第六章:ノベルス


同人PBM『隔離戦区・神州結界』 第1回 〜 九州:アフリカ 其肆


E1『 スニーキング 』

 神州の結界化に伴なう、事実上の国民皆兵時代。
 増大した隊員や武装を収容すべく、各地の公的施設や広大な運動場等は整備改装され、新たな駐屯施設として利用されている。
 菊池郡にある、豊岡と黒石原の元陸上自衛隊演習場もまたその1つであった。
 隣接する泉が丘とすずかけ台の団地が隊員達の宿舎として使われ、また第8師団司令部のある北熊本駐屯地の目と鼻の先。
 さらに北側にはかつて県農業公園や九州農業試験場だった場所があり、100%海外からの輸入に頼っている食糧が不足した場合に備えて、第一線を退かざるえなかった者達がここで農作業や生き残った家畜の養殖、捕らえた超常体の食糧転化研究を行なっている。
 そんな豊岡の施設内、武器科 ―― 武器弾薬に関する業務を担当し、これらの修理や補給に関する業務を行なう機関 ―― の窓口で、瀬織津・佐須良(せおりつ・さすら)陸士長が、苦笑を向けられていた。
「 …… 瀬織津士長。貴女の気持ちは解かりますけどね、装備の受取りの際にはマスクを外しなさい。本人かどうかの確認照合もしなければならないんですから」
 武器科の担当は、佐須良の顔を覗き込むように顔を近づける。慌てて佐須良は身を引こうとしたが、武器科隊員はそれを許さない。左右の人差し指を交差して、
「それは、メー!よ」
「はぁ …… 静花さん がそうまで仰られるのでしたら」
 佐須良は渋々と防護マスクを外し、その素顔を露わにした。困り顔のような八の字眉毛が、気の優しさを醸し出す。
 それをみて、静花と呼ばれた武器科隊員は微笑んで見せる。
「いくら貴女が憑魔の力を心配しても、半身異化状態でもなければ気にする必要はないんですからね。ましてや活性化もしていないのに素肌を隠す必要はないでしょう」
「でも …… 」
 口篭もる佐須良に静花は唇を尖らしてくる。
「デモも、ストもありません! 第一、貴女の憑魔にその名が付けられたのは単なる偏見と誤解に満ちたもの。…… 祝祷系だって、単に過去の歴史からそういう場で使われる事が多かったから誤解されて、そう名付けられたものですしね」
 解かった?と優しく訴えながら、静花は棚から銃器ケースを取り出した。
「申請していたグロック34 ……まぁ、これも貴女の心配事からくる為なんでしょうけど、よりにもよって34? どうして、こんなマイナーなのを注文するのかしら。探しちゃいましたよ?」
「放っておいて下さいよ」
 苦笑を返しつつ佐須良はグロックをケースから取り出すと、並べられたレーザーサイトを取り付けた。握って重さを確かめる。
 グロック・シリーズはプラスティックで製作されたグリップ・フレームを装備した軽量の大口径セミ・オートマチック拳銃。オーストリアのウィーン郊外にあるグロック社によって開発・設計されたという。
 オーストリアは険しい山岳地帯が多く、冬の寒さは厳しい。この銃はそのような環境下で、手袋をしないでも安全に射撃出来、また手袋をしたままでも細かい操作を必要とせずに安全に取り扱え、発射出来る拳銃として設計された。その為、独立したマニュアル・セイフティを廃し、トリガー自身にセイフティを組み込んでいる事もまた特徴的である。
 佐須良が申請したグロック34は、初期モデルのグロック17をマイナーバージョンアップしたもので、角を丸めて取り出すときの引っかかりを抑え、レーザーサイト装着用の溝をあらかじめ掘っておく等、デザインの面で多少手が加えられた第3世代型フレームをしている。
 己の憑魔に恐れを抱く佐須良は手袋を外さない。そんな彼女だからこそ、グロック34を握るのだった。
 その他、申請していた装備を受け取ると、佐須良は礼を言った。静花は手を振ると、
「気にしない、気にしない。貴女と私の仲じゃありませんか」
「では、今後も遠慮なくしますね」
 笑い合った。
 マスクを再び着用しようとする佐須良に、静花は別小型ケースを投げて寄越す。慌ててキャッチ。
「これは ……?」
「餞別ですよ。それでは御武運を」
 小型ケースの中にはグロック用の減音器(サプレッサー。※消音器:サイレンサーと呼ばれる事もあるが、厳密的には減音器という邦訳が正しい)が入っていた。
「隠密行動をするには必要になる事もあるでしょう? 使うかどうかは貴女に任せますけどね」
 ウィンクして微笑む静花の言葉に、佐須良は感謝の意を態度で現す。親指を立てて、
「イエ〜ィ♪」

 救護室に響く、気色の悪い声で気持ち良さそうに喘ぐ声。
 肌も露わに恍惚とした表情で椅子に座った男達が惚けている。
 全てはサングラスに角刈りといった一見強面風の男仕業であった。男は素早く処置すると、次の傷病人に取りかかる。
 怯えていた傷病人もすぐに骨抜かれたように悦楽の表情。
 そんな部下達の奇態に思わず、西部方面隊第8師団・第42普通科連隊第811班を率いる、陣内・茂道[じんない・しげみち]陸曹長が頭を抱えてみせた。
 おぞましいものを見る目つきで角刈りの男に、
「蘇芳先輩……俺の部下相手に何やってんだ、アンタは?」
 呼ばれた男 ―― 蘇芳・茜(すおう・あかね)准陸尉は手を休めて首を傾げると、
「見て解からんのか、オマエは。触診に決まっているだろうが。これでもオレは衛生科所属だぞ」
 筋肉質の身体を白衣で包んだ蘇芳の答えに、陣内は更に深く溜め息。
 見かねた蘇芳は眉間に皺を寄せて、
「何だ、調子が悪いようだな。オマエも診てやるから、そら、裸になりな。都合よく、寝台は空いている」
 獲物を見付けた猛獣のような目付きで、掴むような、揉むような手つきで、両の指を動かす蘇芳。
 対して、腰はやや引けてはいるものの、陣内は拳を固めて身構える。
「……て、先輩、アンタ、何する気だ!?」
「だから触診だと言っているじゃねぇか。さあ、おとなしくしろ。すぐに気持ち良くなるぞ」
「結構だ」
「結構なんだな。では! さあさあ!」
「いや、そう言う意味じゃなくて!」
 互いに見詰め合う男と男。
 陣内の頬を冷たいものが流れ落ちるが、サングラスに隠れた蘇芳の表情を読み取る事は出来ない。
 そんな妙な緊張空間を押し破ったのは、救護室に入ってきた美麗な青年 ―― 否、胸の膨らみや腰つきから推測されるに男装の麗人か。
 余りにも整ったその容貌は、逆に無機質な印象すら抱かせる。
「陣内曹長はこちらと聞いたもので」
「航空科の有名人の1人 ―― 神山・麗華(かみやま・れいか)准尉が、俺に何用で?」
 その美麗な容貌や外見から想像出来ないが、この神山は結界維持部隊がまだ自衛隊だった頃からの古強者である。
 愛機は、米海兵隊からの払い下げであるマグダネル・ダグラス/BAe AV-8B ハリアーIIプラス ―― 単座垂直離着陸機。
 ハリアー持ちや旧空自出身という点から、神山(ともう一人)の名を知らぬ者はない。
 そんな陣内からの穿った目付きに、神山が返そうとした時、
「言っておくが、茂道の身体はオレが先約済みだ」
 蘇芳が口を挟んだ。
 場の空気が霧散して、一気に陣内は疲れた顔。
「 …… 黙れ、変態」
「はっはっは。仮にも上官に向かって、変態とは何だ、変態とは。まぁそういう風に悪ぶって見せるのも、茂道の可愛いところだが。―― なあ、神山准尉もそう思うだろ?」
 サングラス越しに神山を見定める。
「 …… 私には判断しかねますが」
 神山は一瞬考えなおしてから、それでも無表情で返して見せた。その回答に、蘇芳が鼻を鳴らす。
「用件を切出していいですか?」
 神山の言葉に、疲れたように寝台に腰掛けた陣内が、どうぞと。その前に部下達を追い払う事も忘れずに。
「 ―― 阿蘇の事ですが」
「高遊原の方でも、俺達の事が問題になったか?」
「問題といえば問題ですが。私も『謎』の一端を解明する手伝いをしたいと」
 蘇芳は、陣内と視線を交わす。
 陣内の口元に歪んだ笑みを確認して、蘇芳は神山の真意を図るように笑った。
「何が目的だ?」
「先ほども申し上げた通りですが。…… 阿蘇に何があるのかを」
 神山は壁に寄りかかると、腕を組んで見せた。胸の膨らみが僅かに強調された事に、蘇芳が眉間に皺を寄せる。
 神山は不機嫌そうな蘇芳に気付かずに、
「それにしても、駐日阿軍(※駐日アフリカ連合軍)は露骨なまでの警戒ぶりです」
「ああ、確かに阿蘇特別戦区を封鎖警戒しているのではなく、まるで外敵から阿蘇の超常体を護るかのようだったが …… 」
「そのような態度を隠すのを諦めてまで警戒すべき何があるのでしょうか?」
「それを知る為にもやらなきゃならんだろうな。で、本題だが、それについてアンタに何かいいアイデアでも?」
「 ―― 私に出来るのは助力に過ぎませんが」
 神山が自分の『助け』について提案した。
「 …… ですが、問題視されないよう、私は特別戦区に深入りはしません。下手に注目を集めると今後の活動に支障が発生します。航空機の機動力を殺されては手が打てなくなりますからね」
 だが神山の提案を聞いた蘇芳と陣内は目配せしあったあと。
 大いに苦笑してみせた。
「そこまで言うならば、アンタの提案は最初から駄目だぜ、こりゃ?」
「それだけでも注目を集めるのに充分だ。それを決行すればオマエは間違いなく激戦区 ―― 今ならば人吉辺りか? ―― に強制出向だな。しかも小銃1つだけ持たされて、懲罰部隊行き」
「何故ですか? 私は地上部隊の進撃ルートの安全性を高めようと …… 」
 神山の言葉に、陣内は頭を掻くと、
「アンタは自衛隊出身者だろうが。自衛隊時代 ―― 神州隔離以前での世界各国の戦闘記録を知らんとは言わせんぞ」
 かつて ―― 超常体の頻出地区に対して爆撃機によるナパーム弾を投下する作戦を実行に移した事があった。超常体の出没する地域を、徹底的な爆撃により超常体もろとも根こそぎ焼き払う事で、敵が出現する空間そのものを消し去ろうとしたのだ。それによって確かに一時的には超常体の出現は減ったかのように見えた。
 だが、それが致命的な戦術ミスであった事が、後に判明する。
 その後も統計を取り続けた結果、確かに爆撃を行なった地域の超常体出現確立は低下したものの、そのすぐ近隣の地域で、超常体の発生確率が上昇しているという、ドミノ倒し現象が起きている事が発覚、しかも爆撃によって焦土と化した地域には猛烈な勢いで奇怪な樹木が繁茂し始め地域を覆い尽くし、その地域での超常体発生確率は再び以前と同様に高くなっているという事実が観測されたのだ。
 …… この事により、神州が隔離された今でも、超常体に対して、大掛かりな爆撃や砲撃は余程の非常事態でない限り認められていない(※人吉奪還戦や天草鎮圧戦は、その“余程の非常事態”に当たる)。
 戦車や戦闘機が、この神州において軽視されがちなのは、地形的なものだけでなく、そういう理由もある事も否定出来ないのだ。
 ましてや陣内率いる第811班の計画は“定期巡回における隙あらば”というもの。
「それに進撃ルートが安全になったら、阿蘇に進撃する大義名文が逆になくなるんだな、実は」
「では …… 」
「まぁ、待て。とりあえず気持ちは汲もう。うん、バリバリと支援要請するから、用意しておいてくれ」
 含み笑いの陣内を、蘇芳はまたサングラスを通してだが暖かく見詰める。
 神山は陣内の判断に暫し黙考したが、
「解かりました。では、“任務”の成功を祈ってます」
 退室しようとする神山だったが、陣内は呼び止めると、
「高遊原まで、1人部下を連れていってくれねぇか? 何、帰りの足は自分で何とかすらぁ」

*        *        *

 雨が降り積もる中、繁みに身を隠しながらビニルシートで守られた地図を確認する。
 菊池戦区と上益城戦区、そして阿蘇特別戦区の境界域 ―― 西原町役場跡地付近で、佐須良は息を吐いていた。
 ちなみに人前でないので、防護マスクは付けていない。
「やっぱり、このまま熊本高森線(※県道28号線)かしら。それとも南に遠回りして益城矢部線(※県道57号線)から大矢野原演習場(※上益城郡矢部町)を経て、清和村や蘇陽町から阿蘇への侵入口を探すべきかしら」
 口に出す事で、状況を整理する。
 確かに清和村や蘇陽町まで迂回すれば、菊池戦区方面に駐日阿軍の目が引き付けられるのだから、容易に侵入出来そうだ。
 ただし、単独で行動する時間が長ければ長いほど、超常体に遭遇した時に問題が生じる。
「なら ―― 」
 熊本高森線沿いに西原―久木野で、長陽・白水を目指してみる。幾つかの方面へ長陽村からの進入経路を色々と変えて偵察。
 よし、と頷くと88式鉄帽を被り直して、カワサキKLX250偵察用オートバイ『烈風号』にまたがった。
「 …… 陣内班長。頑張って駐日阿軍の目を引きつけて下さいね。でもあんまり無茶しないで」
 まぁ、航空支援もあるから大丈夫でしょうけど。
 呟くと、スロットルを開いて烈風号を発進させた。

 大津警察署跡の建物に陣取っていた陣内が、半長靴の音に顔を上げた。
 雨衣を着用した班員が周辺の捜索から戻ってくる。
 報告を受けて、第811班に同行していた蘇芳が苦笑して見せた。
「何だ、何だ。ここ周辺では、超常体の姿ひとつないじゃないか」
「この前の“突入”前にあらかた駆除してしまったからな。いたとしても1、2匹。雌で孕んでないのなら、そのまま見逃しても構わんぐらいさ」
 悪態を吐きながら、陣内は双眼鏡を覗いていた。
 何が見えるんだ、と頬を付けるようにして双眼鏡を引っ手繰ろうとする蘇芳だが、陣内は気配を察して素早く投げ渡す。
 蘇芳は渋面で双眼鏡を受け取ると、陣内が見ていた方向を眺めた。
「ふむ。あっちの方には敵影が確認出来るな」
 あっちというのは、大津バイパス(※国道57号線)の東の彼方 ―― 阿蘇特別戦区の方角。
 前回撃ち漏らした下位上級の蜘蛛型超常体アナンシが雨宿りでもしているように、破壊されたショッピングセンターの陰に潜んでいる姿が確認された。
「前回の接触地点 ―― 旧JR豊肥本線との交差橋より活動範囲が西に進んでいるな」
 おそらくは前の掃討で周辺の超常体が減少した事で、代わりに阿蘇から溢れ出し易くなった為と思われる。
 一口に超常体と言えども、種族や群、ときには個体によっても、互いに敵対関係があると判明しており、一種の縄張り争いを繰り返している事もまた認められている。
 アナンシが菊池戦区に姿を現し始めた一因が、先日の第811班による掃討にあるとしたら皮肉だろう。
 力関係・環境の変化が、超常体の動向に大きく左右するのであれば、隔離戦区の役割上、現状維持に努める事が至上の命題となる。
 ドミノ現象も踏まえると、超常体を増やし過ぎないよう、また倒し過ぎないように出来るのが、望まれる隊員像となろう。
 神州結界“ 維持 ”部隊とはよく言ったものだ。
 そして陣内をはじめとする暴走野郎ども、そしてまた、強大な戦闘力を保有する大型兵器に未練を捨て切れない旧時代の者達も、上層部(更に言うならば各国政府レベル)にとっては頭の痛い、扱いに困る問題児という事になるから気を付けた方がよい。
 それはさておき。
 蘇芳が唇の端に笑みを浮かばせた。
「ならアレを片付けても問題無かろう。あそこは立派な菊池戦区だ。駐日阿軍の文句は言わせん」
 時計を確認し、
「 ―― 高遊原の神山准尉に、1500航空支援要請! 全員、路上に展開。二列横隊にて射撃姿勢」
「行くぜ、野郎ども! 花火は派手に打ち上げろ! 奴らの目を釘付けにして、誰がこの邦の主役か教えてやれ!」
 Sir! Yes. Sir!
 中央分離帯をまたいで第811班が展開する。
「蘇芳先輩 ―― 『ろ組』の方の監督は任せるぜ。うちの副班長は別任務中なんでね」
「当然、貸しにしておくぞ」
 蘇芳は快諾すると、指揮を執る。
「突撃 ―― !!」

 高遊原の発着基地より、ハリアーIIプラスが浮かび上がる。
 厚い雨雲の下、高度を保ちながら北東へ向けて発進した。
 ハリアーIIプラスには前方監視赤外線装置、改良型ヘッド・アップ・ディスプレイ、ヘッド・ダウン・ディスプレイ、カラー地図表示装置のみならず、AN/APG-65多モード・レーダーと贅沢な電子機器を備えている。
 このAN/APG-65多モード・レーダーには、視程外レーダー誘導ミサイルの中間飛翔誘導を行ないながら別の目標を捜索出来る走査中追跡モードがある他、低空飛行時の地形回避情報を表示し、地上の移動目標を探知して目標までの正確な距離をも表示出来る優れものだ。
 つまりは夜間や雨天時も、支障無く航空支援わ行う事が出来る。
 信号弾を確認。超常体の新たな巣となりつつあるデパートをロック。
「 ―― 目標捕捉。これより爆撃を開始します。」
 Mk82爆弾を投下。
 神山は操縦桿をただちに急降下旋回。対気速度を増加させると、建物からすぐに遠ざかった。
「 …… では、“任務”の成功を祈ってます」
 眼下で戦う第811班と、そして現在別働している1人のWAC(女性自衛隊員)へと、
「 ―― グッドラック」
 狭いコクピット・キャノビーで、神山は軽く合図を送るのだった。

 ハリアーIIプラスから投下された重力落下式爆弾は廃墟となっていたショッピングセンターを完全に爆破した。
「 …… クラスターとか使うんじゃないかとヒヤヒヤもんだったぜ」
「さすがに対費用効果を考えれば、ミサイルなんぞ使う馬鹿はいないぞ」
 陣内の思わずの呟きに、蘇芳が苦笑。
 爆風で吹き飛び、肢が幾つか千切れたアナンシ数体に向かって火線を集中。止めを差していく。
 雨が爆炎を鎮めていくのを、横目で確認。
 陣内と蘇芳は頷き合うと、ハンドシグナルで前進を命じた。
 高機動車『疾風』は大津署跡に停めてある。
 徒歩で街路沿いの建物を利用しながら東へと進んでいくのだ。
 建物の奥に潜んでいたアナンシが姿を現わした瞬間に、5.56mmNATOが撃ち込まれる。
 班の移動を支援するFN5.56mm機関銃MINIMIがアナンシの動きを止めた隙に、移動中だった隊員達が素早く89式5.56mm小銃BUDDYを構えて止めを差す。
 そしてBUDDYの組が前方周辺の安全を確保してから、支援火器隊員が後続する。―― それの繰り返し。
 雨音に重なり、響くキャタピラ音に、蘇芳がサングラスの奥で眼を光らせた。
 一同に緊が張り巡らされるが、その顔は大胆不敵。
 旧JR豊肥線との交差橋で、引水交差点に陣取る駐日阿軍のTA-54戦車を認めた。
 砲塔部が旋回し、100mmD-10旋条砲を向けてきた。
「おいおい、正気か、アイツ等?」
「 …… どうやら、こちらを超常体として 誤認 しているようだな」
 呆れ顔で蘇芳が呟くと、犬歯剥き出して陣内が怒声を発した。
「こちらも、ハチヨンかLAMを武器科に申請すりゃよかった! 『大型ノ超常体ヲ相手ニスルノニ必要デス』って、な!」
 ハチヨン ―― 84mm無反動砲カール・グスタフと、LAM ―― 110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウストIIIはともに対戦車兵器として有名。
「そんな物を陳情したら、暗に『駐日阿軍と戦闘します』って言っているもんじゃないですか」
「そこはそれ。…… 確か、瀬織津が武器科にコネがあるとか言ってたな。奴が戻ってきたら、陳情させてみるか」
「 …… 瀬織津士長は、班長と違ってまだ理性がありますから、同意しないと思いますが」
 そんな軽口を叩き合いながらも、第811班とTA-54戦車との睨み合いは続く。
 この緊張感に恐れをなしたのか、アナンシはすっかり影を潜めていた。
 ただ、雨音だけが場を支配する。
 焦れた蘇芳が双眼鏡で覗くと、雨に打たれた黒人 ――駐日阿軍少佐 アドゥロ・オンジ[ ―・― ]の姿が認められた。
「 …… ふむ。好い男ではないか」
「 …… どこが?」
 蘇芳の呟きに、陣内が呆れて突っ込んでくる。
 蘇芳は笑みを浮かべると、
「嫉妬か? 安心しろ、茂道。お前の方が数倍好い男だ」
「 …… 勘弁してくれ」
 陣内が肩を落とす。班員達は乾いた笑いを浮かべるだけ。
 だが蘇芳は意に介さずに、
「さておき。このままお見合いを続ける訳にも行くまい。陽動としては充分だと思うが、そろそろ退くか?」
「まぁ、あとは可愛い部下の報告待ちだな。お前等、あの黒人野郎に友好的に挨拶してやれ。俺は嫌だが」
 やれやれ、と頷くと班員達は向こうに味方という識別信号を送った。
 陣内は悪態を吐きながら、唾棄する。が、ふと蘇芳の顔を確認。
「どうしたんだ、先輩。不機嫌そうな顔をして?」
 言われて蘇芳はサングラスの位置を補正すると、
「 …… なに。オマエの“可愛い”部下とやらにちょっとしたヤキモチをだな」
 真面目な口振りの蘇芳に、陣内は抜群に爽やかな微笑みを浮かべると、
「 ―― 蘇芳先輩に言っておきたい事がある」
「何だ? 愛の告白なら照れる事は無いぞ」
 はっはっは、と笑い飛ばすと、
「 ―― 地獄に落ちろ、変態野郎」
 だが負けじに笑い返して、
「 ―― 茂道とならば本望だよ?」

*        *        *

 煙るような雨の中、視界は良好とは言えない。
 雨の臭いに混じって、濃厚な新緑の薫りと山桜の匂いが鼻をくすぐる。
 佐須良は烈風号を覆い隠す作業を終えると、白く息を吐いた。
 周辺の木々を、岩や石を、そして野晒しになったままの標識 ―― 人工物を記憶する。
 ミルドットTAS-R395ドットサイトを装着したBUDDYを手にすると、繁茂する木々や草むらで獣道と化した山道を前進した。
 阿蘇は世界有数のカルデラ盆地である。中岳の火口を中心に、高岳・烏帽子岳・往生岳・杵島岳、そして根子岳を外輪山が取り囲む。
 佐須良は阿蘇郡久木野 ―― 久石交差点より中岳を仰ぎ見た。標高1152mの御竈門山が遮ってはいるが、火口より立ち上る噴煙が見えるような気がした。
 その時 ―― !
「 …… ッ!」
 活性化に似た痛みと痺れが全身を貫いた。
『 ―― 我を解放せよ。異邦の神の戒めから、呪縛から、我を解き放て』
 脳裏に声が響く。立ち昇った噴煙が渦を巻き、蛇身となって鎌首をもたげる。
 …… 蛇? 否、龍だ。龍神だ!
「誰ですか、あなたは?」
 だが幻視は一瞬。我に返った佐須良はエンジン音を聞きつけると、繁みの中に身を潜ませた。
 背後 ―― 南の城山方面を振り返ると、そこにはグリーンピア南阿蘇という廃墟がある。それへと至る県道39号線の坂道をジープが降りてくる。
 駐日阿軍の巡回チーム。搭乗者は5名。
 彼等は久石交差点で右折すると高森方面へと向かった。
 視界の彼方に遠ざかっていくのを確認すると、佐須良は木陰や繁みを利用しながら、グリーンピア南阿蘇へと接近。様子を伺った。
( ―― 駐日阿軍の南側の詰め所を確認 )
 携帯情報端末に記録させると、残留しているチームに見つかる前にこの場を離れる事にした。

 数十分後。
 振り続く雨の所為で、白川は増水し、流れ込む土砂により濁っている。
 水源地に程近い中、伏兵を忍ばせるほどの場所はない。
 増水さえしてなければ歩き、または泳いで、渡河出来る白川を横目にして佐須良は高森方面へと進んでいった。
 橋の多くは既に落とされ、久木野から白水村、そして阿蘇郡北部に移動するには、一旦、高森へと出て白川水源を回り込む他ない。
 そしてまた駐日阿軍の定期巡回がある為に、烈風号での移動は制限される。
 慎重に且つ迅速に。
 雨衣の下は既に汗でずぶ濡れだ。
 と、前方から射撃音が響いてきた。叫びと断続する破裂音。そして ―― 自らの身体に活性化の小さい痛みが走る。
 佐須良は陰に身を屈め、中腰状態で前進。
 周囲を見渡せる高所に身を移動させると、伏せて雑嚢から双眼鏡を取り出す。様子を伺った。
 叫びと破裂音。銃撃音、そして銃火炎。
 アナンシの群れへと発砲し、阿蘇奥地へと追い立てる駐日阿軍の兵士達。
 AK-47(アブトマット・カラシニコバ1947年型)突撃銃が炎を上げるたびに、アナンシが痙攣して、倒れ、潰れていく。
 ある程度の掃討を終えたアフリカ兵士は息を吐くと、ジープの無線機で連絡を入れていた。
( …… フランス語? それとも英語?)
 植民地時代を経て、部族紛争、内戦を繰り返してきたアフリカ諸国においては、統一された主要言語というのはない。だが植民地時代の名残か、フランス語を、次いで英語(そしてアラビア語)を公用語として選んでいる傾向がある。
 佐須良は大学(※隔離され国民皆兵状態となった神州においても高等教育機関は残存する。ただし研究及び教育内容は軍事関連中心)で、第二外国語としてフランス語を専攻していた為、今でも片言ならば話せるし、単語の読解も出来る。アフリカ兵の連絡内容を盗み聞きし、耳に入った単語の理解から幾つかの文章を推測して組み立てる事が出来た。
 ちなみに英米語は必須であり、神州において会話・読解が出来ない者はいない、と言われている。
 さておき、巡回の兵士達はこのまま高森、白水を巡回した後、久木野の詰め所に戻るようだった。
(しかし …… 自分達の信仰する神さまでも守っているのかな、とか思っていましたけど …… そうでもないようです)
 戦闘中の彼等の態度は怒り、悲しみ、そして憤りだった。
( ―― 無理もないですね)
 駐日外国軍兵士の大半は、罪を犯した事による懲罰として、或いは憑魔に寄生されての、文字通り、故郷を追われた者達だ。
 彼等は二度と故国の地を踏む事は無い。家族や友人と団らんを囲む事ももはや出来ない。
( 故国に戻れない彼等と、故郷を超常体に蹂躙されて戦いを強いらされている私達とでは、どちらが哀れなのかしら …… )
 佐須良は強く唇を噛み締めた。
 しかし彼等もまた超常体を憎んでいると言うのならば、何故に阿蘇への介入を妨害しようというのだろうか?
 彼等が阿蘇特別戦区を封鎖する理由。
 場所を封鎖するに当たって、その理由は2つある。ひとつは外敵の侵入を防ぐ事。もうひとつは ――。
『 ―― 我を解放せよ』
 再び幻聴が聞こえた。
 驚きのあまり、身を起こして振り返ってしまう。
 奇怪な植物に埋もれて、社屋が隠れていた。
 BUDDYを構えようとしたが、まだ付近にはアフリカ兵士が周辺への警戒をしている。
 震える手がホルスターにかかった。息を飲んでグロック34を抜いた。
 ―― 隠密行動をするには必要になる事もあるでしょう? 使うかどうかは貴女に任せますけどね ――
 唾を飲み込んでサプレッサーを装着。無理矢理にも笑みを唇の端に浮かばせると、
「イ、イイイ …… イエ〜ィ♪」
 素早く駆け寄り、銃口を向けた。
 …………。
 雫が雨衣を打つ音だけが、佐須良に感じられた。
 活性化はいつの間にか治まっている。
 ―― この社屋にはもはや何の気配も …… しない。
 社屋の屋根を仰ぎ見た。飾られている額は ―― 阿蘇高森神社。
「阿蘇 …… 神社?」
 雨音がやけに耳についた。

*        *        *

 数日後 ―― 豊岡の元陸上自衛隊演習場。
 陣内がワープロで反省文を打ち込みながら、
「おう、お疲れさん。阿蘇一人旅はどうだった?」
 視線を受けて、防護マスクを被った佐須良が背を伸ばして答えた。
 阿蘇特別戦区の概略図と、プリントアウトした記録映像を並べると、
「駐日阿軍の南側警戒線は、久木野―白水―高森町西半分です。南側警戒線の拠点は、グリーンピア南阿蘇跡地となっています。配置されているのは1個小隊規模かと」
「阿蘇郡とはいえ蘇陽町は無警戒なのだな?」
 サングラスを掛け直しながらの蘇芳の問いに、代わって答えたのは神山。
「宮崎県境にある蘇陽町では、陸上部隊の運用は著しく困難です。その為、駐日阿軍では無く、うちの航空隊が主力となってカバーしています。もっとも超常体にとって潜伏しやすいという裏返しになりますが」
「ただ、仏原高森線(※県道319号線)の清水峠、清和高森線(※県道151線)の中坂峠には、対人地雷が埋まっていました。迂回しようとすると、そこにはワイヤーのブービートラップが。少なくとも車輌の出入りは出来ません」
 そして地雷原と思しき場所を赤ペンで囲んでいく。
「阿蘇山噴火口へと続く、三本の登山道路は特に厳重な警戒網が敷かれており、白水の吉田交差点、長陽の下野交差点、阿蘇町の坊中交差点には常時、戦車1台と1個分隊が張り付いています」
「目視した戦車は何台だ?」
「少なくとも7台 ―― 形式は全てTA-54」
 そして大津バイパスをなぞり、
「菊池方面への警戒は、ここ ―― 長陽の阿蘇東急ゴルフクラブ跡地に戦車1台と1個小隊が」
「あの、イケすかねぇ少佐殿は何処にいやがった?」
「阿蘇町赤水の阿蘇プリンスホテルゴルフ場跡地です。駐日阿軍の主力として、中隊本部と1個小隊ほどの歩兵 ―― そして戦車2台が置かれていました。それよりも見てください」
 佐須良が差し出した記録映像を見て一同が唸る。
「航空隊も阿蘇特別戦区の空域侵入は厳禁とされていましたが、これは …… 驚きました」
 無機質な美貌の持ち主ゆえに、その驚きがどれほどかは他人には読み取れないが、確かに神山は驚いていた。映っているのは ―― サバンナ。
 かつて阿蘇町に広がっていた田畑は、今や丈が高い草が生茂っており、それは伝え聞くアフリカの熱帯草原と見まがうほどだった。
「そして、一の宮町役場跡に最後の戦車1台と、1個小隊が。ただ、ここでも気になる点が …… 」
「何だ?」
 言おうかどうか躊躇った末、ついに佐須良は口を開いた。
「一の宮に配備されている戦車の砲塔や、榴弾砲等は、北に向けられているんです」
「北からの侵入に備えてという意味では?」
「待て、茂道。北から侵入するとしたら国道212号線から ―― つまり阿蘇町役場跡に配備した方が効率的ではないか?」
 蘇芳が腕を組みながら意見を述べると、一同また唸る。
 何にしろ、佐須良が締め括った。
「認識を改めないといけないのは、駐日阿軍は特別に超常体を護っているという訳ではないと言うことです。しかし、阿蘇を封鎖し、外部からの介入を頑なまでに拒んでいるのも事実です。そして、私が受け取った、誰かからのメッセージ」
 防護マスク越しに一同を見渡すと、
「 ―― ここに何かの鍵があると思っています」

■選択肢
E−01)阿蘇特別戦区に潜入し、一の宮へ
E−02)阿蘇特別戦区に潜入し、噴火口へ
E−03)阿蘇特別戦区に潜入し、その他探索
E−04)駐日阿軍キャンプ地に探りを入れる
E−05)菊池戦区で活動


■作戦上の注意
 当作戦において、駐日阿軍との交戦は可能な限り避けるべし。また抗命の咎は厳罰をもって処断する。人吉奪還戦の懲罰部隊送りになる事覚悟されたし。
 隠密行動は、慎重に且つ迅速に。


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