a nap after dinner

 暦上では月見のシーズンを迎えたものの、日中の熱気を孕んだ都会の夜は未だに蒸し暑い。
 それでも、すこし郊外へ向かえば秋を告げる虫の声が涼やかに草むらから細く洩れ聞こえてくる。



「あつー…」

 いつの間にか眠ってしまったのか、板張りの床の上で横になっていた。
 汗で湿りけを帯びた肌にシャツがまとわりついて気持ち悪い。
 読んでる途中で眠ってしまった為に、腕の下になっていた雑誌は、汗ばんだ肌に貼り付き湿り気を吸って紙が波打ってしまっている。興味の対象から外されたそれは、今では不快感しか生み出さず、自分の体の下から引きずり出すと床の上を滑らせて自分から遠ざけた。
 目は覚めたものの身体を動かすのが億劫でゴロリと寝返りを打つ。そして、目に入った光景に視線が釘付けになった。
 自分の正面、テーブルを挟んで反対側の床には赤い髪が散らばっていた。

「う、わ〜…」

 思わず小さな声を漏らして息をのむ。
 すこし身を屈めるようにして丸くなって眠っている庵の姿は、彼の長身に似合わず可愛らしい感じがした。
 何か得した気分?などと思いつつ、思わず何とはなしに床の上をゴロゴロと転がってみる。
 俄かに騒がしい京の気配にも気付かず、庵は全く起きる気配もなく、規則的で健やかな寝息をたてている。
 うつ伏せて組んだ手の上に顎を乗せて、その様を鑑賞していた京の視線が柔らかそうに絡み合っている庵の細い毛先に留まる。
 普段はなかなか触らせてもらえない庵の赤く染め上げられた髪。それに無性に触れてみたくなって、京は床の上をずるずると匍匐前進の要領でだらしなく移動をはじめる。
 横になって眠っている庵の頭側に回り込むと、腕を伸ばして彼の髪に触れる。
 自分が眠ってしまってる間にシャワーでも浴びていたのか、少し水気を帯びた髪がパサパサと指の間から零れていく。
 暫くそうやって庵の髪の感触を楽しんでいたが、その行為を止めてコーヒーを淹れる為に起きあがってダイニングに向かった。
 何だか、お湯を沸かしてドリップでコーヒーを淹れたい気分だよな〜…などと思いながら。
 ゆったりとしたこの贅沢な時間を、まだ壊さずに楽しんでいたい。

 庵は京のささやかな幸福感も知らずに、まだ呑気に寝息をたてたままでいる。





 夕方、中途半端な時間帯にうっかり昼寝などをしてしまった為、夜になってする事がなくなっても一向に眠気がやってくる気配がない。「明日、月曜なんだよなぁ〜」などと緊張感なく思いつつも、眠らねばならない事を京は自分でも理解していた。
 出席日数不足を補修と課題で帳消しにしてもらうにも限界というものがある。
 欠席しなくとも、遅刻3回で1日欠席の扱い。寝坊が原因で遅刻していられるような楽観的な状況ではないのだ。
 京はベッドの上で片膝を立てて座りながら、「どうしたモンかなぁ〜」と煙草をふかしている。一度眠ろうと寝床に潜り込んだものの、ゴロゴロしているだけに飽きてしまい、直ぐに起き上がってしまった。
 する事もなくぼーっとしているものの、一向に訪れない眠気に京の口からは煙草の煙と一緒にため息が漏れてしまう。

「参った…」

 別に大して困っていない口調で暇潰しのように言葉が口をついている。
 立てた膝の上で器用に頬杖をついた京が更にぼーっとしていると、寝室の扉が開いて首にタオルをかけた庵が入ってきた。
 寝る前にも汗を流そうと再びシャワーを使用していたらしい。

「…何故、お前がここにいる」

 既に就寝済みかと思っていた京が自分のベッドの上で灰皿を持ち込み喫煙中の姿に、庵が憮然とした表情で相手に問いかける。
 悪びれない態度で「いやー、眠れなくなっちゃって」と灰皿に煙草を押しつけて揉み消すと、それをヘッドボードの上に片付けて、相変わらず膝に頬杖をついたまま庵に苦笑してみせた。
 本当は自分の寝室になんか行かないで庵の寝室直行だったのだが、余計なことを言うと煩いのでそれは黙っている。

「だからと言って、何故ここにいる」

 相変わらずの連れないお言葉に「いおりんに構ってもらおうと思って」と茶化して答えると庵にため息を吐かれてしまう。
 一見拗ねてしまう反応だが、実は京にとってちょっと嬉しい反応なのだ。庵本人に自覚はないようだが、彼がいつもため息を吐きつつ自分の我が儘に譲歩してくれているのを、京の方はこれまでの経験で学習してしまっている。
 ここで余程庵の機嫌を損ねることをしなければ、文句を言いつつも自分に付き合ってもらえるのを京は素早く察知して、努めて嬉しげな表情にならないように気を付けた。

「ゲームなら付き合わんからな」

「ん〜? 別にイイよ。それより何か話そうぜ」

 ウキウキと庵を手招く京の様子に「何かって何だ」と言わんばかりの表情を浮かべていたが、京がベッドで自分のいる横を叩く姿に渋々という感じではあるが足を運んだ。京が子供のように無邪気な笑顔を浮かべるのに益々渋い表情を態と浮かべてやりながら。
 灰皿置き用に配されたサイドテーブル上には、京が持ち込んだデジタル表示の目覚ましが乗っていた。それに目を留めて庵が疑問を口にする。

「京。お前、明日は学校だろうが?」

 時計はあとすこしで日付が変更されることを告げていた。庵の有り難くも親切な問いに、それで困ってたんだよと京は苦笑する。
 ぎしりとスプリングを軋ませてベッドに片膝を乗せた庵に京が手を伸ばす。
 だから眠れるように庵が協力してよ。
 そう低く京に囁かれて苦笑が漏れた。京の姿を自室に見つけた時から、相手の魂胆がどうせそんなことなのだろうと庵は思っていたので。

「身体動かせば眠くなると思うからさぁ…」

 そんな身勝手なことを言う相手に苦笑しか出てこない。

「なぁ、庵ってば…」

 いいだろう?なんて、自分の受諾がなくとも結果的には自分の好きなようにする癖に許しを請うような眼差しを向けてくる。

「馬鹿なことを言ってるなら、さっさと寝る努力をしたらどうだ」

「眠れないから困ってるんじゃん」

 だからさ…と更に言い募る京に諦めの眼差しになった。
 自分に対して零れた溜息を庵の了承の意と受け取って、京が嬉しそうに庵の身体を引き寄せようと捕らえた相手の腕を引き寄せる。
 その力に抗って京の注意を引いた庵が、「一回しか付き合わんぞ?」と微かに笑いながら京に釘を刺した。



 翌日の月曜。京の出欠欄に斜線が引かれたかどうか庵は知ることが出来なかった。
−終−
初出 : 1999.09.03
 ん〜、出典は会社同期の夫妻の実話から…。スマンね、私の頭の中でこんな風に変換されちゃって…。(笑)
 いや、でもいつの間にか2人で昼寝…つーか夜寝?してるのが可愛いなぁーっと思ったのさ! しかも、眠れなくなっちゃったっていうのが、超!ツボよぅ〜って思って…てのはダメ?(笑)

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