本当は、「晴れ時々くもり」
本人だけが自分の家だと勘違いしているマンションへ、実家からの戦利品を片手に京は意気揚々と帰途を急いでいた。気分的なこともあったが、今日に限っては物理的な理由もあるので普段よりも更に歩みが早い。
部屋の主が在宅中はいつも施錠されていない扉を無遠慮に開いて中へ入る。
その折に帰宅を告げるように声を掛けるのは、不法侵入と間違われて攻撃されるのを避ける為であって、返事などは期待してはいけない。
「庵、居るのかー?」
玄関からの短い通路を騒々しく移動しながら取り敢えず荷物を置くためにリビングへ向かう。これもいつものパターン。ルートが変わるのは、緊急避難でトイレへ駆け込む時くらいだ。
「居た居た。酒の肴、貰ってきたから飲むだろ」
そう言って何も中に入れられそうにない潰れた学生鞄をソファへ投げると、いそいそとやけに嬉しそうにキッチンへ入っていく。
毎日「帰宅」してくる京をげんなりした顔で迎えた庵は、その後ろ姿を胡乱げな視線で追っていた。だが過ぎった不審を別段追求する気は起きず、そのまま放っておくことにしたらしい。
たまに音階が狂う鼻歌を微かに耳に留めながら溜め息を吐くと、書きかけの譜面や気晴らしに広げていたファッション誌を片付けて晩酌の為に空けてやる。
心の中では自分のペースを乱されることに不満タラタラな庵だが、雑誌はともかくとして譜面の上に料理の皿を載せられたら堪ったものではない。どうせ清書するのだからとかそういう事ではなくて、気分的な問題だった。譜面を汚されると、紙面が汚れたというだけでなく、そこに書いた音にまでケチが付いた気分になるのだ。どうしてもそれだけは避けたかった。
「お?さ〜んきゅぅ〜♪」
キッチンから顔を出した京が片付いたローテーブルに顔を綻ばすと、皿を両手に持って簡単に調理したものを運んでくる。
焼き茄子、エノキダケの焼き浸し、冷や奴。胡瓜の南蛮漬け。
大雑把な料理には違いないが、必要なものには薬味を省かず手間を掛けてあるのが見て取れた。
そのいかにも日本酒に合いそうな酒の肴を眺めながら、「日本酒を持ってきたのか?」と京に声を掛けた。
「なんで?」
「日本酒向きの肴ばかりじゃないか?」
「そっか? …んー、別にビールでいいじゃん」
ビール好きの京にそういった意図はなかったらしく、改めて自分で調理した品を見直している。
その返事に持ち込んだのが酒でないらしいと理解して、京は一体何を持ち込んで来たのかと庵は疑問に思った。
「ジャジャーン!」
得意げな声で庵の注意を促すと「本日のメインディッシュはコチラです♪」と最後の一品らしい皿と取り分け用の皿を持ってくる。
皮を剥いだ部分が奇麗な銀色に光っている白身の魚は、生のままで一口ほどの大きさに切り分けられている。
「あっち出てくる時に買い物帰りのオフクロに会ってさ。鮮度のいい鯵、買ったってーから貰ってきた」
あまり魚類が好きではない庵が微かに眉間を寄せているのを気にせず、座った座ったと無理にフローリングに座らせて冷えたビールを手渡す。
「あ、箸、忘れた」
醤油もいるじゃんと独り言を言いながら、鯵の切り身を睨み付けてる庵をそのままに京はキッチンへ戻って行った。
始め頑なに刺身には手を付けなかった庵だったが、目前の男があまりにも旨そうに食べているので、何とはなしに一切れ箸で摘んでみた。
その様子を見た京が自分の前にあったワサビ醤油の皿を無言で差し出したので、こちらも無言で切り身をそれに付けて口に運ぶ。
「……………」
「…旨いだろ?」
「……………」
「お前、あんま活きのいい魚を食ってなかったんじゃねーの?」
こんなに旨いモンを知らねーなんてと不愉快そうに自分を見る庵へ言葉を続ける。反論してこないところを見ると、どうやら当たらずとも遠からずといったところか。
「あんま肉ばっか食ってねーで、旨い魚も食えって!」
そう笑いながら言ってやると、放っておけとボソリと低い声で言われた。
−終−
初出 : 2000.10.24
ん〜、ん〜…。なんだ、コレ。久し振りに書き上がったんがコレかい…と一人ノリツッコミに精励する。勤勉やなぁー、自分。(失笑)
ソウデス、今日の晩メシは鯵の切り身デシタ! 活きが良くて旨かったデス!!!
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