Go for a drive!!
その日、かなりな我が儘の行使で京はドライブの為に庵の車を出させることに成功した。
車窓から眺める景色の後ろに雲一つない青空が広がっている。
澄んだ大気の所為か、浮き立つ気分のためか、明るさを増したような空の青に季節の移り変わりを感じて、晴れわたる空同様の清々しい気分に包まれている。
「天気が良いからどこかへ行こう」と誘う京を、庵は一瞬視線を投げただけでコーヒーを入れてリビングの定位置でくつろぎ始めてしまった。
庵のその行動自体が京に対する答えになっているのだが、それで諦められるほど物わかりの良さを京は生憎と持ち合わせていなかった。
なぁ、なぁ、行ーこーうーってば、よぉー!
延々と横で騒ぎ立てられ、挙げ句後ろから首にヘッドロックを掛けられる至り、庵の方が折れた。
ここまでしつこく誘うのを無視しても、後の拗ねたガキの相手をしなければならないのも自分だ…と自分を落ち着かせる呪文を唱えつつ、庵は渋々といった体で京を引き剥がして、この春一番のお気に入りとなっているダークグレーのウィンドブレーカーを羽織る。
キッチンカウンターに置かれた車のキーをポケットに突っ込み黙って身支度を始めた庵の様子に、何も言ってないうちから「やっりー♪」と京が浮かれ始める。
その様子に庵は「お前、いくつになったんだ…」という言葉をため息にすり替えた。
きっと何を言っても無駄なのだ。自分に都合の悪いことが京の耳に届くことはあるまい。
虚しくなる気分を払拭する為、窓から見える晴天に外出も悪くないと庵は思うことにす
る。
特に目的地があって車を出したワケでもないので、庵は海にはまだ時期が早いかと思い山の方に向かった。多少の遠出も一旦車に乗ってしまえば苦にならない。
「んで、どこ行こっか?」と隣で京が地図を広げる気配を感じつつ、庵は正面から目を離さずに「奥多摩」と答えた。
横から浴びせかけられる不満を黙殺して、片手でハンドルを操りつつ、一瞬視線を彷徨わせて煙草の箱を探す。
運転するのは自分なのだから行き先ぐらいは決める権利を主張したい。そう思いながら庵は器用に片手で箱を振って出てきた煙草を一本銜えると、横から京が目的地への文句を言いつつも庵の煙草に火種を用意してくれた。
慣れてはいないが何度か通ったことのある道筋を、庵は記憶を頼りに運転している。
京を相手にしていると、大人になれと自分に思いつつ、どうも京と同じレベルにまで下りていって相手をしてしまう。偶にそんな自分を、自分もバカなんじゃなかろうかと思ってしまう。近頃、庵は自分の学習能力の低迷を最近は嘆いているのであった。
山間部は平野に比べて気温が低い為、桜は今が見頃の満開だった。都心の公園にあるような樹と違って、背景にしっかりとした自然の風景がある桜は全く趣が違う。儚げな色が薄く、どこか凛々しい風情があるような気がする。
「うわー…、すっげ…」
道路の横にあった空間に車が土で汚れるのも構わずに庵が停車する。
助手席の扉を閉じるのも忘れて京は渓流の堤に自生しているらしい桜に感嘆の声を上げている。
まだ車内に残っている庵は身を乗り出してダッシュボードを開くと、サングラスを探し出してそれを掛けてから車を下りてきた。瞳の光彩の色が薄い庵には陰りのない日差しは眩しく、ファッション性の高い青のグラスでも無いよりはマシだった。
二人で黒い車体を挟んで立って、暫くの間は黙って桜を眺めていた。川の水流が聞こえそうな静けさの中、春を告げると言われる愛らしい鳥の囀りが対岸から聞こえる。
「…ウグイスか」
「あぁ、最近のガキは鶯なんて分かんのかなぁー…?」
「さぁ、どうだか…」
首を傾げて問いかけてくる京に、庵は肩を竦めて素っ気ない答えを返した。
自然の残っている地域に育てばともかく、庭に緑がある家も疎らになった都会で鶯を知る子供がどのくらい存在するのだろうか…。
生真面目な庵の表情に彼の思考を読みとってか、京は「オレなんか、ガキん頃なんか、山とか海とかばっかで遊んでたぜ?」と昔を思い出しながら話かけてくる。
こういう時に思い出すのは楽しかった事ばかりで、京の表情がとても明るい。
屋内でゲームばかりしている姿よりも、外で盛大な擦り傷を作りながら遊んでいる姿の方が京には似合いで、さもありなん…と京の台詞に庵の口元に微かに笑みが浮かんでいる。
「昔さー、海行くと素潜りでウニとか取ったりしたよなぁ〜。山に行けば野イチゴ食ったりとかしたしよー…」
懐かしいなーと続けている京に庵は当時の彼の姿を想像するのは難しい事ではなかった。
目に浮かぶような光景に「野イチゴはともかくとして、ウニは犯罪だろう…」と過去の事とはいえ京の行動に頭痛がしてきそうだ。
未だにこんなに悪ガキ振りを発揮しているのだから、加減を知らない子供の頃がどんな素行だったかは想像に難くない。
「庵はそういうのしなかった?」ニコニコしながらの京の問いかけに、変化の少なかった昔の事を思い出して庵は首を横に振った。
「いや、俺はあまり外出自体をさせてもらえなかったからな」
犯罪まがいの事をした記憶もないな…と庵は心の中で付け加えるのも忘れずに。
それから暫くは他愛のない話をお互いにしていた。
今シーズンのグランプリレースの話から京には首尾範囲外だった知事選の予想まで。
幅広く飛ぶ会話をしているうちに、話は再び小さい頃の話題になった。
「オレさー、昔キャンプで死ぬかと思った事があるぜ」
そんな事を言い出した京に、何故にキャンプで死ぬような目に遭うのかと思うと、庵はもうその先を聞くのが嫌になってくる。
しかし、庵の心情を無視するように京は先を続けている。
「キャンプの時って薪でカレーを作ったりするじゃん?」
「? そうだな…」
カレーを作るくらいで死ぬ目に遭うとも思われず、庵は小首を傾げつつ相槌をうった。
学校で行うキャンプ時の食事は普通女子がやらなかっただろうか…という疑問も沸いたが、京だったら何でもやりたがったのかも知れないと思いつつ庵は京の話を聞いていた。
「鍋の準備が出来るまで薪燃やしてたんだよ、オレ。んで、キャンプ場行く途中の山道でキノコを見つけてたんで、あの火を借りて焼いて試しに食ってみたらさぁ…」
話の途中であまりの展開に庵は口元に手を当てて天を仰いだ。
現場であった出来事を目撃したかのように、庵の脳裏にその光景が想像できてしまった。
当時の担任はこんなのがクラスにいてさぞや大変だったろう。本当に生きた心地がしなかったのはおそらく付き添いの教員の方だろう。
「そしたら、もう大変だった…。本当に死ぬかもしれねーと思ったぜ、あん時は。」
飄々とそう続ける京に対して、キノコなんかを拾い食いするんじゃない!お前は!!と心の中で罵声を浴びせつつ、庵は声に出して「お前よりも教師どもの方が大変だっただろうが…」と力なく呟いた。
「えー? だってあんなに苦しい目に遭うとは思わねーじゃん? 普通」
庵の予想の枠からはみ出さない京らしい台詞に、セットしていない前髪を掻き上げつつ天を仰ぐと、陰りのない陽の光が色の薄いグラスを通して庵の目を射る。
それに眉を顰めると庵は日陰を求めて車を少し離れた木陰へ京を残して無言で移動した。
「何もそんなに呆れなくったって…」と不満を漏らしつつ、京も庵の後に着いてくる。
京と居ると風情を楽しむという余裕が無くなってくる気がして、庵はドライブの行き先を此処にしたことに今は僅かな後悔を覚えていた。
庵としては、折角のドライブならば、惰性的な日常の気持ちを入れ替えるキッカケになればと密かに考えていたのだが、その思惑も京によって見事に裏切られた感がある。
どこに行ったとしても京のペースになっていたのは明白な気もするが、その予想は庵としては彼のプライドに引っ掛かる部分がある予想…というか予測だった。
それでも、仕方がないかと庵の口元に自然と苦笑が浮かぶ。
何しろ全て置いて「規格外」な草薙京のことだから。
それに対しても別に不快感も怒りもない。
ただ、「仕方がない」と苦笑が漏れるだけ。
それは自分の中に存在する京の占める領域が確実に広がっている事を現しているのだろうと思える。
それもまた不快ではないのだから、それでいいのではないだろうかと結論付けて、庵は再び野生の桜に視線を向けた。
−終−
初出 : 1999.07.24(?)
最初、会社の更衣室で「家の近所でウグイスが鳴いてたよ〜」「ウチ、どこの田舎かと思われちゃうよねぇ…」って話をしてて、思い浮かんだのがこの話。 自分で書いてて「京ちに、こんな過去が…!!!」って思いました。てへ。
京ファンには読まれたくないかも…。だって、怒られそうだもん。(苦笑)
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