対戦格闘的読み物

「強い人」と「上手い人」
 良く「上手い人が強いとは限らない」という、まあ言葉遊びのような定説があります。と定説だと思っていたら、SYURA氏あたりに同意しかねるとの返答をいただき幸先悪いのですが、まあ気にしない。自分なりに噛み砕いて解釈したところを説明いたします。

 「強い人」は間違い無く「上手い人」と言えます。但し「何が上手いか」という点でいわゆる「上手い人」と異なります。「強い人」が上手いのは「間合いの取り方」「相手の行動を読む事」といった、試合全体を俯瞰(ふかん)した上で満遍なく価値のある技術であり、これに対して「上手い人」が上手いのは「連続技を決める事」「緻密な連係を仕掛ける事」という局地的な技術である、といえます。勿論「強い人」はこの連続技の技術にも優れている事が多いのは事実で、それ故二者の差が表面的にはハッキリしないという事もありますが、逆に言えば、ダメージを与える上での動きに何の差もない二人のプレイヤーが、戦績では明らかな差が出てくるとしたら、それが「強い人」と「上手い人」の差である、という事です。

 昨今の格ゲーにおいては、この「連続技」というものが前提になっており、かつそれが多段化、高威力化の一途を辿っているので、「強い人」と「上手い人」の差は更に不明瞭になってきています。懐古趣味に走っているととられがちなストU信仰は、この現状に異を唱えていると好意的に解釈する事も可能でしょう。対戦格闘ゲームが手先の器用な人の高度な自己満足の場でしかなくなる事は実に嘆かわしいと思います。KOFなどに代表されるいわゆる「攻め攻めゲー」、速めのゲームスピードの中で展開されるひたすら猛ラッシュ、異様に長い連続技、一発食らったらそれだけで大勢が決してしまうあまりにも一方的な展開の応酬では、確かに目先の爽快感は高く、テクニックの向上というものも一目瞭然ですが、でもそれだけです。俗に言う「N択」というものは純粋な読みあいでなく、そこに持ち込まれた時点で既に流れを取り戻すのは困難な状況である事が大半、更に現在のゲームスピードでは対応する事すら一苦労、これでは「連続技や連係の技術の無い人」がそれ以外のスキルで渡り合うのは不可能です。ジャンルとしての閉塞を危惧する声があるのは、限られた器用な人達以外には真っ当に楽しむ術が無いと極言できかねないこの現実に気がついているという事でしょう。

 まあこんな現象は何も対戦格闘に限った事でも無いでしょうが。例えばシューティングだって、ゼビウスとギガウィングを比較する事など愚問とさえ言えましょうし。最近のメーカーさんは「派手で複雑で敷居が高い事」が最低限求められるスペックである、と勘違いされているみたいです。ゲーマー志向といえば聞こえは良いのでしょうが、そんなだから音ゲーに足元すくわれるんじゃないかと思っておる次第です。

 ・・・何だか単なる愚痴みたくなってしまいましたな。そのうち「ゲームとはなんぞや」とかいう重いテーマに発展しかねない勢いなのでこの辺でやめときましょう。蛇足ですが、めくりループが上手いだけの人はトラウマ込みで「強い人」とは認めません。