僕の秘密 青と赤
(ふちがみとふなと「私の秘密 白と黒」にヒントを得て書いた作品)
僕には壮大な野望がある。
たぶん今までに誰も成し遂げていないだろう。
僕はやり遂げようと誓っている。こぶしを握る手にも力が入る。きっとやってやる。きっと。
始まりは、誕生日だったと思う。
食卓には僕の好きなハンバーグやスパゲティや特に好きでもないトマトのサラダが並び、両親と流々子叔母さんがケーキのろうそくを吹き消す僕を見守っていた。
六歳か七歳か。たぶんそのあたりの誕生日だった。
僕は流々子叔母さんに、ビート板で8メートル泳げるようになったことや、にんじんが食べられるようになったことを報告した。自慢した、と言ってもいい。流々子叔母さんは、一年に数回、うちにやってくる。僕が子供の頃は、その数回のうちの一回が僕の誕生日だった。流々子叔母さんは、姉である母や、友達の母親たちとは、違う空気をまとっていた。
「へええ、優也、偉いね」
「今度会う時までに16メートル泳げるようになるよ」
確か、ピーマンも食べれるようになるよとも宣言した。
流々子叔母さんはうんうんと頷き、それを否定はしなかったけれど、「それとは別にさあ、一生もんの目標を立ててみたら。君は今人生のスタート地点を出発したばかり。今から始めればたいていのことはなんとかなる」というようなことを言った。もっと子供にわかりやすい言葉を選んでいたかもしれないが、だいたいそんな内容だったと思う。
「サッカー選手になる、とか?」
「ううん、そういうことじゃなくて」
「サッカー選手、いいじゃないか。地元のサッカークラブに入ってみれば」と、父が缶ビールを片手に勝手なことを言った。
父が話に入ってきたので、流々子叔母さんはそこで話をやめた。僕も、デザートに、ケーキとは別にイチゴのアイスが出てきたので、そっちの方に気を取られた。
が、食事が終わり、母が片付けに立ち、父がテレビを見にソファへ移ったタイミングで、「サッカー選手をめざすのもいいけどさ、他にもサッカー選手になった人はいるじゃない」と言った。さっきの続きだと僕にはすぐわかった。
「一生かけて、やりとげることで。誰もしないことで。例えば、一生、食卓に出たトマトは残さずに食べる、とか」
「えー、そんなことでいいの」
「そんなことでいいんだよ。それに食べ物を残さないってのは、いいことでしょ。一生やり続ける価値があると思わない?」
「うん、僕、そうする。・・・あ、だめだ、今、残しちゃったもん」
「そんなことでいいの、って言ったくせに。・・・結構難しいことなんだよ。そういうことが世の中にはたくさんあるよ」
「ねえねえ、他になにかないの。僕、やるから。あ、でも、にんじんはいやだよ。この前は我慢して食べたんだ。もう、やだもん」
「確かに。それを目標にするとこの先の人生が楽しくなくなるよなあ。・・・別に食べ物でなくていいんだ」
「じゃあ、横断歩道の・・・」
「白いところだけ歩く、というのは、トライしてる子供はいっぱいいる」
僕が言いかけたら流々子叔母さんは当ててしまった。
「実はおばさんも、やっていた。挫折したけど」
「僕もやったよ。・・・挫折ってなに?」
「途中でやめちゃうこと。・・・目標としては、悪くない。一生やり遂げた人は、たぶん、いないから。でも、やったよって言ったよね。一時期やってみたけど、もう今はやってない、優也も挫折したってことだよね」
この歳で、もう一生モノの目標のリストに載せられない事柄が結構あるんだ。その事実に僕は愕然としたのを覚えている。
「ええと、じゃあ・・・。信号を守る。一生、信号を守るっていうのは」
横断歩道からの単純な発想だった。これはトマトを残さないのよりずっと簡単に思えた。ちょっとずるい目標かな、とさえ思った。だって、当時の僕には、信号を守るのは当たり前のことだったから。
「お、それは、とてもいいね。うん、いいよ。とてもいい」
流々子叔母さんは褒めてくれた。えー、ずるいよ、そんな当たり前のこと、と言われてしまうと思ったのに。
「大変かもしれないけれど、がんばりなよ」と叔母は僕の肩に手を乗せて言った。
えっ。大変なの?
僕はとまどった。
それからが僕の試練の始まりだった。
試練は、すぐに訪れたわけではない。最初の数年は何も問題なかった。流々子叔母さんが来る度に「うまくいってるよ」と報告できていた。
四年生の頃に叔母は結婚して東京へ行ってしまい、報告することができなくなってしまったけれど。でも、ずっと、僕は順調だった。
苦労が始まったのは、五年生くらいから。友達と自転車で遊びに出るようになってからだ。
小学校五年の男の子なんて、ちょっと悪いぐらいが尊敬される。僕らのリーダー格のAもそうだった。信号は黄色でかえってスピードを上げて突っ走ったし、仲間にもそれを要求した。先頭のAの時に黄色でも、数人いれば途中で赤になってしまうこともある。僕は・・・止まった。次の信号を待つことにした。
一回目はみんなも待ってくれた。ぶつぶつと文句を言いながらも。でも二回三回になると、悪態をついて先に行った。とり残された僕は焦った。みんな先に行ってしまった。みんな先に行ってしまった。たぶん追いつけない。みんな先に行ってしまった。
小学校五年の男子なんて、マジメにしてると馬鹿にされる。僕はクラスでは弱い立場に成り下がった。そして、マジメで馬鹿にされるのは、中学生でも高校生でも同じなのだ。
中高学生になると、車が来ないのを確認すると、みんな赤でも渡るようになっていた。強がっている男子だけでなく、女子でさえも。
言っておくが、僕は決してマジメな生徒ではなかった。宿題もよく忘れるし、ノートなんてちゃんと取らずにイタズラ書きをしてたし、授業中に喋ってたりもしたし。図書室の本も期日通りに返せなかったり、試験勉強も一夜漬けだったり、指定でない色のリュックを使ったり、みんなと同じように制服のブレザーのボタンはしなかったり。でも、校外学習や修学旅行で、きちんと信号待ちをする僕を見ると、みんなは「うわーっ、まっじめー」とからかうような口調ではやしたてた。
そして、ふと気付くと、かなり多くの大人も信号は守っていなかった。傷ついたのは自分の両親もそうだったことだ。買い物袋を抱えた母が道の向こうで、「優也ったら。なにやってんのよ」と声を荒げた。信号を守った僕を叱った。
やがて僕は地元の大学を目指す受験生となった。そこそこの高校でそこそこの成績だった僕は、そこそこの大学への推薦くらい貰えたので、楽そうだという理由で推薦入試を選んだ。まあその程度の心構えなもんで、電車の時間の下調べが甘かった。通勤時間帯で概算していたのだ。その電車は昼間は一時間に二本くらいしかないと母に指摘されて慌てて家を出た。その試験に絶対に遅刻しない為には、次の電車に乗らなくてはならず、駅までに信号は四箇所あった。自転車はかっとばしたが僕は信号は守るつもりだった。
最初の信号、地方都市の住宅街のそれは、なんでこんなところに信号がというほど車も人も通らない。平日の昼間というのもあるんだろう。
反対の通りの道幅だけはやたら広く、こちらの赤信号も長かった。自転車のハンドルを握りなおす。手汗がじっとりと染みて黒いゴムが滑る。遅刻は許されない。車は来ない。・・・悪魔の声が聞こえた、渡っちまえよ、と。額の汗が前髪に貼りつく。渡っちまえよ。
踏みとどまったのは・・・不思議なことに、過去のつらい記憶のせいだった。友達にからかわれたり、女子に鼻で笑われたり、母に融通の効かない子だとためいきつかれたりした、それらの記憶だ。あんなにイヤな想いをしてまでがんばってきたんだから、ここでやめてたまるかと思った。
反対側の歩行者信号が点滅しだした。僕は安堵する。あと少しだ。あと少しで青になる。
やっと。正面の信号が戦闘心を掻き立てる紅蓮から清涼な碧空に代わり、そして僕は走り出した。僕は信号を守った。そして、忘れていた。世の中には信号を守らない奴は意外に多い。そのバイクは黄色の終焉に間に合わずに十字路に飛び込んできた。僕はバイクに跳ね飛ばされた。
そして今僕はベッドの上だ。カーテンで仕切られた白い部屋には、同じような外科患者が四人いて、テレビを見たり本を読んだりして、街に出られない退屈をまぎらわしている。
命に別状はない。片足の骨折と、アザが数箇所できた打撲、手の甲の裂傷。足の手術の経過も順調で、化膿などがなければ来週抜糸をして本格的なギブスをし、それでもう退院できるそうだ。松葉杖で高校にも通える。一般受験には十分間に合う。一ヵ月後に病院に検査に来てギブスを外してもらう。
「優也、久しぶり。大変だったねえ。・・・あらま、でかくなったこと」
流々子叔母が見舞いに来たのには驚いた。結婚後は殆ど実家にも帰ってこないと聞いていたし、うちに来ることもなかった。叔母が嫁いでからずっと会っていなかったのだ。
「うん」
交通事故も手術も入院も、本当に大変だった。僕は正直に肯定した。
「こっちに帰ってたんだね」
「まあね。・・・お見舞いの菓子折りとか、買って来てないよ。高校生の男の子なんて、そんなのもらっても嬉しくないでしょ」
「まあね。売店でアイス買ってよ。その方がいいや」
僕はベットから起き上がって、松葉杖をつかんだ。
「アイス?なあんだ。あんまり変わってないんだね。自分で選ぶ?もう松葉で歩いていいんだ?」
仮ギブスはしていたので、トイレとか売店での買い物とかくらいは歩いていい許可は得ていた。
僕らは待合室のベンチで、売店のカップアイスを並んで食べた。叔母のつむじが僕から見えることにちょっと驚いた。自分はそんなに変わった気はしてなかったけど、体だけは大人になったんだと感じた。そして叔母の髪には白いものが混じっていて、それにも軽い驚きを覚えた。
「今でもイチゴ味が好きなんだねえ」と叔母は笑っていたけれど。
叔母の旦那さんの会社は、ちょっと前にニュースになるような事件を起こした。僕でもそのニュースは知っていた。三人が裁判に立たされ、何人かが会社を辞めさせられ、十数人が降格になったそうで、旦那さんは降格になったと母から聞いていた。
「信号無視のバイクに跳ねられるなんて、ほんとに大変だったわよね。災難よね」
「まあね。松葉杖が取れても、ずっと杖は使った方がいいって。結構持ち歩くの面倒くさそうだよね」
「ずっとって?」
「さあ。・・・一生、ってことはないとは思うけど」
「優也、ねえ・・・もしかして」
秘宝のありかを、又は重役の不正でも尋ねるような慎重な口調で叔母が切り出そうとしたので、僕はつい笑って「うん」と即答した。
「まだ頑張ってるんだ。信号を守ること」
「へええええ。すごい。すごいよ、優也」
「こうなったら、ほんとに一生守り通してやる。・・・杖つくことになって、かえってラッキーかも。車の来ない時に赤で渡らないことの言い訳になるもん」
叔母は声は出さずに肩で笑った。
「そっちの方も・・・結構大変だったんだね」
「うん。結構大変」
僕も笑った。
退院して数日たった。松葉杖二本で体を支えて前へ進む行為は難しい。家庭内の移動でさえ面倒であり、通学はさらに苦労したが、そんなに親切でもなかった友達がカバンを持ってくれたり、女子にお見舞いの言葉を言われたり、悪いことばかりでもなかった。
夕飯の時にふと思い出して「流々子おばさん、こっちに来てるの」と、母と父の顔を交互に見ながら尋ねた。「あんたなんで知ってるの」と母は軽く答えたが、両親の顔に戸惑いが走ったのには気付いた。
「病院に見舞いに来てくれた」
「あんた、そういう大事なこと、なんでもっと早く言わないの」
「忘れてたんだ」
両親は顔を見合す。何か隠している。
「おばさん、もしかして」
「離婚するらしいわ」
「・・・そう」そんな気がしていた。
「大きな会社だし、一年もたてば世間は事件のことなんて忘れるのにねえ。クビになったわけじゃないし。降格くらいで。
自分で進んでやったことでもないでしょう。上からの命令だもの仕方なかったのよ。みんなもやってることじゃないの」
母の口ぶりは、離婚をするということの方が義叔父の罪より重いようだった。
父は、そうだな、とも、そうじゃないだろう、とも、飯がまずくなるからよせよ、とも何も言わなかった。
信号は赤では渡ってはいけない。五歳の子供でも知っている簡単なこと。でもそんな簡単なことを守り通すのはとても難しい。
僕はこの先、正しく立ち止まることができるだろうか。
必ず。そう、必ずそうしよう。誓おう。誓うことで、きっとまた強くなれる。
大学に受かって時間ができたら、叔母を散歩に誘ってみよう。信号を守って歩くツアー。アイスでも齧りながら。でも、そういうのに付き合ってくれる彼女を早く見つけなよって、言われそうだな。
END
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