第六章:ノベルス


同人PBM『隔離戦区・神州結界』 第4回 〜 九州:アフリカ 其壱


S4『 腐 敗 の 胎 動 』

 割れた硝子に代わり、窓に布を張ったホテルの一室。
 寝台に身体を投げ出して、天井を仰ぐ。掴むように手を伸ばしたが、その掌の中にあるのは虚ろに他なく。力なく握り締めた手から零れ落ちるのは、友人の笑顔。
「 ―― 明美。紫苑 …… 」
 彼女等はその若い身空を、この戦場で散っていった。屍山血河が築き上げられる人吉の地。超常体の群れが蛮力を揮い、心を失った魔人の狂気が蝕んでいく。蝿に似た蟲が、敵味方を問わずに遺骸に群がり、腐臭を撒き散らす。
「 ―― 辛いよね。こんな世界」
 傍らの化粧台には護身用拳銃。それを横目に見て、薄く笑った。
 手を伸ばす。グリップに触れる。いつもより、やけに重く感じられる。そして引き寄せようとした。
 その手を押し止めるように、上から握られた。
 見上げると、優しい瞳が哀しそうにしていた。青い右の瞳が、見詰めている。
 力なく微笑みながら、身体を起き上がらせようとしたら、何故か抱き締められた。
「 ―― 私がいますから。だから …… 」
 青い瞳に、自分の瞳が映っている。首に回された手に引き寄せられ、自分の唇に、甘く優しい唇の感触。頬と頬を合わせて、深く優しく抱き締められる。そして私 ―― 板垣・琴美(いたがき・ことみ)一等陸士は …… 再び嗚咽したのだった。

 幾分、落ち着いたら、未だに抱き締められている事に気付いて赤面した。甘く優しい体臭が、嗅覚を刺激する。困ったような声を出す。
「えーと。空ちゃん?」
「何? 琴美ちゃん」
 琴美を抱き締めたままで、佐々木・空(ささき・くう)二等陸士は尋ね返す。琴美は眉根を寄せると、
「私、変だよねぇ …… 女の子が大好きだなんて」
 言われて空は微笑む。身体を放して窓辺に立つと、身に付けていた衣服を脱ぎ出し始めた。
「ちょっちょっと …… ?」
 思わぬ展開にむしろ戸惑うのは琴美。そんな彼女に微笑むと、
「琴美ちゃん、私、女でもあるけど ―― 男でもあるんだよ?」
 暗がりの中、裸身を曝け出す。丸みを帯びた柔らかい身体付きに反して、その下半身に勃り起ったものが不安と興奮とで微かに震えていた。両性具有。半陰陽。
「むぅ …… 」
 唸る琴美に、再び空は身を寄せる。その肌が恥ずかしさで紅潮し、震えているのが琴美には感じ取れた。
「私は …… 殆ど子供を宿らせる力は無いって言われていたけど、まったく無いって訳じゃないんだって。だから …… 」
 泣き出しそうな空の声色を、琴美はただ口付けでもって塞ぐ。微笑み返した。
「んっ …… 大丈夫。私ね、空の子供絶対に身ごもれる自信あるよ? そしたら、誰がなんと言おうとも産むからね?」
「 …… うん」
 闇の中、重なり合う身体。琴美は笑うと、
「 ―― ありがとう」
 そう、呟いた ……。

 ―― 回生会病院跡の一室。人吉奪回作戦を遂行する幹部達がテーブルを囲んでいるが、斑に髪を染めた下士官 ―― 神州結界維持部隊西部方面隊・第8師団・第08特務小隊長、殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉だけが、ただ独り部屋の隅で、背もたれを抱えるような逆向きの姿勢でパイプ椅子に座っている。
 頬杖を付いてつまらなさそうに会議を眺めている殻島を尻目に、第42普通科連隊・第508班長、秋谷・薫(あきたに・かおる)三等陸曹が意見具申する。
「 ―― 先日、第08特務小隊が持ち戻った情報の中に1つ気になる情報があります。魔王曰く『我々は大魔王を召喚するための生贄であり、もし、我々が人吉の奪還に積極的で無い場合、繁殖した超常体を生贄にして大魔王を召喚しよう』と語った件です」
 殻島に注目が一瞬集まったが、耳の穴をほじって知らん振り。秋谷は無視して、
「仮に …… としますが、大魔王を召喚する為の最終条件として、大魔王を召喚する『召喚陣』みたいなところで屍山血河を築く、という事が召喚の引き金になりはしないか?と懸念します。いえ、十中八九、魔王の狙いは人吉市役所周辺を、両者の血の河で満たす事ではなかろうかと思います」
 ざわめく中を、さらに声を張り上げる。
「現に我々は、人吉市役所跡の蝿の群れをみて、かなり焦っていると思います。『早く人吉市役所跡を制圧し魔王を討たなくては』と。―― 結果、同地域で大規模な戦闘を行なえば大魔王を召喚するに足りる生贄が捧げられてしまうという寸法です」
「 …… ま、馬鹿でも気付く話だな」
 明後日の方向を見ながら呟く殻島に、同席している 栗林・忠広(くりばやし・ただひろ)三等陸尉が咳払いをして注意をする。そして秋谷に話を促した。
「従い、現状で大魔王の召喚を阻止するには ……。異世界とこの世界を繋ぐナビゲーター ―― 恐らく魔王自身と思われます ―― を叩くしか方法が無いと考えられます。―― 付きましては、本隊は『全力で人吉市役所跡を攻撃する振り』をして敵の目を同地域に向けさせる事を提案し、、その間に小官は508班を舞草一等陸士に託し、魔王を抹殺すべく人吉城跡公園に潜入したいと思います」
 秋谷の決意表明。思わず感嘆の声と拍手が上がりそうになった。だが、
「 ―― 秋谷三曹。貴様、英雄になりたいのか?」
 重い声が浮ついた雰囲気を一掃した。現場指揮官たる第24普通科連隊大隊長、菱刈・孝治[ひしかり・たかはる]二等陸佐は鼻で笑うと、
「随分と勝手のいい提案だな。貴様の指摘するところは正しいだろうが、多分に陶酔しているところがありはせんか? 『本隊は陽動役で、代わりに自分が魔王倒してみせます』…… そう聞こえてならんのだが」
 不機嫌そうに指で机を叩く。陸自時代からの古強者は口元を歪めると、秋谷を見透かしたかのような目で叱責した。
「それとも、悲壮感負うての良い格好しいか。…… 自分が犠牲になってでも大事なモノを護る ―― 嫌いじゃないが、戦場では目障りなだけだ。それに、貴様よりもそこのロクデナシを使い棄てる方が遥かに気が楽だ」
「 ―― 俺かよ」
「他に誰がいる、この“ 上官殺し ” 」
 殻島に侮蔑を込めた一瞥を送った菱刈は、手を横に振って秋谷に着席するよう命じた。
「意見は覚えておこう。だが、その提案は却下だ。…… それと幹部候補生とはいえ、未だに一介の陸士風情に班を託すとは笑い種だ。―― 貴様がいる限り、多少の無茶は見ぬ振りはしてやるが、いなくなれば第508班を一旦解散させ、新たな下士官のもとで再編制する。定員割れした部隊は他にもあるからな」
 唇を噛む秋谷に、他の幹部が何とも言えぬ視線を向けていた。菱刈は何事も無かったかのように、
「栗林三尉からは意見あるか?」
「 ……。まずは確認されています焔蜥蜴竜(フレイムドレイク)を排除し、部隊主力を渡河させる他無いでしょう。魔神級相手では周辺環境を整えない限り、非常に厳しいとしか言わざるを得ません」
 栗林の言葉に深く頷くと、
「旧人吉市役所へは、南と西の部隊に任せるとする。くれぐれも功を焦って、突出せぬように」
 散会の合図で、幹部達は席を立つ。秋谷の拳は握り締められたままだった ……。

 会議から戻ってきた秋谷は思いつめた表情のまま、皆への作戦説明もそこそこに、あてがわれた部屋に引っ込んでしまっていた。その扉のノブを 舞草・弘子(まいぐさ・ひろこ)一等陸士が握ろうとする。だが片眉を微かに動かして、振り向いた。そこにいたのは、
「 …… あっ、雫」
「ひろちゃん …… 」
 同じく心配になってきたのだろう、滝本・雫(たきもと・しずく)二等陸士と暫しの無言。弘子の方から口を開いた。
「 …… やっぱり、わかっちゃうよね?」
「 …… うん、先生演技下手だし。それに思い込んだら後に引かないところもあるし」
 苦笑する。扉に背を預けて、んー、と天井を仰ぐと、
「仕方ないか、先生だもの ―― 雫も好きなの?」
「 …… うん。ひろちゃんも?」
 雫の問いに、弘子は頬を染めてしかと頷いて見せた。雫は顔をほころばせる。
「そう、よかった。…… ねぇ、動物の場合、一匹の牡に数匹の牝がつがいになる事があるんだってね」
「 …… 私達、動物と一緒にするわけ? 例えが悪いよ …… でも、そうかもね。じゃあ、一緒に頼もうか?」
 悪戯っぽく微笑んで目配せすると、2人して扉をノックした ……。

 ―― お互いの汗を拭き取りながら、
「 …… でも多分、先生はね。今回大魔王の召喚を阻止しないと、人吉は地獄に落ちるだろうと考えていると思う」
「 …… うん。人吉に大魔王が降臨したら、私達多分死んじゃうね」
「うん。だから、先生死ぬ気で班を弘ちゃんに託したかったんだと思う。その上で行動するつもり。私もそう思う。だから ……」
 うつむく空を、琴美は再び抱き寄せると、
「 …… んっ言わんでもいいよ。笑って送り出してあげるよ」
「ごめんね …… 」
「ずるいよなぁ。お腹の子供さえ居なければ私だって、空や先生と一緒に行きたいのに」
「 …… でも、本当に妊娠するかわからないよぉ」
「大丈夫。おじさん、さっきも言ったっしょ? 絶対妊娠するって。だから、もう一度ね」
「えぇ!?」
「今夜は寝かさないよぉ …… ぐへへへ」

 …… 回生会病院屋上 ――煙草に点いた火が、赤い光点として闇夜に浮かび上がる。
「 ―― 皆さん、忘れ形見を残そうと躍起だね。死亡フラグ?」
 唇の端を歪めて、苦笑を形作る。
「しかし、やれやれ。俺が時間を稼ぐの? 面倒だねぇ …… 」
 携帯灰皿に吸殻を落とすと、煙を吐いた。

*        *        *

 明けて、山間の球磨盆地に陽が射し込む。
 まだ陰が濃い空の下、廃ビルの隙間を縫って89式5.56mm小銃BUDDYを手にした普通科隊員が展開する。
 報告を受けて、菱刈二佐が大きく頷いた。
「状況を開始する。―― 栗林三尉に砲撃要請」
「了解、砲撃を要請します」
 90式戦車の砲塔が旋回する。照準用ペリスコープを覗きながら栗林が、砲手に指示を送る。レーザー測距装置が組み込まれた火器管制システムが、目標物の赤外線を利用して、主砲を補正する。
「仰角良し、左右良し ―― 撃てっ!」
 ラインメタル120mm滑腔砲が咆哮を上げた。射撃統制装置によって高い命中率を誇る滑腔砲弾は、狙い違わずに対岸に陣取っていた焔蜥蜴竜を吹き飛ばす。体内の粘液袋(※可燃性の体液が詰まっている。この体液を咽喉奥から霧状に噴き出し、火打ち石となっている奥歯で着火して、火炎息となる)に誘爆したのだろう。瞬く間に火達磨になっていった。炎に巻き込まれて、小型の超常体がのた打ち回っている。
「 ―― 各員用意。班長の射撃方向、前方500、水ノ手橋に布陣する敵超常体数匹。短連射!」
「1番、準備良し」「2番、準備良し」「3番 …… 」
 伏射ち、膝射ち状態で二段横列に展開していた普通科班員が指命を反復した。
「 ―― 射て!」
 班長の号令一下で、橋から血気盛んに踊りかかってくるリザドマンやオグルが掃射される。
「続けて、砲撃 ―― 撃て!」
 自動装填されるや否や、栗林は砲手に命じて再び120mm砲弾を放たせた。
「思った通り、砲戦に持ち込めれば、そして砲弾が通用すれば、戦車で有利に戦えますね。…… 射程と威力はこちらが上です!」
 生き残っている焔蜥蜴竜が火炎息を吐き、普通科班員を寄せつけないようにしているが、90式戦車からすれば良い的だ。沈黙させるべく、操縦手と砲手に指示を与えていく。
「 …… 気懸かりは対戦車兵器の投入ですが。―― まずは空対地戦力ですか!」
 人吉城跡公園東 ―― 中城や原城の丘からワイバーン、ワイアームが飛び立った。ビーストデモンも皮翼を広げて、5.56mmNATOを物ともせずに飛行して球磨川を越えてこようとする。
 だが栗林は片眉を微かに動かしただけ。素早く12.7mm重機関銃ブローニングM2に取り付くと、対空射撃を開始した。同伴する96式装輪装甲車クーガーからもまた火線が上がった。
「車長 ―― 対岸に魔人兵が! LAMを確認!」
 目を凝らしていた操縦手が悲鳴を上げる。対岸に、110mm個人携帯対戦車弾パンツァーファウストIIIを肩に負った敵魔人が膝射ち体勢で、ロケット弾を向けてきていた。
 恐怖に駆られた操縦手がレバーを動かそうとするが、栗林は一喝する。事前に要請していた通り、魔人への警戒をしていた戦車随伴普通科隊員が、BUDDYで威嚇射撃を行なう。
「砲手、狙い変更。―― 目標、対岸の敵魔人。方向、味方の火線集中周辺。躊躇せず撃ち放ちなさい!」
 120mm砲弾を受けて、魔人兵が四散する。だが敵の猛攻は続く。
 対空弾幕を抜けたワイバーンやワイアームが、爆雷を投下してきた。布に包まれていた多量のMk2破片手榴弾が空中で散布される。落下した衝撃で安全レバーが外れ、炸薬が爆発。弾体を飛散させて、多くの班員を傷付ける。
 また地上に降り立ったビーストデモンがその爪を振るって車輌を薙ぎ倒し、すがりつく班員達をコールドブレスで凍結させる。
 勿論此方もただではやらせない。休みなく砲撃を与え、また止まる事を知らぬ銃弾の雨を降り注いでやった。銃剣を手にした味方の操氣系魔人が、ブリザードブレスを浴びながらも、裂帛の氣合いでもって刺突する。急所を貫かれたビーストデモンに、栗林のブローニングM2が止めを刺した。
「 ―― 凍傷が激しい。至急、彼の手当てを!」
 無理しようとする操氣系魔人を後送させると、栗林は前方を見詰める。
 焔蜥蜴竜を排除したおかげで、味方部隊はバリケードを打ち破り、ついに水ノ手橋から超常体を排除する事に成功。また対岸を援護射撃で黙らせているうちに、泳いでの渡河にも成功した。他の橋でも同様の戦果が上げられている。
 敵超常体や魔人は自陣へと引き篭もっていった。
 普通科班員達を搭乗させたクーガーや高機動車『疾風』が、人吉城跡公園や旧人吉市役所を陥落せんと走り出す。その中に栗林は『第8師団の師団標識等に絡みつく鎌首をもたげた王蛇のマーク』を見付けた。
「 …… 零捌特務ですか」
「 ―― よう、オヤジさん。御苦労さん」
 唇の端を歪めて笑う斑髪の男に、栗林は渋面を向ける。だが睨みつけたのも一瞬。殻島へと不敵に笑い返してやった。
「後詰めは任せなさい。貴方は突破口を駆け抜けていくように」
「それが、俺達の役割だからな。…… しかし、オヤジさん、気がついていたか? 嬢ちゃん達の動きが見受けられねぇ」
 殻島の指摘に、栗林が再び渋面を作る。
「 …… 無茶をしていなければ良いのですが。彼女達は、この日本の未来を担う世代。無闇に命を失ってはなりません」
「まったくだ。俺達と違うってな ―― ッツ!!?」
 そう皮肉めいた笑みを浮かべかけた殻島の片眉が跳ねた。栗林もまた奥歯を噛み締めて、突然襲ってきた激痛に耐える。2人だけではない。味方の魔人が苦悶の声を上げていた。痛みに耐えかねて地べたを這いずり、のた打ち回る者もいる。車体装甲に爪を立てて、栗林は努めて冷静を保とうとする。
「ひょ …… 憑魔の、強制侵蝕現象 ―― 」
「 ―― のようだな。キメリエスのヤツ、本気を出してきやがった。早く仕留めんと逆転されるぜ」
 独り平然としている殻島。零捌特務をまとめると、人吉城跡公園へと視線を向ける。
「 ―― 業腹ですが …… 任せました …… “上官殺し”…… くっ!」
「へっ。旧世紀の化石は、そこで果報を寝て待ってな」
 悪態とは裏腹に、殻島は顔を引き締めると、部隊に突撃を命じるのだった。

*        *        *

 時間は溯る。人吉城跡公園への潜入は深夜に行なわれた。
 球磨川渡河・人吉城跡公園包囲作戦が決行される前日深夜。身支度を整えると、秋谷は寝台を振り返った。心地良い寝息を立てる少女達に暫し優しく微笑むと、打って変わって顔を引き締める。静かに部屋を閉じた。
 独り静かに廊下を歩む秋谷だったが、非常階段に人影を認めて眉間に皺を寄せた。
「先生、抜け駆けは駄目ですよ。私も付いていきます」
 闇の中に、澄んだ青い瞳が映える。
「佐々木か …… 本当に付いてくる気か?」
「勿論です。私の能力は魔王に辿り着くまでに絶対に有効です。それに ―― わっ、私は、半分は女ですけど …… もう半分は男なんです」
 顎を引いて、唾を飲み込む。震える気持ちを鎮めた。
「 ―― 私も、私にも守りたい人が居るんです。だから …… たとえ断られても付いてゆきます」
 秋谷は目を細めて、暫し無言。だが空が再び口を開く前に、秋谷は歩み寄ると、その肩を叩いた。
「 ―― お前は、ここぞと言う時、ものすごい頑固だからなぁ ……。わかった …… 付いてこい」
 はい、先生。そう、小声だが、確に頷くと空は小走りで秋谷の背中を追う。
 …… 橋は超常体が占拠し、対岸には敵魔人が哨戒している。今なお、散発的に戦闘が生じているものの、互いに損害が生じるほどには発展していない。その中を掻い潜って、人吉城跡公園に向くのは不可能と思われた。
 だが空は息を吸うと、己の右目に宿る憑魔を覚醒。秋谷と空の姿が揺らめき、可視範囲から消失する。文字通り皆の目を盗むと、バリケードを越えて橋を渡る。
 球磨川を泳いで渡るのは、装備や水音もあり、危険極まりない。ならば超常体が陣取っているとはいえ、血と肉の腐臭で嗅覚が麻痺する橋上を(文字通り)目を盗んで通過した方が、まだ成功率が高いといえた。
 そして、彼等はここに到ったのだ。

 明けて、作戦が決行された。90式戦車からの砲弾に、焔蜥蜴竜の咆哮が響き渡る。銃撃音を上回る怒声と悲鳴。
 人吉城跡公園の陣幕では、結界維持部隊礼服をまとった黒人 ―― 暗黒大陸の侯爵 キメリエス[ ―― ]が剣を錫杖代わりにして揮っていた。その首筋に真新しい白い包帯が巻かれているのが、やけに目につく。
「 ―― 損害は気にするな。陛下御降臨には、すべからく問題はない。貴君等は陛下の血肉となる事を喜んで、戦い ―― そして死ね」
 暴虐的とも言えるその言葉に、だが抵抗する事無く唯々諾々と従う超常体や敵魔人達。解かる気がする。その姿を見、その聲を聞き、秋谷は身体を蝕む痛みに歯を噛み締めていた。
( …… これほどまでに“ 強い ”存在なのか!? )
 キメリエスが振り向いた。隠れているはずの秋谷と視線が合う。唇の橋を歪めて笑いかけられた。
「 …… “ 大罪者( ギルティ ) ”で無いにも関わらず、ここまで単独潜入するとは、なかなかに心が強い。―― 陛下への良い贄となる事を認めよう」
 黙って姿を現すと、秋谷は剣と盾を構えた。疼くような痛みは未だに身体を震わせているが、気を昂ぶらせる事で無視する。
「貴様相手に、小細工が通じんのは百も承知、俺の大切な者を守る為に召喚者の貴様を抹殺する!」
 怒声を上げて切り込んでいった。が、
「 ―― くっ!」
 側近のように従っていた敵魔人が妨害に入ってきた。キメリエスは面白可笑しく笑うと、
「悪いが、貴君の英雄ごっこに付き合う気はない。戦争なのだ。―― 誤解があるようだが“ 大罪者 ”と一騎討ちになったのは、至近距離での戦闘もしくは空間干渉を上回る力で以ってしか、アレを殺す手段が無いからに他ならない」
 秋谷が敵魔人の銃撃の威力を盾やボディアーマーで軽減させるのに躍起である最中にも、キメリエスは得意げに解説。
「 ―― それは我輩も同じ事だから、貴君が白兵戦闘を持ち込んできたのは正しい。利口な判断だ。だが如何に我輩が紳士たらんとしているとはいえ ―― 今は戦争時なのだよ? 一騎討ちに応じる必要は無い。貴君の相手は、我が配下で充分だ」
 そして指を甲高く鳴らす。
「そこのお嬢さんも! 隠れているつもりだろうが、ここら辺りの空間は我輩の手中にある。特に、貴君達が“ 憑魔 ”と呼んでいるモノを感知把握する力は我輩の方が上だ。その力を行使していれば、むしろ自分から『見付けて下さい』と声高に主張しているものだよ!」
 つまり、キメリエスは秋谷と空が人吉城跡公園に潜入するのを察知していながらも、好きに泳がせていたという事になる。
 そしてキメリエスは“ 空間 ”に干渉した!
 突然身体を蝕む激痛に、秋谷は絶叫する。膝が崩れて、その場にぶっ倒れると地面を転げ回る。泡立つように無数の肉腫が膨れ上がり、内側から肉を引き裂いていく。引き裂かれた肉から血が吹き出し ―― 裂けた肉の間を異常な速度で根を張り出した神経組織のようなものが埋め尽くしていく。
 ―― 憑魔異常進行。強制侵蝕現象。
 地面をのた打ち回りながら、自らの判断が甘かった事に歯噛みする秋谷。同じく、灼熱の痛みと衝撃で脳をかきまわされていた空が声にならない叫びを上げながら、隠れ潜んでいた場所から転がり出た。
 青く澄んでいた空の瞳は、今や真紅に彩られ、鮮血の涙を流し続けている。
 集中が途切れ、憑魔能力による光学迷彩も失われていた。敵魔人の構えるBUDDYが、容赦なく空へと向けられた。

 双眼鏡で睨んでいた琴美が悲鳴を上げる。
「雫、撃って早く! 空ちゃんが、殺されちゃうよ! 射ちなさい、これは命令よ!」
「 …… 駄目。距離が近過ぎるの。このまま撃ったら、空ちゃん自身も衝撃にやられる …… 」
 現行最強個人携帯兵器たる重装弾狙撃銃Barrett XM109が放つ25mm弾の威力は絶大である。対象だけで無く、その周辺のものにも莫大な被害をもたらすのだ。それが人間であるならば、かすっただけで身体の一部を持っていく。腕なら千切れて、足ならもげて、頭なら消し飛ぶ。
 大型のビーストデモン相手ならば兎も角、中型のキメリエスや敵魔人が相手に、ペイロードライフルで接近戦をする秋谷の支援をしようという事自体が、度大無茶 ―― というか『本当に魔王諸共に死んでよ、先生!』と笑うブラックジョークでしか無いのだ。
「なら、BUDDYで狙撃してよ!」
 琴美に言われるまでも無い。雫はBUDDYを構えると、切換えレバーを単発の『タ』に。だがBUDDYから放たれる5.56mmNATOは軽い。せめて7.62mmレミントンM24狙撃システム …… 或いは狙撃用にカスタム化した64式7.62mm小銃が欲しい。
 そんな自らの弱音を、雫は頭を振って捨て去ろうと努めた。唇を噛む。
「 ―― 銃の性能に責任を押し付けては駄目」
 息を吸って吐く。止める。横目の一瞥で、琴美に観測支援を頼んだ。琴美も焦る気持ちを抑えると、
「 …… 滝本陸士、射ち方用意。指命、前方300、人吉城跡公園にて味方を攻撃中の敵」
 観測手の言葉を耳にしながら、思い出す。
 …… 大丈夫、この娘ならば、やれます。自分が保証しますよ。
 そう言って頭を撫でてくれた、あの人を救う為に。
「 ―― 射てっ!」
 琴美の合図と同時に、引鉄を絞った。
「板垣陸士! 滝本陸士の狙撃支援と、アルファチームの指揮を引き続きお願いします」
 弘子は立ち上がると、鈴木・綾[すずき・あや]二等陸士と、武田・博美[たけだ・ひろみ]二等陸士を伴って、窓からロープを投げ落とした。
「ど、どーするのよ、弘子?」
「秋谷三曹の ―― 先生の、救援に向かいます!」
 強制侵蝕により味方魔人の動きは鈍っているが、全体の戦局としては人類側が優勢である。敵がホテル最上階に肉薄する危険性は低いと判断した弘子は、愛しい人達の危機を救うべく行動に出る事にした。
「もしもの時は …… 」
「解かっているって。とっとと、ずらかるってば」
 琴美は笑う。そしてラペリング体勢に入る弘子の背に、
「 ―― 弘子!」
 指を立てて、見送る。アルファチーム残りの、園部・瑞穂[そのべ・みずほ]二等陸士、須々木・一美[すすき・かずみ]二等陸士も同様だ。
「先生と空ちゃんを頼むわよ」
 しかりと頷くと、弘子達は飛び降りていった。

 雫の放った銃弾は、敵魔人達の動きを阻害するには充分だった。さらに運良く ―― いや彼女の実力だと秋谷が信じる1発が、敵魔人の頭部を貫き、絶命させもした。
 だが5.56mmNATOではキメリエスの障壁を破る事は出来ない。キメリエスは魔人兵を下がらせると、飛んで来る銃弾の中を悠然と、地に倒れ伏している秋谷へと歩み寄る。その手が剣の柄を握り、鞘から身を引き抜いた。
「喜ぶが良い。貴君も、貴君の可愛い部下も、陛下の血肉となるのだから ―― 」
「 ―― いや。それはちょっと見通し甘いんじゃないかい?」
 キャッホーイ!と雄叫びを上げて、王蛇の群れが飛び込んでくる。ホンダXLR250R偵察用オートバイを先頭に、疾風が3台。殻島が9mm機関拳銃エムナインを乱射すると、続けるように疾風から5.56mm機関銃MINIMIやBUDDYの連射が、公園内の敵魔人を襲った。
「 ―― “ 大罪者 ”か!」
「当たりだ! 喰らえ、必殺の轢き逃げアタック!」
 速度と重量で以って、キメリエスに迫る。キメリエスは慌てて空間跳躍して、車体を避ける。
「よう、ハーレム男。―― 生きているか?」
「 …… 殻島准尉殿に救われるとは心外でした。自分の事よりも、佐々木は?!」
「何とか …… 私は大丈夫です。それよりも先生こそ御無事ですか?」
 血涙を袖で拭いながら、空がふらつきながらも立ち上がる。だが、その瞳は真紅に塗られたままだ。
 秋谷も身体を走る激しい痛みを堪え抜くと、再び白兵戦を挑む。取巻きの敵魔人は、零捌特務隊員が引きつけてくれている。前回と違って、味方部隊が続々と橋を渡って、支援をしてくれるのだ。
「へっ。気楽と言ったら、気楽だな」
 口元を歪めると、殻島もナイフを抜いて肉薄。痛みに動きが鈍っている秋谷のフォローに入る。
 キメリエスの剣が秋谷の足を狙ってくる。秋谷は素早く横に払って打ち合せ、振り抜いた返しでキメリエスが退こうとするのを正面から追撃。キメリエスもまた流れる動作で、剣で受け止めた。そのまま秋谷の刃を擦り落とすと同時に鳩尾へと突き出してきた。とっさに防弾シールドを押し当てる。盾の表面に弾かれ、剣先が滑った。
 そのキメリエスの背後へと、回るように殻島が踊りかかる。察したキメリエスは右回し蹴り。殻島は右肘を当てると、ナイフを突き出した。上体を反らしていたキメリエスの胸を浅く薙ぐ。
 秋谷もまた増大した筋力のままに剣を振り下ろす。
 が、キメリエスは裂帛の気合を吐くと、空間が湾曲 ―― 圧縮され、そして爆発した。秋谷も、殻島も吹き飛ばされる。瓦礫に叩き付けられて、呻く殻島。
「 ―― ちっ、無茶しやがって」
 しかしキメリエスも無事では済まなかったようだ。首に巻いていた包帯が赤黒く滲んでおり、額には脂汗が浮かんでいた。心なしか吐く息も荒く感じる。
「 …… あれは前回の戦いの時に付けた傷だな」
 目を細めて笑う。秋谷も叩き付けられた地面から身を起こした。もはや身体を蝕む痛みが、憑魔の強制侵蝕によるものなのか、それともキメリエスとの戦いによるものなのか見当が付かない。
 咥内に堪った血堪りを吐き捨てると秋谷は、
「 ―― 殻島准尉殿。自分に必勝の策があるのだが」
「へっ。奇遇だな。俺にも奇策ならあるぜ。…… ただ、状況的に上手く出来るかどうか判らんが。少なくとも周囲が騒がし過ぎる」
 敵魔人や超常体と交戦している部下を視界の端にいれながら、自嘲気味に殻島は強がって見せた。心得たとばかりに、秋谷も頷く。
「状況さえ整えれば良いんだな?」
 キメリエスに気付かれぬように一瞬だけ、視線を向けた。秋谷が向ける視線の先にいる者に気付いて、殻島は軽く口笛を吹く。
「なら、決まりだ。―― 任せたぜ」
 殻島の要請に、秋谷は返事をしない。キメリエスだけが怪訝な表情を浮かべたが、
「さて ―― 魔王キメリエス。個人的には嫌いではなかったんだが、存在するだけで人間に害になるのできっちり地獄に送り返してやるぜ」
 殻島がこちらに注意を向けさせる。一瞬片眉を跳ね上げたが、キメリエスは唇の端を歪めて笑うと、
「 ―― やってみるがよい。既に我輩の役割は充分に果たしている。あとは心いくまで貴君達との戦いを楽しむだけだ!」
「格好良いね、棄て台詞!」
 半身に構えた次の刹那には強く踏み込んでいった。王蛇が牙を剥いて飛び掛かるように。瞬速の斬撃に、キメリエスは跳躍して回避しようとした。そんなキメリエスの視界内に、紅く染まる眼が飛び込む。
「 ―― 任せたぜ!」
「 ―― はいッ!」
 殻島の再度の呼びかけに応えたのは、空だった。紅く光る右眼は、だが空の想いによって青く輝くと人吉城跡公園を埋め付くすような眩しい光を放った。
 動きの止まったキメリエスの首 ―― 包帯が巻かれた傷痕を、殻島の放ったナイフが抉る。鮮血が迸った。だが ―― まだキメリエスの動きは止まらない。力任せに剣を振り下ろしてくる。喰い込み過ぎたのか、ナイフが離れない。一瞬戸惑いの所為で、避けられない ―― 舌打ち。
 だが秋谷の盾がキメリエスの刃を受け止める。盾は割れ、破片と勢いの止まらぬ刃が秋谷の肩に喰い込んだ。しかし秋谷は負けじと、いつの間にか剣の代わりに握っていた手榴弾を、キメリエスの顔に押し付けていた。
「 ―― 殻島准尉!」
 殻島の右拳がキメリエスの胸部を殴り付ける。拳の中指真ん中 ―― その1点の空間に圧縮され …… キメリエスの胴体に穴が生じた。
「くたばれ、キメリエス! ハチヨン持って来い!」
 合図とともに零捌特務の部下達が、肩に担いだハチヨン ―― 84mm無反動砲カール・グスタフを発射する。それも3つも!!! ―― 大爆発が生じた。
 爆発の中、朦朧とする意識で、秋谷は手榴弾の安全レバーを放した。
( ああぁ …… また、皆で ……、桜を ……、見に行こうなぁ )
「 …… って、待て。自分に浸ってないで、しっかりしやがれ、阿呆」
 頬を強く叩かれて秋谷は我に帰る。引き摺るように秋谷の肩を背負っていた殻島が、放り棄てた。そのまま尻餅をついて、爆発炎上するキメリエスを見遣る。
 独り不思議そうにする秋谷。
「 ―― 生きている?」
「 …… 危険な賭けだったがな。3発分の衝撃を空間転移で丸ごとキメリエスにぶつけた上で、此方への衝撃を遮断し、さらに空間跳躍。お前みたいな荷物もあって正直無理かと思った。――が、まぁお前等の助けがなければ、どうにもならんかったしな」
 見殺しにしても良かったんだが …… と殻島は笑いながら指差す。
「 ―― 嬢ちゃん達に恨まれちまうからな」
 駆け寄ってきた空が秋谷の怪我の具合を確かめる。さらに、見た事のあるクーガーが人吉城跡公園に突撃を駆けてくるのを、秋谷は満面の笑顔で出迎えるのだった。

*        *        *

 土手町の敵防衛線を突破した第42普通科連隊人吉奪還作戦分遣隊は、旧人吉総合病院前に張られていた大規模な罠にかかって悪戦苦闘したというが、大手橋の焔蜥蜴竜を打ち倒して、現在寺町の官公舎(※裁判所・検察庁・税務署)に陣幕を張っている。
 また田町橋付近を制圧した第24普通科連隊北上部隊とも合流を果たし、旧人吉市役所包囲網が完成する。
 そして魔王キメリエスの死によって人吉城跡公園陣地が陥落し、統制を失った超常体の多くは九州の山々に散り散りとなって逃げ去っていった。
 だが敵魔人の残兵や知性の高い超常体は、今なお旧人吉市役所に結集している。キメリエスの最後の命令を守り、自らを大魔王降臨の贄とするように。
 焔蜥蜴竜の遺骸を軌道帯で踏み越えながら、90式戦車が旧人吉市役所に迫る。砲塔が旋回、仰角高くして上階に狙いをつけた。
「 ―― 黒い雲は未だにかかっています。魔王を倒しても、まだ降臨の儀式は止まらないというのですか?」
 旧人吉市役所周辺に築かれる超常体や人間の屍山血河。慌てて焼却処分をする隊員達を嘲笑うかのように、遺骸には蠅に似た蟲が群がり、産卵し、蛆が沸き、孵化し、さらに濃密な黒雲となって餌に群がっている。生きたものにも襲い掛かり、その強力な酸で防弾チョッキの繊維すら溶かされ、卵を産みつけられたという。
 蠅に似た蟲は、小さいものは体長1cmだが、大きいものは平均的成人男性の頭部ほどのものもある。さらに旧人吉市役所内には2mを越える大きさのものも存在していたという話ではあるが、その報告を最後に無謀にも突入していった者は音信不通であり、真偽は疑わしい。
 いずれにしても旧人吉市役所内は魔窟と化しているのは間違いなかった。
「 ―― 旧人吉市役所への攻撃は控えるように通達したはずなのですが …… 」
 秋谷の提案は、別の形をとって包囲網を築こうとする各部隊に通達されていた。にも関わらず旧人吉市役所周辺の戦禍の痕はおびただしい。
「 ―― そりゃぁ、幾らこっちが手控えたとしても、相手にとっては義理堅くお見合いに付き合う必要はないからね。玉砕・全滅したとしても計画を押し進める事が出来る段階に入っているんだから」
 蝿蟲が群がっている死骸の山のひとつから声がした。栗林は緊張の表情を浮かべ、随伴していた普通科隊員がBUDDYを向ける。弱々しく手が挙がった。
「 …… 思ったよりも身動きがとれんので、助け出してくれんかな。あと煙草吸いたいんだけど、火を持ってない?」
 血と泥と、粘液に塗れた男が、腐肉の山に埋もれていた。くたびれた様子であり、それでいて飄々とした男。半目に開かれた目蓋の奥では、焦点の定まっていないかのような眼。両襟の略章が一等陸尉を示す。
 警戒しながらも、助け起こそうと栗林は手を差し伸べる。一尉は差し伸べられた手を掴んで立ち上がろうとするが、
「おろ? 片腕が折れている」
 左腕があらぬところで曲がっていたりもした。すぐさま栗林は衛生科を手配させる。
「 …… まいったねぇ。来月は長崎に出向なんだが」
「一尉殿、良ければ詳しい報告を」
 運ばれてきた担架に横になる一尉は、無事な手で頭を掻くと、
「どうにもこうにも。―― 大魔王への警戒が不充分だったんでねぇ。敵さんは、やたらめったら挑発して戦禍を広げようとしていたんで、俺が代わりに防波堤の指揮していたの。まぁ、不甲斐無くも被害は甚大だが」
 自嘲めいた色が、瞳に浮かんで、消えた。
「 …… まあ、短期に戦力集中してキメリエスをぶち殺したのは間違っていない。おかげで来月から大魔王攻略に専念出来るからね」
「 …… いえ、お聞きしたいのは戦闘評価ではなくて ―― その大魔王についてです。此方の判断ではキメリエスを倒した時点で降臨の儀式を遂行するモノは消えてなくなったと思っていましたが …… 」
 栗林の疑問に、一尉は無事な手で内ポケットからソフトパックの煙草(※わかば)を取り出すと、
「だから蝿蟲が沸いて出てきた時点で、既に降臨は秒読み段階なんだわ。放っておいても、遅かれ早かれ来月にはバールゼブブが降臨するだろう」
「では降臨を止めるには? 何か知っていらっしゃると見ましたが。一尉殿の意見をお聞かせ下さい」
 一尉は唇の端を歪めて応えると、
「自分で考えろ。…… と叫びたいところだがヒントを一つ。既にバールゼブブを降臨する儀式は発動しているんだ。高位超常体の降臨には多大な犠牲が必要」
 それは栗林にも判りきっている。だが一尉は意地悪く笑うと、
「さて、ここで問題です。奴が肉体を構築するのに直接的に必要なモノはなんでしょう? あと、依り代というか核というか、デカイ身体の中心 ―― 心臓部や頭脳はあるんじゃないかな?」
 顔にたかってくる、蝿に似た蟲を潰しながら、一尉は軽薄そうに笑う。
 栗林は眉間に皺を寄せると、目を細めたのだった。
 …… ちなみに一尉の煙草は、衛生科隊員に取り上げられていたが、それはどうでも良い話である。

*        *        *

 …… 5月19日。阿蘇山が突如、噴火する。
 噴火は僅か数分の事ではあったが、山頂から天へと屹立した炎の柱は、距離・天候に関わらず、熊本の何処からも観測された。
 それを見て超常体の多くは恐慌状態に陥り、騒然となったが、結界維持部隊の者達は逆に気を昂ぶらせ、戦意が高揚したという …… 。
 疾風の助手席に身を沈めていた男が口を開く。
「 ―― 健磐龍の封印を破ってくれた …… か?」
「何でそこで疑問形ですか、隊長」
「いゃ、封印が破れた割にはおとなしいなと思って。こうドカーとかバキバキーとかギャオースとか」
「阿蘇山に現れたのはラドンです。というか何ですか、その頭の悪そうな擬音は? あと、煙草の灰が落ちそうですよ」
 慌てて無事な方の手で、煙草を灰皿に押し付ける。
「しかし、これでフトリエルも、バールゼブブも強攻策に出てくるぞ。…… 楽しみだねぇ」
「御冗談が過ぎます。―― もう宜しいですか? それでは長崎に参りますよ」
 疾風は人知れずに人吉戦区から走り去っていった。

■選択肢
S−01)旧人吉市役所に突入し、降臨阻止
S−02)人吉周辺に逃げ散った残敵の掃討
S−03)人吉陣地の防衛・復興活動
S−04)人吉ICの橋頭堡維持
S−05)山江SAの拠点防衛


■作戦上の注意
 当該区域では、強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する事もある。特に旧人吉市役所内は大魔王降臨の余波を受けて侵蝕率の上昇は必ずあると思ってよい。また死亡率も高いので注意されたし。


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