第六章:ノベルス


個人運営PBM『隔離戦区・神人武舞』 第2回 〜 山陽:南欧羅巴


SEu2『 名を呼ばれたるは、大地の娘 』

 襤褸の布切れに包まれた人影へと、班長が声を掛けてきた。柏原・京香(かしわら・きょうか)二等陸士は戦闘糧食II型――通称パック飯の献立No.4ビーフカレーと運んでいた手を休めて、面を上げる。ポニーテールが揺れた。
「1930よりブリーフィングを開く。食事後に第三天幕に来い」
「――承知したわ」
 宮島・包ガ浦自然公園。厳島神社に巣食うと言われる高位上級超常体の討伐と、宮島の戦略上確保を目的とした今作戦は、揚陸した海自系列の特殊部隊SBU(Special Boarding Unit:特別警備隊)が橋頭堡を確保した事により本格的に動き出した。海田市駐屯地より大型輸送回転翼機CH-47Jチヌークで乗り込んできた神州結界維持部隊中部方面隊・第46、第47普通科連隊は厳島神社突入へと準備を整えている。だが、
「――突入に当たって、最大の問題が生じている。敵超常体の情報が少ない事である」
 ブリーフィングが行われている第三天幕では集められた斥候要員へと幹部が状況を説明する。集まった斥候要員の数は少ないが、揃いも揃って胡散臭そうなヤツ等だった。前世紀末の銀幕で活躍した“女王陛下のスパイ”や、コンシューマのゲームキャラクターほどもない。そういう京香も布切れ――マント『シュラウド』を鼻まで隠しており、不審さ具合はどっこいどっこいだろう。だが、そのような面子に感慨も持たず、幹部は説明を続けている。
「……厳島神社へと偵察に向かったはずの部隊が音信不通だという事だ。既に生存は絶望視されている。その為、敵の数・分布にとどまらず、地理や建物の変化等の事前情報も無い状況の中、攻略部隊は作戦を遂行していかなければならない」
「――質問宜しいかしら?」
 京香が挙手すると、幹部は許可の頷き。長く渡る戦いで、神州結界維持部隊では暴論的なまでに実力主義が認められている。そうでなければ生き延びられない状況が繰り返されてきたからだ。二士の意見であれ、(余程の無能な上官でない限り)無下にはされない。
「――先行していた偵察部隊の進行ルートを」
「キャンプ場から川を遡上し、紅葉谷公園への山道沿いに計画されていたようだ」
「揚陸と同時に橋頭堡への戦力集結は間違いなく察知されており、危険であったと判断します」
 京香の意見に、同意する者数名。幹部はある程度静まるのを待ってから、
「柏原二士ならば、どのルートを選ぶか。……いや、他の者も口に出さなくて良い。だが幾つか候補を頭に浮かべておいてくれ。君達に行ってもらう事になったのだから。勿論、志願者を募る形を採る。勇敢な斥候要員が名乗りを上げてくれるのを期待する。それでなくても時間は限られている事は承知していて欲しい」
 幹部の言葉に、京香は考え込んだ。――紅葉谷公園へと直接には向かわず、榧谷と紅葉谷の間を抜けて瀰山原始林を通過するコースでは? いや敵も橋頭堡を察したのならば、向こうから様子を伺ってくるモノもいないとは限らない。ならば大きく外れて……。そこで気付くと、再度確認の為に質問。
「本州――大和製罐から広島大附自然植物実験所まで400m余りだけど……上陸を試みた部隊は?」
「SBUの一個班に動きが見られる。船舶や舟艇を擁して操れる技術と経験を持つのは彼らだけだからな。ただ……」
「――敵の正体が知れず、氷水系であれば簡単に仕留められてしまう可能性が濃厚だわ」
 京香の解に皆が激しく同意。ましてや島奥深くに逃げ込まれてしまったら、SBUはまさしく陸揚げされた魚に等しい。
「――繰り返し述べるが、この任務は危険極まりない。だが同僚の安全を守り、作戦の成功を果たす為に必要な役割だ。……諸君等の健闘を祈る!」
 起立すると、京香達は見事な敬礼を返した。

*        *        *

 神州日本最大のカルスト台地――山口県秋吉台。地下には秋芳洞を代表に450を越える鍾乳洞が存在する。出現した超常体が鍾乳洞を営巣地と選んだのは極自然な流れであった。だが余程居心地がいいのか、あるいは閉鎖的な空間で循環的な生態系が半ば確立しているのか、それとも他の理由があるからなのか……とにかく洞内でひしめいているはずの超常体が外へと漏れ出てくる事は一年を通しても指折り数えるほどしかない……はずだった。この春までは。百手巨人の出現を皮切りに秋芳洞から大量に超常体が溢れ出てきており、秋吉台は第1種警戒態勢下にある。調査に向かった部隊からの音信は途絶えており半ば絶望視されていた。
「――それでも救助部隊の派遣を、わたしは要請します。今後の方針を決定する為にも、内部に潜入した人間の情報が必要不可欠なのは明白ですよ!」
 秋芳洞の入り口に当たる観光センター跡地・施設内の会議室では分屯している第17普通科連隊秋芳洞分遣隊と、第13施設中隊・秋吉台分遣隊の幹部を相手に、護藤・みこと(ごんどう・―)二等陸士が力説していた。吊り目と八重歯が、存在感を大きく主張。身振りする度に揺れる長めのポニーテールが小麦色の肌と合わせ持って健康的な躍動感をも顕わにする。
「……護藤二士の言には異論無い。君が危惧する通り、安定していたはずの秋芳洞で何かしらの変動が起きた事は確実で、ただでさえ戦力の逼迫している山陽に、内部の超常体が大挙して湧き出した場合、地獄の釜の蓋が開くのと同義となる」
「――日本原では、極大型超常体が出現したと聞きます。もしかしたら影響あるいは同調したものである可能性も否めず、同時に進軍を開始された場合、山陽は岡山〜広島〜山口を東西から押し潰されかねません」
 山陽・山陰――中国地方における結界維持部隊の戦力はただでさえ劣勢下にある。山陰では駐日英軍の助けを借りねばならず、山陽も多種多様な超常体に翻弄されがちだ。四国からの増援は東を徳島分屯地征圧されており、仮に西瀬戸自動車道を押さえられただけで困難となる。また、瀬戸内の海上優勢もこちらになく宮島・厳島神社に存在する謎の敵が進出した場合、中央すら分断されかねなかった(※ただし操船技術が故意に廃れさせられた現状で海上優勢は価値が低い)。
「長期的展望・戦略的観点はさておいて……要救助者の全滅が予見されている。事実、死亡が確認された場合はどうする?」
「はい。要救出者死亡などで任務達成が不可能であった場合は――自分がその任を果たします! わたしの能力と装備があれば、隠密潜入、捜索はリスクを最小限に抑えて行え、脱出も戦闘を極力抑えて行えると自負しています!」
 みことの啖呵に、幹部連はやや騒然となる。書類を見直して、みことの身上を再確認しているようだった。
「――なるほど、な」
 秋芳洞分遣隊長が笑う。指を鳴らすと事務官がみことへと封筒を手渡してきた。促されて中を開けると数葉の顔写真と、秋芳洞内部図。
「……要救助者の顔、名前、所属と階級、非常時の暗号符丁等の一覧だ。護藤二士も頭に叩き込んでおけ。そして救助部隊の派遣準備は第13旅団司令部からもせっつかれて急ぎで進めている。君の申し出を歓迎し、また活躍を期待する。行って良し!」
 さすがに特殊部隊のような大仰な派遣はされなかったが、上層部も事態を重要視していたのだろう。みことは敬礼する間も惜しむように立ち上がると、このまま秋芳洞に突入しかねない勢いで退室しようとする。分遣隊長は苦笑を漏らした。
「――くれぐれも二次遭難は勘弁してくれよ」
「はいっ!」
 通りすがる同僚に挨拶しながら、みことはあてがわれた部屋へと跳び込む。銃器をはじめとする装備を点検していく目がふと止まった。第13音楽隊のトップアイドル、式神・ユタカ[しきがみ・―]一等陸士のDVDだ。ファンであるみことは敬礼を送ると、
「わたしに任せておいてよね、ユタカちゃん。ユタカ・ファンクラブ名誉会員“紫のバラの人”と思われる羽村士長の救出は、会員No.10のわたしがなしとげてみせるわ」

*        *        *

 缶詰の原理を発明したのは仏蘭西人で、研究を奨励したのはナポレオン。だからではないのだろうが、駐日仏軍の戦闘糧食“ラシヨン・ド・コンバ(RATION DE COMBAT)”もまた缶詰を主体としている。レトルトパックと違って無味乾燥していると思われがちだが、西洋料理といえば仏蘭西だという誇りが生きており、戦闘糧食ですら美味芳醇さは他国の追随を許さない。
「……皆さんに、ぼくから手料理を振舞おうと思っていましたが、このレーションの味から考えれば、おこがましい考えでしたね」
 主菜ジ−ヌ・ド・プーレ(若鶏の煮込み)を味わいながら第13後方支援隊・補給隊班長、井伊・冬月(いい・ふゆつき)一等陸曹がこぼすと、駐日仏軍第3外人落下傘連隊所属の ジョゼフィーヌ・ヴィニョル[―・―]少尉はビスケットを齧りながら、
「いや、幾ら味が良くても同じメニューばかりが続くとさすがに辛い。無論、戦場において贅沢な悩みではあると思うのだが……。だから申し出はありがたく受け取っておこう。第一、こうして糧食を十分に手配してくれただけでも助かっている」
 微笑んでくれた。そしてナプキンで口を拭った後、ジョゼは食後の祈りを捧げ始めた。
「……失礼。宜しいですか?」
「ん? 私に答えられる事であれば良いが」
「――苛酷な環境の中で生き抜く為に信仰を持つ事は理解出来ます。でも、あなた自身は信仰の対象に祭り上げられる事に重荷は感じないのですか?」
「ああ……その事か。正直、心苦しいな」
 ジョゼは苦笑すると、
「……“兄弟姉妹”の1人に言わせれば『集団を鼓舞する偶像の必要性など、唾棄したくなる』のだそうだ。――畏敬の礼を持って崇められるのは“ 唯一絶対主 ”のみ。とはいえ……」
 ジョゼに付き従う4人の屈強な男達を見渡すと、
「私を通して“ 唯一絶対主 ”の威光を感じ取っているのであれば、それも致し方あるまいとも考えている。“兄弟姉妹”ほど厳格にはなれないな」
 微笑むジョゼを井伊は複雑な面持ちで眺めた。
「……悩み事か、井伊一曹? 力及ばずとも助けに為れれば良いが」
「少尉とはかなり意味合いが違うのですが、ぼくも、別のものを投影されて見られているのです。その御蔭で、こうして物資の便宜を図れる訳ですが……だが所詮、これはぼくの実力で得られたものではありません。ぼくを通して見た誰かへと向けられたものなので……せめて“彼女”を乗り越える事が出来れば、ぼくにもまた道が開けるのでしょうが」
「何故、乗り越えられないと決め付けている?」
 ジョゼの疑問。対して、井伊はあっけらかんと、
「もはや故人なのです。……死してまだ残るほどの影響力の持ち主でした。それは死んでからも弱まるどころか、美化されて強まるばかり。そんな故人を越える事は容易ではありませんよ」
「――すまない」
 詫びを入れるジョゼに井伊は笑って返した。だが、
「失礼を重ねるが、その表情は好きではないな。君は笑顔を浮かべているつもりのようだが、私には泣いているようにしか見えない」
 ……ああ、なるほど。ジョゼが屈強な兵士達から“ラ・ピュセル”として慕われている理由を掴んだような気がした。オカルト学説でヘブライ神群に分類される超常体も跋扈する神州で、過度に宗教的な組織は危険だと感じていたが、確かにジョゼのような存在がいれば、人々は心の救いを求めて手を伸ばすのは無理なからぬ事だろう。これ以上この話題を続ければ、ぼくも囚われてしまう。
「ところで、刑務所内への侵入方法ですが……」
「井伊一曹の提案で進めようと思う。無論、君が私を罠に掛ける為のものである可能性も捨て難いが」
 冗談抜きで鋭い視線で井伊を見遣ってくるジョゼ。確かに井伊の提案は、ジョゼ達を一網打尽にしてしまう好機を与える形でもある。が、
「――まぁ、今回は信用しよう。一刻も早く“大罪者(ギルティ)”郷田ルリを誅殺し、奥に辿り着く為にも手段を吟味する時間も惜しい」
「……胎児型の超常体が眠っていると以前にお聞きしましたが――具体的な正体はお聞きしていません。そして何故、殺害を?」
 井伊の問い掛けにジョゼは暫し沈黙。苦笑すると、
「……そうか。井伊一曹は私が彼を排除すべく行動していると思っていたのか」
「――と、言いますと?!」
「……残念ながらここからは極秘事項だ。君に話す必要性は無い。――君が〈洗礼〉を受け“ 唯一絶対主 ”に身も心も捧げてくれるというのならば別だが」
 ジョゼの背に、雷光のような六翼が羽広げられたような幻視。
「ジョゼフィーヌ・ヴィヨル少尉……あなたは一体?」
 驚愕し、凍り付いていた井伊。我に帰らせたのは、猫の鳴き声。白猫は主人を無視すると、ジョゼの足に擦り寄っていく。まるで飼い主は、ジョゼの方が相応しいと井伊に見せ付けるかのように。
「随分と、懐っこい猫だな」
 年相応の少女らしい笑顔を浮かべるジョゼ。だが白猫から甘えられた記憶が一度も無い事に、そっと井伊は涙したのだった……。

 対する山口刑務所内。義務教育中の年頃にしか見えない童女バルバリッチャの言葉に 谷鯨林・康馬(たにげいりん・やすま)が打ちのめされていた。正確には、谷鯨林がバルバリッチャや、第13特務小隊長、郷田・ルリ[ごうだ・―]准陸尉を通じてお願いした事が、却下された事に対してである。
「何と! おのれ、刑務所長め! 我が輩たっての頼みを無碍に断るとは!」
「……まぁ有名無実とはいえ、ここは刑務所。俺達は罪人。監視システムを握らせてくれる訳はねぇな」
 壱参特務と組長、周防・樹(すおう・いつき)陸士長が呆れてみせた。
「まぁ、あんたにしては上出来な警備案だ。憎たらしいのは何故か昇格してやがる事なんだが……俺と同じ士長だと! 谷鯨林の癖に生意気だぞ!」
 谷鯨林は昇進して壱参特務ち組長になっていた。
「ふっ。……いずれ、周防も我が輩の足下にひれ伏すのであーる」
「おい、今すぐに殺してやろうか。あん?」
 肥満漢な谷鯨林に、小柄な周防が凄むと、自然と凶悪な上目遣いになる。険悪な迫力に押された谷鯨林は助けを求めるように、更にちっこいバルバリッチャへと視線を逸らした。
「あー。周防、馬鹿は放っておけ」
「ぶひぃっ! 酷いであーる、マイハニー! いや、これはツンデレというヤツであるな。……おお、マイハニー! そこまで我が輩の事を!!」
 何やらトリップした谷鯨林がバルバリッチャを抱き上げて、逃走のポーズ。
「さぁ早速、誓いの儀式を! この極寒のコキュートスの如き地も、我が輩達の愛で南国の楽園としましょうぞ!!」
「……何を膿んでやがるんだ、こいつの脳は?」
 立ち塞がるように顔を出したのは 山口・金剛丸(やまぐち・こんごうまる)三等陸曹。一瞥すると、うろたえる谷鯨林を蹴飛ばした。バルバリッチャは谷鯨林が蹴られた隙に、腕の中から脱け出してみせる。
「あ、お帰り。……外の様子はどうだった?」
 もはや床に倒れている谷鯨林は無視して、周防が尋ねる。金剛丸は肩をほぐすように回すと、
「余程、上手いところに隠れたのか、姿形も見せやしねぇ。居場所を探らせないとは隠密任務に長けていやがるのか……」
「――それとも、誰か、別の手引きがされているかだな。……前回の襲撃で、程度はどうあれ、こちらの抵抗がある事は解りきっている為、奴等が採る手段は3つ。1つ、部隊を増員した強襲。2つ、外部からの隠密侵入。3つ、内部からの手引きによる侵入」
 指を折りながら、周防は説明する。
「1とか2とかは、少人数の此方では場当たり的に対応するしかねぇ。だから出来る事は限られているが、内部の手引きを警戒する」
「一応、罠をあちこち仕掛けてきたが……内通者がいたら、骨折り損だな」
 金剛丸は苦虫を潰した顔になる。
「罠はいずれ役に立つ時もあるさ。まぁ問題の内通者対策だが……」
「我が輩が色々と考えたのであーる。マイハニーと過ごす、ぱらいそを平穏に保つため!」
 あ、復活した。胡散臭そうに見る金剛丸だが、困った事に周防は谷鯨林の弁を肯定するしかない。
「……まぁ、谷鯨林の戯言はさておき」
 苦々しい溜め息を吐いた周防は、バルバリッチャへと向き直ると、
「谷鯨林から色々と聞いた。連中の目的は、うちの班長と、地下で氷付けにされているベイビーちゃんだってな。……アレは具体的に何だ?」
「――目覚めれば、この刑務所を崩壊させるぐらい訳は無い、最高位最上級に匹敵する超常体。……この説明だけでは不満か?」
「満足していないから聞いているんだろ」
 視線が集まる。が、
「ジュデッカに繋がれた赤子……であるか……」
 谷鯨林の独演会が始まった。
「――聖書に曰く、ケルブは『美しさのゆえに傲慢になり、自らが崇拝されたいと思い、神に反逆した』というのである。そして黙示録において、サタンは一時解放され、聖徒の都に攻め寄せるが、結局は滅びを迎えた……そうであるな?」
 真面目な顔で向き直ると、
「マイハニー、貴女はサタンを永久に揺りかごの中で眠らせたいと望むのであるか? それならば我が輩も貴女と共に、永久に寄り添おう。貴女が滅びを望むのなら、我が輩も共に最期まで傍らにあり、そなたを支えようぞ……」
 決めてみせる谷鯨林だったが、周囲の視線は冷たい。特にバルバリッチャは一言で否定。
「――阿呆」
「……まぁ谷鯨林だしな」
「仕方ないか」
 頷き合う周防と金剛丸に対して、激しく抗議。
「おまえら、我が輩を馬鹿にし過ぎであーる!」
「考え過ぎだ。……とりあえずベイビーちゃんに関して妾から話せる事は少ない。詳しく知りたければ、ルリ嬢から直接聞き出せ」
「ならば、もう1つだけ! 刑務所で憑魔能力が使用出来ない訳は……」
「それこそルリ嬢から直接聞くべき事だ――人間を辞める覚悟を持ってな」
 それだけ告げるとバルバリッチャは欠伸をしながら去っていく。確かに……調べたところ、憑魔能力が使えなくなったのは、ルリが収監された後かららしい。ルリに秘密が隠されているのだろう。谷鯨林は鼻を鳴らした。
「……さて、ひとっプロ浴びてくるか。作業で疲れた」
「なら隊長も一緒に洗ってやれよ。ソープごっこといえば面倒臭がりも風呂好きになるかも知れねぇぜ」
「……新手のセクハラ、それともパワハラか?」
 金剛丸はいかにも嫌そうな表情を浮かべた。

*        *        *

 戦車の装軌音以外で、日本原駐屯地が賑やかになるのは久方振りだった。散発する超常体との戦闘で心身ともに磨耗した隊員達を癒すのは、慰問に訪れた第13音楽隊の演奏活動。吹奏楽団によるクラシックに耳を澄ませるだけでなく、演劇等で心躍らせる。とりわけ熱狂させたのは、
「――キター! ユタカちゃんの生ライブ!」
 殻島・破音(からしま・はおん)二等陸士が嬌声を上げる。第13音楽隊のトップアイドルであるユタカが歌い踊ると、破音だけでなく、観劇に来ていた全員の活力が湧き上がっていくようだった。
「あー、面白かった。隊長もくれば良かったのに」
 普段は出無精がちな 安藤・義正(あんどう・よしまさ)二等陸士も珍しく高揚のままに、峰原・杏奈[みねはら・あんな]三等陸尉に声を掛けた。外れにある資材置き場を利用した峰原試験小隊施設に戻ってきた一同は、書類と悪戦苦闘している杏奈へと苦笑。杏奈はホッホーと着ぐるみのフクロウを真似た鳴き声を上げると、
「――作戦準備とか、横との連携とか大変なのよ。こう見えても」
 確かにフクロウの着ぐるみ姿で真面目な仕事をこなしているようには思われ難い。綾科・那由多(あやしな・なゆた)一等陸士にいたってはミニスカセーラー服姿で第13音楽隊からも演劇関係者か何かと間違えられたぐらいだ。
「……というか、何故、セーラー!?」
「それは〜勿論、試験小隊ではぁコスプレをする事が義務付けられたからですよぉ」
「あー、綾科。当然の顔をしてサラリと嘘を吐くな」
 榊原・かおる(さかきばら・―)二等陸士が恐れおののくを見て、佐島・弘一(さじま・こういち)陸士長が苦笑しつつも、那由多に注意。さておき、
「――上からは嫌味を言われて、左右とは付き合いよくしないといけないし、下もまとめないといけない。……部隊なんて立ち上げなければ良かったかなぁ」
 ネガティブ進行中の杏奈に、一同、肩をすくめてみせる。杏奈も肩の力を抜くと、
「……というわけで、部隊内のまとまりについては、アナタ達に任せたわ! アタシは今から会議なの〜」
 翼を広げて立ち上がる杏奈だったが、思い出したかのように佐島に向き直ると、
「あ、そうそう。例の件だけど――駄目。昔から付き合いがあるから言うけど……佐島クンってば、アナタの心配りは長所よ、間違いなく。でも前も言ったと思うけど、手を広げ過ぎなのが欠点だわ」
 意見書を佐島に突っ返しながら、
「こういう大層な物は、とうの昔に別勢力に回収されているか、破壊されているか、それとも今なお争奪戦の真っ最中かのどれかよ。――どうしても探しに行きたいのなら、転属届けを出しなさい。……いい? 飽く迄ここは人型戦車の作戦運用がメインなの。それは忘れないでね」
 翼の先で指差しながら言うだけ言うと、杏奈はホッホーと鳴きながら、第46普通科連隊・第13066班長、大倉・隆一(おおくら・りゅういち)三等陸曹を強制的にともなって日本原駐屯地の作戦会議室へと去っていった。
「……あ、ギガンテスの襲撃に警戒待機。各自、訓練や整備、機体運用考案とか宜しくね〜。それから早咲き苺、ご馳走様。摘み食いさせてもらったから」
 いつもの通り、言い付けるのは忘れていない。
「行ってらっしゃ〜い。……って、苺?」
「ああ。皆で食べようと思っていたんだが……今朝届いた時に目に付けていた、美味しそうなのは先に食われてしまったか」
 佐島が頭を抱える。一同、戴きますと合掌してから摘み始める。
「――ところで例の件って? 回収とか、破壊とか、争奪戦とか言われていたけど」
「ああ。伝説に謳われる『神殺しの武器』というのを人型戦車の武装に利用出来ないかと思ったんだが」
 安藤の質問に、佐島は眉間に皺を寄せながら答えるが、眼を回しながら破音が横から突っ込み。
「――ぶっちゃけ、それは別シナリオになりマース。茨城が舞台だと、探しに行くだけで山陽シナリオから即退場。もう二度と人型戦車に乗れなくなります。何故なら『神殺しの武器』を巡る戦いってのは、かなりリスクが高いカラー。二足の草鞋は危険Death。そしてコネやら何やらで、本人自身のアクション無しで手に入るほど甘い物ではありません。情報も含めて。また手に入れてからも持つ者としての責任や相応しい行動が要求されていきます」
 空を仰いで、何やらやたらと説教臭くてメタ的な電波を受信した。口惜しいが佐島は諦めるしかない。
「――仕方ない、この件については忘れよう……忘れた、はい、御終い。では、より身近な話題として、人型戦車操縦の訓練及び強化だが」
 切り替えると、話題を進める。苺の糖分と、そこはかとない酸味が頭の回転を良くしているようだ。破音が森から連れてきたモモンガのピーチ君(雄)が抱えながら苺を食べている姿が心和ませる。
「……小隊内の連携や、人型戦車への習熟度の上昇。3機――自分のも含めれば4機か――単位での運用方法の試行錯誤に、実現可能な追加装備等。また敵超常体の特性についての座学や考察……」
 佐島が戦闘記録からの分析や起案書の束を机上に広げる。全ての書類に、杏奈の許可もしくは却下の認印が押されていた。膨大な量に安藤が呻き、目を通しながら那由多が口を出す。
「編成はぁ〜4機の人型戦車を2機一組でコンビを組むので〜いいんじゃないですかぁ? それでコンビのうち1機が敵の攻撃を引き付けてぇ、もう一方が側面から回り込んで攻撃するのぉ」
「ツーマンセルかぁ。……うーん。基本はそれでいいと思うけど、ぼかぁ、遠距離からの支援に徹する方がいいと思う。というか、それしか出来そうにない」
 ぼさぼさになった天然パーマの頭を掻きながら安藤が妙な自信を持って答える。背後では破音が眼を光らせて操縦士の座を狙っていた。両の手がわきわき。「安藤サン、後ろ後ろ!」と心の中で突っ込みながら、
「――ボクの考えでは、機甲戦力の打撃を最大限に活かす為に、人型戦車1番機を囮として使える動き方も考えているんですけど……」
 榊原が自案を述べる。成る程と一同頷きながらも、
「だが希望している人型戦車用の自動小銃は難しいと思うぞ。車載されているブローニングM2を転用するとしても、今からの陳情で4月中に完成は無理だ。来月の上旬に届くかどうかも微妙なところだな」
「でも人型戦車用の自動小銃が本当に開発されたのならば、ぼかぁ、もっと活躍出来るね」
 杏奈も『保留・要考慮』という印を押している。
「……ところでぇ。かおる君たら〜さり気無く自機を1号機呼びしているんだけどぉ」
 確かに、最初に確定された操縦士は榊原だ。しかし悩みは別のところにあった。
「あ、うん。1番機って事だけど……これって『1号機』なのかなぁ。それともアニメっぽく言うなら『初号機』とか呼べばいいのかなぁ。……そうするとボクの名前じゃ」
「――歌はいいね。歌は人の心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」
 破音の突っ込みに、榊原は頷くと、
「そうそう。そんな風に言わなきゃならないのかなぁ……って、あれ? そうすると『初号機』じゃなくてボクのは『弐号機』になるのかな???」
「……って、マニアックなネタが二重に来たなぁ」

 日本原駐屯地内にある建物の一室。ホワイトボードに張り出された地勢図を前にして、上級から下級まで幹部連が意見交換・調整をしていた。
「……戦車の砲撃や空爆で低位超常体の数を削り、準備を整えた上で人型戦車にて主神級を叩く。と言うところか?」
 机上に並べられた駒を眺めながら、第13戦車中隊・次世代戦車試験部隊長、桑形・充(くわがた・みつる)准陸尉が唸る。
「爆撃に関しては、現在、海田市の第13旅団司令部並びに伊丹の中部方面隊総監部に対して、航空偵察や戦闘結果報告を元に、低位上級の爆発的増殖に伴う爆撃制限の一部解除を要求している」
 第13飛行隊・機種統合試験部隊長、笹山・健(ささやま・たけし)准空尉が説明。更に、
「……米軍とも原状回復――つまり超常体との均衡状態を目的とした航空支援に関する協議を行っている。結果として、米軍からの航空支援を受けられる状態も作り出せれば良いのだが……」
「意見、宜しいですか?」
 待ったを掛けたのは峰原試験小隊出向扱いの大倉だ。周囲からの視線に臆する事も無く、
「テュポンの能力を考えると、余り航空支援は期待出来ないのではないでしょうか。敵としては航空支援しようとしたら強風を発生させれば良いだけですし、出番が来るとしたら……人型戦車がヤツと近接戦に入った時に生じる隙ぐらいでしょう」
「――痛いところを突いてくる。しかし多少の強風で臆するつもりはないが」
「失礼しました。ですが笹山准尉の隊はともかく米軍の腰は重いかと。米軍に限らず、駐日外国軍は自前の戦力が損失するのを嫌いますから」
「――良くてテュポンが出てくるまでか。解かった、私もそのラインを念頭に協議を進めておくとしよう。過度の期待は禁物だという事だな」
 苦虫を潰して飲んだ顔で笹山が溜め息を吐く。
「……恐縮です。更なる意見で申し訳ありませんが」
「聞こう。遠慮無く意見を述べてくれ。――戦車や航空機が攻撃中は人型で巨人系の突撃を防ぎ、人型が突撃する時は戦車や航空機で支援をする。相互に支援無くては、どうにもならんだろう。時間が無制限に無くとも、作戦は確実性を重んじるべきだと思う」
 桑形の苦笑。促されて、大倉は
「テュポンには高度の知性があると推測されます。組織だって攻勢を開始された際に一番嫌な戦法は、獣型超常体による人海戦術の後に、本命のギガスが蹂躙にかかる――又は獣型超常体を囮に使って、ギガスの部隊が側面から回り込む奇襲作戦です。……多分、テュポンが本気なら天候操作能力で嵐を吹かせて、こちらの砲撃や爆撃を邪魔するかもしれません。先に述べた戦術と組ませられたら……普通に勝てませんな」
 重苦しい雰囲気に包まれる。
「……こういう場合、縦深陣地で受け止めるのが一番良さそうだと思いますが。正面に地雷原、第一陣、第二陣、第三陣という感じで、近接されそうになったら順次部隊を下げて応戦。それと同時に『闇夜の梟』がテュポンへ突撃をかけるが、自分の考える最善とはいえずとも次善の策かと」
 唸り出す幹部連。熟考しているところに、更に論議の爆弾を放り込む。
「――迂回作戦を警戒するなら縦深陣地の他に即応出来る予備部隊を抽出。迂回路に相当する地点に斥候を配置して、確認出来たら予備部隊を即座に派遣して迂回を阻止すると言う感じになるかと」
 大倉の言に、重苦しい溜め息が漏れた。隣に座っていた杏奈が初めて口を開く。
「確かに最善の策ではないわね。というか、そんな予備戦力があれば、これほど苦労してないのよ」
「――戦闘人員だけではない。不足しているのは防弾被服と装甲車両か……可能ならば随伴隊員用に携帯情報端末も幾つか欲しいところだが、予算が足りぬのは相変わらずだな」
 杏奈と桑形の意見が一致するというのは稀な事だ。杏奈は(機甲科所属のくせに)昔ながらの戦車乗りを(一方的に)嫌っているのだから、両者の関係は(傍から見ていて)犬猿の仲に近い。……さておき、
「そして大倉三曹の案だと守勢主体だわ。残念だけど攻勢に出ない限り、終わりは来ないのよ……」
 杏奈の呟きを受けて、沈黙が訪れた。テュポンとの邂逅が噂となって駐屯地に広がり、杏奈自身の立場はかなり危ういところにある。今も杏奈の背後には警務科隊員が控えており、怪しい素振りをすれば躊躇無く発砲するだろう。雰囲気を察した大倉は場を取り成すように、
「……まあ、こっちは射撃主体で向こうさんは接近戦主体、しかも強風の加護付きですので取り付かれたら非常に危険。それは忘れないようお願いします」

 警務科隊員からの要請を受けて、大倉が代わって監視に着く……という形をとる峰原試験小隊施設への帰路。先頭を歩く着ぐるみフクロウへと、
「……単刀直入に聞きますが、峰原三尉はオカルト分類説で言うところの……オリュンポス神族のアテナに相当するんですかね?」
「――それは僕もお尋ねしたい事です。」
 物陰からの声に、大倉が9mm拳銃SIG SAUER P220に手を掛ける。大倉の様子に慌てて両手を挙げて敵意が無い事を示すと、速谷・光輝(はやたに・みつてる)准陸尉は姿を現した。そして敬礼。
「衛生科の速谷です。現在、第13音楽科のメディカル・スタッフを任じられています」
「……と、もう1人いるようね。キミも隠れてないで出てきなさいよ、ヘルガ」
 速谷の更に後ろの物陰から、三角・ヘルガ[みすみ・―]准陸尉が困った顔をしながら現れた。杏奈はホッホーと鳴くと、
「うん。正確に言うとアテナそのものではないけど、相当するものよ、アタシ」
 あっさりと認めた。ヘルガが頭を抱えているが、それよりも、ここまで明言されるとは思っていなかった速谷は一瞬呆然。我に帰ると、
「ヘルガさんも、希臘神話の神だろう!」
「峰原准尉とは……」
「三尉に昇進したわよ、先日」
「よくもまぁ……撤回されてないよな、今」
 杏奈の突っ込みに、大倉が首を傾げる。さておき、
「――失礼。峰原三尉とは個人的な親交があるのは認めるけど、私は神じゃないわよ」
 ヘルガは否定。それでも挫けずに、
「悪いと思いましたが、先日、電話(※無線)されているところを聞かせてもらいました。秋芳洞調査隊が音信不通だとか。……ここでハーデスに死なれると、タイタロスが開放されて、貴方達は困るんでしょうね」
「あら。伯父様が生死不明? 確かに困るわね。テュポンだけでも予定に無かったというのに、ここでティターンまで『遊戯』に参戦されては……」
 肩をすくめるのは杏奈だけ。ヘルガは冷たい表情を崩さない。半ば自棄になりつつも速谷は続ける。
「……ユタカさんを狙う綺麗な顔立ちの、でも厭らしい闇を抱えた男を知っているでしょう?!」
「知らない」「知らない」「話が良く判らんな?」
 杏奈、ヘルガ、ついでに大倉が即答。速谷は轟沈。
「……速谷准尉。ハッタリを掛けるにしても何にしても、状況証拠を並べるなり、筋道を立てるなり、また回答によっては交渉材料を持ち掛けるなり、十分に準備した方が良いと思うわよ? 同じように電波を受信するにしても、アタシんところの破音の方が交渉能力に長けているわね」
 杏奈からは電波な人と思われてしまったようである。速谷は益々凹んでいった。
「速谷さん……このままだと私は上に掛け合って、貴方の解任をお願いしなければならなくなるわ。まさか主治医が電波系だったなんて……ユタカに悪影響が出てしまうから」
「電波ちがーう!」
 激しく抗議。だが杏奈とヘルガは冷たく一瞥し、また大倉が目元を拭いながら速谷の肩を優しく叩く。
「――ま、新手のイジメはさておき」
「……酷い人だよな、小隊長」
「ホッホー! 何を今更。とにかくユタカを狙っている男というのは聞き捨てならないわね。それは本当の話?」
「――四国の知り合いからの相談にあった話です」
「その四国の知り合いと、ユタカとの繋がりは?」
「……ありません」
 やはり電波だ。再び杏奈とヘルガは冷たく一瞥し、大倉が目元を拭いながら速谷の肩を優しく叩く。
「……ただ、ある人物の夢の中で見た風景が、ユタカさんが見たものと酷似しているというのは間違いありません。その中で狙っている男がいたと」
「成る程……夢を司るのはオネイロス? いや、でも、アレにユタカに干渉するだけの力は……」
「……夢……眠り……もしかしてヒュプノス!」
 ヘルガの叫びに、杏奈も驚愕してみせる。
「有り得るかもしれない……『アレ』に組みしたヤツならば……。何にしてもユタカを目覚めさせてはいけない。せっかくの伯父様の気配りが無駄になるだけでなく、タルタロスの門が開かれてしまうから」
 速谷の腕を掴むと、ヘルガが敬礼もそこそこにユタカの控え室へと駆け出していった。杏奈とともに残された大倉は暫く考えた後、
「本当に、アテナに相当する存在なんだな。……まあ、自分と班員にとっては人類側に立ってれば、異生だろうが人間だろうが、有能で人使いが上手い上官なら誰でも構いやしませんけどね。――うちの班の異動届受け取った時に自分や班員の経歴を調べたと思いますけど。うちの班はホントに上官には恵まれませんでしたから……上官の大風呂敷に無茶なシフト、パシリ、強化訓練って名の虐め、色々ありましたよ。……って、よく死人出さずにやってこれたよなぁ」
「……アタシも似たようなものかもしれないわよ?」
 杏奈の返しに、大倉は苦笑。
「そこは、これから判断します。……と、半分愚痴になってしまいましたね。という事で、小官は職務がありますので失礼します」
 敬礼してから立ち去る大倉。その背に向けて、
「あ、そうそう。ひとつ質問というか確認が」
「……何です?」
「――『闇夜の梟』って、いいわね。部隊名」
「今のところ勝手に俺が呼んでいるだけだがね。あー。それと人型戦車は普通にBWV(バトル・ウォーカー・ヴィーグル)とか、FWV(ファイティング・ウォーカー・ヴィーグル)で良いんじゃないか? 変な愛称つけても、ライトタイガーの二の前になりそうだし」
 成る程と、杏奈は答礼を返してくれたようだった。

*        *        *

 本来ならば班長が座るはずの席だが、大柄な体格では手狭に感じる為に、谷鯨林は後部の長椅子に腰掛けていた。乗員10名の89式装甲戦闘車ライトタイガーだが、壱参特務小隊ち組だけでも一杯に感じてしまうのが恐ろしい。髪に撫で付けられているポマードの臭いが息苦しさを覚えるほどだ。
「ぷふぅ〜、暑い暑い」
 汗を拭う谷鯨林に、難を逃れるように車長席上部のハッチから外を警戒していた部下が声を掛ける。
「――需品科の物資輸送トラックです」
「またであるか? ここ、最近、多いであるな」
 何故か、ここ半月の間に需品科トラックが既に2回も訪れている。収監されている壱参特務が約40名。警務科隊員を入れても百名も満たない。1回来るだけでも充分過ぎる程なのに、あからさまに怪し過ぎた。そもそも山口駐屯地から3km程しか離れていないのだ。
「前回、前々回と中身に異常は見当たりませんでしたが……」
「三度目の正直という事もあるであーる。それにそろそろ……」
『――おい、谷鯨林。今度こそ当たりか?!』
 無線から聞こえてくる金剛丸の苛立ちに、谷鯨林は顔をしかめる。計器を確認して、
「……周防殿も待ちきれない様子であるな。いつものように警戒を怠らないように」

 第13旅団第13後方支援隊の73式中型トラックが旧・山口刑務所正門に近付くと、警衛が大きく89式5.56mm小銃BUDYYを掲げるように左右に振って、停止の合図を送ってきた。輸送護衛役の高機動車『疾風』の班長席から見て、井伊は眉根を寄せる。
『……どうした?』
 個人携帯短距離無線から聞こえてくるジョゼの問い。が、すぐに察したのだろう。
『――どうやら井伊の思惑は失敗したようだな』
「まっ、待って下さい! 何とか相手の気を逸らして見せます。行動はそれからでも……」
 井伊がジョゼを思い止まるように声を掛ける間にも近付いてくる警衛。井伊達に降車を促し、また中型トラックの荷物を臨検しようとする。
「――梱包物は全て開封させてもらうぜ。また責任者は誰だ? ここ数日間、余りにも輸送が多過ぎる。これで3度目だぞ。そんなに物資が余っているのか?」
 小柄で、中性的な容貌の隊員が臨検の指揮を取っているようだった。何とか誤魔化し、また注意を逸らそうと、井伊は苦肉の策を出そうとする。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 普段ならば憑魔核が蠢き、疼痛にも似た感覚とともに力が湧き上がるはずだった。しかし……。
「……何です? 使えないなんて。――あ、そうでした。ここは!?」
 聞いただけでは実感出来なかった。旧・山口刑務所周辺では憑魔能力は一切使えない。再三、注意されていた事なのに……。
「――何をしようとしやがった、あんた!?」
 指揮を執っていた少年――周防が、井伊の様子に9mm機関拳銃エムナインを突き付ける。周防が率いる壱参特務と組がBUDDYを疾風へと構えた。
『……これまでか。失望したぞ、ムッシュ井伊』
 耳にはめた短距離無線から聞こえてきた仏語はジョゼではない。次の瞬間、トラック内の荷物点検をしようとしていた壱参ち組隊員の首が、宙に舞った。血飛沫が周囲を赤く染める。ジルと呼ばれていた男が荷物から踊れ出るや否やコンバットナイフを閃かせて、殺戮を開始。またジャンがFA-MAS F1で打撃音を吹き鳴らすと、また1人倒れた。
『ぶっ、ぶひぃ〜! 我が輩の可愛い部下を!』
 報告を受けた谷鯨林がすぐさま反撃の発砲許可。トラックへとBUDDYの火線が集中。更にライトタイガーの35mm機関砲も加わって爆発炎上した。一瞬、唖然となっていた井伊は周防に詰め寄られていた。慌ててグロック34を抜こうとするが、次の瞬間、綺麗に回転。周防が襟と袖を掴んだだけで地に叩き付けられる。鳩尾に爪先で抉られ、井伊は激痛でのた打ち回る。
「――拘束しろ! 抵抗するならば、こいつもろとも射殺だ!」
 周防が怒鳴り付け、壱参特務と組員が井伊の身柄を抑えると需品科隊員は地面に身を伏せて投降する。
「……冬月様に何かあれば、亡き荻野様に申し訳が立ちません。せめて命ばかりは……」
 副官の言葉に、井伊は痛みに苦しみながらも、それ以上に歯噛みする思いだった。彼等が、ぼくの助命を嘆願するのは、ただ亡き母への義務感からくるものに過ぎない。誰一人として、本当の意味でぼくを案じてくれている者は居ないのだ!
「――哀れなヤツだな」
 井伊を一瞥して唾棄すると、もはや興味が無いとばかりに、周防はレミントンM870を構えてジルに向き直る。爆発炎上する間一髪に飛び出したジョゼ達を撤退させるべく、ジルとジャンが立ち塞がっている。
「――周防! トランペッターは俺の獲物だ。おまえは手を出すなよ! この俺に恥を掻かせた、あのお仏蘭西野郎どもをぶっ飛ばしてやる」
「そっちこそ。ナイフ使いは俺の獲物だ。あんたこそ手を出すな――って本気で“ぶっ飛ばす”つもりなんじゃないだろうな!?」
「……馬鹿言え、ハチヨンは勿体無くて使えるか」
 言いながらも忍んでいた金剛丸が肩に担いでいた84mm無反動砲カール・グスタフを捨てる姿は、名残惜しさを感じる。さておきBUDDYを構え直すと威嚇射撃。ジャンは懸命に応戦するが、
「……ちっ、さすがに罠を仕掛けた場所への誘導は無理か。結局、徒労に終わったじゃねぇか」
 ジャンとしては味方の撤退が完了するまでの時間稼ぎが目的であり、金剛丸個人に付き合う気は全くないのだ。また自棄になっても刑務所に特攻するだけ。金剛丸が目的地へと釣ろうとしたところで、引っ掛かる事はあり得ないだろう。
「……成る程、自爆も辞さずという事か」
 ジャンの腰に提げていた手榴弾を見て取ると、金剛丸は口の端を歪めて笑った。トランペットの弾尽きたジャンが弾倉交換の隙を作るべく手榴弾を抜く。片手の指だけで安全ピンを弾くと、放り投げてきた。空中でレバーが外れた手榴弾が金剛丸の足下に転がる。周囲の警衛が慌てふためくが、
「落ち着けば済む事だ。――ほら、返すぜ、お仏蘭西野郎。ぶっ飛びな!」
 蹴り返した。爆発寸前だった手榴弾は空中で四散。弾体を周囲に撒き散らす中、金剛丸は顔を庇いながらジャンに肉薄。P220の銃口を突き付け、引き鉄を絞った。頭部を撃ち抜かれたジャンが仰向けで倒れる。手からは新たな手榴弾が転げ落ちた。
「……俺が殺さなくても自爆しただろうな。口が堅いのにも程がある。って、そっちはどうなった?」
「――楽勝で仕留めたぜ。性に合わずとも、ふざけずに戦ったら、こんなものよ」
 戦闘防弾チョッキで守られていない箇所に無数の切り傷を負いながらも、周防はジルを下していた。血溜りの中に沈むジル。痛みを悟られないように強がりを言う周防だが、吐く息は荒い。
「……捕虜は無理だったか」
「一瞬にして無力化させられなければ難しいな。まぁどこまで仏蘭西野郎に加担していたかは知らないが、この坊ちゃんから聞き出すしかないだろ」

 拘束した井伊を“説得”して聞き出せたのは、人員と少し前までの隠れ場所――泉戸町と呼ばれたところにあった外科病院。勿論、拠点を移しているだろうから、襲撃しにいっても空振りになるのがオチだ。そう思わせて潜伏し続けている可能性もあったが。
「ぶふぅ……目的は、ベイビーちゃんであるのは間違いないであるか」
「詳しい事はこいつも余り知らないみたいだな。使えないヤツめ」
「……どうする、隊長?」
 壱参特務の面子は“説得”中の井伊を見下ろしながら、牢名主のルリに尋ねてみた。ルリは舌なめずりをしながら井伊を押し倒すと、
「――どうせ、奴等はアタイを殺すしかないんだからな。そうでないと『ベイビーちゃん』は手に入らないようになっている。放っておいても向こうから遣って来るさ。……それよりも面白い玩具が手に入ったんだ。このまま壊れるまで楽しませてもらうぜ」
「……文字通り、精根尽きるまで、隊長の玩具か。可哀想にな、同情するぜ。――嘘だけど」
 肩をすくめる。井伊は搾り取られようとする情欲と懸命に戦いながらも、間近に迫っているルリに問いを発した。
「……ぼくは相応の理由があるなら……うっ。せ、世間で悪とされる行為に手を染める事も……ああっ! 止むを得ないと考えて……います……あなたの悪は、あな……あなたたの……あなただけの為のですか? それとも……神州の為になる……物で――ッ!」
 我慢の限界。井伊は薄れゆく意識の中、
「……面倒くせぇな。アタイはアタイの好きなようにやっているだけだぜ?」
 嘲笑するルリの声が耳につくのだった……。

*        *        *

 希臘神話の織り手を名の由来にするアラクネは、成人女性の裸身に擬態した器官を頭胸部に持つ蜘蛛に似た低位中級超常体である。都市部の廃墟、あるいは山間の森林に粘着性のある糸で罠を仕掛け、裸身女性に擬態した器官で招き寄せる。怪しいと思っても一見無防備な姿をさらされては、惑わされてしまう。そして蜘蛛の巣に絡められて動けなくなったところを、その強靭な鎌状の鋏角に噛み切られるのだ。また罠を仕掛けていなくても集団で人や部隊を襲う事もある。 アラクネの森
「……って、今更、そんな解説を思い出しても!」
 腰細浦から弥山、大日堂へ。稜線を越える事なく谷伝いに上るルートを通って、敵の状況を観測する事を選んだ京香は弥山の毘沙門堂で厳島神社を覗く。報告後に更なる浸透を図った京香は、瀰山原始林にてアラクネの営巣地にぶつかった。さすがにアラクネの擬態に惑わされる事が無かったものの、獰猛な超常体は瞬く間に数を増やして押し寄せてくる。
「……仕方ないわね」
 京香はBUDDYの威嚇射撃で距離と時間を稼ぐと、弾薬嚢から取り出したMk2破片手榴弾を放り投げた。爆発音と衝撃は鬱蒼と茂った木々が吸収してくれる。万一にも目標が聞きとがめたところで、位置の特定は困難。出来たとしても、様子を伺いに来るまでに京香は移動を終えている。そう判断すると遠慮なくBUDDYで死に損なったアラクネを掃討する。
 ……こうして悪路や超常体に悩まされながらも、大きく西へと回り込み、宮島町水質管理センター跡に走破した京香。背負っていた隊用携帯無線機で本部に報告を入れる。後続の偵察要員が到着するまでの間に偽装を施し、周囲へ罠を仕掛けておくのも忘れない。
「――さて。更なる接近を図るわ」
「了解。留守を預かる。――慎重にいけ」
 後続してきた同僚に、一時的に拠点とした管理センター跡を任せると、京香は厳島神社への接近を試みる。さすがに、いきなり本殿にアタックするのは蛮勇が過ぎるとは理解している。腰を落とし、前傾姿勢で、瓦礫や木陰に身を隠すようにしながら、時間を掛けて慎重に進む。廃屋をアラクネが這い回り、遠目では人間の少女に見間違う姿の低位下級ネレイデスが生魚に噛り付いているのが見て取れた。波間には半馬半魚ヒッポカンポスが見え隠れしている。そして――
( ……キュクロプス!)
 単眼巨人キュクロプスは希臘神話において同じ種族名でも、大地母神ガイアと天神ウラノスの子とされる鍛冶神ヘパイストスに仕える亜神と、海神ポセイドンの一族として粗暴な怪物の二種が居る。神州に出現しているとされるのは間違いなく後者。日本原高原のギガンテスと同じく高位下級超常体の紛い物だ。それが1匹、徘徊している。
( ……歌が聞こえるわ。泣き声に似た、歌? )
 半人半鳥の姿をした超常体セイレーンの仕業か? だが京香がスコープで覗くと、泣き声の主はフードを深く被った人物だった。体格や服装からして恐らくは女性。超常体のような異形ではないが、周囲の怪物は彼女を襲わず、むしろ守るように構えている。
( 厳島神社に祭られているのは、宗像三女神よね。まさか……? ――ッ! 何か、空から来る!)
 平舞台にたたずんでいたフードを被った人物へと降り立ったのは、天馬。いななくペガサスの背を愛しそうに撫でると、彼女はネレイデスを引き連れながら、本社本殿の内へと消えた。キュクロプスは番をするかのように社務所に腰を下ろすと東――包ガ浦自然公園の方を睨んだ。アラクネが隊列を組み、セイレーンが上空を周回する様は、まさしく警戒しているのだろう。
( だけど、彼女が超常体を率いている高位上級? )
 確証は得られない。とりあえず情報を送信すべく、京香は管理センターまで退く事にした。

*        *        *

 首筋を誰かに撫で回されているような感覚が欠点の内で最たるものだ。だが欠点も我慢するだけの価値がある。超常体が蠢く、秋芳洞内では。眼と鼻の先を豚頭人身の低位下級超常体オーク数匹が鼻を鳴らしながら嗅ぎ回っていた。恐らくみことを探しているのだろう。気配を隠し、姿を溶け込ませていなければ、危ないところだった。明かりで照らされていた時は荘厳華麗な鍾乳石の芸術も、光無ければ魔王の顎のように、奥深く人を喰らい、飲み込むかのようだった。
「……ポイント傘づくしに到達。地下水のまたがる橋は崩落の危険性があり。注意されたし。なおオーク数匹が周辺を徘徊中」
『――了解。引き続き先行調査を頼む。ただし無理はするな』
「合点承知。ポイント黄金柱へ向かうね」
 後続してくる救助部隊への報告を終えると、みことは捜索用音響探知機を片手に奥へと進む。
( ……寒い )
 秋芳洞内部の気温もさることながら、憑魔を宿したギリースーツによるところが大きい。周囲の色と形状に溶け込む事が出来るが、着用者から吸血して滋養を得る。洞内を探索するに当たっては、時間が長引くほどに命の危険を呼び込む事になる。かといって強攻策に出れば、すぐに超常体の群れに押し潰されてひとたまりも無いだろう。ましてや気配や視覚・触覚を誤魔化せたしても、嗅覚・聴覚は誤魔化せられない。更に相手もまた赤外線を感知出来るとしたら……。光の届かぬ奥に行くほどに、目が退化した代わりに熱や音で“視る”超常体が出てこないとも限らない。そうなれば、みことの偽装など無意味でしかないのだ。
( ……羽村士長。どこに? )
 それでも気力を振り絞って、探索を続行する。綺麗に骨まで舐められた死骸や、散乱する空薬莢。天然記念物に指定されていた鍾乳石の幾つかも、跳弾や爆発物の影響で見るも無残な姿に変わっている。惨状に知らずに顔をしかめていたみことだったが、音響捜索機が拾った音に身を堅くした。天井を飛び回る超常体の怪鳥音。叫び声を上げると、流れる川に墜落している。拾った音はそれだけでなく、たがの外れた女性の声。
「――羽村さん、どこ? あたしは、ここよ。ユタカなんて小娘は相応しくない。あたしこそが、あなたに、相応しい……だから、抱きしめて、会いにきて……」
 思わず身を隠そうとするみことだが、岩陰から手を引っ張られた。声を上げようとしたところ、口をふさがれる。ボサボサ髪に、痩せこけた顔立ち。
「……羽村士長?」
「静かに。彼女に見つかると厄介だ」
 押し黙る2人のすぐ横をうわ言を呟きながら通り過ぎていくWAC(Woman's Army Corps:女性陸上自衛官)の姿。戦闘服は破れ、ところどころ肌が露出しているようだったが、それよりも……
「――寒いってもんじゃないわ。彼女の周りは凍えるようだった。一体?」
「……秋芳洞の、タルタロスの闇と狂気に犯されて、完全侵蝕されてしまったんだ。今の彼女はティターン神群の娘にして妖精妃ティターニアの受容体だ。氷水系で凍気を操る。そしてボクの事をオベロンと思い込んでいる……可哀想に。ボクに関わったばかりに」
 オベロンもティターニアもシェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』で有名になった存在だ。戯曲の舞台はアテネであるが、オベロンの由来はゲルマン神話に出てくる地中の小人アルベリッヒという説がある。地中の宝を守るアルベリッヒは、オルクスやプルート、そしてハーデスと関連付けられる事も少なくない。
「カール、ベス、ルースもボクを守って死んでしまった。……ボクもそう長くなさそうだ。死ぬ前に誰かと会えて良かった。伝えなければならない事がある」
「……何を馬鹿な事を言っているの! ほら、肩を貸すから立ってよね。すぐに本格的な救助部隊も到着するから!」
 羽村・栄治[はむら・えいじ]陸士長を担いで引き摺るように歩く。羽村は力なく笑うと、みことのなすがままになっていた。ただ呟き続けてくる。
「――タルタロスの門が開き掛けている。だけどティターンの仕業とは思えない。……誰かがアイガイオンや彼女を狂わせたのは間違いない。だけど――ボクにはタルタロスを閉じるどころか、彼女を止めたり、また裏で糸を引く何者かを突き詰める力も時間も残っていないようだ……」
「――何を気弱な事を! ユタカちゃんを悲しませるつもりなの、FC名誉会員“紫のバラの人”が! ユタカちゃんは “紫のバラの人”を大切に思い、安否を非常に気に掛けているわよ。もしもあなたに何かあった場合、受ける衝撃は並々ならぬものがあると、わたしだって解かるわよ。悔しいけど。それで、もしもユタカちゃんが引退なんかしちゃったら士気はドン底。それに……」
 みことは切り札を突き付けた。
「――『行かないと! 追いかけないと! “愛しいあの人”が飲み込まれてしまう』……ユタカちゃんが夢で叫んだ言葉だって。……追い掛けさせるつもり?」
「……やれやれ。せっかくユタカちゃんとしての生があるんだ。……このまま『遊戯』には関わらずに、ユタカちゃんとしての人生を全うして貰いたかったんだけどね――って、そうか。それが、目的……か……」
 何かに気付いて愕然とした羽村だったが、ついに限界が来たのか意識を失った。急いで脈を取ると、弱々しいがまだ間に合う。一刻も早く救助部隊と合流して羽村を安全な場所に移すのが先決だ。聞きたい事は山ほどあるが、回復してからでも遅くは無い。
「――問題は。ティターニアだっけ? ただでさえ、超常体に満ちている秋芳洞内に、あんなのを放置する訳? タルタロスとやらの調査をするには……」
 奥に封じられているというティターン神群を解放される恐れもあるし、ティターニアは優先的に排除しなければならない。みことは唇を噛み締めるのだった。

*        *        *

 巨人の軍勢が沸いて出たとの報から数時間も経たずに、日本原高原は過酷な戦場と化した。鋼鉄もかくやというほどの強靭な体躯を持つ獅子型の低位上級超常体ネメアンの群れが、地雷原を突破。M14A1指向性地雷クレイモアが爆発して撒き散らされる鋼球を喰らいながらも疾駆してくる。塹壕に身を隠した隊員達がBUDDYで一斉に射撃。さすがに頑強な肉体といえども不死身ではない。傷付いて累々と横たわるネメアン。だが安心する間も無く、第二波としてヒュドラが押し寄せてきた。ネメアンが強行突破して無効化させた地雷原を悠々と進行してくるヒュドラに、5.56mmmNATOが叩き込まれる。だが神話のオリジナルほどではなくとも再生力は尋常ではない。また咥内から毒液を噴射。塹壕内にこもって逃げ場のない隊員達は毒液を浴びて苦しみながら死んでいった。
「――射てっ!」
 コマンダーからの情報を受けるまでもなく桑形が号令を発する。M1A2エイブラムスSEPの主砲たる44口径120 mm 滑腔砲から発射されたHEAT弾はヒュドラの群れを吹っ飛ばしていく。2輌の砲撃を皮切りに、第13戦車中隊・第13野戦特科隊の砲撃が降り注いだ。
「――爆撃要請!」
 要請を受けて、笹山の駆る戦闘爆撃機F-15Eストライクイーグルが340kg普通爆弾JM-117を降り注いでいく。圧倒的な爆薬を受けて、さすがのヒュドラも崩れ落ちていったのだが、
『――各機、戦闘域から離れろ! 空間が爆発する!』
 大空が突如として荒れ狂った。航空優勢を確保しようとしていた支援戦闘機F-2が翻弄される。加えて
「――飛べたのか、ヤツ等」
 空対空レーダーに映し出されたのは、無数の飛行物体キマイラ。アポロドーロスが記したオリジナルは、獅子の頭と前脚、雌山羊の胴体、蛇の尻尾を持つとされているが、後世において、それぞれの頭を持ち、蛇ではなく竜の頭であり、更に竜の翼が付け加えられた姿でも現された。もっとも異形系超常体ならば、翼を形成してもそれほどおかしくは無い。ただ一層厄介になっただけだ。
「――各自、機体の制御を取り戻して、キマイラの撃墜に当たれ。……米軍の支援はまだですか!」
 歯噛みしながらも笹山は指示する。引っ掛けるように群がってくるキマイラを主翼で薙ぎ払った。重量と速度はこちらが上だが、機動性はキマイラが上だ。口から炎を噴射し、奮闘空しく取り付かれたF-2が一機墜とされていった。空対空攻撃力に劣るA-10サンダーボルトIIは格好の餌だ。
『……対空誘導弾!』
 指揮所からの情報により、第13高射特科中隊の93式近距離地対空誘導弾クローズドアローからミサイルが発射。キマイラを追尾、撃墜していく。荒れる戦闘空域から笹山はやむなく離脱を指示。ミサイルを掻い潜ってキマイラが迫ってくるが、
「――ようやく来ましたか!」
 駐日米軍の戦闘機はキマイラを追い払うと、笹山達が帰投するのを援護する。彼等の支援はこれだけだった。
「……空は一進一退の引き分け。ヒュドラとキマイラの数は減ったが、決定的な優勢は確保出来ず、か」
 それに、主力のギガンテスがまだ……。戦場を睨む桑形へと緊急連絡が入る。隣で砲撃を行っていた74式戦車が投石を受けて、沈黙した。
「……どこから?! ――馬鹿な、巨人が反射面陣地だと!」
 敵との間に丘や大地を挟み、稜線越しに砲撃を加える防御的戦術をいう。ギガンテスが行っているものは正確には異なるが、木々や岩石を挟んで遠間から放物線を描く投石は、今まで直接的な攻撃を行ってきたものとは格段に違っていた。
「……テュポンの存在だけで、こうも戦い方が異なるというのか。だが直視していないのに命中率の高さは一体!?」
 桑形の疑問は尤もだ。そして戦車に随伴する普通科隊員達が銃撃という形で答えてくれた。
「――会議で唱えていた戦術よりも嫌な攻勢を掛けられたな」
 ライトクーガーの内で、状況への対応に迫られながら、大倉が呟く。正面から突入してきた獣型への応戦にとらわれて、サテュロスの浸透に気付くのが遅れた。小柄な体躯を巧みに利用したサテュロスは木々に隠れながら、側面後背に回り込んで肉薄。何がしかの合図で巨人へとこちらの戦力を報告する斥候の役割を果たすとともに、後方の撹乱を開始したのだ。警戒していなければ被害はより甚大なものになっていたかも知れない。ガンポートからBUDDYを突き出し、張り付いて装甲を叩くサテュロスを5.56mmNATOで引き剥がす。サテュロスの攻撃力からしてエイブラムスをはじめとする機甲車輌が打ち破られる事はあり得ないが、機動性は殺された。普通科隊員達はBUDDYの乱射や、銃剣での刺突で応戦する。
「……敵巨人、動き出したとの報告です! 戦車の砲撃調整が追い付きません。側面から来ます!」
 無線機に張り付いていた 鈴木・恵[すずき・めぐみ]二等陸士が悲鳴を上げるが、
「――接近戦に持ち込まれたら『闇夜の梟』の出番だ! 待ちかねたぞ」
 側面から強襲してくるギガンテスを押し止めたのは4機の人型戦車。榊原機が真っ先に接敵。敵中に突っ込んだ榊原機はフットペダルを絶えず踏み鳴らし、操縦桿を押し引きして、ギガスの攻撃を巧みに避け続けた。榊原機の動きに翻弄されたギガスへと那由多機が詰め寄り、人型戦車用刀『ズバッ刀』を振り下ろした。西洋剣の押して叩き切るのと違い、刀は引いて斬り裂く。湾曲した形状と、軟鉄と硬鉄を重ねた刀身は力学的にも相応しき美と力を兼ね備えている。それは人型戦車用としても同じ事。ギガスを美事に一刀両断してみせた。ギガスは一瞬たじろいだが、それでも両機へと果敢に攻撃を向けてくる。
「――支援射撃開始!」
 安藤機が構える小銃から放たれた37mm弾がギガスの頭を撃ち抜く。榊原と那由多に意識を向けていたギガンテスを牽制した。
「……リアル射撃の成績はそれほど良くなかったけど、ぼかぁ、シューティングアクション・ゲームではノーミスなんだ」
 操縦桿を通しての射撃は、ゲームプレイ感覚に近い手作業だ。体力的な課題を克服するには、移動砲台として支援に撤した方が良い。それにこっちの方が向いている。ゲーマーとしての面目躍如だ。問題は……
「接近されたら手も足も出ない事だけど。佐島さーん」
 榊原と那由多のフィールドから脱け出して、迫ってくるギガス。安藤へと突進――だが間一髪で佐島機が割り込んだ。更に改良と調整が施された盾が、振り下ろされた棍棒を受け止める。だが突進の勢いは殺せなかったのか、佐島機が背面から倒れていった。悲鳴が上がる中、佐島は奥歯を噛み締めて、
「こんなっ!」
 操縦桿で腕を動かすと、肘が押すように接地。
「こともっ!」
 左スロットルを前に押し込んで下半身のパワーを上げると同時に、操縦桿を下げて上半身を前傾させつつ足を頭の方に思い切り持ち上げた。
「あろうかとっ!!」
 機体は勢い良く一回転して、腕を前にやる。顔の前に来る地面を前腕部で押して、
「練習しといたッ!!!」
 見事に佐島機は立ち上がる。唖然とする中で、容赦無いのが1人と、
『――佐島士長。戦闘後になるけど、訓練敷地内に出来ていた謎の窪みの理由をたっぷり聞かせて貰うわ』
 そして、一匹。機体を立て直したところでギガスそのものの存在が消えてなくなった訳ではない。当然、立ち上がったばかりの佐島機へと追撃が行く。
「……佐島さん。意外にお茶目なんだねぇ。ぼかぁ、感心したよ」
 次弾の装填を終えた安藤機が、横面をはたくようにギガスを吹き飛ばした御蔭で事無きを得た。佐島は沈黙後、問い質してみる。
「……中々カッコイイ動作じゃなかったか?」
「――追撃の可能性を忘れていなければ、文句無し」
 その間も榊原と那由多がギガンテスを撹乱。更に、
「姿勢制御、射撃調整整った!」
 大倉達の応戦もあってサテュロスを追い払った戦車部隊が、目標をギガスに定めて砲撃を再開。数を減らし、傷を負ったギガンテスは撤退を開始した。
「――何とか、今回も撃退に成功。生き残れたな」
 ライトタイガーの班長席で大倉は安堵の息を吐いたのだった。

 敵の意識が戦場に集中している隙を掻い潜って、破音は奥深くまで浸透していた。木陰に隠れながらテュポンを見上げる。テュポンは前線に体を向け、巨人や怪獣共に指示を送っているようだった。
「……うーん。無線からの通信によれば皆、苦戦しているみたい。攻勢が激しく、そして組織的になっているね。やっぱりテュポンの存在は大きいなぁ。ぼくが何とかしてあげないと。――ベッキー、テュポンの弱点を探るのだ!」
 向日葵の種を上げながらモモンガへと命じると、渋々、氣を探っているようだった。暫くしてモモンガは身振りで何かを伝えようとするが、
「――残念。ぼくには解からないんだよね〜。隊長は一応、操氣系らしいから伝えられると思うんだけど」
 モモンガは肩を落とす。拗ねたように丸々と、そのまま不貞寝。
「帰ったら、報告と。どうやら、今回も一進一退で戦況に変化無し。日本原駐屯地に帰投しよう。那岐山へと隊長が辿り着くのは何時になるやら……って、あれ? 何か変だね?」
 何が変かは良く解からないが、北にある那岐山を見遣る。次に、帰るべき日本原駐屯地のある南の方角へと向く。……何かオカシイ。何かがズレている。
「ま、いいか。帰って、考え込んだら電波が答えを教えてくれるかも。くれないかも? ――ッ!」
 突如として不貞寝していたはずのモモンガが鳴いた。全身の毛が逆立っている。何時の間に接近していたのだろう。双頭の番犬オルトロスが鼻を鳴らしながら、こちらの様子を伺っていた。このままではテュポンにも気付かれてしまう。素早く片付けて、偵察用オートバイ『ホンダXLR250R』に跳び騎れば脱出は可能だ。
 ―― 憑魔覚醒。侵蝕開始。半身異化状態に移行。
 圧倒的火力で仕留めるに限る。破音の腕や触腕が増えた。エムナインとカール・グスタフを同時に構える。
「――ミーティア装着! くたばれ!」
 だがオルトロスの方が先に跳び掛ってきた。破音を押し倒すと、その口を開けて……顔を嬉しそうに嘗め回す。尻尾を千切れんばかりに振っている。
【……どうした、オルトロス? ――ッ! まさか、お前は!】
 オルトロスの様子に気付いたテュポンが下を覗き込み、そして硬直した。続いて静かに震え出す。
 ――記憶が無いのか、お前?
 ……生まれたばかりの姿で、ハミングしているところを拾われた。
 ――検査や実験でモルモット扱いされるなら、駒として手元に置いてやった方がマシか。
 ……多数の異形に囲まれている風景。砲声が轟き、全てを爆発四散させた。
「……あ、ああ、亜阿嗚呼吾ア! ――ぼくは誰?」
 思わずの呟き。頬に痛みが走る事で、我に帰った。モモンガが必死になって掻き毟っている。血が流れるのにも構わず、破音はテュポンを見上げると、構えていたエムナインやカール・グスタフを全弾発射! 爆発に紛れてオートに跳び騎ると、脇目も振らずに逃げ出した。
「――ぼくは……誰?」
 オルトロスの哀しい遠吠えが耳に響く。破音は日本原駐屯地に辿り着くと、そのまま意識を失った。

 杏奈が入室すると、診察を終えていた速谷が書類から顔を上げる。
「……で、破音の様子は?」
「――喪失していた記憶が一時的に戻った事による、情報量の混乱かと思います。もっとも戻った記憶も混乱のうちにまた消えた可能性がありますが」
「……色々と問題がある出自とは、後見人からアタシも聞き出していたけど。逆行催眠は?」
「本人の了承が得られないと何とも……。それに僕が明日もここに残っているとは限りませんし」
「ユタカが海田市駐屯地に戻っちゃうからね……」
 慰問活動を終えたユタカがまた昏倒した。そして看病する速谷やヘルガは、悪夢にうなされるユタカの枕元に立つ端麗な顔立ちの青年を目撃している。ヘルガが銃を突き付け、速谷が問い質す間に掻き消えたが。事態を重く見た第13旅団司令部(というより子煩悩なユタカ母の要望)は、海田市駐屯地に連れ戻して安静にするよう言い渡してきた。
「伯父様は瀕死一歩手前の状態だけど救出されたっていうのに……」
「まぁ、僕自身には帰還命令が出ていないから、その分、好きに動けますけどね」
 そして速谷は改めて向き直る。
「僕に出来る事があれば、今後も協力したいと思います。……まあ、力無い人々が守れるならですが」
 照れ隠しの咳払いを1つ。話題を変えるように、
「そういえば、テュポンの憑魔核ですが……」
「心臓よ。ラタトスクと名乗ったモモンガの報告だと、そうらしいわね」
「ピーチとかベッキーとかいう名前だったんじゃ?」
「モモンガ自身は、そう名乗ったわよ? 北欧神話の付け口栗鼠を名乗るなんてどういう気は知らないけど……ま、何にしても近接戦闘でもって心臓を止める。これまでの方針と変わらないわ」

 

■選択肢
SEu−01)海田市駐屯地で式神ユタカの身辺警護
SEu−02)壱参特務隊員として刑務所防衛&探索
SEu−03)駐日仏軍外人部隊に関して協力&調査
SEu−04)厳島神社攻略作戦に参加して尽力奮闘
SEu−05)日本原駐屯地で巨人や怪物と徹底抗戦
SEu−06)那岐山に潜む超常体に関して威力偵察
SEu−07)秋芳洞に突入して見敵必殺&一撃離脱
SEu−FA)山陽地方の何処かで何か


■作戦上の注意
 当該ノベルで書かれている情報は取り扱いに際して、噂伝聞や当事者に聞き込んだ等の理由付けを必要とする。アクション上でどうして入手したのかを明記しておく事。特に当事者でしか知り得ない情報を、第三者が活用するには条件が高いので注意されたし。


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