
B型だっていいじゃん
どうも「血液型はB型です」なんて言ったりするとよろしくない傾向がある。
「自分勝手」「無神経」等々、嫌なイメージがついてまわるのだろう。
特に女性だとマズイらしい。最近なんて、サッチーと林真須美被告はB型だという雑誌記事もあったくらいである。
血液型で人を判断するのは偏見に他ならないと憤慨している人も少なくないのではなかろうか。
かく言う私もそういう偏見を持っていた一人だった。
「B型のように気ままに生きる人間に私の考えることなんかわかりっこない」
そう信じて生きてきた。あの日までは。
それはいつもと同じような夕方だった。私は会社で残業していた。
唐突に、私宛に一本の電話がかかってきた。母親からだった。
「アンタ大変よ!!お父さんがB型だったのよ!!」
その頃父親は肩を痛めて入院、手術していた。血液型は幼い頃調べてもらった通り、O型だと思い込んでいた。母親もO型であるから、私は調べなくてもO型のはず、だった。
ところが、手術の際父親の血液型を調べてみたら実はB型だったと言うのだ。
「アンタもちゃんと調べないと危険だからね」と、受話器越しに言う母の声を聞きつつ、私はただただ呆然としていた。
週末、私は血液検査も兼ねて献血をすることにした。
受付の看護婦さんに「血液型は?」と聞かれて「わからないんです」と言うと、ちょっと血液を採って試薬に混ぜていた。実は血液型がわかっていてもそうするというのは後に知った。
二種類ある試薬を見てみると、片方が明らかに凝固しかかっていた。
「O型って、確か凝固しないんだったよな・・・・」
このあたりでかなり「きっと私はB型なんだろう」という、諦めにも似た気持ちになってきた。
「なんでよりによってB型なの?」と思う気持ち。
「最初からB型だとわかっていたら人生変わっていたんだろうか?」と思う気持ち。
「ああいう風に生きられたら」と思う気持ちも確かにあった。
友人にも、大人になるまで血液型を勘違いしていた子がいたが(B型→O型だったそうだ)、彼女は自分の本当の血液型を知ったとき「血液型なんてあてにならない」と強く思ったという。
しかし私は「少なくともB型だけは性格判断できると思う」というのが長年の持論だった。そうそう簡単には変えられそうもない。それだったら自分もその仲間なのだと受け容れるほかないだろう。
数週間後に送付された結果は、やはりB型だった。
しかしその頃には、諦めとはまた別の感情もあった。
それは、久しぶりに会った高校時代の友人に会った時「アンタ昔よりずっと明るくなったよね〜」と言われたことで確信に変わった。
B型に対する偏見が、単純な私にはどうも有利に働いたらしい。
それ以後、私は
B型であるということに誇りを持とう!!
と決めた。
別に何言われたって構わない。B型だっていいじゃん!!
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