第六章:ノベルス


同人PBM『隔離戦区・神州結界』 第3回 〜 九州:アフリカ 其肆


E3『 ネ ゴ シ エ ィ ト 』

 今どき、太い黒縁のある眼鏡を掛けている痩せぎすの男は、彼女の異様な姿を見ても驚きもせず、挨拶と敬礼を受けて頭を縦に頷いた。
「話は、陣内から聞いているよ。今後とも、宜しく ―― 瀬織津士長」
 防護マスクを被った、瀬織津・佐須良(せおりつ・さすら)陸士長は、新たな配属先の上官たる、神州結界維持部隊・西部方面隊第8師団・第42普通科連隊第814班長の二等陸曹から席を薦められた。
 佐須良の元上官、陣内・茂道[じんない・しげみち]陸曹長からの紹介状に、二曹は再び目を通すと、
「辞令は下っていると思うけど、おたくには、1個組の長として ―― 3ないし5人を率いてもらう。また、うちのハチイチヨンの副班長も兼任もしてもらうけど、いいね? もっとも、うちは豊岡の留守居ばかりだから、阿蘇に関しては、おたく独自の判断で行動してもらって構わないし、その為の協力は惜しまない。勿論、おたくの有する権限内で抑えてくれれば、うちは助かるけどね。―― って、どうしたの?」
 佐須良の沈黙に気付いて、二曹が顔を上げる。視線を受けて、慌てて弁解。
「いえ …… ちょっと、陣内曹長のお知合いとは思えなかったので」
 佐須良の正直な感想に、およそ迷彩服が似つかわしくない男は笑ってみせた。
「 ―― アハハ、良く言われる。ちなみに、お知合いを『お尻愛』と書くと、蘇芳先輩が喜びそうだ。あの人も天草に行っちゃったか」
 一頻り笑う。さておき、と眼鏡の位置を補整すると、
「知合いと言っても、うちの母と、陣内の母が同じ部隊で戦った友人同士というだけでね。自衛官だったんだよ、2人とも。うちと陣内とは、ただの幼馴染の腐れ縁だよ。陣内と違って、うちは肉体仕事は向いてなくてね。陣内が前線で暴れていた時、うちは細々と会計科で書類に囲まれて事務処理をやっていたんだけど …… 」
「それが何故?」
「おたくと同じ理由だよ。―― 元・音楽科教諭の瀬織津さんとね」
 左腕の袖を捲くって肌を晒す。そこに蠢くのは、桃色の憑魔核。
「こいつのお陰で現場行きさ。しかも、おたくのと違って、そう珍しくもない強化系だ。せめて、五行の1つでもあれば未だ皆の役に立つんだろうけど …… と、済まない。おたくは別に望んで、それに憑かれた訳じゃなかったね。気を悪くしたら御免」
 いえ、と寂しそうに佐須良は呟いて返す。二曹は所在なさげに視線を漂わせてから、
「とにかく! そういう訳で、うちは現場で指揮を執るタイプではないんでね。言った通り、おたくの組は阿蘇方面独立部隊として、好き勝手に動いてもらって構わない。上層や外部へのアリバイ工作とかは、うちに任せてよ。そっちの方が得意だし」
 おそらくは陣内曹長が無茶した時も、この人が工作していたんだろうなぁ …… と佐須良は苦笑しつつ、納得した。
「おたく直属隊員の選任とかは自由にどうぞ。腕っ節が強いのから可愛い子ちゃんまで、選り取りみどりだ」
「班長 ―― セクハラめいています」
「おっと重ね重ね失礼。…… でも、それが終わったら、どうするの? また、阿蘇に潜入かい?」
「いえ ―― 駐日阿軍(※駐日アフリカ連合軍)のキャンプ地の視察に向かい、挨拶してこようかと。―― 幕末は、会津藩藩主・松平容保公の言葉『 謀はするべからず。至誠でもって事にあたるべし 』を念頭にいれて、正攻法でいきます」
 佐須良の言葉に、呆気に取られる二曹。だが、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「いゃ、さすがに、第811班の副班長を務めていた事がある。陣内とは違う方向性で、大胆だ! ―― でも、阿蘇はうちらにとって基本的に不可侵領域だ。『会わせて欲しい』と言って『はい、どうぞ』と応じてくれるところじゃないぞ?」
「ええ …… だから、ちょっとした知合いの力を頼ろうかと思って ―― 武器科の 静花[しずか]さんという方で。詳しくは私も知らないんですけど、色んな処にコネがあるらしくて ……」
 佐須良にとっては何気なく出した名前だった。だが二曹が驚きのあまり、思わず立ち上がる。
「そんなの、ただの武器科隊員であるはずがない! 静花!? もしかして『落日』部隊の静花か!」
「 ―― 『落日』部隊? それは …… もしかして零捌特務みたいな懲罰部隊ですか?」
「それよりも、もっと忌まわしい部隊という噂だよ。詳しくはうちも知らない。都市伝説みたいなものだったから。―― 曰く『魔人駆逐を主任務にした部隊がある』、曰く『人工憑魔の実験部隊がある』、曰く『超常体で構成された部隊がある』…… 静花とは、そんな結界維持部隊の深奥へと繋がる ―― 」
 だが、二曹の言葉は途中で遮られた。
「はーい。そこまでだ、二曹。それ以上、与太話を続けると、おにいさんが怒っちゃうぞー。ぷんぷん」
 気だるげな声が、室内に生じる。咥え煙草の男がいつの間にか壁に寄りかかるようにして立っていた。くたびれた様子であり、それでいて飄々とした男。半目に開かれた目蓋の奥では、焦点の定まっていないかのような眼。
 その男の姿を確認した瞬間、活性化と似たような痛みと疼きが佐須良の意識を貫いた。二曹も同様らしい。倒れそうなほどに顔色が悪く見える。
 活性化は、憑魔が別の超常体の存在を感知した時に示す様々な反応の総称。
 この状態になると、小型の超常体と化してしまい、身体能力が激しく強化される。ただし相手が小型の超常体の場合は、活性化が起きない場合の方が多い。同様に、憑魔に反応して活性化するような事はなく、ある程度の大きさがある相手でないと近くに潜んでいても判らない。…… ならば、この男は。
「 ―― 異生(ばけもの) 」
 憎々しげに呟く二曹に、笑いながら近付くとデコピン1つ。二曹は崩れるように椅子に身を沈めた。
「仮にも上官なんだからさ、そういう言い方をされると、おにいさんはショックだなぁ〜」
 そして思わず身構えていた佐須良に向き直ると、
「あ、瀬織津士長というのは君だね。静花さんのお願いで、阿軍キャンプ地での護衛をする事になった者だよ。宜しく〜。ほら、スマイル、スマイル★」
 差し伸べて握手を求めてきた。思わず、佐須良は握り返してしまう。
 一等陸尉を示す、男の両襟の略章が、やけに嘘臭く思えた。

*        *        *

 菊池より、上益城、続いて臼杵戦区(※阿蘇戦区の南東、宮崎県側)へと南回りに機影を廻らす。
 西部方面航空隊・試験運用小隊第89組の単座垂直離着陸機マグダネル・ダグラス/BAe AV-8B ハリアーIIプラス2機が、中九州の山々を見下ろしていた。神山・麗華(かみやま・れいか)准陸尉がレーダーを視認して、僚機と高遊原基地に報告を入れる。
「 ―― 時刻1034。現在位置、蘇陽町・高畑付近。機首方向、東南東。8時方向に、ホラワカの群れを確認。これより追跡調査を開始します」
 低位下級の鳥類超常体ホラワカ。瀬戸内海に出没するハルピュイアに似た人面鳥身ではあるが、それとは別種の、九州中部以南特有の鶏冠を持つ暗色の小型人面鳥身の超常体である。
 この周辺に営巣地がある事は、以前からの偵察で確認されていた。単体の脅威度も低く、また駆除が必要な程の数が目撃されている訳では無い。だが航空優勢を保つ為、飛行可能な超常体の営巣地位置の絞り込みと、数の把握は必要だろうと、神山は自分と部下に言い聞かせておく。実際、これは航空隊正規任務の1つである。
 だが、ハリアーIIプラスの位置を確認した管制官は、黙って看過しなかった。
『 ―― 阿蘇特別戦区に近いので注意されたし。当該空域は飛行禁 …… 』
 しかし、素早く神山は通信を遮断する。言い訳は幾らでも並べられるだろう。
( ……さて。多少、強引ですが、阿蘇に侵入させてもらいますか )
 勿論、ホラワカの生態調査は怠らない。ただ、阿蘇特別戦区における超常体の分布や動き、そして関わる駐日阿軍の動向を、“ ついでに探る ”だけだ。
( …… どうも“ 人間ではないもの ―― 推定するに高位の人型超常体? ”で、駐日阿軍は編成されているようですから )
 佐須良の報告と、実際に阿蘇周辺上空を飛行した時に遭遇した、あの落雷。雷電系魔人の仕業であるというが、その威力はあまりにも人並みを外れている。
 雷電系魔人、駐日阿軍の シャンゴ[―]大尉は、自らをヨルバ族の英雄と名乗ったらしい。
 ナイジェリアのヨルバ族では、実際にシャンゴという名の神が祀られている。雷光と嵐を司る精霊で、元々は人間である英雄神(オルシャ)だ。
 シャンゴは、ヨルバ人の諸国の中でも最強最大の王国オヨの第3代国王。医師であり、また百戦練磨の戦士であったが、暴君でもあったらしい。彼の死後、祟りが発生した為、人々はこの王を宥める為に神として祀ったという。
 自然を統御し、報復的な正義、また激情を司る神で、象徴は両刃の斧。
( もしも、本当に、そのシャンゴ ―― 高位上級超常体が駐日阿軍将校として、この地にいるのだとしたら…… )
 目的は、やはり 健磐龍命[たけいわたつのみこと]という阿蘇山神 ―― 日本土着の高位上級超常体を封印し続ける事なのだろうか?
 だが、封印し続けるにしても、どんな意味が?
( ―― 超常体の行動と照らし合わせれば、何か浮かび上がってくるかも知れません )
 その為の正規任務ついでの偵察だ。佐須良は、正面から乗り込むと言っていたが、万一に備えて、上空からの警戒も必要だろう。
 とはいえ、実行する場合は、対空雷撃を潰して貰わないと航空機では手が出せない。思わず、苦笑。
( それに …… )
 山林に隠れ潜んでいる、地上の超常体を把握するには、より低空で飛行する必要がある。また、駐日阿軍の活動を把握するにしても、
「せめて周波数が判れば …… 」
 ぼやきが口に出る。通信機をいじっても、周波数が判らなければ、時間の無駄だ。また英語ならばともかく、フランス語で会話されては、神山にはチンプンカンプンだ。
 植民地時代を経て、部族紛争、内戦を繰り返してきたアフリカ諸国においては、統一された主要言語というのはない。だが植民地時代の名残か、フランス語を、次いで英語(そしてアラビア語)を公用語として選んでいる傾向があるのだ。
 そして地上部隊の移動を、レーダーで確認出来る程に低空接近すれば、こちらの思惑を看破されてしまう恐れが高い。
「 ―― 結局、気苦労だけで、実り無しですか」
 溜め息を吐いて、機首を翻す。阿蘇から立ち昇る噴煙が視界に入った。瞬間、
「 …… ッ!」
 活性化に似た痛みと痺れが全身を貫いた。
『 ―― 我を解放せよ。異邦の神の戒めから、呪縛から、我を解き放て』
 脳裏に声が響く。立ち昇った噴煙が渦を巻き、龍身となって鎌首をもたげるようだった。
「 …… 健磐龍命。そして、アレが封印の要?」
 阿蘇火口に、巨石を視認した。そして ―― その上で胡座を掻いて坐っている男の姿も。
 駐日阿軍制服を、上半身はだけた黒人男性。手には槍を握っている。その目は、真っ直ぐに上空のハリアーIIプラスを睨み付けていた。
 そんな、視えるはずが無いものが、視えた。
「彼が …… 健磐龍命を封じているんですか?」
 ここで査問会出頭を覚悟して、マヴェリックミサイルを撃ち込んでやれば、巨石を割り砕き、封印を解く事が出来るかも知れない。
 だが、あの男に槍1本で、対地ミサイルを撃ち落とされるような不安感も、何故か生まれた。
「 …… ここは正規任務で行える範囲の調査のみに止めます」
 その姿をしっかりと目に焼き付けて、神山は高遊原基地へと帰投するのだった。

*        *        *

 TA-54戦車 ―― 旧ソ連が開発した、この機甲車輌は1960年代以降の阿弗利加や亜細亜における主要な戦争のほとんどに参加し、今なお阿弗利加諸国において、しぶとく生き残っている。
 駐日阿軍もまた例外ではなく、この前世紀の遺物となりつつあるTA-54が阿蘇特別戦区における『 虎の子 』だった。…… いや、むしろ神州への派兵戦力としては、これでも破格と判断されたのかも知れない。駐日阿軍に限らず、駐日外国軍兵士の大半は、罪を犯した事による懲罰として、或いは憑魔に寄生されての、文字通り、故郷を追われた者達だ。彼等に与える戦力として、戦車等といった上等な代物は不相応という意見もあろう。
 それでも戦車は、戦車だ。その威容は、キャンプ地を訪れた佐須良達を圧倒させるには充分だった。たとえ、佐須良の“ 能力 ”からみて、虎は虎でも、実際は張り子の虎であったとしても、その精神的威圧感は否めない。
 そのTA-54が2台。駐日阿軍主力のキャンプ地である、阿蘇町赤水の阿蘇プリンスホテルゴルフ場跡地に鎮座していた。
 このキャンプ地の戦力は他に、中隊本部と1個小隊ほどの歩兵が常時警戒待機している。
 また、久木野―白水―高森町西半分という南側警戒線拠点のグリーンピア南阿蘇跡地に1個小隊。白水の吉田交差点、長陽の下野交差点、阿蘇町の坊中交差点には常時、戦車1台と1個分隊。長陽の阿蘇東急ゴルフクラブ跡地と、一の宮町役場跡にもそれぞれ1個小隊と戦車1台が詰めている。
 だが、何よりも恐ろしいのは、魔人兵の存在だ。
 出迎える駐日阿軍兵士に囲まれて、佐須良は我知らず唾を飲み込んでいた。
 駐日外国軍兵士の大半は、罪を犯した事による懲罰として、或いは憑魔に寄生されての、文字通り、故郷を追われた者達 ―― つまりは4人に1人ぐらいは魔人兵だと思ってよいだろう。彼等は(当たり前だが)人並みの知恵があり、知識があり、武装する。憑魔能力をも有する魔人は、単体(戦車や戦闘機等も含める)において最強の戦力なのだ。駐日阿軍は、数としては1個中隊規模とは言え、個々の戦力を試算すれば総力は1個連隊に匹敵する。
( それに …… 神山准尉が危惧するところによれば、高位超常体が部隊の中核にいる疑いが …… )
 そんな虎穴へと、挨拶と称して身を投じる佐須良達。佐須良も、部下も緊張を隠せない。1人呑気なのは、佐須良の知合いが送ってくれたという護衛の一尉のみ。先ずは73式小型トラックを運転。キャンプ地に、佐須良達を送り届けてくれた。火の点いてない煙草を咥えて、鼻歌混じりの運転の様子を思い出すと、頼りにして良いのか、悪いのか。今一つ判断が付け難い。
 頭を捻って悩む佐須良だったが、案内されて駐日阿軍指揮官の前に出されると、気を引き締めた。
 不機嫌そうな顔をしている駐日阿軍少佐 アドゥロ・オンジ[―・―]に、佐須良と部下は敬礼。
「突然の訪問の要望にお応え頂き、ありがとうございます。私は、神州結界維持部隊 ―― 日本国陸上自衛隊西部方面隊第8師団・第42普通科連隊所属、第814班副長・兼・阿蘇特別戦区境界線警戒組長、瀬織津佐須良陸士長であります。この度は着任の挨拶と、阿蘇特別戦区の視察に伺いました」
 佐須良の堂々とした挨拶に、渋々とながらもアドゥロも返礼しようとした。
 だが ――
「女、また遭ったな!」
 佐須良の身体に一瞬、活性化の衝撃が走った。
 嬉々とした咆哮を上げながら、両刃の斧を手にした黒人将校が踊り出てきた。時折、放電発光現象で身を震わせている、その男は ―― シャンゴ大尉。
「防護マスクで顔を隠しているつもりだろうが、俺様の目は誤魔化されねぇぜ」
「 …… いや、別にこのマスクは正体を隠すものでは無いんだけど」
「というか、瀬織津士長。マスクつけたまま、表敬訪問するのか。今まで突っ込み入れなかったけど」
「 ―― ああ! すみません、マスク越しで失礼致しました!」
「 …… 安心したまえ。ジンナイの部下に、礼節ははじめから期待していない」
「おい、こら。俺様を無視するなー!」
 いきり立つシャンゴは、両刃斧を振り翳す。帯電した刃は、空気を焼く臭いを撒き散らした。アドゥロが慌てて、
「待て、シャンゴ大尉。戦闘は不許可だ! この場で彼女等を傷付けては、問題が生じる!」
 この場じゃなかったら良いのー!? 思わず抗議を口に出して叫ぶところだったが、佐須良は我慢。
 我慢しなかったのはシャンゴだった。
「やかましい! くだらん人間の階級とやらでは、貴様の方が上らしいが、そんな物は糞喰らえだ。そもそも下等な人間の分際で、俺様に命令するな!」
 身から発した雷鳴とともにアドゥロを恫喝すると、シャンゴは舌舐めずりをしながら、佐須良へと飛び掛かった。両刃斧を振り上げる。
 アドゥロが、そして佐須良の部下達がかばおうとするが、間に合わない。第一、間に合ったとして、電撃を纏った両刃斧を受け止める事は出来やしない。
 必死になって身をかわそうとする佐須良。だが、シャンゴの踏み込みは深くて速い。鈍い痛みを思い出して、憑魔覚醒から半身異化状態に ……。
「 ―― わははは! 真剣白刃獲りー!」
 佐須良を突き飛ばして、一尉が身を晒す。振り下ろされた両刃斧を、両の掌拳で間一髪で挟み込んで止めた ―― のだが、帯電されてあった雷撃をまともに喰らった。刹那で、衣服が炭化してボロボロ。髪は爆発状態。煤塗れと焼け焦げで、真っ黒くろすけに。咥えていた煙草らしきものが灰となって風に流れていった ……。
「 …… って、一尉? 大丈夫なの?!」
「残念ながら、セオリツ …… シャンゴの雷を直撃で喰らって即死しない者は ―― 」
「 ―― あ〜。死ぬかと思った」
 沈痛な表情でアドゥロが頭を振った、その隣で一尉が黒くなった煙を吐いた。佐須良は思わず、
「 …… なんで?」
「 ―― ここにも異生がいたのか!」
 アドゥロは9mmブローニングFNハイパワー拳銃を抜いて、黒焦げ一尉に突き付ける。驚愕の表情を張りつけたシャンゴもまた両刃斧を構えた。
「おいおい …… 生きていた事を素直に喜んで欲しいなぁ、俺は。とはいえ、出番はこれで終わり。あとは、よろしく〜」
 一尉は再び地面に突っ伏す。アドゥロは蹴って反応を試していたが、動かぬ様子を見て、ようやく銃を下ろした。慌てて佐須良は、部下に命じて一尉を衛生科送りにする。その間にアドゥロが重武装兵士に命じて、シャンゴを取り囲ませていた。
「 ―― シャンゴ大尉。セオリツらは敵とはいえ、今は正式な書類に基づく客人だ。この不始末は、たとえ貴方が神だとしても、償ってもらうぞ!」
 舌打ちをするとシャンゴはおとなしく連行されていった。佐須良に対して、次はお前だと笑いながら。
「とんだ失態を見せてしまったな …… 」
 息を吐いて、アドゥロが佐須良に振り返る。
「今更ながら改めて挨拶をしよう。私が、駐日阿弗利加連合軍少佐アドゥロ・オンジだ。詫び代わりに、セオリツの話を聞こう」

 豊かな珈琲の薫りが漂う。豊岡駐屯地でいつも呑む泥水のような珈琲と違い、色も味も申し分のない極上の代物だった。
「妹夫婦がわざわざ送ってきてくれた物だ。この隔離された地での、私の唯一の楽しみでな」
 アドゥロは微笑みを見せる。マスクを脱いだ佐須良は遠慮なく味わった。
「 ―― しかし、どういう魔法を使ったのか? 本国の中将閣下から、セオリツの視察に応えよという連絡があったのだが」
「ええと …… 静花さんという人に頼みまして。その後のカラクリは、実はよく解らないのですが」
 ふざけた回答と思われるかも知れないが、佐須良はそれが正直な答えだ。必要な期日・時間・場所・手続き等、全て用意されていた。
 アドゥロは眉間に皺を寄せたが、それ以上、セッティングに関して問い質そうとはしなかった。ただ、一言「異生が …… 」と呟いただけである。
 暫く無言のまま珈琲を味わう。秒針が一回りしてようやくアドゥロが口を開いた。
「 ―― さて。挨拶と視察だけが目的ではあるまい。用件を聞こうか」
「助かります。今後の阿蘇方面超常体対策の為に、幾つかの質疑と提案 ―― 意見交換をしたいと」
 唇の端を歪めると、アドゥロはカップをソーサーに戻した。指を組むとテーブルへと前傾姿勢になる。
「質問か。だいたいの予測はつく ―― 私達、阿弗利加連合軍のみならず、日本に駐在している外国軍の多くは、日本土着の超常体が解放されない様に封印を守っている。それが私からの非公式な回答だ」
「 …… 認めるんですか?」
「勿論、私の祖国や日本政府、それに国連は決して認めないだろうがな。―― それが答えだ」
 アドゥロは暗い笑みを浮かべた。
「阿蘇に封印されている健磐龍命は解放を願っています。ですが、解放の際には、此の地の超常体を全て灼き払うと。それは、貴方達、阿弗利加連合軍も含めていると思います」
「ならば、いっそう、解放はさせられないな」
「しかし、健磐龍命には解放する条件として、阿弗利加連合軍を新しい阿蘇の民だということを認めさせたいと考えています。…… 失礼な言い方だけど、貴方達は阿蘇にしかいられない。だから ―― 転属のある自分達よりも阿蘇の民でしょう?」
 自分で言っておきながら、一笑にふせられるだろうなと佐須良は内心で唇を噛んでいた。だが、アドゥロは硬い表情を崩さずに、
「残念ながら、日本土着の超常体が解放されれば、その地の超常体が消え去るという単純な話ではないのだ、セオリツ。――『神州結界構想』とは何であるか、その本質を、貴官は理解しているか?」
 アドゥロの言葉が意味するところに、佐須良は愕然とする。カップの中身が揺れ動いた。
 ―― 神州日本を世界に見立てることで、世界各地に現われる超常体を神州に集中させてしまう『神州結界構想』は、言うなれば日本を犠牲にすることで、他の国の被害を軽減するという構想に他ならない。つまり、逆に言えば、もしも何かの切っ掛けで結界に綻びが生じた場合、超常体は再び世界各地に高い頻度で出現するという事だ。
「阿弗利加連合軍が阿蘇特別戦区に陣取り、健磐龍命の封印を監視するという事は …… 」
「祖国の地 ―― 阿弗利加大陸に超常体が現われるのを抑止しているという事だ」
 再びアドゥロは、珈琲を味わう為にカップを手にする。
「 …… 前世紀、私の故郷は経済的にも政治的にも弱小国家であった。いや、国家という枠組みすら整っていなかった。―― 繰り返される内戦や紛争に、治安も悪くて高い凶悪犯罪の発生率。エボラ出血熱に代表される感染症や風土病。―― 皮肉な事に、超常体という人類共通の敵が、私達の意識を改善させてくれた。超常体の出現による破壊と、それからの復興。治安機構が整い、各国・各民族が協力し合うようになった」
 珈琲を深く、深く味わうアドゥロ。
「美味いだろ? 妹夫婦が送ってくれた、珈琲だ。私は憑魔により、故郷を追われる身になったが、それでも故郷を愛している。そこで暮らす家族を愛している。その、やっと訪れた平穏な暮らしを守る為ならば、私は封印を破ろうとする貴官等を皆殺しにする事も辞さないつもりだ。―― 異生の走狗となろうとも!」
 強い眼差しを受けて、佐須良は悲鳴を呑み込んだ。
 阿蘇の地は不可侵であって関わる事は禁忌に触れる。その意味が解った。だが、どうすればいい?
 佐須良の困惑を知ってか知らずか、アドゥロは瞑目すると、
「 ―― 阿蘇の民にならないかという申し出だが、私はともかく異生は意に介さないだろう。…… これは独り言だが …… 西に白人共の神、南に悪霊が現われた事に対して、奴等はこの地 ―― 阿蘇だけでなく、熊本ひいては九州の支配権を確立する為に、熊本市中心部へと高位超常体を送っているらしい」
 最近、熊本市中心部で起きている事件と、まさか関連性があるとは知らなかった。佐須良は唇を噛む。
 そんな驚く佐須良に、アドゥロは空虚な笑みを浮かべてみせるのだった。

*        *        *

 話を聞いて、陸自時代から戦い続けた神山は憤るしかなかった。
「健磐龍命を解放すれば、この隔離された神州日本 ―― 少なくとも阿蘇から超常体を討ち払い、果て無き戦いを無理強いさせらせ続けられている国民を幾分か解放する事が出来ます。それなのに!」
「 …… だけど、それは阿弗利加諸国の平穏な生活を乱すという事なんですよね」
 マスク越しだが、佐須良が懊悩している表情を、神山は推測出来た。神山は敢えて冷たく言い放つ。
「 ―― 元々彼等が受けるはずの痛みを、私達が勝手に押しつけられていたのです。それを叩き返しても、文句を言われる筋合いはないでしょう」
 確かにそうだ。何故、日本国民だけが、犠牲を強いらせ続けるのか。外国人は海の向こうで、貧しくも、だが生命を脅かされる事のない生活を送っているのだろう。ましてや大国はどうだ? 日本の行く末に心配したり、同情的な感想を寄せるだろうが、しょせんは口先だけ。変わらぬと信じている日常から自ら脱け出そうとはしないではないか?
「本当の意味で、超常体から解放されるには …… 」
 アドゥロ・オンジは魔人である。だが彼は間違い無く人間だ。
 しかし、シャンゴ大尉と、神山が見た男 ―― おそらくオグンとは彼だろう ―― は高位超常体ではないかと疑わしい。異生は、阿蘇だけでなく熊本、ひいては九州、そして世界の支配権を狙っている。
 健磐龍命を解放するか、それとも活かさず殺さずの果てなき戦いを続けていくか。それとも ――。
 重く溜め息を吐くと、全てが呪われてしまっていくかのような、そんな錯覚を佐須良は覚えた。

■選択肢
E−01)阿蘇特別戦区に潜入し、一の宮へ
E−02)阿蘇特別戦区に潜入し、噴火口へ
E−03)阿蘇特別戦区に潜入し、その他探索
E−04)駐日阿軍キャンプ地に探りを入れる
E−05)阿蘇周辺の戦区で活動


■作戦上の注意
 当作戦において、駐日阿軍との交戦は可能な限り避けるべし。また抗命の咎は厳罰をもって処断する。天草鎮圧戦送りになる事覚悟されたし。
 隠密行動は、慎重に且つ迅速に。
 なお、駐日阿軍のシャンゴ大尉はこの度の懲罰として5月中旬(第4回前半)まで営倉にて軟禁されている。この機会をどう捉えるかは、個々人で判断する事。


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