで全て万事が収まるとは思えませんね。神祇の怒りは凄いものになると聞いた事があります。不当に長い間封じられていたのですから、並みのものではないでしょう」
「……ふむ、やはりか」
 有馬が何事か合点したように頷いた。視線は由良に向いている。気付いた護堂が、
「――有馬士長。彼女について、私にも考えがあります。が、それはまた後ほど。今は神の怒りをなだめる事が最善かと」
「して、どないすんや?」
 護堂は指を鳴らすと、部下に運ばせた荷物を開ける。クーラーボックスには山海の幸が。そして……
「巫女衣装?」
「ええ、『何となく』必要かと思いまして。1着は当然ながら責任を取って忍に」
「……いつか、殺す」
 頬を引きつらせながら開座が毒を吐くのは、いつもの事。それよりも覗き込んだ和子が、
「でも、もう1着あるわね……」
「――夏目さん」
 玲の目がいつになく痛い。慌てて、
「い、いえ! 別に歳甲斐もなく着たいだなんて思ってないわよ」
「和ちん一曹のも見てみたいっスけど、やはり、ここは自分が! 忍っち一士、キミだけに恥ずかしい思いはさせないZE☆」
「うわ、何、そのイイ笑顔……あんたもいつか殺す」
 天狗岳へと向かおうとする一行。一応、蝙人バットの遺体にはM14焼夷手榴弾や火炎放射器で焼き尽くしたつもりだが……
「靄が晴れないっスね」
「――嫌な予感がするな」
「……師匠。それ、たぶん、アタリです」
 今まで黙っていた慎吾の額に脂汗が浮いていた。護堂のパッショーネも何故か小刻みに震え出している。和子が、三笠が合図を送って全周警戒。
「――先に行って頂戴」
「そうや。何となくヤバソウな雰囲気は、俺等が食い止めるで。神さんの封印解放は任せるさかい」
 好意に甘えると、封印解放組は先を急ぐ。警戒組の注意は自然と蝙人バットの遺体へと集まった。
「……ボスキャラは2段階変身が常やったかな?」
「さあ? その手の知識には詳しくないから」
 ……果たして動きがあった。蝙人バットの遺体が最初は微かに、そして段々と激しく震えながら、膨らんでいく。『黒い』というこの世のものではない光を放ちながら、中から赤い筋の入った、殆ど黒に近い多面体が膨張した遺骸を割って顕れた。一つ一つの面が不規則な形をとっている。
「……輝くトラペゾヘドロン」
 三笠が呻くように、その名を呟く。……今や預言者とも言うべきH.P.ラヴクラフトが記した小説に、書き著されている偏方多面体。“這い寄る混沌”に深く関係するソレは化身を召喚する工芸品とあるが、超常体がはびこり、憑魔に寄生されるこの世界ではもう1つの意味が見えてくる。――核。とりわけ異形系を敵にするに至っては、頭脳とも心臓とも言われる部位を探り当てているか否かで勝負が決まる。アレが“闇の跳梁者”の核だとすれば?
「いかん! はよ、止めを刺さなアカン!」
 バーレットM82A1を急ぎ構えて狙い撃つより早く、周囲の闇がトラペゾヘドロンを核に凝縮していき――そして“死”が生じた。
「……これが“闇の跳梁者”の真の姿!?」
 姿形は、与那国島上空に出現するという超常体ハンティング・ホラーに良く似た有翼の巨大なクサリヘビ。だが数倍にも匹敵する巨大さと、そして3つに分かれた眼が違う。奇妙な螺旋形の非ユークリッド的な線を描いて渦巻いていた。
「――克服したちゅうのは蝙人バットの時だけやろ」
 三笠は光を放つが、周囲を漂う黒い靄のようなものが届く前に威力を弱める。“闇の跳梁者”自身には傷1つ付いていない。――揺らぎを感じた。瞬間、玲が火炎放射器で薙ぎ払ってなければ、その巨体に潰されていただろう。動きが全く見えなかった。そして炎の直撃を受けても、焦げ1つ見当たらない。カール・グスタフや閃光手榴弾も同じ事。
「……圧倒的過ぎる。どうやって勝てというの、こんなの!?」
 和子の口から、絶望が漏れた……。

 背後の空に現れ出た“闇の跳梁者”の姿に、有馬は元来た道を戻り掛ける。だが護堂が押し止めた。
「……今は一刻も早く、石土毘古を解放させるのが先決です。レヴィアタンやベヒモスだけでなく“闇の跳梁者”の力を削ぐ切り札になるかも知れません」
 天狗岳に辿り着くなり、祭壇を設けたり、儀式をしたりするのを飛ばして、ノノがエイボンの護符印を置こうとする。が、護堂と有馬が先に声を張り上げた。
「――石土毘古神よ。先ずは不心得者の所為で封じてしまった事をお詫び致します! 戦いを無事に生き抜けたなら祭祀を絶やさぬ事を約束しましょう。四国の守護をお願いします」
 頭を下げる。だが、更に声を張り上げた。
「――ただし、これは人間の戦いです。神州の地を蹂躙しようとする異邦の魔物共の力を削ぐだけで充分。重ねてお願いしたいのは、ユルングは遊戯を降り、殊勝にも敵を誅する戦いに志願しておりますので見逃していただきたいのです」
『 ――ならぬ、と答えたら?』
 石土毘古の声が返ってきた。有馬もまた由良を立たせて口添えする。
「お怒りはごもっともじゃが、少なくともアルケラ神群は封印とは無関係じゃろう」
『 ――封印そのものには関係なくとも、神なき地を我が物顔で巣食っているのは事実であろう』
「しかしアルケラの主神が力を尽くしてくれたのは事実じゃ。出来れば軽挙妄動は謹んでいただけぬものかのぅ」
『 ――神の怒りを軽挙妄動と言うか』
 怒気を孕みだした石土毘古の声。そこで自分の事ながら蚊帳の外に置かれつつある由良が口を開いた。
「うーん。仕方ないよー。有馬さんも、護堂さんも、気を使って貰ってありがとう。でも〜石土毘古の怒りはもっともだし、『遊戯』を降りたからといって、お仕置きを免れる理由にはならないから〜」
「……だから潔く怒りを受けるってか。最悪、死ぬんだぜ?!」
 開座が声を張り上げるが、由良は暢気な笑顔を浮かべると、
「……うん、まぁ。ユルングのドリームシャーマンになったからには、こういうのも夢見て解っていたから」
 寂しそうに笑う由良。別れの挨拶を口に出そうとした。……が、最後に口を挟んだのはノノ。
「――ちょっと待つっス。自分、初対面だから、よく解ってないんスけど……神様を助けたら、この由良っち士長、死んじゃうんスか? 怒りの発動で?」
『 ……そうなるな』
「ふーん。なら、解放させるのやめるっス」
「おい、こら。レヴィアタンやベヒモス、“闇の跳梁者”に負けちまう恐れもあるんだぞ」
「忍っち一士。それは、それ。これは、これっスよ。自分、楽しいが一番っスからね。神様が少し怒りを呑み込んでくれればいいんなら、そっちの方が嬉しいっス。――どうなんスか?」
「……なるほど。取引という事ですか」
 不謹慎ながらも、護堂は笑いを隠し切れない。有馬は沈黙したまま。永遠とも感じられる重い緊張の後、
『 ――解った。怒りを呑もう。だが特定の固体のみを指定解除出来ない。四国に散っているアルケラの精霊は、汝等が責任持って処理せよ』
「……交渉成立っスね! じゃあポチッとな!」
 エイボンの護符印が天狗岳の頂――石鎚山の天頂に置かれた。そして波動が放たれた……。

 衝撃、いや共振とも共鳴とも言うべきか。心の内から響く力のざわめき。天狗岳から届いた波動は三笠や和子達に浸透し、気を昂ぶらせ、戦意が高揚させる。
【 ――――――――ッッッッ!!!!】
 逆に、声にならぬ絶叫が“闇の跳梁者”から発せられた。周囲を押し潰そうとしていた闇のような靄が薄らいでいく。また劇的に“闇の跳梁者”の動きが鈍くなり、
「――攻撃が効くようになったみたいやで」
「反撃、反撃! せめて撤退の時間を稼ぐわよ」
 天狗岳から向かってくる味方と合流するまで持ち堪えれば……。不利を悟ったのか、“闇の跳梁者”が翼を広げる。空間爆発と共に虚空から現われたのは、フライング・ホラーの群れ。“闇の跳梁者”はフライング・ホラーを盾代わりにすると悠然と空へと舞い上がっていった。フライング・ホラーも遅れて退いていく。
「……何とか逃げてくれたわね」
「逆に言えば、次は最初から本気で攻めてくるで」
 手を振りながら天狗岳を降りてくる仲間達を迎えながら、和子と三笠は覚悟を決めるのだった。

*        *        *

 阿波富士とも呼ばれる高越山は修験道の祖とされる役行者(えだちのぎょうじゃ)小角[おづぬ]が開き、弘法大師もまたこの山で修業されたと言われる霊山である。隔離後もなお重厚そうな山門が迎える高越寺にBUDDYを構えて探りながら進む玲子に続いて、大山達も足を踏み入れる。鐘楼横の参道から、高越神社へと上がる。祭神は、阿波国忌部の祖、天日鷲命である。天日鷲命は 天布刀玉[あめのふとたま]の別名。布刀玉は天岩戸に天照大御神がお隠れ遊ばれた際に、占いと祭事を行う。八尺瓊勾玉や八咫鏡等を持ち、天児屋[あめのこやね]ともに岩戸から顔を出した天照大御神へと鏡を向けたばかりでなく、天手力男[あめのたぢからお]が引き出した瞬間、尻久米縄(注連縄)で戸を塞いだという。
「『これより内にな還り入りそ』――これは二度と入ってはいけませんという言葉だけど、逆を言えば閉じ込めた後に注連縄で封じれば、二度と出る事は出来ないとも思えるんだ」
 だから高越山に来た。霊山であり、天布刀玉を祭るこの地にベヒモスが封じられると考えて。
「他にも矢筈山や梶ヶ森等といった候補地もあったけど……吉野川を遡って近いところから調査していこうかと」
「考え方は間違ってねぇと思うんだけど……どうやってアタリを確かめるんだよ?」
 木野が呆れたように問うと、大山は呻いた。封印の場を訪れた時、何らかの前兆があると聞く。それは“声”であったり、憑魔核の活性化であったり、様々だ。だが、それは飽くまで、この地の神々のもので、異邦の――しかも敵となるモノの封印かどうかを判別するのは難しい。まさかベヒモス自身が「封印から解放しろ」と言ってくるだろうか。「封印から解放したら望みを叶えてやる」とか? ありえないし、ましてやそれに従う僕でもない。そして相手も知性は現時点で伺い知る事は出来ないが、こちらの様子を窺わずに声を掛けてくる事もあるまい。いや、そもそも何処まで封印にほつれがあるのか。封印の補完は必要なのか。封印が完全なものであるならば、下手に動くと、それこそ藪蛇になりかねない。昔の人はこう言った――触らぬ神に祟りなし。
「由良ちゃんがいれば……」
 だが由良の夢渡りは、知識を無限に、拾ってくるものではない。飽くまで夢の中――集合無意識から浮かび上がってきたモノを並べているに過ぎない。無論、ある程度の方向性や鍵となる何かで取捨選択は出来るだろうが、それでも都合良く現われるものではないだろう。
「……考え方は悪くなかったと思うんだけど」
「――そうじゃな。儂の事を思い浮かべたまで及第点よ。だが、詰めが甘い。おぬし、周りからよく言われるじゃろう? 先ずは自分の都合ばかり考える癖を何とかした方が良いと、儂の占いでも出ておるからな」
 いつの間にか、崩れた社殿の片隅に老人が座っていた。それまで気配も全く感じられず、また憑魔核も活性化を起こしていなかったのにだ。
「自分の都合は飽くまで希望。大事なのは希望が叶わない時――最悪の事態を想定した上で先を読む事じゃ。勿論、これは『〜が駄目だったら、こうする』とか『〜が出来なかったら、ああする』というのをただ並べるという意味ではないぞ?」
「……お爺さん。貴方は?」
「おぬしが呼んだじゃろう? 石土毘古が解放された御蔭で、儂も所縁のある地にならば、意識を飛ばして交信・交感が出来るようになってのぅ」
 老人が笑った。そして再び口を開くと、
「おぬしの読み通り、ベヒモスなる異邦の獣神はここに眠っておる。正確には、ここに飛ばされた挙句、儂等に施した封印を流用して一緒に眠りに付かされただけじゃが……不憫といえば、こやつも同じじゃて」
「封印から解放される危険性は?」
「施された封印は簡単には解けん。じゃが、こやつのつがいが辿り着き、もしも接触しようようならば、どうなるかは判らんのう。――封印を強める方法はある事はあるが……」
「どうすれば?」
「――封じられた儂の力を解放する事じゃ。ここは所縁の地であるが、儂が封じられている場所ではない」
 そして老人の姿がぼやけていった。
「――その気があるならば、大麻比古神社へ来るが良い。そして社を……儂に施された封印を壊すが良い。信じる気になればじゃがのう。……儂がベヒモスを解放しようとする異邦の悪霊が化けた姿ではない。そんな保証は何処にも無いぞ?」
 老人の笑い声がただ木霊したのだった。大山は拳を握り締める。
「――それに、本当に高越山にベヒモスが封じられている確証もない……という事か」

*        *        *

 突然、遺跡に飛び込んだ石丸ことイシアンを追って、慌てて大空達も突入する。イシアンは手前の部屋らしき場所で汗を拭っていた。
「――危なかったですよ。間一髪で気付くのが遅れていたら、私も消滅していました」
「……どういう事です?」
「情報管制事項の1つです。とはいえ、今の貴方達はおそらく気分が高揚していると思います。……それが答です」
「――石土毘古が解放されましたか」
 大空の呟きに、イシアンは黙って笑い返すだけ。準備を整え直す為に地上に戻ると、イシアンは遠くを見詰めて不思議そうな顔をした。
「……アルケラ神群だけは無事な様子ですね。何らかの取引がありましたか?」
「――良くは解らんが、モコイは無事なんだな。なら、問題なし」
 大尾田の断言に、一同が苦笑する。さておき、大型輸送回転翼機MH-53MペイブロウIVから降ろした非常用発電機を繋げて、強力な電磁波を発生させる装置を組み立てた。
「む、10フィート棒を忘れたか」
「必要ありますか、それ?」
 準備万端、突入を開始する。第15041班と救難飛行隊の武装救助員が固める中、慎重に進む。
「久しぶりの3Dダンジョンだ。しかもリアル。ふふふふ……最高!」
「また妙なハイテンションですね。はしゃぎ過ぎて、疲労でまた寝込まないで下さいよ」
 とは言いつつも、事前にイシアンから教えてもらった構造図に、大尾田がマメに修正を入れていく。立ち塞がるフライング・ポリプも大空の準備と、警護の火力でもって薙ぎ払っていった。
「ダンジョンに宝箱は世界のスタンダードのはずなのに……何も無いな。絶望した! 宝の無いダンジョンや少しもDROP品を出さないモンスターに絶望した!」
「……そんなスタンダートは要りませんよ。しかも、それが真実だとしたら、最後の部屋には強力なボスが出てくるではありませんか。願い下げです」
 大空の呆れ顔ももっとも。探索は順調だが、バッテリー容量や弾数には限りがあり、そして肉体面にしても精神面にしても疲労は積み重なってきている。出来得るならば強力なボスが待ち構えているなんて事は無い方が嬉しい。
「――さて、辿り着きましたよ」
「各員、残弾数とバッテリー容量を確認。退路の確保と警戒も忘れるな!」
 第15041班長の掛け声を背後に、イシアンが目標の機械に取り付いて作業を開始。大尾田が周辺を物色するが、
「――申し訳ありませんが、あまり持ち出さないで頂ければ、嬉しいのですが」
「……情報管制事項に引っ掛かりますか?」
 大空の問いに、イシアンは作業の手を休める事無く答える。
「――5千万年前の物とはいえ、貴方達からして見ればオーバーテクノロジーの代物です。またフライング・ポリプの手も掛けられていたのならば、貴方達の世界に如何なる物理法則の逸脱をもたらすか判ったものではありません」
「なるほど。おれ達からすれば、呪われた代物という認識なのか」
 そこまで言われては、大尾田としても隠し持とうとは考えない。後ろ髪が引かれるものの、断念する事にした。
「――さて、作業は無事に終了しました。遠隔操作は出来ませんので、時限装置を働かせましたが……」
「「最大時間は!?」」
 イシアンの答に、一同は急いで撤退を始める。蓄えられている力場が暴走し、再びこの歪みを別世界に“跳ばす”か、或いは辺り一帯を吹き飛ばして消滅させるほどの大爆発が生じるのだ。巻き込まれては堪らない。
「――こういう時、隔壁が閉まったり、敵が行く手を塞いだりするんだよな」
「そういう展開は結構です!」
 大尾田の軽口に、大空が怒鳴り返す。邪魔するフライング・ポリプに向けてスタンガンが撃ち込まれ、FN5.56mm機関銃MINIMIが咆哮を上げる。
「――撤収、撤収!」
「出口へと、脇目もせずに走り込め!」
 脱出。大尾田は振り返ると、入り口に仕掛けていたプラスチック爆弾を起動させた。追いすがろうと、或いは異変を感じ取って逃げ出そうとするフライング・ポリプが爆発と衝撃で大きく退く。電撃効果が無い為にフライング・ポリプ自体へのダメージは薄いが、
「遺跡自体への被害は甚大!」
 入り口部分が瓦礫で埋まった。そう簡単には出て来られるはずがない。
「――皆さん、伏せて!」
 時空間を震わせる衝撃が走った。運良く伏せたり、遮蔽物に身を隠したり出来た者は幸いだ。間に合わなかった者は大きく吹き飛ばされ、地面に激しく叩き付けられたのだから。
「救護員、手当てを――!」
「各員、警戒を緩めるな、不測の事態に備えろ!」
 一斉にBUDDYやMINIMIが歪みのあった場所へと突き付けられた。土煙が晴れる……そこには。
「……消えました」
「よし、やった! これでモコイも安全だ!」
 歓声が沸き上がった。無事な者はお互い、肩を叩き合って健闘を祝い、運悪く怪我した者も横になったまま笑顔を浮かべる。
 ――この日を境にして、フライング・ポリプが目撃される事は無くなったのだった。

 

■選択肢
Oce−01)石鎚山にて闇の跳梁者と決着
Oce−02)大海獣レヴィアタン迎撃作戦
Oce−03)大麻比古神社に赴き調査する
Oce−04)高越山で眠るベヒモスに関与
Oce−05)巳浜由良とドリームダイブ?
Oce−FA)四国地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。
 選択肢-05はギャンブル性の高いものであり、周囲を納得させる動機・目的(理由付け)を用意しなければ没になる可能性が高い(成功/失敗どころか行動自体が描写されない)事に注意。由良自身がどう動くかは掛けられたアクションによって左右される(05が最優先)。またダイブ後の注意点は第3回における由良の台詞にある。健闘を祈る。

※註1) 此方の世界では2003年に制式採用されており、つまり実在する(ノンフィクションな)化物銃である。

※註2) 著●川上稔/イラスト●さとやす(TENKY)『AHEADシリーズ 終わりのクロニクル1【上】』メディアワークス電撃文庫(初版/本体670円)より、第五章『無知のお報せ』p.155-p.168を参考。


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