第六章:ノベルス


同人PBM『隔離戦区・神州結界』 第5回 〜 九州:アフリカ 其壱


S5『 暴食という大罪 』

 
 戦車の役割は、砲撃にあらずして、敵を轢殺する事にあり ―― そう評したのは誰だったろうか?
 90式戦車の砲塔ハッチから上半身を出し、目を凝らして周囲を測っていた神州結界維持部隊西部方面隊・第8師団第8戦車大隊所属、栗林・忠広(くりばやし・ただひろ)三等陸尉の脳裏を他愛も無い疑問が横切った。
 曇天下で、大きく息を吐く。ここ数日勘、晴れ間が覗く事が少なかった。だが暗雲よりも、更に黒き蝿に似た蟲の群れが、旧人吉市役所の上階部分を覆い隠しているのが、栗林にとっては最大の気懸かりである。
 球磨盆地を占領していた高位上級超常体 ―― 魔王 キメリエス[――]を討ち果たし、人吉陣地を奪還したのはつい先日の事である。
 だが、キメリエスが目論んでいた大魔王 バールゼブブ[――]降臨の儀式は、旧人吉市役所を中心として未だ進行中であった。
 現在、旧人吉市役所を普通科数個小隊が取り囲んでおり、また数個班が内部突入を計画している。
 だが、その旧人吉市役所に篭城している敵兵の妨害と抵抗が十分に予測された。知性の高い超常体や敵魔人の残兵はキメリエスの最後の命令を守り、自らを大魔王降臨の贄とするようだ。
「 …… 贄ですか」
 栗林は眉間に皺を寄せる。
 キメリエスの置き土産はそれだけでは無い。多数の低位超常体が人吉周辺に逃げ散っていた。キメリエスの死によって統制が無くなり、脅威度が薄れているとはいえ、大魔王降臨の贄となってしまう可能性がある。
「 …… ただでさえ人吉奪還戦において敵味方問わずの多数の死体が出ており、それを喰らって蝿蟲が増殖していますのに。―― 死体処理を迅速に行う為にも、そして新たな死傷者を増やさぬ為にも、残敵を駆逐しなければなりません。それでなくとも人吉陣地回復の阻害要因になりますからな」
 戦いで人吉に築かれた超常体や人間の屍山血河。遺骸には蠅に似た蟲が群がり、産卵し、蛆が沸き、孵化し、さらに濃密な黒雲となって餌に群がっている。生きたものにも襲い掛かり、その強力な酸で防弾チョッキの繊維すら溶かされ、卵を産みつけられ、皮膚下を這いずる蛆に、狂い死にした者もいるという。
「しかし …… 敵味方の死体を肉体の材料にでもするのですか? すると、コアは一体?」
 考え込む栗林。そんな彼に声が掛かった。
「おう、オヤジさん。何だ、険しい顔をしやがって。ただでさえごつい顔を厳つくしてどうするんだ?」
 ぼさぼさ髪を斑に脱色した男の姿に、一瞬、渋面。だが、すぐに栗林の口から苦笑が漏れた。
「暇そうですね“ 上官殺し ” 」
「余裕があると言って貰いたいもんだぜ」
 軽口を叩きながら、第08特務小隊長の 殻島・暁(からしま・あかつき)准陸尉は肩をすくめる。
「 …… オヤジさんは、人吉市役所攻略には向かわねぇのか」
 困ったように頭を掻く殻島に、栗林は苦笑して返す。
「残念ながら、施設への突入は戦車の役割ではないですからな」
「突入は無理でも、破壊は可能だろ。―― ぶっちゃけオヤジさん自慢の戦車大火力で建物ごと殲滅してもらいたい」
 ふむ、と顎に手をやり、
「随分と都合の良い話ですが …… 建物ごと殲滅と言っても、直撃しないと余り効果は望めませんぞ」
「突入した者達で合図をし、誘導するさ ―― 勿論、巻き込まれる前にさっさと逃げるのは当然」
「突入する他の部隊への連絡は?」
「近場にいる奴には直接声をかける。遠くの奴はシキツウ経由で連絡入れる」
 殻島は顎をしゃくりあげて、停まっている82式指揮通信車(シキツウ)コマンダーを示した。
「本音を言うならば単独潜入が気楽で良いんだがな。ただ、いかんせん俺は大隊長から嫌われている」
 人吉奪還戦の現場指揮を執っている第24普通科連隊大隊長、菱刈・孝治[ひしかり・たかはる]二等陸佐は、栗林と同じく陸自時代からの古強者である。それ故に、懲罰部隊である零捌特務を快く思って無い節があった。従い、殻島単独の潜入だけではなく、数個班での旧人吉市役所突入作戦となったのだ。
「俺は先行する偵察員として頑張るが、その間、部下を遊ばせておくのも何なんでね。市役所周辺の蝿蟲潰しをやらせるが、幾らかはオヤジさんに回そうと」
 それが頼み事の対価のつもりですか。栗林は口元を緩めた。
 通常、懲罰部隊はナイフ1本、89式5.56mm小銃BUDDY一丁で敵陣に突入される事が多い。だが零捌特務は殻島の手回しにより火器が充当しており、それ故に比較的に任務達成率だけでなく生存率も高いのだ。
 少なくとも分隊支援火器5.56mm機関銃MINIMIや対戦車武器84mm無反動砲カール・グスタフを手にした隊員が、戦車に随伴してくれるのは心強かった。
「結構です。―― 預かりました部下達はビシビシ鍛えて上げますよ」
 不敵に笑う栗林の言葉に、零捌特務副官が顔を引きつらせる。
 話はついたとばかりに殻島は背を向けると、後ろ手に振って別れを告げた。殻島の背を見送り、栗林は装甲車帽を被り直して呟いた。
「 ―― 幸運を」

*        *        *

 防護マスクを着用した普通科班が、遮蔽物に身を隠しながら旧人吉市役所に接近する。
 防護マスク4型は眼ガラスが大きくなっており比較的広い視界を確保しているとはいえ、普段から慣れていなければ閉塞感があるのは否めない。
「うわ、視界が狭いし、暗いよ、先生」
 板垣・琴美(いたがき・ことみ)一等陸士の感想に、上官たる第42普通科連隊・第508班長、秋谷・薫(あきたに・かおる)三等陸曹はマスクの内で苦笑。
「無駄口は叩かないの、板垣陸士。それとも蝿みたいな生き物が口の中に飛び込んでもいいと?」
 舞草・弘子(まいぐさ・ひろこ)一等陸士が嗜めると、琴美は苦虫を潰したような顔になる。
「 …… そ、それは、おじさんとしても勘弁して欲しいんだなぁ」
「それに、実際に変なガス成分を検出するかも知れませんしね。我慢していて下さい」
 佐々木・空(ささき・くう)二等陸士が恋人に言って聞かせる。琴美は渋々と頷いた。
「 ―― そう言う訳だ。包囲線まで退くまで防護マスクの着用を義務付けておく。そして突入は、他部隊と合わせて同時。第508班は収入役室窓からの突入が役割担当だ。―― 班は4人1組の2チーム。舞草のアルファと、板垣のベータ。俺はベータとともに行動しながら、班全体の指揮を執る」
 弘子と、滝本・雫(たきもと・しずく)二等陸士の落胆した表情は防護マスクに隠れていたが、空気は誰の目にも読めた。
 だが、秋谷がベータチームにつくのは仕方ない。臨時に、鈴木・綾[すずき・あや]二等陸士と 武田・博美[たけだ・ひろみ]二等陸士を編入しているが、彼女らは通信士と操縦士。戦闘員としてはいささか頼りない。戦力バランスを鑑みて秋谷がバックアップに回る必要があるのだ。
 さておき博美が報告をいれる。
「 ―― 残念ながら、役所周辺を捜索しても先生が懸念していた召喚陣らしきものの痕跡は全く見つからなかったそうです」
「そうか。中心 ―― 大魔王の核の出現位置が、どの位置に当たるかを見極めておくだけでも突入が楽になったのだがな」
 秋谷は顔をしかめると、雫が思い出したかのように口を開いた。
「 …… 殻島准尉が言っていました。『ナントカと煙は高いところが好き』と」
 雫の言葉に、一同が顔を見合わせる。
「つまり3Fが怪しい?」
「 …… 市長公務室は2Fにあるけど」
 改めて、旧庁舎を見上げる。確かに蝿蟲の群れは、黒い雲のように上階部分に覆い被さっていた。
「階段の位置は …… ?」
「は、はい。中心部が吹き抜けになっており、その前後を挟む形で階段があります。会計課のフロアからですと …… トイレ前のが近いです」
 空の報告を受けて、拳で己の掌底を叩いて喝を入れる秋谷。教え子達を見回した。
「よし、これより突入を図る。内部では上下左右前後に注意を払わせ、どんな些細な事でも必ず声をかける様に!」
「「「はい、先生!」」」
「 ―― それでは、作戦を決行する。状況開始!」
 各班で示し合わせていた時刻になり、突入を開始する第508班。その突入を支援するべく、陽動として包囲していた数個小隊が射撃を開始する。
 遮蔽物に紛れながら応戦してくる敵魔人の目を盗んで、まずベータが壁面に辿り着いた。アルファは遮蔽物からベータを視野に収めつつ、油断無く周囲に警戒をする。支援を受けながら、綾が捜索用音響探知機を隙間から差し入れて屋内を探る。―― 動体3つの合図。すかさず博美がM16A1閃光音響手榴弾のピンを弾くと、放り込む。
 閃光と衝撃音が屋内から炸裂。同時、他方面からも衝撃音が鳴り響く。秋谷と琴美が窓枠を蹴破って内部に突入。―― 瞬間、
 ―― 憑魔異常進行。強制侵蝕現象。
 秋谷が絶叫を上げて、身を強張らせる。続いた空もまた青かった瞳を真紅色に染め上げられて、倒れ伏した。だが助け起こす余裕も無く、琴美は5.56mmNATOをバラ撒いた。続いて、綾と博美も撃ち放つ。
 不意を突かれて、身体を蜂の巣にされた2体の高位下級超常体ウコバク。スコップのような形状をした長い腕の先に、燃える石炭のような熱塊を生じる人型の超常体は、だが何の抵抗も出来ずに崩れ落ちた。
 息を吐いた琴美は慌てて空の傍に近寄ろうとした。
「 ―― 板垣陸士、気を抜くな!」
 窓にまで辿り着いたアルファが怒声を上げて、琴美の方へとBUDDYの3点射。身を縮める琴美の背後で、天井近くに舞い上がっていた高位下級超常体メルコム ―― 短いながらも翼を持ち、腹部に巨大な蝦蟇口を有した人型が床に落ちた。
「あっぶな〜! 助かったわ、弘子」
「 ―― 制圧した後も油断せずに周囲の状況把握を勤める様に!……ですよね、先生?」
「ああ、そうだ。しかし、板垣も味方の緊急に気を取られる事無く、敵の征圧を優先させたのは良かった。結果的に被害が最小限に抑えられるからな」
 弘子と雫に助け起こされながら、秋谷が立ち上がる。まだ身体を蝕む痛みに慣れはしないが、何とか継戦は可能だ。空もまた琴美に手を貸してもらって何とか起き上がった。園部・瑞穂[そのべ・みずほ]二等陸士が、そんな秋谷と空を素早く診る。その間も油断無く、綾と博美、そして 須々木・一美[すすき・かずみ]二等陸士が周囲を窺っていた。
「 …… 魔王級になると、ただ存在するだけで憑魔を異常活性化させ、強制侵蝕を起こす …… 先日の教訓を忘れていたとは、情けない話だな」
 ましてや相手は大魔王だ。未だ降臨はされていないとはいえ、その影響力は庁舎内を支配するのは充分であった。内装は異様な粘膜に覆われ、何かの生き物の中といった感じである。まるで脈動しているかのような壁に、ぬめるような床。そして押し潰されるような圧迫感。防護マスクをしていても、腐臭が鼻と目を刺激するようだった。
 バールゼブブが完全に降臨を果たした場合、一瞬にしてこの人吉戦区の ―― いや熊本下の魔人はバールゼブブの支配下に置かれ、また魔人でない者も憑魔に寄生されであろう事が予測出来た。知らずに歯の根が合わなくなるほどの悪寒が、第508班を襲う。
( …… この場は退き、戦力を整え直して再攻撃にかけるべきか? )
 秋谷は自問する。正直、相手がここまで強大とは思わなかった。このまま逃げ帰ってしまいたくなる恐怖感。この場に留まるのは危険だ、逃げるのでは無い、戦力を整え直す為に一時的に退くだけだ …… 脳裏を言い訳が駆け巡る。教え子達は何も言わないが、それは班長たる秋谷に救いを求めているからだ。秋谷が撤退を指示すれば、喜んで従うだろう。
「 …… 先生」
 弘子が震える肩を抱くように身を縮まらせていた。顔は防護マスクで隠されてはいたが、仕草が雄弁にその表情を語っていた。秋谷は目を瞑る。そして息を大きく吸って、吐いた。両の掌を打ち合せる。
 怯えている教え子達の瞳を受けながら、秋谷は、
「 ―― 任務を続行する。正直、逃げ帰りたいのは山々だが、大魔王降臨は時間の問題だ。今、逃げ帰れば、もはや再突入する機会さえ得られないかも知れない。だから ―― 各員、俺に命を預けてくれ」
 秋谷の言葉に、瞬時に固まる一同。だがすぐに敬礼してみせた。
「第508班全員、秋谷三曹に命を預けます!」
 無理に唇の端を上げて笑みを形作ると、秋谷は答礼を返した。両腿を叩いて、震える脚に喝を入れる。弘子達もそれに続いた。BUDDYを構え直して庁舎中央ホールの様子を伺う。
 同様の葛藤を乗り越えたのか、散発的な銃撃音がそこかしこから再開されていた。
 吹き抜けには成年男性頭部ほどの大きさの蝿蟲が飛び交っており、黒の雲霞が屋内を闇に閉ざす。防護マスクの閉塞感と重なって視界は不良。蝿蟲は獲物と見て取ったのか、第508班の方にも襲いかかってきた。
「 ―― 弾幕を張れー!」
 秋谷は担いでいたMINIMIを手にすると、5.56mmNATOを銃口から吐き出すのだった。

 非常階段は2階辺りで瓦解していたが、3階部分の踊り場は自分1人の体重ならば持ち堪えそうだった。“ 跳躍 ”すると同時に、扉を外から蹴破る。すぐさま蝿蟲が群がってくるが、突き出した掌が空間を掴んだ。空間を掌に圧縮させて、一気に握り潰す。
「 ―― それでもマジで雲を掴むようなお話だな」
 限が無い蝿蟲の襲撃に悪態を吐くと、片目式の暗視装置V8を装着する。米軍のPN/VIS-14とほぼ同型の暗視装置は、第三世代のイメージインテンシファイア(※光を電子的に増幅させる装置)で、レーザーポインタ等と併用する事が出来る代物だ。身を屈めた体勢で殻島は廊下を駆け出す。中央吹き抜けからは、下階の銃撃音が轟いていた。
「嬢ちゃん達、そしてその他には悪いが、抜け駆けさせてもらうぜ」
 身を震わせる痛みと悪寒に、奥歯を噛み締めながら殻島は強振った。誰が見る事も無いが。
 血が滾り、沸き立つ感じ。しかし、脳には分泌液が満たされ、思考が妙に冷めていっている。心の奥底で愛しさと、憎しみとが合い混じる。
 極一部の魔人特有の“ 憑魔共振 ”作用が、殻島を襲っていた。間違い無く、向かう先に奴がいる。
 庁舎3階奥にある議場の扉を体当たりで吹き飛ばす。肩から突進した勢いのまま、転がるようにして場内を横切ると議員席の陰に身を隠した。とはいえ蝿蟲は議場内の天井付近を飛び交っており、敵に死角は無いも同義だろうが。
 場内の天井を蝿蟲の群れが埋め付くす。3mを超える一際巨大な蝿蟲が殻島を睥睨している。蝿とも虻とも蜂ともつかず、膨れ上がった蒼紫色の身体と、交差した骨と髑髏の印章が刻まれている2対の羽根。
 殻島が9mm機関拳銃エムナインを構えて仰ぎ見た瞬間、
『 ―― 良く来たな、我らが同胞よ。強欲の“ 大罪者( ギルティ ) ”よ ―― 』
 魂を震わす威厳と魅力に満ちた美声が、脳内に響き渡る。だが殻島はしかめ面を崩さない。
「 …… 野郎、降臨を果たしていやがったのか!?」
『 ―― そんな事は無い。君達のお陰で、朕の身体を構築するのに充分な量は未だ足りないのは確かだ。君達が“ 蝿蟲 ”と忌み嫌う仔達は、朕の分身であり、そして身体を構築する肉体組織ひとつひとつであるのだからな ―― 』
 賞賛するような、それでいて哀しむような声色。
『 ―― とはいえ暗黒大陸侯は朕に忠義を尽くしてくれた。こうして朕の“ 意志 ”にして罪たる“ 暴食 ”は顕現する事が出来ているのだから ―― 』
「つまり、お前が核って訳か?」
 その問い掛けには答えずに、優雅に肩をすくめて見せるだけ。
 議長席の前で待ち受けていたのは、2mを超える長身の男だった。昆虫の触角にも似た、額から突き出た2本の大きな角。黒色の肌は豹柄の衣装をまとい、その眼は昆虫の複眼のようだった。そして背には蝿のものに似た2対の羽根が広がっている。
「一応、念の為に再確認しておく。―― お前がバールゼブブだな!!」
『 ―― 如何にも。ルキフェル[――]の盟友にして、“ 唯一絶対主 ”と僭称する 彼奴 に抵抗したフェニキア主神が成れの果て。…… 朕こそは七つの大罪の1つ“ 暴食 ”を不本意ながらも司る事になった大魔王バールぜブブだ ―― 』
 バールゼブブの口上が終わると同時に、殻島はエムナインをフルオート。フォアグリップを握り、反動で跳ね上がりそうな銃身を押さえると正確無比に9mmパラペラムを叩き込む。衝撃を受けて、バールゼブブの身体が揺れ動くが、その表情は涼しいものだった。
「 ―― 銃弾は確かに直撃している …… なのに効き目が無いってどういう事だ?」
 自分やキメリエスの様に、空間遮断による防護壁を張っている訳でも無い。銃弾は貫通し、傷口からは黒い血のような体液が流れ落ちている。だがバールゼブブは薄い微笑みを浮かべ続けている。
 25発弾倉が空となり、すぐさまマグチェンジ。しかし先に動いたのはバールゼブブの方だった。軽く片手を上げて、そして振り下ろす。僅か2動作で、流星雨が降り注いだ。天井付近を飛び交っていた蝿蟲の群れが、黒き弾丸と化して殻島に突撃してくる。瞬間転移で跳ぶが、蝿蟲は追尾弾としてなお加速して狙いを外さない。
 殻島は前方握把から右手を離すと、掌を向けて空間を握り潰す。だが息を吐く間も無く、死角に回り込んでいた蝿蟲弾が、戦闘防弾チョッキを貫いた。
 右脇後ろから体内に潜り込んでくる蝿蟲は、血を啜り肉を喰らうと同時に卵を産み付けてくる。エムナインを落とすと、殻島はナイフで傷口を大きく抉った。削ぎ落とされた肉塊をすぐに蛆が這い回り、そして新たな蝿蟲と代わる。
 出血が激しく、崩れ落ちそうな意識を何とか噛み締めると、殻島は無理にでも口元を歪ませた。引きつった笑みをバールゼブブに向ける。
「全包囲同時攻撃って訳か …… 可愛げがねぇな」
 バールゼブブは殻島の賞賛に応えるように、指揮棒を手にした男のように腕を振るう。羽音が大気を鳴動させ、更なる黒き弾丸が殻島を襲う。議員席の下に転がり逃げ込んだ。包帯を取り出すと、迷彩服の上から巻き付けて止血。そして携帯無線機に噛み付いた。
「 ―― 砲撃支援要請! 庁舎諸共吹っ飛ばしてくれぇ! 蝿蟲ごと殲滅せんと駄目だ!」
 あとは砲撃が開始されるまでの時間稼ぎと、バールゼブブをこの議場から足止めする事であるが ……。
「うわぁ、マジで死にそうぅぅっ」
 空間障壁も絶対では無い。軽口を叩きながらも、殻島の顔は青褪めていた。

*        *        *

 鉄の塊が壁を割り崩しながら進む。90式戦車が開けた穴から、零捌特務の荒くれ者どもが突入してコボルトやリザドマンを征圧していった。
「 ―― オヤジ! こちとら、ふんじばったぜ! 面倒なんで殺っていいか!?」
 コボルトの群れに銃口を突き付けながら懲罰部隊の前科者達が血気盛んに訊ねてくる。戦車の威圧に怯えてコボルトは屋内の隅に集まって身を縮めていた。命乞いをする奴等の仕草に憐憫を感じる。車内で栗林はこめかみを押さえながら、
「 ―― 待ちなさい。下手に死体を築けば、血の匂いに惹かれて蝿蟲が群がってきます。周囲に気を配って然るべき処理を」
「 …… じゃあ、焼却処分だな」
 ガソリンや灯油は貴重ゆえに、焼却するには一箇所に彼等を閉じ込めて、その周りを干草や木々で囲んで燃やす。一瞬で焼け死なない恐怖ゆえの残酷さ、暴虐さを思い浮かべて、栗林は眉間に皺を寄せた。
 奴等は無力だ。投降しているならば、見逃してやっても良いのではないか? かつては“ 別の世界 ”から現われた侵略者とはいえ、既に奴等は“ この世界 ”に適応し、生態系を築いてもいる。本来、結界維持部隊の役割は、超常体を生かさず殺さず、勝ち過ぎず負け過ぎず、その脅威度を一定の水準に保つ事である。キメリエス亡き今、もはや人吉の脅威は降臨しようとするバールゼブブ一体だけである。
 だが ―― そのバールゼブブこそが曲者だ。降臨の為に多量の贄を求める“ 暴食 ”。敵・味方の死体を己が肉体を構築する材料とする。死体に卵を植え付け、蛆として這いずり、そして増殖する蝿蟲。蝿蟲こそがバールゼブブの肉体組織だとしたら? 今や蝿蟲は死体のみならず生きているものも襲っている。ここで栗林が見逃しても、いずれ、この低位超常体は喰われるだろう。それはバールゼブブの完全降臨を早める事になる。ならば ――。
 鬼神の決意を以って、戦車に随伴している零捌特務に処分を命じようとした。彼等も心得たもので、躊躇いも無しに動こうとする。本来こういった嫌われ仕事の役回りこそが懲罰部隊なのだ。故に彼等に一切の躊躇は無い。コボルトの群れを手頃な家屋に押し込めると火を着けようとする ――。
 その時、救いの通信が入った。誰にとっての救いなのだろうか、それを今は考える事ではない。
「 ―― オヤジ。うちのボスからの連絡です。至急、砲撃支援を頼むってさ!」
「 ―― 了解です! 残敵追討作戦一時中止! これより90式戦車は支援要請を受けて、旧人吉市役所に向かいます。同じく譲渡された権限に基づき、零捌特務には引き続き戦車随伴を命じます。―― 各員、急げ!」
「Yes, sir!」「あいよー!」「へへ! ボスに1つ貸しだぜ」「 …… 返してくれねぇと思うぞ」
 栗林の部下が復唱し、続いて零捌特務隊員がそれぞれの形で返事する。コボルトの群れを尻目にすると、部隊は全速で移動を開始した。

 素早く安全ピンを抜いてMk2破片手榴弾を空中に放る。炸裂して爆風と弾体を撒き散らすと、蝿蟲の雨が一時的に止んだ。その瞬間に跳ぶと、バールゼブブに肉薄。至近距離からエムナインのフルオート。しかし、
「 ―― やっぱり効いてねぇ! ていうか、お前自身は攻撃せずか! 随分舐められたもんだぜ」
 悪態を吐くと同時にエムナインの銃身で殴り付ける。衝撃でバールゼブブの身体が、妙な歪みをしたが、その表情は涼しいままだ。
「朕が本気になれば、君など一瞬だ」
「うそぶいてんじゃねぇよ!」
 下手に距離を置いたら、蝿蟲の弾雨がくる。肉薄した状態で殻島はナイフを抜くと切り付けた。刃を喰らうバールゼブブの肉。その感触は ――
「藁を切っているみたいだぜ。実体はあるのに、抵抗が無い ―― まさか!」
 そう言えば先ほどから叩き込んでいる銃弾の傷口が掻き消えている。殻島は目を剥いた。犬歯を剥き出しにして睨み付ける。
「蝿蟲が分身であり、肉体組織ひとつひとつ。攻撃を受けるが、ダメージは無い。―― そうか、お前の特性は!」
「敵を知り、己を知れば百戦危うきにしかず …… とは言うが、君達は相手について知るという事を随分と怠っている様だな。―― 敵の特性を知れば、戦い方も自ずと見えてこようものに。だが今更気付いたところでどうにでもなるわけではない」
 バールゼブブは余裕の笑みを浮かべる。
「ましてや“ 強欲 ”の罪持つ アメン[――]の力を解放していない君など、朕の敵では無い!」
「馬鹿野郎、この力を解放したら、俺が俺でなくなっちまうぜ!」
 思わず叫び返す殻島。その胸を鋭い爪が引掻いた。防弾チョッキが切り裂かれる。いつの間にかバールゼブブの腹部から鉤爪を持つ触腕が生えていた。
「命拾いしたな。だが次はかわせんぞ! この距離では、お得意の空間跳躍もままならんだろう?」
 バールゼブブの肩から、槍のようで、鞭のような触手が無数に生まれると、殻島へと振るわれる。大きく舌打ちをし、せめて致命傷を避けようと思った瞬間、
 ―― 閃光と衝撃が間近で生じた!
 タイミングが狂って、床に己の身を叩きつける殻島。だがバールゼブブも不覚を取っていたようで、光と衝撃で潰れた複眼を押さえていた。追い討ちをかけるように銃弾の斉射!
 議場の扉を蹴り破って突入してきた第508班は、MINIMIで弾幕を張る。
「大丈夫ですか! 殻島准尉!」
「 ―― 大丈夫じゃねー! 暗視装置がオシャカになったじゃねーか。それと俺ごと殺す気かー!」
 怒鳴り返す殻島に、腹這いになった雫が表情を変えぬまま、
「 …… ん」
 そう呟くと、25mm重装弾狙撃銃Barrett XM109を撃ち放つ! 直撃と、そして衝撃でバールゼブブの左半身が破裂し“ 持っていかれた ”。
「だから俺ごと殺す気かー! そいつは空間障壁すらも貫通するから、洒落にならんちゅーの!」
「大丈夫! 殻島ちゃん、未だ生きているし!」
 そう叫び返しながら、琴美が押し寄せてくる蝿蟲に向かって破片手榴弾を投擲する。爆風と弾体が蝿蟲を吹き飛ばしていった。
「 …… それは結果論だろ」
 頬を冷たい汗が流れる殻島。だが、我に帰るとバールゼブブを仰ぎ見る。秋谷達もまた驚愕の表情を張りつけながら、弾幕を張り続けていた。
「 ―― やはり効いて無いのか」
 左半身を吹き飛ばされたバールゼブブだが、その表情は曇らなかった。傷口が盛り上がり、失った部位を復元させていく。
「奴の特性は、異形系だ! 核である身体を1つも残らず叩き潰さないと、殺し切れねぇ!」
 殻島の叫びに、合点がいった秋谷。とはいえ、焦りをそのままに乱射し続けるしか無い。…… が、
「 ―― ?」
 銃弾の雨に無造作にさらしていたバールゼブブの表情が始めて崩れた。怪訝な顔付きで復元中の部位を見る。復元していくはずの部位が、音を立てて床に落ち、そして腐臭を上げる。
「復元が …… 損傷に追いつかなくなった?」
 戦闘中だというのに殻島の傷を診る為に駆け寄っていた瑞穂が呟く。既に真っ赤に染まった包帯を破り捨て、新たに真白い布を巻いていた。
「ならば ―― 死ぬまで殺し続けるだけだ!」
 号令一下、バールゼブブに向かって集中攻撃がなされる。空がよたつきながら84mm無反動砲カール・グスタフを肩に担ぐと、対戦車榴弾を放つ。
「 ―― クッ!」
 さすがに余裕が無くなったのか、バールゼブブが背に生えた透明な2対の羽根を震わせて、宙に跳んだ。鳥と違い、昆虫の空中機動は自由自在。不規則的な動きで雫の狙撃を翻弄する。
「 ―― では朕も本気を出そう! これが、朕が“ 暴食 ”の罪を着せられた理由だ!」
 殻島は空間がざわめいたのを感じた。いや、正確にはこの議場に潜んでいた何かが蠢く気配。包帯を巻き終えて秋谷達の元に駆け戻ろうとする瑞穂に、逃げろと口が開いたが、その言葉は咽喉から出なかった。いや、強引にも抱きかかえてやるべきだった。
 一瞬にして、議場の生命力が“ 喰われた ”。
 蝿蟲が空間を埋め付くす。身体を這いずり、蝕む蝿蟲の群れ。全身から流れ出すはずの血すらも奴等の養分となり喰われていった。
 …… 退路を確保すべく議場の外にいた綾と博美は運良く逃れた。戦闘員として鍛えていた弘子、一美、雫、琴美は床に伏しながらも生き残った。魔人である秋谷や、空、そして殻島は言う間でも無い。だが体力の無かった瑞穂は ――。
 ありえるはずももない静寂が、議場を支配した。重い空気を最初に払ったのは、
「 ―― 『 死蝿の葬列 』。全てを喰らい、埋め付くす。生命力弱きものは朕の餌でしかない。さすがに今の朕では、君等全てを喰らい尽くす事は出来なかったが、完全に顕現した時には、この人吉の空と地全てを一瞬にして喰らい尽くしてくれようぞ」
 瑞穂の生命を喰らって、失った部位を完全に復元させたバールゼブブだった。
「 ―― くそったれが!」
 瞬時にして宙空にあるバールゼブブに肉薄すると、殻島は王蛇の牙を心臓部に突き立てた。そのまま、空間を圧縮して吹き飛ばす! それでも、
「未だ死なねぇのか、この糞野郎! いいだろう、お前は蝿蟲一匹、いや一片残さずに叩き潰してやらぁ」
「出来るものならばな!」
 哄笑を上げるバールゼブブ。殻島は秋谷の傍に降り立つと、
「 ―― オヤジさんに砲撃支援を要請している。合図とともにこの建物ごと吹き飛ばしやる。だが、それだけじゃ足りねぇ。少しでも奴の生命を削っておく必要がある。力を寄越せ!」
「 ―― 言われるまでもない!」
 弾薬が尽きたMINIMIを放って、肉厚の剣を構える秋谷。跳躍してバールゼブブを上から攻撃する殻島と連携をとり、下から振るう。
 男達2人が果断なく攻める合間に、少女達も哀しみを今は振りきって銃を取る。
「 ―― いい? 私がタイミングを測るわ。先生達の攻撃で、一瞬でもバールゼブブの動きが止まったときがチャンス。私の合図に合わせて集中攻撃よ」
 力を込めた視線をバールゼブブから逸らさぬまま、弘子が呟く。弘子の言葉に空が頷きながら袖口で涙を拭おうとする。だが恋人の涙は、琴美が代わりに拭ってやった。
「瑞穂の仇だ。皆、抜かるんじゃないよ!」
 ―― そして、その時が来た!
 殻島が首元にナイフを突き立て、背に秋谷が刃を切り込む。上下、左右、前後の挟撃にバールゼブブの動きが止まった。
「 ―― 撃てーっ!」
 琴美が破片手榴弾を投擲し、雫がXM109で狙撃し、一美に支えられた空がカール・グスタフで砲撃する。
「 ―― 栗林三尉に通達! ぶっ放せ!」
 秋谷が叫ぶと、綾が迷いもなく通信を入れる。殻島が残った生命を燃やして“ 跳んだ ”!

 既に仰角、距離の修正は測っていた。通信を受け、栗林は、すかさず砲撃。120mmラインメタル滑腔砲から放たれた弾が狙い違わずに旧人吉市役所庁舎を吹き飛ばす。自動装填装置が次弾を送り込む間にも、零捌特務から84mm対戦車榴弾が撃ち込まれていった。
「撃てーっ!」
 栗林の号令に再び120mm砲弾が撃ち込まれていく。砲弾の嵐を受けて、瞬く間に旧人吉市役所は灰燼と化していった。
「やったか …… ? ―― ッ! 次弾急げ!」
 瓦礫が大きく動く。そこから3m超の巨大な蝿蟲が飛び上がった。太陽光を浴びて、白く透明な羽根が眩しく震えている。
「 ―― アレが核ですか!?」
 だが確かめる間もない。飛び去ろうとする巨大蝿蟲を逃がさぬよう、栗林は三度砲撃を加えた!
「やったー!」「ざまーみろ!」
 歓声が沸き起こる。直撃を受けて、墜落する巨大蝿蟲。止めを刺そうと零捌特務がBUDDYを構えて突撃を駆けようとした。
 ―――― が!
 灰燼と化した旧人吉市役所から、さらに多くの巨大蝿蟲が羽根を震わせて舞い上がる。その数、軽く十を下らないだろう。
「 …… ちっくしょうめ! アレも、影武者に過ぎなかったと言うのか!」
 いつの間にか、外に現われていた秋谷が握った拳で大地を叩く。傍らには瑞穂の遺体を抱えた殻島が、死んだように意識を失っていた。少女達は長距離での空間跳躍に伴う、身が引き裂かれるような痛み、重い水の中を強制的に潜らされ、そして水面上に叩きつけられるように排出される感触に耐えかねて、ある者は意識を失い、ある者は周囲の目を気にせずに胃の中の物を吐き出している。
「どれが、本当の核なんだ ……」
 バールゼブブと影武者どもは巨大蝿蟲の姿のまま、ただ嘲るように人吉の空に留まっているのだった。

*        *        *

 空に身を解き放ったバールゼブブだが、人吉から動かず、分身にして肉片である小蝿蟲を使役して、死体や生き物を喰らっているだけだった。
「我々の攻撃を受けて、おそらくは顕現が完全では無いのでしょう。今は体力を温存ないしは回復しているのだと思います。もしもアレらが1つに集まれば数十mという極大な超常体となります。動く空中戦艦、いや小型蝿蟲が戦闘機とすれば飛行空母になりますな」
 栗林の説明に、菱刈は苦虫を潰した顔のままだ。
「 ―― 先ほど、バールゼブブが降伏勧告を寄越してきた。曰く『 汝らは餌だ。弱きものは朕の血肉となる他ない。だが朕が認めるほどの強き者は、朕の配下として喜んで迎えよう 』だと。また、全国各地に出現している他の魔王達を人吉に招聘しているらしい。何を意味しているか、解るか? 1匹だけでもはた迷惑なほど強力な異生(ばけもの)が、複数集まって軍勢を成すって言うんだ! 勝てるわけがないッ!」
 菱刈が吐き捨てる。酒があれば、人目を気にせずにかっくらっている事だろう。栗林は重い口を開く。
「それで、師団長は何と?」
「 ―― 6月中旬だ。6月21日の夏至までにバールゼブブ攻略が成されなかった場合、人吉を完全放棄。以後は、第8師団残存戦力を熊本城や各地の駐屯地に集めて拠点防衛に移ると言っている。…… タイムリミットは夏至の日だ。これは第8師団だけじゃない。維持部隊長官の命により、他の師団や旅団も、その日を境にして篭城戦に移すつもりらしい」
「夏至の日 ―― 何かが起こるのでしょうな」
 判らん、と菱刈は呟く。
「何にしろ、やはり本物の核を見つけ出して葬り去るしかありませんな。…… 蝿蟲全てを撃ち殺す事は事実上不可能に近いですから」
 栗林の言葉に、黙っていた他の幹部達も頷いた。
 ―― その時である。
 外が突如として騒がしくなった。バールゼブブが動き出したのかと慌てふためく幹部連。一喝して落ち着かせると、外の様子を報告させた。
「 ―― はっ、ははっ …… 柱ですっ! にっ、ににっ …… 西の方角にっ、光の柱が立ちましたっ!」
「 …… 西? 天草の方角だな」

 …… あらゆる通信機器から、電波ジャックした放送が流れてくる。凛々しい女声が響き渡る。
『 ―― 諸君』
 瑞穂の遺品を整理していた弘子と秋谷が、揃って顔を上げた。
『諸君』
 地図を広げて思案顔の栗林が眉根を寄せる。
『諸君 ―― 』
 女の声は、三度同じ呼びかけをし、
『もうすぐ約束されし時がくる! 安息と至福に満ちた神なる国が!』
 雫は愛銃の手入れをしながら、耳を傾ける。
『 ―― 私は 松塚・朱鷺子[まつづか・ときこ]、旧国連維持軍・神州結界維持部隊・西部方面隊第8師団第42連隊所属、第85中隊隊長だったもの。天草を拠点として腐れきった日本国政府からの独立を唱え、宣戦布告をしたものとして覚えておられるだろう』
 琴美の傷の具合を診ていた空が、手を休めた。
『かつて、私はこう言った。――我々は、日本国に生まれ育ち、そして超常体と呼ばれる来訪者達を身に宿したというだけで自由と生存権を奪われ、その裏に己の保身と私欲に走る愚鈍な各国政府と日本国政府との間に密約があったという事を!』
 放送主は一息吐き、そして爆弾発言を続けた。
『その証拠を今こそ示そう! その時が来たのだ。証拠とは ―― 』
 銀の鍵を弄っていた殻島の片眉が動いた。
『 ―― 私自身だ! 私という存在がその証拠である。私は …… 我こそは処罰の七天使が1柱“ 神の杖(フトリエル) ”―― 最高位最上級にある超常体、熾天使(セラフ)である!』
 奥歯を噛み締める音が聞こえた。
『我は、この世界に“ ”の御命による安息と至福に満ちた国を建てる為に、愚かなる者どもを打ち倒し、魑魅魍魎を祓い出すよう申しつけられ顕現した。己が自由と誇り、生命を守る為に、当然ながら我等に抗われるだろうと覚悟の上で、だ。しかし ―― 』
 悲しみと怒りに満ちた声が周囲に渦巻く。
『 ―― あろうことか、愚鈍な者どもは保身と私欲の為に我等に媚び諂うと、この国を売り渡したのだ』
 糾弾するフトリエルの声が天に満ちた。
『 ―― 怒れよ、戦士達。我は、同志であれ、同志で無くとも、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた諸君等に惜しみない賞賛と敬意を送る。と、ともに問い掛けたい。…… 我は諸君等の敵であるとされていた。確かに我等は諸君等を殺め、命を奪ってきたものだ。だが、真なる敵は諸君等から自由と権利を奪い取り、そして何よりも誇りと生命を軽んじている者どもではないだろうか!?』
 聞く者の心に、困惑と、そして嘆きが迫ってきていた。呆然が憤然に取って代わる。
『今一度、呼びかけたい。―― 我は約束する! 戦いの末、“ ”の栄光の下で、真なる安息と至福を諸君等に与えよう。ゆえに己が自由と誇り、生命を守る為に、この理不尽なる全てに対して抗いの声を上げよ。そして我等とともに戦い抜こうではないか!』
 …… 聖約が、もたらされた ――。

 フトリエルがもたらした衝撃が維持部隊員の心に浸透して、戸惑いと不審が人吉の地を支配した。
 そこに天を揺るがし、地を轟かせるような笑いの声が上がる。
「 ―― なるほど、なるほど! 真なる安息と至福とはモノも言い様だな、“ 唯一絶対主 ”を僭称する 彼奴 に盲従する拷問吏風情が! 彼奴 の意に沿わぬモノは全て虐殺してきた拷問吏の分際で、そのような甘言が出来るとは。なかなか舌が巧くなったものだ!」
 バールゼブブが羽根を震わせて哄笑を上げていた。
「拷問吏が騙る『 真なる安息と至福 』とは、それ即ち 彼奴 への服従の強制に他ならない。それで自由と誇りとよく吹聴出来るものよ! その言葉は、朕達こそが相応しいわ!」
 宙空にあるバールゼブブは、憐れみと嘲りの入り混じった眼で維持部隊を見下ろすと、
「 ―― 七つの燭台の1つが灯った。“ 天獄の門 ”がもうすぐ開かれ、裁きの神軍(かみついくさ)が光臨しようとする ―― 黙示録の戦いが起こるのだ。その前に朕は全てを喰らい、己の完全な力を呼び起こさねばならない。汝らは朕の為の聖餐である」
 バールゼブブの宣言とともに、悲鳴や叫喚が沸き起こる。蝿蟲の群れが人間、超常体の苦別なく襲いかかり、暴れ喰らうのだった……。

 
■選択肢
Sh−01)維持部隊として蝿の王と戦う
Sh−02)維持部隊として人吉復興活動
Sp−01)朱鷺子に呼応して叛乱決起
Sp−02)“ 主 ”に従いて蝿の帝王を討つ
Sg−01)“ 力 ”を求めて蝿の帝王に降る
Sg−02)脱走して独自に行動


■作戦上の注意
 当該区域では、大魔王降臨の余波を受けて強制的に憑魔の侵蝕率が上昇する。また死亡率も高いので注意されたし。
 6月中旬までにバールゼブブの核を討つ事が出来なければ、維持部隊は人吉を放棄して撤退する。バールゼブブは人吉を拠点に、低位超常体や維持部隊を餌として完全なる顕現を目指す(※少なくとも8月中旬までは動かない)。だが帝王の招聘に応じて、高位超常体、とりわけ“ 魔界 ”の王侯貴族(72柱の魔王)が集まり、軍団を結成。徐々に占領地を広げて行く事は予測に難くない。
 勿論、バールゼブブの核を見極めて討つ事が出来れば、蝿の帝王は“ この世界 ”への顕現を完全に断念するだろう。バールゼブブと戦う際は『どのようにして“ 真の核 ”を見極めるか』を必ず明記する事。記載無い場合、或いは、手段が外れた場合、バールゼブブ撃退は失敗すると思って良い。ちなみに『全ての蝿蟲を潰す』というのは事実上不可能である。
 ただし阿蘇の健磐龍命が封印から解放された場合、また話が違ってくるが ……。
 なお維持部隊に不信感を抱き、天草叛乱部隊改め、神杖軍に呼応する場合はSp選択肢を。蝿の帝王に降るか、或いは人間社会を離れて独自に行動したい場合はSg選択肢を。
 泣いても笑っても、次が『隔離戦区・神州結界』第8師団( 九州 = 阿弗利加 )編の最終回である。後悔無き選択を! 幸運を祈る!


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