見ゆる夢は黄金の波

「天命をもって主上にお迎えする。」
「御前を離れず、勅命に背かず、忠誠を誓うと誓約申しあげる。」



 風が熱を失った。

 季節は秋を迎えようとしている。
 照りつける陽光はあいかわらず厳しいが、風は乾いて強く肌に吹きつける。
 もうすぐ実りの秋がやってきて、また仕事が増えるのであろう。
 それとともに人々の顔には冬に入るまで喜びの色が増えるに違いない。

 下を向く都度こぼれる長い前髪を手ぐしで押さえながら、青年が行儀悪く肘をついて机に広げた地図を見ていた。
 指先からこぼれるのは紅葉を写したような赤い髪。
 細身だが鍛えられた長身が特徴的で人の記憶に残る。
 彼の特徴でもある赤い髪は、以前は襟足で短く切り揃えていたが、今では首を隠すほどに長く伸びた。
 もともと長かった前髪はさらに伸びて、それを耳にかけるとこの青年特有の斬りつけるほど鋭い雰囲気がいく分か和らぐ。もちろん身分に相応しく髪を結い上げる必要もある。そのため女御たちがこの青年の散髪を断固として拒否して、現在のところ本人に言わせれば不必要に伸び放題となっている。
 年のころは二十代前半くらい。
 容貌は整ってはいるが切れ長の双眸が鋭さ故に、かえって相対する者には冷たさだけが印象に残る。
 彼の視線の先は、いままで彼が見慣れてきた精巧なものとはほど遠いが、丁寧に仕上げられている誰かの手書きによる幾枚かの地図がある。もちろん美術鑑賞用などではなく、実際に使用されるべきものとして。
 そして、青年の目前に広げられたものは、中でも最も精巧な範疇に入っているものだ。
 宮仕えの者ならそれだけで彼の官位の高さがある程度は測れるかも知れない。
 舞い込んでくる仕事はキリもなく山積みになっている為、今も打開する案はないかと彼は地図を眺めている最中だった。
 街道に沿い街や村を辿っていた視線を不意に上げて宙にさまよわせる。思考を巡らせるためというよりも、逆に何かが彼の集中を妨げた気がする。
 なにを聴覚がとらえたのかと注意深く耳をそばだてていると、さきほどよりもはっきりと自分を呼ぶ声が聞こえた。
「いっおりぃぃぃーっ!」
 語尾が踊っているような声を響かせて、露台のはるか向こうから騎獣の背に跨がり一直線にこちらへ駆けてくる男が見える。
 おそらく彼の辞書にある『微行』は意味が間違って記述されているに違いない。
 あの距離でさきの音量の呼びかけでは、内殿どころか外殿にまで届いているのであるまいか。
 金波宮中に「延王来訪」が知れ渡るのにさしたる時間もかかるまい、と日頃から気難しい彼の表情がさらに険を増した。
 こぶし大だった影がわずかの間に見事な等身大となった。
 部屋の主と対照的な漆黒の髪は陽光を浴びて艶やかだ。
 しっかりとした体躯は背も高くバランスがよく、必要以上に鍛えられているのが明白なのに鈍重さを全く感じさせない。
 彼の素性を知らぬ者は武官なのだろうと訳もなく解釈するに違いない。
 そのくせやけに人懐こい笑顔を撒き散らしているから、相手に無用な警戒心を与えない。
 無情にも自分の騎獣を露台に乗り捨てた男は、跳ねる息も整えず腕を広げてそのまま傍へとやってきた。
「よっ、久しぶりだな!元気にしてたか?」
 彼の来訪の挨拶と、「主上。いま、延王君の声が…」という問いと共に執務室の扉が開かれたのは同時だった。
 別方向からの乱入に驚いて、空からの来客へ放とうした「宮城内へ騎獣での乗り入れは禁止だ」という小言を飲み込んでしまった。噤んだ口から零れ出たのは結局違うことになった。
「……入る前にノックぐらいしてはどうだ?」
 二人に向けてうんざりと発された声に、乱入者両名とも不思議そうに首を傾げる。言われた言葉の意味が理解できていない。
 黒髪の来客はどちらかというと再会の抱擁を座りながらも避けられたことに不満そうな顔をしている。
─── ………露台は正規の入り口ですらないがな…。
 微妙に寄せられた眉間に気付きもせず、輝くほどの金糸の髪を結い上げた女性は、扉を閉めながらもうひとりの乱入者へ声をかけていた。
「やはりいらしてたのね。相変わらずというか、なんというか…」
 頬に立てた人指し指を添えて微笑む面は色白で、緩められた口許がとても婀娜めいていて美しい。
 意味の判らぬ主君の小言などは端から聞く気はないらしく、ご機嫌麗しそうでなによりですわなどと挨拶をしている。
 不貞の輩をつまみ出す気もさらさらないらしい。
「………京、なんの用だ。」
「え?用がないと来ちゃいけねェの?」
 不思議そうに首を傾げる様子に、本当に自分の存在価値を理解してるのか疑いたくなる。同じ立場になった自分にそれを説いたのがこの男だというのに。
 しかも、京と自分の住処の距離を考えれば、用もないのに来る方が奇怪しいとしか思えない。里や郷、譲歩して州単位ほどの距離ならまだしも、国境を跨いで隣国の首都同士なのだ。
 用もなく行ったり来たりされては、実直に徒で旅する大多数の民たちに失礼というものだ。
「それよりも。ホラ、ひ・さ・し・ぶ・り!」
 わざと一音一音区切るように言う。
 どうしても挨拶をして欲しいらしい。
─── ………ならば、
「延王京様、わざわざ玉体のお運び、まことに有り難う存じます。ご機嫌も麗しくいらっしゃるようでお慶び申し上げます。このような途上の国へ過分のお心配りには感謝の念がたえません。充分なおもてなしを用意できませぬが、どうかごゆっくりなさってください。」
「マチュア、京様を掌客殿へご案内してゆっくり休んで頂け。アレもな。」
 賓客に対するとは思えぬほど平板な声で慇懃無礼に言い放つと、露台でおとなしくうずくまって主を待つ騎獣を女性に指し示す。
 私はまだ何もしてないのにと零すと主は彼が付けた字を強い語調で呼んだ。
 要は二人ともこの執務室から早く出て行けということだ。

「………あれは、ちょっとねぇんじゃねーの?」

 気付けば廊下に立たされた京は固く閉ざされた扉を振り返りながら、傍らの女性に同意を求めて嘆くように訴えた。
 ごめんなさいねぇ、と語尾がやわらかく上がる特有の語調に主の無調法を真摯に詫びる気配はない。
「でも叩き出されなかっただけ良かったのではなくて?」
 仕方がないなと彼は肩を竦めるだけにした。どうせ、直ぐに帰る気など更々ないのだし。いくらなんでも夕餉を伴わないわけにはいくまい。そう意地悪く笑って。
 楽しげな隣国の王を見上げて、自ら案内役を買って出たマチュアが殿の移動を促す。呼び止めた女御に騎獣の件を伝えるのも忘れなかった。
 自分の主は難儀な御仁に惚れ込まれたらしい。
 その筆頭が自分だとは夢にも思わない彼女は呑気に相棒に感想を漏らすと、
『…嫌われてるよりいいじゃないか』
 自分の影から伝わった返事にそれもそうかと笑みを浮かべた。
「春先に頂いた梨が実を結んでるから、召し上がるといいわ」
「俺、甘い物、得手じゃねーんだけど…」
「ふふふ、じゃ、熟れた実そのままを出すように言っておくわ」
「おー、そーしてくれ」
 呑気な会話を交わしながら、いつも靡いてくれない彼をどう口説き落とそうかと。彼の頭の中は楽しいことでいっぱいだった。
─── 秋の夜長と言うことだし…。
 赤い髪の彼が聞いたら、また眦を吊り上げることに思いを巡らして笑いを噛み殺した。
−終−
初出 : 2006.09.27
 ダブル・パロディ作品。
 この作品、第一稿は2002年らしい。
 ……どれだけサイトを放置してたか、内容ではなくファイルのプロパティが如実に体現していて涙が出る作品です。(死)

 えっと、今回のキャスティングは、延王: 京、延麒: 紅丸、景王: 庵、景麟: マチュア、景麟の女怪: バイスでお送りしております。(延麒出てねーだろ!というツッコミはご容赦ください。/笑)
 密かに(でもないけど)陽子ラブ人間なので、赤い髪つながりで庵を景王に。大門はきっと雁州国の禁軍将軍とかな感じ。
 京ちんが延王にハマり過ぎてて、「そのままじゃん!!」みたいな?(笑)
 そんなこんなで、作中で隠行していてマチュアの影から返事をしたのはバイスなのです。
 ……って、十二国記を読んでない人には何が何だかまったく判らないよねー。あ…はは…。

 オ●ニー覚えたチンパンジーのように原作を何度も何度も読み返して、この後で 「そうだ!庵が雁州国の赤麒なんだ!京を迎えに行くんだ!!」 とか天啓が下りちゃったばっかりに、さらにKOFから遠いところに旅立って行ったんだよね、私。(遠い目)
 もとがカナ表記の名前はどうするとか、みんなの字はどうするとか、官位や役職はどうなるとか、なんだか細かいとこを細密にやってた記憶があるなぁー。
 作品の背景が中華文化系だから資料を漁るあまりにどんどん嵌り込んじゃって、逆に発表できずにお蔵入り⇒サイト放置という元凶ともいえる作品。
 うわー、懐かしい…。

 文章の書き方が今の自分と違うから下手な手直しも出来ず、当時の恥をそのまま晒しております。(…)

 SNK禁はもとより、講談社禁・小野主上禁 な旨、よろしくお含みおきください。(土下座)

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