オトナになれない
祝日の為に飛び石で休日になっている週末、勝手に土曜日の自主休講を決め込んで、普段より一日早く「お泊まり」に来てみれば、扉を開けて直ぐにダンボールの箱が二つ積み上げられていて入室者を阻んでいる。
「なんだ、コレ…?」
二日前に来たときには存在しなかったものに首を傾げながら部屋に上がってみれば、リビングでソファに腰掛けた庵によってテーブルが散らかされながら、ここにも持ち込まれて彼の足下に置かれたダンボールが開けられて中身を広げられていた。
「………何だぁ?」
驚きに声のトーンが跳ね上がった京に視線を一瞬だけ向けたものの、八神は直ぐに視線を手に持った彼には似合わなすぎるファンシーな便せんに落とした。
「何してんだ?」
「この間のライブで差し入れを貰った」
ライブの後に声を掛けられて、「今日の差し入れは量が多いんで、後日車で届けに行きます」というローディーの言葉に素直に頷いたものの、そんなに量があるとは思っていなかった。
それにしても量が多すぎるのではという京の問いに、素っ気なくそうだなと一言だけ返事が返った。処分をどうするかの方が気になっているし、その殆どを人手に渡すつもりの庵にとって量に対する興味はないらしい。相手にされないことに不満を感じはしたものの、取り立てて邪魔をしようという気にはならなかった。
読んでいるものが何であれ、庵は活字を読んでいる時に邪魔されることを好まない。
ゆえに、よほどの事がない限りは邪魔をしない方が得策。
それが京の中では方程式化していたから。
庵の指が手前の紙を挟んで後ろへ送る。キッチンでコーヒーを入れている京の耳に、カサカサと紙の擦れる微かな音が届いた。
「お前もコーヒーいるー?」
自分の分をサーバーからマグカップに注ぎながら声を掛ければ、唸っているともとれるような返事に苦笑してしまう。
お前には薄いかもと声を掛けながら散らかったテーブルの上に場所を作ってカップを置いてやった。
ふと動きを止めた庵が一瞬だけ視線を京と合わせたが、何も言わずに手に持った手紙に意識を戻した。
おそらくは、礼を言おうとしてそれを口に出せなかったのだろうと見当が付く。だから、京は素直じゃないと小さく口を尖らせたものの、口元が意志を裏切って自然と笑みを象って複雑な表情を見せていた。
「これ、今回、量がマジにスゲくねぇ?」
首を傾げながらテーブルの上の物や、まだダンボールに入っている中の物を物色する。
とても小さいラッピングされた箱もあるが、箱の形は様々だが大体の大きさは揃っているような気がする。不可解そうに庵を伺えば、貰った物に興味がないのかアッサリと「好きにしろ」と許容の言葉を投げて寄越した。
「…え?マジ??」
「構わん。…但し、手紙の類には触るなよ」
注意事項はあったものの、本当に貰った物自体には興味がないらしい。
なんだぁ?とブツブツ言いながらも、手近な包みの紙を乱雑に引き裂きながら開けるみる。その中には個別包装されたお菓子が等間隔に並べられていた。
ちょっとした心当たりに電話台に置かれた卓上カレンダーを振り返る。
二月十一日。金曜日。
先ず京の頭の中にやってきたのは、大量のダンボールに入れられた中身の理由。
なるほど、それでか…。
バレンタイン近くにライブが行われた所為で、普段は差し入れなどしないような子たちまでがチョコレートを持って来たのだろう。気軽に自分の贔屓のメンバー以外にも持ってくる、その結果がこの山のような包みの正体なのだろう。おそらくは。
けれど、その次にやって来たのは、不快感。
八神庵に向けられる自分以外の感情を形として突きつけられる不愉快さ。
自分以外にも彼に手を伸ばす存在があることの立証。
それに対する理不尽な怒りはとても理性で押さえられる類のものではなかった。
京はムカムカしながら手に持った物を睨み付けていたが、顔を上げると開封されている封筒から新しい手紙を取り出している庵に声を掛けた。
「チョコ、くれ」
「………何だって?」
唐突に言われたことの内容を理解しきれずに思わず聞き返してしまう。日本語が判らなかった訳ではなくて、庵は要求された状況が飲み込めなかった。
「だから〜、バレンタインデーだろ? チョコレート、くれよ」
どう見ても正気で真面目に言っているようにしか見えない相手に、庵は唖然とした顔を見せた。
「ちょっと、庵ちゃん、酷いじゃない〜」
普段なら気色悪いと思う京のオネエ言葉も今は気にならなかった。
馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが。
「…やはり、馬鹿だったな」
製菓業界が習慣化してしまったような謂われのない行事に自分が付き合う義理はない。
途端に頬を膨らませる京に冷たい一瞥を与えると、付き合いきれないとばかりに庵が完全無視の姿勢に突入する。手に持ったままだった折り畳まれた便せんを広げて黙々と目を通していく。
だが、その程度で諦めるような物分かりの良さを持ち合わせない京は、当然のように庵の作業の邪魔を始める。
そうされると俄然ムキになってしまう自分も大人げないとは思うものの、だからといって京を相手に譲歩を見せるのは癪に触って我慢が出来ない。
「おい、コラ、無視すんじゃねーよ。チョコ! チョコレートくれったら、くれっ!!」
暫くの間はそのまま無視を決め込んでいたのだが、延々と横で騒ぎ立てる京に忍耐の糸がふっつりと切れた。
庵が手近にあった箱をひとつ手に取って投げつけると、彼の狙い通りに京の頭に的中した。
「カドが当たったじゃねーかよっ!」
「そんなに欲しければ好きなだけくれてやる。勝手に持っていけ」
テーブルの上を顎でしゃくるようにして示されて、瞬間的に京の頭に血が上ってしまった。
そんな物が欲しい筈がない。
庵が自分の為に用意した物でなければ。
激昂した声で京が庵に対してそう訴えても、理解する気がないらしく相手にしようともしない。
その態度に怒りの頂点を更に引き上げられた京が、庵の胸ぐらを掴みあげようとしたがその手を邪険に振り払われた。
一歩も引かないという気合がどちらにも漲る睨み合いが暫く続いたが、京が不貞腐れた表情で先に視線を外すと、彼は背を向けると無言で部屋をスタスタと出ていってしまった。
拍子抜けしたように出ていったリビングの扉を見つめていると、その向こうからガンッと力任せに何かを蹴り付ける音がしてから玄関の扉が派手な音をして閉じた。
庵が口の中で悪態を吐いて顔を顰めたが、ある事に気付いて眉間に深く皺が刻まれた。
玄関のダンボールの一番下の箱には、貰ったアルコールの類を入れてあった筈だった。
この場から居なくなった相手に対して一通りの罵詈雑言を声に出さずに浴びせ掛けると、玄関先にアルコール臭が充満してしまう危惧から仕方なしに庵は重い腰を上げた。
些細なことで殴り合いになるのも嫌だったし、自分を我慢することも出来ないしで、勢いに任せて庵の部屋を飛び出しまったことを、京は今更ながらに後悔していた。
けれど、今から彼のところへ戻るのもバツが悪過ぎる。
この週末は自宅で過ごすしかないかと思うと、休日を楽しみにしていた気分は萎んでしまった。
「ちぇ、庵のけちんぼー…」
思わず恨めしげな言葉が口をついたが、貰わなければ嫌だとかそこまでは流石に思ってはいなかった。それでも拒絶されるとやはり堪えるものがある。
歩を運ぶ足が元気なく進んでいくのを自分で見下ろすだけで溜息を吐いてしまった。
庵が個人としての自身に異常に関心が薄いのは知っていた。
それはオロチの呪縛から解放されたはずの今でも、相変わらず自分自身に対して無頓着なまま。
だから、庵個人として他人と関わることにも未だにとても無関心で。相手に何かを望まないと同時に、自分からも何も働きかけない。
二十数年掛けて培われたその在り方自体が庵にとっては自然だと判ってはいても、納得することが出来ない。
けれど、自分の感情を押しつけてしまう行為には、京が自分でイライラしてしまう。
自分の苛立ちが相手の苛立ちを呼んで、結果として喧嘩になることはよくあることだ。
悪循環だと判ってはいても、頭に血が上ってしまえばそれを思い出すのは無理だった。
自分の方に非が多いんだろうかと考えかけて止めた。どちらが悪いなんて当事者の自分が考えたところで、偏った見解を並べて余計に不満が増えるだけだろう。
ひとりで冷静に考えれば判っていることが、実際の場面では全く役に立たない。京にはよくあることで、だから紅丸に学習能力がないと嘆かれることがよくあるのだ。
おそらく物のやり取りに伴っている感情の流れというのが、庵には理解できないのだろうと思う。憶測でしかないが、たぶんそういった出来事に対面する機会が稀少だったに違いない。
誰かから何かを贈られて嬉しいという感情が判らないというなら、
それが今までの時間を掛けて存在する彼だというのなら、
生まれてから現在までと同じ時間を掛けたとしても、自分がそういうことを教えたいと思う。
いや、そうしたいと願っていると言ってもいい。
いつか何かの折に思ったことを思い出した時に、京は庵にチョコレートを要求したのは間違いだったと気付いた。
「………マズったか」
そもそも、人から物を贈られて嬉しいと思わない人間が、率先して誰かに贈り物をするとは考え難い。それ以前の問題として、バレンタインに庵がチョコレートを渡す側に立つなどありえないことも判ってはいるが。
それならそれで、自分がどうするか考えがある。
自分の思いつきにイイ考えだと自画自賛すると、京は自宅へ向かっていた足をいそいそと駅の方角へと向きを変える。
行き着いた先は、駅前の百貨店。
この時期特有のデパート地下や、入り口付近に設けられた特設コーナーの異常なほどの混雑ぶり。
それに一瞬気後れしたものの、気を取り直してその売り場に足を踏み入れた。
店員以外にはコート姿の女性しかいないのでは?という売り場に、黒革でシングルのライダーズジャケットを身に纏った京は、頭ひとつ分以上が人波から飛び出していて異常に目立っていた。
「…うわっ、スゲェな、こりゃ」
人の多さに辟易しつつもキョロキョロと辺りを見回す。
日本人男性として平均以上の彼の身長は、周囲に女性しかいない状態になると視界が遮られるような事はまず有り得ない。
物珍しそうに立ち止まって暫く周囲を伺っていた彼は、ある一点に目を留めるとそこへ向かってスタスタと歩を進めだした。
「決定! あそこにしよー♪」
男性に不似合いなこの場所で足取りも軽く、最も女性が殺到している店舗に向かう。陽気なハミングすら聞こえそうな雰囲気だった。
怪訝そうな視線も、邪魔だと言わんばかりの視線も彼が意に介することはない。
いつどこで何をしようが、自分の自由。それで不都合がある相手はそれなりの対応を自分の裁量で取ればいいのだ。
そう思う京は飽くまでも根っからの格闘家で、世界的な格闘大会の覇者に相応しい物の考え方の持ち主だった。
ガラスケースの前に群がる女性達の身体に覆われて、そのケースの中が判らない。顎に指を添えてうーんと首を小さく傾げながらケースを眺めていると、背後にいる男性の気配が怖かったのか人波が崩れて並べられた商品が彼の目に入った。
「うわ〜、何だ、そりゃー…」
ケースの中で銀盆に載せられ綺麗に並べられているチョコレートに添えられたプレートの数字に軽く目を見開く。自分の価値観と大きく異なるその価格に内心では驚嘆の声を上げていた。
それでも、考える素振りを見せたのは一瞬だけ。
「済みません、えーっと、これ、この…」
店員の若い女性の驚いた視線を無視して、にこやかな得意の笑顔で自分の欲しい商品を注文する。
店員のみならず周囲の女性客も驚愕している中、京はチェーンに繋がれた財布から札を出して会計を済ませると、黒字に店名とロゴマークが金の泊押しでされているチョコレートで有名な店のペーバーバッグを受け取った。
用は済んだとばかりに立ち去る彼の背を女性達は唖然と見送ったが、やはり「この店で買うからには本命チョコ」と入れ込みがあるのか、彼女たちの関心は直ぐに自分の買い物に戻っていった。
バレンタイン商戦真っ只中、チョコレート売り場に現れた男性が彼女たちの関心を引くのは、おそらく、買い物が終わって休憩がてら喫茶店に入って落ち着いた頃のことなのだろう。
何だったんだろうね、あの人。
何しに来たのかしら。
チョコ、貰えないタイプには見えなかったんだけどなぁ…?
そんな勝手な憶測を呼ぶ行為だったと本人が知ることはないし、知ったところで本人がそれを気に掛けることもまず有り得ないけれど。
二月十四日。St. Valentine's Day、当日。
学校にも行かずに朝っぱらから彼の自宅を訪れた京の姿を見て、一度開いた玄関の扉をそのまま庵は閉じようとした。
「あっ、こら、待てよッ!」
閉じようとする扉の間に慌てて片膝を割り込ませ、僅かな空間を両手で広げようとすると、腕力勝負になるかと思った京の予想に肩透かしを食らわせて、意外にも抵抗なく扉を押し広げることが出来た。
「………今日は月曜だった筈だが?」
ジーンズ&Tシャツの上にエアジャケットという京の服装に、彼が学校へ行く気はないのが明らかだった。
ドアノブから手を離して一歩退いた庵に呆れた視線を向けられ、厭味を言われても全く聞いていないらしい。三日前に自分勝手な要求が通らないと自分で飛び出していった事など、京はすっかり忘れ去っているに違いない。
扉を全開にした京の方は、玄関入って直ぐのところに積まれていたダンボールの山が無くなっていることに直ぐに気付いた。それらは京が寄り付かなかったこの数日の間に片付けられたらしかった。
長身の庵が立っていてもまだ余裕がある空間に自分も滑り込むと後ろ手に扉を閉じる。
何の為に京が学校までサボッてここへ来たか、新聞を読み途中だった庵は今日の日付に心当たりがあった。
黙り込んだまま腕を組み仁王立ちに近い庵の姿は、まるでゲームに出てくるゲートキーパーのようだなんて呑気に京は思っている。全く動く気配を見せない庵に室内に移動しようと靴を脱ぎながら京が誘う。
「こんなトコで立ち話もなんだし。中、入ろうぜ?」
「用件を言え、ここで聞いてやる。用が済んだらさっさと学校へ行け」
せっかちさんだなーなんて言いながら押し入ろうとする京と揉み合いになるのが面倒で、庵は今回もあっさりと引き下がった。起床してから二〜三時間は身体の動きが鈍い自分が、今の時間に京と小競り合いになったら無駄に体力を消費するだけなのは明白に思えた。
「…で?」
自分の脇をすり抜けて勝手に部屋に上がり込んでいく男の背中に、用を早く言えとばかりに端的な冷たい声を掛ける。
リビングに入ったところで立ち止まり振り返った京は、
「チョコレート、頂戴」
まるで些細な頼み事をするかのような気軽さで京は庵に要求する。
つい数日前にそれで揉めた事を覚えていないんだろうかと庵はウンザリしながら思った。
「…馬鹿のひとつ覚えだな、お前」
「なんだよー。用意してないのかよー、やっぱり」
「……………」
やっぱり、と言うくらいなら聞くなと思いながら、唇を突き出して不平を言う京の姿にがっくりする。
自分の記憶力は群を抜いているとよく言われる方だが、この男の方が出生日が自分よりも三ヶ月以上も早いというのは記憶違いだったろうか。
「素直に学校へ行きさえすれば、たくさん貰えるんじゃないのか?」
「あぁ〜? オレ、甘いモンは好きじゃねーもん」
矛盾した自己中心的発言にも怒りより脱力感が先に立つ。
コイコイと手招きされて仕方なしに自分もリビングに向かい歩を進める。
「いおりん、コレ、あげる〜」
ハイとご機嫌な笑顔付きで手渡された小ぶりのペーバーバッグを見下ろす。
光沢のある黒い紙の表面に金で箔押しされたマークには、すでに嫌になるほど見覚えがあった。
「なんだ、コレは…」
「庵もオレから欲しいかと思って。バレンタイン」
無表情の面を自分に向けて確認の為の質問をする庵へ、当然と言わんばかりに京が答えながらニヤリと笑う。
「嬉しいだろ?」
口を開くのも億劫なほど披露を感じて、庵はソファに陣取って雑誌を膝に広げた。
いつも予想外の行動を取って自分を驚かしてくれる。そんな京を相手にしてると本当にキリがない。
「愛の告白もしてあげよっか?」
楽しそうな京の忍び笑いが部屋にゆっくりと広がっていく。
幸せになれるなら、切っ掛けなんてどんなことでも、どちらからでも構わない。
−終−
初出 : 2000.02.14
加筆 : 2000.02.21
ここで終わってもイイっちゃ、イイんだけどねぇ〜…。(遠い眼差し)
こんなネタに何を精神削ってるんでしょう、オレ…。(涙)
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